March 26, 2006

岡本 太郎

メガスタ−IIフェニックスの星空

生田緑地にあるプラネタリウム メガスター 大平貴之さんが作った 

親子連れ 子どもたちがいっぱい

友達と 一人ぶらりと また行きたいな

岡本太郎美術館

ずっと川崎で暮らしていて、なんで今まで見に来なかったんだろう???!

今まで私が見た美術館の中で、最高

入り口からすごいインパクト

直感で、全身で感じて作った作品 だから心にくるものもすごい

そして太郎さんの生き方にも心にガツンとくる 純粋に ひたむきに いつも真正直に

ごまかし いい加減 媚び その場合わせなんてしないしできないんだろうな  

出る杭は打たれる この人は何回打たれても、己を貫いて生きたんだな

『強く生きる言葉』という太郎さんの本を買った

駄目な人間でいい よく見せようなんて思わなくていい

人が作った枠になんてとらわれず やりたいことをどんどんやればいい

『つくる』ことは、他人の真似をすることでなく、自分の中から出てきたことを形にすることだと教えられる

不安だらけだった自分 何か心がすっきりした 

今日、行けたのも、何かの縁 一緒に行けた友達ともまた何かの縁

また、ガツンともらいたいとき、来よう 計画なしに、来たいと心で感じたときに

大平さんと太郎さん この川崎にすごいひとがいるんだな いたんだな なんか嬉しくなった   


chihiro0117 at 22:58|この記事のURLComments(2)TrackBack(0)日記 

March 25, 2006

自分と正反対な友達

自分は、自分は、と自分のことばかり話す人は嫌だなと思っていた

人当たりよい人 自分の感情を押さえても周りを優先させている人になっていた 

でも、ある人に、もっと自分をだしていいのだと教わった

自分が話したい そう思った人にだけ、力を注ぐ彼女

誰とでもつながろうとし、結果広く浅くのつきあいになりがちだった私には彼女から感じる、気づかされることが多い

これからは、もう少し、深いつきあいをしていきたい

だって限られた人生、この人だって思える人と、そうそう出会えるわけじゃない

ちゃんと自分から会いたい人に会いに行かないと、ね 

時には愚痴を言い、本音でぶつかって、そうやって時間を重ねていくことで、自分にとってより大切な人になっていく

直感で物を言い、動いてる そんな彼女と出会えてよかった


chihiro0117 at 21:50|この記事のURLComments(2)TrackBack(0)日記 

December 28, 2005

金丸弘美のスローライフ旅日記より・・・

 
僕が農村に行くようになったのは、15年前からだった。それは、保育園に子どもが通い始めて、周辺にアレルギーの子どもが、すごく多いことを知ってからだ。子どもの3分の2がアトピーなのである。そのことを妻・早苗に話したら、早苗自身が高校生の頃、重度のアトピーで、ステロイド剤の使用で肌は黒くなり、頭は白髪となり、車椅子生活をするほどだった、と知った。そうして20歳までは生きられないと医者に言われたという。

当時、早苗は家族とともに鹿児島から移住し、大阪に住みだした頃、環境の激変、食生活の変化が体を変えてしまった。当時は万博の頃で、急激な都市化と工業化で、光化学スモックが発生した。ダイエーができ、輸入冷凍食品や安い輸入農産物が販売され始め、インスタント食品がもてはやされた。ファストフードや、ファミリーレストランが相次いででき始めた。

僕らは、まさにその時代に育ったわけで、インスタントや冷凍食品や、コーラなどが素晴らしいと宣伝され、それを盛んに食べた世代なのである。しかし、食と環境の激変は、彼女の体を蝕んだ。姉・大ぞの千恵子が知り合った栄養士さんがきっかけで、食から改善するということが始まった。それは、できるだけ、昔の日本食を取りいえれることだった。そうして、早苗は元気を取り戻した。

そんなことを知ってから、アトピーの子どもたちを抱える親や、アトピーに詳しい先生などずいぶんと訪ねた。そのなかで、私たちが食べる日常の食べ物、ファストフードやコンビニのインスタント食品を始め、多くのものが、健康被害をもたらす要因になっていることを知った。

そもそも僕自身がもう何年も、食を生み出す畑や田んぼのある風景から遠ざかっている。そこで、田んぼに行ってみようという活動が始まった。食べ物は現場からみないと理解できない。それは、僕の家族や子どもたちに、へんなものを食べさせたくない。僕たち自身の健康ということを考えたからだ。そうして千葉県の田んぼに行ったことを皮切りに、北海道から沖縄まで出かけることになった。

2001年から早苗と子どもたちは、健康と環境を考え、早苗の両親の故郷であった奄美・徳之島に移住した。そのなかで願ったのは、徳之島に、僕が全国のネットワークで知り合った、多くの地域活動を島に繋ぐことだった。健康を考えて島に移住したものの、島は環境が変り始めていたからだ。

畑の整備で景観が崩れたり、珊瑚が死んだり、島にも多くの輸入食材が入って、昔の地域の食が失われ始めていたのである。そうして若い世代は、本土と同じ食生活になり始め、健康被害がはっきり出始めていた。沖縄と同様に、若い世代に生活習慣病が、広がり始めているのである。おそらく、このまま進めば沖縄も奄美も、あと20年もすれば長寿はいなくなるに違いない。

chihiro0117 at 12:20|この記事のURLComments(0)TrackBack(0)
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