いい大人になっても一人は寂しいと思うもの。

みんなで楽しそうに話をしている輪に入れなかったり、
頼まれごとを頼んでもらえなかったり、
いい大人だから別に流す術も持ち合わせているけれど、
本当に流せているかと言うと、そうでもない。
人間なんだから仕方ない。

それが子供の時ならどうだろう。
いつも一緒にいる誰かが急に他のお友達のところへ行ってしまったらどうだろう。
幼児でももちろん寂しい。
敏感な子なら特に人の心変わりを察知するだろう。

紛れもなく私もかなり敏感だったと思う。
友達に仲間ハズレにされたことも、無視されたことも、
大人になっても誰にされたかはっきり覚えている。

子供を育てていくにあたって、
このあたりの問題にはどの親でも気を配っているはずだ。

随分早い教育かもしれないけれど、
伝えていることがある。
人は孤独だと言うこと。
親友だとこちらが思っていても、
思いはそれぞれで、相手のことなどわからないのだから、
自分で自分を楽しませる術を持つこと。
まず自分が楽しむことがとても大切。

私は子供の頃、大人にそんな風には教えてもらわなかった。
友達は多い方がいいと教えられた。友達を作りなさいと。
一人でいるのもいいものだとは教わらなかった気がする。

日本は宗教感が薄いのもあるだろう。
中学生の時にプロテスタントの学校に通い出して、
随分救われたし、その後の私の軸にもなっている。
ある程度の生きる指針が宗教ならば、
それを知るのもやはり必要だ。
宗教である必要性はないのだけれどね。


親友ではなく
勝友を持て。


そう説いている人がいた。

勝友とは
仏教の言葉で、
「優れた友」のことで
自分の徳を進める善い友のことだそう。
ベタベタした存在ではなく、
一緒にいて素敵な気持ちになる人。

子供には難しいだろう。
大人でも難しい。
でも、先に知っておいた方がきっとこの先自分で自分を守れると信じて。
自分は自分でしか守れないのだから。

友や信じた人に裏切られたような気持ちになるのは、
子供も、どんなに年を重ねた人であろうと深く傷つく。


本当は裏切ったとか、
真も疑もないんだけどね。
全部自分のシナリオなのだから。
・・・っと私は最近思っている。

まだまだ道の途中。
そして未来の光の子供達は道を歩き始めたばかり。
大人を見てる。

私はまだまだ修行中。

Chihiro Karina


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