小さな夢

日記

豚丼終了のお知らせ

牛丼代用の「豚丼」消滅へ 最後の砦の松屋も9日に販売終了という記事より
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120105-00000547-san-bus_all

あんまり人気なかったんだね
そう悪くないと思うんだけど

やっぱり牛丼食べに、牛丼屋に行くわけだから
そうなるのかなぁ


松屋フーズが5日、「豚めし」の販売を
9日までに終了すると発表したことで、
牛丼の代用メニューとして販売されてきた豚丼は、
大手3社とも販売終了となるようです。

豚丼は2004年ごろに牛海綿状脳症(BSE)問題で
牛肉の大量調達が難しくなったときに、
大手牛丼チェーンが代用メニューとして投入したが、
人気はいまひとつだったとか。

最初に撤退したのはゼンショーの「すき家」で、
2009年4月に終了、続いて吉野家は昨年12月に、
新たに焼いて調理するタイプの異なる
「焼味豚丼 十勝仕立て」を発売、これにともない、
従来の牛丼代用型の豚丼を休止したとのこと。

そんなに人気がなかったでしょうか?
わたしは、むしろ牛丼より豚丼の方が癖がなくて好きでした。
安い牛肉って臭いから、牛丼屋で、
トッピングなしの牛丼は食べられません。
なので、すき家で食べるのが一番多いかな。
松屋は一度もなし。

そうそう、焼味豚丼は、吉野家が今プッシュしている
商品ですよね。
これもいちおうは豚丼だから、厳密にいうと
吉野家は撤退していないのでは?
まあ、そんな細かいことはいいんですが、
吉野家の焼味豚丼って美味しいのでしょうか。
CMで見て以来気になっています。
今度食べてみようかな。


グレゴリー リュック

テルマエはわたしも読んでいましたが、


『テルマエ・ロマエ』第4巻、長編化に賛否両論という記事より
http://news.livedoor.com/article/detail/6168395/


ヤマザキマリが『コミックビーム』(エンターブレイン)で
連載中の漫画『テルマエ・ロマエ』第4巻が、
2010年12月22日に発売されたが、
新機軸を打ち出した第4巻に対しては
賛否両論が起きているそうです。

これまでの『テルマエ・ロマエ』の構成は、
タイムスリップしたルシウスが感動した
日本の風呂文化をローマ帰還後に応用して
繁盛するというシンプルな展開だったが、
この巻では作者も想定していなかったという
連載長期化により、趣向が変わり、
ルシウスが現代日本に長期滞在し、
温泉旅館で働くことになり、偶然にもラテン語を
話せる女性と出会い、言葉のコミュニケーションも可能になり、
風呂に限定されていた現代日本に対する見聞も広がった、
とあります。

なんたるご都合主義!
映画化に合わせての展開のようですが、
東野圭吾と同じような運命を辿っているような気がします。
彼も、ドラマ化や映画化のために原作のキャラを
続編でガラっと変えてきますからねー、もうびっくり。
そんなにまで儲けたいの、と。
作家としてのプライドはないの、と。

テルマエはわたしも読んでいましたが、
4巻の内容は惹かれないなぁ・・・。
ああ、もう終わっちゃったのか、って、
読者にため息をつかせるくらいのところで
完結するのがちょうどいいと思います。

グレゴリー リュック

長友トランス状態

絶好調長友に伊紙がロングインタビュー 「今はトランス状態」という記事より
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111217-00000015-goal-socc

長友の最大の武器は、みんなに好かれる性格。
ケガだけは気をつけてください

記事によると
イタリア紙がインテルに所属する日本代表DFの長友佑都選手を
「チームを蘇らせた」立役者として3ページにわたり特集していたことが分かりました。

インテルはリーグ序盤戦から苦しい戦いを強いられており、
成績も下位に低迷していました。しかし長友選手が徐々に調子を挙げてくると、
フィオレンティーナ戦、ジェノア戦で2試合連続得点を挙げて、
インテルを7位まで押し上げてきました。

その事をかなりの高評価で見ているイタリア紙は長友選手にフォーカスし、
一面にはエステバン・カンギアッソと喜びを分かち合う長友の写真を掲載し、
2、3面にはロングインタビューを掲載しているそうです。

インタビューの日本語訳を読んでいると、むこうでどんな生活をして、
チームメイトとどういう雰囲気で過ごしているのかが伝わりました。

買い物や食事を楽しんだり、近くに住む日本人サッカー選手と映画を
観に行ったりと、イタリアを満喫している様子が分かります。
チームメイトにもカワイイがってもらっているようで社交的な性格も
伝わってくるし、同じ日本人としてとても誇りに思えました。

サッカーの実力がある事はもち論の事、社交的で海外でも可愛がってもらい
ムードメーカーとしてその国に認めてもらえるような選手が、
今後どんどん増えていってくれると日本のサッカーももっと強くなるのでしょうけどね。
そこにも期待したいです。


題材がいいだけに

題名とのギャップに注意
舞台であるベトナムないしホーチミンへの興味をかきたてられました。
サブプライム危機の今、アジア危機を思い返す契機にもなりました。
ただし、「アジアの隼」ことペレグリン証券は最後まで脇役・背景でしかなく、主人公たちと直接タッチすることはありません。
また、ペレグリンの栄枯盛衰については、ググれば分かる内容がほとんどです。
プロジェクトファイナンスの舞台裏は波瀾万丈というにはほど遠く、同じシンジケーション・ビジネスなら「トップレフト」の方がおもしろかったです。

混沌のアジア
アジア通貨危機と長銀破綻を素材に、1990年代後半の激動のアジア経済を活写した国際経済小説。
本書の主人公は、日本長期債券銀行(長債銀、長銀がモデル)に勤める真理戸潤だ。
ドイモイ政策で外国からの投資に沸くベトナムに赴任した真理戸の目を通して、賄賂が横行するアジアのエマージング(新興国)の政治風土と、ディールを獲得するためには手段を選ばない米系投資銀行の企業文化がリアルに描かれる。
バリアでの巨大発電プロジェクトをめぐって繰り広げられる大手米銀ハノーバー・トラスト(バンカーズ・トラストがモデル)の香港現地法人の松本賢治ことヴー・スアン・シン(ベトナム系日本人)との死闘は手に汗握るものだが、もう1人の主人公である、香港の地場証券会社「ペレグリン(隼)」の債権部長である韓国系アメリカ人のアンドレ・サクジン・リーと真理戸との絡みが全くないのが残念(まあ実話とフィクションの組み合わせなので仕方ないのだが)。
エンロンの栄光と転落に焦点を絞った『小説エンロン』に比べると、テーマが拡散してしまった分、ペレグリン内部への切り込みがやや甘いように思えた。

「記録」としておもろいが「物語」としてはつまらない
アジア金融危機を舞台に、極めてディテールもしっかりした「記録」という面では非常に優れているかもしれないが、いろんな登場人物が時系列めちゃくちゃでどんどん出てきて、ストーリーの核も見えないまま、いろんな話をぱらぱらと書き綴った上巻は、小説として読んだ場合に非常に読みにくく、つまらない。
主人公を据えて1つの核となる物語を展開する、書き方がなってないので、記録としてすばらしくても小説としてはくずの部類。
題材がいいだけに下手な書き方で損をしている。
もったいない。
アジアの隼 (上) 祥伝社文庫黒木 亮

ほとんどがこのパターン

ピアニシモに込めるもの

高橋悠治のゴールドベルク変奏曲を買った。
曲に盛り上がりがなく、たんたんと弾いていくような感じ。
グールドなら、ピアニシモからフォルテシモとはっきりしていて、フォルテシモで気分の高揚が最高潮になる。
音楽というのは、ほとんどがこのパターンだろう。

悠治は、ひとつひとつの音、音の始まりから終わりまで、とても丁寧に、ひとつの音に魂を込めている感じがする。メロディーの美しさ、曲の高揚感に溺れることなく、音は抑制されていて、静かなとても静かな情熱の様なものを感じる。

フォルテシモで感動させることは簡単だけれども、ピアニシモで感動させることは難しい。しかし、そういう音楽に出会ったとき、感動は魂の奧からじわしわとあふれ出てくる。

現代作曲家というから聞いたけど

そこまで奇をてらった演奏のようには感ぜられなかった
もっと異常な響きを期待していただけにちょっと残念

グレングールドのゴールドベルク変奏曲を聴き慣れた人にとっては、奇妙な演奏だろう。
流麗な流れるようなタッチとは違う、詰まり、縺れる音の数々。
そこに貴方は今まで聞き逃していた音を発見するだろう。

完璧に調和の取れた作曲の中に、埋もれていった音の数々。
高橋悠治はそれを強調してみせる。
さて、それが何なのか?この演奏を聴いた貴方が考えるべきことだ。

「作曲家たちは現実に追いつけない」と、高橋悠治は書く。
楽譜を不要とし、即興と編集へと動き出した音楽について高橋悠治は、かつてグレングールドが鮮烈な演奏をしてみせた楽譜を用いて問う。

バッハ:ゴルトベルク変奏曲

ボルテージが振り切った

こんな日本映画はおそらく二度とでてこないだろう。ありえない傑作
成田三樹夫の烏丸(からすま)少将が最高にイカす!

へなちょこの麻呂みたいだと思っていたら、ものすごい剣豪。バカ殿みたいな眉毛して、片手で広く剣を持つ姿がサマになってる。成田三樹夫はやくざ映画の常連だけど、こんなにかっこいい成田は初めて見た。まずここでこの作品のボルテージが振り切ってしまった。

で、主人公(?)の柳生但馬守の萬屋錦之介、めちゃめちゃ迫力がある。尾張大納言の三船敏郎も存在感あるけど、萬屋の演技はもはや悪魔がとりついているとしか思えない。いくら若いとはいえ、徳川家光役の松形弘樹はもう完全にガキ扱い。

で、子連れ狼って、この作品からつながる話?確かに、これだけやったら、柳生一族から家族全員皆殺しにされても文句は言えんわなー。

その無敵の柳生但馬守の萬屋と、ガチンコ対決するのが、丹波哲郎!!! 丹波もそうとうコワイが、「仏に逢うては仏を殺し」を地でいく、萬屋の敵ではなかった。。。

他にも、大原麗子、ジャニーズみたいな真田広之、そして、志穂美悦子が元気いっぱいに剣を振るう。

こんな映画たぶん二度と見れない。

深作監督の手腕が光る!
徳川3代将軍の座を巡る内紛という史実と、柳生但馬守を中心とする家光擁立派による陰謀という虚構?を織り交ぜ、見応えのある時代劇映画になっている。
将軍家剣術指南役で強欲な柳生但馬守宗矩(萬屋錦之介)は家光を将軍に擁し、権力を掌握せんと陰謀を画策。やがて、それは幕府、浪人、朝廷をも巻き込んで行く。
凡庸な家光(松方弘樹)と利発な忠長(西郷輝彦)。血を分けた対照的な兄弟も否応なく巨大な陰謀に呑み込まれて行く。
そんな流れの中で、出雲の阿国(大原麗子)と忠長の淡い純愛絵巻も悲しい結末を迎えてしまう。

特筆すべきは、各所で見られる迫力のある戦闘シーンである。剣客の公家(成田三樹夫)、十兵衛の妹茜(志穂美悦子)、真田広之はじめJAC(ジャパン・アクション・クラブ)の面々が迫真の殺陣を魅せてくれる。
この映画以後、ハマリ役になった千葉真一演じる柳生十兵衛。孤高の剣豪として後世まで名を馳せる十兵衛だが、当初は主君である幕府と柳生家の為に、但馬守の手足となり暗躍する。だが、しかし、自分も利用されていたことを知る。
最後は、徳川幕府内に巣食う「諸悪の根源」を一刀両断し、去って行く十兵衛・・。

当時の日本映画界における名だたる俳優陣を統率し、この映画を完成させた今は亡き深作欣二監督に敬意を表したいと思います。

任侠と同じ構図の時代劇
 この映画は、僕が大学生の頃(1978年)に公開されました。それまでの東映の映画といえば、任侠映画だったのですが、その後東映の時代劇が復活。一連の監督が深作欣二でしたから、構図がはっきりしていて面白かったですね。秀忠の死因を巡り、将軍を巡る権力争いのというのは、任侠物語の構図と似た点もありますね。主演は萬屋綿之介。時代劇と言えば、この人の存在感は大きく、セリフの節回しも独特で説得力があります。柳生十兵衛の千葉真一も、油が乗っていましたし、十兵衛の片目の由来もチラリ。今や世界的スターとなった真田広之の幼い顔を見る事もできます。
 この映画が封切られた後、テレビドラマで放映されましたが、やはり映画の迫力には欠けました。ちなみに、08年にテレビドラマとしてレメイクされましたが、オリジナルを超える事ができなかったのではないでしょうか。
柳生一族の陰謀 [DVD]

演奏終了後、カラヤンが泣いていたことを思い出しました

ブラームスのラスト・コンサート1988
武満徹が「こんなに感動したことはない」と語った演奏会の記録

もう,皆さんご存知のことだと思うが,ここに武満の言葉を再掲しておこうと思う。

それから先日、非常にインパクトのある経験をしました。ベルリン・フィルハーモニーとカラヤンの、東京での最後の演奏会へ行ったのです。モーツァルトの39番とブラームスの1番をやりました。
僕は,高を括っていて、たまたまキップを貰ったものだから聴きに行ったのですが、こんなにオーケストラに感動したことはありませんでした。いままで僕がオーケストラというものに対して感じていた自分なりのオーケストラ概念が、一挙にバーッとふっ飛んだのです。ただ,それは他の,ブラームスやモーツァルトを詳しく知っている人たちにとっては、はたしてよかった演奏なのかどうかわかりませんが。
というのは,たまたまその演奏会の後に、ある音楽評論家から「武満さん、どうでしたか?」と訊かれたものですから、「ほんとうに感動しました、すばらしい」と応えたら「エーッ!」と突然、意外そうな顔をされたのです。その人は当然、僕が「いや、ぜんぜんよくないです」ということをどうも期待していたようなのです。でも僕は「ほんとうに感動しました」といったら、「エーッ、モーツァルトであんなに金管を鳴らさせたりしていいんですか、よかったと思うんですか?」というから、「いや、金管が鳴ったかどうかは僕はぜんぜん覚えていない、そんなことわかりません。そのものが、そこでやられたものが何だったのかも僕はわからないけれども、すばらしいと思いました」といったら、「いや、武満さんもずいぶん堕落したものだな,そうでなければ年なのかな」といわれたのです。僕はとても怒ったのです。モーツァルトもブラームスも僕にとっては絶品でしたから。
それはその後,たまたま何人かの演奏家、ベルリン・フィルのメンバーに会って、僕の印象が、彼ら演奏家が演奏していたときに感じたことと同じだったことが実証されたからよかったんだけれども。ブラームスでのオーボエのソロは、まるで天使の翼が抑揚をつけているような、人間業とは思えないほど、美しいものでした。かつてオーボエがあんなきれいに吹かれたのを聴いたことがなかったほどにすばらしかった。カラヤンは大して振っているわけじゃないんだけれども、そのオーボエのソロから突然カラヤンが見違えるようなものになったのです。そしてオーケストラ全体が変わってきたのです。
聴き馴れているはずのブラームスに打ちのめされたからでしょうか,僕の気持ちは奇妙にたかぶっていました。だが、そのときたしかに感じたことは、「このオーケストラは,プレーヤーのただ一人でもだめだったら成立しないな」という印象だったのです。名うてのベルリン・フィルに対して抱く印象としてはおかしいかもしれませんが,それが実感でした。
ところが,後で、コンサートマスターの安永徹さんに会ったら、「きょう私たちはほんとうにいい仕事ができた。親方があんなにいいことをしてくれたのはこの演奏旅行中はじめてでした」という。「それはどういうことですか?」と訊ねたら、「なんたってオーボエが信じられないことをやってぼくらを引っ張ってしまった.そうしたらカラヤンさんもぜんぜん変わっちゃった」という。「前の日、私たちは惨憺たる演奏をしたのですが、きょうはそういうことでみんなが自分でほんとうに好きなように演奏できました」という。どうもほんとうに好きなように演奏しているということがぼくらにも伝わってきたのだけれど,それでいて,オーケストラとしての全体がじつに見事に出てきたのですね。
オーケストラというのは、みんなが同じようなことばかり弾いていて、第一バイオリンは二十人同じようなことをしていて、考えようによってはグロテスクで不自然なものだと、そんな印象をもつような演奏も多いのですが、この時の演奏では、このオーケストラは一人でもだめだったらだめになっちゃうなという印象を持った。それはとても強い印象で、オペラティックな感動だったですね。一人でも,一つのパートがだめでも,全体がだめになるのじゃないかというような感動だったのです。
あれだけみんなが個性を主張していて、あのアノニマスな至福の瞬間をつくり得たのは、やっぱり西洋オーケストラも馬鹿にできない,大したものだという感じでした。
ベルリン・フィルというのはぼくの音楽とぜんぜんちがうドイツ的なガチガチなもので、ただただドイツ的な表現,ドイツ的な論理構造につねに支配されているというような固定観念があったのですが,それが見事に破られた。

ーオペラをつくる(岩波新書)よりー

カラヤンの涙

演奏終了後、カラヤンが泣いていたことを思い出しました。聴衆の熱狂に対する反応と日本での演奏はこれで最後だとの思いからでしょうか。
そう言えば、後日BPOの安永徹さんがFM放送にて終楽章は皆一生懸命弾きまくって、もう何がなんだか判らなくなってしまったと述べておられましたが、この言葉がこの演奏会の本質を示していると思います。

音楽職人カラヤンが嫌いな方にもぜひ

カラヤン最期の来日公演、就職活動をやっとったかで、わてはサントリーホールへは行けんかったですけども、ちょっとしてからFMで音源を流してくれはった。モーツァルトに、ブラームス1番、ベートーヴェン4番。展覧会の絵もあったはず。今でもエアーチェックしたカセットテープを持っとります。

で、どういうわけなんでしょう。カラヤンのブラームス、ベートーヴェンなんて、ややもすれば美音に隠れた構築の薄さを軽んじるような風潮もまま聞かれた帝王カラヤンのまさに最終楽章の時期。椅子に腰掛けた、動かないカラヤンの腕からカラヤンの意図を必死で読み取ろうとするベルリンフィルのヴィルトゥオーゾ達が、ジュリーニもかくや、と思われる深い響きと自在なテンポを得て、すさまじいブラームスのコーダとなった。

カラヤンは意思が示せない方がベルリンフィルが感動的だった、というのはあまりに皮肉ではある。音楽職人カラヤンが嫌いな方にもぜひ
ラスト・コンサート1988 モーツァルト&ブラームス

ヴァイオリン曲屈指の傑作として誉れ高いベートーヴェンの協奏曲

パールマン(イツァーク)のベートーヴェン&ブルッフ ヴァイオリン協奏曲
とても豪華でお買い得な1枚

 ヴァイオリン曲屈指の傑作として誉れ高いベートーヴェンの協奏曲と、パールマンお得意のブルッフ第1番とのカップリングという豪華な1枚です。しかも、定価1500円で買えるのなら大変お買い得です。
 パールマンは、決して奇を衒う演奏家ではなく、むしろ保守的な演奏家です。にもかかわらず、いつも聴き手を自由で楽しい気分にさせてくれる理由は、パールマンの奏でる歌心溢れるヴァイオリンの音色あります。それは、ヴァイオリン自体が持つ魅力を純粋に引き出す演奏をすれば、人々を感動させる音楽になるという彼の信念に由来しているのだと思います。
 そんなオプティミストのパールマンには、どこか田園交響曲を想い起こさせるベートーヴェンの協奏曲はお似合いの一曲です。難しいことは考えずリラックスして聴けます。個人的には、バレンボイム指揮のベルリン・フィルと共演したライヴ録音の方が、鋭く引き締まった演奏で好きですが、こちらも名演です。
 また、ブルッフの協奏曲もヴァイオリンの魅力をよく引き出した名演です。ブルッフはパールマンが最も好きな作曲家の一人です。世界各地を飛びまわっては好んで演奏し、多くの演奏家に影響を与えました。確かなテクニックでスケールの大きな演奏をするパールマンには打って付けのロマンティックな名曲です。
 ということで、星が5つでは足りないくらいです。普段クラシックを聴かない方にも自信を持ってお薦め出来るCDです。


ベートーヴェン&ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲

洗練された音楽性と形式美

モーツァルトのアイネ・クライネ、ポストホルン
聴くためのセレナーデ…本来の有るべき演奏ではないが…ベーム翁らしい生真面目さが嬉しい。

ベーム翁が晩年に残した、モーツァルトのセレナーデやシュトラウスのワルツなどは本来の喜遊性が後退していて、よりスケールの大きな管弦楽曲としての高い完成度を目指した「志」の高い作品ですね。賛否両論だと思いますが私はクラシック音楽をベーム翁から入門したので、もちろん大好きです。ただ本来のセレナーデとしての軽さや貴族趣味的な優美さを求めるならば…私はネビル・マリナー指揮アカデミー室内管弦楽団の三度目の録音をマスターピースとして押したい。現在は廃盤ですがフランスのパイヤール室内管弦楽団のものも柔らかな上品な響きで素晴らしいね。

アイネ・クライネならこれ

最も安心して聴けるアイネ・クライネです。聴けば納得するはず。細部まで厳しく仕上げるベームの指揮、一流ソリストの集団のようなウィーン・フィルの演奏、クリアにして重厚なな音質のグラモフォンの録音、どれをとっても極上です。アイネ・クライネを聴き始めるときもこの1枚、そしていろいろ聴いたあともやっぱりこの1枚でしょう。

洗練された音楽性と形式美

全曲を通じて中庸の美を頑固なまでにわきまえ、整然とした秩序の中に表現されたセレナード集で、遊びを許さないベームの生真面目な性格が良く表れている。一曲目のト長調のように、ごくポピュラーなレパートリーにおいてもウィーン・フィルの自然発生的な歌心の流出はやや抑えられて、洗練された音楽性と古典派特有の形式美の表出のほうが勝っているが、こうした解釈が聴き古された名曲にかえって新鮮な印象を与えているのは指揮者の力量の示すところだろう。一方『ポストホルン』ではモーツァルトの多彩でシンフォニックなオーケストレーションを遺憾なく再現した精緻で、しかも力強い指揮ぶりが冴えている。また当時のベルリン・フィルのスター・プレイヤー達、ジェイムズ・ゴールウェイやローター・コッホのソロの美しさと巧妙なアンサンブルが花を添えた魅力に溢れる演奏だ。尚メヌエットで活躍するポストホルンのソロはホルスト・アイヒラーが担当している。

前者が1973年、そして後者70年の録音で、既出盤のルビジウム・カッティングによるリニューアルになるが、OIBP化される以前の盤に比べると確かに雑味が払拭されて音質に磨きがかかったという印象だ。

モーツァルト:アイネ・クライネ、ポストホルン

いろいろに変化する彼女の表情

五嶋みどりのチャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲
しなやかで堂々とした、次元のひとつ違う演奏

たぶんCDで音を聴いているだけでは判らないものが、映像を一目みれば、はっきり判るということがあります。
CD録音と同じ一連のベルリンでの演奏会(1995年3月)の映像が、ユーチューブにアップされています。

それを見ると、普通の演奏家とは、集中の次元が違っているのが判ります。
音楽に没入してゆく様子が、いろいろに変化する彼女の表情でみてとれます。
緩急があり、弱音の響きがあり、野生の激しさがあり、スリリングな展開があり、この曲はこんな曲だったのだと、新しい別の曲をきく思いがします。
アバド・ベルリンフィルも素晴らしいです。

映像を見てから判断されることを、おすすめします。ほかの演奏家のチャイコフスキーもアップされているので、聴き比べてみてください。『百聞は一見にしかず』です。(Midori Goto で検索)

わたしはこの映像を見たとき、釘付けになってしまいました。
それまで五嶋みどりの名前は知っていましたが、なぜか避けてきたようなところがありました。でも脳天に一撃です。
聴きものの演奏は、見ものでもあります。彼女の各年代のDVDもぜひ出してほしいものです。

穏やか、かつ明確な主張

名曲、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲。こいつは驚いた。五嶋みどりのこれほどの横綱相撲にはムターも諏訪内もヴェンゲーロフもぶっ飛ぶだろう。まるで足に根が生えたかのような安定感はどうだ。と言っても、「どうだ!」というような力みなどまったく無く、いたって素直に楽想のままに演奏している。音の贅肉を極限まで削ぎ落としてシェイプアップしているので、グラマスなムターの演奏などに慣れていると、線が細いようにも感じるが決してそうではない。ゆったりと開始し、十分に間を持たせた運び方は実に堂々としている。むしろ図太い。正統的かつ完成度の高いヴェンゲーロフの演奏に近いようにも思えるが、五嶋みどりの確信が穏やかに、ハッキリと語られているのがよく分かる。決定版といえば、この協奏曲の決定版ともいえそうだが、そもそも音楽とはそう決めつけるものでもないだろう。演奏グレードが要求レベルに達していれば、時には諏訪内で、時にはツィンマーマンで、時にはムターで聴きたい場合もある。音楽を聴く時の心持ちはその時々で違うのだから。とはいえ、五嶋みどりのこの演奏はこの先聴く機会が増えそうだ。商品説明に「カーネギーホール100周年記念コンサートでの歴史的演奏の記録」とある。良質な録音によるライブ版だ。

音楽があふれています。

チャイコフスキーらしいし、加えて音楽の豊かさが素晴らしい。バンドはベルリンフィル以外の何者でもなく、ロシアのバンドと比較するとチャイコフスキーのロマンチックさではどうかとも思いますが。そのリアクションの中で五嶋みどりさんのリードは素晴らしく、アバドのリアクションも素晴らしいのではと思います。ライブ音源だけに、緊張感は在りますが、それゆえにリアルな音楽そのものを楽しめます。ベルリンフィルとのチャイコフスキーですが、十分にヴァイオリンはチャイコフスキーです。非常におすすめの録音と判断します。


チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲