October 2008

October 15, 2008

容疑者Xの献身

西谷弘監督

ある冬の日。身元不明の死体が発見される。顔を潰され指も焼かれたその男は、しかしすぐに身元がわかる。容疑者として浮かび上がったのは、元妻・花岡靖子。彼女には鉄壁のアリバイがあった。さて、彼女の部屋の隣には、高校教師の石神という男が住んでいた。彼は草薙の同窓生で、つまりはガリレオこと天才物理学者・湯川の同級生にして、湯川が一目置く天才数学者でもあったのだ。

ミステリのオチって、知ってしまうと、心の底から楽しめないもので。

昔、誰かの4コマ漫画で、
「推理小説の犯人を喋って大ブーイング」というネタがあった。

わかる。とてもよくわかるー。
わたしも以前、新聞の書評を読んでたら、
未読の推理小説のオチが書かれていて、
クヌヤローと破り捨てたことがあったから。
(以来、映画も小説も、前情報はなるべくシャットアウトを心がけてますよ。まったく某新聞め!)

というわけで、原作既読組としては、どんなもんだろうかなーと思って臨んだこの映画。

ところが思ったよりずっと良かった。
じゅうぶん楽しめました。
もちろん落としどころは判っているのだけど(但し、読んで3年近く経ってるので細かな部分は忘れている)、
映像ならではの感情の揺さぶり方がうまい。
とある場所の天井で「四色問題」を考える石神、
そして警察署の玄関のシーンなど、かなり感動するつくりになってました。

まったくの白紙から物語に酔うということは出来なかったけど、
どの部分でどの伏線をどう演出するのか、など、別の眼で楽しめたので満足。

内容について書いちゃうと、ヒントになってしまうので割愛。

俳優については、とにかく堤真一の「惨めなオジサンぶり」演技がうまい。
プラス、北村一輝演じる草薙の出番がかなり多かったのでハナマル。
テレビ版のように、華を作るために設定を女性にしちゃう、という考え方もわからないでもないけど、
ここは「石神=花岡親子」の筋をメインにすべきでしょうから。

そうそう、本来のガリレオにおけるワトソン役は草薙なんだけど、
新刊で出る「聖女の救済」「ガリレオの苦悩」では内海薫が出てるそうで。(文藝春秋のサイト「倶楽部ガリレオ」より)


ちなみに、映画に同行した相方は、
「読んだかどうか、さっぱりわからない」と言ってたのだけど、
石神の通勤経路を見たとたん、トリックすべてを思い出したとか(笑)

たしかにあのシーンは長すぎたかも(爆)


chikachan112 at 18:49|Permalinkclip!映画 |   【や行】

October 11, 2008

パコと魔法の絵本

中島哲也監督

患者ばかりか看護婦も医者までも風変わりな人が集まった病院で、成金のワガママ老人「大貫」は、嫌われ者として名を馳せていた。しかし大貫の悪評を知らないのか、少女「パコ」は無邪気な笑顔を見せ、なつっこく寄って来る。大貫に殴られた翌日も、いつもと変わらない笑顔を浮かべて。実はパコは事故の後遺症で記憶が一日しか持たないのだ。それを知らされた大貫は徐々に……という話。
原作は、後藤ひろひとの舞台『MIDSUMMER CAROL ガマ王子vsザリガニ魔人』

モチーフに使われていた飛び出す絵本そのまんま、色とりどりのおもちゃ箱みたいな雰囲気。
映画化にあたって、舞台から逸脱しないようにという注文をつけていたそうだけど、
たしかに、スクリーンを見ているというより、板(舞台)を眺めているみたいだった。

後藤ひろひとの舞台がというわけではなく、一般的な舞台演劇の印象だけど
 (舞台は観てない。彼の『ダブリンの鐘つきカビ人間』をWOWOWで観ただけ)
舞台を演じる人間はそれぞれ「これでもか!」と自己主張しながら登場し、物語を進行してるように思う。
それがたとえ脇役キャラでも、ワタシはこういう役割の人間なのよ!と、人目を惹こうとしてやってくる。
映画だとカメラがあって、視点が製作者側から観客に与えられるんだけど、
舞台だと平面の板の上だから、観客の目が自動的にカメラになる。
照明や舞台装置の助けはあるものの、「今ここが中心」という発信を行わないと、背景に負けてしまうからなのだろう。

一方、映画は物語を立体的に切り取れるものだから、
作り事を作り事として見せないよう「リアル」を求めるのが普通の描き方。
キャラがみんなで自己主張されると煩わしい。
もっと言うと、芝居くささが鼻につく。

本映画の最初は、その不自然さが目に付いて、少々引き気味だったんだけど、
 (加えて、あまりのハイテンションに、メンヘル系モチーフ? と思った程)
次第に馴染んできたというか、面白く思えてきた。

となると病院のロビーも舞台に組まれたセットに見えてきて、
今、画面では大貫と先生が喋ってるけど、映っていない右のほうでは消防士と木之元が喋ってる”ふり”をしているんだろう、なんて思ってしまう。
妙に画面の「前面」を意識した現れかたやミエのきり方も、舞台劇だと思い出させるような演出に見える。
(舞台芝居をネタにしたコントで「二人が向かい合うのでなく前方を見ながら会話」と使われるアレ)

舞台原作を、リアル方向に描くことに腐心する映画は沢山あると思う。
でも逆に舞台っぽくつくって、この映画ならではの個性として光らせてる。
CGと実写が混じる不自然さも、この効果で消し去ることができるし。

うん。面白いつくりの映画でした。

あ、話は割とベタ。
でもむしろ、ベタ万歳。
予定調和は最高の目薬だ! と思えたほど、面白くて泣かされた。

chikachan112 at 18:11|Permalinkclip!映画 |   【は行】

October 07, 2008

トウキョウソナタ

黒沢清監督

東京郊外で一軒屋に住む佐々木一家。平均と平凡を絵に描いたようなごく一般的な四人家族だが、内部ではそれぞれが軋みを発していた。ゆっくりと歪んでいく家族、やがて幾つかの事件が起き、その末に家族は……という話。

リストラで職を失ったが家族に言えない父、
存在をないがしろにされている母、
日常から希望を見出せず、アメリカ軍へ入ると言い出す兄、
そして家族に内緒でピアノ教室に通う次男。

四人家族というのはいわゆる世間様が標準とする家庭だし、
それぞれの抱く秘密や願望というのも、身につまされはするものの、
さほど「物凄いもの」でもない。

つまりは、どこにでもある、誰の身にも起こるかもしれない歪み。

昔風の「オレが家長だ」という強権な父。
彼の元で暮らしてきた家族たちがかみ合わなくなってくるのは、もはや仕方のないことだと画面から見えてくる。

そして絵に描いたようなリストラ劇とその後。
家長の権威はもはやないのに、まだその形に縋っているオトウサン。
彼の虚しい姿は笑いを生むのだけど、
でもどうしたら解決に向かうのかはわからない。

幾つかの事件が起きて、取ってつけたようなラストシーンがあって、
家族は再生する……ようには見えるんだけど、
本当に再生? と訊ねたくなる。

「ああ、よかったねー」では、終われない。
単なる家族回帰の話にはみえない。

「静かに滅びへと向かっていくこの国」を、ホラーの形式で語ってきた黒沢監督が、
家族ドラマの形式で語っているように思えた。


とはいえ。
現実は諦念と区切りの積み重ねだと、
小泉今日子演じるオカアサンが体当たりで表現していて、

では解決策はその積み重ねの上の「容認」にあるのかもしれないと、
少しだけ思わされた。


chikachan112 at 18:12|Permalinkclip!映画 |   【た行】