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ミニコミ『奇刊クリルタイ』の公式ページ。お知らせやメルマガ「週刊メルマガクリルタイ」の過去記事を掲載していきます。

「地方サブカル」というジレンマ―republic1963

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(「週刊メルマガクリルタイ」Vol.112(2012/04/25 配信分)の原稿を再掲)

5月6日の文学フリマで頒布される「奇刊クリルタイ増刊『dorjVol.3』」にて「二〇一二年サブカル滅亡」という原稿を書いた。今回はその原稿において主に射程に入れていた「地方サブカル」というものについて少し考えてみたい。

奇刊クリルタイ増刊「dorj」Vol.3奇刊クリルタイ増刊「dorj」Vol.3
著者:クリルタイ
販売元:クリルタイ
(2012-05-11)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る


「地方サブカル」とは、言葉の通り、「地方でサブカルやってる人」である。そもそもこの「地方サブカル」、少し前までは絶滅危惧種であった。それは、以下のような困難があるためである。

・友達がいない:同じ趣味を持つ友達・知り合いが地方にはいない
・コンテンツがない:東京には多くあるような巨大本屋も、小粋な本屋も地方では超レアな存在である
・イベントがない:面白そうな博物館の展示も、ロフトプラスワンも地方にはない

この「地方サブカル三重苦」によって、サブカルにハマった人達はほぼ確実に地方に愛想をつかして「上京」する事になり、結果として地方にはサブカルがいなくなってしまうわけだ。
だが、最近は少し様子が違ってきている。まずは、経済的な理由やその他によって、大学入学時の上京という選択肢が困難になっている点がある。だが、それ以上に重要なのが以下のような地方でもサブカルができる代替手段が成立しているからである。

・友達がいない:twitterやSNSで(ある程度)代替可能
・コンテンツがない:amazonで(ほぼ)代替可能
・イベントがない:Ustreamやニコニコ動画で(少しは)代替可能

こうした代替手段によって、地方でサブカルを行う事が以前より簡単になってきた。特に大きかったのがamazonの存在である。amazonによって、消費するコンテンツのレベルでは、日本中どこにいてもある程度のものが消費できる環境が整った。友達や同じ趣味を語りあう人達はtwitterやSNSである程度探す事ができる。そして、こうした関係性は「リアル」の関係よりもよほど心地いいものなのだ。
もはや、サブカルにおける東京の比較優位は「現場」の集積=映画や博物館、ロフトプラスワンのようなその場でしか体験できない「現場」が数多くあること以外にはない。そしてそれすら動画配信サイトや「その時だけ東京に行く(※1)」ということで解決しつつある、というのが今日の状況なのだ。
だが、こうして地方でもサブカルができてよかったね、という話では残念ながら、ない。そもそもサブカルとは一体なんだろうか。サブカルとはコンテンツのカテゴリー名ではない。およそ全ての「オタク/サブカル分類」が無意味なのは、この部分を勘違いしているからであり、「ももいろクローバーZはサブカルか否か」なんてカテゴライズする事は基本的には無意味なのだ。では、サブカルとは何かというと、サブカルとは「ロック」のような、スタンス、ないし信仰告白なのだ。「サブカル」がスタンスであるとして、そのスタンスとは具体的には何をさすのだろうか。端的に言えば、サブカルとは差異化ゲームである。

「他人よりも優れた感性を持っている」
「他人が知らないこんなマニアックなアーティストを知ってる」

このような発言によって他人との差異を強調し、それによって勝敗を決めるゲーム、それが差異化ゲームであり、それによって駆動されるのがサブカルなのだ(※2)。
地方でもサブカルができるだけのインフラが整えられたとしても、これらのサブカルのスタンスまで共有できているのかというと、極めて怪しいのだ。今の地方の若者たち(笑)はとにかく「自意識の投影として」コンテンツを消費する事をしない。サブカル的コンテンツを消費する事はあっても、自意識の投影としてのサブカル的スタンスまで共有しているとは限らない。そんな時に取り残された我々オールドサブカルは一体何ができるのだろうか。

※1 今や、東京⇔名古屋間は新幹線で2時間、高速バスであれば片道3,000円の時代である。もっとも、四六時中それをやるわけにもいかないので、完璧に差異をなくした、というわけではないが。

※2 こう書くと怒る人が中にはいるが、差異化ゲームそれ自体は「ゲーム」という以上の意味はない。差異化ゲームによってサブカルをたしなむ事は、「ある日突然、運命的に好きなる」というのと全く当価値である。

republic1963

奇刊クリルタイ増刊『dorj Vol.3』頒布のお知らせ

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「文化的多重人格者のためのハイエンド・マガジン(High-end Magazine for Multi Cultural Personality)」、奇刊クリルタイでは2012年5月6日(日)に開催される、「第14回文学フリマ」にて「奇刊クリルタイ増刊『dorj Vol.3』」を頒布いたします。これまでのシリーズとは異なり、本作では、これまで当サイトや「クリルタイ」バックナンバーに収録していた原稿を3つのテーマに基づいて再編集し、お求めやすい価格・版形にて頒布いたします。
「クリルタイ」というサークルについて、初めて知る方も、すでに常連の方も、是非この機会にお求めください。

ドルジ表紙


【詳細】
奇刊クリルタイ増刊「dorj Vol.3」
新書版、142ページ 1部 500円 特製透明しおりつき
第13回文学フリマ カ-35(東京流通センター Fホール(2F))
※今回も「ことのは(@kotono8)」様との合体配置です。
※今回もバックナンバーの販売をいたします。各バックナンバーともお求めやすい価格にて頒布しておりますのでこの機会にぜひお求めください。
※特製しおりは初回ロットのみの特典となっております。

【イベント詳細】
開催日:2012年5月6日(日)
開催時間: 11:00~16:00
会場:東京流通センター 第二展示場(E・Fホール)
アクセス 東京モノレール「流通センター駅」徒歩1分
一般参加方法:入場無料・どなたでもご来場いただけます
(サークルカタログ無料配布、なくなり次第終了)

【内容】
1:東京から考える、地方から考える
 『小悪魔ageha』における「地方志向」の正体/松永英明
当サイトの人気原稿の再録。地方と東京、ギャル文化圏を理解するための基本文献といっても過言ではありません。2012年に再録するにあたっての補足もついており、「小悪魔ageha」の現在を俯瞰できる内容になっております。


 二〇一二年サブカル消滅/republic1963
 
ブログ界隈蔓延する「オタク対サブカル」とか「映画秘宝対オタク対サブカル」といった不毛なアクセス稼ぎに一石を投じる原稿。2012年、「サブカルはもう死んでいる」。サブカルの「死」とは何か。地方在住ボンクラ野郎の慟哭を聞け!


 上京志望者最後の楽園 クリエイター系専門学校/Masao
当サイトの人気原稿の再録。ゲームやマンガ、アニメ、声優といったクリエイター系専門学校とは。そしてそこで繰り広げられている事とは?「専門的な勉強ができて羨ましい」「夢に向かってみんな頑張ってる」とお思いのあなたに贈る、筆者の実体験に基づく珠玉のルポルタージュです。


座談会:非モテイズデッドの「次」を考える
当サイトの人気原稿の再録。「奇刊クリルタイ4.0」刊行後に行った杉田俊介氏との座談会の模様を収録しております。「非モテ」という弱者利権の死とその先にあるものとは…参加者各人のスタンスの違いからくる座談会中の不穏な空気も合わせてお楽しみください。


2:この「人」を見よ
 真・文系大学院残酷物語 安倉儀たたた
当サイトの一番人気、「文系大学院残酷物語」の最新版が登場!「anan」読んで院生男子に萌えているBUTAどもに告ぐ!文系大学院生の叫びを聞け!


 結婚、自分探し、アイデンティティ シロクマ
blogos等でも人気のブロガー、シロクマ氏がクリルタイに登場!我々のライフプランと結婚について語ります。中二病の果てに、我々は何をみるのか・・・。


 劣等感から解放される一〇の方法 吉川にちの
当サイトの人気原稿の再録。人間(とりわけ我々のような人種)、だれしもが持つ劣等感とその克服のための処方箋。是非ご覧ください。


 私の「ビジネス2.0」体験記 ryoQ10
これは英雄譚である!我々が皆、知っているアメリカからやってきた全く新しい概念こと、「東幹久がナレーターをやっている例のビジネス」。この誘いにのってホイホイついていった男は、どうなってしまったのか!?松永英明氏をして「芸の域にまで達している」と言わしめた渾身のルポルタージュを是非ご覧ください。


インタビュー:長谷川裕(TBSラジオ)
言わずと知れた『文化系トークラジオ「Life」』プロデューサー長谷川氏のインタビュー。非モテ、サブカル、マッドチェスターなどなど縦横無尽に語りつくします。「奇刊クリルタイ2.0」に収録、長らく入手困難になっていたこのインタビューが復活!是非ご覧ください。


3:コミュニケーション化するコンテンツ
 愛と幻想の「ゆるキャラ」ファシズム 犬山秋彦
ひこにゃんに代表され、現在物凄い数がいる「ゆるキャラ」達。「ゆるキャラグランプリ」を通して、愛くるしい彼らのこれまでほとんど取り上げられなかった彼らの「大人の事情」について真正面から取り上げた原稿です。


 君よ、エロ女中の星になれ!~岡山藩相伝・『夜の奥義書(女性用)』~ 衆道士ぺドフェチ
皆さんは「昔の人は、どうやってヤリ方をおぼえたのかな?」と疑問に思った事はありませんか?ファンキーな古典解釈で「クリルタイ」読者にもお馴染みの衆道士ぺドフェチ氏が皆さんの疑問に答えます!江戸時代の大名たちの性教育の赤裸々な世界、ここにあり!


 ドリルの陰に消えたみゃ長―Jリーグにおける「家族密着」の功罪― 千葉のイニエスタ
「人気になりたきゃ「家族」を狙え」スポーツに限らず、あらゆる娯楽に当てはまる黄金律です。ですが、「家族」という消費単位自体が揺らいでいる現在、本当にそれは成り立つのでしょうか。本稿では、2011年Jリーグ王者である柏レイソルのサポーターグループを通して、消費単位としての家族とスポーツとの関係をっ逆照射します。全てのスポーツファンに贈る最強の論考。是非ご覧ください。


 次世代型アイドルとしてのAKB48―セカンドキャリアを備えた女学校― ぺーじ
「国民的アイドルグループ」AKB48、単純な搾取の構図だけに終わらない、そのシステムの本質とは、アイドルとしての終わりまで見据えた「セカンドキャリア支援」にあった!?小熊英二やスポーツ選手まで登場するこの論考は、アイドルに興味のない方にこそオススメの内容となっております。


なお、今回は「パブー」にて無料のプレビュー版を配布しております。こちらも合わせてご覧ください。

これに合わせて、恒例のamazonでの予約もスタートしております。こちらの販売開始は文学フリマの開催後ですので、5月6日の文学フリマにてお求めいただいた方がお得な仕様となっております。

奇刊クリルタイ増刊「dorj」Vol.3
著者:クリルタイ
販売元:クリルタイ
(2012-05-11)
販売元:Amazon.co.jp
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「クリルタイ」メンバー一同、当日お会いできることを心よりお待ちしております。

奇刊クリルタイ 編集長
republic1963

facebookページ作りました/文学フリマWIKIに参加/サイト更新に関して

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「奇刊クリルタイ」のfacebookページを作りました。
アカウントをお持ちの方は、是非アクセスください。

また、「みんなの文学フリマ情報wiki」内にクリルタイの項目を作成しました。今後も内容を追加予定ですが、これまでの活動内容が網羅的にわかる内容ですので、是非ご覧ください。

また、chikumaonlineの更新に関してですが、通例どおり、「文学フリマ」に出す新刊に注力するため、4月上旬までお休みさせていただきます。ご迷惑をおかけしますが、何卒よろしくお願いいたします。

編集長
republic1963

非モテのための婚活必勝法12「オンラインデーティングサイトを使 う」-republic1963

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読者諸賢は出会い系サイトというとどんなものを思い浮かべるでしょうか。日本には無数の出会い系サービスがありますが、一般的に、出会い系サイトと我々が呼んでいるサイト群は以下のような特徴があります。

ケータイ型:主にケータイでのアクセスを主体にしたサイト。繁華街にギャル系のモデルを起用して巨大な看板を出して広告していたりするのが特徴。
PC型:PCでのアクセスをメインにしたサイト。看板などでの告知は少なめだが、ネットではバナー広告などが多い。また、多くはMSNやyahoo!などのポータルサイトと提携していて、「ポータルサイト上の一サービス」として誘導されるのが多いのが特徴。

従量課金制:「メール一件○円」などというように、相手とやりとりするごとに費用がかかるタイプのサービス。
定額制:各サービスで料金体系は多少違うが、月額費用として、所定の金額がかかるタイプのサービス。


※どちらの料金体系でも、登録時は無料だが、やりとりするには費用を払う必要がある

基本的に、「出会い系サイト」はこれらの要素の組み合わせになりますが、大きくわけると二つのパターンに分けられます。一つは「狭義の出会い系サイト」とでも呼ぶべきサイトです。我々が「出会い系サイト」というと一番イメージしやすいのがケータイ型-従量課金制のサービス。雑誌や街角に大量に広告を見かけるのがこのパターン。
もう一つがオンラインデーティングサイトと呼ばれるPC型-従量課金制のサイト。こちらもネット上では大量に広告を見かけます。ちなみに、我々が最もよく見かける(ウザい)バナー広告がオーネットですが、ホームページをみる限り、第三者の紹介が必要なシステムのオーネットは厳密な意味では出会い系サイトではありません。ここでは、ネット上のサイトを使って(第三者の手を介する事なく)異性とデートのアポイントを取ったりするサイトの事を「出会い系サイト」と呼びます。出会い系サイトの流れは基本的には全て以下の通りです。

(一)写真や身長、体重、趣味などの基本情報をサイトにアップする(ほとんどのサイトでは写真はなしでも可)
(二)サイト内を検索して気に入った異性がいればメールを送ってみる。相手から返信が来た場合はやりとりを続ける
(三)実際に会う。もちろん、サイト側から何かあるわけではなく、当事者同士でタイミングを見計らって連絡しなければいけない。これ以降は「リアル」でのデートと同じ流れになる

サイトが提供しているのは(一)と(二)の部分です。
サイト側では利用者同士のやりとりの中身に関しては関知せず、「場」を提供するだけ、というのが基本スタンスです。このあたりに出会い系が「いかがわしい」「犯罪の温床」と言われるボトルネックがあります。で、そうした印象が事実無根かと言われるとそうでもありません。数年前話題となった、婚活詐欺を働いた上、交際相手の複数の男性が不審死を遂げている事件も、容疑者が交際相手を見つけたのが世界最大規模の婚活サイトだったといわれています。サイトの種類に関わらず、こうしたリスクは存在しています。これをもって出会い系サイトを「いかがわしい」として退ける事はもちろん可能でし、賢明です。ですが、よく考えると、程度の差こそあれ、こうした危険な異性にひっかかってしまうリスクは出会い系に限らずあらゆる男女交際について当てはまりはしないでしょうか。でも、「詐欺女にひっかかるのが危険だから男女交際をやめろ」「危険だからやめるわ」という人はあまりいません。多くの人にとって、ヒモにひっかかるリスクは無視できる程度か、異性と交際する事がそれらのリスクよりも大きい、という事になります。
つまり、「ネット恋愛は危険かどうか」について考える事は大した問題ではなく、もっと重要なことは「そこまでして結婚する必要があるのか」ということになります。

(次回に続く)

republic1963

心霊スポットのゲニウス・ロキ~松永英明~

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(「週刊メルマガクリルタイ」Vol.91(2011/08/17 配信分)の原稿を再掲)

ゲニウス・ロキとは建築学などで用いられる用語で、「ある場所の持つ雰囲気」のようなものである。その場所自体の地形や他の場所との位置関係、さらにはその場所が持っている歴史的な積み重ねを土台として、場所の雰囲気が作られていく。わたしにとって「ゲニウス・ロキ」はライフワーク的に追究したいと考えているテーマの一つである。

メルマガ「ゲニウス・ロキ探索」

※『.review』論考「秋葉原のゲニウス・ロキ

今回、夏ということで『心霊スポットのゲニウス・ロキ』というお題をいただいた。
このお題については、二つの路線で展開できる。一つは「パワースポット」ブームという角度、もう一つは「どういう場所が心霊スポットになるのか」ということである。今回は後者の路線で考察してみたい。
結論としては言い古されたものになるかもしれないが、いわゆる心霊スポットというのは「この世界と別の世界の境界」にあたる。境界論そのものについては赤坂憲雄『境界の発生』(講談社学術文庫)などが詳しいのでそちらに譲るが、心霊と境界は切っても切れない関係にある。

境界の発生 (講談社学術文庫)境界の発生 (講談社学術文庫)
著者:赤坂 憲雄
販売元:講談社
(2002-06-10)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る


そもそも、心霊スポットというのは、「この世にいる我々が異世界(あの世)の住人を垣間見る」という場所である。この世とあの世の微妙な重なり合い、あるいは接点、つながる場所、つなぐ場所である。これを「境界」と呼ぼう。
墓地はあからさまな境界、生と死が隣り合った場所である。神社・仏閣などは、穢れではなく聖なるものとの境界である。ただし、聖なるものが人間に対して好意的であるかどうかはわからない。神社はかつて荒ぶる神の祟りを鎮めるための場でもあった。これらはわかりやすい「境界」である。
一方で、ごく普通の場所が境界となりえるものもある。たとえば有名なのが「辻」である。道が交わる場所は、辻占いや辻説法の場所とされてきた。辻説法は単に通行者が多いという理由もあるかもしれないが、それだけでは説明しきれないのが辻占いだ。「辻」という場所そのものに意味がある。それは、二方向の動線が交わる=境界という意識である。
下北沢南口、王将の斜め前にある三叉路の角の「庚申塔」は映画『デトロイト・メタル・シティ』のロケでも使われた場所だが、この場所に庚申塔が置かれているのは、やはり境界だからである。これは「村と外」の境界でもある。日本における庚申塚は、日本神話の「塞(さえ・さい)の神」として悪疫などをさえぎる神と同一視され、同時に中国由来の道祖神とも同一視されていた。三叉路にして下北沢の(ほぼ)南端という二重の境界にこの庚申塔があることが興味深い。ちなみに、北口の松尾貴史氏経営のカレー屋「般゜若」の手前にも庚申塔があり、下北沢の南北が庚申で守られている。
辻が境界なら、橋も境界である。川の両岸は、橋がない限り隔てられている。川を渡る船にとって川は通路だが、その通路によって両岸は隔てられている。それをつなぐ橋。橋でも橋占が行なわれていた。京都の一
条戻橋の鬼伝説や安倍晴明伝説は最たるものだ。
意味合い的に橋と似ているのが鉄道の踏切で、よく踏切事故で亡くなった子供を供養する地蔵などが建てられている。これも、人と電車が「交わる」境界であるから事故が起こるというだけでなく、線路のこちらから向こうへ渡る「境界」そのものを守護したい意識がどこかにあるからだろう。ちなみに、鉄道がこちらと向こうを「隔てる」ものであることは、「開かずの踏切」を考えればよくわかる。
心霊スポットとしてよく取りざたされるのが「トンネル」だ。トンネルは見晴らしが悪いので事故が起こりやすい、という単純な事実から恐怖されるという見方もあるが、もう一つはやはりトンネルが「境界」だということである。トンネルは、地上から地下へ入り、そして地上に戻るまでの間の場所である。冥府や黄泉と結びつけられてきた「地下」を通って、小山で遮られたこちらとあちらをつないでいる境界である。晴れた日中なら、日の当たる場所と日の当たらない場所、つまり光と闇、昼と夜の境界である。
時間的な昼と夜の境界が「黄昏時」「彼は誰時」としてあやかしの時間帯とされたように、トンネルは地理的な昼と夜の境界である。そこでまた事故死した人がいるという認識から、その「霊」がこの世界にさまよい出ることの可能な場所とされがちなのは、非常に理にかなっているといえる。
類似の場所が昼なお暗い「森」ということになろう。赤ずきんちゃんが「森」で体験することは、不思議の国のアリスが「地下」で体験したことと同様、異界へさまよい込んだ物語と解釈することもできる。
廃墟はそれだけで不気味なものである。それは、「かつて生活の場所であった」という痕跡と、「今は生活が失われている=死したも同然の場所である」という二つの情報が同時に存在するからであろう。飛鳥のように千三百年前までは都だったという街中廃墟みたいな場所だと、逆に当時の生活感がないので境界感は薄れる。ブーム的に扱われる廃墟では、ついこの間まで人がいた、という境界感が非常に高く、そして心霊説話と結びついていく。
現代の交通機関が発達した中で見逃しがちなのが「高低差」という境界である。しかし、「坂」という境界はやはりあやかしの場所として認識されている。東京の二十三区内でも、東側の下町は標高が低く、平地であるが、西側は台地があり、その端が坂になっている。山手線の田端・日暮里・上野間あたりは、線路西側の高台から急な崖があって、その東側が低地・平地となっている。高台側には寺社が並び、上野公園もかつて天海が東叡山寛永寺を建てた場所だった。高台と低地では(特に高層ビルが建っていなかった時代には)まるで見える景色が異なっていた。
これこそ「異界」への到達である。したがって、下と上をつなぐ坂はやはり境界となる。
低地が続くところにいきなり丘があると、不思議な感覚が起こる。低地が続く芝公園の先にわずか数十メートルながら「都内で山と名付けられた場所の最高標高地点」である愛宕山があらわれ、その急な石段を登るだけで意識が変わる。中沢新一は『アースダイバー』で「丘の突端」を「岬」と呼び、そういう場所が古代から聖地として扱われ、古代の聖域に神社や寺が建てられたというストーリーを語った。さすがにそれが放送施設とまで結びつけられるとこじつけの感があるが、確かに「岬」的な丘の先端に立つと不思議な感覚にとらわれる。たとえば都内であれば代々木八幡神社に登って周囲を見渡してみるとわかるだろう。
高低差の最たるものが「平地」と「山」である。特にこれが山脈となると境界的な存在となる。奈良(大和)と大阪(河内・和泉)の境界には北から生駒山・信貴山・二上山・葛城山・金剛山が連なり、河内平野と奈良盆地を完全に区切っているが、その山のいずれもが聖地となっている。
山と関連してわかりやすいのが「峠」だ。ずっと上り道だったものが下りに転ずるところが峠である。上昇が下降に転ずる場所、すなわち境界である。映画『あゝ野麦峠』の野麦峠は「飛騨へ帰ることを阻む壁」として立ちふさがっていたが、まさにその境界を超えるのが峠道である。
以上の観点でほぼすべての心霊スポットが当てはまる。念のため、『全国心霊スポットMAP』というサイトでざっと見てみたが、寺社以外にはトンネルや廃墟(刑場跡含む)が多い。

※『全国心霊スポットMAP

一つ補足すると、心霊スポットMAPでは「ダム」が見られた。ダムは「橋」でもあり、ダム湖と下をつなぐ「崖」(高低差)の境界でもある。
心霊スポットと言われる場所を見かけたら、ぜひ「何の境界なのだろう」ということを考えてみていただきたい。幽霊は見えなくても、別の興味深い事実が見えてくるはずである。

松永英明

童貞をこじらせて 高校~大学編-小野和哉

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 我が輩は素人童貞である。
 24歳くらいまで価値のあるものでもない男の操を守り通し、人生の一大失恋を経て、風俗で童貞をかなぐり捨て、26歳の現在に至る。3年ほど前から「恋と童貞」という童貞をテーマにしたアホ雑誌を作っており、そこで名ばかり編集長をつとめている。
 そんな雑誌を率いているもんだから、お察しの通り彼女がいたことはないし、ましてやチューをしたことも、手をつないだこともない。あ、チューは風俗のオバチャンとあるか。しかし風俗経験も件の脱童の際の一回限りである。一ヶ月に一回くらいの頻度で無性に行きたくなることもあるが、どうしても踏ん切りがつかないというか、土壇場でビビっちゃって行けないわけだ。一度、目当てのお店を見つけ出し、実家の千葉から池袋まで遠征したものの、店の近くで怖じけずいて帰っちゃったことがある。なんか、落語に出てくる若旦那みたいな。そんな我が輩のことだから、ただ、ぼんやり風俗店のホームページを見ているだけでも満足してしまう。
 童貞であるのは生まれてこの方であるが、はっきりと自分を「童貞である」と自覚しはじめたのは、おそらく性に目覚めはじめた中学生の頃だろう。とにかく異性が遠い存在であるように思えた。それでも中学校では女子もまだイモ臭くてまだ親近感は持てたが、高校に入って急に色気づきだすと、急に差をつけられた。当時は、もう今思い出しても随分に頭がおかしいと思うのだが、女性のことを雲の上の存在かなにかと思っていた。そんな神聖な存在に自分みたいな汚れが近づいたり話しかけたりしてはいけないと、けっこうオオマジで思っていたからたちがわるい。当然、同い年の女の子と話す時は敬語である。痛い、痛い!
 高校二年生の頃だったか、そんな天然モノ童貞の我が輩にフランクに接してくれた女子がいた。Hさんという子はなんというか不思議な存在で、クラスの上位にいるオシャレモテでもないけど、ましてや地味グループでもなくて、とにかく明るくて誰とも平等に接することができるような希有な存在であった。お世辞にも可愛いとは言えないが、とにかく明るくて下ネタもオッケー。我が輩のことを勝手にムッツリスケベと認定し、深夜のオススメエロ番組の情報を頼んでもいないのに教えてくれたりした。人生で初めてケータイに登録した異性もHさんだったなあ……。そんな大洋のごとく器のでかいHさんであったが、先述の通り極端に女子が苦手であった我が輩は、Hさんが善意で送ってくれたやたら長文のメールにもわずか一行で返信という暴挙を犯し、翌日本人から「アレはショックだった……」と言われる始末。
 高校を卒業。晴れて大学入りで夢のキャンパスライフかと思いきや、暗黒の高校時代で培われた強靭なロンリーウルフ精神が邪魔し、入ったサークルを一ヶ月でフェイドアウト、クラスも何だか周囲の雰囲気にとけ込めず孤立、華々しく大学デビュー失敗をかざった。さらに悪いことに、大学はあまりに自由すぎた。高校は共学制だったため周囲1メートルには必ず異性がいるような環境、息苦しさすら感じていたが、大学は当人さえその気になれば異性はおろか、同性とすら顔を合わせずにやり過ごすことができた。それで、我が輩は異性という存在から完全に目を背けてしまった。ビックリなことに、大学四年間で本気で女性を好きになったことがなかった。やりたい盛りの20歳前後の男子がピチピチの女子大生にうんともすんともならないって、本当に病気だ。そう、もう何か当時の我が輩は解脱に域に達していたと思う。風俗に行くなんて発想もマジで微塵もなかったのだ。
 ただ何も考えていないわけではなかった。むしろ悩み過ぎて、悩み過ぎて、「孤独」と名のつく本を図書館で検索して片っ端から読むという、狂気の領域に達していた。「どうやったら女の子と付き合えるか」というベクトルだったら健康的だった。違う。「何で俺はモテないんだ」「なんでモテないことは苦しいんだ」なんてのを堂々巡りで延々と考えていた。そしてすべての思考は自分の中で完結していた。ただ、頭が悪いことが幸いして、哲学とかそういう面倒な方にはいかなかった。いや、どっちにしろ面倒か。
 まあ、先に結論を行っておくと、童貞は自分で問題を解決しようとしちゃいけないのだ。きっと。人との交流の中から自ずと救いの道が見えてくるのだろうと、今は思う。今も素人童貞の我が輩は言うのもなんだけど。
 とにかく、この苦しみを解決してくれるのは本だ、とそういう頭でっかちな考えにとらわれていた当時のオノ青年(童貞)。行き着いた究極の選択は、「ゼミで童貞研究をする」であった。とんでもないアホである。まあ、呆れずに話を聞いて欲しい。当時、我が輩は文学部の社会学を選考していたのだが、どうもジェンダーとか家族社会学とか、そういうのがこの「童貞問題」を解決してくれそうだと思い、取りあえずレズビアン研究をしている女先生のゼミに入った。3年から卒業まで所属することになるのだが、卒論のテーマは3年で決めることになっている。はっきり童貞を研究しようと決めたのは、テーマ発表の課題の時だ。そこで我が輩は「モテなくて童貞だから童貞をテーマに研究します」と高らかに宣言。理解のある先生だからできたことだが、ゼミ生はみんな、ドン引きだったろう。レズビアン研究の先生とはいえ、性の問題に特化したゼミというわけでもなかった。
 しかし我が輩は、変な話だが、この童貞カミングアウトで随分気持ちが楽になったのも事実である。とにかくこの3年で肥大化した「童貞」という問題、自意識を自分だけの中でとどめておくのが、とんでもない苦痛だったのだ。誰かに言いたい、誰かにこの悩みを伝えたい、そんな潜在的欲求がずっとあったのかもしれない。もちろん自分から「童貞でーす」と告白するのは羞恥の極みであるが、この重荷を少しでも軽くすることができるなら何でもなかった。しかし、ただ何の脈略もなく童貞カミングアウトするのも難しい。だから「研究で童貞をテーマにします、ちなみに俺童貞です」という文脈は我が輩にとってとっても都合が良かったのである。ああ、いま色々書いてみたけど、とんでもなく面倒くさい人間だな、自分。これがこじらせというヤツか。
 さらに都合がいいことに、我が輩がこのテーマに取りかかる数年前に渋谷知美という社会学者の『日本の童貞』(2003)が出版され、これが先行研究としてあった。かなりかいつまんで説明すると、戦前~現在に至るまでのメディアにおける「童貞」という言葉の使われ方を調べ、その変遷を探るという研究である。元々「童貞マリア様」というように女性に対しても使われていた言葉(しかも好意的に)が現在のようにネガティブな意味合いになったのはなぜか。それを膨大な資料を収集して明らかにするというものである。我が輩はこの方法論を完全に踏襲し(パクリ)、渋谷知美の研究からさらに現在に至るまでの数年の童貞の価値の変遷について調べた。基本的には雑誌の資料をたくさん取り寄せてひたすら記事とにらめっこするという作業であるが、これが随分楽しく、結局できあがった卒論も総計4万字くらいの無駄に大げさなものに仕上がった。
 大したものではない。卒論は教授に「ま、頑張ってね」と一蹴され、終わった。が、個人的には満足であった。童貞を研究対象としてメタ視点で童貞をカッコ付きで見られるようになった分、随分気持ちは楽になった。我が輩が社会人になって、まあ結果的に失恋するのではるが、女性を神(笑)ではなく、人間として見られるようになったのも、この研究があったおかげであろう。
 文字数がもう足りないので急速にここらで話をまとめようとするが、どうも最近、あまりにもモテなさすぎて、我が輩、また童貞をこじらせそうな様相である。ああ、随分前に解決したと思ったのに……。こんな文章を書こうと思ったのも、こじらせを発症している証かもしれない。本当にどうしたらいいものか、また童貞研究に手をつけようかと、この文章を書きながらボンヤリ思い悩んでいるのだ。



日本の童貞 (文春新書)日本の童貞 (文春新書)
著者:渋谷 知美
販売元:文藝春秋
(2003-05)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る


小野和哉

個人商店経営からみる日本国-republic1963

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前回、個人商店の経営からみえてくる日本の中小企業の状況について書きました。内容をまとめると、

・個人商店=善という図式は誤り。単に無能なだけ、ウザいだけで事業に行き詰ってる個人商店は山ほどある。
・基本的にとれる方法は1:売り上げを増やす 2:支出を減らす 3:その他(在庫チェック等の地道な努力) しかなく、売上を上げるにせよ、支出を減らすにせよ物凄い労力がかかる
・今日本の個人商店がもっているのは経営改善が上手くいっているからではなく、亀井徳政令=中小企業金融円滑化法案が機能しているから
・だが、円滑化法は来年度いっぱいで終了する事が決定しており、その後、個人商店が取れそうな唯一の経営改善は「なにもしないこと」である。


が、この内容、よくよく考えてみると日本国の行く末にも当てはまりやしないでしょうか。

「日本が誇るエリートが結集してて、そこら辺のおっさんがやってる会社と同じなんてはずないでしょ!」といいたい向きもあるでしょう。

でも、現に置かれている状況は中小企業も日本国も驚くほど似ています。

・ビジネスモデルに独自性がない=日本も中国や韓国をはじめとする新興国にキャッチアップされていて苦しい事はよく言われている事ですし、そのために構造改革しろと耳にタコができるぐらい言われています。
・多額の借金=日本国が天文学的な赤字を抱えている事はここで改めて繰り返す必要はないでしょう。
・そもそも営業利益がマイナス=こちらもよくいわれる事ですが、現在の日本国では歳入の半分が国債費、つまり借金によって賄われています。

とすれば、この場合も状況を脱するために使える方法は中小企業の場合と同じく、3つでしょう。

1:収入(売上)を増やす=増税
2:支出(経費)を減らす=歳出カット
3:その他=地道に、新規分野への投資、経済成長を目指すなどしてなパイ自体を増やすか、中小企業における条件変更のようなウルトラCを使う

という事になります。
そもそも日本国はどれぐらいの借金を負っているのでしょうか。財務省のホームページをみると、日本国の借金残高は600兆円、毎年増える公債費は44.3兆円。毎月の家計に例えれば、累積の赤字が6,000万円、毎月35万円ずつ赤字が出ているといいます。毎月35万円の赤字って凄いですね。一説では、日本国の借金はこれどころではなく、日本国が支払う暗黙の債務(将来
発生する事がわかっている社会保障債務)を含めると1430兆円というとんでもない額の債務超過なんだそうです。この数字を信じれば、担保となる(同時にしばしば日本の財政赤字は大したことないという理由になる)個人の金融資産を含めても採算はすでにマイナスという事になります。
でも、私は別にそんな事を書いて宣銅烈なみにどんよりしたいわけでは、もちろんありません。でも、どうしてもこの疑問が頭を持ち上げてきます。

日本国が打てる手って結局、増税するか歳出をカットするかしかないんじゃない?で、そんなこと本当にできるのかな?

というものです。3:その他として「埋蔵金」の事を散々言っていた人達も遠い昔にいたような気がしますが、あの人達は一体どこにいってしまったのでしょうか?増税するか歳出カットするしか方法がないとして、そんなこと本当にできるんでしょうか。
財務省のホームページには「財務大臣になって予算を作ろう」というゲームがあります。よう
は予算の各項目をいじって財政収支を均衡させるのが目的なんですが、このゲーム、予算の全項目を30%カットして、かつ10%増税しないとクリアできません。しかもこれだけやっても毎年の採算が黒字になるというだけで累計の赤字に関しては全く手がつけられていません。
古舘伊知郎などに代表される「庶民」の皆さま方は増税の前によくまずは無駄削減がどうのとか言いますが、ちまちま数億円の歳出をカット(例えば役人の宿舎を建てかえるかどうか、など)したところでどうにかなる問題ではなさそうです。でも、それすら遅々として進まないというのが今の状況です。中小企業でもそうですが、「昔から決まってる」とみんなが思っている支出を止めることことって本当に難しいんです。ましてや国家のように利害関係者が膨大にいる組織であればなおさらでしょう。
そもそも、現在の歳出、94兆円のうち26兆円が社会保障費、つまり年金や生活保護費についやされているわけですが、こうした大口の歳出カットについてメディアで話題にでることはありません。「本気で」財政赤字を何とかしようとした場合、増税+社会保障費カットで「庶民」に多大な負担を負わせるざるをえない事は目に見えています。イワーク状態ですね(※1)。でも、我々はそんなこと許すのでしょうか。
ということで、そうした議論に代わって登場するのが「社会保障は大事だけど増税はするな」というご高説です。こういう意見の人達は一体何が言いたいのでしょうか。彼らの意見を総合すると、社会保障という「支出」はカットするな、でも増税もするな=現状維持のままできるだけ借金をし続けろという事になります。前回書いた中小企業の最良の経営改善策=「経営改善を放棄し「その時=潰れる時」がくるまでまったりとすごす」」と同じ結論の登場です。彼らのような「善良な市民」達の「ご高説」によって日本国は破綻するその時を粛々と待っているのはないのでしょうか。
構造改革をするべきか、既得権をどうするのか、なんていう今している話は全て「その時」がくるまでの壮大なるバカ騒ぎなのではないのでしょう。なぜって、「改革」を叫ぶ人たちに改革する気が全くない(というか改革しない事が一番メリットになる)のだから、しているふりだけして議論しているのが一番よろしい、ということになります。

そうした態度が我々の総意だとして、「これだから情弱はやぁねぇ!」ということになるのでしょうか。話はそう簡単ではありません。よくよく考えてみると、「その時=日本国が潰れる時」はいつくるのでしょうか。2020年(小黒一正などはこの説)かもしれないし、2050年かもしれないし、2015年かもしれない。その時に我々がどうなっているのか、ももちろんわかりません。確かに、日本国が破綻しそうだとして、その時がいつなのかよくわからないわけですから、「よくわかんないから、とりあえずPSPでもやっていよう」というのは態度として「アリ」です。
そして、もう一つ。本当に「その時」がやってきたとして、私達はどうなってしまうのでしょうか。恐らく、そうなって一番困るのは「日本国」に雇われている公務員の皆さんです。城繁幸が言う通り、彼らは勤め先の破綻によって多分、物凄く安い給料でこき使われる(しかも転職できる可能性はほぼない)、「絞られるだけ絞られる存在」になるでしょう。
でも、「日本国」の顧客(税金を払う代わりに色々な公共サービスをもらっている)である我々はどうなってしまうのでしょうか。それはわかりません。恐らく、増税と歳出カットが同時に行われるのでしょうが、それを大多数の人々が許すとも思えません。恐らくそれは、日本国の財政破綻に伴うハイパーインフレが起こるのかどうかがカギになるのでしょうが、破綻する事がわかっていればそれに対して備える事はできます。「その時」がやってくる事を前提として、粛々と備える事こそ一番重要な事なのかもしれません。

財政赤字解消がむずかしいのは、別に不思議でもなんでもない。税金集めと支出の現実を見れば、ほとんどすべての犠牲は中流層が背負い込むしかないのは明らかなんだ。でも、こういう有権者のほとんどは、この事実を認識してもいないし、受け入れてもいない。そしてこれを説明する責任を果たそうとする政治家もほとんどいないからなんだ。
ポール・クルーグマン(山形浩生訳)『クルーグマン教授の経済入門』




※1 俺たちは税負担を強いられているんだ!

参考:
小黒一正『2020年、日本が破綻する日 (日経プレミアシリーズ)』
2020年、日本が破綻する日 (日経プレミアシリーズ)2020年、日本が破綻する日 (日経プレミアシリーズ)
著者:小黒 一正
販売元:日本経済新聞出版社
(2010-08-10)
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橘玲『大震災の後で人生について語るということ』講談社
大震災の後で人生について語るということ大震災の後で人生について語るということ
著者:橘 玲
販売元:講談社
(2011-07-30)
販売元:Amazon.co.jp
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Joe's Labo「訂正:公務員は別に流動化しなくてもいいです
ポール・クルーグマン『クルーグマン教授の経済入門』日経ビジネス人文庫
クルーグマン教授の経済入門 (ちくま学芸文庫)クルーグマン教授の経済入門 (ちくま学芸文庫)
著者:ポール クルーグマン
販売元:筑摩書房
(2009-04-08)
販売元:Amazon.co.jp
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「下町人情」という名の獄中で-犬山秋彦

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(「週刊メルマガクリルタイ」Vol.78(2011年4月7日配信分)の原稿を再掲)

◆閉鎖した「お互い様」社会

よくテレビや雑誌などのメディアで「人情味あふれる下町」というフレーズが乱用されるが、実際のまちづくりに参加していると、その「人情味」こそが町の衰退を招いているのではないかと思わずにいられない場面に出くわすことがある。
たとえば僕のお世話になっている某商店街には、昭和30年代頃まで「七夕祭り」があったという。本場仙台にはかなわないまでも、街頭や電柱にロープを渡して無数の七夕飾りを吊るして、空を覆わんばかりの華やかさであった。大勢の客でにぎわい、商店街はにぎわった。しかし小さな商店街だったので人波はあふれ、何もしていない隣の商店街にまで利益が転がり込んでしまった。商店主たちからは「自分たちがこんなに苦労をして人を集めているのに、隣のやつらは楽して儲けやがって!」と怒りの声が挙がった。結果、伝統ある行事は途絶え、現在同じような規模で飾り付けしようとすれば、消防法の関係で許可が下りないという。一般的に「下町人情」というのはポジティブに語られる。しかし人間に嫉妬はつきもので、「他人が得をしていると自分が損をした気になる」というネガティブな感情もまた「人情」である。結局彼らは「自分の得」より「相手の損」を選んでしまったのだ。今にして思えば互いに協力して、最近流行の「Win-Winの関係」を築けば良かったのにと思うのだが、隣は隣で「おこぼれにはあずかりたいが、協力するのは面倒くさい」と強固な態度を取り続けたらしい。結果、仲良く客を失ったわけだ。損得というロジックよりも感情が優先されてしまったという「下町人情」らしいエピソードである。
結局、地域コミュニティに根付いた、昔ながらの「お互い様」は、コミュニティ内の人間だけに優しい閉鎖的な連帯の粋を脱していないのだ。そのコミュニティを一歩出れば相容れない「よそ者」なのである。「下町人情」とは、言い方を変えれば、単に身内だけを贔屓するという「差別」と紙一重なローカル・ルールに過ぎない。かつては「身内相手」の商売だけでも充分に経済が回っていたからそれで良かったかも知れないが、高度経済成長の終焉、バブルの崩壊、止まらないグローバル化、新興国の台頭と、とかく「閉じたサークルからの貨幣流出」が止まらない現在、「外貨」を稼ぐことのできない地域コミュニティが衰退して行くのは当然の成り行きといえる。

◆「物があれば何でも売れた時代」の功罪

個人商店の売り上げは全盛期に比べ数分の一にまで下がり、年商200~300万というワーキングプア並みの店も少なくない。それでも何故やっていけるかといえば持ち家で商売しているからだ。そして彼らのほとんどは奮起するための資金もなければ意欲もない。そもそも一部の成功者を除き、大半の人間は好景気と言う時代に乗じて「順風満帆の人生」をたまたま築けただけなのだから、時代の荒波に抗うすべも持っていない。ただ緩慢な衰退を運命として受け入れざるを得ないのだ。
この無気力さは、何かに似ている。そう、まるで「環境に恵まれているから引きこもっていられるのだ」という中高年が語る俗流若者論そのものなのだ。「無気力」とは一種の学習の結果である。豊かな時代を送った彼らの大半も、自分自身の力で何かを為し遂げたわけではないという意味では、現在の若者と同じくホンモノの「成功体験」を持ち合わせてはいないのだ。「まだ大丈夫」という微かな希望にすがって、茹でガエルのようにゆっくりと煮立っている。
中高年が、あたかも自分の実力によって手に入れたかのように吹聴する「権力・収入・家庭」というものは、実はただ口をあけて自動的に受動したものに過ぎない。就職氷河期だというとすぐに「就職先がないなら起業すればいい」という話になるが、「物があれば何でも売れた」という高度経済成長期と今ではリスクが違いすぎる。「恋愛経験ナシと応えた新成人はおよそ45%」だの「30代未婚女性の4~5人に1人は処女」だの、若い世代の「彼氏・彼女イナイ率」がハンパないというニュースも連日報道されているが、昔はお見合いと言う半強制的にマッチングされるシステムがあった。別に今の若者より恋愛スキルやコミュニケーション能力に長けていたわけではない。
たしかに戦後は焼け野原だったかもしれない、苦労もあっただろう。それでも一度乗ればエスカレーター方式で、仕事も承認も家庭すら獲得できる右肩上がりの仕組みがあった。今の若者には、登った先が当たりかハズレかもわからないハシゴが無数に用意され、それを「自己責任」の名のもとに尻を叩かれながら選ばされているようなものだ。

◆みんなでやらない「まちづくり」

輝かしかった過去への郷愁から伝統を重んじ、「地域コミュニティを守れ、今こそ人と人の絆を取り戻せ」的なことを声高に叫ぶ中高年は多い。確かに守れるものなら守りたい、取り戻せるものなら取り戻したいとは、みんなが思っているだろう。だが、壊死したものを騙し騙し温存することに何の意味があるのか。ましてや国の助成金をドブに捨てるような方法でやる意味はあるのか? 
最近では「国の補助金に頼らないまちづくり」というのが流行のフレーズになりつつある。実際、認識も高まってきた。事業仕分けで助成金は削られ、それをアテにして意味のない箱モノを作り、継続性を無視したまちづくりに邁進してきた詐欺師まがいの人々が去り、今現在、まちづくりの現場にいる人間は貧乏くじを引いてしまった者ばかりだ。かつてバブル世代が成果を求められずに巨額の見返りを得たのと逆に、少ない予算で成果を求められる。シビアだが、これこそ虚飾を排した「まちづくり」の真の姿なのかも知れない。
考えてみれば都市計画や「まちづくり」が一種の特権や既得権を持ち合わせていた時代だったら、僕のようにどこの馬の骨ともわからないニート上がりの若造にチャンスが巡ってくることもなかっただろう。
そして「昔ながらの人情」という曖昧な概念が効力を失い、新たに叫ばれているのが「みんなでやらない、まちづくり」だ。意欲のない人間が集まって意見を出し合っても、革新的な意見も出なければ建設的な合意も得られるわけがない。だったら「やるしかない」という危機感を抱いた一部の人間が、たとえ反対されても、身銭を切る覚悟で行動を起こすしかない。失敗すれば自己責任、成功すれば結果的に周囲の協力も得られるだろう。そして「タダのり(フリーライド)」を寛容しながらスパイラルに活動を拡大していくのだ。少数精鋭・低予算ではじめれば、たとえ失敗しても路線変更や撤退が容易だ。「一度はじめてしまったら後には引けない」という愚かな時間とコストの浪費にも陥らずに済む。そして、そんな新時代のまちづくりに必要とされるモノが3つある。
「若者・よそ者・バカ者」だ。これはまあ、ドン詰まりになった年寄りの苦肉の策ともいえなくはない。「やりがいの搾取」と紙一重な部分もある。しかし、確実に流れが変わってきていることは確かだ。「人情」という名の美名のもとに築かれていた既得権と差別の城壁が崩壊し、新しい風が吹き抜けようとしている。

◆商店街なんていらない!?

これからの時代、もしかすると商店街や地域コミュニティという外殻は必要なくなってしまうのかも知れない。そんな話を商店街の人たちと常にしている。しかし、昔ながらの人情だの景観だのといった漠然とした「まち」という概念ではなく、人が生き続ける場、生活を維持する場としての「まち」が価値を失うのはもうしばらく先の話だろう。シャッター通りと化した街のシャッターを開かせる方法ではなく、シャッター通りでサバイバルする方法こそが求められる時代が来る。
そんな中で、僕個人は伝統行事も人情も、生活を持続させるために有効であれば存続させる意味はあると思っている。ただ「まちづくり」という時に、人情だの伝統だのといった「概念」の保存が自己目的化してしまうことが多々あるのだ。わかりやすい大義名分は、人を思考や模索といった苦悩から解放する媚薬のはたらきを秘めている。そこが怖いのだ。おそらく人間は「感情」という牢獄から逃げ出すことはできない。だから僕たちは常に「感情」という、アテにしてはならないモノに命を預けているのだというリスクを忘れてはならないと思うのだ。

犬山秋彦

クリルタイ・ブックマーク Vol.1

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(「週刊メルマガクリルタイ」Vol.109(2012年2月20日配信分)の原稿を再掲)

「奇刊クリルタイ」編集部員各員が今、オススメのモノ・人を紹介するコーナー。お菓子から人まで何でもオススメします!

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・ブラックサンダー 有楽製菓(お菓子)

有楽 ブラックサンダー1個×20個入(1ケース納品)有楽 ブラックサンダー1個×20個入(1ケース納品)
販売元:有楽

販売元:Amazon.co.jp
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今や知らない人を探すことが困難なほどの人気チョコ菓子となってしまったブラックサンダー。黒い雷神という厨二病的ネーミングとは裏腹に、キャッチコピーは 「若い女性に大ヒット中!」ということで、大きさの割に高カロリーなところとも折合いが合わず、見事な矛盾螺旋を描き出している最強のお菓子です。現在の地位を築くまでに下積み時代が10年もあったというのも泣かせるポイントですが、やはりこの商品の一番のウリはコスパでしょう。噛みごたえがあり、30円という破格の値段で、口の中でザックザックと自己主張してくれます。また、「白いブラックサンダー」という現代社会を象徴するかのような自己矛盾を含むネーミングの新商品も出ており、楽天市場を賑わせています。個人的には白チョコでコーディングされた亜種のほうも、満足の味わいでした。
私はいつも開封前 に6つに割って食べるという特殊な癖があるのですが、恐らく豪快にバリバリ食べるのが見ている人も気持ちがいいのではないでしょうか。一つ気がかりなの は、若い女性が食べているところを見たことがないことです。。。

・探偵オペラ ミルキィホームズ TOYO MX TV他(アニメ)

探偵オペラ ミルキィホームズ 第2幕【1】 [Blu-ray]探偵オペラ ミルキィホームズ 第2幕【1】 [Blu-ray]
出演:三森すずこ
販売元:ポニーキャニオン
(2012-03-21)
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ミルキストという重病患者を大量に生みだし、ニコ生コメント機能と親和性が非常に高いアニメです。2012年からは続編も放送され、どう考えても深夜のテン ションで製作しているスタッフに狂気を感じます。一応探偵とされている4人組が、脈絡なく高度(?)でコミカルなギャグを飛ばしていく、息つく暇もない演 出が特徴です。キャラクターの名前を覚える必要はありません。ピンクはアーパー、黄色はクズ、青はお花畑、緑はエロ、これだけタグ付けしとけば事足ります。ミルキィホームズのスタッフであり、パンチと頓知の効いたつぶやきでも異彩を放つ里見哲朗(@satomit)さんも、自ら「マジキチ」と評するように、ハッピーでエキサイティングなマジキチ作品です。「日常」や「カッコカワイイ宣言!」と並ぶ、「これ、アリなの?」感が充満しており、道徳やルールとい うものに縛られて生きている自分がちっぽけに感じてしまうこともしばしば。探偵たちの中の人も才色兼備であることが特徴で、三森すずこさんがかわいすぎて 生きているのが辛くなります。

shibanmushi
関口存男bot @sondern_bot (ネット)
「稀代のゲルマニスト」にして、あの内田百閒を辞職に追いやった法政大学騒動の中心人物である関口存男のbot。と書くと堅苦しい学術系botかと思ってしま うが、そうじゃないのが関口存男。ドイツ語文法・学習への鋭利な研究眼の一端からクスッとくるダジャレ(「お菓子:Kuchen」は「食う變」)、重厚な 文法論の直後に「ノドチンコ」考が来た時には思わずニヤニヤさせらる。アカウント画像はいかにも厳しい面立ちなのに、たまに「クー。」「ピヨピヨ!」とゆるキャラのようなツイートが並ぶのも良い、ツグオかわいいよツグオ。キリッと身の引き締まる金言とユルユルの萌えるツイートで語学学習のモチベーション向上間違いなし。

・『怪奇小説傑作集』全5巻 創元社推理文庫(文学)

怪奇小説傑作集 1 英米編 1 [新版] (創元推理文庫)怪奇小説傑作集 1 英米編 1 [新版] (創元推理文庫)
著者:アルジャーノン・ブラックウッド
販売元:東京創元社
(2006-01-31)
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  今春トライデントハウスからホラー&ダーク・ファンタジー専門誌『が創刊されることが発表された。その名も『ナイトランド』。2003年の『幻想文学』終 刊以降おそらく初めてとなる海外の怪奇/幻想小説に焦点を当てた雑誌とあって、同好の士もなく図書館の隅っこでコソコソとホラーを読み、3食を2食にして 未訳のものや絶版本を買っていた身としては、これを期に怪談・ホラーブームが起こることを希求せずにはいられない。ほんと、おねがいします。
  さて、そんな不遇なジャンル(不遇なのは筆者か)に足を踏み入れてもらうための入門書には『怪奇小説傑作集』がもってこい。幻想文学研究の大家・紀田順一 郎氏が中心となって編集された本書は、英・米・仏・独・露と文学作品では日本にも馴染み深い国々から作品が選ばれ、サキ、ラブクラフト、サド、ホフマン、 ゴーゴリといった多彩な作家のものを収録。さらに翻訳・解説には平井呈一、澁澤龍彦、荒俣宏らが名を連ねる豪華なものとなっている。各巻末の解説には単な る解題だけでなく、文学史における怪奇幻想小説の位置づけや、日本の怪奇幻想小説の簡単な受容・発展史ともとれる内容のものもあり、様々な視点から怪奇小説を楽しむ方法を見つける良いきっかけになるのではないだろうか。興味を持たれたなら、合わせて『日本怪奇小説傑作集』(創元社推理文庫)『世界幻想文学大系』『ゴシック叢書』(ともに国書刊行会)などもオススメする。

ryoQ10
ザ・トップ5 TBSラジオ(ラジオ)
最近通勤時間に私はなぜかにやけていることが多い。それは私がおかしい人なのではなく聞いているラジオが面白すぎるからいけない。そのラジオが今回消化するトップ5.名目上は“残業支援系ラジオ”と銘打っているあらゆるランキングを紹介し、それをネタにトークを展開する残業支援とは名ばかりの作業妨害型ラジオ。火、水、木曜日に放送し曜日毎に出演者も異なるが全曜日放送ギリギリアウトなトークと仕掛けられたハプニングが展開されリスナーに緊張と笑いを届けてくれる。特にお勧めは水曜。蓮見アナと高野政所コンビのコントのようなトークはあなたの作業の一切を止めて、人生をおかしな方向に導いてくれるはず。

republic1963
・さかのぼり日本史 NHK Eテレ(TV)

NHK さかのぼり日本史(1)―戦後 経済大国の“漂流”NHK さかのぼり日本史(1)―戦後 経済大国の“漂流”
著者:五百旗頭 真
販売元:NHK出版
(2011-07-28)
販売元:Amazon.co.jp
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NHK教育テレビの日本史番組。バブル崩壊から順に歴史を「さかのぼっていく」という斬新な手法で作られたこの番組、さかのぼりという手法もさることながら、歴史番組にありがちな人物史的手法ではなく、ちゃんと「構造」を説明しているところ。織豊政権と物流革命、鎖国肯定論、室町・鎌倉における武士階級の成立などなど、史学科卒の人間にとってはよだれの出そうな内容がてんこ盛りで毎週見られる幸せ。7月放送分の明治政府と官僚制については非常に示唆的な内容で興味深く見た。そんな「さかのぼり」も残り2カ月。今月は藤原家400年の歴史をさかのぼる。今最もアツい歴史番組を是非!見逃したあなたにはNHKオンデマンドとテキストで復習体制も万全!

・ペルソナ3ポータブル アトラス(ゲーム)

ペルソナ3ポータブルペルソナ3ポータブル
販売元:アトラス
(2009-11-01)
販売元:Amazon.co.jp
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アニメ『ペルソナ4』の影響で購入したP3P。筆者のメガテン体験は『ソウルハッカーズ2』(PS)の時代で止まっているので、随分と久しぶりだったのだが、新鮮な驚きと共にプレイできた。弱点を突く事で連続行動可能になる(逆もしかり)ワンモアプレスバトルによって爽快感と緊張感が同居したアツいバトルと奥深い合体システムなど、システム的にはより洗練されているし、『ペルソナ4』でも顕著だが音楽がむちゃむちゃいい。キャラが多少アニメアニメしているところさえ乗り越えれば、どっぷりハマれることうけあい。また、「ときメモ化した」と批判されることもあるコミュシステムだが、キャラ同士の交流や、本筋ではないが一筋縄でいかないコミュごとのストーリーを追いかける事ができる。第一、「人との絆が力を生む」というコミュシステムこそがストーリーに深く関連している事もあり、これなしではP3Pは語れないと思う。そう、ストーリーなのだ。高校生らしい悩みや葛藤をぶつけ合い、乗り越えた先、ストーリーの最後に提示される絶望的な状況。それを克服しようと努力する主人公たち。そして…。今、高校生の人も、ずっと昔に卒業してしまった人も、RPG史上屈指のエンディングを是非、体験してほしい。ちなみに筆者はアイギスよりも桐条美鶴派。

「奇刊クリルタイ増刊「dorj」Vol.3」刊行に関しまして

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「High-end Magazine for Multi Cultural Personality」、奇刊クリルタイでは、次回文学フリマ(5月6日)に際し、新刊『奇刊クリルタイ増刊dorjVol.3』を刊行いたします。
つきましては、編集に際しまして、DTP業務を一緒にやっていただける方を募集いたします。

【詳細】
業務内容:組版業務(新書サイズ、100ページ前後)
※100ページの中に表紙は含まれておりません。
使用ソフト:Indesign (弊誌所持はCS4です)
拘束期間:2012年3月~4月上旬まで

その他、詳細については、
info_khuriltai@yahoo.co.jp
までご連絡いただけると幸いです。何卒よろしくお願いいたします。

奇刊クリルタイ 編集長
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