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2011年09月

非モテのための婚活必勝法2:婚活における「80%原則」

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「非モテにとっての婚活とは何か」を追うこの連載。
今回は私が提唱する「80%原則」について。

はず初めいこのエントリを取り上げます。婚活ではなく、脱オタ(=オタクにありがちなファッションセンスを改善する事。転じて比較的貧弱なファッションセンスを改善する事)についての記事。色々ツッコミどころがありますが、今回一番ツッコミたいのがここです。

ターゲットとする女性: おとなしい~普通系中心に、女性全体の5割くらいをターゲットとすることが目標です。

http://anond.hatelabo.jp/20110925204621

いや、そこが一番競争が激しいですから!

以前取り上げた婚活疲れ女子も全く同様に「普通の家庭がほしい」と発言していた事がさわやかな記憶とともに思い出されます。
婚活している人に「どういう人がいいですか?」というと100%に限りなく近い確率で言うのが「普通の人」というセリフ。

いや、それみんな言ってるから!

つまり、我々がいう「普通」とは極めて恣意的でハードルが高いものなのです。「普通」を目指すと婚活は失敗する可能性が高いのはこうした理由によります。ここで私が主張しているのが「80%原則」です。これは何かというと「80%ダメでもとりあえず声かけとけ」というものです。要するに「(プラスかマイナスかはさておき)絶対にあり得ない人」以外にはとりあえず声をかける、自分からは拒否するなという事です。

そもそも、「婚活」というゲームは以下のような流れで進みます。

1:ニューコール(新規開拓)⇒2:ラポール(関係構築)⇒3:クロージング(告白)

※これらは全ていわゆる「営業用語」である事に注意

順を追って説明していきます。
1:ニューコール(新規開拓)
相手に自分の存在を認知してもらうこと。要するに自己紹介のこと。婚活サイトでの初回メールやお見合いパーティーでの初回自己紹介、結婚情報サービスにおいて相手を紹介してもらったりする事を指す。

2:ラポール(関係構築)
相手との人間関係を築き、信頼してもらうこと。婚活サイトでのメールのやり取りや結婚情報サービスにおける初回面談などの事を指す。

3:クロージング(告白)
読んで字のごとく、相手に告白して「友人」から「恋人」にクラスチェンジすること。一応ここが「婚活」のゴールとされている。 

サービスの内容に限らず、この流れは基本的に共通です。というか、婚活に限らず、社内恋愛や大学での恋愛も流れは同じです。ただ、「伝統的恋愛」と「婚活」が違うのは、「伝統的恋愛」においては、ニューコールとラポールの区別が極めて曖昧になっていて、あまり意識しないという事です。会社の同期や大学の同じサークルの人と「いつ出会ったか」「いつ仲良くなったか」なんてことはあまり意識されないでしょう。一方で、「婚活」においては「この人に初めてメールを送るかどうか」は自分の能動的な行動が伴う分、意識せざるをえません。つまり、ここで何が起こるかというと、

ニューコールの段階でクロージング後の事を考えてしまう

という現象です。これが高じてしまうと、

最初に声をかける段階で非常にハードルが高くなる

という現象に陥ります。こうなると婚活疲れの一歩手前です。営業における新規開拓も婚活も、「疲れ」るのは訪問する顧客がない、見込みが発掘できない事が最大の理由です。つまり、「この人と付き合えるか」を考えてしまった結果、声をかける相手がいなくなる事が婚活疲れの最大の理由でしょう。
むしろ、ニューコールの時点で付き合うかどうか(ましてや付き合った後)の事など考える必要はないのです。それは、ラポールの段階で検討し、クロージングの段階に進むかどうか決めればいいのです。リアルの人間関係において我々は、普段「この人と人間関係を作るかどうか」なんていう事を考えません。よって「ニューコール」と「ラポール」の区別が極めて曖昧になっているのではないのでしょうか。
「この人は私の許容範囲か」「普通なのか」なんて事は考えずにとにかく声をかけまくる、これこそが婚活における唯一の必勝法なのです。

(republic1963)

ジョ女子考「ストーン・オーシャン」リアル

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こんにちは、また書かせていただけることになりました。ワセジョ出身、元ナンチャッテ文化人の紫式子です。

本日は「オンラインではtoo deepな支持者を多く見かけるのにオフラインだと好きっていう人を滅多に見ないィ!」漫画、荒木飛呂彦先生の『ジョジョの奇妙な冒険』について一筆啓上いたします。
それも「そもそも好きっていう人を滅多に見ないのに、さらに滅多に見ない女子ジョジョラー」の視点から。

私、ジョジョは女子にこそ読んでほしいのですよね。荒木先生は女性差別をしない方だから。
「女性差別をしない」というのはどういうことかと言うと、「偏見を以て女性を見ていない」「女性のありのままを見ている」ということです。卑下もしませんし神聖化もしません。「こういう風に私たちを見てくれている男性もいる」というのを知ることは、女子にとって多かれ少なかれプラスになると思うのですよね。

そういった意味で女子に一番読んでほしいのは、第6部『ストーン・オーシャン』です。第6部はジョジョシリーズの中で唯一、女性が主人公の物語で、登場人物も半数あまりを女性キャラクターが占めます。他の部では物語に大きく関わる女性キャラクターがそれぞれ1~2人しか出てこないことを考えると、これはかなりイレギュラーな比率です。
とはいえ、これだけでは女子にオススメする理由にはなりません。

第6部は率直に言って、ジョジョラーの間でも評価が高くありません。「組曲ニコニコ動画」の替え歌「組曲 人間賛歌」での"びみょう"な扱いを見てもそのことが窺えるかと思いますし、実際にジョジョラー複数からも「第5部までは大好きだけど第6部は食指が動かない」なんて声が聞かれます。



ですが。この「評価の高くない原因」にこそ、私が女子に第6部を奨めたい理由があると言えます。
第6部の評価が高くない理由のひとつに、「緩急の悪さ」があります。ダラダラしているのです。
なぜダラダラするのか。
主人公たちが日常生活を送っているところに、敵キャラたちが訪れるからです。そういった形態を取ると、物語は必然的に日常生活を軸に描かれるようになります。(※1)

主人公たちの日常生活はスリリングではありますが、冒険ではありません。敵キャラがその輪郭を明らかにするまで、日常生活の描写がダラダラと展開されます。そして私に言わせれば、第6部における「ダラダラした日常」
の描かれ方は白眉です。

物語の舞台は監獄です。
監獄ですので、基本的に男女別に生活をします。異性の視線が介在しない、女子・女性だけの環境(これを「女
子校的環境」と呼びましょう)では、老若問わず同じことが起こります。他愛ないおしゃべり、陰湿な嫌がらせ、グループ間での牽制、そしてたまに、胸のすく復讐。第6部での日常生活の描写を白眉たらしめているのは、この
「女子校的環境」のリアルさです。そのリアルさは恐らく、男性ファンが「引いて」しまうほどのもので、これもまた第6部の評価を下げている一因なのでしょう。

例えば主人公の空条徐倫(くうじょう・じょりーん)からして、留置所でマスターベーションしていたところを若い男性看守に見られたと騒ぐ恥じらいの無さ。隣の房の収容者で、のちに徐倫の相棒となるエルメェス・コステロは、それに爆笑しつつも徐倫に陰険な絡み方をする鼻ピアスの収容者を「ハナクソ」呼ばわりして罵倒します。これが連載第1回目に繰り広げられるんだからおののきます。

このエルメェスも大概で、よく水を吸収することの喩えに生理用ナプキンを持ち出したり、基本的に言葉遣いが男言葉だったりと、異性の視線が無い「女子校的環境」の住人らしさを大爆発させています。(※2)

監獄では、金銭の貸し借り禁止というルールがあるにもかかわらず、電話代として「ほんの1ドル」を他の囚人に貸してしまう徐倫。貸してしまった後で、「ほんの1ドル」も「回収」できなかった場合は他の囚人にナメられ、カツアゲのターゲットになることを知らされる……というエピソードがあるのですが、「ほんの1ドル」を徐倫にねだる、相手の囚人の作り笑いの、いささか愛想の良すぎる辺りがリアル。
「回収」に手こずる徐倫を可笑しそうに見る他の囚人たちの悪質な笑顔は、第1部に出てきたゾンビたちや第5部の死体の表現並みに生々しく、「そうそう、女子ってこういう顔するよ……」という表情ばかり。
(ちなみに徐倫が1ドルをどうやって「回収」したかについては、本編を読んでくださいネ☆)

もちろん徐倫と仲間たちの絆・友情は強く純粋ですが、強すぎて純粋すぎるがゆえのレズビアンぽさもまた、「女子校的環境」を再現しています。

元敵キャラのF・F(えふ・えふ)は、徐倫に命を救われ仲間になりますが、そのときの言葉
「あたしはあんたを守りたい」
や、かつてない厳しい戦いに臨んでのモノローグ
「徐倫のことを考えると勇気が湧いてくる」
などは、ド名言とはいえ下賎な見方をすれば"恋する男の告白"。徐倫に片想いをしている男性囚人ナルキソ・アナスイとF・Fが、何かにつけて張り合うことにも
「F・Fってもしかして……」
と、二次創作的な邪推をさせられてしまいます。

男性である荒木先生がこんなにも「異性がいないときの女子」のことを知っているのにはつくづく感嘆してしまいます。双子の妹さんがいらっしゃることや、娘さんが2人いらっしゃることが関係しているのかもしれませんが、いずれにしても荒木先生の観察眼の鋭さが窺い知れます。卑下もせず、神聖化もせず、偏見を以て女性を見ず、ただありのままを受け入れるその目線。

男性的視線に応え、身を飾り化粧をする私たち。
ですが女子校的環境に身を置いて一皮剥けば、血と内臓と喜怒哀楽の詰まった皮袋。
他の男性諸氏は騙せても、荒木先生はお見通しです。それでもその現実を優しく受け入れ、ユーモアたっぷりに描き出してくれました。
そういう男性も世の中にはいる。
ジョジョ第6部を読んでそのことを知り、安堵し、戦慄してみませんか。

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著者:荒木 飛呂彦
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【※1】
第4部『ダイヤモンドは砕けない』も似たような構成(主人公たちの町に敵キャラたちが潜んでいる)ですが、第4部には(4-a)~(4-c)のような特長があった一方、第6部には(6-a)~(6-c)のような冗長さ・歯痒さの要因がありました。
(4-a)主人公・東方仗助(ひがしかた・じょうすけ)に「スタンド」と呼ばれる戦闘能力が存在することが、連載第1回のかなり早い段階で示され、敵もすぐに現れた。
(4-b)人気キャラクターである第3部の主人公・空条承太郎(くうじょう・じょうたろう、徐倫の父親)が連載第1回で登場した。
(4-c)ラスボスキャラ・吉良吉影(きら・よしかげ)が完全な「悪」だった。
(6-a)徐倫に「スタンド」が存在することが示されたのが、連載第1回の終わりの方だった。徐倫が能力を自覚し使いこなすのはもっと後で、最初の戦闘シーンは連載2ヵ月後となった。
(6-b)承太郎が登場するのが連載開始3ヵ月後だった。
(6-c)ラスボスキャラ・プッチ神父の動機が彼なりの人類への思いやりだったため、完全悪とは言いがたかった。

【※2】
エルメェスは威勢の良さや迫力から、ネットユーザーに「エルメェス兄貴」と呼ばれることが多いキャラクターで
す。女子校はもちろん、共学の場合でも、こういう「男役」を引き受ける女子は存在します。エルメェスも、物語の後半で男性キャラとも行動を共にするようになりますが、相変わらずの男言葉でした。男性を異性として意識していないのか、自分を女性として意識していないのか、女性を異性として意識しているのか明確には示されませんが、姉の復讐のためにわざと投獄されたという辺りはシスター・コンプレックス的であり、レズビアン的な匂いを感じさせるキャラクターであるとは言えます。

(紫式子)

編集長対談:文章系同人誌をはじめるために (3)

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(「週刊メルマガクリルタイ」Vol.50(2010/07/14 配信分) の原稿を再掲)

■同人誌作る苦労

republic1963(R): 話はかわりますが、皆さん、同人誌を作る上で苦労した事は何かありますか?

稲荷辺長太(稲): やっぱり同人誌に参加する側の人はぎりぎりになるまで意見をしてこないのが困るね。これはうちだけかもしれないけどみんなで作ることにしているから、意見が上がってこないのはなんだかやっていて辛いなぁ。

R: 参加者のモチベーションコントロール問題ですか。

稲: そうだね。

R: ただ、参加者から言わせてもらうと、自分ので手いっぱいなので意見できません!

稲: 君の場合はわかっているよ(笑)そっちはどう?ゲストとかのスケジュール管理とかで苦労しない?

R: まぁ大変ですね。bnkrの場合、意見はしないですけど、ある程度方向性が固まったらみんなガーっとやるじゃないですか。

稲: うん。びっくりするくらいガーってやる。

R: みんな文章めちゃうまいし、DTPはプロみたいな人がいるし。

稲: すいません(笑)。

R: 羨ましいってことです。うちの場合逆なんですよね。

稲: というと?

R: 意見は凄く出てくるんですよ。これやれあれやれとか。で、具体的な作業に落として割り振ろうとすると誰もやらないんですよね。クリルタイの場合、元々自分がやりたい事やろうっていう事で集まっているので、自分がやりたくない事とか泥臭い事は誰もやらないんですよね。それはお前がやれよっていう。

稲: インタビューとかやるのって大変なんだね。素人だとコツが分かってないからなあ。もしやるならそういう下調べもいるのかもね。

R: ですね。

城島はむ(は): 僕、今まさにやってないんですがね。

R: ただ、モチベーションにムラがでるのは仕方がないし、やりたい事をやればいいじゃんっていう。自分は自分のためにクリルタイを作っているので。

は: 自分のモチベ調節も大変なのに、人のとなるとまた大変ですよね。そこが楽しい人もいるんでしょうが。

稲: まあ、でもそれくらいだよね。苦労って。物ができればふっとぶし。

R: はむさんは何か苦労した事はありますか?自分のモチべコントロール?

は: それはまあそうですけれど、自分一人だとできることが限られてるじゃないですか。それをどうごまかすかっていうのはちょっと苦労しました。主にデザインで。デザインを考えるのも面白いは面白いんですが、なにぶんセンスがないもので。でも大事なところですからね。自分で苦労するか、裏方のひとみつけるしか。

稲: 裏方として協力してくれる人がいるといいね。最近は自分で書くものの出来にウンザリして裏方だけやろうかなと思い始めてるよ。

は: 十分おもしろいんだけどなぁ。

R: 自分は書くだけやりたいんですが。DTPとかやっといてよ、という。

稲: わりといるんじゃないかと思うんだけどね。売り子だけやりたい人とか。みんな巻き込んじゃえって最近は思ってる。話は変わるけど同人誌やって良かったことってある?

は: 作品が完結するところ!

R: 自分は元々の夢だった出版社の真似ごとができるのが嬉しいですね。稲荷辺さんは?

稲: 俺もモノができるっていうのは嬉しかったな。ちょっと格別だよね。あと、感想がもらえたりするとなおいいよね。

は: クリルタイとか、ブログ発だから、結構Webで言及あるんじゃないですか?

R: それは嬉しいですね。肯定でも否定でも、やはり自分のものに色々言われるのは嬉しいです。

稲: 文章書いてる人は本になるとか感想もらえるのってなかなか機会ないから自分で作るほかないよね。

■今後の野望!

R: じゃあ、最後、今後について教えてもらえますか?

稲: bnkrは新編集長、お願いします。

は: bnkrはですね、電子書籍ですよね、やっぱりこれからは。

稲: 大きく出たな。どんな野望?

は: 前回でキンドル版を出した実績もありますし、日本語初のキンドル漫画出版メンバーまでそろっているんですから*7、何年後か、電子出版の草分けの話をする際には日本で名前を挙げられるようになるかもしれないし、ならないかもしれない。

R: 最後弱いな(笑)。

稲: クリルタイは?

R: うーん、今回、年2回出せるようにクリルタイ5.0を頑張りますんで、まずそれを出したいですね。直近では7月17日の「電書フリマ」に「奇刊クリルタイ2.5」として参加します。あと、自分らの同人誌の直販サイトを作りたいなと思っています。やっぱ、どこにいる人でも手に入れられるような形にしたい。自分が岐阜に帰ってとくにそれは思うようになった事なんですが。これは他の同人誌の皆さんも是非利用できる形にしたいです。

稲: それなら電子書籍がいいんじゃないの?

R: そうですが、まだ普及率が微妙なので。電子書籍は今後の課題として、現状は紙の同人誌を売るサイトを作るのはいいと思います。

は: 同人誌の手に入りやすさって、ここ数年で格段にUPしてますよね。電子書籍はそれをさらに加速させる気がする。

稲: そっか。じゃあお互いに頑張ろう。うちのも売ってください。

R: こちらこそ是非。稲荷辺さんは?

稲: 俺は裏方で他の面白そうな人に同人誌作らせたいな。冬はbnkr以外に二つは予定してるんだ。じつは。まあどうなるか分からんけどね。まあ、差し迫っての「電書フリマ」頑張りましょう。

は: がんばりましょう。

R: お互いがんばりましょう!今日はありがとうございました。

*7:この辺の話は『bnkrVOL3』収録の「世界初!日本語Kindle 漫画はこうして生まれた!」を参照のこと。

(republic1963、稲荷辺長太、城島はむ)

編集長対談:文章系同人誌をはじめるために (2)

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(「週刊メルマガクリルタイ」Vol.49(2010/07/07 配信分) の原稿を再掲)

■ひとりでできるもん!

republic1963(R) はむさんは、小説が書きたかったんですか?

城島はむ(は) ですね。ずっと何かしら書いています。

R: 元々大学とかで書いていたんですか?

は: 大学では文芸部に入っていまして。そこでほそぼそと小説を書いていました。大学内で配るサークル誌みたいなのをつくっていました。無料配布の冊子なんですが、同人と言えば同人なんですね。

R: ということは、同人歴は一番長いのか。

稲荷辺長太(稲): ひとりでやるときに一番大変なことって何?

は: 特に大変なことは無かったかなぁ。何をやっても自分の責任だし、おとしても自分が凹むだけでっていう。

稲: 締め切りとかよく守れるよね。俺だったら結局ばっくれちゃいそう。

R: 俺も一人では無理です。

は: 締め切りは破りますよ。破って破って、完成しなかった作品がたくさんある。これじゃいけないと思って、文学フリマに参加申し込みして、これでどんなに駄目な作品でも完成させないといけないぞと自分を追い込んでみた。

R: それは偉い!

稲: 文学フリマ的なイベントに応募しちゃったら出すほかないし逆にいいかもね。

■ツール、何つかってる?

R: 皆さん、いつもどうやって同人誌つくっていますか?ツールとか。はむさんはどうですか?

は: 僕は文庫本サイズのフォーマットを作っちゃってほぼ固定化しているので。あとは書くだけって感じですかね。最初の時は、とにかくひたすら商業の文庫本と、同人の文庫本をかき集めて眺めました。

R: InDesignですか?Word?

は: ツールは一太郎とJUST PDF。貧弱環境です。

R: 一太郎で打ったのをPDF変換ってことですね。

は: そうです。ATOKをいれても、二万円ちょっとでおさまるという。個人文章同人誌作成におすすめです。

R: 最小構成だ。やっぱり、最低2万で出せるっていうのが同人誌のだいご味だと思います。他の趣味に比べたらお金かからないですよね。表紙はどうしているんですか?

は: 表紙は、Pohtoshop elementalだ。しまったここにちょっとお金が掛かっている。

R: フォトショ使えるんですか?

は: ペンタブレット買ったときについてきたおまけです。文字をペーストして大きさ整えてるくらい。それしか使っていません。

R: 稲荷辺さんはどうですか?というか、ここは言わねばならんのですが、bnkrは作成環境も人員も豪華すぎ!

稲: そうだよねー。参考にならないよなぁ。ツールはInDesignですね。うちは小説と企画の2部構成なんだけど、企画の方はみんなで話しあって決めている。はてなグループやmixiのコミュやGoogleSiteなんか使って話し合いしたり進捗管理したりしているけど、なかなかコレといっていいサービスはないなあ。

は: 毎回新しいものを取り入れようとするんだけど、mixiになぜか戻ってくる。

稲: みんなが能動的にチェックする場ってそうなっちゃうんだよね(笑)。

R: 自分らは、進捗管理はGRIDY*5というツールを使っています。

稲: どう?使い易い?

R: 結構使いやすいです。ファイルのアップロード機能と掲示板機能が同時についているので良いと思います。掲示板がトピックごとになっているのもいいですね。ただ、要領制限があってあまりにも重いファイルはダメなんで、リコーのQuanp*6というファイル共有サービスを使っています。こちらは、やや動作が重いのが欠点ですがドラッグアンドドロップでアップロードできるのはいいですね。あと、プレイスごとに閲覧権限をつけられるのも良いと思います。この辺は基本無料機能しかつかってないですけどね。

稲: クリルタイはゲストの人もいるじゃない?そういう人達にも参加してもらってるの?そのサービスに。

R: ゲストは参加してないですよ。あくまでもメンバーのみ参加です。ゲストとは単純に、インタビュー取って、メールでやりとりしています。

稲: ファイルの管理も悩ましいよね。うちはdropboxだ。クリルタイは4.0からrepublic1963がやってるんだよね。InDesign。

R: dropboxは私も使っています。毎回色んな人がサブではいますが、4.0からですね、InDesignは。うーん自分の場合、デザインに限らず8割がた自分でやります。テキスト起こしとか、企画とか。

稲: いままではなんでやってたの?ソフトは。

R: 3.0はIllustratorですね。これが最悪でした。1ページずつレイアウト構成しないといけないので。

稲: イラレはページごとにファイルを作んなきゃなんないんだよね?

R: そう。だから死んだ。

稲: 俺がやったもうひとつの同人誌「屋上キングダム」もイラレでやったんだけど。大変だったみたい。編集は。

は: 他人事だ(笑)

R: 文章系同人誌を作る時にイラレをメインでやるのは禁止だと思います。イラレやるぐらいだったらワードでいい気が。4.0の時に、クリルタイのために8万ぐらい出してInDesign買ったんですが、これは3.0のときにイラレでやって懲りたのが原因です。

稲: 今は同人の印刷会社がPDF入稿だからいいんだけど、屋上キングダムでは印刷に凝ったからイラレ以外の選択肢が無かったんだ。印刷屋さんの関係で。早めにあたりをつけといた方がいいよね。なにでやるかぐらいは。

は: 初めてやる場合は特にそうですね

R: いいアドバイスが来ました。

稲: ワードでも巧くやれるってアドバイスが出来るともっと良かったんだけどね(笑)

R: でも、ワードでもできるっていうのは結構いいですよね。表紙の問題はありますが、そこが 同人誌の懐の広いところだと思います。

は: コピー用紙一枚に切れ目をいれて、小さい本とか作って出してる方とかもいましたからね。学研のおまけでついてたようなやつ。

稲: まあ、それでもいいんだけどね。でも知らない人に手にとってもらわないといけないんだから、僕は綺麗に印刷する方をおすすめしたいな。

■売るためにどうする?

R: 稲荷辺さんは売ることとか結構意識していますか?

稲: 作ったからには買ってもらいたい。たぶん、値段分には面白いはずなので、それならじゃんじゃん買ってもらいたいな。

R: はむさんはどうですか?

は: まあ、きれい事っぽくなっちゃいますが売れることというよりは、読んでもらえることってのは意識しています。話がつまらないから読まないっていうのは仕方ないにしても、装丁が気にくわないから読まないってのはくやしいなと。

稲: 値段設定って難しいよね。クリルタイではどうやって決めてるの?

R: 実売率50%でペイできるラインというのが目安でしょうね。あと、500円っていうのが理想の価格なので毎回それを目指してはいます。

稲: うちはもっと売らないとペイできない。まあ、でも手に取りやすい最適価格は500円だよね(笑)。

R: ですね。bnkrは何にそんなにお金がかかっているんですか?

稲: ページ数多いからね。

は: クリルタイに比べると、文字大きめで頁が多い。比べてみましたが、やっぱりかなり違います。評論と小説っていうコンテンツの違いですかね。

R: ウチが詰め込みすぎなんでしょう(笑)。級数はいくつでしたっけ?

稲: ごめん。覚えてない。

は: 同じく。

R: うちは11とかですね。4.0は本当はもっと細かくしようかとも思った。

稲: そんなに細かくびっしり非モテ語られるなんて!

は: 今ちょうど2.0と4.0が手元にあったんですが、級数大きくなりました?

R: 2.0は一番小さいと思います。段々読みやすくしてるんですよ。一応。

は: 文字の大きさ一つで、いろいろと悩みますよね。

R: 悩みます。文字の大きさや段組みは売価に直結するので。運営的に言えば詰め込みたいんですが、やっぱり、読みやすいのが一番ですから。

は: 読みづらい非モテなんて最低ですからね(笑)


*5: http://gridy.jp/portal/index.html
*6: http://www.quanp.com/

(republic1963、稲荷辺長太、城島はむ)

編集長対談:文章系同人誌をはじめるために(1)

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(「週刊メルマガクリルタイ」Vol.48(2010/06/30 配信分) の原稿を再掲)

republic1963(R):今回は、文章系同人誌・編集長座談会ということですが、私は「奇刊クリルタイ」、稲荷長さんは「bnkr(Vol1・2)」・「屋上キングダム」、はむさんは「bnkr(VOL3)」・「カタリガタナ」の編集長を務めてらっしゃいます。さっそくですが、稲荷辺さん、bnkrをやり始めたんきっかけを教えて下さい。

稲荷辺長太(稲):うん。僕がはむ君がやってるのを見てやってみたいなと思って仲間を募ったんだ。 あと2008年の年末にあった「沈黙のトークショー」も理由の一つ。「沈黙のトークショー」というのは米光一成さんと劇作家の岸井大輔さんがやった8時間もあるトークショー(?)です*1。

R:あ、ステーキ屋でやったやつですね。少し補足しておくと、今回集まった3人とも、米光一成先生の池袋コミュニティカレッジでやっていた講座で同じ受講生*2でした。で、授業中にトークショーの告知もありましたね。

城島はむ(は):沈黙のトークショーは最終的には沈黙がライブになるって言ってた感じのイベントでした。 「bnkr」VOL1は沈黙のトークショーの後でしたね。

R:それがなんで同人誌になるんですか?

稲:内容はともかく、8時間見て、「これはやる側のほうが楽しそうだな」って思ったんだ。

R:作る側に回ってみたいっていう。

稲:その動機と、はむ君がやっていてすげえなと思ったのが合わさって。

R:はむさんは米光講座に入る最初から同人誌をやっていた?

は:ちょっと違ってて、同人誌をやったのは発想力講座に入った後ですね。

R:それは何年ぐらい前ですか?

は:えっと、三年ぐらい前ですね。

稲:クリルタイは?いつから?

R:2006年ごろですかね。

は:最年長だ。

R:でも稲荷辺さん、「クリルタイやっててすげぇな」とはならなかったのね(笑)

稲: まー。ひとりでやる方が驚きだったんだよ(笑)。

は:でも僕は「クリルタイ」影響もありますよ。同人誌やったの米光講座にいる人は、「クリルタイ」もそうですけど、他にもいろいろ作っている人おおいじゃないですか。それで創作意欲をくすぐられたっていうか。

R:それはありますよね。みんな、表現する事に対して貪欲だから、自分らにも刺激になる。

は: 正直、あせりもあった。

稲:「クリルタイ」はなんで始めたの?

R:自分は、7年ぐらいブログやっているんですが、やり始めて3年ぐらいたった後、非モテの事をまとめてみたいっていうのがあったんですよね。最初、「同人誌出したらおもしろくない?」って話を私がして、それで始まった感じですかね。

稲:ブログでもやっているじゃない?それじゃだめだったの?

R:まず、ブログっていうかインターネットって過去の議論ってあんまり参照されないんですよね。残るのはほんの一握りの超人気エントリだけ。閉鎖とかプライベートモードとかあってすぐ見れなくなるし。あとブログは個人プレーなので何が起ころうが自己責任という面があって、共同作業でやりたいっていうのもありました。だから、過去の議論も振り返りが出来る状態で、ある程度編集されたモノとして出したかった。あと、私は極度のマスコミワナビーなので(笑)、ネットラジオやったり、もとからそういう企画が好きだったっていうのもあります。

稲:それはやると決める前からいっしょにやれそうな知り合いがいたの?

R:元々、ブログやってるうちに知り合いになった仲良しの人が何人かいて、その人たちと一緒にやりました。もっとも、その人たちとは「クリルタイ」1.0発売後に喧嘩別れするんですが。あとは、自分の大学時代からの友達が一人いまして。彼はブログ書いたり、一緒にオフ会やったりして。最初期からずっと一緒にやっていたので、彼がいなかったら何もできなかったですね。

■一般人が陥る、同人けもの道!

稲:republic1963は結構メジャー志向じゃない? はじめから文学フリマにって思っていた?

R:それはないです。文学フリマとか知らなかったですもん。コミケという存在も「クリルタイ1.0」を出す時に初めて知りました。皆さん知っていました?

稲:いや知らなかった(笑)。コミケに文章系が出てるってことも知らなかったな。最近まで。

は:まあオタク知識として知っていました。

R:文学フリマですか?

は:わりと狭いジャンルなんですよね。漫画と違って、中身が自分に合う物かわかりづらいから。

R: 皆さん、「惑星開発委員会」とか知っていますか?

稲: 知らない。ごめん、俺疎いんだ。

R:自分は元々小林よしのりが大好きで、その流れで思想とか評論みたいなサイトはちょこちょこ見ていたんですよ。その流れで「惑星開発委員会」の旧サイトも愛読していて。だから、そういう界隈があることは知っていました。

稲: そうか。じゃあ作るべきものも大体見えていたんだ?

R:元々、自分の志向としてはその系統のものが作りたかったんですが、「クリルタイ1.0」の頃は、まとめるのに精いっぱいで、むしろ作業だけしていたような感じです。稲荷辺さんはどうですか?『bnkr』のシリーズにおけるにおける大塚英志*3っていうのは結構見えていた?

稲:いやいや。後付け。あれはおざわ*4さんが見つけてきたんだもん。

R: まずは、本を出したいっていうのが先にあったってことですか?

稲:そうだね。書いてみたい。物として作り上げたいのが先かな。

R:自分の場合、まずテーマありきですから、そこは違いますね。

■編集長の色々な役割

稲:なんか他の編集長に申し訳なくなってきたな。いや。行き当たりばったりで参加してるから。なんか志がある人には申し訳ない気がする。

R: ははは。

は:「bnkr」には志が無くてもパワーがあるじゃないですか。

R:「bnkr」はホント、奇跡みたいなオールスターチームですよね。

稲:うん。面白い人が周りに多かったから得しちゃったね。でも、一応、コンセプトもつけたんだよ。自分もやってみたくなるような雑誌にするって。

は:それは稲荷辺さんが 「bnkr」をやろうと思った動機につながるんですね。

R:それは稲荷辺さんの発案ですか?

稲:そう。これは俺のわがまま。

R:要は、自分が米光先生のトークショーを見て思ったような体験を読者のみんなにしてほしいっていう。

稲:そうそう!腰が重くてなかなか動けないけど、やった方が楽しいよね。なんでも。

R:それはおっしゃる通りで、編集長は「やるぞ!」って言うだけで価値があるんですよ。編集長が言わなかったら誰も何もやらないから。その一言が最も尊い。その意味で、稲荷辺さん、偉い!

は:偉い!

R:はむさんも、偉い!

は:なにもやってませんが…。

稲: ひとりでやったんだもんね。偉いよね。

*1:http://blog.lv99.com/?eid=844923 参照
*2:「池袋コミュニティカレッジ」で2004年10月から開催されていた米光一成氏主催の一連の講座。「デジタルコンテンツ仕事術」「発想力トレーニング」「五七式発想力トレーニング」「文章力
トレーニング講座」「読みのレッスン」と続いている。ちなみに、3人は受講生仲間というか、飲み友達です。
*3『bnkr』は毎回、「大塚英志の物語論を実践する」というのがテーマ。大塚英志の一連の著作、『物語の体操』『ストーリーメーカー』『キャラクターメーカー』は単体でも非常に面白いので、文章系同人を志す人は必読。
*4:小沢高広氏。漫画家「うめ」の原作担当。『bnkr』でも色々やっていただいております。

(republic1963、稲荷辺長太、城島はむ)

Noise From The Edge Of The Universe Vol.2

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(「週刊メルマガクリルタイ」Vol.26(2010/01/25 配信分) の原稿を再掲)

今日は私の知り合いの女性の話をします。
彼女は私の直接の知り合いというより、私の両親の知り合いの娘なんですが、彼女は私より5歳ほど年下=年は25ぐらいですがバツイチ子持ち。2年ほど前に親の土建業を手伝っている同年代の男性とできちゃった結婚し、DVが原因で半年ほどで離婚、以来実家に戻って生活していますが、彼女は今、一回り以上年の離れた男性(こちらも子持ちバツイチ)と交際しているとの事。
彼女の人生遍歴を聞くにつれ、私が思うのは、

「この人、ケータイ小説みたいな人生送ってるな」

という感想です。
このような、私の知り合いのような人生を送っている人は、田舎にはごまんといます。そう、田舎の人間にとってケータイ小説というのは非常に「リアル」なのです。
私のように東京にいた時期の長い人間からすれば、ケータイ小説の描写は荒唐無稽以外の何物でもありませんが、田舎の人たちからすればあれは本当にありえる出来事なのです。さすがに四六時中レイプされているわけでも、不治の病にかかっているわけでもありませんが、ケータイ小説の話の大筋というか「空気感」は田舎に住む人にとって非常に説得力のあるものになっています。そうした発見は私が岐阜に帰ってきた収穫の一つでした。そしてもう一つ、そうした人の特徴は「田舎から出ない」という事です。それは日常生活においてもそうですし、そもそも人生においてほとんど田舎から出ない。冒頭の私の知り合いを含め、人生の中でほとんど田舎から外に出ない人が本当に多い。
彼女は地元の某商業高校を卒業後、実家から車で30分ほどの街にある某大手企業の支店で働いていました。結婚を機に退職し、現在は実家から数分の場所にある会社で事務をしています。
結果として出られなかったのか、出なかったのかかはわかりませんが、彼女達にとっては東京はおろか、(岐阜における)名古屋でさえ遠くの場所なのです。こうした傾向はおそらく、通っていた高校が関係よるように思います。つまり、端的に言って田舎の人間が田舎から脱出できる唯一の機会は大学受験であった、ゼロ年代において「金の卵」は存在しない。これはあまり指摘されない事実であるように思います。
「都会の普通の人」に比べて「田舎の普通の人」はメディアに登場する事はあまりありません。それは「こういう人だ」という類型があまりない、という事です。数少ない田舎の人格類型の一つがヤンキーでありDQNですが、田舎に住む人の全てがヤンキーでもDQNなわけではありませんし、田舎の子供全員が天山広吉みたいな髪形なわけではありません。誤解なきように言えば、田舎にはヤンキーはほとんどいません。私が高校生だった頃は夜になると必ずどこからかバイクのクラクションとともに「ゴッドファーザー愛のテーマ」が聞こえてきて、それをBGMとして勉強していましたが、いまや、ゴッドファーザーはTUTAYAでのみ目にするものになりました。もっとも、その代わりがシャコタンのステップワゴン(色は黒)から流れる2pacなのかもしれませんが。

ヤンキーでもない、DQNでもない、「田舎の普通の人間」は一体どんな人間なのでしょうか。
まず、一つの田舎の人格類型は前述したような「ケータイ小説」的な人です。これは『小悪魔ageha』的だといえるでしょう。
ですが、ここからは私の推測ですが、もう一つの類型、それはもしかしたら「オタク」なのではないでしょうか。より正確を期すならば「濃度の極めて薄いオタク的なものを嗜好する人」、です。そういう人は『ガンダム』が好きだし、『エヴァンゲリオン』が好きです。ガンプラ作って、DVDをレンタルで見て、『エヴァ』とか『エウレカセブン』とか『北斗の拳』、『花の慶次』のパチンコとかやっている。ひょっとしたら、とらのあなやアニメイトぐらいは行っているかもしれない。だけど、その人はよくはてなダイアリーなどで問題になるようなステレオタイプなオタク像とはかなり異なるし、もちろん以前言われていた知的エリートとしてのオタク像とも大きく違うように思います。
どちらにせよ、2000年代終盤にクローズアップされた郊外や田舎の諸問題を語る際に「『田舎の普通の人』はどこにいるか?」という視点は極めて重大な問題であるように思います。

(republic1963)

ライトノベル漫遊記(1)「僕は友達が少ない」

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(「週刊メルマガクリルタイ」Vol.54(2010/08/11 配信分) の原稿を再掲)

「メルマガの原稿が足りない!」

メルマガクリルタイ編集であるところの、パセリさんのそんな切実な叫びを聞き、月1連載の打診を安請け合いしてしまった僕ことterasuyです。
自分で約束した日付を深夜いっぱいまで使って原稿を書いているので、何も考えずに「やりますやりますっ」と言ってしまう自分には呆れるばかりですが、なにとぞお付き合いお願いいたします。

さて、そんなわけでお願いされたのは「ライトノベルのレビュー」ということで、月に一度気になるラノベをピックアップし、クリルタイ読者の方にお薦めしていこうという企画になります。とは言え、ラノベのレビューというとネットとは親和性が非常に高いうえに、僕は普段からレビューをしている人間でもない。読書量もネットに名を連ねる方々には遠く及ばず、最近では簡易レビューを読書メーターで手軽に読めるし、あぁなんか俺レビューやる意味ないのかもわからんね、と思いはしたのですが、そこはそれ。

クリルタイ読者の皆様のお口に合うような作品を選び出して、丁寧にその良さを伝えていきたいと思います。

前置きが長い!
今月の1冊はこれ!!

◆僕は友達が少ない◆

僕は友達が少ない7 DVD付き特装版僕は友達が少ない7 DVD付き特装版
著者:平坂 読
販売元:メディアファクトリー
(2011-09-21)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る


最近のラノベでは「AはBだ」というタイトルよりも「AはBではない」というタイトルが多くなってきたように思えますが、編集さんも読者にリーチするタイトルを撚るのに本当に必死なのが伝わってきます。
ここ半年くらい、「面白い面白い」とネットで注目を集めていた作品ですが、僕自身読み終わったのはつい最近です。妙に騒がれる作品は後回しにしておく悪い癖が出ていたのですが、行きつけのジュンク堂で特集を組まれていたのを見てようやく重い腰を上げて手にとってみました。

結論から言うと、面白い!!

いわく「残念系青春ラブコメディ」と銘打たれているとおり、主人公とヒロインは "友達が少ない" 状況を克服すべく隣人部という"友達を作るための部活"を創部し、そこで繰り広げられる学園生活が描かれるという筋書き。軽妙でいてキレのあるギャグセンス、記号を意識したキャラクターの作り込み、ベタでいて一級品の面白さがあると言ってよいでしょう。

という、内容的な面白さはどうぞamazonのレビューをご覧ください。最も参考になったカスタマーレビューの分かりやすく美しい纏め方には感動すら覚えました。

冗談はさておき、この作品で個人的に注目したい点は1巻から2巻にかけての「引き込みの上手さ」です。1巻冒頭、時系列的には物語が大きく進んだ、部活での一場面を意図的に演出して見せ、登場キャラの紹介が行われます。かつ、表紙以下カラーページでも、キャラクターのビジュアルがイラストで描かれ、読者的には「あぁこのキャラクターが登場するんだな」という期待を持って読み進めるわけですが、どういったことか、ここでは1巻で登場しないキャラまで描かれているわけです。
複数巻で刊行が予め決まっている作品でもこれは非常に珍しい。内容的な引きはまだしも、登場しないキャラのビジュアルまでも事前に読者へ認識させておくというのは、"ゲーム的"だなという印象を強く抱かされます。ゲーム的、あるいはラノベと比べるならばエロゲ的。
キャラクターひとりひとりは、作品の魅力である根幹を担うことになるわけなので、完パケされた作品(大半のゲーム作品がそうなる)であれば、それを惜しげもなく披露するのは当然のことですが、ラノベではそれもまれです。そのほか、1巻全体の進行、2巻以降のタイトルに使われる分かりやすいセンテンスなど、内容とうまく相互作用し、エロゲ的な楽しさを与えてくれるシーンが度々見られます。

もともと最近のラノベにおけるラブコメは、エロゲやギャルゲをコンパクトにしたように見える、というのは物語の性質上その通りのことなのですが、「僕は友達が少ない」は構造的にもエロゲ的なエッセンスを随所で踏襲し、次巻以降への大きな引きを作り出すことに成功していると言えるでしょう。ラノベ以上エロゲ未満、と呼びたいところです。

とは言え、いくら構造的に優れていたとしても内容が面白くなければ、読者はついてこれませんね。僕は友達が少ない略して"はがない"(オーガストのゲーム"月は東に日は西に→はにはに"と略すことをネタ元としている?)は、エッヂの掛かった業界最前線のギャグをもって人気を集め、既に発行部数は累計30万部を突破しています。
今更僕がお薦めするまでもなく、その面白さは数字が保証してくれています。
構造だとかなんだとか書きましたが、頭の中空っぽにして読むことを強く推奨する素晴らしい作品です。

どうか皆さん、電車内でニヤニヤしながら読んで、白い目で見られぬようお気をつけください。

「ポケットにエロゲ」タグつけておきますね。
--------☆
ポケエロ100選その1レビュー完(続かない

(terasuy)

非モテのための婚活必勝法1

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婚活。
本当にうっとおしい言葉の響きですが、婚活というと皆さんどういう活動だと思うのでしょうか。
「突然出会った男女が恋に落ちる」とか「年収600万以上の男の事しか考えていない勘違い女が徘徊する墓場」とか「ブサイク、行き遅れ達が集まる墓場」とか色々イメージがありますが、これは本当なのでしょうか。今回は婚活というゲームの実相を明らかにすることで、その攻略法を考えていきたいと思います。
婚活の攻略法について考える前に、「婚活」というゲームの中身について考えてみましょう。
婚活ゲームのシステムについて考えてみると、非常に似たシステムのものがある事に気がつきます。それは、転職市場です。
「婚活」の流れをみてみましょう。

(無限に近い)相手を探す→相手にアプローチする→何度か会い、双方が合意できればカップルになる

次に、転職の流れをみてみましょう。

(無限に近い)転職先企業を探す→転職先企業に応募する→何度か面談、双方が合意できれば転職

こうしてみると婚活と転職はシステムが非常に似通ってるという事が良くわかります(※1)。
この「(無限に近い)相手を探す」ところにおいてなんらかの形で紹介サービスが必要になるわけです。転職市場におけるリクナビNEXTはexcite恋愛結婚のような婚活サイト(オンラインデーティングサイト)にあたりますし、リクルートエージェントのような転職エージェントはオーネットなどのお見合いサービスに非常に近いものがあります。相違点といえば、転職においてはサイトやエージェントにかかった費用は企業が負担しますが、婚活の場合は、自分たち(ゲームの参加者全員)で支払うということぐらいですが、何より、転職において使われるロジックは婚活のそれと全く同じなのです。

実例を挙げてみましょう。
転職においてはA社という会社に内定しても、通常1~2週間程度で入社意思を返答しなければならず、「他にもっと良い会社があるかもしれない」場合には、A社には入社しない、という選択肢をとるしかありません。A社をキープしつつ活動を進める、というのは相当能力がない限り不可能です。つまり、「入口の選択肢は無限にあるのに、最終の入社するかどうか(付き合うかどうか)の選択肢は極めて限られている」ということです。これは婚活においても全く同じ事が言えます。
また、転職エージェントが良く使う概念に「経歴が汚れている(もしくは汚れていない)」というものがあります。これは転職回数をしめすもので、年齢にもよりますが、転職回数が一定回数以下でないと企業から敬遠される事をさします。これは「結婚(離婚)回数」にそのまま当てはめられるでしょう。
さらに、35歳以上での転職(結婚)が極めて難しいところも似通っています。

婚活=転職。
こう考えると、婚活というゲームにおける最大最強の攻略法がみえてきます。
それは、

婚活は行動量に比例する

というものです。転職活動における大原則が、細かいことは考えずにとにかく企業の求人に応募する事、つまりたくさん行動する事は論をまたない訳ですが、それと同じく、婚活においても「絶対に必要な条件」とかを決めずにとにかくたくさん行動すること、つまりより多くのメールを送るなり、お見合いパーティなりに参加した方が良いという事になります。サイトに登録したらある日突然白馬の王子(姫)様がやってきて見そめられる・・・なんて事は絶対にありえません。でも、あまりにも当たり前すぎるこの結論。では、こうしたシステムの婚活ビジネスに我々はどう向き合えば良いのでしょうか。

※1 ここでは転職と言っていますが、新卒採用にも同じことがあてはまるでしょう。

「文章系同人の未来はどっちだ!」第三夜「アカデミック・パースペクティブ」

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(「週刊メルマガクリルタイ」Vol.52(2010/07/28 配信分) の原稿を再掲)

今回は同人と学問をテーマに、同人文化への学術的アプローチについて書いておこうと思います。文章系同人だけの問題ではありませんが、少し別の角度から「同人」を見ておきましょう。

さて、同人文芸や同人誌に関する学術的な研究というものがあります。というよりも、日本近代文学の実証主義的研究者においては、一時期それこそが王道的な研究だったこともあるようです。みなさまご存じのあの文芸誌やあの文芸誌もみんな同人雑誌でしたし、近代文学館に架蔵されていない文芸誌はそれだけでも資料的な価値があります。
でも、同人雑誌の過去の頒布物を入手することは極めて極めて困難です。文芸誌に限らず、音楽だってそうです。マルチメディア同人即売会「M3」さえ、初期のころは見本回収はしていませんでしたし、場合によっては頒布者さえ持っていないことが多いのです。

つまり、同人文化は非常に歴史化されにくい特質があるのです。

「歴史化」と言いましたが、別の言い方もできるでしょう。アーカイブ化、資料化、保存。どのような言い方を採用するにせよ、同人とは基本的に「過去を保存しない文化」なのです。昔も、そしてたぶん今も。
こうした状況下において、同人研究は二つのムーブメントの中で行われているように思います。

一つは歴史的事象としての同人をとらえる困難を承知の上であえてそれに挑む「歴史学的/文化史的研究」。もう一つは、そうした歴史性を排除して、現在ある同人文化を的確に切り出そうとする「社会学的研究」です。

同人作品の論評や作品分析を通す解釈的表象論的研究もあってよいような気がしますが、あまり盛んではありません。あとはジェンダー研究が突出して存在していますが、今回は省きます。文化史研究にせよ、社会学的研究にせよ、こうした同人研究の動向は高等教育改革と無縁ではありません。ここ十数年間で表象論やメディア学、あるいはコンテンツ学といった新しい研究領域が爆発的に認知されてきたと同時に、DIGRAやGLOCOMのような学会/研究機関の存在感が爆発的に上がってきたことも関係しているでしょう。また、文科省から経産省へ学術研究のリードが移ってきたことも・・・・ってあんまり書くと面倒ですね。
 
さておき、まず同人の歴史研究について述べておきましょう。この文脈は、深いところでは同人だけではなくコンテンツ産業全体の問題でもあると言えるかも知れません。大塚英志氏が危惧した「オタクとしての教養」の崩壊と同じ地平に存在しています。この危機意識をもった一人の歴史学者がいました。吉田正高先生です。
近世歴史学近辺ではなぜかグラッチェと呼ばれ、いまは東北芸術工科大学准教授で、コンテンツ学研究者でもあります。そして、コンテンツ文化史学会の代表です。

コンテンツ文化史学会はその名通りコンテンツの文化史学を構築することを銘打った学会です。すでに数多くのイベントが開かれ、超領域で各大学の研究者や大学院生らが研究発表を行っています。論集も現在まで三集まで出ており、紙芝居研究からロボットアニメの歴史まで非常にはばひろく展開しています。東京大学の特別研究員である、学会事務も務める玉井健也氏が非常に安定して原稿を出しており、若干玉井氏の同人誌みたいになっているところもあります。

しかし、現状では本当にただのオタクの学会です。なんとかしてください(キリッ

……というのは冗談にしても、その非常に微細な実証主義的な研究に比べて、扱うテーマがあまりにも現代寄り過ぎるとは思います。学会として明言しているわけではないのですが、文化史とコンテンツの乖離をそこに強く感じざるをえません。そもそも、歴史研究や文化史研究は、資料の収集や収集した資料の整理、紹介に膨大な時間と予算がかかります。そして、いまこうしている間にも膨大なコンテンツ文化が葬られているのです(ラノベが店頭から消えるのは店に置かれて二週間とさえ言われています)。
文化史研究が、こうした消費速度の早い文化に対して何ができるのかも問われているようです。

少し駆け足ですが、社会学的研究のほうについて見てみましょう。こちらには優れたプレイヤーが多数います。今ふっと思い出すだけでも、七邊信重、金田淳子、井手口彰典……。大勢の研究者たちがいます。他にも、例えばDIGRAには同人ゲームの研究部会が立ち上がっています。こうした社会学的研究は同人のプラットフォームや《場》や《界》の問題を取り上げたり、定量的な分析を通じて行動原理を分析したりするものが多いようです。また、経済上の研究や出版文化との関わりなども研究されています。
こうした社会学的研究と文化史学的研究は実際には同じ雑誌に乗ることも非常に多いのです。コンテンツ文化史学会の学会誌は二者があいのりしているという意味で非常によい効果を上げているように思います(同時に、現場のクリエイターの声や、若手たちの発表の場も与えています)。

そのなかで、社会学的研究の中で二つの特に注目すべき論文があります。
一つは、前回も少し取り上げましたが、井手口彰典「概念としての「同人音楽」とその射程」(『同人音楽研究』1号、2009.8)。もう一つは、七邊信重「「同人界」の論理―行為者の利害-関心と資本の変換―」(『コンテンツ文化史研究』三号、2010.4)です。
井手口論文は同人音楽という流通している言葉が、概念として非常に多様かつ恣意的に用いられている現状を整理し、その中から作り手の環境によって同人音楽の現在を定位しようとする意欲的な論文です。ここで示される「同人音楽」の定義の困難さは他の同人領域においてもケースは異なれど等しく参考にされるべきものでしょう。
七邊論文は、同人文化における先行研究を大きく整理した上で同人活動を行う人達がもつ文化慣習やその実践を理論的に布置しなおしています。ブルデューの理論を広く応用したものであり、若干難しいところもありますが、膨大なインタビューやデータから導きだされた結論は明快で論理的です。

無論、同人文化を研究するならば読むべき論文はこれだけにとどまりません。しかし、この二論文には研究に必要な知的誠実さや論証だけではなく、同人文化を語る言葉を新しく模索し、よりよき同人の/との関係を模索する試みがあるように思います。
少し嫌な言い方になりますが、かつての(というより今も)同人は、お金の問題や社会学的な問題、あるいはただの趣味として語られてきました。あるいは、メジャーコンテンツの二次/副次的なものとして位置づけられてきました。そうではないのです。しかし重要なことは、「そうではないということを語る言葉をずっともたなかった」ことなのです。いかに実践者たちが自分たちの行為を顕彰しようとも、それを聞き届ける相手は自分たちしかいないというエコーチャンバーの存在。
学術研究による同人文化の表象は、それを乗り越えることができるのかもしれないのです。それは、同人活動のなかに、お金儲けや高い認知度をえられない可能性があるサークルたちが参加することの意義と可能性がどこにあって、その実践はどのような歴史的作法の中に位置づけられるのかを改めて知るのにも役立つはずです。

そう書いておいて思い出すのが、前回の文学フリマにおいて、『界遊』主催のトークイベントです。西田亮介さんと市川真人さんとのトークだったわけですが、市川さんが「文学フリマが友達同士の慰めあい以上のものが生まれていない」と発言したことがありました。
このプロレスを買いそびれてしまったのは今でも残念だったと思います(しかもニコ生で4000人以上にその言葉が届いてしまった)。この「慰めあい」を「実際そうかもしれないのですが、実際にはそうではない」ということどのようにしたら示せるのかは僕の一つの課題です。市川さんの発言は、プロレスの誘発剤であると同時に素直な印象でもあったでしょう。しかし、そうした印象を垂れ流してしまう知的不誠実さというものもあるように僕は思います。
文学の世界では、「批評」と「研究」という二つの言説構成のディシプリンが存在しています。研究は批評であってはいけません。批評は、研究のように冗漫ではいけません。しかし、批評の言葉が先に存在してしまうことで、それが誇大な妄想や被害妄想を肥大化させていくとしたら、それはただ単に皆が不幸になるだけです。それこそ、印象批評だけで児ポ関連法案が成立しそうになる東京都の状況を見たら一目瞭然です(この件に関しては継続的な監視が必要です)。

だから、僕は同人文化がどのようなもので何者であるかを論じる言葉は、もしかしたらそれはクリエイターの中から生まれる発言ではなく、七邊論文のような研究の中から生まれるべきものではないかと思うことがあるのです。「慰めあい」という皮肉ではなくて、より大きな可能性の渦の中に位置づけるよりよき言葉がどこかにあるはずなのですし、自分たちが届かない場所へ届かせる言葉も必ずあるはずなのですから。
学術研究の視点からは、同人文化の実践者たちに二つの視点が提供されています。一つは、自分たちがどのような偏見をもっているのかということ。もう一つは、自分たちが何者であるかを表現する手段を与えること。それはつまり僕たちがどこに立っているのか、ということに尽きるでしょう。
 
ともあれ、同人文化はますます刺激的な研究領域になっていくことは、研究者にとっても実践者にとっても望ましいことであると思います。それは文化史学者と社会学者たちのより深い対話を促していくことにもなるでしょう。また、文学研究者や観光学、図書館学やアーカイブなどについての研究も行われるべきだと思います。また、学術研究の成果をよりよく表彰しなおすことが同人文化の実践者たちに求められてもいます。それについては、また別の機会に課題として残しておくことにしましょう。

内在する外部としての学問がここにあります。安易なキャッチコピーに惑われない、学問の可能性を開く同人文化の面白さは、まだまだ見つけることができるはずです。

(安倉儀たたた)

V系バンドのヴァンパイア/フランケンシュタイン型意識

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(「週刊メルマガクリルタイ」Vol.16(2009/10/26 配信分) の原稿を再掲)

ある種のエキセントリックな言動を「厨房」と規定して上から見下す視線は2ちゃんねるなどを中心にネットではありふれた言説として存在している。
しかし、そのような言説に追随してばかりいると見えなくなるものがある。

ヴィジュアル系という言葉を厳密に定義しようとすると、すぐに壁にぶつかってしまう。その曖昧さゆえに意味が拡散し、正確な定義なるものは常に更新される可能性にさらされている。
ここでは、「ヴィジュアル系」なる語を「外見が特徴的な音楽製作者であり主にロックバンドの形態で活動する人たちの総称」といった程度のこれまた曖昧な定義のままにして話を先に進めたいと思う。



当然ながら、ヴィジュアル系と括られながらも、彼らは各バンドごと、各楽曲ごとに様々な表情を見せる。
ただ、多くのバンドが、「死」「闇」「苦痛」「暗黒」「残酷」「耽美」といったものを表現する傾向があることもまた事実だ。今回は、この種の表現について筆者なりにヴァンバイア型意識とフランケンシュタイン型意識の二つに分けて整理をしていくことで、ヴィジュアル系と呼ばれる者たちが持っている価値観の一端を示したいと思う。
(この着想はメアリー・シェリー『フランケンシュタイン』とジョン・ポリドリ『吸血鬼』という二つの小説が執筆の契機を同じくしているという文学史的な史実に依っている)。



自らを貴族だと思っているのでプライドが高く、基本的に人間は下等な生き物だと感じている。
美しいものを好み、醜いものに対しては冷淡な態度をとる。そして自らもまた美しくありたいと望んでいる。
徹底した耽美主義者であり差別主義者。このような意識を筆者はヴァンバイア型意識と名づけている。

さて、一部読者においては、容姿の良さで人を選別するかのような態度に不快感をもたれる方がいるかもしれない。だがしかし、容姿が良いことを最上の価値とする俗な欲望の中に耽美の意識が生まれるのだ。
それは「人は内面が大事」「心が綺麗な方が素晴らしい」という精神主義に対する徹底したアンチである。そう、「美しければそれでいい(by石川智晶)」のだ。注意してほしいのはここで説明したのは「美しいは正義」ではないということだ(「かわいいは正義」は名キャッチコピーであるが)。
むしろ「悪」と「美」を結びつけるような志向こそ、ヴァンパイア的と言えるだろう。

実際ヴァンパイアとヴィジュアル系の相性はいい。
例えば、『L'Arc-en-Ciel』のボーカルhydeが新たに始めたプロジェクトである『VAMPS』(2008年結成)はすぐにわかるようにヴァンパイア(VAMPIRE)から名前が取られている。
今のところ、直接ヴァンパイアを喚起させるような楽曲は少ないが、何よりもhydeの外見が美しい吸血鬼のそれであるため、美的満足度は高い(この一文は筆者の乙女回路が発動しているためバイアスがかかっているので注意)。

出身地が秋田であることと吸血鬼のような容姿から「秋田のヴァンパイア」と称されているASAGIがボーカルを務めているバンド『D』(2008年avex traxよりメジャーデビュー)も、また外せない。
歌詞もヴァンパイアや闇の世界をテーマにしたものが多く、またそもそもバンド名自体、菊地秀行『吸血鬼ハンター"D"』の影響を感じずにはいられない。

ヴァンパイアをテーマにしたもので、筆者が特に好きな曲は『LUNA SEA』の「VAMPIRE'S TALK」だ。この曲に登場するヴァンパイアは人間の女性に恋をしてしまう。だが、ヴァンパイアは夜の世界にしか生きられない。光に触れたいのに闇の中でしか生息できない。そこに悲劇が生まれる。耽美と狂気が同居した素晴らしい作品なので、興味を持たれた方は是非聞いてみてほしい(アルバム『Image』に収録)。

IMAGEIMAGE
アーティスト:LUNA SEA
販売元:MCAビクター
(1992-05-21)
販売元:Amazon.co.jp
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次はフランケンシュタイン型意識について説明していく。
(厳密に言えばフランケンシュタインは博士の名前で博士が作り出した怪物には名前がない。だがここでは便宜的に上記の名称を使用することにする)。

なぜ自分は醜いのか。なぜこんな醜い自分がこの世に生まれてしまったのか。
心は誰よりも純粋であると思っているのに、なぜ皆私を嫌うのか。
醜い自分を嘆き、醜い自分を蔑む他者を呪う。絶望を募らせた結果、行き場のない他者への攻撃性だけが肥大化する。
そう、「自分の容姿の醜さ」はそのまま「世界の醜さ」に直結してしまうのだ。
まさに「こんなに苦しいのなら悲しいのなら・・・愛などいらぬ!!」と喝破した『北斗の拳』の聖帝サウザーのような意識だ。

ヴィジュアル系に興味のない読者には『筋肉少女帯』の大槻ケンヂが展開した世界観みたいなものと言えば理解しやすいだろうか。しかし、『筋肉少女帯』については、すでにご存知の方も多いと思うので、ここでは『MUCC(ムック)』という別のバンドを紹介したい。

『MUCC』は1997年結成、茨城県出身の4人組だ。その一見すると可愛らしいバンド名とは裏腹に、重くドロドロした世界観を打ち出し人気を得て現在に至る。例えばアルバム『葬ラ謳』(2002年)に収録されている「絶望」という曲にはこんな歌詞がある。

【「〔夢〕はいつか叶う」なんて言葉はもう聞き飽きた 「希望」なんて言葉簡単に口にする偽善者よ死んでくれ】

葬ラ謳葬ラ謳
アーティスト:ムック
販売元:DANGER CRUE
(2002-10-18)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る


「人はいつかわかりあえる」「気持ちは必ず相手に通じる」といったお題目に唾を吐きかける意志。
ここには、徹底した理解・共感に対する拒絶が感じられる。学校にバタフライナイフやスタンガンを持っていき、休み時間に何をすればいいのか解らず机に伏しながらいつかクラスメイト全員をこのナイフで殺してやろうと思っているような方には是非視聴して頂きたい一品である。

そんな曲を奏でる『MUCC』の見た目は、自らを綺麗に飾るためではなく、自らの醜さを強調するようなものになっている。ヴィジュアル系は、その言葉通り「ヴィジュアル=見た目」が重要なファクターになっているが、見た目をどう表現するかが、そのまま自らの思想性の表現にもなっていることがここで確認できたのではないだろうか。(因みに『MUCC』は2005年発表の5thアルバム『鵬翼』から歌詞に変化が見られ、上記の説明に当てはまらない楽曲が増えてきているが、そのあたりの細かい話はここでは割愛させていただく)。

しかし、これは「誰にも理解されない可哀想な僕」という歪んだナルシシズム以外の何者でもない。
そしてこの種の表現は「拒絶するという態度」を共有することで安易に一体感を得てしまう危険性が常に存在する。
ただ、それを批判する役割は未だ現れざる賢者に任せるとして、筆者はこれ以上深く追及することはしない。



さて、ヴァンパイア型意識とフランケンシュタイン型意識の二つについて大まかに説明してきたわけだがヴィジュアル系に興味のない読者の方々には、少々退屈な話であったかもしれない。もちろん、この説明が当てはまらないヴィジュアル系バンドも多く存在している。
ヴィジュアル系の広野はすぐそこにある。出来れば沢山のバンドの音に接してほしい。
筆者としては、このような駄文を読んだだけで新たにヴィジュアル系バンドの音源に触れてみようと思ってくださる方がいるとは考えにくいのだが、それでも、もし一人でも何か引っかかるものがあると感じてもらえたなら本望である。

(Imamu)
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