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ミニコミ『奇刊クリルタイ』の公式ページ。お知らせやメルマガ「週刊メルマガクリルタイ」の過去記事を掲載していきます。

2011年11月

Noise From The Edge Of The Universe Vol.6 「車」と「イナカ」

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(「週刊メルマガクリルタイ」Vol.76(2011/03/09配信分) の原稿を再掲)

各所からやってくる「結婚しろ」プレッシャーにキレ気味の皆さんこんにちは。republic1963です。私が住んでいる岐阜県(東海地方)ではTVで30分に一回は結婚式場のCMをやっており、そのたびに親からの微妙な視線に耐える、という苦行をこなしております。なぜ東海地方の人達はあんなに結婚式が好きなんでしょうか。
さて、私は地獄こと岐阜に住んでいるわけだが、今回から何回かをかけてで車と地方の関わりについて考えていきたいと思う。なぜ、地方を語る上で車が重要なのか、今回はその事について考えてみたいと思う。
「サブカルチャー、学術、ネット等によるマスメディア、評論等の言論空間(以後、「論壇」と総称する)」においてしばしば言われている大いなる勘違いは、「地方にいる人間は全てDQNである」というものだ。地方にいる人間は全員がヤンキー、ギャルでパチンコやってケータイ小説読んで浜崎あゆみやEXILE聞いてオールハッピーという勢いで語られがちな「論壇」における地方像。地方在住者から言わせればいい加減にしろ、と言いたいところではあるが、それは「地方における普通の人」の像が見えづらく、結果としてわかりやすい地方=DQN論が採用されがちだという問題もある(蛇足だが、「論壇」において「ヤンキー」について言及される事はあまりないように思うが「ギャル」についてはやたらと言及されている。この非対称は一体何を意味しているのだろうか?)。

「地方における普通の人」を理解するための補助線の一つが「車」なのではないだろうか。「地方」「田舎」といっしょくたにされがちだが、地方には2種類の人間がいる。前回における「名古屋市岐阜区」と「(狭義の)岐阜市」の区別に近いが、端的には「電車・バス」と「車」のどちらをメインの移動手段に置いているかによって区別できるのではないだろうか。
「電車・バス」型の人々はメインの移動手段は電車である。例えば名古屋市に住んでいる人は結構な確率で車を持っていない。もちろん免許がないというわけではないが、名古屋のような街は車で来る駐車場、道の混み具合その他でめんどくさいだけなのだ。同様に名古屋に通う人々で近隣都市在住の人々も車を持たない。そこでは自明的に、岐阜にとっての名古屋のように通勤先としての都市が存在しており、その都市と自分の家との往復を基本の行動パターンとする。つまり、最低でも1時間に数本レベルで電車が通っている街(最低でもその駅にバス・自転車で通える場所)に住んでいる事が最低限の条件となる。そうした場所は必然的に家賃が高い事が想定されるため、家賃に金をかけられる独身(パラ
サイト)もしくは比較的裕福な人間が実践できるライフスタイルという事になる。また、電車・バスのような公共交通機関によって移動ができるという事で、アルコール前提の深夜に及ぶ活動を可能ということである。つまり、都市・夜型・単身者/富裕層型のライフスタイル、もう少し言うと、東京型のライフスタイルをある程度模倣している人々、それが「電車・バス」型である。本人の気合さえあれば鎌倉や行田から都心に通える関東と違い、そうしたライフスタイルを送れる場所は極めて限定されているため、必然的に地方における「電車・バス」型の人間は少数派になる。

一方で「車」型の人間は「論壇」で言われているDQNに近い人々が対象となる。つまり、車をメインに移動し、自分の家とその周辺にあるショッピングモール(スーパー)、勤め先、TUTAYA・ビレバン等の「地方にもあるカルチャー施設」をめぐる日々を送る、郊外・昼型・家族型のライフスタイルが「車」型である。彼らにとっては「電車を使う」という選択肢がすっぽり抜け落ちているのだ。近くの街はいうまでもなく、名古屋(とか東京)のような車で行くとめんどくさい街に行くときも、京
都や大阪に行くときもいつでも車なのだ(ちなみに、岐阜⇔京都の電車で行った場合、新幹線で1時間強、鈍行でも2時間程度で着く)。
「電車・バス」型にとっての車とは嗜好品であるのに対して「車」型にとっての単なる移動手段ではない。都会における車とは違い、それは生活必需品でもあるし、行動パターンを決定的に区別するものなのだ。例えば、郊外型のショッピングモールには広い駐車場が必要不可欠だが、それに対して駅前のビルなどは非常に車が止めづらい(第一、駐車料金がかかる)。車をメインに利用している人々にとって、そのうちどちらを利用するかは明らかだろう。地方都市において「駅前に活気がない」という人は多い。だが、駅前の飲み屋に行くとして、そこからの帰り道はどうするのだろうか?「家飲み」の最大のメリットは「帰りの心配をしなくてもいい」ことだ。マーケッターがしたり顔で語る消費論を鵜呑みにする前に、こうした単純な事実に目を向けてみてはどうだろうか。
「論壇」における「田舎ってやーねぇ」型の議論がなされる際に問題になるのはほとんどが「車」型の人間を対象にしているが、本当は「地方」には「車」型と「電車・バス」型両方が混在している。そしてその「電車・バス」型の人々こそが「田舎の普通の人」の一つの類型なのではないだろうか。

(republic1963)

古典に見るコピペ改変~燃える日本のパロディ魂!~

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(「週刊メルマガクリルタイ」Vol.60(2010/09/22配信分) の原稿を再掲)

巨大匿名掲示板群『2ちゃんねる』の存在は、皆様よくご存知のことと思います。
様々な分野の話題について様々な人々が語り合い、時には罵倒し合ったりもしている場ながら、その中には『ガイドライン板』という少し毛色の変わった掲示板もあります。
そこに集う人々は、他の掲示板のように雑談・議論をメインの活動とはせず、もっぱら「コピペ改変」というネタの発表と閲覧を楽しんでいます。
『ガイドライン板』で行われている「改変」の例として、「孤独のグルメのガイドライン」というスレッドを見てみましょう。そこでは人気漫画『孤独のグルメ』(原作・久住昌之、作画・谷口ジロー)に出てくるセリフ群が、次々に面白おかしく「改変」されています。

孤独のグルメ (扶桑社文庫)孤独のグルメ (扶桑社文庫)
著者:久住 昌之
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原作には、腹を空かせた中年男が居酒屋のメニューを見て、

「ごはんがあるのか、うん!そうかそうか、そうなれば話は違う、ここに並んだ大量のおつまみがすべておかずとして立ち上がってくる」

云々と呟くシーンがあるのですが、そんな変哲のないセリフも『ガイドライン板』住人の手にかかると……

40 :水先案名無い人:2010/09/14(火) 00:18:24 ID:L1/ktk+gO

まいったな……ピーンときたのになぁ
あとは女装娘か……
ノンケなのに女装娘か……
それでもいいけどなあ

お……
アナルがあるのか うん! そうかそうか そうなれば話は違う
ここに並んだ大量の男の子がすべて肉便器として立ち上がってくる強制フェラチオもいい 兜合わせかタマズリだっていいぞそして乳首でも責めるか
ノンケだがご馳走だ逆アナルも渋いな

(引用元:『孤独のグルメのガイドライン 第12話』)
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/gline/1284024660


……とまあ、実に下劣極まりない文章になってしまいました。もともと「ノーマルなシチュエーション」において発せられたセリフを、あえて「アブノーマル」一色に染め上げたところに、この「改変」の滋味があるかと。

元ネタ本来の意味を破壊し、残された外殻にどれだけのナンセンスを詰め込めるか。
『ガイドライン板』とは、それを競い合う一種の公開劇場なのです。
上掲はとりわけ酷い例ですが、そうして「酷い」と感じてしまうほどに元ネタとのギャップがあるからこそ、笑いの破壊力もまた増しているのです。

いわゆる「2ちゃんねらー」たちは、このような「ミームいじり」を毎日のように楽しんでいます。
もしかしたら、このメルマガをご覧になっている方の中にも、「改変」職人が混じっていらっしゃるかもしれませんね。

……しかし。
日本という国において、かくのごとき「文章芸」は、決してこの21世紀という時代特有のものではなかったのです。本日は『週刊メルマガクリルタイ』様のスペースを借り、そんなパロディ魂あふれる名作古典の実例をば、ご紹介申し上げたく候。

 ◆

現代の小中学校の時間割には、読み・書き・ソロバン科目の他に「道徳」なんて科目も存在します。
社会の一員として清く正しく生きていくための心構えを、じっくり育成するためのものです。
江戸時代の子ども達も、それと同様の狙いのもと、『実語教』という漢文調のテキストを読まされていました。

『山高故不貴  山高きが故に貴からず
 以有樹為貴  木有るを以て貴しとす
 人肥故不貴  人肥えたるが故に貴からず
 以有智為貴  智有るを以て貴しとす
 富是一生財  富は是一生の財
 身滅即共滅  身滅すれば即ち共に滅す
 智是万代財  智は是万代の財
 命終即随行  命終われば即ち随って行く』

という堅苦しいフレーズで始まるその内容を、砕いて三行にまとめれば、

「お前らしっかり勉強しろよ!
 目上の人は大切に扱えよ!
 良識に反する行為は慎めよ!」

みたいな具合になりましょうか。全文をじっくり読んでみたい方は、『青空文庫』などをご参照
あれ。

いかにも儒教っぽさ全開の、実に説教くさい文章ですが、江戸初期から明治維新の前後にかけ、日本中の寺子屋で広く永く愛用されていたそうで。
今も昔も、学校教科書なんざ読んでいて楽しいものじゃあなかった模様。

しかし!
そういう「有名」かつ「真面目」なお手本だからこそ、「改変」のやり甲斐もあるってなもんです!

『実語教』をおちょくる書は、原著の知名度に正しく比例するかのごとく、徳川260年の間にたくさん書かれました。そのヴァリエーションとしては、元禄年間に刊行された『俗語教』、宝暦の『游里教』など様々ですが、ここでは幕末の作と推定される『実妓教』から、冒頭部を引用します。

『鼻高故不美  鼻高きが故に美しからず
 以有愛為美  愛有るを以て美しと為す
 妓肥故不好  妓(おやま)肥たるが故に好まず
 以有芸為美  芸有るを以て美と為す
 三弦一座興  三弦(しゃみせん)は一座の興
 酒畢則入床  酒畢(おわ)れば則(すなわ)ち床に入る
 客是一生宝  客は是一生の宝
 入気則身請  気に入れば則ち身請けせる』

原著は、とにかく「清く正しく」がモットーの書でした。一方こちらの『実妓教』に書いてあるのは、「遊女の心構え」です。道徳教科書の文体を用いて、花魁(おいらん)のための教科書をでっち上げたのです。

また、『実語教』の親戚的な本に、『女大学宝箱』というものもあります。
こちらは婦女子をターゲットにした「教化・修身」の教科書で、享保元年(西暦1716年)に初版が刷られて以来、明治時代に至るまで11版を重ねたという超ロングセラー。その内容は実に封建的・時代的で、おカタい!

だいたい、本文の第一行目からして、

『一、夫(それ)女子は成長して他人の家へ行、舅姑に仕るものなれば、男子よりも親の教へをゆるがせにすべからず』

いきなり、こんなことを言い出しますからね。
以下も似たような文調で、「とにかく女たるもの、文句を言わずに家庭のために働け! 男のやることには絶対に口出しするな!」とかなんとか、フェミニスト大激怒な「道徳」ばかりがズラズラと続きます。昔の女性ってのは大変だったんだなあ……と、ついつい嘆息させられる『女大学宝箱』ですが、これにもまた当然のごとく、『女大楽宝開』なるパロディ本が存在します(18世紀中頃の作)。

『女大学宝箱』の表紙を開けると、まず百姓たちが協力し合いながら畑仕事をしている絵が目に飛び込んできます。その後にも、四季折々の風景とか、『源氏物語』のダイジェスト的なイラストなどが続き、それからようやく本文にたどり着きます。対する『女大楽宝開』の方も、やはり似たような口絵が満載なのですが、その中には田植えしている女をバックから犯す男がいたり、紅葉を鑑賞しながらセックスしているカップルがいたり、『源氏物語』に登場する貴族たちもこぞって御簾の中で抱き合っていたり、とにかくまあエロエロ!

もちろん本文だって、徹頭徹尾に「好色改変」が施されており、例えば上掲した『大学』の序文は、

『一、夫(それ)女子ハ成長して他人の家へ行、夫に仕るものなれば、色道の心がけ第一たり。
 一、父母ももとより其道を好みたるゆへに子孫もつきざるなり』

と、原著者にケンカ売りまくりの内容に歪められています。本記事の最初で紹介した『孤独のグルメ』の「改変」と同じく、これまた「ギャップの妙」が光る仕事であります。

なお、『大学』をおちょくり倒しただけでは、『大楽』は終わりません。
後半になると「張型」や「肥後ずいき」などのアダルトグッズを紹介するページが出てきたり、ショタコンのための少年調教指南があったり、さらには、

『かりたかしといへども たつとからず 気やらすをもつて たつとしといふ』
(ただ陽物がデカいだけじゃ、偉いとは言えない!きちんと射精できるようになって初めて、立派な陽物と言えるんだ!)

などと『実語教』の「改変」を唐突に始めてみたり、もはや原著とは全然関係ないエロネタが次々に登場します。これだけフリーダムな本になると、読む方はもちろん、書く方だって楽しくて楽しくて仕方なかったんだろうなー……と、妄想が膨らみます。

 ◆

てなわけで。
完成したネタを発表するための媒体こそ、昔は「紙」、対して今は「インターネット」だという違いがあります。しかし、人口に膾炙するフレーズすら玩具にしてしまう「遊び心」と、それをみんなでワイワイ楽しむ「心意気」は、古今通じて日本人の心中に燃え盛っているのです。

古いモノの中にも、新鮮なユーモア。
新しいモノの中にも、懐かしい知性。

いろもの古典を漁っていると、本当、退屈しませんです。

(衆道士ペドフェチ)

非モテのための婚活必勝法5:漂流する「普通男子」

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前回:http://blog.livedoor.jp/chikumaonline/archives/53193041.html

前回に引き続き、「婚活におけるユーザーとは何か?」という問題について考えたいと思います。今回は「普通女子」に対する「普通男子」について。「普通男子」とはどんな男子なのでしょうか。ファッションや趣味によって細かく差異化されている女性と違って、男性は基本的に2種類しかいません。それは、「ヤンキー」と「それ以外」です。
「ヤンキー」は言うまでもなくヤンキー系の人々の事ですが、「それ以外」には非ヤンキー的な様々なクラスターがひしめいています。で、「普通男子」は「それ以外」の中でも最大のボリュームを誇る層です。彼らの特徴は「普通女子」と同じく「普通」としか言いようのないその生態にあります。ルックスもファッションは普通(かやや下)。趣味はゲーム(ウイニングイレブン、モンハン、ドラクエ、FF)かスポーツ観戦。昔野球で今サッカー(フットサル)。衛星放送に加入するぐらいは海外サッカーを追いかけている、音楽はケツメイシ、マンガは『ONE PEACE』といった人達。要するに非常にプレーンで特徴らしい特徴のない人達。それが「普通男子」です。
では、彼らは婚活というバトルフィールドでどんな役割を果たしているのでしょうか。その点を考えるために、『婚活時代』(ディスカヴァートゥエンティワン 2008年)を元に基本的な内容を押さえておきます。

「婚活」時代 (ディスカヴァー携書)「婚活」時代 (ディスカヴァー携書)
著者:山田 昌弘
販売元:ディスカヴァー・トゥエンティワン
(2008-02-29)
販売元:Amazon.co.jp
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1980年代ごろまでの日本の恋愛市場は「規制市場」でした。「規制市場」とは、どういう事かというと、以下の4点に要約されます。

1:そもそも「出会い」自体の数が少なく選択肢が限定されていた
2:「出会い」が自動的にセッティングされていた(社内恋愛やお見合い、兄弟・親戚等からの紹介)
3:セックスは結婚前提でなされるもので、付き合ってから結婚するまでが短かった(平均2年)
4:結婚後も収入が安定して増える事が予測できた
(『婚活時代』第3章「「婚活」前時代VS「婚活」時代」より筆者要約)


これらの規制が消滅した結果、出現したのが恋愛の自由市場です。恋愛の自由市場においては誰もが「好きな相手と、好きな時期に」結婚できるというメリットがある一方で、勤務先の企業や資産、ルックスの良しあしといった、各人の持つ人的資本が露骨に評価されてしまうというデメリットがあるわけです。
ここで注目してほしいのが、2番目に挙げた「「出会い」が自動的にセッティングされていた」という点です。ここで念頭に置かれているのが「総合職の男性と一般職の女性による職場結婚」という形式です。男女とも、とりあえずある程度の規模の企業に入っておけば「結婚」まで自動的におぜん立てしてくれるこの仕組み、そもそも「嫁候補」として一般職の女性を何人も雇っておけそうな規模の企業に入らなさそうなヤンキー達にはあまり関係ないように思います。また、そもそも人的資本が大きい人にとっては恋愛の自由市場の成立は自分の市場価値が高まる分、「自由化」はプラスに働くはずです。こうしてみると、この「規制」によって一番メリットを享受していて、かつ「規制」がなくなった事によって困っているのがこの「普通」クラスタの人々ではないのでしょうか。

で、「普通女子」は恋愛の自由市場で大量にダブついているのではないか、という話が前回の話でしたが、一方、「普通女子」の相手として一番適任そうな「普通男子」はどうしているのでしょうか。
これは推測なのですが、「普通男子」はモンハンやってるんじゃないんでしょうか。
ずっこけないでいただきたい。でも、恐らく、自分と同年代(30代前半)ぐらいの人は自分が恋愛市場でダブついている事など露知らず、そのうちまぁなんとかなるだろぐらいに思っているのではないのでしょうか。自分の知り合いの「普通男子」が不思議なのは、合コンにしろなんにしろ、自分では全く企画しないで「やるなら行くよ」ぐらいのスタンスでいる事です。お前はどこの電通マンだよとツッコミの一つも入れたくなりますが、意味不明に余裕がある。一人の相手と3カ月ぐらいメール交換してたりとか。とっとと食事ぐらい行けよと言いたくなります。

女性に比べると、男性は遥かに「結婚しなければならない」圧力が弱い、という事はここで改めて指摘する必要はないでしょう。だからこそ「普通女子」はまがりなりにも婚活市場に打って出ようとしていると思われるのですが、「普通男子」はこうした圧力が極めて弱い、極端に言えばたまに言われる親の「孫の顔が見たい」攻撃にさえ耐えれば、「普通男子」はずっと独身のままいても構わない。恋愛・結婚は大きなコストもかかりますし、リスクもあるので、それよりは現状維持という選択はもちろん「アリ」だと思います。でも、問題は数年後「やっぱり結婚したい」という事になりはしないか、という事です。その時に彼らが「ジンオウガ狩ってないで女狩っとけばよかった」と途方にくれても後の祭りなのではないのでしょうか。

「SPEC」は「ケイゾク2」か?

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(「週刊メルマガクリルタイ増刊「dorj」」Vol.4(2010/12/27配信分) の原稿を再掲)

先週、『SPEC』が終わった。
『ケイゾク』原理主義者たるrepublic1963は当然全話試聴かつ全肯定なわけだが、twitter上でスタッフが低視聴率を謝罪だとか半径ワンクリック内で物議を醸したり醸さなかったりしているところもあり、実際のところ、どうだったんだろうか。実はCBCではこの機会に合わせて前作(?)である『ケイゾク』も合わせて放送されていたので、『ケイゾク』『SPEC』合わせて試聴した感想を書いてみたいと思う。

まず一つ言っておかなければならないのは今気になっている人や見ようかどうか迷っている人は安心して見ていい、という事だ。
今回の『SPEC』、とりあえず鑑賞に耐えうる最低限の「SPEC」は満たしている。堤幸彦といえば、近作『BECK』や『20世紀少年』で一部では酷評されており、ライムスター宇多丸氏などに言わせると「堤幸彦こそ、「ともだち(『20世紀少年』のラスボス)」なんじゃないの!?」とまで言われている始末(ちなみに『BECK』は『ウィークエンドシャッフル』中の2010年全映画ランキングワースト6位である)。だが、今回に限っていえば、連続TVドラマとして最低限のクオリティを満たしている…ど
ころかちゃんと面白い! だからこそ「またいつもの」でしょと思っている人ほど是非みてほしい。

だが、TVドラマとして見れるSPECであることと心に突き刺さる作品である事はまるで別である。

今回見直して改めて思ったが『ケイゾク』は物語として破綻していた。『ケイゾク』に登場する毎回のトリックはほとんどが後付け、その場限りの運要素の強いもので、「刑事ドラマ」としての説得力が非常に弱くなっている。毎回、犯人がもっともらしい「動機」を語った後で真山が語る犯人の真の動機。これらは視聴者側の犯人への共感を難しいものにしている。
つまり意図しているかどうかはさておき既存の『ケイゾク』は「刑事モノ」としてハナから破綻している。なおかつ、『ケイゾク』は「なんで朝倉が他人を操れるの?」という根本の疑問から始まり、ストーリー自体も破綻していた。しかも、元々破綻している作品に対して後付けの設定でスペシャルや映画が作られたもんだから、後に行けばいくほど破綻は酷くなっている。
その一方で重きを置かれたのが、その間ちりばめられた小ネタや会話(小芝居)だった。こうした連続ドラマとしてストーリーとしての強度よりも、その合間の小ネタや小芝居といった「ケイゾクの文脈(コンテキスト)」を積み重ねることを優先するという方法は当時それなりに新鮮だった。
そして、結果発明されたのが「事件を解決しなくてもよい刑事ドラマ」である。

11年後の今、『ケイゾク』を見ると、そうした物語上の穴が凄く目立つ。だが、当時の私がそんな事を言う人間がいたら迷わずグーパンチで殴り倒していただろう。つまり、そこで私が熱狂していたのは、その訳のわけのわからなさから派生する熱量であった。そして、そうした破綻や作品上の矛盾点こ
そが作品の魅力として立ちあがっている。ここで私が言いたいのは「クソゲーだって楽しもうと思えば楽しいよ」なんて事ではなく、破綻している部分とそれをカバーする作品自体の熱量が奇跡のバランスで作品として成立させていた、という事だ。賢明なる読者諸君にもわかりやすく一言でいえば、『ケイゾク』とは要するに『魁!男塾』だったのだ。『男塾』において「飛燕死んだけどどうせまた生きてるんでしょ」とか「天挑五輪大武會何回やってんの」とかいう人間がいたら、アホ以外の何物でもないが、それと同じことだ。

でも、『魁!男塾』に『暁!男塾』が作られたように『ケイゾク』には『SPEC』が作られた。『ケイゾク』が『男塾』だとすると『SPEC』はさしずめ『PSYREN -サイレン-』のような作品である。確かに物語上の矛盾点は少なくなった。数々の特殊能力には「SPEC」という設定が付け加えられ、各話における未詳 VS SPECホルダーの戦いにおいても一応それなりに納得感のある設定によって理由が説明されている。その意味で『SPEC』はTVドラマとしては進歩している。だが、一方で物語自体の熱量において『SPEC』は『ケイゾク』のそれには遥かに及ばない。だが、これにはもちろん理由がある。先程述べた通り、『ケイゾク』の面白さとは破綻したドラマとそれゆえ生じた奇跡の熱量であった。つまり、『ケイゾク』とは再現不可能な面白さである。だからこそ『SPEC』を単純な『ケイゾク2』として作ったとしても失敗する事が目に見えていた。それよりは『ケイゾク』の2010年版アップデートとして『SPEC』を作る。そして、その試み自体はある程度成功している。ドラマとしての矛盾点は極力少なくなっているし、5話から8話あたりではストーリーの盛り上がりも最高潮に達し、本当に毎週の放送が楽しみだった。だがそれは恐らく『ケイゾク』の面白さとは異質のものである。
しかも、5話~8話の盛り上がりに比べて最終盤においてはどうしても間延びした印象を受けた。そして何よりも最悪だったのが最終回である。いかにも「映画化決定!?」的なラストシーン、もう何回目だろうか。『ケイゾク』の場合、成立していた奇跡の熱量のおかげでそれすら結果として実現することになったが、ストーリー展開上最大の盛り上がりが5話から8話に持ってきていた『SPEC』におけるそれは単にひたすらうすら寒いだけであった。

『ケイゾク』の方が面白かったという人がいたら、もう一回『ケイゾク』見直してから言ってよ、と言いたいし、『SPEC』は『ケイゾク』の続編として正当かどうか、という質問は問題設定としておかしい。だけど「『SPEC』って面白い?」と言う人がいたら迷いなく「見た方がいいよ!」と断言したい。

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(republic1963)

非モテのための婚活必勝法4:「婚活女子」はどこにいるか

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前回:http://blog.livedoor.jp/chikumaonline/archives/52980963.html

今回は婚活における「ユーザー」について考えてみたいと思います。要するに、婚活なんてしちゃってるやつはどんな奴なの?という事です。
話は変わりますが、「婚活」という用語が発明されたのは白河桃子、山田昌広による『婚活時代』(ディスカヴァートゥエンティワン 2008年)だという事はよく言われている事ですが、

「婚活」時代 (ディスカヴァー携書)「婚活」時代 (ディスカヴァー携書)
著者:山田 昌弘
販売元:ディスカヴァー・トゥエンティワン
(2008-02-29)
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「婚活」という単語が初登場したのは『AERA』2007年11月5日号の「結婚したいなら”婚活”のススメ」という記事です(ちなみに、執筆者は同じく白河桃子)。小池栄子が結婚を語っていたりとなかなかに資料的価値のある記事ですが、ここでポイントなのは記事中に登場するのがいかにも『AERA』的な、キャリア志向の女性、要は「アレな感じ」の人達ばかりだという事です。これは白河桃子の婚活原稿の特徴でもありますが、登場する女性は「がんばりすぎている(スペックが高すぎる)ので結婚できない」という、一種のエリートないしキャリア志向的な人達ばかりだという事になっています。その裏には「対してふがいないオトコ」というアングルが仕込まれていてウザいんですが、まぁそれはいいとして、これは本当でしょうか?

私が、色んな「婚活サービス」に潜入してみた結果としてはそんなことは全くありません。
「婚活サービス」に登録している女性で一番多いのは「普通」の女性です。
「普通」というのは、良い事でも悪い事でもなく、「普通」という一つのクラスターだと考えてください。この「普通女子」というのは極めて表現しずらいんですが、本当に普通としか表現しようのない人達の事です。ルックスもファッションも普通(かやや下)。趣味は読書、映画、美術館(博物館)めぐり。ただ、この趣味というのが、非常に浅いというか、プレーンなわけです。
読書で言うと伊坂幸太郎か東野圭吾(何度大して好きでもない『重力ピエロ』の話をした事か!)、音楽でいうとミスチル、ゆず、バンプオブチキン。
これは「初対面だからメジャーっぽいのを言っている」と言うわけではなく、実際よくよく話してみてもこんな感じで、恐らく、彼女らは能町みね子氏が『モテない系とドリカム層』(ブックマン社 2011年)にて名付けた「モテ系」と「モテない系」の中間に当たる「ドリカム層」に近いような存在です。「モテ系女子」ほどあかぬけてもいないし「文化系女子」ほど濃くはない。かといってヤンキーでもない。それが「普通女子」です。

ドリカム層とモテない系ドリカム層とモテない系
著者:能町 みね子
販売元:ブックマン社
(2011-10-06)
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出会い系サイト(オンラインデーティングサイト)に行っても、お見合いパーティーに行っても、キャリア系女子はあまりおらず、いるのはほとんどこうした「普通女子」です。もっとも、地方において「普通女子」は最大勢力なので、当たり前といえば当たり前ですが。彼女らには婚活における行動パターンに一つ特徴があり、それは物凄く受け身というか、意欲に欠ける人が多い。出会い系でメール送っても返信が来るのが1~2週後は当たり前だったり、もっとひどいと登録するだけでろくに使ってなかったり、お見合いパーティでもろくに話をしなかったり。

「お前ら何しにきとんねん!(注:私は岐阜生まれ岐阜育ちです)」

と思わず叫びたくなるような行動をとりがちなのが「普通女子」です。
でも、彼女らはそんな感じで受け身なのになぜ婚活をするのでしょうか。
これは仮説ですが、「恋愛の自由化」が進んだ結果、最もワリを食ったのが彼女ら「普通女子」なのではないのでしょうか。「恋愛の自由化」に伴い、社内恋愛やお見合い(親同士の紹介)といった恋愛ツールが廃れていった結果、本来はそれらのツールを使って「そこそこな人」と結婚していた「普通女子」達が恋愛市場で大量にダブついている。また、恐らく「普通女子」は会社で事務の派遣社員をやっているような、結婚後は専業主婦をするようなタイプが多いように思いますが、言うまでもなく、男性側も専業主婦を養えるような稼ぎがなくなってきたつまり「そこそこな人」の数が少なくなってきた事もあります。キャリア女性と比べて自分で局面を打開する能力(経歴)も意思にも欠けている(と思われる)「普通女子」の方がより事態が深刻そうです。
では、本来「普通女子」に対して「普通男子」は何をしているのでしょうか?次回その点について考えてみたいと思います。

Noise From The Edge Of The Universe Vol.6 「地域再生」は必要なのか?

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(「週刊メルマガクリルタイ」Vol.73(2011/01/19配信分) の原稿を再掲)

実家の親・兄弟・親戚・地域社会のウザい発言・雰囲気・価値観にキレ気味の皆さんこんにちは。republic1963です。私の場合、これが毎日なわけでして、そりゃーまぁtwitter上で発狂するわな、という主張を2011年の始まりにおいても高らかに宣言したいところでございます、本年もよろしくお願いいたします。

さて、私は地獄こと岐阜に住んでいるわけだが、今回は地域再生を論じた久繁哲之介『地域再生の罠 なぜ市民と地方は豊かになれないのか?』(ちくま新書)を取り上げ、地元居住者から見た地域再生について語ってみたいと思う。

地域再生の罠 なぜ市民と地方は豊かになれないのか? (ちくま新書)地域再生の罠 なぜ市民と地方は豊かになれないのか? (ちくま新書)
著者:久繁 哲之介
販売元:筑摩書房
(2010-07-07)
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『地域再生の罠 なぜ市民と地方は豊かになれないのか?』(以下『地域再生の罠』と略す)における岐阜市は「コンパクトシティを目指すのに路面電車廃止しちゃった」世にも珍妙な「再生例」として登場する。つまり、街の機能を駅周辺に集約(=コンパクトシティ)したのに、その足(=路面電車)を廃止したという物凄くヘンな・・・もとい、未来を見通した施策を打った街、それが我らが岐阜市である。この施策が物語る事、それは「駅前に来る時には車を使え」ということである(岐阜市にはバスがあるものの、ご多分にもれず非常に使い勝手が悪い)。『地域再生の罠』における一番鋭い指摘が「移動手段を車メインにする街は必ず衰退する」というもので、それは住んでいる人間の実感としても全くもって正しい。街への移動手段を車にした途端に、何をするにも駐車場と帰りの手段の問題が浮上してくるのだ。わざわざ足を廃止してまでこうした施策を打つ岐阜市というのは大変素晴らしい自治体ですね、という思いを新たにするわけ(ちなみに、岐阜市における路面電車排除、車優先の施策は今に始まった事ではない。1967年にはすでに岐阜市議会は路面電車廃止決議を可決させている)だが、恐ろしいのは、私は『地域再生の罠』を読むまでこうした岐阜市の実情を知らなかった事だ。岐阜県には、オピニオンリーダーたる岐阜新聞という新聞があるのだが、そこではこうした事実は一切報じられない。岐阜駅周辺の再開発計画に関しても「とりあえずなんかよさそうな事やってる」風なのだ。

「地域再生」という問題設定自体は一種の既得権なのだ。そして「地域」においては自治体からマスコミまで総出でその既得権を守ろうとしている。
「地域再生」を語る時に関係者やマスコミが必ず行うのが商店街を救えという主張だ。だが、商店街は本当に必要なのだろうか。「商店街を救え」という人は商店街に行った事がないか、もしくは嘘つきだろう。商店街にある商店とは、
1:品揃えが悪い、2:店員(オヤジ)が不親切、3:入りづらいオーラに満ち満ちている、
と相場が決まっている。郊外
に同じような店ができて、そして半年ほどで速やかに市場から淘汰されたとしても誰も文句を言わないだろう。なのに同じ店が駅の近くにあるというだけでそれは「再生されなければならないもの」とされる。おかしな話である。何故か「地域再生」というマジックワードがついた瞬間に商店街の店にも良い店と悪い店があるという当然な事すら省みられずとにかく全てが「救わなければならないもの」になるのはおかしな話ではないだろうか。岐阜市の場合、車で行き、有料駐車場を使わなければいけないのにも関わらずである。
地域社会における「地域再生」とは、予算を引っ張ってきたり、自らの施策の正当化、もしくは「とりあえずやってますよ」というアピールのために使われる。つまり、要するに地域なんて再生しなくてもいいのだ。むしろ本当に再生しちゃったら予算を引っ張ってこれなくなるので困るのだ。

さて、最後に岐阜市におけるコンパクトシティ化の結果と帰結について書いておこう。先に述べたように、岐阜市においてはコンパクトシティ(都市機能の駅周辺への集約化)と路面電車の廃止(車以外の足の廃止)が同時に行われた。その結果は岐阜市の2分化ではないだろうか。つまり、「名古屋市岐阜区」と「(狭義の)岐阜市」への分離である。そもそも、岐阜市には名古屋市のベットタウンという側面がある。ご存知の人もいるかもしれないが、JR岐阜駅から名古屋駅までは急行で20分弱、完全に通勤圏内なのだ。岐阜駅から徒歩(ないし自転車)で移動できる圏内はこの「名古屋市岐阜区」にあたる。一方で、それ以外の「(狭義の)岐阜市」においては移動手段が車になる。「名古屋市岐阜区」に住む人は「観光客として」岐阜市に訪れ、ほとんどの買い物は名古屋ですませる。一方で「(狭義の)岐阜市」に住む人は名古屋にすら全く行かず、生活の全てを車でいける範囲の郊外型の店ですませる。岐阜市の施策によって今後、両者は明確に分離してくるのではないか。そして、そうした現状とは全く関係なく未来永劫「地域再生」は岐阜市の最重要施策として推進され続けるに違いない。なんともはや素晴らしい街である。

(republic1963)

彼らは何を残したのか?~市民参加メディアを総括する(3)

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(「週刊メルマガクリルタイ」Vol.40(2010/04/21配信分) の原稿を再掲)

■6億はどこに消えた?

Parsley(以下P):資金の話が出たので。オーマイは、ソフトバンクが出資していて、yahooニュースにも「パブリックニュース」というサービスをしていたり、かなり市民参加メディアをプッシュしていた時期があったわけなのですが、どのような感想をお持ちでしたか?

yetanother(以下Y):ライブドアもそうだけど、自前のコンテンツを持ちたいんだろうなと。

P:でも、yahooニュースの中のひとはかたくなに否定していたんですよ。うちはポータルです、みたいな。

Y:そうなんだ。

P:もっとも、孫さんは違っていたのかも。まぁ、ソフトバンクにとっては6億なんてはした金ではありますし。

Y:オーマイニュースについて孫さんは商売っ気無かったんじゃないかとも思うんですけどね。

republic1963(以下R):ただ、yahooもちろん、ソフトバンクグループからすれば大したことはないだろうけど、サイト運営するには大した金額ですよね? ずっと疑問があって、「6億何に使ったの?」っていう。

Y:お給料と家賃。

P:あとシステムですか。都合3回変えてますからね。

R:市民記者の記事の最高金額って2,000円なんですよね。市民記者賞は10,000円で。じゃあ12,000円で鳥越さんが当初期待していたような「スクープ」をタレこむ人が現れるか単純に疑問でした。オーマイニュースの人たちが期待していたのは、企業の不祥事とか、国や政治家の腐敗とか、そういうスクープを期待していたと思うんですが、その対価が12,000円って・・・。

Y:MyNewsJapanがそんな金額でいい記事が集まるはずがないと怒っていましたね。PJもそのくらいだし、JanJanなんて基本的にタダでしょ。

R:「市民メディア」って「肩書」がほしい人向けのメディアなんですよね。

P:PJなんて、当初は記者になる前に講習料とっていましたから(笑)。

Y:ビジネスモデルが広告業で閲覧料が無料なところは、原稿料もタダ同然。有料購読サイトはそれなりに原稿料も払う。

P:となると、原稿料がコンテンツの質を担保している、という話になりますね。

Y:担保されてるのかは分からないですけど、担保しようという気持ちは働くでしょうね。

R:ですね。あとはもう最初からタダでやるか。ただ、それだとブログとどう違うのかという話になりますけど。ともかく、みんなブログ書いているからタダ同然でもやるだろというのは大きな間違いですね。

Y:私もそう思っていたんですけど、マスコミの記者の人ってほんとに記事なんてタダだと考えているんじゃないかと。新聞社の記者の人って原稿料としてお金をもらっているわけでもないし、原価意識みたいなものって無いんじゃないかと。

P:ああ、記事一つあたり、という意識はなさそう。

Y:フリーで苦労したら身にしみるけど、普通に社員勤めしてるとどうかなあって。

R:ということはタダっていう前提で考えていたのか・・・。

Y:でもJanJanに年間億単位の金がかかっていたとか、ほんとうに信じられないですね。オーマイニュースにはかなりの人数の社員がいたので、予想できたけど。

P:JANJANは、無駄にサイト立ち上げすぎているんですよ。JANJANフォト、ザ・選挙、日中連線、モバイル版、TVJAN、映画の森…。それぞれ、PV1000/日いっていたかどうか。

Y:これはけっこうスタッフ抱えていたんですね。

R:結局、どのサイトも親会社の支援以外に有力な資金源を持てなかったんでしょうね。

Y:商売としてはびっくりするほど成立してなかったんでしょう。finalventさんのところのコメントでも言ったんですけど、この数あればなんとかなりそうなのになんでだろうね、みたいな話になって。決して成り立たないPVでも無かったはずなんだけど。

P:個人的な推測ですけれど、広告営業という職自体がいなかったんじゃないかなぁと。

Y:まともに営業してた風情がないですよね。オーマイニュースもあっという間に広告募集のページ消しちゃったし。

P:Yahooのネットワーク広告が出来て安心しちゃったのかも。

Y:もうちょっと頑張ってビジネスとして成り立たせようとする姿が見えていれば、頑張っても市民ジャーナリズムじゃ広告取れないのか、後の参考になったんですけど。あれだと頑張らなかったから取れなかったようにも見えちゃって。

P:JanJanやツカサネットはサイト自体が企業広告みたいな位置づけ。オーマイはちょっとそれとは違っていて、独立採算を目指していたとは聞いているのですが、結局のところPV数的に出稿側に希求するだけのインセンティブがなかったように思えます。

Y:でもJanJanのPVけっこうありましたよ。スラッシュドット並。まあ公称だけど。

P:まぁ、「ブランディング広告」自体が過去のものになりつつあるからなぁ。JANJANは前にも指摘しましたが、富士ソフトの企業イメージ向上のためのサイトだったわけで。

Y:富士ソフトの企業イメージがJanJanでこれっぽっちでも向上したとは思えないけどなあ。

P:多くの人はJanJanと富士ソフトと結びついてなかったですからね。

Y:Parsleyさんが「趣味ジャーナリストじゃダメですか?」って書いていたけど、書く方は趣味でもいいけど、書かせる方はそれじゃダメだって思いました。市民記者は趣味でもいいけど、媒体側が趣味でやっちゃダメ。JanJanとかオーマイニュースとか金出してた人は趣味だったようにしか見えないから。

P:それは、媒体として独立採算でやっていけるようなビジネスモデルを構築出来なきゃお話にならないということですか?

Y:媒体としての信用度が無いところからスタートするんだから、継続して信用度を稼ぐしかない。まあパトロンがついていて金が途切れませんというならそれでもいいですけど。

P:そのあたり、オーマイは「信用」を鳥越氏⇒元木氏というネームバリューで稼ごうとした形跡がありますが。

Y:ああそうですね。ただ、最初のブーストとしてはそれもありだけど、鳥越さんに至っては自らぶちこわしちゃったから。そういえばJanJanには顧問みたいな形で有名人がずらり並んでいましたね。

■オーマイニュースを「殺した」のは誰か?

R:私は元木昌彦氏がオーマイニュースの寿命を縮めたというか、失敗させた張本人だと思っていますが、彼のことを「ネットの事をよくわかっている人」とかって祭り上げている人たちは相当ヤバいと思います。

P:republicさんが言いたいのは、イエロージャーナリズム的な方向に舵を切ったということ?

R:いや、そうじゃなくて。元木さんが編集長になって、プロのライターを入れたじゃないですか。北澤強幾さんとか、その人たちが軒並み素人以下だったという。あと、自分がやっている編集者ワナビー向けの講義の内容を乗せたりとか。

P:自分の講座の宣伝媒体にしちゃった、みたいな。

Y:要するに食べちゃったんですね、自分の会社。

P:でも、美味しくなかった(笑)。たしかに、デスク制度の導入が失敗したのは痛かったというか。

R:そういったの事実関係は良く分からないけれど、オーマイ周辺の自称プロの質の悪さは異様だと感じていました。

P:私はデスク制度の失敗は、デスクの能力もそうだけど、上がってくる記事もひどくて手の施しようがなかったんじゃないかなぁと思っているのですが(笑)。

R:それはそうかも。「スーパー市民記者」こと三田典玄記者や「マックで注文しないけど無線LAN使わせろ」こと一柳恵子記者とか。

Y:素人相手に記事書かせて質が低いってのは、そりゃそうだろと思うんですが、自称プロでもダメではね…。

P:個人的には、小田光康氏の功罪ってすごく大きいと思っていて。オーマイでも、元木氏が編集長代理に就任する際に、市民記者養成の責任者になっているわけじゃないですか。で、潰れた時に他人事で佐々木氏の批判している。

R:PJニュースで、サンダーバードの暴行事件の「レイプされたほうが悪い」という趣旨のみたいな記事をスルーして掲載していたりしてましたね。

P:彼の存在が、市民参加メディアを既存メディアの劣化版にした元凶とさえ思えるんですよね。オーマイでどう市民記者を「養成」したのか、どういう仕事したのかまったく分からない。一体いくら報酬もらっていたんだ、と(笑)。

R:そうやって「養成」されてきたのが三田記者であり、一柳記者だと。

Y:やっぱり会社を食べちゃったんですかね…。

P:例えば、『パブリック・ジャーナリスト宣言。』(朝日新書)という本を小田氏は出しているんだけど、それの書評をオーマイに載せていたりしている。オーマイニュース市民記者トレーニングセンター長という役職がいつ就任していつ解かれたのか、全然明確じゃないし。本当に、食い物にしているわけですよ、金も人も。

Y:そのセンター長になった時もPJの編集長だったわけですよね?

P:はい、兼任ですね。

Y:競争相手の企業の親玉を自分ちの主戦力の養成に招聘するなんて普通の企業ならあり得ませんわね。

R:おっしゃる通り(笑)。

■市民ジャーナリズムに可能性はあるのか

Y:ほんとはね、属人的なところに落としたくないという気持ちはあるんですよ。

P:と、いいますと?

Y:それなりに真面目に市民ジャーナリズムの可能性みたいなことが見えたらな、と思ってオーマイニュースも見てたんですけど、属人的レベルで終わっちゃったなと。

P:うーん。例えば、はてぶなら、ブックマーク数に担保されたシステムになっているわけですよね。でも、数字には出ない良記事を救い上げるアーキテクチャーの必要性というものはあって、そこに「編集」が介在する余地があったはずなんですよね。

Y:編集側に人を得ないとダメなシステムなのに人を得なかった。人を得たうえで、やっと市民ジャーナリズムが成立するか、みたいなのを見たかったんだけど、その手前で終わっちゃった感じです。

P:個人的には、そこは世代論に落とし込みたくなってしまいますね、どうしても。

Y:例えば、佐々木さんや藤代さんのような方が主導権を取っていたとしたならどうだったかなというのはあります。

P:彼らは最初から「市民参加メディアなんか成功するはずない」って言ってましたからね。それでも関わっていたわけですが(笑)。

Y:ダメだって分かってるけどいっちょ噛みはする。経歴の傷になるほどは手を出さないといった感じですか。

P:まぁ、彼らもフリーなので、批判する気は全然ありませんけどね。

Y:商売は商売。

P:個人的な思いとしては、既存メディアに対するアンチテーゼみたいなものが存在する必要性はあるけど、それがこれかよ、と。

Y:でもオーマイニュースに限っていうと、古いマスコミの論調そのままで、全然アンチテーゼにもなってないのが泣けた。マスコミに対するアンチテーゼみたいな意識ってゼロだったんじゃないですか。2chに代表されるネットに対するアンチテーゼは言ってましたけど。だけどろくにネットを見ないからネットの中でも一番アレな部分のことは知らなくてひょいひょい載せちゃう。

R:そうだったんですよね(笑)。

■最後に一言!

P:最後に一言ずつ。これが面白かったとかこれだけは言っておきたいとかありますか?

Y:僕はさっきの属人的ってところですね、特に言っておきたかったのは。ビジネスとしての市民参加メディアの可能性が見えなかったということが残念です。

R:オーマイニュースはある意味ネタ観察の宝庫だった側面もあって、真面目な人たちには大変悪いけど、ギャグサイトとして随分笑わせてもらいました。ただ、その失敗を反面教師としてはメルマガクリルタイに少しだけ生かしているのかな、と思ってます。あと、現在、オーマイニュースは完全に閉鎖されて過去ログも見られないですが、それをいいことにオーマイを「なかったこと」にしている人たちはちょっと勘弁してほしいですね。Parsleyさんからは?

P:小田光康氏は必ず潰す!

R:中二病マンガの主人公か!(笑)

P:次に何かしでかした時はネットで仕事出来ないように追い込んでやると、結構本気で思っています。

Y:その時は応援しますよ。ブログぶくまする(笑)。

P:お願いいたします(笑)。本日は長々とありがとうございました。

(了)
(yetanother、Parsley、republic1963)

彼らは何を残したのか?~市民参加メディアを総括する(2)

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(「週刊メルマガクリルタイ」Vol.39(2010/04/21配信分) の原稿を再掲)

■あまりに他サイトを参照しない「市民メディア」

Parsley(以下P):市民参加メディアって基本的にどこも理念ありきで、システムとかアーキテクチャとかビジネスモデルが後回しにされているんですよね。

yetanother(以下Y):システム的にはすごく古い。オーマイニュースの一番最初のシステムのコメントに顔アイコンつけるというのがある意味で新しかったですけど(笑)。

P:07年の3月にリニューアルしたシステムは、SNS的なものを取り入れたりしていましたけれどね。

Y:オーマイニュースのシステムで不思議だったのは、韓国版やインターナショナル版で使っていたシステムを持ってこなかったことです。SNS的機能なんかは韓国版は既に持っていたのに、随分退化したものを日本版に投入しましたので。

P:発足前に田中康文市民記者組織本部長(当時)にお話しを聞いた時は、コメント欄が荒れることをひどく警戒していましたね。2ちゃんねるをかなり意識していました。

Y:準備ブログの時の炎上を鳥越さんもあっちこっちで問題にしていましたが、たかだか数百のコメント数でなんであんなに騒ぐんだろうと。

P:泉さんの例もそうだけど、当時「炎上」って見た目より大きく報じられていたじゃないですか。新聞記者のブログが次々に閉鎖に追い込まれたりして。

Y:泉さんみたいに個人運営のところは数百なら十分辛いだろうと思うんですよ。でも会社組織でやってるところが数百でびびってるのは小さすぎる。毎日新聞とかTBSとか電話や投書の数が桁違いだろうに、なんでこんなに耐性無いんだろう、と。

P:実は、ガ島通信さんがオーマイ上層部に「コメント欄はほっとけ、それがイヤなら閉鎖しろ」ってアドバイスした結果、オピニオン会員をなくしたんですよ。

republic1963(以下R):いきなり凄い話が(笑)。

Y:正しい意見だ(笑)。

P:特に平野さんが、記事に対してネガティブな反応が可視化されるのがイヤだったらしいんですよね。

R:平野さんは「ノイズを減らすというか、ゼロにしたい」って言ってましたものね。

Y:ノイズを減らしたいならもっと真面目に編集したらよかったのに。

R:そう。オーマイニュースって本当に記事を編集しなかったですよね。「はてなダイアリーにでも書いてろ」っていう記事が多すぎた。

Y:泉あいさんのGripの企画書を見てブログにも書いたのですが、Diggのようなシステムなら編集がなくてもなんとかなるでしょうけど、大手新聞社のサイトと体裁が同じものはちゃんと編集しないとだめだと思いました。だけど、やらなかった。

P:デスクの能力が、ネットメディアと合ってなかったということなんだと思います。西野浩史氏などが典型例ですが。

R:西野浩史氏といえば「偏差値70以下はオーマイに来るな」発言で著名な方ですよね?

P:そうそう。ありましたねそんなことも(笑)。

Y:コメント欄への耐性の無さとかはその通りだと思いますけど、記事の編集という意味では「プロなのに何故?」と。

P:でも、既存メディアでも、「なぜ?」という記事って、結構載っているじゃないですか。だから、「そんなものかなぁ」と思っていました。

Y:ああ、なるほど。

P:デスクって、簡単にいえば一面を何にするかって決める仕事なわけですよ。でもネット上では、原則的にどの記事もフラットに扱われるので。そういった、紙とネットの特性の違いを、理解していなかったのだと思いますね。これはオーマイに限らず、同じ構造がJANJANでも起きていたことですが。

R:それ以前に、「何を載せるか」っていう意味でも編集してないような気がしてますました。一番象徴的なのは、安住るり記者が『ザ・シンプソンズ MOVIE』の映画を見に行った記事。要約すると、『ザ・シンプソンズ MOVIE』が映画版で声優が変わったけど別に何も感じなかったという内容だったんですね。何か取材してるわけでもなく、安住るり記者の単なる映画見た感想。まさに「はてなダイアリーにでも書いてろ」っていう記事でした。

P:あれは、映画の事を編集部内の方々がよく知らなかったからスルーして掲載しちゃったんだろうなぁて思っていました。

R:でも、ネット見てれば反対運動があることぐらいわかるわけじゃないですか? 私もシンプソンズファンですが、あの記事には本当に腹が立ちました。

Y:音羽さんの件といい、知らないのはしょうがないけど調べないのは何故だ、と。

P:いや、私がした編集部インタビューを読めば分かるけれど皆さんほんとうにネットみていなかったから(笑)。

Y:佐々木さんも書いていましたな。「自分の名前くらいググるんじゃないか」と思って記事のタイトルにしたって…。その頃は「普通の人は自分の名前ググったりしない」と思ったんですけどね。

■おてて繋いで、市民ジャーナリズム

P:オーマイのゴタゴタがあった頃、JANJANやツカサネットのことはご存知でしたか?

Y:存在自体知りませんでした。

P:私もそうで、オーマイ、JANJAN、PJと複数の市民参加メディアに重なって投稿する記者の人がいることに気付いてはじめて意識するようになりました。最初にその現象に気付いたのは、矢山禎昭さんという人が、JANJANにもツカサにもオーマイにも自分のブログにもまったく同じ写真記事載せていたことなんですよね。

Y:もはや不祥事ですね(笑)。露出機会を増やすことが目的なんだから、書く方はメディアを選ばないんでしょうけど。それでメディアの方が全部同じ傾向になってしまっているという。

P:内部の人間が誰も問題しないのが不思議で。

R:もう笑っちゃうほど、他のサイトを見ていないということですよね。

P:それで、JANJANの記者を見ると、安住るり記者みたいな人ばっかりなんで、なんじゃこりゃ、と。市民団体の宣伝の場みたいだなという印象が強くあります。

Y:結局、ある程度自分の中に強いテーマが有る人じゃないと、わざわざ記事なんて書かないんですよね。

P:僕が疑問だったのは、なぜブログじゃないのか、ということだったんですよね。で、いろいろウォッチしはじめた次第です。

Y:でもブログに書くのと、ああいう媒体に記事を書くのって違いますから。

P:おっしゃる通りで、個人の責任で書くのと、媒体の名前の上に書くのは全然違う。republicさんも記事になさっていたように記憶しているのですけど。

R:オーマイの件を取り上げる時に必ずその話題は出してるような気がします。

P:それで、記者の人達を見ると、ブログもやっていて、皆40~50代のひとが多かったのですよ。

R:安住記者は「オーマイで掲載されなかったらJANJANに掲載する」って脅しみたいな事言っていたらしいですね。

Y:その脅しはオーマイニュースに掲載されてたんですか?

P:コメント欄だったと記憶しています。

Y:なんと寛容なメディアだろう! 同じカテゴリのサイトなんだから競争相手のはずなのにそういう意識は見られなかったですね。仲良くフォーラムを開いちゃったり。

P:でも、お互いのコンテンツには無関心、という。

Y:ここまで言うのはどうかと思うんですけど、「初期投資の資金を食いつぶす簡単なお仕事です」としか。

(続く)
(yetanother、Parsley、republic1963)

彼らは何を残したのか?~市民参加メディアを総括する(1)

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(「週刊メルマガクリルタイ」Vol.38(2010/04/21配信分) の原稿を再掲)

■ことのは騒動からオーマイニュースへ

Parsley(以下P): 本日は、JANJANが3月末をもって更新を停止して、市民参加型メディアがPJニュースを残して滅んだということで(笑)記念の対談をしたいということで、オーマイニュースをウォッチしていたyetanotherさんをゲストにお迎えしました。

yetanother(以下Y):よろしくお願いします。

P:早速ですが、市民メディア、特にオーマイニュースだと思いますが、注目したきっかけを教えて頂けますか?

Y:私は「ことのは騒動」の延長線上で知りました。泉あいさんと松永英明さんの件がなかったら、オーマイニュースに気付かなかったかもしれません。

P:泉あいさんが、2005年にGripBlogというブログを立ち上げて、ジャーナリスト活動をはじめて、ちょうどそれが衆院選と重なってかなり注目されていた。その後、民主党へのブロガー懇談会を企画なさっていたのですが、懇親会の参加者の一人の松永英明さんのオウム幹部疑惑があり、泉あいさんによるインタビューが炎上するという流れがあったのは、2006年の3月~4月にかけてでした。

republic1963(以下R):佐々木俊尚氏の『フラット革命』(2007年 講談社)にもそのあたり触れられていたので、概略だけは知っています。

P:2005年にブログが話題になって、泉さんが「市民メディアを作ろう」と動いて、それに松永さんがアドバイスしていたという経緯があったのでした。

Y:僕は準備ブログ時代が一番熱心な読者でした(笑)。

P:中台達也記者が書いた靖国神社の記事とか?

Y:そうですね。そんなに右傾化うんぬんっていう記事ではなくて、いい点景を拾っていただけなのに編集委員の佐々木さんが左傾化のフレームアップして叩いた、という…。たぶん市民記者を叩きたかっただろうけど身内をスケープゴートにした構図ですよね。

P:確か、弁護するエントリーをお書きになっていましたよね。

Y:あとで中台さん本人が読んでくれて、コメントいただきました。嬉しかったな。

P:中台記者は、北海道新聞を辞めて、オーマイに入った人なんですよね。

Y:でも彼も早いうちに辞めちゃいましたね。彼がオーマイニュースに入ったのは鳥越さんに憧れたからだったから本当に罪が重い。

P:それは初めて知りました。

Y:北海道警の裏金事件を鳥越さんがスクープで追っていて、彼は当時北海道新聞だったから。あの頃は鳥越さんもジャーナリストだったんだけど、今じゃすっかりタレントに…。

P:鳥越さん時代はいろいろ悶着を起こしていて…。

Y:半分以上は鳥越さんが悶着を起こしていた(笑)

R:「2ちゃんはごみため」という件で、IT戦士(岡田有花記者)と悶着起こしていましたからねぇ…。

P:当時、佐々木さんの他に『ガ島通信』の藤代裕之さんがコンサルみたいな感じでオーマイに入っていたのだけど、見かねた藤代さんが動いて「ブロガー×オーマイニュース」というイベントを早稲田大学で開催したんですよね。

Y:ことのは騒動の時にも絡んでいた佐々木さんやガ島さんがオーマイニュースにも関係してきた時に思ったんですが、なんで登場人物が同じなのかと。結局、ものすごく少ない人数の「身内」だけでまわしていたような印象があります。

P:当時、上智大学の橋場義之教授を座長としたデジタルジャーナリズム研究会というのがあって、僕も末席に加えて頂いていたのですが、簡単に言えば「泉さんを助けようの会」だったんです。で、その中心人物が、佐々木さんや、ガ島さんで、その研究会にオーマイやJANJANの方も出席していたんですね。

Y:オーマイでは、その佐々木さん系の人たちと平野日出木さんや元木昌彦さん系の人たちと2系統あったのかなって思ったんですけど。どうなんでしょう?

P:佐々木さんは、オ・ヨンホ代表に乞われて編集委員になっているんです。人事権はほぼオ代表だったというふうに聞いています。それで、新聞社上がりの平野さんと、佐々木さんがぶつかったわけですよ。ちなみに、元木さんも、オ代表のご指名です。

Y:ああ、オさんはさすがに真剣だったんでしょうね。韓国のオーマイニュースも久しぶりに見ましたけど、ぱっと見は特に変わらずでしたね。Alexaで見たら見事に右肩下がりだったけど。

P:全盛期の20分の1くらいなんじゃないですか。

Y:たぶんそのくらい。3期連続赤字とかだし、いつまでもつやらですね…。

■オーマイ正式オープン⇒即見限り!

R:ちょっと整理すると、オーマイニュースは準備ブログの際に靖国の記事で炎上したのですよね。その後、オープン当初に「インターネット上ではびこる浅はかなナショナリズム」という記事が田中孝太郎名義で掲載され、それが2ちゃんねらーの釣り記事でしたよ、という事件がありました。そういったう流れを見ると、当初オーマイニュースに注目していた人たちはってどちらかというと右寄りな人が多かったいう感じなんでしょうか? オーマイニュースを「反日メディア」として批判をしていた、というような。

Y:うーん。左が記事を書いて、右が叩くって感じですか。市民記者の方に市民運動に参加してる人がいたりもしていました。必ずしも市民運動=左じゃないのですけど。

P:もともと、「韓国発の市民メディア」というレッテルがあるところ、準備ブログの段階で靖国の記事などが掲載されたりして、「やっぱり」みたいな。

Y:韓国由来というほうが大きかったんでしょうね。

P:あの靖国の記事で、一気にネット右翼が食いついた。

Y:それで、正式オープンした日の釣り記事がとどめみたいに。

R:さらにダメ押しで「ブロガー×オーマイニュース」でのItmadia岡田有花記者との「2chはゴミ溜め」発言の言った、言わないの揉め事があってという流れですね。


Y:僕は、マスコミの記事を無断当用して「転電」していたことで、見限ったんでした。しょっぱなにそれだったので、これはだめだ、と。

R:はやっ(笑)。

P:yetanotherさんの他にも、毎日新聞の磯野彰彦さんやfinalventさんがエントリーにしていました。

Y:早稲田のイベントで磯野さんが質問して、逃げられたんですよね。

P:あのイベントで、火消しになるどころか、問題点が沢山あぶりだされる結果になったところも、ウォッチャー的には面白かったですね(笑)。

■「老人」が代表の市民メディア

P:republicさんがオーマイの記事をウォッチし始めたきっかけは?

R:10月に掲載された、pasosaviさんがお書きになった『「アルファブロガー」は成立しているか』という記事を偶然みかけてからです。松永さんが「ブログの効用」みたいな内容のを語っていたインタビューが載っていたんですね。当時、「ことのは騒動」がまだくすぶっている時期で、私は「ことのは騒動」については何かコメントできるほど情報を集めたわけではないんですが、単純に「なんでこんな火中の栗を拾いに行くんだろう」と疑問に思ったのがきっかけです。で、案の定、炎上してるわけじゃないですか。

Y:あのインタビュー記事はいろいろな意味で「周回遅れ」感がありましたね。

R:で、ITmediaの鳥越編集長VS IT戦士の記事とかいろいろ調べて記事を見てみると、それどころじゃない、大変レベルの高いサイトだとわかった(笑)。

Y:準備ブログの時点で鳥越さんが2chに喧嘩を売って、ITMediaと揉めて、JanJanと揉めて炎上マーケティングとしては優秀だったのかもしれませんね。

R:トニオこと音羽理史氏の記事を月刊市民記者賞にしたのも鳥越さんでしたね。鳥越さんはトニオさんを絶賛していて、はてな村民としては大爆笑でした。はてな的にはこれ以上ない撒き餌でしたね。

Y:鳥越さんがトニオさんを絶賛した時に「この人何も知らないんだろうなあ」って思っていました。

P:その後佐々木さんがC-NETのブログで平野さんを批判。そして音羽氏の反論という流れでした。

R:ありましたね。そして「死ね」事件。トニオさんが彼を批判した人達に「死ね」とコメントしてまわったという。

Y:すごい事件名だ(笑)。

P:まぁ、音羽氏的には佐々木さん批判の一環で書いた記事だったと思うんですけれど。僕が編集部に突撃取材をすることで、republicさんやyetanotherさんと繋がったのはありますね。それまでもお互い記事を読んだりぶくまをしたりしていたと思うのですが。

R:そうでしたね。「死ね」事件がなければparsleyさんとやり取りすることもなかった。そういう意味ではわれわれも変な縁ですね。

P:で、僕がインタビューした直前にJ-castニュースが鳥越さんにインタビューした記事が掲載されて、平野さんが元旦に上げた記事があって、軽いお祭り状態だったと。さらに、鳥越編集長退任騒動というのがあって、JANJANの増田記者が退職に追い込まれ、『フライデー』にまで取り上げられるということがあったのですけれど、その頃はどうご覧になっていました?

Y:あれは一応プロ同士の喧嘩だったので、もう市民ジャーナリズムとかの話じゃないと思って。

P:なるほど、たしかに。

Y:ただ鳥越さん逃げたいんだなあというのはすごく伝わってきましたね。

P:オーマイが閉鎖した時に、初期の騒動はぜんぶ鳥越氏が原因みたいなことを元社員の人がいっていたというPJニュースの記事がありましたが、それは違うんじゃないかと思います。

Y:まあ表に出てた部分はたしかに鳥越さんばっかりだったし、編集長だから責任あるのでしょうけれど、サイトとしてはそういう問題以外も山積み。

R:本人たち人の意図とは真逆の意味で客寄せパンダとしての役割は果たしていたと思うけど。

Y:鳥越さんの対談とかPV稼げていたのかな?

P:アーキテクチャとしての問題もあるんですけれど、それ以前に鳥越さんなんて月に1、2回しか出社してなかったんですよ。

Y:そういえばこの前調べたのですが、鳥越さんとJanJanの竹内さんとベリタの現編集長大野和興さんは3人とも1940年生まれ。今年で70歳。ベリタの初代編集長の永井浩氏も、1964年に大学出ているから似たようなものです。

P:面白い符号ですね。

Y:こんな老人が主導権を握っているITベンチャーのセクションって他には考えられないです。

(続く)
(yetanother、Parsley、republic1963)

予言の書『Gファイル』

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巨人が、今、注目を集めている。

先日、清武英利球団代表兼ゼネラルマネージャーが「コンプライアンス違反」を訴えて上司である渡邉恒雄、株式会社読売新聞グループ本社代表取締役会長・主筆、株式会社読売巨人軍代表取締役会長(通称ナベツネ)に対して反旗を翻したという事件は話題沸騰、日本シリーズの話題も霞むほどである(※1)。
「コーチ陣を勝手に決められた」という清武は大王製紙やオリンパスの例を引きながら以下の通り主張する。


巨人のヘッドコ-チは岡崎郁の留任が内定しており、10月20日に渡邉に報告し了承を得たが、11月4日には渡邉は記者会見で「俺は何も聞いていない」と発言、11月9日には岡崎を降格し、新たに球団OBである野球解説者の江川卓をヘッドコーチとすると聞かされた。これは不当な「鶴の一声」で、渡邉による巨人軍、プロ野球を私物化するような行為は許すことは出来ない。


ちなみに、この際に自分と桃井恒和、株式会社読売巨人軍のオーナー兼代表取締役社長は降格を言い渡されたと言う。一方で渡邉は以下の通り反論している。


大王製紙やオリンパスに関する事件は刑事的なものであり、巨人軍の人事問題とは全く次元が異なる。桃井オーナーの退任は、読売新聞グループ本社社長の白石興二郎が新オーナーとなるためであり、桃井は引き続き球団代表取締役にとどまる。コーチ人事の報告をクライマックスシリーズ前に受けたのは事実だが、敗退によって見直しが必要になったのは当然である。清武のGM就任は、「態度が尊大」等の悪評や、選手補強の失敗もあり適任ではなかった。江川の招聘は原監督の提案であるが、「思いつき」の段階で具体的なものではなく、江川とは接触していない。しかし清武が会見で公表した事によって実現困難となった。清武の行為は会社法で定める取締役の忠実義務に反する。ただし、本人の反省次第では直ちに処分は要求しない。


この内紛をめぐって、企業におけるコンプライアンスや老害云々など、様々な問題が取りざたされているが、これは本当にそういう問題なのだろうか。
我々は、ここで一つの予言の書を開く時がやってきた。『Gファイル―長嶋茂雄と黒衣の参謀』(2006年 文藝春秋)である。

Gファイル―長嶋茂雄と黒衣の参謀Gファイル―長嶋茂雄と黒衣の参謀
著者:武田 頼政
販売元:文藝春秋
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1993年からの長嶋茂雄監督(第二期)には、マスコミはおろかチーム内ですら限られた人間しか知らなかった、一人の参謀がいた。その男・河田弘道はアメリカでスポーツビジネスを学び、西部・堤義明の側近として活躍。その後、長嶋と行動を共にすると「GCIA」なる情報機関を創設し、真の長嶋政権を実現しようとした。彼が記した5,000ページにも及ぶ一大ファイル。読売ジャイアンツという巨大組織の一大改革に挑んだ4年間の記録が「Gファイル」である。

「秋山幸二巨人入りをめぐる根本睦夫との暗闘」や「崩壊した長嶋家」など、野球ファンであればご飯何杯でもいける話題が盛りだくさんな「Gファイル」だが、ここでは「清原獲得」をめぐる「Gファイル」を開いてみよう。
『Gファイル』の記述によると、1996年シーズンオフにおける清原和博(当時西武)獲得に関してはそもそも読売本社、つまりは渡邉主導で話が始まったのだという。そこで当時の球団代表補佐であった鯉渕昇は、
「清原が獲得できた場合は落合(博満)は解雇、獲得できなかった場合は落合を1年残すが、松中信彦(新日鐵君津(※当時。現福岡ソフトバンクホークス))を絶対に確保する」
という方針を渡邉に伝えたのだという(※2)。さらに、

上記の球団総意を社長(渡邉恒雄氏)に伝え、了解を得た。鯉渕氏の感じでは、社長は以前ほど清原に対して熱狂的でない感じを受けたが、詰めが必要なので、さらに追い打ちをかけて次の項目を納得していただいた。

1、社長の方で確約をしていただいた、中村氏(清原のエージェントと言われた中村芳夫氏の事)のラインは、全くナシのつぶてで作動していませんし、信用できません(社長曰く、「そうだな!」)
2、現在、球団としても清原への確かなコンタクトがあるというわけではありません。今後どのように行うかを考えなければなりません。
3、本人は、現在大変不安がっていると思います。
4、西武側も我々の同行を探っているので、十分注意してかからなければなりません。

ここで社長から、「落合はまだ使えるんだろう?」という発言がでましたので、鯉渕氏は、「来季は無理との判断で編成を考えているんです。社長も監督も大変難しい判断であられると思いますが、今この決断を下さなければ、何時までたっても新しいジャイアンツの構築が難しくなりますので、我々も覚悟して報告致しております。清原が来て、落合が居るという事は、どれ程チームをまとめる事が難しいか、そして内外の批判の的になる事も確かですよ。」
以上ご説明した結果、了承を得た。これだけ説明してあるので、もしも清原獲りを失敗しても、社長がむくれる事はありません。との説明を代表補佐から戴きました。

『Gファイル―長嶋茂雄と黒衣の参謀』より引用



その上で最終的に球団の決定事項として「落合解雇」を伝えにきた深谷尚徳球団代表(当時)に対して渡邉は、


たぶんその答えを持ってくると思っていた。わかった、氏家も了解しているのでそうしなさい。別の方法で手当てしてやればいい。

『Gファイル―長嶋茂雄と黒衣の参謀』より引用



と了承したのだという。
だが。一度は解雇するとした落合だが、渡邉と鯉渕の連携不足が原因(※3)となる、様々な不手際が重なった結果、「残留」→「やっぱり解雇」→「渡邉と落合の和解を演じた後自由契約」と巨人の立場は二転三転、世論のバッシングを受けた結果、実際には渡邉の事前認可を受けていながらそうした混乱は全て「フロントの独断専行が原因」とされてしまったのだ。

この記述、今回の内紛劇に似ていないだろうか?

「Gファイル」の記述によると、巨人という組織は14年前から最高権力者の事前認可が容易に覆るような風土の組織であることは明らかである。それをコンプライアンス不在だという理屈は、ある意味では正しい。だが、それは単なる建前なのではないだろうか。「そういう風土」の企業に勤めている以上、清武もコンプライアンス不在の中でこれまでずっと仕事をしてきたはずなのだ。
簡単に言えば、ナベツネの「球団私物化」は今に始まった話ではないのに、清武が今回に限って、「球団私物化」を問題視するのは、一体なぜなのだろうか。
すなわち、今回の騒動は結局のところ巨人軍内部で「何か」が起こっているという事なのではないだろうか。それはコンプライアンスとか企業統治といった高度で一般的な話ではなく、もっと泥臭い、巨人軍(ないし読売グループ)という組織に巣食う特有の事情なのではないだろうか。14年前には、読売グループ・巨人・OB・長嶋家を巻き込んだ「巨人」と「長嶋茂雄」をめぐる主導権争い、『Gファイル』の言葉を借りれば、「ポリティカル・ゲーム」の結果、河田は球団を去る事になった。ということであれば我々がこの騒動に注目する理由、それは単なるやじうま根性以外の何物でもない。
それが「何」なのかを知る事は今はまだ我々には許されない。もちろん、『Gファイル』の著者である武田頼政の記述はその信ぴょう性に大きな疑問(※4)があることは言うまでもない。だが、今回のような事態が起こるたびに、我々は思うのだ、「やはり、「Gファイル」の中身は事実だったのではないか」と。いつの日かその「何か」が明かされる時も来るだろう。「Gファイル」はその「怪しさ」も含めて予言の書であり、過去を我々に告げる書でもあるのだ。


※1 ちなみに、わざわざ日本シリーズの前日にこうした内紛劇を大々的に行う事については江本孟紀もTVで批判していた
※2 守備位置が同じ落合と清原が共存する事は極めて難しい。また、『Gファイル―長嶋茂雄と黒衣の参謀』によると清原もFA移籍の条件として出場機会が確保される(つまり、落合が放出される)事を挙げていたようだ
※3 『Gファイル』によると、この遠因は「長嶋茂雄が選挙応援をしなかった」事にあるという
※4 著者・武田頼政といえば大相撲の八百長疑惑についての記事だが、日本相撲協会に起こされた裁判ではことごとく敗訴している。また、『Gファイル』内の記述も原辰徳巨人監督についての描写など、今から振り返ると首をかしげたくなるような記述が散見される。
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