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2012年06月

はてなから非モテが消えた理由

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一部「はてなダイアリー」界隈でこんな記事が話題になっています。要は「昔はみんな若かったねー」式の話ですが、それどころでは済まない内容も一部あるので、今回はあえてここで「はてなの非モテ」について考えてみたいと思います。
さて、私が「はてなの非モテ」が消えたと考える理由は以下の3つです。

おしながき
1:要は、勇気がないんでしょ?
2:「モテ/非モテ」の地盤沈下
3:「非モテを語るふりして別の何かを語る」スタイルの陳腐化
4:それでも意外としぶとい非モテたち


では、順にいってみましょう。

1:要は、勇気がないんでしょ?

「だせぇ」

2:「モテ/非モテ」の地盤沈下

はてなブックマークのコメントなどで「理由」として語られている事の多くがこれに当てはまります。つまり、昔ほど我々は「モテ/非モテ」に一喜一憂しなくなったという事です。
そもそも、非モテとは、

・(自己認識として)モテず
・かつそれをアイデンティティとしている

人の事を指します。つまり、単純にモテないだけでは非モテとは言えず、「モテなさ」を自分のアイデンティティにしてしまう人の事を非モテと呼ぶわけです(このあたりの詳細についてはこちらを参照ください)。こうした非モテ的なありようは実は伊集院光の時代から続く伝統的な童貞芸の一つでしたが、こうした構図は強力な他者としてセカイのどこかに「モテ」がいる、という事を前提としています。つまり、セカイのどこかにいる勝者に対する敗者としての我々。逆にいえば「敗者である」という事を強く意識しなくてもよい社会というのは勝者もそれほど強くない、つまり「モテ」圧力と当時我々が呼んでいたものが弱まったのではないかと推測されます。それが「非モテ」達の活躍によるものかどうかはわかりませんが。

3:「非モテを語るふりして別の何かを語る」スタイルの無効化

ここまでは「非モテ」的な自意識の問題ですが、実は、はてなにおいて非モテというタームが人気を博したのはもう少し別の理由があります。それは、はてなにおいて「非モテを語るふりして別の何かを語る」スタイルが非常に有効だったためです。実は、当時はてなで展開されていた「非モテ論」は非モテそれ自身について語るというよりも、非モテを絡めて貧困問題や雇用問題、オタクの恋愛、脱オタ(服装やコミュニケーションスキルを改善する事)といったものを語りがちでした。ところが、そうした非モテの語られ方は「誰もが俺理論で言いたい事を語る」という事とイコールです。非モテ界隈を称して「議論が無限ループしている」とはよく言われる事ですが、それもそのはず、みな「非モテに付随した自分の話したい事」を話していたわけですから。議論の内容自体はどうでもよくて当たり前です。
これは、いわゆる非モテ批判者(非モテに対して非難してくる人)についてもあてはまります。彼らにとっては「非モテを説教する」事自体が目的なわけですから、議論の内容自体はどうだっていい。「噴き上がっている非モテ」「酸っぱいブドウ状態の非モテ」を定期的に捕捉できる、はてなという場が重要だったのです。
ただ、こうしたファイトスタイルには問題点があります。それは、「飽きる」というものです。
「自分が言いたいこと」というのにはどだい、限度があります。毎回毎回「非モテのミソジニー(女性蔑視)のせいだ」とか「恋愛資本主義のせいだ」といっていても、ぶっちゃけ毎回代わり映えがしないですし、書いてる方も読んでる方も飽きます。これが、「アニメ」や「ゲーム」といったジャンルであれば、中身(コンテンツ)を変えることでジャンル自体に飽きる事はなかなかないかもしれないですが、「非モテ」のような中身とジャンルが極めて近いものにとっては、毎回同じ事を言う事が苦痛になってきます。しかも、先に述べた通り、議論は無限ループするわけですから。そんな事をやるぐらいなら「ペルソナ4でもやってたほうがいいや」となるのは自然の摂理でしょう。

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4:それでも意外としぶとい非モテたち

それでも、私はなんだかんだといって「非モテ」は生き残っていくように思えます。その証拠の一つは今回のような「非モテって消えたよね」というネタが注目を集める事です。そもそも、我々が「非モテ同人誌」として『奇刊クリルタイ』を作った時(2005年ごろ)から「非モテってもうそろそろ終わりでしょ」って言ってたわけですから。ずいぶんしぶとくネット上に残っています。

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「お嬢マンって消えたよね」とか「草食系男子って消えたよね」と言ってもこう注目を集めることはなかったでしょう。「非モテが消えた」ということがトピックになる事自体がまだまだ非モテ、という言葉がなんだかんだいって健在(かもしくは同窓会的な需要がある)であることの証明であるように思います。
思えば、2000年代は恋愛用語の時代でした。様々な恋愛用語や「男子像」「女子像」が発明され、その度に「非モテブックマーカー」にボロクソ言われる事がネット上での日常茶飯事になりました。先程の話とは矛盾しますが、なんだかんだといって我々は恋愛について(否定を含めて)話すのが好きなのです。「恋愛」がネット上の簡単にアクセスを集められるこづかい稼ぎツールとして活躍する以上、それを否定する「非モテ(もしくはその言いかえ)」がなくなる事はおそらくないのではないのでしょうか。「本当に」非モテがネットから消える日、それはインターネットがなくなる日なのかもしれません。

(republic1963)

非モテのための婚活必勝法14「お前に払う生活費はねぇ!」-republic1963

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(「週刊メルマガクリルタイ」Vol.115(2012/05 配信分)の原稿を再掲)

「お前に食わせるタンメンはねぇ!」、「そうは酢豚の天津丼だ!!」のニ大(?)ネタでお馴染みの次長課長、河本準一が今、世の中を騒がせている。彼の母親の生活保護の件について、改めてここで経緯を説明する必要はないだろうが、今回は趣向を変えて、「河本問題」と婚活、その問題点について考えてみたい。
今回の件で明らかになったのは、例え子供がどれだけ大金持ちであろうと有名だろうと「扶養できない」といいはりさえすれば、一度支給された生活保護を打ち切られる事はない、という事実である。息子が有名人でどれだけ稼いでいようが福祉事務所は河本の母親に「お前に払う生活保護費はねぇ!」とは言えない(のか言わないのかはしらないが)のである。本稿では、そうした制度の是非についてこれ以上論じることはしない。ただ、今回の一件で明らかになったのは、親族の稼ぎを捕捉するなどして給付が適正かどうか調べる気も能力も、福祉事務所にはない、という事になので(※1)、「僕たちにはその気がない(ついでに人手も、能力もない)わけだから、どうか嘘をついて生活保護費をちょろまかさないでね!」と厚生労働省はお願いするしかない、というのが現状なのだろう。

ではなぜ、河本準一がこうしてメディアで取り上げられているのだろうか。それは道徳観であり、価値観の問題である。

つまり、今回問題になっているのは「子供は大きくなったら親を世話するもの」という価値観である。親を養う、ということは単純に言って生活費が倍になる事である。それができる生活の余裕なり、環境を整備するというのは非常に大変である事は論を待たないだろう。それでもなお、子供が親を扶養する事が当然だと思う人間は河本の事を許すことはできないだろうし、そう思わない人間にとっては、何を問題にしているのか全くわからない。

こうした価値観の背景には、「自分が親を世話し、自分は子供に世話してもらう事が続いていく」という家族の再生産への素朴な信頼がある。
親→自分→子供→子孫、と自分の血縁が続いていくこと、そしてそれに伴って多少なりとも自分たちの生活水準が上がっていくことに期待する事、それが家族の再生産だが、こうした家族の再生産に対して多少なりともポジティブな印象を持っていることは結婚する上でもかなり重要な条件である。
結婚において重要となるのがなのが(特に男の)収入である事は最近とみに言われている事である。だが、それ以前に家族を作りたい(作ってもいいかな)と思わなければいくら収入があったとしても、個人同士の繋がりである恋愛関係を組み替えて結婚という形式に移行しようという気はなくなるだろう。ましてや子供をつくろうなんて夢のまた夢である。つまり、簡単にいえば子供のことが嫌いなのに子供を作りたいなんて言う人はごく少数だろう(ましてや子供から何のリターンも期待できないならなおさらである)。

こうした家族の再生産への素朴な信頼は個人が「結婚」を社会的から要請される大きな理由の一つである。社会にとっては各個人がネコ耳メイドが好きだろうが、黒髪以外は女として認めなかろうが、そんなこと飛影はいわなかろうがそんなことはどうでもよく、「結婚によって家族を再生産する」事、要するにとっとと結婚して子供を産んでくれ、ということなのだ。
未婚の人が増えているという事は、恐らく「家族の再生産」に対する期待値が下がってきているという事になるだろう。婚活界隈で良く聞かれる「妥協してこの人と結婚するぐらいなら一生独身でいい」という発想もつまりは一人でいる事の方が家族を再生産することよりも期待値が高くなっているという事なのではないか。だが、家族の再生産に期待するというのは実質我々が目にできる唯一の「家」つまり、自分が生まれ育った家庭であり、親に依存しているのではないか。つまり、親がそれなりに尊敬できる存在でなければ、積極的に家族を再生産することに期待する事は難しいだろう。だが、この変化の激しい時代に、そうした尊敬できる親を演じきれる可能性はこれまでに比べて少なくなっているように思われる。

もう一つ、より大きな問題はそうした「家族の再生産」を是とする価値観が隅々まで浸透した社会、というのは果たして住みよい社会なのだろうか。という問題がある。
この問いに対してYESと答えられる人は多分、幸せだ。暴力とまではいかないが、様々な理由によって、にわかには親を世話したくない感情にとらわれる人も世の中にはいる。そういう人にまで親の世話を強要する社会というのは実は、結構嫌な社会なのではないだろうか。
それにそもそも、我々(というかその前の世代から)こうした家や家族が大嫌いだからこそ、これからは核家族で個人の時代だ、とこれまで散々やってきたはずだったのではないだろうか。つまり、我々が家族の再生産を否定する(これには、最低限だれもが一人で生活していけるだろうという考え方がベースにある)のは戦後社会の成果の一つだったはずだ。それをいきなり否定して再生産しろ、というのは勝手だが、そう簡単に上手くいくものだのだろうか。
恐らく、政府や世間で活躍する「婚活ライター」によって、我々は非婚化が物凄い大問題であるかのように錯覚している。皆がこぞって結婚したがる社会というのは、実は大して住みよい社会ではないという事になりはしないだろうか。我々はそうまでして結婚する必要が本当にあるのだろうか。

※1 河本の会見によると、福祉事務所とやり取りをして支給額を減らしてはいたらしい。

(republic1963)
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