(「週刊メルマガクリルタイ」Vol.31(2010/03/03 配信分) の原稿を再掲)

博士に進むと死ぬしか無いよ!? なんていうのか言わないのか、いわゆる大学院問題が社会問題と化しているらしい。世界が百人の博士だったら、という創作童話の状況は日を追うごとに悪化して、博士に進ませないことが学生に対する優しさだ、とすら言われるようになってひさしいとかなんとか。そんな状況下におけるマスコミその他の言説は博士号取得者の悲鳴を拾い上げつつ微妙に笑いものにもする「博士いじり」の様相を呈しており、虚実おりまぜた創作博士残酷物語は理系と文系の弁別も薄く、ひたすらみんなかわいそうと動物園の動物扱いとほとんど変わらない。
かくいう筆者も、実は国文学関係の大学院博士後期課程に進むことが決定しており、周囲からはいつ首を吊るのか楽しみにされているらしい。しかし、僕が専攻する「国文学」は、就職に関しては微妙なジャンルで、、多くは国語の先生、他に塾の講師、家庭教師、より専門的には美術館、文学館の学芸員から、研究機関、各種文庫の研究員など、優秀な人であればきちんとした専門職についてもいて、キャリアパスが全くないわけではない(仕事はキツイことが多いし例のごとく年収は低めのようだけれど)。
大学院の様相を、すべてひっくるめて面白おかしく大学院残念の文脈で語られるのは別に心地よくも悪くもないが、一部真実も混じるが故に、強くも言えないのでこっちについては今回黙っておきたい。それに、そもそも就職難やキャリアパスの不在を苦に嘆くような博士は僕の知る限りあんまりいない。内心は不安であっても、心のどこかで身を用なきものとする程の覚悟がなければ、そもそも博士にすらなれない事だってあるのだ。

今回は大学院生の恋愛について、悲喜こもごもの物語を僕の偏見と主観を通じて、つらつら書かせていただくことにしよう。なぜなら、文系大学院の悲劇は、恋愛市場における確実な惨敗において発生するからだ。
そう、文系大学院残酷物語の本当のステージは、就職難でも社会・身分保障でも金銭苦でもなく(というより、それは三十代から四十代にかけて顕在化してくることが多い)恋愛市場なのである。
ここでいう文系大学院とは「文学・文化研究を主とする大学院」に限定される。「研究を主とする」というのがポイントで、デザイナーやクリエイターのような「創作を主とする」領域とは異なる。この区分ではクリエイティブな活動を行う人は含まれない。「え、デザイナーなんですか? カッコイイー」とか言われたり、ある段階で「ブレイク」したりする大学院生はほとんど存在しない。ここ重要。文献を扱う人文研究は、基本的に個人単位の業績である。ここも重要。そしてもう一つ重要なのが博士後期課程に進む男女比は多少男性が多いものの女性も相当するいることだ。大学院残酷物語は、男女等しく訪れる。
普通の非モテ議論では「そもそも出会いが無い」「しまった、なぜか挙動と服装が不審だ」「だめだ、モテない」といった、いわゆる「縁が無い系」の悲惨さが語られる。しかし、文系大学院で味わう恋愛悲劇はまったく異なる種類の悲惨さである。

はっきりいって、文系大学院での出会いは少なくない。女子も男子も、修士にも博士にもけっこう多いし、中には相当な美女もいれば、気立てのよいお姉さんも、運がよければロリボイスのかわいい系も、大きなメガネをした秀才タイプもたくさんいる。しかし残念。そんな院生女子たちの多くは君を見てはいない。もっと安定した大人な男か、でなければ研究対象を見ているのである。そういうことをしているので、六割程度は婚期に乗り遅れるのだが、「大学院生の女子はクリスマスケーキではなくて鏡餅だ。なんとか三一日までは食べられる。」と言われているので安心。うまいこと博士号取得者同士で結婚をして夫婦で大学や高校の教員を務める人たちもいるのだし。
ちなみに、かつては、結婚を気に博士課程を中退して就職し、しばらくしてから教授職を狙うという人も相当いたらしい。今ではそもそも大学で教鞭をとるために博士号がいるというケースがスタンダードになりつつあるのでこれは文系大学院では成立しにくくなっていくかもしれない。ただ、博士号自体は取得しやすくなっているので、同じ状況になっていくかもしれない。ここらへんは今後どう転ぶかわからない。
 
しかし、本当は大学院でも「恋愛ぐらい普通にできる」のだ。どうだ驚いたか。相手だってたくさんいるのだ! とくに学部生にはモテモテである。学科によっては学部の後輩(大体三年生から四年生)ができるに違いない。学部の後輩たちは、勉強会やその他で面白い話と勉強になる意見をたくさん言える大学院生という存在に少しだけ心を奪われるかもしれない。超超うまくいけば、付き合えるかもしれない。
しかし、残念。彼女たちが社会に出て行くと同時に君らへの憧憬はすべて消え失せ、社会にでた後輩たちは会社の先輩である三〇代の働き盛りに魅力を感じ始めるようになるだろう。これを食い止めるには、大学生の娘(少年)を大学院に引きずり込むしかない。しかし、大学院に来た後輩は、君がいかに無能な院生であるかをただちに悟るに違いない。
では、学部時代の同僚はどうだろう。運良く同窓会などで彼女たち(彼ら)に巡り合えたとしても、その時に、君は恐らく恋愛という選択肢を選ばない。なぜならば、君は大学院生という自らの身分の軽さが後ろめたいからだ。
 
同年代の異性は概ね働いており、交わされるのは会社と「上司」と「取引先」の愚痴である。ここでまず院生は軽く首を吊りたくなり、研究室の「先輩」や「教授」といった社会的関係が学生時代から変わっていないことに無駄な後ろめたさを感じることになるのだ。社会人たちの会話はなんだか大人びており、うかつに自分の専門について話せば、学部時代よりさらに専門性が高くなって誰もわからない話に熱弁を振るいかける失態、そんな失態を犯さないことが社会人の当然義務であるかのような目線。飲み会が終わればかつて麻雀を共に打っていた有仁たちが平然と五千円をだすことに驚愕する。バイトや奨学金で稼いだ金も多くは無駄に高い研究書やコピー費や資料集に消える身としては、五千円という金額は喉がカラカラになるほどの大金だ、ということを伝えたら負けかな? と思ってしまう。震える腕で札束を取り出したとき、優しい友達はこういってくれるに違いない。

「いいよ、学生は二千で」

恥ずかしさと嬉しさできゅうんとか鳴いてしまう。
そして、帰り道にすっかりOLらしさを身につけた女の子(あるいは男の子)が、君を流し目でみながら、ちょっと疲れた表情を浮かべてこう言うのだ。

「○○君、何も変わってなくて、よかった。うん、なんか安心した」

この置き去り感。この感じは翌朝になっても消えることはない。発話の意図を考えて夜も眠れない。おそるおそる電話をかけてみる。一言目の「もしもし」に応答したのは男の声で、慌てて携帯の電源をオフにして、ああやっぱり、「安心した」なんて言える人には安心させられる人がそばにいるんだなと、納得する。これを体験するのは大体修士一年の六月。早い人は五月で経験するわけだが、この時の劣等感たるや神レベルである。未だ見ぬ就職についての憧れと学部時代の伸びやかさが懐かしく、五月病にかかる。これがいわゆる大学院五月病。ここから連日の発表発表調査調査実験実験、優秀な人であれば学会に駆り出されペーパーを書き、学術上の、あるいは人間関係のストレスや軽い躁鬱に陥る院生は少なくない。しかしそれを泣き言にはできない。「社会ではもっと厳しい事が起こっているのだ」と思い込むようになっていくからだ。もし、何かの幸運で告白されたとしても、それを静かに頷いて了承することが君にはできない。飲み会で五〇〇〇円も払えない男に恋人を作る資格はないのだ。院生男子の強度草食化現象とでもいうべきか。
しかし安心してほしい、それも修士を修了する直前には全てどうでもよくなっているはずだ。おお、貧乏がなんだ。年金を払う金もねえぜ! と、自己肯定ができたところで、重い腰をあげるわけだが、そこから三次元立体の恋人を探そうとしても無理である。大学院博士後期課程に進んだ君のキャリアパスは、気が遠くなるほど広い高原と、その先にある栄光なのか絶望なのかわからない謎の未来である。院生の未来に賭けてくれるやさしい女性はほとんどいない。(いたとしても、すでにそのときは君を置き去りするほどの業績を上げている男の所にいる)。
謎の未来に怯えてしまうことで、大学院生たちは恋愛市場から自らそっと風のように消えていくのである。
 
いや、暗い話はやめだ。希望の話をしよう。
君があらゆる困難に直面し、挫折の果てに恋愛市場からの完全撤退を選んだとしても、実はそのときこそ一番輝いているときなのかもしれない。
修士、博士課程の院生は、学部生や社会人の趣味とは比べ物にならないほどの研究上のメリットがある。文献研究であれば、世界中の古書貴重書、各機関へのコネや学会を通じての交流、あるいは時にそれらの調査や、管理を任されるかもしれない。
文字通りの「宝物」を目の前にして、それらへの愛情を向ける君の姿は、信じられないかもしれないが、びっくりするほどかっこいいのだ。机のしがみついてカビの生えかけた本を大切にめくり続け、弱い光のもとで読書をすることによる、近眼乱視、猫背やヘルニア、慢性の腱鞘炎を患い、運動不足とストレスで太るかもしれない。けれども、おそらくモテの条件はそんなところにはないのだ。そんな姿に惚れる人だって、なんだかんだで少なくはないのだから。絶望を背にする男ほど輝いている者はいない。
ある大学の、ものすごく優秀で美人な院生がいた。彼女を狙って、数十人の「はかせ」が群がっていたが、彼女が結婚相手に選んだのはうだつのあがらない、少し暗めの目立たない同僚の男だったという。どうしてそんな男を! とみなが愕然とし、相手に選ばれた人も目をしょぼしょぼさせながらその理由を問いただした。彼女はこういっただけだという。

「ただ誰よりも、勉強をしている姿がかっこよかったの」

(安倉儀たたた)