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ミニコミ『奇刊クリルタイ』の公式ページ。お知らせやメルマガ「週刊メルマガクリルタイ」の過去記事を掲載していきます。

Masao

Masaoのおっさん人生 ~ 生まれてから30年以上たったって、私たちは努力と一緒に生きていくんだ-Masao

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(「週刊メルマガクリルタイ」Vol.027(2010/02/03配信分)の原稿を再掲)

【2010年○月△日の話】
「俺は仕事やる気ないし、でもやらないと生きていけないから金を得る手段として仕方なくやってるだけだし、プログラマやってるのはプログラムを組むこと自体は趣味として好きだからまだ比較的面白く仕事できるからだし、出世すると管理とか部下の世話とか面倒で向いて無さそうなことやらされるから出世欲とかないし、むしろ出世したくないし、承認欲求は心の底からどうでも良い仕事や会社を通してではなく、趣味や身内の仲間を通して得たいので、仕事より趣味を優先させたいと考えています」

…という話を彼女(交際8年目。いい加減結婚を考えるお年頃)にしたところ、「将来が不安になった」とおっしゃり不機嫌になってしまった。

女性にとって「男に就職する」ような面があり、経済面も重要視される行為なので、まぁ当然そうなるよなぁ。要するに、彼女にとって俺のこの発言は、就職予定の会社の社長が「うちはやりたいことだけやりたいので、社員の生活や経営のことに興味ありません。この中に宇宙人、未来人、異世界人(ry」とか挨拶しだしたようなもんで。

人間は「立場」を生きる生き物なので、身内といえどもあまり不安がらせるようなこと言うのはいかんな、と反省。でもまぁ、この「大人の男であり旦那候補である」という立場、結構たいへんです。

【新しいことを始めるのが難しくなってくる話】
「新しいことを始めるのに年齢は関係ない」とは言いますが、実際問題おっさんになってから新しいこと始めるのは、いろいろ厳しいです。好奇心や体力、自由な時間の減退はもちろんですが、人間関係的な側面でもいろいろ厳しくなってきます。

これは要するに、「俺がそのコミュニティで『長老』、かつ『新参者』扱いされることに耐えられるか問題」なのですが、これは結構難しい問題です。特に、「クリルタイ」読者の関心が高そうなオタク/サブカル系カルチャーは、10~20代の若者の比率が高い。たとえ30代以上の人間が居ても、それはその道十数年の歴戦の強者で、その界隈でしっかりしたポジションを持った立場になっている人だったりする。

若者文化では、「社会人になった」「結婚した」等の節目節目で、多くの人が趣味に時間や労力を割くことが難しくなり「卒業」していくからなのですが、そんな中、自分より10歳離れた若者とスムーズなコミュニケーションがとれるか?というと、「趣味」という共通のプラットフォームがあったとしても、結構大変なんじゃないかと思います。若い方も、おっさんのほうも、お互い。片方が気にしなくても、もう片方がどうしても気を遣ってしまう、とか。

僕は最近オタク系クラブカルチャーにハマっていますけど、まぁそこも↑みたいな感じなので、たまに「自分がこんなトコに居ていいんだろうか…」と、ふとよぎってしまうことはありますね。女装コスして「まつりか」を名乗ったりしても、年齢の壁によりキモ…(ゲフン、ゲフン)

まぁ、自分は20代の頃にネットで知り合った仲間が居るので、そこまで歳を意識しなくて済んでるんですが、ホントに知り合いも居ない場所で完全に新しいこと始めるとか、もう無理ですよね(おっさんの草野球チームとかならいけるかも)。いま20代とかの若い人は、いま居るコミュニティを大切にし
て欲しいもんだと思います。

【ネガティブなことしか言わない友人の話】
会社の友人に、口を開くとネガティブなことしか言わない人が居ます。それも「結婚しても嫁に搾取されるだけ。人生の墓場」「休日は寝てるだけ」とか、2chのネガティブ系板のテンプレみたいなことばっかり言う人が。
でもその人、周囲から浮いてるとか嫌われてるとか、そんな様子は全然ない。まぁそれなりに上手くやっている、という感じ。

ネットでは、ネガティブなことを書くとしばしば格好の炎上の材料になりますが、リアル社会ではネガティブなことは必ずしもマイナスではないようです。逆に、いっつもポジティブ全開!みたいな人のほうが「ウザい」として敬遠されがちなような。

まぁなんていうんですかね。長年生きてると誰だってネガティブなことをたくさん経験してくるし、ポジティブ一辺倒な人よりも、ネガティブさも併せ持っている人のほうが「嘘臭くない」「信頼できる」「安心できる」と、親しみを持ちやすいのかも知れません。

(Masao)

Masaoのおっさん人生 家族の特異性と、他人と孤独-Masao

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(「週刊メルマガクリルタイ 」Vol.9(2009/09/07配信分)の原稿を再掲)

前回僕は、結婚が、孤独で虚しい人生や仕事に価値を与える「モチベーション製造機」として機能する、という話を書きました。今回の記事では、結婚と、それによって得られる「家族」について、もう少し掘り下げてみようと思います。

【『家族』は結婚でしか得られない】

結婚により得られ、また結婚でしか得られないもの……それは「家族」です。
前回も書きましたが、「家族」が「他人」と一番違うのは、「運命共同体」であり、「自分の行動が最もダイレクトに反映される他者」であるという点です。
特に、家族の生活の糧を稼ぐ立場にある「大黒柱」(現行の社会では多くの場合夫)の浮き沈みは、そのまま家族の浮き沈みに直結します。このため「大黒柱」には、重い責任が被せられる反面、他では得られない「意味」と「価値」が人生に与えられるのです。
(ちなみに結婚制度のこの性質は、「『責任』を鎖に搾取を目論むブラック企業」や、「『意味』『価値』の側面を見て『男性は社会で自己実現できるのに女はできないのは差別的だ!』と考える女性」等ともリンクしています)

【『共通体験を持つ他者』としての家族】

また、家族が持つこの性質は、歳を重ねれば誰にでも必然的に訪れる、「孤独」対策としても有益です。おっさんになると分かりますが、人生で他人と同じ体験を共有できる部分は、歳を重ねる毎に少なくなっていきます。
産まれた場所、生い立ち、学校、職歴も、趣味嗜好、価値観…同じ年代に産まれた人間でも、人生を重ねれば重ねるほどに、それぞれの歩んできた道は独自性を増し、お互いの価値観や体験を共有することが難しくなっていきます。社会人ともなれば、それぞれに自分の人生があります。友人のために裂ける時間も極わずか。小中学校の頃のように、同じ地域で育ち、同じ学校で、同じ年代の集団の中で濃密な一体感を感じられるような機会は、最早あり得ないと言ってもいいでしょう。人間は、歳を
重ねる毎に、必然的に孤独になっていくのです。
そんな中、唯一家族だけは、何10年と月日を共にする相手となり得る可能性を秘めた存在です。何10年も前の家族旅行の想い出を共有し、死を迎えるまで共に過ごす。そんな存在は「家族」以外にはあり得ません。大人の孤独に耐えかね、ふと弱音を吐いたとき、そうした存在が居ることは、大きな支えになることでしょう(自己心理学でいうところの、『双子自己対象』って奴ですかね)。
もちろん家族とはいえどこまでいっても他人は他人。他人と付き合うことには、喜びもある反面、必ず煩わしさがつきまといます(ヤマアラシのジレンマです)。給料を押さえているのをいいことに、独裁者のように振舞うブラック企業のような「大黒柱」や、行き過ぎた一体感から、子供を自らの延長のように扱う「毒親」も居るでしょう。
これは、「同じ時間と体験を長く共有する」という特徴をもつ「家族」がもつ、光と影だと思います。「同じ時間と体験」が良い方に傾けば家族は素晴らしいものでしょうが、悪いほうに傾いた場合、家族は地獄になるのでしょう。

【普通におっさんになりました】

……と、今回は満31歳のおっさんであるMasaoがいま考える「家族」について書いてみました。僕自身、数年前までは家族について考えたことって殆ど無かったんですけどね……歳食ったせいか、なぜだか孤独が身に染みるようになるんですよ。
で、いろいろ考えていった結果、最終的に孤独や虚無感に一番効くのは、家族なんじゃないかな、と。家族も「他者」ではあるんだけど、「他人」とはかなり違う性質をもっていて、それは他では代価の効かない貴重なモノなんじゃないかな、と。
この辺の心境の変化はたぶん、もう付き合って8年になる、今の彼女との体験が大きいです。ここ数年、いろいろあって自分が弱ったとき一番支えになったのは、10年近く前の想い出を共有し、すぐに連絡を取れる場所に居る彼女の存在だったので。
僕自身、自分の家族が好きなわけじゃないし、むしろうざったいと感じることが多く、そんなに家族というものに夢見てるつもりはないんですが、こうした経験を通し、それでも家族というものはいろんな意味で人生の支えになる存在なんじゃないかな、とは思えるようになったのです。まぁ、月並みに、人並みに。

Masao

Masaoのおっさん人生 - 社畜が結婚したくなるとき

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(「週刊メルマガクリルタイ」Vol.4(2009/08/03配信分)の原稿を再掲)

みなさん、今日も元気に社畜してますか?僕も社畜です。

日々社畜をしていると、自分の人生に虚しさを覚えることが普通にありますよね。「あぁ、俺はこんな大してやりたくもない、どうでもいいような仕事に、一生のほとんどの時間を費やして死んでいくのだろうか?」って。
こういうとき、社畜は自らが生きる意味に疑問を抱き、「私が死んでも代わりはいるもの」とつぶやき、ふと、駅のホームから線路に身を投げてみたくもなるものですよね!
そんな気分のとき、社畜の頭をもたげてくるのが結婚願望です。

社畜にとって仕事とは、生きるために仕方なくこなす、人生のノイズです。しかし、そのノイズに人生の殆どの時間を費やしているという事実は、いかにその心をとっくの昔に会社に殺された社畜といえど、ときに耐え難いものです。

「どうせ生きるために仕事をしなくてはならないのであれば、仕事をもっと価値あるモノにしたい」

その願いが、社畜に結婚願望として現れるのです。
考えてもみてください。仕事によって得られるものは、「給料」という生きるための糧です。その糧が、独身の社畜が独り自分の為だけに使われるのであれば、その糧は「1人の人間の人生ぶん」の価値しか持たないということになります。
社畜は、自らの人生を価値あるものだとは微塵も思っていませんから、その糧の価値は、社畜の主観的にはさらに低いものとなるでしょう。
しかしこの糧が、嫁や子供といった「家族」を養うためにも使われるとしたら?
その糧には、「家族の人数分の人生」の価値が、2人分、3人分と加算されることになるのです! 仕事の内容や自分の能力は、何も変わっていないにも関わらず!
そう考えていくと「結婚」とは、無味感想で無価値な「仕事」や「人生」にやりがいを与える、非常によくできた「モチベーション製造機」であることに気付かされます。
ひとりの人間が世界に対して行使できる影響力など、所詮たかが知れています。どんなに世間を騒がせているように見える有名人やイベントや作品でも、実際に騒いでいるのは「一部の人」だけ。
しかし、配偶者や家族は違います。自分が失業すれば家族は困窮するし、自分が出世すれば家族も潤う。自分の人生の波が、良くも悪くも家族にモロに被さっていくわけです。
若い頃の僕には、それは無駄に責任を背負い込む、無駄な重荷だとしか思えませんでした。しかし歳を重ね、感性が鈍り、人生のあらゆる出来事に、昔のような感動を感じなくなってきたとき。

自分独りだけの人生には、自分の人生を費やすだけの価値は無いのではないかと、そう思う夜もたまにはあるようになってきたのです。本当に、ときたまに。
…もっとも、ここに書いたような結婚願望の正体は、「自らの退屈な人生を充実させたい」というエゴのために他者を利用しようとしているだけであり、そんな動機で結婚することが、果たして良いことなのか悪いことなのか、幸せに繋がるのか繋がらないのか、いまの僕にはこの辺り、よくわからない部分なのです。

Masao

働きたくないでござる!

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(「週刊メルマガクリルタイ」Vol.1(2009/07/13配信分)の原稿を再掲)


「好きなことを仕事にすれば、毎日楽しくてうちの親父みたいに毎日『会社行きたくねー』とか言いながら疲れた顔して満員電車に載せられる『死んだ眼をしたつまらない大人』になんか
ならなくて済む」
そう思っていた時期が、私にもありました(嘲笑)。

で、実際「プログラミング」や「ゲーム製作」という「好きなことを仕事に」してみて気付いたことは、「あぁ、俺はそもそも『仕事』が嫌いなんだな」という身も蓋も無い事実。

いやね、プログラミング自体は、好きなんですよ。仕事でプログラム組んでても、要求をプログラム上でどう実現するか考えてる時とか、ちゃんと思ったとおりにプログラムが動いたときとか「楽しい」と思うときはあるし。

でもね、「仕事」は嫌い。

結局仕事って、自分が思った通りにできるわけじゃなくて「組織やらマーケットの意向に沿った内容に沿って」「命令されて」「スケジュール守って」やるわけじゃないですか。もうね、この時点でね。「あー」と。

結局自分は、「自分が思った通りに」「自分のペースで」「自分で作る」ことが好きなんですよ。それができなければ、例え「好きなこと」をやっていても、面白くない。満足できない。社会に出て、10年近く仕事やってみてわかったことは、そういうこと。

だから、全て自分の裁量で、思いのままに作れる同人は好き。命令なんかされなくても、ガンガン自発的に作っちゃう。もうホント、自分の好きなことだけやって暮らしたいっすよ、マジで。

でも、そんな「仕事」あり得ないじゃないっすか。一見、かなりソレに近そうな気がする作家みたいな職業だって、結局マーケットや出版社の意向に沿って、締め切り守って描かされるわけで、むしろサラリーマンなんかよりその辺キツイかも知れない。そういうのが徹底的に嫌いな僕なんか、あーやりたくねーって速攻なることは、眼に見えているわけで。

つまり俺は、「仕事」全般が嫌い。「仕事」を続ける限り、俺に幸せはやってこない。でも「仕事」をしないと「金」が得られないわけで。「金」が無いと、現代社会では死ぬわけで。すなわち俺たちは、「金」を人質にとられた仕事の奴隷なわけで。

昔考えていた「好きなことを仕事にすれば毎日楽しい!」なんてことも幻想だと気付いたいま、「仕事」をやる以上は転職とかしても人生たいして変わらんことは眼に見えてるから、「新天地」を希望にして生きることも無理だし。

そのうえ俺はもう31のおっさんで、もう転職の自由とかにも制限かかるお年頃。いま、会社をクビにでもなったらもう人生相当オワタなので、それは避けたい。つまり、嫌だろうがなんだろうが、仕事は続けるしかない。

あー、生きるの辛い!
夢も希望もない!
働きたくないでござる!
マジで!!

でも俺はもう餓鬼じゃない。こんなことを考えながら「死んだ眼をしたつまらない大人」になったとしても、毎日口を開けば愚痴しか出てこないとしても、はてなで若者に会うたびに説教するようになったとしても(実話)、それでも俺は生きていきたいと思ってるし、そうして今後の人生は続くんだろうなー。
これが世に聞く「親父化」ってヤツなんだろうなーと、そんなことを思うのです。

(Masao)

「上京専門学校」としてのクリエイター系専門学校

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(「週刊メルマガクリルタイ」Vol.39(2010/04/28 配信分) の原稿を再掲)

■堀井雄二を知らないゲーム専門学生

先日ネットサーフィンしていたところ、ゲーム専門学校(以下『ゲー専』)の新入生に、講師が「堀井雄二を知っている人?」と聴いたところ、一人も手を挙げなかっということが話題になっていました。

※Togetter - まとめ「専門学校ゲーム科新入生が堀井雄二の名 を一人も知らなかった
 

堀井雄二氏といえば、言わずと知れた国民的RPG「ドラゴンクエスト」シリーズの産みの親。現在20代後半以上の「ドラクエ世代」であれば知っていて当たり前。たとえドラクエ全盛期以降の若者でドラクエををプレイしたことがなかったとしても、ゲーム業界を目指して専門学校に入って来るような「ゲームファン」であれば、名前くらい知っていて当然と思いたくもなる、ゲーム業界の大物です。

Twitterやはてなブックマーク等では、

・これから入ろうとする業界の超有名人も知らないなんて、びっくりした。
・ゲーム業界のこと知らなくても、クリエイターとしての能力とは関係無くね?
・世代的にドラクエがそれ程流行っていない時代の若者だし、知らなくてもおかしくない。
・知っていても周りに合わせて手を挙げなかった生徒が居るのかも。

…などと、賛否両論。

確かに「業界を知っていること」と「製作能力があること」はイコールではないし、いま知らなくても入学後に勉強して知れば良いという意見も解ります。若者特有の同調圧力の下、「空気を読んで」あえて手を挙げなかった生徒も、実際いたのではないでしょうか。

しかし、実際のところ…

真の問題は、そんなところにはないのです。この記事についたコメントの多くは、

「ゲーム専門学校をわざわざ選ぶくらいだから、ゲームが好きで、将来はそれを仕事にしたいという人間が集まっているのだろう」

ということを前提にしているように見えます。

しかし、これは前提からして大きく間違えています。ゲー専を進学先として選ぶ生徒のほとんどは、ゲームクリエイターになりたいという強い意欲を持っているわけでもないし、オタク的に消費者として「ゲーム大好き!」なわけでもありません。ましてや卒業後に実際にゲーム業界で働く人間など、5%もいればいいところです。

彼/彼女等の最大の目的は、「なんとかして地方から上京すること」、そして「東京で学生として青春を謳歌すること」にあります。ゲー専は、そのための方便に過ぎません。これが、ゲー専学生マジョリティの本音なのです。

そんな彼/彼女等が、堀井雄二氏の名前を知らなかったとしても何ら不思議ではありませんし、そもそも何の不都合もありません。彼/彼女等は「ゲームクリエイター志望者」ではなく、「上京志望者」なのですから。

なぜ、そんなことが解るのかって?

それは十数年前、僕自身がゲー専に2年間通い、その「実態」を目の当たりにしてきたからです。今日は、そんなゲー専の「実態」を、元生徒である僕の視点から語ってみようと思います。


■別にゲームクリエイターなんて目指していませんが、何か?w

ここまで読んだ読者のみなさんは、「な、なんだってー!」と叫びたくなったかも知れません。

実際、入学したてでウブだった僕も同じように叫び、そして絶望しました。当時の僕は極度のゲーオタで、「ゲームしか取り得がない自分は、ゲーム業界に入るしか生き延びる術は無い!」とまで思い悩み、決死の覚悟でゲー専の門を叩いたという、みなさんが想定する「絵に描いたようなゲーオタのゲーム専門学生」だったので(*1)。

しかし、考えてもみてください。高校生だった頃のあなたは、そこまで将来の職業や自分の適正に結び付けて、自分の進路を決めていたでしょうか? 違うと思います。多くの高校生は、まずは自分の偏差値を基準に行けそうな大学を何校か選び、その中から興味のありそうな分野の学科を「なんとなく」選んでいたハズです。

そして地方の高校生であれば、「できれば東京の大学で華やかな青春を…」という本音を隠し持っていた方も、多かったのではないでしょうか。中にはもっと露骨に、親から「勉強を頑張ったら東京の大学に行かせてやる」と「ニンジン」をぶら下げられ、受験勉強の励みにしていたという方もいるかも知れません。

メディアを通じ、東京の華やかな若者文化は、地方にも喧伝されまくっています。しかし、地方の若者は指をくわえてこの祭りを遠巻きに眺めることしかできません。実際に触れることができないからこそどこまでも膨らむ、東京への幻想…。

進学は、地方の若者がこの憧れを現実のモノにする、唯一無二のチャンスです。彼/彼女等が若い好奇心をもてあまし、勉強するためではなく東京で遊ぶために上京したいと願ったとして、誰が咎められましょう?

ゲー専を進路に選ぶ学生も、同じです。ただ、彼/彼女等は勉強が得意ではなかったので大学へ行けず、結果として試験の無い専門学校を選んだ。それだけのことです。

これは、ゲー専の専売特許ではありません。音楽、ファッション、アニメ、声優、etc…これら若者が憧れを抱きがちな「クリエイター系」専門学校は、どこもこうした「上京志望者」溢れかえっています。

「大学行けるほど頭よくない!でも上京はしたい!!」

こうした学生は、これらクリエイター系の専門学校の中から、それまで自分が親しんできた文化に一番近そうな学校を「なんとなく」選んで上京していきます。そこには、クリエイターになろうという強い決意などハナからありません。

それどころか彼/彼女等は、就職のことすらどうでも良いと思っているフシが見受けられます。彼/彼女等の多くは、卒業年度になっても就活など行いません。遊び続けます。2年間なり3年間なり、学生として東京で青春を謳歌できればそれで良いのです。その後のことなど知りません。

実際、中部地方に住む僕の親戚は、「高校でギターを少しいじくっていたから」という理由だけで、上京目的で音楽系の専門学校を選び上京。2年間遊びまくった後、半年ほどのフリーター生活を経たところで親から地元への強制帰還を命じられ帰郷。親のコネで、地元の土木関連会社に就職していきました。これと全く同じような事例を、僕はゲー専で数多く目撃しています。

「ただなんとなく、何の役にも立たない勉強をしている大学生の俺たちと違って、やりたいことがハッキリしていて将来に繋がる勉強をしている専門学生が羨ましい」

専門学校にこのような幻想を抱いている現役大学生を、ときどき見かけます。しかし、大学生のこうしたボヤキを見かける度に、実際に専門学生だった僕は思うのです。「専門学生も同じだよ。ただ、彼/彼女等は、頭が悪くて大学に行けなかっただけなんだよ」と。

「大学生と異なり、専門学生は専門的で社会の役に立つ『実学』を勉強をしている」などという考えは、専門学校の実態を知らない人間の幻想です。

専門学生も大学生も、モラトリアムの延長として「なんとなく」入学し、「なんとなく」卒業していくという点は同じです。しかし、専門学生が大学生とは決定的に異なる点が1つだけあります。それは、「専門学校を出ても、社会から認められる学歴にはならない」という、身も蓋も無い事実です。

卒業歴が何の役にも立たず、学校では遊び呆けて技能のひとつも身につけずに卒業していく専門学生がその後どうなってしまうのか?それは、推して知るべきでしょう(*2)。

(*1) 当時の僕のごらんの有様については下記URLを参照。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.nextftp.com/140014daiquiri/html_side/hpfiles/otaken/case02_1.htm

(*2) もっとハッキリ言えば、卒業生の進路は概ね「ニート/フリーター/地方の実家に帰る」の3択です。

■上京希望学生と専門学校の共犯関係

さて、こうした「上京志望者」が学生の多くを占めていることは、専門学校側も気付いています。

しかし、専門学校がこのことを咎めることは、一切ありません。入学して金さえ払っていただければ、やる気のある生徒も無い生徒も、学校にとっては平等に「金ヅル」に過ぎません。完全営利団体である私設専門学校にとって重要なのは「入学していただくこと」であり、その理由ではないのです。

それどころか専門学校は、上客である「上京志望者様」に入学していただくために、あの手この手で手の込んだアピールを行っています。

たとえば、校舎の設立場所。僕が通っていたゲー専は恵比寿にありましたが、実は恵比寿はいくつものクリエイター系専門学校が乱立する「専門学校激戦区」なのです(特に○○○○グループ)。

なぜ、恵比寿にはクリエイター系専門学校が多いのか?

それは、立地にあります。恵比寿は、JR山手線渋谷駅の隣、東急東横線代官山駅から歩いて10分程度の場所。日本が誇る若者ファッションの聖地、原宿までも2駅という、若者が憧れる「オサレシティ」です。

東京に憧れる地方の若者が上京を考えたとき、こうした条件を揃えた「恵比寿にある学校」は、とても魅力的に映ることでしょう。学校帰りにふらっと代官山へ立ち寄り、服を見たりカフェで食事をしたりする。あるいは渋谷のクラブへ遊びに行く。嗚呼、憧れのファッショナブルな都市生活が、いまここに!

実際、僕が通っていた学校にもこうした「リア充」的な学生生活を送っていた生徒はいて、最新のファッションに身を包んだオシャレな雰囲気のグループが、学年には一定数存在していました(*3)。

ここから見えてくるものは、「上京志望者」と「専門学校」の共犯関係です。専門学校は、学生に上京の「建前」を提供する。そして学生は、その「建前」を盾に親の金を使って上京。東京で「夢のリア充的青春」を謳歌する。被害者は、生徒・学校の双方に騙され、数100万円の大枚を実際に支払う、生徒の親。

クリエイター系専門学校は、表向きは実務を教える教育機関ということになっています。しかしその裏にある真の役割は、「地方の勉強ができない若者が、上京するために親を説得する建前を与える」ことにあります。

大学のレジャーランド化が叫ばれて久しい昨今ですが、クリエイター系専門学校は、レジャーランド化どころの騒ぎではありません。クリエイター系専門学校こそは、地方の若者の真撃な上京の願いを叶え、輝かしい青春を約束する夢の国…ディズニーランドそのものなのです。

(*3) 当時の僕はファッションやらには一切興味がない、ゲーオタだったので、「学校から歩いて10分の場所に代官山がある」なんてことも知らずに卒業したわけですが。…え?Masaoは放課後とか何して遊んでたのかって?90年代終盤のゲーマーが出没する場所といえば、アキバのトライタワーか新宿西口スポーツランドに決まってんだろjkwww

■『上京専門学校』の機能は必要悪だ!?

ここまで、クリエイター専門学校の実態は「上京専門学校」であり、専門学校側もそのことは充分に承知のうえで「上京志望者」と「専門学校」の間で共犯関係が成立している、と書きました。

こう書くと、クリエイター系専門学校は、本当にどうしようもない詐欺集団だと思われるかも知れません。しかし、クリエイター系専門学校の「上京専門学校」としての役割は、実はこれはこれで重要な機能なのではないかと僕は思うのです。

前述したように、地方の若者はメディアによる東京への憧れを煽られまくっています。しかし、大学へも通えない学力の低い若者には、この憧れを昇華するチャンスは一生与えられません。東京への憧れを抱えたまま地方でモンモンと一生を過ごすよりは、若いうちに思い切り東京を経験し、「こんなものか」と現実を知ることも、一つの大切な人生経験ではないでしょうか。

また、クリエイター系専門学生の大半は、これまで書いたようにまったくやる気の無い「上京志望者」ですが、ほんの一握り、やる気に満ち溢れた学生も居ることは居ます。放課後も遅くまで学校に居残り、授業にも熱心で、作品を作る眼差しは輝きに満ち溢れている、まさに「世間が考える理想の専門学生」といった趣の学生が。

そうした学生の多くは、実際「業界」に就職していくのです。最終学歴が専門学校なので、一部上場しているような大手企業に入社することはまず無理ではあるのですが、小さなソフトハウスなど、業界の片隅で希望した職種につくことができた人間は、僕の周りにも何人かいましたし、僕自身、ゲー専から小さなゲーム開発会社に入社しています(*4)。

専門学校が回収した「上京志望者」が運んでくる大量のマネーは、そうした「やる気のある学生」の教育資金に回されているのだ…などと考えるのは、都合が良すぎる考え方でしょうか?

しかし実際、僕が通っていたゲー専では、卒業近くの授業はほとんどが卒業制作のための自習時間に当てられ、講師は「やる気のある生徒」の質問に答えるためだけにそこに居るという、「やる気のある生徒のためだけの」授業形態になっていました。

こうした視点から見ると、クリエイター系専門学校の「生態系」は、「上京志望者」と「やる気のある学生」、相反するふたつのタイプの生徒の「真のニーズ」に共に応え、かつ学校経営も両立させるという、営利団体としては非常に理想的な循環になっているように思われます。

もっともこの理想郷は、上京志望者の「親のスネ」によって支えられています。クリエイター専門学校は、生徒・学校双方の牙にかけられた親のスネから流れ出る赤い鮮血にまみれた、「血塗られた理想郷」なのです。

さらに、この理想郷を出た後、学歴も技能も持たずに社会へと巣立っていく生徒がどうなるのかについて、専門学校は何も関知しません。

しかし、それら全ては生徒の自己責任ということなのでしょう。クリエイター系専門学校に行くという選択をした因果は、最終的には生徒本人に舞い戻ってくるのです。それがどのようなものであれ…。


(*4) もっとも、過重労働、過小賃金のブラック経営が基本のクリエイター系中小企業に「若気の至り」で入社することが、彼/彼女等の人生においてはたして幸せなことなのかもまた、定かではありません。

(Masao)

Masaoのおっさん人生 ~32歳にして『DJごっこ』はじめました~

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(「週刊メルマガクリルタイ」Vol.32(2010/03/09 配信分) の原稿を再掲)

【『DJごっこ』はじめました】

Masaoでございます。1年程前から僕の中でオタ系クラブ活動(*1)ブームが来ていて、暇さえあれば秋葉原の「MOGRA」や川崎の「月明かり夢てらす」などのオタ系イベントに出没していることは既にこのメルマガでも何度も書いていますが、最近クリルタイ周辺メンバーにもブームが飛び火して一緒に遊びに行く機会が増えていて、ありがたいことです。クラブ活動は、やっぱり大勢で遊びに行ったほうが楽しいですからね。嬉しい!

これまでは、客として踊りに行くだけでしたけど、最近は先月のメルマガクリルタイでMOGRAレンタルブースについて書かれたクラブ仲間terasuyさんの影響で、僕もDJの真似事など始めてみたりしています。まだ始めて1ヶ月半程度なんですけどすっかりハマッてしまい、2月、3月と僕もMOGRAブースレンタルイベントに参加。僕の好きなゲームミュージック中心の選曲でプレイして、下手なりに楽しませていただきました。ブースの中でオタ芸打ったら、みんな合わせてくれたりしてw

まぁ、まだ全然下手で、「DJやってます」なんて口が裂けても言えないですけどね。ジョジョ風にいえば「『DJごっこやってます』なら使ってもいいッ!」ていう感じですw

そんな感じでDJごっこが超楽しい今日この頃の僕ですが、実は最初は、始めるのに踏ん切りつかない部分がありました。僕は3年ほど前、一度DJやろうと思ってアナログ(レコード)で機材を揃えたことがあったんですが、速攻で挫折して機材がヤフオク行きになってしまったという苦い過去がありまして、まぁ自分DJ向いてないなーとか思ってたんですよ…

(*1) クラブで遊ぶこと。


【アナログDJで挫折した、苦い想い出】

そもそも僕がアナログレコードで機材を揃えたのは、当時なんとなくあった「CDDJとかPCDJはカッコ悪い。DJはアナログでやってナンボ」的風潮に乗せられて、ということが理由でした。要するに、何も考えずにカッコつけてファッション的にアナログを選んだわけですね。

ところがこの選択、僕がやりたいプレイには致命的に合っていなかった。僕はゲームミュージックが好きなので、そういう楽曲をプレイしたいわけなんですが、そもそもゲームミュージックは、アナログで音源が全く出ていないし、それまでレコードを1枚も持っていなかったので、0から音源を買わなくてはいけなかった。この時点でもう完全に終わっているわけなんですがwまぁ話を続けましょう。

ゲームミュージックこそプレイできないものの、テクノやハウスも好きではあるので、まぁそういう曲でプレイしてみようと練習開始したのですが、ここでまた難関が。そう、「ピッチ合わせ」と「頭出し」です。

アナログDJは、レコードに回転数を調整して左右の曲のテンポを合わせて曲をMixしていく(これが『ピッチ合わせ』と『頭出し』)んですが、これが僕にはできなかった。まぁこの作業、出来る人に言わせると「コツが分かるまでは確かに難しいけど、要は慣れ」らしいんですが、僕は生来の手先の不器用さに加え、「慣れ」に到達するまでのテクノやハウスへの充分な愛も持ち合わせていなかったため、モチベーション不足から挫折。1台5万円くらい出して購入したTechnics社製ターンテーブルx2はほとんど未使用のまま埃を被って部屋の片隅に放置され、数ヶ月後には哀れヤフオクへと売られていったのでした(BGM:『ドナドナ』)。

【PCDJならこんな問題は起こりません!】

さて、ここまで書いた僕のアナログDJ挫折話から、DJ初心者が学ぶべきと思われる教訓は3つあります。

1.「自分が本当に愛しているジャンル/曲」でプレイしろ!
2.「自分が本当に愛しているジャンル/曲」の音源がたくさん出ているメディアがプレイできる機材を選べ!
3.とにかく愛を優先しろ!カッコつけるな!

要するに、「趣味は自分が好きなことをやるのが一番だし、そうでなきゃ続かない」っていう、当たり前の話ですね。DJごっこは強制されるモノではないので、自分が本当に楽しめるジャンルで遊ぶのが一番!

特にアニソンやゲームミュージックといったオタ系楽曲は、少し前まではクラブでかかる音楽として一般的ではなく、プレイできる場所も限られていたのですが、DENPA!!!以降のオタ系クラブイベントブームの影響でイベントも増え、前述の秋葉原「MOGRA」や川崎「月あかり夢てらす」など、オタ系イベントをメインに興行する箱も登場するようになっています。

特にMOGRAでは、先月terasuyさんのレポートにあったレンタルブースイベントを定期的に開催していて、ある種オタ系DJの登竜門的存在になっており、オタ系DJとして活躍したい方にとって、今は良い時期が来ていると言えます。

さらに、たとえ箱でプレイできなくても、最近はUSTREAMやニコニコ生放送といったネットライブを配信する環境が整備されてきており、自宅にいながら全国のお茶の間やオタの間に、自分のプレイを送り込むことが可能に。

これまでDJが人前でプレイするためには、耐え難きを耐え、忍び難きを忍びながら自宅で孤独に練習を重ねつつ、イベント主催者にコネを作ったり自分でイベントを立ち上げたりしてようやくクラブデビューという流れを踏む必要があったのですが、レンタルブースやネット配信により、初心者がすぐにでも他人に自分のプレイを披露することができるようになりました。

実際、僕は機材を買ってからまだ1ヶ月半ほどですが、MOGRAレンタルブースで2回、USTREAMでは10回ほど、自分のプレイを披露しています。内容は、まぁ…素人のやることなので…っていうことで、大目に見て欲しいところですが(苦笑)。

あと、PCDJはアナログDJに比べ、テクニックがたいして要らないということも重要です。僕が挫折した「ピッチ合わせ」と「頭出し」は、PCDJであればソフトに搭載された「オートシンク機能」により、ボタン1つでこの作業を自動的に行ってくれます。

さらにPCDJでは、「CUE」と呼ばれる機能により、次の曲に切り替えるタイミングを自動設定し、DJが何も操作を行わなくても勝手にmixが始まるよう設定すること可能!こうなるともうDJがやることは音量の調整と、次の曲のセット程度。

で、空いた時間に何をやるのかといえば、パフォーマンス。僕もMOGRAのプレイでは、事前に流す曲を完全に固め、CUEを仕込んでおき、余裕ができたぶんオタ芸やエアギターや振りコピに回し、ブース内で踊って遊んでいましたw。こういったプレイが可能になるのも、PCDJの魅力です。

【まとめ】

・PCDJには、たいしてテクニックが要らない!
・PCDJには、たいして金がかからない!
・箱とネット配信環境が整ってきた今が、オタ系DJを始めるチャンス!

いまは、DJを始めるのに今は好条件が揃っている良い時期だと思います。これまで興味はあったけど、最後の一歩がどうも踏み出せなかったという人などは、これを機会にUST配信あたりから始めてみてはいかがでしょうか。自分の大好きな曲をみんなに聴かせて喜んでもらえるっていうのは、それだけで超楽しい体験ですよ!

(MASAO)

Masaoのおっさん人生 - おっさんは、生命の安全が保障されていない

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(「週刊メルマガクリルタイ」Vol.14 (2009/10/12 配信分) の原稿を再掲)

【自意識の悩みから現実的な悩みへ】

最近、おっさんになるにつれて「悩み」の内容が、自意識的なことから現実的なことに変わってきているな、とよく感じます。

これは「いまの仕事クビになったら、俺はもう駄目かもわからんね」という不安が原因です。「おっさんになると再就職が難しい」という単純な事実。これが僕のようなおっさんを、しばしば憂鬱な気持ちに陥れます。

思えば20代の頃、僕は会社に対して非常に高圧的で傲慢で、自信満々のイケイケ状態でした。

労働環境が気に入らなかったら、すぐに次の会社探して転職してやんよ!従業員に見放されるような条件しか提示できない企業の自己責任乙www

そんな風に思っていたことが私にも(AA略

実際20代の頃は、僕のような特別優秀なわけではない高卒の技術者でも、どこかの企業には潜り込める状況があったのです。実際僕は20代で2回転職しているし、最悪の場合フリーターで食い繋ぐという選択肢も、一応あるにはあった。

でも、30代にもなれば、再就職も難しくなってくる。アルバイトの口も減ってくる。

別に僕が今勤める会社が潰れそうだとか、クビになりそうだとか、ブラック企業で今すぐにでも逃げ出したいとかいう事はないのですが(かといって定年まで安泰という保障もない)、「万が一のことがあれば次は無いかも」という状況は、人を萎縮させ、保身に走らせるのに充分なプレッシャーになります。

「日本の労働環境は流動性が低く、再就職が難しいことがブラック企業蔓延の一因になっている」という指摘がありますが、これはまさにその通りで、「いざとなっても次の仕事があるからいつでも辞められる」という状況下でなければ、命の源である給料を握られている労働者が、企業と対等な交渉などできるハズが無いのです。

…といっても、現状が急に変わるわけはないので、当面は現状の中でいかに上手くやっていくかを考えるしか、末端労働者にできることなど無いわけですが。


【おっさんは生命の安全が保証されていない】

アメリカの心理学者アブラハム・マズローは、人間の欲求を5つの段階に分類する仮説を提唱しました。それによれば人間の欲求は下から順に、

1. 生理的欲求
2. 安全の欲求
3. 所属と愛の欲求
4. 承認の欲求
5. 自己実現の欲求

と分けられ、低レベルな欲求が満たされて初めてより高レベルな欲求を抱くようになる、とされています。

これまで書いてきた「再就職できないおっさんが感じる不安」は、「安全の欲求」が充足されていないことから来るものです。一旦クビになったら人生オワタになる可能性と常に隣り合わせの中高年のおっさんは、「生命の安全」が保障されていない。ゆえに欲求レベルは2の段階に留まっている。

思えば10代の頃、僕は親から「生命の安全」を保障されていました。働かなくても食うに困らない、しかし自由は大きく制限されている、そんな時代。

20代は自由を手に入れ、経済力も手に入れ、その上たとえ仕事を失ったとしても、食うに困らない程度の収入は比較的簡単に得ることができる、セーフティネットが完備された幸福な時代。

そんな時代だったからこそ、非モテのような「所属と愛の欲求」や「承認の欲求」のような高次の欲求がメインの悩みになり得たのだろうし、日々生きることに精一杯な、低レベルな次元の欲求でひいひい言っている大人たちが「つまらない」存在に映ったのかもしれません。

10代は10代で、思春期特有の自意識の強さから来る悩みは凄いものがあったし、今のほうがつらいとは全然思わないのですが、「生存すること」それ自体への不安は、今後年齢を重ねていくにつれ、ますます強まっていくのでしょう。

そういう意味で僕の20代は、自意識のバランスとか、社会的責任とか、体力とか、経済力とか、いろんな意味で自由で人生の難易度が低い、気楽で良い時代だったなと、今振り返ってみれば思うのでした。

(まぁ、優秀な人は幾つになっても引く手数多で食いっぱぐれの不安もないのかも知れませんが、世の中は優秀な人ばかりではなく、むしろそうでない人の方が多いわけで)

(Masao)

深夜の池袋で、ホンマもんのオタ芸を見た!

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(「週刊メルマガクリルタイ」Vol.11 (2009/06/11 配信分) の原稿を修正の上再掲)

またまたオタパ(オタパーティー)に行って来たのでレポるよ!

・くらぶ電子万博 No.02 -会場キャパ350に拡大記念スペシャル!!-
http://www.artism.jp/ae_cdb02.html

アニソンメインのオタパ(僕が勝手に『コスプレダンパ文化圏』と呼んでいる界隈)は今回初めてだったけど、思ってたとおりDENPA!!!3Fみたいな感じの雰囲気。

※DENPA!!については、メルマガクリルタイVol.8『DENPA!!!は大変なものを盗んでいきました』を参照。


でも、DENPA!!!よりもオタ芸がマジぱねぇ感じで、歪みなかった。「オタ芸のプロ」と呼んでもいいような、極まった感じの方が何人かいて、あそこまでみんなでキッチリ揃って踊ってるオタ芸は、このイベントで初めて観た。

僕がこれまで観てたオタ芸は、アレに比べたら遊びみたいなもんだったなぁ……

下手なので入ってくのに少し勇気が必要だったけど、見よう見まねで練習して基本的なポイントが解ったので書いてみるよ!

【振りのパターン】

A.左右に身体を捻りつつ、手拍子。[技名]:「OAD」(オーバー・アクション・ドルフィンの略)

B.腕をぐるぐる回しつつ前屈し、右腕を上に伸ばしつつ起き上がる。このとき「よ~~~~~!」と掛け声を入れる。[技名]:「ロザリオ」

C.難易度最高。複雑で長い。腕を身体の回りで振り回しつつ、隊モノみたいなポーズを2回決めたり、応援団のようにパンチを繰り出したりする。1つの振りで8小節の長丁場。複雑すぎて、まだマスターできてない(泣)[技名]:「サンダースネーク」

D.左右に身体を捻りつつ、両手の人指し指を立てて「ツンツン」する。これは、Cのラストの「決めポーズ」からの連携技。「左左右右左右左左」を左右反転させつつ3セット決め、最後に腕を頭上で「パッパッパッ」とクロスさせて締め。8小節。[技名]:「ロマンス」

E.3回手拍子→ジャンプして「おいっ!」[技名]:「PPPH」(パン・パパン・『ヒュー!』の略)

【実際の打ち方】

↑の基本の動きをマスターしたら、曲の展開に合わせて振りを入れていく。メロディーの変わり目で振りを変えていく感じで。

Aメロ:パターンA。メロの最後に「それそれそれそれ!」とかけ声を入れつつ手を振り上げ、Bメロに繋げるとなお良し!

Bメロ:パターンB。パターンEをやる人もいたけど、電子万博ではBが多かった。

サビ前半:パターンC。丁度8小節で終わる。でも、難しすぎてついていけない…

サビ後半:パターンD。Cの最後の決めポーズが、パターンDの前振りになっているので、そのまま繋げる。

アニソンは大体↑のAメロ→Bメロ→サビのパターンなので、↑の動きを基本にして各振りの長さを変えていけば大体対応できるっぽい。特にDJサジは、全部↑のパターンで対応できたwオタ芸に最適化されてるのかな?

【その他チェックポイント】

・ときどき輪になって「はいなっ!はいなっ!」とみんなで叫ぶ、「輪になってかけ声モード」に入ることがある。輪に入ると楽しい(『Mix』という)。

・DENPA!!!ではパターンEをたくさん観たけど、昨日のイベントでほとんどやってる人がおらず、換わりにBが多用されていた。オタにも地域差があるんだろうか。

・有名曲は「唄いどころ」なんかもある程度決まっているらしい。


オタ芸は良い運動になるし、みんなで激しく動くのはメチャクチャ楽しいし気持ち良いし、もう少し練習してマスターしたい。でも、30分くらいぶっ通しで打ってたら、腰が痛くなった……みんなよくあんなに長い間打って平気だよなぁ。僕がもう、おっさんだからか。

初めての人は、最初は入っていくのに勇気が要ると思うけど、振りを軽く真似する程度なら全然難しくないし、最初は上手い人の真似しながら小さく打って、徐々に色々なモノを捨てていくといいと思います。恥じらいとか恥じらいとか恥じらいとかw

特に「サンダースネーク→ロマンス」の連携は、ちゃんと打てるようになると病みつきになるほど気持ちいい!脳内麻薬ドッパドッパ!某有名人も、白いクスリで飛ぶくらいならオタ芸でぶっ飛んでたほうがナンボかマシだったのにと、マジで思いますw

(Masao)
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