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ミニコミ『奇刊クリルタイ』の公式ページ。お知らせやメルマガ「週刊メルマガクリルタイ」の過去記事を掲載していきます。

特別寄稿

ぼくわたしがかんがえたせんしんてきなはたらきかた

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あの、マリッサ・メイヤー(google20番目の社員にして、元同社副社長、現YAHOO!CEO)が「在宅勤務者に出社勤務にするかもしくは退職するよう通達」したとしてニュースになっている。
「はてなブックマーク」などを見てみると社畜がどうしたとか言ってる人がいたが、そういう人はスティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』(阪急コミュニケーションズ)を読んでからコメント書き込めよと言いたい。

グーグル ネット覇者の真実 追われる立場から追う立場へグーグル ネット覇者の真実 追われる立場から追う立場へ [単行本]
著者:スティーブン・レヴィ
出版: 阪急コミュニケーションズ
(2011-12-16)


そもそもgoogleとは極めて「大学」的な組織であり、今回のニュースは単に「(授業にでるかどうかはさておき)大学ぐらい来いよ」という程度の意味しかないと思われる。それはさておき、YAHOO!でこうした決定がなされたのは、その大前提として、在宅勤務という制度自体に意味がない(少なくともコストに見合わない)という事になるのではないだろうか。
そう、我々はいい加減認めるべきなのだ。少し前から「せんしんてきなはたらきかた」だと言われていたもののほとんどは、実は、メリットよりもデメリットの方が大きいのかもしれない、ということに。別に、こんなことはgoogleがどうだとか遠く離れたところにいるエリートさん達の事例を引く必要はない。我々の隣を見てみればこうした事例は枚挙にいとまがないのだ。

例えば、フレックスタイム制が単なる遅刻の言い訳になっていることに。
例えば、ワークライフバランスが単なる既得権の言い換えになっていることに。
例えば、原稿を書くのがwifi完備のカフェでも自宅でも、進捗に大して変わりはないことに(私は、ライターとしての原稿は毎回自宅で書いているが、それで困ったことなど一度もない。考えてみたら当たり前だけど)
例えば、CSRを声高に叫び、CSR経営を標榜する会社に限って社員を酷使し、赤字が出たらすぐ社員を無理矢理リストラしていることに。
例えば、イケダハヤトや安藤美冬が単なるヒモやプラチナディストリビューターでしかないことに。


結局「せんしんてきなはたらきかた」の多くは極めて高度な自己コントロール能力を求められるのだ。それをコントロールできる人はよいが、そんなことできないから我々は会社勤めをしているわけで。ほっとけばCIVでもGTAでもやってしまうからこそ、我々は今日も満員電車に揺られて会社に向かう。だけど、自分がコントロールできないのに「できる」と勘違いするよりはマシだ。

キモメンスゴレンVol.3「エア仕事論」にイラっとくる5パターン

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皆さんは「竜退治にはもう飽きた!」というキャッチコピーをご存知でしょうか。TVゲーム『メタルマックス』のTVCMにて、「元ジャイアン」ことたてかべ和也氏のが叫んだこのフレーズは「戦車と人のRPG」である同シリーズを象徴する名キャッチコピーとしてファンの間では語り草となっています。



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(2011-12-08)
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ですが、広大な世界にはたてかべ和也氏ならずとも「もう飽きた!」と叫びたくなるような様々な事象が存在することは論をまたないでしょう。今回はそんな中から、仕事における「もう飽きた!」の好事例、「エア仕事論」を
紹介します。「エア仕事論」とはその名の通り、「本人はドヤ顔で語るも、現実には何の意味もない仕事論」「仕事論のフリした自慢・アピール」の総称です。今回は数多くの「エア仕事論」の中から5つを紹介する事で現代社会に対する警鐘とさせていただきたいと思います。

1.コミットメントなき仕事論

コミットメント。様々な人によって指摘されていますが、ビジネスを進めていく上で基本中の基本となる能力です。ビジネス上のある事柄にコミットメント(責任を伴う約束)する以上、責任をもってその業務を遂行する必要があります。ところが、エア仕事論ではこうしたコミットメントは無視され、「自分が気持ちいいか」「自分が有利なポジションにつけるか」「PVが稼げるか」が優先されます。簡単に言えば、全てのエア仕事論はコミットメントなき仕事論だと言えます。
「あの人が気に入らないから俺は仕事しないよ」という人や、「前の会社では○○だった」「googleでは云々」「アップルでは云々」「ワークライフバランスが」「ダイバーシティが」などなど。「エア仕事論をぶつ前に事務員と不倫するのやめろ」(愛知・フレキシブルコンテナバック)「そんなこと言うならとっとと転職しろよ」(尖閣諸島・官房長官)、「あんたが勤めてるのは何の変哲もない日本の中小企業なんですが・・・」(岐阜県・童貞)といわれても仕方がないでしょう。

2.ノマド

「ノマド」とは遊牧民の事ですが、転じて「オフィスのない会社」「働く場所を自由に選択する会社員」といったワークスタイルの事を指します。当初はモバイルやクラウドを使った仕事術やツールの紹介であったはずのノマドですが、フリーランス礼賛と結びつき、現在ではノマドなんだかノ○ソなんだかエア仕事論なんだかよくわからないことになっております。それに伴い、「年収150万円で僕らは自由に生きていく 」(それ単に嫁さんが理解と稼ぎのある人ってだけだろ)とか「月5,000円でサバイバルキットを買えば大丈夫」(新手のネットワークビジネスか)などなど「ノマド的エア仕事論」も増殖傾向です。安易にノマドを信奉する皆さんには「歴史上ほとんどのノマド(遊牧民)は安定した収穫を目指して農耕民族に侵攻、征服後、農耕民族に逆制服(農耕民族化)された」という事実に思いを馳せてほしいものです。


3.「カンブリア宮殿は見ろよ」

『カンブリア宮殿』といえば、各業界の社長を招いての企業PR研究番組です。村上龍と小池栄子の名コンビもすっかり板に付き、テレビ東京の看板番組とも言えるこの番組。あなたは、放送翌日の会議などでやたらとどこかで聞いたような、もっといえば、昨日の夜中に両胸にスイカをつけたねーちゃんとドヤ顔のおっさんから聞いたのと全く同じ内容を話す上司に遭遇する光景に遭遇したことはないのでしょうか。「部長がドヤ顔で「カンブリア宮殿」の話をするのでますます見たくなくなる」(埼玉県・団体職員)「紹介されている事例を1つでも実行してほしい」(ユタ州・NPO)など、彼らの存在は若手社員からの評判が非常に悪いです。番組そのものよりも、「唯一の情報源」「単なる広報番組を先進事例の紹介だと勘違いする」上司の存在が「カンブリア宮殿を見てる人はイタい」という逆効果を生んでいる事実は我々の胸に刻まれるべきです。

4.ぼくがかんがえたさいきょうのますこみぎょうかい

あなたのフォロワーの中にはマスコミ業界の人間でもないのにやたらと「マスメディアの未来」や「マスコミ論」を語りたがる人がいないでしょうか。で、意外とそうした発言がリツイートされてたりします。
「マスコミに入ってから言え」(インターネット・こじらせ女子)「他にやることないのか」(樺太・製麺業)などなど、こちらも評判は悪いです。よくよく考えてみると、業界のインサイダーでもない人が考えた理論がそこまで正しいと言えるのでしょうか。自分の業界に置き換えてみれば、そうした現状が如何にバカバカしい事かよくわかります。しかもタチの悪い事に、そうした発言は就職活動の裏返しのルサンチマンである可能性が多く注意が必要です。ですが、よくよく考えてみると、我々の周りには「ぼくがかんがえたさいきょうのかちょう」や「さいきょうのしんきじぎょう」「さいきょうのえいぎょう」を開陳する人にあふれています。
「さいきょうのかいしゃ」トークはせめて飲み屋での泥酔時ぐらいにとどめておきたいものです。


5.中二病にいつまでも罹患

中二病。本来であれば「中学2年生程度の屁理屈で社会を否定し、結果何の行動も起こさなくなる「病」」の事を総称していますが、世の中には困ったことにこの病にかかったまま大人になって就職……はおろか、管理職になろうが50になろうが中二病がいまだに完治しない人がいます。いい年こいて「俺が中心にならない飲み会には参加しない」という人や、もう50にもなるのに、「俺に従わない後輩とは口もきかない」という人。いつまでたっても「ぼくにはもっとふさわしい仕事がある」と夢想する人。「ぼくはゆうのうなんだい!」というアピールに余念のない人……。
「ほんとに迷惑。早く魔眼に目覚めてダークフレイムマスターに転生してほしい」(岐阜・文化系童貞)「そんなに中二病がいいならアーカム財団にでも入ってろ」(梁山泊・ミニコミ編集)など、中二病を批判する前に自らを省みてほしいと思う事しきりです。


そもそも、エア仕事論とは全ての会社において、全ての安居酒屋で必須の概念でした。ただ、それらは翌日には酒とともにきれいさっぱり忘れ去られていたという意味で、大変健康的なものでした。ですが、今日では全てのエア仕事論はアーカイブ化され「痛い言動」として保存される一方、「事故物件」扱いを恐れない一部の人たちは、エア仕事論を語ることを仕事とするようになりました。我々にできる事は、彼らの発言の不備をあげつらうことではなく、彼らの発言をしっかりとアーカイブ化し、後世の人々に残すことなのではないのでしょうか。2010年代の日本に咲いたあだ花として……。




ビッグダディに見るDQNコミュニケーション-republic1963

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2012年末。年末の改編期には我々が心待ちにしている「アレ」が放送さた。
そう、「痛快!ビッグダディ(BD)」である。
何はなくともBDである!
BDとは整骨院を営む林下清志(通称ビッグダディ)一家、夫婦と子5男8女の合計16人(男6人・女9人)のどたばた劇や家族の絆を描いたいわゆる「大家族モノ」である。最初岩手に住んでいたビッグダディ達も奄美大島から愛知県豊田市、香川県小豆島へと移り、その間に妻(前嫁)と離婚→よりを戻して再婚→やっぱり離婚→18歳下の妻(現嫁)と結婚という波乱万丈な人生を送っている。
今回のBD18、ここしばらく封印されてきていた「バトル」が復活し、久々に見応えのある内容であった。だが今回、強調されていたのはBDが繰り出すDQNに特有のコミュニケーション技法、いわば「DQNコミュニケーション」とでもいえるものである。そこで今回は改めてBDにみるDQNのコミュニケーションの特徴について考えてみたいと思う。

  • DQNコミュニケーションの特徴1:怒る

今回放送分でBDが子供たちに対して大爆発した。理由はキノコ狩り時に子供たちが挨拶をしなかった、というのが理由だが、「怒る」というのは広く知られているDQNの行動様式である。さらに、BDの場合、子供に「笑ってた」等のいちゃもんをつけることで怒る事を正当化していた。こうした怒る理由をでっちあげることで自分を正当化するのはDQNの常とう手段である。さらに、こうした理由としてしばしば使われるのが「笑っていた」等の態度(=客観的な事実ではなく、恣意的に判断できるもの)である点には注意しておきたい。

  • DQNコミュニケーションの特徴2:子供

今回放送分で初めて明らかになった事実として「BDは子供のために現嫁との別居を決断した」というものがある。つまり、現嫁との同居では前嫁や前嫁との間の子供の話題がタブー化したため、子供の成長に悪影響を及ぼすというBDの考えが番組内で説明されたのだが、これはうそではないだろうが、本当にそうなのだろうか。そもそも、それが本当なら最初から説明しろよという気にもなる。というか、BDは現嫁との間にできた子供もいるのに、その子の事は心配しなくていいのだろうか。このように「子供」を錦の御旗とし、子供をダシにつかって一点突破を図るのはDQNの様式美と言っても良い。

  • DQNコミュニケーションの特徴3:疑う

今回の放送で主題となったのは、BDの二女の学校問題である。簡単に言って不登校になりかけているのだが、その解消のため、豊田にいる前嫁のところに遊びに行かせる→その時の写真を入れてた写真立てが破損という展開を辿るのだが、その後、写真立てを割ったのは現嫁ではないかとBDが疑い出すという超展開を見せる。そこまでこだわらなくても新しく入れればよくね?というツッコミも聞こえず、BDは別居先の元嫁の元に突撃したわけだが、こうした些細な理由で人を疑い、疑心暗鬼に陥るのはDQNに非常に特徴的な行動様式である。しかも、それを本人に言ったところで何が変わるとおもっているのだろうか。

  • DQNコミュニケーションの特徴4:ほのめかす

BDのDQNコミュニケーションの真骨頂は番組最後の現嫁とのドライブである。この番組上最大の山場において、BDは現嫁からの執拗な同居要請をのらりくらりとかわしていくのだが、この2人の会話がとても面白かった。何が面白いって、現嫁が「どうしても同居してほしい」と言った時にBDは同居するともしないともなんともいわないあいまいな態度を取り続けていた。こうしたBDのほのめかしメソッドは番組内で頻出しており、これが別居の理由なんじゃないの?と疑いたくなるが、基本的にこうした明確に答えを言わない、ほのめかす態度はDQNに極めて特徴的なものである。

こうしてみてきたBDシリーズ。「3月以降の契約は更新しない」というBDの意向もあるという噂もあり、今後もBDのシリーズが続くかどうかは不透明だ。だが、BDというコンテンツが今後どうなろうと、この世紀のDQN番組が成し遂げてきた事がなかったことになることはないであろう。

撤収に向かうビッグダディ-republic1963

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秋も深まった2012年10月。番組改編期とくれば我々には心待ちにしているコンテンツがある。
食欲の秋、読書の秋、スポーツの秋、とくれば「痛快!ビッグダディ(BD)」の秋である。

何はなくともBDである!
BDとは整骨院を営む林下清志(通称ビッグダディ)一家、夫婦と子5男8女の合計16人(男6人・女9人)のどたばた劇や家族の絆を描いたいわゆる「大家族モノ」である。最初岩手に住んでいたビッグダディ達も奄美大島から愛知県豊田市、香川県小豆島へと移り、その間に妻と離婚→よりを戻して再婚→やっぱり離婚→18歳下の妻と結婚という波乱万丈な人生を送っている。

というわけで続いてきたBDも今回で第17弾。BD17は2週連続放送(都合により私が見たのは後編のみ)18歳年下妻との別居と別居後の生活がメインの話題であった。だが、結論から言うとBD17は前回指摘したBDの弱点が見事に露呈した内容となっていた。
前回の指摘したBDの物語構造と弱点についてもう一度まとめておこう。

・BDシリーズにおいて物語を主に駆動させているのがBD対妻、もしくは元妻との「バトル」である。
・よって、本来、大家族モノで物語を推進させるべき「子供たちの成長」「親対子供」といった要素は極めて弱くなっている
・だが、数々のやらせ疑惑等によって「バトル」を封印したBDは無理矢理「本来の大家族」方面に話を展開させているため、現状、物語を駆動する力が極めて弱くなっている(要するにつまらない)
・しかも、現在BDはテレ朝の屋台骨を担うほどのドル箱コンテンツになっており、3カ月に1度の改編期には必ず放送される結果、ひたすら冗長な子供たちの日常生活しかコンテンツがなくなっており、極めて「薄く」なっている。


こうしたBDの弱点はBD17においても見事なまでに踏襲されていた。なんせ、夫婦が別居したのにその理由が「よくわからない」のだ(未視聴の前編でも明らかにされなかったらしい)。いや、それっておかしいでしょ、と思うだろうが本当にそうなのだ。なぜか夫婦が突然別居してその理由が明示されないまま、ひたすらにBD一家の日常生活のみが2時間半放送されるという謎すぎる展開。意味がわからなさすぎる。そもそも、BDの表アングル(TVで放送される内容)では妻が折れる形で夫婦のケンカは起こっておらず、平穏無事だったはずだ。それがいったいなぜ?という大きな疑問は全く解消されないままだ(そもそも結婚して1年で別居する夫婦ってどうなんだよ、というもっともなツッコミはこの際封印しておいてほしい)。
ここから導き出される答えは一つ。つまり、「妻は別に折れていなかった」という事だ。そもそも、表アングルでもたびたび明らかにされている通り、妻はまごうことなきDQNであり、彼女の言動も非常に汚いものであった。そんな人間が、一度離婚するかしないかで揉めただけであそこまで豹変して「良い妻」になれるなど考えづらい。それよりは、あれはTV向けのポーズであると理解した方が自然だ。つまり、TVカメラの回ってないところでは妻は相変わらずDQNで吠えまくっていて結果別居、という筋書きだ。だが、その割に妻が復縁を求めまくって努力しているのは解せない。
もうひとつの回答は別居自体がブック、つまり制作側の仕込みだったということだ。別居などする必要はないけれど、番組側の筋書き通りにして別居→次回以降の放送で妻の努力により和解、再び同居という筋書きが織り込み済みの別居、という事になる。それって子供の精神衛生上どうなんだよと思うが、そういう筋書きの可能性はある。BDというストーリーラインの推進力を取り戻すにはこうした方法が簡単だということはよくわかる。「別居」なら別に経歴等に傷がつくわけでもないし。しかも、現在番組構成の主導権を握っているといわれる妻の株が一番上がるのは想像に難くないわけだから一石二鳥である。もしかしてこのブック作ったの妻じゃね?と思いたくもなる。

だが、こうしたアングルは2つの点で問題を抱えている。まず1つ目はこんなアングル何度も何度も続けられない、続ければ続けるほど「ああ、いつものだろ」と飽きられることと、もう1つは、ストーリーライン上、理由もなく別居して理由もなく復縁してもストーリーとしてのカタルシスは全くない。つまり、ストーリーとして破たんしているのだ。そして、そんな破たんしたストーリーを何度も放送することができるのだろうか。かといって、日常を映す「だけ」の番組としてBDは大きくなりすぎてしまった。
つまり、BDはもう、コンテンツとしては飽和してしまっており、今後よほどのことがない限り、以後は緩やかな撤退戦を戦うことになるだろう。全てのコンテンツには始まりと終わりがある。だが、BDのそれはあまりにも短かった。こうした見立てが私の妄想として笑い飛ばされる事を切に願う。

republic1963

非モテのための婚活必勝法15イケダハヤトの「ノマド詐欺」について

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古い話で恐縮だが、ネットのヤングでナウでリバタリアンなカリスマアルファブロガー、イケダハヤト氏がこんなブログを書いていた。
既存の婚活サイトの課題を解決するスタートアップ「frigg」
婚活サイトfriggを取り上げているが、いや、素晴らしいサービスですね、と白目で言いたいところである。という事で、今回はfriggの使用感をレポートしてみたいと思う。

  • そもそも、全然メリットじゃない件

イケダハヤトはエントリ中にて、以下のように書いている。
friggの特徴は、ソーシャルランチを彷彿とさせる「マッチングアルゴリズムによって、相性の良い人を毎日ひとり紹介する」という機能。これは従来の婚活サイトにはない仕組みとのこと。
関連して、friggには従来の婚活サイトにみられる「検索機能」は用意されていません。公式ブログには、「婚活サイトに顔写真を登録すると、友達や同僚に見られそうで嫌だ」「大多数の人に見られるのが不安」というユーザーへ配慮した結果であることが記されています。

つまりfriggのメリットは「1日1回相性のいい人が送られてくる」というのがメリットなのだという。だが、実際に使用してみると、利用者にとってそれはそれほどメリットではないことがわかる。そもそも、サービス設計側が配慮した、という写真登録について、写真が登録されていない確率はかなり高い。写真が登録されていても顔写真ではない写真も多い。イケダハヤトが「うさん臭さすら漂う」とまで評した既存の婚活サイトのほうがずっと写真登録されている確率が高いように思える。これはなんでかと言うと、excite恋愛結婚では写真の公開/非公開やメールのやりとりをした人だけに写真を送る、といった事を選べる。まさか、ろくに調べもせずにエントリ書いてんじゃ……という疑念も頭をもたげるが、ここではそれは置いておこう。frigg最大のメリットとされている「1日1回相性のいい人が送られてくる」これがクセ者なのだ。そもそも、friggでは新規でメールを送るには1カ月980円のプレミアム会員(要は有料会員登録)が必要だ。この仕組み自体は他のサービスでも同じなのでこのこと自体はいい。だが、friggの場合、新規でメールを送るのは4人に制限されており(1回メールした後のやりとりは無料)、4人以上に送ろうとしたら1枚300円のチケットを買う必要がある。
普通に考えて、毎日本当に「相性のいい人」が送られてくるとしたら、これ全部にメールを送ろうとしないだろうか。つまり、friggの本当のコストは980円ではなく、6980円になるのではないか(30日サービス980円+6枚チケット1500×4)。これは月額のコストとしてはネット婚活の中でもトップクラスに高い。ここまでして登録するメリットはあるのだろうか。
「いや、でも気に入らなかったらスルーすればいいんだし、全員に送る必要ないんじゃ」
と思う人もいるかもしれない。だが、婚活サイトにおける必勝法はただ一つ、とにかく誰でもいいのでメールを送りまくることなのだ。1日10件メールして1件返信が来ればいい方、その中でさらにメールのやりとりが続くのは数人というシステムが婚活サイトの基本ルールで、スルーしたりするのは婚活サイト攻略の原則に反している。そもそも、それって「相性のいい人を紹介する」っていう仕組みが大したことないっていう前提で話ししてないだろうか。簡単な相性チェックぐらいならexcite恋愛結婚や「あの」マッチドットコムですら導入している。
どうも、friggでは「利用者は来たメールには必ず返事をする」という、婚活を少しでもしたことのある人間にとっては絶対にあり得ない前提でサービスが設計されている気がする。というか、それができていたら他のサービスも困ってない。私にはfrigg「だけ」にそんなに意識の高い人間が集まるとはどうしても思えない。

  • っていうか調べてエントリ書けよ

さて、もうひとつイケダハヤトは以下のように引用している。
・一日に多数の人をまとめて閲覧することができる既存のサイトでは、女性のプロフィールなどを一切見ないでコピペでのスパムメールをする男性が後を絶たず、望んでいない男性からメールが送られてくることもある。
・既存のサイトでは「同い年の方を望んでいます。年齢が違う人からメール来ても迷惑なので送らないでください」「希望条件を全然読まない人がいて困ってます」といったトラブルが起こりやすい。
・初日は検索結果に出る人が皆初めての人なのですごく楽しめたのだけれど、1ヶ月経っても検索結果が全く変わらず飽きてしまう。

これは、friggのブログの内容を転載したものだが、さっき言った「婚活サイトにおける必勝法はただ一つ、とにかく誰でもいいのでメールを送りまくること」に照らし合わせてみると、嫌なことでもなんでもなく、攻略法を忠実に実践しているにすぎないことがわかるだろう。これは男の利用者からしてみたら至極まっとうな行動なのだ(それが迷惑かどうかは人それぞれ)。恐らく、friggの「中の人」は女性なのではないだろうか。この意見は婚活サイトを使った女性の意見としては非常に納得できるものだが、これは婚活サイトに登録した女性が何もしなくても良い、「待ち」の状態でいれば、ほぼ自動的にメールが送られてくる事が原因なのだ。婚活サイトにおけるメールのやり取りはほとんどの場合、男のほうからメールを送ることがほとんどである。だから、女性にとっては送られてきた膨大な量のメールから余計な「ノイズ」を除去することが主眼に置かれる。よってfriggのような女性にとって「ノイズ」のないサービスが考えられたように思われるのだが、男性からしてみるとまどろっこしくてやってられない。だけどそもそも、男性からメールを送らないと話し始まらないですよね?と言いたいところだ。
あと、これがfrigg最大の問題点なのだが、女性無料、男性有料のモデルは1兆歩譲って良しとしよう(本当は、それってレコメンデーション的にダメだろと思うけど)。だが、肝心の本人確認がクレジットカードしかないのだ。これはほとんどの婚活サイトが導入している最低レベルの本人確認しか実施していないという事になる。「あの」マッチドットコムでさえ、任意だが、住所証明、収入証明等の本人確認を実施している。自分はクレジットカードのみの本人確認でも構わないと思うが、肝心のレコメンデーションの内容をどう証明すればいいんだろうか。それで本当に安心なんだろうか。

私は既存の婚活サービス自体に問題が全くないとは言わないし、friggのサービス自体は、着眼点として非常に面白いと思っている。だが、問題は、ちょっと調べれば分かることを調べず、問題点をちゃんと書かず、主観的な主張を垂れ流すイケダハヤトだ。これまで書いてきたことは、婚活サイトにちょっと登録してみればだれでもわかることだし、イケダハヤトが既存サービスの問題点だとしているのはほとんど改善済みだったり、それなりに理由のある事ばかりだ。そういった事情をろくに調べもせず既存のサービスを「手あかにまみれた、うさん臭さすら漂う「婚活サイト」」と評するイケダハヤトにはその根拠はどこにあるんだと聞きたい。まさか送られてきたプレスリリースか飲み屋での与太話をそのままエントリにしてないですよね?と問いたいところだ。そして、「手あかにまみれた、うさん臭さすら漂う「婚活サイト」」を攻撃する前に、自分のエントリが「手あかにまみれた、うさん臭さすら漂う「ノマド詐欺」」になっていないかを是非確認してほしいと思う。

republic1963

ミニコミマネジメント論1:ミニコミを作る時に気をつけるべきたった一つのこと

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みなさん、ミニコミ作ってますか?
もし、あなたがミニコミを作りたいと思い立ったとして、どうすれば良いでしょうか。「まずはアズ○ンと飲みに行って…」とか、「有名アニメ作家にインタビューしないと」とか考えていないでしょうか。
それも大事ですが、あなたにはそれよりも先に考えるべき事があります。今回から何回かに分けて、そんな、ミニコミを作る、という行為をマネジメント論として考えてみたいと思います。
といっても話は単純です。要するに数字の話。
実は、ミニコミを作る上で、気をつけるべき事はたった一つです。
正確には、たった一つの数字をどうするのか。

ミニコミ(に限りませんが)を作る上で気をつけるべきたった一つの数字。
それは、販売率です。
販売率というのは、私の造語ですが、要するに、
「印刷した部数中何パーセントが売れているか」という事を表す指標です。なので、販売率(パーセント)=販売部数/印刷部数×100 という事になります。この数字がなぜ大事なのかというと、ミニコミを作る上で全ての数字の根幹にかかわるからです。例をあげて考えてみましょう。例えば、定価1,000円のミニコミを100部刷り、販売率が50%とします。すると、売れる部数は50部、収入は50,000円という事になります。すると、このミニコミを企画する際、原価として必然的に50,000円以上はかけられない、という事になります。仮にこのミニコミの印刷代が40,000円だとすると差引10,000円のプラスです(ミニコミの原価はほとんどが印刷代)。
なぜ、そういうことになるのかというと、ミニコミを続けていくにあたって最重要かつ、一番難しいのは「赤字を出さない」事です。ほとんどの人にとってミニコミを作ることは趣味です。趣味で毎回数万円単位の赤字を出していたら、自分が嫌だし、第一周りの人間(親や恋人、家族などもろもろ)の理解も得る事は非常に難しいでしょう。そこで問題になるのは「販売部数が少ない」ことではなく「刷ったものが余ってしまう(過剰在庫が生まれる)」ことです。
この頒布部数と在庫重要な問題です。
ミニコミ界隈で良く問題になる数字、それは頒布部数です。「3ケタ(100部以上)行ったら上出来」などとは良くいわれる事です。「○○サークルは○○○部」とか良くいわれることですし、私も気になります。ですが、それは本当にすごいことなのでしょうか?同じ3ケタサークル(100部以上の頒布実績があるサークル)でも100部刷って100部売れているサークルと200部刷って100部売れているサークルのどちらの採算性が優れているでしょうか。具体的に数字を出すまでもないと思います。でも、ここを勘違いしている人が凄く多い。それは、なぜか販売率を100%もしくは非常に高い数字にしている前提があるためです。つまり、刷ったものがほとんど売れる前提で話をしている人が非常に多い。ですが、現実ではそんなことはほとんどありません。例えば、先ほどの定価1,000円のミニコミの例を考えると、販売率50%で原価が最高50,000円というのは先ほど触れたとおりです。ですが、ここで販売率100%の前提で考えるとどうなるでしょうか。原価は最高100,000円までOKという事になります。
やれることがいっぱい出てきましたね!
でも、販売率100%の前提で50部しか売れなかったらどうなるんでしょうか。この場合、経費はマイナス50,000円です。はっきりいって途方に暮れるレベルです。つまり、販売率100%はこれぐらい危険な状況という事です。

だけど、こう書くと「だけど販売機会を失うかもしれないから多めに刷っておいた方がいいだろ」という人もいるでしょう。
ですが、それに関しても以下の2点の問題があります。

・売れすぎたものを増刷することは簡単ですが、在庫になっているものを売ることは非常に難しい・・・即売会(委託については次回以降触れます)においてほとんどの人は「新刊」を買いにきている
・そもそも、ミニコミ即売会なんてそうそう開催されていない(参加できない)・・・色々やってる即売会に片っ端から参加して月一回とかそんなレベルではないでしょうか。ほとんどの人は半年に1回程度の参加(これすら死ぬほど難しい)です。つまり、最初売り切れたとしても最悪次の即売会までに在庫がそろっていればいいわけで、売切れてから増刷をかければ十分間に合います。

ミニコミという業界においては、「販売機会の損失」なんて事はほぼないわけで、それよりも過剰在庫のリスクのほうがずっと大きいと言えるでしょう。

では、この販売率、いくつに設定しておけば良いのでしょうか。私の経験を総合すると、その数値は50%です。この数値、悲観的でもなく、むこうみずでもないという絶妙な感じであるとともに、経験則的に50%以上の販売率になると、採算が良くなるという面もあります。さらに、50%であれば、仮に50%よりも販売率が良くなった場合、そのまま利益となるのとともに、50%を超えることはそこまで難しくないという側面もあります。

でもここで、一つの疑問が出てくるでしょう。それは「じゃあ、委託で書店に卸してもっと売れるようにすればいいんじゃないの?」というものです。次回、その悩ましい委託問題について考えてみたいと思います。

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クサレ社会論の極致 北原みのり『毒婦。 木嶋佳苗100日裁判傍聴記 』

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毒婦。 木嶋佳苗100日裁判傍聴記毒婦。 木嶋佳苗100日裁判傍聴記
著者:北原 みのり
販売元:朝日新聞出版
(2012-04-27)
販売元:Amazon.co.jp
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北原みのり『毒婦。 木嶋佳苗100日裁判傍聴記 』・・・3点(10点満点中)

本書は力士工こと、木嶋佳苗の裁判傍聴記(というか傍聴エッセイ)である。
木嶋佳苗といえば某超大手婚活サイトを舞台に男4人を殺したとされる、「婚活殺人事件」の容疑者。その特異な風貌や言動、さらに1億近い金を引き出させていたという事もあり、その裁判がどんなものだったのか、というのは興味深い内容という事もあり手に取った。
結論から書くと、この本は極めて不愉快な内容、クソゲーならぬクソ本である。

そもそも、本書はノンフィクションではなく、筆者の感想を書いたエッセイである。裁判傍聴記録なのにエッセイってどーよ、というツッコミはさておき、エッセイなので基本的に筆者の視点から見た裁判の顛末が語られている。まずここで、ノンフィクションだと思って読んでいる人たちは肩透かしを食らうだろう(私を含めて、ほとんどの人が、事件をネタにしたエッセイではなく、ノンフィクションを読もうと思って手に取ったはずだから)。1兆歩ゆずってそれはいいとして、普通、エッセイにおいて重要なのは筆者の視点に共感できる部分があるかどうかである。
で、この本はそれがきわめて難しい。それは、筆者がフェミニズム的な立場の人間だからではない

そうではなく、筆者はある前提の元にエッセイを書いている。それは、「この世で起こる全ての事件は社会の反映である」という一見まともそうで、よくよく考えるとおかしすぎる前提である。要するに、筆者は「木嶋佳苗が4人の男を練炭で殺した(とされている)のは、社会の歪みの反映である」という前提がまずあり、この「社会の歪み」が「男社会」なのだ。確かに、この世で起こる全ての事件は社会を反映させたものだというのは(その影響の大小はあれ)確かに言えることなので、これを否定することは難しい。だが、木嶋佳苗といえば、本書でも書かれている通り、中学校の時点で通帳を盗みだして金を下ろそうとしたり、援助交際の噂が立っていたり、もっといえば、詐欺(ネットオークション詐欺)で刑事告訴されているような人間であり、生まれてからまともに仕事をしたことすらないような人間なのだ。そんな人間に社会の歪みがあるって無理やりすぎないだろうか。しかも、この本はエッセイなので、そうした自分の感想のみが述べられ、その根拠についてはほとんど説明がない(というかできない)。本書の中では木嶋佳苗の裁判を追いかける「佳苗ガールズ」の事が登場しているが、まさかこれが「社会の反映」ってことではないだろう。その理屈が通じるなら一時期一世を風靡した「上祐ギャル(上祐史浩のおっかけ)」は一体どこに行ってしまったんだろうか。彼女らの存在が社会に影響を与えたという事実は寡聞にして聞かない。

つまり、この本の読後感は「魔法少女まどか☆マギカはポストゼロ年代の社会のありようを映す鏡だ」とかいう、はてなブログや3流オタク批評系同人誌を読んだ時に極めて近い。いや、こうした文章ははあくまで架空のコンテンツを批評している分、まだマシかもしれない。本書のように、現実で起こった事件を取り上げ、それを「ネタ」にして消費する行為は、極めて不愉快だ。

republic1963

フジロック超初心者のための5ヵ条

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今年もつつがなく終わったフジロック。今年は晴天に恵まれ、3日間でほとんど全く雨が降らないという奇跡のような3日間であった。ライブもストーンローゼスやレディオヘッド、ギャラガー兄弟等々が気合の入ったパフォーマンスを繰り広げてくれたことだろう。だが、気になったのは各所で言われている通り、フジロッカー(フジロックに参加する人、の意味。本文中にてこのダサい名称を使うことをどうかご容赦いただきたい)の高齢化である。すでにキャパオーバー気味の苗場の地だが、30代の顔の多いこと多いこと!
そこで今回はフジロックへの新規参戦を促すべく、超初心者に向けた5つの注意点をまとめておこう(ちなみに筆者は9回参加の中堅参加者です)。

  • 正月からカウントダウンを開始せよ


正月。人々がお餅や初詣に興じるこの季節。我々フジロッカーにとっても重要な季節である。それは「フジロックの開催通知」である。実質この日から、宿をめぐる攻防戦の火ぶたが切って落とされるのだ。この宿の確保、これが年々厳しさを増しているフジロック最大の障害である。そして、宿の立地こそがフジロック参加における環境を決める最大の要素だと言ってもいい。宿さえ確保できれば後、我々に必要なのはいもしない友達や親戚の結婚式や法事をでっちあげることだけである。

  • ブッシュ息子もびっくり


一般的に「ラブでピースな」イベントだと思われているフジロック。確かにNGOビレッジなどでは毎年噴飯ものの左翼プロパガンタが垂れ流されている事が多い。だが、その内実はブッシュ息子もびっくりの自己責任社会である。とにかく、怪我しようが、日焼けしようが、見たいアーティストみれなかろうがすべて自己責任。
それゆえ、準備に関しては最新の注意を払おう。特に重要なのが、ゴアテックスなどの雨具と日焼け止め、虫よけである。先にもあげたが、フジロック期間中(の特に金曜・土曜)は全国的に結婚式・法事が非常に多い時期である。だが、そんなときに、結婚式に行っていた部下がいきなり真っ黒に日焼けしていたり、虫さされがトンデモないことになっていたり、風邪をひいたりしたらどう思うだろう。我々に続く後輩たちのためにも、あらぬ疑いは極力持たれないようにすることが肝要である。そのため、自己責任を肝に銘じ、準備には最新の注意を払うべきだ。

  • 一人での行動を前提にせよ


さて、みなさんはフジロックはどんなイベントだと思うだろうか。「どうせリア充がお香とかやって調子にのってんでしょ」と思ったあなた、それは違う。フジロックで一番快適なのは一人参加なのだ。むしろ危険なのは同行者がいた場合。お互い遠慮してみたいライブが見れないなんてのは序の口。雨や長距離の移動で疲れて、険悪なムードに…なんていうこともありうる。かくいう筆者も同行者が風邪をひいて3日間中ほとんど全く会場にいられず近くの病院で介護なんていうこともあった。
そんなことを避けるには、最初から一人で参加する、もしくは宿集合・宿解散を徹底することである。つまり参加期間中は各人一人で好きに生活すること。それがフジロックを楽しむコツである。幸い現在はtwitterなどもあり、友達と現地で合流することもずっと容易になった。グループで一緒に行動するのはよほど熟練したか、ずっとグリーンステージに張り付いて動かない(ちなみに、それは筆者が思う最低の過ごし方である)ような人以外はお勧めできない。

  • 運営を信用するな


運営というのは、フェスティバルの秩序を守る存在である。だが我々はその存在に感謝し、運営を信頼しつつも信用することは厳に慎まなければならない。詳細を語ることはここではやめておくが、その公式サイトで歌われている通り「フジロックは自己責任」なのだ。

  • 「どれみたらいいの?」は禁句


だれもが一度は発するであろう単語「どれみたらいいの?」はっきりいって「わからん」としか答えようのない質問である。twitterでよくあがってくるのはヘッドライナークラスのアーティストだが、それだけ狙うのはつまらない。疲れたしわからんからと一日中グリーンステージに張り付いているのははっきりいって損だ。それよりは、軽装で色々歩き回って楽しもう。twitterの#fujirockなどは感想が定期的に上がっていてとてもいい感じ。メジャーなグリーンステージよりも、苗場の奥深く、オレンジコートのワールド系ミュージシャンや、苗場食堂の突然のセッション、大道芸人があなたをより感動させてくれるのかもしれない。

臨界点を迎えたビッグダディ

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梅雨のうっとおしいこの時期。今日も今日とて『痛快!ビッグダディ(以下、BDと略)』が放送された。
だが、結論から言うと、今回の『BD16』は非常につまらない放送だった。
なぜBD16はつまらなかったのか、今回は改めてBDというコンテンツのありようについて考えたい。

何はなくともBDである!
BDとは整骨院を営む林下清志(通称ビッグダディ)一家、夫婦と子5男8女の合計16人(男6人・女9人)のどたばた劇や家族の絆を描いたいわゆる「大家族モノ」である。最初岩手に住んでいたビッグダディ達も奄美大島から愛知県豊田市、香川県小豆島へと移り、その間に妻と離婚→よりを戻して再婚→やっぱり離婚→18歳下の妻と結婚という波乱万丈な人生を送っている。

BD16がつまらない理由、それは端的に言って、バトルがない単なる大家族モノになってしまっていることだ。
BDというコンテンツの魅力、それは「バトル」である。普通の「大家族モノ」といえば、明るく、家族の強い絆とドタバタ劇、ファミリー層向けのほんわかした番組と相場は決まっており、(半ばお約束的に)反抗する子供たちがいてもそれはお約束的に「家族」に収斂していくものだった。だが、BDは違う。子供たちの成長がメインというよりも、元嫁・ビッチマミィとのバトルや現嫁とのバトルがBDという物語を駆動させていた。BD前半シリーズではビッチマミィのトンデモ発言・行動に怒るBDという、善のBD対悪の元嫁というアングルが作られ、その内容はまさに「BD劇場」と呼ぶしかない、大変素晴らしいものだった。再婚した現嫁にしてもアングル自体は変わらず、現嫁対BDのガチバトルであった。だが、そこで描写されるBDは絶対的な善ではなかった。要するにBDは「こいつもなんかおかしくないか?」という人間として初めて描かれだしたのだ。そしてそれを象徴するのが小豆島移住直後のBDの音速土下座である。
こうしたアングルは必要なアクセント、というよりむしろメインのコンテンツであった。だが、BD15~16にかけて、さまざまな理由があり現嫁はBDとのバトルを封印。変わって押し出されてきたのは子供たちの「苦労」と「成長」であり、今回も2時間半の間子供たちの成長のごり押しであった(余談だが、BDで頻出する単語に「急成長」というものがある。そんなにすぐ人って成長するもんかと強く思う)。こうしたオーソドックスな「大家族モノ」のフォーマットに落としこまれた時、BDは非常につまらない番組になってしまう。それは、ブラウン管ごしに見えるBD家の家族関係が「BD家」というよりも「BD軍」における上官と下士官のような関係なのだ。そして、そうした関係はBD16においても奄美大島に残った3男の態度(BDに電話するときにビビり具合っていったらない)にも見て取れる。こうした軍隊的なありようもあるにはあるだろう。だが、こうした関係のもとで、大人と子供の対立など起きるはずがない。
つまり、「バトル」がなくなったBDは「物語」を推進する力がきわめて弱くなっているのだ。それゆえ視聴者である我々はひたすら冗長なBD軍の軍事教練を見させられる羽目になる。しかも、もうひとつの問題として、それなりにメジャーなコンテンツになったBDはこのところ、3か月に1回、スペシャル番組で放送されている。だが、普通に考えて、たかだか3カ月のインターバルでそんな大きな事件が何度も起こるはずもなく、どんどん番組として薄味なものになっているのだ。野菜の収穫や柔道の練習なんて1回見たら飽きる。ましてや上官に従順な子供たちが外泊や恋愛といった他の「大家族モノ」ではメインのストーリーになりそうな行動を起こすとも考えづらく、なおさらBDの「その先」が見えづらい状況にある。

こうして「物語」としての臨界点を迎えたBD、この先のBDがどうなるのか、その行方をしっているものはいない。だがもしかしたら、臨界点を迎えたBDは新たなるアングルでさらなる高みに登るのかもしれない。その時は、我々も全力でそのアングルを読み解くことにしよう。

republic1963

はてなから非モテが消えた理由

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一部「はてなダイアリー」界隈でこんな記事が話題になっています。要は「昔はみんな若かったねー」式の話ですが、それどころでは済まない内容も一部あるので、今回はあえてここで「はてなの非モテ」について考えてみたいと思います。
さて、私が「はてなの非モテ」が消えたと考える理由は以下の3つです。

おしながき
1:要は、勇気がないんでしょ?
2:「モテ/非モテ」の地盤沈下
3:「非モテを語るふりして別の何かを語る」スタイルの陳腐化
4:それでも意外としぶとい非モテたち


では、順にいってみましょう。

1:要は、勇気がないんでしょ?

「だせぇ」

2:「モテ/非モテ」の地盤沈下

はてなブックマークのコメントなどで「理由」として語られている事の多くがこれに当てはまります。つまり、昔ほど我々は「モテ/非モテ」に一喜一憂しなくなったという事です。
そもそも、非モテとは、

・(自己認識として)モテず
・かつそれをアイデンティティとしている

人の事を指します。つまり、単純にモテないだけでは非モテとは言えず、「モテなさ」を自分のアイデンティティにしてしまう人の事を非モテと呼ぶわけです(このあたりの詳細についてはこちらを参照ください)。こうした非モテ的なありようは実は伊集院光の時代から続く伝統的な童貞芸の一つでしたが、こうした構図は強力な他者としてセカイのどこかに「モテ」がいる、という事を前提としています。つまり、セカイのどこかにいる勝者に対する敗者としての我々。逆にいえば「敗者である」という事を強く意識しなくてもよい社会というのは勝者もそれほど強くない、つまり「モテ」圧力と当時我々が呼んでいたものが弱まったのではないかと推測されます。それが「非モテ」達の活躍によるものかどうかはわかりませんが。

3:「非モテを語るふりして別の何かを語る」スタイルの無効化

ここまでは「非モテ」的な自意識の問題ですが、実は、はてなにおいて非モテというタームが人気を博したのはもう少し別の理由があります。それは、はてなにおいて「非モテを語るふりして別の何かを語る」スタイルが非常に有効だったためです。実は、当時はてなで展開されていた「非モテ論」は非モテそれ自身について語るというよりも、非モテを絡めて貧困問題や雇用問題、オタクの恋愛、脱オタ(服装やコミュニケーションスキルを改善する事)といったものを語りがちでした。ところが、そうした非モテの語られ方は「誰もが俺理論で言いたい事を語る」という事とイコールです。非モテ界隈を称して「議論が無限ループしている」とはよく言われる事ですが、それもそのはず、みな「非モテに付随した自分の話したい事」を話していたわけですから。議論の内容自体はどうでもよくて当たり前です。
これは、いわゆる非モテ批判者(非モテに対して非難してくる人)についてもあてはまります。彼らにとっては「非モテを説教する」事自体が目的なわけですから、議論の内容自体はどうだっていい。「噴き上がっている非モテ」「酸っぱいブドウ状態の非モテ」を定期的に捕捉できる、はてなという場が重要だったのです。
ただ、こうしたファイトスタイルには問題点があります。それは、「飽きる」というものです。
「自分が言いたいこと」というのにはどだい、限度があります。毎回毎回「非モテのミソジニー(女性蔑視)のせいだ」とか「恋愛資本主義のせいだ」といっていても、ぶっちゃけ毎回代わり映えがしないですし、書いてる方も読んでる方も飽きます。これが、「アニメ」や「ゲーム」といったジャンルであれば、中身(コンテンツ)を変えることでジャンル自体に飽きる事はなかなかないかもしれないですが、「非モテ」のような中身とジャンルが極めて近いものにとっては、毎回同じ事を言う事が苦痛になってきます。しかも、先に述べた通り、議論は無限ループするわけですから。そんな事をやるぐらいなら「ペルソナ4でもやってたほうがいいや」となるのは自然の摂理でしょう。

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4:それでも意外としぶとい非モテたち

それでも、私はなんだかんだといって「非モテ」は生き残っていくように思えます。その証拠の一つは今回のような「非モテって消えたよね」というネタが注目を集める事です。そもそも、我々が「非モテ同人誌」として『奇刊クリルタイ』を作った時(2005年ごろ)から「非モテってもうそろそろ終わりでしょ」って言ってたわけですから。ずいぶんしぶとくネット上に残っています。

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「お嬢マンって消えたよね」とか「草食系男子って消えたよね」と言ってもこう注目を集めることはなかったでしょう。「非モテが消えた」ということがトピックになる事自体がまだまだ非モテ、という言葉がなんだかんだいって健在(かもしくは同窓会的な需要がある)であることの証明であるように思います。
思えば、2000年代は恋愛用語の時代でした。様々な恋愛用語や「男子像」「女子像」が発明され、その度に「非モテブックマーカー」にボロクソ言われる事がネット上での日常茶飯事になりました。先程の話とは矛盾しますが、なんだかんだといって我々は恋愛について(否定を含めて)話すのが好きなのです。「恋愛」がネット上の簡単にアクセスを集められるこづかい稼ぎツールとして活躍する以上、それを否定する「非モテ(もしくはその言いかえ)」がなくなる事はおそらくないのではないのでしょうか。「本当に」非モテがネットから消える日、それはインターネットがなくなる日なのかもしれません。

(republic1963)
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