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特別寄稿

非モテのための婚活必勝法4:「婚活女子」はどこにいるか

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前回:http://blog.livedoor.jp/chikumaonline/archives/52980963.html

今回は婚活における「ユーザー」について考えてみたいと思います。要するに、婚活なんてしちゃってるやつはどんな奴なの?という事です。
話は変わりますが、「婚活」という用語が発明されたのは白河桃子、山田昌広による『婚活時代』(ディスカヴァートゥエンティワン 2008年)だという事はよく言われている事ですが、

「婚活」時代 (ディスカヴァー携書)「婚活」時代 (ディスカヴァー携書)
著者:山田 昌弘
販売元:ディスカヴァー・トゥエンティワン
(2008-02-29)
販売元:Amazon.co.jp
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「婚活」という単語が初登場したのは『AERA』2007年11月5日号の「結婚したいなら”婚活”のススメ」という記事です(ちなみに、執筆者は同じく白河桃子)。小池栄子が結婚を語っていたりとなかなかに資料的価値のある記事ですが、ここでポイントなのは記事中に登場するのがいかにも『AERA』的な、キャリア志向の女性、要は「アレな感じ」の人達ばかりだという事です。これは白河桃子の婚活原稿の特徴でもありますが、登場する女性は「がんばりすぎている(スペックが高すぎる)ので結婚できない」という、一種のエリートないしキャリア志向的な人達ばかりだという事になっています。その裏には「対してふがいないオトコ」というアングルが仕込まれていてウザいんですが、まぁそれはいいとして、これは本当でしょうか?

私が、色んな「婚活サービス」に潜入してみた結果としてはそんなことは全くありません。
「婚活サービス」に登録している女性で一番多いのは「普通」の女性です。
「普通」というのは、良い事でも悪い事でもなく、「普通」という一つのクラスターだと考えてください。この「普通女子」というのは極めて表現しずらいんですが、本当に普通としか表現しようのない人達の事です。ルックスもファッションも普通(かやや下)。趣味は読書、映画、美術館(博物館)めぐり。ただ、この趣味というのが、非常に浅いというか、プレーンなわけです。
読書で言うと伊坂幸太郎か東野圭吾(何度大して好きでもない『重力ピエロ』の話をした事か!)、音楽でいうとミスチル、ゆず、バンプオブチキン。
これは「初対面だからメジャーっぽいのを言っている」と言うわけではなく、実際よくよく話してみてもこんな感じで、恐らく、彼女らは能町みね子氏が『モテない系とドリカム層』(ブックマン社 2011年)にて名付けた「モテ系」と「モテない系」の中間に当たる「ドリカム層」に近いような存在です。「モテ系女子」ほどあかぬけてもいないし「文化系女子」ほど濃くはない。かといってヤンキーでもない。それが「普通女子」です。

ドリカム層とモテない系ドリカム層とモテない系
著者:能町 みね子
販売元:ブックマン社
(2011-10-06)
販売元:Amazon.co.jp
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出会い系サイト(オンラインデーティングサイト)に行っても、お見合いパーティーに行っても、キャリア系女子はあまりおらず、いるのはほとんどこうした「普通女子」です。もっとも、地方において「普通女子」は最大勢力なので、当たり前といえば当たり前ですが。彼女らには婚活における行動パターンに一つ特徴があり、それは物凄く受け身というか、意欲に欠ける人が多い。出会い系でメール送っても返信が来るのが1~2週後は当たり前だったり、もっとひどいと登録するだけでろくに使ってなかったり、お見合いパーティでもろくに話をしなかったり。

「お前ら何しにきとんねん!(注:私は岐阜生まれ岐阜育ちです)」

と思わず叫びたくなるような行動をとりがちなのが「普通女子」です。
でも、彼女らはそんな感じで受け身なのになぜ婚活をするのでしょうか。
これは仮説ですが、「恋愛の自由化」が進んだ結果、最もワリを食ったのが彼女ら「普通女子」なのではないのでしょうか。「恋愛の自由化」に伴い、社内恋愛やお見合い(親同士の紹介)といった恋愛ツールが廃れていった結果、本来はそれらのツールを使って「そこそこな人」と結婚していた「普通女子」達が恋愛市場で大量にダブついている。また、恐らく「普通女子」は会社で事務の派遣社員をやっているような、結婚後は専業主婦をするようなタイプが多いように思いますが、言うまでもなく、男性側も専業主婦を養えるような稼ぎがなくなってきたつまり「そこそこな人」の数が少なくなってきた事もあります。キャリア女性と比べて自分で局面を打開する能力(経歴)も意思にも欠けている(と思われる)「普通女子」の方がより事態が深刻そうです。
では、本来「普通女子」に対して「普通男子」は何をしているのでしょうか?次回その点について考えてみたいと思います。

予言の書『Gファイル』

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巨人が、今、注目を集めている。

先日、清武英利球団代表兼ゼネラルマネージャーが「コンプライアンス違反」を訴えて上司である渡邉恒雄、株式会社読売新聞グループ本社代表取締役会長・主筆、株式会社読売巨人軍代表取締役会長(通称ナベツネ)に対して反旗を翻したという事件は話題沸騰、日本シリーズの話題も霞むほどである(※1)。
「コーチ陣を勝手に決められた」という清武は大王製紙やオリンパスの例を引きながら以下の通り主張する。


巨人のヘッドコ-チは岡崎郁の留任が内定しており、10月20日に渡邉に報告し了承を得たが、11月4日には渡邉は記者会見で「俺は何も聞いていない」と発言、11月9日には岡崎を降格し、新たに球団OBである野球解説者の江川卓をヘッドコーチとすると聞かされた。これは不当な「鶴の一声」で、渡邉による巨人軍、プロ野球を私物化するような行為は許すことは出来ない。


ちなみに、この際に自分と桃井恒和、株式会社読売巨人軍のオーナー兼代表取締役社長は降格を言い渡されたと言う。一方で渡邉は以下の通り反論している。


大王製紙やオリンパスに関する事件は刑事的なものであり、巨人軍の人事問題とは全く次元が異なる。桃井オーナーの退任は、読売新聞グループ本社社長の白石興二郎が新オーナーとなるためであり、桃井は引き続き球団代表取締役にとどまる。コーチ人事の報告をクライマックスシリーズ前に受けたのは事実だが、敗退によって見直しが必要になったのは当然である。清武のGM就任は、「態度が尊大」等の悪評や、選手補強の失敗もあり適任ではなかった。江川の招聘は原監督の提案であるが、「思いつき」の段階で具体的なものではなく、江川とは接触していない。しかし清武が会見で公表した事によって実現困難となった。清武の行為は会社法で定める取締役の忠実義務に反する。ただし、本人の反省次第では直ちに処分は要求しない。


この内紛をめぐって、企業におけるコンプライアンスや老害云々など、様々な問題が取りざたされているが、これは本当にそういう問題なのだろうか。
我々は、ここで一つの予言の書を開く時がやってきた。『Gファイル―長嶋茂雄と黒衣の参謀』(2006年 文藝春秋)である。

Gファイル―長嶋茂雄と黒衣の参謀Gファイル―長嶋茂雄と黒衣の参謀
著者:武田 頼政
販売元:文藝春秋
(2006-10)
販売元:Amazon.co.jp
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1993年からの長嶋茂雄監督(第二期)には、マスコミはおろかチーム内ですら限られた人間しか知らなかった、一人の参謀がいた。その男・河田弘道はアメリカでスポーツビジネスを学び、西部・堤義明の側近として活躍。その後、長嶋と行動を共にすると「GCIA」なる情報機関を創設し、真の長嶋政権を実現しようとした。彼が記した5,000ページにも及ぶ一大ファイル。読売ジャイアンツという巨大組織の一大改革に挑んだ4年間の記録が「Gファイル」である。

「秋山幸二巨人入りをめぐる根本睦夫との暗闘」や「崩壊した長嶋家」など、野球ファンであればご飯何杯でもいける話題が盛りだくさんな「Gファイル」だが、ここでは「清原獲得」をめぐる「Gファイル」を開いてみよう。
『Gファイル』の記述によると、1996年シーズンオフにおける清原和博(当時西武)獲得に関してはそもそも読売本社、つまりは渡邉主導で話が始まったのだという。そこで当時の球団代表補佐であった鯉渕昇は、
「清原が獲得できた場合は落合(博満)は解雇、獲得できなかった場合は落合を1年残すが、松中信彦(新日鐵君津(※当時。現福岡ソフトバンクホークス))を絶対に確保する」
という方針を渡邉に伝えたのだという(※2)。さらに、

上記の球団総意を社長(渡邉恒雄氏)に伝え、了解を得た。鯉渕氏の感じでは、社長は以前ほど清原に対して熱狂的でない感じを受けたが、詰めが必要なので、さらに追い打ちをかけて次の項目を納得していただいた。

1、社長の方で確約をしていただいた、中村氏(清原のエージェントと言われた中村芳夫氏の事)のラインは、全くナシのつぶてで作動していませんし、信用できません(社長曰く、「そうだな!」)
2、現在、球団としても清原への確かなコンタクトがあるというわけではありません。今後どのように行うかを考えなければなりません。
3、本人は、現在大変不安がっていると思います。
4、西武側も我々の同行を探っているので、十分注意してかからなければなりません。

ここで社長から、「落合はまだ使えるんだろう?」という発言がでましたので、鯉渕氏は、「来季は無理との判断で編成を考えているんです。社長も監督も大変難しい判断であられると思いますが、今この決断を下さなければ、何時までたっても新しいジャイアンツの構築が難しくなりますので、我々も覚悟して報告致しております。清原が来て、落合が居るという事は、どれ程チームをまとめる事が難しいか、そして内外の批判の的になる事も確かですよ。」
以上ご説明した結果、了承を得た。これだけ説明してあるので、もしも清原獲りを失敗しても、社長がむくれる事はありません。との説明を代表補佐から戴きました。

『Gファイル―長嶋茂雄と黒衣の参謀』より引用



その上で最終的に球団の決定事項として「落合解雇」を伝えにきた深谷尚徳球団代表(当時)に対して渡邉は、


たぶんその答えを持ってくると思っていた。わかった、氏家も了解しているのでそうしなさい。別の方法で手当てしてやればいい。

『Gファイル―長嶋茂雄と黒衣の参謀』より引用



と了承したのだという。
だが。一度は解雇するとした落合だが、渡邉と鯉渕の連携不足が原因(※3)となる、様々な不手際が重なった結果、「残留」→「やっぱり解雇」→「渡邉と落合の和解を演じた後自由契約」と巨人の立場は二転三転、世論のバッシングを受けた結果、実際には渡邉の事前認可を受けていながらそうした混乱は全て「フロントの独断専行が原因」とされてしまったのだ。

この記述、今回の内紛劇に似ていないだろうか?

「Gファイル」の記述によると、巨人という組織は14年前から最高権力者の事前認可が容易に覆るような風土の組織であることは明らかである。それをコンプライアンス不在だという理屈は、ある意味では正しい。だが、それは単なる建前なのではないだろうか。「そういう風土」の企業に勤めている以上、清武もコンプライアンス不在の中でこれまでずっと仕事をしてきたはずなのだ。
簡単に言えば、ナベツネの「球団私物化」は今に始まった話ではないのに、清武が今回に限って、「球団私物化」を問題視するのは、一体なぜなのだろうか。
すなわち、今回の騒動は結局のところ巨人軍内部で「何か」が起こっているという事なのではないだろうか。それはコンプライアンスとか企業統治といった高度で一般的な話ではなく、もっと泥臭い、巨人軍(ないし読売グループ)という組織に巣食う特有の事情なのではないだろうか。14年前には、読売グループ・巨人・OB・長嶋家を巻き込んだ「巨人」と「長嶋茂雄」をめぐる主導権争い、『Gファイル』の言葉を借りれば、「ポリティカル・ゲーム」の結果、河田は球団を去る事になった。ということであれば我々がこの騒動に注目する理由、それは単なるやじうま根性以外の何物でもない。
それが「何」なのかを知る事は今はまだ我々には許されない。もちろん、『Gファイル』の著者である武田頼政の記述はその信ぴょう性に大きな疑問(※4)があることは言うまでもない。だが、今回のような事態が起こるたびに、我々は思うのだ、「やはり、「Gファイル」の中身は事実だったのではないか」と。いつの日かその「何か」が明かされる時も来るだろう。「Gファイル」はその「怪しさ」も含めて予言の書であり、過去を我々に告げる書でもあるのだ。


※1 ちなみに、わざわざ日本シリーズの前日にこうした内紛劇を大々的に行う事については江本孟紀もTVで批判していた
※2 守備位置が同じ落合と清原が共存する事は極めて難しい。また、『Gファイル―長嶋茂雄と黒衣の参謀』によると清原もFA移籍の条件として出場機会が確保される(つまり、落合が放出される)事を挙げていたようだ
※3 『Gファイル』によると、この遠因は「長嶋茂雄が選挙応援をしなかった」事にあるという
※4 著者・武田頼政といえば大相撲の八百長疑惑についての記事だが、日本相撲協会に起こされた裁判ではことごとく敗訴している。また、『Gファイル』内の記述も原辰徳巨人監督についての描写など、今から振り返ると首をかしげたくなるような記述が散見される。

革命の書、『マネー・ボール』をめぐって

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2011年11月11日、「革命の書」『マネー・ボール』の映画版がついに公開される。それもブラッド・ピット主演で。TVCMもバンバンかかり「感動超大作」ということになっている『マネー・ボール』だが、本当にそれでいいのか?そもそも、

ビリー・ビーン(ブラッド・ピット)は、プロ野球選手から球団のフロントに転身し若くしてアスレチックスのゼネラルマネージャーに就任する。しかし、アスレチックスの成績は低迷し、貧乏球団のため優秀で高い選手は雇えないという最悪の状態に。そんな時、データ分析が得意なピーター・ブランド(ジョナ・ヒル)に出会い、“低予算でいかに強いチームを作り上げるか”を追求したマネーボール理論を作り上げる。野球界の伝統を重んじる古株のスカウトマンや、選手、アート・ハウ監督(フィリップ・シーモア・ホフマン)らの反発を買いながらも、揺るぎない信念のもと独自のマネジメントを強行していくビリー。すると、徐々にその成果が出始め、チームに勝利がもたらされていき…。


という映画版のあらすじを見てもなんだかよくわからない人も多いのではないだろうか。映画館のロビーで意味もわからず「『マネー・ボール』、サイコー!」とか言ってるカップルにはなりたくないものだ。そこで、本稿では、映画版『マネー・ボール』をより楽しむために、原作の一体何が「革命」であったのかをもう一度振り返ってみようと思う。

マネー・ボール (RHブックス・プラス)マネー・ボール (RHブックス・プラス)
著者:マイケル・ルイス
販売元:武田ランダムハウスジャパン
(2006-03-02)
販売元:Amazon.co.jp
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POINT1:ジャイアント・キリングがすごい

「あなたが4000万ドルもっていて野球選手を25人雇おうとしています。一方、あなたの敵はすでに1億2600万ドル投資して25人の選手を雇っており、あとさらに1億ドルのゆとりを残しています。さて、あなたがこの敵と戦って、みっともない負け方をせずに済ますためには、手元の4000万ドルをどのように使えばいいですか。」
『マネー・ボール 奇跡のチームをつくった男』より



このくだりは本書がどんな本であるかを端的に表している。メジャーリーグ屈指の貧乏球団、オークランド・アスレチックス(A's)のGMであるビリー・ビーンはまさにこの問いに挑んだ男である。なにせ、同じリーグにはヤンキースとレッドソックス、エンゼルスといった金持ち球団がしのぎを削っているのだから。メジャーリーグにおける最高年俸選手はアレックス・ロドリゲス(ヤンキース)の3,200万ドル。A'sの総年俸はAロッドの年俸と大して変わらないのだ。大リーグにおけるこうした金持ち球団と貧乏球団の格差は日本以上である。だが、ビーンが1997年10月にGMに就任してから、2007年度シーズン終了時点までの10年間に積み上げた白星は、ヤンキースとレッドソックスに次ぐアメリカン・リーグ三位の901個。この間、チームをプレーオフに5回導いている。そう、『マネー・ボール』とは弱者が強者を倒すジャイアント・キリングの物語である。A'sがジャイアントキリングのために駆使したのが、セイバーメトリクスという「数学オタクの遊び」とみなされていたものだった事が非常に示唆的である(その意味でポール・デポデスタ(だった役柄※1)が典型的「PCオタク」として描かれている点も興味深い)。
セイバー・メトリクスという在野の「野球ファン」が編み出した理論が一大産業であるメジャーリーグを席巻する。A'sとセイバーメトリクス。その2重の意味でのジャイアントキリングの過程こそが『マネー・ボール』を魅力的にしている。

POINT2:野球の新しい見方を示していてすごい

「バッターの打率、打点などの成績は、実は大して重要な指標ではない」
「ピッチャーが自らコントロールできる要素は奪三振、与四球、被本塁打以外にはない」
「バントや盗塁は相手にタダでアウトを一つ献上する行為であり、無駄である」

と聞いたらあなたはどう思うのだろうか。簡単にいえば、こうした仮定を統計的手法で実証したものがセイバー・メトリクスである。セイバー・メトリクスとはビル・ジェイムスという在野の野球ファン(当時は缶詰工場の警備員(!))によって1970年代に提唱された概念である。ビル・ジェイムスは1977年に『野球抄1977-知られざる18種類のデータ情報』というミニコミを自費出版した。以後、コンピューターの発達に伴ってより高度なデータ分析が行われ、現在では様々な指標が考案されている。もちろん、セイバー・メトリクスは現在進行形の理論であり、その理論は日進月歩で進歩を続けている。バッターの攻撃力を示した数値、OPS=出塁率+長打率はメジャーリーグの公式記録となっている一方、バントや盗塁の有用性は近年改めて見直されてきている(最近のA'sでは盗塁やバントも積極的に行っている)。だが、こうした盗塁やバントを嫌う戦術は究極的にはビッグボール(出塁率、四球や長打力を特に重視するプレイスタイル)にたどり着く。ビッグボールは日本人が好きな「スモールボール(機動力やバントを重視したプレイスタイル)」とは真っ向から対立するのだ。日本人は監督のベンチワークなどの野球における「駆け引き」の要素を非常に重視する(※2)。だが、ビッグボールにおけるなにせ、監督は究極的には「置物」なのだから(※3)。ビッグボール対スモールボール、この対立は『マネー・ボール』の文庫版にて「ベースボール宗教戦争」と呼ばれた。
こうした対立は恐らく永遠に解消されることはないだろう。だが、従来型の野球観に対する強烈なアンチテーゼである事は確かだ。だからこそ、「宗教戦争」と呼ばれるような激しい論争を呼ぶのだろう。だが、日本のスポーツメディアはどうか。スポーツライター二宮清純は『マネー・ボール』原作の解説を書き、A'sを絶賛したが、2005年、シカゴ・ホワイトソックスが典型的スモールボール型チームでワールドチャンピオンになると、手のひらを返してスモールボールを称賛するような体たらくである。そして、その他のスポーツメディアから垂れ流されるのは相も変わらず浪花節的精神論やお涙ちょうだいのストーリーである。この惨状を味わいながら見ればより映画も楽しめるだろう。

POINT3:マネジメント論とその限界がすごい

・たとえ現状で上手くいっていても改善は常にプラスになる
・はっきりと必要に迫られてしまったら、すでに手遅れ
・うちにとって各選手がどれぐらいの価値があるか、正確に把握せよ
・自分達が本当に必要なものを探せ、相手が売りたがっているものに釣られるな
・マスコミは無視するに限る


これは、ビリー・ビーンによる「トレード5原則」である。これらの原則はビジネスにおける原則とも全く合致するのではないか。セイバーメトリクスも、結局はビーンの「現状を精いっぱいやりくりして効率的に貧乏球団を運営する」ための手段の一つにすぎない。『マネー・ボール』の最大の見どころ、それは球団運営における極めて生々しいやり取りの中で悪戦苦闘するビーンの姿である。セイバーメトリクス最大の「発見」の一つは単純な打率や打点は大した指標ではなく、問題は「塁に出る能力=OPS」だが、OPSにとって最も重要な指標はボール球を見極める能力、すなわち選球眼だが、問題は一般的な理解と異なり、選球眼は天性の才能であるらしいという事だ。
選球眼が天性の才能であるとすると、野球におけるマネジメントとは一体何だろうか?
無駄である、と薄々わかりながらもビーンは周りの選手たちを「我慢強く」しようとする。なによりも、その限界に挑もうとする姿そのものが「感動」を呼ぶのだ。

『マネー・ボール』の映画がどんなものなのか、私にはまだわからない。だが、映画版『マネー・ボール』がどんな作品であろうと彼らがなした事は永遠に消えさることはない。例え、A'sが2006年以降一度もプレーオフに進出していなくても、例え一瞬であっても、極めて効率的なチーム、奇跡のチームを作り上げた事はまぎれもない事実である。もちろん、そのチームが「面白い野球をやる」わけでは、必ずしも、ない。だが、私はその墓標を確認するために映画館に向かうのだ。

「ただ、ビーンの心に、一つだけ大きな不安が残った。-本当は誰にも理解してもらえないのではないか?いつの日か、ポールとふたりでさらに効果的な方法を見つけて、少ない資金で輝かしい球団を生み出すかもしれない。が、ワールドシリーズの優勝記念指輪をひとつか2つ持ち帰らないかぎり、誰も気にかけてくれないだろう。そしてもし優勝できたとしても-自分には何が残るのだろうか?ゼネラルマネージャーのひとりとして一時もてはやされ、やがて忘れられる。たとえほんの一瞬でも、自分が正しくて世界が間違っていたのだということは、誰にもわかってもらえない…。」
『Money Ball~奇跡のチームをつくった男~』


※1 原作にてビーンの片腕として描かれたポール・デポデスタはその描写をよしとせず、ピーター・ブランドというメガネデブのPCオタクという架空の人物に変わっている。ちなみに、「本当の」デポデスタはハーバード卒の超エリートである。
※2 その意味で『ラストイニング』(中原祐)などは「日本的野球観」を最良の形で表現したものであり、「マネーボールに対する日本からの回答」だといえるだろう。
※3 実際、『マネー・ボール』原作においてアート・ハウ監督は極めて無能な「ビーンの考えにいちいち文句をつけないことだけが美点の人」として描かれている。

(republic1963)

『奇刊クリルタイ6.0』内容紹介

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今回は11月3日(祝)に「第13回文学フリマ」にて頒布予定の『奇刊クリルタイ6.0』について、改めて内容をお伝えします(文中敬称略)。

奇刊クリルタイ6.0奇刊クリルタイ6.0
著者:クリルタイ
販売元:クリルタイ
(2011-11-07)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る


【詳細】
奇刊クリルタイ6.0 特集「Sex and the KHURILTAI」
B5、104ページ 1部 1,000円
第13回文学フリマ オ-02(東京流通センター Fホール(2F))
サークル配置図

【頒布場所詳細】
日時:2011年11月3日(祝)11:00~16:00
会場・アクセス:東京流通センター Fホール アクセス

【打ち上げ】
蒲田「ニーハオ」にて。詳細はこちらをご覧ください。

【頒布物一覧】

・『奇刊クリルタイ6.0』1000円
・『奇刊クリルタイ増刊「dorj」 Vol.2』1000円
・『奇刊クリルタイ増刊「dorj」』1000円
・『奇刊クリルタイ5.0』700円⇒500円
・『奇刊クリルタイ4.0』600円⇒500円・『奇刊クリルタイ3.0』600円⇒500円
※合体配置をしている「ことのは」様との合同企画で、「クリルタイ」「ことのは」で同時に2点以上購入いただいた方に缶バッチをプレゼントします(全4種)

【巻頭対談】
republic1963×シロクマ「非モテという生き方 結婚、子育て、ライフプラン」

『クリルタイ6.0』巻頭を飾るのはrepublic1963とblogos等でブロガーで活躍されているシロクマ氏との対談です。非モテ的な自意識の持ち主は人生をどのようにサバイブすべきか。その処方箋としての恋愛、結婚、子育てについて語ります。最初期から非モテ論壇に関わってきた二人の出した結論は、「人生とは結局Civだった!?」是非ご覧ください。

【インタビュー】
1:能町みね子
新著『モテない系とドリカム層』も好評な能町さんに「モテない系とドリカム層」についてお話を伺いました。モテ系、モテない系に対する「一般地味層」としての「ドリカム層」。これまでほとんど顧みられることのなかったこの「普通の人々」について興味深いお話を伺っております。一方で、モテない系男子対女子という、モテない系における内部対立(?)についてもお話を伺っております。モテない系男子よ、女子は実は待っている!?

ドリカム層とモテない系ドリカム層とモテない系
著者:能町 みね子
販売元:ブックマン社
(2011-10-06)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る


2:手塚真輝
新宿歌舞伎町のホストのボランティア団体「夜鳥の会」の中心メンバーにして「Smappa!GROUP」の代表をつとめるカリスマホストの手塚真輝さんに「非モテがモテる方法」についてお話を伺いました。……のはずが自意識と「生きること」をめぐる真剣なものに。非モテ諸君に「モテ」に思い悩む前にやることありやしませんか?と問う!

自分をあきらめるにはまだ早い 人生で大切なことはすべて歌舞伎町で学んだ自分をあきらめるにはまだ早い 人生で大切なことはすべて歌舞伎町で学んだ
著者:手塚 真輝
販売元:ディスカヴァー・トゥエンティワン
(2008-12-20)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る


3:雨宮まみ
セックスをこじらせて」も好評連載中の「今もっとも“イタ刺さる”」女子ライターがクリルタイに降臨!「こじらせ系」にから見た非モテ、サブカルそしてエロ・・・。肯定にせよ否定にせよ、「モテ・非モテ」について思い悩んだ事のある人にとってはあまりに「イタ過ぎる」内容にテキスト起こし中にすでに心に大きな傷を負った非モテもちらほら……「今、非モテにもっとも“イタ刺さる”」インタビューの登場です。

【企画ページ】
1:目撃!DQN
―世の中多くの人が健全に過ごしているように見せてその内側には業の深い欲望を持っているものである。そして、欲望に突っ走っている時それを隠し通すことは到底無理であるのだ。―

何の事はない、兄弟、親がヤッてるのを見てしまった。自分がいたしているところにノック無しで入られた。学校から戻ってきたら、隠してあったはずのエロ本が机の上に、等のあなたが見た/ 見られたエロい話を投稿してもらう、ボンクラ系投稿コーナー。炸裂するボンクラ力を見よ!

2:非モテのコスト お金から見る非モテのライフプラン
非モテというライフスタイルは持続可能か?世の全ての非モテたちが一度は考えたこの疑問にクリルタイが迫ります。お金から非モテのライフプランを大解剖!人生をサバイブするための処方箋も提示します。「お前の人生はもう詰んでいる!?」

3:黒河大河の童貞の地平線
chikumaonlineにて掲載された対談「婚活という「不都合な真実」」(前篇、後篇)で鮮烈デビューを果たした黒河大河氏がまさかの本誌登場!読者(?)から寄せられた恋愛・結婚相談を一刀両断!「あまりにもくだらなさすぎる」と評された恐怖と戦慄のコーナーです。

4:覆面SEX座談会 僕らのリアルセックス白書
ボンクラ5人がSEXについて語った!秘密のベールに包まれたボンクラ達のSEXライフがついに明らかにされる!『SATC』ばりの赤裸々告白に場は凍りつき、参加者は発狂した!?必見のコーナーです。

【個人原稿】
1:冷静に官能小説を読んでみる ゆりいからも
twitter読書会などでも活躍されている「文学少女」ゆりいかが官能小説を読む。知られざる「官能小説」の世界。君は睦月影郎先生を知っているか!知らない君は人生の何割かを損している!

2:据え膳喰わぬ男の言い分 ryoQ10
クリルタイの最終兵器、「据え膳男子」ryoQ10による童貞系エッセイ!「なぜ私は据え膳を喰わないのか」ソクラテスの弁明を聞け!「なぜそこでいかないんだ、お前は!」と叫ぶこと必定のエッセイです。

3:ドット・コム・ラブ republic1963
「婚活」の最終回答?「オンラインデーティングサイト(≒出会い系サイト)」とはどんなサイトなのか、実際にサービスを利用した筆者によるリアルレポート!これであなたもしあわせな結婚が、できる!?

4:知られざる床オナニーの危険性を世に訴える! 床沢
これは特徴的なオナニー法を開発した筆者による英雄譚である。覆面SEX座談会にも登場した「床沢」氏によって乱打される警鐘!若人達よ、これを読まずしてオナニーを語るなかれ!

5:正しいセックスという幻想について 吉川にちの
我々のSEXについて語る言説にはなぜ「良い悪い」「正しくない正しい」という価値観の元に語られるのか、全ての人に読んでほしい、社会と我々の性について深く考察した評論!

【特別付録・せいへきかるた】
■参加者一覧

~絵札~

・横田沙夜 @yokotasayo
・成瀬ノンノウ @narusenonnow
・長崎堂 @nagasakido
・Ray @ray_dia04
・ぴすどり @pisudori
・蒼鬼ハル @aokihal ※裏面担当

~文字札~

・相沢ナナコ @nakotic
・伊織 @iori8250
・紫式子 @shikiko
・三島凛子 @mishimafurikake
・西子 @necononaiwarai2
・泉由良 @yuraco
・近江舞子 @OUMI_MAICO
・ヒキムスビ @hikimusubi
・吉川にちの @nitino
・安倉儀たたた @akuragitatata
・衆道士ペドフェチ @hihonsyudo
・鈴木真吾 @junk666
・クロフネ三世 @kurofune3
・キール @kir_imperial
・Parsley @parsleymoood

【著者紹介(50音順)】
雨宮まみ:おもにエロ・AVのフィールドで活躍する「今もっとも“イタ刺さる”」女子ライター。永遠の32歳。共著書に『エロの敵』(翔泳社 2006年)、『リビドー・ガールズ』(パルコ出版 2007年)他。ポット出版のサイトにて「セックスをこじらせて」を連載中。ブログ「雨宮まみの「弟よ!」

シロクマ:オタク精神科医。「はてなダイアリー」にて人気ブログ「シロクマの屑籠」を更新しながら、livedoor「blogos」、「YUCASEE MEDIA(ゆかしメディア)」などのネットメディア上にて情報発信を行っている。ブログ「シロクマの屑籠twitter

手塚真輝:ホストクラブ「Smappa!GROUP」代表。歌舞伎町でホストクラブを経営する傍ら、ホストのボランティア団体「夜鳥の界」の中心メンバーとしてホスト独自の社会貢献活動を行う。著作に『自分をあきらめるにはまだ早い 人生で大切なことはすべて歌舞伎町で学んだ』(ディスカヴァー・トゥエンティワン 2009年)等。ブログ「自分をあきらめるにはまだ早いtwitter

能町みね子:エッセイスト、ライター、イラストレーター。1979年生まれ。『くすぶれ!モテない系』(ブックマン社 2007年)、『お家賃ですけど』(東京書籍 2010年)など著書多数。2011年に最新作『モテない系とドリカム層』(ブックマン社)を出版。ブログ「能町みね子のふつうにっきtwitter

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『モテキ』はなぜ不愉快なのか

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先日、見た映画版『モテキ』。
私は未だかつて映画を見てここまで不愉快な気分になったことはなかった。
『モテキ』映画版のストーリーは、原作・TV版から1年経った主人公・藤本幸世(フジ)に新しいモテ期がやってきて・・・というストーリーなのだが、映画版を見た私が一番不愉快になったポイントは

ナタリーって随分簡単に入れるんだな・・・っていうか俺も入りたい


というものである。ワナビー乙、というツッコミもあるだろうがちょっとまってほしい。
私のこのイライラを説明するには『モテキ』のストーリー構造について説明する必要がある。

そもそも、『モテキ』にはストーリー自体に致命的な弱点がある。

それは「登場人物の中で一番イラつくのが主人公(フジ)である」というものである。

『モテキ』原作・TV版通してフジは派遣社員だったが、その仕事すら途中で辞める(一応事情はあるが)ような人間である。そのくせフジは自分の「モテ」についてうじうじ思い悩み、結果、急に田舎の生活を放り投げてたり、仕事を放棄したりする人間なのだ。
つまり藤本幸世という人間は、
自分が生きていけるかどうか(=仕事)よりも自分がモテるかどうかを優先する
というかなりウザいキャラクター設定になっている。
そもそも、原作『モテキ』は「仕事をちゃんとやってる人間はモテない(※1)」というよくわからない世界設定のもとでストーリーが進展しているが、その作品世界中で最大の謎が「無職のフジは東京でどうやって生活してるんだ?」という疑問である。なぜ、私が仕事の事をこれだけうるさく言っているかというと、それは仕事しないと生活が成り立たないというのももちろんだが、非モテ(と総称される、フジ的な自意識の人)にとって「仕事すること」は最も手っ取り早い代替手段だからだ。だが、なぜかフジにその発想はなく、フジは自分の「本当の彼女」との恋愛によって「のみ」自分が成長できると信じている、かなりウザい人なのだ。

その上、ではフジがそれほどまでに思い悩む「モテ」が何なのかというと、

「とにかく自分が好きな彼女とヤリたいけど、それ以外の可能性も排除しない、っていうか別に来てくれるなら構わない(「本当の彼女」が好きなので後で振るけど)」

という「いくら非モテにしたってそれどうよ?」と思う極めて幼稚なものなのだ。しかもフジは30代である。30過ぎたおっさんが仕事もろくにしないで四六時中「本当の彼女」と「ヤリたい」「ヤリたい」と考えてるマンガ、それが『モテキ』なのだが、こんな主人公に感情移入しろというほうがおかしいだろう。というか、結論として登場人物の中で主人公が一番うっとおしいのだ。

では、『モテキ』の何が面白いのかというと、それは主に3つの要素から成り立っている。

・第三者的立場に立ってイタい人(代表例:主人公)の笑えるネタ
・恋愛(自意識)におけるあるあるネタ
・サブカル的ガジェット(よーするにフジロックやブログ、twitter、劇中の選曲などのネタ)

この3つの要素のバランスによって成り立っており、げんに映画版『モテキ』においてもサブカルガジェット映画としての『モテキ』は相変わらず秀逸であった(結果として示される世界観に共感できるかはさておき)。

『モテキ』という作品はそもそも主人公の自意識が醜悪であればあるほど作品として面白くなる、という構造をもっていた。だが、ここで2つの疑問が生まれる。
一つ目はフジを「イタい人」だと笑えるのはフジのような悩みをもった事がない人、ようするにそもそも「モテ」系の人間なのではないだろうか。自分の「モテ・非モテ性」や「恋愛」について真剣に考えた人間であればあるほど、フジの身勝手さ、幼稚さには腹が立つのではないのであろうか(※2)。そして、もう一つは、こうしたイタい人が主人公でなおかつその醜悪な自意識のままいる事が許されるこの作品の世界ってどうよ?という事である。フジは原理的に「成長してはならないキャラクター(成長したら面白くなくなるから)」である。だが、『モテキ』の作品が続く、という事はそのままイコール彼は自意識を成長させないままで周りから許される、という事を意味している。簡単にいえば、「死ぬほどウザい主人公とそれを「なぜか」甘やかす周りのキャラクター」という構図が成立しやすいのだ。これを防ぐには「自意識のレベルにおいては一切成長しない(からこそ)社会的には一切認められない」という構図がもう一方で必要なのではないだろうか。つまり、フジは就職しないでそのままフリーターでいるか、少なくとも就職活動での苦労する事が必要だったのではないだろうか。

翻って映画版。そうした仕事をめぐる問題は開始5分で「面接うけたら社長が知り合いだった」というウルトラCで解決される。その安直さはどうなんだよと思うが、しかも就職先がサブカル系ニュースサイトのライターって・・・。どれだけ都合いいんだよ、と思う。だが、それらは1兆歩譲ってよしとしよう。だが、それでもなおライターとしての基本的な仕事すら放棄するフジ。これまでよりもより明確に「仕事よりも恋愛の方が大事」という価値観が表明され、あまつさえ以前には「社会」や「会社」を体現していた人々ですら「本当の彼女との恋愛」に邁進するフジを応援するラストは見ていて驚愕というか呆れ果てる。お前どんだけ恋愛したいんだよ!と、みていてイライラする事必定である。
ご都合主義的に自分のやりたい事を仕事としてゲットし、なお仕事をほっぽりだして恋愛(しかも超わがままな理由でフッたりする)に邁進するフジ。これに共感しろという方が無理である。というか、許されるなら殴り倒したい。

一方で、「SEX・・・ごっこ・・・」やtwitterのアカウントハック、墨さん率いるナタリーの面々との居酒屋でのボンクラトークなどのネタの数々や吉田豪、杉作J太郎を始め、ライブに登場する面々や部屋に貼られたポスター、なにより1990年代から2000年代のJ-POP(※3)を俯瞰できる秀逸な選曲センスといったサブカルガジェットの数々。フジの自意識をめぐるウザさをどうでもいいこととして処理し、こうしたネタやサブカルガジェットのみに注目すれば『モテキ』は面白い。だが、私はそれを楽しむには恐らく思い入れが強すぎるのだろう。

余談だが、ロックフェス会場のぬかるみは死ぬほど臭くてとてもじゃないが、1分もいられないということは是非お伝えしておきたいところである。

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※1 作品世界中でほぼ唯一ちゃんと仕事をしている描写があるオム先生やいつかちゃんは作品中で全く「モテ」なかった
※2 とういか、こうした「怒り」すら作者側には織り込み済みであるかのような節すらある点がどうかと思うが
※3 『モテキ』に登場する楽曲が「何」なのか?ということは非常に興味深い大問題である。

「確信犯的大家族モノ」としてのビッグダディ

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2011年10月9日。
痛快!ビッグダディ』(テレビ朝日系列。以下BDと略)が放送された。先週、今週と2週間連続での放送だったがBDもこれで通算18回目、これまでの放送でかなり食傷気味になっており、「正直BDはもういいかな・・・」と思っていた私の期待をいい意味で裏切る超展開のオンパレードでかなり楽しめた。
BDとは整体師の資格を持つ林下清志(通称ビッグダディ)一家、夫婦と子5男8女の合計15人(男6人・女9人)のどたばた劇や家族の絆を描いたいわゆる「大家族モノ」である。最初岩手に住んでいたビッグダディ達も奄美大島から愛知県豊田市への舞台を移しているが、今回のシリーズは凄かった。何せ放送中に

元妻(1度復縁している)と再度離婚→18歳下の現妻と結婚&懐妊→奄美大島へ戻ろうとするも村人から総スカン→隠岐の島への移住計画&失敗→夫婦大喧嘩で離婚危機→小豆島へ移住&整骨院開業


これだけの事が一気に勃発するのである。知らない人は何が何やらさっぱりだろうが、とにかくヤバいのだ!
BDの凄さ、それは「全く痛快じゃない」事に尽きる。視聴者である我々はテレビ画面の向こう側の「語られていない事」があまりにも多すぎてモヤモヤするのだ。

例えば現妻はビッグダディの18歳下、28歳でありながらバツイチ、5人の子持ち(しかも全員がいわゆるDQNネーム)だし、喧嘩の時の口調はまごうことなきヤンキーのそれであったり、愛知県豊田市に残してきた長男・長女や奄美大島には次男、3男を下宿させ(しかもその後ほとんど言及がない)、息子たちはビッグダディの事を「オヤジ」でも「父さん」でもなく「清志さん」と呼ぶ不思議、別れた元妻も豊田市に住むという謎。そして、何よりビッグダディに「家族計画」という概念はないのか、と疑りたくなるような無計画な妊娠・出産。BD視聴中に当然でてくるこれら「?」に納得のいく説明はされず、ひたすらBD達の「今、ここ」だけが放映されるのだ。まるで「ツッコミを入れてください」とでも言いたげな放映姿勢に、これは何だろうと思い悩んだ結果、私には心当たりのある番組がある。それが、一世を風靡したTBS『ガチンコ!』である。
『ガチンコ!』がその他大勢のリアリティ番組(要するに『進め!電波少年』の流れをくむ番組群)と一線を画しているのが、「リアリティ番組である事を放棄した」事である。『ガチンコ!』が常にされてきた批判に『ガチンコ!』は「やらせ」であるというものがある。だが、そうした批判はほとんど無効である。なぜなら『ガチンコ!』は確信犯的に「やらせであるかのように」振る舞う事でこの番組について語る幅を広げたのだから。ここで『ガチンコ!』が本当にやらせをしているかどうかは大して問題ではない事は言うまでもない。つまり、視聴者は『ガチンコ!』に対して「表で語られているストーリー=番組のVTR」と「裏のストーリーライン=これらはしばしばネットや週刊誌などで語られる」を語る事で2重に番組を楽しむことができるのだ。こうした番組の行間を読ませる試聴態度は一種「プロレス的」であるように思える。

翻って、BD。
BDはあまりにもわかりやすい「ツッコミどころ」が多数配置されている。まるで、制作者が確信犯的に語らないかのように。「大家族もの」と言えば、明るく、家族の強い絆とドタバタ劇、ファミリー層向けのほんわかした番組というのがお決まりのパターンだが、そうではない笑いとツッコミどころにあふれた「確信犯的大家族モノ」としてBDはその先頭を疾走している(※1)。ネット上にはビッグダディが書いた(とされる)一文がある。その内容はあえてここでは書かないが、その真偽も含めて是非自身の手で確認してほしい。その上で番組をみれば、BDをよりディープに楽しむ事ができること請け合いである。

※1 もっとも、こうした確信犯的大家族モノはBDが初めてではない。TBSで放送されていた「青木家」がその起源であろう。

(republic1963)

非モテのための婚活必勝法3:ゲームのシステムを知る

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非モテにとっての婚活とは何かを考える当連載。
今回は世にあまたある婚活サービスの中身について検討します。
世の中には「婚活」サービスがあまたあります。携帯で登録できるカジュアルなものから紹介人を使った本格的な結婚情報サービスまで、一口に婚活サービスといってもその中身は色々です。
といってもそれらは比較的単純に分類する事ができます。
婚活サービスの分類基準は以下の通りです。


・ナンパ型:多数対多数でコミュニケーションをした上で本格的にやりとりする人を決める方式。合コンやお見合いパーティ(ねるとんパーティ)が代表例。手っ取り早く相手が見つかる一方で見た目の第一印象や瞬間的なトークスキルが必要とされる場合が多い。

・お見合い型:最初から1対1でやりとりを行う。(狭義の)お見合いや社内恋愛などが代表例。じっくりとやりとりした上で相手を判断でき、「自然な形」で関係を作ることができるが、とにかく時間と根気がかかる。また、相手を探すためにコツや人脈が必要。

・オフライン型:ネットを利用しない形での出会いのこと。最初からリアルで会えるので、見た目や文面で「騙された!」となる事が少ない。一方でやりとりできる人や人数が物理的に制約される。ほとんどの人は一定年齢を過ぎると会える人は減っていく(周囲が紹介できる人脈には限界があるため)。

・オンライン型:ネットを利用した出会いの事。やりとりできる人、人数が物理的に制約されない一方で写真やメールで受けた印象と違うなど、騙されたように感じられることも多い。


これを使って、
ナンパ(多数対多数)-お見合い(1対1)と、オンライン(ネット利用)ーオフライン(ネット利用しない)
という形で各サービスをマトリックスで分類できます。


○ナンパ-オフライン型:お見合いパーティ、異業種交流パーティー、合コン、料理教室などイベント型婚活、(狭義の)ナンパ など。
特徴:合コン・ねるとんパーティ系のサービスはほとんどが当てはまる。手っ取り早く出会え、結果も即日わかるが、第一印象のルックスの良しあしやナンパスキルの有無に左右されやすい。

○ナンパ-オンライン型:ネットのオフ会、ライブチャットなど
特徴:ネット経由の出会いでリアルで合コン化するものと、ライブチャット系のサービスが当てはまるが数はそれほど多くはない。ネットのオフ会にしろライブチャットにしろ結局きっかけがネットなだけで実質、ナンパなのでトークスキルが必要なのは同様。

○お見合い-オフライン型:結婚情報サービス、地方自治体経由のお見合い、会社の同僚、友人など人づての紹介 など
特徴:いわゆる「自然な出会い」(友人の紹介や会社の同僚)もしくは結婚情報サービスなどが当てはまる。結婚情報サービスもネットで大量に広告が出ているが実質はオフライン型のサービスである(ほとんどの場合ネットでの診断後、事務所に来社させる)。友人の紹介などの「無料サービス」は、一定年齢以上になると利用が難しくなるが、結婚情報サービスは費用がかなり高額。

○お見合い-オンライン型:出会い系サイト (含むオンラインデーティングサイト)など
特徴:出会い系サイトのほとんどが含まれる。ネットでやりとりでき、結婚情報サービスなどに比べると費用がかからないのがメリット。一方でとにかく根気が必要なのと、リアルでの出会いに関しては自己責任で行わなければならず、何がおこるかわからない。



そもそも、ナンパや合コン、会社や学校内といった人づての紹介のような「伝統的恋愛」は「ナンパ」「お見合」の形式に限らずオフライン型がメインでした。ですがこれら「伝統的恋愛」には一つ大きな弱点があり、それは「ある一定の年齢を過ぎると紹介が少なくなる」という事です。
我々婚活者が最もイラつく発言の一つが、

「誰か紹介して」→「紹介したいけど友達はみんな結婚してるし」

という死のコンボです(特に妻帯者にこの手の発言をする人間が多い)。
独身率は歳を経るごとに下がっている以上、当たり前の話ですが、歳を経れば経るほど周りで結婚する人は増えていきます。「友人3人たどれば大統領」なんて話もありますが、我々が毎日生きてきて出会える人も管理できる友人関係も有限である以上、歳をとればとるほど人づてでの婚活が難しくなることは目に見えています。このギャップを埋めるためには、人脈を一定のペースで広げ続けるか、何らかのサービスを使って「全く見ず知らずの人と出会う」ことしか方法はありません。
つまり、直接の対価(金)を支払うことで人脈の不足を補う事、これが婚活サービスの本質です。
「誰も適当な相手がいない」人はすべからく可及的速やかに「婚活」を始める必要があるのです。「誰もいない」人は自分の管理する友人関係に恋愛関係(結婚)に発展しそうな人が誰もいないということなんですから。
一方で、「婚活」を決意した時にまずあなたがするべき事もおのずから明らかです。それは周りの友人に「誰か紹介して」と、とにかく言いまくる事です。これによって開かれた合コンなどでうまくいけば良し、あわれ友人からシカトもしくは、合コンにおいて奮戦むなしく力尽きた場合、いよいよ「婚活」サービスのお世話になる必要があるわけです。ようこそ、婚活ワールドへ!

(republic1963)

非モテのための婚活必勝法2:婚活における「80%原則」

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「非モテにとっての婚活とは何か」を追うこの連載。
今回は私が提唱する「80%原則」について。

はず初めいこのエントリを取り上げます。婚活ではなく、脱オタ(=オタクにありがちなファッションセンスを改善する事。転じて比較的貧弱なファッションセンスを改善する事)についての記事。色々ツッコミどころがありますが、今回一番ツッコミたいのがここです。

ターゲットとする女性: おとなしい~普通系中心に、女性全体の5割くらいをターゲットとすることが目標です。

http://anond.hatelabo.jp/20110925204621

いや、そこが一番競争が激しいですから!

以前取り上げた婚活疲れ女子も全く同様に「普通の家庭がほしい」と発言していた事がさわやかな記憶とともに思い出されます。
婚活している人に「どういう人がいいですか?」というと100%に限りなく近い確率で言うのが「普通の人」というセリフ。

いや、それみんな言ってるから!

つまり、我々がいう「普通」とは極めて恣意的でハードルが高いものなのです。「普通」を目指すと婚活は失敗する可能性が高いのはこうした理由によります。ここで私が主張しているのが「80%原則」です。これは何かというと「80%ダメでもとりあえず声かけとけ」というものです。要するに「(プラスかマイナスかはさておき)絶対にあり得ない人」以外にはとりあえず声をかける、自分からは拒否するなという事です。

そもそも、「婚活」というゲームは以下のような流れで進みます。

1:ニューコール(新規開拓)⇒2:ラポール(関係構築)⇒3:クロージング(告白)

※これらは全ていわゆる「営業用語」である事に注意

順を追って説明していきます。
1:ニューコール(新規開拓)
相手に自分の存在を認知してもらうこと。要するに自己紹介のこと。婚活サイトでの初回メールやお見合いパーティーでの初回自己紹介、結婚情報サービスにおいて相手を紹介してもらったりする事を指す。

2:ラポール(関係構築)
相手との人間関係を築き、信頼してもらうこと。婚活サイトでのメールのやり取りや結婚情報サービスにおける初回面談などの事を指す。

3:クロージング(告白)
読んで字のごとく、相手に告白して「友人」から「恋人」にクラスチェンジすること。一応ここが「婚活」のゴールとされている。 

サービスの内容に限らず、この流れは基本的に共通です。というか、婚活に限らず、社内恋愛や大学での恋愛も流れは同じです。ただ、「伝統的恋愛」と「婚活」が違うのは、「伝統的恋愛」においては、ニューコールとラポールの区別が極めて曖昧になっていて、あまり意識しないという事です。会社の同期や大学の同じサークルの人と「いつ出会ったか」「いつ仲良くなったか」なんてことはあまり意識されないでしょう。一方で、「婚活」においては「この人に初めてメールを送るかどうか」は自分の能動的な行動が伴う分、意識せざるをえません。つまり、ここで何が起こるかというと、

ニューコールの段階でクロージング後の事を考えてしまう

という現象です。これが高じてしまうと、

最初に声をかける段階で非常にハードルが高くなる

という現象に陥ります。こうなると婚活疲れの一歩手前です。営業における新規開拓も婚活も、「疲れ」るのは訪問する顧客がない、見込みが発掘できない事が最大の理由です。つまり、「この人と付き合えるか」を考えてしまった結果、声をかける相手がいなくなる事が婚活疲れの最大の理由でしょう。
むしろ、ニューコールの時点で付き合うかどうか(ましてや付き合った後)の事など考える必要はないのです。それは、ラポールの段階で検討し、クロージングの段階に進むかどうか決めればいいのです。リアルの人間関係において我々は、普段「この人と人間関係を作るかどうか」なんていう事を考えません。よって「ニューコール」と「ラポール」の区別が極めて曖昧になっているのではないのでしょうか。
「この人は私の許容範囲か」「普通なのか」なんて事は考えずにとにかく声をかけまくる、これこそが婚活における唯一の必勝法なのです。

(republic1963)

中二病の文化誌(番外編)永遠の中二病のための作品ガイド

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「中二病の文化誌」完結記念として、今回は「中二病」をより理解するための作品、「中二病作品」を紹介していきたいと思う。ここで取り上げられる作品は中身が中二病という以上に、「中二病」というとらえどころのない概念を理解するために適した作品を紹介したいと思う。
なお、『奇刊クリルタイ増刊 dorjVol.1』には中二病作品を100本(!)取り上げた『中二病100本ノック』も収録されているので、是非そちらも参照していただければ幸いである。
また、ここで言う「中二病」とは褒め言葉以外の何物でもないという事は改めて表明させていただく。

■スプリガン(たかしげ宙、皆川亮二 2006年(文庫版) 小学館)

スプリガン (1) (小学館文庫 (みD-1))スプリガン (1) (小学館文庫 (みD-1))
著者:たかしげ 宙
販売元:小学館
(2006-06)
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「我々の残した遺産を、悪しき者より守れ」
ある遺跡から発掘された金属板に現代を遥かに上回る科学力を持つ超古代文明の人々からと思われる警告が記されていた。そのメッセージに従い、設立されたアーカム財団は、彼らの遺産(オーパーツ)をあらゆる権力から守り、封印、破壊する組織を結成した。アーカム財団のトップエージェント達は遺跡を守る最強の妖精「スプリガン」と呼ばれた御神苗優はその最強のエージェントとして今日も世界を駆けまわる…。スピード感あふれる展開に数々の謎のオーパーツ、交錯する各組織の思惑、後半のシリアスな展開、そしてAMスーツ(アーマード・マッスル・スーツ)!オリハルコンに感応して銃弾をはじき、筋力をパワーアップする最強の武器を駆使した御神苗優のけれんみのないアクションは最高の見せ場の一つである。
あまりにも素晴らしすぎるこの設定。その物語の熱量も含めて邪鬼眼系中二病のお手本のような作品である。だが、より注目するべきなのは、主人公・御神苗優は世界最高のエージェントでありながら高校生としては日々の単位取得を目指し、修学旅行における最高のワンダーランド=女湯を目指すというどうしょうもない高校生なのだ。そして、彼はそのストーリーの最後においてすら普通の高校生として振る舞うのだ。そして、この日常⇔非日常の往復運動こそが極めて中二病的なのだ。

■ファイナルファンタジー7(スクウェア・エニックス)

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販売元:スクウェア・エニックス
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言わずと知れたゲーム史上に残る名作PRGだが、「中二病」という意味でもエポックメイキングな作品。スチームパンク的な世界観と崩壊する世界は邪気眼系中二病ど真ん中の概念である事は言うまでもない。だがそれにもまして我々を熱狂させたのはクラウド、セフィロスという主要キャラの中二病度合いである。そもそもクラウドという人物自体が一種のワナビー的中二病なのだが、寡黙な主人公が大剣しょって世界を救う。これこそが我々が求めていた未来!現に二人はシリーズ屈指の人気キャラとなる。とともに、数多くの「発症患者」を生み出した、90年代の邪気眼系中二病黄金時代を象徴する作品。


■phyren-サイレン-(岩代敏明 2008年~2010年 集英社)

PSYREN-サイレン- another call2 未来は君の手の中に (JUMP j BOOKS)PSYREN-サイレン- another call2 未来は君の手の中に (JUMP j BOOKS)
著者:岩代 俊明
販売元:集英社
(2011-03-04)
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我々が生きるこの時代は中二病が極めて生きづらい世の中だ。ちょっと中二病的モチーフを出したら即「中二病(笑)」の大合唱。「(笑)」によってあらゆるコンテンツは相対化される。そんな中二病受難の時代における「あえて」の超ド直球中二病マンガ!能力バトル+練られたプロット+極めて明解なキャラ造形という新たなバトルマンガのスタンダードたらんという意気込みが感じられる。ドルキ様やヒリュー等いろんな意味で最高な登場キャラも多数登場。打ち切り気味に終わったマンガ版と合わせて是非小説版も一緒に読んでほしい。唸れ暴王の月!

■山月記 (中島敦 1942年 岩波書店 他)

山月記・李陵 他九篇 (岩波文庫)山月記・李陵 他九篇 (岩波文庫)
著者:中島 敦
販売元:岩波書店
(1994-07-18)
販売元:Amazon.co.jp
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唐代、隴西の李徴はかつての郷里の秀才だったが中二病で非モテな性格の彼は役人の身分には満足しなかった。彼は詩人として名を成そうとするが挫折。小役人となって屈辱的な生活を強いられたが、その後、発狂し山へ消え、行方知れずとなった。翌年、彼の旧友は、山中で虎になった李徴と再会する。李徴は虎になってまで、彼は詩人として名を成した自分を妄想していたのだ!そんな自分に李徴は、
「己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢て刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった。」
と自嘲気味に語るのであった。
高校の国語の教科書にも収録されている誰もが知ってる超有名作品だが、全ての非モテ・中二病・ワナビーが一度は読むべき基本文献。「自分に才能がないかもしれないので努力したくないけど、自分が才能ある事をしってるのでどうでもいい仕事はしたくない。」この自意識と中二病!山月記に共感できる人は信頼できる!

■水滸伝(1999年~2005年 北方謙三 集英社)

水滸伝完結BOX (集英社文庫)水滸伝完結BOX (集英社文庫)
著者:北方 謙三
販売元:集英社
(2008-04-23)
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作中における「替天行道」とは中二病的妄想に他ならない。なんのことはない、「サラリーマンにだけはなりたくねぇなぁ」が「宋の役人にだけはなりたくねぇなぁ」に変わっただけなのだから。それを笑う事は簡単だが、北方水滸伝の元ネタはキューバ革命であり、全共闘世代である北方自身の経験を反映させたものである。つまり、水滸伝の中二病性とはそのまま革命(ないしそれに付随した物語)そのものの「イタさ」を象徴しているのだ。

■AURA-魔龍院光牙最後の戦い- (田中ロミオ 2008年 小学館)

AURA ~魔竜院光牙最後の闘い~ (ガガガ文庫)AURA ~魔竜院光牙最後の闘い~ (ガガガ文庫)
著者:田中 ロミオ
販売元:小学館
(2008-07-19)
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邪気眼(作品中では「戦士妄想」)なヒロインに冷静にツッコミを入れる元・邪気眼の主人公が面白いライトノベル。主人公はクラス内の序列「スクールカースト」によって邪気眼の「イタさ」を知り、見事高校デビューを図るが、ヒロインはいつまでも中二病のまま・・・よって起こる、「主人公は元ネタを全て「察知」できるが、それを知っているとは言えない」という掛け合いは面白いが、「「邪気眼」はイタい」という前提条件が共有されて初めて100%楽しめるという意味で極めて「メタ中二病」的な色彩の濃い作品である。
「スクールカースト」系作品群は最近の学校モノの小説の中にも度々登場し、その救いがない冷徹さは度々描かれている。だが、本作で提示されるそれへのカウンターについて読者はどう思うだろうか。是非一度読んでみて考えてほしい。

■腑抜けども、悲しみの愛を見せろ(本谷有希子 2005年 講談社)

腑抜けども、悲しみの愛を見せろ [DVD]腑抜けども、悲しみの愛を見せろ [DVD]
出演:佐藤江梨子
販売元:アミューズソフトエンタテインメント
(2008-02-22)
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両親の訃報を受け、音信不通だった和合澄伽は東京から田舎に戻る。家には、母の連れ子だった兄・宍道と結婚相談所の紹介で嫁いできた兄嫁・待子、内向的な妹・清深がいた。田舎で女優然として振る舞う澄伽。4年前の澄伽の上京をめぐるいざこざのおかげで微妙な空気感の流れる姉妹。ある日、澄伽は新進の映画監督が次回作の主演女優を探していることを知り手紙を書く。それに思いがけずに返事が来て…。
とにかく、澄伽がとんでもなくイタい。全く才能がない上に自尊心だけは超一流という、素晴らしい中二病ぶり。電話もないド田舎で、崩壊する自分のセカイを必死に守ろうとする姿は笑いとともに胸を抉られる。映画版では佐藤江梨子が主演し「いろんな意味で」勘違いぶりが2重に楽しめるところもまたよし。単なるメタ中二病コメディとしてではなく「才能のある人間とない人間の相克」というテーマでも楽しめる作品。

■魔方陣グルグル(衛藤ヒロユキ 1992~2003年 スクウェア・エニックス)

魔法陣グルグル グルグルBOX(2) [DVD]魔法陣グルグル グルグルBOX(2) [DVD]
出演:瀧本富士子
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恐らく最初期の「メタ中二病」作品。「グルグル」のギャグはドラクエ風のRPG的世界をプレイヤー視点で徹底的にパロディ化しつくしている事がポイントだが、これこそがメタ中二病の原点ではないだろうか。作中に登場する「クサい要素(ベタ)に反応する」妖精ギップルはメタ中二病性の象徴だ。そして最もRPG的にストーリーに絡んでくるキタキタおやじは「いい歳こいて冒険に憧れちゃってる」一種の中二病だが、タダの街のオヤジだったりする。

■ゴーマニズム宣言 脱正義論(小林よしのり 1996年 幻冬舎)

新ゴーマニズム宣言スペシャル脱正義論新ゴーマニズム宣言スペシャル脱正義論
著者:小林 よしのり
販売元:幻冬舎
(1996-08)
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「薬害エイズ運動」の盛り上がりと運動が達成した最高潮の高揚感、そしてその挫折が描かれた傑作。「読んでると学校で一味違ったキャラに見られる」という意味で最高のセンス競争系中二病マンガでありながら、「運動」の超克という意味では中二病克服への処方箋も描かれた。また、「脱正義論」当時、「ゴー宣」を入口に良しにつけ悪しきにつけ、社会や思想というものに関心を持つようになったきっかけになったという意味でもこの本が果たした役割は大きい。思春期に一度は読んでみてほしい一冊。

■RPGツクールシリーズ(エンターブレイン)

RPGツクール VXRPGツクール VX
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あらゆるワナビーが自分だけの超大作RPGを作ろうとし、結果、あまたの屍を生み出した罪深い作品。筆者はある送別会で「ワナビーといえばやっぱこれですよね!」と言われ手渡された経験を持つ。誰もかれもがFFやドラクエを超える作品を作ろうとするも見事に押し入れで埃をかぶる結果に。この作品の絶望が深いのは、ちゃんとやれば本当にすごい作品が作れるという事だ。RPGツクールのコンテスト入賞作品をみるにつけ、いかに自分の才能がないのか思い知る結果になり、結果としてパッケージをみるだけで深い絶望に包まれること請け合いである。

奇刊クリルタイ増刊「dorj」奇刊クリルタイ増刊「dorj」
著者:クリルタイ
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星野仙一という既得権

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(『奇刊クリルタイ増刊 「dorj(ドルジ)Vol.2」All About Sports』に寄稿した『「星野本」研究」~「プロ野球監督・星野仙一」とは何者なのか?~』を改題・改稿の上掲載)

■はじめに

「燃える男」星野仙一。現役選手として146勝121敗34セーブ、監督としても920勝(歴代13位)、リーグ制覇3回という立派な成績を挙げ、2011年シーズンからは東北楽天ゴールデンイーグルスの監督として手腕をふるっている。だが、それよりも特筆すべきはその膨大な数の「星野仙一研究本」である。星野は87年の中日(第一期)監督就任時から数十冊の星野仙一関連本が出版されている。だが、野村克也や長嶋茂雄はともかくとして、仰木彬や上田利治といった監督は通算勝利も、リーグ優勝数も星野よりも多く、かつ、両者とも星野にはできなかった日本一を達成しているにも関わらず、「研究本」の数では星野にははるかに及ばない。こうした落差はなぜ生まれるのであろうか。星野の「マネジメント論」の中身となぜ星野仙一が日本社会で必要とされているのかを明らかにするのが本稿の目的である。

■「マネジメント能力」の正体

ここではまず「星野仙一研究本(星野本)」の中身について考えていきたい。星野は通算4度、北京オリンピック日本代表監督(2008年)も含めて5度監督になっている。監督歴は1987年から現在に至るまで、断続的に「星野本」が書かれているが、その多くには星野の次の部分を取り上げている。

1:数々の大トレード・粛清を断行した決断力・・・中日時代(第一期)の落合博満獲得時の5対1のトレードや、阪神時代、2002年オフに24人(全選手の3分の1)を解雇した。
2:球界全体に及ぶ人脈力・・・出身球団である中日内部だけではなくON=王、長嶋を始め川上哲治や根本陸夫、果てはあのナベツネ(渡邉恒雄 読売新聞グループ本社代表取締役会長・主筆。読売巨人軍会長)に至るまでプロ・アマ問わず広範囲に人脈を築いた
3:後援会をバックにした集金力・・・星野の人脈は野球界だけにとどまらず、政財界にも及ぶ。そうした政財界関係者を後援会に組織、潤沢な資金をもって中日時代(第一期)には報奨制度で選手を鼓舞した
4:恨まれるはずの人間からも慕われる人間力・・・中日時代(第一期)には落合の交換要員としてロッテにトレードした牛島和彦にも気配りを忘れず、結果として本来恨まれるはずだが、現在に至るまで関係は良好である

こうしてみてみると星野は野球監督の采配それ自体よりもマネージャー・GMとしての能力を評価されている。事実、「星野本」では第一期中日監督時代に落合を獲得した5対1の世紀の大トレードや、阪神監督時代の24人大粛清は必ず取り上げられるが、「星野本」における星野の「采配」それ自体に関してはは驚くほど印象が薄い。これは星野の野球理論自体は極めてオーソドックスなものであるのと同時に「監督としての日常の実務はほぼすべてといっていいほど」長年の盟友でありヘッドコーチであった故・島野育夫に任せていたためだろう(星野仙一『シンプル・リーダー論』2005年 文藝春秋より)。ただし、こうした「采配をヘッドコーチに任せていた」ことをもって星野には監督としての資質がない、というつもりはない。だが、 一方で疑問に思うのはこうした、星野のマネージャーとしての能力の源泉である。
「マネージャー・星野仙一」の原点は、一つは自身の幅広い交友関係から様々な形で監督としての管理術を学んでいった事があげられる。星野自身の手による『改訂版 星野流』(世界文化社 2011年)ではその過程を以下のように描写している。

監督になる前、NHKの解説者でいた時に、将来はいずれ監督をやるつもりでいたのでNHK仲間である川上(哲治)さんや藤田(元司)さん、広瀬淑功(元南海ホークス内野手)さんといった大先輩からいろいろ勉強するチャンスがあった。


とりわけ、当時NHK野球解説の大物にしてV9時代に「悪の管理学」を完成した川上からは大いに学んだとのことである。
もう一つは明治大学時代、御大こと島岡吉郎に鍛えられた事が大きい。島岡とのエピソードはNHK人間講座(2004年8~9月分)『人を動かす 組織を動かす』に詳しいが、ふがいないピッチングをした星野と島岡は「グラウンドの神様に謝る」と称して雨の降る深夜の練習場のグラウンドでパンツ一丁土下座で謝ったという。
このエピソードに象徴されるように、島岡はいわゆる精神論者である。
玉木正之にその点を聞かれた星野は以下のように答えている。

玉木 しかし島岡監督は、典型的な精神野球論者で、野球の理論は全く知らないという声がありますよね。だから星野監督も選手を殴るんだという人もいますが・・・。
星野 それは、島岡さんを知らない人のいう言葉だよ。そりゃ、あの人はバットの出し方とか投球フォームのような、技術論には詳しくない。(中略)野球に賭ける情熱とか、また、野球を通して人の心を掴むこととか、もう、じつに様々な事を学んだ。
『監督論』玉木正之 1988年 NESCO


つまり、星野はここで島岡流の精神論が自分の管理手法の源流にある事を認めている。問題は「星野本」のストーリーラインとして1~4の「力」は星野の「人間力」によって培われたという事になっていることだ。

■素晴らしき哉、人間力

前段で「星野本」のストーリーラインとは「星野のマネジメント論の根底にあるのは実は恩師から受けた教育であり、結果培われた「人間力」によるものである」と述べた。つまり、星野の優れた「人間力」によって、敵であるはずの人間ですら味方につけ、味方を後援会に組織し、豊富な資金をバックに選手を獲得する。これらは全て星野の「人間力」あってのことだ、
「星野本」のストーリーラインを要約するとこうした結論になる。
例えば前段に挙げた川上哲治。川上は巨人のリーグ戦9連覇(V9)を達成した監督だが、その川上をして星野に「全面協力」を申し出させている。中日ドラゴンズという球団は親会社同士が同業種ということもあり、巨人をことさらライバル視している。中日ファンの中には巨人が最下位であれば中日は5位で良いという人間すらいるのだ。そうした環境に身を置きながら、ライバル球団のドンとも呼べる人物に師事する。星野の「人間力」を象徴するエピソードである。
もう一つ。阪神監督だった星野は2002年オフに大補強として金本知憲、伊良部秀輝らを獲得。これが結果として阪神の優勝につながるが、金本獲得について星野は前掲『シンプル・リーダー論』にて次のように語っている。

たとえハダカになってぶつかっていくにしても、カネで釣らない、その場限りの巧いことはいわない。心意気を第一義に、お互い両天秤にかけて腹を探り合うようなことはしないという掟は同じだ。
どんな交渉ごとでも取引でも大事なのはかけ引きではない。誠実さとか、信頼感とか、いうなれば「信義」だ。(中略)だから、わたしが出ていくともう「一緒にやらんか。一緒になってチームを強くしていってくれんか」というだけのことだ。


つまり、星野は選手獲得であっても条件ではなく自分の「人間力」、ここでいうところの「誠実な人柄」によって成功するものだ、としているのだ。

■監督・星野仙一が人気な理由

星野の「マネジメント論」が「人間力」を根底にしたものだとして、では星野はなぜ支持されるのだろうか。一つは、星野の「マネジメント論」が社会が「スポーツ」に対して単なる娯楽以上に期待されている事に合致するからだ。星野の言う「人間力」は「道徳」に容易に転嫁する。前掲『星野流』から星野の「道徳」言説を拾ってみよう。言うまでもなく、星野は体罰肯定論者である。その名も「点火のためには、時には殴る、それがどうした」と題して星野はこう綴っている。

こういう話になるとすぐ星野は体罰容認主義だ、現在の教育制度をりかいしていないんだと誹謗中傷を受けるのだが、逆にわたしは百歩譲っても、ことあるごとに本当の責任がどこにいくのかもわからない、誰もが痛くもかゆくもない、ただ穏当でだらだらした場当たり主義の形式や便法に走って、本来的な厳格性を二の次にしがちな今の風潮なり、考え方なり、そうした制度というものの方が余程、断然苦々しい。(中略)「厳正な態度の周知徹底」という、簡単で誰にでもぽっとわかるような一番大切な「教育の原点」がどこかに行ってしまうと、お互いにもっとどんどん始末の悪い事になっていくのではないかと思っている。


もう一つ。星野が今の若者について語った部分を引用する。

今の若い選手は子どもの時から、人や周囲からあれもこれも全部「答え」を出してもらって育っている。親や先生があれもこれも、手取り足取りして教えてくれる。冷蔵庫を開ければすぐ食べられるものがあり、テレビのスイッチをつければ憶えきれないほどの情報や見たいものが見られる。勉強していてわからないことがあればガイドテキストでも、パソコンでもなんでもすぐに調べれられる。答えも情報も周囲に身近にあり過ぎて、逆に身につかないでいることが多いものだ。「成果」というものは多少の練習や努力ではすぐに出るものではないのだが、すぐに答えなり成果が出てこないとすぐに諦めたり、自分でなかなか本気になってやろうとしたがらない。


こうした発言を例えば石原慎太郎がしたものだと言われても全く違和感がないだろう。つまり、星野の語る人間論とはほとんど「道徳」であり「保守」なのだ。というか、こうした発言をするからこそ星野は人気なのだ。スポーツをする事によって本人の人格形成に役立ち、「良き社会人(そこには多分に「保守主義者である」という意味も含まれる)」として生活する。そうした社会の要請に対して星野の「マネージャー論」は実に巧妙に応えているのだ。
もう一つは、星野が「団塊の世代」である、ということだ。数々の「星野本」に共通する記述として星野を「我ら団塊世代の~」と表現する事からも星野が団塊世代からとりわけ支持される人物であることがわかる。1947年生まれの星野は団塊の世代ど真ん中。この年代も星野を始め、山本浩二、田淵幸一等、数々の名選手を輩出した。だが、名選手が名監督だとは限らない。この中で唯一監督として優勝経験のある山本浩二も優勝回数は1回。しかも、2008年の北京オリンピックには守備走塁コーチとして監督・星野の下にコーチとして入閣している。つまり、事実上、団塊世代が「我らの監督」として唯一思い入れを持って応援できる存在が星野なのだ。
数々の「星野本」を上梓しているライター・永谷脩は、その名も『「団塊の世代」1,000万人への熱きエール 星野仙一の悪を生かす人づくり』と題した「星野本」の内でこう書いている。

昭和十年代生まれのリーダーは、社会でも球界でも長いあいだ君臨してきた。その一方で、昭和三十年代生まれのニューリーダーの突き上げにあい、なんとなく存在感を失い、元気をなくしているのが「団塊の世代だ」。
全国1,000万人ともいわれる団塊の世代は、リストラなどいちばん激しい状況に置かれ、年金などでもワリを食い始めている。そんな世代にとって星野の頑張り、同世代に元気を与えてくれたことは確かだし、不況のなかで関西圏への2,000億円の経済効果は、夢を運ぶ職業の人の手によって可能となってくれているような気もする。


これが、最も本音の部分での星野が支持される最大の理由であると思われる。金と暴力による支配から部下の自主性を重んじ、やる気を引き出すという管理手法の変遷、中日ドラゴンズから阪神タイガース、そして日本代表監督とステップアップしていく星野の姿はそのまま団塊世代の歩んできた道そのものであり、彼らの夢をも象徴しているといえるのではないだろうか。

■星野仙一という既得権

本稿では、監督・星野仙一のマネジメント論には「人間力」教育があり、星野の人気の秘密は、社会の要請としての「人間力」教育に実に巧妙に応えている、ということにあるところを確認した。組織のマネジメントに一定の正解はない。組織の数だけ、それに見合ったマネジメントの形がある。
だが、問題は、あまりにも安易に人間力とマネジメントを結び付けることにある。先に述べた通り、星野の「人間力」とは容易に「道徳」に結び付くのだ。そして、それは島田紳介や和田アキ子に代表される「ヤンキー」や石原慎太郎らの「保守」とパラレルに繋がっているのだ。そうした星野がもてはやされる構図は日本の既得権の構造そのものである。
星野仙一という男はどこに向かうのか。すでにかなりの高齢となったONに続く野球界全体の指導者として星野はうってつけだったはずだ。中日、阪神で優勝した後、北京オリンピックの代表監督に就任。ここでメダルを獲得し、続くWBCでも好成績を残し、野球界においてONと同等かそれ以上の影響力を持つ、これが星野が描いていた青写真であろう。だが、結果はオリンピックで惨敗。猛烈なバッシングを受ける。WBCでは下の世代の原辰徳が監督になり結果は見事優勝。セイバーメトリクス(※1)のような指標に対してそして星野仙一的な「精神論的」マネジメント手法は既に陳腐化しつつある。それでも上下の世代に挟まれて身動きの取れず、監督を続けるしかない星野。「星野仙一物語」としてもこの結末は尻切れトンボであろう。だが、星野はそう遠くない未来に「プロ野球の監督としては」花道を飾ることができる(※2)。だが、真に悲惨なのはその尻切れトンボの物語に付き合わされた組織の人員なのではないか。星野のこうした佇まいは漂流する団塊世代と彼らによって迷惑を被る若者世代の構図そのものだとは言いすぎだろうか。


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※1 野球においてデータを統計学的見地から客観的に分析し、選手の評価や戦略を考える分析手法。『マネー・ボール 奇跡のチームをつくった男』(マイケル・ルイス ランダムハウス講談社)などに詳しい。

※2 これは、「それなりに成功したプロ野球監督」として野球人生を終える事を意味しており、明らかに「その先」を目指していたであろう星野にとってはこれは失敗である。だがこうした私の考えが間違っている可能性ももちろんある。それは楽天を率いて日本一を達成した時か、WBCに優勝した時だろう。いち野球ファンとしてその時がやってくる事を(一応)心待ちにしている事はいうまでもない。

参考文献
星野仙一『改訂版 星野流』2011年 世界文化社
星野仙一『シンプル・リーダー論―命を懸けたV達成への647日 (文春文庫) 』2005年 文藝春秋
星野仙一『星野仙一のインターネット熱闘譜』1996年 ごま書房
星野仙一『ハードプレイハード 勝利への道』2000年 文藝春秋
星野仙一『勝利への道』2002年 文藝春秋
星野仙一『人を動かす組織を動かす (NHK人間講座)』2004年 NHK出版
永谷脩『星野仙一 「世界一」への方程式―トップを目指し続ける男の「頭の使い方」』2008年 イーストプレス
永谷脩『星野仙一「戦い」の方程式―「今いちばん期待される男」のリーダー学』2002年 三笠書房
永谷脩『星野仙一の悪を活かす人づくり―「団塊の世代」1000万人への熱きエール 』2003年 二見書房
星野番記者グループ『星野仙一―魅力ある男だけが生き残る 新しい時代の管理学 星野仙一―魅力ある男だけが生き残る 新しい時代の管理学』1988年 学習研究社
玉木正之『監督論―星野仙一の戦略と戦術』1988年 NESCO
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