(「週刊メルマガクリルタイ」Vol.78(2011年4月7日配信分)の原稿を再掲)

◆閉鎖した「お互い様」社会

よくテレビや雑誌などのメディアで「人情味あふれる下町」というフレーズが乱用されるが、実際のまちづくりに参加していると、その「人情味」こそが町の衰退を招いているのではないかと思わずにいられない場面に出くわすことがある。
たとえば僕のお世話になっている某商店街には、昭和30年代頃まで「七夕祭り」があったという。本場仙台にはかなわないまでも、街頭や電柱にロープを渡して無数の七夕飾りを吊るして、空を覆わんばかりの華やかさであった。大勢の客でにぎわい、商店街はにぎわった。しかし小さな商店街だったので人波はあふれ、何もしていない隣の商店街にまで利益が転がり込んでしまった。商店主たちからは「自分たちがこんなに苦労をして人を集めているのに、隣のやつらは楽して儲けやがって!」と怒りの声が挙がった。結果、伝統ある行事は途絶え、現在同じような規模で飾り付けしようとすれば、消防法の関係で許可が下りないという。一般的に「下町人情」というのはポジティブに語られる。しかし人間に嫉妬はつきもので、「他人が得をしていると自分が損をした気になる」というネガティブな感情もまた「人情」である。結局彼らは「自分の得」より「相手の損」を選んでしまったのだ。今にして思えば互いに協力して、最近流行の「Win-Winの関係」を築けば良かったのにと思うのだが、隣は隣で「おこぼれにはあずかりたいが、協力するのは面倒くさい」と強固な態度を取り続けたらしい。結果、仲良く客を失ったわけだ。損得というロジックよりも感情が優先されてしまったという「下町人情」らしいエピソードである。
結局、地域コミュニティに根付いた、昔ながらの「お互い様」は、コミュニティ内の人間だけに優しい閉鎖的な連帯の粋を脱していないのだ。そのコミュニティを一歩出れば相容れない「よそ者」なのである。「下町人情」とは、言い方を変えれば、単に身内だけを贔屓するという「差別」と紙一重なローカル・ルールに過ぎない。かつては「身内相手」の商売だけでも充分に経済が回っていたからそれで良かったかも知れないが、高度経済成長の終焉、バブルの崩壊、止まらないグローバル化、新興国の台頭と、とかく「閉じたサークルからの貨幣流出」が止まらない現在、「外貨」を稼ぐことのできない地域コミュニティが衰退して行くのは当然の成り行きといえる。

◆「物があれば何でも売れた時代」の功罪

個人商店の売り上げは全盛期に比べ数分の一にまで下がり、年商200~300万というワーキングプア並みの店も少なくない。それでも何故やっていけるかといえば持ち家で商売しているからだ。そして彼らのほとんどは奮起するための資金もなければ意欲もない。そもそも一部の成功者を除き、大半の人間は好景気と言う時代に乗じて「順風満帆の人生」をたまたま築けただけなのだから、時代の荒波に抗うすべも持っていない。ただ緩慢な衰退を運命として受け入れざるを得ないのだ。
この無気力さは、何かに似ている。そう、まるで「環境に恵まれているから引きこもっていられるのだ」という中高年が語る俗流若者論そのものなのだ。「無気力」とは一種の学習の結果である。豊かな時代を送った彼らの大半も、自分自身の力で何かを為し遂げたわけではないという意味では、現在の若者と同じくホンモノの「成功体験」を持ち合わせてはいないのだ。「まだ大丈夫」という微かな希望にすがって、茹でガエルのようにゆっくりと煮立っている。
中高年が、あたかも自分の実力によって手に入れたかのように吹聴する「権力・収入・家庭」というものは、実はただ口をあけて自動的に受動したものに過ぎない。就職氷河期だというとすぐに「就職先がないなら起業すればいい」という話になるが、「物があれば何でも売れた」という高度経済成長期と今ではリスクが違いすぎる。「恋愛経験ナシと応えた新成人はおよそ45%」だの「30代未婚女性の4~5人に1人は処女」だの、若い世代の「彼氏・彼女イナイ率」がハンパないというニュースも連日報道されているが、昔はお見合いと言う半強制的にマッチングされるシステムがあった。別に今の若者より恋愛スキルやコミュニケーション能力に長けていたわけではない。
たしかに戦後は焼け野原だったかもしれない、苦労もあっただろう。それでも一度乗ればエスカレーター方式で、仕事も承認も家庭すら獲得できる右肩上がりの仕組みがあった。今の若者には、登った先が当たりかハズレかもわからないハシゴが無数に用意され、それを「自己責任」の名のもとに尻を叩かれながら選ばされているようなものだ。

◆みんなでやらない「まちづくり」

輝かしかった過去への郷愁から伝統を重んじ、「地域コミュニティを守れ、今こそ人と人の絆を取り戻せ」的なことを声高に叫ぶ中高年は多い。確かに守れるものなら守りたい、取り戻せるものなら取り戻したいとは、みんなが思っているだろう。だが、壊死したものを騙し騙し温存することに何の意味があるのか。ましてや国の助成金をドブに捨てるような方法でやる意味はあるのか? 
最近では「国の補助金に頼らないまちづくり」というのが流行のフレーズになりつつある。実際、認識も高まってきた。事業仕分けで助成金は削られ、それをアテにして意味のない箱モノを作り、継続性を無視したまちづくりに邁進してきた詐欺師まがいの人々が去り、今現在、まちづくりの現場にいる人間は貧乏くじを引いてしまった者ばかりだ。かつてバブル世代が成果を求められずに巨額の見返りを得たのと逆に、少ない予算で成果を求められる。シビアだが、これこそ虚飾を排した「まちづくり」の真の姿なのかも知れない。
考えてみれば都市計画や「まちづくり」が一種の特権や既得権を持ち合わせていた時代だったら、僕のようにどこの馬の骨ともわからないニート上がりの若造にチャンスが巡ってくることもなかっただろう。
そして「昔ながらの人情」という曖昧な概念が効力を失い、新たに叫ばれているのが「みんなでやらない、まちづくり」だ。意欲のない人間が集まって意見を出し合っても、革新的な意見も出なければ建設的な合意も得られるわけがない。だったら「やるしかない」という危機感を抱いた一部の人間が、たとえ反対されても、身銭を切る覚悟で行動を起こすしかない。失敗すれば自己責任、成功すれば結果的に周囲の協力も得られるだろう。そして「タダのり(フリーライド)」を寛容しながらスパイラルに活動を拡大していくのだ。少数精鋭・低予算ではじめれば、たとえ失敗しても路線変更や撤退が容易だ。「一度はじめてしまったら後には引けない」という愚かな時間とコストの浪費にも陥らずに済む。そして、そんな新時代のまちづくりに必要とされるモノが3つある。
「若者・よそ者・バカ者」だ。これはまあ、ドン詰まりになった年寄りの苦肉の策ともいえなくはない。「やりがいの搾取」と紙一重な部分もある。しかし、確実に流れが変わってきていることは確かだ。「人情」という名の美名のもとに築かれていた既得権と差別の城壁が崩壊し、新しい風が吹き抜けようとしている。

◆商店街なんていらない!?

これからの時代、もしかすると商店街や地域コミュニティという外殻は必要なくなってしまうのかも知れない。そんな話を商店街の人たちと常にしている。しかし、昔ながらの人情だの景観だのといった漠然とした「まち」という概念ではなく、人が生き続ける場、生活を維持する場としての「まち」が価値を失うのはもうしばらく先の話だろう。シャッター通りと化した街のシャッターを開かせる方法ではなく、シャッター通りでサバイバルする方法こそが求められる時代が来る。
そんな中で、僕個人は伝統行事も人情も、生活を持続させるために有効であれば存続させる意味はあると思っている。ただ「まちづくり」という時に、人情だの伝統だのといった「概念」の保存が自己目的化してしまうことが多々あるのだ。わかりやすい大義名分は、人を思考や模索といった苦悩から解放する媚薬のはたらきを秘めている。そこが怖いのだ。おそらく人間は「感情」という牢獄から逃げ出すことはできない。だから僕たちは常に「感情」という、アテにしてはならないモノに命を預けているのだというリスクを忘れてはならないと思うのだ。

犬山秋彦