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人生

Masaoのおっさん人生 ~ 生まれてから30年以上たったって、私たちは努力と一緒に生きていくんだ-Masao

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(「週刊メルマガクリルタイ」Vol.027(2010/02/03配信分)の原稿を再掲)

【2010年○月△日の話】
「俺は仕事やる気ないし、でもやらないと生きていけないから金を得る手段として仕方なくやってるだけだし、プログラマやってるのはプログラムを組むこと自体は趣味として好きだからまだ比較的面白く仕事できるからだし、出世すると管理とか部下の世話とか面倒で向いて無さそうなことやらされるから出世欲とかないし、むしろ出世したくないし、承認欲求は心の底からどうでも良い仕事や会社を通してではなく、趣味や身内の仲間を通して得たいので、仕事より趣味を優先させたいと考えています」

…という話を彼女(交際8年目。いい加減結婚を考えるお年頃)にしたところ、「将来が不安になった」とおっしゃり不機嫌になってしまった。

女性にとって「男に就職する」ような面があり、経済面も重要視される行為なので、まぁ当然そうなるよなぁ。要するに、彼女にとって俺のこの発言は、就職予定の会社の社長が「うちはやりたいことだけやりたいので、社員の生活や経営のことに興味ありません。この中に宇宙人、未来人、異世界人(ry」とか挨拶しだしたようなもんで。

人間は「立場」を生きる生き物なので、身内といえどもあまり不安がらせるようなこと言うのはいかんな、と反省。でもまぁ、この「大人の男であり旦那候補である」という立場、結構たいへんです。

【新しいことを始めるのが難しくなってくる話】
「新しいことを始めるのに年齢は関係ない」とは言いますが、実際問題おっさんになってから新しいこと始めるのは、いろいろ厳しいです。好奇心や体力、自由な時間の減退はもちろんですが、人間関係的な側面でもいろいろ厳しくなってきます。

これは要するに、「俺がそのコミュニティで『長老』、かつ『新参者』扱いされることに耐えられるか問題」なのですが、これは結構難しい問題です。特に、「クリルタイ」読者の関心が高そうなオタク/サブカル系カルチャーは、10~20代の若者の比率が高い。たとえ30代以上の人間が居ても、それはその道十数年の歴戦の強者で、その界隈でしっかりしたポジションを持った立場になっている人だったりする。

若者文化では、「社会人になった」「結婚した」等の節目節目で、多くの人が趣味に時間や労力を割くことが難しくなり「卒業」していくからなのですが、そんな中、自分より10歳離れた若者とスムーズなコミュニケーションがとれるか?というと、「趣味」という共通のプラットフォームがあったとしても、結構大変なんじゃないかと思います。若い方も、おっさんのほうも、お互い。片方が気にしなくても、もう片方がどうしても気を遣ってしまう、とか。

僕は最近オタク系クラブカルチャーにハマっていますけど、まぁそこも↑みたいな感じなので、たまに「自分がこんなトコに居ていいんだろうか…」と、ふとよぎってしまうことはありますね。女装コスして「まつりか」を名乗ったりしても、年齢の壁によりキモ…(ゲフン、ゲフン)

まぁ、自分は20代の頃にネットで知り合った仲間が居るので、そこまで歳を意識しなくて済んでるんですが、ホントに知り合いも居ない場所で完全に新しいこと始めるとか、もう無理ですよね(おっさんの草野球チームとかならいけるかも)。いま20代とかの若い人は、いま居るコミュニティを大切にし
て欲しいもんだと思います。

【ネガティブなことしか言わない友人の話】
会社の友人に、口を開くとネガティブなことしか言わない人が居ます。それも「結婚しても嫁に搾取されるだけ。人生の墓場」「休日は寝てるだけ」とか、2chのネガティブ系板のテンプレみたいなことばっかり言う人が。
でもその人、周囲から浮いてるとか嫌われてるとか、そんな様子は全然ない。まぁそれなりに上手くやっている、という感じ。

ネットでは、ネガティブなことを書くとしばしば格好の炎上の材料になりますが、リアル社会ではネガティブなことは必ずしもマイナスではないようです。逆に、いっつもポジティブ全開!みたいな人のほうが「ウザい」として敬遠されがちなような。

まぁなんていうんですかね。長年生きてると誰だってネガティブなことをたくさん経験してくるし、ポジティブ一辺倒な人よりも、ネガティブさも併せ持っている人のほうが「嘘臭くない」「信頼できる」「安心できる」と、親しみを持ちやすいのかも知れません。

(Masao)

Masaoのおっさん人生 家族の特異性と、他人と孤独-Masao

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(「週刊メルマガクリルタイ 」Vol.9(2009/09/07配信分)の原稿を再掲)

前回僕は、結婚が、孤独で虚しい人生や仕事に価値を与える「モチベーション製造機」として機能する、という話を書きました。今回の記事では、結婚と、それによって得られる「家族」について、もう少し掘り下げてみようと思います。

【『家族』は結婚でしか得られない】

結婚により得られ、また結婚でしか得られないもの……それは「家族」です。
前回も書きましたが、「家族」が「他人」と一番違うのは、「運命共同体」であり、「自分の行動が最もダイレクトに反映される他者」であるという点です。
特に、家族の生活の糧を稼ぐ立場にある「大黒柱」(現行の社会では多くの場合夫)の浮き沈みは、そのまま家族の浮き沈みに直結します。このため「大黒柱」には、重い責任が被せられる反面、他では得られない「意味」と「価値」が人生に与えられるのです。
(ちなみに結婚制度のこの性質は、「『責任』を鎖に搾取を目論むブラック企業」や、「『意味』『価値』の側面を見て『男性は社会で自己実現できるのに女はできないのは差別的だ!』と考える女性」等ともリンクしています)

【『共通体験を持つ他者』としての家族】

また、家族が持つこの性質は、歳を重ねれば誰にでも必然的に訪れる、「孤独」対策としても有益です。おっさんになると分かりますが、人生で他人と同じ体験を共有できる部分は、歳を重ねる毎に少なくなっていきます。
産まれた場所、生い立ち、学校、職歴も、趣味嗜好、価値観…同じ年代に産まれた人間でも、人生を重ねれば重ねるほどに、それぞれの歩んできた道は独自性を増し、お互いの価値観や体験を共有することが難しくなっていきます。社会人ともなれば、それぞれに自分の人生があります。友人のために裂ける時間も極わずか。小中学校の頃のように、同じ地域で育ち、同じ学校で、同じ年代の集団の中で濃密な一体感を感じられるような機会は、最早あり得ないと言ってもいいでしょう。人間は、歳を
重ねる毎に、必然的に孤独になっていくのです。
そんな中、唯一家族だけは、何10年と月日を共にする相手となり得る可能性を秘めた存在です。何10年も前の家族旅行の想い出を共有し、死を迎えるまで共に過ごす。そんな存在は「家族」以外にはあり得ません。大人の孤独に耐えかね、ふと弱音を吐いたとき、そうした存在が居ることは、大きな支えになることでしょう(自己心理学でいうところの、『双子自己対象』って奴ですかね)。
もちろん家族とはいえどこまでいっても他人は他人。他人と付き合うことには、喜びもある反面、必ず煩わしさがつきまといます(ヤマアラシのジレンマです)。給料を押さえているのをいいことに、独裁者のように振舞うブラック企業のような「大黒柱」や、行き過ぎた一体感から、子供を自らの延長のように扱う「毒親」も居るでしょう。
これは、「同じ時間と体験を長く共有する」という特徴をもつ「家族」がもつ、光と影だと思います。「同じ時間と体験」が良い方に傾けば家族は素晴らしいものでしょうが、悪いほうに傾いた場合、家族は地獄になるのでしょう。

【普通におっさんになりました】

……と、今回は満31歳のおっさんであるMasaoがいま考える「家族」について書いてみました。僕自身、数年前までは家族について考えたことって殆ど無かったんですけどね……歳食ったせいか、なぜだか孤独が身に染みるようになるんですよ。
で、いろいろ考えていった結果、最終的に孤独や虚無感に一番効くのは、家族なんじゃないかな、と。家族も「他者」ではあるんだけど、「他人」とはかなり違う性質をもっていて、それは他では代価の効かない貴重なモノなんじゃないかな、と。
この辺の心境の変化はたぶん、もう付き合って8年になる、今の彼女との体験が大きいです。ここ数年、いろいろあって自分が弱ったとき一番支えになったのは、10年近く前の想い出を共有し、すぐに連絡を取れる場所に居る彼女の存在だったので。
僕自身、自分の家族が好きなわけじゃないし、むしろうざったいと感じることが多く、そんなに家族というものに夢見てるつもりはないんですが、こうした経験を通し、それでも家族というものはいろんな意味で人生の支えになる存在なんじゃないかな、とは思えるようになったのです。まぁ、月並みに、人並みに。

Masao

Masaoのおっさん人生 - 社畜が結婚したくなるとき

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(「週刊メルマガクリルタイ」Vol.4(2009/08/03配信分)の原稿を再掲)

みなさん、今日も元気に社畜してますか?僕も社畜です。

日々社畜をしていると、自分の人生に虚しさを覚えることが普通にありますよね。「あぁ、俺はこんな大してやりたくもない、どうでもいいような仕事に、一生のほとんどの時間を費やして死んでいくのだろうか?」って。
こういうとき、社畜は自らが生きる意味に疑問を抱き、「私が死んでも代わりはいるもの」とつぶやき、ふと、駅のホームから線路に身を投げてみたくもなるものですよね!
そんな気分のとき、社畜の頭をもたげてくるのが結婚願望です。

社畜にとって仕事とは、生きるために仕方なくこなす、人生のノイズです。しかし、そのノイズに人生の殆どの時間を費やしているという事実は、いかにその心をとっくの昔に会社に殺された社畜といえど、ときに耐え難いものです。

「どうせ生きるために仕事をしなくてはならないのであれば、仕事をもっと価値あるモノにしたい」

その願いが、社畜に結婚願望として現れるのです。
考えてもみてください。仕事によって得られるものは、「給料」という生きるための糧です。その糧が、独身の社畜が独り自分の為だけに使われるのであれば、その糧は「1人の人間の人生ぶん」の価値しか持たないということになります。
社畜は、自らの人生を価値あるものだとは微塵も思っていませんから、その糧の価値は、社畜の主観的にはさらに低いものとなるでしょう。
しかしこの糧が、嫁や子供といった「家族」を養うためにも使われるとしたら?
その糧には、「家族の人数分の人生」の価値が、2人分、3人分と加算されることになるのです! 仕事の内容や自分の能力は、何も変わっていないにも関わらず!
そう考えていくと「結婚」とは、無味感想で無価値な「仕事」や「人生」にやりがいを与える、非常によくできた「モチベーション製造機」であることに気付かされます。
ひとりの人間が世界に対して行使できる影響力など、所詮たかが知れています。どんなに世間を騒がせているように見える有名人やイベントや作品でも、実際に騒いでいるのは「一部の人」だけ。
しかし、配偶者や家族は違います。自分が失業すれば家族は困窮するし、自分が出世すれば家族も潤う。自分の人生の波が、良くも悪くも家族にモロに被さっていくわけです。
若い頃の僕には、それは無駄に責任を背負い込む、無駄な重荷だとしか思えませんでした。しかし歳を重ね、感性が鈍り、人生のあらゆる出来事に、昔のような感動を感じなくなってきたとき。

自分独りだけの人生には、自分の人生を費やすだけの価値は無いのではないかと、そう思う夜もたまにはあるようになってきたのです。本当に、ときたまに。
…もっとも、ここに書いたような結婚願望の正体は、「自らの退屈な人生を充実させたい」というエゴのために他者を利用しようとしているだけであり、そんな動機で結婚することが、果たして良いことなのか悪いことなのか、幸せに繋がるのか繋がらないのか、いまの僕にはこの辺り、よくわからない部分なのです。

Masao
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