chikumaonline

ミニコミ『奇刊クリルタイ』の公式ページ。お知らせやメルマガ「週刊メルマガクリルタイ」の過去記事を掲載していきます。

文化系女子

文化系女子研究所(8) ボーイズラブ源流としての"デビシル"

Clip to Evernote このエントリーをはてなブックマークに追加
「この世に最後に残された楽園」(by金巻ともこ女史)ことボーイズラブ。まずはこの源流をさらりと俯瞰してみよう。

1975年にコミックマーケットがはじめて開かれた頃、同人誌の主流を占めていたのはデヴィッド・ボウイ、Tレックスといった、耽美系ロックバンド/歌手の同性愛パロディを扱うマンガだったという。
1978年に少年愛や男性同姓愛をテーマにした『comic JUN』創刊。やがて雑誌名を『JUNE』に変え、今でいう「やおい」のことを「JUNE系」とくるるようになる。
ここでは、男性ロックバンドのメンバー二人が主人公になり、彼らの間で恋愛関係があるにちがいないといった邪推をエネルギー源とした作品群が大量に量産されていたのだ。中でも人気があったのが、JAPANのデヴィッド・シルヴィアンだ。長い金髪にばっちり化粧したルックスに飛びついたのは、本家イギリスではなく、極東の島国の十代女子たちだったというのは、何とも皮肉な話である。
それはともかく、デビシルは今で言う「腐」の人達にはたまらない存在だったらしく、ベースのミック・カーンとデビシルがそういう関係だというコンテンツが山のように量産されたとのこと。ここまでくると、「そういうことになっている」という集合意識の方が、事実を上回っていたと断じても構わないだろう。
ちなみに当時のJAPANのパロディは、「顔はきれいだけどオツムは弱いデビシル」「カッコいいミック」「兄とミックが仲良しなのに嫉妬するスティーヴ・ジャンセン」といったキャラが確立していた。ジャパンには、坂本龍一教授が楽曲を提供していたのだが、いやおうにもなく同人世界に取り込まれていったという。これは伝聞で、当研究所が作品を確認したわけではないのだが、是非とも拝見したいところである。

さて、『ヴィジュアル系の時代 ロック・化粧・ジェンダー』(青弓社・2003年)でヴィジュアルロックと少女マンガの関係について論じた室田尚子先生は、当時耽美派と呼ばれていたバンドが同性愛パロディの主人公になる理由について、次のように分析する。

【少女にとって、みずからが性的な存在になるというのは耐えがたい恐怖である。(略)そこから逃れようと、少女たちは美少年という存在を生み出した。少女マンガに登場する美少年は、みな女性的なヴィジュアルをもっており、それは少女の「理想化された自己像」にほかになならない。】

確かに、当時はそうだったのかもしれない。しかし、2010年の現在に、まったくその図式をあてはめてしまって、果たしてよいのだろうか?

当研究所では、引き続き「やおい」「腐女子」について論考を深めていきたいと考えている。

(Parsley)

文化系女子研究所(5) 「リピドー」のジレンマ

Clip to Evernote このエントリーをはてなブックマークに追加
(「週刊メルマガクリルタイ」Vol.47(2010/06/23 配信分) の原稿を再掲)

前回から間隔が開いてしまったこともあって、今回は2007年に刊行された『リビドー・ガールズ』(PARCO出版)を紐解いてみたい。筆者のブログで、本書が出版時に、簡単な書評を寄せたので、ご笑覧頂きたい。

リビドー・ガールズ―女子とエロリビドー・ガールズ―女子とエロ
販売元:パルコ
(2007-03)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る


本書は前々回で取り上げた『ユリイカ』文化系女子カタログ号にも登場していた堀越英美女史や真魚八重子女史がそれぞれマンガとVシネマという御自身のフィールドで「エロ」と対峙している。
また、AVライターの雨宮まみ女史が、アダルトビデオの入門レクチャーを、みくにまこと女史がエロ小説について一文をご寄稿されている。みくに女史は「エロ活字文化」の中に、杉本彩、矢部美穂、叶恭子ら告白系タレント本を入れており、女性がそれを指摘されるまで気付かなかった事に唖然としたものだった。

ここにあげた4名のライターが座談会は、「文学少女」系文化系女子の屈託、「モテなかった(と思い込んでいた)のに今、ようやく自分自身に着飾ることをジワジワと許せるようになった女性の、紆余曲折しながら辿ってきた心の変遷について語ったもの」。これが彼女達の心象を偽りなくまっさらな告白として、第一級の資料として後世に語り継ぐべきものだと、当研究所は認定したい。

そして、この本が「エロ」を愛でることで「エロ」に参加するということを肯定する内容だということが、本書で登場する語り手たちの立ち位置を、結果的に「狭間」へと追い込むことになったのではないか、と考える。

実際、本書以降、文化系女子が「エロ」について語ったまとまった書籍はほとんど刊行されていない。『an-an』が年に数度のペースでSEX特集を組んでいるにもかかわらず。

「文化系」に接する中で、エロ=SEXは避けて通ることの難しい、極めてやっかいなテーマだ。そして、ここでは「実践者」が圧倒的に強い。
かくして、2008年以降は「中村うさぎ路線」が台頭する。マンガ家ならドルショック竹下女史の名前が真っ先に挙げられる。ライターでも、元AV女優の峰なゆか女史がライターとして活動をはじめ、より当事者に沿った記事でアダルト各誌で健筆を振っている。
そして、告白系タレント本の延長線上としてベスト新書のAV女優エッセイ達がある。極めつけが原紗央莉の『本名、加藤まい ~私がAV女優になった理由~』(集英社)である。彼女達、「エロ」の当事者達は、無自覚なまま存在自体が文学であるといえるだろう。
これまで言葉を発してこなかった、当事者達が自らを語りはじめた。
となると、折角自分の「言葉」を見つけた「文学少女」系文化系女子の居場所は、たちまち宙ぶらりんの状態に追い込まれてしまったのではないだろうか。

これが、ユリイカの文化系女子ライター達が「こじれ」感を持ちあわすことになった原因のように感じられる。結局のところ、「エロ」を語ることも「当事者」に奪われ、彼女たちは、商業出版からリトルプレス・文学フリマの同人といったところに転戦せざるを得なかったのでは、と考える。

(parsely)

ワセジョは如何にして”残念”となりしか

Clip to Evernote このエントリーをはてなブックマークに追加
(「週刊メルマガクリルタイ」Vol.41(2010/05/10 配信分) の原稿を再掲)

こんばんは、「ワセジョ」の紫式子です。
今回は「女の非モテ」問題のひとつの切り口として、「ワセジョ」について考えてみたいと思います。


■「ワセジョ」をご存知ですか?

日本人なら誰でも知っている……という言葉ではないので、若干の解説をば。

「日本語俗語辞書」様の「ワセジョ」の項には、以下のように定義されています。

大抵は早稲田大学に通う女子大生を意味し、勉強ばかりでマジメ、一般的に女子大生が好むとされる。ファッションやスイーツにもあまり関心がなく、女っぽさに欠けるといった負のニュアンスを込めて使われることが多い。
http://zokugo-dict.com/44wa/wasejyo.htm


また『ワセジョ図鑑』というフリーペーパーによるユーモアを交えた定義は以下の通り。

早稲田大学に通う女子学生の総称 ←→慶應ガール
高田馬場から早稲田にかけて多く生息し、所沢などにも亜種が確認されている。一般的にお洒落に疎く、ファッションには無縁の存在と見なされる。俗に男勝りで可愛げがない様を表す言葉として使われることもある。 
 【用例】
 『女子大生はカクテル、―はビール』
 『―って残念だよね』
 【諺】
 『世の中には、男と女と―がいる。』
http://bizukan.exblog.jp/


「ワセジョ」という言葉をご存じなかった方も、何となくイメージを掴んでいただけましたでしょうか。ざっくりまとめると「女として残念な存在」というイメージで使われている呼称です。

当然のことですが、早稲田大学在籍/出身の女性が全員上記の定義に当てはまっている訳ではありません。個人的にも、恋愛上手で『CanCam』や『JJ』風のファッションを好み、キラキラデコグッズを持ち歩く「女っぽい」同窓生を、何人も知っています。「ワセジョ」という言葉自体を知らない方がいたり、普段の会話に出てこなかったりすることから、
「ワセジョ自身が自分で意識しているほど、世の中の人々はその女性がワセジョであることを意識していない」
「ワセジョを自称すること自体、ワセジョの自意識過剰なのではないか」
という見方もできます。

とはいえ「ワセジョ」という言葉が出来てしまうくらい、早稲田大学在籍/出身の女性に「ワセジョっぽい」タイプの女性が多いのは確かだと思います。実際に私の身近にいたのはそんなんばっかでした(・・・)。

他のあらゆるレッテルと同様、「ワセジョ」にも「非常にワセジョらしいワセジョ」もいれば「ほとんどワセジョっぽくないワセジョ」もいる、”程度の差がある”ものだということを前提としてご理解いただければと思います。

■リアルワセジョの「ワセジョっぽさ」:ジェンダー

上述した通り「女として残念」とされるワセジョですが、実際のところどうなのでしょうか。
ワセジョ本人や、ワセジョの知人をお持ちの方々に伺ってみました。

★ジェンダー観への疑念・抵抗

「同期の男性に対抗心バリバリなかわいげのなさに、自分のワセジョっぷりを感じずにはいられない……」
(Iさん・第一文学部卒・女性)
「男性と知的に対等でありたいという願望を持つ女性。」
(Mさん・法学部卒・女性)
「性別に対して意識的で『女性らしさ』の押しつけを嫌う。関係ないかもしれないけど、レズビアンやバイセクシャルも多かったですねえ。」
(Yさん・第一文学部卒・女性)


「ワセジョ」という呼称がわざわざ「女子」に限定されていることから歴然ですが、性別は「ワセジョ」を語る上で欠かせないキーワード。中学・高校と成績優秀者として育ってきて、自分より「下」の男子も多く見てきているワセジョたち。高校でジェンダー関連の書籍を読んでフェミニズム思想に触れているケースもあり、「保守的な」性別役割分担には懐疑的です。私も上野千鶴子は高校時代、恩師の勧めで読みました。

★ジェンダー観への……無頓着?

性別役割分担への反発心が行動に現れ、意図的であれ無意識的であれ、「これはちょっと本人が思っている以上にジェンダー規範を外れてるんじゃね?」という事例もご紹介。

「牛丼屋、ラーメン屋に一人で入れればワセジョとして一人前かと思う。元カノがワセジョだったが、飲みに行ったときに『一杯目の生中うめぇ』と言っていた。」
(Tさん・法学部卒・男性)


私も行きましたね。
一人吉野屋。
一人松屋。
一人やすべえ(※1)。
一人がんこ(※2)。

「一人で二郎(※3)に行く。卒業してもワセ飯(※4)を求めて早稲田に行く。」
(Cさん・第一文学部卒・女性)
「早稲田の学内イベントを見ていると、女の子でも体を張ったギャグ・仮装をすることが多い印象。慶應の女の子だったら、絶対嫌がるだろうなと思うこともやる。100ハイ(※5)の時、池袋の駅にどこかのサークルの女の子が10人くらい全身タイツと白塗りでウロウロしてて、『これは慶應の女子じゃ出来ないな』と思った。あと、喫煙率・麻雀愛好率・パチスロ率は、他大の女子に比べて高いと思う。」
(Uさん・慶應卒・男性)


★アンチ「モテ志向」

上記のようなジェンダー意識を持っている結果、「モテ」に対するスタンスは以下のようになります。

「自分の行動からはことさらに『女性らしい』(=男性に好まれる、男性に媚びる)要素を排除しようとし、そのような要素を持っている他の女性に対しては、嫌悪、敵意、軽蔑、劣等感などを抱く。」
(Mさん・法学部卒・女性)
「モテメイク、モテ服など男のウケを狙う類のものを嫌悪し、我が道を進む。」
(Cさん・第一文学部卒・女性)
「流行に乗ってて華やかで可愛いくて群れるいわゆる”女子”をバカにしてる女。」
(Yさん・商学部卒・女性)


”お洒落に疎い””ファッションに無頓着”という言われ方をされていますが、実際は単に”モテ系のファッションをしない”
というだけで、ワセジョにはむしろファッションにこだわるタイプが多いと思います。

ただ個性派のおしゃれさんが多いと言いましょうか、「モテるためではなく、自己表現をするために」「自分なりのおしゃれ」
を追究するので、選ぶ「我が道」がエスニックやゴス、古着系などの総じて「モテにくい」スタイルになっているのかなと思います。
まぁ学生時代の私のワードローブの話なんですけどね!!

結果として以下のような評価が生まれます。

「垢抜けていない。合コンに連れて行ったら華がないし自分の興味分野について語りだしそうでリスキー。職場の早稲田OB・慶應OBのおじ様方にとってもワセジョは『芋臭い人種』だそう。」
(Rさん・第一文学部卒・女性)


また、これは私個人の印象になってしまうのですが、早稲田の女子でいわゆる「モテ系」の身なり・嗜好の子たちも、それを当然のことだと思っている訳ではなく自覚的・意図的に選択しているようでした。
「男性の顔を立てる自分」を言語化して意識しているんですよね。

以前「フェミニスト・フェミニズムが嫌い」というモテ系ファッションの同窓生と話をしたことがあります。既存の性別役割分担を演じ続けていた方が自分も楽に幸せになれるし、相手の男性のプライドも傷付けずに済んで充実感を感じさせることができる、というのが彼女が「モテ系」を「選択」している理由でした。

そういった「あざとさ」「計算高さ」は、ワセジョっぽさではないとはいえ、高偏差値大学の「らしさ」だなぁ、と思っています。


■リアルワセジョの「ワセジョっぽさ」:趣味・行動

ジェンダー云々からはちょっと離れた分野にも、複数の方が共通して挙げられる「ワセジョっぽさ」があります。

★マニアック

高学歴、勉強熱心な人にはよくあることですが、ワセジョも例に漏れません。「文科系女子」ってやつですかね。需要もあるとは思いますが、一般的には非モテ要素だと思います。

「『サブカル、アングラ、エロ・フェチ・変態、腐女子、アニヲタ、ゲーヲタ、PCギーク』などの属性を2つ以上持ってるイメージ」
(Uさん・慶應卒・男性)


すみません私最初の4つ当てはまっています。

「何かの分野でやたらマニアックな知識を持っている」
(Cさん・第一文学部卒・女性)
「おたくっぽい人を見るとワセジョっぽいと思う。自分のことも、おたくという意味ではワセジョっぽいと思う。」
(Yさん・商学部卒・女性)


私の後輩には「見た目はCanCam系なのに仏像フェチで、仏像を研究するため美術史学を専攻」って子がいました。

★ピン行動

早稲田大学学生の特徴とされている行動力も、「男子学生並みに」持ち合わせています。

「群れない。未知のことに1人で挑戦する。会社の先輩がワセジョだが、1人で北海道に石彫りに行ってらしたりした。」
(Rさん・教育学部卒・女性)
「1人で海外(タイとかインドとか)行っちゃう。新卒で入った有名企業もアッサリ辞めて海外移住。」
(Cさん・第一文学部卒・女性)
「『早稲田の女性って独特だよね。バックパックかついで世界中どこでも行きそうなイメージ』と言われたことがある」
(Yさん・第一文学部卒・女性)


そういえば私も、学生時代ひとりで海外に行ったとき、帰りの飛行機で同席したご婦人に、

「早稲田なの!? どうりで!! 前の旅行のとき一緒になったジャーナリスト志望の早稲田の男の子と雰囲気がそっくり!」

…って、言われたことがありましたわ。

■ワセジョの恋愛

ジェンダーの枠組みに当てはまらず、時にはみ出してしまい、マニアックで、1人で行動するのも平気なワセジョたち。
どんな恋愛をしているのでしょうか。

「デートは絶対に割り勘とか、ラーメン屋に連れて行かれても怒らないとか、恋人といわゆる男性・女性というより、男友達のような付き合いをしている人が多い印象を受けました。」
(Yさん・第一文学部卒・女性)


性別役割意識を当然視しないので、「男性にエスコートされて素敵な場所に行くデート」のようなものを期待しません。

「いつも残念な恋愛をしている。」
(Cさん・第一文学部卒・女性)


Cさんご本人も、周囲のワセジョたちもだそうです。
彼女の中では、たぶん私も「周囲のワセジョ」の1人です。

頭脳明晰だったり、性別役割意識に囚われておらず自分自身がしっかりしている(あるいはそう思いたい)ワセジョは、ダメ男・クズメンに引っかかりがち。
「だめんず」でないにしても、しつけの厳しい家庭で男女の恋愛を「はしたない」と教え込まれて育ったため、恋愛に対して耐性がなく、好きな人ができたがどうしていいか全くわからない、なんて子もいます。
高学歴の子どもを育てる家庭の出身ならではかもしれません。

とはいえ、恋愛下手ばかりがワセジョの特性という訳でもありません。

「『何かにつけ極端』っていうのがワセジョの定義としてあるかも。恋愛について知っている例を挙げると、『恋愛に不慣れで3次元は無理』みたいな子もワセジョっぽいし、バイセクシャルで『男女合わせて100人切り、新宿二丁目のバーで働きながらお客を女も男も問わず口説いてます』みたいな子もワセジョっぽい。『恋愛下手』というより精神的に男だったような子の人生で初めての彼氏がジャマイカ人だった、ってときも『ああ、やっぱりワセジョだ』と思った。」
(Uさん・慶應卒・男性)


あと、ワセジョ(のような女性)が好みのタイプ、という男性も少なからず存在するのですよね。「知的な会話のできるパートナー」のような付き合い方を望む男性がそう言ってくださりがち。フリーライターの津田大介氏も「ワセジョ好き」を公言してはばかりませんよね。

極端で、能力も性格も半端なくて、一般的に用意されている「幸せ」のレールに乗らない/乗りたがらないワセジョたち。それだけに、自分なりの「幸せ」を欲する気持ち、見出す能力は人一倍強いような気がしました。

願わくば、1人でも多くのワセジョが「自分なりの」「ワセジョなりの」幸せを見つけんことを。この記事がワセジョや、ワセジョと似た悩みをお持ちの皆様に何らかのヒントになれば、幸いです。


(※1)「つけめん屋やすべえ」のこと。都内に複数支店あり。太めでもちもち食感の麺は、男子にとってもボリューミィだという。

(※2)ラーメン屋「元祖一条流がんこ」のこと。のれん分けにより複数店舗がありますが、私が主に行っていたのは神田川に掛かる高田橋の近くにあった「十六代目」です。

(※3)「ラーメン二郎」のこと。量の多さと、癖になる独特の味に定評がある。都内数ヶ所に支店があるが、早稲田大学の最寄りJR駅、高田馬場駅付近にもある。

(※4)「早稲田の飯屋」のこと。早稲田大学周辺から高田馬場駅周辺に掛けては、学生をターゲットとした飲食店が数多く並んでいる。男子学生が多い背景から、オシャレさ・美味しさよりも量・食べごたえを特徴とした、女性客向けではない飲食店である場合が多い。

(※5)「本庄~早稲田100キロハイク」の略称。毎年5月末に開催され、埼玉県本庄市から大隈講堂までの約100kmを2日間かけて歩く行事。必須ではないのだが、何らかの仮装をして参加する参加者が多い。

(紫式子)

文化系女子研究所(4) 森ガール論争で露わになった女子の自意識過剰

Clip to Evernote このエントリーをはてなブックマークに追加
(「週刊メルマガクリルタイ」Vol.34(2010/03/23 配信分) の原稿を再掲)

本来であれば、今回は『リビドー・ガールズ』(2007年・PARCO出版)について取り上げるつもりだった。「女子のエロ」をテーマにしたこの評論集は、文化系女子を考察する上で、外せない教材であると考えるからだ。筆者のブログでも、本書が出版された時に、簡単な書評を掲載させて頂いた。

リビドー・ガールズ―女子とエロリビドー・ガールズ―女子とエロ
販売元:パルコ
(2007-03)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る


が、今回は予定を変えて、森ガールについて論考した「ビジスタニュース」(ソフトバンクパブリッシング)の中川大地氏の寄稿に対して、前回紹介した『ユリイカ』文化系女子特集号に登場していた方々を中心に、主にtwitter上で総ツッコミが入った現象を取り上げてみたい。

「森ガール」にできること~「少女」から「女子」への変遷の中で~
twitterの反応のまとめ
※参考:筆者のエントリー

まず、中川氏の森ガール論は水無田気流女史の「無頼化」という概念と強引に接続を試みるなど、論考としてやや雑な点が散見され、批判に晒されるべき箇所が多く見られたことは否めない。
しかしながら、それ以上に瞠目されるのが「文化系女子」ライター達や女流作家の批判の多くが、女子文化を男が語るという行為自体への否定に繋がっていたことだ。
発端となった堀越英美女史は「男の性欲に適合するのが成熟した「女」のあり方で、そこから外れている女たちは「病んでいる」という女性観にある」と述べていて、しまいには「ガンヲタがオシャレさんを上から目線で語ってる!えらそう!なにさま!森ガールとヤレるようになってから言え!」と捨て台詞を吐いていた。これにはショックを受けた。(後に謝罪のツイートされていたが)
吉田アミ女史や平山亜佐子女史などからは「女子はカテゴライズされるのが嫌い」といった発言もあった。
『バルタザールの遍歴』で名高い佐藤亜紀先生などは、ストレートに「野郎が女文化語んな。間違ってるとか何とか以前に、ただもうキモい」とおっしゃっている。筆者はこれらの発言に卒倒しそうになったことをこの場で告白しておこう。

中川氏の記事では、「成熟を忌避する女性」のことを「自虐的」と表現する誤謬があったにしても、成熟していない女性のことを病的だと捉えている箇所は見当たらない。簡単に言えば、堀越女史の自意識が、そう読ませた、といえるのではないか?さらに「女子はラベリングされるのを嫌う」というのも、「自分達が」に訂正する必要があるだろう。実際にmixiの森ガールコミュニティの管理人choco*女史は自称している。また、「草食系男子」を代表されるように、深澤真紀女史などバブル経験世代の女性ライターのラベリング欲に、20~30歳代男性は容赦なく晒されている。逆に、森ガールの中心層である20代前半の男女は、自分達の呼称を屈託なく「消費」している人の方が大多数だ。

つまるところ、twitterで中川氏の記事に噛み付いた「文化系女子」の皆様は、森ガール語りに仮託して自分語りをしていた、とみなさざるを得ないのである。そして、男性からの視線を、「性的」と決めつけ遮断しようという「欲」を、臆面もなく語ってしまっていた。
この過剰な自意識には、目を瞠るほかないのだが、ここには男性の視線には性欲があるという決め付けが強固に存在している。どうしてこういう形で「こじらせて」しまったのだろうか?

その答えは、『リピドー・ガールズ』を再読することなどで、これから明らかにしていこうと考えている。

(parsely)

文化系女子研究所(3)ユリイカ文化系女子カタログ再読

Clip to Evernote このエントリーをはてなブックマークに追加
(「週刊メルマガクリルタイ」Vol.28(2010/02/08 配信分) の原稿を再掲)

まず、本連載の第一回目に「文化系女子」を大まかに4つのグループにマッピングしてみたことを再掲してみよう。

1.「洋画・美術」ゾーン(外向・ハイカル)
2.「文学少女」ゾーン(内向・ハイカル)
3.「ロック・ポップス」ゾーン(外向・サブカル)
4.「腐女子」ゾーン(内向・サブカル)

それで。広義の意味での「文化系女子」について、網羅的に取り扱った文献を探してみると…これがないのだ。ぜんぜん。
図書館の書誌検索にいろいろなキーワードを放り込んでみても、上手く探せない。
結局、参照できる程度に適度にまとまったものは、2005年の『ユリイカ』の「文化系女子カタログ」まで遡らないといけないということが判明した。我が研究所で所有しているのは、2008年に発行された第2刷。それだけ、「文化系女子」というカテゴライズをされた女子たちに光が当たっていない証左のようにも思える。

ユリイカ2005年11月号 特集=文化系女子カタログ
ユリイカ2005年11月号 特集=文化系女子カタログ
クチコミを見る


しかし、通算513号めにあたる本誌は、今から見ても非常に豪華。なにしろ、今や芥川賞作家の川上未映子女史が「未映子」名義で短文を寄稿しているのだ。しかも「歌手」として! あの頃の彼女の研ぎ澄まされていて凛とした佇まいは、5月革命の闘士のように見えたものだった。『先端で、さすわ、
さされるわ、そらええわ』。怠惰な空気の中に肌を切り裂く一陣の風が吹き荒れるような緊張感は、『ヘヴン』では失われてしまっている。個人的な趣向を述べさせてもらえば、あの頃の未映子女史の文章の方が、数段好きだった。

ほかにも、はてなユーザーならおなじみの真魚八重子女史のエクスプロイテーション映画論が読めたり、吉田アミ女史がマンガから映画、ポップスといった「ポピュラー」なカルチャーと対峙しつつ縦横無尽に筆を走らせていたり、「文化系」ということで暴力的にカテゴライズしてみせることによって各人がやりたい放題していることが好ましい。

白眉なのは、「女の文化ケモノ道」と題された対談。野中モモ女史、浜名恵美子女史、平山亜佐子女史、堀越英美女史が、小学校の頃からの趣味遍歴を語るのだが、このこじらせ方がいじましいのだ。『星に瞳のシルエット』に「ときめかないよ、別に。」と吐き捨てる浜名女史。主人公の真理子を「カマトトぶっている」と罵倒する時点で、既に何か「こじらせた」感を醸し出している。その一方で、アニメサブカルの聖地ともいえる『OUT』はエロが多いから『ファンロード』を読んでいたという野中女史。あーもう。これが文化系女子の複雑さだ。すてき!!

そんなわけで、今読んでも古びた印象のない同誌だが、5年の間に、どの方向に転ぶにせよ、趣味にのめり込むひとが少なくなり、結果として女性論者の新陳代謝が進んでいない、ということも見て取れる。オリーブ少女の「薄まった」存在としての森ガール、という存在は、そういった意味でも象徴的だといえるだろう。

次回は、「女の文化ケモノ道」の司会をなさった堀越女史が編集を担当した『リピドー・ガールズ』について触れてみたい。

(Parsley)

文化系女子研究所(2) はじまりの「オリーブ少女」

Clip to Evernote このエントリーをはてなブックマークに追加
(「週刊メルマガクリルタイ」Vol.17 (2009/11/10 配信分) の原稿を再掲)

最近になって雑誌などを賑わすようになった「森ガール」。震源となったmixiのコミュニティ「*森ガール*」は、2006年8月に開設されており、現在参加者は37000人超。一過性のブームと捉えるのは早計だ。
同コミュニティには、【森ガールな項目】として約60もの項目がある。例えば、次のようなものが挙がっている。

*ナチュラル系にみえるけど、すこしクセのあるファッション
*ニットやファーで、もこもこした帽子がすき
*カフェでまったりするのがすき
*童話がすき
*いつか北欧にいきたい


しかし、こういったものは、何も唐突に現れたものではなく、90年代初頭の雑誌『Olive』と、その熱心な読者であった「オリーブ少女」の文化を継承しているものと思われる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/Olive

例えば、家具を中心とした北欧様式を最初に持ち込んだのは同誌であるし、カフェやアフタヌーン・ティーも積極的に紹介していた。
ベレー帽にシンプルなワンピースといったリセエンヌ(フランスの女学生)的なファッション&ライフスタイルに、手作りのお菓子作り・オーガニックフード、クレヨンや色鉛筆などの文具に対する愛着をミックスさせ、特に都市部の20歳前後の女性に絶大な影響を与えた。

見落とされがちなことだが、90年代前半に小沢健二らがよく同誌には登場しており、いわゆる「渋谷系」の隆盛に一役買ったのだが、本論からはずれるので、ひとまずここでは置く。

『Olive』は、他誌が「ガーリースタイル」として、同誌の特徴を丸くする形で一般化し取り入れることにより、立ち位置が微妙になってしまったこともあり2000年に休刊になってしまった。
だが、同誌のコンテンツ部分は『Non-no』や『an-an』の特集や、『PS』『mini』などの20歳前後をターゲットとした雑誌に継承されていった。
そして、『CanCam』が打ち出した「モテ服」の衰退により、より自分らしさを自然に表すための、ライフスタイルの総体が「森ガール」という名称とともに浮上してきた、という流れになるだろう。
実際、「森ガール」関連のムック本などを見ると、彼女たちのあこがれの存在として登場するのは、『Olive』に頻繁に登場していた蜷川実花や酒井景都である。

「森ガール」の先達としての「オリーブ少女」の存在を、少なくともブームを仕掛ける側の出版社としては、意識しつつ、現在の文化シーンに合わせた「情報」を展開させていっている。

次回は、「オリーブ少女」と「森ガール」の差異を明らかにしていってみたいと思う。

(Parsely)

命短し、文化的活動せよ乙女

Clip to Evernote このエントリーをはてなブックマークに追加
(「週刊メルマガクリルタイ」Vol.7 (2009/08/24 配信分) の原稿を再掲)

はじめまして、紫式子です。
結婚したい相手はヴィレッジヴァンガード、所属クラスタは「"元"ナンチャッテ文化人」。

「"元"ナンチャッテ文化人」の私なぞがここでこうして駄文をお目に掛けている経緯はと申しますと。5年前、ワセ女だった私が
「blogとは何ぞや、ほう、なかなかに面白し」
と、障子の影で公家笑いをしているところに、parsley姫のお通りあそばれて、
「かようなサブカル女子大生のblogをすなる、よきことかな。どれ ひとつ遊んでやらむ」
とて構っていただくようになったが始まりなりき。

5年前は単なる都内のサブカルな女子大生だった私も、卒論を書いたり書いたけど卒業できなかったり。男が出来たり男を追って名古屋に移ったり。そのまま就職して単なる社会人になったり。毎晩終業が22時過ぎで忙殺されたり、して…

文化的活動がほぼ完全に停止したのをご覧あそばれたparsley姫が、
「おぬしwwwww昔掲げていた『ナンチャッテ文化人』の看板のいずこに行きはべるかwwwwwwww近頃はblogの更新もなしwwwwwwwメルマガ書かせたてまつるに、反省文ひとつふたつ読ませたもれwwww」
とご指名をいただきまして、中学校時代に書かされて以来の「始末書的な何か」に向き合っております。



元々私が「ナンチャッテ文化人」を自称していたのは、「文化人ぽく見えるんだろうけど文化人ではないんだよなぁ」と、自認していたからでした。

「文化人(笑)」にありがちな独特すぎるファッションや、親の影響によるキリスト教への妙な造詣、これまた親の影響による70年代アメリカ文化への傾倒等、私は「ふつうの若い女の子」だった当時の学友たちとは恐らく一線を画していました。いや明らかに画してたか。

とはいえ、そんなにまじめに純文学や「古典」「名作」と言われる小説を読んでいるわけではないし、いちばん好きな映画は『STAR WARS』だったりなんかするし、ガチに「文化的」な人たちにはついていけないのですよね。

なので元々きちんと「文化的」だった訳ではない。「そういう自覚、あるよ」とアピールするために「ナンチャッテ文化人」と自称していたわけですが。

あらあらどうして、ナンチャッテですらないただの社会人に、今は成り下がっています。



原因としては以下の3点が考えられます。

(1)社会人になって文化的活動をする時間がなくなった
(2)名古屋に移り住んだ
(3)文化的活動に理解がない男と始終いっしょにいる

とはいえ「オタクは社会人になってからが本番なんだよ!」等の言葉もありますし、社会人になっていても、バリバリ文化的な活動とか同人的な活動とかしていらっしゃる方は大勢いらっしゃいますから、(1)は除外されます。

となると(2)と(3)。(2)はですね……。
あの、美術館がないんですよ、名古屋。気が利く「上野の森美術館」とか「東京国立現代美術館」とか「写真美術館」とかでやるような展示は、回ってこないんです!!! 名古屋に!!!

本とマンガは東京時代と変わりない入手しやすさですが。幸い職場近くにLIBROがあるんです。それに名古屋、ビレバン多いですしね。発祥の地だから。

映画館はね……。ほんとはどうにかなるんですよ、「名古屋シネマテーク」ていう「シアター・イメージフォーラム」と「ポレポレ東中野」を併せたよーな気の利く映画館があるので……。

しかしここで(3)です。
私が追っかけて名古屋に来た男、あたまもいいし本もよく読むのですが、
「好きな映画は火薬使いまくったハリウッド映画」
「名古屋シネマテークに見に行った映画が文学的すぎて『ハァ?(゜д゜)』だったから二度と行かない」
「血とか内臓がダメだからグロ映画NG」
とかそういう男でして。私の! いちばん! 好きなタイプの映画を!!一緒に見に行ってくれない!!!

しかも私ひとりで出かけるとスネるしね……。美術館は一緒に行ってくれるって言ってるけど。
土日は夕方まで寝てるしね……。もうどうしろと。



つまりこういう↓ことでしょうか。

結論:男が出来たときが文化系女子続行orNOTの分岐点
……(´゜д゜)

やぁでも本当に……。男出来た途端、サイトの更新が途絶えたイラストレーターの方とかいましたからね……。

一方で「となりの801ちゃん」に出てきたような「オタク趣味を優先させるために彼氏と別れた」みたいなケースもあるみたいですから、やはり「男が出来たとき」そして「その男が文化的活動に理解が無かったとき」に、文化系女子としての「レベル」が問われ、顕在化するんじゃないかと思います。

てコトはアレか、↓ってコトか

結論2:私は自分に負けました
……(´・ω・)

とはいえ、ね。私も今は大人しく家でtwitterしてアングラ・サブカルな方たちとやりとりしているのが関の山ですが、ひょっとしたらそのうち耐え切れなくなって……。なんて……ね……。
(やまだないとっぽい〆)

(紫式子)

文化系女子研究所(1) 腐女子もバンギャも文化系!?

Clip to Evernote このエントリーをはてなブックマークに追加
(「週刊メルマガクリルタイ」Vol.13 (2009/10/06 配信分) の原稿を再掲)

■はじめに

これをお読みの諸賢は、「文化系女子」と聞いて、どのようなひとを思い浮かべるのだろう?
実は、男性は自分の中のイメージを膨らませて、自分だけの「文化系女子」像を作り上げているのではないだろうか?

きっかけは、Twitterで「文化系女子」について話題になった時に、微妙に話が噛み合わなかったことだった。その方は「文化系女子は屈託があってひねくれている存在」とするのだが、私の知っている「文化系女子」は、皆ミーハーで、好きなものに対して自明的な人ばかりだ。この差はなんだろう?

よくよく考えてみると、「文化系女子」とは、とてもあいまいな言葉だ。厳然とした定義というものが存在しない中、皆が自分の中の「文化系女子」を作り上げている。

こういった状況を一度整理する必要があるのではないか―。当方が、「文化系女子研究所」を立ち上げたのは、そんな理由になる。
諸賢の中で、これから私が研究していくことに対して、「それは違うのではないか」ということがあれば、是非ともご意見を賜りたい。
また、「自分が文化系女子だ」と任じる貴女には、是非とも感想を聞かせて貰いたい。それが、この研究をより深めるのに役立つと確信する次第である。

■文化系女子をマッピングしてみる。

ひとくちに「文化系女子」と言ってみても、現状では定義があいまい過ぎて、実際はどのような女性を指しているのか分からない。
そこで、まず広義の意味での「文化系女子」を定義した上で、その性質ごとに区分してみることを試みる。まずは、ここで言う「文化」とは何か、を考えてみよう。間違っても、ぶんか社や文化放送のことを指しているわけではないことは明らかだ。ラテン語のcolere(耕す)から派生した英語のcultureには、「洗練したものにする」、「教化する」といった意味合いがある。イギリスの文明批評家マシュー・アーノルドの展開した議論は、「文化」を人間の精神面での向上を示す言葉として位置づけるものだった。日本語では、個人レベルになると「教養」という言葉の方が近しいといった意見もあるようだ。おおざっぱに断じると、個人の精神面で向上が図れるコンテンツのことを「文化」と呼んでいると考えることが出来そうだ。

さて、現代では、「個人の精神面の向上」のためのコンテンツは多様になっている。
つまりひとによってはそれが、やおい同人だったり、ビジュアル系バンドの追っかけだったり、70年代日活ロマンポルノだったり、ベルギー象徴主義派の画家の作品群だったり、太宰治だったりすることになる。
それを、全て包括する言葉として、「文化」があるとするならば、腐女子やファック隊も「文化系」に分類して差し支えないことになるのではないか。

ひとが趣向するコンテンツと、「文化」が不可分なものだと明らかになったところで、まず横軸として「サブカルチャー」「ハイカルチャー」という分け方をしてみたい。それに対して、個人の性質として、「内向的」「外向的」というものがある。これを縦軸にしてみよう。そうすると、大まかに4つに分類されることになる。

1.「洋画・美術」ゾーン(外向・ハイカル)
2.「文学少女」ゾーン(内向・ハイカル)
3.「ロック・ポップス」ゾーン(外向・サブカル)
4.「腐女子」ゾーン(内向・サブカル)

1は、東急BUNKAMURAに通うようなひとが典型になるだろう。パトリス・ルコント監督作品を観て、ルネ・マグリットの展覧会を観るといったのが、標準的な層とここでは規定する。また、邦画でも最近の作品を多く鑑賞しているので、宮崎あおいや蒼井優など、"森ガール"と親和性が高い。

2は、江国香織などの女流作家から、海外の作家まで幅広い(ライトノベルをのぞく)小説を好んで読む層。歴史に興味を持ったり、60~70年代の邦画を観に行ったりするひとも、このカテゴリーに入る。最近の太宰治ブームや仏教ブームなどは、この層がよりライトになっていることを示していると思われるが、ひとまずここでは置く。

3は、サマフェスに行く層が典型になるだろう。また、ヴィジュアル系のバンギャルは、この層でももっともエッジの効いた存在と言っていいだろう。高じて、"アーティスト"になるという夢を持ちやすいところも見受けられる。また、演劇好きの層も近いメンタリティである。実は、ケータイ小説の読者が多いような気がするが、ここは考察が必要だ。

4は、文字通り、マンガやアニメといったものを愛好する層。最初は、コンテンツを消費するだけだが、だんだんと自分の妄想を形にしようとシフトするひとが多いのが特徴である。中にはコスプレに走る層もいるが、これは3と4の中間のメンタリティと位置づけたい。

…以上、まだ私個人の仮説に過ぎないので、異論反論オブジェクションは大歓迎である。より「文化系女子」を理解するために、本研究所がお役に立つことが出来れば、これに勝る喜びはない。

(Parsley)
記事検索
メールフォーム
facebookページ
twitter
週刊メルマガクリルタイ
メルマガ購読・解除
livedoor プロフィール
奇刊クリルタイ既刊本
奇刊クリルタイ課題図書
お買い得商品










Amazonリンク
マイクロアドBTパートナーでおこづかいゲット!
Links
20120513185125 comic
  • ライブドアブログ