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衆道士ペドフェチ

108-衆道士ペドフェチ

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(「週刊メルマガクリルタイ」Vol.75(2011/02/25 配信分)の原稿を再掲)

「やおい」というオタク用語があります。使う人によって微妙に意味合いが違ってくる言葉なのですが、この記事においては「とある既存創作物(漫画・アニメ・ドラマ・小説など)のファンが、その作品に登場する男性キャラクター同士にホモ・セクシュアルな関係性を(勝手に)与えて、ニヤニヤする趣味」だと定義します。
また、いわゆる「やおい同人誌」と呼ばれる自費出版の漫画本や小説本を作成し、その紙面上に己の妄想をドピュッとぶちまける人も、大勢存在します。ここ最近では『イナズマイレブン』や『ヘタリア』がネタ元として強く、また昔からある作品としては『ガンダム』シリーズや『忍たま乱太郎』などに根強い支持があるようですね。それら諸作品に登場する男キャラたちは、決して作中でホモっ気があるように描写されているわけではありません。それどころか、きちんと異性の恋人が存在している場合だって少なくはなし。されど「やおい」を愛好する「腐女子」ないし「腐男子」たちの色眼鏡を通して作品を見るなら、そんなこたぁ全っ然関係ねぇ! 目の前に美男子が2人いたら、とにもかくにも「カップリング」させるのが礼儀ってもんよ!
と、そんな妄想渦巻く世界に興味しんしん!という方がもしもいらっしゃれば、池袋サンシャインの周辺……俗に「乙女ロード」などと称される地帯へ足を運んでみては如何でしょう。林立するオタク・ショップ内に、著作権的な意味でグレーなホモエロ本が山積みになっておりますゆえ。

けれど、そういうオタク文化の現状を見て、

「日本オワタ \(^o^)/」

なんて感想を持つのは、実に今更いまさら!
大昔の日本人の間で、どれほど男色趣味が流行していたか……という事は、まあ少しでも国史・国文学をかじった方ならご存知だとは思います(ご存じでない方は、今すぐグーグルの検索窓に「衆道」と入力してみよう! ついでに筆者のブログ「秘本衆道会」もよろしく!)。で、男色文化華やかなりし江戸時代においても、今でいうところの「やおい」的妄想は、やっぱり盛んだったのでした。その頃のネタ元としては、例えば『平家物語』なんかが結構な人気を誇っておりまして、義経・弁慶の主従関係、あるいは熊谷直実と平敦盛の悲劇的な邂逅などにビビッ!と素敵なサムシングを感じてしまった戯作者は、かなりの数に登ります。
当時の男色本の作者は男性ばかり、対して現在の「やおい」シーンを担っているのは女性がメイン……という違いこそあるものの、大衆の間でかくも大量の「男×男」な書物が出版され、そして広く流通しているという状況そのものについては、歴史上とりわけ珍しいものではないのです。

さて。以上ツラツラと「やおい」の今昔について語らせていただきました。こういう歴史に触れるたび、当方なぞは「嗚呼どんな作品であれ、見方をちょっと変えるだけで楽しみ方も様々に派生するものなのだなあ……」と、感嘆してしまうものです。
しかし当方、そうして「やおい本」を読み耽る日々を送るうちに、ふと思った。
「やおい」の逆パターン、すなわち「最初からゲイだと確定している人物が主役となっている作品を元に、あえて男女のカップルを成立させる」っつー本は存在しないものか、と……よせばいいのに、思ってしまった。

その疑問に憑かれたが吉日、なぁに天井知らずの妄想力にあふれるオタク・ワールドへと分け入ってみりゃあ、すぐさま星の数ほど見つかっちまうだろうぜ! …と、タカをくくりつつ捜索を開始したのですが……いやはや、これがなかなかの難事業!
ゲイコミック界の巨匠・田亀源五郎先生が描きし『外道の家』のストーリーを大幅に捻じ曲げ、寅蔵×萩乃のラブラブ生活を捏造する……みたいな感じのパロディ本、一冊ぐらいは存在してもバチは当たらないと思うんですがねえ。
そんなわけで上記の条件を満たす「逆やおい同人誌」を、当方いまだに見出すことができませぬ。落涙。
返す刀、現代がダメなら過去はどうじゃ! とばかり、今度は江戸期の資料も色々とあたってみました。そうやって無駄な執念を燃やしつつ、幾つかの図書館をさまよいまくった結果……やりましたよ今のところたった1冊だけではありますが、しかも純然たる「やおいの逆パターン」と呼ぶにゃあ問題がないわけでもないんですが、とまれかくまれ、ほぼ目当てに近いアイテムを我発見せり!

……っつー次第によりまして、本日はメルマガクリルタイ様の広い軒先を借り、知っていたところで全然自慢にもならぬその中身をば、堂々かつ強引に開陳させていただきたく候。

当該作の名は、『新板男色鑑』と言います(1752年刊)。いわゆる「黒本」に分類される一冊で、各ページに大きく描かれた絵の余白に、チョコチョコとセリフやストーリーが書き込んである形式。斯道に詳しい方なら、タイトルを聞いた時点でピンとくるものがあるかもしれませんが、まあ結論は急がず、とりあえず本編のあらすじを紹介してみます。

時は室町、足利尊氏の治世。美少年・「林弥」は、年長者の武士である「十平」と恋人関係にあったが、同時に「一平次」と「団平」にも惚れられていた。さらに一平次の妹である「おさぢ」もまた、林弥に想いを寄せていた。
ある時、一平次は十平に対し、「林弥を俺に譲ってくれ!」と強く迫ってきた。
かくなる上は果し合いあるのみ! と睨み合うふたり。しかし、一平次がふと「林弥は、まだ若い。殺しあうなら、せめてあと数年待ち、あいつの元服を見届けてからにしよう」と提案したことで、その場は治まった。
そして迎えた3年後。一平次と十平は、かねての約束通り互いに刀で刺し違え、サクッと死亡した。だが、そんな事情を知らぬ林弥は、ただただ嘆き悲しむのみ。ついには世をはかなみ、出家してしまう。また一平次と十平の実家は、その不祥事の責任を問われ、散り散りになってしまう。
この悲劇を引き起こした黒幕は、団平だった。彼は自らの手を汚すことなく恋路の邪魔者を排除するため、一平次に「欲しいなら、奪っちゃえばいいじゃん!」と吹き込んだのであった。さらに、その後。世間では、とある「化け物屋敷」の噂が立っていた。「出没する妖怪の正体を見極めた者に、その屋敷の所有権を与える」というお触れ書きを見た団平は、早速チャレンジしてみるも、現れた化け物の群れに恐れをなし、逃げ去ってしまう。それと入れ替わりに、今度は若侍の「十吉」が屋敷に潜入する。彼は十平の弟で、兄が残した不名誉を雪ぐべく、手柄を欲していた。しかし彼が屋敷の中で見たのは化け物などではなく、老女と若い女のコンビであった。彼女たちの正体は一平次の母、および妹のおさぢで、敵討ちの協力者を呼び寄せるために造り物の妖怪事件を演出してたのだと言う。その敵とは、もちろん団平に他ならない。事情を知った十吉は、一平次の遺族たちと共に団平に挑み、見事討ち果たす。そして名誉を回復した十吉は、おさぢと恋仲になり、最後に結婚式を挙げてめでたしめでたし!


……これが、ストーリーの概略になります。なんだか人間関係が複雑な割には、展開に一貫性がなく、全体的に散漫な印象を受ける内容であります。最初は男同士の熱き「意気地」の世界を描いていたのに、後半になると突然、怪談だの敵討ちだのといったエンターテイメント的趣向が急に追加され、しかも本来は林弥に恋していたはずのおせぢが、そっちをアッサリ忘れて別の男とくっついてしまうのですから!

まあ、それはさておき。偉大なる井原西鶴の作に、『男色大鑑』(1687年刊)という短編ホモ小説集がありまして。その第4巻中の『待ち兼ねしは三年目の命』と題されたエピソードが、『新板男色鑑』の前半部分とそっくりなのです。どちらも登場キャラの名前こそ違ってはいるものの、「ひとりの少年を取り合う年長者ふたりが、3年後の決闘を約束しあい、見事その通りに散る」という筋書きは、ほぼ共通しています。さらに西鶴の弟子である北條團水が、1712年に『一夜船』という奇談集を発表していますが、その第1巻に所収された『心の剣 綿に三年』もまた、同類のストーリーです。
刊行年の順序、並びにタイトルやストーリーの類似性を考えれば、『新板男色鑑』イコール過去の名作群を下敷きにした「二次創作」であることは間違いありません。
そんなこんなで。一次原作には存在しなかった要素をゴテゴテと盛り込み、あまつさえ「男×男」な痴情のもつれより始まった因縁が「男×女」のヘテロ・カップリング成立をもって終結するという点で、この『新板男色鑑』こそ当方が欣求し続けた「逆やおい」に最も近い作品なのであります。

……完成度の高低は、とまれ。

以上、「誰得よ?」と聞かれても「我得!」としか答えられない一席でありました。最初に断った通り、こんな本を読んだとて名聞名利にゃサッパリ繋がりませんが、まあ広い世の中にゃ、こういうことばかり調べてひとり悦に入っている人間もいるんですよケヒヒヒ。

あ、「逆やおい」ジャンルについての調査は、今なお継続中です、もしそんな内容の本を知ってるぜ! とか、あるいはこれから自作するぜ! というツワモノがいらっしゃれば、是非是非是非是非当方までご一報願いたく。

それでは、本日はこれにて語り切り!

(衆道士ペドフェチ)

酒と漢詩と禅師と女 ~一休さんの残念ポエム~

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(「週刊メルマガクリルタイ」Vol.102 (2011/12/07配信分)の原稿を再掲)

室町時代の禅僧、一休宗純。
明徳五年/応永元年(1394)に生まれ、文明十一年(1481)に死去。
まあ早い話、それっていわゆる「一休さん」のことなんですが、かの名前を聞いた時に皆様の脳裏に浮かぶイメージって、いったいどんなものでしょ?
たぶん大多数の人は、「とんち小坊主」の姿を想起することと思います。少年時代の彼が「このはし渡るべからず」という看板を見て橋の真ん中を渡ったとか、屏風の中の虎を捕まえるよう命じられて云々とか、そういうエピソードは誰もが一度は聞いたことがあるはずです。
かく言う当方も、幼少の砌にアニメ『一休さん』の再放送をしょっちゅう観ていたもんでして、その名を耳にする毎に鼓膜内で藤田淑子の声が再生されます。

面白かったー? じゃーねー!

しかし……そういう類の「とんち話」は、ほとんどが後世の後付ないし創作です。
例えば「これは弘法大師が地面に刺した杖に花がつき、そのままスクスクと育ったものです」と伝えられる桜の木が全国各地に分布しているように、有名人には様々なレジェンドやエピソードが勝手に仮託されがちでして……。
ゆえに古くは江戸時代の頃より、世の一休イメージは真偽の程があやしい説話ばかりに彩られているのですが、それらに比べて比較的リアルな一休ライフを伝えてるんじゃね?と言われている資料としては、『一休和尚行実』および『東海一休和尚年譜』が挙げられます。
どちらも、彼とほぼ同時代人……恐らくは彼の弟子が書いたものと思われる伝記です。
それらの記述によれば、一休は若い頃から学識と才知に長けた人物であった半面、青年期から老境に至るまで放浪漂泊の生活を好み、さらに数々の奇行でも名を馳せました。例えば43歳の頃、とある法事に姿を見せた際にゃ、その背後にわざわざ荷物を持った女性を付き従わせていたという。当時の寺院は、女人禁制であるはずですが……。
さらに47歳の時など、せっかく大徳寺という由緒ある寺の住職になれたにも関わらず、多くの人が騒がしくやって来るのがシャクに触ったせいか、たった10日間にして放浪の生活に戻ってしまうのでした(まあ後年、色々あって結局大徳寺の責任職をキッチリ引き受けることになるのですが)。

かくも「風狂」の僧である一休は、同時に漢詩の筆にも優れ、数々の驚くべき作品を残しています。
今回の拙稿では、それら一休ポエムの集大成であるを『狂雲集』の中から、個人的にパンクの魂(ソウル)を感じる作品をいくつか選び、ご紹介する次第。

まず、ひとつめ。

住庵十日意忙々
脚下紅糸線甚長
他日君来如問我
魚行酒肆又婬坊

こいつぁ何かと言えば、先述した「10日間で住職をやめちゃった事件」の際、大徳寺に住んでいた兄弟子に送ったものです。その意味合いを、当方流にディストラクティヴ意訳してみれば……。

☆解釈
 境内の庵に住んでいた10日の間、ぜーんぜん心が休まらなかった。
 て言うか、うわっ……俗世に繋がる私の煩悩の糸、長すぎ……?
 だからもし、いつの日か再び俺に会おうと思うなら、
 ナマグサ物に満ちた酒場か、または買春宿のあたりを探すがいいさ!

…ってな感じですかね。
責任ある立場をあっさり放棄した挙句、同門の兄弟分にケンカ売りまくりの別れ文句を叩きつけるとは……。
ちょっと、常識的にどうか?と、思ってしまいますよな。
つーか、坊主のくせに堂々と「酒場」や「買春宿」なんぞに通っていていいのかよ!
……ともツッコみたくなるところではありますが、残念なことにそいつぁ上掲作のみの特徴にあらず。
とにかくまあ、『狂雲集』には色っぽいアンド俗っぽいレトリックが目立つ目立つ!

以下、他の名作群についてもレッツ連続爆撃!

美人雲雨愛河深
楼子老禅楼上吟
我有抱持?吻興
竟無火聚捨身心

☆解釈
 美人テラモエスwww
 老いぼれの身でも、売春宿に通ってその楽しさを謳わざるを得ないwww
 ギュギュッとハグしたり、チュチュッとキスしたりとかマジ最高ですやんwww
 煩悩まみれの身でサーセンwww


淫乱天然愛少年
風流清宴対花前
肥似玉環痩飛燕
絶交臨在正伝禅

☆解釈
 美少年にハァハァする(※)のは自然の摂理(キリッ)。
 花の前でショタはべらせて宴会、これマジおすすめ。
 楊貴妃に似たポチャ子、趙皇后に似たスレンダーっ子、どちらの男の娘も最高!
 ……なんて変態ショタコン坊主ばかりはびこる世の中だし、そりゃ臨済宗も滅びるわw
(※当時は、僧侶や貴族や武士の間で少年愛が流行していました)


夢迷上苑美人森
枕上梅花花信心
満口清香清浅水
黄昏月色奈新吟

☆解釈
 美人の色香に心迷いつつ……
 ドキドキワクワク、花のベッドインタイムに突入!
 愛液じゅるじゅる吸うとおいしいです(^q^)
 あー月がきれいで、ポエム読むのに最高の夜だおwww


とりあえず4篇ほど引用してみましたが、同系統のエロオヤジ丸出しな作品は、他にもたくさんあります。
もちろん、世の坊主どもの堕落を一喝する真面目な内容の詩も多く収録されているのですが、そこは哀しき凡夫の眼、当方に致しましてはやっぱり好色路線の方に興味が行ってしまうのですよどうしても。
ヌヒャフヒヒ!

以上の漢詩どもが伝える一休禅師像は、毎回「中央児童福祉審議会推薦番組」のテロップと共に放映されていたアニメ版の『一休さん』とは、かなーり趣が違っています。あんな生真面目でキラキラお目々でしかも藤田淑子の声で喋るショタ坊主が、成年後にゃ恐るべき破戒王に変化してしまうとは……。

実在の一休宗純は、いったいどのようなことを考え、どのような意図をもって反体制バリバリなパフォーマンスを世間に見せつけたのか?その真意には諸説あるものの……まあ、小難しい議論はさておき。
世間一般に「なんか偉い人」という漠然としたイメージが流布している歴史上の傑物について、よくよく調べていくうちに、従来のイメージを覆すような実情に行き当たってしまう……。
ってな事態は、当方のような書痴にとって実に望むところ!

人生に疲れた時、この『狂雲集』をぼんやりパラパラとめくって見ると、まず「ゲハハハハしょうがねえなあこのバカ坊主は!」という下卑た笑いがこみ上げてきます。
また同時に「ああ、こんな日本史の教科書に乗ってるような人でも、やっぱり自分と同じで様々な欲望や迷いを抱いて生きていたんだなあ」という謎の安心感に包まれます。
でもって、さらには「あーあ、世の中ってのはどうせ下らないものだよな! だからクヨクヨ悩むだけ無駄! 気を楽にして、もうちょっと頑張ってみますかー!」というカラ元気までもが湧いてくるのです。

そういう読み方・鑑賞法が、果たして禅の精神に照らして正しいものかどうかは知りませんが……。
まあいいじゃないですか、それでひとりの凡夫が救われるならば。古典オタが古典を求める理由、それはまさしく現代を生き抜くための活力源として!なのであります。

とかなんとか利いた風なことをほざいたところで、本日はこれまで!お付き合いありがとうございました。

(衆道士ペドフェチ)

Yaroh! JAPAN~本当はペドい「野郎」の歴史~

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(「週刊メルマガクリルタイ」Vol.95(2011/10/05 配信分) の原稿を再掲)

「ダンカン、この野郎!」

…と、まあ唐突ながら、ビートたけしの物真似をする松村邦洋の物真似から始まりまする今回の拙稿。テーマはズバリ、その「野郎」という言葉についてです。
かくなる「たけし語」の例が示すように、現代人が「野郎」と口にする場合、そこには罵詈讒謗の響きがあります。あんまりキレイな言葉じゃないわけです。
一方、新宿二丁目界隈で「野郎系」と言った場合、それは主に「スポーツマン体系のイカした兄ちゃん」程度の意味になります。その筋のモテ筋ですね。

しかしザザッと江戸期の古典を流し読みしていきますと、そこに出てくる「野郎」は、今の「野郎」とはどうも別物っぽい。すなわち誰かをけなすための悪口雑言でもなければ、ゲイ雑誌『BAdi』(テラ出版)のグラビアを飾るような男子のことでもない。じゃ、本来の意味はどんなものであったかと申しますと……以下、そういうお話を一席。

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「野郎」なる語が民間で広く用いられるようになるのは、江戸時代初期、おおよそ17世紀中ごろからです。でもって、そういう状況に至るまでの経過を知るには、遠回りながらまず「歌舞伎」の歴史を紐解く必要があります。

皆様ご存知の通り、「かぶき踊り」とは「出雲阿国」なる女流パフォーマーが創始したものと言われております。それが大体、16世紀末から17世紀初頭の頃。で、初期「かぶき」の舞台に立つのは、主に女性ばかりでした(いやまあ少年が「かぶき踊り」を披露したという例も、ないわけではないのですが)。
しかし、そういう楽しい流行も、公序良俗の乱れを懸念した幕府が寛永6年(1629年)に女歌舞伎禁止令を出したせいで、サクッと断たれてしまいます。その理由としては、ショーの内容がストリップまがいだったせいとか、舞台がハネた後で春を売るサイドビジネスが盛んだったからとか、あるいはその両方が堂々と同時に行われていたからとか、色々と推測されております。
とまれ以後、全ての女性たちは、単にダンスショーのみならず、ありとあらゆる音曲芸能を舞台上で演じることが禁じられてしまいます。
が! したたかなショービジネス業界は、この程度の圧力には負けませんでした。なんとまあ、「え? 女の子が使えないなら、代わりに『男の娘』を使えばいいじゃん!」とばかり、女装した少年を舞台に立たせることで興業を続けます。でもって、それがまた世間で大人気になっちゃうんですよ。
最近の秋葉原界隈でも「男の娘」という属性は流行していて、それを横目に「まったく、オタクどもは未来に生きてやがるよな!」と評する方がいらっしゃいますが……いやいやいや! 当方に言わせりゃ、そいつぁ我らの祖先がとっくに通過した道です先祖返りです。
さておき。そうした妖しい色気の少年役者たちは「若衆(わかしゅ)」と、また彼らの仕事は「若衆歌舞伎」と呼ばれました。そして若衆の構成層は、ほとんどが10代で、だいたい18歳を過ぎる頃には主力メンバーの座から外されていたようです。また彼らは、舞台のみならず売春もまた兼業させられており、なかなかに……いやさ、かなーり辛い境遇に置かれていた模様。今や国際的に高い人気を誇り、どいつもこいつも
「日本国を代表するイキでイナセな伝統文化!」と見做すKABUKI-ARTも、その本来の姿をちょいと暴いてみればかくの如しでございますよ、ウシャシャシャシャ…。

…ってな具合で、もし当時ユニセフがあったら真っ先に激怒されていただろう風習に、数多くの日本人がズッポリとハマっていたわけですよ昔は! しかし、そいつぁ幕府上層のおカタくてお偉い方々にとっては頭痛の種だったらしく……慶安5年(1652年)、先の女歌舞伎に続き、若衆歌舞伎もまたご法度の憂き目に遭います。少年によるショーそのものは継続してもオッケーとされたのですが、その代わり舞台に出る上では、若衆の象徴とも言うべき「前髪」を剃ることが義務つけられます。江戸期における一人前のオトコは、ふつう前頭部を剃りあげてデコを丸出しにしているものですが、裏を返せば「前髪イコール『幼さ』の象徴」ということになります。ちと強引な例えを持ち出させてもらえば、往時の「前髪」すなわち現代ロリコンにとっての「ランドセル」や「ブルマ」みたいなセクシャル・イコンとして機能していたんじゃないかと。
ゆえに当時のショタコンどもの視点から見た場合、前髪を保持したまま艶やかな歌舞を魅せる少年たちの姿は、えらくエロティックに感じられるものだったらしく…。

まったく、その頃は武士階級の間でも「若衆道」の風習は珍しくなかったんですがねえ…。年端もいかぬ男の子を取り合って侍同士が喧嘩刃傷沙汰! …って事態も、しょっちゅうだったんですがねえ…。禁止令前年の慶安4年まで生きた将軍家光ですら、血気盛んなヤング時代にゃ、「男×男」な痴情のもつれから臣下を切り殺したことがあったり(しかも、その事件は幕府公式伝記たる『大猷院殿御実紀』にバッチリ収録されてます)。自分たちは柔らかな若尻に欲情しまくっているくせに、庶民にゃそいつを許さないなんてズルいぞー!

と、叫んだところで詮方なし。かくして女色もダメ、少年愛もダメ、となれば今度こそ歌舞伎伝統の命脈も尽きたか……と思いきや、生粋の商売人どもはこの期に及んでなお、ウルトラCの抜け道を作ってしまいます。つまり、紫縮緬(ちりめん)の布を少年役者たちの頭にあてがい、本来前髪のあった箇所を隠す……という作戦です。まあ苦肉の策と言えばそれまでなんですが、恐ろしいことにそれが却って「いい! 大事な所を隠すのって、すげえソソる!」と評判になり、歌舞伎業界は若衆時代にも劣らぬ盛況を取り戻すことができました。

で、もって。そうした「アフター若衆ジェネレーション」な少年役者の呼称こそが、

「野郎」

だったのですよ元々は!

それに因み、前髪の代わりとなる布には「野郎帽子」という別名が付けられたりもしました。
さらに17世紀後半にゃ『野郎四天王』だの『野郎稚児が淵』だの『野郎役者風流鑑』だのといったタイトルの書が立て続けに出版されました。それらはつまり少年役者のレビューを載せた「評判記」の類です。

ちなみに旺文社の『古語辞典』で「野郎(やらう)」を引くと、1番目の意味として「前髪を剃り落として一人前になった若者」と書いてあります。が、こういった舞台や書名が大いに世を賑わせていたことを考えれば、やっぱり当初は「年少の歌舞伎っ子」のイメージと共に発音される語だったはず……。

…と、これにてようやく本稿の真のテーマにたどり着きましたな。ふう。

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ついでに「野郎」の語源についても調べてみたところ、以下ふたつの仮説に行き当たりました。

・中国語で「女の形のごとき」を意味する「冶郎」が本来の表記だよ説 From『艶道俗説弁』 出版年不明・明和7年(1770)ごろ?
・薩摩国の方言で、もともとは「野老」または「野良」と表記したんだよ説 From『柳亭記』 出版年不明。19世紀前半ごろ?

どっちがより真実に近いかは、不勉強の当方には判断がつきませぬ。斯道にお詳しい方からのご教示を待ちますです。
そんなわけで「野郎」本来の意味を一言でまとめますと、

「女装が似合う、中性的な美少年ダンサー」

…ぐらいになりますかねえ。現代的な「野郎」の用法とは、一般的な意味においてもゲイ的な意味においても丸っきり違っております。
じゃ、いつから揶揄語として使われるようになったかと申しますと……。すいません、これまたサッパリ特定できない! 再度、旺文社『古語辞典』を開いてみますと、2番目に掲げられる定義にいわく「男子を卑しめていう語」だそうで。つまり近世中にも、一応そういう用法があることにはあったのかもしれません。それでも原義を離れて罵倒の意味合いが強くなっていったのは、恐らくは幕末から明治ぐらい(すなわち男色文化の終焉期)にかけてのことじゃないかと愚考致します次第。

以上をもちまして、当方流の「野郎」トークひとまずの幕! …であります。
普段から何気なく口にしている、たったひとつの言葉であっても、その来歴を訪ねてみりゃあ色々と意外で興味深い事実が浮かび上がってくるものです。
ああ古文・古典漁り、げにげに面白や!

(衆道士ペドフェチ)

古典に見るコピペ改変~燃える日本のパロディ魂!~

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(「週刊メルマガクリルタイ」Vol.60(2010/09/22配信分) の原稿を再掲)

巨大匿名掲示板群『2ちゃんねる』の存在は、皆様よくご存知のことと思います。
様々な分野の話題について様々な人々が語り合い、時には罵倒し合ったりもしている場ながら、その中には『ガイドライン板』という少し毛色の変わった掲示板もあります。
そこに集う人々は、他の掲示板のように雑談・議論をメインの活動とはせず、もっぱら「コピペ改変」というネタの発表と閲覧を楽しんでいます。
『ガイドライン板』で行われている「改変」の例として、「孤独のグルメのガイドライン」というスレッドを見てみましょう。そこでは人気漫画『孤独のグルメ』(原作・久住昌之、作画・谷口ジロー)に出てくるセリフ群が、次々に面白おかしく「改変」されています。

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原作には、腹を空かせた中年男が居酒屋のメニューを見て、

「ごはんがあるのか、うん!そうかそうか、そうなれば話は違う、ここに並んだ大量のおつまみがすべておかずとして立ち上がってくる」

云々と呟くシーンがあるのですが、そんな変哲のないセリフも『ガイドライン板』住人の手にかかると……

40 :水先案名無い人:2010/09/14(火) 00:18:24 ID:L1/ktk+gO

まいったな……ピーンときたのになぁ
あとは女装娘か……
ノンケなのに女装娘か……
それでもいいけどなあ

お……
アナルがあるのか うん! そうかそうか そうなれば話は違う
ここに並んだ大量の男の子がすべて肉便器として立ち上がってくる強制フェラチオもいい 兜合わせかタマズリだっていいぞそして乳首でも責めるか
ノンケだがご馳走だ逆アナルも渋いな

(引用元:『孤独のグルメのガイドライン 第12話』)
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/gline/1284024660


……とまあ、実に下劣極まりない文章になってしまいました。もともと「ノーマルなシチュエーション」において発せられたセリフを、あえて「アブノーマル」一色に染め上げたところに、この「改変」の滋味があるかと。

元ネタ本来の意味を破壊し、残された外殻にどれだけのナンセンスを詰め込めるか。
『ガイドライン板』とは、それを競い合う一種の公開劇場なのです。
上掲はとりわけ酷い例ですが、そうして「酷い」と感じてしまうほどに元ネタとのギャップがあるからこそ、笑いの破壊力もまた増しているのです。

いわゆる「2ちゃんねらー」たちは、このような「ミームいじり」を毎日のように楽しんでいます。
もしかしたら、このメルマガをご覧になっている方の中にも、「改変」職人が混じっていらっしゃるかもしれませんね。

……しかし。
日本という国において、かくのごとき「文章芸」は、決してこの21世紀という時代特有のものではなかったのです。本日は『週刊メルマガクリルタイ』様のスペースを借り、そんなパロディ魂あふれる名作古典の実例をば、ご紹介申し上げたく候。

 ◆

現代の小中学校の時間割には、読み・書き・ソロバン科目の他に「道徳」なんて科目も存在します。
社会の一員として清く正しく生きていくための心構えを、じっくり育成するためのものです。
江戸時代の子ども達も、それと同様の狙いのもと、『実語教』という漢文調のテキストを読まされていました。

『山高故不貴  山高きが故に貴からず
 以有樹為貴  木有るを以て貴しとす
 人肥故不貴  人肥えたるが故に貴からず
 以有智為貴  智有るを以て貴しとす
 富是一生財  富は是一生の財
 身滅即共滅  身滅すれば即ち共に滅す
 智是万代財  智は是万代の財
 命終即随行  命終われば即ち随って行く』

という堅苦しいフレーズで始まるその内容を、砕いて三行にまとめれば、

「お前らしっかり勉強しろよ!
 目上の人は大切に扱えよ!
 良識に反する行為は慎めよ!」

みたいな具合になりましょうか。全文をじっくり読んでみたい方は、『青空文庫』などをご参照
あれ。

いかにも儒教っぽさ全開の、実に説教くさい文章ですが、江戸初期から明治維新の前後にかけ、日本中の寺子屋で広く永く愛用されていたそうで。
今も昔も、学校教科書なんざ読んでいて楽しいものじゃあなかった模様。

しかし!
そういう「有名」かつ「真面目」なお手本だからこそ、「改変」のやり甲斐もあるってなもんです!

『実語教』をおちょくる書は、原著の知名度に正しく比例するかのごとく、徳川260年の間にたくさん書かれました。そのヴァリエーションとしては、元禄年間に刊行された『俗語教』、宝暦の『游里教』など様々ですが、ここでは幕末の作と推定される『実妓教』から、冒頭部を引用します。

『鼻高故不美  鼻高きが故に美しからず
 以有愛為美  愛有るを以て美しと為す
 妓肥故不好  妓(おやま)肥たるが故に好まず
 以有芸為美  芸有るを以て美と為す
 三弦一座興  三弦(しゃみせん)は一座の興
 酒畢則入床  酒畢(おわ)れば則(すなわ)ち床に入る
 客是一生宝  客は是一生の宝
 入気則身請  気に入れば則ち身請けせる』

原著は、とにかく「清く正しく」がモットーの書でした。一方こちらの『実妓教』に書いてあるのは、「遊女の心構え」です。道徳教科書の文体を用いて、花魁(おいらん)のための教科書をでっち上げたのです。

また、『実語教』の親戚的な本に、『女大学宝箱』というものもあります。
こちらは婦女子をターゲットにした「教化・修身」の教科書で、享保元年(西暦1716年)に初版が刷られて以来、明治時代に至るまで11版を重ねたという超ロングセラー。その内容は実に封建的・時代的で、おカタい!

だいたい、本文の第一行目からして、

『一、夫(それ)女子は成長して他人の家へ行、舅姑に仕るものなれば、男子よりも親の教へをゆるがせにすべからず』

いきなり、こんなことを言い出しますからね。
以下も似たような文調で、「とにかく女たるもの、文句を言わずに家庭のために働け! 男のやることには絶対に口出しするな!」とかなんとか、フェミニスト大激怒な「道徳」ばかりがズラズラと続きます。昔の女性ってのは大変だったんだなあ……と、ついつい嘆息させられる『女大学宝箱』ですが、これにもまた当然のごとく、『女大楽宝開』なるパロディ本が存在します(18世紀中頃の作)。

『女大学宝箱』の表紙を開けると、まず百姓たちが協力し合いながら畑仕事をしている絵が目に飛び込んできます。その後にも、四季折々の風景とか、『源氏物語』のダイジェスト的なイラストなどが続き、それからようやく本文にたどり着きます。対する『女大楽宝開』の方も、やはり似たような口絵が満載なのですが、その中には田植えしている女をバックから犯す男がいたり、紅葉を鑑賞しながらセックスしているカップルがいたり、『源氏物語』に登場する貴族たちもこぞって御簾の中で抱き合っていたり、とにかくまあエロエロ!

もちろん本文だって、徹頭徹尾に「好色改変」が施されており、例えば上掲した『大学』の序文は、

『一、夫(それ)女子ハ成長して他人の家へ行、夫に仕るものなれば、色道の心がけ第一たり。
 一、父母ももとより其道を好みたるゆへに子孫もつきざるなり』

と、原著者にケンカ売りまくりの内容に歪められています。本記事の最初で紹介した『孤独のグルメ』の「改変」と同じく、これまた「ギャップの妙」が光る仕事であります。

なお、『大学』をおちょくり倒しただけでは、『大楽』は終わりません。
後半になると「張型」や「肥後ずいき」などのアダルトグッズを紹介するページが出てきたり、ショタコンのための少年調教指南があったり、さらには、

『かりたかしといへども たつとからず 気やらすをもつて たつとしといふ』
(ただ陽物がデカいだけじゃ、偉いとは言えない!きちんと射精できるようになって初めて、立派な陽物と言えるんだ!)

などと『実語教』の「改変」を唐突に始めてみたり、もはや原著とは全然関係ないエロネタが次々に登場します。これだけフリーダムな本になると、読む方はもちろん、書く方だって楽しくて楽しくて仕方なかったんだろうなー……と、妄想が膨らみます。

 ◆

てなわけで。
完成したネタを発表するための媒体こそ、昔は「紙」、対して今は「インターネット」だという違いがあります。しかし、人口に膾炙するフレーズすら玩具にしてしまう「遊び心」と、それをみんなでワイワイ楽しむ「心意気」は、古今通じて日本人の心中に燃え盛っているのです。

古いモノの中にも、新鮮なユーモア。
新しいモノの中にも、懐かしい知性。

いろもの古典を漁っていると、本当、退屈しませんです。

(衆道士ペドフェチ)
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