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ミニコミ『奇刊クリルタイ』の公式ページ。お知らせやメルマガ「週刊メルマガクリルタイ」の過去記事を掲載していきます。

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ぼくわたしがかんがえたせんしんてきなはたらきかた

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あの、マリッサ・メイヤー(google20番目の社員にして、元同社副社長、現YAHOO!CEO)が「在宅勤務者に出社勤務にするかもしくは退職するよう通達」したとしてニュースになっている。
「はてなブックマーク」などを見てみると社畜がどうしたとか言ってる人がいたが、そういう人はスティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』(阪急コミュニケーションズ)を読んでからコメント書き込めよと言いたい。

グーグル ネット覇者の真実 追われる立場から追う立場へグーグル ネット覇者の真実 追われる立場から追う立場へ [単行本]
著者:スティーブン・レヴィ
出版: 阪急コミュニケーションズ
(2011-12-16)


そもそもgoogleとは極めて「大学」的な組織であり、今回のニュースは単に「(授業にでるかどうかはさておき)大学ぐらい来いよ」という程度の意味しかないと思われる。それはさておき、YAHOO!でこうした決定がなされたのは、その大前提として、在宅勤務という制度自体に意味がない(少なくともコストに見合わない)という事になるのではないだろうか。
そう、我々はいい加減認めるべきなのだ。少し前から「せんしんてきなはたらきかた」だと言われていたもののほとんどは、実は、メリットよりもデメリットの方が大きいのかもしれない、ということに。別に、こんなことはgoogleがどうだとか遠く離れたところにいるエリートさん達の事例を引く必要はない。我々の隣を見てみればこうした事例は枚挙にいとまがないのだ。

例えば、フレックスタイム制が単なる遅刻の言い訳になっていることに。
例えば、ワークライフバランスが単なる既得権の言い換えになっていることに。
例えば、原稿を書くのがwifi完備のカフェでも自宅でも、進捗に大して変わりはないことに(私は、ライターとしての原稿は毎回自宅で書いているが、それで困ったことなど一度もない。考えてみたら当たり前だけど)
例えば、CSRを声高に叫び、CSR経営を標榜する会社に限って社員を酷使し、赤字が出たらすぐ社員を無理矢理リストラしていることに。
例えば、イケダハヤトや安藤美冬が単なるヒモやプラチナディストリビューターでしかないことに。


結局「せんしんてきなはたらきかた」の多くは極めて高度な自己コントロール能力を求められるのだ。それをコントロールできる人はよいが、そんなことできないから我々は会社勤めをしているわけで。ほっとけばCIVでもGTAでもやってしまうからこそ、我々は今日も満員電車に揺られて会社に向かう。だけど、自分がコントロールできないのに「できる」と勘違いするよりはマシだ。

キモメンスゴレンVol.3「エア仕事論」にイラっとくる5パターン

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皆さんは「竜退治にはもう飽きた!」というキャッチコピーをご存知でしょうか。TVゲーム『メタルマックス』のTVCMにて、「元ジャイアン」ことたてかべ和也氏のが叫んだこのフレーズは「戦車と人のRPG」である同シリーズを象徴する名キャッチコピーとしてファンの間では語り草となっています。



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(2011-12-08)
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ですが、広大な世界にはたてかべ和也氏ならずとも「もう飽きた!」と叫びたくなるような様々な事象が存在することは論をまたないでしょう。今回はそんな中から、仕事における「もう飽きた!」の好事例、「エア仕事論」を
紹介します。「エア仕事論」とはその名の通り、「本人はドヤ顔で語るも、現実には何の意味もない仕事論」「仕事論のフリした自慢・アピール」の総称です。今回は数多くの「エア仕事論」の中から5つを紹介する事で現代社会に対する警鐘とさせていただきたいと思います。

1.コミットメントなき仕事論

コミットメント。様々な人によって指摘されていますが、ビジネスを進めていく上で基本中の基本となる能力です。ビジネス上のある事柄にコミットメント(責任を伴う約束)する以上、責任をもってその業務を遂行する必要があります。ところが、エア仕事論ではこうしたコミットメントは無視され、「自分が気持ちいいか」「自分が有利なポジションにつけるか」「PVが稼げるか」が優先されます。簡単に言えば、全てのエア仕事論はコミットメントなき仕事論だと言えます。
「あの人が気に入らないから俺は仕事しないよ」という人や、「前の会社では○○だった」「googleでは云々」「アップルでは云々」「ワークライフバランスが」「ダイバーシティが」などなど。「エア仕事論をぶつ前に事務員と不倫するのやめろ」(愛知・フレキシブルコンテナバック)「そんなこと言うならとっとと転職しろよ」(尖閣諸島・官房長官)、「あんたが勤めてるのは何の変哲もない日本の中小企業なんですが・・・」(岐阜県・童貞)といわれても仕方がないでしょう。

2.ノマド

「ノマド」とは遊牧民の事ですが、転じて「オフィスのない会社」「働く場所を自由に選択する会社員」といったワークスタイルの事を指します。当初はモバイルやクラウドを使った仕事術やツールの紹介であったはずのノマドですが、フリーランス礼賛と結びつき、現在ではノマドなんだかノ○ソなんだかエア仕事論なんだかよくわからないことになっております。それに伴い、「年収150万円で僕らは自由に生きていく 」(それ単に嫁さんが理解と稼ぎのある人ってだけだろ)とか「月5,000円でサバイバルキットを買えば大丈夫」(新手のネットワークビジネスか)などなど「ノマド的エア仕事論」も増殖傾向です。安易にノマドを信奉する皆さんには「歴史上ほとんどのノマド(遊牧民)は安定した収穫を目指して農耕民族に侵攻、征服後、農耕民族に逆制服(農耕民族化)された」という事実に思いを馳せてほしいものです。


3.「カンブリア宮殿は見ろよ」

『カンブリア宮殿』といえば、各業界の社長を招いての企業PR研究番組です。村上龍と小池栄子の名コンビもすっかり板に付き、テレビ東京の看板番組とも言えるこの番組。あなたは、放送翌日の会議などでやたらとどこかで聞いたような、もっといえば、昨日の夜中に両胸にスイカをつけたねーちゃんとドヤ顔のおっさんから聞いたのと全く同じ内容を話す上司に遭遇する光景に遭遇したことはないのでしょうか。「部長がドヤ顔で「カンブリア宮殿」の話をするのでますます見たくなくなる」(埼玉県・団体職員)「紹介されている事例を1つでも実行してほしい」(ユタ州・NPO)など、彼らの存在は若手社員からの評判が非常に悪いです。番組そのものよりも、「唯一の情報源」「単なる広報番組を先進事例の紹介だと勘違いする」上司の存在が「カンブリア宮殿を見てる人はイタい」という逆効果を生んでいる事実は我々の胸に刻まれるべきです。

4.ぼくがかんがえたさいきょうのますこみぎょうかい

あなたのフォロワーの中にはマスコミ業界の人間でもないのにやたらと「マスメディアの未来」や「マスコミ論」を語りたがる人がいないでしょうか。で、意外とそうした発言がリツイートされてたりします。
「マスコミに入ってから言え」(インターネット・こじらせ女子)「他にやることないのか」(樺太・製麺業)などなど、こちらも評判は悪いです。よくよく考えてみると、業界のインサイダーでもない人が考えた理論がそこまで正しいと言えるのでしょうか。自分の業界に置き換えてみれば、そうした現状が如何にバカバカしい事かよくわかります。しかもタチの悪い事に、そうした発言は就職活動の裏返しのルサンチマンである可能性が多く注意が必要です。ですが、よくよく考えてみると、我々の周りには「ぼくがかんがえたさいきょうのかちょう」や「さいきょうのしんきじぎょう」「さいきょうのえいぎょう」を開陳する人にあふれています。
「さいきょうのかいしゃ」トークはせめて飲み屋での泥酔時ぐらいにとどめておきたいものです。


5.中二病にいつまでも罹患

中二病。本来であれば「中学2年生程度の屁理屈で社会を否定し、結果何の行動も起こさなくなる「病」」の事を総称していますが、世の中には困ったことにこの病にかかったまま大人になって就職……はおろか、管理職になろうが50になろうが中二病がいまだに完治しない人がいます。いい年こいて「俺が中心にならない飲み会には参加しない」という人や、もう50にもなるのに、「俺に従わない後輩とは口もきかない」という人。いつまでたっても「ぼくにはもっとふさわしい仕事がある」と夢想する人。「ぼくはゆうのうなんだい!」というアピールに余念のない人……。
「ほんとに迷惑。早く魔眼に目覚めてダークフレイムマスターに転生してほしい」(岐阜・文化系童貞)「そんなに中二病がいいならアーカム財団にでも入ってろ」(梁山泊・ミニコミ編集)など、中二病を批判する前に自らを省みてほしいと思う事しきりです。


そもそも、エア仕事論とは全ての会社において、全ての安居酒屋で必須の概念でした。ただ、それらは翌日には酒とともにきれいさっぱり忘れ去られていたという意味で、大変健康的なものでした。ですが、今日では全てのエア仕事論はアーカイブ化され「痛い言動」として保存される一方、「事故物件」扱いを恐れない一部の人たちは、エア仕事論を語ることを仕事とするようになりました。我々にできる事は、彼らの発言の不備をあげつらうことではなく、彼らの発言をしっかりとアーカイブ化し、後世の人々に残すことなのではないのでしょうか。2010年代の日本に咲いたあだ花として……。




ビッグダディに見るDQNコミュニケーション-republic1963

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2012年末。年末の改編期には我々が心待ちにしている「アレ」が放送さた。
そう、「痛快!ビッグダディ(BD)」である。
何はなくともBDである!
BDとは整骨院を営む林下清志(通称ビッグダディ)一家、夫婦と子5男8女の合計16人(男6人・女9人)のどたばた劇や家族の絆を描いたいわゆる「大家族モノ」である。最初岩手に住んでいたビッグダディ達も奄美大島から愛知県豊田市、香川県小豆島へと移り、その間に妻(前嫁)と離婚→よりを戻して再婚→やっぱり離婚→18歳下の妻(現嫁)と結婚という波乱万丈な人生を送っている。
今回のBD18、ここしばらく封印されてきていた「バトル」が復活し、久々に見応えのある内容であった。だが今回、強調されていたのはBDが繰り出すDQNに特有のコミュニケーション技法、いわば「DQNコミュニケーション」とでもいえるものである。そこで今回は改めてBDにみるDQNのコミュニケーションの特徴について考えてみたいと思う。

  • DQNコミュニケーションの特徴1:怒る

今回放送分でBDが子供たちに対して大爆発した。理由はキノコ狩り時に子供たちが挨拶をしなかった、というのが理由だが、「怒る」というのは広く知られているDQNの行動様式である。さらに、BDの場合、子供に「笑ってた」等のいちゃもんをつけることで怒る事を正当化していた。こうした怒る理由をでっちあげることで自分を正当化するのはDQNの常とう手段である。さらに、こうした理由としてしばしば使われるのが「笑っていた」等の態度(=客観的な事実ではなく、恣意的に判断できるもの)である点には注意しておきたい。

  • DQNコミュニケーションの特徴2:子供

今回放送分で初めて明らかになった事実として「BDは子供のために現嫁との別居を決断した」というものがある。つまり、現嫁との同居では前嫁や前嫁との間の子供の話題がタブー化したため、子供の成長に悪影響を及ぼすというBDの考えが番組内で説明されたのだが、これはうそではないだろうが、本当にそうなのだろうか。そもそも、それが本当なら最初から説明しろよという気にもなる。というか、BDは現嫁との間にできた子供もいるのに、その子の事は心配しなくていいのだろうか。このように「子供」を錦の御旗とし、子供をダシにつかって一点突破を図るのはDQNの様式美と言っても良い。

  • DQNコミュニケーションの特徴3:疑う

今回の放送で主題となったのは、BDの二女の学校問題である。簡単に言って不登校になりかけているのだが、その解消のため、豊田にいる前嫁のところに遊びに行かせる→その時の写真を入れてた写真立てが破損という展開を辿るのだが、その後、写真立てを割ったのは現嫁ではないかとBDが疑い出すという超展開を見せる。そこまでこだわらなくても新しく入れればよくね?というツッコミも聞こえず、BDは別居先の元嫁の元に突撃したわけだが、こうした些細な理由で人を疑い、疑心暗鬼に陥るのはDQNに非常に特徴的な行動様式である。しかも、それを本人に言ったところで何が変わるとおもっているのだろうか。

  • DQNコミュニケーションの特徴4:ほのめかす

BDのDQNコミュニケーションの真骨頂は番組最後の現嫁とのドライブである。この番組上最大の山場において、BDは現嫁からの執拗な同居要請をのらりくらりとかわしていくのだが、この2人の会話がとても面白かった。何が面白いって、現嫁が「どうしても同居してほしい」と言った時にBDは同居するともしないともなんともいわないあいまいな態度を取り続けていた。こうしたBDのほのめかしメソッドは番組内で頻出しており、これが別居の理由なんじゃないの?と疑いたくなるが、基本的にこうした明確に答えを言わない、ほのめかす態度はDQNに極めて特徴的なものである。

こうしてみてきたBDシリーズ。「3月以降の契約は更新しない」というBDの意向もあるという噂もあり、今後もBDのシリーズが続くかどうかは不透明だ。だが、BDというコンテンツが今後どうなろうと、この世紀のDQN番組が成し遂げてきた事がなかったことになることはないであろう。

「希望は戦争」への5年越しの回答:熊代亨『ロスジェネ心理学―生きづらいこの時代をひも解く』

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ロスジェネ心理学―生きづらいこの時代をひも解くロスジェネ心理学―生きづらいこの時代をひも解く
著者:熊代 亨
販売元:花伝社
(2012-10)
販売元:Amazon.co.jp


熊代亨『ロスジェネ心理学―生きづらいこの時代をひも解く』・・・8点(10点満点中)
※著者様のご厚意により献本いただきました。ありがとうございます。

この本は「はてなダイアリー」やblogosでもおなじみのブロガー「シロクマ(@twit_shirokuma)」氏による初の単著である。「ブログ発」ということなので目次を広げてみると以前見覚えのあるタイトルが並ぶが、それらのほとんどはタイトルのみ拝借した形でほぼ全面的に書き直されている。で、そこで何が語られているかというと、著者も連なる「ロスジェネ世代」を中心とした世代論を精神科医という立場で再解釈したものである。
この本の論旨をごく簡単に言えば、現代(2010年代)は空前の各人が個人的な自己愛を必要とする社会、つまり、集団(ムラや会社)への所属を通した自己愛ではなく、個人的な成功やキャラクター消費によって自己愛が充足される社会である。しかも、そうした自己愛の充足方法や要求水準が年齢相応に成長していかないという問題を抱えがちである、という問題点を示したうえでその解決法(察しの良い人ならわかると思うが、「分相応に年を取れ」という解決法である)が提示される。そして、その過程で明らかにされるのは我々ロスジェネ世代(70年代後半から80年代初め生まれの世代)の「梯子を外された」様子である。つまり、金銭的・社会的な成功によって自己愛を充足させやすいバブル世代と、キャラクター消費によって自己愛を充足させやすいゆとり世代との間で、「バブル的な規範を内面化させながら、それを実行することが極めて難しい」という位置にいるのが我々ロスジェネ世代である。

本書においてはいわゆるブログ文体は極力使われず、汎用性の高い描写がされており(そのため、アニメやゲーム個別の批評はほとんどない)、この本を広く世に問いたい、という意気込みが伝わってきた。また、精神科に対する予備知識はほとんどなくともかなり面白く読むことができた。
本書を読んでいて思い出されるのは赤木智弘『若者を見殺しにする国 私を戦争に向かわせるものは何か』(2007年)だった。ロスジェネ世代の「梯子を外された」「こんなはずじゃなかった」という感覚。おそらくそうした世代の声は新自由主義でも先行世代のせいでもなく、他人の無関心によって「なかったこと」になるだろう。だが、『若者を見殺しにする国』から5年、ようやくまともに応答する本が現れた。それが恐らくこの本だ。

だが、本書が示す解決法がいかにも弱い。「分相応な年の取り方をしろ」というのは理屈としてはその通りだが、解決策としては弱い(そもそも、それならまず先行世代が「引退しろ」という話になる)、またコミュニタリアン的な解決策の提示もそういったものが嫌いな人には如何にもウケが悪いだろう。だが、それらを差し引いても現状分析とそれをわかりやすく提示する手法は見事としか言いようがなく、また「ロスジェネ世代」という敗北が決定づけられた世代によるささやかな反抗の記録として、ぜひ一度読んでみてほしいと思う。

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今、そこにある危機-社内ニート、傾向と対策-republic1963

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最近、YahooやMSNなどのポータルサイトでよく見かける「社内ニート」関連の記事。
社内ニートというのは要するに「会社に行っても仕事のない人」「社内でボーっとしている人」の事ですが、単なる窓際族というわけではなくて、20代~30代の「社内ニート」が最近増えているのだそう。
何を隠そう私、これまで2回ほど社内ニートになったことがあります(それぞれ期間的には短く、そして自力で解決してきましたが)。いわばプロの社内ニート。そこで今回は知られざる社内ニート、その傾向と対策について考えてみたいと思います。

  • そもそも、なぜ社内ニートになるのか


R25のこの記事では、いかにも「能力がないやつが社内ニートになる」「ゆとり乙」とでも言いたげな内容となっております。ですが、この記事では重要な問題があります。それは、

「そもそも、この社内ニートだって難関の就職活動(もしくは転職活動)をくぐりぬけてるはずだよな」


ということ。つまり、その人の能力に問題があるのなら、その人を採用した人事や面接担当は相当無能という事になります。そもそも社内ニートを生むような会社は儲かっている、外部から見ると非常にいい会社であることがほとんどです。そんな会社の優秀である「はず」の人事や面接担当が無能なんてことがあるんでしょうか。
社内ニートというのは基本的に会社(ないし部署)と働く人のミスマッチによっておこります。ミスマッチというのは社風であったり、仕事の内容であったり、ことによるとタバコを吸わないことだったりしますが、普通、こうした場合、転職して解決することがほとんどですが、昨今の不況により転職ができない(しない)場合に社内ニートが発生します。
社内ニートの発生要因がミスマッチによって起こるという事は、つまり、誰にだって起こりうることなのです。

  • 社内ニート、その類型


さて、一口に社内ニートといってもその中には類型が存在します。

1:窓際族型・・・定年間近で仕事がない人
2:外部要因型・・・プロジェクト終了(閉鎖)などで仕事がない人
3:要領型・・・要領がいいため仕事がない(というかしてないように見える)人
4:空気型・・・社内で「空気(いない存在)」として扱われているため仕事がない人

わざわざ言うまでもなく、ヤバいのは4の空気型です。そもそも1は昔から存在しており、しかも退職までのカウントダウンが始まっているわけですから。2、3も多少は問題ですが、そもそもの能力には疑いがないわけですからいづれニート生活を脱出できるでしょう。問題は4。で、「空気」として扱われるには色々理由があるわけです。空気型の社内ニート、いわば「エア社員」はなぜ生まれてしまうのでしょうか。エア社員が発生する背景には「こいつには頼みたくない(つまり嫌われている)」「こいつに頼むより自分でやったほうが早い(つまり能力がない)」という二つの理由が存在します。でも、もう少しエア社員を生みやすい要素について考えてみると以下のような特徴が挙げられます。

1:会社が暇・・・ニートだけに限らず、会社全体がそれほど忙しくない場合に社内ニートは発生します。暇、という事は他にすることがないため喫煙室(居酒屋)でのコミュニケーションが活発に行われているためです。ですが、先ほどの社内ニート発生の前提条件「社内ニートのいる会社は儲かっている」を当てはめると、この会社は本当にパラダイスということになります。
2:採用後させる仕事が明確でない・・・1にも関連しますが、特にやらせることもないのに社員を取ろうとする奇特な会社も世の中には存在します。そして、そういう会社には社内ニートが発生する事になります。なんせ、取る前から回っているのに人を増やすわけですから、その人に回す仕事があるわけないでしょう。もし、そういう会社にブチ当たったら採用前の面接時に必ず採用後、従事する仕事について聞いてみることをオススメします。
3:マニュアルがない・・・マニュアルがない、ということは前任者のフィーリングによって業務が進められていることを意味します。この場合、まともな教育の機会が与えられないわけですから、当然「こいつに頼むより自分でやった方が早い」となります。
4:キーマンが一人しかいない・・・どの会社(部署)にもいるキーマン。そのキーマンに嫌われてしまうとどうなるでしょうか。答えは「空気」。これはもう火をみるより明らかです。こうなると転職か異動しかなくなるわけですが、問題は社内にキーマンが一人しかいない場合です。転職も、異動もできないわけですから社内ニートの危機はさらに深まります。

これらは社内ニートが発生しやすい要素ですが、こうして挙げてみると入社(異動)してみないとわからない要素が多い事に気が付きます。つまり、我々は会社というロシアンルーレットを常にやらされているようなものなのです。

  • 野球選手はサッカー選手にはなれない


最後に、社内ニートはヤバい、という話をします。社内ニートになった場合、我々には3つの選択肢が与えられます。つまり、1:転職、2:自力で仕事を作る、3:そのままニートになる この3つです。
繰り返しになりますが、社内ニートがいる会社は世間的に「よい会社」であることがほとんどなので、恐らくそのままある程度の期間は社内ニートとして生活していけるわけですから、これはラッキーです。ですが、会社が今後どうなっていくのかは誰にもわかりませんし、第一、何十年も「空気」として扱われる事に普通の人は耐えきれません。YAHOO!もMSNも見飽きてくるわけです。
ですが、その時点で初めて転職、となったときに我々に困難が待ち受けます。それは転職市場では前職の経歴を非常に重視するという事です(当たり前だけど)。つまり、ITから商社みたいな形で業種は変えられても職種は変えられない可能性が高い。営業は営業、広報は広報にしか転職できない事の方が多いわけです。でも、その職業欄に「ニート」と書いてあったら、その人を採用する人がいるでしょうか?つまりはそういうことなのです。社内ニートはニートなので転職市場での価値が非常に低い。
社内ニート(特に社内ニートの時期が長い場合)が会社を辞める場合、本当にニートになってしまう可能性が高い。この行くも地獄、退くも地獄な状況下で、我々はどうしたらよいのでしょうか。結局、自力で仕事を作る以外に社内ニートが生きる道はないのです。

個人史でありながら優れた地方論:犬山明彦・杉本政光『ゆるキャラ論 ~ゆるくない「ゆるキャラ」の実態~』

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犬山秋彦,杉元政光『ゆるキャラ論 ~ゆるくない「ゆるキャラ」の実態~』・・・9点(10点満点中)
※著者様のご厚意により献本いただきました。ありがとうございます。

本書は、大崎一番太郎、戸越銀次郎というゆるキャラの「中の人」でありながらライターとして活躍されている犬山秋彦氏と地方自治を専門に活躍されている杉元政光氏の2名による、「ゆるキャラ論」である。ゆるキャラ論であるので、ゆるキャラに関するビジネスモデルの解析やキャラ紹介、取り組み事例などが紹介されており、それ自体で非常に資料的価値の高い一冊になっている。「ゆるキャラを作っても実は儲からない」「着ぐるみを作るだけなら何十万でできる」「「ゆるキャラ」は実はみうらじゅんと扶桑社が商標登録している」など、面白い指摘がされていて、単純にゆるキャラ誌をまとめた本として面白く読める。
だが、本書がゆるキャラに興味のある人間だけが読んで楽しいもの、というわけではない。むしろ、ゆるキャラに興味がない人でも凄く楽しんで読めるはずだ。そうした本書の魅力はどこからくるかというと、ゆるキャラ、という着ぐるみを通して語られる犬山秋彦という一人の人間の個人史こそが、本書をより味わい深いものにしている。けして「うまくやっている」タイプの半生ではない。だけど、私のような、氏と同年代ぐらいの人間であれば間違いなく共感できる内容である。勝手に「ゆるキャラ」を作って、それを押し売り的にいろんなイベントや会場に出没させていって、次第に協力してくれる人が現れて、といった一連の流れはとても引き込まれた。単純に「アガる」のだ。その「共感」がベースにあるので、2010年代以降の文化論的な内容に踏み込んだ、後半の章におけるやや難しい内容もすんなりと理解する事ができる。また、「まんべくん」の運営元である株式会社エム・佐藤氏へのインタビューやみうらじゅんにインタビューした内容は単純に面白い内容でありながら、優れた地方論、サブカルチャー論になっている。特にみうらじゅんが今のゆるキャラブームについてどう考えているのか、といった部分は非常に「氏らしい(あまりいい意味ではない)」という印象で興味深く読めた。

今までまったく誰からも見向きもされなかった場所やスポットに、キャラクターが生み出され、それを媒介にしてある日突然、魔法を使ったかのように、たくさんの観光客が訪れるようになる。ゆるキャラとは、地方に生きる人々の希望や羨望、欲望といった感情を飲み込むブラックホールのようなものなのかもしれない。その魔法がいつまで使えるのかはだれにもわからない。だが、その「瞬間」の記録として、本書は残るだろう。

最後に、本書の電子書籍という形式について少し記しておく。
今回、ブラウザ形式の電子書籍を初めて使用したが、iphoneでのログインが多少面倒だった事以外は非常に使いやすかった。PCとiphoneで読んだが、それぞれのデバイスに合った形で最適化されており、文字が大きくて非常に読みやすく、「いつでも、どこでも読める」という電子書籍のメリットを初めて実感できた書籍だった。また、写真がカラーで使用されている(数十体分のカラー写真が使われており、紙版だと1,000円はほぼ不可能だったと思われる)、個別の単語にハイパーリンクが挿入されているといった部分もポイント高い。現時点における電子書籍の読ませ方のほぼベストな回答であるように思えた。
ちなみに、運営元のボイジャーの皆様におかれては奇刊クリルタイというミニコミサークルが面白いコンテンツを多数所有していることをお伝えしておきたい次第である。

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撤収に向かうビッグダディ-republic1963

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秋も深まった2012年10月。番組改編期とくれば我々には心待ちにしているコンテンツがある。
食欲の秋、読書の秋、スポーツの秋、とくれば「痛快!ビッグダディ(BD)」の秋である。

何はなくともBDである!
BDとは整骨院を営む林下清志(通称ビッグダディ)一家、夫婦と子5男8女の合計16人(男6人・女9人)のどたばた劇や家族の絆を描いたいわゆる「大家族モノ」である。最初岩手に住んでいたビッグダディ達も奄美大島から愛知県豊田市、香川県小豆島へと移り、その間に妻と離婚→よりを戻して再婚→やっぱり離婚→18歳下の妻と結婚という波乱万丈な人生を送っている。

というわけで続いてきたBDも今回で第17弾。BD17は2週連続放送(都合により私が見たのは後編のみ)18歳年下妻との別居と別居後の生活がメインの話題であった。だが、結論から言うとBD17は前回指摘したBDの弱点が見事に露呈した内容となっていた。
前回の指摘したBDの物語構造と弱点についてもう一度まとめておこう。

・BDシリーズにおいて物語を主に駆動させているのがBD対妻、もしくは元妻との「バトル」である。
・よって、本来、大家族モノで物語を推進させるべき「子供たちの成長」「親対子供」といった要素は極めて弱くなっている
・だが、数々のやらせ疑惑等によって「バトル」を封印したBDは無理矢理「本来の大家族」方面に話を展開させているため、現状、物語を駆動する力が極めて弱くなっている(要するにつまらない)
・しかも、現在BDはテレ朝の屋台骨を担うほどのドル箱コンテンツになっており、3カ月に1度の改編期には必ず放送される結果、ひたすら冗長な子供たちの日常生活しかコンテンツがなくなっており、極めて「薄く」なっている。


こうしたBDの弱点はBD17においても見事なまでに踏襲されていた。なんせ、夫婦が別居したのにその理由が「よくわからない」のだ(未視聴の前編でも明らかにされなかったらしい)。いや、それっておかしいでしょ、と思うだろうが本当にそうなのだ。なぜか夫婦が突然別居してその理由が明示されないまま、ひたすらにBD一家の日常生活のみが2時間半放送されるという謎すぎる展開。意味がわからなさすぎる。そもそも、BDの表アングル(TVで放送される内容)では妻が折れる形で夫婦のケンカは起こっておらず、平穏無事だったはずだ。それがいったいなぜ?という大きな疑問は全く解消されないままだ(そもそも結婚して1年で別居する夫婦ってどうなんだよ、というもっともなツッコミはこの際封印しておいてほしい)。
ここから導き出される答えは一つ。つまり、「妻は別に折れていなかった」という事だ。そもそも、表アングルでもたびたび明らかにされている通り、妻はまごうことなきDQNであり、彼女の言動も非常に汚いものであった。そんな人間が、一度離婚するかしないかで揉めただけであそこまで豹変して「良い妻」になれるなど考えづらい。それよりは、あれはTV向けのポーズであると理解した方が自然だ。つまり、TVカメラの回ってないところでは妻は相変わらずDQNで吠えまくっていて結果別居、という筋書きだ。だが、その割に妻が復縁を求めまくって努力しているのは解せない。
もうひとつの回答は別居自体がブック、つまり制作側の仕込みだったということだ。別居などする必要はないけれど、番組側の筋書き通りにして別居→次回以降の放送で妻の努力により和解、再び同居という筋書きが織り込み済みの別居、という事になる。それって子供の精神衛生上どうなんだよと思うが、そういう筋書きの可能性はある。BDというストーリーラインの推進力を取り戻すにはこうした方法が簡単だということはよくわかる。「別居」なら別に経歴等に傷がつくわけでもないし。しかも、現在番組構成の主導権を握っているといわれる妻の株が一番上がるのは想像に難くないわけだから一石二鳥である。もしかしてこのブック作ったの妻じゃね?と思いたくもなる。

だが、こうしたアングルは2つの点で問題を抱えている。まず1つ目はこんなアングル何度も何度も続けられない、続ければ続けるほど「ああ、いつものだろ」と飽きられることと、もう1つは、ストーリーライン上、理由もなく別居して理由もなく復縁してもストーリーとしてのカタルシスは全くない。つまり、ストーリーとして破たんしているのだ。そして、そんな破たんしたストーリーを何度も放送することができるのだろうか。かといって、日常を映す「だけ」の番組としてBDは大きくなりすぎてしまった。
つまり、BDはもう、コンテンツとしては飽和してしまっており、今後よほどのことがない限り、以後は緩やかな撤退戦を戦うことになるだろう。全てのコンテンツには始まりと終わりがある。だが、BDのそれはあまりにも短かった。こうした見立てが私の妄想として笑い飛ばされる事を切に願う。

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非モテのための婚活必勝法15イケダハヤトの「ノマド詐欺」について

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古い話で恐縮だが、ネットのヤングでナウでリバタリアンなカリスマアルファブロガー、イケダハヤト氏がこんなブログを書いていた。
既存の婚活サイトの課題を解決するスタートアップ「frigg」
婚活サイトfriggを取り上げているが、いや、素晴らしいサービスですね、と白目で言いたいところである。という事で、今回はfriggの使用感をレポートしてみたいと思う。

  • そもそも、全然メリットじゃない件

イケダハヤトはエントリ中にて、以下のように書いている。
friggの特徴は、ソーシャルランチを彷彿とさせる「マッチングアルゴリズムによって、相性の良い人を毎日ひとり紹介する」という機能。これは従来の婚活サイトにはない仕組みとのこと。
関連して、friggには従来の婚活サイトにみられる「検索機能」は用意されていません。公式ブログには、「婚活サイトに顔写真を登録すると、友達や同僚に見られそうで嫌だ」「大多数の人に見られるのが不安」というユーザーへ配慮した結果であることが記されています。

つまりfriggのメリットは「1日1回相性のいい人が送られてくる」というのがメリットなのだという。だが、実際に使用してみると、利用者にとってそれはそれほどメリットではないことがわかる。そもそも、サービス設計側が配慮した、という写真登録について、写真が登録されていない確率はかなり高い。写真が登録されていても顔写真ではない写真も多い。イケダハヤトが「うさん臭さすら漂う」とまで評した既存の婚活サイトのほうがずっと写真登録されている確率が高いように思える。これはなんでかと言うと、excite恋愛結婚では写真の公開/非公開やメールのやりとりをした人だけに写真を送る、といった事を選べる。まさか、ろくに調べもせずにエントリ書いてんじゃ……という疑念も頭をもたげるが、ここではそれは置いておこう。frigg最大のメリットとされている「1日1回相性のいい人が送られてくる」これがクセ者なのだ。そもそも、friggでは新規でメールを送るには1カ月980円のプレミアム会員(要は有料会員登録)が必要だ。この仕組み自体は他のサービスでも同じなのでこのこと自体はいい。だが、friggの場合、新規でメールを送るのは4人に制限されており(1回メールした後のやりとりは無料)、4人以上に送ろうとしたら1枚300円のチケットを買う必要がある。
普通に考えて、毎日本当に「相性のいい人」が送られてくるとしたら、これ全部にメールを送ろうとしないだろうか。つまり、friggの本当のコストは980円ではなく、6980円になるのではないか(30日サービス980円+6枚チケット1500×4)。これは月額のコストとしてはネット婚活の中でもトップクラスに高い。ここまでして登録するメリットはあるのだろうか。
「いや、でも気に入らなかったらスルーすればいいんだし、全員に送る必要ないんじゃ」
と思う人もいるかもしれない。だが、婚活サイトにおける必勝法はただ一つ、とにかく誰でもいいのでメールを送りまくることなのだ。1日10件メールして1件返信が来ればいい方、その中でさらにメールのやりとりが続くのは数人というシステムが婚活サイトの基本ルールで、スルーしたりするのは婚活サイト攻略の原則に反している。そもそも、それって「相性のいい人を紹介する」っていう仕組みが大したことないっていう前提で話ししてないだろうか。簡単な相性チェックぐらいならexcite恋愛結婚や「あの」マッチドットコムですら導入している。
どうも、friggでは「利用者は来たメールには必ず返事をする」という、婚活を少しでもしたことのある人間にとっては絶対にあり得ない前提でサービスが設計されている気がする。というか、それができていたら他のサービスも困ってない。私にはfrigg「だけ」にそんなに意識の高い人間が集まるとはどうしても思えない。

  • っていうか調べてエントリ書けよ

さて、もうひとつイケダハヤトは以下のように引用している。
・一日に多数の人をまとめて閲覧することができる既存のサイトでは、女性のプロフィールなどを一切見ないでコピペでのスパムメールをする男性が後を絶たず、望んでいない男性からメールが送られてくることもある。
・既存のサイトでは「同い年の方を望んでいます。年齢が違う人からメール来ても迷惑なので送らないでください」「希望条件を全然読まない人がいて困ってます」といったトラブルが起こりやすい。
・初日は検索結果に出る人が皆初めての人なのですごく楽しめたのだけれど、1ヶ月経っても検索結果が全く変わらず飽きてしまう。

これは、friggのブログの内容を転載したものだが、さっき言った「婚活サイトにおける必勝法はただ一つ、とにかく誰でもいいのでメールを送りまくること」に照らし合わせてみると、嫌なことでもなんでもなく、攻略法を忠実に実践しているにすぎないことがわかるだろう。これは男の利用者からしてみたら至極まっとうな行動なのだ(それが迷惑かどうかは人それぞれ)。恐らく、friggの「中の人」は女性なのではないだろうか。この意見は婚活サイトを使った女性の意見としては非常に納得できるものだが、これは婚活サイトに登録した女性が何もしなくても良い、「待ち」の状態でいれば、ほぼ自動的にメールが送られてくる事が原因なのだ。婚活サイトにおけるメールのやり取りはほとんどの場合、男のほうからメールを送ることがほとんどである。だから、女性にとっては送られてきた膨大な量のメールから余計な「ノイズ」を除去することが主眼に置かれる。よってfriggのような女性にとって「ノイズ」のないサービスが考えられたように思われるのだが、男性からしてみるとまどろっこしくてやってられない。だけどそもそも、男性からメールを送らないと話し始まらないですよね?と言いたいところだ。
あと、これがfrigg最大の問題点なのだが、女性無料、男性有料のモデルは1兆歩譲って良しとしよう(本当は、それってレコメンデーション的にダメだろと思うけど)。だが、肝心の本人確認がクレジットカードしかないのだ。これはほとんどの婚活サイトが導入している最低レベルの本人確認しか実施していないという事になる。「あの」マッチドットコムでさえ、任意だが、住所証明、収入証明等の本人確認を実施している。自分はクレジットカードのみの本人確認でも構わないと思うが、肝心のレコメンデーションの内容をどう証明すればいいんだろうか。それで本当に安心なんだろうか。

私は既存の婚活サービス自体に問題が全くないとは言わないし、friggのサービス自体は、着眼点として非常に面白いと思っている。だが、問題は、ちょっと調べれば分かることを調べず、問題点をちゃんと書かず、主観的な主張を垂れ流すイケダハヤトだ。これまで書いてきたことは、婚活サイトにちょっと登録してみればだれでもわかることだし、イケダハヤトが既存サービスの問題点だとしているのはほとんど改善済みだったり、それなりに理由のある事ばかりだ。そういった事情をろくに調べもせず既存のサービスを「手あかにまみれた、うさん臭さすら漂う「婚活サイト」」と評するイケダハヤトにはその根拠はどこにあるんだと聞きたい。まさか送られてきたプレスリリースか飲み屋での与太話をそのままエントリにしてないですよね?と問いたいところだ。そして、「手あかにまみれた、うさん臭さすら漂う「婚活サイト」」を攻撃する前に、自分のエントリが「手あかにまみれた、うさん臭さすら漂う「ノマド詐欺」」になっていないかを是非確認してほしいと思う。

republic1963

ミニコミマネジメント論1:ミニコミを作る時に気をつけるべきたった一つのこと

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著者:クリルタイ
販売元:クリルタイ
(2012-05-11)
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みなさん、ミニコミ作ってますか?
もし、あなたがミニコミを作りたいと思い立ったとして、どうすれば良いでしょうか。「まずはアズ○ンと飲みに行って…」とか、「有名アニメ作家にインタビューしないと」とか考えていないでしょうか。
それも大事ですが、あなたにはそれよりも先に考えるべき事があります。今回から何回かに分けて、そんな、ミニコミを作る、という行為をマネジメント論として考えてみたいと思います。
といっても話は単純です。要するに数字の話。
実は、ミニコミを作る上で、気をつけるべき事はたった一つです。
正確には、たった一つの数字をどうするのか。

ミニコミ(に限りませんが)を作る上で気をつけるべきたった一つの数字。
それは、販売率です。
販売率というのは、私の造語ですが、要するに、
「印刷した部数中何パーセントが売れているか」という事を表す指標です。なので、販売率(パーセント)=販売部数/印刷部数×100 という事になります。この数字がなぜ大事なのかというと、ミニコミを作る上で全ての数字の根幹にかかわるからです。例をあげて考えてみましょう。例えば、定価1,000円のミニコミを100部刷り、販売率が50%とします。すると、売れる部数は50部、収入は50,000円という事になります。すると、このミニコミを企画する際、原価として必然的に50,000円以上はかけられない、という事になります。仮にこのミニコミの印刷代が40,000円だとすると差引10,000円のプラスです(ミニコミの原価はほとんどが印刷代)。
なぜ、そういうことになるのかというと、ミニコミを続けていくにあたって最重要かつ、一番難しいのは「赤字を出さない」事です。ほとんどの人にとってミニコミを作ることは趣味です。趣味で毎回数万円単位の赤字を出していたら、自分が嫌だし、第一周りの人間(親や恋人、家族などもろもろ)の理解も得る事は非常に難しいでしょう。そこで問題になるのは「販売部数が少ない」ことではなく「刷ったものが余ってしまう(過剰在庫が生まれる)」ことです。
この頒布部数と在庫重要な問題です。
ミニコミ界隈で良く問題になる数字、それは頒布部数です。「3ケタ(100部以上)行ったら上出来」などとは良くいわれる事です。「○○サークルは○○○部」とか良くいわれることですし、私も気になります。ですが、それは本当にすごいことなのでしょうか?同じ3ケタサークル(100部以上の頒布実績があるサークル)でも100部刷って100部売れているサークルと200部刷って100部売れているサークルのどちらの採算性が優れているでしょうか。具体的に数字を出すまでもないと思います。でも、ここを勘違いしている人が凄く多い。それは、なぜか販売率を100%もしくは非常に高い数字にしている前提があるためです。つまり、刷ったものがほとんど売れる前提で話をしている人が非常に多い。ですが、現実ではそんなことはほとんどありません。例えば、先ほどの定価1,000円のミニコミの例を考えると、販売率50%で原価が最高50,000円というのは先ほど触れたとおりです。ですが、ここで販売率100%の前提で考えるとどうなるでしょうか。原価は最高100,000円までOKという事になります。
やれることがいっぱい出てきましたね!
でも、販売率100%の前提で50部しか売れなかったらどうなるんでしょうか。この場合、経費はマイナス50,000円です。はっきりいって途方に暮れるレベルです。つまり、販売率100%はこれぐらい危険な状況という事です。

だけど、こう書くと「だけど販売機会を失うかもしれないから多めに刷っておいた方がいいだろ」という人もいるでしょう。
ですが、それに関しても以下の2点の問題があります。

・売れすぎたものを増刷することは簡単ですが、在庫になっているものを売ることは非常に難しい・・・即売会(委託については次回以降触れます)においてほとんどの人は「新刊」を買いにきている
・そもそも、ミニコミ即売会なんてそうそう開催されていない(参加できない)・・・色々やってる即売会に片っ端から参加して月一回とかそんなレベルではないでしょうか。ほとんどの人は半年に1回程度の参加(これすら死ぬほど難しい)です。つまり、最初売り切れたとしても最悪次の即売会までに在庫がそろっていればいいわけで、売切れてから増刷をかければ十分間に合います。

ミニコミという業界においては、「販売機会の損失」なんて事はほぼないわけで、それよりも過剰在庫のリスクのほうがずっと大きいと言えるでしょう。

では、この販売率、いくつに設定しておけば良いのでしょうか。私の経験を総合すると、その数値は50%です。この数値、悲観的でもなく、むこうみずでもないという絶妙な感じであるとともに、経験則的に50%以上の販売率になると、採算が良くなるという面もあります。さらに、50%であれば、仮に50%よりも販売率が良くなった場合、そのまま利益となるのとともに、50%を超えることはそこまで難しくないという側面もあります。

でもここで、一つの疑問が出てくるでしょう。それは「じゃあ、委託で書店に卸してもっと売れるようにすればいいんじゃないの?」というものです。次回、その悩ましい委託問題について考えてみたいと思います。

republic1963

クサレ社会論の極致 北原みのり『毒婦。 木嶋佳苗100日裁判傍聴記 』

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毒婦。 木嶋佳苗100日裁判傍聴記毒婦。 木嶋佳苗100日裁判傍聴記
著者:北原 みのり
販売元:朝日新聞出版
(2012-04-27)
販売元:Amazon.co.jp
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北原みのり『毒婦。 木嶋佳苗100日裁判傍聴記 』・・・3点(10点満点中)

本書は力士工こと、木嶋佳苗の裁判傍聴記(というか傍聴エッセイ)である。
木嶋佳苗といえば某超大手婚活サイトを舞台に男4人を殺したとされる、「婚活殺人事件」の容疑者。その特異な風貌や言動、さらに1億近い金を引き出させていたという事もあり、その裁判がどんなものだったのか、というのは興味深い内容という事もあり手に取った。
結論から書くと、この本は極めて不愉快な内容、クソゲーならぬクソ本である。

そもそも、本書はノンフィクションではなく、筆者の感想を書いたエッセイである。裁判傍聴記録なのにエッセイってどーよ、というツッコミはさておき、エッセイなので基本的に筆者の視点から見た裁判の顛末が語られている。まずここで、ノンフィクションだと思って読んでいる人たちは肩透かしを食らうだろう(私を含めて、ほとんどの人が、事件をネタにしたエッセイではなく、ノンフィクションを読もうと思って手に取ったはずだから)。1兆歩ゆずってそれはいいとして、普通、エッセイにおいて重要なのは筆者の視点に共感できる部分があるかどうかである。
で、この本はそれがきわめて難しい。それは、筆者がフェミニズム的な立場の人間だからではない

そうではなく、筆者はある前提の元にエッセイを書いている。それは、「この世で起こる全ての事件は社会の反映である」という一見まともそうで、よくよく考えるとおかしすぎる前提である。要するに、筆者は「木嶋佳苗が4人の男を練炭で殺した(とされている)のは、社会の歪みの反映である」という前提がまずあり、この「社会の歪み」が「男社会」なのだ。確かに、この世で起こる全ての事件は社会を反映させたものだというのは(その影響の大小はあれ)確かに言えることなので、これを否定することは難しい。だが、木嶋佳苗といえば、本書でも書かれている通り、中学校の時点で通帳を盗みだして金を下ろそうとしたり、援助交際の噂が立っていたり、もっといえば、詐欺(ネットオークション詐欺)で刑事告訴されているような人間であり、生まれてからまともに仕事をしたことすらないような人間なのだ。そんな人間に社会の歪みがあるって無理やりすぎないだろうか。しかも、この本はエッセイなので、そうした自分の感想のみが述べられ、その根拠についてはほとんど説明がない(というかできない)。本書の中では木嶋佳苗の裁判を追いかける「佳苗ガールズ」の事が登場しているが、まさかこれが「社会の反映」ってことではないだろう。その理屈が通じるなら一時期一世を風靡した「上祐ギャル(上祐史浩のおっかけ)」は一体どこに行ってしまったんだろうか。彼女らの存在が社会に影響を与えたという事実は寡聞にして聞かない。

つまり、この本の読後感は「魔法少女まどか☆マギカはポストゼロ年代の社会のありようを映す鏡だ」とかいう、はてなブログや3流オタク批評系同人誌を読んだ時に極めて近い。いや、こうした文章ははあくまで架空のコンテンツを批評している分、まだマシかもしれない。本書のように、現実で起こった事件を取り上げ、それを「ネタ」にして消費する行為は、極めて不愉快だ。

republic1963
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