2007年08月11日

SARS予防に飲むものは……

日本ではこちら以上にSARSを大騒ぎしてたそうだが、知らない間にビッグニュースは「白装飾集団」に移ったとか・・・。映像で見てないのでよく分からず、日本は怖い! って思っている今日この頃です。

友人、家族から頻繁に「SARSは大丈夫か?」って連絡が来ているが、私が在住する市では、一応患者も死者もゼロ。町は至っては平常通りに見える。だが、店の入り口には「消毒時間」が詳細に書かれ、タクシーやバスには「消毒済」と書いた紙が貼ってある。だんだんマスクをする人も増えてきた。

だが私が働く大学の学生は違う。今年の5月の連休は休みが1日だけに。そして、歩いて3分ほどの店まではOKだが、原則的に校外へ出かけてはいけないのだ。校内へ入るときもチェックが厳しい。外部の人間は絶対に入ってはいけないことになっている。

旅行や帰省の計画を立てていた生徒たちにとって、外へ買い物も自由にいけず、常に校内にいることはかなりしんどい様子。ストレス発散のために、校内ではスポーツが大流行だ。

私もバレーボールを開始。朝の5時半に起きてスポーツしてるなんて、自分でも信じられない。私の授業は大体10時過ぎのものばかりなので、普段起きるのは大体9時半ごろだったため、おかげで、午前中を有効に使うことができるようになった。

だが、常にSARSの恐怖はある。今週の水曜日、私の生徒2人のルームメートが高熱を出したために、一時大騒動になった。SARSかどうかの結果が分かるまで彼女らは授業へ出ることは禁止。呆然とした顔で、2人は教室がある校舎の入り口近くで立っていた。私が近寄ろうとすると、「来ちゃだめです」とマスクをして離れたまま、状況を説明。普段元気いっぱいの生徒の顔が真っ青になっていた。結局、その1時間後には「SARSではない!」という結果が出て、ホッとしたのだが。

校内のいたるところに消毒のにおいが蔓延。廊下はそのためびしょぬれで、何度もこけそうになった。生徒の助言どおり、毎晩「白酒(バイジュウ・アルコール度は38度以上)」を飲み、体内殺菌をしている(いつもだけど)。

そして、1年生全員が2、3人ずつで教えてくれる中国語の勉強時間をさらに増やし、彼らの退屈しのぎに少しでもなるようにしている(1日2回の時も)。さらに休日である本日も、大パーティーを教室で開催。生徒は「最近、行事が多くて楽しいですねえ」と、のんきな顔で言うほどだ。

ちなみに本日のパーティーは、私と共に1年生を教えているW先生(24才)の結婚祝い。彼女はなんと、4ヶ月以上も前に入籍していたのだが、恥ずかしくて誰にも言っていなかったのだ。そのことを聞いた私は、さっそく生徒たち報告。元々今日は、日本から送ってもらったビデオを鑑賞することにしていたので(休みだというのに全員参加できる暇な学生ばかり)、お祭り好きな生徒たちは早速パーティーに変更することにしたのだ(生徒の案でサプライズパーティー風の予定)。しかし、W先生の結婚については、いずれすることは分かっていたためか(私も含め、だんなさんのことはみんな知っている)、極秘入籍の驚きは少なかった。で、各自の感想はというと、揃いもそろって似たようなセリフばかり。一体、何人の生徒に言われたたことか……。

「先生はいいのお?・・・・せんせーもをー早くう!!!」

だそうです。

(2003年5月3日)


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2007年08月06日

SARSの恐怖がとうとうここにも……

な〜んか、気がついたらえらい騒ぎになっちまってるんですねと改めて思う今日この頃。そうです、例のSARSです。

初めて死者が確認された頃、まだ香港に旅行中だった。そん時、ろくに読めない新聞を見ていると、感染者に対して奇病扱い。まっさかこんなに広がるとは思っても見なかった。ちょうど、旅行が終わる頃、日本でニュースでちらほら取り上げられるように。しっかし、現在滞在中の中国では、まだ知らない人がほとんどだった。

そんなこんなでこのSARSが、中国をどんどん北上している。すでに中国でもテレビニュースや新聞では大きく扱うようになっていたが、ここでは、まだまだ遠い世界の話だった。

だが、今週に入り、ようやく市や学校も事態の重さに気づいたのか、日本並み? の騒ぎをするように。私の住んでる市では、まだ患者はいないとされているが、近くの市で今週初めて死者が出たためだ。予防法の紙が配られ、学校も関係者以外の出入りを自由にできないようにした。寮の部屋、校舎、学校内の至るところで消毒の嵐(っていうか酢?)。例年なら9連休となるメーデーも、5月1日のみ休日で、あとは通常通りに授業が行われる。生徒たちが実家に帰ったり、旅行などの移動をさせないためだ。我々外人も絶対ではないが、省外へ出ることを止めるようにという連絡があった。体温計も全員に配られた。生徒たちは毎日必ず全員計り、37.5度以上あると疑いありとなるらしい。

つい、2週間ほど前、授業でSARSの話をした時は、よく知らない生徒もたくさんいた。だが、「先生がこないだ話した時は全然知りませんでしたが、今になってようやく分かりました。こわいです・・・」という生徒たち。電車が一番危険であると学校からの通達があり、急用で実家へ帰った学生と同じフロアにいる私のクラスの生徒が、「せんせい、こわい。どうしたらいいの?」って泣きそうな顔で言ってきたり・・・。食事は、なるべく学生食堂にした方がよいという、学校側からの連絡も流された。とは言っても、まだマスクをしている人はほとんどいない。

同じ日本から来ている2年と3年の担当をしている日本語教師は、「そんなこと知ったこっちゃあない」と言い、来週も授業を休んで旅行へ行くという(ただし大連などの北方面)。しかし、いくら本人がかからなくも、菌を持ち帰ったりなんかしたらと考えると、私は怖くて仕方がない。「やめろ」と言っている。自分も極力外出を控え、健康を維持するようにしている。自分はともかく、かわいい生徒たちを絶対守りたい。

暗くなりがちだが、実際の校内はいつものとおり明るく、にぎやかだ。幸い私の生徒も元気なやつばかりで、欠席者も病欠はほとんどない。授業中も笑い声で満ちている。ちょうどスポーツ週間になったことと、気候が暖かくなったこともあり、運動をする生徒の姿も目立つ。私も来週から生徒とスポーツをするつもりだ。

とにかく予防をしっかりやり、解決方法が見つかることを祈るばかり。そして早く、元気でふてぶてしくおもろい中国に戻ってほしい(でも相変わらずテレビニュースのトップは、江沢民と共産党関係だったりする)。

(2003年4月26日)



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2007年08月04日

『北国の春』も『だんご三兄弟』もないっしょ

私が今、ここ中国の大学で教えている科目は、1年生の会話とヒアリング、そして3年生の作文だ。一応、各学年に日本人の先生が一人ずつ担当のような形になっていて、3年生は別の先生が担当。だから、いつも私の担当である1年生のことばかり書いているが、週に1時間の授業ながらちょっとスレた3年生も私のカワイイ生徒なのである。

作文の授業って何をやったらいいのか……。最初のうちは、試行錯誤の連続だった。一応教科書はあるが、文法的なことは既に習ったことばかり。原稿用紙の書き方、文体、段落、構成法などを教科書に沿って教えつつ、とにかく書かせていたが、内容もつまらないものばかり。みんな教科書通りの文になり、授業中も活気がなかった。言葉に関係なく、「作文〜文を書くこと〜」そのものが苦手と思ってしまっている生徒も多いようだ。

文法はちゃんと専門の授業があるし、私が教えるべきことは書く楽しさじゃないのよさ。授業が盛り上がれば、後半に作文を書かせるとき、盛り上がった気分で書けるんじゃないの? 

そう考えた私は、今学期から授業方法を変えた。前半は、会話とヒアリングをドッキングさせたもの。要するに、生徒と雑談をするというものだ。3年生は会話もヒアリングも授業がない。そのせいか、会話とヒアリングの能力が、2年生の時からあまり延びていない。小難しい授業は、専門の大学を出た中国人の先生に任せればいいとして、私は日本のことをもっとみんなに教え、会話やヒアリングをもっと延ばしてあげたい。会話が上手になれば、作文だって上手になるに違いない……。

彼らが1年生、2年生の時に教えてもらった日本人の先生は、60代のオッさん。現在は週に3時間は別のオッさん、1時間が私という日本人が教えている。それで気づいたこと。。。彼らの話しぶり、日本についての知識、言葉等などが、どうもオッさんぽいのだ……。上記2人のオッさんは、ずっと定年近くまで大会社に勤め、それなりに出世し、どちらも奥さんは主婦。何でも人に命令すれば、誰かがやってくれるという環境で過ごし、「家事は女性がするもの」と言っているようなやつらだ。

生徒に教えたというか、生徒の前で歌う日本の歌はテレサ・テンや昔の歌謡曲(坂本九とか・・・)ばかり。締めは『北国の春』だ。『北国の春』は、日本人の20才ぐらいに聞いても「知らない」という。生徒から「『青い山脈』は日本で人気がありますね」なんて言われた時はどっと崩れそうになった。確かに私の父もカラオケで必ず歌うし、オッさん連中にとっては人気があると言えるけど。とどめは死語の嵐。今時、「失楽園する」「だんご3兄弟」はナイっしょ。授業でそのようなことを平然と教えているオッさん先生たち・・・。

私も一般の常識から言えば非常識に近い人間であるし、もはや若者と呼ばれない年代。だが、少しでも彼らに日本の若者文化を教えなければいけないという使命感に燃えた。もう、2年半も日本語を学んできた彼らだが、まだまだ教えることがいっぱいと気づいたのだ。

時には雑談だけで1時間が終わってしまったり、音楽を聴いたり、やりたい放題なのだが、作文の勢いが変わってきた気がするのは私の贔屓目か? 作文の内容も、テスト対策(日本語検定や留学試験)とみんなが書きたいと思う内容とを交互に書かせている。私も作文の添削が毎回苦痛であったが、勢いのある文は読んでても面白い。さんざん授業で話した後、1時間も2時間も残った生徒とおしゃべりし続けていると、自分がつくづく話し好きであること認識した。

そんなこんなで、はたしてこの教え方が本当にいいのか分からないが、1年生には今から書く楽しさを教えたいと思っている。それで小学生のように「先生あのね」的なノートを回して自由に書かせ、作文の宿題も1週間ごとに出している。

まだまだ「下手!」としか言えない1年生の文だが、彼らは楽しんで書いている。特にノートは強制的ではないので、書くのは自らの意志だ。そんな彼らの文で、今回は締めくくりたいと思う(原文ママ)。

≪私は今週にたいへん楽しいです。月曜日にボスケトポールの試合がありました。私の学科と法律学科試合は、私のクラスはKさんが参加しました。私のクラスの学生は一緒にみました。たいへん面白くて、激しいです。雨が降るのに私たちは続いてみました。私たちは一緒に外国語学科に声援しました。最後私の学科はかった。そして、私は友達と一緒に食べました。火曜日にボスケトポール試合もありました。外国語学科とコンピューター学科試合しました。留学生と先生一緒にみました。私たちはたいへん楽しかった。先生楽しいですか。試合は激しいですか。今、先生の中国語の勉強はどうですか。上手ですか。中国語はちょっと難しいです。あなたはぜひ自信がありますね。でも、私の日本語の勉強はへたです。でも私は自信があります。先生、一緒にがむばり! ^_^ ≫

(2003年4月19日)



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2007年08月03日

アイドル勢ぞろいに女子生徒は大騒ぎ

中国の大学は、基本的に全寮制。個人的にアパートを借りて住んでる 学生もいるが、一応寮に住んでいることになっている。私がいる大学について書いてみると、部屋は4人、6人、8人部屋。ほとんどが8人部屋だ。2段ベッドが4つに、ベッドを挟んで8人用のテーブルと個人 ロッカーが設置されている。3年生の寮は各部屋にテレビがついているが、1年生の寮は各フロアごとにしかない。だから1フロア約100人で、1台のテレビを共有することになる。テレビを見る時間も決まっていて、平日は夜の2時間ぐらい、土日は1日中見ることができる。消灯 も11時と早い。

日本語学科の1年生の場合、8人部屋にクラスメートは2人ずつ。その 他の6人は学科、学年はバラバラだ。個人のスペースはベッドのみ。カーテンもないため、プライベートは保つことはできない。ベッドの頭部分は小さな本棚になっており、そこに教科書などの勉強用具が置かれている。他の荷物をは小さいロッカーの中だ。

掃除には厳しく、道ばたにはゴミ、痰が吐かれている中国でも、寮の中は大変清潔。ほぼ毎日掃除をし、布団の畳み方も決まっている。こう書くとかなり厳しい生活のようだが、実際の彼、彼女たちはとても楽しそ うだ。

中国と言うことでほとんどが一人っ子。何でも親がやってくれる「小さな王様、お姫様」状態で過ごしてきた彼らの多くが、大学に入って初めて親元を離れ、集団生活を体験する。新しい生活、新しい人との交流で 最初はしょっちゅう家へ帰ったり、「寮生活は疲れます」とぼやいてい た生徒たちも、今ではすっかり慣れ、ルームメートと兄弟、姉妹のようだ。よくあるアダナとして、年齢の上から順番に「一姐サン、二姐サン………」と呼ばれている(日本語学科はそのまま日本語読みでいちねえさん、にねえさん………)。勉強は空いている教室でやり、寮の部屋は憩いの場としてキッチリ分けている。

先日、かわいい1年生たちの女子寮へ遊びに行った。突然行ったにも関わらず、学科に関係なく友好的に接してくれた彼女らの姐さんたち。どの部屋の姐さんも、我が1年生が教えたと思われるつたない日本語で挨拶をしてくれた。

そんなこんなで彼女たちの部屋を観察し、寮の中はお祭り騒ぎになったが、今週は彼女たちにとってもう一つ大イベントがあった。学部対抗のバスケットボールの試合が行われたのだ。ここに見に来た女子のほとんどは男子の選手目当て。1年生は控えめだが、3年生の生徒なんかはシレッと「男子の時間になったら行きま〜す」なんて言うほどだ。

特に日本語学科も在籍する外国語学部チームは大人気で、みんな背が高く、さわやか系ばかり。みんな試合よりも、カッコいい男子に釘付けになっている。その態度はコンサートでアイドルを見るのと同じ感じで、遠くから彼らを眺めては「ホーッ」とため息なんかついちゃったりして。特 にゼッケン10番はダントツ人気で、私の生徒たちはみんな彼のファン。しかも、呼び名は日本語で「十番!」だ。

一人積極的な子が、彼らとの一緒の写真を「せんせえ撮って!」と頼んできた。彼女は結構カワイイのだが、彼女の目当ては誰も目をつけてなかったほどのマニアックな選手。よって他の生徒たちもみんな応援気味で、ツーショットはできなかったものの、選手全員と残ってた女子との 団体写真として撮ることができた(私もその中に入っていたりする)。

昨日で決勝も終わってしまい(外国語学部は男子が優勝、女子は準優勝)、生徒たちも私もどっと疲れが……。応援の声を出しすぎで、ノドがまだおかしい。もっぱらこういう時はカメラマンと化す私は、生徒に頼まれたカッコいい選手の撮影で大忙しでもあった。当分こういうのはないだろうと思ったのもつかの間、再来週はまたもや学部対抗バレーボールの試合があるとか。さっそく「せんせえ! また一緒に応援しましょーね」と言われてしまった。

寮もスポーツ大会も、生徒たちはいかに楽しく過ごすか、日夜考えているという。私もマンネリ化してきた中国ライフを、もっと楽しみたいものだ。来週は1週間、日本語学科1年生の授業は中止になる。生徒たち が自動車の免許をとるため。これは学校の正式な行事で、全員参加だという。従って、私は1週間ヒマに(しかも学校側からは正式な連絡はなし。生徒から聞いたのみ)。さて、何をしようかな

(2003年4月12日)


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2007年08月02日

香港行き列車のドアが目の前でバタン!


その日、香港・九龍駅直行の列車に乗るため、ワタクシは河南省・鄭州にいた。午後4時48分の列車だったが、念には念を入れて2時間も前から鄭州駅に入った。駅の待合室はとても多い。始発列車が多数あるだけに、一室、学校の体育館ぐらいの広さの部屋が8つぐらいある。入口に、各列車番号が書いてあり、ワタクシもさっそく自分の乗る列車番号が書いてある待合室に行った。

待合室の中の電子掲示板には、各列車の細かい時間が表示されている。それで再度確認し、2時間、待合室のベンチでひたすら待っていた。ワタクシより早く来ていた人たちも、ずっと同じ場所に座っている。彼らは一体何時の列車に乗るのだろう。ワタクシが乗る予定の列車は、九龍までに主要な駅に停まるので、みんな同じ列車なのかもしれないと思っていた。

大体、列車の出発時間30分ぐらい前から乗客は改札前に並び、10分ぐらい前にホームへ入ることができる。16時半過ぎても誰も並ぶ気配がなく、さらに出発予定時間10分前になっても改札が開かない様子にさすがに焦ったワタクシは、近くにいた駅の職員の姉ちゃんに聞いてみた。ただちに、トランシーバーで誰かに連絡して聞いた彼女は、

「もう、列車はホームにいて出発するから早く早く!」

と、慌てて改札までワタクシを連れて行き、さらに中にいた職員が、

「あっちあっち!」

とワタクシが行くべきホームを指示してくれた。

ホームに降りると、既に列車は来ていた。時計を見ると、出発まであと2分ほど。ワタクシがいたところは貨物部分らしく、どこにも入口がない。慌ててホームを走り、自分が乗るべき車両の番号へ向かった。途中、ベルの音が。もう出発時間になってしまったのだ。ちょうど目の前に客用の入口があり、車両番号が分からなかったが、そこへ急ぐ。入口前に行くと、ちょうどそこでベルが鳴りやんだ。すると、車掌がホームから列車を渡す階段を引き上げ、ドアをバタンと閉めてしまったではないか。言っておくが、ワタクシはもう目の前にいた。呆然とするワタクシに向かって、首を横に振るその車掌。列車のエンジン?の音が聞こえ、かすかに動き始めている。ワタクシが「開けてー」と言っても、車掌は再び首を横に振るのだった。

「えー、乗れなかったー! どーしよー!」

と、思わず日本語で叫んだワタクシ。すぐ側に誰かを見送りに来てた東南アジア系の外国人も、「閉められちゃったよー」みたいな顔をして驚いてワタクシを見ている。

5日前にようやく取れた切符。香港直通列車は1日おきにしか出てないばかりか、その日は旧正月の直前。次の切符を買えるのは、いつになるのか分からない。そして、たった5日の鄭州周辺の旅行で疲れ果てていたワタクシは、その時中国に嫌気がさしていたところだった。それに加えてその仕打ち。目の前を動き出す列車を見ながら、泣きそうになっていた。

その時、隣の車掌(若い女の子)が、「こっちこっち!」と呼び、ドアを開けている。ワタクシは慌てて走り、彼女が差し出す手をつかみ、動く列車に飛び乗ったのだった。そんなこと生まれて初めて……。まさに、捨てる神あれば拾う神ありだったのだ。

列車に乗ると、周りの乗客が「飛び乗ったの? すごい」みたいな感じでワタクシを見ている。拾ってくれた車掌に切符を見せ、自分の乗る車両を聞くと、さっき閉められた隣の車両だった。そこへ行くと、ワタクシを捨てた神、じゃなくて車掌がいた。

「自分は規則を守っただけだ」

みたいなことをブツブツとたぶん言い、ワタクシと目を合わせようとしない。

それにしてもよく分からないのが、鄭州駅での待合室が違っていたってことだ。確かに列車番号は書いてあったのだ。だが、別のところだったらしい。3段ベッドの隣の座席に座ったパキスタン人の留学生を始め、たくさん鄭州駅から乗っていたことが判明したのだ(始発は北京)。みんな一体どこにいたのー?? 

ちなみに、香港までの21時間、旅の道連れとなったパキスタン人留学生の二人組とは、ほとんど会話が成り立たず、無言状態。だが、メシ時になるとパンにジャムを塗ったのとか果物が出て、喉が渇いた頃になるとコーヒーを入れてくれるという、至り尽くせり状態だった。あとはのんびり本を読むだけ。飽きるほど……。

このように、ワタクシのアホ旅の前半が終了したのだった。


(2003年3月29日)



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2007年04月25日

少林寺でジェット・リーを期待する

洛陽って聞くと、「古都」→「夕日」→「ロマンティック」と連想。
いつか行ってみたいと思っていた。
予定にもなくなんの下調べもしてなかったが、旅の途中に急きょ行くことに決め、とにかくここに行っとかないとという「龍門石窟」へ向かった。

世界文化遺産にも登録されている「龍門石窟」は、中国三大石窟の一つ(他は敦煌、雲崗)。
川に沿って約1キロメートルにも延びる岩壁に、さまざまな大きさの仏像が掘ってある。
その数約10万。完成に400年かかり、仏像だけでなく、碑文や芸術的に掘られた洞窟もある。
某ガイドブックには、「有名なのだけ見れば2時間、ゆっくり見たら一日かかる」ようなことが書いてあったので、朝も早くから出発し、1時間あまり市バス?に揺られてやってきたのだ。
まだ寒く、観光客もほとんどいない。物売りも少なく、閑散としている。

さっそく中に入ってみて驚いた。
まさに芸術。
数センチのミニ仏像もあれば、10メートル以上もある大仏像も。
岩壁に階段で上れるようになっており、近くで見るもよし、階段の下から眺めるもよし。
洞窟に入れないように柵がしてあるが、柵を乗り越え、岩壁に立ち、危険を冒してまで「とっておきのポーズ」をする中国人観光客の姿も印象的だった。

だがしかし、だんだんどれを見ても同じような気が・・・。
そりゃ、一体一体表情も違うし、誰それがモデルとかいうのもある。
でも、しょせん、岩に掘った仏像。
なーんか、みんな一緒じゃん。
そもそも、博物館は大好きだけど、美術館は苦手な私。
ここ「龍門石窟」も博物館的ではあるが、美術館的色合いが濃いんではないの? と思い始めた。
そして寒さもあり、だんだん流し見になり、1時間ちょいで見終わってしまったのだった。

川の対岸に行き、今度は全体像を眺めてみる。
これもさすがに感動。
でも寒さで感動は1分しかもたなかった。
しかし、市街からバスで片道1時間ぐらいかけてきたのに、これで帰るにはもったいない(バス代は往復で2元=約30円だけど)。
地図を見たら、目の前に「白居易の墓」があった。
白居易と言ったら、酒好きならではの詩が多いことで有名(そんな覚え方しかしてまへん)。
酒ファンとして、そして少しでも文才にあやかりたくて墓参りする。
墓だけに、なーんか寒々。
一応公園になってるが、ここも10分ぐらいで見終わってしまった。

洛陽全体の印象は、田舎の観光地。
以外と観光客慣れしていない店もいっぱいあり、ぼられなかったけど、早口の中国語で何度も言われまいった。
こっちはワカンないんだから、ゆっくりしゃべってくれい。


洛陽からバスで1時間半ぐらいの距離にある嵩山も行った。
そう、あの少林寺があるところなのだ。
鄭州からもバスでおよそ1時間半の距離。
そこは超が着くほどの田舎町だった。


まず、少林寺の看板を見て大興奮。
少林寺と言えばカンフー、カンフーと言えば香港ムービー、香港ムービーと言えば周星馳(チャウ・シンチー)。
彼が主演し監督する映画「少林サッカー」も「食神」も少林寺が絡んでいる。
その他の香港ムービーの印象もあり、私にとって少林寺は、そこら中に少林カンフーをする坊主たち(中国人の先生は彼らのことをなぜか『ぼっちゃん』と言っていた・・・)があふれているイメージ。

だっけどここ、普通の寺じゃん。
全然カンフーやってないじゃん。
どこにもジェット・リーことリー・リン・チェイみたいなコ、いないじゃ〜ん。
ワタシ的には、見どころって言えば入口の看板だけ。
あとは中国の観光地でよく見る寺。
寺内のトイレの便器は、いつものごとくウ○コがてんこ盛りで、とても入れたもんじゃないし、「少林サッカー」のオープニングに出てきたような、少林カンフーの型が描いてあるポストカードを買ったら高いし。

少林寺の裏の山には、達磨が9年間も修行していたという「達磨洞」がある。
天気はすこぶる良く、張り切ってその洞窟に向かって歩き出した。
下からでも見えるので、始めは近く感じた。
前に、幼児を含めた親子3人が歩いていたため、彼らの後ろを距離を保って歩いていた。
だが、次第に遠ざかる親子たち。
幼児の足に負けたのだ。
結局15分ほど歩いて早くも断念したのだった。

日本人を含めて、ここはツアー客にたくさん出会った。
しかし、みんなサッと見てサッと帰る。
ここは宿泊しなくても見られる小さな町なのだ。

それでも、武術学校が多数あるのは印象的。
いろいろな場所で、武術ショーも行われている。
穴場?スポットの一つは「科幻館」。
嵩山の共通入場券(少林寺含)に入っている。
ここは、中に入るとしょぼい売店があり、10分ぐらい待つと別の部屋に案内される。中には小さいスクリーンとイスがずらり。どうやら、映像に合わせてイスが動いて疑似体験できるらしい(遊園地のアトラクションでよくありますね)。
しかし、一体どんな映像が? 少林寺だけにカンフーもの? しかも入口には子供
もよくないようなことが書いてあった。

期待に胸を膨らませていると、映像開始。
始めにゴーカートが映し出される。
イスは上下にガタガタ動くだけ。
一瞬、運転席から見た映像が映し出されるものの、ほとんどは、動いてる車を外側から普通に写す乗り物の図。
続いて映し出されるジェットコースター、水上コースター、渓流下りも同様だ。
最後のジェットスキーなんか、ジェットスキーをしてる人を映し出してるだけ。
ボート側から見た目なのだ。
突然ぶちっと終わる感じもまた微笑ましい。。。

「はーっはーっ」(武術の気合いの声)なんてのは、そこら中でやっていなかったけど、それでも少林寺拳法、カンフーの聖地であることは変わりない。
それにしても、少林寺の看板が小さすぎ。
映画とかだとすっごく大きいんだもん。
やっぱり、香港映画に出てくるような「少林寺」がいい〜。

(2003年3月22日)


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2007年04月21日

涙の切符売り場たらい回しの巻

中国・河南省にある鄭州は、黄河文明発祥の地。
日本じゃまだ「縄文式土器」だとか「竪穴住居」だとかいってる約3600年前から、大都市が築かれていたのだ。
 
な〜んて書いてみたが、実はそんな古い町であることを知ったのは、行ってからのこと。
無知な私は、何の予備知識もなく鄭州を訪れたのである。

北京から夜行バスで約10時間。
朝の8時半頃到着した私は駅前のホテルをとる。
一眠りし、本来の旅のメインである「香港」、またはその近くの「広州」行きの切符を買うため、目の前にある駅の切符売り場へ行った。

北京ほどではないが、それでもこちらの正月直前とあって駅は混雑していた。
ガイドブックに載っていた窓口へ行くと、ここは違うと言われ、別の窓口を教えられる。
さらにそこでも断られ、また違う窓口へ行く羽目に。
そして、またもや他の窓口へ行けと言われ、とうとう最初の窓口へ戻ってしまった。
もう、たらい回し状態。
だが、つたないって言うか、ほとんど話せない中国語で「また戻ってきちゃったじゃん」って文句を言ってたら、側にいた客の女性が見かねて、私の行くべき所を聞き回り、ようやく「香港」行き直通列車の切符が変える窓口へ着くことができた。

既に10人ほど並んでいたが、その女性は窓口へ、
「あの女が香港行きを買いたいって」
と伝え、私には
「窓口には言ってあるので、ここに並んでいればいいから」
と言って去っていった(たぶんそう言ってんだと思う・・・)。

しかし、時計を見ると営業終了時間までわずか10分足らず。
人数的にも、ちょうど目の前で閉められてしまう予感がしないでもない。
すると、私が外人であることを知ってか、前に並んでいたオッさんが、順番を代わってくれたのだ。
さらに、その前のオッさんも、

「パスポートをすぐ出せるようにしといた方がよい」
「○○元だから、持ってるか?」
等々と言って心配してくれる。

悲しみのドナドナバス(前回参照)、窓口たらい回し、ホテル従業員の態度の悪さに疲れ、すっかりへこんでいたため、そのオッさんたちも、なんか裏があるんじゃないかと少し疑ってしまった。
だが、彼らはごくごく自然に親切にしてくれたのだった。

「香港(九龍)」行き直通は、5日後の切符を買うことができた。
そのため、出発前は予定もなかったこの黄河近辺に5日間、滞在することが決まったのだ。

翌日の朝、さっそく列車で約2時間の洛陽へ。
そこで二日ぐらい観光して再び鄭州に戻り、ゆっくり雄大な文明について考察する計画を立てたのだ。
だが、計画はあっけなく終了。
ドナドナバスのため、ここ数年出てないであろう高熱を発した私は、3日間を洛陽の安ホテルの部屋の中だけで過ごすことになってしまったのだった。

(2003年3月15日)


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2007年04月16日

中国大陸を走る豪華バスでドナドナ的体験☆

中国で列車の切符を購入するのは大変労力がいる。
特に連休前となると至難の業。
旅行会社に頼めば、少々手数料がかかるものの購入はやさしい。
しかし、時間がたっぷりあったワタクシは、旅行会社に頼らずに、自分で切符を買って行く旅に挑戦することにした。
 
始めの大ざっぱな計画では、まず初日に北京へ出て、そのまま香港へ直行。
帰りにチョコチョコ寄りながら、自分が暮らすR省へ帰るつもりだった。
だが、北京からの香港行きは満員。
そこで、北京から直線距離で約700キロ離れた鄭州へ行くことにした。
香港方面への始発列車が多いからだ。
鄭州までは列車もあるが、やはり満員。
切符が当日、もしくは前日発売の夜行バスを利用することにした。

北京には、長距離バス乗り場がいろんな場所に散らばっている。
以前、最寄の空港がある町から自分が住む町まで乗ったバスは大変豪華で、ゆったりし、テレビやトイレがあり、バス乗り場もきれいな所だった。
「長距離バスはそんなもの」と勝手にインプットしたワタクシは、さっそく鄭州行きがあるバス乗り場へ行った。

入った途端にがっくり。
全体に薄汚れ、バスを待ってる人々もオヤジばかり。
みんな大きな売り物か何かの荷物を持っている。
旅行者らしい人はいないようだ。
某ガイドブックには、16時半出発のみと書いてあったが、ワタクシが取った切符は、窓口のおばさん曰く「臨時の便」らしい20時代。
だが、切符には豪華バスと書いてあり、値段もガイドブックに載ってた値段とほぼ同じだった。
その時はなんの疑問も持たず、バスが出発する1時間前まで、北京の町をブラブラし、再びバス停へ戻ってきた。

ようやくバスの出発時間。
しかし、バスはまだ来ていないという。
40分ほど過ぎると、「あっちで待て」だの「あれに乗れ」だの「やっぱり降りてあっちで待て」とかワケの分からん指示をされる。
他の客もぶつくさ言いながらも、素直に動いている。
そして、ようやく私の乗るバスが決まった。
行き先には「鄭州」と書いていないが、途中で通過するので、降ろしてくれるらしい。

外見も中身もきったなーいバスに乗ってみると、既にベッドになった座席はいっぱいだ。
私の切符の番号にも、人がいる。
「とりあえず、そこにいろ」のようなことを言われ、一番前で立っていた。
バスが動き出すと、一番前に座っていた20代前半と思われる女の子が、「自分の席に一緒に座ろう」と言ってくれた。
だが、これは寝台バス。
座ることができても、寝れないではないか。
片言しか分からない耳を駆使し、バスの乗務員の話を聞いてみると、すぐに別の場所で止まると言うことが分かった。

思った通り、10分ぐらい走った後にバスが止まった。
見ると、前にバスが一台止まっている。

「あのバスにきっと移動するんだ」と思い、降りようとしたところ、バスのドアが開いた。

「あれ?あれ?」……

降りるどころか、人がドカドカ乗ってくるではないか。
そして、乗務員がいばり、客は言われたとおりに、一つの座席(ベッド)に2人どころか、3人、4人ずつ座っていく。
断っておくが、ベッドと言っても大きさは人が一人すっぽり入るぐらい。
よって、4人も座ったら、身動きできないぐらいだ。
真ん中の座席は、もたれるところもない。
客の一人が、「こんな狭いところに座ってらんねえよ」みたいなことを叫ぶと、乗務員の一人が「文句があるなら降りろ」と叫ぶ。
文句を言った客は降りようとしたものの、通路にも荷物や、人が座り、動けず、素直に座り直した。

ワタクシは、一番前の席に前述の女の子と二人で座っていた。
彼女は、正月休み(その日は1月23日でした)で故郷へ帰るところだった。
バスが動くまで、筆談中心の会話が弾んだ。

やがて、再びバスは動き出した。

「きっと、この近辺の人たちなんだ。ワタクシのように、途中下車が多いんだ。だから、途中から空くんだよね」と勝手に希望的解釈をし、素直に乗り続けることにした。

女の子とそれぞれ足を向けあうと、うまい具合に座れ、少しウトウトし始めた。
しかし、5分ほどすると、「下に降りて」と、乗務員に指示される。
「え?え?」と思いながらも降りると、ドア横にある補助席に、一人で座れと言うのだ。
どうやら、外国人と言うことで、特別扱いをしてくれたらしい。
だが、ドア横だけに、隙間風がピューピュー。
暖房もついていないので凍えるほどだ。
ワタクシだけでなく、一緒に座っていた女の子も下に降ろされた。
彼女は、ワタクシの横の通路に当たる部分に、乗務員と共に座布団をひき、座らされた。
それまで座っていた空いた座席は、交代の運転手が寝るのだという。

乗務員は、ワタクシにいろいろ話しかけてくるが、うるさくてしょうがない。
だが、外はひたすら真っ暗。なーんにも見えない。家もない。どこを走っているのかさっぱり分からない。

「もし、ここで降ろされちゃったら……」

という恐怖で、適当に相手をしていたのだった。

途中、ただの空き地でバスは止まった。
トイレ休憩だ。
もちろん建物なんてどこにもない。草むらがトイレだ。
バスの側に立っていると、もう一台、前に同じようなバスが止まっていた。
すると、そこから何人か、ワタクシが乗っているバスへ「亡命」みたいに乗ろうとするではないか。
乗務員が、「おりろー!元へ戻れー」と叫ぶ。
引きずられるように降ろされた亡命者たちは、再び元のバスへ戻っていった。
よく見ると、そのバスも同じ行き先で、同じように満員。
ワタクシが思うには、4、5台分ぐらいの客を、2台に押し込めてるらしい。
乗務員が大量にいることから、バスの節約? そして、客はそれがどうやら当たり前のようにしているところから、よくあることらしい。

再びバスは動き出した。
足下はお茶やカップラーメンの汁をこぼした水等でビタビタ。
もちろん、「かーっぺっ」も平気でそこら中から聞こえてくる。

「そういえば、抗菌グッズが流行ったよなあ」と遠い目をするワタクシ。
潔癖性だったら発狂していたかもしれない場面の続出だ。
そして、頭の中ではずーっと『ドナドナ』の悲しいメロディーが流れていた。
これじゃ、まるで家畜状態。
こんなに大勢の人が乗って、もたれるところもなく座り、ほとんど寝られないだろうに、みんな無言……。
寒いとは言え、一人で普通の背もたれがある席に座れる私の席は、なんと贅沢なのだろう。
みんなに比べりゃ「豪華バス」。
そう自分なりに悲しく納得し、バスは予定時間より早い朝の8時頃に鄭州へ到着したのだった。

降りる寸前、「鄭州」の文字が見えたので安心したワタクシは、それまでと打って変わって無愛想になり、乗務員たちがたぶん「なんだこいつー。たたたたた。たたたたた(日本語はこう聞こえるらしいので真似している)」と言っているのが分かったが、無視。
そのためのいじわるらしく、本来なら駅前で降ろしてくれるはずが、バス停も近くにない、道の途中で降ろされた。
まだあと8時間ぐらいかけて、終点まで走っていくそのバスを後ろから蹴る真似をし、ようやく『ドナドナバス』から解放されたのだった。

※その後、高熱が出て3日間、動けませんでした。(自分の繊細さに驚く)

(2003年3月8日)


chinafuha at 00:09|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!中国の旅 

2007年04月10日

ガチョウにマンゴープリンにインドカレー

てなわけで、丸々1ヶ月もばけーしょんしてしまった。
旅の始めの1週間は中国国内を巡り、残りの24日間は香港で過ごした。
同じ場所に3週間以上。
言葉は通じず、独りぼっちで、金もないのに、一体何をしてんだか。
ここで、アホのように過ごした24日間の内訳を紹介しよう。

何がワタクシを、そんなに長く引き留めたのか……。
それはロマンス、それでもこいはこい、だれかロマンティックを止めて……ではないのが、ちと悲しい。
ハードだった中国の旅の後に訪れた香港は、ワタクシにとってまさに天国。
長く滞在した理由は、なんと言っても「かーっぺっ」問題だろうか。
中国では(※注・全部ではないです)外も内も関係なく、ところ構わず唾をはきまくる。
道じゃ「かーっ」という声が聞こえたら風上へ逃げ、レストランでは足下に唾をはかれ(嫌がらせではない)、バスや列車の中では下に置いてあるカバンにかかったらどないしよ〜とおびえていたワタクシにとって、その恐怖がないということが、とっても幸せだったのだ。
基本的に、香港の町はとてもきれい。
そこら中にゴミ箱が設置され、みんなキチンとゴミを捨てている。
地下鉄やバスの中での飲食は禁止。
見つかれば、かなり高い罰金を取られることになる。
歩きタバコをしている人も、そん なにいない。当たり前と言えば当たり前なのだが、中国内地では当たり前ではないこと。
クリーンさが居心地をよくさせてくれた。

そして食べ物。
普段、日本料理はおろか、マックもスタバもない中国の田舎町在住のために、日本でいつも食べてた味を求めてさまよった。
生クリームがドバドバ入ったシュークリーム、最初から砂糖が入っていないコーヒー、テイクアウトできる寿司、フツーのカツカレーにさえ涙ナミダ。
なぜかインドカレーも懐かしく、一時インド料理食べ歩きにハマった。
もっちろん、香港料理も最高だ。
ミルクプリンのHOT、マンゴープリンにトウフプリン、でっかい肉団子が入った麺、お粥、ぷりぷりのエビギョーザを始めとする飲茶全部………。
中でもオススメしたいのは、ガチョウ or ブタのロースト肉&ご飯 (「焼鵝飯」「焼肉飯」など)。
老舗の高級料理店のも食べたが、相席が当たり前の小さな食堂で十分だ。
それらの店は、大体ガラス越しの店先に、鳥の丸焼きがずらーっとぶら下がっている。
ご飯の上にテリっと光った皮付きの肉が「でんっ」って寝かされているだけのシンプルなもの(皿と茶碗版有り)。
ばりっ!とした皮のカリカリ感がたまらない。
肉の部分がすぐに噛み切れ、なおかつご飯が上手に炊けた3拍子揃ったのがいい。
日本円で大体400円ぐらい。
太ると思いながらも、おいしい店を探すために、同日に2回食べた時もあるほどだ(1件お気に入りの店を見つけました〜)。

一応、観光名所も行っとかなきゃいけない。
世界の夜景ベスト3に入るという「100万ドルの夜景」が見渡せるビクトリア・ピークは、やっぱり素晴らしい場所。
2度目に行ったときは昼から登り、夜までずっと時間ごとの変化を見続けた。
使い古された言葉だけど、まさに宝石箱のよう。
明かりの多くはマンションの部屋だ。
仕事を終えて帰宅した人の部屋の電気がどんどん点いていく。
ボーっとここで1日を過ごしていた自分のヒマさに、ちょっとむなしくなった。

周星馳(チャウ・シンチー)ファンとしてのミーハー活動も忙しい。
ホテルの部屋では彼が出ているCMを見逃さないようにテレビを点けっぱなしにし、 広東語を話す声を聞いて感動。
中国で購入したVCDもテレビの映画も、ほとんど吹き替え版でしか見たことがなかったのだ。
雑誌や 新聞の芸能欄チェックも毎日の日課となった。(←アホすぎ)

ちょうど旧正月の時期。
ひょんなことで獅子舞関係者と知り合い、本格的獅子舞の迫力を間近で見ることができた。
高い棒の上で飛び跳ねたりと、アクロバットのような曲芸もある。
香港の獅子は、マバタキをして、とってもキュートだ。

このように、一人でもやることがいっぱいで書ききれない。
繁華街で見かける日本人観光客の多くは、ブランドグッズの買い物に追われ、4日程度で帰っていく。
この年になって24日も休暇が取れるとは、な〜んて贅沢な話だろう。
とにかく町を知りたくて歩き回り、靴が一足ダメになったほどだ。
一応中国の特別行政区。
本籍が中国という人もたくさんいる。
だが、中国とは全然違う。
特に、例のイラク問題。
香港人もデモをし、「No War!」と叫んでいた。
テレビのニュース番組も、新聞のトップ記事でもこれらの問題について大きく取り上げた。
中国でデモをやったら大問題。
テレビのニュース番組のトップは、常に「今日の江沢民さま〜」という中国では、民衆の結束というものを一番おそれているのだろう。
中国も大好きだけど、自由が残された香港に、さらに魅力を感じた。
うざかったけど、今でも耳に残る「ニセモノドケイ、ミルダケ」(繁 華街を歩いてれば必ず聞けます)の声さえも愛おしくなる香港。
24日間じゃ、まだまだ足りない。

(2003年3月1日)



chinafuha at 20:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!中国の旅 

中国で人気ナンバー1の健康食品

中国の食べ物と言うと、何を思い浮かべるだろうか? 
ギョウザ、ラーメン、北京ダック、チャーハン、麻婆豆腐……。
ワタクシ自身、日本にいるときは全く知らなかった。
3度行った4日ぐらいの旅行でも気づかなかった。
中国人の老若男女に関わらず、一番メジャーな食べ物……それは、おそらく「ヒマワリの種」だと思われる。
 
「ヒマワリの種」というと、真っ先に浮かべるのはハムスター。
動物が食べる食べ物だと思っていた。
中国の某市へ来て生活し、余裕を持って町を眺めて、ようやく「ヒマワリの種」がこんなにも食べられているという事実を知ったのだ。
道には、ちょっと歩けばすぐに「ヒマワリの種」を売る屋台を見つけることができる。
歩きながら食べる人をたくさん見かけ、道ではき出されたゴミは、種の皮が目立つ。
店でもレジの横に置いてあるほど。
以前書いた「娃哈哈(わはは)集団公司」ほか、多くの会社がいろいろな味付けで工夫して売っている。

「ヒマワリの種」の効能は、お肌、老化現象、コレストロールを下げるなど、いいことばかり。
日本でも最近、健康食品として注目されているらしい。
スポーツ選手も、タバコの代わりに積極的にこれを食べるようにしているという記事を読んだこともある。

「ヒマワリの種」のおいしい調理法は、炒ってあること。
よく食べられているのは、何も味がついていないものと、シンプルな塩味だ。
パーティーに、来客時に、レストランで食事が出るまでにと、出されることも多い。
また、映画館では、アメリカのポップコーン同様、なくてはならないもの。
上映終了後、各イスの周りには扇形に「ヒマワリの種」のかけらが山ほどばらまかれている。

先日、出席した1年生主催の「新年会」の際も、30リットルほどのビ ニール袋いっぱいに入った「ヒマワリの種」があり、会が行われた約5時間の最初から最後まで食べ続けた。
それはワタクシだけでなく、生徒たちも同じ。
つい、無意識に食べてしまうのだ。
種は大きくても、実はそんなに大きくないので、いくらでも食べることができる。
一度食べたら止められない、中毒性があることも事実である。

以前も書いたが、「ヒマワリの種」をかじっていることで、前歯がかじったあとにへこんでいる人も(凹の逆さま)。
列車の中では、暇つぶしにもってこいのためか、そこら中で……ていうか、ほとんどの人が食べている。
始めは、「獣が食べるものなのに」と、冷めた目つきで眺めて、初めて食べたときは皮ごと食べてしまうという失態をしでかしたワタクシも、今やどこの屋台、どこのメーカーのがおいしいか探すほど、大好きな食べ物に。
テレビやVCDを見ながら無意識に食べ、ゴミ箱の中に山ほど入った皮を見て愕然とすることもある。

ちなみに、主な食べ方は、

1.種の先っちょを軽くかじる(中国人は、そのかけらを「ペッ」とはき出す)。
2.次に種の真ん中あたりを縦向きで囓り割る。
3.すると、口の中で種がパカッと開き、実だけを歯でつかむ。

これの繰り返しだ。
しかし、まだまだ中国人のように、早く食べられないことがもっかの悩み。
上記の食べる作業にもたもたしてしまうのだ。
かわいい1年生たちが、普通のピーナツを食べるような早さで食べているのを見て、遠い存在に感じた……。

タバコを吸う代わりに、これを食べるのは体のためにもオススメ。
中国では1元(約15円)で小さいビニール袋にいっぱいぐらい買えるが、日本では特定の店でしか売っていない。
ワタクシが帰国するまでに、もっとメジャーになっていてほしいと思う今日このごろであった。

(2003年1月11日)

chinafuha at 00:13|PermalinkComments(1)TrackBack(0)clip!Chinaな生活