千野隆司の「時代小説の向こう側」

時代小説を書く楽しみと喜び。 その裏側を……。

ベイゴマ

 私が小学校の低学年だったころ、子どもの遊びには『メンコ』と『ベイゴマ』が流行っていました。駄菓子屋で売っていて、私も小遣いでメンコを買った覚えがあります。メンコは互いに打ち付け合って、ひっくり返された方が負けでした。負けたら、そのメンコは取られてしまいます。

 子どもながらにも、厳しい世界でした。「返して」などとは、口が裂けても言えません。その覚悟がなければ、遊んではいけないのです。

 高いメンコを買っても、取られてしまうのは面白くありませんから、二、三回やったらやめました。私はおとなしいだけの意気地のない子でしたので、元気のいい子どもとやって、勝てるわけなどありませんでした。

 ベイゴマは、もっとハードな遊びです。バケツに丈夫な布を張ってへこませ、そこに鉛製の独楽を投げつけます。二人でやって、弾き飛ばされた方が負けです。これも負けるとベイゴマは取り上げられました。

 勝つためには、独楽を削るなどいろいろの工夫をします。はしっこい子どもは、取り上げたたくさんのベイゴマを箱や袋に入れて自慢そうに見せびらかしていました。私はそれを見て羨ましいなと思いましたが、やることはありませんでした。

 負けて取り上げられるからではなく、あの鉛の小さな独楽を回すのは、たいへん難しかったのです。ぶつけ合う前に、バケツから飛び出してしまったら、回り中の子どもから馬鹿にされます。私には、とてもハードルが高いものでした。

 ですから触らぬ神に祟りなしと、決め込んだのです。

 今日、私の愛読書『守貞謾稿』を呼んでいたら、貝独楽(ばいこま)の項目に遭遇しました。「文化比より今に至り行はれ、その始めをしらず」とあります。ほう、この遊びは、江戸の頃からあったのだと知りました。

 とはいっても、江戸の頃は貝の独楽でした。遊び方も、バケツではなく空櫃に茣蓙の類を蓋としてへこませ、二人が組んで行いました。弾き飛ばされた方が負けというルールも、同じだったようです。

 子どもの遊びとはいえ賭け事ですから、「貝底に鉛をわかし入れ、その上に晒蝋をもって、傾かざるやうにこれを埋め」と工夫する悪餓鬼もいたようです。ぶつけ合う前に、相手を気合い負けさせるなど、駆け引きもあったに違いありません。

 遊ぶには、技とコミュニケーション能力が必要でした。

 最近は、まったくというほど見かけません。ポケモンGOの方が楽しいのでしょうか。

土用の入り

 今日七月十九日は、土用の入りでした。関東はまだ梅雨明けしませんが、西の地方では明けました。夏も本番です。東京も、すでに暑いです。

 土用というと、ついつい夏の暑い日を思い浮かべます。ですが土用は、春夏秋冬のすべての季節にあります。陰陽五行説を基準にして、各四つの季節の終わりの十八日間を当てはめて、土用としました。

 ですからこの十八日間が過ぎると、暦の上では新しい季節となります。土用は、新しい季節に移る前の準備の期間といっていい時季です。立秋前の数日は、一年中で最も暑い日ですね。

今年の土用は、それぞれ次の十八日間となります。

冬土用 一月十八日~二月三日
春土用 四月十六日~五月四日
夏土用 七月十九日~八月六日
秋土用 十月二十日~十一月六日
 
 今日は十九日ですから「土用の入り」で、最後の日が「土用明け」です。
 
 まあ何といっても、夏土用の十八日は、暑いと相場が決まっています。梅雨が明けようと明けまいと、それはそれは変わりません。

 丑の日にはウナギを食べます。食べたいです。この風習は太古の昔からあったわけではなく、江戸期に平賀源内が、夏は売れない鰻を売るために一計を案じた結果、以後定着しました。丑の日に『う』のつくものを食べると病気にならないと、鰻屋の親仁のために宣伝したのです。

 でも鰻のかば焼きは美味しいですから、人々は喜んで食べます。ただ江戸時代も今も、安い食品ではありませんでした。

 今年も食べたいなと、思っています。

道祖神

 道祖神は厄難の侵入を防止し、また子孫の繁栄を祈願するために祀られた町や村の守り神です。おもに石像や石碑といった形で、村や町の境目などに置かれました。旅や交通安全の神様としても、信仰されました。

 江戸時代には、たくさんの寺社があったことについては前に触れました。名の知られた大きなものだけでなく、ご近所にある神仏や稲荷、道祖神なども信仰の対象になりました。江戸にも、いたるところに地蔵の石像や稲荷、道祖神などを祀った小祠がありました。

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 上の絵は、『江戸名所図会』の中の、一枚です。「小日向上水端 道祖神祠」と記されています。今の東京都文京区にあたります。今はないと思われますが、子どもたちが遊び、道端では振り売りが商いをしています。

 おそらく人が集まる場所だったのでしょう。

 季節は夏で、子どもは蝉取りをしています。西瓜売りと心太屋が商売をしています。祠の向こうに流れている川は、神田川でしょうか。江戸でも郊外といった気配です。

 信仰が暮らしの中に根付いて、地域の住民と共にある。上の絵は名所でも特別な場所でもありませんが、作者はわざわざ描きました。どこにでもある当たり前の情景だからこそ、江戸の名所としてあえて加えたのかもしれません。

流行り神

 何かの拍子に、特別な霊験が示されて、それが契機となって神として崇められ、あっという間にその名が周辺に広まることがあります。
「そうかい、そんなに霊験あらたかなのかい」
 ということになって、多くのお詣りに集まります。しかし長くは続きません。いつの間にかすっかりすたれて、忘れ去られます。まれに狭い地域でひっそりと祀られ続けることもありますが、多くの人は見向きもしません。

 これが流行り神です。これはおおむね社会が変動するときや、人々に不安や怖れがあるときにおこります。 江戸の町にも、たくさんの流行り神が現れては消えていきました。

 宝暦(1751~64)の頃に、日本橋の近くで道路工事をしていたときに、地下から銅製の翁像が出てきました。町の者たちは、これを地域の鎮守として火除け地に小さな祠を建てて祀りました。

 ところがあるとき、午右衛門という鳶の者が、その祠の脇で小便をしてしまいました。仲間が畏れ多いから清めて詫びろと言いましたが、聞き入れません。へそ曲がりの頑固者でした。

 その後、近隣で火事が起こります。午右衛門も消火にあたりますが、梁が焼け落ちて大怪我をすることになりました。重症の体なのに、突然大声で叫びました。
「おのれ午右衛門、よくも我が場を汚すのみならず却って我をののしることのにくさよ。世の見せしめにおのれを罰するなり……」
 と言いつつ、ぐるぐる回って倒れ、この動作を何回も繰り返しました。そしてついに、息絶えて亡くなりました。

 見ていた者は、仰天します。
「こりゃあ、てえへんだ」
 ということで、社地を清め石の水盥を奉納しました。

 これを見聞きした人たちは、神仏の祟りに怖れをなしました。しかし同時に、その霊験のあらたかなことも知られ、多くの人たちがお詣りに集まりました。これが翁稲荷です。奉納の供物が積み上げられ、石の鳥居や石の玉垣もめぐらされて立派な構えになりました。

 しかし熱しやすくて冷めやすいのが、江戸っ子の気質です。この翁稲荷は、ときをへるにつれて寂れていきます。午右衛門の逸話も、忘れ去られました。

 祟りが、神がかりによって示されたことが、この流行り神の契機となりました。狐憑きなどに代表される憑霊(ひょうれい)信仰の一つといえます。
 江戸の人々にとっては、寺社参りは重要な娯楽の一つでもあります。目新しいものが大好きですから、すぐに飛びつきました。

入り婿侍商い帖 シリーズ

 二年前の平成二十六年九月に、富士見新時代小説文庫のシリーズとしてスタートした『入り婿侍商い帖』は、『関宿御用達』編として、四巻目から角川文庫版で刊行されるようになりました。(現在は、一巻目から三巻目までも、角川文庫として販売されています)

 すでにこのシリーズは、六巻目まで刊行されています。このたび、その六巻目『関宿御用達(三)』が、重版になったと知らせていただきました。嬉しい限りです。これもお買い上げくださる読者の皆さんのおかげと、感謝しています。

 先日、都内のある書店さんへ行ったら、こんなふうに展開してくださっていました。

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 シリーズ六冊全部を、並列で並べてくださっています。担当の書店員さんに感謝です。

 さて第七巻目が新たな段階に入って、すでに原稿もでき校正をおこなう状況になりました。慎重に、しかし大胆に展開を考え、北関東の江戸期の様々な物資の流れについても調べを進めました。渾身の一作となっています。

 店は大きくなりました。しかし何事も順風満帆というわけにはいきません。人生は山あり谷あり、まさかの坂があります。
 角次郎とお万季の夫婦、そして大黒屋の商いに、新たな試練が降りかかってきます。しかし負けずに、夫婦は力を合わせて、問題にぶつかってゆきます。

 どうぞご期待ください。八月下旬発売となります。

しぐれ茶漬

 書店で、「おっ、変わったカバー絵だな」と思って目を留めました。この新刊は、前に著者から新書版のときに頂戴し、その前には原稿の段階でも読ませてもらった作品ですが、大幅な加筆修正がされているというので、さっそく買いました。新作の書き下ろしも入っています。

 柏田道夫さんの掌編時代小説集です。

しぐれ茶漬

武士の料理帖

光文社文庫(600円+税)です。

『武士の家計簿』『武士の献立』の脚本家が描いた涙と笑いと感動の超短編集!

お腹と心に栄養をー。
江戸は美味しくて、そしてほろ苦い。

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 病に伏せる命の恩人、切腹した父、生き別れた母、縁を切った妹、別れた亭主、憎き敵、いつも優しかった幼馴染……。人には、それぞれにまつわる想いのある料理があります。

 鰻丼、天ぷら、鉄火巻きから大根飯、しじみ汁、きんつばまで、作中の品で例を挙げたらきりがありません。思い出に深く刻み込まれた料理は、高級食材であるとか、値段が高いとか、そういうものではありません。
 誰が拵えたか、どういう暮らしの中で食べたか、どんな出来事があったのか。そうした点が問題になってきます。

 涙、怒り、笑いを江戸の味にのせて調理された「掌の小説」です。

 もう三回くらい読んでいますが、それでも版がかわって読み込むと、ジワリと鼻の先が痛くなる場面があり、生唾を呑み込んでしまう料理の描写があります。

 本書は2011年に、マイコミ新書から刊行された『武士の料理帖』を加筆修正し、新作の書き下ろし一本を加えたものです。お勧めです。新刊書店でお求めの上、ご一読ください。

朝顔市

 梅雨の真っ盛りで、蒸し蒸しした日が続いています。早く明けてほしいとは思いますが、次に来るのは炎天ですから、それはそれでたいへんです。
 まあ夏は暑くなければ、困りますけれど。

 さてそんな中で、夏の到来を告げる入谷朝顔まつり(朝顔市)は、毎年七月の六・七・八日の三日間で開催されます。入谷鬼子母神を中心にして、言問い通りにおよそ百二十軒の朝顔業者と百軒ほどの露店が並び、毎年四十万人の人出があると言われています。

 私も何度か行きました。風情がありますね。

 この入谷の朝顔市は、江戸時代でも評判の娯楽の場となっていました。入谷は俗に入谷田圃と呼ばれ、土質が朝顔の栽培に適していました。そのため植木屋が、この地に集まり済むようになりました。

 朝顔の栽培は、庶民の楽しみの一つにもなっています。また珍花を作ることに情熱をかけた文化人なども現れて、入谷の朝顔市が成立する条件を満たしました。朝顔の鉢栽培の発祥は、徒士組屋敷のある御徒町だともいわれています。

文政期(1818~30)になって、下谷や浅草、深川、本所などの植木屋は、季節になると自園に幟旗を立てて朝顔を陳列し、江戸っ子を対象にして朝顔を見物させました。また鉢に植えた朝顔を釣り台にの載せ、背にかけて町を売り歩く植木屋も現れました。

 朝顔の振り売りは、長屋の路地裏にまで売り声を上げてやって来ました。こうなると金魚売りと共に、夏の風物詩としか言いようがありません。

「売れぬ日は しほれて帰る朝顔や」
 うーん、実に見事です。

 お金持ちは、朝顔の変化を楽しむ会を催しました。寺社の境内や、自宅の座敷に珍花を並べて人を招き宴会の席としました。朝顔の、常にはない姿を愛でるのです。この時期は、園芸文化を大いに発展させています。

 しかし庶民は、何も大金をかけて珍花を見たいとは考えません。長屋の路地で、何の変哲もない朝顔を楽しみます。朝顔市で買ってきたどこにでもありそうな鉢を、大事に育てました。

お仕置き場

 悪いことをしたり為政者に逆らったりすると、お仕置きをされます。内容によっては、命を奪われます。江戸幕府の常設刑場としては、鈴ヶ森(現在の品川区南大井)と小塚原(現在の荒川区南千住)がありました。

 泣く子も黙る、お仕置き場です。

 家康公が入府する前は、江戸の町の中心といっていい本町四丁目に刑場がありました。町が発展するにつれて、本材木町と浅草鳥越町の二カ所に移転します。二カ所に増えたのは、人口が増えるにしたがって、罪人も増えたということでしょうか。

 さらに慶安四年(1651)になると、鈴ヶ森に一反歩ほどの土地が与えられて、本材木町から移ります。鳥越からは、今戸橋辺をへて、小塚原に移されます。

 本所回向院は、明暦の大火に罹災した無縁仏を葬るために明暦三年(1657)に建立されましたが、万治年間(1658~61)に町奉行の命によって、牢死者や町で行き倒れになって亡くなった者などを埋葬するようになりました。

 これはかなりの数になり、時代をへるにしたがって埋葬の余地がなくなりました。そこで寺社奉行は、小塚原に間口六十間、奥行き三十間の土地を与え、ここを新たな埋葬地としました。

 鈴ヶ森には原則として死者を葬ることはありませんでしたが、小塚原刑場には獄死者や刑死者や行き倒れの死者などを埋葬しました。

 お仕置き場は、江戸の人口が増え、町が広がるにつれて、市街地から町の外れに移されて行きました。ただ鈴ヶ森は東海道、小塚原は日光街道に近く、市街地の入り口近くに置かれていました。刑の執行は公開ですから、通りかかった旅人だけでなく、誰もが見られます。

 これは公開することで威嚇して、犯罪を抑止することが目的になっていたからに他なりません。さらに幕府の御威光を示すこともできます。また被害者の気持ちを慰撫することにもなりました。

 怖れられた場所ですが、明治維新になって刑罰の執行方法が変わって二つのお仕置き場は、その存在意義を失いました。

旭川行き 補遺

 1日目は9時前に家を出て、11時過ぎの飛行機に乗りました。旭川についてバスに乗り、ホテルにチェックインして遅めのお昼を食べたら、もう上川神社へ向かう時間になっていました。ですから初日の行動の予定はすべて決まっていました。

 フリータイムは、2日目です。昼の飛行機に乗るまでの時間をどうするかは、事前に決めていました。有名な旭川動物園もありましたが、市の中心からやや離れていました。そこで向かったのが、こちらです。

 駅から歩いて15分くらいのところにある、高砂酒造です。明治42年に創業した、老舗の酒造です。旭川は、大雪山の名水に恵まれ、米の実りも豊かです。
 土地の銘酒として、呑兵衛だけでなく、たくさんの人々に親しまれてきました。 

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 写真で見ると、リニューアルされていますが、中に入るとさすがに旭川の歴史的建造物といった感じです。博物館ということですが、中身はまあまあでした。それよりも、ここだけしかないお酒があって、試飲もできてやはり行ったかいがありました。

 ここは『国士無双』というお酒が有名です。土地の清明な空気と合うのでしょうか、冷したお酒は実においしかったですね。自分用のお土産に、一本買いました。

 駅から酒造まで歩く道は、とても幅広です。高い建物もありませんので、はるかかなたにある大雪の山並みまで見張らせます。山頂周辺にはまだ雪が残っていました。そのさまが、実に美しいです。
 車も多くないので、朝の道を歩くのは、とても清々しいものがありました。

 途中に大雪地ビール館というのがあって、入りたいと思ったのですが、開店が11時でした。これに入ったら、飛行機に乗れません。残念ながら、パスしました。たいへん心残りです。

 食べ物としては、有名な旭川ラーメンを食べたいと思っていました。初日のお昼に入ったラーメン屋さんは、おいしかったです。事前に調べていました。ですが帰りの空港で食べたラーメンは、……。時間がなかったので仕方がありません。
 充実した、1泊2日でした。

旭川・上川神社正式参拝

 この土日で、北海道旭川市へ行ってきました。國學院大學の同窓生の集いの場である院友会北海道北支部の総会と懇親会があったからです。

 旭川へ行くのは、初めてでした。というよりも北海道へ行くのは、およそ二十年くらい前に函館へ行ったことがあるきりで二回目でした。

 ですが空港の施設から出ると、爽やかな晴天。じめじめする梅雨の東京と比べると、実に爽やかでした。バスで市内へ向かう車中、外の景色に見とれます。道路も広いですが、明らかに本州とは違う世界が広がります。そもそも植物の種類が違います。

 バスで到着したのは、旭川駅です。立派な駅舎でした。

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 駅前に西武デパートがあって、感激しました。私は物心ついたときから、何かあると、親に池袋の西武デパートへ連れて行ってもらいました。昔は屋上に、遊園地がありました。

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 写真を見ると人がいないみたいですが、これは早朝の駅舎から撮っていますのでこんな感じです。

 院友会の参加者は、東京とは違う土地でも、同じ大学の卒業生ですから、初対面でも気さくに会話ができます。
 私も仲間に入れてもらって、楽しく過ごすことができました。

 その総会の前に、旭川市民や周辺の人たちならば誰もが知っている上川神社へ、お詣りに行ってきました。

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 市内を一望できる、神楽岡という高台にあります。岡全体が境内です。高く続く石段には玉砂利が敷かれています。これを踏んで、本殿に向かいます。歩いていると、小鳥の囀りや虫の音が、絶えることなく耳に響いてきます。

 私は神社巡りが大好きで、毎年どこかへ行きます。今回は大学の事務局長さんと一緒でした。境内に足を一歩でも踏み込むと、気持ちが洗われたような、爽やかな、安らかなものになります。本当に不思議です。静かです。鳥や虫の音、玉砂利を踏む自分の足音しか聞こえません。

 この気持ちを味わいたくて、出かけます。

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 鳥居の脇から、本殿が見えます。ちょうど、結婚式の記念写真を撮っていました。花嫁さんは、幸せそうでした。邪魔にならないように、本殿に近づきます。

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 積雪の多い北の大地の社殿ですから、派手な装いはありませんが壮大です。何しろ柱が太い。厳粛な気持ちになりました。
 主神は天照大明神、大己貴大神、少彦名大神です。

 明治初めの旭川は、原野です。その町造りに従事した方たちは、明治十八年に上川地方の開拓守護と旭川の鎮守として、現在の旭川駅の近くにお祀りをしました。そして大正十三年に、神々が鎮まる適地として、かつて上川離宮建設が決まっていた神楽岡に神社を移して今日に至っています。

 北海道北部の開拓者にとっては、何よりの心の支えになった神社です。そして今では、旭川は道北随一の大都市になりました。市内やその周辺の人々の鎮守様として、親しまれています。

 正式参拝でした。お詣りを終えた後、宮司の柴田直儀さんから、社宝を見せていただきながら、開拓やそれにまつわる神社の歴史についてお話をいただきました。先人の努力の跡が、伝わってきます。

 柴田さんは大学の先輩で、とても気さくで、穏やかな口調で話をされます。ついつい引き込まれました。

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 境内には、旭川天満宮も祀られていました。写真の左側には、牛の像があります。受験の時期になると、道北の受験生がお詣りに集まります。
 
 院友会の支部総会の後、支部長さんや有志の方々との二次会があり、それにも参加してかなり酔いました。旭川の夜の風は、さらっとしていて素晴らしいです。上着があって丁度いいです。冬はたいへんでしょうが、避暑にはもってこいですね。
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千野隆司の時代小説
【近刊書籍】


【既刊書籍】

★「出世侍(三)昨日の敵は今日も敵」(幻冬舎時代小説文庫)平成28年6月刊

★「寺社役同心事件帖・富くじ狂瀾」(朝日文庫)平成28年5月刊

★「雇われ師範豊之助・瓢箪から駒」(双葉文庫)平成28年3月刊

★「寺社役同心事件帖・竹寳寺の闇からくり」(朝日文庫)平成28年3月刊

★「入り婿侍商い帖 関宿御用達(三)」(角川文庫)平成28年2月刊

★「出世侍(二)出る杭は打たれ強い」(幻冬舎時代小説文庫)平成27年12月刊

★「札差髙田屋繁昌記(三)兄の背中」(ハルキ文庫)平成27年11月刊

★「入り婿侍商い帖 関宿御用達(二)」(角川文庫)平成27年10月刊

★「雇われ師範豊之助・ぬか喜び」(双葉文庫)平成27年10月刊

★「雇われ師範豊之助・借金道場」(双葉文庫)平成27年7月刊

★「札差髙田屋繁昌記(二)生きる」(ハルキ文庫)平成27年6月刊

★「出世侍(一)」(幻冬舎時代小説文庫)平成27年6月刊

★「入り婿侍商い帖 関宿御用達」(角川文庫)平成27年5月刊

★「次男坊若さま修行中・初雷の祠」(コスミック文庫)平成27年4月刊

★「札差髙田屋繁昌記(一)若旦那の覚悟」(ハルキ文庫)平成27年3月刊

★「入り婿侍商い帖(三)女房の声」(富士見新時代小説文庫)平成27年2月刊

★「若殿見聞録(六)家慶の一歩」(ハルキ文庫)平成26年11月刊

★「入り婿侍商い帖(二)水運のゆくえ」(富士見新時代小説文庫)平成26年10月刊

★「入り婿侍商い帖(一)」(富士見新時代小説文庫)平成26年9月刊

★「神楽坂化粧暦 夕霞の女」(宝島社文庫)平成26年8月刊

★「若殿見聞録(五)東照宮、拝礼」(ハルキ文庫)平成26年7月刊

★「へっつい河岸恩情番屋・鬼灯のにおい」(コスミック文庫)平成26年4月刊

★「若殿見聞録(四)閏月の嵐」(ハルキ文庫)平成26年3月刊

★「権現の餅-駆け出し同心・鈴原淳之助」(双葉文庫)平成26年2月刊

★「若殿見聞録(三)秋風渡る」(ハルキ文庫)平成25年11月刊

★「霜降の朝-駆け出し同心・鈴原淳之助」(双葉文庫)平成25年11月刊

★「船頭岡っ引き控・秋の調べ」(学研M文庫)平成25年9月刊

★「寺侍市之丞・干戈の檄(かんかのげき)」(光文社文庫)平成25年9月刊

★「千俵の船-駆け出し同心・鈴原淳之助」(双葉文庫)平成25年8月刊

★「若殿見聞録(二)逆臣の刃」(ハルキ文庫)平成25年7月刊

★「へっつい河岸恩情番屋・夏初月の雨」(コスミック文庫)平成25年4月刊

★「寺侍市之丞・打ち壊し」(光文社文庫)平成25年3月刊

★「船頭岡っ引き控・花冷えの霞」(学研M文庫)平成25年3月刊

★「若殿見聞録(一)徳川家慶、推参」(ハルキ文庫)平成25年2月刊

★「恵方の風-駆け出し同心・鈴原淳之助」(双葉文庫)平成25年2月刊

★「蕎麦売り平次郎人情帖・木枯らしの朝」(ハルキ文庫)平成24年11月刊

★「棒手振り同心事件帖・秋の声」(学研M文庫)平成24年10月刊

★「赤鍔の剣-駆け出し同心・鈴原淳之助」(双葉文庫)平成24年9月刊

★「寺侍市之丞・西方の霊獣」(光文社文庫)平成24年8月刊

★「蕎麦売り平次郎人情帖・初螢の数」(ハルキ文庫)平成24年7月刊

★「棒手振り同心事件帖・皐月の風」(学研M文庫)平成24年5月刊

★「密命同心轟三四郎・水底二千両」(コスミック文庫)平成24年4月刊

★「戸隠秘宝の砦 第三部・光芒はるか」(小学館文庫)平成24年4月刊

★「寺侍市之丞・孔雀の羽」(光文社文庫)平成24年3月刊

★「戸隠秘宝の砦 第二部・気比の長祭り」(小学館文庫)平成24年3月刊

★「蕎麦売り平次郎人情帖・母恋い桜」(ハルキ文庫)平成24年2月刊

★「戸隠秘宝の砦 第一部・吉原惣籬」(小学館文庫)平成24年2月刊

★「湯屋のお助け人・神無の恋風」(双葉文庫)平成24年1月刊

★「棒手振り同心事件帖・初水の夢」(学研M文庫)平成23年12月刊

★「湯屋のお助け人・待宵の芒舟」(双葉文庫)平成23年11月刊

★「お寧結髪秘録・秘花二日咲き」(静山社文庫)平成23年10月刊

★「寺侍市之丞」(光文社文庫)平成23年9月刊

★「蕎麦売り平次郎人情帖・霜夜のなごり」(ハルキ文庫)平成23年8月刊

★「湯屋のお助け人・覚悟の算盤」(双葉文庫)平成23年7月刊

★「槍の文蔵江戸草紙・命の女」(学研M文庫)平成23年5月刊

★「湯屋のお助け人・桃湯の産声」(双葉文庫)平成23年3月刊

★「密命同心轟三四郎・空飛ぶ千両箱」(コスミック時代文庫)平成23年3月刊

★「蕎麦売り平次郎人情帖・菊月の香」(ハルキ文庫)平成23年2月刊

★「湯屋のお助け人・菖蒲の若侍」(双葉文庫)平成23年1月刊

★「槍の文蔵江戸草紙・残り蛍」(学研M文庫)平成22年11月刊

★「蕎麦売り平次郎人情帖・夏越しの夜」(ハルキ文庫)平成22年8月刊

★「槍の文蔵江戸草紙・恋の辻占」(学研M文庫)平成22年7月刊

★「主税助捕物暦・玄武斃し」(双葉文庫)平成22年3月刊

★「へっぴり木兵衛聞書帖・水面の月」(学研M文庫)平成22年1月刊

★「首斬り浅右衛門人情控・安政くだ狐」(祥伝社文庫)平成21年12月刊

★「南町同心早瀬惣十郎捕物控・四つの千両箱」(ハルキ文庫)平成21年11月刊

★「主税助捕物暦・鮫鰐裁ち」(双葉文庫)平成21年10月刊

★「へっぴり木兵衛聞書帖・永代橋の女」(学研M文庫)平成21年8月刊

★「首斬り浅右衛門人情帖・莫連娘」(祥伝社文庫)平成21年7月刊

★「主税助捕物暦・紅鸞突き」(双葉文庫)平成21年4月刊

★「南町同心早瀬惣十郎捕物控・わすれ形見」(ハルキ文庫)平成20年12月刊

★「首斬り浅右衛門人情控」(祥伝社文庫)平成20年9月刊

★「本所竪川河岸瓦版・紅の雁」(学研M文庫)平成20年8月刊

★「主税助捕物暦・怨霊崩し」(双葉文庫)平成20年5月刊

★「火盗改メ異聞・仇討青鼠」(徳間文庫)平成20年4月刊

★「南町同心早瀬惣十郎捕物控・霊岸島の刺客」(ハルキ文庫)平成19年12月刊

★「本所竪川河岸瓦版・花燈籠」(学研M文庫)平成19年11月刊

★「霊岸島捕物控・新川河岸迷い酒」(学研M文庫)平成19年5月刊

★「主税助捕物暦・虎狼舞い」(双葉文庫)平成19年3月刊

★「南町同心早瀬惣十郎捕物控・雪しぐれ」(ハルキ文庫)平成19年1月刊

★「本所竪川河岸瓦版・ビードロ風鈴の女」(学研M文庫)平成18年9月刊

★「主税助捕物暦・麒麟越え」(双葉文庫)平成18年4月刊

★「霊岸島捕物控・大川端ふたり舟」(学研M文庫)平成18年1月刊

★「南町同心早瀬惣十郎捕物控・鬼心」(ハルキ文庫)平成17年11月刊

★「主税助捕物暦・天狗斬り」(双葉文庫)平成17年7月刊

★「本所竪川河岸瓦版・冬花火」(学研M文庫)平成17年6月刊

★「追跡」(講談社)平成17年5月刊

★「南町同心早瀬惣十郎捕物控・伽羅千尋」(ハルキ文庫)平成16年11月刊

★「主税助捕物暦・夜叉追い」(双葉文庫)平成16年10月刊

★「札差市三郎の女房」(ハルキ文庫)平成16年1月刊

★「南町同心早瀬惣十郎捕物控・夕暮れの女」(ハルキ文庫)平成14年2月刊

★「逃亡者」(講談社文庫)平成13年12月刊

★「二夜の月」(双葉文庫)平成13年6月刊

★「永代橋、陽炎立つ」(双葉文庫)平成13年4月刊

★「北辰の剣・千葉周作開眼」(祥伝社文庫)平成10年12月刊

★「かんざし図絵」(双葉文庫)平成8年2月刊

★「浜町河岸夕暮れ」(双葉文庫)平成6年10月刊
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