千野隆司の「時代小説の向こう側」

時代小説を書く楽しみと喜び。 その裏側を……。

菓子と菓子売り

 ちょっと一息ついたとき、ああ疲れたなあと思ったとき、お菓子を食べて、お茶を一服。とてもほっとします。

 暦応四年(1341)に、元人である林浄因が、建仁寺第三十五世徳見竜山禅師に従って渡来しました。帰化して、南都で初めて饅頭なる菓子を作りました。麦粉に上等な甘酒の汁を加えて、こねます。そして中に餡を包んで蒸しました。

 これが我が国の饅頭のはじまりだといわれています。当時の人は、甘い菓子などありませんでしたから、これはもう、とてつもなく美味しく感じたものと思われます。この時代の甘いものなんて、柿くらいのものだったと思います。
 
 江戸期になると、菓子を作って売ることが商売になりました。行商人は、勝手に売り歩くことはできません。飴売り、薬売り、駄菓子売りなどと同じように、香具師の党に入って、許可を得てから売り歩きました。それぞれの仲間の、定法にしたがって商売をします。

 菓子とはいっても、いろいろあります。

 大昔は木の実や果物をいいました。それも生で食べられるものだけでしたが、これを干したものが現れ、さらに中国から米の加工品が渡来して、菓子の種類が増えました。

 どんなものがあるでしょうか。
生菓子 当初は果物でしたが後には、餅菓子の内で比較的乾燥していないものをいうようになりました。
水菓子 蜜柑や柿、桃、梨などで、いわゆる果物です。
乾菓子 米穀の加工品で乾燥したもの
くさ菓子 瓜類です。つる草に実るものという意味でしょうか。
餅菓子 餅と餡で造った菓子。
駄菓子 粗雑な乾菓子。

 まだまだあると思います。
 洋菓子も美味しいですが、日本の風土や文化の中で育ってきた菓子は、やっぱりおいしいです。食べたくなります。

入り婿侍商い帖 出仕秘命(三)

 桜の開花が伝えられる頃となりました。三月も下旬です。つい先日、近所の幼稚園で卒園式が行われていました。春の到来ということでしょうか。

 今春一冊目の文庫が、桜の見ごろとなる二十五日に発売になります。ご紹介いたします。

入り婿侍商い帖

出仕秘命(三)

 角川文庫(680円+税)です。小シリーズでは三冊目の完結編です。シリーズ全体では、九冊目になりました。

宿敵・勘定奉行大久保一派との最後の戦い
夫婦の絆で仇を討つ!

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 永代橋で非業の死を遂げた兄角太郎一家の仇を討つために、主人公角次郎は実家である五月女家に戻りました。事件の背景には、勘定奉行大久保忠信の陰謀がありました。出仕秘命(一)と(二)では、お召縮緬や猿島茶にまつわる不正を糺しましたが、首謀者の大久保にまでは手が及びませんでした。

 そして永代橋崩落の翌年、橋は架け替えられることになります。三万五千両の大プロジェクトです。そしてこれを差配するのが、勘定奉行の大久保忠信でした。
 何事も起きないわけがありません。

 架橋は安く上がればいいというものではありません。堅牢で長持ちし、後々のメンテナンスについても考えに入れなくてはなりません。また同じような事故が起こっては、幕府の権威にも関わります。

 角次郎は勘定組頭ではありますが、新田・廻米方ですので、橋普請には直接関わりません。しかし同じ奉行所内にいますから、不正のにおいが伝わってきます。大目付中川忠英の力添えを得、角次郎は女房お万季と力を合わせ、巨悪に立ち向かいます。

 本シリーズ『入り婿侍商い帖』の「出仕秘命(一)」は5刷に、「出仕秘命(二)」は2刷になりました。ご購読くださった方には、御礼を申し上げます。本巻も、多くの方に読んでいただければありがたいと思います。

ひとり相撲

 大相撲の春場所が始まりました。三日目まで終わって、新横綱稀勢の里は順調に勝ち進んでいます。テレビ観戦が楽しいです。

 興行としての大相撲は、寛永元年(1624)に四谷塩町笹寺境内で、初代横綱明石志賀之助らによる晴天六日の勧進相撲だったといわれています。しかしこれには異説もあって、はっきりしていません。

 貞享元年(1684)に相撲年寄雷(いかずち)権太夫が、寺社奉行に興行を願い出て許されました。春と秋に、深川八幡宮境内で行った勧進相撲が、定期的に行われる相撲興業の初めです。谷風梶之助や小野川喜三郎といった横綱が現れて、相撲人気は高まりました。

 そんな中で、『ひとり相撲』という大道芸をする者が現れました。太った長身の男が、裸足のふんどし姿で現れ、持っていた扇子を開きます。
「東(ひが)アーシ荒馬ア、西(にい)イーシ小柳イ」
 呼び出しをします。

 そして男は、行司役も務めます。
「こなたァ荒馬、荒馬、こなた小柳、小柳」
 とやります。集まってきた見物人は、面白がってどちらかの力士の名を呼びます。
 男は土俵に上がる前の、力士が水を飲んだり鼻をかむ仕草をまねます。有名力士の真似に、見物人は大喜びです。
 そして軍配がかえり、相撲が始まります。

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 絵は、『絵本風俗往来』から。

 激しく突き合い、がっぷり組んだりもします。一人で演じているとは思えない力強さです。盛り上がったところで、男は声を上げます。
「さあさあ、勝たせたい方の名を挙げて、銭を投げてくだせえ。銭が多い方を勝たせますよ」
 すると見物人は「荒馬」とか「小柳」とか言って、銭を投げます。

 銭が投げ終わるまで、男は取り組んだ形を崩しません。投げ終わったところで、決着をつけます。投げられた額が同じくらいのときは、引き分けにします。
 どちらが勝っても、銭は男の懐に入りますが、見物人は面白がります。数文で、充分楽しむことができました。

六年という歳月

 今朝、道を歩いていて、沈丁花のにおいをかぎました。甘い、いいにおいです。春の訪れを感じます。ですが春は、嬉しいばかりではありません。悲しく辛い記憶も、春の中に潜んでいます。

 六年目の三月十一日がやって来ました。あの日のことは、忘れようにも忘れられません。この数日、テレビやラジオ、新聞などでは東日本大震災にまつわる報道が増えてきました。東北でも大きな都市の駅前などは何事もなかったようですが、復興などどこの話だと言わざるを得ないような土地が、まだまだ残っています。

 また各地に避難した子どもたちが(いや、大人であってさえも)、いわれのないいじめを受けるという現実に、胸が痛くなります。「義援金、もらったんだろ。持ってこい」と言える子ども、すごいです。

 でも、そういう子どもたちも、生まれながらにすごいわけではありません。大人として、そうなる前の、またなってしまった子どもたちとどう関わってゆくか、自分の問題でもあると考えます。

 原発も、安いエネルギーではないことが分かりました。ではどうすればいいのか、自分としてはなくしてほしいですが、とても難しいです。いろいろな考えの方が、いらっしゃいますから。

 ただ防災意識は、高まってきたと感じます。教訓は生かしたいです。

 あの地震からまだ抜け出せない多数の方たちが、一日も早く、着実な暮らしの歩みができるようになることを、願わずにはいられません。微力ではありますが、できることをしていきたいと気持ちを新たにしています。

ひやかし

 よく言われることですが、江戸時代は物を大切にし、今でいうリサイクルが幅を利かせていました。ですからたくさんの古物買いが、町を行き来していました。

 紙屑買いや古金買い、古着や古傘、古道具など数え上げたらきりがありません。買い手は一品だけではなく、数種の品を買い取りました。今ならばさしずめ軽トラックで廻って来る、廃品回収業といったところでしょうか。
 私が子どもの頃は、小父さんがリヤカーを引いて回っていました。

 『守貞謾稿』に、「紙屑買い」の話が出てきます。
 反故及び古帳紙屑を買い、また兼ねて、古衣服、古銅鉄、古器物をも兼ね買う。
 とあります。

 売り声は、京坂では「てんかみくず、てんてん」というとか。「てんてん」は古着の略語だそうです。

 買い集めた古紙は、江戸ではすき返しの「浅草紙」として厠などで使いました。墨が尻に移りそうな代物ですが、安くて吸水性があるということで利用されました。

 この浅草紙から、「ひやかし」という言葉が生まれたという説があります。
 
「ひやかし」は、品物の値段や質などいかにも買いそうな顔で聞いておきながら、結局は買わない客に対して使います。遊郭吉原に近い山谷界隈では、すき返しの「浅草紙」をこしらえる業者が多数ありました。

 そこの職人たちは、煮て溶かした紙を水に入れ、それを冷やすために吉原を一回りしてきます。登楼はしないで、帰ってくるわけです。ですから「ひやかし」と言うようになったという説です。

 本当かどうかは、保証いたしません。

雛祭り

 今日は雛祭です。女の子が家にいるお家では、雛人形を飾っているでしょうか。この人形が部屋にあると、やはり華やかな気分になります。おやつには桜餅、夕餉にはちらし寿司と蛤の吸物を食べる。いかにもこの日らしい風情を感じます。

 そもそも雛祭りは、中世までは京の貴族階級の行事でした。その「雛遊び」が、江戸中期あたりから「雛祭り」として広く一般家庭で行われるようになりました。

 江戸の初期では、紙雛に菱餅や白酒を供えて祝うだけでしたが、元禄(1688~1704)の頃になると、布製の内裏雛も売り出されるようになりました。以後、人形製作技術が進歩して、商品化が進みます。各種の人形や調度類が雛壇に飾られるようになりました。

 江戸後期になると、雛壇には内裏雛以下、官女、大臣、五人囃子、仕丁、諸調度を並べる形式も定まってきます。桃の節句には、女の子に雛人形を贈る習慣も一般化しました。

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 上の絵は、『江戸名所図会』の中にある「十軒店雛市」の部分です。十軒店本石町(現在の東京都中央区日本橋室町三丁目)の雛市の光景です。この十軒店では、二月から三月の初めまで、雛人形市が開かれました。

 華やかで、賑やかな様子がうかがえます。一軒家の店だけでなく、床店もありますね。右手下には立派な駕籠も描かれています。御大身が御忍びで買い物に来たのでしょうか。

 女性の姿が多いのが、いかにもそれらしい印象です。

大岡忠相の墓について

 ここのところ大岡忠相関連の話を書いていますが、大学のけんじ先輩からその墓について、興味深い連絡をもらいました。転載いたします。

 今日(というか昨夜半)のブログに触れてあった大岡忠相の墓が「旗本時代の知行地があった相模の国(神奈川県茅ケ崎市の浄見寺)にあるという件についてですが、若干蛇足をつけさせていただきます。

確かに現在茅ケ崎市の浄見寺に墓はあるのですが、一方中野(というか落合)の萬昌院功雲寺には昭和351960)年に大岡忠相の墓が浄見寺に移されたという記録が残っています。

http://makotoyouchien.kids.coocan.jp/kounji/history.html

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%90%AC%E6%98%8C%E9%99%A2%E5%8A%9F%E9%81%8B%E5%AF%BA

萬昌院功雲寺は2つの寺が合併?してできた寺で、そのうち大岡忠相の墓は功雲寺(元は三田などにあった)にあったようです。

その他谷中の慈雲山瑞輪寺にも墓があるとされています。

 

そのあたりの経緯はこちらの論文に書かれていることがある程度参考になるようです。(こちらにはもう一つの墓所として茗荷谷の徳雲寺の名が挙げられています)

http://www.seijo.ac.jp/research/glocal-center/publications/cgs-working-paper/jtmo420000000rrt-att/jtmo420000002hhw.pdf

 

 以下は私の推測(根拠は無し)。

 浄見寺には大岡家(本家)の墓はあったが、分家である大岡忠相の墓はなかった。その本家の墓も江戸末期ごろには忘れ去られていた。

 大岡越前守忠相他一族の墓としては三田の功雲寺など江戸にあると認識されていた。(このあたりは江戸期の史料を確認すればわかるのでは?)

 明治後期に入り茅ヶ崎(寒川)で大岡家の墓が「再発見」され、大岡といえば越前守ということで地元で顕彰事業(大岡越前祭など)が行われるようになった。(墓も作られた?)

 昭和35年前後の浄見寺墓域拡張に伴い功雲寺などの大岡忠相等間連墓が浄見寺に集められ、大岡家の墓として整備された。

 というようなことではないかと思っています。(あくまでも推測)

 蛇足と書かれていますが、こういう形で墓が残るというのは大いにありそうだなと感じました。けんじ先輩、ありがとうございました。

西大平藩

 大岡忠相が一万石の大名になってできた西大平藩ですが、三河の国のどこなのだろうかと思います。一万石ですから、大名といってもぎりぎりのところです。一石でも減れば、旗本になります。広大な領地とは思われません。大小はありますが、30くらいの村かと思われます。

 城もなく、領地には陣屋を置いていただけです。もちろん一万石でも城を持っていた大名もありますが、大岡家はできたばかりの大名です。

 そこで西大平藩を調べてみると、現在の愛知県岡崎市大平町であったと分かります。ああ、将軍家には縁の深い場所じゃないかと思います。まあ吉宗公の懐刀でもあったわけですから、当然かもしれませんが……。
 
 ただ忠相の墓は、ここにはありません。旗本時代の知行地があった相模の国(神奈川県茅ケ崎市の浄見寺)にあります。そもそも忠相は、一度も三河の国にある西大平藩の領地には入らぬまま生涯を閉じます。

 何万石の大名、何千石の旗本とよく言いますが、領地は一カ所に固まっているわけではありません。いろいろな土地に領地が散っています。大岡家の領地は、三河だけでなく、もともとの相模や、上総にもありました。

 すべてを合わせて、一万石です。

 これは、大岡家だけではありません。多くの大名は、領地が各国に散っています。加増になったり減封になったりした場合、また国替えになったときなど、都合のいいぴったりの石高の土地などなかったからに他なりません。

 ただ当の大名家にしては、これではそれぞれの土地に家臣を置かなくてはなりませんから、手間もかかりますし経費もかかります。そこで藩では、所領統合を幕府に申し出ました。近くの土地と、交換をしてもらうわけです。

 ただそれが実現するのは、三代藩主忠恒の代になってからでした。いつの時代も、お役所仕事は、超スローです。

 また忠相が一度もお国入りをしなかったのには、理由があります。西大平藩の藩主は参勤交代をしない、江戸に居住しなくてはならない定府大名だったからです。大名といっても、前田や伊達、井伊などの御家だけでなく、いろいろあったということになります。

今から三百年前

 今年は2017年ですが、ちょうど三百年前の享保二年(1717年)の二月に、へえーという出来事がありました。徳川吉宗が将軍の時代です。老中は土屋政直・阿部正喬ら六名でした。それまで普請奉行だった大岡越前守忠相が、江戸南町奉行に任用されました。

 名奉行として親しまれ、今に至るまで名を残した大岡忠相は、三百年前の二月にその役に就いたのでした。吉宗が将軍になった翌年のことです。元文元年(1736)まで、この役にありました。

 今さらですが、『大岡政談』として数々の名裁きが、小説や芝居、テレビドラマになっています。

 この享保二年は、江戸ではかなりたいへんなことが起こっています。一月は、小石川馬場辺からから出火し町々を焼いて、大川を越して深川まで延焼するという大火事がありました。大名屋敷七十三、旗本屋敷三百四十九、無数の町家が焼かれています。

 大岡忠相は、まだ復興がし切れていない江戸の町奉行に就任したことになります。まあだからこそ、その辣腕ぶりが求められたのかもしれません。

 この年は、夏と秋に関東が干害に遭っています。江戸では六月に再び大火に襲われます。さらに江戸は十二月にも大火がありました。「火事と喧嘩は江戸の華」といいますが、被災者にしてみればとんでもない大惨事です。多くの死傷者が出たはずです。資産を失った者も、少なからずいるでしょう。

 そういう中でも人心を掌握し、江戸の町政を担ったわけですから、なかなかの人物なのだと思われます。資料は『江戸生活史年表』(雄山閣)からです。

 町奉行を努め上げた大岡忠相は、大名職である寺社奉行になります。千七百石の旗本家に生まれた忠相ですが、ついには三河の国額田郡に領地を持つ西大平藩一万石の大名になります。町奉行をしていた人物で、大名にまでなった例は、忠相の他にはありません。

 西大平藩は、代々の子孫が継いで、明治維新を迎えます。

女殺油地獄

 シネマ歌舞伎というのを、初めて観ました。歌舞伎というのは、舞台全体を見るもので、役者の顔だけがアップになったら違うものだという気持ちがあります。これは歌舞伎だけでなく、舞台で行われる芝居は、すべてそうだろうという感覚です。ですからテレビで劇場中継を見ることはほとんどありませんでした。

 ただ東銀座の東劇でやっている近松門左衛門の『女殺油地獄』は、観たいと思っていてまだ見ていなかった演目でしたので、今日行ってきました。

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 主役の河内屋与兵衛は片岡仁左衛門で、お吉が片岡孝太郎です。これに孫の千之助も出ますから、親子三代共演です。

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 見終わった感想としては、片岡仁左衛門も孝太郎も熱演で、特に与兵衛の放蕩者の小悪党ぶりが見事だなあと思って、物語に引き込まれました。見せ場である油まみれになりながら与兵衛がお吉を殺す場面も、リアルで見応えがありました。二人の動きが細かく計算されていて、そりゃあもう美しい。

 となるとシネマでなくて、やっぱり実物の舞台で観たいなと思います。

 それと物語の流れも、細かな伏線の張り方や、それが後半になって生きてくる場面の作りなど、さすがに近松門左衛門だなと感心しました。ラストの油殺しのような派手な場面ではありませんが、継父徳兵衛と実母おさわのやり取りも、原作を読む限りでは、(お涙頂戴ものとして)あざとい作りだと感じたこともありますが、シネマを見ている分には自然で感動的でした。
 泣けました。

 ああ、いい時間を過ごせたなと思って外に出ると、祝日の築地は人でいっぱいでした。場外市場など、歩くのも一苦労です。

 目あてにしていたレストランは、予約なしでは入れませんでした。そこで少し離れたここでランチを食べました。

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 築地トゥットベーネというイタリアンです。魚ではありません。築地では指折りの店ということで、二番目に目をつけていました。予約なしでしたが、カウンター席で入れました。
 ワインを飲んで、シネマ歌舞伎の名シーンを振り返りました。
 
 一行も小説を書かないという日は、本当に数か月ぶりです。

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千野隆司の時代小説
【近刊書籍】

☆「雇われ師範豊之助・泣き虫大将」(双葉文庫)平成29年4月刊


【既刊書籍】

★「入り婿侍商い帖 出仕秘命(三)」(角川文庫)平成29年3月刊

★「雇われ師範豊之助・家宝の鈍刀」(双葉文庫)平成28年12月刊

★「入り婿侍商い帖 出仕秘命(二)」(角川文庫)平成28年11月刊

★「長谷川平蔵人足寄場 平之助事件帖1 憧憬」(小学館文庫)平成28年10月刊

★「次男坊若さま修行中・願いの錦絵」(コスミック文庫)平成28年9月刊

★「入り婿侍商い帖 出仕秘命(一)」(角川文庫)平成28年8月刊

★「出世侍(三)昨日の敵は今日も敵」(幻冬舎時代小説文庫)平成28年6月刊

★「寺社役同心事件帖・富くじ狂瀾」(朝日文庫)平成28年5月刊

★「雇われ師範豊之助・瓢箪から駒」(双葉文庫)平成28年3月刊

★「寺社役同心事件帖・竹寳寺の闇からくり」(朝日文庫)平成28年3月刊

★「入り婿侍商い帖 関宿御用達(三)」(角川文庫)平成28年2月刊

★「出世侍(二)出る杭は打たれ強い」(幻冬舎時代小説文庫)平成27年12月刊

★「札差髙田屋繁昌記(三)兄の背中」(ハルキ文庫)平成27年11月刊

★「入り婿侍商い帖 関宿御用達(二)」(角川文庫)平成27年10月刊

★「雇われ師範豊之助・ぬか喜び」(双葉文庫)平成27年10月刊

★「雇われ師範豊之助・借金道場」(双葉文庫)平成27年7月刊

★「札差髙田屋繁昌記(二)生きる」(ハルキ文庫)平成27年6月刊

★「出世侍(一)」(幻冬舎時代小説文庫)平成27年6月刊

★「入り婿侍商い帖 関宿御用達」(角川文庫)平成27年5月刊

★「次男坊若さま修行中・初雷の祠」(コスミック文庫)平成27年4月刊

★「札差髙田屋繁昌記(一)若旦那の覚悟」(ハルキ文庫)平成27年3月刊

★「入り婿侍商い帖(三)女房の声」(富士見新時代小説文庫)平成27年2月刊

★「若殿見聞録(六)家慶の一歩」(ハルキ文庫)平成26年11月刊

★「入り婿侍商い帖(二)水運のゆくえ」(富士見新時代小説文庫)平成26年10月刊

★「入り婿侍商い帖(一)」(富士見新時代小説文庫)平成26年9月刊

★「神楽坂化粧暦 夕霞の女」(宝島社文庫)平成26年8月刊

★「若殿見聞録(五)東照宮、拝礼」(ハルキ文庫)平成26年7月刊

★「へっつい河岸恩情番屋・鬼灯のにおい」(コスミック文庫)平成26年4月刊

★「若殿見聞録(四)閏月の嵐」(ハルキ文庫)平成26年3月刊

★「権現の餅-駆け出し同心・鈴原淳之助」(双葉文庫)平成26年2月刊

★「若殿見聞録(三)秋風渡る」(ハルキ文庫)平成25年11月刊

★「霜降の朝-駆け出し同心・鈴原淳之助」(双葉文庫)平成25年11月刊

★「船頭岡っ引き控・秋の調べ」(学研M文庫)平成25年9月刊

★「寺侍市之丞・干戈の檄(かんかのげき)」(光文社文庫)平成25年9月刊

★「千俵の船-駆け出し同心・鈴原淳之助」(双葉文庫)平成25年8月刊

★「若殿見聞録(二)逆臣の刃」(ハルキ文庫)平成25年7月刊

★「へっつい河岸恩情番屋・夏初月の雨」(コスミック文庫)平成25年4月刊

★「寺侍市之丞・打ち壊し」(光文社文庫)平成25年3月刊

★「船頭岡っ引き控・花冷えの霞」(学研M文庫)平成25年3月刊

★「若殿見聞録(一)徳川家慶、推参」(ハルキ文庫)平成25年2月刊

★「恵方の風-駆け出し同心・鈴原淳之助」(双葉文庫)平成25年2月刊

★「蕎麦売り平次郎人情帖・木枯らしの朝」(ハルキ文庫)平成24年11月刊

★「棒手振り同心事件帖・秋の声」(学研M文庫)平成24年10月刊

★「赤鍔の剣-駆け出し同心・鈴原淳之助」(双葉文庫)平成24年9月刊

★「寺侍市之丞・西方の霊獣」(光文社文庫)平成24年8月刊

★「蕎麦売り平次郎人情帖・初螢の数」(ハルキ文庫)平成24年7月刊

★「棒手振り同心事件帖・皐月の風」(学研M文庫)平成24年5月刊

★「密命同心轟三四郎・水底二千両」(コスミック文庫)平成24年4月刊

★「戸隠秘宝の砦 第三部・光芒はるか」(小学館文庫)平成24年4月刊

★「寺侍市之丞・孔雀の羽」(光文社文庫)平成24年3月刊

★「戸隠秘宝の砦 第二部・気比の長祭り」(小学館文庫)平成24年3月刊

★「蕎麦売り平次郎人情帖・母恋い桜」(ハルキ文庫)平成24年2月刊

★「戸隠秘宝の砦 第一部・吉原惣籬」(小学館文庫)平成24年2月刊

★「湯屋のお助け人・神無の恋風」(双葉文庫)平成24年1月刊

★「棒手振り同心事件帖・初水の夢」(学研M文庫)平成23年12月刊

★「湯屋のお助け人・待宵の芒舟」(双葉文庫)平成23年11月刊

★「お寧結髪秘録・秘花二日咲き」(静山社文庫)平成23年10月刊

★「寺侍市之丞」(光文社文庫)平成23年9月刊

★「蕎麦売り平次郎人情帖・霜夜のなごり」(ハルキ文庫)平成23年8月刊

★「湯屋のお助け人・覚悟の算盤」(双葉文庫)平成23年7月刊

★「槍の文蔵江戸草紙・命の女」(学研M文庫)平成23年5月刊

★「湯屋のお助け人・桃湯の産声」(双葉文庫)平成23年3月刊

★「密命同心轟三四郎・空飛ぶ千両箱」(コスミック時代文庫)平成23年3月刊

★「蕎麦売り平次郎人情帖・菊月の香」(ハルキ文庫)平成23年2月刊

★「湯屋のお助け人・菖蒲の若侍」(双葉文庫)平成23年1月刊

★「槍の文蔵江戸草紙・残り蛍」(学研M文庫)平成22年11月刊

★「蕎麦売り平次郎人情帖・夏越しの夜」(ハルキ文庫)平成22年8月刊

★「槍の文蔵江戸草紙・恋の辻占」(学研M文庫)平成22年7月刊

★「主税助捕物暦・玄武斃し」(双葉文庫)平成22年3月刊

★「へっぴり木兵衛聞書帖・水面の月」(学研M文庫)平成22年1月刊

★「首斬り浅右衛門人情控・安政くだ狐」(祥伝社文庫)平成21年12月刊

★「南町同心早瀬惣十郎捕物控・四つの千両箱」(ハルキ文庫)平成21年11月刊

★「主税助捕物暦・鮫鰐裁ち」(双葉文庫)平成21年10月刊

★「へっぴり木兵衛聞書帖・永代橋の女」(学研M文庫)平成21年8月刊

★「首斬り浅右衛門人情帖・莫連娘」(祥伝社文庫)平成21年7月刊

★「主税助捕物暦・紅鸞突き」(双葉文庫)平成21年4月刊

★「南町同心早瀬惣十郎捕物控・わすれ形見」(ハルキ文庫)平成20年12月刊

★「首斬り浅右衛門人情控」(祥伝社文庫)平成20年9月刊

★「本所竪川河岸瓦版・紅の雁」(学研M文庫)平成20年8月刊

★「主税助捕物暦・怨霊崩し」(双葉文庫)平成20年5月刊

★「火盗改メ異聞・仇討青鼠」(徳間文庫)平成20年4月刊

★「南町同心早瀬惣十郎捕物控・霊岸島の刺客」(ハルキ文庫)平成19年12月刊

★「本所竪川河岸瓦版・花燈籠」(学研M文庫)平成19年11月刊

★「霊岸島捕物控・新川河岸迷い酒」(学研M文庫)平成19年5月刊

★「主税助捕物暦・虎狼舞い」(双葉文庫)平成19年3月刊

★「南町同心早瀬惣十郎捕物控・雪しぐれ」(ハルキ文庫)平成19年1月刊

★「本所竪川河岸瓦版・ビードロ風鈴の女」(学研M文庫)平成18年9月刊

★「主税助捕物暦・麒麟越え」(双葉文庫)平成18年4月刊

★「霊岸島捕物控・大川端ふたり舟」(学研M文庫)平成18年1月刊

★「南町同心早瀬惣十郎捕物控・鬼心」(ハルキ文庫)平成17年11月刊

★「主税助捕物暦・天狗斬り」(双葉文庫)平成17年7月刊

★「本所竪川河岸瓦版・冬花火」(学研M文庫)平成17年6月刊

★「追跡」(講談社)平成17年5月刊

★「南町同心早瀬惣十郎捕物控・伽羅千尋」(ハルキ文庫)平成16年11月刊

★「主税助捕物暦・夜叉追い」(双葉文庫)平成16年10月刊

★「札差市三郎の女房」(ハルキ文庫)平成16年1月刊

★「南町同心早瀬惣十郎捕物控・夕暮れの女」(ハルキ文庫)平成14年2月刊

★「逃亡者」(講談社文庫)平成13年12月刊

★「二夜の月」(双葉文庫)平成13年6月刊

★「永代橋、陽炎立つ」(双葉文庫)平成13年4月刊

★「北辰の剣・千葉周作開眼」(祥伝社文庫)平成10年12月刊

★「かんざし図絵」(双葉文庫)平成8年2月刊

★「浜町河岸夕暮れ」(双葉文庫)平成6年10月刊
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