机上に常備している切絵図は、今から二十数年前に、神田の三省堂でみつけて買いました。本所深川編と神田日本橋編の二枚です。それ以来毎日のように眺めているので、もうぼろぼろです。
 小説は、舞台のイメージが湧かないと書けませんから、最初に書いた時代物は、その地図の中だけで事件が起こり、解決するというものでした。『夜の道行』や『浜町河岸夕暮れ』などです。
 江戸の他の切絵図は、後にまとめて買いました。当時の本物だったらたいへんですが、写真製版したものですので、私にも買えました。

 町の名前を一つ一つ読んでゆくと、こんな町があったんだなとか、ああ今でも残っている町名だなあとか、郷愁を誘われるものがかなりあります。
 ここは大店が並ぶ町だったなとか、芝居町だなとか、魚河岸だなとか、そんなことを付け足して眺めていると、描かれた地図からそれぞれの町並みが立ち上がってきます。江戸といっても百万都市ですから、さまざまな町並みがあります。100214_2105~01

左は、本所深川の絵図です。上端の水色が大川(隅田川)です。真ん中よりやや右寄りに真っ直ぐ縦に伸びているのが小名木川です。真ん中よりやや下、左右に伸びているのが、右が横川、左が亥の堀川です。
 ご覧戴けば、深川には縦横に川や運河が流れています。荷船が入りやすくなっています。深川は、全国の物産の集散地でした。
 大きな問屋が、櫛比していました。
 左真ん中あたりに、水に囲まれた四角い枡がならんでいます。これは木場です。

 さて、もう少し、場面を拡大します。
 右側が大川です。そこから流れているやや上の川が小名木川です。                        100214_2106~01
 地図の中央、小名木川から下に伸びているのが、六間堀です。赤く囲まれているところは、寺院です。これは、切絵図のきまりです。一番下は、竪川です。右端の下にある大川よりは、広大な御舟蔵です。
 それから、上のほう、折り目が破れています。ご愛嬌で、お許しください。
 何度もめくっているので、こうなりました。




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 さらに拡大しました。左端の川は横川です。
 写真が見にくいのは、お許しください。
 地面が灰色に塗られている場所は、町地です。白いところが武家地です。
 これをみて、おやと思いませんか。人の名前が記されていますが、下を向いたり右を向いたり、左を向いているものもあります。これは、いったいどういうことなのでしょうか。この版下を作った人の気分なのでしょうか。

 そうではありません。良く考えたなあと思いますが、名前の頭に当たる部分に玄関がありますよという約束なのです。玄関の位置によって、書き文字の向きを変えたということは、一軒一軒調べたということですよね。
 さらに、一つ一つの住居すべてに名前が入っていますが、これも調べたわけで、ご苦労様でしたということです。現代の細密地図と変わりませんね。
 当時、玄関先に表札を出すという習慣はありませんでした。ですから、人々は切絵図を見て、武家屋敷を訪ねたのです。

 次に広い屋敷の頭に●印が付いています。それから赤い丸印みたいなものが付いている屋敷もあります。赤い丸印は、見難いですが実は屋敷の持ち主の家紋なのです。

 切絵図では、家紋が記されている武家屋敷は、上屋敷と決められています。したがって写真の津軽式部少輔の屋敷は上屋敷です。
 陸奥石黒藩十万石、津軽家の屋敷です。津軽家といえば、常陸宮妃華子様のご実家ですね。
 その左上に林肥後守とあって●がついています。これは、下屋敷だという印です。上総請西(じょうさい)藩林家の下屋敷ということです。
 おやっ、他にも●のついた屋敷がありますね。見難いので恐縮ですが、右上に遠山金四郎とあります。ご確認できるでしょうか。
 あの町奉行を務めた遠山の金さんです。
 遠山家は旗本ですが、大名でなくとも、下屋敷を持つことができたわけですね。
 
 切絵図を見ていると、いろいろなことが目に浮かんできます。