左足首に装着した2キログラムのウェイトベルトの重さが、さほど気にならなくなってきた。下端が擦れる足甲部の不快感は残るけれども。しかし、負荷を増やそうにも手立てがない。この手のウェイト、買うと高いのである。なぜ2キログラムの奴は持っていたのか? まあ、それはたまたまあった、ということで。
江戸時代の武士で、中風の後遺症をハードなリハビリで快癒した、というはなしをどこかで読んだ記憶があったが、たまたま暇つぶし(バス乗車中読書用)に図書館から借りてきた鳶魚江戸文庫36『江戸雑録』収中の「賄賂と手土産」という小文中に見出した。ただし、以前読んだのはこれではない。三田村鳶魚はあちこちで同じことに触れているので。以下、該当部分の引用。
彼は後年に中風を患い、半身不随になりました。今度は作病ではない。嘘でなく中風に罹ったので、左の半身が不能になりました。庄二は病気に屈せず、手療治で直すと申して、不能な半身のほうへ、先ず頭部を強く物に押し当て、左の腰へ真鍮銭(青銭といって四文通用の寛永通宝)を緡にさしたのを括りつけ、五百目ほどある鉄の棒を挟み、足へも銭緡を引っ掛け、その重さを日々に増して歩行し、また左の手で膝を叩いて、拍子をとって経を読む。それを続けて、幾分か快気を覚えた。足の銭緡を増して、八九貫文(目方にして四貫匁ほどか)をつけて歩行して、二箇年たったら、左右の釣合がとれて、全快したという。
四貫匁といったら15キログラムである。いやはや畏れ入った、カムバックに向けての執念、不撓不屈の男であることか。
ちなみに、三浦庄二は田沼意次の公用人筆頭。田沼家の渉外交渉を一手に引き受け、猟官運動に奔走する旗本・大名の当主さえも膝詰談判に及ぶこともあった、とされる大物である。なんだ、賄賂を貪り続けたいがために必死でリハビリしたんじゃない、と憶測するなかれ。庄二が、いかに賄賂をとることの恐ろしさを知っていたか、ということが、この「賄賂と手土産」には活写されている。