13年前(1995年:平成7年) 午前5:45・・・
2階で寝ていた私たち家族は
今まで経験したことのない異常に長い揺れを感じて目を覚ましました。
妻は「何〜!?」
当時9才だった息子も「お父さ〜ん!お母さ〜ん!」
と 恐怖とショックを隠しきれません。
少し経ってTVをつけると 神戸が・・・
まるで映画か何かを見てるような・・・
しばらくは呆然としていた記憶があります。
6434人もの命を奪った阪神淡路大震災。
私たち関西人にとっては忘れられない出来事です。
震災後 リュックを背負って線路を歩き
神戸の知り合いに物資を届けに行った義父母(妻の両親)も
今はいません。
時が経つのは早いものですが
今も苦しんでいる人たちがいるということを
忘れてはなりません。
2階で寝ていた私たち家族は
今まで経験したことのない異常に長い揺れを感じて目を覚ましました。
妻は「何〜!?」
当時9才だった息子も「お父さ〜ん!お母さ〜ん!」
と 恐怖とショックを隠しきれません。
少し経ってTVをつけると 神戸が・・・
まるで映画か何かを見てるような・・・
しばらくは呆然としていた記憶があります。
6434人もの命を奪った阪神淡路大震災。
私たち関西人にとっては忘れられない出来事です。
震災後 リュックを背負って線路を歩き
神戸の知り合いに物資を届けに行った義父母(妻の両親)も
今はいません。
時が経つのは早いものですが
今も苦しんでいる人たちがいるということを
忘れてはなりません。






芦屋川にお嫁にいった会社の先輩の家が
全倒壊してしまい、ポップコーンになったみたいに自分が揺れて気持ちが悪くなった。
それほどゆれた。と言っていたのを
思い出しました。
とりあえず生きていたけれど、幾日も
お風呂に入れなくて大阪方面のご主人の友人の家にお呼ばれして歩いてそこまで行った。
ちょっとはなれているだけなのに、そこは
普通に建物があって、みんな普段の生活をしていてそれが一番悲しくつらかった。
忘れられない話です。