ちとせ館

(あしたもよろし ゆうべもよろし)

男性随筆

告白

告白 上 (岩波文庫 青 622-8)
ジャン・ジャック・ルソー
岩波書店
1965-03-16


友人のブログが「ツルニチニチソウ」の話だったので、この本を思い出して再読。
思想の巨人と呼ばれるルソーの自伝。

家庭に恵まれず、寄宿生活や奉公先では折檻や虐待を受けて育ち、逃げ出して放浪した末に貴婦人に引き取られる。
その後も色々あって苦しく辛い生活を送ることになるルソーが、「あの頃は幸福だった」と回顧できる唯一無二の短い満ち足りた日々。

“ああ、貴重ななつかしい時代よ、わたしのために、楽しい時の流れをもう一度はじめておくれ。
現実にはあっという間に流れ去ったその時間を、できることならわたしの記憶のなかで、もっとゆっくりとくり返しておくれ。”

レ・シャルメットの山荘に行った時のこと。
生垣に青い花を見つけたヴァランス夫人(ルソーが「ママン」と呼ぶ貴婦人)がルソーに言う。
「あら、ツルニチニチ草がまだ咲いているわ」
季節は夏の終わり。
その時は花に興味のなかったルソーは聞き流してしまう。

その後、あらゆる種類をとりあわせた不幸を経て30年近く。
友人と山に登った時に、茂みにツルニチニチ草を見つけて、歓喜の叫びをあげる。
(その頃には植物の観察をしていて、死後になるが『植物学』という著書も刊行されている)

楽しい追憶。
それが不幸の中にいるルソーを幸福に導く。
思い出がどれほど生きることに必要か、しみじみと考えさせられる名文。


今日は「本の日」だそうで。
女性から男性に本を贈る、という。
近所の書店ではそういうイベント関連の話は出てなかったから、広まってないんだろうね〜。
私の『告白』は、筑摩世界文學大系の一冊。
これが、「もう少し大きな字で書いてもらった方が見やすいなと思った」と言いたいほどちっちゃな文字。
1ページに三段でぎっちり。
この本、老眼の男性に贈ったら、「いやがらせか!」って怒られるだろうなあ。

私も読みにくくて四苦八苦。
女性には男性から本ではなく赤いバラを贈るそうだけど、赤いハズキルーペ欲しい(笑)

満願

太宰治 [ちくま日本文学008]
太宰 治
筑摩書房
2008-01-09


太宰治が『ロマネスク』という小説を書いていた頃のお話。
ちょっとしたケガで病院に行き、そこのお医者様や奥様と親しくなった。
その病院に定期的に通ってくる女性がいた。
三年前に肺を病んだ夫の薬を取りにくるのだという。

ある日、その女性が白いパラソルをくるくるっと回して通り過ぎた。
医者の奥様が言う。
「けさ、おゆるしが出たのよ。」


何のお許しなのか、タイトルの『満願』はどういう意味なのか、一切説明はない。
太宰治の文章のうまさに圧倒される。
好きだなあ、このお話。

『ロマネスク』を書いていた場所は、三島。
「富士の麓の雪が溶けて数十条の水量のたっぷりな澄んだ小川となり、三島の家々の土台下や縁先や庭の中をとおって流れていて苔の生えた水車がそのたくさんの小川の要処要処でゆっくりゆっくり廻っていた。」

そんな三島の町へ行ってきました。
水路を流れる水のきれいなこと!
富士の伏流水だもの。

タクシーの運転手さんが、「浜松のうなぎを持ってきて、しばらくここの水に入れておけば旨くなるんだよ」と説明してくれた。
そういえば、うなぎ屋さんがたくさんある。

でも、三島へ行った目的は太宰治ではなく、うなぎでもなく。

萩尾望都展

『萩尾望都SF原画展』でした。

カラーイラストはもちろん、初期から最新作までの生原稿、懐かしい掲載雑誌、読者全員プレゼントの品などなど、たっぷりじっくり見てきました。
以前、NHKの『浦沢直樹の漫勉』で萩尾望都先生が原稿を描くところを映していたけれど、その時のペン先の音が蘇る。
緻密な描きこみ。
ぞくぞくする。

でも、セリフはあっさりめなんだよね。
ネームも展示されていて、それを見ると、セリフが消されていたり短縮されていたりする。
そういうところも好き。

SF作家の書いた小説のカバーイラストを描いたものもたくさんあって、知らなかったのもあり。
でも、時代は変わったねえ。
昔、小学館文庫というのがあって、中は漫画なのに表紙は別の人が描いた絵画調のものだったりした。
小説の棚に並べて、小説だと思って買っていく人を当て込んだものだと聞いた。
漫画だと大人に売れないって。
今、逆なんだね。
漫画家の描いた表紙で小説が売れる。
うかうかと目論見にはまって、原画展で見た本をAmazonさんでチェック中(笑)

さすがに、三島まで日帰りはきつかった…新幹線で爆睡。
でも、行けてよかった。
乗り換えの東京駅で買ったバームクーヘンの袋をブンブン振り回したいほど嬉しかった。

ねんりん家

ことばの力

ことばの力
大岡 信
花神社
1978-01



志村ふくみさんで思い出したけど、国語の教科書といえば、大岡信さんの随筆『言葉の力』があった。

志村さんの作る桜色を見て、桜の花びらから抽出するんだろうと思った作者。
それに対して、桜の幹からいただくのだと答える志村さん。
あの黒っぽいごつごつした皮と、目の前の美しいピンク色とのギャップに驚く作者。

桜の花は、木全体が一刻も休むことなく活動して作り上げているもの。
人は限られた視野しか持たない。
花びらのピンク色しか見えない。

桜の花びら一枚一枚が、全然別の色をした大きな木の幹を背負っているように、言葉もささやかな一語一語の中に大きな意味を内包している、と考えることができるのではないか。

というような、比喩を勉強するための教材だったかと。
それこそ、桜の木が根から水を吸うように理解できる子と、百均で売っている作り物の桜の枝みたいな理解できない子がいたもんです。
幹を持たない桜がどんどん増えていくのを想像すると、ちょっと怖い。

アンパンの丸かじり

ぼーっとしてると、すぐ冬眠モードに入ってしまう。
外は雪景色で寒いけど、おいしいものつまみながらコタツでぬくぬくしてます。

洋菓子より和菓子が好き。
年をとると子どもに返るなんて言うけど、小さい頃、生クリームなんて食べたことなくて、母が煮る小豆を楽しみにしていたからでしょうかねえ。
(クリスマスケーキも、生クリームじゃなくてバタークリームだった時代だわよ)

そのわりに、アンパンをここしばらく食べてないなと思う。
和菓子とは言えないし。
食事としてのパンとは違うし。
コンビニのパンコーナーを見ても、地味で目立たないんだよね。


ここで何度も言ってるけど、東海林さだおさんの文章が大好き。
この「丸かじりシリーズ」は特に好き。
34ってことは34冊あるわけだけど、こんな数字になるとネタがなくなってつまらなくなったり、こちらがあきてきてしまうってことがありがちだけど、東海林さだおさんに限っては変わらずおもしろい。
すごいことだよ、ほんと。
こんなアンパンは食べたくならないけど(笑)

食パンは毎日食べてて、ほぼ日で紹介されてるバルミューダの購入を真剣に検討している。
カリッと焼いた厚いトーストに薄くバター塗って、その上に餡子のせて食べると、おいしいんだよ〜。

志の輔旅まくら


落語はまくらが大切。
眠りは枕が大切。
ほんとだよ。

我もまた渚を枕 孤身の浮寝の旅ぞ♪

なんてのもありますが、旅先の枕は悩ましい。
柔らかすぎたり高すぎたり。
寝苦しくて夜中に起きることもしばしば。
今は「お好きな枕が選べます」なんてサービスをするホテルもありますな。

お正月、実家で出してくれたフカフカの羽毛枕。
これが合わなかった。
朝起きたら、猛烈な首の痛み。
借金もないのに首が回らない。

それでも寝違え程度なら2〜3日で治るだろうと思ったら、とんでもない。
一週間たってもちっともよくならず、たまらず整形外科へ。
レントゲン、マッサージ、電気を流したり温めたり、湿布に飲み薬。

「低めの首を支えるような枕がいいんですよ」
と言われ、探した探した。
大きな寝具店やショッピングセンターの枕売り場、色々試して、試しすぎてもう何が何だかわからない。
たくさんありすぎて、選べない…

隣町の友人に「旧道沿いにオーダー枕の店があるよ」と聞いたので、藁にもすがる思いでそこへ。
「まあまあ、大変でしたねえ」
優しそうな奥様が頭や肩を触ってくれる。
店のご主人(枕マイスター)が、グラム単位で詰め物を調節してくれる。
詰め物は藁じゃなて、穴のたくさん空いた大小のビーズだった。

首が支えられて楽、後頭部が安定する、寝返りがうちやすい、マイ枕ができました〜!

P1010216
(チェック♪)

この枕、旅先にも持っていきたいけど、ちょっと荷物になるかな。
…と思ったら、「旅行用に軽いのもお作りできますよ」とのこと。
それなら安心。

人はなぜ恋に破れて北へいくのか

なんででしょうね〜?

先日、友人が津軽に行ってきたと言う。
「なんでこの寒いのに、わざわざもっと寒いとこに行くの?」と訊いたら、「心を癒しに」との答え。


風の音が胸をゆする 泣けとばかりに♪

友人は失恋とはちょっと違ったみたいだけど、気持ち的にとても疲れたことがあってどこかへ行きたいと思ったそうな。
それでしみじみ寂しさが味わえそうな北。
陽気に騒いで誤魔化そうとしても、よけい辛さが増すばかりでイヤだと。

なんかわかる〜。
私も辛い時に南へ行こうってならない。

逆に体が疲れている時は、北より南に行きたいかな。
あったかいものを求めるかも。

気がつけば、まほろば人

まほろばと言えば、
『倭は国のまほろば たたなづく青垣 山隠れる倭しうるはし』
古事記で倭健命の歌が有名。
ここでは奈良のことらしい。

山形にも「まほろばの里」と呼ばれるところがある。
歌人・結城哀草果は、
『置賜は国のまほろば 菜種咲き 若葉茂りて 雪山も見ゆ』
と詠んでいる。

山に囲まれ、実り豊かな自然が共通点だね。


蔵王連峰、吾妻連邦、飯豊連邦、朝日連峰に囲まれた高畠。
私も好きでよく行く。
そのたびに思うのは、空が広いなあということ。
高い山に囲まれているのだから、狭く感じられてもいいようだけど、逆。

takahata

あ、高い建物がないのかも(笑)
人が自然を敬い、調和して暮らす町。

omiyage

ということで、またまた高畠ワイナリーへ行ってきました。
さくらんぼフェアをやってて、おみやげは「さくらんぼタルト」と「さくらんぼサイダー」。
さくらんぼのジェラートも季節限定で出てて、食べてきたのでした。

ついでに帰りに野菜の直売所に寄って、さくらんぼの試食。
売り子さんの「佐藤錦はここに出ているだけで今年は終わりです〜!」の声が響く。
紅秀峰、ナポレオンと出たところで、夏への扉が大きく開け放たれる。

wine

そして、待ち遠しい秋。



高座舌鼓

6月4日が「64」で虫歯予防なら、6月5日は「65」で“むご”“ろくご”?何の日?と思ったら、落語の日でありました。
かなり無理があると思うんだけど、『子ほめ』で御鉢に向かって「御鉢(おはつ)にお目にかかります」なんて洒落があるくらいだから、これくらいはアリなのかな。


落語にはおいしそうな食べ物が出てくる噺があるよね。
『時そば』『うどん屋』『そば清』の麺類。
『蛇含草』の餅。
『明烏』の甘納豆。
『目黒のさんま』のさんまに、『二番煎じ』はシシナベ。

てっきりそういう落語を元にした食べ物エッセイだと思ったら、ただの食いしん坊万歳だった。
まあ『藪入り』の、子供に何を食べさせようかという件くらいは出てくるけど。
それでも、面白い話ばかりだった〜。
おいしいものを好きな人が、おいしそうに語るのを聞いたり読んだりするのは楽しい。

さて、じゃあ6月6日は何の日?
ロールケーキの日。(「ロ」の音と、「6」の形がロールケーキ)
かえるの日。(けろ(6)けろ(6))…く、苦しい(笑)

山形県民にとっては、大事な「さくらんぼの日」であります。

sakuranbo

無限のセカイと有限のワタシ

昨日、娘の持ち帰ったセンター試験の問題を一緒におさらい。
国語が難解だったらしい。
最初の評論で躓いたとのこと。


私もこの本は読んでなくて、初めて試験問題で読んだのだけれど、それほど難しいことは言ってないの。
でも、どう回答していいのか頭がふらつく。
特に最後の設問は8つの選択肢の中から間違っているものを2つ選べというもので、こんな形は過去問になかったと思う。(毎年、センター試験は国語だけやってる)

娘は「最初の評論は早ければ20分、遅くとも25分で終わらせるように勉強してきたつもり」と言ってたけど、結局最後の問題で本文に戻って読みなおしたりしているうちに30分になってしまったそうな。

それであせって、二問目の小池昌代『石を愛でる人』では簡単なところでまさかのミス。
「終わった…」とつぶやく娘。

でも、古文の『夢の通ひ路物語』は源氏物語のパクリ感が面白かったと言い、漢文の『篁墩文集』は猫でテンション上がったと言う。
自己採点ではもうちょっと取りたかったと残念がっていたけれど、私はインフルエンザにかからず良い体調をキープしてセンター試験に臨めたことが何よりうれしいのでした。
ほんと、ヒヤヒヤの一週間でしたよ〜。

それにしてもこの本、あまり売れてなかったみたいだけどこれを機に爆発的に売れるんじゃない?
「センター試験 国語」で検索かけると、上がってくるのはこの一問目のことばかり。
私も読んでみようかなと思ったひとり。(笑)

噛みきれない想い

土曜日、回転寿司に行ったんだけど、大好きなタコの皿に手が伸びなかった。
茶碗蒸しを食べた。
そして、何か噛みきれない想いを抱いて寿司屋を出たのでありました。

…という低俗な私の想いとは次元を別にする、鷲田清一さんのエッセイ。


忙しい時はゆとりが欲しいと思い、暇すぎると退屈と思う自分。
この本の中にあるゆとりについてのエッセイ、『ざわめきのなかの気品』を読んでから、忙しさへの気持ちが少し変わった。
その自由にならなさを愚痴るより、意のままにならないものに対して丁寧であれと。
ゆとりは、息抜きではなく精進のたまものであると。

噛みきれないものがある。
でも、すべてが噛みきれたら、この世はさぞかし味気なかろう。






スローカーブを、もう一球

忙しさが一段落して、録りためていたテレビ番組をぽつぽつ見る時間ができた。

9月12日放送だった、『宮崎美子のすずらん本屋堂』
ゲストの佐々涼子さんが紹介していた本がこれ。

本って、いつも気にして見まわしたり、手に取ったりしていると、本のほうから呼んでくれる。
「ちょっとちょっと、おもしろいから読んでみてよ」
「あの…ワタシなんてどうでしょう?…」
ぐいぐい、あるいはおずおずと。

ちょっとの間、本から遠ざかる生活をしていたら、「さて」と思っても本の声が聞こえない。
そんな時には、人の声に耳を傾ける。


1979年8月16日。
あの伝説の甲子園大会、箕島対星稜の延長18回。
一瞬が勝負を、人生すら変えてしまうことがあると教えてくれた。
淡々とした文章は、その一瞬を鮮やかな光線で彩る。
いいもの読んだ。

野球といえば、今日は子規忌。
『今やかの三つのベースに人満ちて そゞろに胸の打ち騒ぐかな』

装丁

“ほぼ日”で連載されていた『黄昏・東京スカイツリー編』が終わってしまった。
毎回更新を楽しみに読んでいただけに、まだ数日しかたってないのに、なんか寂しくて寂しくて。

糸井重里さんのほうは『今日のダーリン』で毎日更新される日記があるからまだいいんだけど、もうひとりの南伸坊さんが足りない〜。

ということで。


南伸坊さんって、職業何?と思ってた時期もあるんだけど☆\(-_-;)、この本を読む限り「装丁家」なんだね。
シンプルで、インパクトあって、プラスちょっとした遊び心。
以前読んだことのあるあの本この本、言われてみれば思い当たるあたりさわりのあるデザイン。
製作の裏話を聞けば、またその本を手に取って読みかえしてみたくなる。

ちょっとへんなこと。
ちょっとオチャメなこと。
ちょっと笑えるようなこと。

こういう話を糸井重里さんとしたらどんなふうになるんだろうと考えてしまう。
横道に逸れっぱなしで、いつの間にか違う話になってるかも。
それが『黄昏』の楽しさだと思う。

ふたりだからできる話の流れ。
あのふたりだからこそ。
また次の『黄昏』を待ちわびるのであります。

そら いろいろ


見ようとする意識さえあれば見えてきて、なければ何も見えてこないということ。
空の色も、花も、そこらじゅうにあるものも。

namiki

「三年前の桜、咲いてたかどうかわからないの」
と言う人と桜並木を歩いた。
惚けてるわけじゃなくて、私より若くてしっかりしてる人。

三年前も、確かに咲いてた。
桜が満開だというのに、そのまわりは閑散としていた。
みんな色々な思いを抱えて、縮こまるようにじっとしてたり、あわただしく動き回ってたりした。

「今年の桜はきれいね」

そう思えるようになって、何よりです。

羊どろぼう。


言葉をほどいて紡ぎ直す。
名言の羅列ではないところが、とても手がかかっている。

『ただしい』の『だ』の字を『の』にかえて〜
『たたかい』のあたまに『あ』の字をつけてぇ〜

そんな歌が落ちていたという。
拾いたい。

猫のしっぽ


猫のエッセイと、猫の絵。
絵を描いてるのは高田雄太さん…って、イラストレーターの息子さんみたい。
いいなあ。
こういうふうに親子で一緒にできるって。

猫のしっぽの考察。
短くても困らないで生きていける。
なのに長いしっぽの猫がいるのはなぜだろう?

高田さんは、触ると左右に動いておもしろいから、ぼくのおもちゃみたいなものだと言う。
猫にとっては何だろうね。

にくきゅう

前の猫のしっぽは、かぎしっぽで短めだった。
今の子猫のしっぽは、まっすぐで長い。

見ていて思うのは、気持ちがとてもよく出るなあということ。
うれしい、こわい、うるさい、ってわかる。
だから、長いしっぽのほうが人間に気持ちが伝わりやすいと思う。

あれから7×7で、四十九日。
成仏っていうのは、残った人がその死を受け入れて、自分の心の中にちゃんと居場所が作れたことを言うんじゃないかな、と思う今日この頃。
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