2004年04月

2004年04月30日

SANTA缶詰との遭遇〜その2〜

SANTA缶詰の現在の製造元、二幸のサイトを見ると、SANTAブランドの缶詰はカレー、ふかひれスープ、カンパンなど。ロールキャベツやハンバーグ(今見当たらないが確かどこかに書いていた気がする)はもうないのかな・・・

と思っていたら、意外な場所で発見。
売り物じゃないけど。


それは、南極観測船「宗谷」の食糧庫。


他の人と一緒だったのでじっくり見ることも叶わず、一応写真を撮ったものの、扉のガラス越しなのでうまく撮れず。とりあえず「もち」の缶詰があったのを覚えている。あと、ロールキャベツもあった。

宗谷号は「永久保存展示」らしいので、お台場にお越しの際はSANTA缶詰見物もご一緒に。

chiwami403 at 23:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0)森茉莉 

2004年04月27日

SANTA缶詰との遭遇〜その1〜

「森茉莉喫茶 贅沢貧乏」でカレー缶詰の森茉莉風アレンジがメニューにありました。これはちくま文庫『貧乏サヴァラン』の203頁に詳しい作り方が出ています。

森茉莉喫茶の店長さんはご丁寧に森茉莉と同じSANTAの缶詰を使用(その細かいこだわりが好きだ)。

SANNTAの缶詰を検索してみると、現在は三越の子会社二幸で製造しているようで、レトルトカレーなどもあるようです(その評判

で、ここからが本題。
最近、母親が若いころ買った昭和43年発行の料理雑誌『婦人倶楽部 きょうのおかず』をめくっていたところ、SANTA缶詰の広告が載っていたのでした。ほほー、そーかそーかこれがSANTA缶詰なのかあ。
キャッチコピーは

旅行から帰ったときのママ 大変でした
<<サンタ>>を知るまでは……
ちょっと あたためるだけ おいしいサンタ


広告見ると当時は関東缶詰食品株式会社の製造。
写真はカレーとハンバーグステーキの缶詰だけど
「●洋風・中華・弁当など数十種類が揃っています」
という一文に妄想がかきたてられるので、あった。

それにしても35年前の料理雑誌、カラー写真の料理が不味そうです。
SANTA缶詰広告SANTA缶詰拡大

chiwami403 at 22:49|PermalinkComments(2)TrackBack(0)森茉莉 

2004年04月25日

ゴールデン街の「森茉莉喫茶 贅沢貧乏」探訪記

新宿ゴールデン街で一日だけ森茉莉喫茶をやる店があると聞いて行ってきました。
その無銘喫茶という店は、たくさんの一日店長がかわるがわる営業しているようで、森茉莉喫茶は数ヶ月ごとに開催で今回3回目だそうで、白エプロンの女性二人が店長さんです。
普段は普通の飲み屋で、8人くらい入ればいっぱいのカウンターだけの店なので、インテリアなどいかにも森茉莉らしい雰囲気ではありませんが、森茉莉お馴染みのメニューが取り揃えてありました。店長さんエライ。

メニューは
・紅茶(リプトンの缶持参で芸が細かい)
・煎茶(可能な限り水出し)
・コカコーラ(檸檬と蜂蜜入り)
・ジンライム
・葡萄酒
・ビスケットセット
・饅頭茶漬け
・筍御飯(卵のお吸い物付き)
・缶詰のカレー(SANTAの缶詰に茉莉風工夫で)

キッチンの設備もあまりなく狭いのに、頑張るなあと感心しました。
私が頼んだのは葬式饅頭。うすいお汁粉のような味でした。本当はカレーも食べてみたかったです。
店長さんと森茉莉話をして、帰りにはメニューも頂いて帰ってきました(前回出したというメニューもかわいかった)。またやってほしいな。
次回の新メニューに、『甘い蜜の部屋』後記にあるチョコレートのお菓子はどうだろう。コショウを入れたトマトジュウスとか。饅頭茶漬@森茉莉喫茶

chiwami403 at 21:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0)森茉莉 

2004年04月23日

月刊日本橋からの転載(日本銀行)

(平成14年3月号掲載)

 建築のことは全くの素人なのに、戦前からある西洋風の建物が好きで、なんでそんなに気になるのか自分でも不明。日本橋にも日本銀行、三越、高島屋、三井本館、三菱倉庫、野村證券などけっこう近代建築があります。
 特に、日本銀行は金融関係のニュースで本館の映像が出るたびに「いいなあ、中を見てみたいなあ」と思ってたのですが、日本銀行に申し込みをすれば内部を見学できるのですよ。私も行ってきました。有休とって。
 江戸の金座跡に建てられた日本銀行は明治29年(1896年)築で、設計は後に東京駅などを手がけた辰野金吾。ベルギー銀行を参考にし、ルネッサンス様式にバロック的手法を加えた大建築、と解説されています(このへん本の受け売り)。明治36年(1903年)生まれの作家森茉莉が幼いころ日本銀行へ連れて行かれたときの思い出を以下引用。
「母はまず日本銀行で用事を済ませて、そこからは歩いて三越へ行ったが、日本銀行は法廷のように厳然として建っていて、中に入ると高い天井の電燈が、厳しいような光を放っていた。革製の長椅子も、役所の椅子のようである。」
 森茉莉が見たのはたぶん本館の旧営業場で、当時は西洋建築が珍しかったから印象に残ったのではないかしら(今は別の意味で珍しい)。この旧営業場は昭和48年まで現役で使われていたというのがすごい。小学校の社会見学気分で、本館にある歴代総裁の肖像画を見たり、新館にある現在の営業場に行ったりできるので、一度は日銀に行ってみるべし。
 日本銀行お隣の三井本館も堂々たる近代建築で、こちらは昭和4年(1929年)築。1階の三井住友銀行は「ここは本当に日本かしら」というスケールの大きさで一見の価値あり。(後略)
 ※日本銀行の見学は情報サービス局広報課(電話:03−3277−2815)まで申し込みを。

追記:日本銀行を設計した辰野金吾は、あの辰野隆の父です。

追記:しげさんが「用事を済ませて」とありますが、現在の日銀では当然個人向けの営業はしていません。戦前には例外があったと森鴎外関係の本で見た気がします(うろ覚え)。


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2004年04月21日

月刊日本橋からの転載(森茉莉と日本橋倶楽部)

(平成14年2月号掲載)

 森鴎外の長女で作家の森茉莉が生まれたのは今から100年くらい前なので、森茉莉の幼い頃の思い出話は「人力車に乗って勧工場に行った」とか、かなーりレトロな雰囲気が漂っています。
 三島由紀夫が「官能的傑作」と評した森茉莉の長編小説『甘い蜜の部屋』には、なんと大正時代の日本橋倶楽部のエピソードが出てくるのです。悪魔的な美少女モイラとその父親の深い愛情、そしてモイラに魅せられた男達を描いた小説で、以下そのエピソードをちょっと長いけど一部引用。
「林作はその日、日本橋倶楽部にいて、ふとモイラの幼い姿を目に思い浮かべていた。その家には広間から別の広間に通ずる二間ほどの廊下があり、そこの真ん中に、亀戸天神の境内にある太鼓橋のように高く急な勾配になったところがある。遠い昔、林作はモイラにその上を渡らせて喜ぶ顔を見ようと、予約をしておいて、モイラを倶楽部に伴れて行った。」
 この後、頭に白いリボンをつけ友禅の着物を着たモイラが父親に手を引かれて太鼓橋を渡る描写が続くのだけれど、それよりも私は昔の日本橋倶楽部が気になる。太鼓橋あったのかな? なんか風流でようござんすね。 
 日本橋倶楽部はクラブといってもママがいたり踊ったりするところではなく、明治23年に日本橋の有力商人を中心にして結成された、由緒有る社交クラブなのであります。月刊日本橋の会員店にもなっている! 日本橋倶楽部の百周年記念誌をみると、明治24年に完成した日本橋公会堂が明治39年に日本橋倶楽部に払い下げられたという記述があって、写真を見ると西洋館と日本家屋がセットになってます。
 森茉莉が訪れていたとすればたぶんこの建物でありましょう。当時の日本橋倶楽部は浜町公園北側の浜町1丁目にあって(現在は室町1丁目に移転)、昔の地図を見ると敷地もだいぶ広そうなんで、写真の日本家屋に太鼓橋があってもおかしくないんじゃないかなあ、ということにしておきます。

chiwami403 at 21:37|PermalinkComments(2)TrackBack(0)森茉莉 

2004年04月20日

月刊日本橋からの転載(はいばらの絵草子)

(平成14年1月号掲載)

 11月号で紹介した「丸善商店」という文章で森茉莉は、「私たちの国日本が、明治期からもっていた、秀れたデザインを持つ商品」の例に日本橋丸善、銀座資生堂、はいばらの商品を挙げ、それに比べて戦後の日本は数多くの美しいものを失ってしまったと嘆いています。そういうわけで今月は、丸善や資生堂と並んで森茉莉が太鼓判を押したはいばらについて。
 永代通りにある和紙の専門店はいばらは、創業文化3年(1806年)。私は便箋や絵葉書などを買う程度ですが、和紙製品全般が揃っています。ショーケースに入った水引が美しくてついうっとりと見惚れてしまうんだけれども、別に買うわけでもないのでケースにべったり張り付いて見るわけにもいかないのがつらい。
 森茉莉は、父親の鴎外のもとに出入りしていた与謝野晶子から京都土産に絵草子をもらったことがあって、それと似たものをはいばらで買っています。絵草子というのは、はいばらの奥の方においてあるような、色とりどりの千代紙のことではないかと思われます。「十七になって結婚した時、私は「はい原」で、それに近い大判の絵草紙を買って、大きな用箪笥に入れて行った。白に薄紫の矢絣が出ていてそこへこぼれ梅が散ったものと、青磁色へ、雪輪模様の紅入り友禅のものだった。」何十年も前に森茉莉がはいばらで買い物をしたと思うだけで、日本橋好きな森茉莉ファンはそれだけで嬉しくなってしまうのであった。
 『日本橋の逸品』でははいばらの金封(熨斗袋のことです)が紹介されているんだけど、木版の手刷りですんごく素敵なんですよ、これが。熟練した職人さんが細かい手作業をしているんだろうなと、写真見てるだけでしみじみといとおしく感じられるのです。小さいものを買って2歳の甥にお年玉をあげようかな。お年玉は口実で単に熨斗袋を買ってみたいだけなんだけどさ。もういっそのこと観賞用に買ってしまおうかしら〜。熨斗袋を眺めているだけで癒される女……ていうのもヘンだが。

chiwami403 at 20:06|PermalinkComments(0)TrackBack(0)森茉莉 

2004年04月19日

月刊日本橋からの転載(丸善書店−丸善ベ−ラム)

(平成13年12月号掲載)

 森茉莉の文章に、その名も「丸善書店」というのがありまして(新潮文庫『私の美の世界』所収)、戦前の知識階級と丸善の間には「たしかに奥行きのある、深い、密接な関係」があり、「(丸善好み)という、一種の日本近代の生み出した趣味が存在」したというようなことが書いてあります。
 1869年(明治2年)創業の丸善は洋書で有名ですが「丸善書店」で森茉莉は、丸善で外国の書物を買うような学者の持ち物や家の様子をこと細かに描写しています。その中に出てくる「丸善ベエラム」とは何ぞやというのが、私の長年の疑問でありました。ベエラムという響きがなんか

   妖 怪 人 間 ベ ム ベ ラ ベ ロ 

みたいなんだけど、丸善の売場を探してもそれらしきものは見つからないんです。
 森茉莉の他のエッセイでは「日常用には戦前から丸善のベエラムを使っているが、品のいい香いの実用香水で、壜もラベルの月桂樹のデザインも、好きである」とあるのだけど、丸善のホームページにある年表では、1897年(明治30年)に「男性用整髪剤『ベーラム』製造・販売」って出てるし、だいたい整髪材(しかも男性用)って香水になるのか? ちなみに普通は「ベーラム」らしいんですが「ベエラム」という表記は森茉莉独特。
 そしてついに『學燈』編集部で保存している「丸善ベエラム」を見せていただいたのでした。創業者の早矢仕有的は医者だったので昔の丸善には薬局があり、このベーラムは取扱い化粧品の中でも主力商品だったとのこと(現在は販売していません)。
 『學燈』の明治44年の8月号に掲載の広告「ベーラム(毛髪用香水)」を見ると、「ベーラムは一名をふけ取り香水と申して、(中略)頭皮清潔にして逆上眩暈を覚えず、これに加え、毛髪を艶ならしめ、脱毛を防ぎ、清芳馥郁たり」とあります。ベーラムというのは頭髪に光沢と栄養を与える養毛剤なんだそうです。うーむ、なんか髪にとてもよろしそう。
 疑問が解決したのはいいけど、この「丸善ベエラム」の壜、どうにかしてゲットできないかなあ

追記1:このときベエラムの壜写真を掲載したのですがこちらでも写真掲載できるようにしたいと思っています。

追記2「灰色地に濃灰色の斜格子の便箋」は今はないようですが、オリジナルの便箋が数種類あります。

追記3:丸善といえば本ですが、ハヤシライスも有名で屋上のレストランや贈答用のハヤシライス缶詰(美味)もあります。

追記4:どなたか、ベエラムの壜お持ちの方がいたら&お見かけの方がいましたら譲って下さいませ(本気)。

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2004年04月18日

月刊日本橋からの転載(離婚後、日本橋を遊び歩く森茉莉)

(平成13年11月号掲載)

 現在の三越の建物は1927年(昭和2年)に建てられたものである。その年、森茉莉は離婚して千駄木の実家に戻っていた。最愛の父鴎外に比べればどんな男も霞んで見えたのであろう。それに森茉莉は「食料品の店に行くといふ口実で日本橋へ行き、三越の中を歩いた」というすごい奥さんぶりであった。
 離婚後はぶらぶら歩きに拍車がかかり、「二つの箪笥を、三越、白木屋、高島屋と買い歩いた着物、羽織、帯で一杯にして」それを代わる代わる着ては遊び歩いていた。鴎外はもう亡くなっていたが、鴎外全集の印税でお金には困らなかったらしい。
 詩人白石かずこ宛ての手紙にも当時のことを書いている。「莫迦な道楽息子のような感じで芝居、映画を見歩き、三越の食堂で特大のトンカツをとり、チョコレートアイスクリームをとり、帰りに三越の前の横丁にあった三共薬局で店の半分がソーダファウンテンになっているところに入り、チョコレート曹達を飲み、という莫迦気た生活でした」
 やたらと浮かれまくっていた森茉莉であるが、ここで気になるのが「三共薬局のソーダファウンテン」である。1899年(明治32年)創業の三共は、現在も日本橋本町にあり、胃腸薬とか新ルルAとかでお馴染みの製薬会社。去年発行の社史『三共百年史』を見ると「ソーダファウンテンを兼営するアメリカの薬局方式を導入したもので、東京はもとよりわが国でも最初のものであった。高級コーヒーも原価そこそこで提供し、メニューも目新
しいものばかりであったので好評を博した」という記述がある。チョコレートソーダというのはどんな味なのか見当もつかないけど、きっと三共のソーダファウンテンは当時最もオシャレな場所として評判だったのであろう。現在の第一勧業銀行日本橋支店のあたりにあったらしいです。もうソーダファウンテンはなくなってしまったけれど、薬局「三共ファーマシー」が今でも日本橋本町にあります。森茉莉の真似をして、三越のレストラン「ランドマーク」でトンカツ→喫茶店「木屋」でクリームソーダまたは「ミカドコーヒー」でモカフロートというのをやってみようかしら。

追記1:白木屋は日本橋1丁目にあったデパート(創業1662年の元呉服屋)で、その後昭和40年代に東急百貨店となり、1999年閉店。今年3月にCOREDO日本橋オープン。

追記2:掲載時はまだ「第一勧業銀行」があったのか・・・現在は「みずほ銀行」だけど支店は今でもあるんかな、すみません確かめてません。

追記3:掲載誌には三共株式会社からのご提供で丸の内のソーダファウンテンの写真が掲載されました。

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「森茉莉と三越」補足

三越日本橋本店のサイトで「みつこし大辞典」を見ると

店頭のライオンは、鉄ではなく青銅製。ロンドントラファルガー広場のライオン像を模した。足から尾まで269cm、頭までの高さが120cm。1914年(大正3年)に設置。

パイプオルガンが設置されたのは1930年(昭和5年)で森茉莉が2度目の結婚をした27歳のとき。アメリカのウェルリッツァー社による劇場パイプオルガンで、演奏時間は10時、12時、15時。

三越の下足預かり制が廃止されたのは関東大震災後。

三越の食堂部開設は1907年(明治40年)。
当時のメニュー(お食事50銭、寿司15銭、西洋菓子10銭、和菓子5銭)

広報誌『三越』発刊は明治44年。表紙絵は三越図案部主任杉浦非水によるもの。「みつこしミュージアム」のサイトを見ると、杉浦非水の『三越』表紙や、ポスターが見られます。

参考文献:『三越のあゆみ』(昭和29年)、『株式会社三越 85年の記録』(平成2年)※非売品ですが、中央区の郷土資料館などで閲覧できると思います。

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2004年04月16日

月刊日本橋からの転載(森茉莉と三越)

(平成13年10月号掲載)

 森鴎外の娘である森茉莉が見た、昔の日本橋のことをいちいち調べるのがマイブームになっております。森家ではデパートといえば三越だったらしく、娘の着物を買うのも(選ぶのは鴎外の役目)、おせちの黒豆やかまぼこを買うのも三越。森茉莉は三越での思い出をこんな風に語っている。
 「鉄(?)のライオンに一寸触ってから中へ入り、正面の、巴里の教会にあるのより巨大なパイプオルガンの音につれて、宝の山のような売店の間を歩く楽しさ。大正中期からは靴の上から男の人は紺、女の人は臙脂に、白い筋の入ったカヴァーを履くようになったが、それまでは印半纏の下足番の男がいて履物を脱ぎ、足袋はだしで綺麗な畳の上を歩いたが、夢のような楽しさだった。(ドッキリチャンネル)」
 うーむ古き良き東京って感じでいいですなあ。他にも食堂で松茸弁当やアイスクリームをたいらげたとか、広報誌『三越』を参考におままごとをしたとか、三越の美容室で髪に鏝をあててウェエヴを出したとか嬉々として書いています。2回目の結婚で仙台に行ったときも「仙台には銀座も三越もない」と不満を言ったのだそうな。
 1673年創業の三越(最初は越後屋だった)が日本初のデパートメントストア宣言をしたのは1904年のこと。お馴染みのライオン像が入り口に設置されたのが1914年、この年に「スエズ運河以東最大の建築」と称されたルネサンス式の新館が落成している。「今日は帝劇明日は三越」という名コピーもこの頃。
 最近はどこのデパートも「若い女向け」になってしまって、確かに服も化粧品も揃っていて便利だけど、なんというかデパートという感じがしないのですよねえ。その点三越はデパートの貫禄ばっちりで、落ち着いた雰囲気が素敵だー。お中元もお歳暮も三越の包装紙だとありがたみ倍増だし、よそのデパートで隅に追いやられがちな紳士服売場や呉服売場が広々としてるのも頼もしい。家が遠いのでそう頻繁に行けないのが残念ですが、私のひそかなお気に入りは2階にあるトイレで、ローラアシュレイの壁紙が貼ってあってかわいいのですよ。

追記:銀座線三越駅から三越の地下1階へはすぐ行けるけれども、三越へお越しの際は一度地上に出て正面入口から森茉莉風にどうぞ。

ちなみに「ライオンの上にのぼって、これにまたがって、しかもそれを人に見られなければ落第しない」という迷信があったそうです(『日本橋私記』池田弥三郎)。

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