2004年05月

2004年05月31日

晩年の森茉莉との遭遇記

といっても私が遭遇したわけではない。
Googleで検索してて偶然発見したものです。

ホッと一息の樹(記) という日記サイトの「有名人の第一印象」に、
管理人の奥様が森茉莉に会ったときの話が出てます。

管理人さんに問い合わせたところ、
何年かまでは覚えていないが、1980年代前半の出来事で、
出版社での出版パーティーに出席するため、森茉莉が応接室で待っていたところ
管理人の奥様が対応された、とのことです。

1980年代前半というと、森茉莉70代後半〜80代前半か。
他の有名人さんに比べると、森茉莉は大人な対応。
きっと管理人奥様は、森茉莉をバカにしたような態度を
取らなかったのであろう、と想像。

ところでこの日記サイト、管理人さんが奥様と結婚されるまでの
管理人さんの健気っぷり、奥様の強気っぷりがなかなか素敵。

chiwami403 at 21:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 森茉莉 

2004年05月29日

Googleで矢田部達郎と検索すると

ヤタベ氏が初代助教授を勤めた九州大学の心理学科ではなく
「森茉莉浪漫館」の「茉莉が愛した男」が一番上に表示されます。
これを見たとき、私はなんか嬉しく思いました。

前出の心理学者事典に掲載された、ヤタベ氏の経歴を一部だけ。

1893年 東京生まれ
1918年 東京帝国大学文科大学哲学科心理学専修卒
1920年 東京帝国大学大学院卒後、仏独に留学
1924年 帰国後、静岡高等学校講師、後に教授
1926年 九州帝国大学法文学部助教授
1944年 京都帝国大学文学部(心理学講座)教授
1956年 京都大学を定年退職
1958年 膵臓がんのため死去

森茉莉の言う「追放」って1926年の九州行きのことでしょうか。
でも九州とはいえ帝国大学だし、後に京都大学に返り咲いてますな。

(追記)Googleの検索順位はその時どきによって変わるので1番上でない時もあります。

chiwami403 at 22:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 森茉莉 

矢田部氏色男説の危機

「驚愕のY」を書いたサイト管理人さんに
掲示板でリンク許可を求めたところ、

引用した「心理学評論」という学術雑誌には、
矢田部の写真も載ってました。
「あの時代の、立派な人」という風貌で、
どこかジャン・クロード・ブリアリなんだか
よくわかりませんでした。


とお返事があって「な、なんだってー?」状態ですよもう。
他の日記サイトでも、若い頃はかっこよかったのかってコメントあったし。
で、図書館で心理学者事典なるものを見て参りました。


確かに…………………微妙。


白黒だからよく分からないのもあるけど、
確かに「あの時代の、立派な人」っぽい。
昭和天皇のような丸メガネをかけておいでです。
若い頃の写真求ム。

chiwami403 at 22:15|PermalinkComments(3)TrackBack(0) 森茉莉 

ヤタベ氏の知られざる一面

森茉莉が希代の色男と褒めた矢田部達郎。
山田珠樹や辰野隆の仲間から追放されて、
悲運のうちに亡くなった……のではなかった。

心理学の世界では有名人。
しかも知らないうちにお世話になった確率は高い。

こちらの文章をご参照ください → 「驚愕のY」

Y-G性格検査といって、ギルフォードさんが開発した
性格検査を、日本人用に改訂したのがヤタベ氏なので、あった。
Y-GのYはヤタベのY。学生用もあるし就職試験でも使われる模様。

心理学やってる人が森茉莉を読んでヤタベ氏の名前を見ると
かなり驚きなようですが、(他の日記サイトにも同じ話題があった)
心理学に疎い私も「ヤタベさん、あなたそんなところで…」と驚き。
なんといっても、このギャップがたまりませぬ。


真夜中は別の顔〈上〉

chiwami403 at 21:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 森茉莉 

2004年05月27日

森茉莉のピアノ教師(になるはずだった人)

しつこいけど、『明治東京畸人傳』の続き。

森茉莉がピアノのレッスンを受けたことのある
久野久についての章もあります。
中村紘子の『ピアニストという蛮族がいる』に
森茉莉と久野久のことが書いてあるらしい。

ので、ブックオフで立ち読みしてきました。
当時のピアノ教育や、演奏会の事情などの説明と
ドッキリチャンネルからの引用あり(斜め読みですが)。

森茉莉のピアノのお稽古のことは、
『マリアの気紛れ書き』の26章にもあります。

chiwami403 at 21:50|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 森茉莉 

2004年05月25日

物集家という商売があるのかと思っていた

『父の帽子』収録の「幼い日々」の最初のほうに
(講談社学芸文庫だと15頁最後の部分)

家の北側は、海津質店、物集家(もずめけ)、生薬屋等が左から

という件がありますが、
物集家(もずめけ)というのは、何かよく分からないけど
そういう職業か商売があるんだと勝手に思い込んでいました。
そしたら前出の『明治東京畸人傳』の中に

団子坂の先生・物集高量の大往生

という章を発見し、どうやら物集という名前の人
らしいことが判明しました。
文章中に「団子坂上森鴎外邸隣の小宅に移り」
とあるので、「幼い日々」の

物集家との堺(ママ)には大きな無花果の樹があり、

という記述とも辻褄があいます。

物集高量(もずめたかかず)は明治12年生まれで
昭和60年没。106歳まで生きたって長生きですね。
父高見は東京帝国大学教授で国語学者。
高量さんは国文学者で父親の仕事も手伝ったようですが、
なんちゅーか・・・変わったお人のようです。

団子坂は変人養成の地、かもしれない(只今実績2名)。

chiwami403 at 22:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 森茉莉 

2004年05月23日

十三や

池之端というと、不忍池のすぐ側に
下町風俗資料館があります。
昔の長屋や商店が再現され、生活用具などを展示。

それから、取り壊す前の十三や店舗の看板と、
私が持っている櫛。剛毛も多少は落ち着きます。

十三や看板
十三や櫛

chiwami403 at 15:57|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 脱線 

つまり、守田宝丹にも

つまり、守田宝丹にも、十三屋にも、揚出しにも、蓮国庵にも近い。

と『記憶の絵』の「谷中清水町の家」で書かれている池之端の老舗。
池之端仲町通りの地図とお店を詳しく紹介しているサイトはこちら

以下は私が見たり調べたりしたこと。

守田宝丹 
延宝8年(1680年)創業の薬屋、守田治兵衛商店のことで
胃のもたれや二日酔いに効く宝丹は、明治期に有名になった。

宝丹を有名にした九代目守田治兵衛については
薬の宣伝を工夫したとか、明治になってもチョンマゲだったとか
森まゆみの明治東京畸人傳に詳しく出てます。

お隣の堺屋酒店はスクラッチタイルのレトロな建物です。

十三や
つげ櫛の老舗で、元文元年(1736)創業。
つげの櫛は髪に良いとネットで評判だったのと、
伝統工芸品の職人な雰囲気が好きなので買いに行きました。
ショーケースのすぐ向こう側でご主人が櫛を作っているのが
見られます。うんちくも聞かせてもらえます。

13センチの漉き櫛は7500円位、7.5センチの携帯用は2700円位、
携帯用ケースはおかみさんの手作りで500円でした。

昭和初期築の建物は取り壊されて(残念)建て替えてるので
現在は仮店舗で営業中(2004年4月現在)。
看板の櫛と「十三や」の文字が好きだったのですが、
これも古くなってぼろぼろになったので
新しいものに替えるそうです。

揚げ出し
現在もう店はなくなってしまったようだけど
小堀杏奴の『晩年の父』にも名前が出ています。
「揚げ出し」っていう店の名前なのか?

蓮国庵 
正しくは蓮「玉」庵。パッパ鴎外の作品にも登場しているらしい。
この前お店を見にいったら、看板の板の大きさのわりに
字が妙に小さすぎないか、と思いました。

森茉莉の作品には出てこないけど、
小堀杏奴の『晩年の父』には池之端の伊豆栄の名前が出てきます。
こちらも江戸時代からの老舗。
私が食べに行って頼んだのは一番安い鰻重(1575円)でした。


明治東京畸人伝


chiwami403 at 14:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 森茉莉 

2004年05月22日

台東区ゆかりの文学者

5月16日の書き込みで

作家の円地文子も谷中清水町に住んでいて、
谷中清水町から池之端に町名が変わったことについて文章を書いています。


と書いたのは、グーグルで「谷中清水町」を検索して見つかった
「大人の遠足  谷中、根津、千駄木、入谷、上野公園編」を参照してます。
谷中清水町周辺を詳しくガイドしています。

それから、どなたか人形作家の方も谷中清水町一番地でお生まれと
どこかで見た気がするのだが、そのサイトをブックマークしとくの忘れた

「台東区ゆかりの文学者」
を見ると、(区のホームページかと思ったらそうではなく、
個人で作成されているようです)、パッパ鴎外も、
吉本ばななも出ているが森茉莉の名前がないのは、
やはり一般的にはあまり有名でないからだろうか。
谷中清水町はともかく、浅草は森茉莉が第二の故郷と
思うほどの街で、「街の故郷」などの文章もあるから、
森茉莉は台東区ゆかりの文学者であると私は思ってます。

chiwami403 at 22:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 森茉莉 

2004年05月21日

「谷中清水町の家」を探す(続編)

森茉莉が新婚時代を過ごした「谷中清水町の家」探し実践編。

スタート地点は谷中桜木の旧吉田屋酒店から。
昔の大福帳やサイダーの瓶など展示してあります。
周辺にはレトロな喫茶店カヤバコーヒー(電動の古いカキ氷機がある)、
銭湯の建物をギャラリーにしたスカイザバスハウス
謎のデザートの店「愛玉子」などがあります。

旧吉田屋酒店から国立博物館方面に向かい、
芸大前を右折、上野高校の角を左折すると清水坂。

だらだらと長い清水坂を下りきったあたり一帯が
池之端4丁目(谷中清水町)です。池之端4丁目1番地には
ツタの絡まった古い倉庫のようなものが。でも番地プレートはなし。

森茉莉の言う通り、道を挟んで向こうは上野動物園だけど住宅街でひっそりとしています。歩いてる人もあまりいない。
番地プレートがないかと周辺をうろうろしてたら、発見。

前の記事のリンク先の写真と同じものでした。隣に表札があるのでああいう風にカットされてた模様。実物はかなり小さめ。

このプレートの家の人に話を聞いてみたところ、
・昔の住所は谷中清水町1番地で、プレートはずっとこの家のもの。
・谷中清水町1番地はこの家だけでなく、何軒かあった。
・森茉莉のことは知らない(当たり前か)。

プレート発見にすっかり満足して、不忍池方面に向かう。
途中には忍旅館だったという洋風の建物、パッパ鴎外の旧宅が保存されている「水月ホテル鴎外荘」、さらにその先の左手には、森茉莉が百日咳に罹ったとき「にゅうとねい」を
注文した洋食の老舗、精養軒があります。

(清水坂の下にある倉庫のような建物)
清水坂の倉庫(?)

(谷中清水町一番地のプレート)
谷中清水町一番地

chiwami403 at 22:48|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 森茉莉