2004年06月

2004年06月28日

古本酒場コクテイルの森茉莉料理

高円寺の古本酒場コクテイルという店で
期間限定で森茉莉の料理を出すというのを、
ル・ペニュワールの掲示板で見まして
ふと思い立って行ってまいりました。

古本屋と飲み屋さんが一緒になったお店で、
店内はちょっと和風にレトロな雰囲気が漂っています。
古本を眺めながら飲み食いするのは良いなあと思いました。

このお店では「文士料理」というのをやっていて
作家が作った料理、好きな料理をアレンジしたものを
期間を決めて出していて、丁度今が森茉莉の料理だったわけです。
もちろん、それ以外の普通のメニューもあって、
店全体が森茉莉ワールドなわけではありません(当たり前か)。
7月はじめごろまでやっているとのことでした。

文士料理・森茉莉編は
●牛肉とキャベツの煮物 580円
●ロシアサラダ 580円
●焼き味噌 380円
●パセリのオムレツ 450円
●さやえんどうの淡味煮 380円
●馬鈴薯スープ 380円

写真は牛肉とキャベツの煮物です。これだと肉ばかりの
ようですが、肉のむこうがわにキャベツがちゃんとあります。
写真下手ですみませんね、ええ。
阪急の森茉莉本ではスープのようでしたが、こちらは
ザワー・クラウトも一緒に煮込んであって、マスタードも
ついてきて、ビールのお供に非常によろしい。

私は読んだことないので知らないんですが、
「もし僕らのことばがウイスキーであったなら」(村上春樹)
に出てきたアイラ・モルトウイスキー全7種類を出す、
というのも同時開催してました。

コクテイル酒場

chiwami403 at 23:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0)森茉莉 

2004年06月27日

もっと脱線・宮本百合子

地域雑誌「谷中・根津・千駄木」 74号(2003年10月)に
「白くふわふわしたもの パンまたは麺包あるいはブレッド / 宮本百合子 」
という特集で宮本百合子を取り上げています。経歴だけ見ると怖そう
なんだけどリンク先見るとそうではないようです。

プロレタリア文学はよくわからないけど、
十八番料理集 は私みたいのでも読めます。
ついでに宮本百合子でも森茉莉でもないけど
太宰の「女生徒」を久々に読んだ。なつかしい。

宮本百合子の父中條精一郎は、札幌農学校などを
設計した建築家で、明治41年には曽禰達蔵とともに
戦前の日本で最大、最良の設計組織と評された
曽禰中條建築事務所を設立しています。
この事務所が設計した小笠原伯爵邸は現在レストランになっていて
食事は高いが、お茶だけなら安い(建物は外部しか見せて貰えないけど)。
あと、慶応大学のシンボルになっているユニコーン像を
設置したのは中條ではないか、という話にへーと思いました。

(小笠原伯爵邸の装飾)小笠原伯爵邸

chiwami403 at 11:54|PermalinkComments(0)TrackBack(0)脱線 

2004年06月26日

脱線・宮本百合子

プロレタリア作家であること以外宮本百合子を
知らなかったので、検索して調べたこと及び脱線。

森茉莉より4歳年上の1899年生まれ。
父は建築家、中條精一郎。
1916年に『貧しき人々の群』を「中央公論」に発表(まだ17歳)。
1918年に渡米、翌年結婚するが1924年に離婚し、その後『伸子』執筆。
1927年にロシア文学者湯浅芳子とソ連を訪れる。
1930年に帰国、翌年プロレタリア作家同盟に加入。
1932年宮本顕治と結婚。翌年、顕治がスパイ容疑で検挙、投獄される。
敗戦まで投獄・執筆禁止などをくりかえしながら作家活動に励む。
戦後も社会運動・執筆活動へ精力的に取り組む。1951年死去。

宮本百合子が森茉莉のことを書いた1938年は
戦時下の弾圧まっただなかと思われます。
森茉莉とは全然違うけど、人間らしく生きたいと離婚した人だし
出戻りの森茉莉を冷たい目で見るような人ではない気がしました。
森茉莉の作家デビューを見ずに亡くなったのは残念ですが。

千駄木に宮本百合子旧居跡があり、昔からの塀が残ってます。
住所は千駄木5の21で観潮楼と近いからわりとご近所さん?
文学散歩・東京探見 本郷谷中根津 に旧居画像が出ています(一番下)。
※観潮楼も出てますが、パッパ鴎外が奉納した砲台のある
 根津神社も気になります。

東京都文京区千駄木5-21

chiwami403 at 16:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0)脱線 

2004年06月24日

宮本百合子の見た森茉莉

私は利用したことなかったのですが、
青空文庫に置いてある宮本百合子の文章。

歴史の落穂 ――鴎外・漱石・荷風の婦人観にふれて――
初出は「国文学解釈と鑑賞」1938(昭和13)年1月号。

おさげに白いリボン、振袖に首飾りの幼い森茉莉の
写真が雑誌に出ていたことや、離婚後の森茉莉について
杏奴や類など家族でない人の視点から書かれているのが
興味深いと思いました。

昭和13年というと、森茉莉35歳。
昭和2年に山田珠樹と離婚、昭和6年に二人目の夫と離婚。
その後は森茉莉のいわゆる「暗黒時代」というやつで、
翻訳や演劇評を書いてはいたものの、杏奴の『晩年の父』が評判を呼び、
それに比べて鳴かず飛ばず、第二の故郷浅草もまだ発見できず、
の時期と思われます。

ちなみに、この文章の2年前に発表された
鴎外・漱石・藤村など ――「父上様」をめぐって――

(「読売新聞」1936(昭和11)年10月11、14、15日号)
※引用先のサイトでは昭和9年となっているけど、たぶん11年。

を見ると、「鴎外の子供は、皆文筆的に才能がある。」と言いながらも
森茉莉については息子が洋風の名前、ということしか書いてなくて
カヤの外というかおミソ扱いなので、あった。

chiwami403 at 23:32|PermalinkComments(0)TrackBack(0)森茉莉 

2004年06月18日

森眞章の娘さんによる森茉莉エッセイ?

Web版「正論」・Seironの「まほろばの末裔」より。
森美奈子氏は森眞章(マックス)の長女。


(曾祖父)   鴎外(森茉莉の父)
         |
(祖父)    於菟(森茉莉の異母兄)
         |
(美奈子氏父)眞章(森茉莉の甥)
         |
       美奈子氏


由緒ある家のお生まれって大変なのだなあ。
注目はリンク先の最後、森美奈子氏のプロフィール。

 山陰中央新報、越後タイムスなどに
 『森茉莉』に関するエッセイを執筆した。


全集が手元にないのでうろ覚えですが、
確か森眞章と森茉莉は一緒に暮らした時期があり仲が良く
森茉莉全集の月報にも思い出を寄せていたと思います。
勝手な想像だけど父上のマクちゃんから聞いた森茉莉の話を
書いているのかな。それとも交流あったのかな。

見てみたいなあ、今度調べてみよう。
今度っていつか分からんけど。

chiwami403 at 17:22|PermalinkComments(0)TrackBack(0)森茉莉 

2004年06月17日

『主婦の旅ぐらし』に森茉莉のことが

角川文庫の『主婦の旅ぐらし』に森茉莉のことが
書いてあると聞き、読んできました。

注:著者を全然知らない上にその部分だけ立ち読み。

「森茉莉に長生きしてほしかった理由」というような
タイトルで、あの毒舌で宇野千代や幸田文や白洲正子と
ケンカをしたら面白いのに、とか何とか。
幸田文や白洲正子と森茉莉を比較するのは、
森茉莉好きにはお馴染みすぎるような気が。

その話よりも、筑摩の全集は重いから、寝ころんで読める
ドッキリチャンネル全集があったらいいのに説に共感した。
ちくま文庫で『ドッキリチャンネル 完全版』とか
いっそのこと、週刊新潮の体裁で(表紙は谷内六郎)
中身は全ページ当時の誌面のままのドッキリチャンネル、
というのを完全復刻したら……と妄想したが、絶対無理だろ。


主婦の旅ぐらし

chiwami403 at 12:34|PermalinkComments(2)TrackBack(0)森茉莉 

2004年06月13日

森茉莉に遭遇した人のblogにトラックバック

森茉莉に会ったことがある人をblog検索にて発見。

6月5日の日記「愛読書」で『文鳥』がお好きと書いていらっしゃいます。で、

最近気になっている作家は(今さらながら)森茉莉。
実は私、昔この方に一度会ったことがあるんです。


とのこと。実際の森茉莉がどうだったか気になるところです。

※追記
Blog作成のゆきえさんからのコメントを転載

今から23年くらい前のことだそうです。
森茉莉80歳過ぎ頃と思われます。

ある国語・日本語関係の学会の定例会にゲストスピーカー
として来られていました。「あの森鴎外のお嬢さん」という
先入観でガチガチになっていた私に彼女は気軽に声をかけて
くださいました。具体的に何の話をしたかは覚えていないのですが、
最後に「あなただったらきっと○○できると思うわ」
とお励ましをいただいたことだけははっきり覚えています。
とても細い、折れそうに細い、品の良い老婦人でした。


chiwami403 at 21:10|PermalinkComments(1)TrackBack(0)森茉莉 

明治33年創業キムラヤ@桜田本郷町

桜田本郷町といえば。

かつて桜田本郷町であった場所に、キムラヤという
洋菓子店があります。看板に創業1900年と書いてある。
創業当時から洋菓子の店だったのかは不明。
少し前まで、30年くらい時代が止ってしまったような
雰囲気を醸し出していたのですが、最近お店を改装したようで
今ふうになりました。ケーキセットが600円で安い。
ケーキ、焼き菓子の他にサンドイッチやキッシュ、スコーンもあります。
店内座席の壁には銀座木村屋からの屋号使用許可書と、
有名人らしき人の寄せ書きが飾ってあります。

キムラヤ田村町本店
東京都港区新橋1-18-19 キムラヤビル1階
電話 03-3591-1701
営業時間 午前8時30分〜午後8時00分

あとこの付近で目立つのは錠前の堀商店の建物。

昔ふうパッケージのマカロン(確か60円だった)
キムラヤ菓子

chiwami403 at 20:47|PermalinkComments(7)TrackBack(0)脱線 

2004年06月12日

桜田本郷町の靴で巴里へ

森茉莉の作品の中で時々出てくる「桜田本郷町」はどこなのか。

靴は桜田本郷町の角に、なかなか洒落たのがあった。
靴はとくに気に入って(中略)早くこの靴で巴里を
歩きたいと思ったのだから恐れ入る話である。

(『記憶の絵』所収「続・洋行」)

桜田本郷町も白く、暗く、雪の動きだけが、
音のない音を、感じさせた

(『父の帽子』所収「幼い日々」)

地名事典を見ると(以下引用)

さくらだほんごうちょう 桜田本郷町
【近代】明治2年〜昭和7年の町名。明治2年幸橋御門外
本郷6丁目代地を改称。明治5年弓場跡を合併。(中略)
町中央を現在の日比谷通りが走る。同11年芝区に所属。
(中略)昭和7年田村町1丁目の一部となる。現行の
西新橋1丁目3番、新橋1丁目8番の各南半。
(引用おわり)

現在の新日本石油本社と日比谷通りを挟んで反対側の
あたりが桜田本郷町。港区の沿革図集で町名の変遷を見ると

昭和22年に、芝田村町1丁目 に町名変更。
(芝・麻布・赤坂三区統合により港区創立、
 旧芝区の前町名に芝を冠した。)
※地名事典は昭和7年なのでどちらが正しいのだろう。

昭和40年に住居表示実施による町名変更があり
西新橋1丁目となる。西新橋の交差点の周辺には
「田村町」と看板にある店が今でもいくつかあります。

桜田本郷町をGoogleで検索すると、
『牛肉と馬鈴薯』(読んだことない)の文中に出てくるらしい。
あと昭和天皇の理髪をされた大場理髪店という店があって
明治から桜田本郷町で営業していたようです。

東京都港区西新橋1-3

chiwami403 at 20:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0)森茉莉 

2004年06月09日

檀一雄の料理は、あらまし豚の足

檀一雄が
わが百味真髄

いつだったか、森茉莉さんが、檀一雄の料理は、
あらまし豚の足にきまっているようなことを書いていたと思うが、
まったく、私は豚の足に、なみなみならぬ縁由をさえ感じるほどだ。

(「金瓶梅」に書かれたスタミナ料理)

と書いていて、その後豚足料理の話をしています。
檀一雄の料理のことを書いた森茉莉の文章って
読んだことないけどと思って年譜を見たら、1967年の
新潮7月号に「檀一雄と豚の耳」を発表、とあったので、
たぶんこの文章のことを言っているのではないかと思われます。
筑摩書房の全集を見たら掲載されてました。

檀一雄の料理本も、森茉莉同様読んでて美味しそうです。
方向性は全然違うけど。この二人が会ったことあるのも意外だった。



檀流クッキング


chiwami403 at 22:46|PermalinkComments(0)TrackBack(0)森茉莉