2004年08月

2004年08月28日

穂村弘と森茉莉とみうらじゅん

歌人の穂村弘の本棚には森茉莉の本がある、と以前新聞で
見た覚えがあるので(今はどうだか知らない)
それだけの理由でblog穂村弘情報にトラックバックしてみます。

エッセイ『世界音痴』しか読んだことないのですが
作品のすごさと日常生活のダメっぷりの落差が森茉莉に通じないだろうか。
エッセイの2冊目『もうおうちへかえりましょう』がダ・ヴィンチ9月号で
絶賛されてます。『気になる部分』の岸本佐知子が書評してくれたらなあ。

(この部分脱線)
そのダ・ヴィンチ、特集がみうらじゅんの「自分なくしの旅」。
自分なくしっていう言葉の響きがなんとも。
みうらじゅんがテレビで「これから道祖神がブーム」と語ったそうで
道祖神・石仏・道しるべが好きな私は一瞬「よっしゃあ!」と思った。

ところで、新潮文庫の『私の美の世界』の表紙を見ると

みうらじゅんの「ソープ五木。」

を思い出してしまいます。よく見ると全然違うんだけど。
(ソープ五木。ってなあに、という方は『VOWでやんす!』参照。)

chiwami403 at 21:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0)森茉莉 

2004年08月26日

台東区サイトに『父の帽子』の詳しい解説

めでたく台東区ゆかりの文学者の一員となった森茉莉。

はじめは気づかなかったんですが、わたくしがモタモタしてる間に
森茉莉作品に出てくる場所の解説をご丁寧にやって下さっていた。→こちら

『父の帽子』の引用文章のリンク先を見てみると
伊予紋が! 八百善が! 勘工場が! 萬盛庵が!
ブラボー! ありがたや、ありがたや。

特に「奥山の萬盛庵」というのは見等もつかず、
でも一体どこのどんな店なんだと以前から気になってたので
すっきりと胸のつかえが取れた気がいたしました。

私が持ってるのは文芸文庫なのでずーっと「万盛庵」で
検索していてうーん見つからないなあ、と思っていたのだった。
(他の地方の蕎麦屋とかラーメン屋とかがヒットしていた)
かつて浅草にあった有名な蕎麦屋なんだそうです。
奥山って浅草だったのね……知らずに通りかかってました。

ほんとうにネットって素晴らしいですねえ(水野晴郎口調)
管理人の杉村さん、ありがとうございます。

chiwami403 at 21:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0)森茉莉 

2004年08月25日

(追記)揚げ出し・十三や・物集氏

5月に書いた「つまり、守田宝丹にも」と、
「物集家という商売があるのかと思っていた」の追記。
記事をアップした後で「ああ、こんな所に書いてあった」
と発見したものです。一通り読んだはずだけどすっかり忘れました。
計画性のない見切り発車blogですみません。

揚げ出し
『貧乏サヴァラン』のドッキリ語録の章、210頁参照。
森茉莉も食べにいったことがあるらしく、店の様子や料理の描写あり。

戸板康二の『ちょっといい話』(文春文庫)をようやくブックオフで
入手して読んでるところですが、この揚げ出しという店は
画家の小絲源太郎(1887−1978)の生家だと紹介されてます。

十三や
『ベスト・オブ・ドッキリチャンネル』(文庫)の
1983年6(月?)の2つ目の後半(265頁)参照。
十三やの前で美しい女性を見かけた話があります。

物集高量
同じく1983年10(月?)のところ(271頁)。
物集氏が「徹子の部屋」に出演していたのを森茉莉は見ていた。
千駄木の家のぼやのことで謝ろうと思いつつ数十年過ごしてしまう森茉莉。

物集氏のことは自分の中では大発見だったのですが
知らぬは自分ばかりなり。

chiwami403 at 23:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0)森茉莉 

2004年08月24日

明舟町拾遺2

明舟町の由来で十五代代市村羽左衛門が住んでいたと
区史の引用をしましたが、歌舞伎サイトを見ると
羽左衛門には「明舟町」という掛け声(?)をかけてたようです。

この前、青山二郎と吉田健一のエピソードを読み返そうと

白洲正子自伝をめくっていたら、「芝居見物」に羽左衛門の写真があった。
母親が贔屓にしていたとのことで当時の観劇の様子が語られています。

森茉莉にも歌舞伎評を書いていた時代がありましたが、
私は、役者名や演目が右から左に抜けて全然覚えられず
歌舞伎はよく分かりません。


chiwami403 at 20:06|PermalinkComments(0)TrackBack(0)森茉莉 

2004年08月23日

ハングリータイガーというスパゲッティー屋

森茉莉に関係ない、今の虎ノ門の話です。
虎ノ門界隈ではたいっっへん有名な店です。

この店のスパゲッティー、アルデンテって何? というほど
ぶよぶよに茹でられて時間が経った麺を、マーガリンで
ギトギトに炒めた代物です。昔ながらのナポリタンとも違う。

値段も千円弱でそんなに安くなく、メニューは↓ 
・ダニエル(クリームソースにベーコンとマッシュルーム)
・バジリコ(でもしその味がする)・ボンゴレ
・ペスカトーレ・リゾット など。

でも、昼どきになると順番待ちの列ができる不思議な店。
料理以上に有名なのが、お店のおばちゃんであります。

常に機嫌が悪いらしく、店員にもコックにも客にも当り散らすおばちゃん。
男が大盛りを頼まないと見下され、女同士の客がお喋りをすると罵倒され、
もたもた食べると怒られ、食べたら即店を出ないと追い出される。
でもなぜか毎日盛況なハングリータイガー。

そのおばちゃんが笑顔と猫撫で声で接客したのを私は目撃しました。
お相手は国会議員の先生でした。そらもー別人。
虎ノ門にお越しの際は話の種に一度どうぞ。

chiwami403 at 20:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0)脱線 

2004年08月22日

明舟町拾遺

先日仕事でニッショーホールに行った。
地下に入っている寿司屋は「明船鮨」だった。
ニッショーホールのある場所もかつては明舟町。

「明舟町の家」の、清蔵のお寿司の描写がおいしそうで、
そこだけよく読み返します。木挽町弁松のお弁当の所も。
虎ノ門から溜池に向かう道には「志げ鮨」があります。

脱線ですが、工部大学校記念碑でふと思い出した
折田先生を讃える会 ※森茉莉とは本当に全然関係ない

chiwami403 at 19:35|PermalinkComments(0)TrackBack(0)森茉莉 

2004年08月19日

森茉莉が語る女学館

三年坂という坂があり、その坂を登ると女学館という、
従姉が通っていた女学校があり(中略)
女学館は金持ちの娘が多く、又美人が多かった。その頃、
(虎門呆然)という言葉が流行った。男の子たちがその学校の
退け刻(どき)に、門の辺りに立って、美人の生徒が通るのを
待っていたからである。(『ドッキリチャンネル』)


全集からコピーしたドッキリチャンネルで、明舟町の
思い出の次に語られていた、女学館のエピソード。
女学館というのは、現在広尾にある東京女学館のことです。

サイト見るまで知らなかったんですが、由緒ある学校なんですね。
女学館のあゆみを見ると、虎ノ門時代の写真があります。

明治21年 永田町にある宮内庁所管の建物
(俗に雲州屋敷と呼ばれていた)を貸与され創立。

明治23年 旧工部大学校生徒館の貸与を受けて移転
虎ノ門女学館と呼ばれた。

大正12年に関東大震災で校舎が焼失、その後広尾に移転。

女学館の制服って清楚でいいですよねえ。
今日電車の中で読んでいた泉麻人の『東京自転車日記』。

東横線の日吉の慶應附属高校に通っていた頃、山手線から
東横線に乗り換えようとするとき、途中、井の頭線のホームの方から
ぞろぞろとヤカタ(女学館の通称)のマブイ女子高生が歩いてくるのだ。


偶然このような文章にに遭遇したので、事前に用意した文章に
急遽引用追加。「ヤカタ」という呼び名が高嶺の花に憧れるふうで
「虎門呆然」の時代と似たり寄ったりのような。

旧工部大学校というのは、東京大学工学部の前身だそうです。
東京大学のサイトを見ると明治21年に本郷に移転とありました。

工部大学校があったのは文部省の裏側、会計検査院の場所で
裏のほうにひっそりと「工部大学校阯」記念碑(千代田区指定文化財)
があったのですが、文部省の建替えに伴い今は東京大学に碑があるそうです。

会計検査院に記念碑があったときの画像。このblogのために
撮影したわけではないんですが、金物で「東西南北」がツボだった。

工部大学校碑(全体)

東西南北

chiwami403 at 20:32|PermalinkComments(0)TrackBack(0)森茉莉 

2004年08月18日

喫茶店主から聞いた明舟町の話

明舟町の家があった場所の近くにツタの絡まる喫茶店があり
ずーっとずーっと気になってたのですが最近やっと探訪しました。
ためらっていた原因の一つは店名です。


「純喫茶 般若」。


……インパクトある斬新な名前。なぜに般若。

ツタの絡まる純喫茶といっても、老舗・レトロというイメージよりも
「みうらじゅんのマイブーム」的で流行から超越してるような。
いやでも私はこういうの好きだぞ。おしゃれ系より居心地が良いし。
私が行ったとき「よろしかったらどうぞ」と山形のさくらんぼを頂戴した。

店主に「あのー」と明舟町のことを聞いてみました。

・店主さんは明舟町ではないがこの近辺の生まれで昭和15年生まれ。
・この店は昭和42(3だったかも)年から営業。
・店主さんの母親が以前明舟町で甘味屋をやっていた。
・荒木さんというのはこの辺の地主だった。現在の消息は不明。
 森茉莉のことは知らなかった。昔はこの辺りに長屋が多かった。
・明舟町の家があった場所の北側に ホウメイ荘(※)という木造マンションが
 あって落語のタチバナヤエンゾウが住んでいた(今はない)。

※戸板康二『あの人この人』の「川尻清潭のナイトキャップ」に出てくる
 「芳盟荘という小体なアパート」のことではないかと思われます。
 店主いわく、木造だけど洋風で高級だった、らしい。


能面―鑑賞と打ち方
注:タイトル以外本文と関係ありません

chiwami403 at 20:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0)森茉莉 

2004年08月17日

明治30年の明舟町地図

港区の図書館で閲覧(確か購入も)できる「港区沿革図集」。
桜田本郷町や明舟町をはじめ、昔の町名や場所を
調べるのに便利で、見てると楽しくて時間を忘れます。

港区に問い合わせたところ、大正と昭和の地図は
著作権上問題があり、明治と江戸なら個人で楽しむ分なら
掲載可能とのことで、沿革図集の中から、明治30年頃の明舟町地図。
はい、そういうわけで個人で楽しんでおります!

明治30年というと、森茉莉が生まれるちょっと前です。
現在の地図ではほぼ南北に通っている道が2本ありますが、
当時は桜田通り側の1本の道はなかったようです。
震災後の区画整理で新しく出来たものなのだろうか。

明治30年明舟町

chiwami403 at 20:14|PermalinkComments(0)TrackBack(0)森茉莉 

2004年08月15日

森茉莉と明舟町とマッカアサア

意外といってもほぼこじつけなマッカアサア元帥との関係。

環状第二号線新橋・虎ノ門地区再開発事業
「事業の経緯」によると、計画されたのは昭和21年と終戦直後。
「マッカーサー道路」で検索すると色々出てきます。

とあるサイトでは「戦後に米国が虎ノ門の大使館から
竹芝桟橋までの軍用道路整備を要請したのが発端」
と説明しているのですが(別サイトでは根拠ない噂とも)
「施工地区区域図及び工区図」を見ると、虎ノ門病院のとこから
道路が明舟町の区域をを斜めに横切って新橋方面にぬけています。
昭和12年に荒木家のあった場所なんかもーばっちり大当たり。

昔は長屋が並んでいたそうですが、現在は再開発事業のため
空き地が目立っていて、当時の面影はほとんどありません。
工事予定を見ると平成19年工事開始のようで、見るなら今のうちかも。

ご参考:NISSAN CARWINGS→くるまあるき賛成派!→
第10回 武田徹さん:後編 都市開発の難しさが残した遺産たち。
森茉莉と関係ありませんが「泉麻人の裏街道を行く」もあります。

マッカーサー道路といえば・・・
東京ミステリーゾーン 新橋の斜塔
※私は現物見たことないのですが。

chiwami403 at 10:22|PermalinkComments(0)TrackBack(0)森茉莉