2004年11月

2004年11月30日

戸板康二・ちょっといい話のススメ

戸板康二については 戸板康二ダイジェスト に詳しいので
私が今更言うのもなんですが。

「ちょっといい話」はひと昔前のベストセラーと思ってたのですが
作家の意外な面に感心したり、出来すぎなシャレに脱力したり。
今はトリビアみたいのがうけてるのに絶版なのは残念。
内田百鬼園先生とのお付き合いもあった人なので、百鬼園ネタも多数有。

どれも手短に要領よく説明されていて最後にオチもついてて、
飽きっぽい私にはとてもありがたい本であった。

戸板康二は戦前に明治製菓のPR誌編集に関わってたので、
埋草原稿を書くのはさぞかし得意だったろうなあ、と勝手に想像した。
外山滋比古のエッセイで、昔の編集職は埋草が書けなきゃ
いけなかったと読んだのを思い出したので。

ブックオフで買った文春文庫『新 ちょっといい話』
についてたペナント型しおり。しかも華厳の滝↓
華厳の滝ペナント栞

























家宝にします。

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2004年11月29日

御木本幸吉が出会った諸戸清六

戸板康二の『ぜいたく列伝』読んだことある人向け。
御木本幸吉が上京するときに会った、三重の実業家諸戸清六。

この人の家は、現在も桑名に残っていて公開されています。
設計者はニコライ堂でも有名なジョサイア・コンドルです。
六華苑のサイト(諸戸清六の画像も有)

2年前に、コンドル設計の現存する建物が見たくて探訪したけど
ぜいたく列伝は当時未読だった。六華苑の建物は、同じコンドルが
設計した三井倶楽部と、テラスのあたりとかちょっと似てます。
清泉女子大学にある旧島津邸も、見たことないけど似てるみたい。

諸戸清六が独力で上水道敷設を計画して、実際に作っちゃった
跡が残ってるのも産業遺産好きのツボだ。見てみたかったよ。

桑名市観光ガイド(TOP > 史跡 > 諸戸水道貯水池遺構)

六華苑通気孔

chiwami403 at 23:06|PermalinkComments(0)TrackBack(0)脱線 

戸板康二『あの人この人』の「辰野隆の巻き舌」

いきなり辰野隆の評伝を読むのはどうも、という人に、戸板康二『あの人この人』。
親しみのわくエピソードが多く、辰野のイメージがちょっと変わる、かもしれない。

結婚したばかりの今日出海を辰野が学士会館に呼び出して
新橋の待合に連れて行き、豪快に酔っていると、辰野と山田珠樹
が選手交代し、結局今日出海と山田で外泊してしまったとか。
(森茉莉とまだ離婚する前かな? 「うちのがこのごろ遊んで」の実例?)

この本には、森茉莉と同時期にパリ留学していた岩田豊雄(獅子文六)、
森茉莉が働いていた暮しの手帖社の花森安治の人物伝もあり。

同じく人物伝の『ぜいたく列伝』で森茉莉と関わりありそうな人↓
・佐佐木信綱の園遊会で十二歳の森茉莉とともに衣装が
 評判になった少女の父、大倉喜七郎。
・戦後、真珠を売りに行った御木本の創業者、御木本幸吉。
・森茉莉が私淑したという西園寺公望。
(↑私がコピーしたドッキリチャンネルの全集のコピーに偶然書いてあった)

関わりというにはかなり遠いつながりの人もいますが。
昔の作家とか経営者はやることなすことスケールがでかくて面白いね。


あの人この人―昭和人物誌

chiwami403 at 22:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0)森茉莉 

2004年11月25日

モイラ(のとある場面)のモデルは礼宮であった

11月17日記事「幼少のモイラの仕草はあの方がモデル」
でモイラのモデルはサーヤ説でしたが、その後のコメントで
なまずの殿下、もとい秋篠宮殿下のご幼少の頃と判明しました。
まおさん、ご教示ありがとうございました。

該当箇所引用。どっちにしろ意外すぎるモデルだ。

森茉莉全集6巻 「印象に残った役々(西村晃の女形、なべおさみの小説家)その他」

或る日アーヤはひどく不機嫌なご様子で、すっかりむくれて、肘突き椅子の肘突きに掴って
(注:手偏に國)ムッとなっていられた。皇太子も美智子妃も困っていられるご様子だった。
そのご様子をモデルに私は、或る日、理由なく、自分でもどうすることも出来ない不機嫌の
中に入りこんだモイラという女の子をうまく描くことが出来たのである。


森茉莉は、描きたい場面のイメージに合う写真を見て
小説を書いていたというからね。その写真見てみたいなあ。
ご成婚のときの写真集とかにないだろうか。

検索して見つけたアーヤの投扇写真→こちら
(日本投扇興保存振興会のサイト。目次のすぐ下)


欧州家禽図鑑

chiwami403 at 22:10|PermalinkComments(4)TrackBack(0)森茉莉 

2004年11月23日

タツノユタカけっこういい人説

辰野隆といえば、東京駅の設計をした建築家辰野金吾の息子であり、
内田百鬼園先生が日本郵船に入るとき辰野が推薦したことくらいしか
私は知りませんでした。あと「タツノタカシ」だと思っていた。

それ以外は、森茉莉が言うようなパリの不粋な日本人の代表、
離婚後の森茉莉の悪評を立てて社会的に追放した親玉とか
とにかく悪いイメージばっかりであった。

森茉莉は、辰野に対する個人的な恨みもあったと思われるものの、
パリでの辰野のエピソードなんかは、脚色・虚構化があるんじゃないかと、
私は思っています。『ドッキリチャンネル』は別として『記憶の絵』あたり。

本人の随筆や弟子などのエッセイなどを読むとかなりいい人そうです。
森茉莉の言うことをそのまま受け取って、ヤナヤツのままにしておくのも
どうかと思うので、本とネットで拾った辰野と山田関係を随時記事にします。

chiwami403 at 18:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0)森茉莉 

2004年11月21日

辰野隆が描くラヴィラントのエドモン

講談社文芸文庫『ふらんす人』の「エドモン」より。

客足が漸く繁くなって来て、方々の卓からエドモン、エドモンと頻りに
声がかかる。其度毎に忙しいエドモンは「オッ」とか「ヴォワラ」とか
答えて、ベルモットやカシスや葡萄酒の壜を四五本抱えこんで
客の間を注いで廻る。


エドモンがエミール・ファゲと懇意だったことや、エドモンの妻子が
店を訪れたこと、妻を亡くしてエドモンが落ち込んでいたことも
書かれていて、森茉莉の描写するエドモンと一致してます
(参照:新潮文庫『私の美の世界』「巴里の喫茶店と東京の喫茶店」75頁)。

他には「二人のセルビヤ人」という文章の冒頭で、
おんぼろのホテル・ジャンヌ・ダルクに到着した辰野を
山田珠樹が出迎えた際のエピソードなどもあります。
※この二つの文章にもそれ以外にも森茉莉の名前は出てこない

最後の方の「仏蘭西文学とは」「仏蘭西古典主義文芸」あたりだと
字面を見ただけでもう読む気をなくして、挫折しました。

chiwami403 at 22:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)森茉莉 

2004年11月20日

辰野隆の評伝と『ふらんす人』

新・読前読後日用帳
東大仏文関係の作家話がでてきたので便乗。
ここの2箇所を読んで気になる本を調べたり(いつも世話になってます)、
本を読んだつもりになったりしています(私はこんなに読めない)。

去年『辰野隆日仏の円形広場』をブックオフで買ったものの
読み返すこともなかろ、と一読しただけで売ってしまいました。
偉大な建築家辰野金吾の不肖の息子隆が留学するまでは面白かったけど、
それ以後はフランス文学者の名をあまり知らず、よく分からなかったので。

読んだ中で一番気になったのは、
黒猫ジュリエットへの手紙の掲示板にも以前投稿したのですが、
カフェラヴィラントのエドモンについて辰野大博士も書いている
ということでした。

このBlogを始めた頃に、このことを思い出し
辰野隆の全集か何か探さなきゃだめかしら、と思いつつ
色々検索していたら、講談社文芸文庫『ふらんす人』に載ってるらしい。
ので、ネット古書店で100円で売られていたものをソッコーで注文した。
そしたら直後にブックオフでも見かけた。求めよさらば与えられん。

『ふらんす人』の単行本は1941年青木書店からの出版で、
講談社文芸文庫は1991年発行。
その文章は「エドモン」という題で、文章末に1924年とあるので
パリから帰ってきてすぐ後。

続く。


辰野隆日仏の円形広場

chiwami403 at 18:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0)森茉莉 

2004年11月19日

森茉莉の本に出てくる幸田文

森茉莉の作品に出てきた幸田文をついでに。
比べられることを前提として徹底的に自分をネタ化する森茉莉。
私はうぬぼれな森茉莉よりこういうおどけた(?)森茉莉が好き。

ぞうきんがけというのは別の場所の汚れをぞうきんにくっつけて他の場所をなするわけで、まず幸田露伴指導による幸田文のぞうきんがけ位しか許容できない。
「ふに落ちない話」より新潮文庫『私の美の世界』178頁

鴻田文の真似をして待合女中を志願すれば半日で追い出される。芸者よりあとから起きたどうにでもならないのである。
「マリアはマリア」より 講談社学芸文庫『贅沢貧乏』127頁


同じ文庫をお持ちの方は頁数で探したほうが早い。
やったことのある人なら分かると思いますが、森茉莉の文章って
すんなり入力できない。書いてこその文章だな。

文章は「かの子嫌いのかの子賛美」「幸田文氏のこと」の二つ。
(タイトル違うかも。筑摩の全集にのみ掲載)
他にも見かけたら追加します。

chiwami403 at 23:12|PermalinkComments(0)TrackBack(0)森茉莉 

幻戯書房『森鴎外の遺産』第2巻に森茉莉の書簡

ジュンク堂の鴎外の遺産全3巻案内 
を見ると、2巻は「残された家族達  母・しげと茉莉、杏奴、類 」
というタイトルで、森茉莉の書簡も掲載されるようです。2005年3月刊行予定。

母・しげと杏奴のパリ往復書簡を中心に、家族間の未公開書簡(約200通)
をカラーで複製。茉莉の結婚(山田家)・再婚(佐藤家)時代、
および作家デビュー前後の杏奴あて未公開書簡(約80通)を掲載。
鴎外没後の家族感情の変遷をたどる。


リンク先の画像、女の人の絵葉書と黒猫の絵葉書は
森茉莉が送ったものかなあ(←森茉莉しか見てない)。

森茉莉の口からは語られなかった再婚時代の手紙もあるようだし
鴎外令嬢が2度の離婚後、いかにして「作家森茉莉」になったのか、
『ぼやきと怒りのマリア』もそうだけど、手紙のネタがどう作品に活かされたか、
見てみたいわぁー。でも28000円。

28000円÷80=一通だいたい350円 と単価を考えると(←貧乏性)
そんなに高くなーい、高くなーい、ような気もしないでもない(←自分を洗脳中)
あとは清水の舞台をおりゃーっと飛び降りる勇気と、節約生活への忍耐と覚悟。

第3部の概要を見ると、森茉莉と比べられることの多い幸田文の名前があります。
岩波書店の『幸田文 対話』には杏奴との対談があって、
「お久しぶり」とか言ってたので、けなげな娘同士だなーと思った覚えがある。

幻戯書房のサイト


chiwami403 at 22:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0)森茉莉 

2004年11月18日

森於菟以外のオットーとその名の由来

Hugo Strikes Back! の 森鴎外の子供の名前 
を見てふと思い出し、検索したら意外に色々。

文豪森鴎外の娘息子孫たちの名前は 鴎外のことまご に一覧。
オットーについては、森於菟(1890〜)より前に生まれた同名さんがいます。

遠藤於菟という建築家で、1866年生まれ。
横浜の三井物産ビルや生糸検査所を設計した人です。
三井物産ビルは見た目地味ですが、鉄筋コンクリートで有名。

【ご参考】遠藤於菟旧蔵建築資料(顔写真や経歴が出てます)

Mori Ougai's Children に「於菟」は虎の異名であると  
にあったので、さらに検索すると青空文庫の十二支考に↓

わが国で寅年に生れた男女に於菟《おと》という名を付ける例がしばしばある、

と、その後に由来(この部分以外読んでません)。
森と遠藤の両オットーとも実際寅年生まれ。
しばしばある名前とは知らなかったよ。ドイツ名だけじゃなったのね。

◆脱線◆ 森茉莉と近代建築
遠藤於菟の資料を所蔵する横浜都市発展記念館の建物は、かつての電話局。
最近の横浜市は、近代建築の保存に熱心で(外壁一部保存が多いけど)
街中なのに、明治村とか江戸東京たてもの園化しているような。

近代建築も個人的な趣味です。これは見に行くだけ。
森茉莉もそうだけど、「戦前の日本の西洋風」が好きなので。

chiwami403 at 20:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0)森茉莉