2005年02月

2005年02月28日

森茉莉に関係ない会津若松観光

今回の会津で私は3回目。渋川問屋に泊まった。
郷土料理「こづゆ」「棒ダラの煮物」など食べた。食事のみも可です。
あと「お秀茶屋」の田楽(近くに類似店があってびっくり)。

最初の旅行は「さざえ堂」「金看板資料館」が目当てであった。
さざえ堂は2つの螺旋階段がすれ違うことなく組み合わさっている
不思議な木造建築(路上観察の林丈二が探訪していて行ってみたかった)。
金看板資料館は昔の薬看板などを多数展示。

【ご参考】さざえ堂公式サイト 注:Enter押すと音楽流れます
     神禧堂薬館(金看板資料館)の紹介

いつもは一人旅や友達との旅行なんだけど、友達のご家族も一緒で
行った先で地元の方に話を伺って、というのは初めての経験でありました。
友達Aさんのご家族の皆様、ご親戚のお二方には大変お世話になりました。

これから旅行で会津若松と喜多方方面へ行くことがあったら
ちょっと森茉莉のことも思い出してみて下さい。

【おまけ】福島のいくら入り雑煮?
森茉莉が疎開していた家の人に「お雑煮にはイクラが入っているんですか」
と聞いたら(『貧乏サヴァラン』の「江戸っ子料理と独逸料理」参照)
違うそうなので、あのお雑煮は喜多方でも別の人に教わったのではないだろうか。

会津渋川問屋火鉢

渋川問屋にあった火鉢のウサギ。

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森茉莉の疎開先、喜多方への旅(6)戦後編

疎開した喜多方の家で仲が良かったというS子さん(当時小学生)。
森茉莉が東京へ戻った後も、修学旅行でS子さんが東京へ行ったときは
旅館まで森茉莉が会いに来たのだそうだ。

その後もS子さんが東京に来たときは、上野精養軒で
ステーキを御馳走してくれたとか(鴎外の印税が切れる前か?)、
渋谷で映画を見たとか、シャンソンを聞きに行ったとかの思い出が
あるそうです。時期は作家デビューの前のようなのですが。

森茉莉がデビューした後それぞれ忙しくなったのであろうか、
会う機会がなくなってしまった、とのこと。

会津_池田種苗店

写真は会津若松の七日町通りにある池田種苗店。
窓の上のところにカブの装飾があって、いかにもそのご商売な建物。

chiwami403 at 21:31|PermalinkComments(0)TrackBack(0)森茉莉 

2005年02月27日

森茉莉の疎開先、喜多方への旅(5)会津のカネマン

疎開した喜多方の家で仲が良かったというS子さん(当時小学生)
から伺った話の続き。

・会津若松のカネマンという店に連れていってくれた。
 1階が果物屋で2階では洋食もやっていたハイカラな店であった。

これは戦時中だったか戦後だったか、時期を確認するのを忘れました。
疎開してもそういう店に行った森茉莉、さすがだ。
喜多方から会津までは汽車だと思うけど、今より遠く感じただろうしな。
会津若松散策中に教えてもらった、カネマンのあった場所。

昔銀行だった建物が「会津西洋館」という喫茶店になっていて
その前が鍵の手になった十字路(城下町だなあ)。カネマンは
会津西洋館のはすむかいにあった。今は空き地で隣に同名の均整院がある。
森茉莉を偲びたい人は「会津西洋館」へドーゾ。森茉莉好きに喜ばれそうな店。

【ご参考】会津西洋館

写真はカネマンのあった場所と隣のビルの看板。


会津カネマン跡地

会津カネマン看板

chiwami403 at 11:22|PermalinkComments(2)TrackBack(0)森茉莉 

2005年02月26日

森茉莉の疎開先、喜多方への旅(4)

森茉莉の疎開先、喜多方への旅(3)の続き。

S子さんは初対面の私にも気さくに接して下さって
当時のことを色々と思い出して話していただきました。
以下箇条書きに、喜多方時代の森茉莉のこと。

・2階の部屋に行くと、本がたくさん置いてあって森茉莉はよく
 本を読んでいた。フランス語の本もあった。

・部屋は広い一間で、蔵造りなので小さな窓には鉄格子があった。
 当時もやはり掃除は苦手だったみたい。

・戦時中ではあったが、森茉莉はもんぺをはくことはなかったという。
 長い髪をピンで留めていて、それを地元の男の子が珍しがっていた。

・いっぷう変わった森茉莉とS子さんが仲良く外出することに、普段温厚なS子
 さんの父親は良い顔をしなかったが、S子さんは森茉莉がしてくれるお話が大好き
 だったので 一緒にいることが多かった。一緒に薪を拾ったり、押し花の作り方を
 教わったり。類のいる家に行くこともあった。
 フランスの話、安寿と厨子王の話、ジャックと豆の木の話、などを聞いた。

森茉莉、優しいなあ。聞いていてホロリときてしまったよ。
自分の話を聞いて喜んでくれる子供がいるのも嬉しかったのではないだろうか。

もんぺをはかないのが森茉莉らしいというか。美意識が許せなかったであろう。
戦時中の話だし、地方都市で森茉莉のような存在はさぞ目立ったに違いない。

年譜によると森茉莉は昭和22年まで喜多方にいた。
他の作家の本を読んでたら、戦後すぐにはなかなか東京へ転入
できなかったと書いてあったので、森茉莉も同じ事情だったのかも。

chiwami403 at 12:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0)森茉莉 

2005年02月25日

志賀直哉と里見じゅん@毎日新聞

森茉莉と関係ないけど。

寄託:志賀直哉宛の書簡など5400通、近代文学館に

もう訂正されちゃいましたが、
このニュースの中で、人名にトンでもない間違いがあった。
あたくしは見逃しはしなくってよ。


志賀あて書簡は、白樺派関係の里見じゅん、梅原龍三郎、柳宗悦をはじめ、


……「じゅん」なのかいっ!! 弓享 だよ トン。
清純派女優(でもあまり売れてない)ちっくなお名前っすね。
でも「さとみじゅん」だと思っている人も他にちらほら。

志賀直哉といえば川口松太郎の『忘れ得ぬ人忘れ得ぬこと』の
「志賀直哉の自転車曲乗り」が衝撃的であった。
小説の神様は自転車後ろ向きに乗ってこぐのがお得意。

ご丁寧に、曲乗りやってる志賀直哉の挿絵(田代素魁)付き。
あの顔でがしがしこいでます。楽しそうです。

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2005年02月24日

森茉莉の疎開先、喜多方への旅(3)

喜多方のご親戚に話を伺った後、今度は会津若松へ。
友達Aさんの伯母にあたる人がお住まいで、森茉莉のことを
一番よく覚えているというので、話を伺うことになった。
下の表でいう「長女」の人。仮に「S子さん」とします。

  父=母
   l
   l_________
   l     l     l    l
  長女  長男 次男 三男(友達の父親)
 (会津 (喜多方    l
  在住) 在住)    l
           私の友達Aさん


私の友達Aさんの父親は4人兄弟で、ご家族6人が1階に住み
どういう経緯か知らないが、森茉莉に2階を貸していたのだった。

※喜多方の疎開場所と同じく、個人や場所が特定できるような
 記述は控えます。

S子さんは終戦当時小学生、S子さんのご両親は森茉莉よりもう少し
年下とのこと。特に母親は働き者だったそうでそのあたり森茉莉と対照的。

経緯は知らないけど、幼い子供のいるフツーのご家庭が森茉莉と一緒に
暮らすのって、びっくりさせられることもあっただろうな、と思ったりした。

会津の夕暮れ

chiwami403 at 22:06|PermalinkComments(0)TrackBack(0)森茉莉 

2005年02月23日

森茉莉と関係ない喜多方観光

その他、森茉莉には関係ないけど

白虎隊ゆかりの地

喜多方煉瓦の蔵

・白虎隊で生き残った人が身を隠してた場所(写真左)
・蔵づくりの家が並ぶ集落(写真右)

以上2箇所は車で連れていってもらいました。
普段電車と徒歩の旅行ばかりだから車の移動はありがたや。

喜多方_昔の床屋の洗面台

・ふれあい通りの観光案内所は昔の床屋
大理石使用の流し台+マジョリカタイル(写真)。鏡なども元のまま残っています。

豪商? な甲斐本家は、店内に洋風の螺旋階段が残っています。
会津の福西本店という店にも同じような木製の螺旋階段があって双方張り合って作ったのではないだろうか

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2005年02月20日

森茉莉の疎開先、喜多方への旅(2)


2月19日「森茉莉の疎開先、喜多方への旅」の続き。

戦争末期のころ、福島県、喜多方に疎開していたころ、というと、
モリ・マリさんという、自分自身の手では何一つうまく出来ない人間が、
カンナンシンクをつぶさに経験した時期だったが、そのころその町の
メイン・ストリイト(わが代沢ハウスの前の通りの幅ほどもない通り)
の古本屋で、そこの奥さんから喜多方の山葡萄で造った葡萄酒をふるまわれた。

「葡萄酒」より『私の美の世界』(新潮文庫253頁)

森茉莉の言うメイン・ストリイトというのは、現在のふれあい通り(中央通り)
と思われます。森茉莉が疎開していた家もこの付近にあります。

一応ふれあい通りは歩いたんだけど、古本屋があったかは忘れた。
懐かしい雰囲気漂う街です。そして街中いたるところに蔵とラーメン屋。
ラーメンに不案内な私も一応食べた。友達の分までチャーシュー貰う。

私の友達Aさんの父親の兄、つまり伯父にあたる人が喜多方の同じ場所に
お住まいで、えーとこのお方もまだ小さかったので森茉莉のことはあまり
覚えておられないそうです。
類のいる家に遊びに行ったことは覚えているそうです。
車で市内と近郊を案内していただいた際に、森類一家の疎開していた場所を
教えていただきました。

市役所の前の道から東に向かい、川を渡る手前左側のところ。
今は「会津喜多方ラーメン館」という店のある場所で、当時の家などは残っていません。
以下斜線部、森茉莉全集から引用。

福島県の喜多方町に幸橋といふ橋があつてその橋の袂に、私が弟の一家と
疎開してゐた小さな家が、あつた。(「障子の中」より)


喜多方の観光マップを見ると、ラーメン館のすぐ横に「幸橋」があるので
「ああ本当に幸橋ってあるんだなあ」と感動しつつ
「途中で友達の親戚宅に移ったのかな」と思ったりしました。

森茉莉が疎開していた家は、別の文章で「喜多方に2軒しかない東京式の家」
というようなことが書いてあったが、そんなことはなく、当時蔵造りであった
(喜多方にはよくあるらしい)。戦後建て直しをして今は新しい建物です。
東京式の家は類が疎開していた家か?

具体的な場所については、今も友達の伯父にあたる方がお住まいであるため
個人名や場所が特定できる記述は控えます。

昔は家の前を水路が流れていたそうで、森茉莉が「洗濯をすれば川に取られる」
とどこかに書いていたような気がするので、想像したらちょっとおかしかった。

疎開当時の森茉莉についてはまだ続きがあります。

chiwami403 at 10:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0)森茉莉 

2005年02月19日

森茉莉の疎開先、喜多方への旅(1)

大学のとき同じクラスで今も時々ごはん食べに行ったりする
友達がいます。今から7年くらい前だったと思うんですが
そのとき私は森茉莉の『贅沢貧乏』や『甘い蜜の部屋』などに熱中してて
友達の好みお構いなしに「森茉莉の本はいかに良いか」を語ったら


「父の実家に森茉莉が疎開してたんだよ」


と、ものすごく何気なく言ってのけた。
そういえば親戚の家が喜多方にあると言っていたような。

それは詳細を是が非でも聞きたいッと思ったが、
友達(仮にAさんとします)の父上は当時幼くて
特に覚えていることはないらしかった。
あまり詮索しても悪いと思ったし。

その後2003年の夏、Aさんと夏休みにどっか行こっか〜という話になって
ひょんなことから会津・喜多方が行き先として持ち上がり、あれやこれや
するうちに、Aさんのご両親も途中合流して、ご親戚に森茉莉の話を伺おう、
と話は大きくなっていったので、あった。

森茉莉の疎開は、弟の類の妻の縁を頼ったと年譜にあります。
最初に断っておくと、友達の親戚の家は、森家とも類の奥さんの疎開した
家とも血縁などはまったくなく、その家に疎開した経緯は分からなかった。

喜多方観光協会 

chiwami403 at 12:00|PermalinkComments(2)TrackBack(0)森茉莉 

2005年02月17日

神保町古書モール・一箱古本市

森茉莉に関係ない話。次から森茉莉やります。
関係ない古本・読書・日記ネタは別のblog作ったほうがいいかな。

神保町の古書モールに行ってきた。
すずらん通り三省堂の横のビル5階(公式サイトないのか?)。
複数の古書店が本棚を出していて目移りするが
「買うのはどうしても欲しい本で安いのだけ、ダブリ本は不可」
と念仏のように自分に言い聞かせ、結局1冊だけ買う↓

中央公論社『瓦礫の中』吉田健一 300円(かわほり堂)

帰りに、ずっと気になっていたスヰートポーヅ
ギョーザ定食(中)を食べて家に帰る。

あと、ナンダロウアヤシゲな日々で募集していた、4月30日の
「一箱古本市」に出店申込みました。

■追記 古書モールの公式サイトはこちら

神保町古書モールの管理人さんよりコメントいただきました。
公式サイトあったのに気が付かずすみません。

chiwami403 at 22:31|PermalinkComments(5)TrackBack(0)脱線