2005年04月

2005年04月30日

一箱古本市行ってきました

つつじ見物客が多かった根津地方ですが、一箱古本市参加してきました。
今日はとても暑かった。アネッサ持参したけどかなり日に焼けた模様。

本を買っていただいた皆様、本の話をさせてもらった皆様
そしてスタッフの方がた、どうもありがとうございました。

ありがたいことに、セドロー賞を頂戴しました! 詳細はまた明日。



chiwami403 at 23:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0)脱線 

2005年04月29日

一箱古本市準備中

30日の古本市に向けて、値札つけてる途中。
公式サイトから他の参加者のサイトを見ると
皆様、スリップや出品箱にも凝っているようだ。
手先が不器用で字も下手な私はそっち方面全然やる気なし。

私の値札は、エクセルで作って会社のプリンタでその辺の
コピー用紙にこっそり印刷してきただけのもの。
箱も地元のスーパーから貰ってきた果物の箱で
しかもフタのところに「ハム ベーコン ソーセージ」
とかペンで書いてある(家に帰ってきてから気が付いた)。
森茉莉の屋号のイメージを見事にくつがえしてます。

当日は オープン〜昼過ぎ と 終了前1時間〜1時間半くらい
は少なくとも自分の箱の周辺にいるつもりです。
オヨヨ書林前で、やたら声がでかくテンションの高い
ショートカットの女がいたら、それがちわみです。

本売れ残ったら、同会場の本職の人にめぼしいもん貰ってもらおう……

chiwami403 at 12:01|PermalinkComments(2)TrackBack(0)脱線 

2005年04月24日

一箱古本市・ブックオフ

月曜からは更新する時間ないのでたぶん新着記事なしです。

30日に不忍ブックストリートの一箱古本市に
出店するのですが、エクセルに出品本の題名値段をリストアップ
しただけで、まだ何もやっていなーい。値札作らないとー!

公式サイト: 一箱古本市
ここのサイトは出店者がリンク貼り付けて宣伝できるところがない。
やるとすれば日誌のコメント欄?

追記:一箱古本市・オヨヨ書林前 に「森茉莉かい堂」の店名出てました。
   周りがものすごいメンバーだ。ユトレヒトの出店する横で柳原良平装丁本を
   シロートが売ることになるのか……

森茉莉の本は単行本の『枯葉の寝床』『甘い蜜の部屋』と
文庫『贅沢貧乏のマリア』『最後のひと』くらい。
長谷川時雨の『旧聞日本橋』も2冊持ってるので1冊出します。
あとは食べ物関係のエッセイ(吉田健一、牧羊子、開高健、阿部なを)、
東京の街歩きにまつわる本など。

今日は家から歩いて10分くらいの所にあるブックオフに行った。、
ここの本棚の並べ方はいい加減で、時代小説のところに
『かの子繚乱』『州崎パラダイス』『友情』(武者小路実篤)
『贋食物誌』(吉行淳之介)『田端文士村』が紛れ込んでたりします。

辺鄙な街のブックオフで本を探すなら、時代小説読まない人でも
一応棚は見ておいたほうがいいよってことで。

chiwami403 at 16:49|PermalinkComments(6)TrackBack(0)脱線 

山田珠樹と共訳予定だった「ブリタニキュス」

内藤濯がフランスに留学していたときの日記から引用。

夜、不図インスピレーションがわいて、山田(珠樹)と一所に
「ブリタニキュス」を訳しはじめる。(1923年2月9日)


朝は山田とブーランジェー老のところへ行って、昨夜から訳し
はじめた「ブリタニキュス」の質問をする。(2月10日)


ブーランジェー氏を宿へつれてかえって山田の室で話しこんで
いると、そこへ石井柏亭氏がたずねてくる。(2月15日)

山田の室で芸術の根本問題に関して可なりはげしい論戦をする。
(2月23日)

朝の食卓でまた山田と論戦をやる。可なり火花が散る。(2月24日)

※でもこの日の夜、山田夫婦と一緒にオデオン座に出かけています

朝はブーランジェー氏の宅。(3月6日)

一緒に翻訳を始め、二人で老学者のところに質問に行っていたが
その後論戦になり、その後は山田と共訳の話は出てこなくなってしまった。
山田珠樹の随筆集『小展望』にもこの共訳の話が出ていて

フランスに滞在中内藤濯氏とラシーヌの『ブリタニキュス』の
共訳を始めたことがあった。間もなく私のやうな我儘者には共訳
といふ仕事は到底出来ないものであることを発見して、手を引いてしまつた。
内藤君は之を独りで立派に成し遂げられて、後に出版された。
(「翻訳作法」より)


この文章には、矢田部達郎とも詩やベルグソンの本を共訳しようとして
結局やめてしまったことや、鴎外に頼まれてミストラルの回想録の
抄訳をしたが、鴎外から誤字や国文法の誤りを表にしたものが
送られてきて没になってしまったことが書いてある。

辰野隆には、鈴木信太郎との共訳で『シラノ・ド・ベルジュラック』
があるけど、山田珠樹は翻訳家としてはあまり向いてなかったのか?


翻訳家になる方法

chiwami403 at 16:25|PermalinkComments(0)TrackBack(0)森茉莉 

2005年04月23日

内藤濯『星の王子パリ日記』にも能を演じた話

『記憶の絵』の「巴里で演じた「能」」の日のことを
内藤濯も書いています。山田珠樹と一緒に謡曲をやってたのか。

三月中旬に日本人連の主催でひらかれるノエル・ペリー氏の記念会に石本が
「しまい(仕舞)」をやることになったので、その謡いをやってくれと
頼まれる。(2月17日)


午食後、ペリー氏記念会に出かける。会場はサン・ジェルマンの
サル・ド・ジェオグラフィーである。(中略)
町田君(朝日新聞特派員)の能楽の解説がすむと、石本君と我々の手に
成った能楽がはじまる。藤田君が丹精を凝らした背景と衣装は最も光った。
石本君の能も素的なものだった。我々の謡曲も思いの外に成功した。
(3月18日)


この日の日記の横には当日のプログラム表紙の写真が出ています。
森茉莉の本には、もう帰国しているはずの辰野隆の名前も出てきている。
記憶違いか、日本人留学生として登場させる意図があったのか?

内藤の日記では仏蘭西人連も感激していたと書いてるけど、
『記憶の絵』では、ノエル・ヌェットゥが奇怪だねと感想をもらして
辰野と山田はがっかりした、ということになっています。


能楽入門〈1〉初めての能・狂言

chiwami403 at 22:13|PermalinkComments(0)TrackBack(0)森茉莉 

2005年04月22日

内藤濯『星の王子パリ日記』の山田夫婦(4)

山田夫婦、そろそろ日本に帰国。

午後、山田夫婦とラファイエットに行って、初穂(管理者注:内藤濯の子供)
のために洋服を買う。やがて日本へかえる山田夫婦にことづけることにする。
(6月9日)


この本には内藤から妻あての手紙も掲載されていて、
「こちらの三越はラファイエット、白木屋はルーブル、
松坂屋はボンマルシェである」と書き送っている。森茉莉も
どこかでラファイエットをパリの三越のようなものと書いていた。
当時の留学生仲間でそんな話が出たのかもしれない。

夜、山田夫婦が別れの意味で宿の主人たちを常磐に招いたので、
それに同席する。(6月10日)


「常磐」は確かパリの日本食レストランだった気がする。

午後、宿に出入りする日本人連で山田送別の意味として
写真をとる。それから山田を写真器械屋に案内して夕刻寄宿。
(6月11日)


夕刻からプリュニエで山田夫婦送別会をやる。会するものすべて
十二名。其のまま宿へかえって夜を徹して大いにさわぐ。夜が
明ける頃になって散会。(6月13日)


朝眼がさめたら山田がやって来て、昨夜財布をなくしたという。
上衣のポケットに入れておいた筈だが、けさになって見ると
見つからないというのである。方々探しまわってみたが、甲斐がない。
多少困っている様子なので、午後、一所に日仏銀行へ行って
三千五百フランほどたてかえてやる。
夕方七時三十五分の汽車で山田は日本へたつ。ステーションに見おくる。
(6月14日)


午後山田のいた十四番室へ引越をする。(6月15日)

荷物の整理で殆んど一日つぶしてしまう。山田へ
別れの電報をおくる。(6月16日)


最後の最後で山田珠樹は財布なくしてます。ドジだ。
森茉莉の作品に関係ありそうな部分だけ引用しましたが、
他にエリセーエフ、岸田国士、上田万年(円地文子の父)、
ノエル・ヌエットなどの名前も出てきます。

chiwami403 at 21:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0)森茉莉 

2005年04月21日

内藤濯『星の王子パリ日記』の山田夫婦(3)

山田珠樹と森茉莉は立て続けに旅行してます。

山田君夫婦と一所に、フランスへ来てからはじめての旅に出る。
(3月19日)

※管理人註:ランス、ナンシー、ストラスブール、
メッツ、ヴェルダンへ3月22日まで旅行

白鳥の浮んでいる池のほとりでしばらく休みたかったが、山田の
奥さんが人に見られるのをひどく気にするので残念ながら素通りする。
(3月21日)
※管理人註:ストラスブール滞在中

一体何を気にしているのだろう、山田の奥さん。
自分はフランスに同化していたとか書いているわりには
恥ずかしがりやで内気なお嬢さんだったのか?

前日からの約束でシャンチイーへ出かける。(中略)同行は
山田夫婦、加藤夫婦及び石本君。(3月25日)


夜は山田夫婦、石本と、ヴォードヴィルにリュシアン・ギトリー
の「タルチュフ」を見に行く。(中略)芝居がすむと、ギトリーは
見物に向って、サラ・ベルナールが今夜八時に死んだことを言った。
(3月26日)


昨夜はおそくなって雨がふったらしい。(中略)山田夫婦は
朝はやく西班牙(ルビ:スペイン)の旅に出る。(3月28日)


山田夫婦がスペインの旅からかえってくる。(4月17日)

山田夫婦は一昨日伊太利旅行からかえっていた。矢田部氏がドイツ
からやってきていた。(中略)午食をとろうとしていると、山田君の
義兄長尾氏が飯を食いに来いというので、山田夫婦、矢田部、石本と
五人して行く。牛肉のすき焼きを頂戴して夕刻かえる(5月22日)


フランス国内、スペイン、イタリア、などあっちこっち豪遊してます。
その他にもパッパ鴎外の死を知ったロンドン、その後ベルリンも訪れてるし。
(ロンドンとベルリンは内藤が来る前のことだと思う)


アルフォンス・ミュシャ―アール・ヌーヴォーの幕開け

chiwami403 at 20:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0)森茉莉 

2005年04月20日

内藤濯『星の王子パリ日記』の山田夫婦(2)

年は明けて1923年の内藤濯のフランス留学日記。

朝はブーランジェー氏のところに講義を聴きに行く。午後は山田夫婦と
コメディー・フランセーズへ行くことにしていたが、山田君に差支があって
切符が不要になったので、宿の夫婦とルイーズと三人で行く。(1月11日)


『記憶の絵』の「二人の教師」に森茉莉がフランス語を習いに行った
先生がブウランジェ氏と書いてあるが、森茉莉だけの語学の先生じゃ
なかったのか。留学生相手の講義をやってた人なのか、ブウランジェ氏。

午後は辰野、山田夫婦とオペラコミックに行く。カルメンを見んが
ためである。音楽と色彩とが官能の美を極度に表現して、旋風のように
移り動く。マルト・シュナルのカルメンは奔放を極めたものだった。
ギュイラのミカエラは素直な巧みさを見せた。
かえりにオペラの前で林氏夫婦に会う。プリュニエで一所に食事することになる。
(1月14日)


『記憶の絵』の「カルメン役者マルトゥ・シュナアル」参照。

夜は辰野の案内で。宿のデュフォオル夫妻。ルイズ嬢、それに山田夫婦と
石本と自分が加わって、プリュニエで会食する。(1月19日)


夜七時からフォイヨーで辰野の送別会をやる。山口夫妻、石本、
加藤夫婦など、自分を合わせて八人。巴里第一流の料理なので申分がない。
宿へかえって、辰野の帰国を記念するために、午前四時まで山田の室で騒ぐ。
(1月20日)


「石本」は「巴里で演じた「能」」に出てくる石本巳四雄。
地震研究所の所長にもなった石本だが、日本の地震予知研究史
によると、当時フランスでは音響学を研究していたらしい
(8. 石本巳四雄と妹澤克惟 の箇所参照。顔写真もあります)。

矢田部夫婦が立って四号室が明いた(管理人註:ママ)ので、
朝その室へ引き移る。(2月17日)


夜は山田の誕生日祝いに招かれて、プリュニエに行く。(2月25日)

辰野と矢田部はずっと一緒だと思ってたんだけど、先に帰ったのね。
あと矢田部は夫婦で来てたのか。単身渡仏してパリ女と……と思っていた。

それから森茉莉がデビューした頃、既に『星の王子さま』は
有名になっていたと思うけど、森茉莉のパリ話には内藤の名前が
全然出てこないのは、不自然というか何か意図があるのだろうか。
内藤の日記には、矢田部・辰野以外の留学生もたくさん出てくるけど
森茉莉の作品はこの二人+能の石本だけだなんで。

カルメン

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2005年04月19日

内藤濯『星の王子パリ日記』の山田夫婦(1)

内藤濯のフランス留学日記から、山田夫婦の出てくるところを抜粋。
『記憶の絵』をお持ちの人は併読すると面白いかも。

夜は辰野、山田夫婦、宿の主人夫婦及びルイズ嬢と、
一所にシネマを見に行く。(12月8日)


この日の注に、ホテルジャンヌ・ダルクは
「パリ第五区ラ・クレフ街五十二号」とあります。

夜は山田君の室に宿の人達と一所に集まって音楽を聴いたり、
話をしたりして過ごす。(12月11日)


夜は山田夫婦と辰野と四人づれで、シャンゼリゼー座にモスクワ
芸術座の「桜の園」を見にいく。相変らずうまい。(12月13日)


夜は山田君の室へ行ってすっかり話しこむ。(12月18日)

この調子で山田の名前は頻繁に出てきます。
山田珠樹と森茉莉夫婦の部屋は留学生の溜まり場になって
いたようだ。全部抜書きするのも膨大になりそうなので、
森茉莉のパリ話に関係ありそうなのだけにしておく。

夜はオペラ座へ行く。「サムソンとダリラ」である。
かえりにラビラントへ寄って山田夫婦と忘年の食事をする。
辰野も加わって三時過ぎまで時を過ごす。
(中略)宿へかえって寝入ると間もなく、廊下で何処かの女が
泣いたりわめいたりする声がするので眼がさめる。(12月31日)


『記憶の絵』の「午前零時の接吻」後の山田夫婦の喧嘩?
と思ったが「午前零時の接吻(ニ)」読むとおとなしかった
ようだ。実際はどうだったのだろう。


桜の園

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2005年04月18日

パリで森茉莉と同じ宿にいた内藤濯

森茉莉がパリで滞在していたホテルに『星の王子さま』の訳で
知られる内藤濯も住んでいて、内藤の当時の日記に山田夫婦の名前が
出てくる、と2ちゃんで知った。教えてくれた人どうもありがとう。

その日記は『星の王子パリ日記』(昭和59年・グラフ社)として
本になっていて、もう絶版だけど偶然古本屋で見つけたので買った。
まだ通読してないけど、ぱらぱら拾い読みすると
山田、辰野、矢田部などの名前があっちこっちに出てきます。

大正11年(1922年)10月15日に日本を発った内藤は
11月27日にパリに到着。12月3日の日記で

午後はオテル・ジャンヌ・ダルクに辰野を訪ねる。山田夫妻に
紹介される。しばらく話して後、四人一所にポルト・マイヨオ
近くの日本倶楽部へ行って、久し振に日本食を取る。


と、山田夫妻の名前が初めて出てくる。森茉莉のことは
具体的に出てくることはほとんどないんですが
観劇や食事などに出かけたり部屋で話し合ったり、山田の名前が
よく出てきます。優雅なパリ生活だったのね。以下しばらくこの話。


ジャンヌ・ダルク 超異端の聖女

chiwami403 at 23:13|PermalinkComments(0)TrackBack(0)森茉莉