2005年08月

2005年08月29日

下北沢の三奇人・大谷藤子

森茉莉ドット文学館の「下北沢の三奇人」の話が
好きなんだけど、私は大谷藤子がどんな人か知らなかった。
『評伝長谷川時雨』を読んだとき「女人芸術」に執筆した人として
名前が出てきたので「あっ三奇人の人だ」と思ったことがある。

大谷藤子を紹介しているサイトはこちら
彩の国の偉人−秩父−大谷藤子
埼玉の文学  ― 現代篇 ― 大谷藤子

それから坂口安吾の恋人だった矢田津世子と仲がよく、
(大谷藤子のほうは友人以上の気持ちを抱いていた?)
矢田津世子や安吾関連のサイトにも名前が出てきます。

6月に『贅沢貧乏』の旧版単行本を購入したので久しぶりに読み返したら
忘れていた描写がありすぎて、初めて読む本のように新鮮であった。
大谷藤子と思われる人物も出てきていた。昔は全然気がつかなかったよ。

平常(ふだん)行っている代沢湯か北沢湯なら問題ないのだが、
小谷さくら子の勧めに従って、半日そこで仕事をしたり遊んだりしている
風月堂の横の湯に入れば夏は快適だというので、石鹸(シャボン)入れと
お気に入りのタオル持参で出かけたのが運のつきである。
「紅い空の朝から」(講談社文芸文庫『贅沢貧乏』59頁)


底ぬけ小説の方は、(中略)どうして底が抜けているかというと、
これはマリアの考えと、日常生活、を書いたものだから、マリアが
底のぬけた樽のような人間だからである、水谷梅子なぞは
(牟礼さんあなたどこか水が漏ってますね)なぞと言うのである。
「マリアはマリア」(講談社文芸文庫『贅沢貧乏』140頁)


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2005年08月28日

「輝ク」誌面での森茉莉

復刻版「輝ク」には、ありがたいことに別冊で総索引があるのです。
本当は森茉莉も見たかもしれない全部の誌面を読んだほうが時代の雰囲気も
分かるというものだけど、とりあえず森茉莉の部分を。

14号4頁 「真直の道」(全集に収録)
この文章は巻頭に掲載されてます。鴎外の娘とは知られていても
作家としては全く無名の森茉莉が身を立てようとするのを知って
時雨は目をかけ応援したのではないだろうか。

21号2頁 「渾沌時代」(全集に収録)

37号4頁 「戒厳令の銀座」(全集に収録)

47号 座談会「帰朝者を囲んで」(前編)※見開き2頁
 森茉莉の発言は3回。映画「新しき土」について
「マダムバタフライと余り違ひませんね。西洋人が日本婦人を観る眼、
 それが三十年前と違はないと云ふことが云へますね」と語っている。

48号 座談会(後編)※見開き2頁
 森茉莉の発言はたった2回。 最初は2行、次は3行!(1行13字程度)
 『薔薇くひ姫』状態だったのか? 後年の喋りまくりと対照的だ。

53号(総索引に出ているが「森三千代」執筆作品の間違い)

54号4頁 各地通信

85号2頁 「仕事と生命」(全集に収録)

全部書き写して来たと思ったけど全集収録作品が4つしかないな。
「銃後」が抜けてるみたいだ。

54号4頁の「各地通信」というのは、各頁の最下段に会員名(?)
と近況が並んでいるもので、この号には森茉莉も書いている。

この十日私隣家の類焼で弟の家が屋根が焼け水浸りになり
困って居ります。不幸中の幸には皆無事、大切な品も助かり
完全に残った書室には弟の居る場所よりありませんでしたので、
当分上野の宿屋に入りました。これを機会に少し怠け癖を直さうと
二三冊訳したい本を此処へ持つて参りました。


複写じゃなくて書き写してきたので、句読点など間違いあるかもしれません。
一人暮らしをする前に旅館でプチ一人暮らし体験をやってたんだなあ。
「少し怠け癖を直さうと」って改善の意志があったあたりほほえましいわ。

「輝ク」はいかにも女性解放的な内容や、後半は時局に関連した話題も多く
読んでうんざりと思う人もありそうだけど、森田たま、円地文子などの作家や、
森まゆみが著作でとりあげているような女性がわらわら出てきます。
地域の大きな図書館や、自治体の女性関係の施設などで閲覧できると
思うので、当時活躍した作家が気になる人は、見てみると面白いかと。


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2005年08月25日

「輝ク」に森茉莉「長谷川時雨先生の思ひ出」発見

長谷川時雨が主宰し昭和8年〜16年に発行された「輝ク」は
不二出版から1988年に復刻版が出ました。全集に掲載されて
いない文章があるかもしれない(8月11日記事参照)と知って
都立中央図書館に来たのだ(こういう時は行動が早い)。

早速、長谷川時雨先生追悼号を見ると……あったー!
「長谷川時雨先生の思ひ出」森茉莉 が。
600字程度と短くて、いかにも森茉莉って文章でもないのだが、
独立した作品とは見なされず全集には載らなかったのか?
(太字部分引用)

私が先生のお宅をお訪ねするのは極稀で、それも拙い原稿を
お目にかけるといふ用事に定つてゐましたので、いつでも
遠慮勝ちにお座敷に座り直ぐにお暇するのでしたから(後略)


こういう記述があるということは「輝ク」の活動には
積極的に参加していなかったってことなのかな。
母親が亡くなってからは頼まれたものを書くだけって
全集掲載文に書いてあった気がする。

或日先生は丁度来合わせた新聞記者を応対してゐらっしゃいました。
そのご様子は鮮やかで小気味よく、私はぼんやりした顔をして感じ
入って見守つてゐました。才智の美しさが冬のお座敷の中に卓子を
距てて殺風景な記者と向ひ合つた先生の会話と態度、表情の中に
鋭く光つてゐました。


森茉莉の著作の中では「偉者だった長谷川時雨」としかふれられてないけど
思ったよりもかかわりはたくさんあったんだなあ、と調べてて我ながらびっくり。

chiwami403 at 20:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0)森茉莉 | 森茉莉

2005年08月24日

都立中央図書館で森茉莉資料の閲覧

先日、広尾にある都立中央図書館に行った。
森茉莉関連の書籍雑誌を閲覧するためである。

普段は都内の区立図書館や日比谷図書館で本を見ていますが、
雑誌や古い書籍など都立中央にしかないものもあるのです。
パソコンで検索して閲覧希望の用紙をカウンターに提出すると
見せてくれます(有料で複写もできます)。

今回の目的は
  峙吋」復刻版で「長谷川時雨先生追悼号」を見る(全集未収録?)
◆〆F出海が森茉莉の作品を見て恩師の山田珠樹を回想した文章
 森茉莉ドット文学館で見た、大谷藤子の「森茉莉さん」
ぁ‖臉邏饗夫人の著書『ふたりひとつ』に森茉莉が書いた文章(全集未収録?)

とりあえず全部閲覧できて、食い入るように読み、満足した。
また閲覧したい資料がいくつかまとまったら広尾に行くつもり。

ついでに複写待ちのあいまに円地文子全集を棚から出して「廃園」
(森茉莉と杏奴姉妹がモデルらしい)を読んだ。
円地文子全集第二巻の最初に掲載されています。
確かに茉莉とアンヌ姉妹をモデルとしているけど、何から何まで
森茉莉そのものではない。円地文子は寄席で森茉莉を見たのだろうか。


chiwami403 at 22:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0)森茉莉 | 森茉莉

2005年08月23日

別blog「ねこそぎ記念」も更新中

最近、ライブドアブログはコメントつけても、画面上で反映されるのが
遅いです。お急ぎでコメント返信希望の方はメールにてどうぞ。

「森茉莉街道をゆく」は森茉莉のネタ報告のために作ったのですが、
森茉莉以外の記事(古本市に行ったとか、買った本読んだ本とか)
が増えてきたため、別のblog「ねこそぎ記念」を作りました。
日用帳のふじたさん、ご紹介いただきありがとうございます。

ねこそぎ記念

森茉莉街道blogの記事はテキストエディタであれこれ書き直し
しているけど、あちらは思いつくまま適当にメモ程度。

ところで、あちらのblogでも少しふれたけど、
Hugo Strikes Back! の記事にあった「丸ビルの不良少女団 林きみ」
について本や雑誌で見たことがある方、コメント欄かメールにて
情報をお寄せいただきたくお願いします。時期は大正末〜昭和初期頃?


chiwami403 at 21:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0)脱線 | 脱線

2005年08月21日

世田谷文学館で森茉莉の首飾りを見る

世田谷文学館に行ってきました。鴎外からもらったという
首飾り(『森茉莉 贅沢貧乏暮らし』17頁に掲載)が
2階の常設で見られて大満足であった。
高さ約30センチのガラスケースごしなのがもどかしく、
額をこすりつけんばかりに、あっちこっちから鼻息荒く凝視する。
他に赤木春恵からもらった犬のぬいぐるみ、頭デカくてびっくり。

森茉莉には関係ないけど、中村汀女の書斎やゴジラの着ぐるみ
昔の多摩川沿いの写真、青山脳病院の模型、大宅壮一文庫のビデオなど
見ごたえありました。もっと家から行きやすい場所だったらなあ。

森茉莉関連書籍や掲載雑誌は1階の書庫で申し込むと見せて貰えます。
念願の『少女座 森茉莉の世界』を見る。「茉莉さんの東京地図」、
ネットもない時代によく調べたなあ。浅草のアパルトマンは1986年まで
存在していたというのが驚きであった。その出典が『るるぶ』って何故?

遺品や原稿や書簡などは、特別閲覧希望の申込書が必要で、原稿などは
著作権継承者の承認も必要とのこと。
今回は特に閲覧希望しなかったが、愛蔵の絵画、嫁入りに持参した簪、
ティーカップ、コート、和服などが所蔵品目録に掲載されていた。
世田谷文学館様、いつの日にか森茉莉の企画展実現して下さい〜。

話は変わり、館内のポスターを見て平成8年に
「青鞜」と「女人藝術」 時代をつくった女性たち展
を世田谷文学館でやっていたことを今更ながら知った。
うおー見たかったよと思いつつ、目録・解説本を千円にて購入。
一方の平塚らいてうには本当にまったく興味がないのだが。

帰りに蘆花公園に寄る。一箱古本市で買った『みみずのたはごと』
を事前に読んでおいたので「おおあの家が」感慨深かった。
森茉莉が生まれた頃、相当田舎だったこの地に移り住んだ蘆花先生
大大勇気だったろうなあ。新宿から歩いて帰ったてすごいよなあ。

chiwami403 at 20:10|PermalinkComments(2)TrackBack(0)森茉莉 

2005年08月17日

森茉莉がセーターを捨てた川と和田誠

ブックオフで安かったので買った和田誠『指からウロコ』(白水社)
は、映画の話は分からず斜め読みだったけど、前半部分にある
幼少〜若い頃の思い出話がよかった。

その中で「おおっ」と思った、『東京人』に掲載の「ぼくの世田谷」。

終戦の直前に大阪から世田谷代田の祖父の家に引っ越してきた和田誠。
近くには川が流れていて、その向こうは、以前来たときは牧場だったのが
麦畑になっていた。終戦後、川沿いの桜の木が燃料として切られ、
次第に麦畑が住宅地へと変わっていき、魚のいた川も汚くなったが
久しぶりに実家に帰ったら、その川が遊歩道になっていて
お花見している人たちがいたという話(原文はもっと素晴らしいです)。

和田誠が世田谷代田のどのあたりに住んでいたかは不明だけど
森茉莉が住んでたアパートの近くにある川とと同じなんでは
ないだろうか。『贅沢貧乏』の中でも強烈(?)なエピソード、
「夜中に穴あきセーターを捨てに行く」川と。

夜更けの十一時四十五分頃に魔利の住むアパルトマンの近くを
通る人は、かさばった新聞紙を抱えて川辺りの方へ歩いて行く、
怪しげな女の影を見るのだ。(中略)魔利のアパルトマンの
近くにある川の中には、上等のスウェーター類の穴のあいたのが、
相当量沈んでいる。『贅沢貧乏』(講談社文芸文庫25頁)


和田誠の文章を記事にしたのは、和田誠と森茉莉がご近所さん(?)
だからというだけではなく、下記の文章があったから。

川向こうの麦畑は少しずつ減って、家が建ち始める。
したがって人が増える。そしてみなさん、川にゴミを捨てる。
やがて魚はいなくなり、ザリガニが繁殖した。小学生の僕たちは
エビガニと呼んで、これを獲るのは放課後の遊びの品目として
いちばん人気が高かった。


注目はこれです↓
そしてみなさん、川にゴミを捨てる。
そしてみなさん、川にゴミを捨てる。
そしてみなさん、川にゴミを捨てる。


……森茉莉だけではなかったらしい。セーターは特殊かもしれんが。

確か和田誠は「いかにも賢いでーす!」って顔してなくて、
嫁の平野レミとともに森茉莉のお気に入りだったはずだ。
もしかしたらザリガニ釣りしてる和田誠の横を、買物籠持った
森茉莉がよろよろ歩いてたかもしれないなあ。

指からウロコ


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2005年08月16日

メゾン・ドゥ・ゲテ(かたばみ荘)情報

浮遊的物語世界的日記:下北沢X物語(330)〜下北沢のメゾン・ドゥ・ゲテ〜

に「かたばみ荘」のことが出ている。今はその建物ないみたいですが。
これって本当にあったんだ……(なんとなくフィクションだと思っていた)
ヨーコベエが買うか買うまいか迷った焼鳥屋は「さかえ」だそうです。



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2005年08月14日

ダイヤ氷の看板とジャーに満ちた氷

以前、東京農業大学の博物館を見に行ったとき
バスの窓から「ダイヤ・アイス」の看板が見えた。

看板が気になったのと、わりと行きやすい場所だったので
後日ふたたび用賀駅を訪れた(こういう時は行動が早い)。
現在は店やってなくて看板だけ。隣は豆腐屋、向かいは金魚屋。
旧大山街道沿いの蒲田商店という酒屋の看板がすごかった(ボンカレー付き)。

この記事を書こうと「ダイヤ氷」で検索したら、森茉莉関連サイトと
現在は「おいしい果物」と改名したサイトの旧称くらいしかヒットせず。
が、「ダイヤアイス」で検索するとわらわらでてきて、少し読むうちに
「ダイヤアイスって固有名詞じゃなかったのか」と気が付いた。

キリンビール、アサヒビール、サッポロビールのように、
会社のブランド名だと思っていたのだが、そうでなくて一般名詞、
要は角切り、いちょう切り、みじん切り、拍子切りみたいなもんか。
ダイヤアイスは3センチ角程度(店によって違う)の立方体だそうです。

氷の種類はこちら:氷いろいろ、全国氷研会

ダイヤアイスの検索でひっかかった 60年代の暮らし_広口ジャー
を読んでいたら

このジャーの中に、氷屋さんから買ってきた直方体の氷を千枚通しなどで
ぶっかき氷状態にして詰めこみ、たとえば、その中に、一緒にトマトやら
キュウリを暫く入れき、ギンギンに冷えたトマトやキュウリを食べる
というようなことをしておりました。


この部分を見て『私の美の世界』の「貧乏サヴァラン」で
「われはジャーに満ちた氷を愛す」と書かれているのを思い出した。

まず今なら、ジャーの蓋を開けて、北極を空想するような角砂糖氷の
堆積の中から(カッコ内略)――われはジャーに満ちた氷を愛す――
マヨネエズの壜を出し、鎌倉ハムを出し(中略)頭の半分は捨てた、
胡瓜の太ったしっぽを出して、ボオルに入れて部屋に入り(後略)


ダイヤ氷は冷紅茶を作るだけではなくて、薔薇色がかった朱色の
玲瓏玉の如きトマトを広口ジャーで冷やしていたのだなあ。
さすがに後年は冷蔵庫を買ったのではないかと思われるけれど
電気冷蔵庫が普及する以前の生活のひとこまを描いているってことで。

秋葉原の歴史【第三章〜高度成長と家電ブーム〜】昭和30年代
に出ていた昭和32年と40年の冷蔵庫普及率(出典不明)↓

30年代に「三種の神器」と言われた、白黒テレビ、電気洗濯機、電気冷蔵庫の普及率は、
昭和32年当時、それぞれ、7.8%、20.2%、2.8%であったが、
昭和40年には、それぞれ、95.0%、78.1%、68.7%と急速に普及していった.


ところで東農大の「食と農」の博物館、バイオリウムという温室もあり
酒の器や道具の展示とか、北海道関係展示など、入場無料だけど面白かった。
「大根踊りグッズ」も売っていた(ビーチボールみたいな素材で大根型)。

画像はダイヤアイス看板と、
用賀の酒屋(よく見るとボンカレーもある)
ダイヤアイス看板
用賀の酒屋

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2005年08月11日

「輝ク」時雨追悼号に森茉莉の全集未収録作品?

いわゆる戦争協力とかの話が嫌いな人は読まないように。

2005年3月9日記事では、長谷川時雨の雑誌「輝ク」に掲載された森茉莉の
文章について書きましたが、「輝ク」と森茉莉の関わりに追記。

3月の記事を書いたときは『「輝ク」の時代―長谷川時雨とその周辺
を前半の一部しか読んでいなかったが、先日図書館で斜め読みしていたら
森茉莉の名前発見(それでもまだ結局通読していない)。

一つめは「輝ク部隊」の評議員一覧に森茉莉の名前があったこと。
活動は慰問袋や慰問文集作成などで、森茉莉は戦地へ慰問はしていないが、
野上弥生子、平林たい子、与謝野晶子を除くほとんどの女流作家112人が
名を連ねている(小堀杏奴も)。中には名前だけの人もいるそうだが、
森茉莉は、慰問袋作成はしているようだし(3月14日記事参照)。

二つめは「輝ク」の長谷川時雨追悼号についての章で、
円地文子や宮本百合子などの追悼文が紹介されていますが
その後に森茉莉のコメントも短いけど一部引用されていたこと。

死といふものとあまり正反対な華やかな先生でした。
それは男の人のやうでした。
「長谷川時雨先生の思ひ出」


元の雑誌を見ていなくて引用の引用なので、実際はどの程度の
長さの文章か分からないが、森茉莉全集には掲載されていない。
「輝ク」は頁数の少ないリーフレットで、森茉莉はまだ無名だった
から全集に掲載されないほどの短い文章だったのかもしれない。

図書館で森茉莉全集索引を見てきたついでに
「輝ク」の掲載文章についての筑摩全集の解説↓

茉莉はおそらく「輝ク」会の会員となったわけではなく、
寄稿者であった。都合五回、原稿が掲載されている。


「輝ク」は最初から銃後活動をしていたわけではないので
銃後活動の「輝ク部隊」が出来る前に森茉莉がどう関わって
いたか不明だが、森茉莉の著作では戦時中の「輝ク」のことは
語っていないし、『「輝ク」の時代―長谷川時雨とその周辺 』は
森茉莉全集発刊後に出たものだから、評議員だったことは知られて
いなかったのか?

といっても全集を読めば分かることだけど、森茉莉が「輝ク」に書いた
文章は鬼畜英米でも大東亜共栄圏でもなく、落語や歌舞伎の話だったりして
意外と戦時職は薄いなと思った。「輝ク」が最初から最後まで全面的に
戦争礼賛!なわけじゃないんだけど、それでも責任追及したい人はいるだろうけど。

脱線だけど、輝ク部隊の結成の会合で山田珠樹の友人辰野隆が
「愛国心(パトリオティズム)は、狂的排他的愛国心(ショオヴィニズム)
とは厳格に区別しなければなりません」とスピーチをしています
(昭和14年7月)。森茉莉は出席してたのだろうか。

「輝ク」じゃないけど戦時中の『戦線文庫』が復刊されます。
監修者の橋本健午による『戦線文庫』の解説サイトに、輝ク部隊の
慰問文集の話も出ています。『心-こころ- 橋本健午のページ』 『戰線文庫』 

戦線文庫


chiwami403 at 21:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0)森茉莉 | 森茉莉