2005年10月

2005年10月25日

パソコン壊れたので更新休み

自宅で使っているノートパソコンが壊れました。
ディスプレイのバックライトが壊れたみたいで画面まっくら。
暗いなかになんとなくアイコンがぼんやり見えるだけで
修理に出さないといかんのですが、そういうわけでしばらく更新休み。

パソコン使えないって不便だなあ。どうか安く済みますように。
このblogのプロフィールに掲載してるホットメールは
会社で休み時間にこっそり見られるので、御用の方はそちらか
コメント欄にお願いします。

今週末からの古本まつりは土日都合悪いので28日他平日の
会社帰り、と余力があれば3日に見て回るつもりです。


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2005年10月23日

時雨の妹、長谷川春子の『大ぶろしき』

長谷川時雨について書いた文章の中で、読んでていちばん
おもしろかったのが、妹の長谷川春子による軽妙な語り口の
「天下の美人を姉に持てば」だった。

日本の古本屋で検索したら『大ぶろしき』という新書が
あったので購入。新書にしては絵がたくさん入っていた。

毒舌で有名だったらしく、日本橋生まれのちゃきちゃきの
江戸っ子ぶりを発揮している。ほとんどが聞き書きのようだ。
画家が本業で作家ではないけれど、姉の時雨以上に知られて
ないのが残念。日本画を姉の時雨の紹介で鏑木清方に習いはじめ、

「どうも先生、私は油絵もやらなくちゃいけないと思います」
 鏑木先生はおもむろにうなずいて、
「そうだ、しかし先生は誰がよかろう」
「梅原龍三郎氏」


というわけで油絵は梅原龍三郎が師匠。豪華っすね。

 梅原先生と鏑木先生が今でも出遭うと、鏑木先生は寺子屋にやった
我がまま娘のよだれくりの母親のように、
「どうも長谷川がいろいろ御世話になって――」
 梅原先生は父親のように太った腕を組んでうなずかれる。


とハルコチャンは偉大な師匠二人に愛されているのであった。

表紙は風呂敷をひろげている絵、扉の絵は富士山を遠景に
羽子板を持っている幼少のハルコちゃんらしき女の子。
ハルコちゃんの自伝によると、幼い頃お付きの女中に背負われて
通油町(小伝馬町近く)から呉服橋の幼稚園まで歩いていくと
駿河町(現在の三越のへん?)から富士山が見えたのだそうな。

戦前にパリへ留学し、藤田嗣治とも交流があったようだし
他に六代目菊五郎とも親しかったので、菊五郎についてのエピソードも。
あと父親の深造からは祖父といってもいい位の歳だったので可愛がられたみたい。
他に『恐妻塚縁起』『ニッポンじじい愛すべし』などの著書があり、
源氏鶏太の小説に挿絵を書いたりもしてます。

長谷川春子『大ぶろしき』表紙『大ぶろしき』表紙開いたところ

chiwami403 at 22:03|PermalinkComments(6)TrackBack(0)長谷川時雨 | 長谷川時雨

2005年10月20日

私は長谷川時雨は美人と信じる

上々堂のブログで指摘されていた、時雨って美人か?の疑問は、
別の人にも長谷川時雨のことでメールをした時に同じことを
言われましたが、美人の顔って時代によって違いますしね。

長谷川時雨は『随筆きもの』で自分が洋装すると全然似合わないと
書いているし、着物の時代の美人なのかも。
城夏子は長谷川時雨を容姿だけでなく立居振舞全部含めて褒めているし。
今は矢田津世子みたいな美人のほうが人気なのだろうか。

森まゆみの『明治快女伝』で他の作家の写真見ると、
長谷川時雨は美人だなあ……と私しみじみ思うんですが、贔屓か。
ちなみにこの本にはらいてうと与謝野晶子は出ているのに、
時雨が出ていない、のが不満。執筆当時まだ知られていなかった為か、
戦時中に銃後活動を積極的にしたのがよろしくないと思われたのか。

ちなみに明治時代の美人さんといえば赤坂の萬龍はどうでしょう。
三越の建物の模型を持っているポスターのあの人です。
萬龍か万龍で各自画像検索されたし。

明治快女伝―わたしはわたしよ


chiwami403 at 21:22|PermalinkComments(0)TrackBack(0)長谷川時雨 | 長谷川時雨

2005年10月17日

長谷川時雨と眉毛

長谷川時雨の命日にちなんで、古書上々堂のブログにて
紹介記事がありました。長谷川時雨のカテゴリがある
blogなのに考えもしませんでした、命日。

古書上々堂:古本屋の掃苔帖 第三十五回 長谷川時雨
注:命日は10月でなく8月です

三上が亡くなったのは時雨没後ですが、病気に倒れたのは三上が
先でした。愛人宅にいたのを時雨が引き取って看病していたような。
祖母おりんさんが伊勢から上京するときに持参した、長吉という名の
京人形を時雨はずっと大事にしていて、棺に入れられたという話が
印象的でした。長吉のことは旧聞日本橋の「西川小りん」にも出てます。

この記事では、長谷川時雨の眉毛が相当気になってるようですが
長谷川時雨が好き過ぎるあまり、考えもしませんでした、眉毛。
私は言われて見てみれば「…あー、そうかなあ」って思うくらい。
ほんの15年前の太眉全盛時代の写真にさえ時代の移り変わりを
感じるのですから、ましてや昭和初期のこの写真においてをや。

眉毛と言えば、長谷川時雨の母親お多喜さんが突如洋装をしたときの
話が『旧聞日本橋』に出てきますが、姑(=時雨の祖母)に

「おたき、眉毛が立って狸(たぬき)のように見えて
じじむさい、それだけは剃ったがよい。」


とツッコマれてます。

母の顔は眉毛(まゆげ)がなくって薄青く光っていた。
歯は綺麗に真黒だった。それなのに、目の前に見る母はボヤボヤと
生え揃わない眉毛があって、歯が白くて気味が悪かった。

(勝川花菊の一生 長谷川時雨)

長谷川時雨が小さい頃は眉なしお歯黒が普通だったんだよなあ。
お歯黒は明治末ごろまで行われていたようです。

寺田寅彦は確か随筆で、お歯黒がヘンなら外人のマニキュアだって
異様じゃないか、というようなことを書いていた気がする。


chiwami403 at 23:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0)長谷川時雨 | 長谷川時雨

2005年10月10日

さくらんぼの詩は今も売ってる

私が森茉莉を知ったとき、森茉莉は既に故人だったので
自分と同じ時代を生きた人、という実感はあまりない。
『ドッキリチャンネル』を読んでも、当時あまりテレビ見てなくて
芸能人の名前を覚えていないので、分からない話も多いし。

そんな私が「森茉莉と同じ時代を生きていたんだ」と
実感できたのが、「さくらんぼの詩」のメモであった。
『森茉莉 贅沢貧乏暮らし』の147頁に買い物用とおぼしき
メモの写真があって、一番上のメモの左側に、丸で囲った
「さくらんぼの詩」が。しかも一箱って森茉莉食べ過ぎ!

これは小学生のときよく買ってたな〜。懐かしいです。
他のキャンディ類は高かったけど、これは50円位だったから
遠足のおやつには、いちごポッキーと共に欠かせなかった。

検索してみたら現在も販売してて、この前見かけたので買った。
63円。そうか森茉莉も好きだったんだ、としみじみ味わった。
でも袋の絵が昔と違うなあ、もうちょっとパステルっぽい色調
だったような、と思って検索したら当時のパッケージが。

UHA味覚糖の歴史
リンク先の、昭和54(1979) さくらんぼの詩
の横にあるこの絵です。ファンシー全盛の時代っぽいなあ。

楽天で検索したら「さくらんぼの詩」あった。
森茉莉の真似して10箱まとめ買いしたい人はどうぞ。
【楽天市場】さくらんぼの詩:ゆっくんのお菓子倉庫

あと『森茉莉 贅沢貧乏暮らし』で懐かしかったのは、テレビ欄の
「真珠の小箱」。日曜朝にTBSで地味〜にやってた番組。オープニングの
音楽とその背景の画像が、その当時既にレトロの域に入っていた。


chiwami403 at 22:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0)森茉莉 | 森茉莉

2005年10月06日

神楽坂で田原屋のコンソメスープを想う

神楽坂に行った。今はもうなくなってしまったけど
田原屋という洋食屋のあった場所を見てみたいと思ったので。

神楽坂にはかつて田原屋という洋食屋があり作家も通っていたらしい。
森茉莉ドット文学館の「マリアと宗平」では田原屋のコンソメスープの
名前が出てくるので(2002年4月8日のところ)食べに行ってたのかな?

黒猫ジュリエットへの手紙 -甘い蜜の食卓- は『甘い蜜の部屋』に
出てくる食べ物を網羅するという大変ありがたい一覧表なのですが、

「牡蠣の食べられる月になったから、神楽坂の田原屋にでも行こうか。できればモイラも…」

と林作の発言があるそうです。私は覚えてないのですが。

田原屋の店頭の画像が 過去の連載/西村和夫の神楽坂
(連載(15)
<2004/8/15>の途中)にあった。もう廃業してたようだ。

田原屋のマッチ画像も発見。
グリム書房という古本屋の「書庫出し日誌」(2004年8月2日のところ)。


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2005年10月03日

左内坂をのぼって長谷川時雨を偲ぶ

長谷川時雨が住んでいたという市ヶ谷左内町周辺に行ってみた。
年譜を見ると昭和3年〜6年の間で女人藝術を出していた頃。

リンク切れになった「週末大島暮らし」というサイトから
『女人しぐれ』の冒頭部分孫引き↓

省線の市ヶ谷駅から、だらだらと長い左内坂をのぼりきって、
仕官学校の塀と道をはさんだ牛込左内町の大きな家で


左内坂登って周辺うろうろするだけで満足。名残はほとんどないけど、
何人もの女性作家の卵がこの坂をのぼっていったのだなあ、
としみじみ当時に思いを馳せる。坂道がけっこう急です。
江上料理学院があったが、企業協賛の講座は安いぞ。

地図を見ると、この辺りは昔の町名がかなり残っている。
写真撮れなかったので、坂の画像のあるサイトを。市ヶ谷/左内坂、右近坂

ナンダロウアヤシゲな日々の2004年10月1日の日記には
昭和初期に女人藝術社の手伝いをしていた人と会った話が。

タモリのTOKYO坂道美学入門


chiwami403 at 22:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0)長谷川時雨 | 長谷川時雨

2005年10月02日

祝・金魚部入部

blogを始めた頃、森茉莉で検索していたときにヒットした
「金魚部」というサイトがあって、かわいらしい部員金魚の
みなさん素敵ー! と思って時々眺めていました。

今年4月の一箱古本市に管理人さんが出品されていたのだけど
声をかけそびれてしまったので、メールで
「うちに金魚の土鈴があるので入部させてもらえないでしょうか」
とお頼みしたら快く引き受けていただきました。やったやったー。

金魚部 (9月17日のところ)
トップにある「金魚部」リンクから他の部員の皆様もぜひご覧下さい。

本文中にある「伊東君」は武蔵新田の金魚屋さんのことです。
友達の家に遊びに行く途中いつも気になってて、わざわざデジカメ
持参して撮った。友達に「何撮ってんのー」って言われたけど。
うちの近くには昔「○○靴小鳥金魚店(○○には町名が入る)」
ってのがありました。何故に靴。

武蔵新田の伊東君

chiwami403 at 21:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)脱線 | 脱線