2005年12月

2005年12月29日

2005年の森茉莉街道を振り返る

今年の更新はこれで終りです。来年は10日前後から更新する予定。

・前年の秋から読み始めた長谷川時雨の魅力に取り付かれ、
 blogにタイトル追加してまとめ記事っぽいのを作れて自己満足。
 653さんによる長谷川深造探索にも感謝感謝。

・4月末に出た一箱古本市では、多数のお客様に本買っていただき
 また古本好きの方とも交流できてよかった。また来年も出たいぞ!

・6月には邪宗門の森茉莉イベントにも出ました。森茉莉ゆかりの人と
 話したり、作品に出てくる場所を見に行くのも楽しかった。

・職場が変わったり、パソコン壊れたりで更新が遅れましたが
 2006年も頻繁に更新は無理かもしれないが、どうにか続けたい。

森茉莉といえば 「下北沢X物語(452)〜年輪に畳まれた過去物語(1)
によると「森茉莉も使っていた「代沢湯」が店を閉じてしまった」そうで
ものすごく悔やまれるうーッ。この時期寒いから来年の夏にでも散歩がてら
行こうかと思ってたのに。この夏におけばよかったなあ。私のバカバカ。

chiwami403 at 20:06|PermalinkComments(0)TrackBack(0)脱線 | 脱線

2005年12月27日

氷川丸のナーサリー室

氷川丸ナーサリー室1

氷川丸ナーサリー室2

氷川丸ナーサリー室3

氷川丸ナーサリー室4





氷川丸にはアールデコのサロンがあるので近代建築好きの人たちと
見に行ったことがあります。その時に見たナーサリー室の装飾がかわいいんだけど
その後再び訪れたら中には入れなかったので、もっと写真撮ってくれば
よかったと残念に思っている。

氷川丸をロケ地として利用する撮影料 の
(3)オプション撮影場所利用料金一例/別料金/税込表記
にナーサリー写真へのリンクがあります。こういう感じで部屋に並んでる。

一度氷川丸を見たことある人は分かると思いますが、Aデッキなんかは
ファッション誌の撮影にかなり使われてます。
他にファッション誌でよく使われるのは、本牧のバーナードハウスとか(階段は特に)。
私は横浜市の資料集で内部写真見ただけですが、一度内部を見てみたいなあ。


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2005年12月24日

企画展「梨本宮家と渋谷」に賀茂丸

たばこと塩の博物館の企画展示「梨本宮家と渋谷」を見に行った。
鍋島藩最後の殿様の娘で、梨本宮家に嫁いだ伊都子妃の生涯を
紹介しながら当時の世相に関する品物も展示(1月15日まで)。

森茉莉もそうだけど「昔のお嬢様もの」が好きなので(こっちはお姫様だが)
以前読んだ『銀のボンボニエール』などを思い出しつつ展示を見る。
佐賀藩関係の展示は、森茉莉の母方の祖父荒木博臣の出身地で興味深い。
伊都子妃の娘が嫁いで住んだのが、現在赤プリにある西洋館というのも初めて知る。

それから伊都子妃が渡欧したときに乗ったのが、日本郵船の賀茂丸で
当時のポスターや食器類などを展示していた。森茉莉がパリに行ったときに
乗ったのもこの賀茂丸だったので、ひゃっほーと大喜びであった。

日本郵船の欧州航路就航船舶 - 明治後期 
に賀茂丸の写真と下記の解説有(リンク先の下のほうにあります)。

欧州航路に就航した神奈川丸型、若狹丸型が航海奨励法所定の15年の制限船齢に
達するため明治39年(1906)に計画された8,500総トン、速力15ノット級の貨客船。


森茉莉の帰りの船は諏訪丸。こっちは大正時代の船で、同上サイトに写真有。
日本郵船の欧州航路就航船舶 - 大正期(のリンク先、下のほう)

諏訪丸の公室の装飾は香取丸と同様、英国ウエアリング・アンド・ギロー社
によりクラシカルな様式


と解説があります。賀茂丸の8500トンに比べて「1万2,000総トン級、速力16ノット
の大型貨客船」というから、伊都子妃渡欧時の最新客船も、森茉莉の渡仏の頃には
「ちょっと昔の船」だったようで、『記憶の絵』の「帰国」にはこう書いています。

行きは賀茂丸だったが帰りは諏訪丸という、賀茂丸よりずっと大きな船で
再び印度洋を通って、山田珠樹と私とは帰国した。


横浜港の氷川丸も日本郵船の客船で、一等の応接室はアールデコの装飾が
素晴らしいです。エンジン室の計器類とかも金物好きなので大喜びだった。
森茉莉の渡仏時代よりは後の船だけど、昔の船旅に想いを馳せたり
昔の社会科見学を思い出したり、けっこう楽しめます。
横浜には日本郵船の資料館があります。日本郵船歴史博物館

氷川丸のエンジン室の写真↓

氷川丸エンジン室チャージ中

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2005年12月20日

森下真理『わたしの長谷川時雨』ドメス出版

ドメス出版は長谷川時雨全集や「輝ク」復刻をはじめ、関連本の
出版がありますが、12月に森下真理『わたしの長谷川時雨』が出ました。

著者は同じ日本橋生まれの児童文学作家、森下真理で『長谷川時雨 人と生涯』
では著書解説を書いたり、中央区に長谷川時雨関連の書籍や資料を寄贈したり
長谷川時雨のことを熱心に研究されている方です。

私はまだ実物見てないんだけど、どういうふうに長谷川時雨を紹介しているか
新発見の資料や写真などあるかが気になる。3600円かー。
自治体の女性支援施設(東京ウィメンズプラザとか)の資料室とかに
置いてあるかもしれないので、まずそっちを探してみます。

わたしの長谷川時雨


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菊池寛の『話の屑篭』に長谷川時雨

菊池寛の日記、話の屑籠・昭和十六年 十月の欄に
長谷川時雨が亡くなったことが書いてある

八月中に、文壇では長谷川時雨女史と加能作次郎君とを失った。(中略)
長谷川さんは三上夫人であると同時に、女流作家としても活躍したが、
全女流文壇の顔役として「輝ク部隊」を集めて、時局的にも活躍したのは
なかなか見事であった。江戸っ子らしい純情があったためであろう。が、
それよりも我々を感心させたのは、三上氏病んで以来、よく家政をやりくりして、
三上氏の病を養わせたことである。女流作家でありながら、しかも家庭夫人としても、
女性の本分を失わない点において、立派な女性であった。


菊池寛の文藝春秋と、時雨が主宰した女人藝術とは交流があった
と評伝長谷川時雨で読んだ気がする。


話の屑籠の目次はこちら 

honya ―21世紀の読書空間 というサイトのコンテンツです。)


真珠夫人


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2005年12月13日

鴎外が長谷川時雨に白粉禁止令

村井弦齋の『食道楽』では、女は白粉をするべきか否かという
当時の白粉(おしろい)論争についても触れている。

それで思い出したのは、今年の夏に駒場の近代文学館へ
長谷川時雨の著書を見に行ったときに書き写してきた一節。
森鴎外が時雨に「白粉を塗らないほうがいい」と勧めている。

もう二十五六年前に、鴎外先生が、
「しぐれさんは白粉をつけない方がいいな」
と言はれたことだ。私はおけし坊主の赤ン坊の時分から
白粉を塗られてきてゐるので、自分の素地を汚らしい
のと考へさせられ、したがって白粉のない顔を、
身だしなみの悪いものと教へられた風習にとらはれてゐた。
(中略)
「でも色が黒くつて」
と答へた。すると重ねて
「イヤ、そんな生々とした、江戸ッ子の浅黒いのは美しい。
白粉をぬつてはいけない」


この文章が書かれたのは昭和6年、その25年前は明治39年。
『食道楽』の論争から少し後で、鴎外が顧問をしていた狂言座は
まだ出来てないけど(大正2年)長谷川時雨が劇作家になった頃で
森鴎外と話をする機会があったのかもしれない。

長谷川時雨の化粧品については、晩年身近にいた若林つやが
『野薔薇幻相』で「先生は特別匂いには敏感で、同じメーカーの
化粧品を使うようにと注意されました」と回想しています。

女は色白でなければならない、と誰もが白粉を塗っていた時代だから
森鴎外の発言は斬新だったのではないだろうか。
掲載箇所は忘れたけど、森茉莉の母親は40歳過ぎたらお化粧をやめた
と(年齢うろ覚え)どこかに書いていた気がする。パッパ鴎外は
同じく江戸っ子のおしげさんには、白粉のことは言ったのかな?

明治中期までは、白粉に鉛が入っているのが当たり前だったそうで
今後はハンダ付けにも鉛は使われなくなるのに、そらもーびっくり。

ご参考:
◆NCM-化粧品・日用品・流通 ■1886年(明治19年)-1905年(明治44年)

今もお馴染みの化粧品、名前だけ聞いたことある化粧品など変遷が面白い。

美女の歴史―美容術と化粧術の5000年史


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2005年12月10日

村井弦斎『食道楽』に東京産マルボーロ

今読んでいる村井弦斎の『食道楽』(しょくどうらく)に

佐賀のマルボーロを牛込の早稲田で上等に拵えて
売りますから折々買わせます。


という文章があって、森茉莉の「明舟町の家」思い出した。
『食道楽』の連載開始は明治36年で森茉莉が生まれた年だから
この早稲田の店のを食べていたかもしれない。

祖父は看護婦に「マルボオルを出せ」と言い、枕元の戸棚から
大きなパン菓子を出させ私に与えるのだった。カステラとビスケットの
合いの子のような菓子で、柔らかくて美味しかった。「明舟町の家」
(講談社文藝文庫『父の帽子』80頁)


マルボーロは佐賀の名物のお菓子で、森茉莉の母方の祖父は
佐賀出身だから、明舟町の家にもあったのであろう。
明治の御一新で東京に来た佐賀の人たちが「マルボーロ食べたいーッ」
と望郷の念に駆られ、早稲田で作る人が出てきたのかもなあ。

まるぼうろの画像と作り方:うまかもん−まるぼうろ

食道楽と村井弦斎については下記のサイトと、
村井弦斎の評伝を書いた人のblogをご参照ください。

明治村■ おすすめグルメ■ (食道楽のカレーパンとコロッケの販売)

第6回村井弦斎(むらい げんさい)まつり
村井弦斎が住んだ平塚市の祭。「食道楽まつり」じゃない所がすごい。

食道楽 (上)


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2005年12月08日

ヤフオクにサイレン社の近代美人伝

自分はメンバー登録してないのですが、ヤフーオークションで
時々好きな作家の名前を検索して出品状況を見てます。

今日見たら昭和11年発行の、長谷川時雨『近代美人伝』が出品されていた。
私が買える値段ではないし、今は文庫が出ているけれど、本に掲載されてる
写真がリンク先に多数転載されているので見る価値ありです。

★長谷川時雨『近代美人傳』梅原龍三郎 口絵・岡田三郎助 装丁
(終了時刻:12月 14日 22時 22分)

ちょっと前は長谷川時雨の『草魚』が千円で出ていて、
「ああああ欲しいなあ」と思ったが面倒なので結局何もせず。


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2005年12月05日

獣医さんと東條さん

世田谷周辺の歴史や作家を調べているblog、浮遊的物語世界的日記 
は、これまで何度も紹介したけど、新たな森茉莉エピソードが出ていた。

■2005年11月16日:下北沢X物語(412)〜北沢川の俳句文学(1)〜 
に、ジュリエット(実際はジャポでしたっけ)を診察した獣医さん登場。

森茉莉先生の黒猫も中村汀女先生の猫も診ましたよ。

ですって。この前世田谷文学館に行ったたら中村汀女の部屋が再現してあって
文机いいなあと思ってたんだけど、森茉莉とは交流なかったのかな。

■2005年11月11日:下北沢X物語(408)〜東條由布子氏と北沢散策(3)〜

わたしはね、雑誌社にいて彼女にインタビューしたことがあるの、
確か、昭和58年ぐらいだったと思います。
(中略)
廊下にはずらりとドンブリが並んでいるんですよ。部屋に入ると
もう色んなものが散乱していましたね。原稿用紙とか新聞紙とかね、
それでね、ベットの自分が座るところだけはなんにもないんですよ。


こう語るのは東條英機の孫にあたる人。厳格に育てられてそうだから
森茉莉見てびっくりしたんじゃなかろうか。
昭和58年っていうと晩年でドッキリチャンネルの連載で忙しくて
贅沢貧乏生活どころではなかった頃だろうか >ずらりどんぶり

chiwami403 at 22:57|PermalinkComments(0)TrackBack(0)森茉莉 | 森茉莉