2008年02月

2008年02月14日

ブックオフの「家庭・暮らし」棚に『森茉莉贅沢貧乏暮らし』

最近はあまり本を読んでないので、ブックオフへはたまにしか
行かないのですが、先日ふと地元の店に立ち寄ってみたら
『森茉莉 贅沢貧乏暮らし』があったので購入した。

でも、文芸書関係の棚ではなく「家庭・暮らし」の棚のところにあった。
周りの本はシックハウス症候群や沖幸子の掃除の本とか。
近くにある料理や食べ物関係の棚を見ていたら見覚えのある本があったので
びっくりした。タイトルに「暮らし」と入っているからこの分類なのだろう
けど、店員さん結構適当なのね。

写真は新潮文庫の贅沢貧乏。もう一箱古本市で売っちゃった。
ちなみに、今年の一箱古本市は出店しません。本買ってないので売る本がない。

新潮文庫『贅沢貧乏』.



chiwami403 at 20:33|PermalinkComments(2)森茉莉 

2008年02月12日

森茉莉と戸川エマの接点を再び考える

森茉莉と戸川エマが顔見知りだった件の続き。でも別に解決したわけではない。

(ご参考)
2007年12月26日『東京味覚地図』における森茉莉とエスワイル
2007年12月29日 エスワイルと森茉莉について天童大人さんのご教示

『鴎外の遺産』の三巻を読んでいたら、
「五章 恩師たち、友人たち」の「母のごとき晶子先生」
(昭和55年11月20日記、与謝野晶子全集19巻月報掲載)に

私は昔、旧制の女学校を卒業し、僅かの間だが、
文化学院大学部の聴講課に席を置いていたことがある


とあった(411ページ)。明治42年生まれの杏奴と明治44年生まれで
文化学院卒の戸川エマは会うことがあったのではないか
→杏奴から森茉莉に紹介? と考えた。

森茉莉が執筆した雑誌「冬柏」に戸川エマも書いたんじゃないかと
思ってぐぐってみたが、ネット上にはそれらしき記述なし。
「与謝野晶子 戸川エマ」で検索して分かったのは、与謝野家と戸川家
(エマの父は英文学者・戸川秋骨)はご近所同士だったようだ。
与謝野寛・晶子夫妻は文化学院の先生でもあったからから、戸川エマは
ご近所さん且つ教え子でもある。

朝日新聞 中野 杉並 タウン情報紙 asuna (アスナ)−文学散歩
の「荻窪駅南界隈 - 其の六-(与謝野鉄幹・晶子その一)」によると

竹林の左隣は戸川エマ氏のお里方の戸川秋骨の屋敷でした。

戸川エマが何歳くらいまで荻窪に住んでいたか不明だけど、
ご近所で与謝野家とは行き来もあったのではないかと勝手に想像。

同じ章の別の文章「源氏物語」には小堀杏奴が女学校を卒業後、
鴎外の遺志で与謝野晶子に国文を教わったと書いている。

たしか初夏の頃だつたと思ふが、荻窪の与謝野先生の所へ伺つて

と、荻窪に通っている。森茉莉も「冬柏」の執筆やルゥルゥ本の翻訳の件で
与謝野家へ行っただろう→お隣さんの戸川エマも与謝野家へ来ていて
顔見知りになった、ってことはないかなー、と勝手な想像だけど根拠はない。

話はそれるけど、この引用部分の前に

外国語は仏英和女学校にゐた関係から、仏蘭西語をやらせられたが、
私はどうも外国語には向かなくて、姉の方が其の方には非常に天分があつた。


と杏奴は書いている。

chiwami403 at 21:48|PermalinkComments(0)森茉莉 

2008年02月08日

白石かずこの「人参トロトロ」? とおぼしき料理

ユリイカ12月号の森茉莉特集で気になっていた白石かずこの料理。

一月七日、ナポレオンと同じ誕生日だという。この日は(中略)
わたしは茉莉さんの好きな「人参トロトロ」をはじめ、ケイキに
花束、ワインetc.をかかえてパーティーをした。
(48ページ)

「人参トロトロ」で検索すると離乳食のサイトや育児ブログが
わらわら出てきて結局よく分からなかったこの料理。

筑摩の森茉莉全集6巻、ドッキリチャンネルの
「室生犀星と月の少女、犀星の大切な女(ひと)」の最後に

矢川澄子が造って来てくれた、雉の蒸焼きと、白石かずこの造った
人参を茹でて(一寸生姜を入れる)砂糖を加えて炒めた料理を黒麺麭
と一緒に食べたのである。


とあった。
白石かずこの文章に戻って見ると、矢川澄子は「鳥のまるやき」と
お菓子を作ってきたとあるので、これがその料理なのかもしれない。


chiwami403 at 22:04|PermalinkComments(0)森茉莉 

2008年02月03日

岡本太郎邸の「白い蝋のとさか」

『私の美男子論』をめくっていたときにふと目に入ってきた
岡本太郎についての文章。
数年前に青山の岡本太郎記念館に行ったときに、森茉莉が言及
しているオブジェを自分も見たかも? と突然気になりだして、
当時の写真を探してみた。

大理石のような肌理と艶をした蝋を刻んだ、巨大な物体が、
芝生の薄緑を背景に白く、浮び上がっている。山脈のように
もみえるが、山々の頂が皆一方に傾いていて、大きな鶏の
とさかのようでもある。
(格子縞のシャツの岡本太郎『私の美男子論』39ページ〜)


「この白い物体だけが、なんとなく気になり」というだけあって、
文章の半分くらいは岡本太郎本人でなく、この「白い蝋のとさか」
の描写になっている。森茉莉の文章によると"「作品、GK」という
モダン・バレの背景" らしい。

岡本太郎記念館
トップページ上部の写真、数秒ごとに変わりますが、
庭の写真の中央奥にこの「白い蝋のとさか」のオブジェが見えます。

岡本かの子は自分と同じ川崎市の出身で、よく行ってた図書館の近くに
生家があった。田園都市線が多摩川を渡るとき、電車から太郎作の
「岡本かの子文学碑」がよく見えます。なので、かの子・太郎親子には
「地元ゆかりの芸術家」として勝手に親しみを持ってます。

私が撮った写真数枚のうち、1枚に白い物体が偶然写ってました。
写真右奥がその「白い蝋のとさか」とおぼしき物体。

岡本太郎記念館の庭

chiwami403 at 20:51|PermalinkComments(0)森茉莉