2008年11月

2008年11月28日

尾崎士郎の娘が見た長谷川春子

尾崎一雄のエピソードを知りたくて買った『ふたりの一枝』。
が、長谷川春子の名前が意外にも。

著者は中村一枝と古川一枝(講談社 2003年9月1日発行)。
中村一枝は尾崎士郎の長女、古川一枝は尾崎一雄の長女。
旧姓は二人とも同じ尾崎で生まれた年も1年違い。

平成13年〜14年に熊本日日新聞に連載したものを加筆修正し、
更に書き下ろしを加えて発行したもの。

尾崎士郎の娘、中村一枝の「汀女の結婚」という文章の冒頭。

もう四十年前になる。結婚したばかりの頃、実家の母と大森駅前
を歩いていると、いきなり声をかけられた。いかつい顔だちの、
声の大きい元気なおばさんだった。
彼女は私に向かって「あんたが汀女さんところに嫁(い)ってる娘さん」
と聞いた。「はい、そうです」「いま、どこに住んでいるの?」
「大森です」「ああ、汀女さんと一緒じゃないのね。そりゃあよかった、
そりゃあよかった」
相好をくずしてそう言われたのには驚いた。
「あの人、だれ?」「画家の長谷川春子さんよ。長谷川時雨さんの妹さんよ」
強そうなおばさんに「よかった、よかった」といわれたのはちょっと
複雑な心境だった。


尾崎士郎の娘は中村汀女の息子と結婚した。
長谷川春子は馬込に住んでいて、尾崎士郎の『空想部落』の表紙
や挿絵を描いているから、尾崎士郎の妻と面識があったのだろうか。

それにしても初対面の娘さんに長谷川春子は豪快だ。
尾崎士郎の娘も「強そう」「いかつい」と正直だけど。

chiwami403 at 21:38|PermalinkComments(5) 長谷川時雨 

2008年11月27日

長谷川春子装幀『現代女傑論』

長谷川春子装幀の本。

『現代女傑論』 阿部眞之助 朋文社 昭和31年2月20日発行
装幀 長谷川春子 題字 岡村夫二

婦人倶楽部に昭和30年1月〜12月号に連載したもの。

取り上げられているのは下記の12人。長谷川春子は出てきません。

吾妻徳穂 神近市子 高峰秀子 杉村春子 小倉遊亀 田中千代
平林たい子 水谷八重子 貝谷八百子 三岸節子 淡谷のり子 京マチ子

表紙と裏表紙の一部分の写真。
裏表紙で帽子持って頭下げてるのは阿部眞之助なのか?
『現代女傑論』表紙

現代女傑論の裏表紙の絵

chiwami403 at 21:30|PermalinkComments(0) 長谷川時雨 

2008年11月22日

林芙美子随筆集、市報「とうみ」に長谷川春子  他

長谷川春子の絵が見られるサイトと他の本に出てきた春子ネタ。

■林芙美子随筆に長谷川春子の発言
猫額洞の日々 : 林芙美子+チェスタトン+スタージョン+E・ポール!

に、岩波文庫の『林芙美子随筆集』に林芙美子と長谷川春子二人で
作家や画家に取材したときのことが出ているそうで、該当箇所引用してあります。
 
東御市の広報誌に長谷川春子の絵と解説が出てました。
リンク先はpdfですが、一番最後の24ページに1947年の「春風」。

解説担当が梅野記念絵画館の学芸員なので、この絵画館の所蔵と思われます。
いい絵だなあ。それにしても「とうみ」ってどこなの一体、と思って検索。
「長野県小県郡東部町と北佐久郡北御牧村」が合併して出来た市らしい。

■三岸節子の聞き書き本
上記の市報の解説に引用されていた三岸節子の聞き書き本を図書館から借りてきた。
『三岸節子 修羅の花』長谷川春子についての記述は、引用されていた部分のみ。
三岸節子は戦前に新聞社の紹介で女流作家と会う機会があったそうで、
長谷川時雨、宇野千代、吉屋信子、岡本かの子などの印象をかなり率直に
述べていた箇所が面白かった。宇野千代のおしゃれはまずいのよ、とか。

阿部真之助の『恐妻一代男』の「青春武勇伝」に

わたしが毎日の学芸部長の時代に、女の作家や画家の会をこしらえたことがある。
会の名前は長谷川時雨さんの命名で「東紅会」と決った。毎月一度夕食を食べ、
時には一晩泊りの旅行をした。


というくだりがあったのだけど、この東紅会かな?

■阿部真之助の『恐妻一代男』に長谷川春子の結婚後予想

春子の毒舌にやりこめられてる阿部真之助は同じ本の「恐妻卸問屋の弁」で
こんなことを書いている。

そこで仮りに長谷川春子が、家庭の人となつた場合、現に彼女があるが如く、
とんでもないジャジャ馬になるかといえば、私は必ずしもそうとは思わない。
大宅が完全恐妻であるが如く、こんなのに限り案外、完全恐夫になりきつて
しまう可能性が多分にある。亭主に横つ面の、一つや二つ張りとばされても、
グーともいわず、隅つこでシクシク泣きじやくるような、柄にないしおらしい
ところを、お目にかけるようになるかも知れない。大宅を彼女にかけ合せる
実験をしてみたら、どんな現象を呈するようになるかなど、いたずらの予想も
されるのであつた。


引用中の大宅は大宅壮一のこと。『ニッポンじじい愛すべし』の最初に
大宅と長谷川春子の対談があり、例によって春子は毒舌全開。

chiwami403 at 20:54|PermalinkComments(0) 長谷川時雨 

2008年11月10日

瀬戸内寂聴の日経連載に「森茉莉の饅頭代を払う」

しばらく森茉莉関連の記事はない……つもりだったけど、あったので急遽。

2008-11-09 - 神保町系オタオタ日記に、日本経済新聞で瀬戸内寂聴が
連載している「奇縁まんだら」に森茉莉のことが書いてある、とのことで
その日の新聞を買ってきました。別の方にもメールでも教えていただきました、
ありがとうございます。

この回のタイトルは「森茉莉の饅頭代を払う」。
絵は横尾忠則。河出ムックの表紙になっている森茉莉の写真を
絵にしたもの。背景は青、森茉莉のカーディガンは紫に黄色のライン。
寂聴に森茉莉が借金をしたときの話は『記憶の絵』に出ています。

前半の概要。
寂聴が三鷹に住んでいたとき禅林寺が近かったので鴎外の墓参りをしていた。
森茉莉が『父の帽子』でデビューした頃、寂聴はやっと新潮同人雑誌賞を受賞した
ところで、文豪の娘が次々発表する作品を羨望しながら読んでいたが、
作品に魅了されるようになり、その後森茉莉が一風変わった人だと噂をを聞いた。

後半に東慶寺での田村俊子賞授賞式のこと。

髪もろくにつくろわず、お化粧気もなく無造作にざくざく着物を着た
茉莉さんは、一見普通のおばさんのようにも見えたが、そうではないことは
すぐわかった。


この後、森茉莉が初対面の寂聴にお金を借りるんだけど

「あ、あたし財布忘れてきちゃった!饅頭代ないわ……でも欲しいんだけど……」
「そうだ、瀬戸内さんに借りよう。ね、貸して下さいな饅頭代」


会話部分だけ引用してみた。
お金を借りたあとに森茉莉が話しかけてきた「大学から頼まれて講演したときの話」
もいかにも森茉莉らしいエピソードだ。この会話部分は引用しないけどぜひ
記事を見てみてください。結びの部分の森茉莉の発言も浮世離れしてすごい。

chiwami403 at 21:45|PermalinkComments(0) 森茉莉 

2008年11月08日

長谷川春子は岡田三郎助「少女像」のモデル?

しばらく長谷川春子関連の記事が続きます。森茉莉は全く出てこない。

日用帳のふじたさんより、資料閲覧していたら長谷川春子の
文章があったので、とコピーをいただいた。ありがとうございます。

タイトルは「芹影女史」。副題に「明治四十年頃のこと」。
掲載誌は、「文学散歩14号 回想の岡田八千代」 昭和37年6月20日発行

長谷川時雨と八千代が連れ立って芝居に出かけたことや、
佃島の家に泊まりに来ていた話など岡田八千代についての回想。
気になったのはこの箇所。

秋の短日のころ文展の出品作に岡田先生は私をモデルに
「少女像」を描いてゐられて、築地の学校から私は渡船へ
のらずに、電車で下渋谷へ行きそこへ泊まることもあつた。


へー長谷川春子をモデルにねえ。と思ってぐぐってみたら
ポーラ美術館が岡田三郎助の「少女像」を所蔵している。 

ありがたいことに画像と解説があります。
ポーラ美術館|コレクション  岡田三郎助 少女像 1908年頃(明治41頃)

長谷川春子の文章の副題「明治四十年頃のこと」と作成年は一致。
時雨関連書籍に子供時代の春子の写真が数枚あるので見直したけど、
写真が小さくてこの絵と似てるかよく分からない。この絵なのか?

その頃の長谷川時雨・春子姉妹の住まいは
「佃島の先きの埋立地の新佃島の海辺」で、長谷川春子は
渡し舟で対岸にある築地の女子外国語学校(後の双葉高女)に通っていた。

岡田三郎助・八千代夫妻の住まいは「下渋谷伊達跡」、
検索すると現在の恵比寿3丁目あたりの旧町名らしい。
宇和島の伊達藩の下屋敷があったことから伊達町と呼ばれていた。
今は住居表示で町名はなくなってしまったけど、町内会の名前として
残ってるようです。

chiwami403 at 21:46|PermalinkComments(0) 長谷川時雨