2009年05月

2009年05月07日

神奈川近代文学館の森鴎外展

【訂正】杏奴作の「はげ頭の小唄集」は展示がない、と最初書きましたが
展示してあったのに私が見落としてただけで、申し訳ありませんでした。
他にも多数見落としがありそうなので、ぜひ文学館で実物ご覧下さい(5月8日追記)

横浜に行く用事ができたのでついでに見に行ってきました。
神奈川近代文学館/(財)神奈川文学振興会|森鴎外展―近代の扉をひらく

リンク先に写真の出ている杏奴の「はげ頭」の小唄集は出ていなかった。
→と書きましたがコメントでのご指摘によると私が見落としただけだった。

個人的に気になったものを列挙しますが、森茉莉と関係ないものも。
千駄木の鴎外記念室や世田谷文学館で見たことある資料もありましたが、
見に行ってよかった。展示出口ではちくま文庫『記憶の絵』を売っていた。

あと去年の企画展、渋澤龍彦展の図録を見た。小さいですが、
森茉莉がうつっている写真が確かにあります。表情はちょっと固い感じ。

■横浜市歌の作詞 横浜商業高校の校歌作詞も鴎外
1909年の開港50周年式典に鴎外も出席していた。
横浜育ちの人に市歌のことを聞いてみると、大人になっても覚えてるようだ。
市立小学校、中学校ではよく歌っていたらしい。

■賀古鶴所宛て「美術品ラシキ妻ヲ相迎へ」の手紙(明治35年)

■戦地から妻に送った手紙「(明治37年4月、10月)
「やんちゃ殿」という記述、茉莉への気遣い、住所は芝区明舟町19

■「森林太郎氏のカリカチュアル」(明治42年)
浅井忠ほか4人が鴎外の似顔絵

■東京方眼図(明治42年) 春陽堂
復刻版でいいから欲しい。

■日在の別荘の写真(大正3年)
写真にうつっているのは於菟

■森しげの写真 
『鴎外の遺産III』の巻頭に出てたのと同じ横顔の。
世田谷文学館所蔵になっていたので、杏奴没後に寄贈したのか?

■平福百穂「森鴎外父子肖像」(明治42年)
早稲田大学蔵。思ったより小さい絵だった。

早稲田大学図書館 WEB展覧会 館蔵[肖像画」展 - 忘れがたき風貌 -
(上から6番目の画像)

■モザイクの首飾り
『森茉莉 贅沢貧乏暮らし』に写真が出ている首飾りです。
世田谷文学館の常設展に飾ってあったもの

■鴎外作「チョコレート箱の時間割表」
ちくま文庫『鴎外の子供たち』の表紙に写真が出ているものと同じ

■於菟兄さんの結婚式の写真(大正7年)
中列左から3人目が森茉莉。前列右側にしげの姿があるが
個人的には「うーん、美人?」という感想。隣にいる類と似ている。

■初公開資料、山田じゃくの「命名典故」

本文から気になった部分を一部引用。

「禮ノ器」「爵ノ上ノ爪ヲ古風ノ木ニ改ム」
「盃ニ酒ヲ受ケツツ”オツト/\”ト云フ心持デアル」
「スズメmoineauカハイラシイ鳥デハナイカ」

最後にはジャックという名が世界に通ずる云々とあって
結局これが最優先で字や由来は後付けだよね……と思わなくもない。

ご参考:鈴木信太郎『随筆 虚の焦點』にジャックの命名話

■観潮楼の書庫の棚に貼ってあった分類の紙片を集めた額
「文学」「宗教」「歴史」など

■於菟、茉莉、杏奴、類 兄弟4人の写真(大正9年)
森茉莉の文章「兄弟姉妹私達四人」引用。
『鴎外の遺産II』に出ている写真。

■ニュース映画に出てきた鴎外の映像
大正10年に皇太子(後の昭和天皇)がヨーロッパの外遊から戻り
横浜から東京へ行く電車に乗るのを鴎外は見送りに来ていたのだった。

■小金井良精、森於菟宛て電報
「rintaro jinzobyo yasuaakanishisu kaeruna」
yasuaaka はyasurakaの間違いと思われます。
この電報を於菟兄さんが見て森茉莉に連絡したのだな。


chiwami403 at 21:10|PermalinkComments(2)森茉莉