2009年12月

2009年12月28日

婦人画報1962年10月号「"少し歩きましょうか"の時代について」

この号は「結婚特大号・婚約時代」という特集でかなり分厚く、
今よりも結婚というイベントにかける情熱と金はすごかったんだろうなあと。

森茉莉の文章タイトルの右上には「婚約時代の純潔」という副題があり、
モノクロ4ページに渡って(うち1ページの半分はワリショーの広告)
書いてるのだけど、文章量のわりには何が言いたいのか要領を得ない
印象。当人も最初のところで

私は原稿をおうけした時、何かかけるやうな気がしてゐたが、
書き始めた今になつて、全く興味ないのに気づいた。


と書いている。文章のほとんどは、当時ありがちな若者の
生活スタイルやデートについて妙に具体的な批判的描写。
冒頭の文章はこちら。

最近妹の娘が結婚したが、妹も実務のやうなことはあまり話さない
ので、そんなことを私は知らなかったが、このごろは式場や宴会場
なぞが申し込んでから六ヵ月待たないと確保できないのださうで、
すべての婚約者たちが所謂「永すぎる春」――いやな言葉だ――
といふ期間を持つことになつてゐるのださうだ。


今とは「永すぎる春」の意味が違うんだなあ。
それに「結婚決めてから半年後に式」も今では普通なんだけど。
むしろそれより短いほうがスピード婚だねーて言われそう。

テーマは「婚約時代の純潔」なのに、この年に『枯葉の寝床』
前年に『恋人たちの森』を刊行しているせいか、最初のページ
では、東京の一流の男性の間にソドミズムが蔓延しているという話
になってて、かなり唐突な印象。同性愛の男の存在が原因で婚約
解消される女が出てくるだろうとまで書いている。

その後に副題に沿った話題に一応変わるのだが、あっという間に
終わり、2ページ目後半からは、型にはまった日本人についての
描写が延々と。

日本の人間といふのは、どの人もどの人も、大体において似てゐて、
人間と人間とが出会ふと、同じ挨拶をし、同じ会話をする。
さうして同じ笑ひ方で笑ふ。

若い婚約者同士がデートでフランスの恋愛映画を見ると
恋愛場面の素晴らしさに二人とも圧倒される。雷に打たれた
のと同じである。それが問題である。
自分がそれを演ずることが可能かどうかは別として、フランス
映画の恋愛場面に驚くやうでは困るのである。
(中略)それを見たのが生れて始めて(ママ)だったとしても、
同じ人間の仕科(しぐさ)として、どこかで響いてくるものが
あって、すでに経験したものでもあるやうな気分になるはづである。


「はづ」って言われてもなあ。
ちなみにタイトルの「少し歩きましょうか」は映画を見た後
喫茶店に入り、短時間で追い出された後に男が言う科白を
指している。昭和の婚約者たちって微笑ましい。

二度離婚して独り身の森茉莉にこういうテーマで原稿を頼んだ
編集者、すごいぞ。


chiwami403 at 20:50|PermalinkComments(0)森茉莉全集未収録? 

2009年12月16日

家庭画報1959年11月号「初冬のヴィナス」

ゴージャス奥様雑誌、家庭画報の創刊は1958年と意外と歴史が浅い。
といっても比較対象が明治38年創刊の婦人画報なわけですが。

家庭画報の歴史−雑誌家庭画報 公式サイト

創刊して間もない時代の家庭画報、現在書店で売っているものに比べると
かな〜り薄く、100ページちょっとしかなかった。この頃の婦人画報や
主婦の友など老舗主婦雑誌と比べると見劣りしたのではないだろうか。
今は立派になったんだなあ……

森茉莉の随筆は風間完の挿絵つきでモノクロ1ページ分。
活字がかなり小さく無理やり詰め込んだ感があります。

私の幼い記憶の中で、ヴィナスはいつも片腕で立つてゐた。西洋の本の、
麺麭の匂ひのする滑らかな頁は、或種の大理石のやうに微かな黄色味を
おびてゐた。乳酪(クリイム)のやうな色である。


以上冒頭の文章。
その後結婚して夫とパリを訪れたときに見たヴィナス像のことや、
最近新聞で見た「欠けた腕を再現したヴィナス像」の写真について。
その辺りの文章から一部引用。

私達はどうかすると不均衡なものに、美を感じてゐる。視点の
いくらか不均衡な眼差し。不安定なツボ。絶えず揺れてゐる
不安定な心。さういふものが私たち(ママ)の心を、捉へる。


講談社文芸文庫の年譜を見ると、1959年には「暗い目」「禿鷹」
「濃灰色の魚」を発表、12月に『濃灰色の魚』を筑摩書房より刊行。


chiwami403 at 21:22|PermalinkComments(0)森茉莉全集未収録?