2005年10月17日
長谷川時雨と眉毛
長谷川時雨の命日にちなんで、古書上々堂のブログにて
紹介記事がありました。長谷川時雨のカテゴリがある
blogなのに考えもしませんでした、命日。
古書上々堂:古本屋の掃苔帖 第三十五回 長谷川時雨
注:命日は10月でなく8月です
三上が亡くなったのは時雨没後ですが、病気に倒れたのは三上が
先でした。愛人宅にいたのを時雨が引き取って看病していたような。
祖母おりんさんが伊勢から上京するときに持参した、長吉という名の
京人形を時雨はずっと大事にしていて、棺に入れられたという話が
印象的でした。長吉のことは旧聞日本橋の「西川小りん」にも出てます。
この記事では、長谷川時雨の眉毛が相当気になってるようですが
長谷川時雨が好き過ぎるあまり、考えもしませんでした、眉毛。
私は言われて見てみれば「…あー、そうかなあ」って思うくらい。
ほんの15年前の太眉全盛時代の写真にさえ時代の移り変わりを
感じるのですから、ましてや昭和初期のこの写真においてをや。
眉毛と言えば、長谷川時雨の母親お多喜さんが突如洋装をしたときの
話が『旧聞日本橋』に出てきますが、姑(=時雨の祖母)に
「おたき、眉毛が立って狸(たぬき)のように見えて
じじむさい、それだけは剃ったがよい。」
とツッコマれてます。
母の顔は眉毛(まゆげ)がなくって薄青く光っていた。
歯は綺麗に真黒だった。それなのに、目の前に見る母はボヤボヤと
生え揃わない眉毛があって、歯が白くて気味が悪かった。
(勝川花菊の一生 長谷川時雨)
長谷川時雨が小さい頃は眉なしお歯黒が普通だったんだよなあ。
お歯黒は明治末ごろまで行われていたようです。
寺田寅彦は確か随筆で、お歯黒がヘンなら外人のマニキュアだって
異様じゃないか、というようなことを書いていた気がする。
紹介記事がありました。長谷川時雨のカテゴリがある
blogなのに考えもしませんでした、命日。
古書上々堂:古本屋の掃苔帖 第三十五回 長谷川時雨
注:命日は10月でなく8月です
三上が亡くなったのは時雨没後ですが、病気に倒れたのは三上が
先でした。愛人宅にいたのを時雨が引き取って看病していたような。
祖母おりんさんが伊勢から上京するときに持参した、長吉という名の
京人形を時雨はずっと大事にしていて、棺に入れられたという話が
印象的でした。長吉のことは旧聞日本橋の「西川小りん」にも出てます。
この記事では、長谷川時雨の眉毛が相当気になってるようですが
長谷川時雨が好き過ぎるあまり、考えもしませんでした、眉毛。
私は言われて見てみれば「…あー、そうかなあ」って思うくらい。
ほんの15年前の太眉全盛時代の写真にさえ時代の移り変わりを
感じるのですから、ましてや昭和初期のこの写真においてをや。
眉毛と言えば、長谷川時雨の母親お多喜さんが突如洋装をしたときの
話が『旧聞日本橋』に出てきますが、姑(=時雨の祖母)に
「おたき、眉毛が立って狸(たぬき)のように見えて
じじむさい、それだけは剃ったがよい。」
とツッコマれてます。
母の顔は眉毛(まゆげ)がなくって薄青く光っていた。
歯は綺麗に真黒だった。それなのに、目の前に見る母はボヤボヤと
生え揃わない眉毛があって、歯が白くて気味が悪かった。
(勝川花菊の一生 長谷川時雨)
長谷川時雨が小さい頃は眉なしお歯黒が普通だったんだよなあ。
お歯黒は明治末ごろまで行われていたようです。
寺田寅彦は確か随筆で、お歯黒がヘンなら外人のマニキュアだって
異様じゃないか、というようなことを書いていた気がする。