森茉莉

2010年11月17日

『舞姫』モデルの実像を追う番組が19日に

森茉莉関連ニュースということで、森鴎外『舞姫』モデルについて

「エリスの実像を追う番組「鴎外の恋人」は19日夜8時からNHKのBS―hiで放送。
私は録画したのを後日見るかもしれません。
森茉莉は舞姫のモデルについて何か書いてたっけ……と考えてみるも全然覚えていなかった。
それにしても杏奴と類の名前は別れた恋人から取ってたのか〜
長男のオト、長女のマリに比べるとアンヌって無理やり感があったんだけど、
杏奴の随筆で命名にはこだわりがあったようなことを書いてあったような
気がするし、そういう事情だったのか。

朝日新聞サイトの記事はしばらくすると読めなくなってしまうので、転載しておきます。

リンク先の画像にある刺繍の型、世田谷文学館に確か展示されていたような。

(朝日新聞社):「舞姫は15歳」説に新証拠 刺繍用型金にイニシャル - テレビ・ラジオ - 映画・音楽・芸能

31歳人妻説も出されていた森鴎外の小説「舞姫」の主人公エリスのモデルについて、15歳少女説を補強する証拠をテレビディレクターの今野勉さん(74)が見つけた。鴎外のドイツ留学体験に基づく恋物語の発表から今年で120年。女性から鴎外に贈られた刺繍(ししゅう)用の型金の分析などから判断したという。
 この女性は1872年12月16日生まれのアンナ・ベルタ・ルイーゼ・ヴィーゲルト。

 エリスのモデル女性は、鴎外の帰国4日後の1888年9月12日に船で横浜に着き、鴎外と連れ添うことを反対されて1カ月後に帰国したとされる。当時の横浜の英字紙に載った同日の乗船名簿に「ミス・エリーゼ・ヴィーゲルト」の名があることが1981年に明らかになっていた。

 89年には、この名前に似たベルリンの「エリーゼ・ワイゲルト」がモデルとの説が出された。皮革商店主の妻で31歳、2人の子供がいた。

 これに対し、ベルリンの大学で客員教授を務めた植木哲・朝日大教授(民法)が2000年、当時の戸籍簿や不動産登記簿などをもとに、ルイーゼ説を提起していた。

 今野さんは1978年に鴎外のドラマを演出した際、ハンカチなどにモノグラム(イニシャルを組みあわせた記号)を刺繍する際に使う型金を、鴎外記念本郷図書館(東京都文京区)で見た。鴎外の本名森林太郎の頭文字R・Mのほか、クロスステッチ部分からWとBは読み取れたが、解明しきれなかった

今年7月に現地調査のためドイツを訪れた際、ステッチ部分を拡大してベルリンの博物館に見てもらった。W、BのほかAとLがあり、ルイーゼのイニシャルと一致することが確認された。鴎外が次女に杏奴(あんぬ)、三男に類(るい)としたのはルイーゼの名から取ったとの見方で、今野さんと植木教授は一致している。

 ルイーゼ説は、乗船名簿の名前とのずれや、15歳の少女が一等船室をなぜ使えたのかが疑問とされてきた。しかし、今野さんが当時の旅券制度法を調べたところ、パスポートは不要で乗客は自由に名前を記せたことがわかった。高額の渡航費も、ルイーゼの祖父が所有していたアパート十数室の家賃2カ月分で賄えることを突き止めた。

 ルイーゼはガラス職人と結婚し、78歳で亡くなった。今野さんは「彼女の父母は宗派の違いを乗り越えて結婚した。母は若死にしたが、15歳の若さで日本に行くという娘を父は後押ししたのだろう。エリーゼという名は鴎外とルイーゼの間で決めた愛称だったのでは」と話している。

 今野さんが演出したエリスの実像を追う番組「鴎外の恋人」は19日夜8時からNHKのBS―hiで放送される。(編集委員・川本裕司)


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2010年10月30日

世田谷文学館『鴎外と娘たち展』


世田谷文学館の森鴎外と娘たち展 見てきました。

横浜の森鴎外展で見たことあるものもいくつかあったが、
杏奴が所蔵していた資料や個人蔵で初めて見たものも多数。

会期途中で展示品入れ替えがあります。一部の展示品に10月2日までとあった。
展示パネルによると観潮楼跡は「森鴎外記念館」を2012年開館に
向けて準備中。サイト見たら2008年から閉鎖中とのこと。

今までの展示で見たことあるものは省略して、個人的に気になったもの。

・鴎外作、杏奴の時間割 類のは見たことあったけど杏奴のは初出?
・鴎外の外套 『晩年の父』に「灰色の外套」と出てくるらしい
・鴎外自筆「膳部之事」(東大図書館所蔵) 三膳と向づけの鯛の絵。森茉莉の「父と私」に記述がある。
・レクラム版の料理本(東大図書館蔵)

・大正11年6月26日 しげ代筆のおと宛て手紙
「珠樹ヤ茉莉ニハ己カラモ妻カラモナンニモイッテヤラナイ 
タブン原家カラオマヘノトコロヘ病気ノコトガ伝ヘラレテ
オマヘカラ珠樹に知レルトイフコトニナルダラウ」
※原家:この手紙の最初に原素行が病気を診察したと出てくる

・杏奴所蔵の奈良の雛人形(日本近代文学館蔵)
・子供たちに送った奈良の地図
・鴎外が亡くなったときの杏奴の手紙
・鴎外の書 解説に森茉莉が持っていたのを山田じゃくの奥さんに贈った、とある。

鴎外の書の入ったガラスケースには神奈川近代文学館にも展示された
じゃくの命名由来の他に鴎外が珠樹あてに送った手紙やハガキが特に興味深い。
乳母を雇うことや牛乳を与えることについて色々書いている。今は粉ミルクがあるけど
昔は大変だったんだなあ……大抵の乳母は食事に注文が多い云々。

・パリの森茉莉から山田富子あてのハガキ(個人蔵)
枚数が多いのは幼いじゃくを山田家で預かっているからか。
じゃくをよろしく頼むという文面が何枚かにあった。
余白の部分に珠樹のボヤキみたいなコメントが小さい字で入ってるのがあってちょっと笑えた。

・茉莉が杏奴に書いたパリの地図(『鴎外の遺産』にも出ていた)
リュウ・ラ・クレ、カフェラヴィラント、ホテルジャンヌダルクなど
『記憶の絵』で見た名前が地図に出ている。

・森茉莉の嫁入り道具、コーヒーカップのセット
・10代の森茉莉の記念写真 (本では見たことあるけど実物は初めて)
・「西生田の家」草稿ノート

・原稿類 清書してある『贅沢貧乏』に比べて、『恋人たちの森』は鉛筆で
だらだら書き連ねて後半は枡目や行を無視、余白にも字がびっちりで校正さん大変そう。

・『森茉莉 贅沢貧乏暮らし』に写真が掲載されている赤いカップやお菓子の箱、
手鏡、カメラ、ボールペン、リモコンなど
・ドッキリチャンネル掲載の週刊新潮(連載当時に読んでみたかった)

・新聞のテレビ欄 広告の余白に「忍者ハットリ君 ニンニン ニニニニン」
・丸芳露(まるぼうろ)のしおり 検索すると佐賀の北島というお店のものみたい

・森家のレシピ再現 展示場所が目立たないけどレシピのパンフレットも
置いてあった。ついでに企画展のパンフレットのデザインもかわいかった。


展示品ではないけれど、入口近くの売店においてあった森於菟の
『耄碌寸前』が気になった。書名にもなっている冒頭の文章がなかなか素敵。
萩原朔美の『劇的な人生こそ真実』も置いてあって森茉莉のところだけ見たんだけど、
ユリイカの特集に掲載していた文章とは別物のようだ

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2010年09月18日

世田谷文学館「森鴎外と娘たち展」概要

10月の土日に世田谷文学館に行けたらいいなあ〜

世田谷文学館のサイトに10月からの企画展のプレスリリースが出ていました。

父からの贈りもの 森鴎外と娘たち展(pdf)

最初に出てるポスターが森茉莉特集のユリイカの表紙っぽい。
楽しみなのは初公開の資料が多いこと。でも企画内容を見ると平福百穂の絵
とか、神奈川近代文学館の森鴎外展で見たものも結構あるかも?
森茉莉に関しては贅沢貧乏と甘い蜜の部屋の原稿が出るとのこと。

図版の目玉は鴎外作の教科書「歴史」全頁カラー掲載なのですが、
お値段は1300円。私でも気兼ねなく買える値段でよかった。

ブログの更新は今のところ「せめて月1回は」を目指してるので
次はたぶん世田谷文学館の展示を見に行ってから。
余裕があれば、3月に出たエッセイ集の「全集未収録作品リスト」を
作りたいが、予定は未定。



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2010年07月25日

『わが愛と性』と黒柳徹子『小さいころに置いてきたもの』

タイトルの最初にある本については後でふれます。
これも例によってLe passe-tempsさんのところで知った。

小さいころに置いてきたもの〔黒柳徹子〕 Le passe-temps/ウェブリブログ
森茉莉との出会い、そして晩年の森茉莉の部屋の詳細。
森茉莉の部屋については小島千加子『作家の風景』が詳しいけど
晩年の部屋は更にすごかったんだなあ……

と森茉莉の部屋話が印象に残った文章でしたが、ふと読み返したら
『わが愛と性』に出てる写真って森茉莉と黒柳徹子の初対面のときの
ものではないか? と思い当たった。

(ご参考)
2004年10月23日 荒木経惟が撮った森茉莉
2004年10月24日 荒木経惟が撮った森茉莉写真の詳細

『わが愛と性』は荒木経惟と田辺聖子夫妻の対談本で
対談後に田辺聖子が出席した「話の特集」のパーティーに
荒木経惟も一緒に行ってスナップを撮影したものと思われます。

『小さい頃においてきたもの』には森茉莉と会ったのは『話の特集』の
女性ばかりが発起人のパーティーで、場所は赤坂プリンスホテルの旧館と
あるが、『わが愛と性』では田辺聖子が取材で中座するのだが、取材後
6時半に赤坂プリンスホテルで、と待ち合わせを決めている。

「小さいころに置いてきたもの」からの引用を太字、
このブログの過去ログの写真解説転載を斜体で

仕事があり『話の特集』のパーティーに遅れてきた黒柳徹子、

そのとき、部屋の隅にあいさつとかをやったらしい金屏風と小さい
ステージが目に入った。ステージ上に、椅子が三つ四つ並べてあり、
そこに、チョコンと女の人がすわっているのが見えた。


このくだりが2枚目の写真↓の状況?
ギターの演奏者が熱唱する写真ですが、マイクスタンドの奥の
窓際に森茉莉だけ1人座ってます(森茉莉だけ移動しなかったのか?)。
本当にちいさく写ってるだけ。


『話の特集』の矢崎氏の母親かと最初思ったが、発起人に森茉莉の名前が
あったことを思い出し、矢崎氏に確認してその人が森茉莉であることを知る。
森茉莉の服装は「頭にグレーの花もようの地味なネッカチーフをかぶり、
黒っぽいスーツにハンドバッグを膝に乗せた」とあり、写真(白黒だけど)と合致。

「大変!」私は、走っていって、椅子の前に行き、「私、黒柳徹子でございます」
とあいさつした。そして、いつも、テレビで見て頂いて書いて下さってること、
感謝しているとも伝えた。


これが3枚目↓に相当するのではないか?
黒柳徹子と森茉莉2人の写真。森茉莉は右側。
森茉莉が座っているのは2枚目と同じ場所。
服装は全身黒っぽくて、スカートはひざ丈少し下くらい。
両足を少し投げ出す感じで、足首のあたりで組んでます。(後略)


パーティーの後、青山の洋食屋での二次会に黒柳徹子と森茉莉も行く。
二人で次々と料理をたいらげたそうだが、1枚目の写真は洋食屋で
撮影したものかもしれない。本文によると二人はお酒を飲んでない、とある。

1枚目:左手前から右奥に、カモカのおっちゃん、田辺聖子、
森茉莉、黒柳徹子、岸田今日子が椅子にかけて談笑中。
ワイングラスを手にした黒柳徹子と話している森茉莉(横向きで写ってます)。
指を折り曲げて両手を胸の前で合わせています。頭にはスカーフ巻いてます。


以上、本当にそうなのかは分からず、写真をブログに出せないのも残念ですが
もしそうだったら興味深いなーってことで。
気になる人はネット古書店などで『わが愛と性』買ってみてください。


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2010年06月12日

日本図書センター『私の中のアリスの世界』

復活しました。が、今後はそんなに頻繁に更新しません。

私の中のアリスの世界〔森茉莉〕 Le passe-temps/ウェブリブログ

で知った。表紙の写真が河出書房新社から出たムック本と同じで
紛らわしいなあと思ったが、もうあのムック発行から7年も経ったのか。

リンク先で言われている通り、どれが全集未収録なのかは明記してない。
底本一覧が出ているのは有難いと思うんですが。
じゃあ全集の索引で確認を……と自宅にある索引コピーを探したのですが、
見当たらず、現在絶賛捜索中です。えーとどこにしまったんだろなあ。
発見したら掲載作品と照らし合わせしますので。

タイトルと本文と掲載雑誌(新聞)見て「うーん、これは未収録?」と
見当をつけたのもあるけど、どのエッセイも他で読んだことあるような
話が出てくるので、全集未収録認定にまったく自信がありません。

以前このブログでも取り上げた「独逸の本屋」「私の直感」なども掲載。

未収録作品探しと掲載作品選定は誰がやったのだろう。
森茉莉といえば『森茉莉かぶれ』著者、早川茉莉さんが有名ですが、
早川さんが編者だったら名前や文章が出るはずだし……ってことは違うのか。
名も分からぬ熱心な編者さんのおかげで、全集未収録作品読むことが
できてありがたいことです。

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2009年11月20日

12月に宇野亜喜良挿画の『マドゥモァゼル・ルウルウ』が出る

e-honもうすぐ出る本の予約より - 悪漢と密偵
によると、12月に河出から『マドゥモァゼル・ルウルウ』
が刊行予定だそうです。

河出書房新社|マドゥモァゼル・ルウルウ
の内容紹介を引用します。

おしゃまな貴族のおてんば娘、ルウルウが繰り広げる日常の大冒険!
薔薇十字社からの単行本刊行より三十余年、ついに待望の新装復刊。
本文二色刷の豪華仕様。解説=中野翠/挿画=宇野亜喜良/
装丁=名久井直子


薔薇十字社本のかわいい装丁は有名だけど、装い新たにまた別の
ルゥルゥ本が出るんですねー。でも私はこの作品苦手なので
本屋で手にとってはみると思うけど買わないであろう。
宇野亜喜良のルゥルゥはどんなかちょっと気になりますが。
装丁はユリイカの表紙やってる人だそうです。森茉莉特集の
表紙はいい感じだったな。


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2009年08月29日

「桜田本郷町の靴」の店は内田靴店

『明治百話』下巻には森茉莉の作品に出てきた店がもう一軒。

「山の手胸黒下町エリ黒」より。

桜田本郷町の南角にある靴店内田。今はビルデング(ママ)
となって立派な店になったものの、その初めは、今のとこより、
モット新橋寄りのとこに、主人はガラス戸の中で、白いという
よりは汚れた腹掛をかけて、古靴直しをコツ/\、金槌で
叩いていたものです。ソレが新聞広告から、信用販売の基礎を
開き、とう/\あすこまで築きあげたという、努力奮闘は、
通行人の著者も、よく感心させられたものです


(ご参考)2004年06月12日 桜田本郷町の靴で巴里へ
森茉莉はパリに行く前に、桜田本郷町で靴を買ったと
『記憶の絵』に書いているのですが、この内田で買ったものでしょう。

「靴 内田」などで検索したら
靴の歴史散歩79(皮革産業資料館 副館長 稲川實)※PDF
で内田靴店のことをとりあげていた。

それから「明舟町の家」に出てくるマルボオル、

2005年12月10日 村井弦斎『食道楽』に東京産マルボーロ

では早稲田で作っているという話でしたが、
千代田区の麹町にある栄陽堂は、創業者が鍋島出身で、
明治19年からマルボウロ(丸房露)を作ってるのだそうだ。
森茉莉の祖父も鍋島出身だし、早稲田よりは麹町のほうが
明舟町の家から近いからここの店のを食べたかも?

和菓子・洋菓子通販|東京麹町の老舗 シャレー栄陽堂|会社紹介

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2009年06月18日

三好達治の文章会で森茉莉と高田敏子が

三好達治の三回忌で、高橋睦郎に高田敏子の発言を教えた
森茉莉ですが、高田敏子は三好達治の生前に、石原八束宅での
文章会で森茉莉と一緒になったことがあった。

大和書房『やさしさから生まれるもの』(1975年4月発行)
の「三好達治先生のお部屋」という文章です。
作家や演劇関係者が集まっていた渋谷の居酒屋「とん平」で
三好達治と同席したのがきっかけで、文章会に参加するように
なった高田敏子。三好達治の様子を↓のように描いてます。

文章会では「秋」の同人方にあたたかく囲まれ、
森茉莉さん、萩原葉子さんも見えられていて、
実におたのしそう、次々に読み上げられる作品に対する
批評も、お酒が重なるにつれていっそう興が乗られる
ご様子でした。


森茉莉の話とは関係ないけど、この本は島尾伸三が挿画を
手がけてます。章の扉に何枚かですけど。

chiwami403 at 21:59|PermalinkComments(0)

2009年06月09日

高橋睦郎『友達の作り方』

このブログを読んでいる人からメールをいただいたことがきっかけで
高橋睦郎の『友達の作り方』(の森茉莉の部分だけ)を読んだ。
比較的近い図書館で所蔵してて助かった。

黒猫ジュリエットへの手紙 -関連本-
↑にも関連本として名前が挙がっていますが、高橋睦郎がどんな
人か知らず今までやり過ごしてたのでした。

森茉莉の巻には「壮絶な幻想の温床」という副題がついています。
文章の後半、息子ジャックとの再会とその後の別離の例え話が興味深い。
最後には代沢ハウスの「壮絶なたたずまい」について詳細あり。

高橋睦郎が初めて森茉莉と会ったのは1964年、三好達治の通夜。

三好さんの大家のものだろう大きな白い猫を愛撫していたのが印象的だった。

と書いてます。そして翌年、森茉莉と萩原葉子が
「当時ぼくが住んでいた世田谷代田の高橋悠治の留守宅に見えた」
のが次の機会。

高橋は森茉莉から神戸のフロインドリーブ製のパンを貰うのだが、
翌日「あげたのが惜しくなっちゃったの」という電話が来たという。

その後森茉莉と親しくなった二つのきっかけを挙げているのだが、
そのひとつが三島邸にいっしょに招待されたこと、もうひとつが
三好達治三回忌のときに森茉莉が話しかけたこと。

それまで高橋は安西均や菊地貞三のつながりで、詩人の高田敏子の
家を訪ねていたのだが、森茉莉が話しかけたことがきっかけで、
高田敏子とは会わなくなり、森茉莉とは親しくなったのだ。
その発言を引用。

高田さんがあなたのことを、おべっか使いのやーな子、
といってたわよ。私はあなたのように素直な人は好きだけど。


当時の高橋は上京して三年、色々な人と親しくなりたかったが、
対応がぎこちないのを気にしていて、森茉莉が教えた高田の
発言にショックを受けたのだった。

笑顔で話しかけておいて「やーな子」発言の高田敏子、
他人の発言をわざわざ当人に伝える森茉莉の空気読めなさ加減、
又聞きの他人の発言を額面通り受け取る高橋睦郎
さて、誰が一番「やーな子」なのか。
それとも「少女のようで純粋な茉莉さん」らしいエピソード?

私の説明だけでは不十分だと思うので、気になる人は引用元の文章ご一読下さい。

chiwami403 at 19:52|PermalinkComments(0)

2009年05月07日

神奈川近代文学館の森鴎外展

【訂正】杏奴作の「はげ頭の小唄集」は展示がない、と最初書きましたが
展示してあったのに私が見落としてただけで、申し訳ありませんでした。
他にも多数見落としがありそうなので、ぜひ文学館で実物ご覧下さい(5月8日追記)

横浜に行く用事ができたのでついでに見に行ってきました。
神奈川近代文学館/(財)神奈川文学振興会|森鴎外展―近代の扉をひらく

リンク先に写真の出ている杏奴の「はげ頭」の小唄集は出ていなかった。
→と書きましたがコメントでのご指摘によると私が見落としただけだった。

個人的に気になったものを列挙しますが、森茉莉と関係ないものも。
千駄木の鴎外記念室や世田谷文学館で見たことある資料もありましたが、
見に行ってよかった。展示出口ではちくま文庫『記憶の絵』を売っていた。

あと去年の企画展、渋澤龍彦展の図録を見た。小さいですが、
森茉莉がうつっている写真が確かにあります。表情はちょっと固い感じ。

■横浜市歌の作詞 横浜商業高校の校歌作詞も鴎外
1909年の開港50周年式典に鴎外も出席していた。
横浜育ちの人に市歌のことを聞いてみると、大人になっても覚えてるようだ。
市立小学校、中学校ではよく歌っていたらしい。

■賀古鶴所宛て「美術品ラシキ妻ヲ相迎へ」の手紙(明治35年)

■戦地から妻に送った手紙「(明治37年4月、10月)
「やんちゃ殿」という記述、茉莉への気遣い、住所は芝区明舟町19

■「森林太郎氏のカリカチュアル」(明治42年)
浅井忠ほか4人が鴎外の似顔絵

■東京方眼図(明治42年) 春陽堂
復刻版でいいから欲しい。

■日在の別荘の写真(大正3年)
写真にうつっているのは於菟

■森しげの写真 
『鴎外の遺産III』の巻頭に出てたのと同じ横顔の。
世田谷文学館所蔵になっていたので、杏奴没後に寄贈したのか?

■平福百穂「森鴎外父子肖像」(明治42年)
早稲田大学蔵。思ったより小さい絵だった。

早稲田大学図書館 WEB展覧会 館蔵[肖像画」展 - 忘れがたき風貌 -
(上から6番目の画像)

■モザイクの首飾り
『森茉莉 贅沢貧乏暮らし』に写真が出ている首飾りです。
世田谷文学館の常設展に飾ってあったもの

■鴎外作「チョコレート箱の時間割表」
ちくま文庫『鴎外の子供たち』の表紙に写真が出ているものと同じ

■於菟兄さんの結婚式の写真(大正7年)
中列左から3人目が森茉莉。前列右側にしげの姿があるが
個人的には「うーん、美人?」という感想。隣にいる類と似ている。

■初公開資料、山田じゃくの「命名典故」

本文から気になった部分を一部引用。

「禮ノ器」「爵ノ上ノ爪ヲ古風ノ木ニ改ム」
「盃ニ酒ヲ受ケツツ”オツト/\”ト云フ心持デアル」
「スズメmoineauカハイラシイ鳥デハナイカ」

最後にはジャックという名が世界に通ずる云々とあって
結局これが最優先で字や由来は後付けだよね……と思わなくもない。

ご参考:鈴木信太郎『随筆 虚の焦點』にジャックの命名話

■観潮楼の書庫の棚に貼ってあった分類の紙片を集めた額
「文学」「宗教」「歴史」など

■於菟、茉莉、杏奴、類 兄弟4人の写真(大正9年)
森茉莉の文章「兄弟姉妹私達四人」引用。
『鴎外の遺産II』に出ている写真。

■ニュース映画に出てきた鴎外の映像
大正10年に皇太子(後の昭和天皇)がヨーロッパの外遊から戻り
横浜から東京へ行く電車に乗るのを鴎外は見送りに来ていたのだった。

■小金井良精、森於菟宛て電報
「rintaro jinzobyo yasuaakanishisu kaeruna」
yasuaaka はyasurakaの間違いと思われます。
この電報を於菟兄さんが見て森茉莉に連絡したのだな。


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