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元旦の分厚い新聞をめくっていくと、企業広告の中に
心を打たれる「ことば」があることに気付いた。

例えば
成長とは、始めること。成長とは、努力すること。
成長とは、悩むこと。成長とは、乗り越えること。

「分断」と「壁」が、いつの間にか、時代の言葉になりました。
「壁」の両側で人は「壁」を越えられず、越えようともせず、
閉塞し、ただ感情的にお互いを罵りあっています。・・・
不足しているのは、対話です。コミュニケーションです。・・・

誰にも似ていない人生は、大変だ。・・・
でも、それに屈していたら、新しいものは、生まれにくくなる。
予定調和と正論が、今日を息苦しくする。
正解が一つしかない世の中は退屈だ。
あたらしい「私」をはじめるのは、いつだって、わたししかいない。

どれも、実に奥深いことばで、心に響くものばかりだ。
新年にこのようなフレーズを読むと、今年一年頑張ろう
という、元気が湧いてくるから不思議だ。
日常生活でも、このことばに納得できることは山ほどある。
もう一度、これらのことばを熟読、吟味してみたい。

暮れから正月にかけて妻と電車で出かけた。
車内は比較的すいていたので座ることができた。
周りを見渡すと例によってスマホとにらめっこを
している人の姿が約半分を占めている。
私の隣に座った若い女性も、スマホの画面に映る
漫画を脇目も振らず眺めていた。

初詣で鎌倉に行った際の往復の車内も同様で、ごく少数の
人は本を読み、その他は眠っているという光景だ。
明らかに友達同士に見える二人でも、会話を交わす
こともなく、お互いにスマホを操作している。
まるで、スマホを持った表情のない人形が車内に
置かれているようだ。

寂しさを紛らわすために片時も離すことができない。
常にだれかと交信をしていないと不安を感じる。
すぐに情報入手ができないとイライラする。
自分の時間を持ちじっくり考えることをしない。
このようなスマホ依存ともいえる社会を食い止める
良い方法はないものだろうか。

人が対面で会話をし、その表情から多くのことを感じ取る
ことをスマホが邪魔をしてしまうとすれば、便利な情報通信
機器も本末転倒の使い方になる。

子どもたちが一緒に行かない初詣は、当然夫婦二人になる。
大晦日から新年にかけての日程も、寄る年波には勝てないと、

年が明けて二日目の午前中に変わった。
これがパターンになり、約10年が過ぎた。
鎌倉八幡宮から銭洗弁天までの道すがら、息子たちと
元旦の深夜に歩いたことを思い出した。
その途中で息子が腹痛を起こし、トイレを借用した店や
食事をした場所などが断片的な記憶としてよみがえり、
夫婦の会話につながっていく。
鎌倉八幡宮周辺も昔の面影がなくなってきたように感じた。

鎌倉への参拝そのものも正月二日ではなく、参拝者が
一段落した日にしようという案も出てきている。
ともあれ、初詣が無事終了すると、とてもさわやかな
気分になったと、お互いに声をかけあった。

そのような状況が続いたなか、今年は十数年ぶりに
長男が初詣に付き合った。
かつての思い出を話のネタに食事でもしようと
横浜で途中下車をした。
正月早々どの店も長蛇の列で、一昔前の正月三が日におせちを
食べて過ごした時代とは、正月の過ごし方や風情も変わった
ものだと思いつつ、一抹の寂しさを覚えた。

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