千代田のトビラ イメージ画像

更新情報

本日(10月22日)、猫の保護活動を行っているボランティア団体
「ちよだニャンとなる会」が「ちよだニャンとなるcafé」を
オープンしたので訪問してみた。

秋葉原駅近くの旧旅館を改装した木造建築の入り口を入ると、
感染症予防のために靴下を渡され、手の消毒を行うシステムに
なっている。
猫じゃらしのようなものを持ち、二重トビラを通りガラス張りの
部屋に入ると、3匹の猫が棚から私を見下ろしていた。
ここにいる猫の中から、家庭猫として譲渡されていく猫が
増えてほしいと願う。

区と「ちよだニャンとなる会」は、飼い主のいない猫の去勢・
不妊手術や里親探しのための譲渡会を協働で進めている。
「ニャンとなるcafé」の開業は、ひとつの目標が実現したような
実感が伝わり、我が事のように嬉しく感じた。

少しの時間だが猫と触れ合うことができ、一時、厳しい
人間社会を脱出したような安らかな気分になった。

10月21日(日)は、新聞配達の日と新聞少年の日だ。
戦後、猛暑の日も極寒の日も新聞を届け続ける苦学生である
新聞少年の存在を忘れることはできない。

世界でも珍しい新聞の戸別配達が続いている日本において、
そのことが当たり前のように日々を過ごしている読者は、
苦学生により受け継がれてきた誇るべき歴史の重要性を
認識する必要があると感じている。
改めて、新聞配達員に深甚なる謝意を表したい。

紙の新聞は、インターネット配信とは異なり、一目で
紙面全体を見渡すことができる。
そして、様々な記事が瞬時に目の中に飛び込んでくる。
思いもよらない記事に目が留まり、視野を広げる結果に
つながることもある。

この繰り返しによって、毛細血管に流れる血液のごとく、
様々な情報が頭の中を駆け巡る。
そのことが、紙の新聞の効用となり、日々刺激を与えて
くれていることを心より感謝している。

昨日(10月15日)から21日まで、新聞週間が始まった。
新聞の妙味は、同じ事象の記事であっても、新聞各社の
取り上げる視点が違うことに気付くことだ。

一つの出来事でも、様々な角度からの見方があり、深堀して
いくことによって、自分の考え方をまとめる手段として、
大いに活用できる点だ。

例えば10月8日、朝刊各紙は加計学園の理事長が獣医学部の
新設について記者会見を行ったという記事がある。
3紙はトップ記事扱いとしたが、別の3紙は社会面に掲載されて
いただけだった。

このスタンスの違いが、社会を単色にしないことに一役買っている。
新聞の基本的使命として、読者に事実を伝え、考える機会を提供
するという本質を忘れないでほしいと願う。

昨年と今年の「社会を明るくする運動 標語・ポスター
コンテスト」の小・中学生の入選作品の中に、笑顔や
あいさつという言葉が多く使われている印象を受けた。

例をあげれば
・「ありがとう」笑顔をつくる合言葉
・笑顔は 明るい社会を 築くもの
・広げよう 小さな笑顔 私から
・あいさつは 笑顔をつくる 魔法だよ
・あいさつは 太陽みたいに明るくしよう
・あいさつは 目と目を合わせて こんにちは
・あいさつで みんなの心をつなげよう

子ども達から「笑顔」や「あいさつ」という言葉が多く
発せられるということは、大人への大切なメッセージが
込められていると、とらえるべきではないだろうか。
無表情で言葉も交わすことなく、日々を過ごしている大人たちに、
「目を覚ましなさい」という忠告の言葉のように聞こえた。

文章を書くということを続けていくと、いかに自分が無知で
あるのかを思い知らされる。
しかし、やめれば悔いが残るが、それでも続ければ気持ちは
楽になるのではないかと感じた。
努力の継続には、忍耐が必要だと自ら暗示をかけた。
書くことによる成長も、どこかで期待していた。
私がめげているときに、知人から「がんばれ」と応援の
声が聞こえてくるようだ。

ブログの原稿は、辞書を傍らに置き、手書きでリズムをつかむ。
心が手を動かすようになれば文章が「のってきた」証拠だ。
このようなことを繰り返し、ひたすら書き続けている。

手書きの文章は、自らの心と頭を整え、落ち着かせ、
穏やかにするということも分かってきた。
手書きは、活字や言葉遣いの誤りを確認する機会にもなる。
自分なりの表現方法や言葉も見つかってきたと感じている。
1200号を機に、初心に帰り、もう少し続けてみようと思う。

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