千代田のトビラ イメージ画像

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私が書き始めたブログ「ちよだのトビラ」は、
2008年(平成20年)12月23日から今日まで
12年間、約1400回になる。

この間、何度か筆が止まりそうになったが、そのたびに
もう少し頑張ろうと自らを励ましてきた。
この努力は、自然に息をするように続けようと心がけ
決して無理はしないことを今日まで言い聞かせてきた。

3月は卒業シーズンだ。
人生には、何度か学業以外にも卒業の場面を迎えることがある。
私自身、今、この節目の時であると考え、ブログを卒業
しようと決意した。
この間、つたないブログを読んでいただいた多くの皆さんに、
心から感謝の気持ちを伝えたい。

区長退任の2月3日以降は、私にとって新しくスタートする年、
まさに「進年」といえる。
おそらく、これまで見過ごしていて分からなかったことが
たくさん出てくるのだろう。

これから時間はたっぷりあるのだから急ぐことはない。
年を重ね、あれも、これもできなくなったと思い悩むのはやめて、
すべてをプラス思考で考えることにした。
それが人生を達観することにもつながるのだろう。
そして、自分の生きざまを記録に残したいと考えた。

昨秋の秋ころから周りに目を凝らしているうちに、
先のことを考え、そろそろ立ち止まろうかなどと、
想いが行きつ戻りつしていた。

これまでの私の生き方は、悩んだときに考えが行きつ戻りつし、
考え抜いた挙句、最初の一歩を踏み出すことが多かった。
ところが、いつの間にかその目線を変えたほうが良いと
心のどこかで叫んでいる声が聞こえてきた。

古より、進むときは周り、退くときは己の判断と言われている。
あるがままの今の気持ちを素直に受け入れることにした。
思えば、59歳から千代田区長として新しい人生がスタートした。
この20年間、歓びや悲しみを味わうことができ、充実した日々を
過ごすことができたと思っている。
これからは穏やかな心で毎日を送ることができそうだ。

私は令和3年2月7日をもって5期20年の区長の椅子から
離れることにした。
この一年を振り返ると、土・日も含め300回以上この椅子に
座ったことになる。

誰もいない土・日には、静かに沈思黙考したことがよみがえる。
この孤独の時が、自分の心を見つめなおす大切な時間だった。
何かを思いつき、やおらブログを書き始めることもあった。

この区長室では、執務机のほかに会議用の大きなテーブルと
椅子が10脚ほど並べられ、職員との打ち合わせが行われた。
前任区長の様々な想いが刻み込まれているこのテーブルと椅子は
大変貴重なものであり、旧庁舎から移転する際に運んでもらった。

区長室をしみじみと眺めてみた。
ここは多くの職員からいろいろなことを教わり、様々な施策が
生まれて育っていった。
これまで大切に使ってきた机や椅子をはじめ、周りの一つひとつの
ものが私を支えてくれた。
この椅子にもう座ることがないのだと思うと、感謝の気持ちが
こみあげてきた。
区長室にあるすべてのものに、「ありがとう」の言葉を伝えたい。

5期20年間にわたり、区長を務めさせていただいたことの感謝の気持ちを込めて、最後のご挨拶をさせていただきます。

振り返れば、都庁時代から数えて(その中には千代田区に企画課長として出向していた期間も含め)55年間にわたり「地方自治」に携わってきたことになります。この20年間は私にとって最も心血を注ぎ、日々生きていることを実感する充実した時間でした。

特に、区民の皆さんとも向かい合い、様々なお話を伺い、真の地方自治というものを教えていただく最大の学びの場が、千代田区でした。この千代田区で仕事をすることができましたことは無上の喜びでした。

職員の皆さんとは、時には激論を交わし、試行錯誤で走りながら、強引だといわれつつ進めてきた事業もたくさんありました。

今思えば、それらの事業の一つひとつが軌道にのり、区民の皆さんの生活に明かりを灯したと思っております。(口下手な)私の意をくみ、支えていただいた職員の皆さんには、ただただ感謝のことばしかありません。

職員一人ひとりの顔を思い出すと、人という文字が浮かんできます。すなわち人という文字は人がお互いを支え合って成り立っていると思います。この20年間、千代田区の組織の中で皆さん一人ひとりが人という文字のようにお互いを支え合い、私をも支えてくださいました。私にとって一人の人間として、冥利に尽きる期間でもありました。これからは皆様方の思いを私の「心の宝」として生きてまいりたいと思います。

2月8日以降は、私にとって新しくスタートする年、まさに「進年」です。真っさらな新しい時間と希望をたっぷりと与えられたものと思っております。
本当に長い間ありがとうございました。

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