千代田のトビラ イメージ画像

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その職場も2年いたが再び都庁に戻り、特別区制度の改革を担当した。
その仕事は期限が定められていて、連日夜遅くまで残業をした。
制度改正も終了しホッとしていた最中、千代田区の
企画課長として異動になった。
1975年(昭和50年)から5年間、千代田区に在籍し、
自分が手掛けた特別区制度改革を見極める結果となった。

千代田区は、東京都のように組織が複雑化していないので
情報はすぐに区長に伝わり、その対応の判断がなされる。
そこで、課長としての思いを早期に実現することが可能な
ことを知った。
都庁のような巨大な組織では味わえない達成感と充実感を
味わったのもその時だ。

千代田区在籍の5年間で長期計画や千鳥ヶ淵の桜並木の整備、
旧練成中学校の建て替え、区営住宅の第一号となる九段下の
住宅整備などに携わった。

都庁に入って5年ほどすると、人事異動で他の部署に
異動するのが通例だった。
私は異動先の希望など特段なく、流れに任せていたら
他局に異動になった。

新職場は残業続きで、特に、都議会が開会される
2月から3月は、上層部の影響を受け徹夜続きだった。
今でいう「ブラック企業」のような勤務実態だ。
過酷な環境であるこの職場には、当然異動希望者はなく、
そこに回されたことを後悔しても後の祭りだった。

その職場を異動したい旨上司に伝えると、管理職試験に
受かれば必ず異動できると教えられた。
そのような不純なきっかけで管理職試験を受け合格し
念願の異動がかなった。

次の異動先は、ある区の企画担当係長だった。
当然、周りに知っている人はいないが、麻雀を通した
人間関係ができ、新職場にもすぐに慣れた。
そこでの問題は、区長と助役の仲が悪い事だった。
その影響を受け、仕事の方向性が決まらず辟易した
ことを今でも覚えている。

当時、覚えたての麻雀にもはまり、毎日のように
職場近くの麻雀荘に入り浸り、帰りは深夜、友人との
近場の旅行といえば、全て麻雀旅行だった。
今でも、メンバー集めに奔走していた頃の夢を見る。

桜の時期には先輩に言われ、花見の場所取りに行かされた。
今では考えられないが、当時、先輩達は昼食時間が終了しても
自席に戻らず、新人職員は電話番をさせられた。
それなりに職員数も多く、仕事は支障なく進んでいた。

役所の仕事を監視する、いわゆる「行政110番」など当時はなく、
役人天国と言われても仕方のない時代だった。
このような役所体質に厳しい目が向けられ、勤務時間などに
是正措置が講じられたのはこの頃だと思う。

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