ちづる物語 3(最終回)

尼崎地区福祉・介護責任者 松沢ちづるのあゆみ

老人ホームの施設長に
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 東大阪で福祉の拠点をつくろうという運動が始まり、声がかかって参加しました。介護保険制度スタートにあわせて老人ホームとデイサービスができる施設(ケアハウス「かわち野里」)を立ち上げました。施設長には資格・経験が必要ということで、私が就任しました。
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 軽費老人ホームは30人の施設です。三度の食事も手作りです。週に1回歌おう会をはじめました。近くの保育所で歌を披露したり、地域の福祉祭りのステージで歌ったりするようになりました。
 入院しても、最期はここで、と希望して退院してこられる方がいました。そんな希望に応える努力をしてきました。

夫が事故に
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 2005年8月、夫が階段から転落、頭を打って意識不明のまま救急車で搬送されました。かけつけると、集中治療室で医者に言われました。「手術をすれば命は助かるかもしれないけれど、植物状態。家族はたいへんになる」「手術してください」私は即答しました。
 一般病棟に移ったのは8か月くらい後でした。
 仕事が終わってから毎日病院へ通いました。車いすに移れるようになってからは、刺激が必要だからと、屋上に行って歌を歌ってあげました。ドレミの歌をたまたま歌ったら、ドーはドーナツのド、で「ドー」と反応。それからはドレミの歌ばっかり歌いました。そのうち、飛行機の音に「ヒコーキ」というようになり何とか希望がもてるなあと思いました。
 病院は看護婦さんはよくやってくれますが、人手が足りません。家で介護しようと思いました。民間の医療保険と職場の共済で医療費と生活の見通しができました。職場の理事会に申し出て、次の人が決まり、2007年の正月は家で迎えることができました。

尼崎で新たな決意

 家庭介護に踏み切るには、エレベーターの設置など家の改造が必要でした。工事にご理解をとご近所に説明。たいへんねぇと声をかけてくださる人もありました。
 家で見るようになって、自分の名前、子どもの名前を言えるようになりました。表情も豊かになりました。家庭で見るという選択をしたのはよかったと思います。
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 共産党の活動も介護の合間を見て地域で活動できるようになりました。
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 市民の代表へとの話がありました。夫の介護に専念してきた身ですが、共産党に入れ、と誘ってくれたのは、その夫です。保健師としての、また家族としての経験や現実を政治に届けることは、夫の期待でもあるだろうと思います。
 みなさんのご支援に支えられながら、共産党員としてがんばりたいと思います。
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