ちづる物語 2

尼崎地区福祉・介護責任者 松沢ちづるのあゆみ

東大阪で療育センターの立ち上げ

 働くのは保健所より障害者にかかわるところがいいなと思い、すすめられ大阪府立金剛コロニーに保健婦として就職、療育部で働きました。
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 金剛コロニーに来られていた阪大の中新井邦夫医師から、「障害をもつすべての子どもたち・人々が、地域の中でごく当たり前に暮らしていけるよう、その生活と健康を支える、そんな場をつくろう」と誘われ、東大阪市社会福祉事業団準備室に参加、東大阪市療育センターを立ち上げ、19年間、子どもの療育や成人した障害者の健康管理や生活相談をしてきました。
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↑中新井邦夫医師のことを書いた本。向井承子著 新潮社。
↓松沢ちづるの実践も書かれている
松沢千鶴…等の保健グループは、センターのオープン直後から、東大阪市内に飛び出し、在宅の障害児・者の生活状況の調査を始めていた。…一度では不十分で、一軒の家を二度、三度、四度と訪ねる。その作業の中から、想像以上の悲惨な実態が見えてきた。

結婚、学童・育友会などへ

 就職と同時に、共産党本部に電話をして「赤旗しんぶん」を申し込みました。記事を見て参加した山行で夫と出会いました。

 結婚し、戸ノ内に住みました。園田東児童ホームでは父母の会の会長を務め、親も子も楽しい学童にしようとがんばりました。東高校で教員のセクハラが問題になった時、育友会の会長をつとめました

夫が共産党員に

 夫は大阪市役所の職員でした。市民の声を聞かない当局を批判していた職場の先輩らは冷遇され、昇任昇格で差別されていました。夫はそんな当局に腹を立て逆に先輩に近づいていきました。
 夫たちは、全労連に参加する新しい組合を立ち上げ、昇任昇格差別も勝利和解を勝ち取っていました。
 ある日、夫は帰ってくると「先輩に共産党へ誘われた。嫁さんと相談してくると返事してきた」というのです。私は「入ったらええやん」と思ったとおりいいました。夫は共産党員になりました。労働学校にも行くようになり、おもしろいで、と私に話してくれました。

夫のすすめで共産党に

 その1年後、夫が職場の人を連れてきました。その人といっしょに、私に共産党に入れというのです。「入ります」とすぐいいました。何も迷うことはありませんでした。