神が導こうとする長く安定した心の平和・平安は、
特別感は無く、日常の感覚としてあります
心が活発に理想を追う時には、勘違いで万能感に酔う時がありますが、それとは違うものです
淘汰の過程は、やる気の挫折、渇望する求め、何も起きない無力感、意外な出会い、脱力、休息、静まり、内側から出る素直で押し付けがましくないものの発見、自分にも他人にとっても自然な流れの良いものを信じ発見する自己肯定、
このサイクルが回るようです
これは誰かが意図して組む人生のプログラムではなく
ましてや教会や牧師の教えや『証し』でコントロールするものではないので
いくら信頼している相手であっても他人任せで自分の人生を変えるのは間違いです
(牧師は『特別な神の器』などではない「ただの人」と思うべきです)
私たちが神の真実を求めつつ日常を送れば
誰でもが多少葛藤しながら壁にぶつかりながら
自分の内側で理解し悟っていくものです
我を忘れた頑張りの先にあるものではなく
教会や牧師のことを理想的な愛と寛容の人格の目標のように見るのではなく
静まって自分の中から湧く心の願いから動き、必然として平和・平安になる
その積み重ねで自分も周りも変化が出てくる
そんなものとしてあるもののようです
これが透けて見えるような祈りや証しがあるクリスチャンとなら励まし合えます
ひどい経験やトラウマからの恐れやゆるせない思いや恨みや厳しい支配や葛藤の感情や自己肯定感の低さが抑えられないことも、そのありのままの自分と神との時間を長く何年も続けることで、我慢というより、自分の中にどうしても忘れられずあるものとして段々と受け流せます
完璧ではないありのままで静まって現実の自分の本音を神にそのまま語り、「イエス様どうですか?」と聞くこと
その繰り返しから心が段々と静まる方へ向かいます
この期間を支えるものは、教会の理想や牧師の教えではなく、それぞれ個人が心の奥から欲する真実なものです
詩篇 37:4-11 JA1955
[4] 主によって喜びをなせ。主はあなたの心の願いをかなえられる。
[5] あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ、主はそれをなしとげ、 [6] あなたの義を光のように明らかにし、あなたの正しいことを真昼のように明らかにされる。 [7] 主の前にもだし、耐え忍びて主を待ち望め。おのが道を歩んで栄える者のゆえに、悪いはかりごとを遂げる人のゆえに、心を悩ますな。
[8] 怒りをやめ、憤りを捨てよ。心を悩ますな、これはただ悪を行うに至るのみだ。 [9] 悪を行う者は断ち滅ぼされ、主を待ち望む者は国を継ぐからである。 [10] 悪しき者はただしばらくで、うせ去る。あなたは彼の所をつぶさに尋ねても彼はいない。
[11] しかし柔和な者は国を継ぎ、豊かな繁栄をたのしむことができる。
https://bible.com/bible/81/psa.37.4-11.JA1955
このブログの関連記事:
日記:赦しと受容の安心感 2004年12月22日
福音派聖霊派の教会に今あること、すぐ起こり得ることを訴えるためキリスト教ブログランキングに参加しています。
真実なクリスチャンライフを求めて〜自由な祈りのために
新改訳聖書を使う福音派、聖霊派(カリスマ派・ペンテコステ派)、聖書主義、終末携挙信仰、リバイバル信仰、潜在意識など心理的背景、牧師・教会のカルト化問題、クリスチャン2世問題を扱います。その当事者として信仰的姿勢と現実的姿勢で原因考察とお勧めをしております。
教派信仰問題の経験者の今後のあり方、信仰と救い、社会性、人生の背景、自立した生き方を探求します。内容が辛らつすぎると思われる方は、自己批判・内部告発とお考えいただきたいと思います。
NCC日本キリスト教協議会に属さず、JEA日本福音同盟やJPC日本ペンテコステネットワークに加わっている福音派聖霊派教派の自浄作用を期待して記事を書き20年になります。
他教会の問題であっても福音派を名のることを躊躇するような事がずっと起き続けて終わらないのは、『クリスチャンも罪人』という言い訳で済む問題なのでしょうか?『聖書的』『聖書信仰』と言うだけで、すべて許されるのでしょうか。
