神様の人への愛と扱いは、完全で繊細ですが、
正直、人の側にはそうは感じられません。

神様は「あの人がかわいそう、どうにかしよう」では決して動いていない気がします。
人の心を根底から変えるようなことをゴールにしていて、でも強引ではなく、一つ一つを確実にステップを踏ませようとします。それは人生経験と言えますが、心地よいことばかりではありません。

そして神様は大胆であり、御子を十字架にかけるという、誰の目にも留まるように分かりやすく、そして罪の悲惨な犠牲の姿を見せ、それを神の愛として示しました。
言葉で細かく決まりを言うより、見た目で人の心に刻まれる形あるメッセージ、今も何よりもインパクトを与えるものです。
これは罪のない神の御子であるキリストだから、人の罪を負えました。
人が真似をすることはできませんが、人が真の愛を学び、他の人に仕える動機になっています。

人にも、繊細な人と、大雑把や大胆さのある人が居ます。
人は不完全ですが、お互い様とか、個性のあらわれ方の違いは面白いです。

ただ、本当の意味でお互いのために何かをしているか、
それとも、自分の居場所のために、自分に都合よく相手を利用するのか。
人を生かすのが愛です。

情が深く尽くす人が「愛」を勘違いして相手をだめにする共依存の話はよく聞きます。

「ゆるし・優しさ」と「心の境界線・自立心」
これを程よく守り、隣人とのお互いの神にある人生を見守ろうと思います。

情が深いように見せて他人を取り込み、利用する話も聞きます。
教会では特に人格の境界を無くすようなことがよくありますし、ブラックでカルトな状態では心まで支配してコントロールします。
はっきりした心の境界線と自立心は、どこででも外せない必要なことです。



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  福音派・聖霊派(カリスマ派・ペンテコステ派)・聖書主義の問題、リバイバル信仰の問題、潜在意識など心理的背景、教会のカルト化問題、クリスチャン2世問題を扱います。その当事者として信仰的姿勢と現実的姿勢で原因考察とお勧めをしております。
  教派信仰問題の経験者の今後のあり方、信仰と救い、社会性、人生の背景、自立した生き方を探求します。内容が辛らつすぎると思われる方は、自己批判・内部告発とお考えいただきたいと思います。

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