ただキリストが内に居て語る言葉が力を持つ

キリストが居ることの実感は人の誰からも与えられず、ただ個人として求める祈りでしかキリストご自身は見つけられない。

もし大説教家や奇跡を行う者に感動させられ按手されても、その実感はキリストとは違うことが多くあります。人間的な確信や結論が押し付けられていることが多いのです。

清さだけの人、正しさだけの人など存在しませんし、皆が例外なく混ぜものを内に秘めています。キリストはそれを責めず、人が自ら気づいていくこと、それを見極めるための経験を人生で与えます。
だから、人生のある場面を絶対視してはいけないのです。
絶えず新たな学び気付き悟りを蓄え、
頼りたい思い込みの確信を手放し封じるようにされ、
今ここにいる自分や他人とキリストをありのまま現実として日々気付き認識を改め、リアルで決して離れないキリストを知ることです。

人が語る証しや聖書の引用に感動しても、内なるキリストによるものか、人が切り取ったものなのかを見極めるために、人生の日々の様々な経験があります。



主は重い労働をもって彼らの心を低くされた。彼らはつまずき倒れても、助ける者がなかった。
彼らはその悩みのうちに主に呼ばわったので、主は彼らをその悩みから救い、 暗黒と深いやみから彼らを導き出して、そのかせをこわされた。
どうか、彼らが主のいつくしみと、人の子らになされたくすしきみわざとのために、主に感謝するように。
主は青銅のとびらをこわし、鉄の貫の木を断ち切られたからである。
ある者はその罪に汚れた行いによって病み、その不義のゆえに悩んだ。 彼らはすべての食物をきらって、死の門に近づいた。
彼らはその悩みのうちに主に呼ばわったので、主は彼らをその悩みから救い、 そのみ言葉をつかわして、彼らをいやし、彼らを滅びから助け出された。
詩篇 107:12‭-‬20 JA1955
https://bible.com/bible/81/psa.107.12-20.JA1955


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真実なクリスチャンライフを求めて〜自由な祈りのために
  新改訳聖書を使う福音派、聖霊派(カリスマ派・ペンテコステ派)、聖書主義、終末携挙信仰、リバイバル信仰、潜在意識など心理的背景、牧師・教会のカルト化問題、クリスチャン2世問題を扱います。その当事者として信仰的姿勢と現実的姿勢で原因考察とお勧めをしております。
  教派信仰問題の経験者の今後のあり方、信仰と救い、社会性、人生の背景、自立した生き方を探求します。内容が辛らつすぎると思われる方は、自己批判・内部告発とお考えいただきたいと思います。
  NCC日本キリスト教協議会に属さず、JEA日本福音同盟やJPC日本ペンテコステネットワークに加わっている福音派聖霊派教派の自浄作用を期待して記事を書き20年になります。
  他教会の問題であっても福音派を名のることを躊躇するような事がずっと起き続けて終わらないのは、『クリスチャンも罪人』という言い訳で済む問題なのでしょうか?『聖書的』『聖書信仰』と言うだけで、すべて許されるのでしょうか。