しょうこ先生の日々。

埼玉県草加市のピアノ教師です。内容はその日その日の心を動かした数々を、思ったままに書きつづっていきます。

2011年08月

アルバム。

主人の母。
78歳で、天国へ。


感謝をこめて・・・・・・












主人が生まれて・・・・


大好きな、母と主人。


妹も、増えて・・・



なんといっても、パパが大好きで。


母の弟。



なかなか見ない、満面の笑み。


妹と。(姉妹のようね!)


初詣


愛犬マック





親戚の結婚式。(中央は、私たち夫婦)




1枚だけの父とのデュエットの写真発見。




私と主人で~す。






仙台、松島。





わぁ~ずいぶん前。右の男の子((@_@;))は私です。隣は私の父。その隣は私たちの仲人さん、
そして、1番右は主人の父。



主人の家族4人。家族写真も、これ、たった1枚だけ。



私の長男(和磨)のお宮参り


私と。


母の誕生日(20年前。58歳)



前後しました。私たちの結婚式。ご両家です。


お兄ちゃん(主人)が大好きな妹、久美ちゃんと一緒に。


和磨生後7日。退院した日。










長女(有里)も仲間入り。






母のお誕生会。














いつの間にか、次男(貫志)も仲間入り。




この写真は、大好きで、いつも見えるところに飾っていてくれた。






両家で行った、最初で最後の海外旅行(サイパン)









那須。


茨城、笠間にお墓詣り。




クリスマスパーティー(母の家)いもうとも一緒。


和磨のピアノの発表会。


七五三




運動会の応援に。


一緒には行けなかったけれど、私たちがハワイに行った時の、この写真は、入院中のベットのそばにずっと飾ってありました。






今年の1月、有里の成人式。
嬉しそうに、「有里、・・押して・・・」と言って
有里が車いすを押して病院を1周しました。


「これ・・・・・私の・・・・・孫・・・・・・(^^)・・」と、会う人会う人に話しかけていた母。








2か月前の七夕・・・・
みえますか・・・
短冊に書いたのは・・・
「早く あいたい パパ」







子供たちが小さなときに、よく渡していた手紙を大切に取っておいてくれて・・・























お母さんが、最後に、目を閉じたとき、何を想ったのだろう・・・・

父の事・・・・・??
我が子の事・・・・??
孫の事・・・・・・・??
親の事・・・・・・???

どこかの土地???

きっと、きっと、素敵な想い出がたくさんあったっこと・・・・思い出してくれたのならいいな。

私たちは、お母さんのアルバムを見て、
お母さんが歩いてきた、ほんの少しだけど、同じ場面を心に刻みました。

貴女が、私たちに残してくれた想い出、
大切に、持ち続けるから。

もう1回だけ、言わせてね。

おかあさん。。。。ありがとう。








ずっと、私たちの心の中に・・・・・・・・

ありがとう。



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支え。

「人は1人では生きていけない」
「『人』という字は、支え合って出来ている」

こんな事を、今年は、何度感じていきていただろう。

やはり、震災から。




同じ言葉だけど、今、私は、違った意味で、その言葉を受け止めています。



3月から今まで、私は、「支える人」だった。
もちろん、お互い様で、私も、たくさんの勇気もいただいたし、多くの事を教えてもらった。
でも、自分、1人で立っていられたから、ある程度、寄りかかってもらっても、踏ん張って・・・さらに・・・足に力を入れて、「支え」になろうとしていた。

「人」とう字ように、お互いが頼り切っているのではなかった。
カタカナの『ト』みたいに、横の、斜めの棒がなくても、『1』(1人)で立っていられた。

それが今は・・・・・・



1日1日と、現実が、体に浸み込んでくると、
自分1人で「芯」にしていた部分が、危なくなっている。


主人が帰ってきて、頑張っていた部分の強さが、少しだけ。


たくさんの人が支えの手を差し伸べてくださる。
暖かい言葉で、支えてくださる。


ありがとう・・・・・・・・


おもわず、全身で寄りかかりそうになりながら、まだまだ、踏ん張っている。

「人」の字のように、相手がいなくなったら、倒れてしまう・・・そうはなりたくない。と、突っ張っている。



↑  ここまでは、心の部分。




でも、この状況の中、私は幸せだ、と本当に思う。
人と人のつながりに、
人と人の、奇跡的な出会いに、
心底、震えるくらい、感謝して、感動している。




昨日1日、葬儀屋さんとの打ち合わせに明け暮れた。

何もわからない私たち夫婦。



ただ、今年に入ってすぐ(位?)
主人の中学からの友人の奥様(わたしにとっても、昔馴染みの彼女)が「互助会」のお仕事をしていて、
何年かぶりに連絡があって
「しょうちゃ~~ん、元気???ちょっと話だけでも聞いてよ~~(^^)/」と言うので、時間を取って話を聞くことに。

いろいろなセールスは今まであって、
フンフン・・と受け流すことの方が多かった私だけど、
彼女の話は、ちょっと引っかかるものがあって
・・・(私も歳になったから、こんなことも、気にしていないとねぇ~~~)・・・・
なんて思ったか?思わなかったか????


とにかく、1つ1つの説明に納得して、その「互助会」に入ることにしたのです。

「もしもの時は、こうして、ああして・・・・」と説明も受けていた。


そして、今回、「もしもの時」がやってきて、なんと心強かったことか・・・・・


↓  ここから、奇跡のような『本題』

その「互助会」で利用する斎場が、すぐ近くにあるのだけれど・・・・・

このブログでも、以前登場したれい子先生。(楽譜支援では、大変お世話になったし、「サマーコンサート」では、リハーサルからずっと見ていて支えてくださった友人)
そのれい子さんは、ピアノの先生の傍ら、葬儀の際の「セレモニープレーヤー」のお仕事もされていた。

そんなお話は、前から聴いてはいたものの、
今回、こんな形で、また、繋がれるとは・・・・・


その斎場で提携している音楽事務所のお仕事をされていたんです。。。。。れいこさんが。。。。



昨日、葬儀屋さんとのお話で
「生の音楽を流すこともできますよ」と言われたときに、すぐに、れい子さんを思い出した。

でも、半信半疑。


「あの・・・・・・・・その時のプレーヤーさんは、???」
初めは
「さぁ~私どもは、誰が来て演奏されるかは、わかりません。選ぶこともできません。」と言われた。


そうだよね・・・
そんな偶然、あるわけないし・・・・・・・

と思いながら、・・・・・でも、聞いてみた。

「あの・・・・友人が、セレモニープレーヤーやっているんですが・・・」(私)
「・・個人的に、頼むことも、出来かねます。」(葬儀屋)

「でも、もしかして、その提携している事務所の専属のプレーヤーさんだったら???」(私)
「・・・え・・・・????・・・・じゃ・・一応、その事務所に聞いてみましょうか・・・??」(葬儀屋)

「はい!!お願いします!」(私)
「プレーヤーさんのお名前は??」(葬儀屋)

「ますだれいこさん・・・・・・・」(私)

すぐに事務所に電話をかけてくれた。
「もしも~~し・・そちらのプレーヤーさんで、ますだれいこさんっている???
・・・・・・・・あ・・・・・・・・・いるの??????」・・・ヨシッ!!
「指名、ってできるの・・・・・・?????・・あ・・・・・・・で・・き・・る・・????」(葬儀屋)


私は心の中で、飛び上がった!!!!!


でも・・・れいこさんは、ピアノ教室のお仕事もあるし、
セレモニーのお仕事に日と、ピアノ教室の日と、決まっているようなことも聞いていたし、
その日に、他のセレモニーのお仕事が入っているかもしれないし、
・・・それに・・・もしかしたら・・・ちがう「ますだれいこさん」かもしれない。

でも、「その方がいいんです。お願いしてみてください」と頼んでみた。

あらためて電話をかけてくれて
「あ~~~、〇〇典礼のものだけど、さっきの「ますだれいこさん」この日に、こっちに来てもらえるかな???
・・・・・・・あ・・・・・・・オッケー・・????は~い。では、よろしく~~」


なんという奇跡!!

れいこさんとは、今回の母の件ではメールでやり取りもしていたけれど、どこで葬儀をするとか、まして、個人的に「弾いて欲しい」とか、1言も相談していなかったし、私が勝手に決めちゃってよかったのか・?
違う人だったらどうしよう~~・・・・


なんて思いながら、その葬儀屋さんがお帰りになった後、初めてれいこさんにメールをしてみた。


すると、しばらくして、れいこさんから電話が来た。

「れいこさん???連絡行った???こうこう・・こうで・・・お願いしたのだけど、れいこさんで間違いないよね・・・お願いできますか????」

電話の向こうのれいこさんは、初め、すごく驚いていたようだったけれど

「私も、さっき事務所から連絡会って驚いていたのよ。
もちろん、しょうこさんのお母様・・・・やらせてもらうよ!!」と言ってくれた。

ありがとう!ありがとう!ありがとう!
れいこさんがいてくれたら、どんなに心強く、安心してお母さんを旅立たせることができるか・・・・

そのあと、母の好きだった曲、
父の好きだった曲・・・・
また、れいこさんが「オススメの曲」のリストをおくっれくれて、主人や妹や子供たちと家族会議を開いて
選曲したものをお願いすることになった。


れい子さんとは、ツィッターで知り合い、まだ1年くらいのおつきあいだけど、
こんな風に「縁」あって、繋がりを持てたことに、心から感謝します。




そのあと、「互助会」を進めてくれた彼女からも連絡をもらい
「しょうちゃん・・・お通夜も、告別式も、ずっと、私が担当させてもらうから任せてね!」と言ってくれた。



「支えられている」

今、1人で立つのがちょっとキツイ。
こんな事って、ほとんどないのに・・・・・
いつも、1人で大丈夫だったのに・・・・


でも、こうやって支えてくれる人がいて、ちょっとよりかかってもいいのかな・・・・って思う。


時間がたつごとに、現実が浸み込み、
訳がわからない感じだけど、支えられて立っていられます。
笑っています。



みんなに「ありがとう」です。


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笑顔の晩さん会。

夕べ、主人はドーハから、妹は韓国から戻り、この家はにぎやかになりました


カタールは、宗教上、お酒、豚肉が禁止され、それは主人に取っては拷問のような食生活だったようです。

コンドミニアムのホテルで、食材を買って自分で調理するのだけど、新鮮なものはほとんどなくて、卵は黄身がプルッと浮き上がっていたことはなく、全部割ると黄身まで割れて出てくるし、
お魚もあるけれど、ドヨヨ~~ンとしたかおの魚しかない(って、その魚の顔のマネ・・してみせる主人・・・どよよ~~ん(@_@;)・・・・)

1日中、埃の中(砂漠みたいなものですから)
いつも晴れていて、雲は1度も見たことがないけれど、埃で、月もかすみ、星は1つか2つしか見えない。

日中はいつも45度以上。
夜になると、湿度は100%を超える・・・・って、一体どんな感じでしょうね~~??
埃っぽい「ミストサウナ」状態・・・・・・ウェェェェ~~~(>_<)


ネオンもあるそうで、ワクワクして(って何を期待しているのか!!(-_-メ))
傍まで行くと、

「工具やさん」
「便器やさん」
「金物屋さん」

な~~んだ・・・・・・って、ションボリして帰ってきたそうで(・・・アホ・・・・)


とにかく、何にも、娯楽施設がなく、
ガイドブックにも
「世界1、退屈な国」と書いてあるそうで、


「本当に、そのとおり!何にもないんだぜぇ~」と、喋りまくっていた



妹も、韓国から、すっ飛んできてくれた






おかあさん・・・・・・・・
みんな、集まったよ(^^)/・・・・






話は前後するけれど、
実の母の最期に立ち会えなかった主人と妹は、昨夜、ここで母と対面をして、
主人は母の頬を両手で包み込み、
しばらくの間・・・・・・・・・・・・・・・・

一瞬、空気が止まっていた。




母は、ちゃんとわかっていると思います。

「大丈夫だよ。ありがとね。と、母は言って、笑っているように見えました。




それから、家族でワイワイと晩さん会をしました。

主人は、昔のアルバムを屋根裏から引っ張り出してきて、昔の話に花が咲きました。



「とんかつ」や、「肉じゃが」、「刺身」などの日本食を、私も腕を振るって作りました。
久々の日本食に、主人は猛烈に興奮して、
なかなか来れない妹と一緒に、飲み、笑い・・・・話が尽きない事・・・



母のおかげで、いい時間を持てました。
ありがとう。
きっとお母さんも、喜んでいると思いました。


こうやって、家族が集まり、故人の話をし、これからの話をすることが母にとっても嬉しいことなのだろうと思います。
あとに残った私たちが、今までの愛に感謝しながら、歩いていくんです。

丁寧に、丁寧に、主人と一緒に、お見送りができるように、頑張ります。



私の事を心配して、メッセージもたくさんいただきました。
ありがとうございました。

しばらくは、主人も一緒ですし、昨夜はたっぷり休みましたし、
大丈夫ですよ~~♪(^^♪

応援していただけると、もっと頑張れそうです。



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お母さん・・・ありがとうございました。

主人の母は、今朝、大好きな、大好きな、父の元へ旅立ちました。

心配してくださった皆さん。
本当に、ありがとうございました。


主人の父が、突然亡くなったのは、娘がお腹にいて、もうすぐ生まれる、という20年前のこと。
夕方の散歩の時に、突然、心臓発作でそのまま。
母が、「帰りが遅い!」と警察に連絡した時には、もう、すでに亡くなっていました。

いつも、ケンカばっかりの父と母でしたが、
「パパ・・パパ・・どうして、看病させてくれなかったの??」と泣いていた母の姿が、今でも、忘れられません。

私は、臨月に入っていたので、いつ産まれてもおかしくないように、「母子手帳」を握りしめて駆け付けたことが昨日の事のようです。

1か月後に生まれた長女。

母は、とてもかわいがってくれました。
もちろん、その後に生まれた次男も同じく、私の3人の子供たちには、見た目はあっさりと接するものの、いつも優しいまなざしで見守ってくれた。

その母が、リウマチを患い、その薬の影響で、骨がもろくなり、腰の骨を折ったのが、8年ほど前の事だったでしょうか・・・・

初めに入った病院の処置が良くなくて、1週間で褥瘡ができ、そこから、ずっと入退院の繰り返しとなりました。

父が他界してから、ずっと1人暮らし、
特別趣味もない人だったし、
人との付き合いも、ほとんどしない人でした。

「はやく、パパの所へ行きたい・・・・・」
ずっとずっと言い続けていました。

「なに言ってんの??おかあさん・・・この子たちの入学式、見なきゃ!」「卒業式見てね!」「ほら、もうすぐ成人式だよ。」「結婚式には来てね!」と、言いながら、笑って励まし、時々子供たちとお見舞いに行く日々。

初めはいろいろな病院を転々とさせられました。

危篤の連絡もあったこともありました。

でも、もともと内臓と精神力が強い母。
何度も乗り越えてここまで来ました。

「もういいの。パパの所に行きたいの。」
それが口癖の母でした。

今の病院に入って7年。
とてもいい病院で、季節の行事やだんだん、笑顔を取り戻していた母でした。




容態が、悪い・・・・そう、初めに連絡を受けたのは、1か月くらい前だったでしょうか・・
私も自分のサマーコンサートや施設コンサートの準備でてんてこ舞いの時期でいた。

肺に二酸化炭素がたまってしまい、うまく酸素を取り込めなくなっていて、駆け付けたときは酸素吸入で意識がありません。
「おかあさん・・」そう言って手を握っても、にぎりかえしてはくれなかった。

でも、そのあと、娘が「1人で行ってくる!」と、自分で運転して病院に駆け付けたときは
「ゆうりだよ。わかる???」と聞くとうっすらと目を開けて答えてくれた母。

やっぱりわかるんだね・・・・

その後、一旦回復。
私が行っても、ぶっきらぼうだったけれど、お話もでき、笑いあった・・・・・

それが2週間前。
主人がドーハに行く前日の事でした。

「おふくろ・・・オレ、外国行くから頑張れよ!」
「わかったよ・・・」


それが主人と母の、そして、私とも、最後の会話となりました。


それから昨日まで、私も自分の入院もあり、母の病院へは行けなかった。


そして、昨日・・・・・

私は、自分の用事で、表参道に出かけていました。
心が震えるような、素敵な時間だったので、帰ったらブログに書こう・・なんて思っていた時、

「・・あ・・そうそう、携帯の電源、切ったままだった・・・・」

そして、電源を入れた途端・・・飛び込んできた、着信の数々、メールの数々。
子供が、私に連絡を取ろうと必死になっていました。

「おばあちゃんの容体が良くないの、私たち、病院に行ってる」

すぐに、私も電車に飛び乗り、駆け付けました。


大きくなった子供たちがこうやって、揃うのも、本当に珍しいことです。

父(主人)は海外。母(私)は捕まらない。
叔母(母の実の娘)も仕事で韓国。

そんな中、子供たち3人が、車で駆けつけ、母の手をにぎっていました。


私が病室に入った時は、もう、意識はなかったけれど、子供たちが到着した時には名前を呼んでくれた、と言っていました。

韓国の義妹を連絡が取れたけれど、遠く離れたところからどれだけ心配だろうと思うと、胸が痛くなりました。

「私たちで、ちゃんと見てるから、大丈夫。」
「お母さんも待っているから、落ち着いて帰ってきて!」

受話器の向こうで
「しょうこちゃん、ごめん・・・ごめん・・」と泣いている義妹。


「きっとお母さんは、くみちゃん(妹)が来るまで頑張れるから、きっと大丈夫だから!!」
そう言って、私たちは2手にわかれることにしました。

「2人んは帰って休んでいなさい、なにかあればすぐに連絡するから」
そう言って男2人を返し、私と娘が残りました。


浅い息を気にかけながら、ずっとお母さんの手を握っていました。
「もうすぐ、くみちゃん(義妹)来るからね!!」
反応はしないけれど、きっとわかっていると思いました。

妹の声を聞かせよう。

私は国際電話をかけて
「お母さんにかわるよ」といって、お母さんに、妹の声を聞かせることが出来ました。
主人に電話をかけたけれど、
「もう、空港に向かっている」という事で、話すことはできませんでした。


夜中、ずっと母の顔を見ていました。
リウマチで変形してしまった指だけど、白くて柔らかい手をずっとつないでいました。


夜中の3時過ぎ、少しだけ、感じが変わりました。
本当に何が変わったのか、今では、よくわからないけれど、
「おかあさん・・・・・???」と思いました。

すると、ナースステーシャンにいた看護婦さんが、すかさず入ってきました、
やはり、血圧が下がったようでした。
あちらでしべて見ていてくれているから、私がナースコールで呼ばなくても、わかっていました。

でも、そんなに緊迫した感じではないにも関わらず、
息子たちを呼ばなくてはいけない。と感じました。

電話をして、すぐに息子たちは駆け付けてくれました。

だんだん呼吸の間隔が長くなりました。

娘が
「おばあちゃん!!息、すって!!」

大きな声でそういうと、今まで反応しなかった母が大きく息をします、
・・・・わかっているんです。

・・・・また、止まる。・・・・

息子も
「おばあちゃん、もう1回!!」

・・・・また、大きく吸う。

「偉いよ!!おばあちゃん!!」
「上手だよ!おばあちゃん!!」
「大好きだよ!おばあちゃん!!」

変わるがわるに孫が大きな声で声をかけ続け、手をにぎりつづけました。


本当に母は、頑張っていました。
本当に本当に、本当に・・・。

私は心から、尊敬しました。

いつも
「パパの所へ早くいきたい。」と言い、
今年の七夕の短冊にもそう書いていた母が、
最後の最後に、孫の前で見せてくれた頑張りです。




3時45分・・・・とうとう、息を吸わなくなりました。

手の色も、みるみる変わってきたけれど、子供たちはその手をさすって、またピンク色になるように、マッサージをやめませんでした。


本当なら、すぐにお医者様が来て、最後の言葉をおっしゃる所が、なかなか来ません。

「何、やっているのかしら・・・・」と私は不思議でたまりませんでした。


息は止まっているのに・・・・・
・・・・・・・・・脈が・・・・・・・・まだあったんです。

かすかに・・・。

私が、手を取って、脈をみました。
子供たちも脈をみました。

トク・・・・・・・ッ・・・・・・トク・・・・・ッ・・・・

「動いてるよ!」
「うん、わかる。」

まだ、きっと私たちの声も聞こえているはず。

私たち4人は、ずっとずっとっずっと・・話しかけつづけました。


そして、それから40分後・・・・
とうとう先生が入ってきました。

「4時35分、・・・ご臨終です。」





おかあさん・・・・・・・・・・・ありがとう。


おかあさん・・・・・・・・本当に、おつかれさまでした。



主人と妹は、無念だったと思います。
でも、私たちは忘れません。
お母さんが、最後まであきらめずに頑張った姿は、天使のように見えました。

ありがとう・・・・・・




この母を心から誇れる!そう思いました。
この人の娘になれて、よかった・・そう思いました。

絶対的に、いい嫁ではなかったけれど、
お母さんからもらってばかりだったけど、
この気持ちはずっと忘れずに生きていきます。


この状況の中で、こんな記事を書いていること、すこし変かもしれませんね。

でも、私は今落ち着いています。
主人も妹もまだ家にはついていないこの時間、

母を家に連れ帰り、大好きな父の仏壇の前で、子供たちと安らかに眠っている母。


今私はとても心が穏やかなんです。


大好きな母の事、

今の気持ちを、自分の1ページとして、どうしても残しておくことが、母に対する精一杯のお礼の気持ちだと思いました。

だから、こうやって書いています。


昨日はあわてて、皆さんにご心配をおかけしました。
ごめんなさい。


でも、人間、
生きて・・・死んでいく・・・


この時を、大事にしたい、そう思っています。


今夜、主人も妹も帰ってきます。
頼りになる子供たちもいます。

丁寧に…丁寧に・・・母をきちんと見送りできるように、背筋を伸ばして、行きたいと思います。


本当にありがとうございました。

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母の病院にて。

主人の母の容態が、よくなく、病院です。力を下さい。

お母さん、頑張って。
今夜は、私と娘が付きます。
主人も、主人の妹も、海外で。。。
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