2006年11月26日
<b>ジャッキー・デーリー with 守安 功 ＆ 雅子コンサート</b>
１１月２３日（祝）午後３時からコンサート開催。
会場に約２００人の人たちが訪れた。
ジャッキー・デイリー氏と守安功＆雅子夫妻が現れコンサート開始。
演奏曲目はO'Farrell's Welcome To Limrick, Coast In Aistria, Inishmore 五木の子守歌、ねんねんころりよ、など約２０曲。
地元のアイルランド伝統音楽演奏グループ「アイリッシュクリーム」なども共演、会場を盛り上げた。
コンサート終了後、７時から１０時まで市役所１４階レストラン「彩」でウエルカムパーティー。
会場に約２００人の人たちが訪れた。
ジャッキー・デイリー氏と守安功＆雅子夫妻が現れコンサート開始。
演奏曲目はO'Farrell's Welcome To Limrick, Coast In Aistria, Inishmore 五木の子守歌、ねんねんころりよ、など約２０曲。
地元のアイルランド伝統音楽演奏グループ「アイリッシュクリーム」なども共演、会場を盛り上げた。
コンサート終了後、７時から１０時まで市役所１４階レストラン「彩」でウエルカムパーティー。
2006年11月12日
<b>「アイルランドと私〜その魅力について〜」 久野啓介（熊本アイルランド協会副会長 宇土市史編纂委員長</b>
第１話 把手のある風景
私はこの7月まで熊本近代文学館に5年間勤め退職しました。その間皆様には大変お世話になり感謝しています。
今日は「アイルランドと私〜その魅力について〜」と題して私的よもやま話を三題噺風にお話しします。
（１）アイルランドへ行こう
平成１４年９月発行の「ハーン通信」９号に「アイルランドへ行こう」という私的な文章を執筆しました。アイルランド訪問の直後に亡くなった熊本出身の女牧師さんのことを書いたものでした。アイルランド旅行の印象が大変強烈だったらしく、いただいた絵はがきに、アイルランドの魅力について「話しまくりたい」と熊本弁で書かれていました。結局その話は聞けず終いになり、気になって仕方なかった。今日はその話から始めたいと思います。
林幸子さんは、旧制の熊本市立高女卒業後、結婚して満州へ行かれ、大病を患い数奇な運命に翻弄され、最後は信仰の道へ入って牧師になられた方です。父上の林一男氏は、熊日の前身「九州新聞」地方部長をされ、元・熊日社長の島田四郎氏が青年時代に林一家と親交がありました。「じゅったんぼ」という面白いエッセイ集を出しておられます。
ではハーン通信の拙稿「アイルランドへ行こう」を読みます。(小泉八雲熊本旧居保存会発行「くまもとハーン通信」No.9より転載)
「きょう、母が死にました」電話の声は唐突に告げてしばらく途切れた。
死因とされる脳出血に何の前触れもなかったのか、同居していた娘の荘子さんが外出先から帰宅したとき、すでにこと切れていたという。
なんと言うことだ。あんな元気な便りをもらったばかりではないか。
アイルランドの田園風景を絵はがきにしたもので、いかにも林さんらしい短い文章が添えられていた。
「アイルランドの風景のヨサヨサ。忘れることは出来ません。ハーンの育った家（大おばさんと）見ました。お会いすることあらば、話しまくりたいと思います」
二日後、基督聖協団大宮教会牧師、林幸子師の告別式は、さいたま市内のホールで青梅教会浜野牧師の司式により執り行われた。（中略）
最後に挨拶に立った喪主荘子さんの夫君の浅野氏が、「義母はアイルランド旅行の印象がよほど強烈だったのか、帰国後、この数日はいつになく口数が多くなっていました」と語った。（中略）
「大病を患った三十代には夢想だにしなかったことだが」と言いながら、聖地エルサレムへの旅をはじめ、何度かの海外旅行も経験した彼女が、生涯の最後の旅にアイルランドを選んだのは、いかなる理由、経緯があったものか、詳しくは知らない。出発前、電話で「あーたがアイルランドはよかよかと言うから、私も行ってくることにしたよ」と、冗談のように語っていたが。
昭和の初めに詩人丸山薫がまだ見ぬ国を想って、「汽車に乗って／あいるらんどのやうな田舎へ行かう／ひとびとが祭りの日傘をくるくるまはし／日が照りながら雨の降る／アイルランドのやうな・・・」と歌った、ケルトの地アイルランドの田舎には、つい最近まで古代・中世の妖精信仰が息づいていたという。人間と動植物、妖精や妖怪までもが入り乱れて暮らしていた、“失われた世界”がいまに名残を残す、そんな雰囲気がある。
信仰を持たぬ私には、神学上の論議や信仰者の心の問題は分からないが、なぜか林さんのキャラクターには他の宗教者とは少し違うところがあるように思えて仕方がなかった。その精神には融通無碍なとでもいいたい、独特の自由さがあると感じられた。それが八十四歳にしてなお幼子のごとき林さんの魂を、アイルランドへ呼び寄せたのではないかと思えてくるのだった。（後略＝以上転載）
彼女にアイルランド行きを勧めたのは確かに私です。私はハーンの足跡訪ねがきっかけで、三度アイルランドを訪問しすっかりアイルランド大好き人間になりました。例の清和文楽アイルランド公演の言い出し兵衛も私ですが、それにしても「アイルランドの風景のヨサヨサ。忘れることはできません」と、これほどストレートに言い切ったのはさすが林さん、それだけにその話を聞きたかったと思います。
（２）風景は幻を見せる
アイルランドの風景が独特の魅力をもっていることは、誰しも認めるところだと思います。独特の風景を作り出している要素の一つは色です。ご存じのようにアイルランドのナショナルカラーは緑色で、セントパトリックの日には緑衣で街は緑一色になります。元々アイルランドの田舎の草原の緑で、緑一色の景色の中に、白壁の家ぽつんぽつんと建っている田舎の風景は、まるでおとぎ話の中の世界です。
それと共に、最初の訪問の際に見たヒースの原の印象が圧倒的でした。このときはロンドンからまずイングランド北部の学園都市ダラムへ行き、ハーンが学んだセント・カスバート校（神学校）を訪ねました。ダラムはエミリー・ブロンテの「嵐が丘」の舞台ヨークシャーの隣です。同行した妻が女学生時代に見た映画の場面で、主人公キャサリンが恋人のヒースクリフに向かって、「ヒースの花をたくさん摘んできてちょうだい」と言う場面があって、それを生徒達が休み時間に真似をしていたと聞きました。小説にはそんな場面はないのですが、ヒースの荒野が小説の重要な要素となっていることは間違いなさそうです。阿部知二の文庫版解説に、作者エミリー・ブロンテ自身大層ヒースを好んだこと、エミリーの最期の日、姉のシャーロットがヒースの花を摘んできてエミリーの目の前にかざしたが見ることが出来なかったというエピソードも書かれています。そのヒースの野が見えるかも知れないと期待をしていましたが、残念ながら季節はずれで見ることが出来ませんでした。
ところが三日後、アルバムによると9月25日、アイルランドのダブリン郊外ウイックローの丘へ行く途中、全山見渡す限りヒースの原に遭遇しました。ちょっと盛りを過ぎていましたが、それでも赤紫の何とも言えない幻想的な色彩の、魂が吸い込まれるような不思議な光景に魅了されました。そういう丘や原をヒース、ヘザ、ムアと言い、荒地、荒野と訳されております。荒れ地の小潅木もヒース、ヘザと言い、日本では学名でエリカと言います。以来アイルランドと言うと私はあのヒースの原を思い出し、連想は「嵐が丘」に及んで行きます。
嵐が丘の舞台はスコットランドとの国境に近いイングランドのヨークシャーです。しかしブロンテ姉妹の父はアイルランドの農村出身で苦学して牧師になった人です。阿部知二は文庫本のまえがきで「そのアイルランドの血が姉妹の想像力の豊かさに関係あると考えるものもある」と書いており、私もそう考える一人です。
「嵐が丘」についてはいろんな解釈があり、熊大におられた西成彦氏はクレオール文学の流れの中で読み直しを提起しておられます。つまりヒースクリフを英植民地主義が生み出した逃亡奴隷（マルーン）の先駆的形態とする刺激的論考（「耳の悦楽」）を展開しておられます。私は風景論としても、作品世界や登場人物の性格についてアイルランド的な特性に注目したい気がします。後述のように、風景は人間の精神に世代を超えて大きく作用すると考えるからです。
二度目のアイルランドの旅では西の端のアラン島へ行きました。見渡す限り荒涼たる石の原、それに断崖絶壁です。島には特産のアランセーターを売る店があり、手編みの文様で作った家が分り、遭難者の身元識別にも役立つと言われます。過酷でしかも壮絶な美観と言うほかない景色でした。
ただならぬ雰囲気を盛り上げるのが非常に変りやすい気象です。「アイルランド人はアイルランドのお天気のように気が変る」という諺があるそうですが、実際に行きますと現実に体験出来ます。アラン島へ行く時は、ゴールウェーで一泊して翌朝島へ渡りましたが、訪問前夜の夜半に目が覚めると激しい雨風の嵐でした。朝になっても雨は降っています。それでも大丈夫と言うことで出発し、バスの中でも降っていたが、波止場では小降りになり、船中でだんだん晴れ間が出てきて、島に行ったらもう晴れ。昨夜の嵐が嘘のようでした。
そういう体験から思いますのは、風景は単なる美醜ではない、目の保養などではないということです。魂に直接訴えてくるものがあります。風景画家は何を見ているかと言うと、ただ山や川や、色や形をのみ見ているのではない。一言でいうと、「風景は幻をみさせる」と思います。視覚的な眺めは精神の奥深く作用する、慰撫であると同時に呪縛であると考えます。
私はそれを「把手のある風景」と呼んでおります。風景に把手が付いていて把手を引き開ければ幻が見える。いたるところに把手があるのがアイルランドの風景ではないかと思います。しかもそこで見える幻は個人的幻想ではなく、いわゆる「共同幻想」ではないか、共同であるが故に世代を超えて受け継がれていくこともあるのではないかと思います。
（３）「アイルランド田舎物語」の世界
司馬遼太郎の「街道を行く」シリーズの「愛蘭土紀行」に、田舎道を通っていたら「レプラコーン・クロッシング」の標識があったという記述があります。レプラコーンつまり妖精（靴直しをする小人）が道路を横断中という意味です。アイルランドならではのジョークでしょうが、つい先頃までフェアリービリーフ（妖精信仰）が生きていたその名残だと司馬さんは書いています。
それをなるほどと思い知らされたのがアリス・テーラーの「アイルランド田舎物語」という本でした。1988年刊ですから18年前の発行です。アイルランド出版史上空前のベストセラーになった本です。日本語版は1994年に出版され、熊本日愛協会では訳者の高橋豊子さんを呼んで話を聞いたことがあります。
アリス・テーラーさんは1938年生れの主婦作家です。原題は「牧場を通って学校へ―アイルランドの田舎のこども時代」で、帯に「小さな村の自然と神が間近な静かな暮らし」と書いてあります。第二次大戦から終戦直後のアイルランド南部の牧場の大家族の生活を描いたものでした。
農場を経営して、自然を心から愛している父親と、信心深く面倒見のよい母親と、７人兄弟姉妹と隣人たちが登場人物で、その何でもない日常の出来事を描いています。
例えば、一家が密猟のサケを貰いますと、父親は皆の前で腹を裂き、溢れてこぼれる卵を見せて、一匹のサケを殺せばこれだけのサケが失われるのだと命の大切さと自然のバランスの大切さを教えるのです。「親が３人いるようなものだった」という、本当に家族同然のビルおじさんの死んだ時のこととか、服は全部母親の手作りであること、放課後２時間もかかって帰宅する途中の学校の楽しさ、ダンスパーティの夜、自分の自転車がパンクしたので他人の自転車を拝借して彼女を家まで送ったため、窃盗罪に問われ６ヶ月投獄された青年を村人が温かく迎え入れる話等々。要するに近代法以前の世界に住む村人たちの暮らしが書いてあるわけです。
何でもない話が空前のストセラーになった理由は、それほどアイルランドの国民は失われた世界へ強い郷愁を抱いていたと言うことです。前近代、中世の世界に近いような世界が地球上に最後に残っていたのがアイルランドだと思います。
「アイルランド地誌」には１２世紀、ギラルドゥス・カンブレンシス司祭がアイルランド各地を歩いて収集した話を書いております。ケルト綺譚というか、人語を話す狼、ひげが生え背中にたてがみのある女、手首足首が牛の人間など出てきます。
こういう話は昔は世界中何処にでもありました。日本でも例えば「肥後国誌」を読んでみますと、室町時代の連歌師宗祗が肥後に来た話に「西国紀行に云う。網田の海辺にて清らかなる男の潮の上に座して、酒を飲むを見る。宗祗怪しんで里人に問えば、伊津奈の法（妖術使い）を行う者なりと云う」とあります。更に「三角の浦を通る時、磯の岩に蛇がいて尾で潮を叩いている。怪しんで里人に問えば、蛇の化して蛸となったもの、９本足の蛸は毒があると答えた」とあります。洋の東西を問わず昔は人も自然も妖怪も入り乱れて暮らしていた。失われた世界の物語が地誌だろうと思います。
アイルランドでも既に失われた訳です。ただ失いはしたけれど、まだそう遠くではなく、その残り香が近年まで残っていたのがアイルランドであり、それがアイルランドと付き合う楽しさの一つになっております。そこで熊本でそういう前近代的な雰囲気、文化を残しているところはどこかと考えたとき、ふっと清和村を思い出し、清和文楽による物語文化交流ということを言い出したわけです。
中島日愛協会会長夫妻と清和村へ出かけていき、当時の村長と兼瀬文楽館長に提案しましたが、ほとんど取り合ってもらえませんでした。言い出し兵衛の自分自身、実現するとは思っていませんでしたが、数年後、文楽館長の兼瀬さんが村長になり「あの時の話はまだ生きとりますか」となり、思いがけないアイルランド公演が実現したのです。
第２話 侵略と抵抗の歴史
（４）異民族支配の受難史
こういう夢のような話は何となくアイルランドに似つかわしいのですが、この「夢の国」が気になるもう一つの理由は、その現実の歴史にあります。
アイルランドと日本はユーラシア大陸の西端と東端にある小さな島国同士、最も遠い国の一つと言って良いと思います。なのになぜか気になるのです、なぜなのか。そこには非常に過酷な被支配の歴史が今もかいまも見られるからではないかと思います。
アイルランドという国名は現存する世界でも最も古い国名の一つです。地名の起こりはアイルランドへやってきた地中海人種イベリア人、アイルランドではイブ＝エルニ（エールの末裔の意味）と言われ豊穣の女神を意味する「高貴なる者」、このエールEireに後でランドがつき、エールランド、その後、Ｅがなくなって、Irelandになったそうです。
その後、紀元前４世紀に別人種のケルト人が来て、鉄器文化をもたらし、これがケルト文化の基になっている訳です。
降って紀元前５５年、ローマ帝国のカエサルがブリテン島へ上陸します。以後４００年英国はローマの支配を受けるのですが、ローマ軍は征服するには値しないと思ったのかアイルランドを目前に反転する訳です。アイルランドはヨーロッパでローマの直接支配を免れた数少ない国になり、その後小王国が分立しタラに上王国が出来ました。ローマ領ブリテンへの逆侵攻もありますが、その辺りは圧倒的な中国文明の影響下にありながら、一度も大国中国の武力侵略、直接支配を受けなかった日本と似ているようです。その後の歴史は大違いですが。
８世紀になりますと、スカンジナビア系民族のヴァイキングの侵攻が起こり、いわゆる異民族支配の受難史が始まります。
１２世紀以降、隣国英国からの征服が本格化して、様々な植民地差別政策が打ち出されて来る。これに対する「トーリー」と呼ぶゲリラ的反抗が始まります。仇討ちする者「トリド」が英語化したのだそうです。
アイルランド史を繙くとき、しばしばわれわれの歴史認識に逆転現象が起こることに驚かされます。例えば1585年、エドモンド・スペンサーがエリザベス女王に「焦土化政策」を献策し、英国総督が断行し、そのために南西部マンスターは惨憺たる状況になったということがあります。このエドモンド・スペンサーは英文学史上最大級の詩人と言われる人で、「妖精の女王」の作者です。和田勇一先生ら熊大スペンサー研究会が翻訳をしてエリザベス女王から感謝状をもらいました。「愛の詩人」と呼ばれ、私も結婚式のスピーチでその詩を何回か引用したことがあります。このスペンサーがアイルランドでは大の悪役なのには驚きました。
オリバー・クロムウエルは高校の世界史では清教徒革命の英雄として習いましたが、アイルランド総督として、まさに苛斂誅求を極めた男としてアイルランドでは記憶されております。1649年、８年前に入植者多数が現地住民に殺害された報復として、10ヶ月にわたって戦火で全土を荒廃させ、60万人のアイルランド人と英国系アイルランド人を殺害した。これをドロエダの大虐殺と言うそうです。アイルランドの総人口１００万人以下になったということで、アイルランドの歴史の中では極悪非道の大悪人となっています。これもアイルランドと付き合ううちのショックでした。
英国とアイルランド、隣国同士の関係は支配・被支配の歴史の帰結として、1801年英国のアイルランド併合となるわけです。日本が韓国を併合するのが1910（明治43）年ですのでその109年前です。
以来アイルランドの19、20世紀は長く暗い独立闘争の時代となります。そこに登場する実戦部隊が名高きＩＲＡ（アイリッシュ・リパブリカン・アーミー）アイルランド共和国軍です。
（５）雑誌「ネイション」と徳富蘇峰
そういう歴史に対し日本及び日本人はどう反応したか。江戸時代はともかく、明治以降、たしかに一部の人々の関心事でした。司馬遼太郎は「明治以後、アイルランドが日本人のさまざまな閉塞を晴らす呪文のような役割を果たしてきた」と書いています。
さまざまな閉塞とは時代のテーマを反映しているのですが、藩閥政府の民権弾圧、小作争議、軍部の独走による閉塞感などなどがあります。歴史上、日本におけるアイルランド問題は、おおむね三度浮上したといわれております。一つは明治十年代の自由民権運動の時代、二つ目が昭和7〜10年の米騒動、三つ目が大正8年の朝鮮3．1独立運動です。この時は20万人の反日デモがあり、7,500人が死亡しています。
その第一の自由民権運動の時代に、アイルランドの動きに関心を寄せて、そこから学ぼうとした日本人の一人が徳富蘇峰であります。
19世紀前半はアイルランドでは「オコンネルの時代」と呼ばれております。日本では文化文政から天保時代の幕末時代にあたりますが、一世を風靡した政治家にオコンネルと言う人がいました。この人はいわゆるイギリスのアイルランド併合法の撤廃を叫んでリピール（廃止）協会を設立し、アイルランドの聖地であるタラの丘でカトリック大衆を動員してモンスターミーティングと呼ばれる５０万人から７５万人の集会を開きました。その後、ダブリン市長となり、オコンネル通りに銅像が立っております。
このオコンネルを懸命に支援したのが「青年アイルランド」党であり、１８４２年に創刊した抵抗のための週刊誌が「ネイション」です。リーダーはトーマス・デイビスという人でした。「ネイション」は1848年まで発行、その後再刊されとくにアメリカやオーストラリアの移住者に影響力を持ちました。このアメリカ版「ネイション」を蘇峰が愛読し、重大な感化を受けたのです。「蘇峰自伝」にそのことを三ヶ所にわたって書いています。
その一つは明治15〜19年に大江義塾を開いていた時に京都の同志社教授ラーネットに教えられて米国の雑誌「ネイション」「ライブラリー・マガジン」を購読したと言っています。「ネイション」は当時最盛期で「特別寄書」をとくに愛読していました。そこにはブライス、ダイシ、その他英、仏の大家の寄稿や新聞の社説、評論などが掲載され、その卓越した論理に大いに感銘を受けたそうです。
その次には明治20年の「国民之友」創刊のくだりで「少壮以来米国の「The Nation」雑誌を愛読し、ネイションという字が頭の中に刻みつけられていたから」国民之友という名称を付けたとあります。それから社名の「民友社」も「国民之友」より二字抽出してつけた。国友とせず民友としたのは「当時、平民主義を主張し、人民の味方を以て自ら任じていたからである」。この国民之友では「ネイション」のスペシャル・コレスポンデンスを「特別寄書」と訳して、諸大家の寄稿を掲載するなど、非常に「ネイション」に依っておったと書いております。
その三つ目は明治23年「国民新聞」を創刊したとき。「国民之友」の国民なる字をそのまま使用し、特に注目すべきは米ニューヨークにおける雑誌「ネイション」と新聞「イブニング・ポスト」の関係の如く、両者併立することを考えた。また新聞のおよぶ範囲を出来るだけ広くし、人間の生活、思想のあらゆる方面に新領土を開拓した。その中には政治だけでなく社会改良、文芸改良、宗教の改良などを取り入れたと熱っぽく書いております。平民主義を唱えた蘇峰が後年国家主義へ傾いて、「変節漢」呼ばわりされたことは皮肉としかいいようがありませんが、「国民之友」、「国民新聞」と「ネイション」の関係は知れば感慨深いものがあります。
（６）丸山薫のアイルランドと朝鮮
日本におけるアイルランド・ブームの第三期にあたる朝鮮独立問題に深い関心を寄せたのが、熊本ゆかりの詩人、「汽車にのって」の丸山薫です。
汽車に乗って／あいるらんどのやうな田舎へ行かう／ひとびとが祭の日傘をくるくるまはし/日が照りながら雨のふる／あいるらんどのやうな田舎へ行かう／窓に映った自分の顔を道づれにして／湖水をわたり 隧道をくぐり/珍しい顔の少女や牛の歩いてゐる／あいるらんどのやうな田舎へ行かう
この詩は昭和2年、東大の学生時代、「椎の木」誌に発表し、昭和10年詩集「幼年」に収録されております。大正、昭和初期の文壇のモダニズム流行と無関係でないと言われていますが丸山のアイルランドへの関心は、実は朝鮮問題とより深く結びついていました。
「丸山薫全集」（全5巻）で履歴を調べてみますと、父重俊は安政2年（1855）熊本城下に生まれ、藩校時習館から熊本洋学校へ進み、明治9年ごろ東京遊学を命じられました。その後、内務省警察局に勤務し、各地を転勤。大分県警察部長のとき薫誕生。長崎、東京、京城、東京、松江、東京、豊橋など転々とし、明治３８年、韓国治安顧問、３９年には伊藤博文初代統監のもとで、朝鮮総督府警視総監になります。
この辺のことは松本清張の小説「統監」にあります。伊藤博文が統監として韓国へ乗り込み、韓国併合を準備したときのことを、芸者光香の目で書いたものですが、「警察顧問の丸山」は実名で登場し、市内警備、暴動鎮圧、活動家の逮捕などに活躍しています。
父親の朝鮮赴任時代のことは丸山自身、「私の明治」に書いております。それによると朝鮮風煉瓦造りの洋館で幼稚園から小学3年まで暮らしており、明治45年初夏、小2のとき統監官邸に招待されたことも書いています。
「私の心を暗くしたものは、日本人の大人たちのこの国の民衆に対する態度だった。私は至るところで、日本からの出稼ぎ労働者やたちの良くない商売人たちが、この国の人間を見下げ、酷使し、時には手痛い目にあわせるのを見た」と書いております。
散文詩「朝鮮」では、魔物に追われる姫が身につけたものを一つずつ投げて逃げる。最後の薄物を投げると、水になり洪水になる。書いたのは昭和11年ごろで、朝鮮の古い民話に潤色して、日本帝国主義と被圧迫国の運命を暗喩した、と書いております。
父は明治44年5月25日腎臓病で57歳で死去。十数年後、父を反面教師として朝鮮問題を考え、アイルランドの詩を書いたのではないでしょうか。
蘇峰の場合はやや判官贔屓的なアイルランド応援団という感じですが、丸山の場合は朝鮮の民衆に対して日本人、特に警察官僚の父は弾圧者の側にいることを認識しています。彼自身はそれをよしとしないわけですが、屈折した思いがあのような詩を書かせたのではないでしょうか。
ところでアイルランド側から見た日本はどうだったか。近現代史上、日本に対するアイルランド側の対応は必ずしも一様ではありせんでした。例えば、昭和7年（1932）11月、国際連盟理事会は満州事変に関するリットン報告書を審議しております。議長を務めたアイルランドのデ・バレラ首相は日本の政策を厳しく批判し、激怒した日本代表松岡洋右は連盟を脱退、日本は危険な曲がり角を曲ったわけです。
一方、アイルランドは第二次大戦には最後まで中立を守り、再三参戦を求めるチャーチル首相に、デ・バレラ首相は「仏が独に降伏後、米参戦まで英国がひとりで戦ったことを誇りにしているが、1〜3年ではなく数百年侵略と戦っている小国があることを認める寛大な気持ちはないのだろうか」と痛烈に皮肉っております。遂に参戦せず中立を守りました。そのことが今日日ア両国の浅からぬ友好の一因ともなっております。
第３話 怨念と祈り
（７）音楽と文学の国
アイルランドの魅力は何かという本題に返ります、風景、歴史に続いて、現代のアイルランド人の心の中にあるものに触れないわけにはいきません。思い出すのは二度目のアイルランド訪問時、ダブリンでロックバンドＵ２フィーバーに遭遇したことです。一晩中若者が騒いでいました。ことし4月4日に横浜の日産スタジアムで予定されていたＵ２公演はメンバーの一人の家族が病気し看病のため延期となったそうですが、それを報ずる記事に「Ｕ２は今年２月 米グラミー賞で最多の５部門受賞。日本公演の約６万枚チケットは完売」とありました。日本でも大変な人気なのですね。
私はＵ２は聞いたことがありませんがエンヤは大好きで癒されます。60年代に一世を風靡したビートルズ発祥の地はイングランドの港町リバプールですが、メンバー4人のうち3人はアイルランド出身者だそうです。
第一回目のアイルランド訪問の時、ローナン愛日協会長（元駐日大使）の案内で伝統音楽のパブへ案内され、少女のアイリッシュダンスを見ました。上半身は全く不動で、ストイックなタップダンスだなと思いましたが、後日、リバーダンスを映画で見て、その奔放な迫力に圧倒されました。
アイルランド歌曲は明治以降、日本でも愛唱されていますが、例えば「夏の最後のバラ
Last Rose of Summer」は「庭の千草」として愛唱されてきました。音楽先進国アイルランドにそれと知らず惹かれ親しんでいた日本人は多いのではないでしょうか。
一方アイルランドは文学大国です。ハーンは申すまでもなく、ジョナサン・スウィフト、イエーツ、バーナード・ショウ、オスカー・ワイルド、ジェームズ・ジョイス、近くはシェイマス・ヒーニー等々錚錚たる顔ぶれで、ノーベル文学賞作家も続々と誕生しています。
そこで2001年、マルティニークの空港で小泉凡氏から聞いた話を一つ。3年前（1998年）松江を訪れた大江健三郎氏がした話だそうです。大江氏は1994年にノーベル文学賞を受賞したが、その2年前の92年にはマルティニークの隣島セントルイスの詩人デレク・ウォルコットがノーベル賞を貰い、95年には北アイルランドの詩人シェイマス・ヒーニーが受賞している。クレオール、日本、ケルトといずれもハーンの貴重な異文化体験の地の人が連続して受賞している。そこに今世界の注目が集まっていることが意味がある。考えてみるにこの三つの場所は、19〜20世紀においては世界の周辺部だった。20世紀文明の人間中心、物質文明主義に対する反省から、いま周辺部の共存・共生的生き方に注目が集まっているのではないかと大江氏は言っているわけです。
（８）ヒギンズの小説世界とＩＲＡ
最後にもう一つのアイルランド文学の話です。エンターテインメントの傑作といわれるジャツク・ヒギンズの冒険小説について述べたいと思います。ヒギンズは映画「鷲は舞い降りた（The Eagle has Landed）」の原作者です。ドイツ軍のチャーチル誘拐計画を題材にしたものです。
本名ヘンリー・パタースン、1929年7月27日生まれで、間もなく77歳、我々の同時代人です。イングランド北部のニューカッスル・アポン・タイン生まれで、幼年時代は北アイルランドのベルファストに住み、イギリスとアイルランド双方の市民権を保有している英国作家でアイルランド作家です。生まれ育ちだけでなく作品内容からもそれは言えるのではないでしょうか。
15歳の時ロンドンに出て、転々と職を変え、第二次大戦に従軍し、大学の歴史教師を経て専業作家になりました。第二次大戦やアイルランド紛争を題材にした冒険小説があり、複数のペンネームで執筆。1975年「鷲は舞い降りた」の大ヒット以後、ヒギンズ名義で書いています。1991年長編50作を記念して続編「鷲は飛び立った（The Eagle has Flown）」を執筆。ハヤカワ文庫に20冊ほど入っています。
第二次大戦のエピソード（架空も）とともに、アイルランド紛争にからむテロリストを主人公にした作品が多い。テロを賞賛することはないが、テロリストは単なる悪人としてではなく、運命に翻弄され、暗い影をもった孤高の人物として人間的側面を魅力的に描き出しています。
アイルランドものの代表作、「死にゆく者への祈り（Ａ Prayer for the Dying）」（1973年刊）は「鷲は舞い降りた」の2年前の作品。ハヤカワ・ミステリ・マガジンの作家アンケートで「自作の中で一番好きな作品」にあげています。ＩＲＡの主人公マーティン・ファロンを自分のペンネームにしていたこともあります。
あらすじは元ＩＲＡ将校（中尉）が海外逃亡のためパスポートと切符を得るために、暗黒街のボスと取引し、ボスの敵役を墓地で暗殺する。ところが現場をダコスタ神父に見られたことから、命を狙われる神父を庇うため依頼主のボス一味と対決します。神父の盲目の姪・教会のオルガン奏者の女性が絡んできます。
作品の魅力は一に懸かって登場人物の描き方にあります。とりわけ主人公のマーチン・ファロンの人物像が大変面白い。身長が5フィート4，5インチ（162〜5センチ）の暗い感じの小男。ジームズ・ボンドとは大違いです。ところが大学出で、頭がよく、かっては詩人、頭の中からあらゆるものが湧き出してくるようにみえるときもあります。特技は天才的な射撃と、ピアノ（オルガン）の名手。教育を受けた男の穏やかな声、「アイルランド人独特の魅力」をもった男だが、ときに無表情、無反応、冷たくて暗い人間になります。なぜなら過去を持つ男で、ＩＲＡの闘士だった頃、装甲車を待ち伏せして仕掛けた地雷に、12人乗りのスクールバスが突っ込み、5人が死亡し沢山の子供がかたわになったということで、警視庁、軍情報部、昔の仲間のＩＲＡにも追われる身になっているという設定です。
スクールバス事件を「あれは事故だった」と弁解しますが、許されないことは本人自身が知っています。要するに正直で誇り高く、一見もの静かな一人の男の心の中に渦巻いている夢と理想、愛と正義、そして怒り、後悔、怨念、絶望等々の感情。複雑で魅力的な人物像が造形されています。そこに「アイルランド人独特の魅力」という言葉が使われていることに注目したいと思います。
筋書きのなかでキーワードになっているのがカトリックの「告解」の絶対秘守です。神父は絶対に漏らしてはならないことを逆手にとって、自分が犯した罪を神父に告白することで、神父の口を封じます。それが成立するのは宗教的掟、信念が近代的な法体制に優先する世界であるからです。先に述べたアイルランド田舎物語の前近代的な世界とつながっているともいえるかもしれません。
最後の決着は死しかありません。ギャングが教会に仕掛けた爆弾で、ギャング一味は死に、主人公も崩れた祭壇と十字架のキリスト像の下敷きとなって（十字架を背負って）死にます。その男の魂のために神父が最後の「痛悔の祈り」を捧げます。痛悔とは penance カトリックで信者が神に対して有意的、意図的に罪を犯した場合、その許しを得る為の手続き、悔悛の秘蹟（サクラメント）です。この「祈り」が「死に行くものへの祈り」というタイトルになっているわけです。「男の魂のために」祈ると書いてありますが、このバックには霊魂の不滅、一度死んで復活の願いがあると思います。主人公一人でなくテロリスト、ＩＲＡ、アイルランドの悲劇の歴史からの復活をかけた黙示録が仕組まれていると思います。
【アイルランド紛争小史】
・１９１９ 独立宣言。１９２２年、アイルランド島３２州のうち北部６州を除く２６
州自治領。
・１９３７ 英連邦内共和国として独立。以後、北アイルランド紛争の時代に。
・１９７３ ＩＲＡ英本土でテロ開始。２５年間にテロ９０００件、３１７０人死亡、
２万６０００人負傷。
・１９９８ ２０世紀終わり近く、包括和平合意。以来一進一退しながら、和平への歩
み。
・１９９８ 北アイルランド議会、１９９９ 北アイルランド自治政府発足
・２００１ ＩＲＡ一次武装解除、０２二次、０３三次、０５終結宣言、国際委員会も
完了発表。
・２００６.３.８ 和平監視独立委員会の最新報告書、ＩＲＡにもはや「テロの驚異は
ない」との見解を示した。
私はこの7月まで熊本近代文学館に5年間勤め退職しました。その間皆様には大変お世話になり感謝しています。
今日は「アイルランドと私〜その魅力について〜」と題して私的よもやま話を三題噺風にお話しします。
（１）アイルランドへ行こう
平成１４年９月発行の「ハーン通信」９号に「アイルランドへ行こう」という私的な文章を執筆しました。アイルランド訪問の直後に亡くなった熊本出身の女牧師さんのことを書いたものでした。アイルランド旅行の印象が大変強烈だったらしく、いただいた絵はがきに、アイルランドの魅力について「話しまくりたい」と熊本弁で書かれていました。結局その話は聞けず終いになり、気になって仕方なかった。今日はその話から始めたいと思います。
林幸子さんは、旧制の熊本市立高女卒業後、結婚して満州へ行かれ、大病を患い数奇な運命に翻弄され、最後は信仰の道へ入って牧師になられた方です。父上の林一男氏は、熊日の前身「九州新聞」地方部長をされ、元・熊日社長の島田四郎氏が青年時代に林一家と親交がありました。「じゅったんぼ」という面白いエッセイ集を出しておられます。
ではハーン通信の拙稿「アイルランドへ行こう」を読みます。(小泉八雲熊本旧居保存会発行「くまもとハーン通信」No.9より転載)
「きょう、母が死にました」電話の声は唐突に告げてしばらく途切れた。
死因とされる脳出血に何の前触れもなかったのか、同居していた娘の荘子さんが外出先から帰宅したとき、すでにこと切れていたという。
なんと言うことだ。あんな元気な便りをもらったばかりではないか。
アイルランドの田園風景を絵はがきにしたもので、いかにも林さんらしい短い文章が添えられていた。
「アイルランドの風景のヨサヨサ。忘れることは出来ません。ハーンの育った家（大おばさんと）見ました。お会いすることあらば、話しまくりたいと思います」
二日後、基督聖協団大宮教会牧師、林幸子師の告別式は、さいたま市内のホールで青梅教会浜野牧師の司式により執り行われた。（中略）
最後に挨拶に立った喪主荘子さんの夫君の浅野氏が、「義母はアイルランド旅行の印象がよほど強烈だったのか、帰国後、この数日はいつになく口数が多くなっていました」と語った。（中略）
「大病を患った三十代には夢想だにしなかったことだが」と言いながら、聖地エルサレムへの旅をはじめ、何度かの海外旅行も経験した彼女が、生涯の最後の旅にアイルランドを選んだのは、いかなる理由、経緯があったものか、詳しくは知らない。出発前、電話で「あーたがアイルランドはよかよかと言うから、私も行ってくることにしたよ」と、冗談のように語っていたが。
昭和の初めに詩人丸山薫がまだ見ぬ国を想って、「汽車に乗って／あいるらんどのやうな田舎へ行かう／ひとびとが祭りの日傘をくるくるまはし／日が照りながら雨の降る／アイルランドのやうな・・・」と歌った、ケルトの地アイルランドの田舎には、つい最近まで古代・中世の妖精信仰が息づいていたという。人間と動植物、妖精や妖怪までもが入り乱れて暮らしていた、“失われた世界”がいまに名残を残す、そんな雰囲気がある。
信仰を持たぬ私には、神学上の論議や信仰者の心の問題は分からないが、なぜか林さんのキャラクターには他の宗教者とは少し違うところがあるように思えて仕方がなかった。その精神には融通無碍なとでもいいたい、独特の自由さがあると感じられた。それが八十四歳にしてなお幼子のごとき林さんの魂を、アイルランドへ呼び寄せたのではないかと思えてくるのだった。（後略＝以上転載）
彼女にアイルランド行きを勧めたのは確かに私です。私はハーンの足跡訪ねがきっかけで、三度アイルランドを訪問しすっかりアイルランド大好き人間になりました。例の清和文楽アイルランド公演の言い出し兵衛も私ですが、それにしても「アイルランドの風景のヨサヨサ。忘れることはできません」と、これほどストレートに言い切ったのはさすが林さん、それだけにその話を聞きたかったと思います。
（２）風景は幻を見せる
アイルランドの風景が独特の魅力をもっていることは、誰しも認めるところだと思います。独特の風景を作り出している要素の一つは色です。ご存じのようにアイルランドのナショナルカラーは緑色で、セントパトリックの日には緑衣で街は緑一色になります。元々アイルランドの田舎の草原の緑で、緑一色の景色の中に、白壁の家ぽつんぽつんと建っている田舎の風景は、まるでおとぎ話の中の世界です。
それと共に、最初の訪問の際に見たヒースの原の印象が圧倒的でした。このときはロンドンからまずイングランド北部の学園都市ダラムへ行き、ハーンが学んだセント・カスバート校（神学校）を訪ねました。ダラムはエミリー・ブロンテの「嵐が丘」の舞台ヨークシャーの隣です。同行した妻が女学生時代に見た映画の場面で、主人公キャサリンが恋人のヒースクリフに向かって、「ヒースの花をたくさん摘んできてちょうだい」と言う場面があって、それを生徒達が休み時間に真似をしていたと聞きました。小説にはそんな場面はないのですが、ヒースの荒野が小説の重要な要素となっていることは間違いなさそうです。阿部知二の文庫版解説に、作者エミリー・ブロンテ自身大層ヒースを好んだこと、エミリーの最期の日、姉のシャーロットがヒースの花を摘んできてエミリーの目の前にかざしたが見ることが出来なかったというエピソードも書かれています。そのヒースの野が見えるかも知れないと期待をしていましたが、残念ながら季節はずれで見ることが出来ませんでした。
ところが三日後、アルバムによると9月25日、アイルランドのダブリン郊外ウイックローの丘へ行く途中、全山見渡す限りヒースの原に遭遇しました。ちょっと盛りを過ぎていましたが、それでも赤紫の何とも言えない幻想的な色彩の、魂が吸い込まれるような不思議な光景に魅了されました。そういう丘や原をヒース、ヘザ、ムアと言い、荒地、荒野と訳されております。荒れ地の小潅木もヒース、ヘザと言い、日本では学名でエリカと言います。以来アイルランドと言うと私はあのヒースの原を思い出し、連想は「嵐が丘」に及んで行きます。
嵐が丘の舞台はスコットランドとの国境に近いイングランドのヨークシャーです。しかしブロンテ姉妹の父はアイルランドの農村出身で苦学して牧師になった人です。阿部知二は文庫本のまえがきで「そのアイルランドの血が姉妹の想像力の豊かさに関係あると考えるものもある」と書いており、私もそう考える一人です。
「嵐が丘」についてはいろんな解釈があり、熊大におられた西成彦氏はクレオール文学の流れの中で読み直しを提起しておられます。つまりヒースクリフを英植民地主義が生み出した逃亡奴隷（マルーン）の先駆的形態とする刺激的論考（「耳の悦楽」）を展開しておられます。私は風景論としても、作品世界や登場人物の性格についてアイルランド的な特性に注目したい気がします。後述のように、風景は人間の精神に世代を超えて大きく作用すると考えるからです。
二度目のアイルランドの旅では西の端のアラン島へ行きました。見渡す限り荒涼たる石の原、それに断崖絶壁です。島には特産のアランセーターを売る店があり、手編みの文様で作った家が分り、遭難者の身元識別にも役立つと言われます。過酷でしかも壮絶な美観と言うほかない景色でした。
ただならぬ雰囲気を盛り上げるのが非常に変りやすい気象です。「アイルランド人はアイルランドのお天気のように気が変る」という諺があるそうですが、実際に行きますと現実に体験出来ます。アラン島へ行く時は、ゴールウェーで一泊して翌朝島へ渡りましたが、訪問前夜の夜半に目が覚めると激しい雨風の嵐でした。朝になっても雨は降っています。それでも大丈夫と言うことで出発し、バスの中でも降っていたが、波止場では小降りになり、船中でだんだん晴れ間が出てきて、島に行ったらもう晴れ。昨夜の嵐が嘘のようでした。
そういう体験から思いますのは、風景は単なる美醜ではない、目の保養などではないということです。魂に直接訴えてくるものがあります。風景画家は何を見ているかと言うと、ただ山や川や、色や形をのみ見ているのではない。一言でいうと、「風景は幻をみさせる」と思います。視覚的な眺めは精神の奥深く作用する、慰撫であると同時に呪縛であると考えます。
私はそれを「把手のある風景」と呼んでおります。風景に把手が付いていて把手を引き開ければ幻が見える。いたるところに把手があるのがアイルランドの風景ではないかと思います。しかもそこで見える幻は個人的幻想ではなく、いわゆる「共同幻想」ではないか、共同であるが故に世代を超えて受け継がれていくこともあるのではないかと思います。
（３）「アイルランド田舎物語」の世界
司馬遼太郎の「街道を行く」シリーズの「愛蘭土紀行」に、田舎道を通っていたら「レプラコーン・クロッシング」の標識があったという記述があります。レプラコーンつまり妖精（靴直しをする小人）が道路を横断中という意味です。アイルランドならではのジョークでしょうが、つい先頃までフェアリービリーフ（妖精信仰）が生きていたその名残だと司馬さんは書いています。
それをなるほどと思い知らされたのがアリス・テーラーの「アイルランド田舎物語」という本でした。1988年刊ですから18年前の発行です。アイルランド出版史上空前のベストセラーになった本です。日本語版は1994年に出版され、熊本日愛協会では訳者の高橋豊子さんを呼んで話を聞いたことがあります。
アリス・テーラーさんは1938年生れの主婦作家です。原題は「牧場を通って学校へ―アイルランドの田舎のこども時代」で、帯に「小さな村の自然と神が間近な静かな暮らし」と書いてあります。第二次大戦から終戦直後のアイルランド南部の牧場の大家族の生活を描いたものでした。
農場を経営して、自然を心から愛している父親と、信心深く面倒見のよい母親と、７人兄弟姉妹と隣人たちが登場人物で、その何でもない日常の出来事を描いています。
例えば、一家が密猟のサケを貰いますと、父親は皆の前で腹を裂き、溢れてこぼれる卵を見せて、一匹のサケを殺せばこれだけのサケが失われるのだと命の大切さと自然のバランスの大切さを教えるのです。「親が３人いるようなものだった」という、本当に家族同然のビルおじさんの死んだ時のこととか、服は全部母親の手作りであること、放課後２時間もかかって帰宅する途中の学校の楽しさ、ダンスパーティの夜、自分の自転車がパンクしたので他人の自転車を拝借して彼女を家まで送ったため、窃盗罪に問われ６ヶ月投獄された青年を村人が温かく迎え入れる話等々。要するに近代法以前の世界に住む村人たちの暮らしが書いてあるわけです。
何でもない話が空前のストセラーになった理由は、それほどアイルランドの国民は失われた世界へ強い郷愁を抱いていたと言うことです。前近代、中世の世界に近いような世界が地球上に最後に残っていたのがアイルランドだと思います。
「アイルランド地誌」には１２世紀、ギラルドゥス・カンブレンシス司祭がアイルランド各地を歩いて収集した話を書いております。ケルト綺譚というか、人語を話す狼、ひげが生え背中にたてがみのある女、手首足首が牛の人間など出てきます。
こういう話は昔は世界中何処にでもありました。日本でも例えば「肥後国誌」を読んでみますと、室町時代の連歌師宗祗が肥後に来た話に「西国紀行に云う。網田の海辺にて清らかなる男の潮の上に座して、酒を飲むを見る。宗祗怪しんで里人に問えば、伊津奈の法（妖術使い）を行う者なりと云う」とあります。更に「三角の浦を通る時、磯の岩に蛇がいて尾で潮を叩いている。怪しんで里人に問えば、蛇の化して蛸となったもの、９本足の蛸は毒があると答えた」とあります。洋の東西を問わず昔は人も自然も妖怪も入り乱れて暮らしていた。失われた世界の物語が地誌だろうと思います。
アイルランドでも既に失われた訳です。ただ失いはしたけれど、まだそう遠くではなく、その残り香が近年まで残っていたのがアイルランドであり、それがアイルランドと付き合う楽しさの一つになっております。そこで熊本でそういう前近代的な雰囲気、文化を残しているところはどこかと考えたとき、ふっと清和村を思い出し、清和文楽による物語文化交流ということを言い出したわけです。
中島日愛協会会長夫妻と清和村へ出かけていき、当時の村長と兼瀬文楽館長に提案しましたが、ほとんど取り合ってもらえませんでした。言い出し兵衛の自分自身、実現するとは思っていませんでしたが、数年後、文楽館長の兼瀬さんが村長になり「あの時の話はまだ生きとりますか」となり、思いがけないアイルランド公演が実現したのです。
第２話 侵略と抵抗の歴史
（４）異民族支配の受難史
こういう夢のような話は何となくアイルランドに似つかわしいのですが、この「夢の国」が気になるもう一つの理由は、その現実の歴史にあります。
アイルランドと日本はユーラシア大陸の西端と東端にある小さな島国同士、最も遠い国の一つと言って良いと思います。なのになぜか気になるのです、なぜなのか。そこには非常に過酷な被支配の歴史が今もかいまも見られるからではないかと思います。
アイルランドという国名は現存する世界でも最も古い国名の一つです。地名の起こりはアイルランドへやってきた地中海人種イベリア人、アイルランドではイブ＝エルニ（エールの末裔の意味）と言われ豊穣の女神を意味する「高貴なる者」、このエールEireに後でランドがつき、エールランド、その後、Ｅがなくなって、Irelandになったそうです。
その後、紀元前４世紀に別人種のケルト人が来て、鉄器文化をもたらし、これがケルト文化の基になっている訳です。
降って紀元前５５年、ローマ帝国のカエサルがブリテン島へ上陸します。以後４００年英国はローマの支配を受けるのですが、ローマ軍は征服するには値しないと思ったのかアイルランドを目前に反転する訳です。アイルランドはヨーロッパでローマの直接支配を免れた数少ない国になり、その後小王国が分立しタラに上王国が出来ました。ローマ領ブリテンへの逆侵攻もありますが、その辺りは圧倒的な中国文明の影響下にありながら、一度も大国中国の武力侵略、直接支配を受けなかった日本と似ているようです。その後の歴史は大違いですが。
８世紀になりますと、スカンジナビア系民族のヴァイキングの侵攻が起こり、いわゆる異民族支配の受難史が始まります。
１２世紀以降、隣国英国からの征服が本格化して、様々な植民地差別政策が打ち出されて来る。これに対する「トーリー」と呼ぶゲリラ的反抗が始まります。仇討ちする者「トリド」が英語化したのだそうです。
アイルランド史を繙くとき、しばしばわれわれの歴史認識に逆転現象が起こることに驚かされます。例えば1585年、エドモンド・スペンサーがエリザベス女王に「焦土化政策」を献策し、英国総督が断行し、そのために南西部マンスターは惨憺たる状況になったということがあります。このエドモンド・スペンサーは英文学史上最大級の詩人と言われる人で、「妖精の女王」の作者です。和田勇一先生ら熊大スペンサー研究会が翻訳をしてエリザベス女王から感謝状をもらいました。「愛の詩人」と呼ばれ、私も結婚式のスピーチでその詩を何回か引用したことがあります。このスペンサーがアイルランドでは大の悪役なのには驚きました。
オリバー・クロムウエルは高校の世界史では清教徒革命の英雄として習いましたが、アイルランド総督として、まさに苛斂誅求を極めた男としてアイルランドでは記憶されております。1649年、８年前に入植者多数が現地住民に殺害された報復として、10ヶ月にわたって戦火で全土を荒廃させ、60万人のアイルランド人と英国系アイルランド人を殺害した。これをドロエダの大虐殺と言うそうです。アイルランドの総人口１００万人以下になったということで、アイルランドの歴史の中では極悪非道の大悪人となっています。これもアイルランドと付き合ううちのショックでした。
英国とアイルランド、隣国同士の関係は支配・被支配の歴史の帰結として、1801年英国のアイルランド併合となるわけです。日本が韓国を併合するのが1910（明治43）年ですのでその109年前です。
以来アイルランドの19、20世紀は長く暗い独立闘争の時代となります。そこに登場する実戦部隊が名高きＩＲＡ（アイリッシュ・リパブリカン・アーミー）アイルランド共和国軍です。
（５）雑誌「ネイション」と徳富蘇峰
そういう歴史に対し日本及び日本人はどう反応したか。江戸時代はともかく、明治以降、たしかに一部の人々の関心事でした。司馬遼太郎は「明治以後、アイルランドが日本人のさまざまな閉塞を晴らす呪文のような役割を果たしてきた」と書いています。
さまざまな閉塞とは時代のテーマを反映しているのですが、藩閥政府の民権弾圧、小作争議、軍部の独走による閉塞感などなどがあります。歴史上、日本におけるアイルランド問題は、おおむね三度浮上したといわれております。一つは明治十年代の自由民権運動の時代、二つ目が昭和7〜10年の米騒動、三つ目が大正8年の朝鮮3．1独立運動です。この時は20万人の反日デモがあり、7,500人が死亡しています。
その第一の自由民権運動の時代に、アイルランドの動きに関心を寄せて、そこから学ぼうとした日本人の一人が徳富蘇峰であります。
19世紀前半はアイルランドでは「オコンネルの時代」と呼ばれております。日本では文化文政から天保時代の幕末時代にあたりますが、一世を風靡した政治家にオコンネルと言う人がいました。この人はいわゆるイギリスのアイルランド併合法の撤廃を叫んでリピール（廃止）協会を設立し、アイルランドの聖地であるタラの丘でカトリック大衆を動員してモンスターミーティングと呼ばれる５０万人から７５万人の集会を開きました。その後、ダブリン市長となり、オコンネル通りに銅像が立っております。
このオコンネルを懸命に支援したのが「青年アイルランド」党であり、１８４２年に創刊した抵抗のための週刊誌が「ネイション」です。リーダーはトーマス・デイビスという人でした。「ネイション」は1848年まで発行、その後再刊されとくにアメリカやオーストラリアの移住者に影響力を持ちました。このアメリカ版「ネイション」を蘇峰が愛読し、重大な感化を受けたのです。「蘇峰自伝」にそのことを三ヶ所にわたって書いています。
その一つは明治15〜19年に大江義塾を開いていた時に京都の同志社教授ラーネットに教えられて米国の雑誌「ネイション」「ライブラリー・マガジン」を購読したと言っています。「ネイション」は当時最盛期で「特別寄書」をとくに愛読していました。そこにはブライス、ダイシ、その他英、仏の大家の寄稿や新聞の社説、評論などが掲載され、その卓越した論理に大いに感銘を受けたそうです。
その次には明治20年の「国民之友」創刊のくだりで「少壮以来米国の「The Nation」雑誌を愛読し、ネイションという字が頭の中に刻みつけられていたから」国民之友という名称を付けたとあります。それから社名の「民友社」も「国民之友」より二字抽出してつけた。国友とせず民友としたのは「当時、平民主義を主張し、人民の味方を以て自ら任じていたからである」。この国民之友では「ネイション」のスペシャル・コレスポンデンスを「特別寄書」と訳して、諸大家の寄稿を掲載するなど、非常に「ネイション」に依っておったと書いております。
その三つ目は明治23年「国民新聞」を創刊したとき。「国民之友」の国民なる字をそのまま使用し、特に注目すべきは米ニューヨークにおける雑誌「ネイション」と新聞「イブニング・ポスト」の関係の如く、両者併立することを考えた。また新聞のおよぶ範囲を出来るだけ広くし、人間の生活、思想のあらゆる方面に新領土を開拓した。その中には政治だけでなく社会改良、文芸改良、宗教の改良などを取り入れたと熱っぽく書いております。平民主義を唱えた蘇峰が後年国家主義へ傾いて、「変節漢」呼ばわりされたことは皮肉としかいいようがありませんが、「国民之友」、「国民新聞」と「ネイション」の関係は知れば感慨深いものがあります。
（６）丸山薫のアイルランドと朝鮮
日本におけるアイルランド・ブームの第三期にあたる朝鮮独立問題に深い関心を寄せたのが、熊本ゆかりの詩人、「汽車にのって」の丸山薫です。
汽車に乗って／あいるらんどのやうな田舎へ行かう／ひとびとが祭の日傘をくるくるまはし/日が照りながら雨のふる／あいるらんどのやうな田舎へ行かう／窓に映った自分の顔を道づれにして／湖水をわたり 隧道をくぐり/珍しい顔の少女や牛の歩いてゐる／あいるらんどのやうな田舎へ行かう
この詩は昭和2年、東大の学生時代、「椎の木」誌に発表し、昭和10年詩集「幼年」に収録されております。大正、昭和初期の文壇のモダニズム流行と無関係でないと言われていますが丸山のアイルランドへの関心は、実は朝鮮問題とより深く結びついていました。
「丸山薫全集」（全5巻）で履歴を調べてみますと、父重俊は安政2年（1855）熊本城下に生まれ、藩校時習館から熊本洋学校へ進み、明治9年ごろ東京遊学を命じられました。その後、内務省警察局に勤務し、各地を転勤。大分県警察部長のとき薫誕生。長崎、東京、京城、東京、松江、東京、豊橋など転々とし、明治３８年、韓国治安顧問、３９年には伊藤博文初代統監のもとで、朝鮮総督府警視総監になります。
この辺のことは松本清張の小説「統監」にあります。伊藤博文が統監として韓国へ乗り込み、韓国併合を準備したときのことを、芸者光香の目で書いたものですが、「警察顧問の丸山」は実名で登場し、市内警備、暴動鎮圧、活動家の逮捕などに活躍しています。
父親の朝鮮赴任時代のことは丸山自身、「私の明治」に書いております。それによると朝鮮風煉瓦造りの洋館で幼稚園から小学3年まで暮らしており、明治45年初夏、小2のとき統監官邸に招待されたことも書いています。
「私の心を暗くしたものは、日本人の大人たちのこの国の民衆に対する態度だった。私は至るところで、日本からの出稼ぎ労働者やたちの良くない商売人たちが、この国の人間を見下げ、酷使し、時には手痛い目にあわせるのを見た」と書いております。
散文詩「朝鮮」では、魔物に追われる姫が身につけたものを一つずつ投げて逃げる。最後の薄物を投げると、水になり洪水になる。書いたのは昭和11年ごろで、朝鮮の古い民話に潤色して、日本帝国主義と被圧迫国の運命を暗喩した、と書いております。
父は明治44年5月25日腎臓病で57歳で死去。十数年後、父を反面教師として朝鮮問題を考え、アイルランドの詩を書いたのではないでしょうか。
蘇峰の場合はやや判官贔屓的なアイルランド応援団という感じですが、丸山の場合は朝鮮の民衆に対して日本人、特に警察官僚の父は弾圧者の側にいることを認識しています。彼自身はそれをよしとしないわけですが、屈折した思いがあのような詩を書かせたのではないでしょうか。
ところでアイルランド側から見た日本はどうだったか。近現代史上、日本に対するアイルランド側の対応は必ずしも一様ではありせんでした。例えば、昭和7年（1932）11月、国際連盟理事会は満州事変に関するリットン報告書を審議しております。議長を務めたアイルランドのデ・バレラ首相は日本の政策を厳しく批判し、激怒した日本代表松岡洋右は連盟を脱退、日本は危険な曲がり角を曲ったわけです。
一方、アイルランドは第二次大戦には最後まで中立を守り、再三参戦を求めるチャーチル首相に、デ・バレラ首相は「仏が独に降伏後、米参戦まで英国がひとりで戦ったことを誇りにしているが、1〜3年ではなく数百年侵略と戦っている小国があることを認める寛大な気持ちはないのだろうか」と痛烈に皮肉っております。遂に参戦せず中立を守りました。そのことが今日日ア両国の浅からぬ友好の一因ともなっております。
第３話 怨念と祈り
（７）音楽と文学の国
アイルランドの魅力は何かという本題に返ります、風景、歴史に続いて、現代のアイルランド人の心の中にあるものに触れないわけにはいきません。思い出すのは二度目のアイルランド訪問時、ダブリンでロックバンドＵ２フィーバーに遭遇したことです。一晩中若者が騒いでいました。ことし4月4日に横浜の日産スタジアムで予定されていたＵ２公演はメンバーの一人の家族が病気し看病のため延期となったそうですが、それを報ずる記事に「Ｕ２は今年２月 米グラミー賞で最多の５部門受賞。日本公演の約６万枚チケットは完売」とありました。日本でも大変な人気なのですね。
私はＵ２は聞いたことがありませんがエンヤは大好きで癒されます。60年代に一世を風靡したビートルズ発祥の地はイングランドの港町リバプールですが、メンバー4人のうち3人はアイルランド出身者だそうです。
第一回目のアイルランド訪問の時、ローナン愛日協会長（元駐日大使）の案内で伝統音楽のパブへ案内され、少女のアイリッシュダンスを見ました。上半身は全く不動で、ストイックなタップダンスだなと思いましたが、後日、リバーダンスを映画で見て、その奔放な迫力に圧倒されました。
アイルランド歌曲は明治以降、日本でも愛唱されていますが、例えば「夏の最後のバラ
Last Rose of Summer」は「庭の千草」として愛唱されてきました。音楽先進国アイルランドにそれと知らず惹かれ親しんでいた日本人は多いのではないでしょうか。
一方アイルランドは文学大国です。ハーンは申すまでもなく、ジョナサン・スウィフト、イエーツ、バーナード・ショウ、オスカー・ワイルド、ジェームズ・ジョイス、近くはシェイマス・ヒーニー等々錚錚たる顔ぶれで、ノーベル文学賞作家も続々と誕生しています。
そこで2001年、マルティニークの空港で小泉凡氏から聞いた話を一つ。3年前（1998年）松江を訪れた大江健三郎氏がした話だそうです。大江氏は1994年にノーベル文学賞を受賞したが、その2年前の92年にはマルティニークの隣島セントルイスの詩人デレク・ウォルコットがノーベル賞を貰い、95年には北アイルランドの詩人シェイマス・ヒーニーが受賞している。クレオール、日本、ケルトといずれもハーンの貴重な異文化体験の地の人が連続して受賞している。そこに今世界の注目が集まっていることが意味がある。考えてみるにこの三つの場所は、19〜20世紀においては世界の周辺部だった。20世紀文明の人間中心、物質文明主義に対する反省から、いま周辺部の共存・共生的生き方に注目が集まっているのではないかと大江氏は言っているわけです。
（８）ヒギンズの小説世界とＩＲＡ
最後にもう一つのアイルランド文学の話です。エンターテインメントの傑作といわれるジャツク・ヒギンズの冒険小説について述べたいと思います。ヒギンズは映画「鷲は舞い降りた（The Eagle has Landed）」の原作者です。ドイツ軍のチャーチル誘拐計画を題材にしたものです。
本名ヘンリー・パタースン、1929年7月27日生まれで、間もなく77歳、我々の同時代人です。イングランド北部のニューカッスル・アポン・タイン生まれで、幼年時代は北アイルランドのベルファストに住み、イギリスとアイルランド双方の市民権を保有している英国作家でアイルランド作家です。生まれ育ちだけでなく作品内容からもそれは言えるのではないでしょうか。
15歳の時ロンドンに出て、転々と職を変え、第二次大戦に従軍し、大学の歴史教師を経て専業作家になりました。第二次大戦やアイルランド紛争を題材にした冒険小説があり、複数のペンネームで執筆。1975年「鷲は舞い降りた」の大ヒット以後、ヒギンズ名義で書いています。1991年長編50作を記念して続編「鷲は飛び立った（The Eagle has Flown）」を執筆。ハヤカワ文庫に20冊ほど入っています。
第二次大戦のエピソード（架空も）とともに、アイルランド紛争にからむテロリストを主人公にした作品が多い。テロを賞賛することはないが、テロリストは単なる悪人としてではなく、運命に翻弄され、暗い影をもった孤高の人物として人間的側面を魅力的に描き出しています。
アイルランドものの代表作、「死にゆく者への祈り（Ａ Prayer for the Dying）」（1973年刊）は「鷲は舞い降りた」の2年前の作品。ハヤカワ・ミステリ・マガジンの作家アンケートで「自作の中で一番好きな作品」にあげています。ＩＲＡの主人公マーティン・ファロンを自分のペンネームにしていたこともあります。
あらすじは元ＩＲＡ将校（中尉）が海外逃亡のためパスポートと切符を得るために、暗黒街のボスと取引し、ボスの敵役を墓地で暗殺する。ところが現場をダコスタ神父に見られたことから、命を狙われる神父を庇うため依頼主のボス一味と対決します。神父の盲目の姪・教会のオルガン奏者の女性が絡んできます。
作品の魅力は一に懸かって登場人物の描き方にあります。とりわけ主人公のマーチン・ファロンの人物像が大変面白い。身長が5フィート4，5インチ（162〜5センチ）の暗い感じの小男。ジームズ・ボンドとは大違いです。ところが大学出で、頭がよく、かっては詩人、頭の中からあらゆるものが湧き出してくるようにみえるときもあります。特技は天才的な射撃と、ピアノ（オルガン）の名手。教育を受けた男の穏やかな声、「アイルランド人独特の魅力」をもった男だが、ときに無表情、無反応、冷たくて暗い人間になります。なぜなら過去を持つ男で、ＩＲＡの闘士だった頃、装甲車を待ち伏せして仕掛けた地雷に、12人乗りのスクールバスが突っ込み、5人が死亡し沢山の子供がかたわになったということで、警視庁、軍情報部、昔の仲間のＩＲＡにも追われる身になっているという設定です。
スクールバス事件を「あれは事故だった」と弁解しますが、許されないことは本人自身が知っています。要するに正直で誇り高く、一見もの静かな一人の男の心の中に渦巻いている夢と理想、愛と正義、そして怒り、後悔、怨念、絶望等々の感情。複雑で魅力的な人物像が造形されています。そこに「アイルランド人独特の魅力」という言葉が使われていることに注目したいと思います。
筋書きのなかでキーワードになっているのがカトリックの「告解」の絶対秘守です。神父は絶対に漏らしてはならないことを逆手にとって、自分が犯した罪を神父に告白することで、神父の口を封じます。それが成立するのは宗教的掟、信念が近代的な法体制に優先する世界であるからです。先に述べたアイルランド田舎物語の前近代的な世界とつながっているともいえるかもしれません。
最後の決着は死しかありません。ギャングが教会に仕掛けた爆弾で、ギャング一味は死に、主人公も崩れた祭壇と十字架のキリスト像の下敷きとなって（十字架を背負って）死にます。その男の魂のために神父が最後の「痛悔の祈り」を捧げます。痛悔とは penance カトリックで信者が神に対して有意的、意図的に罪を犯した場合、その許しを得る為の手続き、悔悛の秘蹟（サクラメント）です。この「祈り」が「死に行くものへの祈り」というタイトルになっているわけです。「男の魂のために」祈ると書いてありますが、このバックには霊魂の不滅、一度死んで復活の願いがあると思います。主人公一人でなくテロリスト、ＩＲＡ、アイルランドの悲劇の歴史からの復活をかけた黙示録が仕組まれていると思います。
【アイルランド紛争小史】
・１９１９ 独立宣言。１９２２年、アイルランド島３２州のうち北部６州を除く２６
州自治領。
・１９３７ 英連邦内共和国として独立。以後、北アイルランド紛争の時代に。
・１９７３ ＩＲＡ英本土でテロ開始。２５年間にテロ９０００件、３１７０人死亡、
２万６０００人負傷。
・１９９８ ２０世紀終わり近く、包括和平合意。以来一進一退しながら、和平への歩
み。
・１９９８ 北アイルランド議会、１９９９ 北アイルランド自治政府発足
・２００１ ＩＲＡ一次武装解除、０２二次、０３三次、０５終結宣言、国際委員会も
完了発表。
・２００６.３.８ 和平監視独立委員会の最新報告書、ＩＲＡにもはや「テロの驚異は
ない」との見解を示した。
2006年10月22日
<b>「ハーンとのかかわり」 まるぶん書店顧問 樋口欣一</b>
はじめに
私とハーンとのかかわりについてはハーン来熊百年記念祭報告書にありますように1988(昭和63)年4月、ハーン研究会を立ち上げた頃より始まりました。そのきっかけは、ある東京の出版社の社長さんの耳の痛い忠告でした。
実はその四年前に「ラフカディオ・ハーン著作集」の第15巻が発行されました時に、その翻訳に当たられた早稲田大学の先生を呼んで熊本で講演会を開催しましたのでかれこれ二十二年以前になります。先程の出版社の社長さんの忠告で、熊大の中島先生や中村先生に相談して勉強会を始めてのが昭和63年の事でした。
私は去年四月にも熊本八雲会でお話ししましたので（＊注１）、今日はハーン来熊百年記念事業行事で熊本へ見えた先生の中でひょんな事で知り合いになった方々の内から三名の方とのお話をさせて頂きたいと思います。
洋学校の市原
朝そと庭の掃き掃除していますとジェーンズ邸の前を行きつ戻りつしておられる方がいます。「どうされましたか」と声を掛けると「ジェーンズ邸を見学に来たが開館していないので・・・」と言われるので「まだ三十分もあるので、私の所でお待ちになって」と言って迎え入れました。すると丹沢栄一と言われる東京の大学の先生で“ハーン”の勉強で来たと仰るので、ハーンと熊本のこと、ジェーンズの事など暫く話して、ジェーンズ邸へ送りました。これが機縁でハーンの資料や研究論文を次々に送って頂くようになりました。
ジェーンズにつきましてはノートヘルファー先生著「アメリカのサムライ」という本がありますが、その中に市原盛宏と武正とを混同した記述があります。盛宏は京都の同志社に進んでいますが市原武正は東京の商法講習所に進んでいます。実は洋学校への入学は武正の方が早く、後進生教授方となっています。この事を丹沢先生に申し上げると間もなく早稲田大学の図書館でジェーンズの死去に伴う香奠奉納者名簿に二人の名前が出ていて、当時日銀名古屋支店長の盛宏は武正の五倍以上の香典を納めており、この点で「アメリカのサムライ」の訂正が必要と判りました。一方、武正は商法講習所を卒業したと云う記録はありません。英語が出来ましたので外国へ出たのかと渡航記録を調べましたし、一橋大学も調べましたが杳として掴めません。武正は花岡山の熊本バンドには参加していない所から阿蘇の市原家と関係ないか調べましたが判りません。
モースとハーン
その後、丹沢先生が「モース」の調査で再び来熊されました。モースが熊本に立ち寄ったのは明治12年6月のことでした。ハーンはスペンサーの進化論に関心を寄せていましたが、「龍南会雑誌」にモースに触れています。恰もハーン自らが大野貝塚古墳を見たようにもとれますが、この時はハーンは手取本町から坪井へ移転中であり、之は五高の鹿児島への行軍旅行の学生か、引率の秋月胤永の話を聞いて書いたのではないかと私見を申し上げて、龍北町から法道寺に来ますと、境内の大樹はモースの「その日その日」にあるスケッチ画そのものでした。
シャーキー駐日アイルランド大使
所で私は平成7（1995）年11月アイルランドの駐日大使でしたシャーキー氏をダブリンに訪ねました。その際ハーン来熊百年記念祭報告書と「ラフカディオ・ハーン再考」などを差し上げ、話は浦島太郎の伝説に及びました。するとシャーキー氏はアイルランドにもそれと同じような伝説があると云って「オシーン」の話をされました。こちらは亀ではなくて、白馬です。シャーキー氏は三角の旅館、浦島屋に行かれていますが、釣鐘島の伝説はご存じではありませんでした。
釣鐘島の話は川尻の大禅寺の住職が唐より帰るとき二つの鐘を持って帰られたが、舟が難破して一つは中神島に流れ着いたが、もう一つは辛うじて川尻に持ち帰られその鐘をつくと中神島の鐘が鳴るというのです。川尻の鐘は男の鐘で、中神島のは女の鐘といわれるのも美事な伝承です。時は文永4（1267）年の事でした。
風呂 鞏さん
次は中村青史先生のご紹介で広島の風呂鞏という先生とお知り合いになりました。矢張りハーンの研究会で熊本に来られた大学の先生で、最近お手紙を頂きました。と言うのは本日のこの会の通知状に私の紹介が出ていたからで、先生は熊本アイルランド協会の会員でいらっしゃるのですね。お手紙には広島で開催されている藤田嗣治展の印象を詳しく述べられています。実は私も八月末日帰りで、広島に見に行きました。風呂先生のお手紙では展覧会を見て帰宅後近藤史人著『藤田嗣治「異邦人」の生涯』を読まれた所、私の名前が出てきたので驚いて、手紙を認めたとありました。
私は現在本山町の石光眞清生家の保存運動に携わっていますが、石光眞清も藤田嗣治も私の小学校の大先輩です。この二人は第一次世界大戦の折、フランスで会っています。この辺の事情は「石光眞清の手記」には触れられてはいませんが、ホームぺージでは藤田とパリで会いその紹介でジャン・コクトーともあっていることが判りました。
ハーンと藤田
風呂先生のお手紙では「ハーンを裏返しにしたような面もある藤田―社会の底辺に住む人々への思いやりなど」とあります。私は広島で藤田の戦争画に隠された意図を探すのに熱中して、風呂先生の「ハーンと通底するもの」とのご指摘に改めて画集を見直しました。風呂先生の云われるハーンと藤田嗣治の関係で「ハーンを裏返しにしたような面もある藤田」とはどういう事でしょうか。藤田は戦時中に戦争画の大作を次々に発表しましたが、戦争が終わると画壇の戦犯騒ぎで、遂にフランスへ出国して国籍を得、カトリックに帰依して遂に日本に帰ることはありませんでした。
一方ハーンはギリシャで生まれ、父の出身地アイルランドへ渡り、更にイギリスを経てフランスからアメリカに移りマルティニークを経て日本に来ました。つまり二人は母国を去り外国で生涯を終えています。
ハーンを裏返したような面とはこの事でしょうか。また先生の社会の底辺に住む人人々への思いやりとは？。藤田は日本の画風にヨーロッパの技法を取り入れてエコールドパリで名声を博しました。広島で実物に触れてその歩みを辿ることが出来ました。
ハーンの作品に「草ひばり」と云うのがあります。実は私の弟が安永信一郎先生のご指導で昭和21年2月「草雲雀」という短歌集を出していますが、その裏表紙に、ハーンの「草ひばり」の「・・・だが要するところ飢餓の為に自分の脚を噛むということは詩の天禀ともつといふ呪詛を蒙ってゐる者に起こりうる最大の凶事では無い、歌はんが為には自分自身の心をも食べなければならぬ人間の蟋蟀が居る」とあり、巻頭の「草雲雀宣言」には敢然と歌のマンネリズムに斧を打込む」と唱っています。弟は五高生として愛読していたのでしょう。
ハーンの妻セツの「思ひ出の記」には「ヘルンは虫の音を聞くことが好きでありました。この秋、松虫を飼っていました。九月末の事ですから松虫が夕方近く切れ切れに少し声を枯らして鳴いて居ますが、常になく物哀れに感じさせました。・・・段々寒くなって来ました。知って居ますか、知って居ませぬか、直に死なねばならぬと云うことを。・・・」そしてハーンは二年後の9月26日にこの世を去りました。ハーンは草雲雀や松虫の様な微細な生命の内に自分と同じ感情乃至魂が存在するということの神秘を読んでいたのです。
ハーンの別の作品を見てみます。「ある保守主義者」の最終章には、一旦祖国に背を向けた明治の一自由思想家が、長年の西洋滞在の後、船に乗って日本へ回帰して来ます。すると富士山が見えて、皆心打たれてひとしくおし黙ります。
夏目漱石もイギリス留学を切り上げて帰国した時には同じ様な祖国回帰を味わった事でしょう。弟は「草雲雀」に「シベリヤも春たけなはとなりけむ兄上よいのち生きをりたまへ」と詠んでいますが、私はその翌年の暮「ダモイ東京」でナホトカから恵山丸に乗り朝焼けの舞鶴に近づいた時同じ様な祖国への回帰を身に沁みて感じました。
藤田との思い出
所でフランスに帰化した藤田嗣治は50年代にかっての猫や裸婦を描くことが少なくなり、題材は見違えるほど自由になり、中でも浮浪者の姿を多く描くようになり、ある時は路傍の物乞いに大金を与える姿が見られたといいます。ハーンもまた神戸時代には下層社会への関心を寄せています。
さて私は最晩年の藤田に会うことが出来ました。画風は子供や猫、女性の裸像から次第に宗教画に収斂して、フランスで文字通り最後の大作に取り掛かった所でした。私が「熊本の付属小学校の後輩です」と申し上げると、作画を止めて、昭和4年付属小学校に来られた時の事を懐かしそうに話されました。当時の校舎は木造平屋で、私も入学した一年の一学期、その教室で習いましたと申し上げると、「年は幾つ？」と云われましたので「四十四歳です」と答えると、「若いなァ」と云って、タバコに火をつけて、「稗田の記念碑を知っているか」とのお尋ねに「海老原先生に協力して手伝いさせて頂きました。場所も吉本家で、私の弟の通った英語塾のあった所です」と申し上げると「パリで海老原君に会ったか」と聞かれ、お互いの思いは次から次にふくらんで行きました。フランスで日本人に会うのも嫌がった文字通り日本を捨てたと云われた画伯には祖国への回帰の情が込められていると思いました。現に画伯と親しかったシャンソン歌手の石井好子は画伯が「もう一度日本に帰りたい」と云っていたと云います。
ハーンも自分自身祖国への回帰の情にとらわれていたからこそ「ある保守主義者」に雨森信成の心境をダブらせたのでしょう。
本田増次郎
何か文学と美術をゴッチャ交ぜにしたお話ですがもう一人「本田増次郎」に関連して小原孝氏に触れてみます。小原氏は当時岡山県立博物館に勤めておられましたが、リデル・ライト記念館へハンナ・リデルの事を調べに来られました。実は熊日にリデル・ライト記念館で行われた講演会の記事に山本有三と出ており本田増次郎の娘婿と云うのでした。弟の五高名簿に同じ増次郎だが大倉とあり藤本館長に電話して尋ねると同一人物と判り私が国会図書館でコピーした本田増次郎著「イートン学校及び其校風」を寄贈しました。小原氏はそれを見て、拙宅を訪ねて来られたのでした。平成12年12月「アイルランドの文化と岡山の文化」と云う展覧会が博物館で開かれ、イートン校のコピーも見てまいりました。岡山には「ケルト文化研究会」というのがあって「J.M.シングと木下順二の民話劇」など研究が進んでいる事が判りました。
ハーンが東京大学を辞めて早稲田大学に転じた時実は本田増次郎も大学で同勤で、本田とハーンを結ぶ接点は余り無かったようですが、それから本田の縁戚の長谷川勝政氏が増次郎の自伝を作られて、その中に増次郎の姪（こま）が私の母の女学校で英語の先生をした事を知り、母の蔵書に「女学校四十年史」があり、その中に「本田先生」が出ているのが判りました。だとすれば母はこま子に英語を習った筈ですがもう後の祭りとなってしまいました。
本田はハンナ・リデルと本妙寺に詣り、リデルがハンセン氏病患者と取組むことになります。ハーンも本妙寺に参りました。西成彦先生の「ハーンの耳」は熊日文学賞を受けられましたが、ハーンは目が悪かったとは云え、境内の情景が目に止まらなかったとはとても思えません。日清戦争で凱旋する将兵を見て、その作品「戦後に」では「しかし日本にとっての将来の危険はまさにこの途方も無く大きな自信の中にあるともいえよう」と書いていますが、第二次世界大戦でハーンの予告通りの結末を見ました。
本田増次郎は後にアメリカで「オリエンタル・レビュー誌」の発行に携わっています。ハーンの年譜によれば、ハーンの死後「ラフカディオ・ハーンの伝記と書簡」が追悼の意をこめて発行されますが、丁度その時期に本田はアメリカで勤務していましたので、或いは書評でも書いていないかと思って冒頭の丹沢先生に申し上げましたところ、素人の思い付きがお手元のような発見（＊注２）に結びつきました。30分の与えられた時間が参りましたので、お帰りになりましてからご一読下されば幸甚に存じます。
（＊注１）くまもとハーン通信NO.6 平成11年9月26日 樋口欣一「私とハーンとのかかわり」
（＊注２）本田増次郎と小泉八雲―「オリエンタル・レヴィユー」誌上での八雲への献辞― 丹沢栄一 工学院大学共通課程研究論叢 2003年2月発行
私とハーンとのかかわりについてはハーン来熊百年記念祭報告書にありますように1988(昭和63)年4月、ハーン研究会を立ち上げた頃より始まりました。そのきっかけは、ある東京の出版社の社長さんの耳の痛い忠告でした。
実はその四年前に「ラフカディオ・ハーン著作集」の第15巻が発行されました時に、その翻訳に当たられた早稲田大学の先生を呼んで熊本で講演会を開催しましたのでかれこれ二十二年以前になります。先程の出版社の社長さんの忠告で、熊大の中島先生や中村先生に相談して勉強会を始めてのが昭和63年の事でした。
私は去年四月にも熊本八雲会でお話ししましたので（＊注１）、今日はハーン来熊百年記念事業行事で熊本へ見えた先生の中でひょんな事で知り合いになった方々の内から三名の方とのお話をさせて頂きたいと思います。
洋学校の市原
朝そと庭の掃き掃除していますとジェーンズ邸の前を行きつ戻りつしておられる方がいます。「どうされましたか」と声を掛けると「ジェーンズ邸を見学に来たが開館していないので・・・」と言われるので「まだ三十分もあるので、私の所でお待ちになって」と言って迎え入れました。すると丹沢栄一と言われる東京の大学の先生で“ハーン”の勉強で来たと仰るので、ハーンと熊本のこと、ジェーンズの事など暫く話して、ジェーンズ邸へ送りました。これが機縁でハーンの資料や研究論文を次々に送って頂くようになりました。
ジェーンズにつきましてはノートヘルファー先生著「アメリカのサムライ」という本がありますが、その中に市原盛宏と武正とを混同した記述があります。盛宏は京都の同志社に進んでいますが市原武正は東京の商法講習所に進んでいます。実は洋学校への入学は武正の方が早く、後進生教授方となっています。この事を丹沢先生に申し上げると間もなく早稲田大学の図書館でジェーンズの死去に伴う香奠奉納者名簿に二人の名前が出ていて、当時日銀名古屋支店長の盛宏は武正の五倍以上の香典を納めており、この点で「アメリカのサムライ」の訂正が必要と判りました。一方、武正は商法講習所を卒業したと云う記録はありません。英語が出来ましたので外国へ出たのかと渡航記録を調べましたし、一橋大学も調べましたが杳として掴めません。武正は花岡山の熊本バンドには参加していない所から阿蘇の市原家と関係ないか調べましたが判りません。
モースとハーン
その後、丹沢先生が「モース」の調査で再び来熊されました。モースが熊本に立ち寄ったのは明治12年6月のことでした。ハーンはスペンサーの進化論に関心を寄せていましたが、「龍南会雑誌」にモースに触れています。恰もハーン自らが大野貝塚古墳を見たようにもとれますが、この時はハーンは手取本町から坪井へ移転中であり、之は五高の鹿児島への行軍旅行の学生か、引率の秋月胤永の話を聞いて書いたのではないかと私見を申し上げて、龍北町から法道寺に来ますと、境内の大樹はモースの「その日その日」にあるスケッチ画そのものでした。
シャーキー駐日アイルランド大使
所で私は平成7（1995）年11月アイルランドの駐日大使でしたシャーキー氏をダブリンに訪ねました。その際ハーン来熊百年記念祭報告書と「ラフカディオ・ハーン再考」などを差し上げ、話は浦島太郎の伝説に及びました。するとシャーキー氏はアイルランドにもそれと同じような伝説があると云って「オシーン」の話をされました。こちらは亀ではなくて、白馬です。シャーキー氏は三角の旅館、浦島屋に行かれていますが、釣鐘島の伝説はご存じではありませんでした。
釣鐘島の話は川尻の大禅寺の住職が唐より帰るとき二つの鐘を持って帰られたが、舟が難破して一つは中神島に流れ着いたが、もう一つは辛うじて川尻に持ち帰られその鐘をつくと中神島の鐘が鳴るというのです。川尻の鐘は男の鐘で、中神島のは女の鐘といわれるのも美事な伝承です。時は文永4（1267）年の事でした。
風呂 鞏さん
次は中村青史先生のご紹介で広島の風呂鞏という先生とお知り合いになりました。矢張りハーンの研究会で熊本に来られた大学の先生で、最近お手紙を頂きました。と言うのは本日のこの会の通知状に私の紹介が出ていたからで、先生は熊本アイルランド協会の会員でいらっしゃるのですね。お手紙には広島で開催されている藤田嗣治展の印象を詳しく述べられています。実は私も八月末日帰りで、広島に見に行きました。風呂先生のお手紙では展覧会を見て帰宅後近藤史人著『藤田嗣治「異邦人」の生涯』を読まれた所、私の名前が出てきたので驚いて、手紙を認めたとありました。
私は現在本山町の石光眞清生家の保存運動に携わっていますが、石光眞清も藤田嗣治も私の小学校の大先輩です。この二人は第一次世界大戦の折、フランスで会っています。この辺の事情は「石光眞清の手記」には触れられてはいませんが、ホームぺージでは藤田とパリで会いその紹介でジャン・コクトーともあっていることが判りました。
ハーンと藤田
風呂先生のお手紙では「ハーンを裏返しにしたような面もある藤田―社会の底辺に住む人々への思いやりなど」とあります。私は広島で藤田の戦争画に隠された意図を探すのに熱中して、風呂先生の「ハーンと通底するもの」とのご指摘に改めて画集を見直しました。風呂先生の云われるハーンと藤田嗣治の関係で「ハーンを裏返しにしたような面もある藤田」とはどういう事でしょうか。藤田は戦時中に戦争画の大作を次々に発表しましたが、戦争が終わると画壇の戦犯騒ぎで、遂にフランスへ出国して国籍を得、カトリックに帰依して遂に日本に帰ることはありませんでした。
一方ハーンはギリシャで生まれ、父の出身地アイルランドへ渡り、更にイギリスを経てフランスからアメリカに移りマルティニークを経て日本に来ました。つまり二人は母国を去り外国で生涯を終えています。
ハーンを裏返したような面とはこの事でしょうか。また先生の社会の底辺に住む人人々への思いやりとは？。藤田は日本の画風にヨーロッパの技法を取り入れてエコールドパリで名声を博しました。広島で実物に触れてその歩みを辿ることが出来ました。
ハーンの作品に「草ひばり」と云うのがあります。実は私の弟が安永信一郎先生のご指導で昭和21年2月「草雲雀」という短歌集を出していますが、その裏表紙に、ハーンの「草ひばり」の「・・・だが要するところ飢餓の為に自分の脚を噛むということは詩の天禀ともつといふ呪詛を蒙ってゐる者に起こりうる最大の凶事では無い、歌はんが為には自分自身の心をも食べなければならぬ人間の蟋蟀が居る」とあり、巻頭の「草雲雀宣言」には敢然と歌のマンネリズムに斧を打込む」と唱っています。弟は五高生として愛読していたのでしょう。
ハーンの妻セツの「思ひ出の記」には「ヘルンは虫の音を聞くことが好きでありました。この秋、松虫を飼っていました。九月末の事ですから松虫が夕方近く切れ切れに少し声を枯らして鳴いて居ますが、常になく物哀れに感じさせました。・・・段々寒くなって来ました。知って居ますか、知って居ませぬか、直に死なねばならぬと云うことを。・・・」そしてハーンは二年後の9月26日にこの世を去りました。ハーンは草雲雀や松虫の様な微細な生命の内に自分と同じ感情乃至魂が存在するということの神秘を読んでいたのです。
ハーンの別の作品を見てみます。「ある保守主義者」の最終章には、一旦祖国に背を向けた明治の一自由思想家が、長年の西洋滞在の後、船に乗って日本へ回帰して来ます。すると富士山が見えて、皆心打たれてひとしくおし黙ります。
夏目漱石もイギリス留学を切り上げて帰国した時には同じ様な祖国回帰を味わった事でしょう。弟は「草雲雀」に「シベリヤも春たけなはとなりけむ兄上よいのち生きをりたまへ」と詠んでいますが、私はその翌年の暮「ダモイ東京」でナホトカから恵山丸に乗り朝焼けの舞鶴に近づいた時同じ様な祖国への回帰を身に沁みて感じました。
藤田との思い出
所でフランスに帰化した藤田嗣治は50年代にかっての猫や裸婦を描くことが少なくなり、題材は見違えるほど自由になり、中でも浮浪者の姿を多く描くようになり、ある時は路傍の物乞いに大金を与える姿が見られたといいます。ハーンもまた神戸時代には下層社会への関心を寄せています。
さて私は最晩年の藤田に会うことが出来ました。画風は子供や猫、女性の裸像から次第に宗教画に収斂して、フランスで文字通り最後の大作に取り掛かった所でした。私が「熊本の付属小学校の後輩です」と申し上げると、作画を止めて、昭和4年付属小学校に来られた時の事を懐かしそうに話されました。当時の校舎は木造平屋で、私も入学した一年の一学期、その教室で習いましたと申し上げると、「年は幾つ？」と云われましたので「四十四歳です」と答えると、「若いなァ」と云って、タバコに火をつけて、「稗田の記念碑を知っているか」とのお尋ねに「海老原先生に協力して手伝いさせて頂きました。場所も吉本家で、私の弟の通った英語塾のあった所です」と申し上げると「パリで海老原君に会ったか」と聞かれ、お互いの思いは次から次にふくらんで行きました。フランスで日本人に会うのも嫌がった文字通り日本を捨てたと云われた画伯には祖国への回帰の情が込められていると思いました。現に画伯と親しかったシャンソン歌手の石井好子は画伯が「もう一度日本に帰りたい」と云っていたと云います。
ハーンも自分自身祖国への回帰の情にとらわれていたからこそ「ある保守主義者」に雨森信成の心境をダブらせたのでしょう。
本田増次郎
何か文学と美術をゴッチャ交ぜにしたお話ですがもう一人「本田増次郎」に関連して小原孝氏に触れてみます。小原氏は当時岡山県立博物館に勤めておられましたが、リデル・ライト記念館へハンナ・リデルの事を調べに来られました。実は熊日にリデル・ライト記念館で行われた講演会の記事に山本有三と出ており本田増次郎の娘婿と云うのでした。弟の五高名簿に同じ増次郎だが大倉とあり藤本館長に電話して尋ねると同一人物と判り私が国会図書館でコピーした本田増次郎著「イートン学校及び其校風」を寄贈しました。小原氏はそれを見て、拙宅を訪ねて来られたのでした。平成12年12月「アイルランドの文化と岡山の文化」と云う展覧会が博物館で開かれ、イートン校のコピーも見てまいりました。岡山には「ケルト文化研究会」というのがあって「J.M.シングと木下順二の民話劇」など研究が進んでいる事が判りました。
ハーンが東京大学を辞めて早稲田大学に転じた時実は本田増次郎も大学で同勤で、本田とハーンを結ぶ接点は余り無かったようですが、それから本田の縁戚の長谷川勝政氏が増次郎の自伝を作られて、その中に増次郎の姪（こま）が私の母の女学校で英語の先生をした事を知り、母の蔵書に「女学校四十年史」があり、その中に「本田先生」が出ているのが判りました。だとすれば母はこま子に英語を習った筈ですがもう後の祭りとなってしまいました。
本田はハンナ・リデルと本妙寺に詣り、リデルがハンセン氏病患者と取組むことになります。ハーンも本妙寺に参りました。西成彦先生の「ハーンの耳」は熊日文学賞を受けられましたが、ハーンは目が悪かったとは云え、境内の情景が目に止まらなかったとはとても思えません。日清戦争で凱旋する将兵を見て、その作品「戦後に」では「しかし日本にとっての将来の危険はまさにこの途方も無く大きな自信の中にあるともいえよう」と書いていますが、第二次世界大戦でハーンの予告通りの結末を見ました。
本田増次郎は後にアメリカで「オリエンタル・レビュー誌」の発行に携わっています。ハーンの年譜によれば、ハーンの死後「ラフカディオ・ハーンの伝記と書簡」が追悼の意をこめて発行されますが、丁度その時期に本田はアメリカで勤務していましたので、或いは書評でも書いていないかと思って冒頭の丹沢先生に申し上げましたところ、素人の思い付きがお手元のような発見（＊注２）に結びつきました。30分の与えられた時間が参りましたので、お帰りになりましてからご一読下されば幸甚に存じます。
（＊注１）くまもとハーン通信NO.6 平成11年9月26日 樋口欣一「私とハーンとのかかわり」
（＊注２）本田増次郎と小泉八雲―「オリエンタル・レヴィユー」誌上での八雲への献辞― 丹沢栄一 工学院大学共通課程研究論叢 2003年2月発行
2006年09月20日
<i>Lafcadio Hearn and the Clifton Waller Barrett Collection by Alan Rosen</i>
Lafcadio Hearn and the Clifton Waller Barrett Collection
Alan Rosen
Kumamoto Shimin Kouza September 16, 2006
1. General Introduction to the Barrett Collection
The Clifton Waller Barrett Collection is one of the largest and best collections
of American Literature in the world. Formerly housed in the Alderman Library of
the University of Virginia in Charlottesville (Thomas Jefferson’s University),
it is now housed in the university’s new Albert and Shirley Small Special
Collections Library. The collection was opened to the public in 1960. Over 1000
authors are represented, and nearly 500 authors have been collected in depth.
In total there are over 250,000 individual pieces by and about American writers
from 1775 to 1950. Although the Hearn Collection is only a small part of the
whole, it forms the most complete collection of original Hearn and Hearn-related
materials in the world. Since some of these materials are still unpublished,
or published only in part, this collection has become a kind of mecca for Hearn
students and scholars. We can see and touch the actual paper Hearn wrote on,
letters, manuscripts, and notebooks, and we can have photocopies made from
any material that is not too fragile to be handled. Much of the collection
has been recorded on microfilm, but much has not. In Japan there are only three
places which have microfilm sets of the collection purchased from the Alderman
Library: Kobe Shoin Joshidaigaku, Kumamoto Daigaku, and Shimane Daigaku.
However, in order to see the real material and the many items not yet
microfilmed, you must visit the University of Virginia Library.
Once you are there, it is not difficult to see the materials in the Hearn
Collection. In fact, the regulations are rather simple and straightforward.
There are only three basic rules: 1. Researchers are asked to fill out a brief
form and show a photo I.D. (such as a driver's license, a passport). 2. Only
loose paper, pencils, and a laptop computer are permitted in the reading room.
No bags, envelopes, folders, notebooks, tablets, or containers of any type are
permitted.
Lockers are provided to secure your belongings. 3. Paper is provided by the
department for researchers. Laptop computers and other mechanical research
tools are permissible provided that their use does not disturb other
researchers (from Special Collections Library home page).
Before you go into the special reading room with your laptop computer, you
simply give your request to the librarian stationed at the desk outside the
room. The request is simply a piece of paper stating the name and number of
the box of materials that you wish to examine. You can leave the materials in
the room when you go for lunch or a break, but at the end of the day all
materials must be returned and checked.
When I visited the library several years ago in the summer of 2002, I
especially enjoyed looking at Hearn’s manuscript letters and comparing them
with the published versions edited by Elizabeth Bisland Wetmore to find the
parts that she had omitted. From those manuscripts I was able to find a
hidden side of Hearn’s personality that had been cut out from the public
portrait of him.
For example, his bad-mouthing of important people and publishers, and his
complaints about health or money.Today I would like to introduce the
collection and take a closer look at the man who collected it and the story
of why and how the collection came into being. In doing this, I hope to give
a deeper impression of Hearn’s place in American literature.
2. What is in the Hearn collection?
The Hearn collection includes a wide range of materials by or about Lafcadio
Hearn and his writings, both published and unpublished, partly preserved on
microfilm, all housed in the same Special Collections Library. The types of
materials are:
a. Manuscripts of published works, unpublished essays, and articles
b. Notebooks
c. Letters
d. Newspaper articles by Hearn (Japan Chronicle)
e. Newspaper articles and letters about Hearn and his writings
f. Photos, Fragments, etc.
The Homepage for the Special Collections Library calls it the “Finest Hearn
collection ever assembled.” Joan Crane, the Curator of American Literature
Collections when the collection was opened, writes:
In the Barrett Hearn collection are the original manuscripts of The
Temptation of St. Anthony [Sento Antoni no yuuwaku], Exotics and
Retrospectives [Ikoku joucho to kaiko], Kwaidan, and Glimpses of Unfamiliar
Japan [Shirarenu nihon no omokage];fragments of Two Years in the French West
Indies [Futsu ryou Nishi indo shotou no ni-nen kan], Youma, Shadowings [Kage],
In Ghostly Japan [Reiteki Nippon], Kotto, and Out of the East [Higashi no
Kuni Kara]; forty unpublished essays and articles, seventeen notebooks ranging
from the New Orleans period to the West Indies to Japan [Internet page says
over 30 notebooks], more than 450 letters [Internet page says “nearly three
hundred letters”], and Hearn’s holograph drafts of published
articles. Five of the nine numbers of Ye Giglampz, described by Mr. Barrett
as a Hearn rarissimum, are present (the only complete set known is in
the holdings of the Cincinnati Public Library). The collection of printed
works represents every publication: Hearn variant bindings, later editions,
periodical printings, translations, inscribed association copies.
This part of the Barrett Library devoted to Lafcadio Hearn’s works reflects
one facet of Mr. Barrett’s extraordinary accomplishment as a scholarly
collector.
In the display of these books and manuscripts at the Alderman Library of
the University of Virginia, it is our purpose to draw back the attention of
students, scholars, teachers, and readers to a figure in the literary history
of this country whose importance has become obscured.
3. Who was Clifton Waller Barrett?
Clifton Waller Barrett was born in the US in 1901. Barrett graduated from
the University ofVirginia, Class of 1920 at 19 years old. He became chief
executive of the North Atlantic and Gulf Steamship Company, Inc. During WWII
he was Director of Sugar Transportation for the War Shipping Administration.
He was a great reader and book-lover, but he started collecting books rather
late [at 38 years old in 1939]. Even so, by 1950 he had a personal library
that was considered outstanding among book-lovers in the US. Throughout his
life he continued to spend a large part of his fortune on literary materials,
slowly building up an outstanding collection of American literary material,
including lesser-known writers along with the works of those who were already
famous. He gave his entire collection to the university he loved, his alma
mater, the University of Virginia.
He continued to support the library’s acquisition of rare American literary
materials until he died.[From “A Brief Account of The Clifton Waller Barrett
Library” Charlottesville, The University of Virginia, 1960, by Herbert
Cahoon, Curator of Autograph Manuscripts, The Pierpont Morgan Library]
4. Why and how did the collection come into being?
We have the words of Mr. Barrett himself to tell us the details.
“In 1939 … I [Clifton Waller Barrett] decided to amass a comprehensive
collection of American literature—first editions and original
manuscripts of American writers from the beginning of the Republic in 1776
to the present day. … Acquiring these milestone’s of a nation’s literary
life became a full-time occupation. I retired from business to carry it
forward….
At first, my efforts were devoted to forming collections of the great
figures of American literature: Walt Whitman, Herman Melville, James
Fenimore Cooper, Mark Twain, Poe, Longfellow, Emerson…. Early on, however,
I began to realize the importance of so-called minor writers who fleshed out
and formed the underpinnings of the nation’s literature….One writer who
stood out in this group was Lafcadio Hearn.
His amazing originality, combined with the unusual beauty and quality of his
writing had won praise from discriminating critics; however, in the years of
World WarII and the decade following he was neglected. When I started to
collect his works they were in modest demand, though prices of available
material were quite high—due perhaps to his emergence as a cult figure
and to the paucity of items on the market. My first purchase was … Some
Chinese Ghosts (Boston 1887). I read these tales with increasing pleasure and
immediately decided to collect more of Hearn. Soon, a respectable assemblage
of his printed works was gathered, but little manuscript material was available
aside from the occasional letter at auction which I added to my hoard.
Influenced by accounts of this strange romantic life, I resolved to build a
representative collection of Hearn’s printed works and original manuscripts
most particularly.
My quest took me to Cincinnati and later to Japan, but the first rich strike
came on a trip to New Orleans in 1954…. I visited many bookshops on Royal
Street and lingered in an old print shop where the proprietor, learning of
my interest in Lafcadio Hearn, advised me to call on a lady in the city who
was the great-niece of Miss Leona Queyrouze, a Creole poet of New Orleans
with whom Hearn enjoyed a platonic affair. [Barrett met her and purchased a
signed copy of Some Chinese Ghosts, an inscribed-by-Hearn photo, etc.]
When I returned to New York with these exciting documents and memorabilia,
I quickly let it be known to various book sellers that I was definitely in
the market for Hearn material. John Fleming, bless him, came to my office
with a list of original Hearn manuscripts that had languished in Dr.
Rosenbach’s vault for years. [Dr. ASW Rosenbach of Phila., whose house is
now a modest but well-known museum in Phila.. It houses, eg., manuscripts
for such outstanding literary works as James Joyce's Ulysses, Charles Dickens'
Pickwick Papers, and Joseph Conrad's Lord Jim.] These were principally
manuscripts of Hearn’s Japanese books…. Needless to say, they were a major
acquisition.
Some years passed before other important material was forthcoming.
[Through the James F. Drake bookshop in NYC, Barrett purchased a large
collection from Mr. Leon Godchaux (the Sugar King of Louisiana), a New
Orleans native working for the Illinois Railroad who had spent many years
collecting Hearn.]
The extent of the collection overwhelmed me as box after box arrived. More
space would clearly be required to house it. [He rented an entire floor of a
building on 46th St. New York City to keep the new books and materials.] …
By serendipity and a series of fortunate coincidences, it had been possible
to acquire a great collection of printed works and original manuscripts left
by an extraordinary literary and artistic genius, Lafcadio Hearn.”
(From “On Collecting Lafcadio Hearn” by Clifton Waller Barrett, 1983)
Alan Rosen
Kumamoto Shimin Kouza September 16, 2006
1. General Introduction to the Barrett Collection
The Clifton Waller Barrett Collection is one of the largest and best collections
of American Literature in the world. Formerly housed in the Alderman Library of
the University of Virginia in Charlottesville (Thomas Jefferson’s University),
it is now housed in the university’s new Albert and Shirley Small Special
Collections Library. The collection was opened to the public in 1960. Over 1000
authors are represented, and nearly 500 authors have been collected in depth.
In total there are over 250,000 individual pieces by and about American writers
from 1775 to 1950. Although the Hearn Collection is only a small part of the
whole, it forms the most complete collection of original Hearn and Hearn-related
materials in the world. Since some of these materials are still unpublished,
or published only in part, this collection has become a kind of mecca for Hearn
students and scholars. We can see and touch the actual paper Hearn wrote on,
letters, manuscripts, and notebooks, and we can have photocopies made from
any material that is not too fragile to be handled. Much of the collection
has been recorded on microfilm, but much has not. In Japan there are only three
places which have microfilm sets of the collection purchased from the Alderman
Library: Kobe Shoin Joshidaigaku, Kumamoto Daigaku, and Shimane Daigaku.
However, in order to see the real material and the many items not yet
microfilmed, you must visit the University of Virginia Library.
Once you are there, it is not difficult to see the materials in the Hearn
Collection. In fact, the regulations are rather simple and straightforward.
There are only three basic rules: 1. Researchers are asked to fill out a brief
form and show a photo I.D. (such as a driver's license, a passport). 2. Only
loose paper, pencils, and a laptop computer are permitted in the reading room.
No bags, envelopes, folders, notebooks, tablets, or containers of any type are
permitted.
Lockers are provided to secure your belongings. 3. Paper is provided by the
department for researchers. Laptop computers and other mechanical research
tools are permissible provided that their use does not disturb other
researchers (from Special Collections Library home page).
Before you go into the special reading room with your laptop computer, you
simply give your request to the librarian stationed at the desk outside the
room. The request is simply a piece of paper stating the name and number of
the box of materials that you wish to examine. You can leave the materials in
the room when you go for lunch or a break, but at the end of the day all
materials must be returned and checked.
When I visited the library several years ago in the summer of 2002, I
especially enjoyed looking at Hearn’s manuscript letters and comparing them
with the published versions edited by Elizabeth Bisland Wetmore to find the
parts that she had omitted. From those manuscripts I was able to find a
hidden side of Hearn’s personality that had been cut out from the public
portrait of him.
For example, his bad-mouthing of important people and publishers, and his
complaints about health or money.Today I would like to introduce the
collection and take a closer look at the man who collected it and the story
of why and how the collection came into being. In doing this, I hope to give
a deeper impression of Hearn’s place in American literature.
2. What is in the Hearn collection?
The Hearn collection includes a wide range of materials by or about Lafcadio
Hearn and his writings, both published and unpublished, partly preserved on
microfilm, all housed in the same Special Collections Library. The types of
materials are:
a. Manuscripts of published works, unpublished essays, and articles
b. Notebooks
c. Letters
d. Newspaper articles by Hearn (Japan Chronicle)
e. Newspaper articles and letters about Hearn and his writings
f. Photos, Fragments, etc.
The Homepage for the Special Collections Library calls it the “Finest Hearn
collection ever assembled.” Joan Crane, the Curator of American Literature
Collections when the collection was opened, writes:
In the Barrett Hearn collection are the original manuscripts of The
Temptation of St. Anthony [Sento Antoni no yuuwaku], Exotics and
Retrospectives [Ikoku joucho to kaiko], Kwaidan, and Glimpses of Unfamiliar
Japan [Shirarenu nihon no omokage];fragments of Two Years in the French West
Indies [Futsu ryou Nishi indo shotou no ni-nen kan], Youma, Shadowings [Kage],
In Ghostly Japan [Reiteki Nippon], Kotto, and Out of the East [Higashi no
Kuni Kara]; forty unpublished essays and articles, seventeen notebooks ranging
from the New Orleans period to the West Indies to Japan [Internet page says
over 30 notebooks], more than 450 letters [Internet page says “nearly three
hundred letters”], and Hearn’s holograph drafts of published
articles. Five of the nine numbers of Ye Giglampz, described by Mr. Barrett
as a Hearn rarissimum, are present (the only complete set known is in
the holdings of the Cincinnati Public Library). The collection of printed
works represents every publication: Hearn variant bindings, later editions,
periodical printings, translations, inscribed association copies.
This part of the Barrett Library devoted to Lafcadio Hearn’s works reflects
one facet of Mr. Barrett’s extraordinary accomplishment as a scholarly
collector.
In the display of these books and manuscripts at the Alderman Library of
the University of Virginia, it is our purpose to draw back the attention of
students, scholars, teachers, and readers to a figure in the literary history
of this country whose importance has become obscured.
3. Who was Clifton Waller Barrett?
Clifton Waller Barrett was born in the US in 1901. Barrett graduated from
the University ofVirginia, Class of 1920 at 19 years old. He became chief
executive of the North Atlantic and Gulf Steamship Company, Inc. During WWII
he was Director of Sugar Transportation for the War Shipping Administration.
He was a great reader and book-lover, but he started collecting books rather
late [at 38 years old in 1939]. Even so, by 1950 he had a personal library
that was considered outstanding among book-lovers in the US. Throughout his
life he continued to spend a large part of his fortune on literary materials,
slowly building up an outstanding collection of American literary material,
including lesser-known writers along with the works of those who were already
famous. He gave his entire collection to the university he loved, his alma
mater, the University of Virginia.
He continued to support the library’s acquisition of rare American literary
materials until he died.[From “A Brief Account of The Clifton Waller Barrett
Library” Charlottesville, The University of Virginia, 1960, by Herbert
Cahoon, Curator of Autograph Manuscripts, The Pierpont Morgan Library]
4. Why and how did the collection come into being?
We have the words of Mr. Barrett himself to tell us the details.
“In 1939 … I [Clifton Waller Barrett] decided to amass a comprehensive
collection of American literature—first editions and original
manuscripts of American writers from the beginning of the Republic in 1776
to the present day. … Acquiring these milestone’s of a nation’s literary
life became a full-time occupation. I retired from business to carry it
forward….
At first, my efforts were devoted to forming collections of the great
figures of American literature: Walt Whitman, Herman Melville, James
Fenimore Cooper, Mark Twain, Poe, Longfellow, Emerson…. Early on, however,
I began to realize the importance of so-called minor writers who fleshed out
and formed the underpinnings of the nation’s literature….One writer who
stood out in this group was Lafcadio Hearn.
His amazing originality, combined with the unusual beauty and quality of his
writing had won praise from discriminating critics; however, in the years of
World WarII and the decade following he was neglected. When I started to
collect his works they were in modest demand, though prices of available
material were quite high—due perhaps to his emergence as a cult figure
and to the paucity of items on the market. My first purchase was … Some
Chinese Ghosts (Boston 1887). I read these tales with increasing pleasure and
immediately decided to collect more of Hearn. Soon, a respectable assemblage
of his printed works was gathered, but little manuscript material was available
aside from the occasional letter at auction which I added to my hoard.
Influenced by accounts of this strange romantic life, I resolved to build a
representative collection of Hearn’s printed works and original manuscripts
most particularly.
My quest took me to Cincinnati and later to Japan, but the first rich strike
came on a trip to New Orleans in 1954…. I visited many bookshops on Royal
Street and lingered in an old print shop where the proprietor, learning of
my interest in Lafcadio Hearn, advised me to call on a lady in the city who
was the great-niece of Miss Leona Queyrouze, a Creole poet of New Orleans
with whom Hearn enjoyed a platonic affair. [Barrett met her and purchased a
signed copy of Some Chinese Ghosts, an inscribed-by-Hearn photo, etc.]
When I returned to New York with these exciting documents and memorabilia,
I quickly let it be known to various book sellers that I was definitely in
the market for Hearn material. John Fleming, bless him, came to my office
with a list of original Hearn manuscripts that had languished in Dr.
Rosenbach’s vault for years. [Dr. ASW Rosenbach of Phila., whose house is
now a modest but well-known museum in Phila.. It houses, eg., manuscripts
for such outstanding literary works as James Joyce's Ulysses, Charles Dickens'
Pickwick Papers, and Joseph Conrad's Lord Jim.] These were principally
manuscripts of Hearn’s Japanese books…. Needless to say, they were a major
acquisition.
Some years passed before other important material was forthcoming.
[Through the James F. Drake bookshop in NYC, Barrett purchased a large
collection from Mr. Leon Godchaux (the Sugar King of Louisiana), a New
Orleans native working for the Illinois Railroad who had spent many years
collecting Hearn.]
The extent of the collection overwhelmed me as box after box arrived. More
space would clearly be required to house it. [He rented an entire floor of a
building on 46th St. New York City to keep the new books and materials.] …
By serendipity and a series of fortunate coincidences, it had been possible
to acquire a great collection of printed works and original manuscripts left
by an extraordinary literary and artistic genius, Lafcadio Hearn.”
(From “On Collecting Lafcadio Hearn” by Clifton Waller Barrett, 1983)
2006年08月22日
「ハーン雑話」 宮崎啓子 小泉八雲熊本旧居館長
今日はハーンゆかりの人たちを通して、エピソードなどを紹介しながらハーンの人柄などのあれこれについて話したいと思います。
西田千太郎
西田千太郎はハーンが島根県尋常中学校の英語教師として松江に赴任したとき、公私にわたってハーンを支えた人です。
西田は松江で修学ののち上京し、約２年間苦学して中学校教員免許を受けました。その後兵庫県の姫路中学校、香川県の済々学館で教えたのち、請われて明治２１年に島根県尋常中学校の教諭になっています。その２年後、ハーンとの出会いがありました。
ハーンは西田の頭脳明晰、親切で人情味あふれる誠実な人柄にひかれて、二人の親交は西田が明治３０年に３６歳の若さで亡くなるまで続きます。西田は公的にはもちろん、資料収集、取材活動への協力、私生活の世話にいたるまでハーンに不自由を感じさせなかったといわれています。ハーンの長男一雄は『父小泉八雲』の中で西田について「松江聖人と噂されており、父が最も信頼した日本人中第一の友人である。父の日本研究に多大な援助を与えた人。日本の人情風俗においても懇切丁寧に説明を施した。」と書いています。
明治２５年夏、ハーンが約２ヶ月にわたって関西・隠岐方面を旅行している間に、西田は九州地方を旅行し、この手取本町の家に立ち寄り３泊して五高、水前寺公園、本妙寺などを訪れています。
ハーンは熊本時代に執筆した『東の国から』を「出雲時代のなつかしい思い出に、西田千太郎へ」と献呈しています。熊本にも西田のような心を許せる友人がいたならば、ハーンの熊本時代も違ったものになっていたかもしれません。
藤崎八三郎
旧姓を小豆沢といいます。島根県尋常中学校での教え子で、ハーンの作品『英語教師の日記から』の中に「今後わたくしの記憶に最も長く明白に残るだろうと思う」生徒の一人として紹介されています。ハーンが熊本に移った後もハーンを慕って文通を続け、資料提供の手伝いなどをしています。明治２６年に卒業しますが、進路についてハーンに相談し熊本に訪ねてきたりもしました。
明治２８年９月、五高に入学しますが前年１２月志願兵として入営していたため、出校しないまま休学し、翌年３月に退学しています。結局、陸軍士官学校に入り、職業軍人の道を選びました。この時、藤崎家の養子になっています。
東京時代のハーンは、毎年のように家族を連れて焼津に海水浴に行き１ヶ月ほど滞在しました。明治３０年の夏には藤崎も訪ねていき、ハーンのかねてからの念願であった富士登山に同行します。この登山からは『富士の山』という作品が生まれました。その当時ハーンは身体に少し衰えを感じていたらしく、富士登山はとても無理だと諦めていました。藤崎が「私が一緒に行きますから」といって周到な準備のもと、決行します。藤崎の手記によれば「一人の強力が先生の腰に巻いた帯を引いて、もう一人は後ろより押し上げやっと夕方８合目に到着。一泊して翌朝８時についに頂上に到着した」というような登山だったようです。
藤崎は東京でもハーンを慕ってよく訪ねています。藤崎夫人ヲトキさんの回想によると、縁談はハーンの助言でまとまり、お見合いも小泉家の座敷で行われたということです。 明治３７年２月、日露戦争が始まり藤崎は満州に出征することになりますが、ハーンは家族ぐるみで送別会を開いています。９月２６日、ハーンは戦場の藤崎に手紙を書き数冊の本とともに発送して、数時間後に心臓発作で亡くなりました。藤崎は「先生の最後となった手紙と贈ってくださった本と、それから先生の亡くなられたという知らせと同時に受け取って悲嘆に耐えなかった」と手記に書いています。この絶筆となった手紙は戦災で焼失しましたが、幸い木下順二氏が写真に撮ってあった原板があり、それを焼き付けたものがこの記念館に展示されています。
ハーンの没後、上京した藤崎一家がすぐに家が見つからなかったので、小泉家の半分を借りて住んだこともありました。大正１２年、熊本で済々 高校の教師となって英語、地理を教えますが、晩年、本当は文学がやりたかったんだと孫たちに語っていたそうです。
小泉時氏のお話では「藤崎さんが上京される際は好物のちらし寿司をつくってお待ちしたものでした」ということでした。
雨森信成
あめのもり のぶしげといいます。１８５８年、福井に生まれました。藩校の明新館で英語を学び、更に横浜のブラウン塾で学んでおります。２０代の後半から西洋諸国を遍歴し、３０歳頃に日本に帰ってきたといわれています。
ハーンの熊本時代にマクドナルドの紹介によって交際が始まり、ハーンにとって「真面目な、あたたかい、利己心のない友人」となりました。その優れた学識と語学力を生かして、ハーンの良き協力者となり、貴重な資料を提供したりして親交を深めました。ハーンは著書『心』を雨森に献呈していますが、「ある保守主義者」は雨森がモデルといわれています。
ハーンの没後、アメリカの雑誌『アトランティック・マンスリー』に「人間ラフカディオ・ハーン」という追悼文を寄せております。ハーンをよく理解した友人として、作家としてのハーンの一面を生き生きと描写したすばらしい名文といわれるものです。その一節を紹介します。
「ハーンは夜が遅いにもかかわらず、早起きだった。気が乗ると午前２時、３時まで書き続けた。初めて彼の家に泊まった晩に見たものは私の記憶に焼きついて、生涯忘れることがないであろう。私も夜は遅い方であったから、その晩も寝床で本を読んでいた。時計は午前１時を打ったが、ハーンの書斎にはまだ灯りがともっていた。低い、かすれた咳のような音がした。わが友が病気なのではないかと私は心配になった。それで自分の部屋から抜け出て彼の書斎に行ってみた。しかし執筆中には邪魔はしたくないと思い、用心深く少しだけ戸を開けて覗き込んだ。友は例の高い机に向かい、鼻をほとんど紙にくっつけんばかりにして、一心不乱にペンを走らせているところであった。一枚一枚と書き続けてゆく。しばらくして彼はふと顔を上げた。その時私は何を見たであろう。それはいつもの見慣れたハーンではなかった。全くの別人であった。顔がふしぎなほどに白かった。大きな眼がきらきら光った。何かこの世ならぬものと通じ合っている人のように見えた。」
ミッチェル・マクドナルド
ハーンが来日した時、エリザベス・ビスランドの紹介状をもって横浜海軍病院勤務のマクドナルドを訪問して以来の友人です。ハーンが帝国大学講師となって上京してからは，東京と横浜とをお互いに行き来し信頼関係を深めていきました。マクドナルドは雨森とも親しく、二人はハーン一家と一緒に海水浴に行き、皆で楽しく一日を過ごしたこともありました。ハーンは子供のように喜んで、得意の泳ぎを披露したそうです。
ハーンの没後は、小泉家の遺産管理人として遺族を支えました。ハーンの帝大講義録も彼の尽力で出版が実現しました。１９２０年横浜グランドホテルの社長に就任。生涯を独身で通したマクドナルドは、ハーンの長男・一雄を我が子のように可愛がりました。
ハーンを支え、ハーンを慕い、ハーンが心を許した友人たちをとおしてみると、ハーンがいかに魅力的な人物であったかということに改めて気付かされます。
西田千太郎
西田千太郎はハーンが島根県尋常中学校の英語教師として松江に赴任したとき、公私にわたってハーンを支えた人です。
西田は松江で修学ののち上京し、約２年間苦学して中学校教員免許を受けました。その後兵庫県の姫路中学校、香川県の済々学館で教えたのち、請われて明治２１年に島根県尋常中学校の教諭になっています。その２年後、ハーンとの出会いがありました。
ハーンは西田の頭脳明晰、親切で人情味あふれる誠実な人柄にひかれて、二人の親交は西田が明治３０年に３６歳の若さで亡くなるまで続きます。西田は公的にはもちろん、資料収集、取材活動への協力、私生活の世話にいたるまでハーンに不自由を感じさせなかったといわれています。ハーンの長男一雄は『父小泉八雲』の中で西田について「松江聖人と噂されており、父が最も信頼した日本人中第一の友人である。父の日本研究に多大な援助を与えた人。日本の人情風俗においても懇切丁寧に説明を施した。」と書いています。
明治２５年夏、ハーンが約２ヶ月にわたって関西・隠岐方面を旅行している間に、西田は九州地方を旅行し、この手取本町の家に立ち寄り３泊して五高、水前寺公園、本妙寺などを訪れています。
ハーンは熊本時代に執筆した『東の国から』を「出雲時代のなつかしい思い出に、西田千太郎へ」と献呈しています。熊本にも西田のような心を許せる友人がいたならば、ハーンの熊本時代も違ったものになっていたかもしれません。
藤崎八三郎
旧姓を小豆沢といいます。島根県尋常中学校での教え子で、ハーンの作品『英語教師の日記から』の中に「今後わたくしの記憶に最も長く明白に残るだろうと思う」生徒の一人として紹介されています。ハーンが熊本に移った後もハーンを慕って文通を続け、資料提供の手伝いなどをしています。明治２６年に卒業しますが、進路についてハーンに相談し熊本に訪ねてきたりもしました。
明治２８年９月、五高に入学しますが前年１２月志願兵として入営していたため、出校しないまま休学し、翌年３月に退学しています。結局、陸軍士官学校に入り、職業軍人の道を選びました。この時、藤崎家の養子になっています。
東京時代のハーンは、毎年のように家族を連れて焼津に海水浴に行き１ヶ月ほど滞在しました。明治３０年の夏には藤崎も訪ねていき、ハーンのかねてからの念願であった富士登山に同行します。この登山からは『富士の山』という作品が生まれました。その当時ハーンは身体に少し衰えを感じていたらしく、富士登山はとても無理だと諦めていました。藤崎が「私が一緒に行きますから」といって周到な準備のもと、決行します。藤崎の手記によれば「一人の強力が先生の腰に巻いた帯を引いて、もう一人は後ろより押し上げやっと夕方８合目に到着。一泊して翌朝８時についに頂上に到着した」というような登山だったようです。
藤崎は東京でもハーンを慕ってよく訪ねています。藤崎夫人ヲトキさんの回想によると、縁談はハーンの助言でまとまり、お見合いも小泉家の座敷で行われたということです。 明治３７年２月、日露戦争が始まり藤崎は満州に出征することになりますが、ハーンは家族ぐるみで送別会を開いています。９月２６日、ハーンは戦場の藤崎に手紙を書き数冊の本とともに発送して、数時間後に心臓発作で亡くなりました。藤崎は「先生の最後となった手紙と贈ってくださった本と、それから先生の亡くなられたという知らせと同時に受け取って悲嘆に耐えなかった」と手記に書いています。この絶筆となった手紙は戦災で焼失しましたが、幸い木下順二氏が写真に撮ってあった原板があり、それを焼き付けたものがこの記念館に展示されています。
ハーンの没後、上京した藤崎一家がすぐに家が見つからなかったので、小泉家の半分を借りて住んだこともありました。大正１２年、熊本で済々 高校の教師となって英語、地理を教えますが、晩年、本当は文学がやりたかったんだと孫たちに語っていたそうです。
小泉時氏のお話では「藤崎さんが上京される際は好物のちらし寿司をつくってお待ちしたものでした」ということでした。
雨森信成
あめのもり のぶしげといいます。１８５８年、福井に生まれました。藩校の明新館で英語を学び、更に横浜のブラウン塾で学んでおります。２０代の後半から西洋諸国を遍歴し、３０歳頃に日本に帰ってきたといわれています。
ハーンの熊本時代にマクドナルドの紹介によって交際が始まり、ハーンにとって「真面目な、あたたかい、利己心のない友人」となりました。その優れた学識と語学力を生かして、ハーンの良き協力者となり、貴重な資料を提供したりして親交を深めました。ハーンは著書『心』を雨森に献呈していますが、「ある保守主義者」は雨森がモデルといわれています。
ハーンの没後、アメリカの雑誌『アトランティック・マンスリー』に「人間ラフカディオ・ハーン」という追悼文を寄せております。ハーンをよく理解した友人として、作家としてのハーンの一面を生き生きと描写したすばらしい名文といわれるものです。その一節を紹介します。
「ハーンは夜が遅いにもかかわらず、早起きだった。気が乗ると午前２時、３時まで書き続けた。初めて彼の家に泊まった晩に見たものは私の記憶に焼きついて、生涯忘れることがないであろう。私も夜は遅い方であったから、その晩も寝床で本を読んでいた。時計は午前１時を打ったが、ハーンの書斎にはまだ灯りがともっていた。低い、かすれた咳のような音がした。わが友が病気なのではないかと私は心配になった。それで自分の部屋から抜け出て彼の書斎に行ってみた。しかし執筆中には邪魔はしたくないと思い、用心深く少しだけ戸を開けて覗き込んだ。友は例の高い机に向かい、鼻をほとんど紙にくっつけんばかりにして、一心不乱にペンを走らせているところであった。一枚一枚と書き続けてゆく。しばらくして彼はふと顔を上げた。その時私は何を見たであろう。それはいつもの見慣れたハーンではなかった。全くの別人であった。顔がふしぎなほどに白かった。大きな眼がきらきら光った。何かこの世ならぬものと通じ合っている人のように見えた。」
ミッチェル・マクドナルド
ハーンが来日した時、エリザベス・ビスランドの紹介状をもって横浜海軍病院勤務のマクドナルドを訪問して以来の友人です。ハーンが帝国大学講師となって上京してからは，東京と横浜とをお互いに行き来し信頼関係を深めていきました。マクドナルドは雨森とも親しく、二人はハーン一家と一緒に海水浴に行き、皆で楽しく一日を過ごしたこともありました。ハーンは子供のように喜んで、得意の泳ぎを披露したそうです。
ハーンの没後は、小泉家の遺産管理人として遺族を支えました。ハーンの帝大講義録も彼の尽力で出版が実現しました。１９２０年横浜グランドホテルの社長に就任。生涯を独身で通したマクドナルドは、ハーンの長男・一雄を我が子のように可愛がりました。
ハーンを支え、ハーンを慕い、ハーンが心を許した友人たちをとおしてみると、ハーンがいかに魅力的な人物であったかということに改めて気付かされます。
2006年04月22日
アイルランドとアメリカ
熊本アイルランド協会会長・祟城大学副学長 中島最吉
はじめに
今日は｢アイルランドとアメリカ｣ということで、｢風と共に去りぬ｣の原作と映画にアイルランドがどういう形で絡んでくるかと、スタインベックの「エデンの東」でアイルランドのケルト的な影響が、作品の中にどのように出ているかをお話します。
まず最初に、タラという土地について、「古くからケルト民族の間で、最も神聖な地とされてきた。ことに３世紀最初のハイキング（部族の上にたつ王様）・コーマックが全島の首都と定めたことで有名。７世紀半ばまでこの丘は、政治・宗教・文化の中心であった。タラとは諸王の聖所の意味である」と『アイルランド概説』（アイルランド政府観光庁発行）にあります。『風と共に去りぬ』の大農園があるところがタラです。映画でもタラというのが何回も出てきます。最後は主人公のスカーレット・オハラガが二人の男性との恋に破れて、「明日はタラに帰って考えよう。明日は明日の日が昇るではないか」という所で小説は終っています。全編“プランテーション・タラ”というのが住まいのあるところで、それを南北戦争の始まる年から終ったあとの年まで。年数で言うと、1861年の４月が小説の最初にでてきて、そして65年に4年間かけて終りますが、そのあとの66年のあたりまで描いたのが小説です。小説は1000ページにいたる大作です。
私が最初にタラというのに惹かれたのは、熊大と学園大学とアメリカの交流を結んでおります所からタラという女の子が来ました。ほかを調べてみると、タラという名の女の子の名前はかなりあるようです。まず『風と共に去りぬ』の大農園のある場所がタラということを申しあげます。著者マーガレット・ミッチェルのことを最初に少し申します。
『風と共に去りぬ』
ちょうど20世紀に入った1900（明治33）年生れで、49歳で亡くなっております。父親はジョージア州というずっと南の方のアトランタで弁護士をしていました。25歳の時に結婚、その翌年に足に大怪我をして、あまり出歩かれなくなったのでずっとうちに引きこもり10年かけて書いた小説が「風と共に去りぬ」で、あとは書いておりません。この１冊だけですがべらぼうに売れたのです。出版されたのが1936年、スペインの内乱が始まった年です。20年代の後半から、アメリカは非常に左翼文学が盛んな時代です。一番世の中で目立ったのが自動車の生産と映画です。映画は20年代後半から30年代が全盛期でした。29年末の大恐慌があるのに、どうして盛んだったかと言いますと、もの珍しさと映画でも見ないとやりきれないからだそうです。その30年代の最後の1939年に映画が出来ております。先祖はアイルランド出身のマーガレット・ミッチェルは最初は医学をやろうとスミス・カレッジに入りますが、すぐに母親が亡くなり大学を辞めて地元のアトランタに帰ります。そして、「アトランティック・マンスリー」という雑誌社にずっと勤めます。その時同僚スタッフの中に、アスキン・コールドウェルという作家がいて小説を書く心境になったそうです。
小説の前にちょっと申し上げますと、映画の方は皆さんご存知のように、クラーク・ゲイブルとヴィヴィアン・リーがでまして、製作はデービッド・G・セルズニック、監督はビクター・フレミングで、アカデミー賞を全部とりました。アカデミー作品賞、監督賞、主演女優賞、もちろんヴィヴィアン・リーですが、助演女優賞はハティ・マクダニエル、脚色賞、脚本賞、美術賞、編集賞、色彩撮影賞、つまりテクニカラーの始まりですから、特に色彩撮影賞がありました。それに製作賞、特別賞ということで製作企画に対しても賞をもらっています。制作費はその当時600万ドルであったということです。
映画のほうは簡単に言いますと、スカーレットという女性は、アシュレーという男を 愛していますが、彼は従姉妹のメラニーという女性と結婚します。それで勝気なスカーレットはメラニーの兄と結婚しますが、彼は戦死してしまいます。妹のフィアンセと 結婚しますが、彼も亡くなってしまいます。そして南北戦争の最中ですから、その中をたくましく生きていく野性的な男としてレッド・バトラーというのが出てきます。ご記憶にあると思いますがクラーク・ゲイブルです。バトラーの強引なやり方と言ってもいい愛情にひきずられて結婚しますが、結局最初のアシュレーへの思いが断ち切れないままにバトラーとの結婚生活もうまくいきません。破綻してバトラーが去っていくというところで、小説は終ります。この自分の家をモデルにしたと思いますが、新潮文庫の訳で一番最初の書き出しのところをご紹介します。
「スカーレット・オハラは美人というのではなかったが、双子のカールトン兄弟がそうだったように、ひとたび彼女の魅力に捕らえられると、そんなことは気にするものはほとんどいなかった。その顔には（ここからが彼女の出生を書いてあります）フランス系の 貴族の出である母親の優雅な顔立ちとアイルランド人である父親の赤ら顔の肉の厚い線とが目立ちすぎるほど入り混じっていた。」という文章で小説は始まっています。明らかに父親はアイルランド出身であり、農園の名前もタラと付けていることがわかります。それから10数ページたった所にこういう記述が出てきます。父親のことですが。「彼はアメリカに移住してからすでに39年にもなるのに、言葉はまだ生まれ故郷のアイルランドの訛りが強く残っていた」というふうにはっきり父親の出がアイルランドで、39年前に移住してきたことが書いてあります。
何でこの小説が人気を取ったか。南北戦争は長くて大変なもので、最初はリー将軍が率いる南軍の方が優勢です。最初の１年ちょっとの間は、殆どの戦いで勝利し、グラント将軍率いる北軍を圧倒します。そのあとどんどん押し返され、最後に両将軍が手を打って南軍の方は敗戦を認めるというかたちになります。この小説に北と南という構図がいっぱい出てきます。バトラーが自分の子供を北部の人間とは絶対結婚させないとか言ったり、色々なところで北と南という意識があります。
南北戦争
ちょっと中断して申しあげたいのは、アメリカの歴史を考える時に歴史で教わったのは、1620年にメイフラワー号でニューイングランドに移民がやってきたということを強く教わります。その10数年前にイギリスから南部の方に移民したという話はあまり出ておりません。それを頭の中に入れておかないと南北戦争はわからないと思います。こちらは政府の出先機関です。新大陸に政府の出先機関、要するに植民地化するための出先として政府の関係者が移民して来ました。お役人がちゃんと引率して希望者を連れてきたわけです。だからバージニア州のいま海に沈んでおります海岸の町に、当時のジェームズ１世の名前をとってジェームズタウンという名をつけます。私は行ってみましたがどこにありません。侵食の関係で海の中になっています。海岸から何マイルか離れた所になってしまっており、そこにこの名前をとって街づくりをしました。そこの人たちは政府の役人の代表を頼っていろんな人が入ってくる。そうするとその人たちはロンドンのことばかり気にして、いつロンドンに帰れるだろうかとか、ロンドンの雑誌をとったり、ロンドンのファッションはどうだろうと奥さんたちは考えているような町でありました。それが今のバージニア州のリッチモンドは首都ですけれども、その海側のところに拠点がある。それがドンドン、ドンドン南下していって、奴隷を使って大農園を作り上げていったというのが南部の成り立ちです。
北の方に来た人たちは、ヨーロッパの各地から来た人はちろんアイルランドからもたくさん行きましたが、きっかけは自分のいるところで貧乏な暮らしをするよりは少々危険はあっても新大陸でチャレンジをしようというのが大きな原因でした。それともう一つは、国王がローマカトリック教会と縁を切って英国国教会というものをつくりました。これはカトリックでなく、カンタベリー僧正が宗教家の一番上で、その上に国王がいるという形です。そんなに勝手に宗教を変えられてたまるかという、特にアイルランドなんかはそういう気持ちが強かったと思います。それと貧乏のためにどんどんアメリカに渡って行った訳です。それが要するにメイフラワー号です。メイフラワー号で行った人たちは、まず貧乏だということがあるわけです。それから反政府です、元々北の方に反政府派の人たちがいて、南の方に政府派の人たちがいたということを頭に入れていただきます。これが１７世紀の前半です。大雑把なことを言いますと、18世紀の後半にアメリカが独立宣言をします。まだ本当に独立したとはいえませんが独立宣言をします。それも東の方の１３州だけで独立宣言したわけですから、中西部から西の方は全然関係ないわけです。それがドンドンふえていきます。一時はボストンあたりの周辺ニューイングランドあたりは人が溢れるほどいるわけです。年表を見ていただきますとわかりますが、1845年〜49年大飢饉、じゃがいも飢饉といいますが。この49年頃にカリフォルニアで金鉱が見つかった、金がとれるといううわさが流れます。西部劇によくでてきますが、フライパン一つ持って川にいって砂を掬いますとキラキラしたのが砂金です。それを袋に入れて銀行に売りにいったりする光景が出てきます。そういう噂が流れて、ある程度事実だったわけですが、それで東側に残っていた移民の塊がワーッと西へ行くのです。誰でも金がとれる、これがジョン・ウェインの映画でお馴染みの『駅馬車』の幌馬車隊でした。とにかく食うや食わずの生活をするよりと西へむかったわけです。それが49年ですから、飢饉の年限は51年までといったりする人がおりますが、これでいっぱい移民したわけです。アイルランドだけでどれ位の人たちが行ったかと言いますと普通大体100万人前後ではないかと言われ、最低でも80万人はアメリカに行っていると言われています。それだけの東部にいた人が、砂金がとれるというのでワーッと西へ行きました。それでその頃南の方もドンドンふくらんできて、大農園制度の奴隷を使った農業が北の方にふくらんで行きます。それと西の方へ土地の危険を顧みず行く人たちが、接触せざるをえません。それが南北戦争と考えたら分かりやすいと思います。だから奴隷解放というのは喧嘩の口実でして、南部の方はそれに対して南部連盟を作ります。北の方も同じ人間を奴隷にするのはけしからんと声高らかに言いますが、北の方の人の中にも実際には奴隷を使っていたような事実が、当時はあったと思います。それでどこが境だったかと言うと、ミシシッピ川から分かれて流れているオハイオ川あたりです。オハイオ川を北へ越えると奴隷が逃げても助かる。オハイオ川の手前で捕まると殴り殺されるというふうに当時は言っていました。その頃の状況を書いたのが『アンクルトムズの小屋』という有名な小説です。
南北戦争というのが政府側と反政府側の二つのグループによって起きました。北の方は貧乏ですから勉強を一生懸命するわけです。ですから産業革命で新しい工業は北で発達します。古い大学も全部北にあります。ハーバードにしても北の方にあります。一所懸命勉強して、新しい科学技術を発達させました。もし、南北戦争で南の方が勝っていたらどうなるだろうということですが、恐らく国が分裂していたと私は思います。別の国になっていたのじゃないか。北の方が南の方に追従して、服従して大農園式の農業をやるとは考えられません。どうしても二つになったという気がします。そういうことで南北戦争は、1861年から65年まで続き、65年に調停して終りました。
『風と共に去りぬ』という小説を、かなり忠実に引き抜いて映画にしたわけです。この中には南北戦争の状況を細かに書いていったと、そしてそれに伴ってジョージア州のアトランタやそのほかの町がどんな風に荒廃していったか、それから黒人奴隷が解放されるといっても何していいかわからないのです。戸惑ってうろうろしているばかりで犯罪ははびこるなど、どうしょうもない状況を克明に書いていったわけです。その中のもう一つの大きな筋立てがスカーレット・オハラを中心とした彼女をとりまく男性群ということで、小説の最後はレッド・バトラーが彼女の元を去っていくという所で終わります。
そのほかのいくらか言葉を拾ってみたいと思いますが、本当の終わりの方に、レッド・バトラーがいわゆる別れようと言い出す場面の所を拾い読みしてみます。スカーレットが｢あんたどこへいくつもりなの｣というふうに聞きます。そうするとバトラーが「そうだね、イギリスか、もしかすると故郷の連中と仲直りする為にチャールストンへ行くかもしれない」といいます。するとスカーレットが「だってあなたはチャールストンの人たちをひどく嫌っていたじゃありませんか。あなたはあの人たちを馬鹿にしていたでしょう」と言います。バトラーが「今だって馬鹿にしている。だが俺もこの辺で放浪生活を卒業したいと思うんだよ、スカーレット。 お前も俺も45だ、45 といえば若い頃は馬鹿にして気にもしなかった親戚づきあいをしたり、名誉を求めたり一身の安全を図ったり、しっかりと深いところに根を下ろしたものを尊重する年ごろである」と言うんです。しかし、スカーレットは分かりません。するとバトラーが「あんたも45くらいになると分かるようになるよ」というんです。バトラーがしばらくして、「俺の言う意味がわかったね」と言いますと、スカーレットは「分かっているのは、あんたが私を愛していないということとどこかへいってしまうことだけですわ。あなたが行ってしまったら私はいったいどうしたらいいの」というやりとりをして、別れるときの最後にバトラーは「でもね、俺は決してお前を恨んではいないからな」といって姿を消すのが、この二人の最後の場面と言うことになっています。本当にバトラーというのは映画でもそうでしたが、クラーク・ゲイブルの脂ぎった感じの顔で、日本でいうなら戦後の闇商売から何でもやるような男です。金儲けをやってその戦後のどさくさの中を生き抜いていくという形にしてやってきたわけでが、最後はそういう場面になっています。
アメリカ南部
先ほどいいましように、非常にスカーレットは楽観的だしそれくらいでは簡単にあきらめません。バトラーを本当は愛していたではないかということに気が付きますが、もう一度どんなことをしてでも、レッドを取り戻してみせる。どういうふうにして取り戻すかは、タラの丘に行って明日ゆっくり考える。明日は明日の陽が照るではないかというのが最後の台詞になっているわけです。これでどの程度彼女が自分の出生のことと絡ませてやったかと思いますが、少なくともオハラ家というのはあきらかに名前からもアイルランドの名前です。恐らくそういうのが南部の農園主の中にはいたんだろうと思います。後でスタインベックの話をしますけれども、スタインベックの母親のハミルトンも最初は南部に行っています。そして父親の方のスタインベックはドイツ系で、北ライン地方の出ですが、ここも移民してきて南北戦争の時は南軍に入っています。スタインベックのおじいさんになりますか、曽祖父になりますか。ですから先ほどいいましたように、だいたい北の方が多いのですが政府系の南部に行っています。それは17世紀の初頭のことでありまして、いろんな人が南部にも入り込んでいて、大成功している人もいます。アメリカは寄せ集めの民族ですから、分析することは難しいと思います。
南部のことでちょっと脱線しますけれど、プワーホワイトもいるわけです。アパラチア山脈の山の中なんかに住んでおりまして、非常に極貧の状態で生活しています。私も一度ずっと昔ＮＨＫで様子を写したのを見ましたが、これは黒人の奴隷よりも馬鹿にされる存在でして、フォークナーの小説なんかにでてきます。南部というのは非常に複雑です。
ミシシッピ川の下流の方、ラフカディオ・ハーンがいたような場所は、フランス語とスペイン語と英語と混じったような独特のクレオール語を話す人たちがいるなど南部は複雑なところです。この舞台になるジョージア州というのはフロリダ州の北側にあり、更に北がサウスカロライナ州です。もちろん首都はアトランタですが、この『風と共に去りぬ』の舞台になったのはもうちょっと北の方になっております。
ジョン・スタインベック
前後わけの分からないような話をしておりますが、スタインベックのことを少し申しあげて見たいと思います。スタインベックは1962年にノーベル賞を貰いました。このときに一番ビックリしたのは賞をもらった本人でして、本人が信じられないといったといいます。受賞演説の時には適当に言っていますが、いろんなインタビューに本人がそう答えています。どういう出生かと言いますと、おじいさんは北ライン地方の出でです。南北戦争では南軍に参加し、戦争が終わって10年経った1874年にカリフォルニアの方に移っております。お父さんは更にサリナスという所に移り、亡くなるちょっと前まで11年間郡の収入役をしていました。今その頃の生家が残っています。サリナスと言うのは、サンフランシスコとロサンゼルスの三等分しまして三分の一くらいサンフランシスコよりのところで、モントレーに近いところです。モントレーは漁業が盛んで昔は缶詰工場とか何とか海産物関係で栄えた所です。それでスタインベックにも「缶詰横町」という作品もあります。そこでスタインベックは生まれまして、母親の先祖は北アイルランド出身のアイルランド人です。この人はちょうど南北戦争が終ってからすぐ位にアメリカに渡って、近くのサンノゼやキングシティに住んだりして農業をしていました。このお母さんというのは、４箇所か５箇所で小学校の先生をしておられたと思います。スタインベックが生まれましたのは、マーガレット・ミッチェルの2年後、1902年ですが亡くなったのは68年です。非常にお母さんの影響が強くて、子供の頃からアーサー王伝説を読んだり、恐らくアイルランド関係の本とバイブルを相当読んだと思います。
ところが、1934年にお母さんが亡くなります。その数年前に30年の頃に20代の後半にキャロル・ヘミングという人と結婚します。この人がどうもお母さんそっくりだったみたいです。しかし1942年に離婚します。何故離婚したかと言いますと、惑わされたからと思います。彼が少し名前も出てきてハリウッドに出入りするようになります。ハリウッドは派手ですから、ハリウッドの女優さんじゃないですけどもグイン・バードンという女性がいて、離婚して1年後の43年にその人と一緒になります。私はアメリカに行った時に、そのバードンさんが最初の奥さんと離婚する時に３人で話し合った時のことを記録してある本をみつけて丹念に読みました。一番面白かったのはスタインベック がなかなかずるい男で、離婚話をする時に当事者が集まって話そうということを言ったそうです。自分も入れてキャロル・ヘミングと３人会いました。しばらく坐っていたら、関係者が話し合うのが一番効果的だと思うので「俺は庭を散歩してくる」と言ったそうです。 そうしたらそのときに最初の奥さんが言うのには、「今のことでもわかるように、あの人はたいへん無責任な人だから、いつかは今の私の立場にあなたはきっとなると思うよ」というふうに言ったということを、２番目の奥さんがちゃんと書いて、その通りになり、５年後には別れています。そして３番目の奥さんはエレーヌ・スコットといいまして頭のいい女優さんです。
黄金の杯
私がスタインベックについてどういうことを申し上げたいかと言いますと、この人の最初の本が出たのは1929年です。大恐慌の寸前に出版されて全然売れませんでしたが、 「黄金の杯」という本です。これはパナマ運河のパナマのことを金の杯と言っているのです。これはあのあたりで大航海時代の後に、あそこには宝がいっぱいあるとか天下の美女がいるとか言うようなうわさがあり、海賊たちの憧れの地であったらしいのです。この小説の主人公は、ヘンリー・モーガンという海賊です。カリブ海を荒らしまわって、最後にはパナマを手に入れるという筋書きです。このヘンリーの出生がウェールズということになっております。15歳の少年がウェールズで、カリブ海の方に行って帰ってきた人の話をききながら、自分も外に出たいという風に思っているところから始まっています。そこに出てくるマービンという詩人というか占い師といいますか、何かたいへん変な人物がでてきます。その出だしのあたりがどうみてもこれはウェールズでなくても良かったと思うくらい、スコットランドのはずれでもアイルランドでも良かったと思うようにケルト的なムードを漂わせて始まります。そしてマービンは、親が引きとめて欲しいと思いますから、エリザベスという女の子が好きだということでエリザベスのところに行けよと言うのです。行きますけれども口笛を吹いて合図をしますがエリザベスは出てきません、そのままそこを去って船に乗って、最初は奴隷のような仕事をしながら海賊に成り上がっていくわけです。一番最後の彼が亡くなる前に、夢か現実か分からないようにしてエリザベスが現われるという非常に甘っちょろい小説です。最初の出だしのところの様子が非常にケルト的です。
『知らざれる神に』
それからその次に『知られざる神に』というのを33年に出しておりますが、書いたのは「黄金の杯」の後だと思います。これはスタインベック全集にもありますから、大変へんてこな小説でありますが、是非チャンスがありましたら読んでいただきたいと思います。これもやはり先ほど言いましたモントレー、サリナスの近くの西部の農場の話です。東部から来た人がそこに農場を作ります。アメリカにはホーム・ステッド・アクトという自営法があります。アメリカは広いですから最初ドンドン広がっていく時に、法律が出来たのは南北戦争の後の62年だと思います。160エーカーまで自分の力で耕した所は自分の土地にしていいという法律。ドンドン西の方に行って、自営農法みたいなのに基づいて、東部から来た人には西の方に160エーカーを農場を作るわけです。その頃はもう土地はなかったはずですが、どうしてそういう土地があったかといいますと、土地の人の話によると４年おきか５年おきくらいに大干ばつがやってきます。その時は何にもとれないので、全部そこを手放してよそに移っていった土地が残っていたということです。そこに大きな樫の木がありました。そこにジョーゼフという主人公が住んで、父親の霊が宿っているという風に考えてその木の下に家を作るわけです。父の霊が宿っているということを本当に信じていますが、そこの農場に水を運んでくれる流れは、山の中の林の中に大きな岩からであります。その岩のもとから清水が流れ出しているということになっています。その場所を非常に大事にしているわけですが、色々ないきさつはありますけれども数年経って遂に干ばつがやってきます。そうすると何回もそこに行ってみますが、この奥さんの名前はエリザベスだったと思いますが、そこの岩を見に行って岩に登って奥さんが足を滑らして死んでしまうのです。それもちょっと唐突で因縁めいた話ですが、その後いよいよ雨が降らなくて雨乞いの祈りをしたりしますけれども、また本人が岩のところにやってきます。色々やってみるけれども元になるところが本当に枯れかかっているのです。そして、岩に登り自分の手首を切り雨乞いのため自分の血を岩に垂らします。だんだん意識が朦朧としてくると雨が降り出し、雨の音を聞きながら死んでいくという結末です。ひと口には言えませんが、少なくとも普通のアメリカで書かれる小説とはムードが違います。
『ツラレシート』
次に32年に出る『天の牧場』といいますかそういう名で、短編が10個くらい入った本で、これは売れました。先ほどの３冊の中で一番売れて、一息ついたような感じです。これも奇妙な話で、場所はそこら辺の場所が舞台です。マンローという家があり、そのマンロー家が絡むようにして色々な話を10個並べているわけですが、そこの中に４番目の話に「ツラレシート」という話があります。作者は「小さなカエル」ということを意味するスペイン語だと書いております。スペイン語の辞書をどんなに調べてもそういうのはでてきません。絵空事かもしれませんが、小さなかえるとあだ名で呼ばれる子供、11歳の少年についての話です。これが一番アイルランド的といいますか、ケルト的といいますか、普通の人間の子供とは全然違いまして、捨て子だったんです。パンチョという農園の下僕みたいなのがおりますが、これが仕事をして楽しみはお休みのときに給料をためてモントレーの町に出て行って、お酒を飲んで酔っ払って馬車で帰ってくる。馬の方が道を覚えていますから帰りは馬車に乗って寝てるとちゃんと農場までつれて帰ってくるという生活をしています。そのパンチョがある朝、眠らないで大声を出して帰ってくるのです。まずモントレーの町に酒飲みに行き、朝帰って来るときに目を覚ましているということにみんなビックリする。それから大声でわめいているので何事だと言いますと、今来る途中で、3ヶ月くらいの子供が捨ててあった。それが見た目になんとも人間の子供と思われないのでビックリして、助けてくれといって帰ってくるのです。その3ヶ月くらいの赤ん坊が、拾おうとしたら「俺には鋭い歯が生えているぞ」と言ったので、ビックリ仰天してゴメスという主人に話します。主人が行ってみますと、ちゃんと馬車の中に赤ん坊がいて、その時は全然何も言いません。でも形は普通の子供と違って、異様な感じのする子供ですが、それを親切な人が育てるわけです。5歳くらいになったときは、知能は遅れているけど力仕事はなんでもやる。動物なんかは大人がてこずるような馬だって彼が行って言うとおとなしくなる。植物なんかも接木をしようとすると他の人ができないのに彼にやらせるとチャンとつがってしまうというわけです。学校は行っても仕様がないからとやりませんが、郡の教育委員会の方で必ず学校にやらないといけないと言うことで11歳になったときに強引に学校に連れて行かされるわけです。ですけれどもすぐ帰ってきてしまう。勉強は全然覚える気がないわけですけれども、本人は彫刻をしたり絵を描いたりが大得意でして、マーチン先生というかなり年配の女の先生が「これはやっぱり好きことをやらせないといけない」、学校にこらせるために、何回も本人に言ってきかせるわけです。それで「あなたは素晴らしい才能をもっている。これは神様からいただいた大切な才能だから大事にしなさい」ということを繰り返して聞かせる。そしてある時に、黒板に絵を描いてみようということで描かせる。そうすると黒板いっぱいに見事な動物の絵を描くわけです。ところが他の子供にも授業をしないといけないので「あなたが絵を描いたから今から算数の授業をするから」と先生が言って、黒板を消しにかかったら獣みたいにつかみかかってきて、クラス全体と女の年配の先生を相手に、大騒動になるわけです。最後は先生も他の生徒も一緒に教室から逃げ出してしまうということで、先生は頭に来て、農場主のゴメス所につれていってこういうことがありましたと二度としないように鞭打ちをやってくださいと言うのです。農園主の方は「それは先生が悪い。本人に描けといって描かせて消すのは本人が怒るのは当然ではないですか」といったりするのです。鞭打ちをやれといわれればやりますということで本人は縛られて鞭打つのですが、鞭で打たれながらニヤニヤして眺めている。怒りもしなければ泣きもしないというようなことを書いている。鞭打ったって同じでしょうと先生に言うのですが、先生は嫌になって学校をやめてしまう。その次にどうも母親をモデルにしたのではないかという若くて頭が良くて美人の先生が来るわけです。その先生は絵を描かせるのに黒板を仕切って、ここまで描いてよろしいということで絵を描かせます。この先生はお話を読んで聞かせるのが得意で、その頃の小学校というのは何年担任ということではなく全部一緒ですから、低学年から高学年まで、若いものいるし、かなり年とっとったものもいて、色んな本を読んだということが書いてあります。イギリスのスコットの小説とかアメリカのジャック・ロンドンの小説とかいうのを読むと書いてあります。ところがあまり大人っぽい小説ばかりじゃいけないと、ある時低学年のためにいわゆる童話みたいなものを読んであげるのです。そうすると絵を描いておったツラレシート絵を描くのをやめて一生懸命聞くのです。先生は喜んで、こういうところもあったかということでそういう話もずっとしてあげます。一番熱心に聞くのはツラレシートです。その人たちはどこにいるのですかというように。そして自分はどうも童話の中に出てくる妖精とか何とかと親戚だと思うようになるのです。自分の一族は全部地面の下に人間から目につかないところに住んで、地面の下はヒヤヒヤとして涼しくて、そういうところに自分の一族は居るはずだということで、山の中を歩き回ったりするようになります。先生が学校から帰っているとついてくるのです。先生は気持ちが悪いから何でついて来るのかと聞くと「いや僕は親戚を探しに行くんだ」と。先生も口を合わせて「なかなか見つからんと思うよ。見つかったら先生に教えてね」と。必ず見つけるのだと言い、先生の帰り道でそういう話をして別れます。本人は、誰にも親戚探しをする。これは確か英語ではGNOME(ノーム)という名前を使ってたいと思いまが、訳では地の精と書いてあります。地の精の一族だと思うようになりずっと探し回ります。そのとき先生が「昼間は出てこないのじゃないか」と言いますから、夜中に探し回るようになります。そして大きな農園で、柔らかく肥料をやったりして耕してある所に行って、ここに穴を掘れば一族と会えるかも知れないということで、朝までかかって大きな穴を掘ります。「誰かいないか」と言いますが返事がないので、くたびれて自分は別の所に寝てしまいます。そこへ農場主が来て、コヨーテを捕まえる罠を作っていて、わなが無くなって大きな穴が空いているから、誰か悪戯したのだろうと思って埋め戻します。そうするとまたあくる日、自分が掘った穴が埋めてありますから、自分の一族が埋めたのだと思い、必ずここにいるとまた掘るのです。掘っても出てくるはずはないのでよそに行って寝ていますと、農園主が来てかんかんに怒って、埋めかかります。そうするとツラレシートがそれをみて、穴掘りのショベルで後ろから農園主をなぐりつけて、殺しはしませんけど倒します。それでそこの子供が見つけて大騒ぎになり、ツラレシートがやったということが分かってしまいます。教育委員会はその農園主のゴメスにも話して、要するに囚人用の精神病院に送らざるをえなかったという所で話が終っています。
ツラレシートが自分の一族は必ず地中にいて、穴を掘ればいつか会えると思っていく。妖精の話を聞くと一生懸命に聞く。ずっとその話を読んでいますと、普通にアメリカの人が書く話ではないなという気がして、作品の出来・不出来は論外としまして、どうしてもスタインベックが小さいときに母親から聞かされたような話とか、若い頃に読んだアーサー王伝説とかそういうものの影響が出てきて、そういうものを書きたくなるのかなと思います。ただこれを読んでいただきますと全体的には非常にバランスのとれたいい作品だと思います。
特に西部のあのあたりには、パイサノと言う人たちがおりまして、スペイン人とインディアンと混じったような特別な人たちがおり、そういうのを主人公に特に好んで書いています。スタインベックのいろいろ書いた小説の中で一つの特徴は、知能が低くて勉強は出来ない。しかし色々なことがいっぱいできないが力持ちで性格は素直で、言われたことは何でも一生懸命するというようなタイプの人がいくつもでてきます。一番有名なのは映画にもなった『二十日鼠と男たち』の中に出てくるレニーという大男です。非常に知能は低いが、ちょっと力を入れただけで握りつぶしてしまうような大力のを持った男です。
私はスタインベックの中に、人間としての知能は低く動物に近いような存在だけれども、そういうものに対して作者がすごく興味があったのではないかという気がします。その後『怒りの葡萄』とか『エデンの東』とか写実的な作品を書いたりして、評価の高いものがあります。一番いいのは結論的評価が高いのは短編集ですが『赤い子馬』というのがあります。これが一番評価されていると思います。アメリカで高校なんかの教科書によく使われているということです。
『われらが不満の冬』
亡くなる前の61年に書きました『われらが不満の冬』という最後の小説があります。
『われらが不満の冬』と言うのは何かと言いますと、シェークスピアの『リチャード３世』の中に出てくる言葉です。我々のいわゆる冬の時代、こういう苛められてよくなかった時代が、新しい太陽(SUN)ですけれども（これは息子SONとかけてある）新しい世界の夜が明け来るのだと言う台詞が『リチャード３世』の中で出てきます。これは56年に書いた銀行強盗の話を拡げたといわれますが、不出来の作です。しかし、この中に小さな飲食店をやっている主人公がいて先祖は移ってきたときは立派な人でしたけれども今は恵まれない暮らしをしています。アレンとヘレンという男女二人の子供がおり、作文コンクールに息子アレンが投稿し一席になるのです。お祝いをしようと言っていますと、報道関係が来て一席になった懸賞作文は全部剽窃であるということがわかったと問題になります。どうもインチキだといったのは、妹のヘレンみたいだとほのめかしてあります。最後に銀行強盗をやったりしますけれども、俺はダメだということで自殺をしようと思って海際の洞窟みたいなところに剃刀の刃をもって行くのです。そして、波が押し寄せてくる中でいろいろ考えていますと、この彼のうちに、変てこな魔よけの石があり、それらをたいへん大事にしているのです。彼はいろいろ考えながら、俺の明かりは消えたんだと言いながら、最後に思い直します。俺にはもうひとつ仕事がある。娘の方のヘレンに、この魔よけの石を渡さなければならない。どうしてかというと、ヘレンにはまだ明かりがあるからというようなことを考えて自殺を取りやめる所で終っています。洞窟の中にいると気持ちがいいとか気分が収まるとか、魔よけの石自体いまどき大事にされるなんて考えられませんが、最初の３作くらいと最後の１作だけが、どうしてもケルト的な妖精の話とか、そういうものに関わっているような気がしてなりません。
最後に
本当はもう少しいろいろ分析をしてお話をした方がいいと思いますが、あまりに横文字を出してもいけないと思いますし、評論家の名前を出すのもそぐわないと思いますからたいへん大雑把な話になりました。『風と共に去りぬ』はご存知だと思いますし、スタインベックもご存知だと思いますから、そういう二人の作家とも先祖にはアイルランドの血が入っている、そういう作家がアメリカには非常に多いということです。アメリカ文学をみても、例えばラテン系の血を引いた作家が盛んだったり、ユダヤ系統の作家が盛んにもてはやされた時期もあります。今アイルランド政府は第２公用語は英語のようですが公用語としてゲール語、いわゆるケルト語を使っています。最近アメリカではケルト語で小説を書いた人がいるというようなことを聞きました。アメリカの文学だけじゃなくて風土の中にはケルトの血が入っていると思います。
ご静聴ありがとうございました。（文責：松村直寛）
はじめに
今日は｢アイルランドとアメリカ｣ということで、｢風と共に去りぬ｣の原作と映画にアイルランドがどういう形で絡んでくるかと、スタインベックの「エデンの東」でアイルランドのケルト的な影響が、作品の中にどのように出ているかをお話します。
まず最初に、タラという土地について、「古くからケルト民族の間で、最も神聖な地とされてきた。ことに３世紀最初のハイキング（部族の上にたつ王様）・コーマックが全島の首都と定めたことで有名。７世紀半ばまでこの丘は、政治・宗教・文化の中心であった。タラとは諸王の聖所の意味である」と『アイルランド概説』（アイルランド政府観光庁発行）にあります。『風と共に去りぬ』の大農園があるところがタラです。映画でもタラというのが何回も出てきます。最後は主人公のスカーレット・オハラガが二人の男性との恋に破れて、「明日はタラに帰って考えよう。明日は明日の日が昇るではないか」という所で小説は終っています。全編“プランテーション・タラ”というのが住まいのあるところで、それを南北戦争の始まる年から終ったあとの年まで。年数で言うと、1861年の４月が小説の最初にでてきて、そして65年に4年間かけて終りますが、そのあとの66年のあたりまで描いたのが小説です。小説は1000ページにいたる大作です。
私が最初にタラというのに惹かれたのは、熊大と学園大学とアメリカの交流を結んでおります所からタラという女の子が来ました。ほかを調べてみると、タラという名の女の子の名前はかなりあるようです。まず『風と共に去りぬ』の大農園のある場所がタラということを申しあげます。著者マーガレット・ミッチェルのことを最初に少し申します。
『風と共に去りぬ』
ちょうど20世紀に入った1900（明治33）年生れで、49歳で亡くなっております。父親はジョージア州というずっと南の方のアトランタで弁護士をしていました。25歳の時に結婚、その翌年に足に大怪我をして、あまり出歩かれなくなったのでずっとうちに引きこもり10年かけて書いた小説が「風と共に去りぬ」で、あとは書いておりません。この１冊だけですがべらぼうに売れたのです。出版されたのが1936年、スペインの内乱が始まった年です。20年代の後半から、アメリカは非常に左翼文学が盛んな時代です。一番世の中で目立ったのが自動車の生産と映画です。映画は20年代後半から30年代が全盛期でした。29年末の大恐慌があるのに、どうして盛んだったかと言いますと、もの珍しさと映画でも見ないとやりきれないからだそうです。その30年代の最後の1939年に映画が出来ております。先祖はアイルランド出身のマーガレット・ミッチェルは最初は医学をやろうとスミス・カレッジに入りますが、すぐに母親が亡くなり大学を辞めて地元のアトランタに帰ります。そして、「アトランティック・マンスリー」という雑誌社にずっと勤めます。その時同僚スタッフの中に、アスキン・コールドウェルという作家がいて小説を書く心境になったそうです。
小説の前にちょっと申し上げますと、映画の方は皆さんご存知のように、クラーク・ゲイブルとヴィヴィアン・リーがでまして、製作はデービッド・G・セルズニック、監督はビクター・フレミングで、アカデミー賞を全部とりました。アカデミー作品賞、監督賞、主演女優賞、もちろんヴィヴィアン・リーですが、助演女優賞はハティ・マクダニエル、脚色賞、脚本賞、美術賞、編集賞、色彩撮影賞、つまりテクニカラーの始まりですから、特に色彩撮影賞がありました。それに製作賞、特別賞ということで製作企画に対しても賞をもらっています。制作費はその当時600万ドルであったということです。
映画のほうは簡単に言いますと、スカーレットという女性は、アシュレーという男を 愛していますが、彼は従姉妹のメラニーという女性と結婚します。それで勝気なスカーレットはメラニーの兄と結婚しますが、彼は戦死してしまいます。妹のフィアンセと 結婚しますが、彼も亡くなってしまいます。そして南北戦争の最中ですから、その中をたくましく生きていく野性的な男としてレッド・バトラーというのが出てきます。ご記憶にあると思いますがクラーク・ゲイブルです。バトラーの強引なやり方と言ってもいい愛情にひきずられて結婚しますが、結局最初のアシュレーへの思いが断ち切れないままにバトラーとの結婚生活もうまくいきません。破綻してバトラーが去っていくというところで、小説は終ります。この自分の家をモデルにしたと思いますが、新潮文庫の訳で一番最初の書き出しのところをご紹介します。
「スカーレット・オハラは美人というのではなかったが、双子のカールトン兄弟がそうだったように、ひとたび彼女の魅力に捕らえられると、そんなことは気にするものはほとんどいなかった。その顔には（ここからが彼女の出生を書いてあります）フランス系の 貴族の出である母親の優雅な顔立ちとアイルランド人である父親の赤ら顔の肉の厚い線とが目立ちすぎるほど入り混じっていた。」という文章で小説は始まっています。明らかに父親はアイルランド出身であり、農園の名前もタラと付けていることがわかります。それから10数ページたった所にこういう記述が出てきます。父親のことですが。「彼はアメリカに移住してからすでに39年にもなるのに、言葉はまだ生まれ故郷のアイルランドの訛りが強く残っていた」というふうにはっきり父親の出がアイルランドで、39年前に移住してきたことが書いてあります。
何でこの小説が人気を取ったか。南北戦争は長くて大変なもので、最初はリー将軍が率いる南軍の方が優勢です。最初の１年ちょっとの間は、殆どの戦いで勝利し、グラント将軍率いる北軍を圧倒します。そのあとどんどん押し返され、最後に両将軍が手を打って南軍の方は敗戦を認めるというかたちになります。この小説に北と南という構図がいっぱい出てきます。バトラーが自分の子供を北部の人間とは絶対結婚させないとか言ったり、色々なところで北と南という意識があります。
南北戦争
ちょっと中断して申しあげたいのは、アメリカの歴史を考える時に歴史で教わったのは、1620年にメイフラワー号でニューイングランドに移民がやってきたということを強く教わります。その10数年前にイギリスから南部の方に移民したという話はあまり出ておりません。それを頭の中に入れておかないと南北戦争はわからないと思います。こちらは政府の出先機関です。新大陸に政府の出先機関、要するに植民地化するための出先として政府の関係者が移民して来ました。お役人がちゃんと引率して希望者を連れてきたわけです。だからバージニア州のいま海に沈んでおります海岸の町に、当時のジェームズ１世の名前をとってジェームズタウンという名をつけます。私は行ってみましたがどこにありません。侵食の関係で海の中になっています。海岸から何マイルか離れた所になってしまっており、そこにこの名前をとって街づくりをしました。そこの人たちは政府の役人の代表を頼っていろんな人が入ってくる。そうするとその人たちはロンドンのことばかり気にして、いつロンドンに帰れるだろうかとか、ロンドンの雑誌をとったり、ロンドンのファッションはどうだろうと奥さんたちは考えているような町でありました。それが今のバージニア州のリッチモンドは首都ですけれども、その海側のところに拠点がある。それがドンドン、ドンドン南下していって、奴隷を使って大農園を作り上げていったというのが南部の成り立ちです。
北の方に来た人たちは、ヨーロッパの各地から来た人はちろんアイルランドからもたくさん行きましたが、きっかけは自分のいるところで貧乏な暮らしをするよりは少々危険はあっても新大陸でチャレンジをしようというのが大きな原因でした。それともう一つは、国王がローマカトリック教会と縁を切って英国国教会というものをつくりました。これはカトリックでなく、カンタベリー僧正が宗教家の一番上で、その上に国王がいるという形です。そんなに勝手に宗教を変えられてたまるかという、特にアイルランドなんかはそういう気持ちが強かったと思います。それと貧乏のためにどんどんアメリカに渡って行った訳です。それが要するにメイフラワー号です。メイフラワー号で行った人たちは、まず貧乏だということがあるわけです。それから反政府です、元々北の方に反政府派の人たちがいて、南の方に政府派の人たちがいたということを頭に入れていただきます。これが１７世紀の前半です。大雑把なことを言いますと、18世紀の後半にアメリカが独立宣言をします。まだ本当に独立したとはいえませんが独立宣言をします。それも東の方の１３州だけで独立宣言したわけですから、中西部から西の方は全然関係ないわけです。それがドンドンふえていきます。一時はボストンあたりの周辺ニューイングランドあたりは人が溢れるほどいるわけです。年表を見ていただきますとわかりますが、1845年〜49年大飢饉、じゃがいも飢饉といいますが。この49年頃にカリフォルニアで金鉱が見つかった、金がとれるといううわさが流れます。西部劇によくでてきますが、フライパン一つ持って川にいって砂を掬いますとキラキラしたのが砂金です。それを袋に入れて銀行に売りにいったりする光景が出てきます。そういう噂が流れて、ある程度事実だったわけですが、それで東側に残っていた移民の塊がワーッと西へ行くのです。誰でも金がとれる、これがジョン・ウェインの映画でお馴染みの『駅馬車』の幌馬車隊でした。とにかく食うや食わずの生活をするよりと西へむかったわけです。それが49年ですから、飢饉の年限は51年までといったりする人がおりますが、これでいっぱい移民したわけです。アイルランドだけでどれ位の人たちが行ったかと言いますと普通大体100万人前後ではないかと言われ、最低でも80万人はアメリカに行っていると言われています。それだけの東部にいた人が、砂金がとれるというのでワーッと西へ行きました。それでその頃南の方もドンドンふくらんできて、大農園制度の奴隷を使った農業が北の方にふくらんで行きます。それと西の方へ土地の危険を顧みず行く人たちが、接触せざるをえません。それが南北戦争と考えたら分かりやすいと思います。だから奴隷解放というのは喧嘩の口実でして、南部の方はそれに対して南部連盟を作ります。北の方も同じ人間を奴隷にするのはけしからんと声高らかに言いますが、北の方の人の中にも実際には奴隷を使っていたような事実が、当時はあったと思います。それでどこが境だったかと言うと、ミシシッピ川から分かれて流れているオハイオ川あたりです。オハイオ川を北へ越えると奴隷が逃げても助かる。オハイオ川の手前で捕まると殴り殺されるというふうに当時は言っていました。その頃の状況を書いたのが『アンクルトムズの小屋』という有名な小説です。
南北戦争というのが政府側と反政府側の二つのグループによって起きました。北の方は貧乏ですから勉強を一生懸命するわけです。ですから産業革命で新しい工業は北で発達します。古い大学も全部北にあります。ハーバードにしても北の方にあります。一所懸命勉強して、新しい科学技術を発達させました。もし、南北戦争で南の方が勝っていたらどうなるだろうということですが、恐らく国が分裂していたと私は思います。別の国になっていたのじゃないか。北の方が南の方に追従して、服従して大農園式の農業をやるとは考えられません。どうしても二つになったという気がします。そういうことで南北戦争は、1861年から65年まで続き、65年に調停して終りました。
『風と共に去りぬ』という小説を、かなり忠実に引き抜いて映画にしたわけです。この中には南北戦争の状況を細かに書いていったと、そしてそれに伴ってジョージア州のアトランタやそのほかの町がどんな風に荒廃していったか、それから黒人奴隷が解放されるといっても何していいかわからないのです。戸惑ってうろうろしているばかりで犯罪ははびこるなど、どうしょうもない状況を克明に書いていったわけです。その中のもう一つの大きな筋立てがスカーレット・オハラを中心とした彼女をとりまく男性群ということで、小説の最後はレッド・バトラーが彼女の元を去っていくという所で終わります。
そのほかのいくらか言葉を拾ってみたいと思いますが、本当の終わりの方に、レッド・バトラーがいわゆる別れようと言い出す場面の所を拾い読みしてみます。スカーレットが｢あんたどこへいくつもりなの｣というふうに聞きます。そうするとバトラーが「そうだね、イギリスか、もしかすると故郷の連中と仲直りする為にチャールストンへ行くかもしれない」といいます。するとスカーレットが「だってあなたはチャールストンの人たちをひどく嫌っていたじゃありませんか。あなたはあの人たちを馬鹿にしていたでしょう」と言います。バトラーが「今だって馬鹿にしている。だが俺もこの辺で放浪生活を卒業したいと思うんだよ、スカーレット。 お前も俺も45だ、45 といえば若い頃は馬鹿にして気にもしなかった親戚づきあいをしたり、名誉を求めたり一身の安全を図ったり、しっかりと深いところに根を下ろしたものを尊重する年ごろである」と言うんです。しかし、スカーレットは分かりません。するとバトラーが「あんたも45くらいになると分かるようになるよ」というんです。バトラーがしばらくして、「俺の言う意味がわかったね」と言いますと、スカーレットは「分かっているのは、あんたが私を愛していないということとどこかへいってしまうことだけですわ。あなたが行ってしまったら私はいったいどうしたらいいの」というやりとりをして、別れるときの最後にバトラーは「でもね、俺は決してお前を恨んではいないからな」といって姿を消すのが、この二人の最後の場面と言うことになっています。本当にバトラーというのは映画でもそうでしたが、クラーク・ゲイブルの脂ぎった感じの顔で、日本でいうなら戦後の闇商売から何でもやるような男です。金儲けをやってその戦後のどさくさの中を生き抜いていくという形にしてやってきたわけでが、最後はそういう場面になっています。
アメリカ南部
先ほどいいましように、非常にスカーレットは楽観的だしそれくらいでは簡単にあきらめません。バトラーを本当は愛していたではないかということに気が付きますが、もう一度どんなことをしてでも、レッドを取り戻してみせる。どういうふうにして取り戻すかは、タラの丘に行って明日ゆっくり考える。明日は明日の陽が照るではないかというのが最後の台詞になっているわけです。これでどの程度彼女が自分の出生のことと絡ませてやったかと思いますが、少なくともオハラ家というのはあきらかに名前からもアイルランドの名前です。恐らくそういうのが南部の農園主の中にはいたんだろうと思います。後でスタインベックの話をしますけれども、スタインベックの母親のハミルトンも最初は南部に行っています。そして父親の方のスタインベックはドイツ系で、北ライン地方の出ですが、ここも移民してきて南北戦争の時は南軍に入っています。スタインベックのおじいさんになりますか、曽祖父になりますか。ですから先ほどいいましたように、だいたい北の方が多いのですが政府系の南部に行っています。それは17世紀の初頭のことでありまして、いろんな人が南部にも入り込んでいて、大成功している人もいます。アメリカは寄せ集めの民族ですから、分析することは難しいと思います。
南部のことでちょっと脱線しますけれど、プワーホワイトもいるわけです。アパラチア山脈の山の中なんかに住んでおりまして、非常に極貧の状態で生活しています。私も一度ずっと昔ＮＨＫで様子を写したのを見ましたが、これは黒人の奴隷よりも馬鹿にされる存在でして、フォークナーの小説なんかにでてきます。南部というのは非常に複雑です。
ミシシッピ川の下流の方、ラフカディオ・ハーンがいたような場所は、フランス語とスペイン語と英語と混じったような独特のクレオール語を話す人たちがいるなど南部は複雑なところです。この舞台になるジョージア州というのはフロリダ州の北側にあり、更に北がサウスカロライナ州です。もちろん首都はアトランタですが、この『風と共に去りぬ』の舞台になったのはもうちょっと北の方になっております。
ジョン・スタインベック
前後わけの分からないような話をしておりますが、スタインベックのことを少し申しあげて見たいと思います。スタインベックは1962年にノーベル賞を貰いました。このときに一番ビックリしたのは賞をもらった本人でして、本人が信じられないといったといいます。受賞演説の時には適当に言っていますが、いろんなインタビューに本人がそう答えています。どういう出生かと言いますと、おじいさんは北ライン地方の出でです。南北戦争では南軍に参加し、戦争が終わって10年経った1874年にカリフォルニアの方に移っております。お父さんは更にサリナスという所に移り、亡くなるちょっと前まで11年間郡の収入役をしていました。今その頃の生家が残っています。サリナスと言うのは、サンフランシスコとロサンゼルスの三等分しまして三分の一くらいサンフランシスコよりのところで、モントレーに近いところです。モントレーは漁業が盛んで昔は缶詰工場とか何とか海産物関係で栄えた所です。それでスタインベックにも「缶詰横町」という作品もあります。そこでスタインベックは生まれまして、母親の先祖は北アイルランド出身のアイルランド人です。この人はちょうど南北戦争が終ってからすぐ位にアメリカに渡って、近くのサンノゼやキングシティに住んだりして農業をしていました。このお母さんというのは、４箇所か５箇所で小学校の先生をしておられたと思います。スタインベックが生まれましたのは、マーガレット・ミッチェルの2年後、1902年ですが亡くなったのは68年です。非常にお母さんの影響が強くて、子供の頃からアーサー王伝説を読んだり、恐らくアイルランド関係の本とバイブルを相当読んだと思います。
ところが、1934年にお母さんが亡くなります。その数年前に30年の頃に20代の後半にキャロル・ヘミングという人と結婚します。この人がどうもお母さんそっくりだったみたいです。しかし1942年に離婚します。何故離婚したかと言いますと、惑わされたからと思います。彼が少し名前も出てきてハリウッドに出入りするようになります。ハリウッドは派手ですから、ハリウッドの女優さんじゃないですけどもグイン・バードンという女性がいて、離婚して1年後の43年にその人と一緒になります。私はアメリカに行った時に、そのバードンさんが最初の奥さんと離婚する時に３人で話し合った時のことを記録してある本をみつけて丹念に読みました。一番面白かったのはスタインベック がなかなかずるい男で、離婚話をする時に当事者が集まって話そうということを言ったそうです。自分も入れてキャロル・ヘミングと３人会いました。しばらく坐っていたら、関係者が話し合うのが一番効果的だと思うので「俺は庭を散歩してくる」と言ったそうです。 そうしたらそのときに最初の奥さんが言うのには、「今のことでもわかるように、あの人はたいへん無責任な人だから、いつかは今の私の立場にあなたはきっとなると思うよ」というふうに言ったということを、２番目の奥さんがちゃんと書いて、その通りになり、５年後には別れています。そして３番目の奥さんはエレーヌ・スコットといいまして頭のいい女優さんです。
黄金の杯
私がスタインベックについてどういうことを申し上げたいかと言いますと、この人の最初の本が出たのは1929年です。大恐慌の寸前に出版されて全然売れませんでしたが、 「黄金の杯」という本です。これはパナマ運河のパナマのことを金の杯と言っているのです。これはあのあたりで大航海時代の後に、あそこには宝がいっぱいあるとか天下の美女がいるとか言うようなうわさがあり、海賊たちの憧れの地であったらしいのです。この小説の主人公は、ヘンリー・モーガンという海賊です。カリブ海を荒らしまわって、最後にはパナマを手に入れるという筋書きです。このヘンリーの出生がウェールズということになっております。15歳の少年がウェールズで、カリブ海の方に行って帰ってきた人の話をききながら、自分も外に出たいという風に思っているところから始まっています。そこに出てくるマービンという詩人というか占い師といいますか、何かたいへん変な人物がでてきます。その出だしのあたりがどうみてもこれはウェールズでなくても良かったと思うくらい、スコットランドのはずれでもアイルランドでも良かったと思うようにケルト的なムードを漂わせて始まります。そしてマービンは、親が引きとめて欲しいと思いますから、エリザベスという女の子が好きだということでエリザベスのところに行けよと言うのです。行きますけれども口笛を吹いて合図をしますがエリザベスは出てきません、そのままそこを去って船に乗って、最初は奴隷のような仕事をしながら海賊に成り上がっていくわけです。一番最後の彼が亡くなる前に、夢か現実か分からないようにしてエリザベスが現われるという非常に甘っちょろい小説です。最初の出だしのところの様子が非常にケルト的です。
『知らざれる神に』
それからその次に『知られざる神に』というのを33年に出しておりますが、書いたのは「黄金の杯」の後だと思います。これはスタインベック全集にもありますから、大変へんてこな小説でありますが、是非チャンスがありましたら読んでいただきたいと思います。これもやはり先ほど言いましたモントレー、サリナスの近くの西部の農場の話です。東部から来た人がそこに農場を作ります。アメリカにはホーム・ステッド・アクトという自営法があります。アメリカは広いですから最初ドンドン広がっていく時に、法律が出来たのは南北戦争の後の62年だと思います。160エーカーまで自分の力で耕した所は自分の土地にしていいという法律。ドンドン西の方に行って、自営農法みたいなのに基づいて、東部から来た人には西の方に160エーカーを農場を作るわけです。その頃はもう土地はなかったはずですが、どうしてそういう土地があったかといいますと、土地の人の話によると４年おきか５年おきくらいに大干ばつがやってきます。その時は何にもとれないので、全部そこを手放してよそに移っていった土地が残っていたということです。そこに大きな樫の木がありました。そこにジョーゼフという主人公が住んで、父親の霊が宿っているという風に考えてその木の下に家を作るわけです。父の霊が宿っているということを本当に信じていますが、そこの農場に水を運んでくれる流れは、山の中の林の中に大きな岩からであります。その岩のもとから清水が流れ出しているということになっています。その場所を非常に大事にしているわけですが、色々ないきさつはありますけれども数年経って遂に干ばつがやってきます。そうすると何回もそこに行ってみますが、この奥さんの名前はエリザベスだったと思いますが、そこの岩を見に行って岩に登って奥さんが足を滑らして死んでしまうのです。それもちょっと唐突で因縁めいた話ですが、その後いよいよ雨が降らなくて雨乞いの祈りをしたりしますけれども、また本人が岩のところにやってきます。色々やってみるけれども元になるところが本当に枯れかかっているのです。そして、岩に登り自分の手首を切り雨乞いのため自分の血を岩に垂らします。だんだん意識が朦朧としてくると雨が降り出し、雨の音を聞きながら死んでいくという結末です。ひと口には言えませんが、少なくとも普通のアメリカで書かれる小説とはムードが違います。
『ツラレシート』
次に32年に出る『天の牧場』といいますかそういう名で、短編が10個くらい入った本で、これは売れました。先ほどの３冊の中で一番売れて、一息ついたような感じです。これも奇妙な話で、場所はそこら辺の場所が舞台です。マンローという家があり、そのマンロー家が絡むようにして色々な話を10個並べているわけですが、そこの中に４番目の話に「ツラレシート」という話があります。作者は「小さなカエル」ということを意味するスペイン語だと書いております。スペイン語の辞書をどんなに調べてもそういうのはでてきません。絵空事かもしれませんが、小さなかえるとあだ名で呼ばれる子供、11歳の少年についての話です。これが一番アイルランド的といいますか、ケルト的といいますか、普通の人間の子供とは全然違いまして、捨て子だったんです。パンチョという農園の下僕みたいなのがおりますが、これが仕事をして楽しみはお休みのときに給料をためてモントレーの町に出て行って、お酒を飲んで酔っ払って馬車で帰ってくる。馬の方が道を覚えていますから帰りは馬車に乗って寝てるとちゃんと農場までつれて帰ってくるという生活をしています。そのパンチョがある朝、眠らないで大声を出して帰ってくるのです。まずモントレーの町に酒飲みに行き、朝帰って来るときに目を覚ましているということにみんなビックリする。それから大声でわめいているので何事だと言いますと、今来る途中で、3ヶ月くらいの子供が捨ててあった。それが見た目になんとも人間の子供と思われないのでビックリして、助けてくれといって帰ってくるのです。その3ヶ月くらいの赤ん坊が、拾おうとしたら「俺には鋭い歯が生えているぞ」と言ったので、ビックリ仰天してゴメスという主人に話します。主人が行ってみますと、ちゃんと馬車の中に赤ん坊がいて、その時は全然何も言いません。でも形は普通の子供と違って、異様な感じのする子供ですが、それを親切な人が育てるわけです。5歳くらいになったときは、知能は遅れているけど力仕事はなんでもやる。動物なんかは大人がてこずるような馬だって彼が行って言うとおとなしくなる。植物なんかも接木をしようとすると他の人ができないのに彼にやらせるとチャンとつがってしまうというわけです。学校は行っても仕様がないからとやりませんが、郡の教育委員会の方で必ず学校にやらないといけないと言うことで11歳になったときに強引に学校に連れて行かされるわけです。ですけれどもすぐ帰ってきてしまう。勉強は全然覚える気がないわけですけれども、本人は彫刻をしたり絵を描いたりが大得意でして、マーチン先生というかなり年配の女の先生が「これはやっぱり好きことをやらせないといけない」、学校にこらせるために、何回も本人に言ってきかせるわけです。それで「あなたは素晴らしい才能をもっている。これは神様からいただいた大切な才能だから大事にしなさい」ということを繰り返して聞かせる。そしてある時に、黒板に絵を描いてみようということで描かせる。そうすると黒板いっぱいに見事な動物の絵を描くわけです。ところが他の子供にも授業をしないといけないので「あなたが絵を描いたから今から算数の授業をするから」と先生が言って、黒板を消しにかかったら獣みたいにつかみかかってきて、クラス全体と女の年配の先生を相手に、大騒動になるわけです。最後は先生も他の生徒も一緒に教室から逃げ出してしまうということで、先生は頭に来て、農場主のゴメス所につれていってこういうことがありましたと二度としないように鞭打ちをやってくださいと言うのです。農園主の方は「それは先生が悪い。本人に描けといって描かせて消すのは本人が怒るのは当然ではないですか」といったりするのです。鞭打ちをやれといわれればやりますということで本人は縛られて鞭打つのですが、鞭で打たれながらニヤニヤして眺めている。怒りもしなければ泣きもしないというようなことを書いている。鞭打ったって同じでしょうと先生に言うのですが、先生は嫌になって学校をやめてしまう。その次にどうも母親をモデルにしたのではないかという若くて頭が良くて美人の先生が来るわけです。その先生は絵を描かせるのに黒板を仕切って、ここまで描いてよろしいということで絵を描かせます。この先生はお話を読んで聞かせるのが得意で、その頃の小学校というのは何年担任ということではなく全部一緒ですから、低学年から高学年まで、若いものいるし、かなり年とっとったものもいて、色んな本を読んだということが書いてあります。イギリスのスコットの小説とかアメリカのジャック・ロンドンの小説とかいうのを読むと書いてあります。ところがあまり大人っぽい小説ばかりじゃいけないと、ある時低学年のためにいわゆる童話みたいなものを読んであげるのです。そうすると絵を描いておったツラレシート絵を描くのをやめて一生懸命聞くのです。先生は喜んで、こういうところもあったかということでそういう話もずっとしてあげます。一番熱心に聞くのはツラレシートです。その人たちはどこにいるのですかというように。そして自分はどうも童話の中に出てくる妖精とか何とかと親戚だと思うようになるのです。自分の一族は全部地面の下に人間から目につかないところに住んで、地面の下はヒヤヒヤとして涼しくて、そういうところに自分の一族は居るはずだということで、山の中を歩き回ったりするようになります。先生が学校から帰っているとついてくるのです。先生は気持ちが悪いから何でついて来るのかと聞くと「いや僕は親戚を探しに行くんだ」と。先生も口を合わせて「なかなか見つからんと思うよ。見つかったら先生に教えてね」と。必ず見つけるのだと言い、先生の帰り道でそういう話をして別れます。本人は、誰にも親戚探しをする。これは確か英語ではGNOME(ノーム)という名前を使ってたいと思いまが、訳では地の精と書いてあります。地の精の一族だと思うようになりずっと探し回ります。そのとき先生が「昼間は出てこないのじゃないか」と言いますから、夜中に探し回るようになります。そして大きな農園で、柔らかく肥料をやったりして耕してある所に行って、ここに穴を掘れば一族と会えるかも知れないということで、朝までかかって大きな穴を掘ります。「誰かいないか」と言いますが返事がないので、くたびれて自分は別の所に寝てしまいます。そこへ農場主が来て、コヨーテを捕まえる罠を作っていて、わなが無くなって大きな穴が空いているから、誰か悪戯したのだろうと思って埋め戻します。そうするとまたあくる日、自分が掘った穴が埋めてありますから、自分の一族が埋めたのだと思い、必ずここにいるとまた掘るのです。掘っても出てくるはずはないのでよそに行って寝ていますと、農園主が来てかんかんに怒って、埋めかかります。そうするとツラレシートがそれをみて、穴掘りのショベルで後ろから農園主をなぐりつけて、殺しはしませんけど倒します。それでそこの子供が見つけて大騒ぎになり、ツラレシートがやったということが分かってしまいます。教育委員会はその農園主のゴメスにも話して、要するに囚人用の精神病院に送らざるをえなかったという所で話が終っています。
ツラレシートが自分の一族は必ず地中にいて、穴を掘ればいつか会えると思っていく。妖精の話を聞くと一生懸命に聞く。ずっとその話を読んでいますと、普通にアメリカの人が書く話ではないなという気がして、作品の出来・不出来は論外としまして、どうしてもスタインベックが小さいときに母親から聞かされたような話とか、若い頃に読んだアーサー王伝説とかそういうものの影響が出てきて、そういうものを書きたくなるのかなと思います。ただこれを読んでいただきますと全体的には非常にバランスのとれたいい作品だと思います。
特に西部のあのあたりには、パイサノと言う人たちがおりまして、スペイン人とインディアンと混じったような特別な人たちがおり、そういうのを主人公に特に好んで書いています。スタインベックのいろいろ書いた小説の中で一つの特徴は、知能が低くて勉強は出来ない。しかし色々なことがいっぱいできないが力持ちで性格は素直で、言われたことは何でも一生懸命するというようなタイプの人がいくつもでてきます。一番有名なのは映画にもなった『二十日鼠と男たち』の中に出てくるレニーという大男です。非常に知能は低いが、ちょっと力を入れただけで握りつぶしてしまうような大力のを持った男です。
私はスタインベックの中に、人間としての知能は低く動物に近いような存在だけれども、そういうものに対して作者がすごく興味があったのではないかという気がします。その後『怒りの葡萄』とか『エデンの東』とか写実的な作品を書いたりして、評価の高いものがあります。一番いいのは結論的評価が高いのは短編集ですが『赤い子馬』というのがあります。これが一番評価されていると思います。アメリカで高校なんかの教科書によく使われているということです。
『われらが不満の冬』
亡くなる前の61年に書きました『われらが不満の冬』という最後の小説があります。
『われらが不満の冬』と言うのは何かと言いますと、シェークスピアの『リチャード３世』の中に出てくる言葉です。我々のいわゆる冬の時代、こういう苛められてよくなかった時代が、新しい太陽(SUN)ですけれども（これは息子SONとかけてある）新しい世界の夜が明け来るのだと言う台詞が『リチャード３世』の中で出てきます。これは56年に書いた銀行強盗の話を拡げたといわれますが、不出来の作です。しかし、この中に小さな飲食店をやっている主人公がいて先祖は移ってきたときは立派な人でしたけれども今は恵まれない暮らしをしています。アレンとヘレンという男女二人の子供がおり、作文コンクールに息子アレンが投稿し一席になるのです。お祝いをしようと言っていますと、報道関係が来て一席になった懸賞作文は全部剽窃であるということがわかったと問題になります。どうもインチキだといったのは、妹のヘレンみたいだとほのめかしてあります。最後に銀行強盗をやったりしますけれども、俺はダメだということで自殺をしようと思って海際の洞窟みたいなところに剃刀の刃をもって行くのです。そして、波が押し寄せてくる中でいろいろ考えていますと、この彼のうちに、変てこな魔よけの石があり、それらをたいへん大事にしているのです。彼はいろいろ考えながら、俺の明かりは消えたんだと言いながら、最後に思い直します。俺にはもうひとつ仕事がある。娘の方のヘレンに、この魔よけの石を渡さなければならない。どうしてかというと、ヘレンにはまだ明かりがあるからというようなことを考えて自殺を取りやめる所で終っています。洞窟の中にいると気持ちがいいとか気分が収まるとか、魔よけの石自体いまどき大事にされるなんて考えられませんが、最初の３作くらいと最後の１作だけが、どうしてもケルト的な妖精の話とか、そういうものに関わっているような気がしてなりません。
最後に
本当はもう少しいろいろ分析をしてお話をした方がいいと思いますが、あまりに横文字を出してもいけないと思いますし、評論家の名前を出すのもそぐわないと思いますからたいへん大雑把な話になりました。『風と共に去りぬ』はご存知だと思いますし、スタインベックもご存知だと思いますから、そういう二人の作家とも先祖にはアイルランドの血が入っている、そういう作家がアメリカには非常に多いということです。アメリカ文学をみても、例えばラテン系の血を引いた作家が盛んだったり、ユダヤ系統の作家が盛んにもてはやされた時期もあります。今アイルランド政府は第２公用語は英語のようですが公用語としてゲール語、いわゆるケルト語を使っています。最近アメリカではケルト語で小説を書いた人がいるというようなことを聞きました。アメリカの文学だけじゃなくて風土の中にはケルトの血が入っていると思います。
ご静聴ありがとうございました。（文責：松村直寛）
2006年04月11日
「シング とオケーシー におけるアイリッシュイズムの一端」
「シング とオケーシー におけるアイリッシュイズムの一端」
アイルランドを旅して考えたこと
アイリッシュイズムとは何か。実は私もまだ結論に達していません。この二人の作家も一般の人たちにとってはなじみのない名前だと思います。しかし私なりにその魅力とそれにともなうケルトの末裔たちの反骨精神、あるいは気骨というものの一端をお話してみます。
今年の夏は久しぶりにアイルランドの旅に出ました。普通のグループ旅行と違って「アイルランド伝統音楽を求めて」の旅でした．この国へは4回目になりますが、これまでと比べてさらに興味深いものとなりました。私のケルトへの関心の始まりは小学校のころよく耳にしたアイルランド民謡なのですが、それが今になっておとぎの世界、妖精の住む国への憧憬が高じて、今年は妖精に出会うこと、妖精を捕まえてやろうという魂胆を持つようになったのです。アイルランドに関しては、司馬遼太郎さんの「愛蘭土紀行」がすべてを集約したようなできばえです。彼が見たアイルランドと、私が実際に見たこの国の姿、先に述べた二人の作家の作品に見る、いわゆる アイリッシュイズムなるものを、この旅の感想と写真を交えて最初にお話します。
私の愛蘭土紀行
この写真�，呂海旅颪帽圓韻佗�ずお目にかかるケルトの十字架です。ケルト民族はアイルランド人のルーツですが、このように、非常に迫力のある十字架はアイルランド中どこででもお目にかかれます。この十字架がベストだと断言されたのはこの旅行を取り仕切ってくださった守安夫妻でした。おふたりはアイルランド伝統音楽に造詣が深くかなりの実力を持った音楽家夫妻です。
この写真�△賄儀薪�なこの国のトレードマークです。この愉快な交通標識は私がこの国へ出かけて実際に確認しようと思っていた代物です。今回は残念ながらこの標識が見られるケリーまで足を伸ばすことは出来ませんでしたが、幸い小泉凡夫妻から借用することが出来ました。アイルランド人の心の中に必ずあるといわれている妖精への思いがこういう形で現れているのは彼らの民族性の中にあるユーモアの一端を垣間見た気持ちになります。
この写真��は妖精図鑑の中から引っ張り出したものです。ケルトの妖精の起源は、この国の歴史を紐解くときには必ず出てくるドルイドの中にも見受けられます。女ドルイドのイメージは、鶴岡真弓さんの本にたくさん出ています。この旅の中で私が妖精にこだわっているのにバスのドライバーが同情して�ぁ嵳点困亮�」のある場所にバスを止めてくれました．こういうふうに、日本でもよく見かける「願掛け」の樹がかの国にもあるのは興味深い共通点を発掘したような気になります。靴下、手袋、帽子など、いろいろこの樹に吊るして願い事をする彼らの心の中には妖精のイメージが常にあるという証拠でしょう。
これは、�テ暫爾忘遒辰親況蠅望�られた 聖ブリジッドです。途中で何箇所かこのようなきれいな像を目にしました。その横の小さな祠に入ってみますと、いろいろな貢物が並んでいて、聖水の水溜りには日本で言うお賽銭がたくさん光っていました。このイメージは日本人の感覚にあい通じるところがあって非常に印象深いものでした。
�Δ海海�らの写真は守安夫妻が取って置きの古城レップ城です。この音楽の旅できわめつきのスポットで、この城の主は シャーン・ライアン といういかにもアイリッシュ という雰囲気を持った笛の名手でした。奥さんのアン, 娘の キアラ・セレーヌと3人並ぶと、きわめて神秘的な雰囲気を醸し出す不思議な家族です。キアラはリバーダンスのオリジナルタップを踏める全国でも有数のダンサーだそうで、この写真にあるとおり実に迫力のある踊りを見せてくれました。彼女のステップで居間の石畳は亀裂が入って凹みが出来ているのです。ライアンの幽玄で妙なる笛の音と、キアラの躍動感あふれるステップに加えて、古城のホールの荘厳な背景がわれわれの心に深い感動を与えたのは当然のことでした。妖精探しの旅の途上にある私としては、彼女はまさしくレップ城のフェアリーであると確信するに至ったのです。ご主人のショーンの腕前は言わずもがなで、皇太子夫妻がアイルランド訪問をなさった時御前演奏を行うほどであったのです。レップ城はBBC放送が取材に来るほどの名の知れた「幽霊城」で、その由来をこの薄暗いろうそくのともる居間で聞かされると、思わず後ろを振り返ったものです。壁には古色蒼然たる絵、骨董品から、はたまた日本の浮世絵まで城主の本性も読める雰囲気でした。
これらの写真�Г蓮△海譴泙任領更圓能犬瓩審�葉書をまとめたものです。これは 作家のシングです。シャーン・オケーシーは私の研究のしんがりを務める劇作家です。大学時代の恩師の評価は二流だそうですが評価は相半ばするところです。これは若々しい イエーツ ですが、これらの写真を並べるわけは不思議と皆妖精顔をしているからです。ワイルド, ジョイス, Ｂ・ビーハン等すべて同類に見えます。みな妖精の霊気が漂っているように思えてなりません。
ビーハンといえば、以前ダブリンの劇場で彼のお芝居を見ましたが、もとIRAのメンバーであったことと、刑務所暮らしで虐待を受けた経験からなるその迫力に圧倒されてしまいました。「ボースタルボーイズ」は彼の刑務所暮らしの一部を描いたものですが、シャワーを浴びる場面では容疑者全員が素裸で、思わずここまでやるかと息を呑みました。彼らが命を賭けた反英闘争の凄みもそこから伝わってくるかのようでした。
アイルランドといえばアラン島がイメージされます。アラン島の（省略Dun Engus は、馬車のおじいさんの発音によると「ダンエンガシャ」だそうですが、そこ）ダンエンガシャまで行って撮ってきた写真がこれです。�┣罎覆�らいい写真が取れたなと自慢したい一枚です。この断崖絶壁は 「アランの男」 という有名な映画の主要な場面を構成しています。1934年、ロバート・フラシャーティー監督作品です。私の写真は素晴らしい好天に恵まれた波静かな一枚ですが、この映画に出てくるアラン島は、ものすごい波濤に洗われ一面荒蕪の島で、その自然の荒々しさに必死に耐える島の人たちの気骨がひしひしと迫ってくる名作の中にあります。
この写真はシングの「アラン島周遊記」に描かれている島の女たちのイメージそっくりの絵だったので写真に収めました。��また、アラン島の漁師たちのイメージはこの布張りの小船、カラッハに集約されます。��、��はその漁師たちの背中、その後姿が男たちの気骨を裏付ける絵といえるでしょう。
司馬遼太郎氏の「愛蘭土紀行」
ここから司馬遼太郎さんの「愛蘭土紀行」についてお話します。この司馬氏の紀行文とビデオを要約すると、キーワードは、不撓不屈の精神、激しい個性、爪に火をともすような生き様、辛らつな風刺精神、流浪、漂泊、自然との闘い、というところでしょう。不撓不屈の精神の根源はどこにあるのでしょうか。「山雨」という言葉が使われています。それはどんよりとした天気が続く山間の陰鬱な雨で、人の心を落ち込ませる元凶であるのです。シングがこの情景を巧みに描いています。The Shadow of the Glen （日本語で）ではそういう陰鬱な山奥の小屋で、年の離れた、猜疑心の強い夫と暮らすノラの現状離脱と再生願望への心の中が描かれています。その重苦しいテーマはこの「山雨」に集約されているのです。
こんどは歴史的観点に立ちますと、避けて通れないのが クロムウェル の収奪、虐殺の歴史です。彼によって「アイルランド」は身包みはがれた、と司馬さんは表現しています。そのことによってアイルランドではこれまで連綿として続いてきた反英精神にさらに火がつくということになったのです。ここから幾多の試練を経て一応独立ということになりますが、赤いポストやバスが緑色に塗り替えられる社会現象は、司馬さんの言う「百戦百敗の民」からの現状離脱の思いの一端を物語っています。たとえ百敗してもそこから立ち上がろうとする彼らの気骨は マーガレット・ミッチェルの 風とともに去りぬ における「タラへ帰ろう」というセリフにおいてもうかがい知ることが出来ます。このスカーレットの激しい個性と不撓の血は彼女の体内において常に激しく燃え盛っているのです。それが昇華しようとする再生願望は、オケーシーの の Juno and the Paycock （ジュノーと孔雀日本語で）の中に常に出てくるテーマです。「風とともに去りぬ」を読み返してみましたがスカーレットの不撓の血が延々と描かれ、一方でジュノ においても彼女の人生苦からの再生願望が絶えず流れ続けるのは不思議な共通点になっています．
別な意味でのその精神は「ジャガイモ飢饉」にも端を発しています。この現象によってアイルランドは立ち直れないくらい何度も飢餓状態に陥り、その結果としてのアメリカ移民により、国全体が疲弊してしまうことになります。彼らはその移民先で今度は数限りない差別を受けてどん底の生活を送ることになる。でも彼らの中からやがてアメリカ大統領が二人も生まれてイギリス人に衝撃を与えたのはやはり彼らの反骨精神のなせる技でしょう。
さて、 ビートルズとスウィフト の話になりますが、彼らは、アイルランド系の人間なら誰にでもあるユーモアと風刺精神が特に突出している典型です。ビートルズが流行したのは私の学生時代ですがそのころはただやかましいだけと思っていましたが, 最近では「イエスタデイ」や「イマジン」などを聞いてみるとクラシックだなと思うようになりました。彼らが世界的名声を博したことでイギリス政府は勲章を授けたわけですが、今度は退役軍人たちがプライドを傷つけられたとして勲章返上騒ぎが起きました。そのとき彼らは「人を殺してもらったんじゃない、人を楽しませてもらったんだ」と言ったそうです。これはいわゆる「死んだ鍋」、ポーカーフェイス、で辛らつな風刺をやった典型でしょう。強烈な自我があって始めて出てくる表現でしょう。十年前のアイルランド旅行で旧跡を訪ねたときの切符切りの青年も never give up, never defeated（ギブアップするな、殺られぬな）と繰り返し、英国への怨念を口にしていました。そういう強烈な自我意識と反骨精神は普通のアイルランド人の心の中の精神風土なのかもしれません。パブでクリーム状の泡盛のギネスを飲んでいると, それは漂泊、流浪のイメージである, という司馬さんの主張に素直にうなずくことになるのです。
アラン島雑感
これからアラン島の話しをします。何回もこれまでこの島を訪れました。何しに行くのかと聞かれれば、原始的なままの自然観察です。今年はイニシア島へ行きました。どの島に行ってもあるのは見渡すかぎり霧と岩盤ばかりでほかに何もないところです。荒蕪の島、と司馬さんは言ってまいす。そこでは人間を寄せ付けないほどの荒々しい自然、延々と続く石垣があって、月まで続こうかという石積みを重ねていく人たちの根性と意固地が感動を呼ぶのです。
この島に魅せられて紀行文の名作を書き上げたのが J.Mシング です。アラン島の住民たちの素朴で原始的な生活の中に見られるたくましい精神力と、この島の漁師たちの苛酷な荒海での運命は、この島独特の編み目を持つアランセーターに表されています.
セーターもそうですがソックスの話が シング の 海に駆ける御者 に出てきます。その中で、老女 モーリヤが自分の７人の息子をアランの波濤の中に失います。行方不明の漁師たちの遺体を識別するのに、彼女の娘は靴下の編み目からそれが自分の兄であることを確認する場面があります。いわば遺体確認のために自分の家独特の模様を編み出すことになり、歴史をたどれば悲しい物語へ戻ってしまうのです。
老女モーリアの嘆きは息子たちを次々に荒海に奪われてもなお厚い信仰心と強情とも受け取れる人生への開き直りがあります。「これから先はどんなに海が荒れて大波が立とうとも、ほかの女たちが男たちを案じて泣き叫んでも私は案じることはない。暗い夜に起き出してお水取りに行くこともない。」
このイメージに酷似する場面がジュノーにあります。彼女もひどい生活苦の中で、息子を失い、連れ合いと娘から離別する不幸のきわみに陥って嘆き悲しみますが、神への祈りと頑ななまでの再生願望が見て取れます。この二つの作品の女主人公たちの中に見受けられるイメージの重なり、類似性はこれからの研究のテーマです。
ところで、アラン島周遊記の中で、シング が描いている島の娘たちの中に見られる霊的な神秘性は、妖精に魅入られたような彼女たちの瓜実顔に見出されると彼は描いています。島の古老から彼は色々と妖精が乗り移った娘たちの話を聞かされた結果、妖精と妖精顔の娘たちの間には神秘的なつながりがあると思い込んでいるのです。
結局、アラン島の住民の素朴さに惹きつけられて、シングが再三この島を訪れて感じたことは、「いつ命を落とすかわからぬ荒海でカラハを操り漁をするその緊張感は、いわゆる原始的な漁師の俊敏性、芸術家に求められるある種の情感にも通じるところがある」ということで、そこが私も大いに惹きつけられる点です。さらにこの島では「泣き女」というのがいて、島の人が死んだとき、泣いて葬儀の雰囲気を昇華させる役を果たすのだそうです。この keening （日本語の説明）は、過酷な自然の猛威にさいなまれる人たちの叫びがすべてそこに集約されてすごい迫力を醸し出し、その中に自然と人との共鳴を体感せずにはいられないのです。 シングは、お年寄りの死に集まってきた人たちが一緒になって嘆き悲しむ光景は、この人たちの心のどこかに潜んでいる激情がその場面にすべて吐き出され、恐ろしい運命を前にして痛ましい絶望に打ち震えるのだと確信します。その中にアイルランドの人たちの反骨精神の根源が潜んでいるようにも思えるのです。
シング とアラン島のお話がすべてでしたが、表題の オケーシーとのつながりを少し述べて締めくくりにします。ある評論家は「オケーシーが シング のあとを受け継いだ」と言っています。 シングの十年後に オケーシー が現れるのは年代的なつながりですが、アイルランドの西海岸、田舎が舞台であった シングとダブリンのスラム街と底辺層の人々の暮らしがテーマであったオケーシーの共通項は、いずれも現状離脱と再生願望という大枠でくくれそうです。ひとつ例を挙げますと前にも述べた「ジュノー と孔雀 」です。ジュノー はスラム街の生活苦の中で、まったく生活力のない夫 ボイル「Peaycock（孔雀） とあだ名される」や、密告者として追われるIRAの息子、貧しい暮らしから抜け出そうとして男にだまされる娘、を抱えてたくましく生きようとする女ですが、最後の場面ではすべてを失って神に祈る姿はあのモーリヤの姿そのままなのです。
彼女の嘆きと決意の場面が終わって、何もない、誰もいない部屋へ酔っ払って帰ってきたボイルの最後のせりふ（ chassis は、つまり chaos, 省略）「この世はどぶどろ」（？どろどろ？）なのです。その中から這い上がろうとする女の強さ、が形を変えて、背景を変えて、二人の劇作家の共通のテーマの大部分を占めているのではないかと思われます。
アイルランドを旅して考えたこと
アイリッシュイズムとは何か。実は私もまだ結論に達していません。この二人の作家も一般の人たちにとってはなじみのない名前だと思います。しかし私なりにその魅力とそれにともなうケルトの末裔たちの反骨精神、あるいは気骨というものの一端をお話してみます。
今年の夏は久しぶりにアイルランドの旅に出ました。普通のグループ旅行と違って「アイルランド伝統音楽を求めて」の旅でした．この国へは4回目になりますが、これまでと比べてさらに興味深いものとなりました。私のケルトへの関心の始まりは小学校のころよく耳にしたアイルランド民謡なのですが、それが今になっておとぎの世界、妖精の住む国への憧憬が高じて、今年は妖精に出会うこと、妖精を捕まえてやろうという魂胆を持つようになったのです。アイルランドに関しては、司馬遼太郎さんの「愛蘭土紀行」がすべてを集約したようなできばえです。彼が見たアイルランドと、私が実際に見たこの国の姿、先に述べた二人の作家の作品に見る、いわゆる アイリッシュイズムなるものを、この旅の感想と写真を交えて最初にお話します。
私の愛蘭土紀行
この写真�，呂海旅颪帽圓韻佗�ずお目にかかるケルトの十字架です。ケルト民族はアイルランド人のルーツですが、このように、非常に迫力のある十字架はアイルランド中どこででもお目にかかれます。この十字架がベストだと断言されたのはこの旅行を取り仕切ってくださった守安夫妻でした。おふたりはアイルランド伝統音楽に造詣が深くかなりの実力を持った音楽家夫妻です。
この写真�△賄儀薪�なこの国のトレードマークです。この愉快な交通標識は私がこの国へ出かけて実際に確認しようと思っていた代物です。今回は残念ながらこの標識が見られるケリーまで足を伸ばすことは出来ませんでしたが、幸い小泉凡夫妻から借用することが出来ました。アイルランド人の心の中に必ずあるといわれている妖精への思いがこういう形で現れているのは彼らの民族性の中にあるユーモアの一端を垣間見た気持ちになります。
この写真��は妖精図鑑の中から引っ張り出したものです。ケルトの妖精の起源は、この国の歴史を紐解くときには必ず出てくるドルイドの中にも見受けられます。女ドルイドのイメージは、鶴岡真弓さんの本にたくさん出ています。この旅の中で私が妖精にこだわっているのにバスのドライバーが同情して�ぁ嵳点困亮�」のある場所にバスを止めてくれました．こういうふうに、日本でもよく見かける「願掛け」の樹がかの国にもあるのは興味深い共通点を発掘したような気になります。靴下、手袋、帽子など、いろいろこの樹に吊るして願い事をする彼らの心の中には妖精のイメージが常にあるという証拠でしょう。
これは、�テ暫爾忘遒辰親況蠅望�られた 聖ブリジッドです。途中で何箇所かこのようなきれいな像を目にしました。その横の小さな祠に入ってみますと、いろいろな貢物が並んでいて、聖水の水溜りには日本で言うお賽銭がたくさん光っていました。このイメージは日本人の感覚にあい通じるところがあって非常に印象深いものでした。
�Δ海海�らの写真は守安夫妻が取って置きの古城レップ城です。この音楽の旅できわめつきのスポットで、この城の主は シャーン・ライアン といういかにもアイリッシュ という雰囲気を持った笛の名手でした。奥さんのアン, 娘の キアラ・セレーヌと3人並ぶと、きわめて神秘的な雰囲気を醸し出す不思議な家族です。キアラはリバーダンスのオリジナルタップを踏める全国でも有数のダンサーだそうで、この写真にあるとおり実に迫力のある踊りを見せてくれました。彼女のステップで居間の石畳は亀裂が入って凹みが出来ているのです。ライアンの幽玄で妙なる笛の音と、キアラの躍動感あふれるステップに加えて、古城のホールの荘厳な背景がわれわれの心に深い感動を与えたのは当然のことでした。妖精探しの旅の途上にある私としては、彼女はまさしくレップ城のフェアリーであると確信するに至ったのです。ご主人のショーンの腕前は言わずもがなで、皇太子夫妻がアイルランド訪問をなさった時御前演奏を行うほどであったのです。レップ城はBBC放送が取材に来るほどの名の知れた「幽霊城」で、その由来をこの薄暗いろうそくのともる居間で聞かされると、思わず後ろを振り返ったものです。壁には古色蒼然たる絵、骨董品から、はたまた日本の浮世絵まで城主の本性も読める雰囲気でした。
これらの写真�Г蓮△海譴泙任領更圓能犬瓩審�葉書をまとめたものです。これは 作家のシングです。シャーン・オケーシーは私の研究のしんがりを務める劇作家です。大学時代の恩師の評価は二流だそうですが評価は相半ばするところです。これは若々しい イエーツ ですが、これらの写真を並べるわけは不思議と皆妖精顔をしているからです。ワイルド, ジョイス, Ｂ・ビーハン等すべて同類に見えます。みな妖精の霊気が漂っているように思えてなりません。
ビーハンといえば、以前ダブリンの劇場で彼のお芝居を見ましたが、もとIRAのメンバーであったことと、刑務所暮らしで虐待を受けた経験からなるその迫力に圧倒されてしまいました。「ボースタルボーイズ」は彼の刑務所暮らしの一部を描いたものですが、シャワーを浴びる場面では容疑者全員が素裸で、思わずここまでやるかと息を呑みました。彼らが命を賭けた反英闘争の凄みもそこから伝わってくるかのようでした。
アイルランドといえばアラン島がイメージされます。アラン島の（省略Dun Engus は、馬車のおじいさんの発音によると「ダンエンガシャ」だそうですが、そこ）ダンエンガシャまで行って撮ってきた写真がこれです。�┣罎覆�らいい写真が取れたなと自慢したい一枚です。この断崖絶壁は 「アランの男」 という有名な映画の主要な場面を構成しています。1934年、ロバート・フラシャーティー監督作品です。私の写真は素晴らしい好天に恵まれた波静かな一枚ですが、この映画に出てくるアラン島は、ものすごい波濤に洗われ一面荒蕪の島で、その自然の荒々しさに必死に耐える島の人たちの気骨がひしひしと迫ってくる名作の中にあります。
この写真はシングの「アラン島周遊記」に描かれている島の女たちのイメージそっくりの絵だったので写真に収めました。��また、アラン島の漁師たちのイメージはこの布張りの小船、カラッハに集約されます。��、��はその漁師たちの背中、その後姿が男たちの気骨を裏付ける絵といえるでしょう。
司馬遼太郎氏の「愛蘭土紀行」
ここから司馬遼太郎さんの「愛蘭土紀行」についてお話します。この司馬氏の紀行文とビデオを要約すると、キーワードは、不撓不屈の精神、激しい個性、爪に火をともすような生き様、辛らつな風刺精神、流浪、漂泊、自然との闘い、というところでしょう。不撓不屈の精神の根源はどこにあるのでしょうか。「山雨」という言葉が使われています。それはどんよりとした天気が続く山間の陰鬱な雨で、人の心を落ち込ませる元凶であるのです。シングがこの情景を巧みに描いています。The Shadow of the Glen （日本語で）ではそういう陰鬱な山奥の小屋で、年の離れた、猜疑心の強い夫と暮らすノラの現状離脱と再生願望への心の中が描かれています。その重苦しいテーマはこの「山雨」に集約されているのです。
こんどは歴史的観点に立ちますと、避けて通れないのが クロムウェル の収奪、虐殺の歴史です。彼によって「アイルランド」は身包みはがれた、と司馬さんは表現しています。そのことによってアイルランドではこれまで連綿として続いてきた反英精神にさらに火がつくということになったのです。ここから幾多の試練を経て一応独立ということになりますが、赤いポストやバスが緑色に塗り替えられる社会現象は、司馬さんの言う「百戦百敗の民」からの現状離脱の思いの一端を物語っています。たとえ百敗してもそこから立ち上がろうとする彼らの気骨は マーガレット・ミッチェルの 風とともに去りぬ における「タラへ帰ろう」というセリフにおいてもうかがい知ることが出来ます。このスカーレットの激しい個性と不撓の血は彼女の体内において常に激しく燃え盛っているのです。それが昇華しようとする再生願望は、オケーシーの の Juno and the Paycock （ジュノーと孔雀日本語で）の中に常に出てくるテーマです。「風とともに去りぬ」を読み返してみましたがスカーレットの不撓の血が延々と描かれ、一方でジュノ においても彼女の人生苦からの再生願望が絶えず流れ続けるのは不思議な共通点になっています．
別な意味でのその精神は「ジャガイモ飢饉」にも端を発しています。この現象によってアイルランドは立ち直れないくらい何度も飢餓状態に陥り、その結果としてのアメリカ移民により、国全体が疲弊してしまうことになります。彼らはその移民先で今度は数限りない差別を受けてどん底の生活を送ることになる。でも彼らの中からやがてアメリカ大統領が二人も生まれてイギリス人に衝撃を与えたのはやはり彼らの反骨精神のなせる技でしょう。
さて、 ビートルズとスウィフト の話になりますが、彼らは、アイルランド系の人間なら誰にでもあるユーモアと風刺精神が特に突出している典型です。ビートルズが流行したのは私の学生時代ですがそのころはただやかましいだけと思っていましたが, 最近では「イエスタデイ」や「イマジン」などを聞いてみるとクラシックだなと思うようになりました。彼らが世界的名声を博したことでイギリス政府は勲章を授けたわけですが、今度は退役軍人たちがプライドを傷つけられたとして勲章返上騒ぎが起きました。そのとき彼らは「人を殺してもらったんじゃない、人を楽しませてもらったんだ」と言ったそうです。これはいわゆる「死んだ鍋」、ポーカーフェイス、で辛らつな風刺をやった典型でしょう。強烈な自我があって始めて出てくる表現でしょう。十年前のアイルランド旅行で旧跡を訪ねたときの切符切りの青年も never give up, never defeated（ギブアップするな、殺られぬな）と繰り返し、英国への怨念を口にしていました。そういう強烈な自我意識と反骨精神は普通のアイルランド人の心の中の精神風土なのかもしれません。パブでクリーム状の泡盛のギネスを飲んでいると, それは漂泊、流浪のイメージである, という司馬さんの主張に素直にうなずくことになるのです。
アラン島雑感
これからアラン島の話しをします。何回もこれまでこの島を訪れました。何しに行くのかと聞かれれば、原始的なままの自然観察です。今年はイニシア島へ行きました。どの島に行ってもあるのは見渡すかぎり霧と岩盤ばかりでほかに何もないところです。荒蕪の島、と司馬さんは言ってまいす。そこでは人間を寄せ付けないほどの荒々しい自然、延々と続く石垣があって、月まで続こうかという石積みを重ねていく人たちの根性と意固地が感動を呼ぶのです。
この島に魅せられて紀行文の名作を書き上げたのが J.Mシング です。アラン島の住民たちの素朴で原始的な生活の中に見られるたくましい精神力と、この島の漁師たちの苛酷な荒海での運命は、この島独特の編み目を持つアランセーターに表されています.
セーターもそうですがソックスの話が シング の 海に駆ける御者 に出てきます。その中で、老女 モーリヤが自分の７人の息子をアランの波濤の中に失います。行方不明の漁師たちの遺体を識別するのに、彼女の娘は靴下の編み目からそれが自分の兄であることを確認する場面があります。いわば遺体確認のために自分の家独特の模様を編み出すことになり、歴史をたどれば悲しい物語へ戻ってしまうのです。
老女モーリアの嘆きは息子たちを次々に荒海に奪われてもなお厚い信仰心と強情とも受け取れる人生への開き直りがあります。「これから先はどんなに海が荒れて大波が立とうとも、ほかの女たちが男たちを案じて泣き叫んでも私は案じることはない。暗い夜に起き出してお水取りに行くこともない。」
このイメージに酷似する場面がジュノーにあります。彼女もひどい生活苦の中で、息子を失い、連れ合いと娘から離別する不幸のきわみに陥って嘆き悲しみますが、神への祈りと頑ななまでの再生願望が見て取れます。この二つの作品の女主人公たちの中に見受けられるイメージの重なり、類似性はこれからの研究のテーマです。
ところで、アラン島周遊記の中で、シング が描いている島の娘たちの中に見られる霊的な神秘性は、妖精に魅入られたような彼女たちの瓜実顔に見出されると彼は描いています。島の古老から彼は色々と妖精が乗り移った娘たちの話を聞かされた結果、妖精と妖精顔の娘たちの間には神秘的なつながりがあると思い込んでいるのです。
結局、アラン島の住民の素朴さに惹きつけられて、シングが再三この島を訪れて感じたことは、「いつ命を落とすかわからぬ荒海でカラハを操り漁をするその緊張感は、いわゆる原始的な漁師の俊敏性、芸術家に求められるある種の情感にも通じるところがある」ということで、そこが私も大いに惹きつけられる点です。さらにこの島では「泣き女」というのがいて、島の人が死んだとき、泣いて葬儀の雰囲気を昇華させる役を果たすのだそうです。この keening （日本語の説明）は、過酷な自然の猛威にさいなまれる人たちの叫びがすべてそこに集約されてすごい迫力を醸し出し、その中に自然と人との共鳴を体感せずにはいられないのです。 シングは、お年寄りの死に集まってきた人たちが一緒になって嘆き悲しむ光景は、この人たちの心のどこかに潜んでいる激情がその場面にすべて吐き出され、恐ろしい運命を前にして痛ましい絶望に打ち震えるのだと確信します。その中にアイルランドの人たちの反骨精神の根源が潜んでいるようにも思えるのです。
シング とアラン島のお話がすべてでしたが、表題の オケーシーとのつながりを少し述べて締めくくりにします。ある評論家は「オケーシーが シング のあとを受け継いだ」と言っています。 シングの十年後に オケーシー が現れるのは年代的なつながりですが、アイルランドの西海岸、田舎が舞台であった シングとダブリンのスラム街と底辺層の人々の暮らしがテーマであったオケーシーの共通項は、いずれも現状離脱と再生願望という大枠でくくれそうです。ひとつ例を挙げますと前にも述べた「ジュノー と孔雀 」です。ジュノー はスラム街の生活苦の中で、まったく生活力のない夫 ボイル「Peaycock（孔雀） とあだ名される」や、密告者として追われるIRAの息子、貧しい暮らしから抜け出そうとして男にだまされる娘、を抱えてたくましく生きようとする女ですが、最後の場面ではすべてを失って神に祈る姿はあのモーリヤの姿そのままなのです。
彼女の嘆きと決意の場面が終わって、何もない、誰もいない部屋へ酔っ払って帰ってきたボイルの最後のせりふ（ chassis は、つまり chaos, 省略）「この世はどぶどろ」（？どろどろ？）なのです。その中から這い上がろうとする女の強さ、が形を変えて、背景を変えて、二人の劇作家の共通のテーマの大部分を占めているのではないかと思われます。
chokkan1940 at 10:35｜この記事のURL│TrackBack(0)
小説と経済
「小説と経済」
肥後銀行顧問 稲垣 精一
ご紹介いただきました稲垣です。長いこと銀行員生活をしてきましたから、経済とか金融とかそちらの方はある程度必要に応じて読んでおりますが、小説は余り読んでいません。アイルランド文学といっても経済と関係のある文学は聞いたことがなく、知らないので、やむを得ず「小説と経済」という題にしました。
経済小説について
まず戦前から戦後にかけて活躍した作家に「旅愁」の横光利一がおります。横光利一の言葉の中に、「夏目漱石は金が欲しくて書いた作品が今から思うと一番よかった。いい作品だった」と漱石が言っているそうです。従来の日本というより戦前の日本といってもいいですが、日本の小説の世界に登場してくる人物は、自己本位の道楽的な職業生活者というような人が多くて、これはヨーロッパと非常に違うところです。ヨーロッパの知識人は、金銭感覚も豊かな人が多いのです。作家の中にも経済や金融の小説を書いている人が結構おられます。その代表的なのがフランスの作家でゾラです。エミール・ゾラという人に経済の小説がありますが、そこにはマルクス主義がどうだとか、どういう思想か、どういうことを言ったとか、それに対して自分はこうだとか言うようなことが結構載っています。日本の小説でそんなことを書いたのは見たことも、聞いたこともありません。それからもうひとりフランスの作家でバルザックがいます。こちらは一般の小説のほかに金貸し、高利貸しをテーマにした小説を書いて、「金融小説集」という形で翻訳もされております。これにはバルザックに出てくる主人公が主体となって、お金のやりとりとか家賃がどうだとか、国債に投資したとか数字がかなり出てきます。こういう作家は日本では非常に珍しいしまずいません。でも私たちはこういう金融とか経済とか政治とかに明るい社会人・経済人というものが出てこないことには、本当の小説にはならないのではないかと考えております。先ほど引用した横光利一の話も結局、漱石は金が欲しくて小説を書いたんだと。だから日本の作家、小説家も、やはり金銭感覚の伴うようなことを書かなければ、もはや小説家とは言えないのではないかと、言いたかったのかと思います。
横光利一と上海
横光利一と言う人は「旅愁」では、パリ生活における主人公をテーマにしておりますが、その主題は西洋と東洋の対立という、甚だ思想的なあるいは政治的な話が根底にあります。それを背景に主人公はあれこれ、いろいろ行動するという形で、横光利一の代表作になっております。後でご紹介する横光利一の作品に1928（昭和3）年から31年にかけて書かれた「上海」という作品があります。ちょうど私の生まれた年くらいに横光利一が書いた作品です。この「上海」というのは、芥川竜之介から「お前とにかく上海に行って中国を見て来い」と言われて行ったというのです。それまで横光利一は、中国に行ったこともありません。当時中国というのはいわゆる世界主要国の植民地になっており、上海には至る所に各国の租界がありました。治外法権のある場所があり、そこには中国自身といえども警察権も行使できなければ何も行使できません。先進国のなすがままに放置せざるを得ない状況におかれていたのです。ですから同じ中国でも、中国の土地でありながら外国人が集中して住んでいましたので、東洋と西洋との違いというものを見出すわけです。大体同じ時期に谷崎潤一郎も中国に行っています。中国の要人、当時まだ若くて戦後も活躍した文化人で郭沫若という人がいますが、そういう方との交流があり日本人の見た中国観、中国人の見た中国観というものを対比しながら述べているところもあります。しかし、こういう類いの小説はユニークです。特に横光利一は作家でありながら、現在の日本の政治状況あるいは軍隊が中国でどういうことをしていて、中国人からどう見られているかということをテーマにしているわけです。同じ様な小説は、左翼の作家に色々あると思います。紡績業で働いている女工哀史の問題とか、あるいはプロレタリア作家の徳永直の作品はあります。しかし、横光利一のようにマルキシズム左翼に対して何の関心もない、日本の国粋主義者でもないし、ただ作家として自分のあるがままに見た中国観というものを本にして問うたという例は、ある意味では大変ユニークな例ではないかと思います。
経済小説と城山三郎
経済事項とかあるいは経済人、社会人の入らない小説というのは小説ではないという風潮が、だんだん戦後強くなってまいりました。そこで戦後初めて経済小説と言われるジャンルが開拓されました。その第一人者は何といっても城山三郎だと思います。城山三郎は私より一つ年上で、学年は一緒、同じ先生に付いたという関係にあり、熊本にも４,５回は来て講演をしています。この人は元々名古屋の出身で、名古屋の商業学校を出てから、戦争中ですから、海軍の予科練に入りました。これは当時の特攻隊要員で、それに志願して特攻隊に入りますが、戦争に行くことなしに負けて戻って来ました。この城山青年というのは非常に愛国主義者で、日本の国のために何かをしなければということで自ら志願し、軍隊の崇高な理念に共鳴して入りました。ところが実際に入ってみたら軍隊はとんでもないところで、理想とは天国と地獄のような違いがあり、そのむごたらしさにうんざりして敗戦を迎えたということです。ですからそういうような思いを胸に秘めながら、日本の国のあるべき姿を考えていきたいということで経済学というものを選び、一橋大学を出てから名古屋の愛知教育大学の先生をしていました。大学では景気論、今は景気変動論というのでしょうか、景気が色々良くなったり悪くなったりするメカニズムを解明するという学問の領域ですが。こういう学問をしていまして、私も同じですが、一番気になるのは経済の中で経済人とか社会人とかいう人の動き行動の結果です。ところが当時の経済学、今でもそうだと思いますが、経済学にはおよそ人間というものは全く出て来ません。これはもともとの学問の生い立ちから言って、自然科学の分野を経済の分野に応用して出来た学問ですから大変物理的です。ですからそこには人間なんてカケラもなく、人間の痛みとか喜びとか悲しみとかは全く出て来ないのです。ところが実際の我々の生活は喜びがあり悲しみがありという形で成り立っているし、隣近所、ご近所様との関係とか、あるいは学校で何をしたとかいうようなことで成り立っている生活なのです。要するに、学校で教えていただいている経済学と現実に私たちが見る経済学というのは全く違うというところに、幻滅感を感じたのです。そこで彼の行動にあらたに出てきたのが、学問ではとても無理だから小説の分野で人間を書いてみようということが、城山文学の恐らく出発点ではなかったろうかと思います。
経済小説の中に人物を描く
人間の生活になると、きれい事ばかりでは済まず、汚いことや裏側にドロドロした生身の体の人間が介在するわけです。そういうものをどうやって表現するか、そういうことを書かなければ、本当の人間の動きというものはわからないといえます。城山三郎「総会屋錦城」では直木賞を取りましたが、総会屋の話です。戦前から日本の社会には総会屋というのが存在しました。社会悪として、むしろ必要悪と言いましょうか、むしろ企業が抱えていたという状況です。だから言ってみれば裏の世界に住む人の話ですから表には全く出て来ません。それまでまともな小説や随筆を書いたのに対して、実際の総会屋が読み「こんなことじゃ世の中わかるはずないよ」と言ったことに気がついて、それで総会屋に取材をしに行って書いたのが「総会屋錦城」という、非常に当時としてはテーマに総会屋を選んだ珍しい小説であったわけです。それをきっかけにして色々な作品を書いております。例えばスーパーのダイエーを創設した中内功さんをモデルにした「価格破壊」とか、群馬の足尾鉱山の公害に対して当時の田中正造は、公害をいかに除去させるかという反対運動をもって会社と対抗しました。その会社は現在の古河機械金属工業という会社ですが、それに対して対抗して恐らく公害事件で初めて、水俣病公害よりもはるか以前に、明治の頃にそういうことをやった人を主人公にした小説を書いたりしています。一番有名なのは「落日燃ゆ」という戦前総理大臣をやって戦後何も抗弁しないで、絞首刑を甘んじて受けて亡くなったという大分出身の総理大臣広田弘毅のことを書いた作品です。この「落日燃ゆ」は、政界、財界上げて総ての方から喝采を受けたという典型的な作品です。城山三郎にでてくる主人公は、みんなどんな逆境にあっても自分の信念は曲げないとかあるいはロマンを追求するとか、そういう人物が総てです。どっか曲ったような人は、一人も出て来ませんので、佐高 信は城山三郎には偉人伝を書く危険性があると指摘しております。そうかもしれません、みんな立派な人ですし、一人としてへそ曲がりな人は全くいません。今年亡くなられた私たち銀行の大先輩に中山素平という人がいますが、この人は日本興業銀行頭取時代に、今の新日本製鉄(八幡製鉄)と富士製鉄を合併させたり、あるいは沢山あった海運会社を大胆に数社に集約し産業再生に大いに貢献し、その後の日本の発展に寄与された人です。財界人でもどう考えてもナンバーワンであるということは誰しも認めるところです。私も中山素平さんには、もう90歳を超して銀行にわざわざお出でいただいてお会いしたことがありましたが、90歳を超えているにも関わらず秘書も何にもつけないでお一人で、とことこ歩いて銀行にお出でいただき大変恐縮いたしました。城山三郎には、そういう立派な人間、リーダーシップをもってそれを果敢に実行していく人とか、あるいは組織の中にあって、エリートがエリートとして組織に押しつぶされて組織の下積みになり、そういう状況下でそのエリートはどういうふうに仕事をやっていたかというのをテーマにした「小説日本銀行」などを書いています。そういうように地位には拘らないで人間性だとかに共感するものをとりあげているんです。そういうような人間が出てきてはじめて経済小説というのが成り立ってきたという意味では城山三郎は、経済小説のパイオニアであるといってもいいと思います。
ところがその後経済小説家といわれる人はたくさんでてきました。その多くは面白可笑しく社会の裏側をえぐり出すとかあるいはスキャンダルをテーマにするとか、そういう作家が非常に増えて来ました。これは悪い点をあからさまに表にだすということしかなくて、世の中の為にならない、役にたたないという、そんな小説ではいわゆる経済小説とは言えないということを城山三郎は言っています。将にそうだろうと思います。従って城山三郎の作品は、彼の生き様とかあるいは学校での教育であるとか、あるいは軍隊での経験とかそういうものをベースにして小説を書いているというところに特徴があります。皆さんの中には城山三郎の小説をお読みになっている方もいらっしゃるかもしれませんが、そういうことで読み直されると、経済学の本を読むよりもよほど社会とか経済とか実態がわかると思います。その意味では少なくとも実体を知ると同時に、自分にとってもプラスになると言うようなのもあるのではないでしょうか。
昭和の初めと現代
それから城山三郎の作品について申しあげましたが、もうひとつ経済小説とは言わず横光利一の作品が時代の様相を的確に捉えているという点で、「上海」の説明を先ほどいたしました。当時の1930（昭和5）年、私の生まれた1928年前後は、明治以降発達してきた日本の紡績業が、発達するに応じてコストがどんどん高くなって来た頃でもあります。それで国内生産では国際競争力に劣ってくるので工場を中国に作りました。これは中国に紡績業をつくるというので、在華紡というふうにいわれています。同じようなことは英国でもありました。今ちょうど上海に世界各国の国、人が往来してビジネスをやっているということは、1930年頃と非常によく似ていまます。時代背景が違いますが共通していることは、グローバリゼーションというものがかなり進んでいます。1930年の時もそうだったし今もそうです。その度合いはどうかと言うと、むしろ戦前の方がグローバリゼーションは進んでいたと言えないこともないんです。それで当時の中国の人件費は日本人の人件費の半分以下。かつては中国も日本の人件費の十分の一とか言われていましたが、今では沿岸地域の活発に動いている所は、かなり高くなっています。内陸地帯はまだまだ低いとは思いますが、賃金格差というのは同じようにあります。ところが日本の場合は、10年から15年間で、中国市場をある意味で英国に勝ち制覇しました。その理由の一つは高い技術力ともう一つは現地の安い労働力を酷使したという労働強化です。コストを下げ、あわせて植民地、租界がありましたので、日本陸軍が民間人を保護したという軍事力による保護というこの二つが大きく貢献したというふうに思います。今はそんなことはありませんけれども、グローバルな展開で今は英国に変わってアメリカですが、アメリカ、日本、ドイツやフランスは、中国市場でかなり熾烈な競争をしています。その意味では、ちょうど今から70年前と変らない状況です。歴史は繰り返すということではありませんけれども、何十年ごとに主役は変っても同じような状況が出てくるということです。そこで横光利一は何を見たかと言うと、上海は西洋と東洋とが将にぶつかりあってその色合いを残しながら、曖昧模糊とした形で進んでいることです。東洋でもなければ西洋でもないという、従って将来グローバリゼーションが進んでいった場合に、日本の国益というのはかなり問題になるのではないか。つまり戦前でいえば英国との競争です、英国との競争がどうなるか。最近の事例で言えば、日米の競争がどうなるかということになってくるわけです。これに対してもちろん明快な答えは与えておりませんけれども、横光は戦前の上海をみて、将来の日米戦争あるいは日中戦争というものを、ある程度予想していたということは言えるのではないかと思います。その意味で文学者であり作家でありながら、世の中を見る目はたいへん立派だったのではないかと思います。
おわりに
戦前と戦後という時代の違いはありますが、歴史というものは似通っている面があるのです。ですから似通った面を比較しながら学問でもいいですけれど、小説として今後の日本人のあり方としてどう考えていったらいいのかとか、あるいは今の中国人が日本をどう見ているのかとか、アメリカをどう見ているのかと言うことも、あわせて関心の対象にならなければいけないと思います。そうすることによって、文学と経済問題あるいは社会との問題というものの溝というものがドンドン埋まってくると思います。政治、経済問題を我々は日々新聞等で目にしておりますが、文学という作品により、一部フィクションではあるにせよ、そういうものを読み取るということは、いかに私たちの頭をブラッシュアップするためにも必要なことではないかと思います。(文責：松村直寛）
肥後銀行顧問 稲垣 精一
ご紹介いただきました稲垣です。長いこと銀行員生活をしてきましたから、経済とか金融とかそちらの方はある程度必要に応じて読んでおりますが、小説は余り読んでいません。アイルランド文学といっても経済と関係のある文学は聞いたことがなく、知らないので、やむを得ず「小説と経済」という題にしました。
経済小説について
まず戦前から戦後にかけて活躍した作家に「旅愁」の横光利一がおります。横光利一の言葉の中に、「夏目漱石は金が欲しくて書いた作品が今から思うと一番よかった。いい作品だった」と漱石が言っているそうです。従来の日本というより戦前の日本といってもいいですが、日本の小説の世界に登場してくる人物は、自己本位の道楽的な職業生活者というような人が多くて、これはヨーロッパと非常に違うところです。ヨーロッパの知識人は、金銭感覚も豊かな人が多いのです。作家の中にも経済や金融の小説を書いている人が結構おられます。その代表的なのがフランスの作家でゾラです。エミール・ゾラという人に経済の小説がありますが、そこにはマルクス主義がどうだとか、どういう思想か、どういうことを言ったとか、それに対して自分はこうだとか言うようなことが結構載っています。日本の小説でそんなことを書いたのは見たことも、聞いたこともありません。それからもうひとりフランスの作家でバルザックがいます。こちらは一般の小説のほかに金貸し、高利貸しをテーマにした小説を書いて、「金融小説集」という形で翻訳もされております。これにはバルザックに出てくる主人公が主体となって、お金のやりとりとか家賃がどうだとか、国債に投資したとか数字がかなり出てきます。こういう作家は日本では非常に珍しいしまずいません。でも私たちはこういう金融とか経済とか政治とかに明るい社会人・経済人というものが出てこないことには、本当の小説にはならないのではないかと考えております。先ほど引用した横光利一の話も結局、漱石は金が欲しくて小説を書いたんだと。だから日本の作家、小説家も、やはり金銭感覚の伴うようなことを書かなければ、もはや小説家とは言えないのではないかと、言いたかったのかと思います。
横光利一と上海
横光利一と言う人は「旅愁」では、パリ生活における主人公をテーマにしておりますが、その主題は西洋と東洋の対立という、甚だ思想的なあるいは政治的な話が根底にあります。それを背景に主人公はあれこれ、いろいろ行動するという形で、横光利一の代表作になっております。後でご紹介する横光利一の作品に1928（昭和3）年から31年にかけて書かれた「上海」という作品があります。ちょうど私の生まれた年くらいに横光利一が書いた作品です。この「上海」というのは、芥川竜之介から「お前とにかく上海に行って中国を見て来い」と言われて行ったというのです。それまで横光利一は、中国に行ったこともありません。当時中国というのはいわゆる世界主要国の植民地になっており、上海には至る所に各国の租界がありました。治外法権のある場所があり、そこには中国自身といえども警察権も行使できなければ何も行使できません。先進国のなすがままに放置せざるを得ない状況におかれていたのです。ですから同じ中国でも、中国の土地でありながら外国人が集中して住んでいましたので、東洋と西洋との違いというものを見出すわけです。大体同じ時期に谷崎潤一郎も中国に行っています。中国の要人、当時まだ若くて戦後も活躍した文化人で郭沫若という人がいますが、そういう方との交流があり日本人の見た中国観、中国人の見た中国観というものを対比しながら述べているところもあります。しかし、こういう類いの小説はユニークです。特に横光利一は作家でありながら、現在の日本の政治状況あるいは軍隊が中国でどういうことをしていて、中国人からどう見られているかということをテーマにしているわけです。同じ様な小説は、左翼の作家に色々あると思います。紡績業で働いている女工哀史の問題とか、あるいはプロレタリア作家の徳永直の作品はあります。しかし、横光利一のようにマルキシズム左翼に対して何の関心もない、日本の国粋主義者でもないし、ただ作家として自分のあるがままに見た中国観というものを本にして問うたという例は、ある意味では大変ユニークな例ではないかと思います。
経済小説と城山三郎
経済事項とかあるいは経済人、社会人の入らない小説というのは小説ではないという風潮が、だんだん戦後強くなってまいりました。そこで戦後初めて経済小説と言われるジャンルが開拓されました。その第一人者は何といっても城山三郎だと思います。城山三郎は私より一つ年上で、学年は一緒、同じ先生に付いたという関係にあり、熊本にも４,５回は来て講演をしています。この人は元々名古屋の出身で、名古屋の商業学校を出てから、戦争中ですから、海軍の予科練に入りました。これは当時の特攻隊要員で、それに志願して特攻隊に入りますが、戦争に行くことなしに負けて戻って来ました。この城山青年というのは非常に愛国主義者で、日本の国のために何かをしなければということで自ら志願し、軍隊の崇高な理念に共鳴して入りました。ところが実際に入ってみたら軍隊はとんでもないところで、理想とは天国と地獄のような違いがあり、そのむごたらしさにうんざりして敗戦を迎えたということです。ですからそういうような思いを胸に秘めながら、日本の国のあるべき姿を考えていきたいということで経済学というものを選び、一橋大学を出てから名古屋の愛知教育大学の先生をしていました。大学では景気論、今は景気変動論というのでしょうか、景気が色々良くなったり悪くなったりするメカニズムを解明するという学問の領域ですが。こういう学問をしていまして、私も同じですが、一番気になるのは経済の中で経済人とか社会人とかいう人の動き行動の結果です。ところが当時の経済学、今でもそうだと思いますが、経済学にはおよそ人間というものは全く出て来ません。これはもともとの学問の生い立ちから言って、自然科学の分野を経済の分野に応用して出来た学問ですから大変物理的です。ですからそこには人間なんてカケラもなく、人間の痛みとか喜びとか悲しみとかは全く出て来ないのです。ところが実際の我々の生活は喜びがあり悲しみがありという形で成り立っているし、隣近所、ご近所様との関係とか、あるいは学校で何をしたとかいうようなことで成り立っている生活なのです。要するに、学校で教えていただいている経済学と現実に私たちが見る経済学というのは全く違うというところに、幻滅感を感じたのです。そこで彼の行動にあらたに出てきたのが、学問ではとても無理だから小説の分野で人間を書いてみようということが、城山文学の恐らく出発点ではなかったろうかと思います。
経済小説の中に人物を描く
人間の生活になると、きれい事ばかりでは済まず、汚いことや裏側にドロドロした生身の体の人間が介在するわけです。そういうものをどうやって表現するか、そういうことを書かなければ、本当の人間の動きというものはわからないといえます。城山三郎「総会屋錦城」では直木賞を取りましたが、総会屋の話です。戦前から日本の社会には総会屋というのが存在しました。社会悪として、むしろ必要悪と言いましょうか、むしろ企業が抱えていたという状況です。だから言ってみれば裏の世界に住む人の話ですから表には全く出て来ません。それまでまともな小説や随筆を書いたのに対して、実際の総会屋が読み「こんなことじゃ世の中わかるはずないよ」と言ったことに気がついて、それで総会屋に取材をしに行って書いたのが「総会屋錦城」という、非常に当時としてはテーマに総会屋を選んだ珍しい小説であったわけです。それをきっかけにして色々な作品を書いております。例えばスーパーのダイエーを創設した中内功さんをモデルにした「価格破壊」とか、群馬の足尾鉱山の公害に対して当時の田中正造は、公害をいかに除去させるかという反対運動をもって会社と対抗しました。その会社は現在の古河機械金属工業という会社ですが、それに対して対抗して恐らく公害事件で初めて、水俣病公害よりもはるか以前に、明治の頃にそういうことをやった人を主人公にした小説を書いたりしています。一番有名なのは「落日燃ゆ」という戦前総理大臣をやって戦後何も抗弁しないで、絞首刑を甘んじて受けて亡くなったという大分出身の総理大臣広田弘毅のことを書いた作品です。この「落日燃ゆ」は、政界、財界上げて総ての方から喝采を受けたという典型的な作品です。城山三郎にでてくる主人公は、みんなどんな逆境にあっても自分の信念は曲げないとかあるいはロマンを追求するとか、そういう人物が総てです。どっか曲ったような人は、一人も出て来ませんので、佐高 信は城山三郎には偉人伝を書く危険性があると指摘しております。そうかもしれません、みんな立派な人ですし、一人としてへそ曲がりな人は全くいません。今年亡くなられた私たち銀行の大先輩に中山素平という人がいますが、この人は日本興業銀行頭取時代に、今の新日本製鉄(八幡製鉄)と富士製鉄を合併させたり、あるいは沢山あった海運会社を大胆に数社に集約し産業再生に大いに貢献し、その後の日本の発展に寄与された人です。財界人でもどう考えてもナンバーワンであるということは誰しも認めるところです。私も中山素平さんには、もう90歳を超して銀行にわざわざお出でいただいてお会いしたことがありましたが、90歳を超えているにも関わらず秘書も何にもつけないでお一人で、とことこ歩いて銀行にお出でいただき大変恐縮いたしました。城山三郎には、そういう立派な人間、リーダーシップをもってそれを果敢に実行していく人とか、あるいは組織の中にあって、エリートがエリートとして組織に押しつぶされて組織の下積みになり、そういう状況下でそのエリートはどういうふうに仕事をやっていたかというのをテーマにした「小説日本銀行」などを書いています。そういうように地位には拘らないで人間性だとかに共感するものをとりあげているんです。そういうような人間が出てきてはじめて経済小説というのが成り立ってきたという意味では城山三郎は、経済小説のパイオニアであるといってもいいと思います。
ところがその後経済小説家といわれる人はたくさんでてきました。その多くは面白可笑しく社会の裏側をえぐり出すとかあるいはスキャンダルをテーマにするとか、そういう作家が非常に増えて来ました。これは悪い点をあからさまに表にだすということしかなくて、世の中の為にならない、役にたたないという、そんな小説ではいわゆる経済小説とは言えないということを城山三郎は言っています。将にそうだろうと思います。従って城山三郎の作品は、彼の生き様とかあるいは学校での教育であるとか、あるいは軍隊での経験とかそういうものをベースにして小説を書いているというところに特徴があります。皆さんの中には城山三郎の小説をお読みになっている方もいらっしゃるかもしれませんが、そういうことで読み直されると、経済学の本を読むよりもよほど社会とか経済とか実態がわかると思います。その意味では少なくとも実体を知ると同時に、自分にとってもプラスになると言うようなのもあるのではないでしょうか。
昭和の初めと現代
それから城山三郎の作品について申しあげましたが、もうひとつ経済小説とは言わず横光利一の作品が時代の様相を的確に捉えているという点で、「上海」の説明を先ほどいたしました。当時の1930（昭和5）年、私の生まれた1928年前後は、明治以降発達してきた日本の紡績業が、発達するに応じてコストがどんどん高くなって来た頃でもあります。それで国内生産では国際競争力に劣ってくるので工場を中国に作りました。これは中国に紡績業をつくるというので、在華紡というふうにいわれています。同じようなことは英国でもありました。今ちょうど上海に世界各国の国、人が往来してビジネスをやっているということは、1930年頃と非常によく似ていまます。時代背景が違いますが共通していることは、グローバリゼーションというものがかなり進んでいます。1930年の時もそうだったし今もそうです。その度合いはどうかと言うと、むしろ戦前の方がグローバリゼーションは進んでいたと言えないこともないんです。それで当時の中国の人件費は日本人の人件費の半分以下。かつては中国も日本の人件費の十分の一とか言われていましたが、今では沿岸地域の活発に動いている所は、かなり高くなっています。内陸地帯はまだまだ低いとは思いますが、賃金格差というのは同じようにあります。ところが日本の場合は、10年から15年間で、中国市場をある意味で英国に勝ち制覇しました。その理由の一つは高い技術力ともう一つは現地の安い労働力を酷使したという労働強化です。コストを下げ、あわせて植民地、租界がありましたので、日本陸軍が民間人を保護したという軍事力による保護というこの二つが大きく貢献したというふうに思います。今はそんなことはありませんけれども、グローバルな展開で今は英国に変わってアメリカですが、アメリカ、日本、ドイツやフランスは、中国市場でかなり熾烈な競争をしています。その意味では、ちょうど今から70年前と変らない状況です。歴史は繰り返すということではありませんけれども、何十年ごとに主役は変っても同じような状況が出てくるということです。そこで横光利一は何を見たかと言うと、上海は西洋と東洋とが将にぶつかりあってその色合いを残しながら、曖昧模糊とした形で進んでいることです。東洋でもなければ西洋でもないという、従って将来グローバリゼーションが進んでいった場合に、日本の国益というのはかなり問題になるのではないか。つまり戦前でいえば英国との競争です、英国との競争がどうなるか。最近の事例で言えば、日米の競争がどうなるかということになってくるわけです。これに対してもちろん明快な答えは与えておりませんけれども、横光は戦前の上海をみて、将来の日米戦争あるいは日中戦争というものを、ある程度予想していたということは言えるのではないかと思います。その意味で文学者であり作家でありながら、世の中を見る目はたいへん立派だったのではないかと思います。
おわりに
戦前と戦後という時代の違いはありますが、歴史というものは似通っている面があるのです。ですから似通った面を比較しながら学問でもいいですけれど、小説として今後の日本人のあり方としてどう考えていったらいいのかとか、あるいは今の中国人が日本をどう見ているのかとか、アメリカをどう見ているのかと言うことも、あわせて関心の対象にならなければいけないと思います。そうすることによって、文学と経済問題あるいは社会との問題というものの溝というものがドンドン埋まってくると思います。政治、経済問題を我々は日々新聞等で目にしておりますが、文学という作品により、一部フィクションではあるにせよ、そういうものを読み取るということは、いかに私たちの頭をブラッシュアップするためにも必要なことではないかと思います。(文責：松村直寛）
2006年04月04日
Lecture and Study in Cincinnati and Orleans, by Alan Rosen
Lecture and Study in Cincinnati and New Orleans, July and August 2001
By Alan Rosen
This summer I was honored to be asked to speak on Lafcadio Hearn at the
Public Library of Cincinnati and Hamilton County in Cincinnati, Ohio, the
city where roughly 130 years ago this lonely and very hungry, half-Greek
half-Irish boy discovered his talent as a writer and consequently changed
Japan.
For me, visiting Cincinnati was especially interesting since, although I
had grown up in the United States, I had never been there before.
It was the first of many "firsts" for me on this brief (one-week) but very
full lecture and study trip together with about 30 enthusiastic members of
the Lafcadio Hearn Society of Japan.
Though I have known the Society's president, Professor Zenimoto, and
the Kumamoto Hearn Society members for years, I was fortunate to be able
to make the new acquaintance of many Hearn lovers from various parts of
Japan--from Shimane and Tokyo, of course, but also from Toyama and
Yamaguchi.
The speech I presented was one hour long on the topic of my recent
research, Hearn and Dreams.
The weather that day was quite hot and humid, but the Library's lecture
room was very cool and comfortable. This was good and bad, I realized,
as the combination of jet-lag for the Japanese listeners (it was 4 a.m.
Japan time), the topic (dreams), and the extraeffort required to comprehend
an academic talk in English created a nearly irresistible temptation for
the Japanese audience to fall asleep. Which many of them did. Still,
it was a rare pleasure for me to be able to speak about Hearn in my mother
tongue and in the city of Cincinnati, about which I had read so much
through Hearn's writings.
My only concern was that I try to speak slowly enough for the Japanese
members to keep up, but not too slowly so as to bore the native-speaker
listeners.
There were many surprises. The first such surprise was the
luxuriousness of the hotel room I was given at the Garfield Suites: apent
house suite, two floors, two very spacious bedrooms, three bathrooms, a
big kitchen with everything you could want including a dishwasher, and two
balconies from which to enjoy views of the city.
This hotel room was largerthan my house in Kumamoto. Everyone who saw
it said, "Mottainai." I owe thanks to Dr. Tanaka and his family and to
Sylvia Metzinger, the Rare Books librarian, for arranging this and many
other things so perfectly.
In Cincinnati we had a custom bus-tour of the city, focussing on places
related to Hearn's life and writings.
Many of the buildings and houses are,of course, no longer standing,
so it was interesting to watch many members of our tour group--including
me--taking numerous photographs of empty spaces and parking lots and
buildings that no longer have anything to do with Hearn except that they
may be standing in a spot where we think Hearn used to do something.
Still, it was exciting to be in the same places Hearn had been.
The group's next visit was to New Orleans. It was my first time
there, too. I was dreading the heat, for it is supposedly one of the
hottest cities in the US. But compared with summer in Kumamoto, it was
not so uncomfortable at all. There was usually a good breeze, a tolerable
level of humidity, and once you were in the shade, it was quite pleasant.
Ienjoyed nearly everything about the city, and I felt I knew why Hearn had
decided to live there so long.
It had polite and friendly people, excellent food (cajun and creole),
charming architecture (French Quarter), live music (cajun and dixieland),
and a special Southern atmosphere (full moon over the Mississippi River,
a steamboat gliding down).
Our visits to the Tulane University Library, with special permission
to access their collection of rare Hearn materials, were especially
fruitful.
There was an abundance of manuscripts and other material that is very hard,
if not impossible, to find in Japan. The staff seemed prepared for our
arrival, as they were extremely helpful, kind, and tolerant of our sometimes
noisy group of 30 excited visiting researchers. I did not know when I could
get another chance to visit Tulane, so I thought it best tospend the entire
day looking through the materials and copying, copying,copying.
My suitcase got very heavy, but I am content that I can now spend time
leisurely reading over the thick stack of Hearn papers I brought back
to Japan.
It was also enjoyable to be part of a Japanese tour group, not in
Japan, where I have joined such tours, but in my own country.
This was another first-time experience, and I learned a lot from watching
the two cultures interacting.
I was reminded that knowing the language of a countryis only the first step
in intercultural communication, and that all of us who participate in the
fascinating activity of crossing cultures need to continue our efforts to
understand and to be understood. Wherever we went,Hearn was with us in
spirit, as we all tried to be cross-cultural bridges for understanding.
（10.1.2001）
By Alan Rosen
This summer I was honored to be asked to speak on Lafcadio Hearn at the
Public Library of Cincinnati and Hamilton County in Cincinnati, Ohio, the
city where roughly 130 years ago this lonely and very hungry, half-Greek
half-Irish boy discovered his talent as a writer and consequently changed
Japan.
For me, visiting Cincinnati was especially interesting since, although I
had grown up in the United States, I had never been there before.
It was the first of many "firsts" for me on this brief (one-week) but very
full lecture and study trip together with about 30 enthusiastic members of
the Lafcadio Hearn Society of Japan.
Though I have known the Society's president, Professor Zenimoto, and
the Kumamoto Hearn Society members for years, I was fortunate to be able
to make the new acquaintance of many Hearn lovers from various parts of
Japan--from Shimane and Tokyo, of course, but also from Toyama and
Yamaguchi.
The speech I presented was one hour long on the topic of my recent
research, Hearn and Dreams.
The weather that day was quite hot and humid, but the Library's lecture
room was very cool and comfortable. This was good and bad, I realized,
as the combination of jet-lag for the Japanese listeners (it was 4 a.m.
Japan time), the topic (dreams), and the extraeffort required to comprehend
an academic talk in English created a nearly irresistible temptation for
the Japanese audience to fall asleep. Which many of them did. Still,
it was a rare pleasure for me to be able to speak about Hearn in my mother
tongue and in the city of Cincinnati, about which I had read so much
through Hearn's writings.
My only concern was that I try to speak slowly enough for the Japanese
members to keep up, but not too slowly so as to bore the native-speaker
listeners.
There were many surprises. The first such surprise was the
luxuriousness of the hotel room I was given at the Garfield Suites: apent
house suite, two floors, two very spacious bedrooms, three bathrooms, a
big kitchen with everything you could want including a dishwasher, and two
balconies from which to enjoy views of the city.
This hotel room was largerthan my house in Kumamoto. Everyone who saw
it said, "Mottainai." I owe thanks to Dr. Tanaka and his family and to
Sylvia Metzinger, the Rare Books librarian, for arranging this and many
other things so perfectly.
In Cincinnati we had a custom bus-tour of the city, focussing on places
related to Hearn's life and writings.
Many of the buildings and houses are,of course, no longer standing,
so it was interesting to watch many members of our tour group--including
me--taking numerous photographs of empty spaces and parking lots and
buildings that no longer have anything to do with Hearn except that they
may be standing in a spot where we think Hearn used to do something.
Still, it was exciting to be in the same places Hearn had been.
The group's next visit was to New Orleans. It was my first time
there, too. I was dreading the heat, for it is supposedly one of the
hottest cities in the US. But compared with summer in Kumamoto, it was
not so uncomfortable at all. There was usually a good breeze, a tolerable
level of humidity, and once you were in the shade, it was quite pleasant.
Ienjoyed nearly everything about the city, and I felt I knew why Hearn had
decided to live there so long.
It had polite and friendly people, excellent food (cajun and creole),
charming architecture (French Quarter), live music (cajun and dixieland),
and a special Southern atmosphere (full moon over the Mississippi River,
a steamboat gliding down).
Our visits to the Tulane University Library, with special permission
to access their collection of rare Hearn materials, were especially
fruitful.
There was an abundance of manuscripts and other material that is very hard,
if not impossible, to find in Japan. The staff seemed prepared for our
arrival, as they were extremely helpful, kind, and tolerant of our sometimes
noisy group of 30 excited visiting researchers. I did not know when I could
get another chance to visit Tulane, so I thought it best tospend the entire
day looking through the materials and copying, copying,copying.
My suitcase got very heavy, but I am content that I can now spend time
leisurely reading over the thick stack of Hearn papers I brought back
to Japan.
It was also enjoyable to be part of a Japanese tour group, not in
Japan, where I have joined such tours, but in my own country.
This was another first-time experience, and I learned a lot from watching
the two cultures interacting.
I was reminded that knowing the language of a countryis only the first step
in intercultural communication, and that all of us who participate in the
fascinating activity of crossing cultures need to continue our efforts to
understand and to be understood. Wherever we went,Hearn was with us in
spirit, as we all tried to be cross-cultural bridges for understanding.
（10.1.2001）
Kumamoto Japan-Ireland Society Annual General Meeting 10th Anniversary
Mr President,Members of the Kumamoto Japan-Ireland Society,
As you all know, Lafcadio Hearn arrived in Kumamoto at the end of 1891 to
teach Latin and English at the large Government college here, the predecessor
of Kumamoto University.
It would be unfaithful to the record to deny that he did not immediately
fell in love with the place; on the contrary, he was immediately depressed
with what he called this “straggling, dull, unsightly”,half-Europeanised
garrison town with its soldiers and the antiseptic red brick of the
Government College.
What he had been hit with was the disappearance of enchantment, the
knowledge that he would now have to grow old and suffer the “sorrows of
the nineteenth century”, as he put it.
“I wish I could fly out of Meiji forever”, he said, “back against the
stream of time into Temp?, or into the age of the Mikado Y?riaku − fourteen
hundred years ago.
The life of the old fans, the old screens, the tiny villages, that is the
real Japan I love. Somehow or other, Kumamoto doesn’t seem to me Japan
at all. I hate it.”
Hearn was upset at the way modernisation was changing Japan. He yearned
to turn back the clock.
In a more extended diatribe, he put it thus:
“So Japan paid to learn how to see shadows in Nature, in life,
and in thought.
And the West taught her that the sole business of the divine sun was
the making of the chaper kind of shadows.
And the West taught her that the higher-priced shadows were the sole
product of Western cilivisation, and bade her admire and adopt. Then Japan
wondered at the shadows of machinery and chimneys and telegraph poles;
and at the shadows of mines and of factories, and the shadows in the hearts
of those who worked there; and at the shadows of housese twenty storeys high,
and of hunger begging under them; and shadows of enormous charities that
multiplied poverty;and shadows of social reforms that multiplied vice; and
the shadows of shams and hypocrisies and swallow-tail coats; and the shadow
of a foreign God, said to have created mankind for the purpose of
an auto-da-fe´. Whereat Japan became rather serious, and refused to study
any more silhouettes.
Fortunately for the world, she returned to her first matchless art; and,
fortunately for herself, returned to her own beautiful faith. but some of
the shadows still cling to her life; and she cannot possibly get rid of
them.
Never again can the world seem to her quite so beautiful as it did before.”
This is a point of view which I well understand and with which we
can all, I suppose, sympathise.
If I understand the point of view very well, it is because Ireland
too can be seen as having lost its enchantment during my lifetime. Sixty
years ago, one of the most famous Prime Ministers of Ireland, Eamon de Valera,
set out his vision of an ideal Ireland on St.Patrick’s Day.
“That Ireland which we dreamed of,” he said, “would be the home
of a people who valued material wealth only as a basis of right living,
of a people who were satisfied with frugal comfort and devoted their leisure
to the things of the spirit; a land whose countryside would be bright with
cosy homesteads, whosefields and villages would be joyous with sounds of
industry,the romping of sturdy children, the contestss of athletic youths,
the laughter of comely maidens; whose firesides would be the forums of the
wisdom of serene old age.”
It was not to be, at least not as far as the value placed on
material wealth, or the satisfaction with frugal comfort, or the devotion to
things of the spirit are concerned.
Ireland came to advanced economic development much later than Japan.
After a spectacular burst of economic growth that begansome 10 years ago,
with growthrates for a number of years of over 10%, the highest in the OECD,
Ireland today enjoys a GDP per person which puts it in fourth place, after
Sweden, Luxembourg and Denmark, in the EU. The transformation from being the
poor man of Europe only 20 years ago has been intoxicating, as all such
transformations are.
For identities are stubborn things. I have noted, for instance, that though
Japan
has for many years been the second economic power in the world, the Japanese
self-image is still that of a small nation, even, to some extent,
a victim perhaps -- essentially an image which results from a defeat in a war
ofnow over 50 years ago.
Similarly, for centuries the Irish too saw themselves as essentially one of
the great losers in the historical lottery and, of course, unlike Japan, we
are really small. Just as Lefcadio Hearn did in regard to Japan at the end
of the nineteenth century, Ireland until recently fed onthe llusion that the
country could have a uniquely idylic vocation.
So we certainly have not come to terms with our new-found prosperity.
The disjuncture between image and reality does, of course, in the
case of Ireland at least, give rise to some problems. In the Irish case
they result from the inadequacy of some of the structures left over from an
overtaken era − their incompatibility with the demands of advanced
development.
On the level of physical infrastructure too, Ireland finds itself
struggling to update its sometimes 19th-century facilities to meet the
requirements of its 21st-century economy and the strain is obvious in the
area of ground transport, for instance.
In some ways, Ireland is like a teenager who has recently grown too fast
for his clothes.
Then there is the question of identity. The age of strong
nationalistic feelings is gone in Ireland, including the sense of a special
calling for Ireland.
A strong sense of nationalism meant a strong sense of separate identity.
The disappearance of strong nationalism is very welcome, but the
accompanying loss of an assurance about identity is more problematic.
The question was posed in an interesting way over the past year or so.
Ireland has enjoyed high levels of foreign investment, in particular
from the U.S., which hasbeen a very important factor in the high growth
rates of the 90s.
There has been growing along with this a sentiment that
globalisation wasthe most important contributory factor to this
development, and that what some have recently been calling “the old Europe”
might have been overtaken by this wave of the future.
Sentiments of this kind led the Irish Deputy Prime Minister to say during
2001 that she thought Ireland was nearer Boston than Berlin.
This might in some circumstances be taken as a relatively harmless exercise
in alliterative speech-making.
However, it so happened that in June 2001 a referendum was scheduled in
Ireland on ratification of the Nice Treaty, a very complicated adjustment
of the basic EU Treaties in order to permit enlargement of the European Union.
Given the very happy experience that Ireland has had as a member of the EU,
along with the fact that no less than four such referenda had previously,
since we joined the EU in 1973, passed comfortably, the universal expectation
was that the passing of this referendum too would be unproblematic.
This expectation resulted in a complacency on the part of the main political
parties,all of which were in favour, but which did not campaign actively.
At the same time, those who opposed the proposal had a relatively easy time
giving a simplistic negative reading of the complex
legal document which was submitted for ratification.
The result was a very low poll, in which a small majority said no. This was
a severe embarrassment for the Government, for, without ratification of the
Nice Treaty, the politically important enlargement of the EU could not proceed.
The Irish people were obliged to consider very carefully whether in fact we
were closer to Boston than to Berlin: the question needed imperatively to be
put again to the people as, without Irish ratification, the Nice Treaty could
not enter into force and enlargement of the EU could not take lace.
And so a campaign for ratification by referendum was re-opened one year
later with, this time, full commitment by all the established political parties
and, as a result, full realisation by the electorate of what was at stake.
The result showed that, for the people ofIreland, Berlin was at least as
important as Boston: in a large turnout, voted in favour of ratification by a
margin of almsost to 1.
That having been decided, however, it is true to say that Ireland’s
view of its membership of the EU is no longer what it was even five years ago.
We have already progressed to being one of the richer member States of the
present 15, not to speak of the 25 which will be members as of 1 May next.
Because of that, we are already moving from being net beneficiaries from the
operation of the Community budget to being net contributors. With enlargement
and foreseeable changes in the agricultural policy because of WTO negotiations,
this trend can only accentuate.
In sum, Ireland today is a country which has made very important progress in
economic development in thepast 15 years, bringing it to the first tier of
developed economies in the world -- in GDP per head,
No.10 in the world. In the course of that same accelerated development,
questions have arisen about its identity -- it being certain that the old
nationalistically accented identity has faded.
But when well-considered, a commitment to the European integration enterprise
as manifested in the EU seems to be an essential part of a modern Irish
identity. At the sametime, this does not yet completely cover
Ireland’s stance in international affairs. Here, a long-standing Irish
attachment to the central ro^le of the United Nations in the promotion and
maintenance of world peace comes to the fore, together with a question as to
the future viability of this option.
Ireland is not a country without problems. I have indicated some of them:
the speed of our recent economic development has left some of our
infrastructure, especially in transport, with some way still to go in order
to catch up. The very open economy, itself a very important factor in the
rather spectacular development, also leaves one exposed to the possibility
of downturn in the case of an evident slump in the world economy, such as
that we are now going through.
Here, too, the future is looking considerably murkier than it did only a
relatively short time ago.
Will the world economy, will the US economy, revive? Will the bodies that
oversaw the economic development at universal level since the Second World
War -- the IMF, the World Bank, WTO, the successor of GATT -- be still
able to function in the future as they have for 50 years now? These are
questions too which are as vital for Japan as theyare for Ireland,
dependent as we in Ireland are, even more than Japan, on the health of the
world economies and, in particular, on that of the US economy.
Overall, however, it would have to be said that, in any reasonable
historical perspective, Ireland today is experiencing one of the happiest
periods of her history, able for the first time ever, perhaps, to offer a
premium standard of living to all its population, no longer suffering the
haemorrhaging of emigration, and a secure member of one of the most
advanced societies of states in the world.
And so we find ourselves at the beginning of a new century, with
prosperity that our grandparents could not believe in, but also with
problems of a complexity which they could not imagine. And as for the
future, I return again to Lafcadio Hearn. What I see in Japan today is
a highly sophisticated modern economy which still manages to preserve a
distinctly Japanese identity, the product of a culture of sometwo
thousand years. The virtues noticed by Lafcadio Hearn more than one
hundred years ago I still see flourishing. So if, in the case of Japan,
Lafcadio Hearn’s pessimism of the 1890s is seen not to be justified
in 2003, I derive some hope for my own country. Perhaps,
after all, the dream that was dreamt by Eamon de Valera in 1943 need not
have been dreamed in vain?
I thank you for your attention.
As you all know, Lafcadio Hearn arrived in Kumamoto at the end of 1891 to
teach Latin and English at the large Government college here, the predecessor
of Kumamoto University.
It would be unfaithful to the record to deny that he did not immediately
fell in love with the place; on the contrary, he was immediately depressed
with what he called this “straggling, dull, unsightly”,half-Europeanised
garrison town with its soldiers and the antiseptic red brick of the
Government College.
What he had been hit with was the disappearance of enchantment, the
knowledge that he would now have to grow old and suffer the “sorrows of
the nineteenth century”, as he put it.
“I wish I could fly out of Meiji forever”, he said, “back against the
stream of time into Temp?, or into the age of the Mikado Y?riaku − fourteen
hundred years ago.
The life of the old fans, the old screens, the tiny villages, that is the
real Japan I love. Somehow or other, Kumamoto doesn’t seem to me Japan
at all. I hate it.”
Hearn was upset at the way modernisation was changing Japan. He yearned
to turn back the clock.
In a more extended diatribe, he put it thus:
“So Japan paid to learn how to see shadows in Nature, in life,
and in thought.
And the West taught her that the sole business of the divine sun was
the making of the chaper kind of shadows.
And the West taught her that the higher-priced shadows were the sole
product of Western cilivisation, and bade her admire and adopt. Then Japan
wondered at the shadows of machinery and chimneys and telegraph poles;
and at the shadows of mines and of factories, and the shadows in the hearts
of those who worked there; and at the shadows of housese twenty storeys high,
and of hunger begging under them; and shadows of enormous charities that
multiplied poverty;and shadows of social reforms that multiplied vice; and
the shadows of shams and hypocrisies and swallow-tail coats; and the shadow
of a foreign God, said to have created mankind for the purpose of
an auto-da-fe´. Whereat Japan became rather serious, and refused to study
any more silhouettes.
Fortunately for the world, she returned to her first matchless art; and,
fortunately for herself, returned to her own beautiful faith. but some of
the shadows still cling to her life; and she cannot possibly get rid of
them.
Never again can the world seem to her quite so beautiful as it did before.”
This is a point of view which I well understand and with which we
can all, I suppose, sympathise.
If I understand the point of view very well, it is because Ireland
too can be seen as having lost its enchantment during my lifetime. Sixty
years ago, one of the most famous Prime Ministers of Ireland, Eamon de Valera,
set out his vision of an ideal Ireland on St.Patrick’s Day.
“That Ireland which we dreamed of,” he said, “would be the home
of a people who valued material wealth only as a basis of right living,
of a people who were satisfied with frugal comfort and devoted their leisure
to the things of the spirit; a land whose countryside would be bright with
cosy homesteads, whosefields and villages would be joyous with sounds of
industry,the romping of sturdy children, the contestss of athletic youths,
the laughter of comely maidens; whose firesides would be the forums of the
wisdom of serene old age.”
It was not to be, at least not as far as the value placed on
material wealth, or the satisfaction with frugal comfort, or the devotion to
things of the spirit are concerned.
Ireland came to advanced economic development much later than Japan.
After a spectacular burst of economic growth that begansome 10 years ago,
with growthrates for a number of years of over 10%, the highest in the OECD,
Ireland today enjoys a GDP per person which puts it in fourth place, after
Sweden, Luxembourg and Denmark, in the EU. The transformation from being the
poor man of Europe only 20 years ago has been intoxicating, as all such
transformations are.
For identities are stubborn things. I have noted, for instance, that though
Japan
has for many years been the second economic power in the world, the Japanese
self-image is still that of a small nation, even, to some extent,
a victim perhaps -- essentially an image which results from a defeat in a war
ofnow over 50 years ago.
Similarly, for centuries the Irish too saw themselves as essentially one of
the great losers in the historical lottery and, of course, unlike Japan, we
are really small. Just as Lefcadio Hearn did in regard to Japan at the end
of the nineteenth century, Ireland until recently fed onthe llusion that the
country could have a uniquely idylic vocation.
So we certainly have not come to terms with our new-found prosperity.
The disjuncture between image and reality does, of course, in the
case of Ireland at least, give rise to some problems. In the Irish case
they result from the inadequacy of some of the structures left over from an
overtaken era − their incompatibility with the demands of advanced
development.
On the level of physical infrastructure too, Ireland finds itself
struggling to update its sometimes 19th-century facilities to meet the
requirements of its 21st-century economy and the strain is obvious in the
area of ground transport, for instance.
In some ways, Ireland is like a teenager who has recently grown too fast
for his clothes.
Then there is the question of identity. The age of strong
nationalistic feelings is gone in Ireland, including the sense of a special
calling for Ireland.
A strong sense of nationalism meant a strong sense of separate identity.
The disappearance of strong nationalism is very welcome, but the
accompanying loss of an assurance about identity is more problematic.
The question was posed in an interesting way over the past year or so.
Ireland has enjoyed high levels of foreign investment, in particular
from the U.S., which hasbeen a very important factor in the high growth
rates of the 90s.
There has been growing along with this a sentiment that
globalisation wasthe most important contributory factor to this
development, and that what some have recently been calling “the old Europe”
might have been overtaken by this wave of the future.
Sentiments of this kind led the Irish Deputy Prime Minister to say during
2001 that she thought Ireland was nearer Boston than Berlin.
This might in some circumstances be taken as a relatively harmless exercise
in alliterative speech-making.
However, it so happened that in June 2001 a referendum was scheduled in
Ireland on ratification of the Nice Treaty, a very complicated adjustment
of the basic EU Treaties in order to permit enlargement of the European Union.
Given the very happy experience that Ireland has had as a member of the EU,
along with the fact that no less than four such referenda had previously,
since we joined the EU in 1973, passed comfortably, the universal expectation
was that the passing of this referendum too would be unproblematic.
This expectation resulted in a complacency on the part of the main political
parties,all of which were in favour, but which did not campaign actively.
At the same time, those who opposed the proposal had a relatively easy time
giving a simplistic negative reading of the complex
legal document which was submitted for ratification.
The result was a very low poll, in which a small majority said no. This was
a severe embarrassment for the Government, for, without ratification of the
Nice Treaty, the politically important enlargement of the EU could not proceed.
The Irish people were obliged to consider very carefully whether in fact we
were closer to Boston than to Berlin: the question needed imperatively to be
put again to the people as, without Irish ratification, the Nice Treaty could
not enter into force and enlargement of the EU could not take lace.
And so a campaign for ratification by referendum was re-opened one year
later with, this time, full commitment by all the established political parties
and, as a result, full realisation by the electorate of what was at stake.
The result showed that, for the people ofIreland, Berlin was at least as
important as Boston: in a large turnout, voted in favour of ratification by a
margin of almsost to 1.
That having been decided, however, it is true to say that Ireland’s
view of its membership of the EU is no longer what it was even five years ago.
We have already progressed to being one of the richer member States of the
present 15, not to speak of the 25 which will be members as of 1 May next.
Because of that, we are already moving from being net beneficiaries from the
operation of the Community budget to being net contributors. With enlargement
and foreseeable changes in the agricultural policy because of WTO negotiations,
this trend can only accentuate.
In sum, Ireland today is a country which has made very important progress in
economic development in thepast 15 years, bringing it to the first tier of
developed economies in the world -- in GDP per head,
No.10 in the world. In the course of that same accelerated development,
questions have arisen about its identity -- it being certain that the old
nationalistically accented identity has faded.
But when well-considered, a commitment to the European integration enterprise
as manifested in the EU seems to be an essential part of a modern Irish
identity. At the sametime, this does not yet completely cover
Ireland’s stance in international affairs. Here, a long-standing Irish
attachment to the central ro^le of the United Nations in the promotion and
maintenance of world peace comes to the fore, together with a question as to
the future viability of this option.
Ireland is not a country without problems. I have indicated some of them:
the speed of our recent economic development has left some of our
infrastructure, especially in transport, with some way still to go in order
to catch up. The very open economy, itself a very important factor in the
rather spectacular development, also leaves one exposed to the possibility
of downturn in the case of an evident slump in the world economy, such as
that we are now going through.
Here, too, the future is looking considerably murkier than it did only a
relatively short time ago.
Will the world economy, will the US economy, revive? Will the bodies that
oversaw the economic development at universal level since the Second World
War -- the IMF, the World Bank, WTO, the successor of GATT -- be still
able to function in the future as they have for 50 years now? These are
questions too which are as vital for Japan as theyare for Ireland,
dependent as we in Ireland are, even more than Japan, on the health of the
world economies and, in particular, on that of the US economy.
Overall, however, it would have to be said that, in any reasonable
historical perspective, Ireland today is experiencing one of the happiest
periods of her history, able for the first time ever, perhaps, to offer a
premium standard of living to all its population, no longer suffering the
haemorrhaging of emigration, and a secure member of one of the most
advanced societies of states in the world.
And so we find ourselves at the beginning of a new century, with
prosperity that our grandparents could not believe in, but also with
problems of a complexity which they could not imagine. And as for the
future, I return again to Lafcadio Hearn. What I see in Japan today is
a highly sophisticated modern economy which still manages to preserve a
distinctly Japanese identity, the product of a culture of sometwo
thousand years. The virtues noticed by Lafcadio Hearn more than one
hundred years ago I still see flourishing. So if, in the case of Japan,
Lafcadio Hearn’s pessimism of the 1890s is seen not to be justified
in 2003, I derive some hope for my own country. Perhaps,
after all, the dream that was dreamt by Eamon de Valera in 1943 need not
have been dreamed in vain?
I thank you for your attention.
駐日アイルランド大使熊本アイルランド創立１０周年記念講演 ポドリグ マーフィー閣下
熊本アイルランド協会会長、ならびに会員のみなさま
皆様ご存知のように、ラフカディオ・ハーンは、ここ熊本大学の前身である第五高等学校でラテン語と英語の教鞭をとるため、１８９１年末に熊本に到着しました。ハーンがただちにこの地を好きにならなかったことを否定しては、記録に不忠実でありましょう。反対に、彼は、自ら記したように、「兵隊たちが駐屯する、まとまりのない、退屈で、不体裁なヨーロッパナイズされた都市と、官立学校の味気ない赤レンガ」に意気消沈したわけです。 ハーンを襲ったのは、魅惑状態からの脱却で、これから自分は老年期に入り、「１９世紀の悲しみに耐え忍ばねばならない」と記しています。「永遠に明治以前に戻れたら」と彼は記しています。「時をさかのぼり、天保時代、または１４００年前の雄略天皇の時代に戻れたら、どんなにいいか。昔の扇子、昔の屏風、小さな村、そのような生活が、私が愛する本当の日本なのです。どういうものか、私には熊本が日本のようには思えません。私は嫌いです。」
ハーンは近代化の中で日本が変わっていくことに動転しました。時計を逆回転させたいと願ったのです。もっと痛烈な非難を述べています。
(以下、平井呈一先生の訳を引用させていただきます)
「こうして日本は、わざわざ伝授料を出して、自然の陰影、人生の陰影、思想の陰影の見方を学んだのである。そこで西洋人は、影にもいろいろある、神聖なる太陽の本分は影を作ることにあること勿論だが、あれはしかし、どちらかというと、影は影でも安価な影だ、もっと高価な影ということになると、これは西洋文明が一手に製造しているのさ、といって、しきりと陰影を礼賛して、君たちもぜひこれを採用したまえと言ってすすめた。日本人は、そのとき、機械の影や、煙突の影や、電柱の影を見て、一驚した。鉱山や工場の影、あるいは、そこに働いている人たちの心のなかの影、そういうものを見ておどろいた。２０階もある高層家屋の影、その下で物乞いをしている飢餓の影、貧困者をいやが上にもふやすばかりが能のおびただしい慈善の影、悪徳を増すばかりの社会改善の影、インチキと偽善と燕尾服の影、あるいは、火あぶりの刑にあわせるために人間をつくったといわれる異教の神の影。こういう影を、それからそれへと見せられた日本人は、そこまできて、ようやく本心に立ち戻って、それ以上影絵を学ぶことをきっぱりと拒絶したのであった。全世界にとって、まことにしあわせだったことには、日本は、この時いらい、ふたたび、比類なき自国本来の芸術に立ち戻ったのであった。日本が、日本自身の美の信念に、ふたたび立ち戻ったということは、日本自身にとっても、まことにしあわせなことであった。しかし、いったん習いおぼえた影は、いまでもやはり、多少は身にこびりついている。これをすっかり剥ぎおとしてしまうことは、おそらく、日本人にも、もはやできない業だろう。かつては宇宙の万象が、あれほど日本人に美しく見えたように、今後もう二度と日本人の目に映ずるようなことは、まずあるまい。 ――引用終わり
これは私にもよく解る観点であり、われわれ全員が同感できることだと思います。
なぜ私にこれがよく解るかといえば、それは私の一生の間に、アイルランドも、その魅力を失ったと見ることができるからです。６０年前、もっとも有名なアイルランドの大統領の一人であるエーモン・デ・バレラは、アイルランドのナショナル・デーであるセント・パトリックス・デーに理想のアイルランド像ついて語りました。
「われわれが夢みるアイルランドとは、物質的豊かさをまっとうな暮らしの基礎であるとだけ考える人々、質素な楽しみに満足し、余暇を精神的活動に使う人々の集まる国でありましょう。その田園は居心地のよい農場であかるくかがやき、野や村には勤勉な人々の声や、元気な子供の遊ぶ声、筋骨たくましい若者の競いあう声、見目美しい乙女たちの笑い声で喜びかえる。そして、暖炉の周りでは落ち着いた老人たちが知恵を出し合い語り合う、そんな国であります」
現実はこのようにはなりませんでした。少なくとも、物質的豊かさに対する価値観や、質素な楽しみに満足すること、また精神的活動に没頭する点においては違っています。
アイルランドの経済発展は、日本よりずっと遅れてきました。１０数年前に経済の著しい発展が始まり、数年間、ＯＥＣＤ加盟国で最高の１０％を超える成長を続けた後、現在は、ＥＵ諸国の中で、スウェーデン、ルクセンブルグ、デンマークにつぐ第４位の一人当たりＧＤＰを持つようになりました。たった２０年前にはヨーロッパの貧者といわれていた、それからの変身には、すべての変身がそうであるように、人を夢中にさせるものがあります。ですが一方、アイデンティティーというものは頑固なものです。たとえば、日本は世界第二の経済大国であるにもかかわらず、日本の自己認識は小国のまま、または、５０年以上前の敗戦からくる犠牲者としてのイメージを持っています。アイルランドも同様に、数世紀にわたり、歴史のくじ引きの中の敗者として自からを見てきました。また、もちろん、日本と違ってアイルランドは事実、小さな国です。１９世紀の末にラフカディオ・ハーンが日本について思ったように、アイルランドも最近まで、アイルランドには独特の牧歌的なあり方があるのだという幻想にとらわれていました。ですから、われわれは新しく起きた繁栄をうまく受け入れられないのです。
イメージと現実の分離は、少なくともアイルランドの場合、いくつかの問題を引き起こしています。アイルランドの場合は、過去の時代から引きついだ構造の不適切性――新しい時代的要求に調和しないことから起きています。物理的なインフラにおいても、アイルランドは１９世紀型施設を２１世紀型経済にあった新施設に改変しようと苦悩しており、たとえば地上輸送の分野で懸命の努力をしています。ある意味では、アイルランドは急に成長して服が窮屈になったティーンエージャーといったところでしょうか。
そして、アイデンティティーの問題が出てきます。アイルランドには独特のあり方があるという考えも含めた、強烈な愛国主義的思考の時代は過去のものとなりました。強烈な愛国主義的思考は、強いアイデンティティーの意識とつながっています。過度の愛国主義的思考の消失は非常に歓迎するものですが、それにともなうアイデンティティーの欠損は、より問題です。
この問題は、昨年ごろから、興味ある形で現われています。アイルランドは特にアメリカ合衆国などの外国からの投資を多く受け、それが９０年代の高度成長を推進する重要な要素でありました。これに伴い、グローバライゼーションこそが国家の発展をもたらす最も重要な要素であるといった考えが起こり始め、「古いヨーロッパ」は将来、この波にのまれてしまうだろうと考える人が現れ始めました。こういった考えが、２００１年にアイルランド副首相をもって、アイルランドはベルリンよりボストンに近いと思うと言わせたのです。時と場合によっては、これは頭韻を踏んだ無害な演説だと受け取られるでしょう。
しかし、２００１年６月に、その問題が浮き彫りになったのです。アイルランドではニース条約の批准をめぐる国民投票が予定されていました。ニース条約は、ＥＵ拡大に道を開くためにＥＵの基本的条約の複雑な調整をするための条約です。アイルランドが１９７３年にＥＵに加盟して以来、４件以上このような国民投票が行われましたが、いずれも楽に可決されてきたという事実と、アイルランドがＥＵ加盟国として享受してきたすばらしい経験を考慮すると、この国民投票は問題なく可決するというのが普遍的な予想でした。主要政党はその予想に満足し、そのすべての政党が批准に賛成であったのにもかかわらず、政治運動を活発に行いませんでした。同時に反対派は、批准用に提出された複雑な法律文書を平易に否定的に解釈し、比較的楽なキャンペーンを展開したのです。結果は非常に低い投票率で、反対派が小差で勝利しました。政府は大変に困難な立場に追い込まれたのです。ニース条約を批准しなければ、政治的に重要なＥＵ拡大が前進しないからです。アイルランドの人々は、本当にベルリンよりボストンに近いのかどうかを真剣に考えなくてはなりませんでした。アイルランドによる批准がなければ、ニース条約の発効はなく、ＥＵ拡大は挫折するので、どうしてもふたたびこの問題を国民に問う必要がありました。
一年後、国民投票による批准を求めた運動は再開されました。今度はすべての既成政党が十分にかかわり、結果として何が問題なのかを選挙民がしっかりと理解したわけです。投票の結果、アイルランド国民にとって、ベルリンは少なくともボストンと同様に重要だということが明らかになりました。投票率は高く、ほぼ２対１の比率で人々は批准に賛成したのです。
そしてそれは批准されましたが、アイルランドのＥＵ加盟国としての視点が、もう以前のものではない、５年前と比べても違ってきているのは事実です。来年の５月１日より拡大する２５加盟国の中では言うに及ばず、アイルランドは、現在の１５加盟国の中でも既に富める国の一つとなっています。そのため、ＥＵの予算配分では、われわれはすでに受益者から、純貢献者に移行しつつあります。ＥＵ拡大と、ＷＴＯの折衝でおそらく起きるであろう農業政策の変化により、この傾向は進む一方です。
要約すれば、今日のアイルランドは、過去１５年間で非常に重要な経済発展を遂げ、世界の先進国のトップグループに入りました。国民一人当たりのＧＤＰは世界１０位です。その急速な発展の中で、アイデンティティーの問題が出てきました。古い愛国主義的に彩られたアイデンティティーが薄れたのは確かです。しかし、よく考えてみれば、ＥＵに表されるヨーロッパ統合事業への貢献が、近代アイルランドのアイデンティティーの主要部分であるとも思われます。しかし同時に、これが国際問題におけるアイルランドの立場を完璧に表しているわけではありません。世界平和の推進と維持に、アイルランドが国際連合を中心とした活動に長年、貢献してきたことは、その選択の将来的展望の問題とともに、焦点をあてる必要があると思います。
アイルランドは問題のない国ではありません。すでにいくつかは申し上げました。近年の経済発展の速度に、特に輸送部門でのインフラが追いつかず、キャッチアップする必要があります。 また、開放経済が目覚しい発展をとげる上で非常に重要な要素だったのですが、現在のように世界経済が明らかに停滞している場合には、下落の可能性にさらされることになります。また、将来は、過去の数十年に比べ、より不確かさをますように思えます。世界経済は、アメリカ経済は、再生するのでしょうか？ 第二次世界大戦後、地球規模で経済発展を指導してきた機関――ＩＭＦ，世界銀行、ＷＴＯ，ＧＡＴＴの後継機関―――は、過去５０年間のように、将来も機能できるでしょうか？ こういった疑問は、日本にとってきわめて重要であるように、アイルランドにとっても重要です。アイルランドは日本以上に世界経済の健全性、特にアメリカ合衆国経済のそれに依存しているからです。しかしながら、全体としてみれば、アイルランドは現在、あらゆる見地からして、その歴史の中で最も幸せな時期にあることを述べておかねばならないと思います。おそらく、歴史の中で初めて、すべての国民に優れた生活程度を供し、もはや移民による人口消失はなく、世界中でもっとも進んだ国家社会の一員として安定した地位を保っています。
新世紀の冒頭にある我々は、祖父母が決して信じることのできない繁栄の中に立つと同時に、彼らには想像もつかない複雑な問題をも抱えています。将来については、ふたたびラフカディオ・ハーンにもどりたいと思います。今日、私がお見うけしますに、日本は高度に洗練された近代経済国家であると同時に、２０００数年の歴史に培われた文化の産物である日本の独自性をまだ明確に保持しておられます。１００年前にラフカディオ・ハーンが気づいた美徳は、まだ存在し、あちこちに見受けられると、私は思うのです。ですから、もし、１８９０年代にラフカディオ・ハーンが抱いた悲観論が２００３年に実証されていないなら、私は、わが国にもいくばくかの希望があるのではないかと思うのです。エーモン・デ・バレラの１９４３年に見た夢は、むなしく終わることはないのではないでしょうか？
ご清聴、ありがとうございました。
皆様ご存知のように、ラフカディオ・ハーンは、ここ熊本大学の前身である第五高等学校でラテン語と英語の教鞭をとるため、１８９１年末に熊本に到着しました。ハーンがただちにこの地を好きにならなかったことを否定しては、記録に不忠実でありましょう。反対に、彼は、自ら記したように、「兵隊たちが駐屯する、まとまりのない、退屈で、不体裁なヨーロッパナイズされた都市と、官立学校の味気ない赤レンガ」に意気消沈したわけです。 ハーンを襲ったのは、魅惑状態からの脱却で、これから自分は老年期に入り、「１９世紀の悲しみに耐え忍ばねばならない」と記しています。「永遠に明治以前に戻れたら」と彼は記しています。「時をさかのぼり、天保時代、または１４００年前の雄略天皇の時代に戻れたら、どんなにいいか。昔の扇子、昔の屏風、小さな村、そのような生活が、私が愛する本当の日本なのです。どういうものか、私には熊本が日本のようには思えません。私は嫌いです。」
ハーンは近代化の中で日本が変わっていくことに動転しました。時計を逆回転させたいと願ったのです。もっと痛烈な非難を述べています。
(以下、平井呈一先生の訳を引用させていただきます)
「こうして日本は、わざわざ伝授料を出して、自然の陰影、人生の陰影、思想の陰影の見方を学んだのである。そこで西洋人は、影にもいろいろある、神聖なる太陽の本分は影を作ることにあること勿論だが、あれはしかし、どちらかというと、影は影でも安価な影だ、もっと高価な影ということになると、これは西洋文明が一手に製造しているのさ、といって、しきりと陰影を礼賛して、君たちもぜひこれを採用したまえと言ってすすめた。日本人は、そのとき、機械の影や、煙突の影や、電柱の影を見て、一驚した。鉱山や工場の影、あるいは、そこに働いている人たちの心のなかの影、そういうものを見ておどろいた。２０階もある高層家屋の影、その下で物乞いをしている飢餓の影、貧困者をいやが上にもふやすばかりが能のおびただしい慈善の影、悪徳を増すばかりの社会改善の影、インチキと偽善と燕尾服の影、あるいは、火あぶりの刑にあわせるために人間をつくったといわれる異教の神の影。こういう影を、それからそれへと見せられた日本人は、そこまできて、ようやく本心に立ち戻って、それ以上影絵を学ぶことをきっぱりと拒絶したのであった。全世界にとって、まことにしあわせだったことには、日本は、この時いらい、ふたたび、比類なき自国本来の芸術に立ち戻ったのであった。日本が、日本自身の美の信念に、ふたたび立ち戻ったということは、日本自身にとっても、まことにしあわせなことであった。しかし、いったん習いおぼえた影は、いまでもやはり、多少は身にこびりついている。これをすっかり剥ぎおとしてしまうことは、おそらく、日本人にも、もはやできない業だろう。かつては宇宙の万象が、あれほど日本人に美しく見えたように、今後もう二度と日本人の目に映ずるようなことは、まずあるまい。 ――引用終わり
これは私にもよく解る観点であり、われわれ全員が同感できることだと思います。
なぜ私にこれがよく解るかといえば、それは私の一生の間に、アイルランドも、その魅力を失ったと見ることができるからです。６０年前、もっとも有名なアイルランドの大統領の一人であるエーモン・デ・バレラは、アイルランドのナショナル・デーであるセント・パトリックス・デーに理想のアイルランド像ついて語りました。
「われわれが夢みるアイルランドとは、物質的豊かさをまっとうな暮らしの基礎であるとだけ考える人々、質素な楽しみに満足し、余暇を精神的活動に使う人々の集まる国でありましょう。その田園は居心地のよい農場であかるくかがやき、野や村には勤勉な人々の声や、元気な子供の遊ぶ声、筋骨たくましい若者の競いあう声、見目美しい乙女たちの笑い声で喜びかえる。そして、暖炉の周りでは落ち着いた老人たちが知恵を出し合い語り合う、そんな国であります」
現実はこのようにはなりませんでした。少なくとも、物質的豊かさに対する価値観や、質素な楽しみに満足すること、また精神的活動に没頭する点においては違っています。
アイルランドの経済発展は、日本よりずっと遅れてきました。１０数年前に経済の著しい発展が始まり、数年間、ＯＥＣＤ加盟国で最高の１０％を超える成長を続けた後、現在は、ＥＵ諸国の中で、スウェーデン、ルクセンブルグ、デンマークにつぐ第４位の一人当たりＧＤＰを持つようになりました。たった２０年前にはヨーロッパの貧者といわれていた、それからの変身には、すべての変身がそうであるように、人を夢中にさせるものがあります。ですが一方、アイデンティティーというものは頑固なものです。たとえば、日本は世界第二の経済大国であるにもかかわらず、日本の自己認識は小国のまま、または、５０年以上前の敗戦からくる犠牲者としてのイメージを持っています。アイルランドも同様に、数世紀にわたり、歴史のくじ引きの中の敗者として自からを見てきました。また、もちろん、日本と違ってアイルランドは事実、小さな国です。１９世紀の末にラフカディオ・ハーンが日本について思ったように、アイルランドも最近まで、アイルランドには独特の牧歌的なあり方があるのだという幻想にとらわれていました。ですから、われわれは新しく起きた繁栄をうまく受け入れられないのです。
イメージと現実の分離は、少なくともアイルランドの場合、いくつかの問題を引き起こしています。アイルランドの場合は、過去の時代から引きついだ構造の不適切性――新しい時代的要求に調和しないことから起きています。物理的なインフラにおいても、アイルランドは１９世紀型施設を２１世紀型経済にあった新施設に改変しようと苦悩しており、たとえば地上輸送の分野で懸命の努力をしています。ある意味では、アイルランドは急に成長して服が窮屈になったティーンエージャーといったところでしょうか。
そして、アイデンティティーの問題が出てきます。アイルランドには独特のあり方があるという考えも含めた、強烈な愛国主義的思考の時代は過去のものとなりました。強烈な愛国主義的思考は、強いアイデンティティーの意識とつながっています。過度の愛国主義的思考の消失は非常に歓迎するものですが、それにともなうアイデンティティーの欠損は、より問題です。
この問題は、昨年ごろから、興味ある形で現われています。アイルランドは特にアメリカ合衆国などの外国からの投資を多く受け、それが９０年代の高度成長を推進する重要な要素でありました。これに伴い、グローバライゼーションこそが国家の発展をもたらす最も重要な要素であるといった考えが起こり始め、「古いヨーロッパ」は将来、この波にのまれてしまうだろうと考える人が現れ始めました。こういった考えが、２００１年にアイルランド副首相をもって、アイルランドはベルリンよりボストンに近いと思うと言わせたのです。時と場合によっては、これは頭韻を踏んだ無害な演説だと受け取られるでしょう。
しかし、２００１年６月に、その問題が浮き彫りになったのです。アイルランドではニース条約の批准をめぐる国民投票が予定されていました。ニース条約は、ＥＵ拡大に道を開くためにＥＵの基本的条約の複雑な調整をするための条約です。アイルランドが１９７３年にＥＵに加盟して以来、４件以上このような国民投票が行われましたが、いずれも楽に可決されてきたという事実と、アイルランドがＥＵ加盟国として享受してきたすばらしい経験を考慮すると、この国民投票は問題なく可決するというのが普遍的な予想でした。主要政党はその予想に満足し、そのすべての政党が批准に賛成であったのにもかかわらず、政治運動を活発に行いませんでした。同時に反対派は、批准用に提出された複雑な法律文書を平易に否定的に解釈し、比較的楽なキャンペーンを展開したのです。結果は非常に低い投票率で、反対派が小差で勝利しました。政府は大変に困難な立場に追い込まれたのです。ニース条約を批准しなければ、政治的に重要なＥＵ拡大が前進しないからです。アイルランドの人々は、本当にベルリンよりボストンに近いのかどうかを真剣に考えなくてはなりませんでした。アイルランドによる批准がなければ、ニース条約の発効はなく、ＥＵ拡大は挫折するので、どうしてもふたたびこの問題を国民に問う必要がありました。
一年後、国民投票による批准を求めた運動は再開されました。今度はすべての既成政党が十分にかかわり、結果として何が問題なのかを選挙民がしっかりと理解したわけです。投票の結果、アイルランド国民にとって、ベルリンは少なくともボストンと同様に重要だということが明らかになりました。投票率は高く、ほぼ２対１の比率で人々は批准に賛成したのです。
そしてそれは批准されましたが、アイルランドのＥＵ加盟国としての視点が、もう以前のものではない、５年前と比べても違ってきているのは事実です。来年の５月１日より拡大する２５加盟国の中では言うに及ばず、アイルランドは、現在の１５加盟国の中でも既に富める国の一つとなっています。そのため、ＥＵの予算配分では、われわれはすでに受益者から、純貢献者に移行しつつあります。ＥＵ拡大と、ＷＴＯの折衝でおそらく起きるであろう農業政策の変化により、この傾向は進む一方です。
要約すれば、今日のアイルランドは、過去１５年間で非常に重要な経済発展を遂げ、世界の先進国のトップグループに入りました。国民一人当たりのＧＤＰは世界１０位です。その急速な発展の中で、アイデンティティーの問題が出てきました。古い愛国主義的に彩られたアイデンティティーが薄れたのは確かです。しかし、よく考えてみれば、ＥＵに表されるヨーロッパ統合事業への貢献が、近代アイルランドのアイデンティティーの主要部分であるとも思われます。しかし同時に、これが国際問題におけるアイルランドの立場を完璧に表しているわけではありません。世界平和の推進と維持に、アイルランドが国際連合を中心とした活動に長年、貢献してきたことは、その選択の将来的展望の問題とともに、焦点をあてる必要があると思います。
アイルランドは問題のない国ではありません。すでにいくつかは申し上げました。近年の経済発展の速度に、特に輸送部門でのインフラが追いつかず、キャッチアップする必要があります。 また、開放経済が目覚しい発展をとげる上で非常に重要な要素だったのですが、現在のように世界経済が明らかに停滞している場合には、下落の可能性にさらされることになります。また、将来は、過去の数十年に比べ、より不確かさをますように思えます。世界経済は、アメリカ経済は、再生するのでしょうか？ 第二次世界大戦後、地球規模で経済発展を指導してきた機関――ＩＭＦ，世界銀行、ＷＴＯ，ＧＡＴＴの後継機関―――は、過去５０年間のように、将来も機能できるでしょうか？ こういった疑問は、日本にとってきわめて重要であるように、アイルランドにとっても重要です。アイルランドは日本以上に世界経済の健全性、特にアメリカ合衆国経済のそれに依存しているからです。しかしながら、全体としてみれば、アイルランドは現在、あらゆる見地からして、その歴史の中で最も幸せな時期にあることを述べておかねばならないと思います。おそらく、歴史の中で初めて、すべての国民に優れた生活程度を供し、もはや移民による人口消失はなく、世界中でもっとも進んだ国家社会の一員として安定した地位を保っています。
新世紀の冒頭にある我々は、祖父母が決して信じることのできない繁栄の中に立つと同時に、彼らには想像もつかない複雑な問題をも抱えています。将来については、ふたたびラフカディオ・ハーンにもどりたいと思います。今日、私がお見うけしますに、日本は高度に洗練された近代経済国家であると同時に、２０００数年の歴史に培われた文化の産物である日本の独自性をまだ明確に保持しておられます。１００年前にラフカディオ・ハーンが気づいた美徳は、まだ存在し、あちこちに見受けられると、私は思うのです。ですから、もし、１８９０年代にラフカディオ・ハーンが抱いた悲観論が２００３年に実証されていないなら、私は、わが国にもいくばくかの希望があるのではないかと思うのです。エーモン・デ・バレラの１９４３年に見た夢は、むなしく終わることはないのではないでしょうか？
ご清聴、ありがとうございました。
熊本アイルランド協会役員名簿
会 長 中島最吉（崇城大学副学長）
副会長 稲垣精一（肥後銀行顧問）
河上洋子（熊本つばさの会会長）
副島 隆（お菓子の香梅代表取締役）
久野啓介（熊本近代文学館館長）
理 事 井上智重（熊本日日新聞社編集委員）
川野富昭（崇城大学教授）
田中啓介（崇城大学教授）
中村青史（エッセイスト）
西川盛雄（熊本大学教授）
P.フラハティー（崇城大学助教授）
本間康夫（崇城大学教授）
宮崎啓子（小泉八雲熊本旧居館長）
宮本春吉（前・小泉八雲熊本旧居館長）
持永道郎（NEC社員）
松村直寛（事務局長）
監 事 市川文子（尚絅大学助教授）
鶴田五百子（前・医療法人役員)
副会長 稲垣精一（肥後銀行顧問）
河上洋子（熊本つばさの会会長）
副島 隆（お菓子の香梅代表取締役）
久野啓介（熊本近代文学館館長）
理 事 井上智重（熊本日日新聞社編集委員）
川野富昭（崇城大学教授）
田中啓介（崇城大学教授）
中村青史（エッセイスト）
西川盛雄（熊本大学教授）
P.フラハティー（崇城大学助教授）
本間康夫（崇城大学教授）
宮崎啓子（小泉八雲熊本旧居館長）
宮本春吉（前・小泉八雲熊本旧居館長）
持永道郎（NEC社員）
松村直寛（事務局長）
監 事 市川文子（尚絅大学助教授）
鶴田五百子（前・医療法人役員)
アイルランド文学あれこれ 中島最吉（会長）
アイルランド文学とはなにを指すのかという問題は非常に難しいと思います。今日はその複雑な輪郭がいくらかでも浮かび上がるように「あれこれ」を話してみたいと思いますが、２種類の資料を用意しました。平凡社の百科事典からのものとアイルランド大使館の概説から抜粋したものです。
両方に共通しているのは、アイルランド語（ケルト語に属し、英語とは全く違うもの）で書かれた文学と、英語で書かれた文学に分けられていることです。アイルランド語は１９世紀初頭までは住民の８割ぐらいが話していて、それで書かれていた文学もいろいろ残っているのですが、その後イギリスの支配下になって英語が普及し、文学も英語で書かれるようになりました。そのような文学作品は、以前はすべて「英文学」の中に入っていたのですが、作家としてはスウィフト、ゴールドスミス、シェリダンなどがいます。「ガリバー旅行記」もダブリンの聖パトリック教会の司祭であったスウィフトが、イギリスに抑圧されたアイルランドの状況を描くのに風刺的な手法を用いるしかなかったのではないかと考えると、作品が理解しやすくなると思います。オスカー・ワイルドもダブリン生まれです。
このように見ていくと、これまで英文学として呼んできた作家でアイルランド生まれの人や、関係の深い人が非常に多いことが分かりますが、その作家たちすべてがケルト民族の特性を強く表した作品を書いたわけではありません。ケルト民族性に根ざした文学を主張する愛国運動は､1889年にアイルランド文学座が創立されることから始まりました。ウィリアム・バトラー・イエイツを中心にジョージ・ムーア、グレゴリー夫人らが参加しました。演劇運動が実践されたのは、アイルランド語（ゲール語）復活が基礎になっていたからです。アイルランドは1921年には英国連邦の自治領となり、1949年には英国連邦を離脱して共和国となりましたが、現在言語はアイルランド語及び英語となっています。
ノーベル文学賞を受けた作家も、イエイツ、ショー、ベケット、ヒーニー、と数多いのですが、これから文学作品中の「ケルト気質」について少し述べることにします。「エデンの東」を書いたジョン・スタインベックは母がアイルランド出身であり、皆さんご存じのラフカディオ・ハーンは父がアイルランドの軍医でした。共にケルトの血が流れているのですが作品にも微妙に似ている点があると思います。それは、生きている人間が死者の世界に非常に近い存在だという点です。作品の各所にそのような表現があったり、また普通だったら愚者として扱われるような人物に温かい眼を向けていることです。
スタインベックの作品「天の牧場」の中の「ツラレシート」の話を見てみましょう。山の中に捨てられていた赤ん坊は、人間の子供と思えないほど鋭い歯をした頭でっかちで「ツラレシート」（小蛙というスペイン語）と名付けられました。小さいときから動物扱いが得意で、彼の手にかかるとどんな荒れ馬もすぐに馴らされるほどでした。勉強には興味を示さないので小学校には行かないでいたのですが、法律で決められているということで無理に行かされます。学校では黒板に動物の絵を描くことだけしかやりません。そんな彼がある日先生から「地の霊」（ノーム）の話を聞きます。聞いたとたんに身近な人の話だと思い、ある家の庭に穴を掘ってノーム探しを始めます。そこの主人が見つけて叱ると怒った彼はシャベルで主人を叩いて半殺しの状態にします。教育委員会はツラレシートを精神病院に送ることにします。その話を読むとツラレシートをもっと大事にしてやれないのか、存在しないものに私たちはもっと身近なのではないかなどといった様々な思いに駆られます。
ハーンの作品の中にも幽霊が多く出てきますが決して遠い別世界の存在として描かれてはいません。私たちの日常生活と深く交じり合うものとして感じる場合が多いのです。このような死者の世界のとらえ方も「ケルト気質」の一面を考えることができると思います。
アイルランド文学には、純朴な人と自然を描いた「アイルランド田舎物語」（アリス・テイラー）のようなものもあります。アイルランド共和国があり、アイルランド文学が存在することは事実ですが、分類学的に考えるよりは、色んな国の文学の中に「ケルト気質」を探りながら作品を楽しむのもアイルランド文学に親しむ一つの方法ではないかと思います。
両方に共通しているのは、アイルランド語（ケルト語に属し、英語とは全く違うもの）で書かれた文学と、英語で書かれた文学に分けられていることです。アイルランド語は１９世紀初頭までは住民の８割ぐらいが話していて、それで書かれていた文学もいろいろ残っているのですが、その後イギリスの支配下になって英語が普及し、文学も英語で書かれるようになりました。そのような文学作品は、以前はすべて「英文学」の中に入っていたのですが、作家としてはスウィフト、ゴールドスミス、シェリダンなどがいます。「ガリバー旅行記」もダブリンの聖パトリック教会の司祭であったスウィフトが、イギリスに抑圧されたアイルランドの状況を描くのに風刺的な手法を用いるしかなかったのではないかと考えると、作品が理解しやすくなると思います。オスカー・ワイルドもダブリン生まれです。
このように見ていくと、これまで英文学として呼んできた作家でアイルランド生まれの人や、関係の深い人が非常に多いことが分かりますが、その作家たちすべてがケルト民族の特性を強く表した作品を書いたわけではありません。ケルト民族性に根ざした文学を主張する愛国運動は､1889年にアイルランド文学座が創立されることから始まりました。ウィリアム・バトラー・イエイツを中心にジョージ・ムーア、グレゴリー夫人らが参加しました。演劇運動が実践されたのは、アイルランド語（ゲール語）復活が基礎になっていたからです。アイルランドは1921年には英国連邦の自治領となり、1949年には英国連邦を離脱して共和国となりましたが、現在言語はアイルランド語及び英語となっています。
ノーベル文学賞を受けた作家も、イエイツ、ショー、ベケット、ヒーニー、と数多いのですが、これから文学作品中の「ケルト気質」について少し述べることにします。「エデンの東」を書いたジョン・スタインベックは母がアイルランド出身であり、皆さんご存じのラフカディオ・ハーンは父がアイルランドの軍医でした。共にケルトの血が流れているのですが作品にも微妙に似ている点があると思います。それは、生きている人間が死者の世界に非常に近い存在だという点です。作品の各所にそのような表現があったり、また普通だったら愚者として扱われるような人物に温かい眼を向けていることです。
スタインベックの作品「天の牧場」の中の「ツラレシート」の話を見てみましょう。山の中に捨てられていた赤ん坊は、人間の子供と思えないほど鋭い歯をした頭でっかちで「ツラレシート」（小蛙というスペイン語）と名付けられました。小さいときから動物扱いが得意で、彼の手にかかるとどんな荒れ馬もすぐに馴らされるほどでした。勉強には興味を示さないので小学校には行かないでいたのですが、法律で決められているということで無理に行かされます。学校では黒板に動物の絵を描くことだけしかやりません。そんな彼がある日先生から「地の霊」（ノーム）の話を聞きます。聞いたとたんに身近な人の話だと思い、ある家の庭に穴を掘ってノーム探しを始めます。そこの主人が見つけて叱ると怒った彼はシャベルで主人を叩いて半殺しの状態にします。教育委員会はツラレシートを精神病院に送ることにします。その話を読むとツラレシートをもっと大事にしてやれないのか、存在しないものに私たちはもっと身近なのではないかなどといった様々な思いに駆られます。
ハーンの作品の中にも幽霊が多く出てきますが決して遠い別世界の存在として描かれてはいません。私たちの日常生活と深く交じり合うものとして感じる場合が多いのです。このような死者の世界のとらえ方も「ケルト気質」の一面を考えることができると思います。
アイルランド文学には、純朴な人と自然を描いた「アイルランド田舎物語」（アリス・テイラー）のようなものもあります。アイルランド共和国があり、アイルランド文学が存在することは事実ですが、分類学的に考えるよりは、色んな国の文学の中に「ケルト気質」を探りながら作品を楽しむのもアイルランド文学に親しむ一つの方法ではないかと思います。
「ロンドンからアイルランドへの旅」 恒松郁生 祟城大学教授
中島会長挨拶：
今日はたくさんお集まり頂き有難うございます。恒松さんにご講話をお願いしますので、先生のことを簡単にご紹介させて頂きます。
去年の4月から私どもの祟城大学の講師をされ、４月から教授になられる予定です。現在、ロンドン漱石記念館の館長で、去年の４月に本大学に見えられたときは、少し日本人らしくないみたいでしたが、１年経ちましたら大分日本人らしくなられました。
お父様は球磨郡のご出身で、ご本人はお母さんの里の鹿児島で育たれました。東京の桜美林大学の英文科をご卒業後、イギリスに渡られたのでロンドンのこと、イギリスのことなど、あっちのことは何でもご存知です。
今、夏目漱石の作品の英訳をメインでしておられ、6冊ぐらい外国で出版されています。今度は日本語の文庫本を４月になったら出されるようですので、色々とお読み頂くとまた分かると思います。
今回、アイルランドに関る話をお願いしますと、快諾されました。どうぞお話をお聞き下さい。
恒松郁生氏：
ただいま、ご紹介を頂きました恒松です。中島会長から「大分、日本人らしくなった」とお褒めの言葉を頂戴しましたが、頭の方はまだずっと英国のままでピンボケ状態です。ちょっと日本の生活に慣れたかな〜、と思っていたら、去年もクリスマスと新年はロンドンの自宅に戻っており、イギリスの生活に逆戻りしてしまいました。
来る５月の連休もロンドンに戻りますが、何か向こうに帰るとほっとします。水を得た魚のように元気になりますが、熊本に来ますまた緊張し、焦ってしまい、どうもなかなか慣れません。どちらかというと祟城大学のフラハティ先生と逆のようです。
今日の話も、中島会長や西忠温（元祟城大学教授）先生から話をしないかと声をかけられ、イギリスの話でしたら、まあ何とか皆さんに聞いていただけるかと思い、お引き受けさせて頂きました。
「アイルランドは何回も訪れましたが、詳しいわけではありません。ご専門の方が大勢いらっしゃいますから、ちょっと私では無理ですよ」とご返事しましたら、すると中島会長が、「ロンドンの話をして、ちょっとアイルランドを付ければそれでいいから」と言われ、それほど深く考えないで「ロンドンからアイルランドの旅」と、いい加減なテーマをつけてしまいました。
しかし、そのつもりで来ましたら、皆さん錚々たる人がいらっしゃるようですので、テーマを少し聞き応えがあるようなものに変えてみたいと思います。恐縮ですけれども、座らせて頂きます。
JAL機内誌でダブリン文学特集
まず、アイルランドについて何か話をしてくれと頼まれたときに、最初に思い出したのが、ほぼ２年前から日本航空の『アゴラ』という機内誌にイギリス特集とか海外特集を担当していることでした。この写真がアイルランドのトリニティー・カレッジで、2003年10月号に９ページ「ダブリン文学散歩」特集を私が書かせて頂いております。2002年11月号にも、「ロンドン王室御用達散策」という特集をやり、それが小学館から本になりました。そして、この前書いたのが、このアイルランド特集です。今年の７月には、イギリスのオークションについて特集をします。
来春には、イギリスのパブリックスクールで有名な、イートン校とかハロー校の特集が決まっています。因みに、角川から「角川のワンテーマ２１」という新書版が出ていますが、イギリスのオークションについて10月に出版するので書いてくれと言われ「ああ、結構です」と軽く返事をしてしまいました。まだ月日があるのでのんびりしていたら、７月に出すから早く書けと言われ、毎日10枚ずつ書いて、やっと70枚くらい書いたところです。だから、本当は今月末から来月末までに２５０枚原稿を書かなければなららいのです。だがパーティーや２次会、さらに３次会などの飲み会に誘われ、アルコールがまわってしまい、なかなか原稿が進みません。そこで編集の方から「もう少し早く書いてくれ」と催促とお叱りの電話が来ているところです。
さて、最初は「ロンドンからアイルランドへの旅」と題してお話をさせて頂きます。ロンドンからですと、１時間ちょっとでアイルランドのダブリンまで飛んで行けます。アイルランドは正直言って、イギリスのちょっと田舎を訪れたような感じで、外国に行ったというような感覚は、英国に３０年間暮らした私には殆どありませんでした。
イギリスと同じスーパーの支店があり、ヨークシャーかどこかの地方を訪れたような感じです。それで、何が違うかというと、EUの単一通貨に加盟しているので通貨がユーロです。イギリス通貨はご存知のようにポンドです。
それにアイルランドでは、英語のイントネーションがちょっと違いますが、他はイギリスと殆ど変わりません。個人的なことですが、私が愛読していますデイリー・テレグラフ（新聞社）に友人記者が勤めていますが、その記者の書いた記事がアイリッシュ・タイムズ紙にも載っています。ダブリンを訪ねたら、アインシュ・タイムズ紙とか、アイリッシュ・インディペンデント紙の記者がホテルに会いに来てくれ、あちこちへ案内してくれたのです。同じ英語圏ですので、英国在住だった私にとってみればアイルランドは、あまり変わらない所です。
２年前に私は東京のアイルランド政府観光庁に、年間にどれくらいの日本人がアイルランドを訪れるかということを尋ねました。返ってきた数字は22,000人でした。イギリスへは大体80〜100万人の日本人が毎年訪れています。なぜかというと、日本の観光客のほとんどはロンドン・パリ・ローマが、ヨーロッパでは一番人気の都市です。残念ながらアイルランドは、イギリスの陰に隠れてしまっているように思います。
アイルランドってどんな国？
ここで一般的なことを話させて頂きます。アイルランドといったら、どういう国かというと、ギネスの国、妖精の国、あるいはいい馬がいるので競走馬の国だと言われます。それからアングリング、つまり、魚釣りに人気の高い国です。また非常に有名な文学者を多数排出しているので、「文学の国」だと言う人もいるかと思います。
これも、先ほどお話ししましたように、『アゴラ』の編集部から、「恒松さんはロンドンのことをたくさんお書きになっていますが、アイルランドでしたら何か書けますか？ 実はアイルランドの特集をやりたいのですけどね」と言われたので、「ギネス・ビールですか、それとも馬、釣りですか妖精ですか、文学ですか」と尋ねたら、「実は文学です」のイェイツ返事でした。そこでジェイムズ・ジョイス、W.B.イエーツ、ジョージ・エリオット、ジョージ・バーナード・ショーなどの原稿を書かせて頂くことになったわけです。多くの日本人には、こういったところがアイルランドといったイメージではないかなと思います。
アイルランドは大体地理的には北海道と同じくらいの面積で、人口は北アイルランドが170万、アイルランドが390万、合わせて560万人です。
1840年ごろ、ポテト（じゃが芋）ができなくて、大勢のアイルランド人がアメリカに移住し、人口が減っていました。だが1980年頃から人口が増え出して、現在、アイルランドでは30歳未満の若い人が人口の半分を占めています。それで街を歩いていても、非常に活気があります。びっくりしたのは、あまりにも中国人の学生が大勢住んでいるので私はタクシーの運転手に、「中国人をいっぱい見かけますが、何も問題はありませんか？」と、遠回しに尋ねました。「いいえ、ちっとも。彼らは一生懸命働いていますからね」と言って、評価は高く、私は日本人ですけれども、ちょっとうれしい気持ちがしました。
ですから、アイルランドという国は若くて、人口も増加しており、今すごく景気がいいのです。イギリスも人口は増え続けています。日本はだんだん年高齢者が増えてきて、将来は若い人の払う税金でどのようにして支えていくのかと心配になります。アイルランドは非常に元気のある国で、町がとても活気に満ちています。というのが、アイルランドへ行った印象かと思います。
もう一つ、さっきちょっと話し忘れましたけれども、アイルランドの名門といえばトリニティー・カレッジです。図書館には２０万冊の蔵書があり特にケアズの書という本がありますが、それを見に行くだけでも十分な価値があります。
それから、街並ですが、ジョウジアン朝の建物が並んでいて、どこも同じ建物なのです。そこでタクシーの運転手さんに、「どこも同じ建物だけど、ドアの色だけが、赤とか黄色に変わっていますね」と尋ねたら、「アイルランド人はギネスをいっぱい飲んで酔っぱらったら、よその家に入ってしまうのでドアの色が変えているんだよ！」と言うのです。また「あなたはいつも、ギネスを何杯飲むのですか？」と問うと、「毎日１２杯ぐらいかな。友達は、まだたくさん飲んでいるけどね」とのこと。それが平均的かどうか分かりませんが、確かにダブリンのパブでは、良くギネス・ビールを飲んでいる光景を見かけます。
私はアルコールを殆ど口にしませんが、アイルランドへ取材に行ったとき、友達が飲め飲めと勧めるので飲んだら、ギネス・ビールは甘くて本当においしいでした。ダブリンで飲んだギネス・ビールの口ざわりが忘れられず、ロンドンのアイリッシュ・パブへ出かけました。ところがロンドンで飲んだギネスは、苦味が強くがっかりしました。熊本にスライゴ・インというアイリッシュ・パブがありますが、ギネスの味はいかがでしょうか。
それから、アイルランドは非常に多くの文学者を排出した国で、オスカー・ワイルド、ジョージ・バーナード・ショー、ジェイムス・ジョイス、ウイリアム・バトラー・イェイツなどがいます。ジョイスの小説『ユリシーズ』の作品を読みますと、作品の中に出てくる登場人物が歩いた場所というのが、全く同じように残っています。また、道路にはジョイスの作品「ユリシーズ」に書かれた場所がプラックとして埋め込んであります。それを辿(たど)っていくと、ジョイスの小説『ユリシーズ』に描かれた足跡を訪ねる文学散歩ができます。そういった意味ではダブリンは、どこを訪ねても興味が尽きません。デ・イ・ボランというパブとか、あそこに行って唐辛子入りのサンドイッチを食べたとか、そういうパブが今でも当時のまま残っているのです。私たちもそこへ出かけ、同じようにサンドイッチを食べてきました。
ジョイスは２２歳位の若さで、チューリッヒやヨーロッパを回って、フランスで『ユリシーズ』を出版しました。人生のほとんどを外国で過ごしているのに、彼の作品に出てくるのはダブリンが作品の舞台になっています。22歳までしかダブリンには住んでいず、亡くなったのも確かチューリッヒだったと思います。彼のイマジネーション、創作の基本は大部分がダブリンです。そういう意味で、ジョイス文学を理解する上には、ダブリンを訪れることなしには、作品は理解できないとも言えるでしょう。
それから、時間もまだ少しありますので、今度は硬くて、ちょっとまじめな話をさせていただきます。
英国を訪れた最初の”謎”の日本人漂流民
私は、ものごとを調べるときは、まず一番最初は何か、又は誰か？ということを考えるようにしています。皆さんご存知かと思いますが、記録に残るところで、一番最初に日本を訪れたイギリス人は、ウイリアム・アダムス（三浦按針）です。その前に１回は来た人です。はっきりした名前とか詳細はわからないから、一応記録に残るところではと言います。ではイギリスに最初に行った日本人は誰でしょうか。私は数年前、在英の日本大使館でお話しをさせて頂いたのですが、出席者に尋ねましたら誰も知りませんでした。
イギリスはかつて７つの海を支配していましたが、リチャード・ハクリュートという人が書きました航海記があります。この航海記には、このときにクリストファーとコスモスというのがいたと。「一人は20歳、一人は17歳で、彼らは日本語を話せたと」書いてあります。これを見ますと、英国を一番最初に訪れたのは1614年、ウイリアム・アダムスが日本に来て1600年ですから、その14年後の9月27日、プリマス港にクリストファー20歳とコスモス17歳の二人がロンドンに行っているわけです。この事実は、余り知られていません。
このコスモスとクリストファーはどういう人物なのかは、まだ判りません。しかし、漂流民だと思います。日本人の名前が難しいものですから、英語名でクリストファーとコスモスと呼んだのだろうと推測されます。当時の新聞はないかと思って、いろいろ調べているのですが、まだ見つかっていません。
では最初にロンドンを訪れた日本人は誰かということです。これは私が30年ぐらい前、イギリスのＰＲＯ（＝パブリック・レコード・オフィス）国立公文書館に記録が残っていまして、乙吉・岩吉・久吉(きゅうきち)、あるいは「ひさきち」とも呼ばれています。三人を合わせ、通称「三吉」と呼んでいます。愛知県の美浜町の出身です。そこから行った３人の「吉」がロンドンを最初に訪れた記録に残る日本人です。
美浜町というと、セントレア・シティの名前で、合併後の名前が先行マスコミを賑わしていましたが、結果的には合併が実現しませんでした。何でセントレアかと言うのですが、「中部国際空港では銭湯に入るからセントレアと言うんだよ」と冗談に言ったら信用する人もいました。
３人の日本人がロンドンに辿り着いたのは、1835年のことです。黒船が来ましたのが1853年、明治維新が1868年ですから、その遙か前に愛知県の知多郡美浜町から日本人が行っています。1週間、テームズ川の船の中にいまして、ウエストミンスター寺院とか、馬車に乗ってあちこち旅行をしたことが記録に残っています。その乙吉・岩吉・久吉が日本に帰りたいと書いた記録が国立公文書館に残っています。
ベッテルハイムが聖書を翻訳したときに乙吉は協力しています。そして日本に帰ってこようとしていましたが、打ち払い令で日本に帰れませんが乙吉の息子に当たる人は帰ってきたという記述が新聞に出ていました。その後はわかりませんが、２週間ぐらい前に乙吉の墓が見つかったということで、乙吉の骨が郷里に帰ったという記事が、愛知の中日新聞に載っていました。
アイルランドを訪問した日本人
では最初にアイルランドを訪れた日本人は誰なのか？ ということについて、興味を持っていたのです。すると、びっくりする情報が出てきて、それは長岡護美（熊本県藩事）だと。これは面白いと思って、ちょっと調べてもらったところ、記憶違いだったかはっきりしなませんが、長岡護美公はイギリスのミドル・テンプル法学院で勉強していましたが、その間にアイルランドを訪れたという記述があったようだと。
これは長岡護美公の伝記の中に書いてあったようだと。私はそれを西忠温先生（祟城大）が見つけられたということで、是非コピーさせていただいて、皆さんにご披露できればなと思ったのです。先生はたまたま、ことし定年でちょうど書籍の箱詰めされているときに私が余計なことを言ったものですから、探してもらいましたが見つかりませんでした。ここは一応、不確定ということで、長岡雲海公伝、雲海というのは雲に海、公伝の和綴じの10巻本の中にあったような気がするとのことです。ぜひ皆さんが確認できたら教えて頂ければと思います。
この長岡護美公が最初にアイルランドを訪れた日本人ではないか、もしそれであればまだまだ面白くなってきます。この他にどのような日本人がいたのかと言いますと、入沢達吉という人がおります。これは医学者ですけれども、「万人の思い出」というのを『青海往来』という昭和8年2月号の雑誌に書いております。この人がダブリンの思い出を書いています。彼は医学のシンポジウムの会合に出て、そのことを詳しく書いています。
それともう一人が、これは有名すぎますが、英文学者で矢野峰人という人がいます。この人のエッセー『片影』（昭和6年研究社刊）は実に面白いです。ご存知のようにレイディー・グレン・コナーという人は、アイルランドの文芸復興の基礎をつくった人です。このレイディー・グレン・コナーを紹介して、Ｗ・Ｂ・イェイツに矢野峰人先生は会って、イェーツの家に泊まっています。そのことを、矢野峰人先生はエッセイに詳しく書いてあります。このエッセーはとても読み応えがありますので機会があったらお読みになると良いかと思います。
もう一人は国文学者、斎藤清衛という人です。この人は本をかなり書いていまして、『東洋人の旅』というのがあります。これは昭和１２年５月号に春陽堂から出ています。この『東洋人の旅』の中に、ダブリンの旅行のことを『愛蘭土の第一印象』と題して書いています。この他にも多くの人がアイルランドを訪ねています。私は今後も、明治から大正時代にかけてアイルランドを
まだまだお話ししたいことは訪れた日本人について調査を進めていきたいと考えています。
漱石とアイルランドの関連は？
私は縁あってロンドン漱石記念館の館長をしていますので、夏目漱石について少しお話をさせて頂ければと思います。
では、漱石はアイルランドを訪問しているのか？残念ながら答えは「No」であります。漱石の恩師はウイリアム・ジェイムス・クレイグというシェイクスピア学者です。彼は権威あるアーデン・シェイクスピアシリーズの編集者でした。このアイルランド人教師に、漱石は毎週火曜日に個人教授を42回、5シリングで受けています。もっとも７シリングは高いからといって、値切って５シリングにしてもらっています。漱石さんはアイルランド人から値切ったのです。余計なことですけれども、分かる人は分かってもらえるようですけれども。あまりこれ以上ここで言うと良くないですから。
漱石の文学論の序文に、留学先を決めようとしたときに、オックスホードはケンブリッジに収まるところなきを信じたれば浮かぶと、「北の方、蘇国（つまりスコットランド）に行かんか、又は海を渡りて愛蘭土に赴かんと迄考へたれど、双方とも英語を練習する地としては、甚だ不適当なるを以て思い留まる。同時に語学を稽古する場所として、倫(ロン)敦(ドン)の尤も優れるを認めたり。是に於て此地に笈(きゅう)を卸す。」
漱石は留学先をどうしようかと、最初はスコットランドにしようかと。スコットランドは、薩摩弁と江戸っ子と喧嘩しているみたいだからあれはだめだと。そこで、次はアイルランドにも行こうということも、文学論の中では、最初は思っていたようです。アクセントが強いのでということを言いましたけれども、ここでちょっとアイルランドを落としましたので、今度は持ち上げるということです。漱石の恩師、クレイグという先生の個人教授を受けていて、その個人教授を受けていたときに、クレイグ先生は、ベーカー・ストリートの町の人を見て、「あんなに人がいっぱい歩いているが、あの中に詩を理解できる者っていうのは一握りもいない。アイルランド人の私とかあなたは、非常に詩が分かるから幸せだ」と。漱石は自分では目で読んで頭で考えなければ、詩は分からないのに、詩の分かる仲間に加えてもらったということで、漱石は非常に喜んでいます。
ある時、窓から顔を出して、はるかの下界を忙しそうに、通る人を見下ろしながら、あの中で詩の分かる者は１００人に１人もいない、かわいそうなものだと。イギリス人は詩を解することのできない国民ではないかと。そこへいくとアイルランド人は偉いものだ、遥かに高尚だとクレイグ先生は言っております。詩を味わうことのできる君だの僕だのは、幸福と言わねばならない、自分を詩の分かる方に入れてくれた。
1995年にはアイルランドの詩人、シェイマス・ヒーニーがノーベル文学賞を受賞しています。小さな国でありながら他にも２人、1969年にサムエル・ベケット、そして1923年にＷ．Ｂ．イェーツがノーベル賞を受賞しており、文学的な素地がある国です。だが漱石はアイルランドに残念ながら行っていませんが、非常にそのクレイグ先生に影響を受けて、そのクレイグ先生の回想録というのは『永日小品』の最後に含まれており、非常に読み応えがあります。私はそれを英語に訳して、タトル出版から2002年に出しました。
実はこの、漱石のクレイグ先生の回想録というのは、Ｅ・Ｖ・ルーカスという人の書いた回想録と非常に似ています。この回想録と比べれば、ちょっと面白いなと考えていたら、それは既に東大の平川輔祐弘先生が書かれていました。先を越されてしまったなと思いましたけれども、私が思うことを思っている人が他にもいるなということで、反面、ちょっと嬉(うれ)しい思がしました。
なかなか遠いようですけども、我々にとったら、アイルランドというのは非常に魅力のある国であると思います。
時間になったようですので、この辺で終わらせていただきます。どうも拙い話をご静聴有難うございました。（文責：松村）
今日はたくさんお集まり頂き有難うございます。恒松さんにご講話をお願いしますので、先生のことを簡単にご紹介させて頂きます。
去年の4月から私どもの祟城大学の講師をされ、４月から教授になられる予定です。現在、ロンドン漱石記念館の館長で、去年の４月に本大学に見えられたときは、少し日本人らしくないみたいでしたが、１年経ちましたら大分日本人らしくなられました。
お父様は球磨郡のご出身で、ご本人はお母さんの里の鹿児島で育たれました。東京の桜美林大学の英文科をご卒業後、イギリスに渡られたのでロンドンのこと、イギリスのことなど、あっちのことは何でもご存知です。
今、夏目漱石の作品の英訳をメインでしておられ、6冊ぐらい外国で出版されています。今度は日本語の文庫本を４月になったら出されるようですので、色々とお読み頂くとまた分かると思います。
今回、アイルランドに関る話をお願いしますと、快諾されました。どうぞお話をお聞き下さい。
恒松郁生氏：
ただいま、ご紹介を頂きました恒松です。中島会長から「大分、日本人らしくなった」とお褒めの言葉を頂戴しましたが、頭の方はまだずっと英国のままでピンボケ状態です。ちょっと日本の生活に慣れたかな〜、と思っていたら、去年もクリスマスと新年はロンドンの自宅に戻っており、イギリスの生活に逆戻りしてしまいました。
来る５月の連休もロンドンに戻りますが、何か向こうに帰るとほっとします。水を得た魚のように元気になりますが、熊本に来ますまた緊張し、焦ってしまい、どうもなかなか慣れません。どちらかというと祟城大学のフラハティ先生と逆のようです。
今日の話も、中島会長や西忠温（元祟城大学教授）先生から話をしないかと声をかけられ、イギリスの話でしたら、まあ何とか皆さんに聞いていただけるかと思い、お引き受けさせて頂きました。
「アイルランドは何回も訪れましたが、詳しいわけではありません。ご専門の方が大勢いらっしゃいますから、ちょっと私では無理ですよ」とご返事しましたら、すると中島会長が、「ロンドンの話をして、ちょっとアイルランドを付ければそれでいいから」と言われ、それほど深く考えないで「ロンドンからアイルランドの旅」と、いい加減なテーマをつけてしまいました。
しかし、そのつもりで来ましたら、皆さん錚々たる人がいらっしゃるようですので、テーマを少し聞き応えがあるようなものに変えてみたいと思います。恐縮ですけれども、座らせて頂きます。
JAL機内誌でダブリン文学特集
まず、アイルランドについて何か話をしてくれと頼まれたときに、最初に思い出したのが、ほぼ２年前から日本航空の『アゴラ』という機内誌にイギリス特集とか海外特集を担当していることでした。この写真がアイルランドのトリニティー・カレッジで、2003年10月号に９ページ「ダブリン文学散歩」特集を私が書かせて頂いております。2002年11月号にも、「ロンドン王室御用達散策」という特集をやり、それが小学館から本になりました。そして、この前書いたのが、このアイルランド特集です。今年の７月には、イギリスのオークションについて特集をします。
来春には、イギリスのパブリックスクールで有名な、イートン校とかハロー校の特集が決まっています。因みに、角川から「角川のワンテーマ２１」という新書版が出ていますが、イギリスのオークションについて10月に出版するので書いてくれと言われ「ああ、結構です」と軽く返事をしてしまいました。まだ月日があるのでのんびりしていたら、７月に出すから早く書けと言われ、毎日10枚ずつ書いて、やっと70枚くらい書いたところです。だから、本当は今月末から来月末までに２５０枚原稿を書かなければなららいのです。だがパーティーや２次会、さらに３次会などの飲み会に誘われ、アルコールがまわってしまい、なかなか原稿が進みません。そこで編集の方から「もう少し早く書いてくれ」と催促とお叱りの電話が来ているところです。
さて、最初は「ロンドンからアイルランドへの旅」と題してお話をさせて頂きます。ロンドンからですと、１時間ちょっとでアイルランドのダブリンまで飛んで行けます。アイルランドは正直言って、イギリスのちょっと田舎を訪れたような感じで、外国に行ったというような感覚は、英国に３０年間暮らした私には殆どありませんでした。
イギリスと同じスーパーの支店があり、ヨークシャーかどこかの地方を訪れたような感じです。それで、何が違うかというと、EUの単一通貨に加盟しているので通貨がユーロです。イギリス通貨はご存知のようにポンドです。
それにアイルランドでは、英語のイントネーションがちょっと違いますが、他はイギリスと殆ど変わりません。個人的なことですが、私が愛読していますデイリー・テレグラフ（新聞社）に友人記者が勤めていますが、その記者の書いた記事がアイリッシュ・タイムズ紙にも載っています。ダブリンを訪ねたら、アインシュ・タイムズ紙とか、アイリッシュ・インディペンデント紙の記者がホテルに会いに来てくれ、あちこちへ案内してくれたのです。同じ英語圏ですので、英国在住だった私にとってみればアイルランドは、あまり変わらない所です。
２年前に私は東京のアイルランド政府観光庁に、年間にどれくらいの日本人がアイルランドを訪れるかということを尋ねました。返ってきた数字は22,000人でした。イギリスへは大体80〜100万人の日本人が毎年訪れています。なぜかというと、日本の観光客のほとんどはロンドン・パリ・ローマが、ヨーロッパでは一番人気の都市です。残念ながらアイルランドは、イギリスの陰に隠れてしまっているように思います。
アイルランドってどんな国？
ここで一般的なことを話させて頂きます。アイルランドといったら、どういう国かというと、ギネスの国、妖精の国、あるいはいい馬がいるので競走馬の国だと言われます。それからアングリング、つまり、魚釣りに人気の高い国です。また非常に有名な文学者を多数排出しているので、「文学の国」だと言う人もいるかと思います。
これも、先ほどお話ししましたように、『アゴラ』の編集部から、「恒松さんはロンドンのことをたくさんお書きになっていますが、アイルランドでしたら何か書けますか？ 実はアイルランドの特集をやりたいのですけどね」と言われたので、「ギネス・ビールですか、それとも馬、釣りですか妖精ですか、文学ですか」と尋ねたら、「実は文学です」のイェイツ返事でした。そこでジェイムズ・ジョイス、W.B.イエーツ、ジョージ・エリオット、ジョージ・バーナード・ショーなどの原稿を書かせて頂くことになったわけです。多くの日本人には、こういったところがアイルランドといったイメージではないかなと思います。
アイルランドは大体地理的には北海道と同じくらいの面積で、人口は北アイルランドが170万、アイルランドが390万、合わせて560万人です。
1840年ごろ、ポテト（じゃが芋）ができなくて、大勢のアイルランド人がアメリカに移住し、人口が減っていました。だが1980年頃から人口が増え出して、現在、アイルランドでは30歳未満の若い人が人口の半分を占めています。それで街を歩いていても、非常に活気があります。びっくりしたのは、あまりにも中国人の学生が大勢住んでいるので私はタクシーの運転手に、「中国人をいっぱい見かけますが、何も問題はありませんか？」と、遠回しに尋ねました。「いいえ、ちっとも。彼らは一生懸命働いていますからね」と言って、評価は高く、私は日本人ですけれども、ちょっとうれしい気持ちがしました。
ですから、アイルランドという国は若くて、人口も増加しており、今すごく景気がいいのです。イギリスも人口は増え続けています。日本はだんだん年高齢者が増えてきて、将来は若い人の払う税金でどのようにして支えていくのかと心配になります。アイルランドは非常に元気のある国で、町がとても活気に満ちています。というのが、アイルランドへ行った印象かと思います。
もう一つ、さっきちょっと話し忘れましたけれども、アイルランドの名門といえばトリニティー・カレッジです。図書館には２０万冊の蔵書があり特にケアズの書という本がありますが、それを見に行くだけでも十分な価値があります。
それから、街並ですが、ジョウジアン朝の建物が並んでいて、どこも同じ建物なのです。そこでタクシーの運転手さんに、「どこも同じ建物だけど、ドアの色だけが、赤とか黄色に変わっていますね」と尋ねたら、「アイルランド人はギネスをいっぱい飲んで酔っぱらったら、よその家に入ってしまうのでドアの色が変えているんだよ！」と言うのです。また「あなたはいつも、ギネスを何杯飲むのですか？」と問うと、「毎日１２杯ぐらいかな。友達は、まだたくさん飲んでいるけどね」とのこと。それが平均的かどうか分かりませんが、確かにダブリンのパブでは、良くギネス・ビールを飲んでいる光景を見かけます。
私はアルコールを殆ど口にしませんが、アイルランドへ取材に行ったとき、友達が飲め飲めと勧めるので飲んだら、ギネス・ビールは甘くて本当においしいでした。ダブリンで飲んだギネス・ビールの口ざわりが忘れられず、ロンドンのアイリッシュ・パブへ出かけました。ところがロンドンで飲んだギネスは、苦味が強くがっかりしました。熊本にスライゴ・インというアイリッシュ・パブがありますが、ギネスの味はいかがでしょうか。
それから、アイルランドは非常に多くの文学者を排出した国で、オスカー・ワイルド、ジョージ・バーナード・ショー、ジェイムス・ジョイス、ウイリアム・バトラー・イェイツなどがいます。ジョイスの小説『ユリシーズ』の作品を読みますと、作品の中に出てくる登場人物が歩いた場所というのが、全く同じように残っています。また、道路にはジョイスの作品「ユリシーズ」に書かれた場所がプラックとして埋め込んであります。それを辿(たど)っていくと、ジョイスの小説『ユリシーズ』に描かれた足跡を訪ねる文学散歩ができます。そういった意味ではダブリンは、どこを訪ねても興味が尽きません。デ・イ・ボランというパブとか、あそこに行って唐辛子入りのサンドイッチを食べたとか、そういうパブが今でも当時のまま残っているのです。私たちもそこへ出かけ、同じようにサンドイッチを食べてきました。
ジョイスは２２歳位の若さで、チューリッヒやヨーロッパを回って、フランスで『ユリシーズ』を出版しました。人生のほとんどを外国で過ごしているのに、彼の作品に出てくるのはダブリンが作品の舞台になっています。22歳までしかダブリンには住んでいず、亡くなったのも確かチューリッヒだったと思います。彼のイマジネーション、創作の基本は大部分がダブリンです。そういう意味で、ジョイス文学を理解する上には、ダブリンを訪れることなしには、作品は理解できないとも言えるでしょう。
それから、時間もまだ少しありますので、今度は硬くて、ちょっとまじめな話をさせていただきます。
英国を訪れた最初の”謎”の日本人漂流民
私は、ものごとを調べるときは、まず一番最初は何か、又は誰か？ということを考えるようにしています。皆さんご存知かと思いますが、記録に残るところで、一番最初に日本を訪れたイギリス人は、ウイリアム・アダムス（三浦按針）です。その前に１回は来た人です。はっきりした名前とか詳細はわからないから、一応記録に残るところではと言います。ではイギリスに最初に行った日本人は誰でしょうか。私は数年前、在英の日本大使館でお話しをさせて頂いたのですが、出席者に尋ねましたら誰も知りませんでした。
イギリスはかつて７つの海を支配していましたが、リチャード・ハクリュートという人が書きました航海記があります。この航海記には、このときにクリストファーとコスモスというのがいたと。「一人は20歳、一人は17歳で、彼らは日本語を話せたと」書いてあります。これを見ますと、英国を一番最初に訪れたのは1614年、ウイリアム・アダムスが日本に来て1600年ですから、その14年後の9月27日、プリマス港にクリストファー20歳とコスモス17歳の二人がロンドンに行っているわけです。この事実は、余り知られていません。
このコスモスとクリストファーはどういう人物なのかは、まだ判りません。しかし、漂流民だと思います。日本人の名前が難しいものですから、英語名でクリストファーとコスモスと呼んだのだろうと推測されます。当時の新聞はないかと思って、いろいろ調べているのですが、まだ見つかっていません。
では最初にロンドンを訪れた日本人は誰かということです。これは私が30年ぐらい前、イギリスのＰＲＯ（＝パブリック・レコード・オフィス）国立公文書館に記録が残っていまして、乙吉・岩吉・久吉(きゅうきち)、あるいは「ひさきち」とも呼ばれています。三人を合わせ、通称「三吉」と呼んでいます。愛知県の美浜町の出身です。そこから行った３人の「吉」がロンドンを最初に訪れた記録に残る日本人です。
美浜町というと、セントレア・シティの名前で、合併後の名前が先行マスコミを賑わしていましたが、結果的には合併が実現しませんでした。何でセントレアかと言うのですが、「中部国際空港では銭湯に入るからセントレアと言うんだよ」と冗談に言ったら信用する人もいました。
３人の日本人がロンドンに辿り着いたのは、1835年のことです。黒船が来ましたのが1853年、明治維新が1868年ですから、その遙か前に愛知県の知多郡美浜町から日本人が行っています。1週間、テームズ川の船の中にいまして、ウエストミンスター寺院とか、馬車に乗ってあちこち旅行をしたことが記録に残っています。その乙吉・岩吉・久吉が日本に帰りたいと書いた記録が国立公文書館に残っています。
ベッテルハイムが聖書を翻訳したときに乙吉は協力しています。そして日本に帰ってこようとしていましたが、打ち払い令で日本に帰れませんが乙吉の息子に当たる人は帰ってきたという記述が新聞に出ていました。その後はわかりませんが、２週間ぐらい前に乙吉の墓が見つかったということで、乙吉の骨が郷里に帰ったという記事が、愛知の中日新聞に載っていました。
アイルランドを訪問した日本人
では最初にアイルランドを訪れた日本人は誰なのか？ ということについて、興味を持っていたのです。すると、びっくりする情報が出てきて、それは長岡護美（熊本県藩事）だと。これは面白いと思って、ちょっと調べてもらったところ、記憶違いだったかはっきりしなませんが、長岡護美公はイギリスのミドル・テンプル法学院で勉強していましたが、その間にアイルランドを訪れたという記述があったようだと。
これは長岡護美公の伝記の中に書いてあったようだと。私はそれを西忠温先生（祟城大）が見つけられたということで、是非コピーさせていただいて、皆さんにご披露できればなと思ったのです。先生はたまたま、ことし定年でちょうど書籍の箱詰めされているときに私が余計なことを言ったものですから、探してもらいましたが見つかりませんでした。ここは一応、不確定ということで、長岡雲海公伝、雲海というのは雲に海、公伝の和綴じの10巻本の中にあったような気がするとのことです。ぜひ皆さんが確認できたら教えて頂ければと思います。
この長岡護美公が最初にアイルランドを訪れた日本人ではないか、もしそれであればまだまだ面白くなってきます。この他にどのような日本人がいたのかと言いますと、入沢達吉という人がおります。これは医学者ですけれども、「万人の思い出」というのを『青海往来』という昭和8年2月号の雑誌に書いております。この人がダブリンの思い出を書いています。彼は医学のシンポジウムの会合に出て、そのことを詳しく書いています。
それともう一人が、これは有名すぎますが、英文学者で矢野峰人という人がいます。この人のエッセー『片影』（昭和6年研究社刊）は実に面白いです。ご存知のようにレイディー・グレン・コナーという人は、アイルランドの文芸復興の基礎をつくった人です。このレイディー・グレン・コナーを紹介して、Ｗ・Ｂ・イェイツに矢野峰人先生は会って、イェーツの家に泊まっています。そのことを、矢野峰人先生はエッセイに詳しく書いてあります。このエッセーはとても読み応えがありますので機会があったらお読みになると良いかと思います。
もう一人は国文学者、斎藤清衛という人です。この人は本をかなり書いていまして、『東洋人の旅』というのがあります。これは昭和１２年５月号に春陽堂から出ています。この『東洋人の旅』の中に、ダブリンの旅行のことを『愛蘭土の第一印象』と題して書いています。この他にも多くの人がアイルランドを訪ねています。私は今後も、明治から大正時代にかけてアイルランドを
まだまだお話ししたいことは訪れた日本人について調査を進めていきたいと考えています。
漱石とアイルランドの関連は？
私は縁あってロンドン漱石記念館の館長をしていますので、夏目漱石について少しお話をさせて頂ければと思います。
では、漱石はアイルランドを訪問しているのか？残念ながら答えは「No」であります。漱石の恩師はウイリアム・ジェイムス・クレイグというシェイクスピア学者です。彼は権威あるアーデン・シェイクスピアシリーズの編集者でした。このアイルランド人教師に、漱石は毎週火曜日に個人教授を42回、5シリングで受けています。もっとも７シリングは高いからといって、値切って５シリングにしてもらっています。漱石さんはアイルランド人から値切ったのです。余計なことですけれども、分かる人は分かってもらえるようですけれども。あまりこれ以上ここで言うと良くないですから。
漱石の文学論の序文に、留学先を決めようとしたときに、オックスホードはケンブリッジに収まるところなきを信じたれば浮かぶと、「北の方、蘇国（つまりスコットランド）に行かんか、又は海を渡りて愛蘭土に赴かんと迄考へたれど、双方とも英語を練習する地としては、甚だ不適当なるを以て思い留まる。同時に語学を稽古する場所として、倫(ロン)敦(ドン)の尤も優れるを認めたり。是に於て此地に笈(きゅう)を卸す。」
漱石は留学先をどうしようかと、最初はスコットランドにしようかと。スコットランドは、薩摩弁と江戸っ子と喧嘩しているみたいだからあれはだめだと。そこで、次はアイルランドにも行こうということも、文学論の中では、最初は思っていたようです。アクセントが強いのでということを言いましたけれども、ここでちょっとアイルランドを落としましたので、今度は持ち上げるということです。漱石の恩師、クレイグという先生の個人教授を受けていて、その個人教授を受けていたときに、クレイグ先生は、ベーカー・ストリートの町の人を見て、「あんなに人がいっぱい歩いているが、あの中に詩を理解できる者っていうのは一握りもいない。アイルランド人の私とかあなたは、非常に詩が分かるから幸せだ」と。漱石は自分では目で読んで頭で考えなければ、詩は分からないのに、詩の分かる仲間に加えてもらったということで、漱石は非常に喜んでいます。
ある時、窓から顔を出して、はるかの下界を忙しそうに、通る人を見下ろしながら、あの中で詩の分かる者は１００人に１人もいない、かわいそうなものだと。イギリス人は詩を解することのできない国民ではないかと。そこへいくとアイルランド人は偉いものだ、遥かに高尚だとクレイグ先生は言っております。詩を味わうことのできる君だの僕だのは、幸福と言わねばならない、自分を詩の分かる方に入れてくれた。
1995年にはアイルランドの詩人、シェイマス・ヒーニーがノーベル文学賞を受賞しています。小さな国でありながら他にも２人、1969年にサムエル・ベケット、そして1923年にＷ．Ｂ．イェーツがノーベル賞を受賞しており、文学的な素地がある国です。だが漱石はアイルランドに残念ながら行っていませんが、非常にそのクレイグ先生に影響を受けて、そのクレイグ先生の回想録というのは『永日小品』の最後に含まれており、非常に読み応えがあります。私はそれを英語に訳して、タトル出版から2002年に出しました。
実はこの、漱石のクレイグ先生の回想録というのは、Ｅ・Ｖ・ルーカスという人の書いた回想録と非常に似ています。この回想録と比べれば、ちょっと面白いなと考えていたら、それは既に東大の平川輔祐弘先生が書かれていました。先を越されてしまったなと思いましたけれども、私が思うことを思っている人が他にもいるなということで、反面、ちょっと嬉(うれ)しい思がしました。
なかなか遠いようですけども、我々にとったら、アイルランドというのは非常に魅力のある国であると思います。
時間になったようですので、この辺で終わらせていただきます。どうも拙い話をご静聴有難うございました。（文責：松村）
「アイルランド伝統音楽を訪ねる旅」に参加して 本間康夫 祟城大学芸術学部教授
２００５年度 熊本アイルランド協会総会 （卓話要録）
8月17日から10日間ほど、山陰アイルランド協会の企画、「アイルランド伝統音楽を訪ねる旅」で初めてアイルランドに行って参りました。
山陰アイルランド協会の内藤会長、小泉凡先生はじめ総勢27名で、現役のアイルランドの伝統音楽家に直接お会いして交流するという、私にとって願ってもない企画でしたので何の躊躇もなく出かけました。
熊本からは祟城大の川野先生、協会員の島田さんとアイリッシュクリームの松藤さんと私の4人の参加です。
成田を8月18日正午にJAL便で出発、11時間25分かけて、ロンドン、ヒースロー空港に到着。空港はテロの影響もあり、入国手続きは団体客であっても添乗員に任せず、本当に一人一人チェックがありました。同行された某新聞社の支局長を退職された方が、どうも目をつけられたらしく「ちょっと来い」と、連れて行かれズボンまで脱がされたという話もありました。
エア・リンガスでヒースローからシャノンへ飛び、夜の９時頃に到着しましたが、まだ空が非常に明るく、この時期は夜10時くらいまで明るくて、時間の観念が狂うような感じでした。ツアー案内役のアイルランド音楽演奏家、守安ご夫妻のお迎えがあり、バスに乗りましたら「今日は満月の一日前です、アイルランドでは満月の夜（ルナティック）はおかしくなる人が今でも一杯いるので皆さんも気をつけてください」というお話がありました。本当にルナティックな日々の旅の始まりだったなという気がします。
おいしいアイルランド料理
アイルランドの西南の街、エニスから徒歩で１５分位の処にある非常に閑静で家庭的な、オーバーン・ロッジ・ホテルに3泊しましたが、到着した夜に、とても食べきれない量の夜食が出ました。夜食といっても最初にスターター、そしてメイン、デザートと続く、アイルランドのフルコース料理で、申し訳ないと思いつつ残してしまいました。
翌朝6時半頃に松藤さんと近所の湖まで散策に出かけました。その道すがら一杯木苺（多分ブラックベリー）が生っていて、苺が大好きな私は、ついつい摘んでしまい、非常に美味しく食べました。ふと脇道に眼をやるとそこはやっと馬車が通るような農道なのに、時速80キロ制限なのにびっくり。なのに、どんなに素晴らしい高速道路でも100キロ制限なのです。この春、マイル表示は全てキロ表示に変更されました。
変化を遂げるアイルランド
守安さんの話では「アイルランドはEUに加盟してから、景気が良くなり道路や建物の開発ラッシュでこの２年くらいどんどん変わっていって、しかもつまらなくなっている」とのことです。道路を作っている人たちはアイルランド人ではなくトルコ人だそうです。アイルランド人に道を作らせたらいつできるかわからないので、トルコ人を連れてきてトルコ人村を作り、その人たちに作らせているというのです。それから新しい家もどんどん建っているが人口は変わらない。若い人たちが家を買って、それで建築ラッシュになっているということでした。
また、気をつけて欲しいことが二つあり、「一つは車がぶっ飛ばしているので気をつけること、それから、国中禁煙で、破ったら罰金40万円なのでタバコを吸う人は特に気をつけてください」とのことでした。
お化けの出る城
ゴールウエイではラディソンSASホテルという、4ツ星の本当にいいホテルに泊まりました。朝食もとても美味しくて、焼いたトマトにブラックプディング、ベーコン、ウインナー、豆のケチャップ煮、近海のサーモンなどなど、とても美味しく感じられる食事ばかりでした。ミルクの入ったスクランブルエッグも食べつつ目玉焼きもとるというふうに、一寸食べ過ぎまして、旅の間3キロは太ったような気がします。
ゴールウエイからダブリンに向かう途中、ティペラリーを経由し、アイルランドで一番お化けの出ると言われるレップ城を訪ねました。今朝締めたばかりの新鮮なラム肉たっぷりの本格的なアイリッシュシチューを昼食に頂き、その後、城主ショーン・ライアン氏と娘のキアラちゃんによるコンサートとダンスがありましたが、途中、2階の居間と娘さんの部屋、トイレなどを見学に行こうとして、階段を上がりきった途端に何故か心臓がドキンとしました。3階は昔牢獄で多くの人が殺されたところだそうで、石造りの暗い螺旋階段の上から冷たい風が吹いてきて、もう怖くてそれ以上登ることはできませんでした。
コンサートが終わって頂いた、ショーンの奥様、アンさん手作りのアイリッシュコーヒーが素晴らしく美味しかったのですが、実は密造酒がたっぷり入っていて「営業停止になるからここでこれを飲んだことを絶対言っちゃいけない。」と、茶目っ気たっぷりに一同口止めをされたのでした。
家庭で音楽交流
ダブリンにはその夜到着しまして、松江にゆかりある方々との交流パーティが行われ、前アイルランド駐日大使のマーフィさんも出席されていました。音楽家も多数参加されており、いわゆる「オープンハウス」という、自分の家を開放してダンス、演奏をされているアントン・マクガワンさん一家との交流もありました。
ダブリンで泊まったホテルは、4ツ星のダベンポートホテルというオスカー・ワイルドの家のすぐ隣で、昔は教会だった建物です。
帰国前日にはギネスのストアハウスに行き、全員でギネスのパーフェクトパイント講習を受けました。無事修了証を貰い、ストアハウスの展望室でもう一杯飲んでいるときにとんでもない大雨が降り、窓の向こう側には四重のすごい虹ができました。ほんとに端から端まで全部かかってこれもルナティックじゃないかなと思ったものです。
来年は音楽交流
本題の、アイルランドで会ったミュージシャンのお話です。エニスで最初に、お会いしたのはフィドルのマット・クラニッチさんです。本業は学校の先生ですが、優れた伝統音楽研究家でもあり、自身のCDを4種持って来られていました。とにかく素晴らしい演奏家で、何が素晴らしいかと言うと、音色の中に民族の歴史、悲しみや強さとかいろんなものを織り込んで語って来られるのです。音楽に哲学があるといった感じです。次にお会いしたアコーディオンのジャツキー・デイリーさんも素晴らしい音楽家でしたが、特にアイリッシュジョークに長けた方で、本当にウイットに富んだ一言一言が非常にユーモアあふれるお茶目な方でした。来年の11月ぐらいに来日予定があるとのことで、熊本でも是非コンサートを実現したいなと考えております。その節は、皆さんよろしくお願いします。
３人目は、元「チーフテンズ」のメンバーと言ったほうが分かりやすいでしょうか、「チーフテンズ」の初代フルートの名手、マイケル・タブラディさんと、奥さんで、オールドスタイル・ステップダンスの名人セリーンさんがホテルへ来てくれ、1時間半くらいのレクチャーコンサートがありました。中締めの後、残った10人程が、セリーンさんにダンスを教えてと言ったのが始まりで、ダンス講習が更に1時間半程ありました。言った人たちはほんの軽い気持ちでしたが、習いたい人にはすべてを教えたいというセリーンさんですから、基本９ステップのうち４ステップで、午後11時半を廻りましたので守安さんから時間を考えなさいと怒られてしまいました。そのくらい踊りを始められたらトコトンつき合う素晴らしいプロフェッショナル魂というのでしょうか、そういう交流もありました。
御前演奏
4人目は、先ほどのお化けのでる城の主、笛の名人のショーン・ライアンさん。この方は天皇皇后両陛下が先月アイルランドを訪問された際に御前演奏をされた方です。事前に宮内庁の人がお城まで訪ねて来られたそうです。というのは、あまり入浴とか、身辺に気を使われないお方なので、その辺りをチェックに来られたのでしょうか。誰かが「この格好で行ったのか」と訊いたので本人は「うん」と笑ったら、奥さんがフォローして、この家にある一番いい服を着せて行かせましたとのことでした。14歳の娘、キアラちゃんはプロのダンサーで、週の半分は、ホテルでダンスショーをしているそうです。近いうちにリバーダンスのトップをとりヒロインになるかもしれないと言われていました。石畳の床で練習し、強烈なステップで、敷き石を割るくらいに稽古をしています。
伝統音楽を訪ねる旅というテーマでしたが、私にとって、単に音楽を聞きに行ったと言うより、音楽を演奏している人々の素晴らしい生き様を見せつけられた、本当に有意義な旅でした。
最後にもうひとつ、私はアイルランドの象徴シャムロックを、この目で見て来たいと思いましてアチコチ探しました。いろんな人に訊いたのですが、クローバーもシャムロックも同じと言う人、どちらも違うという人、それぞれでアイルランド人でも結構分かっていないのじゃないかと思いました。
ご清聴ありがとうございました。
同行の松藤さんのコメント
一番感じたことはアイルランド人の気質がどうも熊本弁で言う“うーばんぎゃー”な人たちの集団と思いました。イエスとノーという言葉がないのです。ノーもイエスもないアイルランドというそんな国でした、ノーもイエスも言わないというのは私の性格と似ているなと感じた次第です。（総会の卓話抜粋文責：松村）
8月17日から10日間ほど、山陰アイルランド協会の企画、「アイルランド伝統音楽を訪ねる旅」で初めてアイルランドに行って参りました。
山陰アイルランド協会の内藤会長、小泉凡先生はじめ総勢27名で、現役のアイルランドの伝統音楽家に直接お会いして交流するという、私にとって願ってもない企画でしたので何の躊躇もなく出かけました。
熊本からは祟城大の川野先生、協会員の島田さんとアイリッシュクリームの松藤さんと私の4人の参加です。
成田を8月18日正午にJAL便で出発、11時間25分かけて、ロンドン、ヒースロー空港に到着。空港はテロの影響もあり、入国手続きは団体客であっても添乗員に任せず、本当に一人一人チェックがありました。同行された某新聞社の支局長を退職された方が、どうも目をつけられたらしく「ちょっと来い」と、連れて行かれズボンまで脱がされたという話もありました。
エア・リンガスでヒースローからシャノンへ飛び、夜の９時頃に到着しましたが、まだ空が非常に明るく、この時期は夜10時くらいまで明るくて、時間の観念が狂うような感じでした。ツアー案内役のアイルランド音楽演奏家、守安ご夫妻のお迎えがあり、バスに乗りましたら「今日は満月の一日前です、アイルランドでは満月の夜（ルナティック）はおかしくなる人が今でも一杯いるので皆さんも気をつけてください」というお話がありました。本当にルナティックな日々の旅の始まりだったなという気がします。
おいしいアイルランド料理
アイルランドの西南の街、エニスから徒歩で１５分位の処にある非常に閑静で家庭的な、オーバーン・ロッジ・ホテルに3泊しましたが、到着した夜に、とても食べきれない量の夜食が出ました。夜食といっても最初にスターター、そしてメイン、デザートと続く、アイルランドのフルコース料理で、申し訳ないと思いつつ残してしまいました。
翌朝6時半頃に松藤さんと近所の湖まで散策に出かけました。その道すがら一杯木苺（多分ブラックベリー）が生っていて、苺が大好きな私は、ついつい摘んでしまい、非常に美味しく食べました。ふと脇道に眼をやるとそこはやっと馬車が通るような農道なのに、時速80キロ制限なのにびっくり。なのに、どんなに素晴らしい高速道路でも100キロ制限なのです。この春、マイル表示は全てキロ表示に変更されました。
変化を遂げるアイルランド
守安さんの話では「アイルランドはEUに加盟してから、景気が良くなり道路や建物の開発ラッシュでこの２年くらいどんどん変わっていって、しかもつまらなくなっている」とのことです。道路を作っている人たちはアイルランド人ではなくトルコ人だそうです。アイルランド人に道を作らせたらいつできるかわからないので、トルコ人を連れてきてトルコ人村を作り、その人たちに作らせているというのです。それから新しい家もどんどん建っているが人口は変わらない。若い人たちが家を買って、それで建築ラッシュになっているということでした。
また、気をつけて欲しいことが二つあり、「一つは車がぶっ飛ばしているので気をつけること、それから、国中禁煙で、破ったら罰金40万円なのでタバコを吸う人は特に気をつけてください」とのことでした。
お化けの出る城
ゴールウエイではラディソンSASホテルという、4ツ星の本当にいいホテルに泊まりました。朝食もとても美味しくて、焼いたトマトにブラックプディング、ベーコン、ウインナー、豆のケチャップ煮、近海のサーモンなどなど、とても美味しく感じられる食事ばかりでした。ミルクの入ったスクランブルエッグも食べつつ目玉焼きもとるというふうに、一寸食べ過ぎまして、旅の間3キロは太ったような気がします。
ゴールウエイからダブリンに向かう途中、ティペラリーを経由し、アイルランドで一番お化けの出ると言われるレップ城を訪ねました。今朝締めたばかりの新鮮なラム肉たっぷりの本格的なアイリッシュシチューを昼食に頂き、その後、城主ショーン・ライアン氏と娘のキアラちゃんによるコンサートとダンスがありましたが、途中、2階の居間と娘さんの部屋、トイレなどを見学に行こうとして、階段を上がりきった途端に何故か心臓がドキンとしました。3階は昔牢獄で多くの人が殺されたところだそうで、石造りの暗い螺旋階段の上から冷たい風が吹いてきて、もう怖くてそれ以上登ることはできませんでした。
コンサートが終わって頂いた、ショーンの奥様、アンさん手作りのアイリッシュコーヒーが素晴らしく美味しかったのですが、実は密造酒がたっぷり入っていて「営業停止になるからここでこれを飲んだことを絶対言っちゃいけない。」と、茶目っ気たっぷりに一同口止めをされたのでした。
家庭で音楽交流
ダブリンにはその夜到着しまして、松江にゆかりある方々との交流パーティが行われ、前アイルランド駐日大使のマーフィさんも出席されていました。音楽家も多数参加されており、いわゆる「オープンハウス」という、自分の家を開放してダンス、演奏をされているアントン・マクガワンさん一家との交流もありました。
ダブリンで泊まったホテルは、4ツ星のダベンポートホテルというオスカー・ワイルドの家のすぐ隣で、昔は教会だった建物です。
帰国前日にはギネスのストアハウスに行き、全員でギネスのパーフェクトパイント講習を受けました。無事修了証を貰い、ストアハウスの展望室でもう一杯飲んでいるときにとんでもない大雨が降り、窓の向こう側には四重のすごい虹ができました。ほんとに端から端まで全部かかってこれもルナティックじゃないかなと思ったものです。
来年は音楽交流
本題の、アイルランドで会ったミュージシャンのお話です。エニスで最初に、お会いしたのはフィドルのマット・クラニッチさんです。本業は学校の先生ですが、優れた伝統音楽研究家でもあり、自身のCDを4種持って来られていました。とにかく素晴らしい演奏家で、何が素晴らしいかと言うと、音色の中に民族の歴史、悲しみや強さとかいろんなものを織り込んで語って来られるのです。音楽に哲学があるといった感じです。次にお会いしたアコーディオンのジャツキー・デイリーさんも素晴らしい音楽家でしたが、特にアイリッシュジョークに長けた方で、本当にウイットに富んだ一言一言が非常にユーモアあふれるお茶目な方でした。来年の11月ぐらいに来日予定があるとのことで、熊本でも是非コンサートを実現したいなと考えております。その節は、皆さんよろしくお願いします。
３人目は、元「チーフテンズ」のメンバーと言ったほうが分かりやすいでしょうか、「チーフテンズ」の初代フルートの名手、マイケル・タブラディさんと、奥さんで、オールドスタイル・ステップダンスの名人セリーンさんがホテルへ来てくれ、1時間半くらいのレクチャーコンサートがありました。中締めの後、残った10人程が、セリーンさんにダンスを教えてと言ったのが始まりで、ダンス講習が更に1時間半程ありました。言った人たちはほんの軽い気持ちでしたが、習いたい人にはすべてを教えたいというセリーンさんですから、基本９ステップのうち４ステップで、午後11時半を廻りましたので守安さんから時間を考えなさいと怒られてしまいました。そのくらい踊りを始められたらトコトンつき合う素晴らしいプロフェッショナル魂というのでしょうか、そういう交流もありました。
御前演奏
4人目は、先ほどのお化けのでる城の主、笛の名人のショーン・ライアンさん。この方は天皇皇后両陛下が先月アイルランドを訪問された際に御前演奏をされた方です。事前に宮内庁の人がお城まで訪ねて来られたそうです。というのは、あまり入浴とか、身辺に気を使われないお方なので、その辺りをチェックに来られたのでしょうか。誰かが「この格好で行ったのか」と訊いたので本人は「うん」と笑ったら、奥さんがフォローして、この家にある一番いい服を着せて行かせましたとのことでした。14歳の娘、キアラちゃんはプロのダンサーで、週の半分は、ホテルでダンスショーをしているそうです。近いうちにリバーダンスのトップをとりヒロインになるかもしれないと言われていました。石畳の床で練習し、強烈なステップで、敷き石を割るくらいに稽古をしています。
伝統音楽を訪ねる旅というテーマでしたが、私にとって、単に音楽を聞きに行ったと言うより、音楽を演奏している人々の素晴らしい生き様を見せつけられた、本当に有意義な旅でした。
最後にもうひとつ、私はアイルランドの象徴シャムロックを、この目で見て来たいと思いましてアチコチ探しました。いろんな人に訊いたのですが、クローバーもシャムロックも同じと言う人、どちらも違うという人、それぞれでアイルランド人でも結構分かっていないのじゃないかと思いました。
ご清聴ありがとうございました。
同行の松藤さんのコメント
一番感じたことはアイルランド人の気質がどうも熊本弁で言う“うーばんぎゃー”な人たちの集団と思いました。イエスとノーという言葉がないのです。ノーもイエスもないアイルランドというそんな国でした、ノーもイエスも言わないというのは私の性格と似ているなと感じた次第です。（総会の卓話抜粋文責：松村）
「華麗なる死者たちーあるアイルランドの物語」 小辻梅子 前・熊本県立大学教授
熊本アイルランド協会＆熊本大学小泉八雲研究会 共済市民講座（第３回講演録）
◆標題について
４月ごろ田中先生からこのお話があったとき、タイトルを何にするかと聞かれてそのとき「華麗なる死者たち」と答えたのですが、その後考えも変わりまして、話の内容が題とずれていきましたことをお許しください。
◆メイヴに連なる女性たち
昨年の３月はアイルランドの伝説の女王、コナハトの女王メイヴについて話をさせていただきました。
メイヴはアイルランドの名先祖である三人の女王に連なる系譜を誇りにし、次々と何人もの王と契って祝福し、財産を増やし、更なる所有欲と征服欲を満たすためにアルスターに戦争を仕掛けた猛婦です。
メイヴの系譜に連なる女性を現代のアイルランド文学に探すとすれば、『ユリシーズ』のモリーが該当するのではないかというようなことも申しました。
これより少しさかのぼって、１９世紀末のアイルランド文学の中にもメイヴに連なると考えることのできる女性たちがいます。
今日はそれらの女性たちについて話してみたいと思います。
◇カーミラ
まず最初はカーミラ。アイルランドの作家シェリダン・レ・ファニュ（1814-73）の中編小説「カーミラ」（1871）の登場人物です。
シェリダン・レ・ファニュは、イェイツやオスカー・ワイルドが住んでいたダブリンのメリオン・スクエアに住んでいた人で、彼の家にもプラークがあります。
「カーミラ」の舞台はオーストリア南東部のスティリアという州にある人里はなれた城で、時代は19世紀半ばです。この城に19歳になるローラという少女が父と住んでいるのですが、偶然の出来事で、ここにカーミラという若い女性が滞在することになります。
カーミラは中背以上のすらりとした美人で、目はパッチリした黒目。髪は金色のまじった焦げ茶色。
カーミラはローラに異常に執着し、ローラの手をとっては何度も握り返し、彼女の顔をドロンとした目つきでじっと見つめ、顔を上気させ、胸元をハアハア膨らませているような時があります。
カーミラにはそのほかにも数々の異常な様子が見られます。午後の1時ごろしか起きないし、食事もほとんど食べない。讃美歌を聞くと顔色を変えてワナワナと震えだします。その頃近くの村では、幽霊を見た娘や、夜のどを絞められた若妻が変死します。
ローラの城には「カルンスタイン伯爵夫人、マーカラ（１６９８）」という肖像画があります。ローラの亡くなった母が実家から持ってきたものですが、マーカラはカーミラそっくりです。
ローラの寝室で夜中に異変が起こります。化け猫のような大きなものがベッドに飛び乗ってきて、ローラは胸を大きな二本の縫い針で刺されたような痛みを覚えます。朝起きるとぐったりして身体がだるく不思議な気鬱に襲われるようになります。
こういう状態が始まって3週間もたつと、ローラはすっかり面やつれして顔色は青ざめ、目は腫れ、目の下には隈ができます。
ある晩、夢の中でローラのベッドの裾にカーミラが血まみれになって立っています。ローラは夢から覚めるとカーミラがだれかに殺されかけているのだと思ってカーミラの部屋へ駆けつけますが、カーミラはいません。翌日も城じゅう探し回りますがどこにも姿はありません。午後1時にカーミラは何食わぬ顔で部屋に帰っています。
翌朝、医師にのどの傷を調べてもらったあと、カーミラについて確かめるために、ローラは父と家庭教師と共に、城から約５キロのところにある廃村へ行きます。そこには屋根のはがれた教会があってそこのアイル（側廊）にカルンスタイン家の墓があるのです。
途中で近く（といっても３０キロ以上離れている）に住む将軍と会います。将軍は最近亡くなった姪の話をします。姪はミラーカという女性と出会って以来、衰弱していきました。その話が自分とカーミラとの話にあまりにも似ているので、ローラは驚きます。将軍は姪を失った悲しみと怒りに煮えたぎり、ミラーカへの復讐心に沸き立っています。
１６９８年に肖像画に描かれたマーカラ（カルンスタイン伯爵夫人）と将軍の姪の友人ミラーカとローラの客人カーミラは同一人物で、彼女は人が思うようには死んではいないのです。
そこへカーミラが現れ教会の中へ入っていこうとします。将軍は斧を振り上げカーミラに向かっていきます。カーミラの面相がたちまち悪鬼の形相に変わり、小さな拳で将軍の手首をｺQみます。将軍がひるんで斧を落としたすきに、カーミラの姿は見えなくなります。
カーミラが吸血女であることはもう疑いの余地はありません。翌日カルンスタイン家の礼拝堂で型どおりの処置が行われます。
マーカラ伯爵夫人の墓が開かれて、将軍とローラの父はそこに美しい反逆の客ミラーカ＝カーミラを認めます。葬られてから１５０年もたつというのに、その顔には生命の温かみがなまなまとした色をみせているのです。目はぱっちりと開かれ、棺の中からは死臭のにおいひとつしません。死体にはかすかですが感知できる呼吸もあり、それに応じて心臓の作用もあることが医師によって証明されます。手足は完全にしなやかで、肉にも弾力があり、鉛で張ってある棺の中には２０センチ近くも血がたまっており死体はその中に浸って横たわっています。
先の尖った杭を吸血女の胸先に打ち込むと、ギャッという叫び声をあげてものすごい形相を呈します。首を打ち落としますと、切り口からどっと真っ赤な血が噴き出します。胴体と首は焼かれ、その灰は近くの川に流します。それ以来この地方は吸血鬼に見舞われることがなくなります。
◇三人の吸血女
次はブラム・ストーカー（１８４７−１９１２）の有名な『ドラキュラ』に登場する三人の吸血女です。この三人はドラキュラの城で４００年の間、昼間は墓の中に眠っていて、夜は血を求めてさまよいます。たいていはドラキュラの残り物かドラキュラがさらってきた村の子供たちの血が彼女たちの食べ物です。
あるとき、ドラキュラの城に若い男の客があり、ドラキュラに禁じられていたのにその男の前に三人は姿を現します。三人は月光の中にいて、光はうしろから差しているのに、三人とも影がありません。三人とも美しいのですが、とくにその中の一人は豊かな金髪の、目がサファイアのように青いすごい美人です。三人とも歯が真珠のように白くて尖っています。それがルビー色の肉感的な唇に、ひときわ鮮やかに光っています。
三人の女たちの笑い声は、玉を転がすような、誰か巧みな手でウォーター・グラスを鳴らしでもするような、なんとも言えない美しい声です。
女の息は蜜のような甘い香りがしますが、その甘い香りの中には、胸のむかつくような血なまぐさい匂いがまじっています。
三人の吸血女が現れるときは、塵のようなものが無数に空中に散らばっているのがだんだん凝集して、形を成し、女の姿になります。去るときは月光や吹雪の中に溶け、透明な薄闇のようになって消えていきます。
吸血女はこのように美しい容姿と美声と甘い香りで獲物を魅了し、食欲を満たします。昼間ドラキュラ城の礼拝堂の棺の中にいるときも、みめよい、愛らしい顔、パッチリした美しい目をして、まるでまざまざと生きているように肉感的で美しいのです。
この何百年の間には、吸血女を退治しに来た屈強の男は数え切れないほどだったでしょうに、この愛らしさと官能的な美しさに手許が狂ったのでしょうか。吸血鬼研究の専門家ヴァン・ヘルシング教授以前にはだれも成功した者はいません。
最後は、ヴァン・ヘルシング教授が、カーミラの時と同じように処置します。急所に杭を打ち込むと、口から血の泡が吹き出します。短刀で首を切るか切らないうちに、死骸は早くも溶け出して、もとの塵になってボロボロに崩れてしまいます。
◇ルーシー
ルーシー・ウェステンラは９月で２０歳になるというその四ヵ月前の５月２４日、三人の男性からプロポーズされます。彼女の心はすでにこの中の一人アーサーにあるのですが、
彼女は「女はなぜ三人の男とあるいは好きなだけの数の男と結婚できないのかしら？」と言うのです。何人もの王と契りを結んだメイヴを連想させます。
ルーシーには子供の頃夢の中で歩く癖がありました。その夢遊病の癖がまた始まってルーシーの様子が日増しに悪くなります。顔色が悪く目の下には隈ができます。
ルーシーは、精神病学の世界的権威でもあるヴァン・ヘルシング教授に診断を受けます。教授の診断では、ルーシーの機能には障害はないし、疾病もありませんが、多量の血液が失われています。しかし単純な貧血症ではありません。
ルーシーの容態が急変します。顔色は白く、唇からも歯茎からも赤い色が消えうせ、頬骨が高く突き出て息づかいが苦しそうです。ヴァン・ヘルシング教授は輸血が必要だと判断し、アーサーが献血します。ルーシーののどに赤い小さな傷あとが表れ、頚動脈の真上には点のような穴が二つあります。
またもや輸血が必要になり、さらに次々と三人の男たちの血が注がれます。
四人の男たちから血をもらった甲斐もなく、ルーシーはげっそりやつれます。急にあらわにむき出してきた白い歯が妙に不気味に尖りだします。
ルーシーの顔は完全な死相になります。ルーシーの目もとはこの世ならぬ神々しさに満ちているかと思えば、淫らな声でうわ言を言ったりしますが、ついに臨終がやってきます。しかし、ルーシーの物語はこれで終わったわけではありません。
ルーシーの死体は死後かなり時間がたっても腐敗の気配はなく、生前の彼女の美しさがそこに戻っているのです。
この頃ロンドンのハムステッド界隈で怪事件が頻発します。幼い子供たちが迷子になって翌日は発見されるのですが、みんな一様にのどを傷つけられているのです。
ヴァン・ヘルシング教授は迷子たちののどの傷は、ルーシーがあけたのだと言います。
真相を見届けるために教授は弟子と共に夜中ウェステンラ家の墓に赴きます。ルーシーの棺の中は空っぽです。
翌日の白昼棺を開けるとルーシーは中にいます。葬儀の前夜よりもつやつやして、死んだ者とは思えないくらい美しくなっています。唇は生前よりももっと赤みがまし、顔もほんのり桜色をしています。白い歯は前よりも尖っています。
教授は言います。「ここには二重生活のようなものがあるのだ。彼女は睡眠中夢の中で歩いているうちに吸血鬼に咬まれた。夢の中で彼女は死んだ。そして夢の中で『不死者』にもなった。ふつう不死者は墓の中で眠っていて、その顔は悪相をしているものだが、彼女の場合は生きていたときよりも美しくなっている。これだと今度不死者でなくなった場合に、ふつうの死人にもどれない。だから彼女が眠っているうちに一度殺してしまわなければならない。そのためには首を切断して、口の中へニンニクをつめて、からだに杭を一本打ち込むのだ」
夜中に三度目の墓暴きが行われます。ルーシーの棺はもぬけの殻です。教授たちが墓の外で待っていると、白い経帷子の女が髪を振り乱して小さな子供を抱いてきます。その女はルーシーですが、あの可憐で美しかった顔が、残忍非道な恐ろしい形相に、あの純真な乙女が淫らな妖婦と化しています。唇はなまなましい血で真っ赤に塗られ、血潮があごからタラタラ流れて純白の経帷子を染めています。
ルーシーは墓の中に入ろうとしますが、教授が聖餅で目塗りをしておいたので、入れません。教授が目塗りの一部をはがすと、ルーシーが音もなくスーッと入ってしまいます。そのあと教授はまた目塗りをします。
四度目の墓暴きが行われます。今度は昼間です。ルーシーの死骸は死そのものの凄惨な姿をして横たわっています。尖った歯、血のこびりついた唇、見る人をぞっとさせずにはおきません。
古くからの言い伝えによれば、不死者は死ぬことができず、不死を呪うようになります。そして新しい犠牲者をふやして世の中に悪をふやしていくのです。不死者の餌食になって死ぬと、その死んだ人間がまた不死者になって、同じように同類の人間を餌食にしていくのです。
ルーシーの場合も不死者として生きながらえていくうちに、彼女の力が働いて子供たちをおびき寄せて、その血を吸うようになりました。彼女がほんとうに死ねば、それは止まって子供たちものどの傷口が消えます。だから彼女をほんとうに死なせてやらなければなりません。そうすれば彼女は不死者の金縛りから逃れて、真の成仏ができるのです。
彼女をほんとうに死なせてやるのは彼女をもっとも愛した人の手によるのがいちばんです。アーサーがその役目を担います。アーサーは杭を死骸の胸にあてハンマーで打ち込みます。赤い唇から真っ赤な血が噴き出します。アーサーは何度も何度も打ち込み、心臓から押し出される血潮があたりを血の海にします。棺の中に横たわっているのは、いまややさしく清らかな顔をした生前と同じルーシーです。彼女は真の死を成し遂げ、その魂は神のもとに召されたのです。
そのあと教授と弟子が出ている杭を鋸で切り落とし、口にニンニクを詰めます。
◇ミナ
ルーシーの親友ミナ・マリーはエクセタの事務弁護士ジョナサン・ハーカーと結婚してミナ・ハーカーとなります。ジョナサンはドラキュラ伯爵がロンドンに購入した土地の件で説明のために、トランシルヴァニアに行ったきり、消息を絶ちます。３ヶ月経って、ミナは突然ブダペストの病院からジョナサンが入院していることを知らされ、急遽ブダペストに赴きます。ジョナサンはドラキュラによってものすごい恐怖の体験をさせられたために、ＰＴＳＤに陥り神経を病んでいます。ミナは旅先でジョナサンと結婚するのですが、病める身のジョナサンにとって彼女は妻であるのみならず、母親であり、看護婦でもあります。さらに彼女は速記やタイプにも堪能で、ジョナサンがドラキュラ城でつけた恐怖の日記をタイプにします。
ヴァン・ヘルシング教授はミナを「女性の中の真珠」と褒め称えます。彼女はドラキュラ狩りのメンバーとなります。
ところが、ミナはルーシー亡き後、ドラキュラの標的にされ、ドラキュラに血を吸われるのみならず、ドラキュラの血を吸わされます。ドラキュラ狩りの仲間たちから愛され、教授の信任厚いミナを、ドラキュラは「おれの肉の肉、血の血」にすることによって、自分の一味にして、助手に仕立て上げようともくろむのです。
教授がミナの身を守るために額に聖餅をのせた時、聖餅がまるで白熱した金属の板のようにミナの額に食い込み、赤い傷を残します。すでにドラキュラの毒素はミナを侵していたのです。ミナは「あぁ、わたしは汚れたものです！わたしは汚れたものです！神様でさえわたしの汚れた身をおいといになるのです！わたしはこの恥のしるしを、審判の日までこの額につけていかなければならない」と嘆き悲しみます。
ミナの顔には吸血鬼の特徴が兆してきます。歯が尖ってきて、ときどき目に鬼気が浮かびます。
彼女の血を吸い、またおのれの血を彼女に吸わせたドラキュラは、教授たちの計画などミナの知っていることを、共感魔術によって内通させます。ドラキュラがミナに与えた血の洗礼は、日の出と日没時に、ミナが霊になって自由に彼のところへ行くようにさせたのです。
ミナの霊はヴァン・ヘルシング教授とドラキュラ伯爵の間を揺れ動きながら、身体は教授に従って、ドラキュラ退治にトランシルヴァニアまで行きます。教授は地面に輪を描いてその上を聖餅でなぞり、その結界からミナを出さないようにします。三人の吸血女が現れてミナを仲間に引きずり込もうとしたとき、ミナは結界の中にいたので、自分ではそこから出ることはできません。また吸血女たちもその中へ入ることはできません。
ジョナサンたちがドラキュラに最後の止めを刺します。ジョナサンの広刃の剣が伯爵ののど元を貫き、同時にクウィンシーのボウイナイフ（猟刀）が伯爵の胸元深く突き刺さります。すると伯爵の身体は粉々の塵となって、サラサラとくずれたと思うと、影も形も見えなくなってしまいます。そしてミナの額から赤い傷が消え、雪よりも白くなります。呪いは解けたのです。
◆吸血鬼の特徴
ここで、吸血鬼の特徴をまとめてみましょう。
?@不死者である。
東ヨーロッパでは吸血鬼を「不死者」(nosferatu Un-Dead)と呼びます。不死者はふつうの人間から見れば死んでいるようですが、本当には死んでいないのです。真の意味で成仏していないのです。ルーシーのように睡眠中に吸血鬼に襲われた人や自殺者や破門された者は不死者になると言われています。
?A二重生活をする。
昼間は死者としての生活を、夜は生者としての生活をするのです。墓の中でも人間社会でもその姿は生前と同じです。
?B高貴な身分である。
カーミラは伯爵夫人ですし、ルーシーは婚約者が貴族です。ドラキュラは伯爵です。
?C美人である。
カーミラ、ルーシー、三人の吸血女みんな美人です。髪の色は吸血女の一人が金髪、カーミラが金色のまじった焦げ茶色。瞳の色は吸血女が青い目で、カーミラは黒目。髪の色、瞳の色はそれぞれ違いますが、みんなに共通しているのは歯が白く尖っていることです。
?D犠牲者との間に恋愛感情、性的関係が介在する。
カーミラはローラに同性愛の感情を抱いて「あなたはわたしのものよ」と言って、あからさまにローラに迫ります。ドラキュラがミナの血を吸い、ミナに自分の血を吸わせるのは性的関係の暗喩です。またドラキュラはミナの夫ジョナサンを「おれのものだ」と言い、同性愛の感情も匂わせます。
?E聖なるもの、浄められたものが苦手である。
カーミラがローラの城に滞在するようになったきっかけは馬車の事故でした。そのとき馬車は石の十字架を避けて反対側の樹にぶつかったのです。カーミラは讃美歌を聞くと身体がワナワナ震えだします。
ドラキュラも十字架が苦手です。ヴァン・ヘルシング教授はルーシーやドラキュラに対して十字架や聖餅や御守り札を持参しています。ドラキュラはニンニクも嫌いです。
?F同類を増やす。
死ぬことのできない不死者は不死を呪いながら、何代も何代もかかって新しい犠牲者を増やして世の中に悪を増やしていくのです。不死者の餌食になって死ぬと、その死んだ人間がまた不死者になって、同じように同類の人間を餌食にします。
?G力が強い。
カーミラは将軍が斧で向かってきたとき、彼の手首をｺQんで斧を落とさせます。
ドラキュラは人間の二十人力の力を持っています。
?H影がない。鏡に姿が映らない。
三人の吸血女は月明かりの中にいるのに影がありません。ジョナサンの髭剃り鏡には部屋全体が映っているのに、傍にいるドラキュラの姿は映っていません。
ついでに吸血鬼大魔王ドラキュラを含めた吸血鬼全般の特徴を一瞥すると、ざっと次のようなものです。
?I奸知にたけている。
人間以上の奸知で、しかも何百年もの時代を経ています。
?J魔術を行う。
?K死者を呼び出して占いをする。
?L自分の思うところへ自由に現れることができる。どんな姿にでもなれる。
?M嵐、霧、雷といった自然現象を惹き起こすことができる。
?N鼠、梟、蝙蝠、蛾、狐、狼などの動物に命令することができる。
?O大きくもなれるし、小さくもなれる。
?P姿を消して透明状態で来ることもできる。
?Q暗闇でも目が見える。
◆吸血鬼とケルトの神々
こう見てきますと、吸血鬼の特徴はケルトの神々や英雄たちの特長となんと似ていることでしょう。「魔法」「変身」といったケルト神話・伝説のキーワードの数々が想起されます。
強力な個性と圧倒的な悪魔の要素で世界の吸血鬼の押しも押されもせぬ代表的な存在、ドラキュラ。彼のモデルは１５世紀に実在したトランシルヴァニア、ワラキア地方の領主ヴラド・ツェペシュ、またの名ドラキュラであることは作品の中からも明白に読み取れます。
しかし、ケルト神話・伝説を探ってみますと、ドラキュラの特徴や属性に影響を与えたと思われる神々がいるのです。
まずケルトの最高神ダグダの息子アンガス。アンガスは彼の里子のダーマットが猪の牙にかかって死んだあと、魔法であたかもダーマットが生きているかのように保存しました。
次にマナナン・マク・リール。マン島の山の頂に砦を構えていたこの海神は、遠くの海に敵の船が見えると、魔術で王国を深い霧の中に隠しました。さらに豆殻を海上に撒き、魔法の杖で打って船に仕立て上げました。それを大艦隊と見誤った敵は島に近づけませんでした。
マナナーンの王国は不老常若の桃源郷でもありました。マナナーンの国に入るときは霧に包まれ、帰るときは眠りに陥りました。アイルランドの人々は眠りに入るときはマナナーンの国に行くことだとみなし、死後はその国へ行くのだと信じていました。
ドラキュラは押しも押されもせぬ大魔術師です。彼はイギリスに上陸するとき嵐を起こし、乗組員が一人も生きていない船を疾走させ、浜辺に打ち上げた船から犬に変身して逃げ出しています。またトランシルヴァニアに帰るときは霧を発生させ霧に包まれて港をすり抜けています。
ドラキュラの城は不老不死の国です。ジョナサンの前に現れた三人の美しい女たち、ジョナサンが目にした昼間の棺の中のドラキュラ、ヴァン・ヘルシング教授が目撃した礼拝堂の中の三人の吸血女たち、彼らはなんと若々しく美しいことでしょう。まさに常若の不死者です。
吸血鬼は、太陽が昇ると魔力がきかなくなります。アーサー王の円卓の騎士のひとりガウェインはケルトの太陽神に由来するといわれます。ガウェインはドラキュラとは逆に昼間はめっぽう強くて、特に太陽をさんさんと浴びている朝の９時から１２時までは普段の３倍の力が出ます。
吸血鬼は時の経過ぐらいでは死にません。人間の生き血を吸っては若返ります。この特殊な食べ物で元気になります。
トゥアハ・デ・ダナーンの神々にも特殊な食べ物がありました。血のような赤い色をしたナナカマドの実です。その実は蜜の味がし、それを食べた者はワインか蜂蜜酒でも飲んだようにすっかり陽気になります。百歳の人間はそれを三つ食べればたちまち３０歳にもどります。
◆一夏の物語
『ドラキュラ』の物語は5月３日のジョナサン・ハーカーの日記で始まり、１１月6日のミナ・ハーカーの日記で終わります。ジョナサンは北ルーマニア、トランシルヴァニア地方のビストリッツという町のホテルで、5月4日は聖ジョージの前夜なので、夜中の１２時の鐘が鳴ると世界中の悪魔の威勢がよくなるから、気をつけるように忠告されます。
ドイツでは聖ヴァルプルギスの祝日５月１日の前夜、魔女がブロッケン山上で魔王と酒宴を張るといいます。ヴァルプルギスはドイツに寺院を建て諸々の疫病に対する守護神とされているイギリス生まれの聖女です。
ケルトの暦では５月１日は１年のちょうど真ん中で「ベルテヌ」と呼ばれ、この日から夏が始まります。ヴァルプルギスの夜に相当するのは１０月３１日のハロウィーンで、この夜は妖精や魔女や幽霊やらあの世のものたちがこの世にやって来て賑わいます。翌１１月１日の「サワーン」に新しい年が始まります。ケルトの暦では５月１日から１０月３１日までが夏ですから、ケルト風に考えると、『ドラキュラ』はひと夏の物語です。
◆吸血鬼の謎
ドラキュラが故国トランシルヴァニアを去って、ロンドンへやってきたのは、その不老常若の王国を拡大するためだったのでしょうか？
そもそも吸血鬼はなぜなぜ存在するのでしょうか？なぜ作り出されたのでしょうか？ 吸血鬼については文学的にはもちろん社会学・歴史学・宗教学・心理学・諸々の科学分野で、多方面からの研究・考察がなされていて、わたしなどの入る余地はないのですが、敢えて蛇足を付け加えるならば、人間の飽くなき欲望（所有欲 征服欲 独占欲 愛欲 食欲など)の追求・肥大化の表象が吸血鬼ではないでしょうか。
ドラキュラをはるばるロンドンまで駆り立てたのは、征服欲であり支配欲でしょう。そしてメイヴの系譜に連なる女たちカーミラ、三人の吸血女、ルーシーをあさましい吸血女へと成り下がるまでに駆り立てたのは所有欲、独占欲、愛欲、食欲そして永遠に生きながらえたい、永遠に若く美しくありたいという願いだったのではないでしょうか。
西欧(キリスト教)文明的に、欲望を「悪」と捉えると、その悪を辺境・野蛮の地に閉じ込めようとする力がはたらきます。
「カーミラ」では「スティリアの高地と低地、それからモラヴィア(チェコ)、シレシア（チェコ・ポーランド）、トルコ領セルヴィア、ポーランド、ロシアには吸血鬼の迷信が流布している」と言い、あたかも東ヨーロッパに限ろうとしているかのようです。
『ドラキュラ』では「吸血鬼は古来人間のいた所にはどこにでもいた。古くはギリシャ、ローマ、ドイツ全土、フランス、インド、トルコ(トラキア)、中国にも」と述べられています。
そしてケルトでは欲望（の追求）を悪(とか善とか)とは捉えずに「自然」として肯定し、宇宙の中の自然の行為と見るのです。
「カーミラ」や『ドラキュラ』の不死者を処置する場面での心臓に杭を打ち込んで血を吐き出させ、首を切り取るという描写は何度読んでも気持ちが悪くなります。
ケルト神話や伝説にも残酷な場面はたくさんあります。しかし、それほど気持ちが悪くならないのは、ケルトの善悪・正邪の判断が一方的に決め付けるのではなく、宇宙的な観点からなされているからではないでしょうか。
ご清聴ありがとうございました。
◆標題について
４月ごろ田中先生からこのお話があったとき、タイトルを何にするかと聞かれてそのとき「華麗なる死者たち」と答えたのですが、その後考えも変わりまして、話の内容が題とずれていきましたことをお許しください。
◆メイヴに連なる女性たち
昨年の３月はアイルランドの伝説の女王、コナハトの女王メイヴについて話をさせていただきました。
メイヴはアイルランドの名先祖である三人の女王に連なる系譜を誇りにし、次々と何人もの王と契って祝福し、財産を増やし、更なる所有欲と征服欲を満たすためにアルスターに戦争を仕掛けた猛婦です。
メイヴの系譜に連なる女性を現代のアイルランド文学に探すとすれば、『ユリシーズ』のモリーが該当するのではないかというようなことも申しました。
これより少しさかのぼって、１９世紀末のアイルランド文学の中にもメイヴに連なると考えることのできる女性たちがいます。
今日はそれらの女性たちについて話してみたいと思います。
◇カーミラ
まず最初はカーミラ。アイルランドの作家シェリダン・レ・ファニュ（1814-73）の中編小説「カーミラ」（1871）の登場人物です。
シェリダン・レ・ファニュは、イェイツやオスカー・ワイルドが住んでいたダブリンのメリオン・スクエアに住んでいた人で、彼の家にもプラークがあります。
「カーミラ」の舞台はオーストリア南東部のスティリアという州にある人里はなれた城で、時代は19世紀半ばです。この城に19歳になるローラという少女が父と住んでいるのですが、偶然の出来事で、ここにカーミラという若い女性が滞在することになります。
カーミラは中背以上のすらりとした美人で、目はパッチリした黒目。髪は金色のまじった焦げ茶色。
カーミラはローラに異常に執着し、ローラの手をとっては何度も握り返し、彼女の顔をドロンとした目つきでじっと見つめ、顔を上気させ、胸元をハアハア膨らませているような時があります。
カーミラにはそのほかにも数々の異常な様子が見られます。午後の1時ごろしか起きないし、食事もほとんど食べない。讃美歌を聞くと顔色を変えてワナワナと震えだします。その頃近くの村では、幽霊を見た娘や、夜のどを絞められた若妻が変死します。
ローラの城には「カルンスタイン伯爵夫人、マーカラ（１６９８）」という肖像画があります。ローラの亡くなった母が実家から持ってきたものですが、マーカラはカーミラそっくりです。
ローラの寝室で夜中に異変が起こります。化け猫のような大きなものがベッドに飛び乗ってきて、ローラは胸を大きな二本の縫い針で刺されたような痛みを覚えます。朝起きるとぐったりして身体がだるく不思議な気鬱に襲われるようになります。
こういう状態が始まって3週間もたつと、ローラはすっかり面やつれして顔色は青ざめ、目は腫れ、目の下には隈ができます。
ある晩、夢の中でローラのベッドの裾にカーミラが血まみれになって立っています。ローラは夢から覚めるとカーミラがだれかに殺されかけているのだと思ってカーミラの部屋へ駆けつけますが、カーミラはいません。翌日も城じゅう探し回りますがどこにも姿はありません。午後1時にカーミラは何食わぬ顔で部屋に帰っています。
翌朝、医師にのどの傷を調べてもらったあと、カーミラについて確かめるために、ローラは父と家庭教師と共に、城から約５キロのところにある廃村へ行きます。そこには屋根のはがれた教会があってそこのアイル（側廊）にカルンスタイン家の墓があるのです。
途中で近く（といっても３０キロ以上離れている）に住む将軍と会います。将軍は最近亡くなった姪の話をします。姪はミラーカという女性と出会って以来、衰弱していきました。その話が自分とカーミラとの話にあまりにも似ているので、ローラは驚きます。将軍は姪を失った悲しみと怒りに煮えたぎり、ミラーカへの復讐心に沸き立っています。
１６９８年に肖像画に描かれたマーカラ（カルンスタイン伯爵夫人）と将軍の姪の友人ミラーカとローラの客人カーミラは同一人物で、彼女は人が思うようには死んではいないのです。
そこへカーミラが現れ教会の中へ入っていこうとします。将軍は斧を振り上げカーミラに向かっていきます。カーミラの面相がたちまち悪鬼の形相に変わり、小さな拳で将軍の手首をｺQみます。将軍がひるんで斧を落としたすきに、カーミラの姿は見えなくなります。
カーミラが吸血女であることはもう疑いの余地はありません。翌日カルンスタイン家の礼拝堂で型どおりの処置が行われます。
マーカラ伯爵夫人の墓が開かれて、将軍とローラの父はそこに美しい反逆の客ミラーカ＝カーミラを認めます。葬られてから１５０年もたつというのに、その顔には生命の温かみがなまなまとした色をみせているのです。目はぱっちりと開かれ、棺の中からは死臭のにおいひとつしません。死体にはかすかですが感知できる呼吸もあり、それに応じて心臓の作用もあることが医師によって証明されます。手足は完全にしなやかで、肉にも弾力があり、鉛で張ってある棺の中には２０センチ近くも血がたまっており死体はその中に浸って横たわっています。
先の尖った杭を吸血女の胸先に打ち込むと、ギャッという叫び声をあげてものすごい形相を呈します。首を打ち落としますと、切り口からどっと真っ赤な血が噴き出します。胴体と首は焼かれ、その灰は近くの川に流します。それ以来この地方は吸血鬼に見舞われることがなくなります。
◇三人の吸血女
次はブラム・ストーカー（１８４７−１９１２）の有名な『ドラキュラ』に登場する三人の吸血女です。この三人はドラキュラの城で４００年の間、昼間は墓の中に眠っていて、夜は血を求めてさまよいます。たいていはドラキュラの残り物かドラキュラがさらってきた村の子供たちの血が彼女たちの食べ物です。
あるとき、ドラキュラの城に若い男の客があり、ドラキュラに禁じられていたのにその男の前に三人は姿を現します。三人は月光の中にいて、光はうしろから差しているのに、三人とも影がありません。三人とも美しいのですが、とくにその中の一人は豊かな金髪の、目がサファイアのように青いすごい美人です。三人とも歯が真珠のように白くて尖っています。それがルビー色の肉感的な唇に、ひときわ鮮やかに光っています。
三人の女たちの笑い声は、玉を転がすような、誰か巧みな手でウォーター・グラスを鳴らしでもするような、なんとも言えない美しい声です。
女の息は蜜のような甘い香りがしますが、その甘い香りの中には、胸のむかつくような血なまぐさい匂いがまじっています。
三人の吸血女が現れるときは、塵のようなものが無数に空中に散らばっているのがだんだん凝集して、形を成し、女の姿になります。去るときは月光や吹雪の中に溶け、透明な薄闇のようになって消えていきます。
吸血女はこのように美しい容姿と美声と甘い香りで獲物を魅了し、食欲を満たします。昼間ドラキュラ城の礼拝堂の棺の中にいるときも、みめよい、愛らしい顔、パッチリした美しい目をして、まるでまざまざと生きているように肉感的で美しいのです。
この何百年の間には、吸血女を退治しに来た屈強の男は数え切れないほどだったでしょうに、この愛らしさと官能的な美しさに手許が狂ったのでしょうか。吸血鬼研究の専門家ヴァン・ヘルシング教授以前にはだれも成功した者はいません。
最後は、ヴァン・ヘルシング教授が、カーミラの時と同じように処置します。急所に杭を打ち込むと、口から血の泡が吹き出します。短刀で首を切るか切らないうちに、死骸は早くも溶け出して、もとの塵になってボロボロに崩れてしまいます。
◇ルーシー
ルーシー・ウェステンラは９月で２０歳になるというその四ヵ月前の５月２４日、三人の男性からプロポーズされます。彼女の心はすでにこの中の一人アーサーにあるのですが、
彼女は「女はなぜ三人の男とあるいは好きなだけの数の男と結婚できないのかしら？」と言うのです。何人もの王と契りを結んだメイヴを連想させます。
ルーシーには子供の頃夢の中で歩く癖がありました。その夢遊病の癖がまた始まってルーシーの様子が日増しに悪くなります。顔色が悪く目の下には隈ができます。
ルーシーは、精神病学の世界的権威でもあるヴァン・ヘルシング教授に診断を受けます。教授の診断では、ルーシーの機能には障害はないし、疾病もありませんが、多量の血液が失われています。しかし単純な貧血症ではありません。
ルーシーの容態が急変します。顔色は白く、唇からも歯茎からも赤い色が消えうせ、頬骨が高く突き出て息づかいが苦しそうです。ヴァン・ヘルシング教授は輸血が必要だと判断し、アーサーが献血します。ルーシーののどに赤い小さな傷あとが表れ、頚動脈の真上には点のような穴が二つあります。
またもや輸血が必要になり、さらに次々と三人の男たちの血が注がれます。
四人の男たちから血をもらった甲斐もなく、ルーシーはげっそりやつれます。急にあらわにむき出してきた白い歯が妙に不気味に尖りだします。
ルーシーの顔は完全な死相になります。ルーシーの目もとはこの世ならぬ神々しさに満ちているかと思えば、淫らな声でうわ言を言ったりしますが、ついに臨終がやってきます。しかし、ルーシーの物語はこれで終わったわけではありません。
ルーシーの死体は死後かなり時間がたっても腐敗の気配はなく、生前の彼女の美しさがそこに戻っているのです。
この頃ロンドンのハムステッド界隈で怪事件が頻発します。幼い子供たちが迷子になって翌日は発見されるのですが、みんな一様にのどを傷つけられているのです。
ヴァン・ヘルシング教授は迷子たちののどの傷は、ルーシーがあけたのだと言います。
真相を見届けるために教授は弟子と共に夜中ウェステンラ家の墓に赴きます。ルーシーの棺の中は空っぽです。
翌日の白昼棺を開けるとルーシーは中にいます。葬儀の前夜よりもつやつやして、死んだ者とは思えないくらい美しくなっています。唇は生前よりももっと赤みがまし、顔もほんのり桜色をしています。白い歯は前よりも尖っています。
教授は言います。「ここには二重生活のようなものがあるのだ。彼女は睡眠中夢の中で歩いているうちに吸血鬼に咬まれた。夢の中で彼女は死んだ。そして夢の中で『不死者』にもなった。ふつう不死者は墓の中で眠っていて、その顔は悪相をしているものだが、彼女の場合は生きていたときよりも美しくなっている。これだと今度不死者でなくなった場合に、ふつうの死人にもどれない。だから彼女が眠っているうちに一度殺してしまわなければならない。そのためには首を切断して、口の中へニンニクをつめて、からだに杭を一本打ち込むのだ」
夜中に三度目の墓暴きが行われます。ルーシーの棺はもぬけの殻です。教授たちが墓の外で待っていると、白い経帷子の女が髪を振り乱して小さな子供を抱いてきます。その女はルーシーですが、あの可憐で美しかった顔が、残忍非道な恐ろしい形相に、あの純真な乙女が淫らな妖婦と化しています。唇はなまなましい血で真っ赤に塗られ、血潮があごからタラタラ流れて純白の経帷子を染めています。
ルーシーは墓の中に入ろうとしますが、教授が聖餅で目塗りをしておいたので、入れません。教授が目塗りの一部をはがすと、ルーシーが音もなくスーッと入ってしまいます。そのあと教授はまた目塗りをします。
四度目の墓暴きが行われます。今度は昼間です。ルーシーの死骸は死そのものの凄惨な姿をして横たわっています。尖った歯、血のこびりついた唇、見る人をぞっとさせずにはおきません。
古くからの言い伝えによれば、不死者は死ぬことができず、不死を呪うようになります。そして新しい犠牲者をふやして世の中に悪をふやしていくのです。不死者の餌食になって死ぬと、その死んだ人間がまた不死者になって、同じように同類の人間を餌食にしていくのです。
ルーシーの場合も不死者として生きながらえていくうちに、彼女の力が働いて子供たちをおびき寄せて、その血を吸うようになりました。彼女がほんとうに死ねば、それは止まって子供たちものどの傷口が消えます。だから彼女をほんとうに死なせてやらなければなりません。そうすれば彼女は不死者の金縛りから逃れて、真の成仏ができるのです。
彼女をほんとうに死なせてやるのは彼女をもっとも愛した人の手によるのがいちばんです。アーサーがその役目を担います。アーサーは杭を死骸の胸にあてハンマーで打ち込みます。赤い唇から真っ赤な血が噴き出します。アーサーは何度も何度も打ち込み、心臓から押し出される血潮があたりを血の海にします。棺の中に横たわっているのは、いまややさしく清らかな顔をした生前と同じルーシーです。彼女は真の死を成し遂げ、その魂は神のもとに召されたのです。
そのあと教授と弟子が出ている杭を鋸で切り落とし、口にニンニクを詰めます。
◇ミナ
ルーシーの親友ミナ・マリーはエクセタの事務弁護士ジョナサン・ハーカーと結婚してミナ・ハーカーとなります。ジョナサンはドラキュラ伯爵がロンドンに購入した土地の件で説明のために、トランシルヴァニアに行ったきり、消息を絶ちます。３ヶ月経って、ミナは突然ブダペストの病院からジョナサンが入院していることを知らされ、急遽ブダペストに赴きます。ジョナサンはドラキュラによってものすごい恐怖の体験をさせられたために、ＰＴＳＤに陥り神経を病んでいます。ミナは旅先でジョナサンと結婚するのですが、病める身のジョナサンにとって彼女は妻であるのみならず、母親であり、看護婦でもあります。さらに彼女は速記やタイプにも堪能で、ジョナサンがドラキュラ城でつけた恐怖の日記をタイプにします。
ヴァン・ヘルシング教授はミナを「女性の中の真珠」と褒め称えます。彼女はドラキュラ狩りのメンバーとなります。
ところが、ミナはルーシー亡き後、ドラキュラの標的にされ、ドラキュラに血を吸われるのみならず、ドラキュラの血を吸わされます。ドラキュラ狩りの仲間たちから愛され、教授の信任厚いミナを、ドラキュラは「おれの肉の肉、血の血」にすることによって、自分の一味にして、助手に仕立て上げようともくろむのです。
教授がミナの身を守るために額に聖餅をのせた時、聖餅がまるで白熱した金属の板のようにミナの額に食い込み、赤い傷を残します。すでにドラキュラの毒素はミナを侵していたのです。ミナは「あぁ、わたしは汚れたものです！わたしは汚れたものです！神様でさえわたしの汚れた身をおいといになるのです！わたしはこの恥のしるしを、審判の日までこの額につけていかなければならない」と嘆き悲しみます。
ミナの顔には吸血鬼の特徴が兆してきます。歯が尖ってきて、ときどき目に鬼気が浮かびます。
彼女の血を吸い、またおのれの血を彼女に吸わせたドラキュラは、教授たちの計画などミナの知っていることを、共感魔術によって内通させます。ドラキュラがミナに与えた血の洗礼は、日の出と日没時に、ミナが霊になって自由に彼のところへ行くようにさせたのです。
ミナの霊はヴァン・ヘルシング教授とドラキュラ伯爵の間を揺れ動きながら、身体は教授に従って、ドラキュラ退治にトランシルヴァニアまで行きます。教授は地面に輪を描いてその上を聖餅でなぞり、その結界からミナを出さないようにします。三人の吸血女が現れてミナを仲間に引きずり込もうとしたとき、ミナは結界の中にいたので、自分ではそこから出ることはできません。また吸血女たちもその中へ入ることはできません。
ジョナサンたちがドラキュラに最後の止めを刺します。ジョナサンの広刃の剣が伯爵ののど元を貫き、同時にクウィンシーのボウイナイフ（猟刀）が伯爵の胸元深く突き刺さります。すると伯爵の身体は粉々の塵となって、サラサラとくずれたと思うと、影も形も見えなくなってしまいます。そしてミナの額から赤い傷が消え、雪よりも白くなります。呪いは解けたのです。
◆吸血鬼の特徴
ここで、吸血鬼の特徴をまとめてみましょう。
?@不死者である。
東ヨーロッパでは吸血鬼を「不死者」(nosferatu Un-Dead)と呼びます。不死者はふつうの人間から見れば死んでいるようですが、本当には死んでいないのです。真の意味で成仏していないのです。ルーシーのように睡眠中に吸血鬼に襲われた人や自殺者や破門された者は不死者になると言われています。
?A二重生活をする。
昼間は死者としての生活を、夜は生者としての生活をするのです。墓の中でも人間社会でもその姿は生前と同じです。
?B高貴な身分である。
カーミラは伯爵夫人ですし、ルーシーは婚約者が貴族です。ドラキュラは伯爵です。
?C美人である。
カーミラ、ルーシー、三人の吸血女みんな美人です。髪の色は吸血女の一人が金髪、カーミラが金色のまじった焦げ茶色。瞳の色は吸血女が青い目で、カーミラは黒目。髪の色、瞳の色はそれぞれ違いますが、みんなに共通しているのは歯が白く尖っていることです。
?D犠牲者との間に恋愛感情、性的関係が介在する。
カーミラはローラに同性愛の感情を抱いて「あなたはわたしのものよ」と言って、あからさまにローラに迫ります。ドラキュラがミナの血を吸い、ミナに自分の血を吸わせるのは性的関係の暗喩です。またドラキュラはミナの夫ジョナサンを「おれのものだ」と言い、同性愛の感情も匂わせます。
?E聖なるもの、浄められたものが苦手である。
カーミラがローラの城に滞在するようになったきっかけは馬車の事故でした。そのとき馬車は石の十字架を避けて反対側の樹にぶつかったのです。カーミラは讃美歌を聞くと身体がワナワナ震えだします。
ドラキュラも十字架が苦手です。ヴァン・ヘルシング教授はルーシーやドラキュラに対して十字架や聖餅や御守り札を持参しています。ドラキュラはニンニクも嫌いです。
?F同類を増やす。
死ぬことのできない不死者は不死を呪いながら、何代も何代もかかって新しい犠牲者を増やして世の中に悪を増やしていくのです。不死者の餌食になって死ぬと、その死んだ人間がまた不死者になって、同じように同類の人間を餌食にします。
?G力が強い。
カーミラは将軍が斧で向かってきたとき、彼の手首をｺQんで斧を落とさせます。
ドラキュラは人間の二十人力の力を持っています。
?H影がない。鏡に姿が映らない。
三人の吸血女は月明かりの中にいるのに影がありません。ジョナサンの髭剃り鏡には部屋全体が映っているのに、傍にいるドラキュラの姿は映っていません。
ついでに吸血鬼大魔王ドラキュラを含めた吸血鬼全般の特徴を一瞥すると、ざっと次のようなものです。
?I奸知にたけている。
人間以上の奸知で、しかも何百年もの時代を経ています。
?J魔術を行う。
?K死者を呼び出して占いをする。
?L自分の思うところへ自由に現れることができる。どんな姿にでもなれる。
?M嵐、霧、雷といった自然現象を惹き起こすことができる。
?N鼠、梟、蝙蝠、蛾、狐、狼などの動物に命令することができる。
?O大きくもなれるし、小さくもなれる。
?P姿を消して透明状態で来ることもできる。
?Q暗闇でも目が見える。
◆吸血鬼とケルトの神々
こう見てきますと、吸血鬼の特徴はケルトの神々や英雄たちの特長となんと似ていることでしょう。「魔法」「変身」といったケルト神話・伝説のキーワードの数々が想起されます。
強力な個性と圧倒的な悪魔の要素で世界の吸血鬼の押しも押されもせぬ代表的な存在、ドラキュラ。彼のモデルは１５世紀に実在したトランシルヴァニア、ワラキア地方の領主ヴラド・ツェペシュ、またの名ドラキュラであることは作品の中からも明白に読み取れます。
しかし、ケルト神話・伝説を探ってみますと、ドラキュラの特徴や属性に影響を与えたと思われる神々がいるのです。
まずケルトの最高神ダグダの息子アンガス。アンガスは彼の里子のダーマットが猪の牙にかかって死んだあと、魔法であたかもダーマットが生きているかのように保存しました。
次にマナナン・マク・リール。マン島の山の頂に砦を構えていたこの海神は、遠くの海に敵の船が見えると、魔術で王国を深い霧の中に隠しました。さらに豆殻を海上に撒き、魔法の杖で打って船に仕立て上げました。それを大艦隊と見誤った敵は島に近づけませんでした。
マナナーンの王国は不老常若の桃源郷でもありました。マナナーンの国に入るときは霧に包まれ、帰るときは眠りに陥りました。アイルランドの人々は眠りに入るときはマナナーンの国に行くことだとみなし、死後はその国へ行くのだと信じていました。
ドラキュラは押しも押されもせぬ大魔術師です。彼はイギリスに上陸するとき嵐を起こし、乗組員が一人も生きていない船を疾走させ、浜辺に打ち上げた船から犬に変身して逃げ出しています。またトランシルヴァニアに帰るときは霧を発生させ霧に包まれて港をすり抜けています。
ドラキュラの城は不老不死の国です。ジョナサンの前に現れた三人の美しい女たち、ジョナサンが目にした昼間の棺の中のドラキュラ、ヴァン・ヘルシング教授が目撃した礼拝堂の中の三人の吸血女たち、彼らはなんと若々しく美しいことでしょう。まさに常若の不死者です。
吸血鬼は、太陽が昇ると魔力がきかなくなります。アーサー王の円卓の騎士のひとりガウェインはケルトの太陽神に由来するといわれます。ガウェインはドラキュラとは逆に昼間はめっぽう強くて、特に太陽をさんさんと浴びている朝の９時から１２時までは普段の３倍の力が出ます。
吸血鬼は時の経過ぐらいでは死にません。人間の生き血を吸っては若返ります。この特殊な食べ物で元気になります。
トゥアハ・デ・ダナーンの神々にも特殊な食べ物がありました。血のような赤い色をしたナナカマドの実です。その実は蜜の味がし、それを食べた者はワインか蜂蜜酒でも飲んだようにすっかり陽気になります。百歳の人間はそれを三つ食べればたちまち３０歳にもどります。
◆一夏の物語
『ドラキュラ』の物語は5月３日のジョナサン・ハーカーの日記で始まり、１１月6日のミナ・ハーカーの日記で終わります。ジョナサンは北ルーマニア、トランシルヴァニア地方のビストリッツという町のホテルで、5月4日は聖ジョージの前夜なので、夜中の１２時の鐘が鳴ると世界中の悪魔の威勢がよくなるから、気をつけるように忠告されます。
ドイツでは聖ヴァルプルギスの祝日５月１日の前夜、魔女がブロッケン山上で魔王と酒宴を張るといいます。ヴァルプルギスはドイツに寺院を建て諸々の疫病に対する守護神とされているイギリス生まれの聖女です。
ケルトの暦では５月１日は１年のちょうど真ん中で「ベルテヌ」と呼ばれ、この日から夏が始まります。ヴァルプルギスの夜に相当するのは１０月３１日のハロウィーンで、この夜は妖精や魔女や幽霊やらあの世のものたちがこの世にやって来て賑わいます。翌１１月１日の「サワーン」に新しい年が始まります。ケルトの暦では５月１日から１０月３１日までが夏ですから、ケルト風に考えると、『ドラキュラ』はひと夏の物語です。
◆吸血鬼の謎
ドラキュラが故国トランシルヴァニアを去って、ロンドンへやってきたのは、その不老常若の王国を拡大するためだったのでしょうか？
そもそも吸血鬼はなぜなぜ存在するのでしょうか？なぜ作り出されたのでしょうか？ 吸血鬼については文学的にはもちろん社会学・歴史学・宗教学・心理学・諸々の科学分野で、多方面からの研究・考察がなされていて、わたしなどの入る余地はないのですが、敢えて蛇足を付け加えるならば、人間の飽くなき欲望（所有欲 征服欲 独占欲 愛欲 食欲など)の追求・肥大化の表象が吸血鬼ではないでしょうか。
ドラキュラをはるばるロンドンまで駆り立てたのは、征服欲であり支配欲でしょう。そしてメイヴの系譜に連なる女たちカーミラ、三人の吸血女、ルーシーをあさましい吸血女へと成り下がるまでに駆り立てたのは所有欲、独占欲、愛欲、食欲そして永遠に生きながらえたい、永遠に若く美しくありたいという願いだったのではないでしょうか。
西欧(キリスト教)文明的に、欲望を「悪」と捉えると、その悪を辺境・野蛮の地に閉じ込めようとする力がはたらきます。
「カーミラ」では「スティリアの高地と低地、それからモラヴィア(チェコ)、シレシア（チェコ・ポーランド）、トルコ領セルヴィア、ポーランド、ロシアには吸血鬼の迷信が流布している」と言い、あたかも東ヨーロッパに限ろうとしているかのようです。
『ドラキュラ』では「吸血鬼は古来人間のいた所にはどこにでもいた。古くはギリシャ、ローマ、ドイツ全土、フランス、インド、トルコ(トラキア)、中国にも」と述べられています。
そしてケルトでは欲望（の追求）を悪(とか善とか)とは捉えずに「自然」として肯定し、宇宙の中の自然の行為と見るのです。
「カーミラ」や『ドラキュラ』の不死者を処置する場面での心臓に杭を打ち込んで血を吐き出させ、首を切り取るという描写は何度読んでも気持ちが悪くなります。
ケルト神話や伝説にも残酷な場面はたくさんあります。しかし、それほど気持ちが悪くならないのは、ケルトの善悪・正邪の判断が一方的に決め付けるのではなく、宇宙的な観点からなされているからではないでしょうか。
ご清聴ありがとうございました。
「EUの中のアイルランド」 小島一浩 元・三井電満アイルランド社長
第１回目ですから熊本アイルランド協会の紹介からします。平成５年に熊本日愛協会はハーン来熊100周年記念の一つとして誕生し、平成７年に今の名称になりました。その間、ハーン関係の行事が続きましたが、数年間にわたる会員による熊大での講座を機に、この市民講座を開催することになりました。
今日はアイルランドの南部コークに５年間暮した経験を中心に、アイルランドから見たＥＵのお話をさせていただきます。
アイルランドへの道
20年前アイルランドへ初めて赴任した時の道は遠いものでした。バンクーバー経由で15〜16時間。ロンドンに一泊しないとアイルランドへ渡れませんでした。ちょうど司馬遼太郎の街道を行くの｢愛蘭土紀行｣が週刊誌に連載されていて、郵送してもらって読んでいましたが、リバプールからアイルランドへ来るまでにずいぶん日数がかかったことを憶えています。
ＥＵ ｢戦争のヨーロッパ｣
資料に「戦争のヨーロッパ」をまとめております。今のフランスとドイツのアメリカ、ブッシュさんに対する反感とかを考えますと、やはりヨーロッパの歴史が分からないと、どうも日本人はピンとこないのだろうと思います。
17世紀以降もヨーロッパは戦争が続いていました。戦争などによる犠牲者の数は大変なものでした。地続きだということもありますし、王国であったり、国の変遷がいろいろあったりして、戦争がずーっと続いているのです。
日本は同じ時期、17世紀の初めに関ヶ原の戦いがあり、秀吉が天下統一をして関白になってから、日本という国が一応形成されたというふうに言われております。この17世紀以降、江戸時代は平和でした。西南の役あるいは日清・日露・太平洋戦争があるまではあまり戦争はありませんでした。
ヨーロッパでは、14世紀にペストが大流行。この死者が約3,000万人。1億しか人口のないヨーロッパで3,000万人です。一説によると都市部では半分ぐらいが亡くなったと言われています。
それから、1918年にスペイン風邪が流行しています。このとき世界で3,4千万人は死んだというふうに言われます。東海岸で発生したインフルエンザをアメリカから派遣されたアメリカ軍が持ち込んで、ドイツも連合軍も実は戦争でどうこうというよりも、このスペイン風邪にやられて戦う意欲をなくしてしまって、第一次大戦が終わったという説もあります。
ヨーロッパとアメリカ
―欧州安全協力機構、ＮＡＴＯの設立−
「欧州統合の理念」というのを書いておりますが、アメリカがヨーロッパ統合とどういう関係になっていたか、これが一つのキーポイントになると思います。
今、フランスとドイツがイラク問題でアメリカと対立しています。第一次大戦も第二次大戦もヨーロッパはアメリカを引き込んで連合軍が勝利したのです。
第二次大戦が終わりましてから、アメリカは欧州に対してどういう態度を取ったかといいますと、まず共産主義のソ連を封じ込める必要がある。
それから、やはり強力な国であったドイツ、これを封じ込めなければならない。この二つがやっぱり大きかったと思います。それでこの二つをメインにして実は安全保障機構をつくろうというのが、ヨーロッパ統合、あるいはＮＡＴＯの設立につながってくるわけです。
そのほかにアメリカは自分たちのアメリカの価値観というもの、これに基づく統合理念、連邦主義だとか民主主義だとか自由とか人権だとかをヨーロッパにも押しつけようとか、ヨーロッパも賛同してくれるように、動き始めたのです。
ヨーロッパは戦争を契機にして、ヨーロッパ自身が今までの戦争で打撃を受けたので、これからはもう戦争はやれない。そこでフランス・ドイツを中心にしてヨーロッパ連合をつくっていくわけです。最初につくったのが、1949年のＮＡＴＯ体制だったのです。
欧州統合の成立
独・仏の間ではルール地方の炭田を中心に争いが絶えなかったので、石炭鉄鋼共同体をつくります。さらに原子力とか経済共同体、ＥＥＣをつくり、経済だけではなくて運営機関を統合していこうということでＥＣをつくります。さらにこれを進めて、通貨統合を含めたＥＵという連合体に変わっていくわけです。
欧州統合は、最初６カ国でつくりますが、次の第１次拡大の中にイギリス、デンマークとともにアイルランドは加盟します。さらに統合を拡大し、去年の第５次の拡大では、中東欧の10カ国が参加しまして、現在25カ国になっております。
ユーロの誕生
欧州連合の一番の骨格をなしているのは、安全保障問題とともに経済的な側面です。段階をおって通貨制度の統合をしました。2002年の1月にユーロ通貨が流通するようになり、12カ国でスタートしました。1999年に銀行関係の決済は全部ユーロで始め、ユーロ・レートというのを固定しております。1999年1月に為替レートを固定しました。12カ国さまざまな単位の通貨がありました。アイリッシュポンドが0.787564と、一番比率的には高い。一番大きなのはイタリアのリラ、これは1936リラが１ユーロです。これだけ格差のある単位通貨を１ユーロで固定するのです。2002年のユーロ通貨の発行は約150億枚、コインが約520億枚。約2億の人口が扱うわけですから、総額6,487億ユーロ、日本円に換算して75兆円です。日本の財政のほぼ１年分相当を一挙にしました。
最初は各国別に、6月ぐらいまでに紙幣の交換にかかるだろうと始めましたけれど、続々と旧硬貨を新紙幣に交換するというのが進み、もう２月には全部終わるということをやり遂げてしまいました。
ちなみに日本は、昨年11月に新紙幣、1万円札、5千円札、千円札を発行しました。つい先日、5月末までの新紙幣の発行率は、新紙幣に替わった率が51％だそうです。2年後を目標にしているそうです。5月末の紙幣の発行残高が106億枚だそうですけれども、1万円札で約47％、千円札で58％しか替わってないそうです。
ただ、ユーロに不参加の国が3カ国あります。デンマーク・スウェーデン・イギリスです。特に、スターリンポンドを持っているイギリスは、いろいろな条件が満足されないと出来ないと。ブレア首相は一生懸命にユーロに入りたいんですけれども、なかなかいかない。今、12カ国を行かれる方は非常に楽になりました。いちいち国が変わるごとに両替をしなくていいから。
アイルランドの旧通貨を使われた方は分かると思いますが、アイルランドは鳥や馬や牛やイルカなどを表面にして、裏は全部このハープです。この裏に楽器を使った国は、アイルランドだけだそうです。
このハープが今でも残っています。ユーロ紙幣は配布資料の｢概説｣の中に写真が載っております。紙幣の方からいきますと、5ユーロから500ユーロまで。(日本円で600円から6万円位まで) これは、それぞれの建築様式を図案化したもので統一されています。これはオーストリアの中央銀行のデザイナーがデザインしたそうで、５ユーロがクラシック、16ユーロがロマネスクとか、500ユーロが現代とか、全部時代別の建物の特徴をデザインいたしたものです。これは各国12カ国共通です。
ところがコインは、1セント、2セント、5セントから10、20、50までセントがありまして、1ユーロ、2ユーロまであります。2ユーロだと250円ぐらいです。この表面は同じですが、裏が発行した各国別に違います。これはアイルランドの｢概説｣ですから、ハープになっています。ここで各国の特徴を残しています。だからコインコレクターの方が非常に楽しんでいますが。ぜひ向こうへ行かれたときは裏を見てもらって、いろいろ種類があるなあというので持って帰られたらと思います。
ＥＵとは
ＥＵは各国が持っている機能の一部を吸い上げるということで、欧州連合というのは運用されております。憲法までつくって、大統領とか外務大臣をつくろうかというところで今頓挫しているわけですけれども。
｢ＥＵの予算｣の財源はＧＮＰの財源、これは各国の分担金(これが60％)。消費税に相当する付加価値税、それと輸入品の関税・輸入農産物の関税というものを集めて予算財源としています。支出のうち農業関係は46％、10数年前は70％でした。だんだんだんだん減らしてきております。昔は全部統一した基準で支出していたのですが、ここ４、５年前ぐらいから実際の分配は各国に任せるという形にして、変わってきました。
その次が構造・結束基金、これが33％。この、構造・結束基金がアイルランドの成長に大きく貢献しました。
ヨーロッパは、ドイツ・フランスあるいはベネルクス３国、やはり金持ち国。あるいはイギリスもその一つですけれども、貧乏国がやはりアイルランド・スペイン・ポルトガルでした。そのレベルをできるだけ合わせようということで、ここに資金を投じまして、レベルをだんだん上げてきました。アイルランドもその第一候補に挙がっていまして、1990年から99年、あるいはその後10年間ぐらいはこの結束基金あるいは構造基金というもので援助しました。
一人当たりの金額にしますと、ヨーロッパ一番の被援助国でした。これによって経済基盤の整備、道路とか鉄道とか空港とか整備をしてきていますし、教育・職業訓練等をやってまいりました。全国の開発計画の中で90年前後は総予算の約46％、この中には失業率の改善も入るわけですが、1994年から99年までは約80％結束基金で賄われて基盤整備をやってきました。
これからは、大分減らされるだろうということで、アイルランド全部に適用していたものを今度は二つに分けまして、北西部はもう少し長く、来年までですか援助を続けるという約束ができたようです。
アイルランドのこれから
一昨年の10月にアイルランド協会の創立10周年に、駐日アイルランド大使、ポドリグ・マーフィー氏が見えましてスピーチをされました。そのときに、｢やはり、今まで非常にヨーロッパの中では急速な進歩を遂げてきました。しかし、そろそろいろいろな問題が出てきて、このＥＵからの援助も切られるし、そこでアイルランドは急に成長して服が窮屈になったティーンエージャーといったところでしょうか。アイルランド人になかなかまだ合っていない。今後は国際経済に左右されるので、非常に歴史の中では幸せな国になったけれども、これから先は方向を変えないといけない｣と言われました。ユーロが非常に強くなりましたから、輸出がどうなるかという問題もあろうかと思います。
それから、アイルランドは95％カトリック。やはりローマカトリックというのは、離婚問題、人工中絶問題に非常に敏感です。もう離婚禁止をめぐる国民投票というのを何回もやりました。女性が二代続きましたメアリー大統領、メアリー・マッカーシー、その前が今、国連の人権高等弁務官のメアリー・ロビンソンさんですが。この方が非常に熱心に改正を呼びかけまして、97年から離婚できるようになりました。それまでは別居はしているけど離婚はできなかったわけです。しかし最近は１万2,000組の離婚が認められたという説があります。
それから人工妊娠中絶は、今も認められておりません。どうしても妊娠中絶をしなければならないという女性は、イギリスに行って妊娠中絶をしておりましたし、その数もだんだん増えています。現実には、生まれた子供を引き取って、どこかに世話する、里子に出すという機構があり、世話しているようです。最近の調査では教会に行く人は65歳以上で74％。20歳前後では14％しかいない。
それから、これはアイルランドだけではないと思いますけれど、税金の関係で結婚したら所得税が非常に高い。両方とも働いている場合は。実質結婚していても入籍しないということです。これはアイルランドだけではなくて、ほかのヨーロッパの国もあるようです。
アイルランドは、黒ビール・ギネスです。行ったら必ずお飲みいただければ分かります。ここで飲むのと日本で飲む黒ビールの味とは全然違いますし、ミクロの泡が違います。ダブリンのギネスの博物館では、入場料でちゃんと一杯飲ませてもらえます。ヨーロッパの中では、ビールの一人当たりの消費量は一番高いそうです。
ところが私どものアイルランドの会社のマネジャーの仲間にもおりましたが、２割から３割は絶対禁酒という人がおります。パブに行ってもちゃんとジュース・水で過ごしていました。
タバコですが、ヨーロッパで一番最初にパブで喫煙禁止をしたのはアイルランドです。10年ぐらい前から空港ではガラス張りのブロックされた部屋でしか飲めないというのがありました。
質問： アイルランドはずっと盛況は続いていたのですか。アイルランドの若者の生活態度等はどんなようでしょうか。
「だんだん人口は増えてきて、1870年以来一番多い人口になりました。20年前は、大体若者の２万人ぐらいはアメリカや、国外へ出ていたんです。人口は減るばかりでした。それが企業誘致その他失業対策でだんだん人口も増えている。
20年前は毎年アイルランドの若者はこのままでは仕事がないものですから、出ていたのです。その当時の失業率が20％。雇用権というのがありまして、年寄りは大事に守る、若者を切る。だから、若者の失業率が非常に高いんです。
ただ、アイリッシュのいいところは、世界に行くと言っても、親戚とかコネが各国にあるのです。アメリカはもちろん4000万人ぐらいいますから、お姉さんが帰ってきたとか親戚が帰ってきたとか、オーストラリアもカナダもそうです。日本人が海外に出るという感覚よりは親戚のところに行くよとう感覚でその当時は出ていたのです。
20年前は、アイルランドには殺人がないと言われていました。こそ泥とか、ちょっとしたことはありましたけれども。ところが最近は、年間42件ぐらいの殺人があっていると言われています。ダブリンなんかを観光客が歩いていると、｢用心しなさい｣と警告書も出ていますから、世界共通でしょうけれど、変わってきていると思います。教会離れが進んでいますから、あるいは結婚がなかなかできないとかがありますから、だんだん変わってきているとは思います。」 （文責：松村）
今日はアイルランドの南部コークに５年間暮した経験を中心に、アイルランドから見たＥＵのお話をさせていただきます。
アイルランドへの道
20年前アイルランドへ初めて赴任した時の道は遠いものでした。バンクーバー経由で15〜16時間。ロンドンに一泊しないとアイルランドへ渡れませんでした。ちょうど司馬遼太郎の街道を行くの｢愛蘭土紀行｣が週刊誌に連載されていて、郵送してもらって読んでいましたが、リバプールからアイルランドへ来るまでにずいぶん日数がかかったことを憶えています。
ＥＵ ｢戦争のヨーロッパ｣
資料に「戦争のヨーロッパ」をまとめております。今のフランスとドイツのアメリカ、ブッシュさんに対する反感とかを考えますと、やはりヨーロッパの歴史が分からないと、どうも日本人はピンとこないのだろうと思います。
17世紀以降もヨーロッパは戦争が続いていました。戦争などによる犠牲者の数は大変なものでした。地続きだということもありますし、王国であったり、国の変遷がいろいろあったりして、戦争がずーっと続いているのです。
日本は同じ時期、17世紀の初めに関ヶ原の戦いがあり、秀吉が天下統一をして関白になってから、日本という国が一応形成されたというふうに言われております。この17世紀以降、江戸時代は平和でした。西南の役あるいは日清・日露・太平洋戦争があるまではあまり戦争はありませんでした。
ヨーロッパでは、14世紀にペストが大流行。この死者が約3,000万人。1億しか人口のないヨーロッパで3,000万人です。一説によると都市部では半分ぐらいが亡くなったと言われています。
それから、1918年にスペイン風邪が流行しています。このとき世界で3,4千万人は死んだというふうに言われます。東海岸で発生したインフルエンザをアメリカから派遣されたアメリカ軍が持ち込んで、ドイツも連合軍も実は戦争でどうこうというよりも、このスペイン風邪にやられて戦う意欲をなくしてしまって、第一次大戦が終わったという説もあります。
ヨーロッパとアメリカ
―欧州安全協力機構、ＮＡＴＯの設立−
「欧州統合の理念」というのを書いておりますが、アメリカがヨーロッパ統合とどういう関係になっていたか、これが一つのキーポイントになると思います。
今、フランスとドイツがイラク問題でアメリカと対立しています。第一次大戦も第二次大戦もヨーロッパはアメリカを引き込んで連合軍が勝利したのです。
第二次大戦が終わりましてから、アメリカは欧州に対してどういう態度を取ったかといいますと、まず共産主義のソ連を封じ込める必要がある。
それから、やはり強力な国であったドイツ、これを封じ込めなければならない。この二つがやっぱり大きかったと思います。それでこの二つをメインにして実は安全保障機構をつくろうというのが、ヨーロッパ統合、あるいはＮＡＴＯの設立につながってくるわけです。
そのほかにアメリカは自分たちのアメリカの価値観というもの、これに基づく統合理念、連邦主義だとか民主主義だとか自由とか人権だとかをヨーロッパにも押しつけようとか、ヨーロッパも賛同してくれるように、動き始めたのです。
ヨーロッパは戦争を契機にして、ヨーロッパ自身が今までの戦争で打撃を受けたので、これからはもう戦争はやれない。そこでフランス・ドイツを中心にしてヨーロッパ連合をつくっていくわけです。最初につくったのが、1949年のＮＡＴＯ体制だったのです。
欧州統合の成立
独・仏の間ではルール地方の炭田を中心に争いが絶えなかったので、石炭鉄鋼共同体をつくります。さらに原子力とか経済共同体、ＥＥＣをつくり、経済だけではなくて運営機関を統合していこうということでＥＣをつくります。さらにこれを進めて、通貨統合を含めたＥＵという連合体に変わっていくわけです。
欧州統合は、最初６カ国でつくりますが、次の第１次拡大の中にイギリス、デンマークとともにアイルランドは加盟します。さらに統合を拡大し、去年の第５次の拡大では、中東欧の10カ国が参加しまして、現在25カ国になっております。
ユーロの誕生
欧州連合の一番の骨格をなしているのは、安全保障問題とともに経済的な側面です。段階をおって通貨制度の統合をしました。2002年の1月にユーロ通貨が流通するようになり、12カ国でスタートしました。1999年に銀行関係の決済は全部ユーロで始め、ユーロ・レートというのを固定しております。1999年1月に為替レートを固定しました。12カ国さまざまな単位の通貨がありました。アイリッシュポンドが0.787564と、一番比率的には高い。一番大きなのはイタリアのリラ、これは1936リラが１ユーロです。これだけ格差のある単位通貨を１ユーロで固定するのです。2002年のユーロ通貨の発行は約150億枚、コインが約520億枚。約2億の人口が扱うわけですから、総額6,487億ユーロ、日本円に換算して75兆円です。日本の財政のほぼ１年分相当を一挙にしました。
最初は各国別に、6月ぐらいまでに紙幣の交換にかかるだろうと始めましたけれど、続々と旧硬貨を新紙幣に交換するというのが進み、もう２月には全部終わるということをやり遂げてしまいました。
ちなみに日本は、昨年11月に新紙幣、1万円札、5千円札、千円札を発行しました。つい先日、5月末までの新紙幣の発行率は、新紙幣に替わった率が51％だそうです。2年後を目標にしているそうです。5月末の紙幣の発行残高が106億枚だそうですけれども、1万円札で約47％、千円札で58％しか替わってないそうです。
ただ、ユーロに不参加の国が3カ国あります。デンマーク・スウェーデン・イギリスです。特に、スターリンポンドを持っているイギリスは、いろいろな条件が満足されないと出来ないと。ブレア首相は一生懸命にユーロに入りたいんですけれども、なかなかいかない。今、12カ国を行かれる方は非常に楽になりました。いちいち国が変わるごとに両替をしなくていいから。
アイルランドの旧通貨を使われた方は分かると思いますが、アイルランドは鳥や馬や牛やイルカなどを表面にして、裏は全部このハープです。この裏に楽器を使った国は、アイルランドだけだそうです。
このハープが今でも残っています。ユーロ紙幣は配布資料の｢概説｣の中に写真が載っております。紙幣の方からいきますと、5ユーロから500ユーロまで。(日本円で600円から6万円位まで) これは、それぞれの建築様式を図案化したもので統一されています。これはオーストリアの中央銀行のデザイナーがデザインしたそうで、５ユーロがクラシック、16ユーロがロマネスクとか、500ユーロが現代とか、全部時代別の建物の特徴をデザインいたしたものです。これは各国12カ国共通です。
ところがコインは、1セント、2セント、5セントから10、20、50までセントがありまして、1ユーロ、2ユーロまであります。2ユーロだと250円ぐらいです。この表面は同じですが、裏が発行した各国別に違います。これはアイルランドの｢概説｣ですから、ハープになっています。ここで各国の特徴を残しています。だからコインコレクターの方が非常に楽しんでいますが。ぜひ向こうへ行かれたときは裏を見てもらって、いろいろ種類があるなあというので持って帰られたらと思います。
ＥＵとは
ＥＵは各国が持っている機能の一部を吸い上げるということで、欧州連合というのは運用されております。憲法までつくって、大統領とか外務大臣をつくろうかというところで今頓挫しているわけですけれども。
｢ＥＵの予算｣の財源はＧＮＰの財源、これは各国の分担金(これが60％)。消費税に相当する付加価値税、それと輸入品の関税・輸入農産物の関税というものを集めて予算財源としています。支出のうち農業関係は46％、10数年前は70％でした。だんだんだんだん減らしてきております。昔は全部統一した基準で支出していたのですが、ここ４、５年前ぐらいから実際の分配は各国に任せるという形にして、変わってきました。
その次が構造・結束基金、これが33％。この、構造・結束基金がアイルランドの成長に大きく貢献しました。
ヨーロッパは、ドイツ・フランスあるいはベネルクス３国、やはり金持ち国。あるいはイギリスもその一つですけれども、貧乏国がやはりアイルランド・スペイン・ポルトガルでした。そのレベルをできるだけ合わせようということで、ここに資金を投じまして、レベルをだんだん上げてきました。アイルランドもその第一候補に挙がっていまして、1990年から99年、あるいはその後10年間ぐらいはこの結束基金あるいは構造基金というもので援助しました。
一人当たりの金額にしますと、ヨーロッパ一番の被援助国でした。これによって経済基盤の整備、道路とか鉄道とか空港とか整備をしてきていますし、教育・職業訓練等をやってまいりました。全国の開発計画の中で90年前後は総予算の約46％、この中には失業率の改善も入るわけですが、1994年から99年までは約80％結束基金で賄われて基盤整備をやってきました。
これからは、大分減らされるだろうということで、アイルランド全部に適用していたものを今度は二つに分けまして、北西部はもう少し長く、来年までですか援助を続けるという約束ができたようです。
アイルランドのこれから
一昨年の10月にアイルランド協会の創立10周年に、駐日アイルランド大使、ポドリグ・マーフィー氏が見えましてスピーチをされました。そのときに、｢やはり、今まで非常にヨーロッパの中では急速な進歩を遂げてきました。しかし、そろそろいろいろな問題が出てきて、このＥＵからの援助も切られるし、そこでアイルランドは急に成長して服が窮屈になったティーンエージャーといったところでしょうか。アイルランド人になかなかまだ合っていない。今後は国際経済に左右されるので、非常に歴史の中では幸せな国になったけれども、これから先は方向を変えないといけない｣と言われました。ユーロが非常に強くなりましたから、輸出がどうなるかという問題もあろうかと思います。
それから、アイルランドは95％カトリック。やはりローマカトリックというのは、離婚問題、人工中絶問題に非常に敏感です。もう離婚禁止をめぐる国民投票というのを何回もやりました。女性が二代続きましたメアリー大統領、メアリー・マッカーシー、その前が今、国連の人権高等弁務官のメアリー・ロビンソンさんですが。この方が非常に熱心に改正を呼びかけまして、97年から離婚できるようになりました。それまでは別居はしているけど離婚はできなかったわけです。しかし最近は１万2,000組の離婚が認められたという説があります。
それから人工妊娠中絶は、今も認められておりません。どうしても妊娠中絶をしなければならないという女性は、イギリスに行って妊娠中絶をしておりましたし、その数もだんだん増えています。現実には、生まれた子供を引き取って、どこかに世話する、里子に出すという機構があり、世話しているようです。最近の調査では教会に行く人は65歳以上で74％。20歳前後では14％しかいない。
それから、これはアイルランドだけではないと思いますけれど、税金の関係で結婚したら所得税が非常に高い。両方とも働いている場合は。実質結婚していても入籍しないということです。これはアイルランドだけではなくて、ほかのヨーロッパの国もあるようです。
アイルランドは、黒ビール・ギネスです。行ったら必ずお飲みいただければ分かります。ここで飲むのと日本で飲む黒ビールの味とは全然違いますし、ミクロの泡が違います。ダブリンのギネスの博物館では、入場料でちゃんと一杯飲ませてもらえます。ヨーロッパの中では、ビールの一人当たりの消費量は一番高いそうです。
ところが私どものアイルランドの会社のマネジャーの仲間にもおりましたが、２割から３割は絶対禁酒という人がおります。パブに行ってもちゃんとジュース・水で過ごしていました。
タバコですが、ヨーロッパで一番最初にパブで喫煙禁止をしたのはアイルランドです。10年ぐらい前から空港ではガラス張りのブロックされた部屋でしか飲めないというのがありました。
質問： アイルランドはずっと盛況は続いていたのですか。アイルランドの若者の生活態度等はどんなようでしょうか。
「だんだん人口は増えてきて、1870年以来一番多い人口になりました。20年前は、大体若者の２万人ぐらいはアメリカや、国外へ出ていたんです。人口は減るばかりでした。それが企業誘致その他失業対策でだんだん人口も増えている。
20年前は毎年アイルランドの若者はこのままでは仕事がないものですから、出ていたのです。その当時の失業率が20％。雇用権というのがありまして、年寄りは大事に守る、若者を切る。だから、若者の失業率が非常に高いんです。
ただ、アイリッシュのいいところは、世界に行くと言っても、親戚とかコネが各国にあるのです。アメリカはもちろん4000万人ぐらいいますから、お姉さんが帰ってきたとか親戚が帰ってきたとか、オーストラリアもカナダもそうです。日本人が海外に出るという感覚よりは親戚のところに行くよとう感覚でその当時は出ていたのです。
20年前は、アイルランドには殺人がないと言われていました。こそ泥とか、ちょっとしたことはありましたけれども。ところが最近は、年間42件ぐらいの殺人があっていると言われています。ダブリンなんかを観光客が歩いていると、｢用心しなさい｣と警告書も出ていますから、世界共通でしょうけれど、変わってきていると思います。教会離れが進んでいますから、あるいは結婚がなかなかできないとかがありますから、だんだん変わってきているとは思います。」 （文責：松村）
アイルランド いま 小島一浩（副会長）
はじめに
聖パトリックスデーのパーティーに参加していただきましてありがとうございます。
東京では3月11日に、このパトリックスデーお祝いのパレードが行われました。座間の米軍軍学隊を先頭に300人以上の参加者が、表参道を練り歩いたそうです。参道の観客も多かったといいます。その晩プレスセンターでは、来日中のメアリー・ハーニー副首相と経済使節団のメンバーとのパーティーが開かれ、会場には一杯の参加者が集まったそうです。（アハーン首相来日の予定が急遽変更され、副首相の来日になった模様。アイルランドの現在の大統領はメアリーさん、その前もメアリーさんでした）
熊本でのこのパーティは、3回目になりますが、その最初のことを会員の井上さんがお彼岸の中日の熊日紙（99.3.21）の囲み記事（聖パトリックとケルトとお彼岸）で、こう書いておられます。「3月17日、熊本でも熊本アイルランド協会によって聖パトリックの集いがあった。といっても会員が集まり、ギネスビールを飲み、おしゃべりやアイルランド民謡を合唱して、弥生三月の一夕を楽しんだだけだが・・・」と。
アイルランド・アラカルト
昨年はハーン生誕150年記念行事が盛沢山でしたが、今日は「アイルランドのいま」についてお話をさせて戴きたいと思います。短い時間ですので、東京の大使館から小冊子「アイルランド概説」を取り寄せました。読んでもらえればと思います。その中でひとつ、英語版と違うところがありますから紹介しておきますと、「アイルランドの文学」の項でハーンの紹介は英語版にはありませんから、日本語版にする時に追加したものと思われます。また送ってきた託送便の大きな箱の中に、国花シャムロックの飾りと今私が着ているこの緑の紙製のチョッキが入っていました。3点ともアイルランド本国製です。これでパーティーを盛り上げてということでしょうから、このチョッキを着てお話しさせていただきます。
さて、私どもが5年間住んでいたコークから「Eメール」が届きました。いつもの冬は滅多に雪は降らないアイルランドでも、今年の冬は寒くてダブリン空港が雪のため度々封鎖されたということです。
最近新聞で騒がれている家畜の伝染病口蹄炎（a foot and mouth disease）対策で、教会のミサも森の散歩も禁止され、彼とデートも出来なくなったと嘆いています。北アイルランド国境には厳重警戒のため軍隊が動員されたとのこと。以前発生して大騒動となった狂牛病（a mad cow disease 牛の海綿状脳症）とは違いますが、風によっても伝染するので農業国アイルランドは大変だったようです。
3月の始めに、熊本でも上映されましたが、「アンジェラの灰」（ピュリツア賞伝記部門を受賞したフランク・マッコウト原作の映画化、1999年ユニバーサル製作）を見ました。作者の自伝的作品といわれていますが、その時代1930年代のアイルランドは、雨続きでびしょびしょ（あれほど降るとは思いませんが）貧乏で悲惨な国でした。
アイルランド いま
そのアイルランドが、イギリスの経済雑誌「エコノミスト」（1997年5月号）によって、いち早く世界にその名を知られるようになったのです。
「10年前、アイルランド経済はヨーロッパで最も貧しく（スペインよりも）、そのまま推移するようにみえた。しかし今や、ヨーロッパのタイガー経済（ケルティク・タイガー）といわれるようになった」のです。
また「世界経済フォーラム」（2000年版）によると国際競争力世界ランキングでは、アイルランドは前年度の10位から5位に躍進しました。その時、日本は前年度14位から21位に落ちました。
大前研一さんは「21世紀維新」（文春新書1999）の中で、「国境なき社会の国家サイズとしては、シンガポール、ニュージーランドとアイルランド、約300万人規模の国家が情報化社会に最も適合する」と書いています。（米国は大国だが、実質は州単位の合衆国だから）。
アイルランドの主要経済指標は、次の通りで躍進を示していますが、最近の伸びは鈍化してきました。
アイルランドの輸出総額は、98年度は645億ドルで、主な産品別では、コンピュータ関連機器22％、有機化学品17％、医薬品7％などで、農産物の割合は9％に低下しました。（80年34％、88年18％）。
主な輸出先は、EU64％（英国22％、ドイツ12％）、米国15％、日本3％などで、英国依存から脱出しました。
昨年からは、米国系の企業がバイアグラ原料の輸出を大幅に伸ばしているとの報告もあります。
日本への輸出は、総額29億ドルで、産品別では有機化学39％、コンピュータ関連16％、化学品・医薬品18％など。工業用ダイヤモンド、コンタクトレンズやAji、Nishin、Live Horse（馬刺材料料s）も日本には輸出しています。また日本からの輸入は21億ドル、自動車・トラック27％、コンピュータ関連18％、有機化合物13％などがあります。
アイルランド経済の重要な鍵は、外資系企業の発展に負うところが大きいのです。最近の外資系企業の雇用は、全就業人口の10％になり、農業人口並になりました。またその輸出額は輸出GDPの4分の3を占めています。米国の500社、74千人をはじめ、英国、ドイツ、オランダなど、日本は40社余り約4千人となっています。（日本人の滞在者数は、98年度で763人、その内永住者155、留学生224人などです。）
これはアイルランド政府の海外企業優遇策や、パートナーシップと呼ばれる労働安定策などが成功したことによるものと言われています。このため若年労働者の流出に歯止めがかかり、逆にソフトウェアー産業労働者不足対策として、今後6~7年間に20万人を海外から受け入れる意向といわれています。
アイルランド これから
今年2月には、EU財務相理事会が「2001年度アイルランド予算案見直しの勧告を」し、インフレ傾向の中での拡張予算は、ユーロ全体の経済運営に悪影響を与えると警告しました。もっともアイルランド政府はこれを拒否しましたが。アイルランドポンド通貨は、来年1月に「ユーロ通貨」に統一され、2月末には消えます。コインの裏側にだけ12の星（ユーロ参加国の数）に囲まれて、エンブレムのハーブの図は残りますが、紙幣もコインの表もすべてユーロに統一されます。
EUは今後拡大（中欧への）と深化（金融統合、税制の調和・企業統合など）へ向かいます。（3.7億人から5.9億人の中の360万人の国に,
共通農業政策の恩恵はsどうなるかなど）
EUの中で小国アイルランドの抱える問題は多いと思います。（主要経済指標省略）
（2001.3.15 熊本市国際交流会館”セントパトリックスデー In くまもと”での卓話）
聖パトリックスデーのパーティーに参加していただきましてありがとうございます。
東京では3月11日に、このパトリックスデーお祝いのパレードが行われました。座間の米軍軍学隊を先頭に300人以上の参加者が、表参道を練り歩いたそうです。参道の観客も多かったといいます。その晩プレスセンターでは、来日中のメアリー・ハーニー副首相と経済使節団のメンバーとのパーティーが開かれ、会場には一杯の参加者が集まったそうです。（アハーン首相来日の予定が急遽変更され、副首相の来日になった模様。アイルランドの現在の大統領はメアリーさん、その前もメアリーさんでした）
熊本でのこのパーティは、3回目になりますが、その最初のことを会員の井上さんがお彼岸の中日の熊日紙（99.3.21）の囲み記事（聖パトリックとケルトとお彼岸）で、こう書いておられます。「3月17日、熊本でも熊本アイルランド協会によって聖パトリックの集いがあった。といっても会員が集まり、ギネスビールを飲み、おしゃべりやアイルランド民謡を合唱して、弥生三月の一夕を楽しんだだけだが・・・」と。
アイルランド・アラカルト
昨年はハーン生誕150年記念行事が盛沢山でしたが、今日は「アイルランドのいま」についてお話をさせて戴きたいと思います。短い時間ですので、東京の大使館から小冊子「アイルランド概説」を取り寄せました。読んでもらえればと思います。その中でひとつ、英語版と違うところがありますから紹介しておきますと、「アイルランドの文学」の項でハーンの紹介は英語版にはありませんから、日本語版にする時に追加したものと思われます。また送ってきた託送便の大きな箱の中に、国花シャムロックの飾りと今私が着ているこの緑の紙製のチョッキが入っていました。3点ともアイルランド本国製です。これでパーティーを盛り上げてということでしょうから、このチョッキを着てお話しさせていただきます。
さて、私どもが5年間住んでいたコークから「Eメール」が届きました。いつもの冬は滅多に雪は降らないアイルランドでも、今年の冬は寒くてダブリン空港が雪のため度々封鎖されたということです。
最近新聞で騒がれている家畜の伝染病口蹄炎（a foot and mouth disease）対策で、教会のミサも森の散歩も禁止され、彼とデートも出来なくなったと嘆いています。北アイルランド国境には厳重警戒のため軍隊が動員されたとのこと。以前発生して大騒動となった狂牛病（a mad cow disease 牛の海綿状脳症）とは違いますが、風によっても伝染するので農業国アイルランドは大変だったようです。
3月の始めに、熊本でも上映されましたが、「アンジェラの灰」（ピュリツア賞伝記部門を受賞したフランク・マッコウト原作の映画化、1999年ユニバーサル製作）を見ました。作者の自伝的作品といわれていますが、その時代1930年代のアイルランドは、雨続きでびしょびしょ（あれほど降るとは思いませんが）貧乏で悲惨な国でした。
アイルランド いま
そのアイルランドが、イギリスの経済雑誌「エコノミスト」（1997年5月号）によって、いち早く世界にその名を知られるようになったのです。
「10年前、アイルランド経済はヨーロッパで最も貧しく（スペインよりも）、そのまま推移するようにみえた。しかし今や、ヨーロッパのタイガー経済（ケルティク・タイガー）といわれるようになった」のです。
また「世界経済フォーラム」（2000年版）によると国際競争力世界ランキングでは、アイルランドは前年度の10位から5位に躍進しました。その時、日本は前年度14位から21位に落ちました。
大前研一さんは「21世紀維新」（文春新書1999）の中で、「国境なき社会の国家サイズとしては、シンガポール、ニュージーランドとアイルランド、約300万人規模の国家が情報化社会に最も適合する」と書いています。（米国は大国だが、実質は州単位の合衆国だから）。
アイルランドの主要経済指標は、次の通りで躍進を示していますが、最近の伸びは鈍化してきました。
アイルランドの輸出総額は、98年度は645億ドルで、主な産品別では、コンピュータ関連機器22％、有機化学品17％、医薬品7％などで、農産物の割合は9％に低下しました。（80年34％、88年18％）。
主な輸出先は、EU64％（英国22％、ドイツ12％）、米国15％、日本3％などで、英国依存から脱出しました。
昨年からは、米国系の企業がバイアグラ原料の輸出を大幅に伸ばしているとの報告もあります。
日本への輸出は、総額29億ドルで、産品別では有機化学39％、コンピュータ関連16％、化学品・医薬品18％など。工業用ダイヤモンド、コンタクトレンズやAji、Nishin、Live Horse（馬刺材料料s）も日本には輸出しています。また日本からの輸入は21億ドル、自動車・トラック27％、コンピュータ関連18％、有機化合物13％などがあります。
アイルランド経済の重要な鍵は、外資系企業の発展に負うところが大きいのです。最近の外資系企業の雇用は、全就業人口の10％になり、農業人口並になりました。またその輸出額は輸出GDPの4分の3を占めています。米国の500社、74千人をはじめ、英国、ドイツ、オランダなど、日本は40社余り約4千人となっています。（日本人の滞在者数は、98年度で763人、その内永住者155、留学生224人などです。）
これはアイルランド政府の海外企業優遇策や、パートナーシップと呼ばれる労働安定策などが成功したことによるものと言われています。このため若年労働者の流出に歯止めがかかり、逆にソフトウェアー産業労働者不足対策として、今後6~7年間に20万人を海外から受け入れる意向といわれています。
アイルランド これから
今年2月には、EU財務相理事会が「2001年度アイルランド予算案見直しの勧告を」し、インフレ傾向の中での拡張予算は、ユーロ全体の経済運営に悪影響を与えると警告しました。もっともアイルランド政府はこれを拒否しましたが。アイルランドポンド通貨は、来年1月に「ユーロ通貨」に統一され、2月末には消えます。コインの裏側にだけ12の星（ユーロ参加国の数）に囲まれて、エンブレムのハーブの図は残りますが、紙幣もコインの表もすべてユーロに統一されます。
EUは今後拡大（中欧への）と深化（金融統合、税制の調和・企業統合など）へ向かいます。（3.7億人から5.9億人の中の360万人の国に,
共通農業政策の恩恵はsどうなるかなど）
EUの中で小国アイルランドの抱える問題は多いと思います。（主要経済指標省略）
（2001.3.15 熊本市国際交流会館”セントパトリックスデー In くまもと”での卓話）
「熊本アイルランド協会の足跡」 会長 中島最吉 祟城大学学生部長
設立まで会の足跡について書くように言われたが、設立からいつの間にか九年という歳月が流れ、関係する資料も山ほどになり、記憶力は減退するばかりで一向に整理がつかない。誤謬・脱落を覚悟の上で書いてみるのでお許しを頂きたい。
平成元年（１９９１）六月〜十一月「ジェーンズとハーンの記念祭」が開催され、この関連の企画として翌年九月「ラフカディオ・ハーンの足跡を訪ねるツアー」が実施された。ロンドン、ダラム、ダブリン、レフカダ島を訪れたが、ハーンの孫である小泉時氏夫妻も同行された。ご夫妻が初めてアイルランド入りをされることもあって、ダブリンでは政府の暖かい大歓迎を受けた。これはハーンの良き理解者であり研究者でもある元駐日大使故ローナン氏の蔭のご尽力によるものであった。夜のパブには全員が案内され、アイリッシュダンスを楽しく見学している間も、氏はカウンターの中に入ってビールのサービスまでして下さった。その姿は三十余名のものにとって決して忘れることはできないと思う。
ギリシャではハーン生誕の地レフカダ島を訪れた。広場にハーンの記念碑が建っているレフカダ町は別として、ギリシャの報道陣からは日本におけるハーンの人気の秘密を再々質問された。若い四十代の町長スピロス・マルゲリス氏は別れの時に来日の折には必ず熊本に来ることを約束してくれた。翌年四月、姉妹関係にある東京都新宿区にできた小泉八雲記念公園の開園式出席のため来日したマルゲリス町長一行四人は約束通り熊本まで足を延ばしてくれた。熊本市を表敬訪問した時には美しいイオニア海に浮かぶレフカダ島を描いた絵を田尻市長に寄贈してくれたし、八雲旧居での植樹や五高記念館や三角西港の浦島屋訪問のあと、歓迎パーティで「ツアー」の参加者たちと友好を深めた。このような状況の中で、九月には浦島屋の復元が完成するというので、ハーンの母国アイルランドの友好協会を設立しようという気運が「ツアー」のメンバーやハーン研究者の間で高まった。一つには落成式にジェｨムズ・シャーキー駐日大使の出席をお願いするため九月二十二日三井ガーデンホテル熊本で「熊本日愛協会設立総会」が開催された。シャーキー大使のほかに小泉時ご夫妻にも来賓として出席して頂いた。大使は祝辞の中で「ラフカディオ・ハーンの人生と業績がかなめとなり、熊本とアイルランドとの間に生まれた友好と理解は、この協会の設立によって一段と飛躍するものでありましょう」と述べられた。小泉時氏は「夏の日の夢」を通してみた身内からのハーン像について説得力のある話をされた。この総会では矢毛石晴美会員による魅惑的なアイリッシュハープの演奏が花を添えたことを記憶している。
設立後の来熊者
設立後はできるだけ多くの方々を協会でお招きすることにした。アイルランド古典音楽の研究家で演奏者でもある守安弘・雅子夫妻をはじめ、アイルランドの地形・地誌に造詣の深い堀淳一氏、ケルト紋様に詳しい鶴岡真弓女史などである。アイルランドからも色んな方が来られた。設立の年の十一月にはジョン・Ｇ・イーガン氏、翌年にはジョナサン・Ａ・ライアン氏などである。イーガン氏はアイルランド放送協会のレポーターで日本新聞協会の招きで来日され、自主活動の期間に是非熊本を訪れたいとのことであった。目的は日本での小泉八雲の人気の程を、日本紹介のラジオ番組の中で取り上げるためだった。質問にできるだけ答えたあとで氏を八雲旧居に案内した。陳列の硝子ケースの中に「橋の上で」の英文が開かれているのを見ると、取り出して第一頁を読んでほしいと言う。仕方なく読んだ。学生時代に先生から当てられて読んでいるような気分になった。「どうするんですか」と尋ねると「もちろん放送します」という答が返って来た。止めてくれるように必死に頼んだが駄目だった。今思い出しても冷汗が出てくる。ライアン氏は政府商務庁の日本駐在のお役人だった。熊本はダブリンに似て住みやすそうだし、アラン・セーターなどを扱っている店もあって、おしゃれな街だと語っていた。会員との交流の場では「アイルランド産のししゃもをさかなにギネスビールを飲んでほしい」とセールスに余念がなかった。
二人の駐日大使
設立時はジェイムズ・Ａ・シャーキー大使であったが、三年後の平成八年「熊本アイルランド協会」と改称した年の九月、氏は帰国されダブリンで政府の要職に就かれた。後任はデクラン・オドノバン氏であった。今年オドノバン氏も交替されたと聞いたが詳しい情報はまだ入手していない。
シャーキー大使夫妻が来熊されたことがあった。いつもは大使と随行の方とで来られるが、この時は私的な旅行の帰りに熊本に寄って会長夫妻と食事をしたいとのことだった。事務局に連絡をすると会員が集まるようにしたいとのことだった。知事公舎の広間に一杯になるほどの会員が集まり、故福島知事も交えて楽しい夕を過ごした。最後に「庭の千草」を歌うことになった。ある女性会員が「ああたは英語した知らんとだけん、英語でよかけん、こっち来て歌いなっせ」と大使に向かって大声で言った。どの程度通じた分からないが、にこにこしながら大使も肩を組んで「庭の千草」を歌った。後日辞任の挨拶に来熊された時のことである。県庁を案内した折に銀杏の樹の下を歩きながら家族の話などをした。お互いに息子三人だけで娘がいないので家の中に色気がないなどと冗談を交わしている時、「熊本はいい。来る時はいつも気軽に肩の力を抜いた来られる」と氏はつぶやくように言った。知事公舎で歌った「庭の千草」のことを想い出していたのだろうと思う。いずれにしても、私たちにとって「ヒゲのシャーキー大使」は忘れ難い人である。
オドノバン大使はダブリン出身で政治学の博士号を持つ都会派のインテリの印象が強い。独身貴族で趣味も幅広い。公舎のベランダには数知れないハーブを育てたり、オーディオ専用の部屋を作って古典音楽からジャズまで楽しんでいた。酒も強かったが、飲み過ぎた翌朝は二日酔いにはこれが一番だと言って、アイリッシュ・ティー（紅茶にたっぷり牛乳を入れたもの」をがぶがぶ飲んでいた。カラオケも得意で「上を向いて歩こう」の英語版をよく歌った。次の来熊の時までに必ず日本語で歌えるようにと宿題を出して置いたが、その約束の成果を聞き届けないまま離日されることが残念である。
アイルランド旅行
協会の企画でこれまでに四度アイルランドを訪れている。最初は平成九年九月の初旬であった。ダブリンのホテルに夜おそく着いたが、ホテルはごった返しの混みようだった。「Ｕ２」のコンサートが開催されるためだったらしい。さらに驚いたことに、翌朝の新聞にダイアナ妃の事故死が報じられていた。ロンドン経由で帰国する日が葬儀になっていたので、その期間アイルランドを旅行したことになる。ダブリンからバスで西端の都市ゴールウェイに行き、シングの著作で有名なアラン島まで渡った。島からの帰りのフェリーの中で、テレビ番組取材のために来ていたタレントの大地康雄氏と会った。氏が熊本出身ということもあって、サインを頼んでいる会員の姿もあった。再びゴールウェイに戻り西部地方の観光名所を数ケ所訪れた後、リムリックに一泊した。ホテルがリムリック大学の近くだったので、翌朝早く散歩に出て大学のキャンパスを訪れてみた。ロバート・シューマン記念講堂という立派な建物があった。ピアノの詩人と言われる作曲家シューマンと関係があるのだろうかと考えながら帰国した。調べてみたがシューマンとアイルランドを結び付けるような事項は全くない。政府関係の人に尋ねたときに、同姓同名の別人だと分かった。しかしリムリック大学が大変立派な大学であることを知る良い機会になった。
二度目は昨年清和文楽の初の海外公演のためにダブリンを訪れた時である。チボリ劇場での「むじな」の公演は短い出し物ながら大成功だった。原作では「のっぺらぼう」が出てくる所を文楽の「鬼女の面」を使うことになっていた。クライマックスで鬼女の面が早変りする場面では、劇場全体が拍手と喝采で湧き返った。あとのパーティにも多くの人が参加し、異文化交流が伝統文化の持つ力によって言語の壁を越えられることを実感した。文楽の一行は引続いての公演のためにコーク経由で西部へ向かったが、私ども十名は曾孫・小泉凡氏の案内でバリ経由でカリブ海のマルティニーク島を訪れた。ナポレオン王妃のジョセフィーヌの出身地でもあるこの島は花のように美しい島だった。ハーンが来日前に二年間滞在し、「ユーマ」などの作品を書いた背景を知るために島をほぼ一巡した。この島のベレー山が二十世紀に入ってすぐ大噴火をし、最大の町サンピエールの街も人もほとんど死滅したというその痕跡も見に行った。この町から近い所にハーンがいた頃無名の画家ゴーギャンが住んでいたという。記念館を訪れ、この二人がどこかで会っていたかも知れないと空想しながら帰路についた。
講座など
平成７年から翌年にかけて、「アイルランドの文学に親しむ会」を熊大文学部に会場を借りて行った。比較文学の西成彦先生のお世話であった。西先生の幅の広い視野からの講話にはいつも深い感銘を受けたが、四回目に当る水俣在住の会員大田稔氏の「イエーツと私」も特に印象深いものだった。学生時代から打ち込んでこられたイエーツ研究の成果が大詩人イエーツの魅力を私たちに十分に教えてくれたものである。この会には三十数名の会員が参加し、熱気をはらんだものであったが、西先生が立命館大学に移られたあとは、会場の問題もあり、中止せざるを得なくなった。代わりに平成１１年からは「ハーン市民講座」が始まった。会員だけでなく広く一般市民の方にもハーンのことを知ってもらうように、市の文化財課にお世話をして頂き、色んな会場（八雲旧居、熊日新聞博物館、産文会館、三角西港浦島屋、五高記念館、国際交流会館、漱石記念館）で八回の講座を開いた。講師は会員の方々にお願いした。熊日新聞博物館長平山謙二郎氏に「ハーンとジャーナリズム」をお願いしたことを謝意をこめて特筆しておきたい。翌１２年はハーン生誕百五十年に当たったので、この記念行事とからめて講座を行ったが、市民講座の看板が少し色あせた感じがしている。
三年目になる本年度は、色んな事情から前半は講座を開くことが出来なかった。その間に会員からのご意見がいくつか聞こえてきた。「講座はもうやらないのですか」とか「熊本アイルランド協会はハーンの研究会ですか」などの質問であった。協会設立の動機はたしかにハーンと深くかかわっているのだが、会の目的は会則第三条よ示されているように「本会は、日本及びアイルランド両国間の文化・学術・経済・観光学における友好交流を促進し、両国民の親善を図ることを目的とする」のである。市民講座は協会からの市民サービスの気持ちで始めたと思うが、生誕百五十年記念祭と続いたため、少しハーンが表に出すぎたのかも知れない。その反省に立つと本年度の後半は新しい形を取ることにした。久野啓介副会長（近代文学館長）のアイディアとご努力で、モザイク型の講座を開くことになった。この協会のほかに、近代文学館友の会や五高記念館友の会の協力を得て合同で講座を開こうというのである。会員同志の交流も生まれるだろうし、講師陣も豊かに、魅力的な話題を提供できるようになることを期待している。
最後に
来年十周年を迎えるに当り、原点に立ち戻って考えてみたい。協会の活性化を図るためには、年間行事を早目に計画する必要がある。九月の総会を起点きして一年間の予定を総会時に発表できるようにすることである。三月には聖パトリック祭のお祝いの会をすることは当然あろうし、講座だけでなく、バスツアーやアイルランドの音楽を楽しむ会なども計画すべきだと思っている。
しかし、最も肝要なことは会員が行事に積極的に参加してもらうことであろうし、率直な意見を寄せてもらうことではないだろうか。背伸びをしないで、「実」のある活動が続けられることを心から願っている。（10.15.2001）
平成元年（１９９１）六月〜十一月「ジェーンズとハーンの記念祭」が開催され、この関連の企画として翌年九月「ラフカディオ・ハーンの足跡を訪ねるツアー」が実施された。ロンドン、ダラム、ダブリン、レフカダ島を訪れたが、ハーンの孫である小泉時氏夫妻も同行された。ご夫妻が初めてアイルランド入りをされることもあって、ダブリンでは政府の暖かい大歓迎を受けた。これはハーンの良き理解者であり研究者でもある元駐日大使故ローナン氏の蔭のご尽力によるものであった。夜のパブには全員が案内され、アイリッシュダンスを楽しく見学している間も、氏はカウンターの中に入ってビールのサービスまでして下さった。その姿は三十余名のものにとって決して忘れることはできないと思う。
ギリシャではハーン生誕の地レフカダ島を訪れた。広場にハーンの記念碑が建っているレフカダ町は別として、ギリシャの報道陣からは日本におけるハーンの人気の秘密を再々質問された。若い四十代の町長スピロス・マルゲリス氏は別れの時に来日の折には必ず熊本に来ることを約束してくれた。翌年四月、姉妹関係にある東京都新宿区にできた小泉八雲記念公園の開園式出席のため来日したマルゲリス町長一行四人は約束通り熊本まで足を延ばしてくれた。熊本市を表敬訪問した時には美しいイオニア海に浮かぶレフカダ島を描いた絵を田尻市長に寄贈してくれたし、八雲旧居での植樹や五高記念館や三角西港の浦島屋訪問のあと、歓迎パーティで「ツアー」の参加者たちと友好を深めた。このような状況の中で、九月には浦島屋の復元が完成するというので、ハーンの母国アイルランドの友好協会を設立しようという気運が「ツアー」のメンバーやハーン研究者の間で高まった。一つには落成式にジェｨムズ・シャーキー駐日大使の出席をお願いするため九月二十二日三井ガーデンホテル熊本で「熊本日愛協会設立総会」が開催された。シャーキー大使のほかに小泉時ご夫妻にも来賓として出席して頂いた。大使は祝辞の中で「ラフカディオ・ハーンの人生と業績がかなめとなり、熊本とアイルランドとの間に生まれた友好と理解は、この協会の設立によって一段と飛躍するものでありましょう」と述べられた。小泉時氏は「夏の日の夢」を通してみた身内からのハーン像について説得力のある話をされた。この総会では矢毛石晴美会員による魅惑的なアイリッシュハープの演奏が花を添えたことを記憶している。
設立後の来熊者
設立後はできるだけ多くの方々を協会でお招きすることにした。アイルランド古典音楽の研究家で演奏者でもある守安弘・雅子夫妻をはじめ、アイルランドの地形・地誌に造詣の深い堀淳一氏、ケルト紋様に詳しい鶴岡真弓女史などである。アイルランドからも色んな方が来られた。設立の年の十一月にはジョン・Ｇ・イーガン氏、翌年にはジョナサン・Ａ・ライアン氏などである。イーガン氏はアイルランド放送協会のレポーターで日本新聞協会の招きで来日され、自主活動の期間に是非熊本を訪れたいとのことであった。目的は日本での小泉八雲の人気の程を、日本紹介のラジオ番組の中で取り上げるためだった。質問にできるだけ答えたあとで氏を八雲旧居に案内した。陳列の硝子ケースの中に「橋の上で」の英文が開かれているのを見ると、取り出して第一頁を読んでほしいと言う。仕方なく読んだ。学生時代に先生から当てられて読んでいるような気分になった。「どうするんですか」と尋ねると「もちろん放送します」という答が返って来た。止めてくれるように必死に頼んだが駄目だった。今思い出しても冷汗が出てくる。ライアン氏は政府商務庁の日本駐在のお役人だった。熊本はダブリンに似て住みやすそうだし、アラン・セーターなどを扱っている店もあって、おしゃれな街だと語っていた。会員との交流の場では「アイルランド産のししゃもをさかなにギネスビールを飲んでほしい」とセールスに余念がなかった。
二人の駐日大使
設立時はジェイムズ・Ａ・シャーキー大使であったが、三年後の平成八年「熊本アイルランド協会」と改称した年の九月、氏は帰国されダブリンで政府の要職に就かれた。後任はデクラン・オドノバン氏であった。今年オドノバン氏も交替されたと聞いたが詳しい情報はまだ入手していない。
シャーキー大使夫妻が来熊されたことがあった。いつもは大使と随行の方とで来られるが、この時は私的な旅行の帰りに熊本に寄って会長夫妻と食事をしたいとのことだった。事務局に連絡をすると会員が集まるようにしたいとのことだった。知事公舎の広間に一杯になるほどの会員が集まり、故福島知事も交えて楽しい夕を過ごした。最後に「庭の千草」を歌うことになった。ある女性会員が「ああたは英語した知らんとだけん、英語でよかけん、こっち来て歌いなっせ」と大使に向かって大声で言った。どの程度通じた分からないが、にこにこしながら大使も肩を組んで「庭の千草」を歌った。後日辞任の挨拶に来熊された時のことである。県庁を案内した折に銀杏の樹の下を歩きながら家族の話などをした。お互いに息子三人だけで娘がいないので家の中に色気がないなどと冗談を交わしている時、「熊本はいい。来る時はいつも気軽に肩の力を抜いた来られる」と氏はつぶやくように言った。知事公舎で歌った「庭の千草」のことを想い出していたのだろうと思う。いずれにしても、私たちにとって「ヒゲのシャーキー大使」は忘れ難い人である。
オドノバン大使はダブリン出身で政治学の博士号を持つ都会派のインテリの印象が強い。独身貴族で趣味も幅広い。公舎のベランダには数知れないハーブを育てたり、オーディオ専用の部屋を作って古典音楽からジャズまで楽しんでいた。酒も強かったが、飲み過ぎた翌朝は二日酔いにはこれが一番だと言って、アイリッシュ・ティー（紅茶にたっぷり牛乳を入れたもの」をがぶがぶ飲んでいた。カラオケも得意で「上を向いて歩こう」の英語版をよく歌った。次の来熊の時までに必ず日本語で歌えるようにと宿題を出して置いたが、その約束の成果を聞き届けないまま離日されることが残念である。
アイルランド旅行
協会の企画でこれまでに四度アイルランドを訪れている。最初は平成九年九月の初旬であった。ダブリンのホテルに夜おそく着いたが、ホテルはごった返しの混みようだった。「Ｕ２」のコンサートが開催されるためだったらしい。さらに驚いたことに、翌朝の新聞にダイアナ妃の事故死が報じられていた。ロンドン経由で帰国する日が葬儀になっていたので、その期間アイルランドを旅行したことになる。ダブリンからバスで西端の都市ゴールウェイに行き、シングの著作で有名なアラン島まで渡った。島からの帰りのフェリーの中で、テレビ番組取材のために来ていたタレントの大地康雄氏と会った。氏が熊本出身ということもあって、サインを頼んでいる会員の姿もあった。再びゴールウェイに戻り西部地方の観光名所を数ケ所訪れた後、リムリックに一泊した。ホテルがリムリック大学の近くだったので、翌朝早く散歩に出て大学のキャンパスを訪れてみた。ロバート・シューマン記念講堂という立派な建物があった。ピアノの詩人と言われる作曲家シューマンと関係があるのだろうかと考えながら帰国した。調べてみたがシューマンとアイルランドを結び付けるような事項は全くない。政府関係の人に尋ねたときに、同姓同名の別人だと分かった。しかしリムリック大学が大変立派な大学であることを知る良い機会になった。
二度目は昨年清和文楽の初の海外公演のためにダブリンを訪れた時である。チボリ劇場での「むじな」の公演は短い出し物ながら大成功だった。原作では「のっぺらぼう」が出てくる所を文楽の「鬼女の面」を使うことになっていた。クライマックスで鬼女の面が早変りする場面では、劇場全体が拍手と喝采で湧き返った。あとのパーティにも多くの人が参加し、異文化交流が伝統文化の持つ力によって言語の壁を越えられることを実感した。文楽の一行は引続いての公演のためにコーク経由で西部へ向かったが、私ども十名は曾孫・小泉凡氏の案内でバリ経由でカリブ海のマルティニーク島を訪れた。ナポレオン王妃のジョセフィーヌの出身地でもあるこの島は花のように美しい島だった。ハーンが来日前に二年間滞在し、「ユーマ」などの作品を書いた背景を知るために島をほぼ一巡した。この島のベレー山が二十世紀に入ってすぐ大噴火をし、最大の町サンピエールの街も人もほとんど死滅したというその痕跡も見に行った。この町から近い所にハーンがいた頃無名の画家ゴーギャンが住んでいたという。記念館を訪れ、この二人がどこかで会っていたかも知れないと空想しながら帰路についた。
講座など
平成７年から翌年にかけて、「アイルランドの文学に親しむ会」を熊大文学部に会場を借りて行った。比較文学の西成彦先生のお世話であった。西先生の幅の広い視野からの講話にはいつも深い感銘を受けたが、四回目に当る水俣在住の会員大田稔氏の「イエーツと私」も特に印象深いものだった。学生時代から打ち込んでこられたイエーツ研究の成果が大詩人イエーツの魅力を私たちに十分に教えてくれたものである。この会には三十数名の会員が参加し、熱気をはらんだものであったが、西先生が立命館大学に移られたあとは、会場の問題もあり、中止せざるを得なくなった。代わりに平成１１年からは「ハーン市民講座」が始まった。会員だけでなく広く一般市民の方にもハーンのことを知ってもらうように、市の文化財課にお世話をして頂き、色んな会場（八雲旧居、熊日新聞博物館、産文会館、三角西港浦島屋、五高記念館、国際交流会館、漱石記念館）で八回の講座を開いた。講師は会員の方々にお願いした。熊日新聞博物館長平山謙二郎氏に「ハーンとジャーナリズム」をお願いしたことを謝意をこめて特筆しておきたい。翌１２年はハーン生誕百五十年に当たったので、この記念行事とからめて講座を行ったが、市民講座の看板が少し色あせた感じがしている。
三年目になる本年度は、色んな事情から前半は講座を開くことが出来なかった。その間に会員からのご意見がいくつか聞こえてきた。「講座はもうやらないのですか」とか「熊本アイルランド協会はハーンの研究会ですか」などの質問であった。協会設立の動機はたしかにハーンと深くかかわっているのだが、会の目的は会則第三条よ示されているように「本会は、日本及びアイルランド両国間の文化・学術・経済・観光学における友好交流を促進し、両国民の親善を図ることを目的とする」のである。市民講座は協会からの市民サービスの気持ちで始めたと思うが、生誕百五十年記念祭と続いたため、少しハーンが表に出すぎたのかも知れない。その反省に立つと本年度の後半は新しい形を取ることにした。久野啓介副会長（近代文学館長）のアイディアとご努力で、モザイク型の講座を開くことになった。この協会のほかに、近代文学館友の会や五高記念館友の会の協力を得て合同で講座を開こうというのである。会員同志の交流も生まれるだろうし、講師陣も豊かに、魅力的な話題を提供できるようになることを期待している。
最後に
来年十周年を迎えるに当り、原点に立ち戻って考えてみたい。協会の活性化を図るためには、年間行事を早目に計画する必要がある。九月の総会を起点きして一年間の予定を総会時に発表できるようにすることである。三月には聖パトリック祭のお祝いの会をすることは当然あろうし、講座だけでなく、バスツアーやアイルランドの音楽を楽しむ会なども計画すべきだと思っている。
しかし、最も肝要なことは会員が行事に積極的に参加してもらうことであろうし、率直な意見を寄せてもらうことではないだろうか。背伸びをしないで、「実」のある活動が続けられることを心から願っている。（10.15.2001）
熊本アイルランド協会の活動について ハーン生誕１５０年記念祭を企画して 事務局長 松村直寛
はじめに
西暦2000年は「怪談」「知られざる日本の面影」などで有名なラフカディオ・ハーン（小泉八雲、1850,6,27〜1904,9,26）の生誕150年にあたります。その記念事業がハーンゆかりの松江や熊本、東京、アイルランドのダブリン、ギリシャのレフカダなどで開催されています。
ハーンは明治23年（1890）に来日し、松江に1年、翌年から3年間ほど熊本に滞在し、第五高等中学校で英語とラテン語を教えています。
市内にハーンがセツ夫人と暮らした当時の住居が残っていました。ところが昭和35年にその建物が壊されるということで、在熊の文化人らが五高出身者などに寄付を呼びかけ、翌年旧居の一部を現在地に移築する形で保存することができました。その後、小泉八雲熊本旧居として市が管理・公開し数々の顕彰事業が行われています。
特に91年の來熊100周年に際してシンポジウム、展覧会、演劇公演、訪米ツアーなどの事業が半年にわたり盛大に開催されました。翌年、文学愛好家が「ハーンの足跡をたどるツアー」で母の国ギリシャと父の国アイルランドを訪問しました。ダブリンでは、ローナン元・駐日アイルランド大使の熱心な案内と歓待を受けました。旅の一行はアイルランドの人々の素朴で温かいもてなしに感銘を受け、ハーンの顕彰を中心に両国の友好と親善を目的とした会を作ろうと、翌93年熊本日愛協会(後、熊本アイルランド協会に改称)を設立しました。
会長には中島最吉氏（現・祟城大学教授、熊大名誉教授）がなり、現在150人の会員でハーンとアイルランドをテーマに市民講座、講演会、コンサートなどを開催しています。
これまでの主な事業
設立期（93年〜97年）
この5年間は、ケルト研究家や音楽家を中央から招き講演会や音楽会を開催しています。
駐日アイルランド大使のシャーキーご夫妻も数回見えられ、知事公舎での歓迎会や「八雲旧居」の修復オープン式、「八雲の故郷アイルランドの文化展」などに出席されています。
会員からハーンやアイルランドの風土や歴史のことをもっと学びたいとの気運が高まり、95年から大学の先生方が中心になり「アイルランドの文学に親しむ会」が始まりました。「ハーンとアイルランド」、「イエーツと私」、「近代アイルランド史」、「アイルアンドと映画」など専門的な講話を聞くことで、少しずつ本会に方向性が出てきました。
展開期（98年以降）
「アイルランドの文学に親しむ会」が会員向けの学習会なので、今後は対象を市民に広げようと、98年から当協会が中心となり熊大・小泉八雲研究会、市教委などと協力し市民講座「ハーンと熊本」を開いています。場所はハーンが日本式に生活し、神棚もある小泉八雲旧居でしています。
初年度は、熊本を題材にした作品から「夏の日の夢」、「停車場にて」などを取り上げ、史跡めぐりなどを組み合わせて12回開催しました。講師には熊大、祟城大学を中心としたボランティアの大学教官があたり、常に最新の学説、研究成果、通説を国際的視野から分かりやすく説き、誰でも無料で自由に参加できます。
次年度は新聞博物館見学と平山館長の「ハーンとジャーナリズム」の講演や、ハーンの英文朗読会なども含め8回開催しました。
またこの年はハーンの作品の中でも傑作とされている「夏の日の夢」の舞台となった三角町・西港の浦島屋で、シンポジウム「ハーンと三角町」と地元中学生による英文朗読会も開きました。浦島屋はハーンが長崎旅行の帰りに寄った宿屋で「その宿屋は、わたくしには極楽のように思われた。そしてそこの女中達は、まるで天女かなんぞのように思われた」と書いており、10年ほど前から町が整備し今では観光名所となっています。その後、この朗読会は町の行事として行われるようになりました。
20世紀最後の今年は、市民講座を「くまもと21世紀市民講座」と銘打ち「ハーンの見た日本の詩歌」、「ハーンにおけるスペンサーの影響」など8回しましたので、3年間で28回開いたことになります。
ラフカディオ・ハーン生誕150年記念事業
新世紀への大きな節目に際し、次代を担う若い人達にハーンの文学、人物などをもっと知ってもらい、熊本から世界に向けて文化情報を発信しようと生誕150年記念事業を計画しました。
事業の実施に必要な予算は、県、市、熊本日日新聞社、熊本放送などの援助を受け、関係団体で実行委員会を結成し8事業を実施しました。
先ず、誕生日の6月27日にデクラン・オドノバン駐日アイルランド大使、ご令孫の小泉時氏らを囲んで誕生パーティ ー、あわせて市民講座の開講式を挙行しました。
10月9日に「ハーンの遺産と21世紀への展望」をテーマに「記念講演とシンポジウム」があり、会場に700人が訪れ清和文楽の“むじな”も上演されました。
シンポジウムの挨拶の中で、委員長の中島最吉氏は今回の記念事業について、次のように述べています。「ハーンは1890年に来日し、1904年に没するまで14年間日本に滞在しました。松江の1年間を資料収集の時期だとすれば、熊本の3年間は作品制作の時期だと言うことができましょう。日本の風土・文化を欧米に紹介する仕事を始め、再話文学の基礎を作り上げたのもこの時期だと思います。長男一雄の誕生によって家族の絆が固まり、小泉八雲となる気持ちが芽生えた時でもあります。また熊本を去る年に全五高生に対して講演した『極東の将来』の末尾で、日本の将来は『単純・善良・素朴』を愛するいわゆる『熊本スピリット』を保持できるかどうかにかかっていると説いています。このシンポジウムによってハーンの残した遺産が、熊本の市民により深く理解される契機となり、さらに情報として世界に発信されるることを期待します。」
そのほか、演劇「へるんさんの熊本」上演、五高記念館特別展、アイルランドフェアーなどが半年間にわたり開催されました。
清和文楽アイルランド親善公演
県を代表する郷土芸能「清和文楽」をアイルランドに持っていこうと言う話は、6年ほど前から計画されていました。しかし、その時は実現できず、ハーン生誕150年にあたる今年実現しました。演目は伝統的な文楽作品でなく、ハーンの「怪談」から“むじな”に決定し、台本は芸能研究家の土居郁雄氏に依頼され、浄瑠璃作曲は菊池郡大津町在住の豊沢歌幸さんになりました。2ヶ月の猛練習が続き、「くまもと２１ファンド」や「国際交流基金」の助成と村の予算もつき、初の海外公演を行う運びとなったのです。
清和村は県中央部の標高550〜650?｡、村全体の約8割が山林原野、人口3,500人、米、畜産、クリ、野菜を主な産業とする農山村です。シイタケとトマトが特産品で県下では屈指の産地となっています。
また県・指定無形重要文化財の清和文楽は、宝暦（1751〜64）のころ伝えられたという徳島系の文楽人形です。勧善懲悪、忠孝、義理、人情などの話が農村の人気を集めていましたが、明治初期に一時衰退します。しかし大正１２年ころ復活し、昭和２９年に保存会が結成され、現在では清和村文楽館で年間270回の公演と３万人のお客さんが訪れるほどになり、東京の修学旅行生の観光コースにもなっています。
7月のアイルランド公演には、村から兼瀬哲治村長以下6人の人形遣いと応援の2人の太夫を含めて10人が、またサポーターとして当協会のボランティア応援隊を含めて38人が訪問しました。
初日の4日はダブリンで最も古いチボリ劇場で上演し、横尾和子駐愛日本大使ほか300人もの観客で会場が一杯になりました。公演に先立ち中島会長や八雲の曾孫・小泉凡氏の挨拶の後、フラハティー氏（祟城大助教授）が、今回の親善公演の目的や経過を紹介し、その中で村長はスライドを見せながら、村の概要や特産物、清和文楽について英語で説明し、演者について“They are all farmers”と付け加え、最後にケルト語で感謝の言葉を述べ観客から盛んに拍手を受けていました。
いよいよ“むじな”の公演に移り、見せ場の若い娘が鬼女に変わるところでは、劇場を埋め尽くした観客が一斉に床を叩き、口笛とヤンヤの喝采を送りました。終了後、劇場で現地の日本人協会主催のレセプションがあり、夜遅くまでダブリン市民と交流したことが今では楽しい思い出となっています。
5日は駿台アイルランド国際学校、6日は南部の町コーク市で国一番の酪農家との農村交流、7日の西部の町エニスでの公演と親善があり、アイルランド親善公演を無事終了することができました。
この公演には両国大使館をはじめ、お世話役の愛日協会の織田智恵さん、コーディネーターの前田さやかさん、招致してくれた駿台アイルランド国際学校の瀬尾兼秀氏など多くの人達のご尽力がありました。その熱意と成功させたいとの情熱には頭が下がり、感謝の言葉もありません。
また帰国後、NHK・BSで50分番組として放映、地元熊日紙は7回の連載、西日本新聞は文化欄に5回連載、朝日新聞日曜版での紹介などマスコミにも大きく取り上げられました。
文楽館の山村泰之館長は「この数年観客が下降気味だったが、8月からお客さんが増え9月は過去最高の入りであった。デンマークの高齢者大学生の30人、ドイツの若い医学生が２回で60人、韓国の高校生が30人、また客席には4,5人連れの外国人を見かけることが多くなりました。保存会でも新作に取り組む勇気が出てきましたし、将来は“むじな”をレパートリーに入れ、前面に押し出して行きたい。」と始めての海外公演の感想を述べています。
協会の今後
今後は次のことに取り組んでいきたいと思います。
一つは、今後も市民講座は継続していくが中高年の受講生が多いので、次代を担う子供達や若い人たちにこの地に住んだハーンと文学についてもっと知ってもらいたいと考えます。
二つ目は、地元での世代間の広がりと共に、国内各地の人と協力し海外との繋がりを深め、インターネットを通じ外国の研究者や団体と情報を交換し、相互交流をしていきたいと思います。また、21世紀はそういう時代だと考えています。
西暦2000年は「怪談」「知られざる日本の面影」などで有名なラフカディオ・ハーン（小泉八雲、1850,6,27〜1904,9,26）の生誕150年にあたります。その記念事業がハーンゆかりの松江や熊本、東京、アイルランドのダブリン、ギリシャのレフカダなどで開催されています。
ハーンは明治23年（1890）に来日し、松江に1年、翌年から3年間ほど熊本に滞在し、第五高等中学校で英語とラテン語を教えています。
市内にハーンがセツ夫人と暮らした当時の住居が残っていました。ところが昭和35年にその建物が壊されるということで、在熊の文化人らが五高出身者などに寄付を呼びかけ、翌年旧居の一部を現在地に移築する形で保存することができました。その後、小泉八雲熊本旧居として市が管理・公開し数々の顕彰事業が行われています。
特に91年の來熊100周年に際してシンポジウム、展覧会、演劇公演、訪米ツアーなどの事業が半年にわたり盛大に開催されました。翌年、文学愛好家が「ハーンの足跡をたどるツアー」で母の国ギリシャと父の国アイルランドを訪問しました。ダブリンでは、ローナン元・駐日アイルランド大使の熱心な案内と歓待を受けました。旅の一行はアイルランドの人々の素朴で温かいもてなしに感銘を受け、ハーンの顕彰を中心に両国の友好と親善を目的とした会を作ろうと、翌93年熊本日愛協会(後、熊本アイルランド協会に改称)を設立しました。
会長には中島最吉氏（現・祟城大学教授、熊大名誉教授）がなり、現在150人の会員でハーンとアイルランドをテーマに市民講座、講演会、コンサートなどを開催しています。
これまでの主な事業
設立期（93年〜97年）
この5年間は、ケルト研究家や音楽家を中央から招き講演会や音楽会を開催しています。
駐日アイルランド大使のシャーキーご夫妻も数回見えられ、知事公舎での歓迎会や「八雲旧居」の修復オープン式、「八雲の故郷アイルランドの文化展」などに出席されています。
会員からハーンやアイルランドの風土や歴史のことをもっと学びたいとの気運が高まり、95年から大学の先生方が中心になり「アイルランドの文学に親しむ会」が始まりました。「ハーンとアイルランド」、「イエーツと私」、「近代アイルランド史」、「アイルアンドと映画」など専門的な講話を聞くことで、少しずつ本会に方向性が出てきました。
展開期（98年以降）
「アイルランドの文学に親しむ会」が会員向けの学習会なので、今後は対象を市民に広げようと、98年から当協会が中心となり熊大・小泉八雲研究会、市教委などと協力し市民講座「ハーンと熊本」を開いています。場所はハーンが日本式に生活し、神棚もある小泉八雲旧居でしています。
初年度は、熊本を題材にした作品から「夏の日の夢」、「停車場にて」などを取り上げ、史跡めぐりなどを組み合わせて12回開催しました。講師には熊大、祟城大学を中心としたボランティアの大学教官があたり、常に最新の学説、研究成果、通説を国際的視野から分かりやすく説き、誰でも無料で自由に参加できます。
次年度は新聞博物館見学と平山館長の「ハーンとジャーナリズム」の講演や、ハーンの英文朗読会なども含め8回開催しました。
またこの年はハーンの作品の中でも傑作とされている「夏の日の夢」の舞台となった三角町・西港の浦島屋で、シンポジウム「ハーンと三角町」と地元中学生による英文朗読会も開きました。浦島屋はハーンが長崎旅行の帰りに寄った宿屋で「その宿屋は、わたくしには極楽のように思われた。そしてそこの女中達は、まるで天女かなんぞのように思われた」と書いており、10年ほど前から町が整備し今では観光名所となっています。その後、この朗読会は町の行事として行われるようになりました。
20世紀最後の今年は、市民講座を「くまもと21世紀市民講座」と銘打ち「ハーンの見た日本の詩歌」、「ハーンにおけるスペンサーの影響」など8回しましたので、3年間で28回開いたことになります。
ラフカディオ・ハーン生誕150年記念事業
新世紀への大きな節目に際し、次代を担う若い人達にハーンの文学、人物などをもっと知ってもらい、熊本から世界に向けて文化情報を発信しようと生誕150年記念事業を計画しました。
事業の実施に必要な予算は、県、市、熊本日日新聞社、熊本放送などの援助を受け、関係団体で実行委員会を結成し8事業を実施しました。
先ず、誕生日の6月27日にデクラン・オドノバン駐日アイルランド大使、ご令孫の小泉時氏らを囲んで誕生パーティ ー、あわせて市民講座の開講式を挙行しました。
10月9日に「ハーンの遺産と21世紀への展望」をテーマに「記念講演とシンポジウム」があり、会場に700人が訪れ清和文楽の“むじな”も上演されました。
シンポジウムの挨拶の中で、委員長の中島最吉氏は今回の記念事業について、次のように述べています。「ハーンは1890年に来日し、1904年に没するまで14年間日本に滞在しました。松江の1年間を資料収集の時期だとすれば、熊本の3年間は作品制作の時期だと言うことができましょう。日本の風土・文化を欧米に紹介する仕事を始め、再話文学の基礎を作り上げたのもこの時期だと思います。長男一雄の誕生によって家族の絆が固まり、小泉八雲となる気持ちが芽生えた時でもあります。また熊本を去る年に全五高生に対して講演した『極東の将来』の末尾で、日本の将来は『単純・善良・素朴』を愛するいわゆる『熊本スピリット』を保持できるかどうかにかかっていると説いています。このシンポジウムによってハーンの残した遺産が、熊本の市民により深く理解される契機となり、さらに情報として世界に発信されるることを期待します。」
そのほか、演劇「へるんさんの熊本」上演、五高記念館特別展、アイルランドフェアーなどが半年間にわたり開催されました。
清和文楽アイルランド親善公演
県を代表する郷土芸能「清和文楽」をアイルランドに持っていこうと言う話は、6年ほど前から計画されていました。しかし、その時は実現できず、ハーン生誕150年にあたる今年実現しました。演目は伝統的な文楽作品でなく、ハーンの「怪談」から“むじな”に決定し、台本は芸能研究家の土居郁雄氏に依頼され、浄瑠璃作曲は菊池郡大津町在住の豊沢歌幸さんになりました。2ヶ月の猛練習が続き、「くまもと２１ファンド」や「国際交流基金」の助成と村の予算もつき、初の海外公演を行う運びとなったのです。
清和村は県中央部の標高550〜650?｡、村全体の約8割が山林原野、人口3,500人、米、畜産、クリ、野菜を主な産業とする農山村です。シイタケとトマトが特産品で県下では屈指の産地となっています。
また県・指定無形重要文化財の清和文楽は、宝暦（1751〜64）のころ伝えられたという徳島系の文楽人形です。勧善懲悪、忠孝、義理、人情などの話が農村の人気を集めていましたが、明治初期に一時衰退します。しかし大正１２年ころ復活し、昭和２９年に保存会が結成され、現在では清和村文楽館で年間270回の公演と３万人のお客さんが訪れるほどになり、東京の修学旅行生の観光コースにもなっています。
7月のアイルランド公演には、村から兼瀬哲治村長以下6人の人形遣いと応援の2人の太夫を含めて10人が、またサポーターとして当協会のボランティア応援隊を含めて38人が訪問しました。
初日の4日はダブリンで最も古いチボリ劇場で上演し、横尾和子駐愛日本大使ほか300人もの観客で会場が一杯になりました。公演に先立ち中島会長や八雲の曾孫・小泉凡氏の挨拶の後、フラハティー氏（祟城大助教授）が、今回の親善公演の目的や経過を紹介し、その中で村長はスライドを見せながら、村の概要や特産物、清和文楽について英語で説明し、演者について“They are all farmers”と付け加え、最後にケルト語で感謝の言葉を述べ観客から盛んに拍手を受けていました。
いよいよ“むじな”の公演に移り、見せ場の若い娘が鬼女に変わるところでは、劇場を埋め尽くした観客が一斉に床を叩き、口笛とヤンヤの喝采を送りました。終了後、劇場で現地の日本人協会主催のレセプションがあり、夜遅くまでダブリン市民と交流したことが今では楽しい思い出となっています。
5日は駿台アイルランド国際学校、6日は南部の町コーク市で国一番の酪農家との農村交流、7日の西部の町エニスでの公演と親善があり、アイルランド親善公演を無事終了することができました。
この公演には両国大使館をはじめ、お世話役の愛日協会の織田智恵さん、コーディネーターの前田さやかさん、招致してくれた駿台アイルランド国際学校の瀬尾兼秀氏など多くの人達のご尽力がありました。その熱意と成功させたいとの情熱には頭が下がり、感謝の言葉もありません。
また帰国後、NHK・BSで50分番組として放映、地元熊日紙は7回の連載、西日本新聞は文化欄に5回連載、朝日新聞日曜版での紹介などマスコミにも大きく取り上げられました。
文楽館の山村泰之館長は「この数年観客が下降気味だったが、8月からお客さんが増え9月は過去最高の入りであった。デンマークの高齢者大学生の30人、ドイツの若い医学生が２回で60人、韓国の高校生が30人、また客席には4,5人連れの外国人を見かけることが多くなりました。保存会でも新作に取り組む勇気が出てきましたし、将来は“むじな”をレパートリーに入れ、前面に押し出して行きたい。」と始めての海外公演の感想を述べています。
協会の今後
今後は次のことに取り組んでいきたいと思います。
一つは、今後も市民講座は継続していくが中高年の受講生が多いので、次代を担う子供達や若い人たちにこの地に住んだハーンと文学についてもっと知ってもらいたいと考えます。
二つ目は、地元での世代間の広がりと共に、国内各地の人と協力し海外との繋がりを深め、インターネットを通じ外国の研究者や団体と情報を交換し、相互交流をしていきたいと思います。また、21世紀はそういう時代だと考えています。
「L.Lジェーンズと熊本」 田中啓介 祟城大学教授
（‘05年1月12日、協会新年会の卓話を要約）
おめでとうございます。ただいまご紹介いただきました田中です。あまりこの会には、熱心に出てきておりませんでしたが、中島先生からジェーンズをやれと言われましたのでお話します。あまり緊張されないで気楽にお聞きくださればありがたいと思います。
新年のご挨拶もゆっくりできませんでしたが、まだ私は正月気分で、なかなかお屠蘇が抜けないでおります。去年から今年にかけてずいぶん色々な事があり、この中の何人かの方から平和な一年でありますように、ご一家の平安を祈りますというような年賀をいただきました。たぶん、去年も同じような年賀をもらっておるのですが、年賀状の言葉は同じでも、１年の間に変わってきたことは多いと思います。平和な１年どころか、大変なことが次々に起こりあまり去年はいい年ではありませんでした。去年は申年でありますから、早く去っていったと思うのです。
日韓交流
いろいろ変なことがあったと申しましたが、日本に一番近くて、昔から遠い国と言われ、対馬海峡を隔てた向こうにある韓国が、去年ぐらいから急に精神的に接近したようになりました。対馬暖流という暖流が流れていて、冬でも比較的九州あるいは山陰の方まで暖かいと思っていたのですが、あそこが韓流（カンリュウ）になったのでしょうか。その韓国に私は行ったことはありませんが、かえって一番遠い地球の裏側のアメリカには何度も行ってジェーンズのことを調べました。今日はその一部をお話ししたいと思います。
ジェーンズとアイルランド協会との関係
どうしてジェーンズがこの会と関わりがあるのだろうかというと、平成3（1991）年に「ジェーンズとハーン記念祭」がありました。91年は明治24（1891）年ラフカディオ・ハーン（小泉八雲）が五高の英語教師として来熊して100年目にあたる年ですので盛大な行事を行いました。私たちは20年ぐらい前からジェーンズのことを研究し始めていました。ジェーンズはラフカディオ・ハーンより20年前、つまり1871（明治4）年に熊本に来ました。だから1991年はジェーンズが熊本に来て120年、ハーンが熊本に来て100年になる年でした。それまでジェーンズはあまりにも一般に知られていないし、もっと本当に理解してもらいたいと考え、「ジェーンズとハーン記念祭」という熊本の近代を開いた２人の外国人教師を顕彰する大きな行事を熊本県・市をあげていたしました。これにはここにいらっしゃるたくさんの方からご協力いただきました。久野啓介（当時・熊日新聞事業局長）さんにこのすべての行事の事務を取り仕切っていただき、ハーンについては中島最吉先生や中村青史先生など、多くの皆様に努力して盛り上げていただきました。ジェーンズは研究家があまりいなかったので、私がいろいろなプログラムを実施したわけです。
ジェーンズとハーン記念祭
この中でメインになったのは国際シンポジウムです。日本の中央からだけでなくアメリカからも学者をたくさん呼んで、ハーンとジェーンズについていろいろな講演やシンポジウムなどをいたしました。そのほか、ジェーンズとハーン記念祭行事の一環として「米大陸に熊本近代の光と影を探る―アメリカの旅」が、実行委員会企画主催で6月29日から7月9日まで１１日間行われました。アメリカの東海岸、西海岸、北部も南部もアメリカ中を、ハーンとジェーンズのゆかりの場所を訪ねる旅をしたのです。団長は花立三郎（実行委員会運営委員長）、副団長の平野敏也（同副委員長）、河上洋子、秘書長の久野啓介（事務局長）、同行講師に私、同行記者に井上智重（同委員）、記念舞台演出家の徳山博之（同委員）の各氏をはじめ、熊本県・市職員、一般市民など総勢33名でした。
一行はニューヨーク、プリンストン、シンシナティ、ニューオリンズ、サンアントニオ、サンフランシスコ、サンノゼ各都市の大学、図書館、新聞社、研究団体、行政当局などを訪問し、永野光哉実行委員会長のメッセージを伝達するとともに、記念祭のポスター、チラシなどを進呈してアピール。全員が病気もせず、怪我もなく、クマモトスピリッツを再発見しようという旅行目的を達成し無事帰国。
熊本日愛協会の発足
このとき一緒に行った人たちが仲良くなりまして、記念の文集をつくったり、何回も記念の会合をしたりしたのです。
その中の多くの方が、翌年1992年に今度はハーンの母の国ギリシャ、父の国アイルランドを中心に「ラフカディオ・ハーンの足跡を訪ねる旅」をなさったとがこの熊本アイルランド協会の発祥になったと考えております。その契機は1991年の「ジェーンズとハーン記念祭」で特に訪米団であったのです。アイルランド協会は皆さんご存知のように大変盛大に毎年盛り上がって、ほとんど毎年のように旅行されたり、色々な行事を行われたりして、今日のような盛会が続いているというようなことで、大変ありがたいことだと思います。
ジェーンズ研究その後
ジェーンズ研究の方の関連イベントもその後２、３行われましたが、ここでは省かせていただき主なものを挙げます。
1991年の国際シンポジウムではフレッド・Ｇ・ノートヘルファー氏（カリフォルニア大学ロサンゼルス校）が講演、氏は後に『アメリカのサムライ』というジェーンズの伝記を書きます。 『アメリカのサムライ』は1985年にプリンストン大学出版局から出版され、その数年後に飛鳥井雅道氏（京都大学教授）が翻訳し法政大学出版局から『アメリカのサムライ』となり出ております。これも立派な本でありますが飛鳥井先生は２〜３年前に亡くなりました。
それから正月早々、亡くなった話はあまりしたくないのですけれども、私たちを大変アメリカで歓迎してくれて、私がアメリカへ行くたびにお世話をしてくれたアメリカの日本研究の第一人者であるプリンストン大学のジャンセン教授も３年前にお亡くなりになりました。私は熊日にその追悼文を書かせてもらいましたけれども、私などが地球の裏側から訪ねて行っても本当によくしてくださり、ジェーンズ研究を本当に援助していただき大変ありがたいことでした。ノートヘルファー氏はジャンセン先生の弟子であり，ＵＣＬＡの日本研究所の所長をしております。彼も日米の親睦に力を尽くしてくれるものと思っております。
Ｌ.Ｌ.ジェーンズの熊本での功績
リロイ・ランシング・ジェーンズは先ほど言いましたように、1871（明治4）年に熊本に来ました。そして熊本でどんな生活、どういう仕事をしたかということを簡単に説明します。
実は大変な貢献をしているのです。教育という点では、熊本洋学校でジェーンズはのべ201人の生徒に5年間教え、この中から、明治・大正・昭和の日本のリーダーがたくさん出ております。例えば、浮田和民（早稲田大学教授）、小崎弘道（同志社社長）、横井時雄（同志社社長）、横井時敬（東京農大学長）、海老名弾正（同志社総長）、徳富蘇峰（文学者）遠山参良（五高教授）、宮川経輝（牧師）、蔵原維郭（代議士）など錚々たる人たちです。この人たちについても、もっと追跡し、詳細な研究をしなければいけません。このほかにもおりますけれども、宗教、教育、学問、研究、実業、政治というような各分野で、日本を引っ張った人物たちが輩出しています。教育以外でも大変な貢献をしておりまして、明治４年から９年までの熊本にいる間、熊本の民生向上、そして産業を興す殖産興業という面でも大変な恩恵を与えている、そういう人だというように思います。例えば、パンを作り牛乳を搾って飲むことや牛肉を食用に勧めたり、エンドウ、玉ねぎ、キャベツなどの西洋野菜を導入し栽培法や利用法を教えています。
英語で授業
洋学校教師のジェーンズはどのようにして教育したかといいますと、全然英語を知らない生徒に、１年間英語の基礎を教え、後はジェーンズが英語で講義する。それを聞いてだんだん分かるようになったという、今考えても不思議な英語教育をしたわけです。英語で読方、文学、地理学、代数学、化学、地質学、中世史などの西洋の高等教育を一人で教えました。生徒たちはジェーンズの教えから新しいものの見方、新しい世界が広がる喜びを実感しまして、学ぶことはこんなに楽しいことかということを知り、勉強に打ち込み、そして学力をつけ、ますます勉強をし、というこれが本当に教育の原点だと思うのですけれども、ジェーンズは短いほんのわずか熊本にいただけでそういう仕事をしました。そしてその人たちが、本当に自分の才能をどんどん伸ばしていって、各方面のリーダーになっていったのです。こうして地域と学校の両方からの信頼を得て、ジェーンズの宗教であるキリスト教まで伝え、それが後に「熊本バンド」として、日本のキリスト教信仰の大きな力となりました。
その後のジェーンズ
ジェーンズは、それからほぼ20年後、明治26年に再来日します。今度は京都が中心です。ジェーンズの教え子たちの中心メンバーが京都に集まっており、同志社の小崎弘道が中心にジェーンズを招き、今度は明治３２年まで６年間京都におりました。その間１年間は鹿児島に来ているようです。この十数年にわたる日本の生活が、ジェーンズについては本当に一番の恵まれた時期だったでしょう。生徒にも恵まれ、地域社会にも恵まれ、仕事にも恵まれ張り切って仕事をしました。
ただ、アメリカに帰りますといろいろな事情があって、この人は弾圧や迫害を受けひどい目に遭います。本当にこの人は、山あり谷ありという不思議な人生を送りました。
ジェーンズについてはまだまだ研究テーマも残されていますが、多くの方が知り理解され、もっと日本の歴史書にも登場してもらいたいと考えております。
長い時間ご清聴いただきありがとうございました。
（文責：松村）
おめでとうございます。ただいまご紹介いただきました田中です。あまりこの会には、熱心に出てきておりませんでしたが、中島先生からジェーンズをやれと言われましたのでお話します。あまり緊張されないで気楽にお聞きくださればありがたいと思います。
新年のご挨拶もゆっくりできませんでしたが、まだ私は正月気分で、なかなかお屠蘇が抜けないでおります。去年から今年にかけてずいぶん色々な事があり、この中の何人かの方から平和な一年でありますように、ご一家の平安を祈りますというような年賀をいただきました。たぶん、去年も同じような年賀をもらっておるのですが、年賀状の言葉は同じでも、１年の間に変わってきたことは多いと思います。平和な１年どころか、大変なことが次々に起こりあまり去年はいい年ではありませんでした。去年は申年でありますから、早く去っていったと思うのです。
日韓交流
いろいろ変なことがあったと申しましたが、日本に一番近くて、昔から遠い国と言われ、対馬海峡を隔てた向こうにある韓国が、去年ぐらいから急に精神的に接近したようになりました。対馬暖流という暖流が流れていて、冬でも比較的九州あるいは山陰の方まで暖かいと思っていたのですが、あそこが韓流（カンリュウ）になったのでしょうか。その韓国に私は行ったことはありませんが、かえって一番遠い地球の裏側のアメリカには何度も行ってジェーンズのことを調べました。今日はその一部をお話ししたいと思います。
ジェーンズとアイルランド協会との関係
どうしてジェーンズがこの会と関わりがあるのだろうかというと、平成3（1991）年に「ジェーンズとハーン記念祭」がありました。91年は明治24（1891）年ラフカディオ・ハーン（小泉八雲）が五高の英語教師として来熊して100年目にあたる年ですので盛大な行事を行いました。私たちは20年ぐらい前からジェーンズのことを研究し始めていました。ジェーンズはラフカディオ・ハーンより20年前、つまり1871（明治4）年に熊本に来ました。だから1991年はジェーンズが熊本に来て120年、ハーンが熊本に来て100年になる年でした。それまでジェーンズはあまりにも一般に知られていないし、もっと本当に理解してもらいたいと考え、「ジェーンズとハーン記念祭」という熊本の近代を開いた２人の外国人教師を顕彰する大きな行事を熊本県・市をあげていたしました。これにはここにいらっしゃるたくさんの方からご協力いただきました。久野啓介（当時・熊日新聞事業局長）さんにこのすべての行事の事務を取り仕切っていただき、ハーンについては中島最吉先生や中村青史先生など、多くの皆様に努力して盛り上げていただきました。ジェーンズは研究家があまりいなかったので、私がいろいろなプログラムを実施したわけです。
ジェーンズとハーン記念祭
この中でメインになったのは国際シンポジウムです。日本の中央からだけでなくアメリカからも学者をたくさん呼んで、ハーンとジェーンズについていろいろな講演やシンポジウムなどをいたしました。そのほか、ジェーンズとハーン記念祭行事の一環として「米大陸に熊本近代の光と影を探る―アメリカの旅」が、実行委員会企画主催で6月29日から7月9日まで１１日間行われました。アメリカの東海岸、西海岸、北部も南部もアメリカ中を、ハーンとジェーンズのゆかりの場所を訪ねる旅をしたのです。団長は花立三郎（実行委員会運営委員長）、副団長の平野敏也（同副委員長）、河上洋子、秘書長の久野啓介（事務局長）、同行講師に私、同行記者に井上智重（同委員）、記念舞台演出家の徳山博之（同委員）の各氏をはじめ、熊本県・市職員、一般市民など総勢33名でした。
一行はニューヨーク、プリンストン、シンシナティ、ニューオリンズ、サンアントニオ、サンフランシスコ、サンノゼ各都市の大学、図書館、新聞社、研究団体、行政当局などを訪問し、永野光哉実行委員会長のメッセージを伝達するとともに、記念祭のポスター、チラシなどを進呈してアピール。全員が病気もせず、怪我もなく、クマモトスピリッツを再発見しようという旅行目的を達成し無事帰国。
熊本日愛協会の発足
このとき一緒に行った人たちが仲良くなりまして、記念の文集をつくったり、何回も記念の会合をしたりしたのです。
その中の多くの方が、翌年1992年に今度はハーンの母の国ギリシャ、父の国アイルランドを中心に「ラフカディオ・ハーンの足跡を訪ねる旅」をなさったとがこの熊本アイルランド協会の発祥になったと考えております。その契機は1991年の「ジェーンズとハーン記念祭」で特に訪米団であったのです。アイルランド協会は皆さんご存知のように大変盛大に毎年盛り上がって、ほとんど毎年のように旅行されたり、色々な行事を行われたりして、今日のような盛会が続いているというようなことで、大変ありがたいことだと思います。
ジェーンズ研究その後
ジェーンズ研究の方の関連イベントもその後２、３行われましたが、ここでは省かせていただき主なものを挙げます。
1991年の国際シンポジウムではフレッド・Ｇ・ノートヘルファー氏（カリフォルニア大学ロサンゼルス校）が講演、氏は後に『アメリカのサムライ』というジェーンズの伝記を書きます。 『アメリカのサムライ』は1985年にプリンストン大学出版局から出版され、その数年後に飛鳥井雅道氏（京都大学教授）が翻訳し法政大学出版局から『アメリカのサムライ』となり出ております。これも立派な本でありますが飛鳥井先生は２〜３年前に亡くなりました。
それから正月早々、亡くなった話はあまりしたくないのですけれども、私たちを大変アメリカで歓迎してくれて、私がアメリカへ行くたびにお世話をしてくれたアメリカの日本研究の第一人者であるプリンストン大学のジャンセン教授も３年前にお亡くなりになりました。私は熊日にその追悼文を書かせてもらいましたけれども、私などが地球の裏側から訪ねて行っても本当によくしてくださり、ジェーンズ研究を本当に援助していただき大変ありがたいことでした。ノートヘルファー氏はジャンセン先生の弟子であり，ＵＣＬＡの日本研究所の所長をしております。彼も日米の親睦に力を尽くしてくれるものと思っております。
Ｌ.Ｌ.ジェーンズの熊本での功績
リロイ・ランシング・ジェーンズは先ほど言いましたように、1871（明治4）年に熊本に来ました。そして熊本でどんな生活、どういう仕事をしたかということを簡単に説明します。
実は大変な貢献をしているのです。教育という点では、熊本洋学校でジェーンズはのべ201人の生徒に5年間教え、この中から、明治・大正・昭和の日本のリーダーがたくさん出ております。例えば、浮田和民（早稲田大学教授）、小崎弘道（同志社社長）、横井時雄（同志社社長）、横井時敬（東京農大学長）、海老名弾正（同志社総長）、徳富蘇峰（文学者）遠山参良（五高教授）、宮川経輝（牧師）、蔵原維郭（代議士）など錚々たる人たちです。この人たちについても、もっと追跡し、詳細な研究をしなければいけません。このほかにもおりますけれども、宗教、教育、学問、研究、実業、政治というような各分野で、日本を引っ張った人物たちが輩出しています。教育以外でも大変な貢献をしておりまして、明治４年から９年までの熊本にいる間、熊本の民生向上、そして産業を興す殖産興業という面でも大変な恩恵を与えている、そういう人だというように思います。例えば、パンを作り牛乳を搾って飲むことや牛肉を食用に勧めたり、エンドウ、玉ねぎ、キャベツなどの西洋野菜を導入し栽培法や利用法を教えています。
英語で授業
洋学校教師のジェーンズはどのようにして教育したかといいますと、全然英語を知らない生徒に、１年間英語の基礎を教え、後はジェーンズが英語で講義する。それを聞いてだんだん分かるようになったという、今考えても不思議な英語教育をしたわけです。英語で読方、文学、地理学、代数学、化学、地質学、中世史などの西洋の高等教育を一人で教えました。生徒たちはジェーンズの教えから新しいものの見方、新しい世界が広がる喜びを実感しまして、学ぶことはこんなに楽しいことかということを知り、勉強に打ち込み、そして学力をつけ、ますます勉強をし、というこれが本当に教育の原点だと思うのですけれども、ジェーンズは短いほんのわずか熊本にいただけでそういう仕事をしました。そしてその人たちが、本当に自分の才能をどんどん伸ばしていって、各方面のリーダーになっていったのです。こうして地域と学校の両方からの信頼を得て、ジェーンズの宗教であるキリスト教まで伝え、それが後に「熊本バンド」として、日本のキリスト教信仰の大きな力となりました。
その後のジェーンズ
ジェーンズは、それからほぼ20年後、明治26年に再来日します。今度は京都が中心です。ジェーンズの教え子たちの中心メンバーが京都に集まっており、同志社の小崎弘道が中心にジェーンズを招き、今度は明治３２年まで６年間京都におりました。その間１年間は鹿児島に来ているようです。この十数年にわたる日本の生活が、ジェーンズについては本当に一番の恵まれた時期だったでしょう。生徒にも恵まれ、地域社会にも恵まれ、仕事にも恵まれ張り切って仕事をしました。
ただ、アメリカに帰りますといろいろな事情があって、この人は弾圧や迫害を受けひどい目に遭います。本当にこの人は、山あり谷ありという不思議な人生を送りました。
ジェーンズについてはまだまだ研究テーマも残されていますが、多くの方が知り理解され、もっと日本の歴史書にも登場してもらいたいと考えております。
長い時間ご清聴いただきありがとうございました。
（文責：松村）
「アイルランドを旅して」 中島最吉（会長）
旅 の 印 象 あ れ こ れ
先ずアイルランドでの大体の経路を申しますと、ダブリンで２泊し、まっすぐ西の端のゴールウエイに行き２泊しました。その間に有名な 劇作家シングが書いた「アラン島」で知られる島にフェリーに乗り日帰りで行ってきました。それから少し南東に下りリムリックに１泊し、ダブリン経由で帰ってきました。ですからアイルランドでは５泊したわけです。
アイルランド旅行のガイドはアイルランド人と結婚している津川さんという女性で、大変真面目に色々説明してくれました。
私が一番最初に驚きましたのは、津川さんの説明の中にアイルランドの"ジャガイモ飢饉"というのがあります。1845年〜1849年頃アイルランドでジャガイモが余り取れなく、どんどん餓死者が出た出来事です。これは1930年のアメリカの大恐慌に相当するような大事件として歴史上に知られております。その暗い話をするのですが、少し見方が違うのです。イギリスのブレア首相が「その当時のイギリスのとった政策が適切ではなかった」と言って頭を下げたという話を淡々とするのです。これは世の中が少し変わってきたなと言う印象を私は受けました。 そして、ダブリンの本屋さんに行きますと飢饉"famine"と書いた本が一杯出てるのです。"飢饉以降"とか"大飢饉"とか言う本が非常に多いのです。それからここにも持ってきておりますが、今年出た小冊子 "POCKET HISTORY of IRISH LITERATURE"（アイルランド文学ポケット小史）の中にも"飢饉"と言う項目がちゃんと書いてあります。と言うことは、アイルランド共和国が独立して国としての自己主張が強くなったかなと言う印象を私は一番に受けました。これは５年前行ったときと非常に違うことです。これがアイルランド全体に対する印象として感じたことです。
今度の旅では以前アイルランドのコークに５年住んでおられた、小島ご夫妻に事実上の御案内役をしていただいたわけですが、小島さんの印象ではＥＵの資金援助のせいで国中の道路が非常に良くなっている。そしてアイルランドは非常に変化しているということです。
思 い 出 あ れ こ れ
アラン島に行くフェリーの中に、俳優の太地康雄さんがテレビロケで見えており、サインを貰った方もおられました。何でも八代のご出身ということで私も行って名刺の交換をし、挨拶をして「頑張って下さい」と励ましてきました。
ダブリンではギネスビールの工場見学に出かけました。２ポンド払って中に入りますと、地下で大ジョッキ一杯（１パイント）が頂けますが、嬉しかったことには６０歳以上は半額でいいと言われたので「シニアだ」と言うと、大らかに認めてくれて１ポンドで飲んできました。他に明治村のような所も行きましたが、そこも何も詮索しないで気持ちよく「シニア」割引で入れました。
ダ イ ア ナ 妃 の 葬 儀
最後にロンドンで２泊しました。ダイアナさんの葬儀の前の日に市内を観光バスで回ったわけですが、その熱っぽさは想像を絶するものがありました。バッキンガム宮殿に集まっている人たちの中で花束を持っていないのは観光客だけでした。
ごく普通の中年の３０歳代くらいのご夫婦と子供連れという人を注意して、何組か見てきました。バッキンガム宮殿の門から入って来て、奥さんが新聞紙に花束を包んで持っているわけです。そして立ち止まって連れていた小学生の女の子二人に新聞紙を広げて薔薇の花を１本づつ持たせて、残りをご主人と自分が半分づつ分けて、子供と一緒にかなり遠くの献花の場所まで歩いて行くわけです。フェンスの前は一間ばかり花だらけで、高さも１メートルくらいありました。何も若い女の子だけがキャーキャー言っているのでなく、普通の家庭の人たちでごった返しておりました。私はそれを見たときに、イギリスの王室は２１世紀になったら潰れるのではないかと思いました。
その日の夕方、イギリスの王室がダイアナ妃に冷たいと国民から言われたので、女王と皇太子が急遽帰って来られました。日本だったら皇室が直接見えたら大変ですが、イギリスではテレビニュースを見るかぎりあまり反応はないのです。
それから花に添えた若い女性の手紙を５、６行から長いので便箋１枚にたっぷり書いてあるのを５、６枚くらい走り読みしたら、「大変あなたは素晴らしい、どうして私達を見捨てて先に天国に行ってしまったのか、天国から私達を見守っていて下さい」と言うようなことが書いてあります。内容は本当に若い女性のラブレターです。これからどういうふうになるのか、ダイアナフィーバーはやがて下がるのかも知れませんが。
その後すぐ、マリア・テレザさんが亡くなられましたが、お年寄りと若い３５歳との違いがあるのでしょうか。本当はもっとマリア・テレザさんにスポットが当たってもいいと思いましたが、大変センセイショナルなニュースでした。
ただイギリスと比較してアイルランドではやや反応が低いと思いました。しかしこれは致し方ないことと思います。
司馬遼太郎さんのスウィフト観について
今日一番申しあげたいことを先に申しあげます。ジョナサン・スウィフトはダブリン生まれで、その殆どをアイルランドで過ごしました。ところが父親は、イギリス系統の人であります。こういうときにはどうなるのでしょうか。どういう人をアイルランドの作家というのかという大変難しい問題を未整理のままいわれている感じがしますので、私の意見は最後に言わせていただきます。
スウィフトの父親はイギリス系であり、ダブリン生まれで、彼が生まれたときは母子家庭のようなもので、すぐにイギリスに行って成人するということになるわけです。ここのとこを司馬遼太郎さんの『街道をゆく』（朝日新聞社刊）から記します。
「ケルト的霊性は、ジョナサン・スウィフト（1667〜1745）の不朽の傑作『ガリヴァー旅行記』において極度に濃淡である。
船員ガリヴァーが難破漂流して小人国へゆき、巨人国へゆく第一部と第二部は、あるいは空想という醸造の種子の中にケルトのアイルランドにおける妖精の"生態"が入っているかもしれないが、第四部における人間への絶望というくだりになると、空想は風刺の刃にかわり、人間嫌いのケルト的傾斜がその極に達する。人間はきたならしい畜獣ヤフーにころがりおちる一方、馬ファイナムが高貴で理性的な生物として登場するのである。」
私達も「ガリヴァー旅行記」の最初の方は痛快なところが沢山出てきますので楽しく読めますが、最後の方に行くとちょっとついていけない感じがするところもあります。
「スウィフトの生い立ちの複雑さのついてはここで説く余裕がないが、彼が１８世紀における最も安定した世俗的（まことに俗な）地位といえる英国国教会の聖堂の首席司祭だったということを思うと、その一片の憐情すらない人間への風刺と嫌悪は、病的でさえある。アイルランド人の天才たちの多くは、仲間との調和よりも、個人の中に内籠もりして、はなはだしい集中と傾斜を遂げる人が多いが、スウィフトの場合は、そのはなはだしい例といっていい。 夏目漱石（1867〜1916）は、なにやらスウィフトの中に極度な"変人"を見いだしているような一種の気味悪さを込めて、その風刺精神は決して『一時的の態度でなくて、彼の一生は貫いた、牢として抜くぬくべからざる生来の性癖である』(『文学評論』)とした。漱石はこんにちのわれわれのように多くの資料をもっていたわけではなかったのに、みごとな洞察というほかない」と言うように書いておられます。
夏目漱石のラフカディオ・ハーン観について
ハーンと比べると分かると思いますが、すごく誉めていることは同様であります。例えば「ロビンソ・クルーソー」を書いた同時代のデフォーと言う作家がおりますが、実はデフォーの方が先に「ロビンソン・クルーソー」を出しまして、それに刺激を受けて「ガリヴァー旅行記」を書いたわけです。夏目漱石にいわせると「スウィフトは立派だけどデフォーはあほだ。あったことを順序立てて書くのは馬鹿でも書ける」というようなことを書いております。 他の所では「宝島」を書いたスティブンソンと比べて評論したところがありましたが、嵐の難破船からボートに乗り移るところの描写をデフォーが細々と書いております。スティブンソンは「黒い空に向かって飛んだ」と書いております。「これだけで充分だ。黒い空に向かって飛べば人間は下に落ちるに決まっている。ボートの上に落ちるか又は落ちないか読者ははらはらしながら読むに決まっている。それをデフォーと言う野郎は波がどう揺れたとか、船がどうなったとかいうことを一々長々と書いて何ページもつぶすとは何事だ」ということを漱石は言いたかったのでしょう。気性が合わなかったようです。「ガリヴァー旅行記」が書かれて漱石はスウイフトの批評精神を高く買っております。その文学精神について１カ所だけケチを付けているところを取りました。
「これは面白いと思うと、すぐ王様の所へ持って行かれる。何だか物足りない様な気がする。それから今一つは通編風刺的精神に満ちて、絶えず刺激を受け、間の延びたところは少しもないが、それと共にいわゆる美しい感情を起こすような要素が欠けている。これも詩的でないと言うところで評すべきことかも知れぬが、単に人事的に言って詩に近い場面が無いのみならず、自然の享楽を表した点が少しもない。かように所々方々を漂流して歩いたのだから、少しは海の色、浪の音、又は飛ぶ鳥の具合や空模様、さては山や川や田園の景色でもよいから、賞翫の態度を以て記載したら可かろうと思うに、そんなことは一切無頓着である。ただ朝の何時に船が出た、何年何月の何日にどこへ着いたというような、実用的に精確な記載ばかりであるのは、いささか遺憾である。それも物が物であるから遺憾がるほうが悪いとしてもよい。」（『文学評論』岩波書店）。ここだけ文句を言ってるのです。その他はべた褒めです、もう少し情緒のある情景描写を書いてもいいのではないかと思います。非常に批評精神横溢です。そして最後の締めくくりは次のようになっております。
「『ガリヴァー旅行記』は名著の一つである。彼は最強大なる風刺家の一人である。彼は理非の弁別に敏く、世の中の腐敗を鋭敏に感ずる人である。病的に人間を嫌忌したという名を博したにも係わらず、親切な人である。正義の人である、見識を持った人である。見識がなければ風刺は書けない。みだりに悪口を吐いたり、皮肉な雑言を弄することは誰にでも出来るが、真に風刺とも言うべきものは、正しき道理の存する所に陣取って、一隻の批評眼を具して世間を見渡す人でなければ出来ないことである。スウィフトの風刺は堂々たる文学である、後代に伝うべき述作である。彼は愛蘭土の愛国者で、故国のためには危きを辞せして応分の力を尽くした志士である。」（同上）とまで漱石は言っているのです。
ラフカディオ・ハーンのスウィフト観について
スウィフトが聖パトリック教会の首席司祭に任命されたのが４６歳の時です。当時のイギリス系の教会の聖職の位で言えば最高の地位ですからアイルランドでは一番力があるわけです。しかし、それでも不満なんです。何故かというと本人は文人としても政治的にも野心があるわけです。それを先ほどのラフカディオ・ハーンの『英文学史?』から読んでみましょう。
「彼の長所も短所も、本質的にイギリス的である。だがそれは巨大な、驚くべき規模のイギリス人で、彼こそ１８世紀で一番すぐれた文学者だと言っても決して言い過ぎではない。ジョンソンなどよりずっと大物だ。
とにかく、彼は古典時代の圧倒的な力だったことを覚えておくとよい。本当の文壇の親分で、ポープさえその前に行くと小さくなっていて、スウィフトの言いなりになった。この時期の文学史をくわしく調べてみると、おもしろいことにポープが風刺したありとあらゆる人物、いや少なくともその大部分の人物は、スウィフトが嫌っていた人物だということがわかる。ポープは誰にでも恐れられていた。だからスウィフトがやれと言いさえすれば、ポープは操り人形のように何でも彼の言いなりになった。しかし又、この２人は気も合っていたのだろう。」と書いています。
何か今で言うと番長のような感じでハーンは書いています。それくらいスウィフトは文壇にも力があったし政治的にも野心があったのです。それがダブリンの教会の首席司祭になったと言うことは納得がいかなかったようです。それで一度はダブリンからロンドンに帰るわけですが、その翌年またダブリンに戻ります。そして４７歳の時からは聖パトリック教会の首席司祭を務めるわけです。そこで腰を落ち着けてからはアイルランドのことを擁護した文章を匿名で書いたり、イギリス政府を痛烈に攻撃したことをどんどん書くわけです。大変な分量でしたのでイギリス政府が音を上げて政策変更したようなことがいくつもあるのです。
中野好夫さんのスウィフト観について
次に東大教授だった中野好夫さんの『スウイフト考』（岩波新書）から引用したいと思います。本人は「分からん、分からん」と謙遜しておられますが、先生は難しいことを分かりやすく書いておられますので機会があったら読んでいただきたいと思います。
彼が５９歳の時書いた「ガリヴァー旅行記」のあと出しました何ともすごいのがあるのですが、そこをちょっと説明しておきます。
「まず小冊子は、ダブリン市街やアイルランドを旅行するほどのものなら、すぐ目につくはずの貧しい子供連れの女乞食の光景、それへの言及から始まっている。そして以下、まるで人口問題の論文でも読むような統計数字が続くのである。
まずアイルランド総人口を百五十万人と踏み、うちほぼ二十万組の夫婦は、まだ細君たちが出産能力を保っていると考えてよい。ところがこの二十万組のうち、甘く踏んでまず三万組ぐらいは、産児に対する扶養能力をそなえていると見ていいが、あとの十七万組となると、まことに心細い。そこで、妊婦にはむろん流産もあれば早産もあり、また生まれてもすぐ死ぬ子供もあるにはあるが、それらを割り引いても、まず毎年十二万人ほどは、両親に扶養能力の欠けた貧困児がふえると見なければならぬ。これが現在アイルランドにとっての最大社会問題だというのである。
ところで、この辺まではまことに真っ当なのだが、このあたりからそろそろおかしくなる。曰く、幼児も十二歳以下ではとうてい商品にならぬし、十二歳になったところで、せいぜい一人三ポンド半以上には売れそうにない。これでは実際にかかった養育費の四分の一の償却費にもならぬ。両親、ひいては国の負担は増すばかりだが、ここに一つ、問題解決への名案がある、というのである。
実はさるアメリカ人から教えられた話だが、なるほど、これならどこからでもまず反対はでまい。だから、一つ提案するのだがということで、いよいよ本題にはいるわけだが、いきなりまずこんな話になる。満一歳の赤ん坊というのは、病気がなくて栄養さえよければ、どんな料理法で食べても、実に美味しくて栄養分も満点だそうだ。だとすると、上に挙げた毎年増える貧困児十二万人のうち、まず二万人ばかりは種族保存のために残すとして、あとの十万人はせいぜいよく育てておいて、満一歳くらいになれば、食用肉として売り出させる。貴族、金持ちなどはよろこんで買うはずだ。
招待客の接待料理となると、一人分の肉で二皿くらいしか取れないが、家庭用なら結構四半分ですむ。殺して四日目くらいがちょうど食べごろで、塩と胡椒でで主味をつけると、なんともいえぬご馳走である。おまけに皮も別に利用すれば、なかなかしゃれた婦人用の手袋、紳士用の靴にもなる。まさに一石三鳥という結構な話。
そこで一年間養育する費用だが、いずれ貧乏人の子のことだから、衣料代を含めても、せいぜい年二シリングも見込めば十分のはず。それで売り出すときには、まず一人当たり十シリングには確実になるから、結局八シリングがところは丸儲けということになる。これをさえ実行すれば、救貧産業にもなれば、人口問題の解決にもなる。さらにはアイルランド経済の改善にもなる上に、国民の食生活もずいぶん豊富になる、いわば一石四鳥の勘定になる、等々、詳細は省略するが、次々と利点を数え上げて小冊子は終わるのである。
漱石もずいぶん驚いたらしい。『これを真面目とすれば純然たる狂人である』とまで評している。ところがこの小冊子、冗談どころではない。真面目も真面目。大真面目、しかもスウィフトは断じて狂人ではなかったのである。では、なぜこんな、ほとんど常識をすら疑わせるような、一見風狂の戯文わかいたのであろうか」ということを中野先生は書いておられます。
これはちゃんとしたパンフレットでございます。
聖パトリック教会の現役の首席司祭が「一歳の赤ん坊を食用にしたらうまくいくのじゃないか」と言うことを印刷して発行するのですから、並の人間ではない。ただこの中で変わったこと、奇行をご注意いただくのでなく、この人は物理、天文学、数学が大変得意なんです。「ガリヴァー旅行記」を読んでいただきますと、色々な計算とか天体の動きの図まで出てきます。子供の時から論理学とか数学が出来た人です。その当時イギリス政府がイギリスを攻撃するスウィフトのたくさんの論文を見て困ったのは、経済問題でもなんでも数字を挙げて叩くものですから間違いないのです。彼が赤ん坊を食べると言うような極端なことを言っても攻撃されないのは誰だって本気とは思っていないからです。この中で言っている子供の養育にいくらかかるかはきちんと調べて書いているのです。政府は何故こういうことをしないんだという影の意味があるわけです。そういうことをした人なんです。しかし最後には、彼が寄付して作ったダブリン郊外の精神病院で亡くなるなるわけです。中野好夫さんにしても分からないところが一杯あるわけです。特に女性関係ではどういう訳か分からないところが沢山あるのです。私達は彼の書いた物、残した文学とかを見ていけばいい訳でして、プライベートな詮索をすることは特別な研究家に任しておけばいいと思います。
ただ「ガリヴァー旅行記」は、旅行中も言いましたが、是非そういうスウィフトの立場を考えて、その当時イギリスがアイルランドに対して支配的で、非常に簡単に言うと虐めていた状態であったと言うことです。彼が聖パトリック教会の首席司祭としてアイルランドの人たちを助けてやりたいと言う気持ちから、イギリス政府を正面切って攻撃する論文に混じって書いたものが「ガリヴァー旅行記」だと考えて読んでいけばなるほどだとうなずけます。ただそのレベルだけでなく人間全体に対する風刺も十分に入って高いレベルの本になっていることは間違いないと思います。
再びハーンのスウィフト観について
次にスウィフトについてハーンが書いた文章を読んでみます。
「しかし文章の完全な飾り気のなさだけは感嘆に値する。アングロ・サクソンの素っ気なさと言ってもいい。普通の人がラテン語系の単語を持ってこないではいられないところにも単音節の言葉を使い、全体にいつでも威厳をたたえている。この単純さというのが曲者で、昔もこういう北欧人の見かけの単純さに騙されて、王侯、貴族の外交団がころっとやられてしまった。限りない力を意識しながら、しかもそれを静かに押さえていられる人並みはずれた能力、という以外には説明のしようがない。この文章は百年ほどの間イギリス文学全体に非常な影響を与え、それは今でも続いている。イギリス人は、古典あるいは近代ラテン語の持ってまわった表現に頼らなくても、英語は英語だけで十分立派な表現が可能だということをスウィフトによって教えられた。彼の偉大さは実にこの点にある。
利口な人の手にかかれば普通の英語ほど力強いものはない。人を攻撃する場合にも、普通の言葉だけで十分ではないか。必要なのはただ真実を述べるのに最も良い方法を探し出すだけだ。だから、スウィフトの散文を読むことは英語の勉強に非常に役立つ。スウィフトの時代の話題に関係のあるものがいやならば、他のエッセイや小説から、どれでも気に入りそうな、しかもためになりそうなものを選んで読むとよい。明快な散文、厳かな散文、やさしい散文というのなら、スウィフトの右に出るものは、今日でもないのではないかと思う」（『英文学史?』） ハーンはスウィフトのことを書いた中で、風刺の優れたことと同時に彼の英語の素晴らしさを何度も繰り返して誉めています。しかも自分は一番スウィフトから英語の素晴らしさを学んだと言っています。そして不思議なことにこれだけアイルランドの立場に立ってイギリス政府を攻撃したのが並大抵ではないことをハーンが知らなかったはずはないのに、そのことはどこを調べても書いてないのです。それが今度ハーンとスウィフトのことを調べてみて不思議に思ったことでした。ことによったら意識的に避けているのかなとも思いました。少なくともハーンの中には自分はアイリッシュだという意識は、大変希薄ではなかったのではないかと思います。例えば先ほど言いました今年出た『アイルランド文学小史』には、まず"初めに"の本文には「１８世紀合理主義、半植民地主義思想悲劇、ジョナサン・スウィフト」とあります。つまり実質的なアイルランド文学史はスウイフトから始まっております。ですから最初申しあげましたようにこの人の父親は元々イギリス系の人です。この中の"喜劇"と書いてある中にウィリアム・コングリーヴと言う人がおります。この人について、ハーンは東大の講義の中で「この頃の喜劇にろくなものはない。殆どあほばかりだ。あほな中でもちょっと気の利いたのがコングリーヴ」と色々悪口を言っています。そういうことをしゃべっているのですが本人はアイルランド出身の人です。ですが東大の講義の中でアイルランドの文学者の話をするとき、自分がアイルランド人であることを言ってないのです。ということは大変難しいのですが、特に自分がアイルランド人であることを意識する必要がなかったことは言えます。アイルランドは第一次大戦後の１９２２年に仮の独立が認められ、１９４８年に正式に独立しました。彼が五高に来たときの国籍は文部省の履歴書によりますと、アイルランドでなくはっきり"英国"とあり、父親は英国陸軍の軍医補となっております。恐らく彼の中にはイギリスとかアイルランドとか言う意識はなかったのかと思います。ただスウィフト比べますと、スウィフトがアイルランドのことに膨大なことをしているのに、そのことを一言もハーンが触れない。「彼の英語が素晴らしいとか文壇の大御所である」とかいうことを書いていることが、私は今回奇異に感じました。書いていないと言うことは、逆に言えば彼の幼少時代に非常に辛い思いをした事が、どこか自分でトラウマになって無意識のうちにアイルランド時代のことは自分で塞ごうとしていたのかも知れません。しかし彼の作品の中には妖精の話がありケルトの血が脈々と流れているのでしょう。
終 わ り に
非常に雑ぱくな話をしましたが、私達がアイルランドの正義とか国の成り立ちとかの話の中で、ジャガ芋飢饉の話が非常に大きくなって出てくるのは世の中の流れで、時代時代によって
色々なことが変わります。ところが今は、アイルランド共和国の独立性というものが非常に大きく言われているような気がします。そこで何でもかんでもアイルランド文学の中に引っ張り込んでいるような時代という気がします。私達はハーンを見るときに、作品を通して彼がどんなものを書き、どう言うことで文学という遺産を残してくれたかということを、私達は静かに読みとっていけばいいわけです。ですから現世の動きに余り惑わされないようにした方がいいのではないかと思います。
旅行から帰りまして１０冊くらい本を読みましたが、頭の中が益々混乱するばかりで纏まりませんでした。ですが、スウィフトは大変大物ですし、その上面白いし、女性のことも沢山書いています。彼は女性に恨みがあるのかないのか知りませんが、どんな美人ですべすべした肌でも拡大鏡でよく見ると見られたものではないとか、吹き出したくなるようなことを"小人国"とか"大人国"とかに書いております。後半は深刻になりますが、最初の一部、二部のとこは気楽に読んでもさすがだなと思います。是非機会があったら読んでいただきたいと思います。司馬遼太郎さんの"街道をゆく"も特に前半は大変うまいと思います。ローマカトリックとアイルランドカトリックは違うということを非常に明快に言っておられます。勉強になると思います、今日はどうもご静聴有り難うございました。
（文責：松村）
先ずアイルランドでの大体の経路を申しますと、ダブリンで２泊し、まっすぐ西の端のゴールウエイに行き２泊しました。その間に有名な 劇作家シングが書いた「アラン島」で知られる島にフェリーに乗り日帰りで行ってきました。それから少し南東に下りリムリックに１泊し、ダブリン経由で帰ってきました。ですからアイルランドでは５泊したわけです。
アイルランド旅行のガイドはアイルランド人と結婚している津川さんという女性で、大変真面目に色々説明してくれました。
私が一番最初に驚きましたのは、津川さんの説明の中にアイルランドの"ジャガイモ飢饉"というのがあります。1845年〜1849年頃アイルランドでジャガイモが余り取れなく、どんどん餓死者が出た出来事です。これは1930年のアメリカの大恐慌に相当するような大事件として歴史上に知られております。その暗い話をするのですが、少し見方が違うのです。イギリスのブレア首相が「その当時のイギリスのとった政策が適切ではなかった」と言って頭を下げたという話を淡々とするのです。これは世の中が少し変わってきたなと言う印象を私は受けました。 そして、ダブリンの本屋さんに行きますと飢饉"famine"と書いた本が一杯出てるのです。"飢饉以降"とか"大飢饉"とか言う本が非常に多いのです。それからここにも持ってきておりますが、今年出た小冊子 "POCKET HISTORY of IRISH LITERATURE"（アイルランド文学ポケット小史）の中にも"飢饉"と言う項目がちゃんと書いてあります。と言うことは、アイルランド共和国が独立して国としての自己主張が強くなったかなと言う印象を私は一番に受けました。これは５年前行ったときと非常に違うことです。これがアイルランド全体に対する印象として感じたことです。
今度の旅では以前アイルランドのコークに５年住んでおられた、小島ご夫妻に事実上の御案内役をしていただいたわけですが、小島さんの印象ではＥＵの資金援助のせいで国中の道路が非常に良くなっている。そしてアイルランドは非常に変化しているということです。
思 い 出 あ れ こ れ
アラン島に行くフェリーの中に、俳優の太地康雄さんがテレビロケで見えており、サインを貰った方もおられました。何でも八代のご出身ということで私も行って名刺の交換をし、挨拶をして「頑張って下さい」と励ましてきました。
ダブリンではギネスビールの工場見学に出かけました。２ポンド払って中に入りますと、地下で大ジョッキ一杯（１パイント）が頂けますが、嬉しかったことには６０歳以上は半額でいいと言われたので「シニアだ」と言うと、大らかに認めてくれて１ポンドで飲んできました。他に明治村のような所も行きましたが、そこも何も詮索しないで気持ちよく「シニア」割引で入れました。
ダ イ ア ナ 妃 の 葬 儀
最後にロンドンで２泊しました。ダイアナさんの葬儀の前の日に市内を観光バスで回ったわけですが、その熱っぽさは想像を絶するものがありました。バッキンガム宮殿に集まっている人たちの中で花束を持っていないのは観光客だけでした。
ごく普通の中年の３０歳代くらいのご夫婦と子供連れという人を注意して、何組か見てきました。バッキンガム宮殿の門から入って来て、奥さんが新聞紙に花束を包んで持っているわけです。そして立ち止まって連れていた小学生の女の子二人に新聞紙を広げて薔薇の花を１本づつ持たせて、残りをご主人と自分が半分づつ分けて、子供と一緒にかなり遠くの献花の場所まで歩いて行くわけです。フェンスの前は一間ばかり花だらけで、高さも１メートルくらいありました。何も若い女の子だけがキャーキャー言っているのでなく、普通の家庭の人たちでごった返しておりました。私はそれを見たときに、イギリスの王室は２１世紀になったら潰れるのではないかと思いました。
その日の夕方、イギリスの王室がダイアナ妃に冷たいと国民から言われたので、女王と皇太子が急遽帰って来られました。日本だったら皇室が直接見えたら大変ですが、イギリスではテレビニュースを見るかぎりあまり反応はないのです。
それから花に添えた若い女性の手紙を５、６行から長いので便箋１枚にたっぷり書いてあるのを５、６枚くらい走り読みしたら、「大変あなたは素晴らしい、どうして私達を見捨てて先に天国に行ってしまったのか、天国から私達を見守っていて下さい」と言うようなことが書いてあります。内容は本当に若い女性のラブレターです。これからどういうふうになるのか、ダイアナフィーバーはやがて下がるのかも知れませんが。
その後すぐ、マリア・テレザさんが亡くなられましたが、お年寄りと若い３５歳との違いがあるのでしょうか。本当はもっとマリア・テレザさんにスポットが当たってもいいと思いましたが、大変センセイショナルなニュースでした。
ただイギリスと比較してアイルランドではやや反応が低いと思いました。しかしこれは致し方ないことと思います。
司馬遼太郎さんのスウィフト観について
今日一番申しあげたいことを先に申しあげます。ジョナサン・スウィフトはダブリン生まれで、その殆どをアイルランドで過ごしました。ところが父親は、イギリス系統の人であります。こういうときにはどうなるのでしょうか。どういう人をアイルランドの作家というのかという大変難しい問題を未整理のままいわれている感じがしますので、私の意見は最後に言わせていただきます。
スウィフトの父親はイギリス系であり、ダブリン生まれで、彼が生まれたときは母子家庭のようなもので、すぐにイギリスに行って成人するということになるわけです。ここのとこを司馬遼太郎さんの『街道をゆく』（朝日新聞社刊）から記します。
「ケルト的霊性は、ジョナサン・スウィフト（1667〜1745）の不朽の傑作『ガリヴァー旅行記』において極度に濃淡である。
船員ガリヴァーが難破漂流して小人国へゆき、巨人国へゆく第一部と第二部は、あるいは空想という醸造の種子の中にケルトのアイルランドにおける妖精の"生態"が入っているかもしれないが、第四部における人間への絶望というくだりになると、空想は風刺の刃にかわり、人間嫌いのケルト的傾斜がその極に達する。人間はきたならしい畜獣ヤフーにころがりおちる一方、馬ファイナムが高貴で理性的な生物として登場するのである。」
私達も「ガリヴァー旅行記」の最初の方は痛快なところが沢山出てきますので楽しく読めますが、最後の方に行くとちょっとついていけない感じがするところもあります。
「スウィフトの生い立ちの複雑さのついてはここで説く余裕がないが、彼が１８世紀における最も安定した世俗的（まことに俗な）地位といえる英国国教会の聖堂の首席司祭だったということを思うと、その一片の憐情すらない人間への風刺と嫌悪は、病的でさえある。アイルランド人の天才たちの多くは、仲間との調和よりも、個人の中に内籠もりして、はなはだしい集中と傾斜を遂げる人が多いが、スウィフトの場合は、そのはなはだしい例といっていい。 夏目漱石（1867〜1916）は、なにやらスウィフトの中に極度な"変人"を見いだしているような一種の気味悪さを込めて、その風刺精神は決して『一時的の態度でなくて、彼の一生は貫いた、牢として抜くぬくべからざる生来の性癖である』(『文学評論』)とした。漱石はこんにちのわれわれのように多くの資料をもっていたわけではなかったのに、みごとな洞察というほかない」と言うように書いておられます。
夏目漱石のラフカディオ・ハーン観について
ハーンと比べると分かると思いますが、すごく誉めていることは同様であります。例えば「ロビンソ・クルーソー」を書いた同時代のデフォーと言う作家がおりますが、実はデフォーの方が先に「ロビンソン・クルーソー」を出しまして、それに刺激を受けて「ガリヴァー旅行記」を書いたわけです。夏目漱石にいわせると「スウィフトは立派だけどデフォーはあほだ。あったことを順序立てて書くのは馬鹿でも書ける」というようなことを書いております。 他の所では「宝島」を書いたスティブンソンと比べて評論したところがありましたが、嵐の難破船からボートに乗り移るところの描写をデフォーが細々と書いております。スティブンソンは「黒い空に向かって飛んだ」と書いております。「これだけで充分だ。黒い空に向かって飛べば人間は下に落ちるに決まっている。ボートの上に落ちるか又は落ちないか読者ははらはらしながら読むに決まっている。それをデフォーと言う野郎は波がどう揺れたとか、船がどうなったとかいうことを一々長々と書いて何ページもつぶすとは何事だ」ということを漱石は言いたかったのでしょう。気性が合わなかったようです。「ガリヴァー旅行記」が書かれて漱石はスウイフトの批評精神を高く買っております。その文学精神について１カ所だけケチを付けているところを取りました。
「これは面白いと思うと、すぐ王様の所へ持って行かれる。何だか物足りない様な気がする。それから今一つは通編風刺的精神に満ちて、絶えず刺激を受け、間の延びたところは少しもないが、それと共にいわゆる美しい感情を起こすような要素が欠けている。これも詩的でないと言うところで評すべきことかも知れぬが、単に人事的に言って詩に近い場面が無いのみならず、自然の享楽を表した点が少しもない。かように所々方々を漂流して歩いたのだから、少しは海の色、浪の音、又は飛ぶ鳥の具合や空模様、さては山や川や田園の景色でもよいから、賞翫の態度を以て記載したら可かろうと思うに、そんなことは一切無頓着である。ただ朝の何時に船が出た、何年何月の何日にどこへ着いたというような、実用的に精確な記載ばかりであるのは、いささか遺憾である。それも物が物であるから遺憾がるほうが悪いとしてもよい。」（『文学評論』岩波書店）。ここだけ文句を言ってるのです。その他はべた褒めです、もう少し情緒のある情景描写を書いてもいいのではないかと思います。非常に批評精神横溢です。そして最後の締めくくりは次のようになっております。
「『ガリヴァー旅行記』は名著の一つである。彼は最強大なる風刺家の一人である。彼は理非の弁別に敏く、世の中の腐敗を鋭敏に感ずる人である。病的に人間を嫌忌したという名を博したにも係わらず、親切な人である。正義の人である、見識を持った人である。見識がなければ風刺は書けない。みだりに悪口を吐いたり、皮肉な雑言を弄することは誰にでも出来るが、真に風刺とも言うべきものは、正しき道理の存する所に陣取って、一隻の批評眼を具して世間を見渡す人でなければ出来ないことである。スウィフトの風刺は堂々たる文学である、後代に伝うべき述作である。彼は愛蘭土の愛国者で、故国のためには危きを辞せして応分の力を尽くした志士である。」（同上）とまで漱石は言っているのです。
ラフカディオ・ハーンのスウィフト観について
スウィフトが聖パトリック教会の首席司祭に任命されたのが４６歳の時です。当時のイギリス系の教会の聖職の位で言えば最高の地位ですからアイルランドでは一番力があるわけです。しかし、それでも不満なんです。何故かというと本人は文人としても政治的にも野心があるわけです。それを先ほどのラフカディオ・ハーンの『英文学史?』から読んでみましょう。
「彼の長所も短所も、本質的にイギリス的である。だがそれは巨大な、驚くべき規模のイギリス人で、彼こそ１８世紀で一番すぐれた文学者だと言っても決して言い過ぎではない。ジョンソンなどよりずっと大物だ。
とにかく、彼は古典時代の圧倒的な力だったことを覚えておくとよい。本当の文壇の親分で、ポープさえその前に行くと小さくなっていて、スウィフトの言いなりになった。この時期の文学史をくわしく調べてみると、おもしろいことにポープが風刺したありとあらゆる人物、いや少なくともその大部分の人物は、スウィフトが嫌っていた人物だということがわかる。ポープは誰にでも恐れられていた。だからスウィフトがやれと言いさえすれば、ポープは操り人形のように何でも彼の言いなりになった。しかし又、この２人は気も合っていたのだろう。」と書いています。
何か今で言うと番長のような感じでハーンは書いています。それくらいスウィフトは文壇にも力があったし政治的にも野心があったのです。それがダブリンの教会の首席司祭になったと言うことは納得がいかなかったようです。それで一度はダブリンからロンドンに帰るわけですが、その翌年またダブリンに戻ります。そして４７歳の時からは聖パトリック教会の首席司祭を務めるわけです。そこで腰を落ち着けてからはアイルランドのことを擁護した文章を匿名で書いたり、イギリス政府を痛烈に攻撃したことをどんどん書くわけです。大変な分量でしたのでイギリス政府が音を上げて政策変更したようなことがいくつもあるのです。
中野好夫さんのスウィフト観について
次に東大教授だった中野好夫さんの『スウイフト考』（岩波新書）から引用したいと思います。本人は「分からん、分からん」と謙遜しておられますが、先生は難しいことを分かりやすく書いておられますので機会があったら読んでいただきたいと思います。
彼が５９歳の時書いた「ガリヴァー旅行記」のあと出しました何ともすごいのがあるのですが、そこをちょっと説明しておきます。
「まず小冊子は、ダブリン市街やアイルランドを旅行するほどのものなら、すぐ目につくはずの貧しい子供連れの女乞食の光景、それへの言及から始まっている。そして以下、まるで人口問題の論文でも読むような統計数字が続くのである。
まずアイルランド総人口を百五十万人と踏み、うちほぼ二十万組の夫婦は、まだ細君たちが出産能力を保っていると考えてよい。ところがこの二十万組のうち、甘く踏んでまず三万組ぐらいは、産児に対する扶養能力をそなえていると見ていいが、あとの十七万組となると、まことに心細い。そこで、妊婦にはむろん流産もあれば早産もあり、また生まれてもすぐ死ぬ子供もあるにはあるが、それらを割り引いても、まず毎年十二万人ほどは、両親に扶養能力の欠けた貧困児がふえると見なければならぬ。これが現在アイルランドにとっての最大社会問題だというのである。
ところで、この辺まではまことに真っ当なのだが、このあたりからそろそろおかしくなる。曰く、幼児も十二歳以下ではとうてい商品にならぬし、十二歳になったところで、せいぜい一人三ポンド半以上には売れそうにない。これでは実際にかかった養育費の四分の一の償却費にもならぬ。両親、ひいては国の負担は増すばかりだが、ここに一つ、問題解決への名案がある、というのである。
実はさるアメリカ人から教えられた話だが、なるほど、これならどこからでもまず反対はでまい。だから、一つ提案するのだがということで、いよいよ本題にはいるわけだが、いきなりまずこんな話になる。満一歳の赤ん坊というのは、病気がなくて栄養さえよければ、どんな料理法で食べても、実に美味しくて栄養分も満点だそうだ。だとすると、上に挙げた毎年増える貧困児十二万人のうち、まず二万人ばかりは種族保存のために残すとして、あとの十万人はせいぜいよく育てておいて、満一歳くらいになれば、食用肉として売り出させる。貴族、金持ちなどはよろこんで買うはずだ。
招待客の接待料理となると、一人分の肉で二皿くらいしか取れないが、家庭用なら結構四半分ですむ。殺して四日目くらいがちょうど食べごろで、塩と胡椒でで主味をつけると、なんともいえぬご馳走である。おまけに皮も別に利用すれば、なかなかしゃれた婦人用の手袋、紳士用の靴にもなる。まさに一石三鳥という結構な話。
そこで一年間養育する費用だが、いずれ貧乏人の子のことだから、衣料代を含めても、せいぜい年二シリングも見込めば十分のはず。それで売り出すときには、まず一人当たり十シリングには確実になるから、結局八シリングがところは丸儲けということになる。これをさえ実行すれば、救貧産業にもなれば、人口問題の解決にもなる。さらにはアイルランド経済の改善にもなる上に、国民の食生活もずいぶん豊富になる、いわば一石四鳥の勘定になる、等々、詳細は省略するが、次々と利点を数え上げて小冊子は終わるのである。
漱石もずいぶん驚いたらしい。『これを真面目とすれば純然たる狂人である』とまで評している。ところがこの小冊子、冗談どころではない。真面目も真面目。大真面目、しかもスウィフトは断じて狂人ではなかったのである。では、なぜこんな、ほとんど常識をすら疑わせるような、一見風狂の戯文わかいたのであろうか」ということを中野先生は書いておられます。
これはちゃんとしたパンフレットでございます。
聖パトリック教会の現役の首席司祭が「一歳の赤ん坊を食用にしたらうまくいくのじゃないか」と言うことを印刷して発行するのですから、並の人間ではない。ただこの中で変わったこと、奇行をご注意いただくのでなく、この人は物理、天文学、数学が大変得意なんです。「ガリヴァー旅行記」を読んでいただきますと、色々な計算とか天体の動きの図まで出てきます。子供の時から論理学とか数学が出来た人です。その当時イギリス政府がイギリスを攻撃するスウィフトのたくさんの論文を見て困ったのは、経済問題でもなんでも数字を挙げて叩くものですから間違いないのです。彼が赤ん坊を食べると言うような極端なことを言っても攻撃されないのは誰だって本気とは思っていないからです。この中で言っている子供の養育にいくらかかるかはきちんと調べて書いているのです。政府は何故こういうことをしないんだという影の意味があるわけです。そういうことをした人なんです。しかし最後には、彼が寄付して作ったダブリン郊外の精神病院で亡くなるなるわけです。中野好夫さんにしても分からないところが一杯あるわけです。特に女性関係ではどういう訳か分からないところが沢山あるのです。私達は彼の書いた物、残した文学とかを見ていけばいい訳でして、プライベートな詮索をすることは特別な研究家に任しておけばいいと思います。
ただ「ガリヴァー旅行記」は、旅行中も言いましたが、是非そういうスウィフトの立場を考えて、その当時イギリスがアイルランドに対して支配的で、非常に簡単に言うと虐めていた状態であったと言うことです。彼が聖パトリック教会の首席司祭としてアイルランドの人たちを助けてやりたいと言う気持ちから、イギリス政府を正面切って攻撃する論文に混じって書いたものが「ガリヴァー旅行記」だと考えて読んでいけばなるほどだとうなずけます。ただそのレベルだけでなく人間全体に対する風刺も十分に入って高いレベルの本になっていることは間違いないと思います。
再びハーンのスウィフト観について
次にスウィフトについてハーンが書いた文章を読んでみます。
「しかし文章の完全な飾り気のなさだけは感嘆に値する。アングロ・サクソンの素っ気なさと言ってもいい。普通の人がラテン語系の単語を持ってこないではいられないところにも単音節の言葉を使い、全体にいつでも威厳をたたえている。この単純さというのが曲者で、昔もこういう北欧人の見かけの単純さに騙されて、王侯、貴族の外交団がころっとやられてしまった。限りない力を意識しながら、しかもそれを静かに押さえていられる人並みはずれた能力、という以外には説明のしようがない。この文章は百年ほどの間イギリス文学全体に非常な影響を与え、それは今でも続いている。イギリス人は、古典あるいは近代ラテン語の持ってまわった表現に頼らなくても、英語は英語だけで十分立派な表現が可能だということをスウィフトによって教えられた。彼の偉大さは実にこの点にある。
利口な人の手にかかれば普通の英語ほど力強いものはない。人を攻撃する場合にも、普通の言葉だけで十分ではないか。必要なのはただ真実を述べるのに最も良い方法を探し出すだけだ。だから、スウィフトの散文を読むことは英語の勉強に非常に役立つ。スウィフトの時代の話題に関係のあるものがいやならば、他のエッセイや小説から、どれでも気に入りそうな、しかもためになりそうなものを選んで読むとよい。明快な散文、厳かな散文、やさしい散文というのなら、スウィフトの右に出るものは、今日でもないのではないかと思う」（『英文学史?』） ハーンはスウィフトのことを書いた中で、風刺の優れたことと同時に彼の英語の素晴らしさを何度も繰り返して誉めています。しかも自分は一番スウィフトから英語の素晴らしさを学んだと言っています。そして不思議なことにこれだけアイルランドの立場に立ってイギリス政府を攻撃したのが並大抵ではないことをハーンが知らなかったはずはないのに、そのことはどこを調べても書いてないのです。それが今度ハーンとスウィフトのことを調べてみて不思議に思ったことでした。ことによったら意識的に避けているのかなとも思いました。少なくともハーンの中には自分はアイリッシュだという意識は、大変希薄ではなかったのではないかと思います。例えば先ほど言いました今年出た『アイルランド文学小史』には、まず"初めに"の本文には「１８世紀合理主義、半植民地主義思想悲劇、ジョナサン・スウィフト」とあります。つまり実質的なアイルランド文学史はスウイフトから始まっております。ですから最初申しあげましたようにこの人の父親は元々イギリス系の人です。この中の"喜劇"と書いてある中にウィリアム・コングリーヴと言う人がおります。この人について、ハーンは東大の講義の中で「この頃の喜劇にろくなものはない。殆どあほばかりだ。あほな中でもちょっと気の利いたのがコングリーヴ」と色々悪口を言っています。そういうことをしゃべっているのですが本人はアイルランド出身の人です。ですが東大の講義の中でアイルランドの文学者の話をするとき、自分がアイルランド人であることを言ってないのです。ということは大変難しいのですが、特に自分がアイルランド人であることを意識する必要がなかったことは言えます。アイルランドは第一次大戦後の１９２２年に仮の独立が認められ、１９４８年に正式に独立しました。彼が五高に来たときの国籍は文部省の履歴書によりますと、アイルランドでなくはっきり"英国"とあり、父親は英国陸軍の軍医補となっております。恐らく彼の中にはイギリスとかアイルランドとか言う意識はなかったのかと思います。ただスウィフト比べますと、スウィフトがアイルランドのことに膨大なことをしているのに、そのことを一言もハーンが触れない。「彼の英語が素晴らしいとか文壇の大御所である」とかいうことを書いていることが、私は今回奇異に感じました。書いていないと言うことは、逆に言えば彼の幼少時代に非常に辛い思いをした事が、どこか自分でトラウマになって無意識のうちにアイルランド時代のことは自分で塞ごうとしていたのかも知れません。しかし彼の作品の中には妖精の話がありケルトの血が脈々と流れているのでしょう。
終 わ り に
非常に雑ぱくな話をしましたが、私達がアイルランドの正義とか国の成り立ちとかの話の中で、ジャガ芋飢饉の話が非常に大きくなって出てくるのは世の中の流れで、時代時代によって
色々なことが変わります。ところが今は、アイルランド共和国の独立性というものが非常に大きく言われているような気がします。そこで何でもかんでもアイルランド文学の中に引っ張り込んでいるような時代という気がします。私達はハーンを見るときに、作品を通して彼がどんなものを書き、どう言うことで文学という遺産を残してくれたかということを、私達は静かに読みとっていけばいいわけです。ですから現世の動きに余り惑わされないようにした方がいいのではないかと思います。
旅行から帰りまして１０冊くらい本を読みましたが、頭の中が益々混乱するばかりで纏まりませんでした。ですが、スウィフトは大変大物ですし、その上面白いし、女性のことも沢山書いています。彼は女性に恨みがあるのかないのか知りませんが、どんな美人ですべすべした肌でも拡大鏡でよく見ると見られたものではないとか、吹き出したくなるようなことを"小人国"とか"大人国"とかに書いております。後半は深刻になりますが、最初の一部、二部のとこは気楽に読んでもさすがだなと思います。是非機会があったら読んでいただきたいと思います。司馬遼太郎さんの"街道をゆく"も特に前半は大変うまいと思います。ローマカトリックとアイルランドカトリックは違うということを非常に明快に言っておられます。勉強になると思います、今日はどうもご静聴有り難うございました。
（文責：松村）
「アイルランド・人と暮らし」 ウィリアム・カリー （カトリック手取教会）
今日はお招き下さいまして本当にありがとうございました。私は鶴屋百貨店前の手取教会の主任司祭のウィリアム・カリーと申します。
高い所で話すのはあまり好きではないのでこの壇の下で話します。
この話を頼まれたときには、何を話そうかと色々考えましたが、なかなか分かりませんでした。それで今日は阿蘇ハイランドに行ってゴルフをしてきました。すごく嬉しいことには６番でイーグルがあったのです。パー５の所では、１５０ヤードの所からさっとホールに入りました。これが一番嬉しいことです。次に嬉しいことは、今晩皆さんとお話しすることです。
この話をどういう風にしたらいいか考えたすえ、元米国駐日大使ライシャワーさんが書いた『日本人』という本を何回も読みました。今日はそれに大体のヒントを受けて国民の気持ちであるとか、どんな人間であるかとか、何故そんなことをするのかとか色々背景にあることも含めて話せたらと思います。
まず、人々は環境に左右されると思いますます。環境は国民性に影響を与えることがライシャワーさんや他の人の本に書いてあります。
僕が３０数年前初めて日本に来たときは、サンフランシスコから横浜港に入りました。船に乗って来た日本の第一の印象は、山が多いと言うことです。アイルランドは平らなところが多く、山が少ないところです。山がないとその国に軍隊をもって侵略しようとすれば、例えばポーランドのような国は、東からも西からもすぐ入ってこれます。第二次大戦ではスイスに入ろうと思ったら大変だけども、そこがポーランドやフランスやオランダと違う所です。第二次大戦の最後の所で、アメリカの計画では日本のどこに上陸するか、南にするか千葉の方にするか、山があるので大変難しかったと聞いてます。
それから国の位置はどこにあるか、気候はどうか、天然資源はどうか、地理的にはどうなっているか。日本ではよく聞かれます「日本は小さな狭い国だ」と、ところが北西ヨーロッパの国も小さいのです。ＥＵの地図を見るとポーランド、スイス、ベルギーより広いのです。アイルランドは日本と同じように島国ですし島国根性もあります。
アイルランドもイギリスも同じ島国です。ただ一つ違うところは、日本から隣の中国や韓国まで船で大分かかります。アイルランドからだとイギリスやフランスやヨーロッパ大陸までは一日で行かれます。そして昔から交流もありましたので、島国といっても日本と違います。もしアイルランドが太平洋の彼方にあったなら、日本と同じような島国になったかも知れません。
それから面積と人口は北海道と同じくらいです。僕は１０何年か前、北海道に行った時は、国に帰ったような気がしました。道は少し狭いけれど車が少ないので猛スピードを出せます。もし北海道が独立したらどうなるか、経済的には大変な国になると思います。
僕が初めて日本に来るとき、ある友達の所に寄りました。そこには世界を船で回ったお爺さんがいて「カリーさん、あなたが今度行く日本は世の果てですね、世界の果てですね」と言われました。日本から見ると、アイルランドが世界の果てになるのではないかと思います。私も日本に来たとき、ここが地の果てかと思いました。
それから、もう一つ人が影響されるのは気候です。アイルランドは、ご存じのように温和な気候です。西側はメキシコ湾から暖流が流れて来ますのでフランス、イギリスのように太平洋に面しているヨーロッパの国々は、温和な気候です。もし暖流が流れていなければ、シベリアのようになったと思います。そして雨も多いので、一年中緑が見られ、特に芝生はいつも緑に覆われています。雨が降らない日に、人々は挨拶の中でいつも「今日はいいお天気ですね」と言葉を交わしています。
今日は阿蘇に行ってゴルフをしてきましたが、もしアイルランドだったら、この１０月はもっと雲が多く寒い雨が降り、ゴルフボールが芝生の水に入り、簡単には打ち出せません。ハローウィンから３月までは天気が悪く、北海道か樺太と同じかも知れません。
外が暗く、寒くなり雨が多く、夜が長くなると人々はパブに行きます。そこで飲んでしゃべったり、音楽を聴いたり歌ったりします。こんな事も気候の影響だと思います。アイルランドの西の方は特に雨が多いのですが、そこに有名なクロー・パトリックという巡礼の山があります。そこの人の話ではローカシュが見えないときには雨になり、見えると雨が降りそうになると言われるくらい雨が多いところです。
年中同じような気温なので、四季の変化はなく、あるのはただ雨が降るか降らないかという天気だけです。
次に農業に入ると、日本と違い主要作物は麦、小麦、カラス麦です。そこでヨーロッパのアイルランド、イギリスやドイツも同じかもしれませんが、食事の材料は伝統的に少ないのです。
もっとも南のイタリー、フランスのような南国に行くと太陽もあるし何でもあります。そこでホリデーやヴァケイションの時は必ず南フランスに行きます。お金があるときは、太陽と食事のあるイタリーに行きます。アイルランドではどこに行っても、イタリア人の経営しているイタリーレストラン、フランス人のフランスレストラン、中国人の中国レストトランがあります。どんな小さな町に行っても、中国レストランがあります。魚料理は日本が多いです。向こうでは、マスとかサケとかカレイとかありますが、日本は２００種類くらいあると思います。
それから食事と飲み物の話をしますと、ビールのギネスはよくご存じと思います。ウィスキーは命の水と言いますが、それが伝統的です。Irish Whiskeyには、Ｅがはいっていますが、Scotch Whiskyには、Ｅがはいっていません。100年前にウイスキーは、殆どアイリッシュでした。西部劇に出てくるウイスキーもアイリッシュウイスキーです。
それで商売上手なスコットランド人が、真似してウイスキーを作って売り出したのです。こういうウイスキーをどこで飲むかと言うと、パブで水割りにして飲みます。東京だと8000円のが2800円で買えるので、僕は島崎のキングコングで買います。ウイスキーは、伝統的な日本のお酒と同じと思います。
次に学校の話をしますと、向こうでは子供達の髪の毛の色が違うのです。お爺さん１人がグレイで、孫も子供もまた兄弟も全然違う事があります。茶色とか黒色とかブロンドとか、目の色もまた同じ家族の中でも変わります。血液型は大部分はＯ型です、多分バイキングが入っているせいかも知れません。目は半分以上が青色、髪の色は大部分が茶色、４パーセントがグレイ系赤色です。ご存じのモーリン・オハラがそうです。
それから名前でも分かります。ケルト族かバイキングか、ノルマン人か、又はイギリス人であるかとか。シャーロック・ホームズを書いたコナン・ドイルはアイルランドの名前です。アイルランド語では黒い外人です、それでバイキングの意味なのです。それから、ケネディーさんはケルト人、他にマック、とかパワーとか、名前が出るとどこの人かすぐ分かります。
日本に来て、内の人と外の人の区別がすごく強いと感じました。アイルランドにもありますけれども、そんなには強くありません。多分外国からたくさんの人々が入ってきたので、雑種だから強くないのだと思います。
もう一つ、階級のことについてイギリスと比べて話しますと、イギリスは階級制度をとても重んじている国です。どこの学校を出たかとか、労働者階級とか爵位とかがあります。
幸いアイルランドでは階級意識はありません、王様もいないし、大統領になろうと思えば誰でもなれます。それで、どんな偉い人と話すときでも頭を下げることはありません。
それからアイルランドに行きますと、道ばたのテントに暮らす人たちを見ることが出来るかも知れません。その人達は多分、100年か200年前、家から追い出され、あちこち回っています。それで社会問題になっています。人口で言うと２、３万人だと思います。これは人間の悪いところかも知れないし、またどこの国にもありますが、社会の中に低い人々がいないとどうしても安心出来ないせいかも知れません。
それから義務教育のことについてお話ししますと、６歳から１５歳までですが、僕がいたのは戦争中でしたが、小学校の時、言葉はアイルランド語ばっかりで、初めは全然理解できませんでした。少しずつ分かるようになりました。手洗いに行けば手をこうして差しだして何となく分かるのです。
この小学校の時には、古い昔話とか伝説とかを習います。僕が初めて日本に来た時、東京の六本木の日本語学校に行きました。そこで、桃太郎とか浦島太郎の話を聞いたとき「アイルランドにも同じようなオシーンの話があるよ」と思いました。
中学・高校は５年間です。中学校になると、中世期の修道院制度のこととか歴史を学びます。
歴史を教えるとき、隣の国に悪い感情を与えないようにするにはとても難しいと思います。例えば、宗教革命とか今にも繋がるアイルランドとイギリスの対立とか。
高校を出ると国家試験があって大学に入ります。進学率はヨーロッパの中でも非常に高いんです。その理由は、４人〜６人と子供が多く、１人しか相続人になれないので、残りの子供達は移民となって、ドイツとかオーストリアとかイギリスに仕事探しに行かなければなりません。それで外国に行っても何とかなる生活が出来るように教育にすごく力を入れてます。
普通のイメージでは、アイルランドはアイスランドと間違えられて寒い国だと思われています。
スポーツの世界では、伝統的にホッケーをします。ほかにフットボールやハンドボールやゴルフもします。それから馬術や競馬があります。神父でさえも競馬場に行き金を賭けます。そこで、熊本に来て聞きました「荒尾にある競馬場に行っていいんですか」「神父さんともあろう人がとんでもいない」と言われたので、国に帰って行きます。価値観がそういう面では違うんですね。
それから夜にするグレイハウンドもあります。
普通の人が馬を飼うのはお金が掛かって大変ですが、グレイハウンドなら誰でも手に入れて、自分で育てて試合に出します。とても面白いんです。
そのほか、結婚式とかお葬式とか、色々話したいことがあるのですが、今日は時間がありませんのでこの辺で止めます。
高い所で話すのはあまり好きではないのでこの壇の下で話します。
この話を頼まれたときには、何を話そうかと色々考えましたが、なかなか分かりませんでした。それで今日は阿蘇ハイランドに行ってゴルフをしてきました。すごく嬉しいことには６番でイーグルがあったのです。パー５の所では、１５０ヤードの所からさっとホールに入りました。これが一番嬉しいことです。次に嬉しいことは、今晩皆さんとお話しすることです。
この話をどういう風にしたらいいか考えたすえ、元米国駐日大使ライシャワーさんが書いた『日本人』という本を何回も読みました。今日はそれに大体のヒントを受けて国民の気持ちであるとか、どんな人間であるかとか、何故そんなことをするのかとか色々背景にあることも含めて話せたらと思います。
まず、人々は環境に左右されると思いますます。環境は国民性に影響を与えることがライシャワーさんや他の人の本に書いてあります。
僕が３０数年前初めて日本に来たときは、サンフランシスコから横浜港に入りました。船に乗って来た日本の第一の印象は、山が多いと言うことです。アイルランドは平らなところが多く、山が少ないところです。山がないとその国に軍隊をもって侵略しようとすれば、例えばポーランドのような国は、東からも西からもすぐ入ってこれます。第二次大戦ではスイスに入ろうと思ったら大変だけども、そこがポーランドやフランスやオランダと違う所です。第二次大戦の最後の所で、アメリカの計画では日本のどこに上陸するか、南にするか千葉の方にするか、山があるので大変難しかったと聞いてます。
それから国の位置はどこにあるか、気候はどうか、天然資源はどうか、地理的にはどうなっているか。日本ではよく聞かれます「日本は小さな狭い国だ」と、ところが北西ヨーロッパの国も小さいのです。ＥＵの地図を見るとポーランド、スイス、ベルギーより広いのです。アイルランドは日本と同じように島国ですし島国根性もあります。
アイルランドもイギリスも同じ島国です。ただ一つ違うところは、日本から隣の中国や韓国まで船で大分かかります。アイルランドからだとイギリスやフランスやヨーロッパ大陸までは一日で行かれます。そして昔から交流もありましたので、島国といっても日本と違います。もしアイルランドが太平洋の彼方にあったなら、日本と同じような島国になったかも知れません。
それから面積と人口は北海道と同じくらいです。僕は１０何年か前、北海道に行った時は、国に帰ったような気がしました。道は少し狭いけれど車が少ないので猛スピードを出せます。もし北海道が独立したらどうなるか、経済的には大変な国になると思います。
僕が初めて日本に来るとき、ある友達の所に寄りました。そこには世界を船で回ったお爺さんがいて「カリーさん、あなたが今度行く日本は世の果てですね、世界の果てですね」と言われました。日本から見ると、アイルランドが世界の果てになるのではないかと思います。私も日本に来たとき、ここが地の果てかと思いました。
それから、もう一つ人が影響されるのは気候です。アイルランドは、ご存じのように温和な気候です。西側はメキシコ湾から暖流が流れて来ますのでフランス、イギリスのように太平洋に面しているヨーロッパの国々は、温和な気候です。もし暖流が流れていなければ、シベリアのようになったと思います。そして雨も多いので、一年中緑が見られ、特に芝生はいつも緑に覆われています。雨が降らない日に、人々は挨拶の中でいつも「今日はいいお天気ですね」と言葉を交わしています。
今日は阿蘇に行ってゴルフをしてきましたが、もしアイルランドだったら、この１０月はもっと雲が多く寒い雨が降り、ゴルフボールが芝生の水に入り、簡単には打ち出せません。ハローウィンから３月までは天気が悪く、北海道か樺太と同じかも知れません。
外が暗く、寒くなり雨が多く、夜が長くなると人々はパブに行きます。そこで飲んでしゃべったり、音楽を聴いたり歌ったりします。こんな事も気候の影響だと思います。アイルランドの西の方は特に雨が多いのですが、そこに有名なクロー・パトリックという巡礼の山があります。そこの人の話ではローカシュが見えないときには雨になり、見えると雨が降りそうになると言われるくらい雨が多いところです。
年中同じような気温なので、四季の変化はなく、あるのはただ雨が降るか降らないかという天気だけです。
次に農業に入ると、日本と違い主要作物は麦、小麦、カラス麦です。そこでヨーロッパのアイルランド、イギリスやドイツも同じかもしれませんが、食事の材料は伝統的に少ないのです。
もっとも南のイタリー、フランスのような南国に行くと太陽もあるし何でもあります。そこでホリデーやヴァケイションの時は必ず南フランスに行きます。お金があるときは、太陽と食事のあるイタリーに行きます。アイルランドではどこに行っても、イタリア人の経営しているイタリーレストラン、フランス人のフランスレストラン、中国人の中国レストトランがあります。どんな小さな町に行っても、中国レストランがあります。魚料理は日本が多いです。向こうでは、マスとかサケとかカレイとかありますが、日本は２００種類くらいあると思います。
それから食事と飲み物の話をしますと、ビールのギネスはよくご存じと思います。ウィスキーは命の水と言いますが、それが伝統的です。Irish Whiskeyには、Ｅがはいっていますが、Scotch Whiskyには、Ｅがはいっていません。100年前にウイスキーは、殆どアイリッシュでした。西部劇に出てくるウイスキーもアイリッシュウイスキーです。
それで商売上手なスコットランド人が、真似してウイスキーを作って売り出したのです。こういうウイスキーをどこで飲むかと言うと、パブで水割りにして飲みます。東京だと8000円のが2800円で買えるので、僕は島崎のキングコングで買います。ウイスキーは、伝統的な日本のお酒と同じと思います。
次に学校の話をしますと、向こうでは子供達の髪の毛の色が違うのです。お爺さん１人がグレイで、孫も子供もまた兄弟も全然違う事があります。茶色とか黒色とかブロンドとか、目の色もまた同じ家族の中でも変わります。血液型は大部分はＯ型です、多分バイキングが入っているせいかも知れません。目は半分以上が青色、髪の色は大部分が茶色、４パーセントがグレイ系赤色です。ご存じのモーリン・オハラがそうです。
それから名前でも分かります。ケルト族かバイキングか、ノルマン人か、又はイギリス人であるかとか。シャーロック・ホームズを書いたコナン・ドイルはアイルランドの名前です。アイルランド語では黒い外人です、それでバイキングの意味なのです。それから、ケネディーさんはケルト人、他にマック、とかパワーとか、名前が出るとどこの人かすぐ分かります。
日本に来て、内の人と外の人の区別がすごく強いと感じました。アイルランドにもありますけれども、そんなには強くありません。多分外国からたくさんの人々が入ってきたので、雑種だから強くないのだと思います。
もう一つ、階級のことについてイギリスと比べて話しますと、イギリスは階級制度をとても重んじている国です。どこの学校を出たかとか、労働者階級とか爵位とかがあります。
幸いアイルランドでは階級意識はありません、王様もいないし、大統領になろうと思えば誰でもなれます。それで、どんな偉い人と話すときでも頭を下げることはありません。
それからアイルランドに行きますと、道ばたのテントに暮らす人たちを見ることが出来るかも知れません。その人達は多分、100年か200年前、家から追い出され、あちこち回っています。それで社会問題になっています。人口で言うと２、３万人だと思います。これは人間の悪いところかも知れないし、またどこの国にもありますが、社会の中に低い人々がいないとどうしても安心出来ないせいかも知れません。
それから義務教育のことについてお話ししますと、６歳から１５歳までですが、僕がいたのは戦争中でしたが、小学校の時、言葉はアイルランド語ばっかりで、初めは全然理解できませんでした。少しずつ分かるようになりました。手洗いに行けば手をこうして差しだして何となく分かるのです。
この小学校の時には、古い昔話とか伝説とかを習います。僕が初めて日本に来た時、東京の六本木の日本語学校に行きました。そこで、桃太郎とか浦島太郎の話を聞いたとき「アイルランドにも同じようなオシーンの話があるよ」と思いました。
中学・高校は５年間です。中学校になると、中世期の修道院制度のこととか歴史を学びます。
歴史を教えるとき、隣の国に悪い感情を与えないようにするにはとても難しいと思います。例えば、宗教革命とか今にも繋がるアイルランドとイギリスの対立とか。
高校を出ると国家試験があって大学に入ります。進学率はヨーロッパの中でも非常に高いんです。その理由は、４人〜６人と子供が多く、１人しか相続人になれないので、残りの子供達は移民となって、ドイツとかオーストリアとかイギリスに仕事探しに行かなければなりません。それで外国に行っても何とかなる生活が出来るように教育にすごく力を入れてます。
普通のイメージでは、アイルランドはアイスランドと間違えられて寒い国だと思われています。
スポーツの世界では、伝統的にホッケーをします。ほかにフットボールやハンドボールやゴルフもします。それから馬術や競馬があります。神父でさえも競馬場に行き金を賭けます。そこで、熊本に来て聞きました「荒尾にある競馬場に行っていいんですか」「神父さんともあろう人がとんでもいない」と言われたので、国に帰って行きます。価値観がそういう面では違うんですね。
それから夜にするグレイハウンドもあります。
普通の人が馬を飼うのはお金が掛かって大変ですが、グレイハウンドなら誰でも手に入れて、自分で育てて試合に出します。とても面白いんです。
そのほか、結婚式とかお葬式とか、色々話したいことがあるのですが、今日は時間がありませんのでこの辺で止めます。
「イェーツと私」 大田 稔
本日ここでイェーツについて話す機会をいただき、たいへん光栄に思います。つい日ジョイスの『ユリシーズ』の改訳が出たばかりで、これでまたアイルランド文学への関心が静かに広がるのではないかと期待しています。
長い間、多くの人を前に話すことがなかったので、果たしてうまくいくのか心許ないのですが、脱線を覚悟でいこうと考えています。
＊
今日のテーマは《イェーツとわたし》ということになっています。
ぼくはイェーツについて話すようにとお手紙をいただいたとき、とっさにどう思ったかそれをまず
話すべきだと考えます。ぼくはイェーツについていろいろ話したい、その想いはたくさんあるのです。たしかに３０年近くイェーツを忘れずに読んできたからには、意味がありそうだしそれだけの魅力があったからでしょう。だから皆さんの前でも充分話せるはずだと思ったのです。
ところが、やりますと返事をしてから数日たって、イェーツがぼくにどのように関わり合ってきたのか振り返ってみて愕然としました。第一に、ぼくはイェーツの個人的な生涯をつぶさに調べたことはないし、大きな関心を持ったこともないのです。ぼくがイェーツについて知っていることはただただ彼の作品だけに、読むことだけに関わりがあったにすぎないのです。そして好き嫌いでいうと、イェーツは嫌いではないにしても取りつきにくい詩人です。ぼくが好きなのはイェーツ以降の詩人たちであり、アフリカセネガルのサンゴールという詩人であり、ビートのアレン・ギンズバーグであり、そしてなによりも現在の詩人たちなのです。
ついでに日本の詩人たちはといいますと、かって荒地派といわれた人たち、鮎川信夫、田村隆一は大変好きですし、吉本隆明の初期作品、石原吉朗、岩田宏、女のかたでは茨城のり子さん、石川逸子さんは大好きです。要するに５０年代から６０年代に多くの作品を書いた詩人は好きなほうに入ります。
イェーツとの出会い
こういうふうに切りだすと後をつづけるのが大変むずかしいのですが、我慢していただきたいと思います。ぼくはアイルランド文学ということでなく、英語圏の現代詩の始まりにイェーツがいることをまず多くの方に確認して欲しいのです。それは避けては通れない関門です。
英語圏の現代詩は、T.S.ELIOTから始まっていると考えているかたがたが非常に多いのです。まだ１８歳だったぼくもそのように考えていました。じっさいのところ、T.S.ELIOTに関する研究書はいつでもどこにでもあります。深い感銘を受けた鮎川信夫たちが荒地派とよばれ、それはエリオットのTHE WASTE LANDからきていることもわかっていました。
1963年の夏、学生初めての夏期休暇は、T.S.
ELIOTのTHE WASTE LANDを訳そうと意気込んでいました。その３１行目はドイツ語ですが
さわやかな風は
ふるさとへ吹く
わがアイルの娘よ
おまえはどこにいるのか
と読みました。ごく単純に、アイルの娘とはいったい何だろうと思いました。すこし後でトリスタンとイゾルデではなかろうかと思ったのですがはっきりしませんでした。ぼくにはアイルランドの知識は全くありません。どうしてもそこが気になるので、たったそれだけのために東京の丸善に出かけ、アイルランドの書物を探すことにしました。結局アイルランドそのものに関する本はなかったのですが、コーナーの隅に薄いペーパーバックのアイルランドの詩人イェーツの選集があり、このアイルランドの詩人イェーツに惹かれて買ったのが、つまりぼくとイェーツの関わりの始まりでした。マクミランのポケットブックで当時３００円となっています。
上野から常磐線で帰るなか、ページをめくっていたのですが THE WILD SWANS AT COOLEの第１行に惹かれて一気に読みました。笑い話のようですが、そのころぼくはautamnやmeadowという単語の響きが大好きだったのです。
The trees are in their autumn beauty
いいと思いませんか・・・
この詩の最後のほうで
いつか目のさめたとき
白鳥は飛び去ってしまった と わかるだ ろうか
と読んだとき、なにかぼくは不思議な感情にひたっていました。というより、ぼくは将来このように思うことがあるのではないか、漠然とした感情をいだいたのです。
《The WILD SWANS AT COOLE》の次に《Ｉ AM IRELAND》を読んだのはむろんのことです。エリオットのアイルの娘のことかと早とちりしたからですが・・・そう考えてもいいのですが。 イェーツの詩は難しく、エリオットのほうがずっとわかりやすかった。ぼくは『THE WASTE LAND』とイェーツのいくつかの試訳をノートに書き留め、９月京都に帰り親しい友人たちと嬉しい再会でた。ノートは友人たちに回覧され、いやになるほどの批評を受けることになりました。ぼくらはそのとき、イェーツとはいわないでイーツといっていたのでした。つまり、イェーツが本当ですが、誰一人それを知りませんでした。いってみればそのくらいイェーツはぼくらにとって無名だったのです。イェーツと知ったのはしばらくしてからのことです。
"侘介"という喫茶店でぼくらはいつも文学談義をしていました。文学だけではないのですが、ぼくらの"侘介"での様々な論議のなかに現代文学があったということです。そうこうしているうちに古本屋さんでイェーツ選詩集というのを見つけみんなで読みましたが、それは驚きというのか、いやその時はあきれたのです。その訳の古色蒼然とした内容に。これでは誰にも読まれるはずがないと思いました。われわれは明治の頃の耽美的な詩をはるかに越えたところにいるのです。ぼくらはそれは間違った訳だと信じましたし、かりに現代的に読み直してみても、そのような詩は我々の心を打つことはできないと結論づけたのです。漢詩を解説文で読んでいるようなものです。いま思えば先駆的な作業として文献的価値はあると思うのですが・・・・
ぼくらのイェーツはここでおしまいでしたが、ごく親しい友人の一人がもう少し訳してみたら、それに《EASTER 1916》はロシア革命の１年前のことだからと言ってくれました。
学生の頃
話が横道にそれますが、ぼくは大学に入ると何のためらいもなく学生運動に中に入っていきました。それは高校１年のときの安保闘争への深い憤りがあったからです。社会主義学生同盟、略して社学同といいます。社学同の最も急進的な関西社学同の活動拠点にいたことになります。非常に感動的な日々を過ごしましたし、大学で何を学ぶべきかわかったような気がしました。その思いは今でも否定することはできません。ぼくは理想を学んだと信じています。
むさぼるようにトロッキーを読み、ローザ・ルクセンブルグを読み、そして大量の海外の小説を、詩を読みあさりました。ぼくの大学の初年度を決定的にしたのはたぶん、大島渚の『日本の夜と霧』、エイゼンシュタインの『戦艦ポチョムキン』、アラン・レネの『去年マリエンバードで』だと思います。いずれも映画ですが、この３つの映画のもたらす効果はぼくの思考に深く刻み込まれたようです。
そうしたなかでアイルランドについて勉強したかというと、ほとんど勉強していません。確かにイェーツに関心は持っていたが、だからといってアイルランドについて知りえたものはごくわずかです。ジョイスは高校生の頃、『若き芸術家の肖像』をうんざりする気持ちで読み、嫌になっていました。いや、もう一つ『ダブリン市民』というのがあったと思います。アイルランド文学として読んだ記憶はありません。また関心を持ったイェーツについても投げ出したことはあったのです。それはイェーツの『ヴィジョン』の部分訳を読んだときのばかばかしさ、もう一つ、『ヴィザンチウムに船出して』を訳し終わったときです。ヴィザンチウムを理解するには、１９歳のぼくにはとうてい無理だったということになるのでしょう。
３０年代 表現・スペイン内乱
２回生のころキャパの作品に感動し、スペイン内乱を盛んに読みあっさていました。この内乱のなかで強くうたれたのは国際義勇軍の存在、および数多くの文学者が兵士となって参加していたことでした。ぼくは熱病にかかったようにマルローを読み、詩人たちの作品を探したのです。そうしているうちにペンギンブックから『３０年代の詩』というのを見つけました。嬉しかったですね、この本に出会えたのは。
当時鉛筆で印をした作品を眺めてみると、数多い詩人たちのなかで５人くらいにその印がついていることに気づきました。AUDEN、SPENDER、DAY LEWIS、CORNFORD、MACNEICEです。いま、この詩人たちの作品を読み返してどうかといいますと、やはり新鮮な感動を受けます。そして現代詩の大きな流れを決定的に形づくったのだと思います。それは、使われる言葉がごく日常に話される言葉で、しかも誰にでもわかる世界を創り出しているということにつきるのではないでしょうか。そしてこれら日常に使われる言葉は、社会的な作品であれそうでない作品であれ、これまでの詩的な風景を一新していました。
象徴的に書かれた作品でも、非常に鮮明なイメージを、例えていえば、透明なガラスのような感じ、打ち出されるイメージがはっきりと指し示されて明瞭な世界を提示しています。この代表的な作品は、エリュアールの『自由』、西脇順三郎の『旅人帰らず』であろうと思います。
現代詩の風景は、コルビジェやバウハウスの美学、もしくは表現思想にも当てはまると思うのです。真の意味での現代が始まった、そういっても差し支えないとぼくは考えています。
オーデンの『イェーツを偲ぶ』で《そうだった、イェーツはこの年1939年の１月になくなったのだ、忘れていた》と痛切に思い出しました。スペインの最後の戦いは３月31日でした。すでに国際義勇軍は解散していたし、コンフォードはマドリードで戦死していました。また、アイルランド人で戦闘の経験のある部隊がどうなったのかわかりません。そして、この部隊が1916年のダブリン蜂起の経験者であるのかどうか、それもわかりません。ぜひ知りたいものです。
イェーツの後継者、神話の時代の３０年代の詩人たちも今は相当な高齢者になり、あるいは他界したり、時は過酷です。惜しいことに、イェーツの後継者たちは恩師であるイェーツを越えることができなかった。最晩年にいたるまで、激烈な作品を残した詩人は、この中にいません。
アイルランドの現代史
ぼくはようやくイェーツの現実に立ち返ることになりました。たぶん、ロシア革命や、スペイン内戦を読みあさる経験がなければダブリンの1916年はそれほどまでにぼくの関心を呼ばなかったのかも知れません。イェーツ５１歳のときです。
EASTER 1916がアイルランドの革命なのか、蜂起なのかその区別は大切だと思います。ぼくは卒業した年、なんとかダブリンに留学できないものかと思い、タイプ用紙で１０枚ほどの論文を打ったことがあります。現在その原稿は失われてしまったのですが、表題は『早すぎた未熟な革命』というものでした。アイルランドの歴史にうといぼくは大それた、それこそ未熟な論文を書いたものだと今では反省しています。
ぼくは、その中で１９１６年は革命ではなく、都市部の一部の指導者による孤立した蜂起であると規定していました。国民の多数の支持を得る理念、組織、かつ独自の武器調達能力を持ち、確固たる経済指針がなければ革命とは言えない。最低これだけの要素は必要だと考えるからです。これらの要素が欠けているがために、ロシア革命に１年先立つ事件だったのですが、ペトログラードの蜂起に始まるロシア革命には何の影響も与えていません。
現代アイルランドの歴史過程は、幾世紀にもわたる歴史をむろん引きずっているわけですが、もしアイルランドが北アイルランド問題を歴史的願望に沿った解決を望むなら、北アイルランドの住民がイギリスから離脱してもいいだけの魅力を持つ国家になる必要があるのではないかとぼくは考えるのです。アイルランドの基本構造である農業の高収益化、最先端工業製品の開拓、宗教からの解放が必要ではないかと思います。しかし、これは別の面ではアイルランド固有の文化を失う危険性も持っていますから、道は険しいといわざるを得ないようです。
現実感覚・想像力
イェーツは『責任』でかなり現実の社会に足を踏み入れたのですが、それが決定的になるのはやはりEASTER 1916です。なんといっても自分の身のまわりの人々が死亡したり処刑されるといった過酷な事態に直面したことは、現実感覚を失わない限り、その後の人生を一変させるだけの力を与えます.
イェーツはこの後、静かな生活と過酷な現実に立ち向かう二つの方向に向かったとぼくは考えます。そして静かな生活を求めるイェーツは、自分の希望が現実のアンチテーゼであることをよく知っていたし、決定的な瞬間に敵を倒す気力がないことも知っていたと思うのです。
象徴派といいますか、ごくおおざっぱにいってロマン派の芸術家は国民性を強調しすぎると非常に危険な状態に陥ることがあります。国家主義、ファシズムに流れやすい。古代文化にあこがれを持つものも同様です。民族、理想国家、統一された文化形態、これらの概念は非常に危険な傾向を持ち合わせています。イェーツの場合もそれが皆無であったとは思われない節があります。だがイェーツは無事に乗り越えた。彼の内省を絶えず重ねる思考がそうさせたと考えられます。
イェーツはノヴァーリス流のロマン主義に片足を入れ、そして得体の知れない２０世紀の激流にもう片足をつっこんでいた・・・どうもそれが彼の姿であるように思えます。じつは、この分裂気味の姿を正直に表しているところがイェーツの魅力であるし、共感を覚えるところでもあるのです。とくに『螺旋階段、その他の詩1933年』は興味つきません。ここには『クール公園 1929年』、『クール公園とバリリー 1931年』という作品があります。『THE WILD SWANS AT COOLE』から１５年ばかり経過していますが、この３つの作品を読みくらべてみれば、イェーツの生き様の変遷がわかるのではないか、そのように思います。《われらは最後のロマン派》と言い切ったイェーツには悲壮感すら読みとれます。まさしくイェーツは最後のロマン派の詩人だったのです。片足を現代に踏み入れ、もがき苦しむ詩人であったのです。この後に『VACILLATION』が続きます。ぼくは、この作品に奇妙な感情を持ちます。ようやく、というかついに５０歳を過ぎたぼくが感じる悲しみなのかも知れませんし、あるいはイェーツに初めて夢中になった『THE WILD SWANS AT COOLE』を今の出来事のように感じるからかもしれません。
現実に立ち向かうイェーツは、ますます日常語による表現の度合いを深めています。とりわけ CRAZY JANEに始まる一連の作品は、たぶん今日にいたるも、高齢に達した詩人が書き表すとは思われない内容になっています。軽く受け止めることもできれば、深読みすることもできるでしょう。
ここには、難解な詩といわれるイェーツとは全く別のイェーツがいるような錯覚をしてもおかしくありませんし、なかには現代ポルノ詩といえそうな作品もあります。まもなく７０歳になろうとするイェーツはどうしてこのような作品を書き表すことができたのか、大変興味があります。そして好きな詩もたくさんあるのです。おそらく日本語に移してしまうと《精神》、《霊》、《瞑想》といった言葉になるものが極端に少ないせいかも知れません。ついでにいいますと『霧や雪のように狂い』、『かって踊り明かした日々』、『わたしはアイルの娘』が大好きです。
翻訳の問題
イエーツについては、今世紀最大の英語圏の詩人、難解で深遠な詩人、現代詩に決定的な影響を与えた詩人、さまざまに言われています。そのどれもが間違っているわけではない。けれども私たちはそのような評価に惑わされる必要はないのです。ある人にとっては大詩人であろうし、またある人にとっては全くつまらない詩人、さらにある人にとっては単なる研究対象にすぎない詩人なのかも知れないのです。
ただ、イェーツは日本語訳の優れた訳者に恵まれなかった、ということは言えそうです。たとえば上田敏や堀口大学がフランスの詩人に対して果たしたような訳者には・・・イェーツにとって、ケルトの薄明の詩人、孤高の詩人と紹介されたのは最大の不幸であるとぼくは考えています。この観点に立てば、どの訳もぼくには満足できませんし、京都大学の大浦教授の業績ですら色褪せてしまうと考えています。それならぼくの場合はどうかといいますと、やはり難しいです。アレン・ギンズバーグを読むようにはいかないというのが本音です。たぶん、語学力の問題以前にもっと日常の感覚にゆとりがないとだめなんだろうと反省しています。
昔も今もぼくはいつもせっぱつまったところに自分を追い込まなければ、何もできないというところがあります。２０代から今にいたるなかで精神的な成長が止まっているのではないかと思うのです。精神的な危機に陥るとぼくは必ずと言っていいほど結構たくさんの本を読みます。かっては横光利一の『旅愁』から始まっていたのですが、今はどうもポウル・ニザンの『アデンアラビア』から始まるみたいです。それからいくつかの書物ないし詩集を読み、最後はイェーツの試訳に落ち着きます。イェーツはたやすい気持ちで読める詩人ではありませんが、しかしぼくの感情を鍛える糧にはなっているようです。
終わりに
文芸時評めいたものを拾い読みすると、現在アイルランドは文学、芸術活動の最も盛んなときに入ったとあります。そうだとすると、イェーツたちがアベイ座を創立し、アイルランド芸術を確立しようと懸命になっていたころに多少状況は似ているかも知れません。ですがその全貌は、あるいは片鱗もなかなかぼくにはわかりません。今でもときおり求めるペンギンでしか知ることができないのです。ただ文学芸術活動が隆盛を極めるということは、その国が興隆期に当たるといってもいいのだと思います。どんな時代にも、興隆期にある社会の文化は一斉に花咲くのです。希望と怒りが直截に表現できるから。
そんななか、ヒーニーがノーベル文学賞を授賞しました。私たちにとっては喜ばしい授賞でではありますが、しかしぼくはどれだけヒーニーを読み知っていたか、となると絶望的になります。２年か３年前に買い求めた選集しかありません。
ヒーニーの選集ですが、その中でも知っているのはごくわずかな作品、正直に言うとたった一つしかないのです。『サハリンのチェーホフ』がそうです。この作品は、ぼくが水俣にきて、初めて目にしたイェーツ以降のアイルランドの作品でもあるのです。たぶん『STATION ISLAND』におさめられる前のことだと思います。どのような手段でこの詩を手にしたのか今ではわかりませんが、そのころぼくは水俣に住んだのは間違いではないのかといくぶん懐疑的になっていたのです。『サハリンのチェーホフ』がその疑念をすっかり取り除いたとは思いませんが、少なくともこれでいいのだというきっかけは作ったような気はするのです。
ぼくが今現在最も関心を寄せているアイルランドの詩人は、EAVAN BOLANDという方です。歳はたぶんぼくと同じ女の方です。なんとかこの人の詩集を手に入れようと奮闘しているしだいです。ボーランドの全体像はとてもわかりません。ですが、一つの例として『地図作製の限界』、あるいは『地図の限界』の試訳を読んでいただきたいと思います。すべてこのような作品であるのかどうかわかりませんが、アイルランドの詩人がいまどのように自分の国を見ようとしているのか、その手がかりになります。歴史の掘り起こしというのはこのようなところから始まるのかも知れません。過去は未来を先取りしているかも知れないではないですか。
長い間、多くの人を前に話すことがなかったので、果たしてうまくいくのか心許ないのですが、脱線を覚悟でいこうと考えています。
＊
今日のテーマは《イェーツとわたし》ということになっています。
ぼくはイェーツについて話すようにとお手紙をいただいたとき、とっさにどう思ったかそれをまず
話すべきだと考えます。ぼくはイェーツについていろいろ話したい、その想いはたくさんあるのです。たしかに３０年近くイェーツを忘れずに読んできたからには、意味がありそうだしそれだけの魅力があったからでしょう。だから皆さんの前でも充分話せるはずだと思ったのです。
ところが、やりますと返事をしてから数日たって、イェーツがぼくにどのように関わり合ってきたのか振り返ってみて愕然としました。第一に、ぼくはイェーツの個人的な生涯をつぶさに調べたことはないし、大きな関心を持ったこともないのです。ぼくがイェーツについて知っていることはただただ彼の作品だけに、読むことだけに関わりがあったにすぎないのです。そして好き嫌いでいうと、イェーツは嫌いではないにしても取りつきにくい詩人です。ぼくが好きなのはイェーツ以降の詩人たちであり、アフリカセネガルのサンゴールという詩人であり、ビートのアレン・ギンズバーグであり、そしてなによりも現在の詩人たちなのです。
ついでに日本の詩人たちはといいますと、かって荒地派といわれた人たち、鮎川信夫、田村隆一は大変好きですし、吉本隆明の初期作品、石原吉朗、岩田宏、女のかたでは茨城のり子さん、石川逸子さんは大好きです。要するに５０年代から６０年代に多くの作品を書いた詩人は好きなほうに入ります。
イェーツとの出会い
こういうふうに切りだすと後をつづけるのが大変むずかしいのですが、我慢していただきたいと思います。ぼくはアイルランド文学ということでなく、英語圏の現代詩の始まりにイェーツがいることをまず多くの方に確認して欲しいのです。それは避けては通れない関門です。
英語圏の現代詩は、T.S.ELIOTから始まっていると考えているかたがたが非常に多いのです。まだ１８歳だったぼくもそのように考えていました。じっさいのところ、T.S.ELIOTに関する研究書はいつでもどこにでもあります。深い感銘を受けた鮎川信夫たちが荒地派とよばれ、それはエリオットのTHE WASTE LANDからきていることもわかっていました。
1963年の夏、学生初めての夏期休暇は、T.S.
ELIOTのTHE WASTE LANDを訳そうと意気込んでいました。その３１行目はドイツ語ですが
さわやかな風は
ふるさとへ吹く
わがアイルの娘よ
おまえはどこにいるのか
と読みました。ごく単純に、アイルの娘とはいったい何だろうと思いました。すこし後でトリスタンとイゾルデではなかろうかと思ったのですがはっきりしませんでした。ぼくにはアイルランドの知識は全くありません。どうしてもそこが気になるので、たったそれだけのために東京の丸善に出かけ、アイルランドの書物を探すことにしました。結局アイルランドそのものに関する本はなかったのですが、コーナーの隅に薄いペーパーバックのアイルランドの詩人イェーツの選集があり、このアイルランドの詩人イェーツに惹かれて買ったのが、つまりぼくとイェーツの関わりの始まりでした。マクミランのポケットブックで当時３００円となっています。
上野から常磐線で帰るなか、ページをめくっていたのですが THE WILD SWANS AT COOLEの第１行に惹かれて一気に読みました。笑い話のようですが、そのころぼくはautamnやmeadowという単語の響きが大好きだったのです。
The trees are in their autumn beauty
いいと思いませんか・・・
この詩の最後のほうで
いつか目のさめたとき
白鳥は飛び去ってしまった と わかるだ ろうか
と読んだとき、なにかぼくは不思議な感情にひたっていました。というより、ぼくは将来このように思うことがあるのではないか、漠然とした感情をいだいたのです。
《The WILD SWANS AT COOLE》の次に《Ｉ AM IRELAND》を読んだのはむろんのことです。エリオットのアイルの娘のことかと早とちりしたからですが・・・そう考えてもいいのですが。 イェーツの詩は難しく、エリオットのほうがずっとわかりやすかった。ぼくは『THE WASTE LAND』とイェーツのいくつかの試訳をノートに書き留め、９月京都に帰り親しい友人たちと嬉しい再会でた。ノートは友人たちに回覧され、いやになるほどの批評を受けることになりました。ぼくらはそのとき、イェーツとはいわないでイーツといっていたのでした。つまり、イェーツが本当ですが、誰一人それを知りませんでした。いってみればそのくらいイェーツはぼくらにとって無名だったのです。イェーツと知ったのはしばらくしてからのことです。
"侘介"という喫茶店でぼくらはいつも文学談義をしていました。文学だけではないのですが、ぼくらの"侘介"での様々な論議のなかに現代文学があったということです。そうこうしているうちに古本屋さんでイェーツ選詩集というのを見つけみんなで読みましたが、それは驚きというのか、いやその時はあきれたのです。その訳の古色蒼然とした内容に。これでは誰にも読まれるはずがないと思いました。われわれは明治の頃の耽美的な詩をはるかに越えたところにいるのです。ぼくらはそれは間違った訳だと信じましたし、かりに現代的に読み直してみても、そのような詩は我々の心を打つことはできないと結論づけたのです。漢詩を解説文で読んでいるようなものです。いま思えば先駆的な作業として文献的価値はあると思うのですが・・・・
ぼくらのイェーツはここでおしまいでしたが、ごく親しい友人の一人がもう少し訳してみたら、それに《EASTER 1916》はロシア革命の１年前のことだからと言ってくれました。
学生の頃
話が横道にそれますが、ぼくは大学に入ると何のためらいもなく学生運動に中に入っていきました。それは高校１年のときの安保闘争への深い憤りがあったからです。社会主義学生同盟、略して社学同といいます。社学同の最も急進的な関西社学同の活動拠点にいたことになります。非常に感動的な日々を過ごしましたし、大学で何を学ぶべきかわかったような気がしました。その思いは今でも否定することはできません。ぼくは理想を学んだと信じています。
むさぼるようにトロッキーを読み、ローザ・ルクセンブルグを読み、そして大量の海外の小説を、詩を読みあさりました。ぼくの大学の初年度を決定的にしたのはたぶん、大島渚の『日本の夜と霧』、エイゼンシュタインの『戦艦ポチョムキン』、アラン・レネの『去年マリエンバードで』だと思います。いずれも映画ですが、この３つの映画のもたらす効果はぼくの思考に深く刻み込まれたようです。
そうしたなかでアイルランドについて勉強したかというと、ほとんど勉強していません。確かにイェーツに関心は持っていたが、だからといってアイルランドについて知りえたものはごくわずかです。ジョイスは高校生の頃、『若き芸術家の肖像』をうんざりする気持ちで読み、嫌になっていました。いや、もう一つ『ダブリン市民』というのがあったと思います。アイルランド文学として読んだ記憶はありません。また関心を持ったイェーツについても投げ出したことはあったのです。それはイェーツの『ヴィジョン』の部分訳を読んだときのばかばかしさ、もう一つ、『ヴィザンチウムに船出して』を訳し終わったときです。ヴィザンチウムを理解するには、１９歳のぼくにはとうてい無理だったということになるのでしょう。
３０年代 表現・スペイン内乱
２回生のころキャパの作品に感動し、スペイン内乱を盛んに読みあっさていました。この内乱のなかで強くうたれたのは国際義勇軍の存在、および数多くの文学者が兵士となって参加していたことでした。ぼくは熱病にかかったようにマルローを読み、詩人たちの作品を探したのです。そうしているうちにペンギンブックから『３０年代の詩』というのを見つけました。嬉しかったですね、この本に出会えたのは。
当時鉛筆で印をした作品を眺めてみると、数多い詩人たちのなかで５人くらいにその印がついていることに気づきました。AUDEN、SPENDER、DAY LEWIS、CORNFORD、MACNEICEです。いま、この詩人たちの作品を読み返してどうかといいますと、やはり新鮮な感動を受けます。そして現代詩の大きな流れを決定的に形づくったのだと思います。それは、使われる言葉がごく日常に話される言葉で、しかも誰にでもわかる世界を創り出しているということにつきるのではないでしょうか。そしてこれら日常に使われる言葉は、社会的な作品であれそうでない作品であれ、これまでの詩的な風景を一新していました。
象徴的に書かれた作品でも、非常に鮮明なイメージを、例えていえば、透明なガラスのような感じ、打ち出されるイメージがはっきりと指し示されて明瞭な世界を提示しています。この代表的な作品は、エリュアールの『自由』、西脇順三郎の『旅人帰らず』であろうと思います。
現代詩の風景は、コルビジェやバウハウスの美学、もしくは表現思想にも当てはまると思うのです。真の意味での現代が始まった、そういっても差し支えないとぼくは考えています。
オーデンの『イェーツを偲ぶ』で《そうだった、イェーツはこの年1939年の１月になくなったのだ、忘れていた》と痛切に思い出しました。スペインの最後の戦いは３月31日でした。すでに国際義勇軍は解散していたし、コンフォードはマドリードで戦死していました。また、アイルランド人で戦闘の経験のある部隊がどうなったのかわかりません。そして、この部隊が1916年のダブリン蜂起の経験者であるのかどうか、それもわかりません。ぜひ知りたいものです。
イェーツの後継者、神話の時代の３０年代の詩人たちも今は相当な高齢者になり、あるいは他界したり、時は過酷です。惜しいことに、イェーツの後継者たちは恩師であるイェーツを越えることができなかった。最晩年にいたるまで、激烈な作品を残した詩人は、この中にいません。
アイルランドの現代史
ぼくはようやくイェーツの現実に立ち返ることになりました。たぶん、ロシア革命や、スペイン内戦を読みあさる経験がなければダブリンの1916年はそれほどまでにぼくの関心を呼ばなかったのかも知れません。イェーツ５１歳のときです。
EASTER 1916がアイルランドの革命なのか、蜂起なのかその区別は大切だと思います。ぼくは卒業した年、なんとかダブリンに留学できないものかと思い、タイプ用紙で１０枚ほどの論文を打ったことがあります。現在その原稿は失われてしまったのですが、表題は『早すぎた未熟な革命』というものでした。アイルランドの歴史にうといぼくは大それた、それこそ未熟な論文を書いたものだと今では反省しています。
ぼくは、その中で１９１６年は革命ではなく、都市部の一部の指導者による孤立した蜂起であると規定していました。国民の多数の支持を得る理念、組織、かつ独自の武器調達能力を持ち、確固たる経済指針がなければ革命とは言えない。最低これだけの要素は必要だと考えるからです。これらの要素が欠けているがために、ロシア革命に１年先立つ事件だったのですが、ペトログラードの蜂起に始まるロシア革命には何の影響も与えていません。
現代アイルランドの歴史過程は、幾世紀にもわたる歴史をむろん引きずっているわけですが、もしアイルランドが北アイルランド問題を歴史的願望に沿った解決を望むなら、北アイルランドの住民がイギリスから離脱してもいいだけの魅力を持つ国家になる必要があるのではないかとぼくは考えるのです。アイルランドの基本構造である農業の高収益化、最先端工業製品の開拓、宗教からの解放が必要ではないかと思います。しかし、これは別の面ではアイルランド固有の文化を失う危険性も持っていますから、道は険しいといわざるを得ないようです。
現実感覚・想像力
イェーツは『責任』でかなり現実の社会に足を踏み入れたのですが、それが決定的になるのはやはりEASTER 1916です。なんといっても自分の身のまわりの人々が死亡したり処刑されるといった過酷な事態に直面したことは、現実感覚を失わない限り、その後の人生を一変させるだけの力を与えます.
イェーツはこの後、静かな生活と過酷な現実に立ち向かう二つの方向に向かったとぼくは考えます。そして静かな生活を求めるイェーツは、自分の希望が現実のアンチテーゼであることをよく知っていたし、決定的な瞬間に敵を倒す気力がないことも知っていたと思うのです。
象徴派といいますか、ごくおおざっぱにいってロマン派の芸術家は国民性を強調しすぎると非常に危険な状態に陥ることがあります。国家主義、ファシズムに流れやすい。古代文化にあこがれを持つものも同様です。民族、理想国家、統一された文化形態、これらの概念は非常に危険な傾向を持ち合わせています。イェーツの場合もそれが皆無であったとは思われない節があります。だがイェーツは無事に乗り越えた。彼の内省を絶えず重ねる思考がそうさせたと考えられます。
イェーツはノヴァーリス流のロマン主義に片足を入れ、そして得体の知れない２０世紀の激流にもう片足をつっこんでいた・・・どうもそれが彼の姿であるように思えます。じつは、この分裂気味の姿を正直に表しているところがイェーツの魅力であるし、共感を覚えるところでもあるのです。とくに『螺旋階段、その他の詩1933年』は興味つきません。ここには『クール公園 1929年』、『クール公園とバリリー 1931年』という作品があります。『THE WILD SWANS AT COOLE』から１５年ばかり経過していますが、この３つの作品を読みくらべてみれば、イェーツの生き様の変遷がわかるのではないか、そのように思います。《われらは最後のロマン派》と言い切ったイェーツには悲壮感すら読みとれます。まさしくイェーツは最後のロマン派の詩人だったのです。片足を現代に踏み入れ、もがき苦しむ詩人であったのです。この後に『VACILLATION』が続きます。ぼくは、この作品に奇妙な感情を持ちます。ようやく、というかついに５０歳を過ぎたぼくが感じる悲しみなのかも知れませんし、あるいはイェーツに初めて夢中になった『THE WILD SWANS AT COOLE』を今の出来事のように感じるからかもしれません。
現実に立ち向かうイェーツは、ますます日常語による表現の度合いを深めています。とりわけ CRAZY JANEに始まる一連の作品は、たぶん今日にいたるも、高齢に達した詩人が書き表すとは思われない内容になっています。軽く受け止めることもできれば、深読みすることもできるでしょう。
ここには、難解な詩といわれるイェーツとは全く別のイェーツがいるような錯覚をしてもおかしくありませんし、なかには現代ポルノ詩といえそうな作品もあります。まもなく７０歳になろうとするイェーツはどうしてこのような作品を書き表すことができたのか、大変興味があります。そして好きな詩もたくさんあるのです。おそらく日本語に移してしまうと《精神》、《霊》、《瞑想》といった言葉になるものが極端に少ないせいかも知れません。ついでにいいますと『霧や雪のように狂い』、『かって踊り明かした日々』、『わたしはアイルの娘』が大好きです。
翻訳の問題
イエーツについては、今世紀最大の英語圏の詩人、難解で深遠な詩人、現代詩に決定的な影響を与えた詩人、さまざまに言われています。そのどれもが間違っているわけではない。けれども私たちはそのような評価に惑わされる必要はないのです。ある人にとっては大詩人であろうし、またある人にとっては全くつまらない詩人、さらにある人にとっては単なる研究対象にすぎない詩人なのかも知れないのです。
ただ、イェーツは日本語訳の優れた訳者に恵まれなかった、ということは言えそうです。たとえば上田敏や堀口大学がフランスの詩人に対して果たしたような訳者には・・・イェーツにとって、ケルトの薄明の詩人、孤高の詩人と紹介されたのは最大の不幸であるとぼくは考えています。この観点に立てば、どの訳もぼくには満足できませんし、京都大学の大浦教授の業績ですら色褪せてしまうと考えています。それならぼくの場合はどうかといいますと、やはり難しいです。アレン・ギンズバーグを読むようにはいかないというのが本音です。たぶん、語学力の問題以前にもっと日常の感覚にゆとりがないとだめなんだろうと反省しています。
昔も今もぼくはいつもせっぱつまったところに自分を追い込まなければ、何もできないというところがあります。２０代から今にいたるなかで精神的な成長が止まっているのではないかと思うのです。精神的な危機に陥るとぼくは必ずと言っていいほど結構たくさんの本を読みます。かっては横光利一の『旅愁』から始まっていたのですが、今はどうもポウル・ニザンの『アデンアラビア』から始まるみたいです。それからいくつかの書物ないし詩集を読み、最後はイェーツの試訳に落ち着きます。イェーツはたやすい気持ちで読める詩人ではありませんが、しかしぼくの感情を鍛える糧にはなっているようです。
終わりに
文芸時評めいたものを拾い読みすると、現在アイルランドは文学、芸術活動の最も盛んなときに入ったとあります。そうだとすると、イェーツたちがアベイ座を創立し、アイルランド芸術を確立しようと懸命になっていたころに多少状況は似ているかも知れません。ですがその全貌は、あるいは片鱗もなかなかぼくにはわかりません。今でもときおり求めるペンギンでしか知ることができないのです。ただ文学芸術活動が隆盛を極めるということは、その国が興隆期に当たるといってもいいのだと思います。どんな時代にも、興隆期にある社会の文化は一斉に花咲くのです。希望と怒りが直截に表現できるから。
そんななか、ヒーニーがノーベル文学賞を授賞しました。私たちにとっては喜ばしい授賞でではありますが、しかしぼくはどれだけヒーニーを読み知っていたか、となると絶望的になります。２年か３年前に買い求めた選集しかありません。
ヒーニーの選集ですが、その中でも知っているのはごくわずかな作品、正直に言うとたった一つしかないのです。『サハリンのチェーホフ』がそうです。この作品は、ぼくが水俣にきて、初めて目にしたイェーツ以降のアイルランドの作品でもあるのです。たぶん『STATION ISLAND』におさめられる前のことだと思います。どのような手段でこの詩を手にしたのか今ではわかりませんが、そのころぼくは水俣に住んだのは間違いではないのかといくぶん懐疑的になっていたのです。『サハリンのチェーホフ』がその疑念をすっかり取り除いたとは思いませんが、少なくともこれでいいのだというきっかけは作ったような気はするのです。
ぼくが今現在最も関心を寄せているアイルランドの詩人は、EAVAN BOLANDという方です。歳はたぶんぼくと同じ女の方です。なんとかこの人の詩集を手に入れようと奮闘しているしだいです。ボーランドの全体像はとてもわかりません。ですが、一つの例として『地図作製の限界』、あるいは『地図の限界』の試訳を読んでいただきたいと思います。すべてこのような作品であるのかどうかわかりませんが、アイルランドの詩人がいまどのように自分の国を見ようとしているのか、その手がかりになります。歴史の掘り起こしというのはこのようなところから始まるのかも知れません。過去は未来を先取りしているかも知れないではないですか。
「古代ケルト文化との出会い」 武内一忠 熊本先史岩石文化研究会代表）
私が熊本日愛協会を知ったのは、鶴岡真弓先生のケルト文化の講演会がきっかけであった。私は昭和63年に、阿蘇の南小国にある押戸石山の巨石群に、紀元前2000年のペトログリフ（古代岩刻文字）が刻まれているというＮＨＫの報道番組を見て以来、日本に存在する古代の巨石文化及びペトログリフを追いかけるというライフワーク的研究に没頭することとなった。そのペトログリフトとは、古代オリエントのその西域である地中海を中心としたシナイ文字、フェニキア文字で,BC.2000からBC.1000年頃にかけて世界へ広がり始めた、シュメール系海洋民族がもたらした古拙文字であった。また、その巨石群の配列が、古代の方程式である夏至の線上に築かれていることもわかった。私には、その太陽の線がその後、熊本の各地にペトログリフを発見する大きなきっかけとなっていった。
平成２年に、熊本市河内町野出の拝み石山巨石群にあるペトログリフを発見し、しかもそれらの巨石には、強烈な磁気の異常を有することを確認することとなった。このことはアメリカの古代岩石芸術学会（ＡＲＡＲＡ）で取り上げられ、翌３年６月にネバダ州リノで開かれた同学会に招聘され事例発表の機会を得た。また、ここ拝み石山巨石群は、実は昭和４年に熊中教諭新藤旦平先生らの山歩きによって発見されていて、その確認を、当時日本考古学会会長である鳥居龍蔵博士によってなされていた。それは、昭和５年３月２４日付けの九州日報に「有史以前の巨石文明であるので、大事に保管してください」との論文記事で、河内支所に残されていた。そして、そこに私が発見したペトログリフは海洋系ケルト民族の持つオーガム文字と、かれらがシンボルとするトーテム神のマークなどであった。そのことは、ハーバード大学碑文研究所長故バリーフェル博士が提唱していた『シュメール人と共に海を渡ったケルト人』と符号があった。ただ、大西洋とインド洋の違いはあるが。以来、私の研究はシュメール系海洋民族の足取りと、クレタ島を発した海洋系ケルト民族の文化の研究へと向かうこととなった。しかも、ケルトと日本との比較文化へ大きな関心を生むことともなった。
カナダのバンクーバーに住むケルト青年クリス・マッカイ君と知り合うきっかけも、やはりこれら熊本の巨石が縁であった。たまたま、能楽の勉強で来熊していた彼を、友人より紹介され、彼を南小国の押戸石山へ案内する機会があった。そこは草原のマウンドに並ぶストーンサークルで、彼にはさしずめ、ソールズベリー平原やアイルランドのニューグランドのドルメンにでも帰ったような思いがあったのだろう。私に、ここでケルトの祭りやってみたい、と申し出てきた。５月も終わろうかとする頃であった。 ケルトの祭りには、４つの祭りがある。一つには１１月１日のサーウェン（ハロウィンとして今では子供たちに人気がある祭）、２月１日はインボルグで聖ブリギッド、泉の女神を祭る祭と、５月１日のベル神を祭るバルテッナ祭、そして７月３１日日没から８月１日の日の出に行われるルナサという夏越しの祭である。クリス君と私は、地元の方々や熊本青年会議所のメンバーの方々の協力を得ながら、ケルトの祭ルナサ祭をストーンサークルを持つこの押戸石山で行うこととなった。
ルナサの主神は太陽神ルーで、ルーに対して初穂を捧げ、野豚とコーンパン、赤ワインの供物を上げ、実りを願う。満月に刈り取った、ケルトの神木である樫の木に、太陽の火を移して焚き火を焚き、祭壇石に東西南北を切ったマンダラを中心にサークルを描き、塩と水を盛り、香をたいて神との対話の詩を歌う。祭祀が済み、夜のとばりがあたりを覆い尽くす頃、神に挙げられた供物が皆に分け与えられる。そして、火渡りや力相撲の腕自慢が繰り広げられ、賑やかな祭となる。
この南小国の山奥の村に熊野座神社の夜神楽があるが、その祭も、ルナサと同じように祭の前に、村人が３度の神社回りをする。ケルトの祭は必ず、３度のストーンサークル回りをする習慣がある。そして、この熊野座神社の神楽も７月２９日とルナサと同じ時期に行っている。
今は、アイルランドで、数千年の歴史の中に違った文化であるはずのケルトの祭に古い日本の道教的習慣を垣間見ることが出来る。太陽神ルーの子、ダブリンの勇者クー・ホリンの伝説も、勇者の綱をしっかりと腰に締めて、勇ましく死んでいった弁慶の仁王立ちを彷彿とし、円形の土俵に東西南北を切り、水と塩を撒いて土俵を清め、戦いの終わりに手刀を切る日本の相撲にケルトの精神を見ることが出来るのではないだろうか。
平成２年に、熊本市河内町野出の拝み石山巨石群にあるペトログリフを発見し、しかもそれらの巨石には、強烈な磁気の異常を有することを確認することとなった。このことはアメリカの古代岩石芸術学会（ＡＲＡＲＡ）で取り上げられ、翌３年６月にネバダ州リノで開かれた同学会に招聘され事例発表の機会を得た。また、ここ拝み石山巨石群は、実は昭和４年に熊中教諭新藤旦平先生らの山歩きによって発見されていて、その確認を、当時日本考古学会会長である鳥居龍蔵博士によってなされていた。それは、昭和５年３月２４日付けの九州日報に「有史以前の巨石文明であるので、大事に保管してください」との論文記事で、河内支所に残されていた。そして、そこに私が発見したペトログリフは海洋系ケルト民族の持つオーガム文字と、かれらがシンボルとするトーテム神のマークなどであった。そのことは、ハーバード大学碑文研究所長故バリーフェル博士が提唱していた『シュメール人と共に海を渡ったケルト人』と符号があった。ただ、大西洋とインド洋の違いはあるが。以来、私の研究はシュメール系海洋民族の足取りと、クレタ島を発した海洋系ケルト民族の文化の研究へと向かうこととなった。しかも、ケルトと日本との比較文化へ大きな関心を生むことともなった。
カナダのバンクーバーに住むケルト青年クリス・マッカイ君と知り合うきっかけも、やはりこれら熊本の巨石が縁であった。たまたま、能楽の勉強で来熊していた彼を、友人より紹介され、彼を南小国の押戸石山へ案内する機会があった。そこは草原のマウンドに並ぶストーンサークルで、彼にはさしずめ、ソールズベリー平原やアイルランドのニューグランドのドルメンにでも帰ったような思いがあったのだろう。私に、ここでケルトの祭りやってみたい、と申し出てきた。５月も終わろうかとする頃であった。 ケルトの祭りには、４つの祭りがある。一つには１１月１日のサーウェン（ハロウィンとして今では子供たちに人気がある祭）、２月１日はインボルグで聖ブリギッド、泉の女神を祭る祭と、５月１日のベル神を祭るバルテッナ祭、そして７月３１日日没から８月１日の日の出に行われるルナサという夏越しの祭である。クリス君と私は、地元の方々や熊本青年会議所のメンバーの方々の協力を得ながら、ケルトの祭ルナサ祭をストーンサークルを持つこの押戸石山で行うこととなった。
ルナサの主神は太陽神ルーで、ルーに対して初穂を捧げ、野豚とコーンパン、赤ワインの供物を上げ、実りを願う。満月に刈り取った、ケルトの神木である樫の木に、太陽の火を移して焚き火を焚き、祭壇石に東西南北を切ったマンダラを中心にサークルを描き、塩と水を盛り、香をたいて神との対話の詩を歌う。祭祀が済み、夜のとばりがあたりを覆い尽くす頃、神に挙げられた供物が皆に分け与えられる。そして、火渡りや力相撲の腕自慢が繰り広げられ、賑やかな祭となる。
この南小国の山奥の村に熊野座神社の夜神楽があるが、その祭も、ルナサと同じように祭の前に、村人が３度の神社回りをする。ケルトの祭は必ず、３度のストーンサークル回りをする習慣がある。そして、この熊野座神社の神楽も７月２９日とルナサと同じ時期に行っている。
今は、アイルランドで、数千年の歴史の中に違った文化であるはずのケルトの祭に古い日本の道教的習慣を垣間見ることが出来る。太陽神ルーの子、ダブリンの勇者クー・ホリンの伝説も、勇者の綱をしっかりと腰に締めて、勇ましく死んでいった弁慶の仁王立ちを彷彿とし、円形の土俵に東西南北を切り、水と塩を撒いて土俵を清め、戦いの終わりに手刀を切る日本の相撲にケルトの精神を見ることが出来るのではないだろうか。
「かんぎゅう と じゅうとう」 後藤昭郎
私が中学生（昭和１５〜１９年）の頃、英語の教師に高名なＫ先生がおられた。ものすごい熱血漢で、機嫌がよく興が乗れば、その熱弁はとどまるところを知らず、はじめの英文はどこへやら、その和訳はとめどなく脱線した。私たちはそれを面白がって、決して話題を本筋に引き戻すような野暮なことはしなかった。その時間の予定進度の２ページが半ページですめば、その日の勉強もそれだけ少なくてすむからである。というのも、そのＫ先生は次の時間、必ず授業冒頭「誰それは質問にこなかった。それ程分かっているならこちらから質問する。」といって、ぎゅうぎゅういう目に会わされる。あげく「廊下に坐っとれ！」「あとで職員室に来い！」ということになる。質問に行かなかったことで職員室に坐るはめになったのは、後にも先にもＫ先生に英語を教わったときだけであった。
そんなＫ先生のご機嫌なある日の授業で、表題の「かんぎゅうじゅうとう（あとで辞書を調べたら汗牛充棟とあった）」の話があった。どんな英文の訳語としてこの話が出たかは記憶にないが、まさかこの語に当てはまる英語があるとも思えないので、また例によって脱線した和訳が、さらに脱線する中で飛び出した熟語であったにちがいない。何でも「車に積んで牛が引けば汗をかき、家の中に積み上げれば軒までとどく」ほどの大量の本ということらしい。聞いている中学坊主は何のことか分からずきょとんとしているし、Ｋ先生はそれこそ汗をかきかき、ひとり悦に入って熱弁をふるっておられた。それからしばらくは「そーれ かんぎゅうじゅうとう わー暑かー！」とか、口さがない悪童連のざれことばになってしまった。
それ以来５０年、この言葉を使うことはもちろん、ついぞ思い出すこともなかった。
ところが1992年9月、ひょんなことから参加することになった「ハーン・漱石の比較文学の旅」４日目、アイルランド・ダブリンのトリニティカレッジの図書館を訪問した際、まさに、突然に「汗牛充棟」の熟語を思い出すと同時に、「これがまさしくそうだ！」ということを現実のものとして納得させられたのである。パンフレットによれば、トリニティ大学は1592年（ちょうど400年前）、エリザベス女王によって設立を認可されたという由緒ある大学である。その図書館！ ロングルームと呼ばれるその図書館は、65ﾒｰﾄﾙの長さにわたって２〜３階吹き抜けの書架、それにどれもぎっしりと革表紙の大部の本が詰まっていた。中身のほどは知る由もなかったが、おそらくアイルランドが誇るケルト文化の粋を集積したものであろう。ため息と共に期せずして、遠い昔のＫ先生の「汗牛充棟」を実感として口に出していた。正直なところ、私は今まで、これほどの書籍を一堂に積み上げることは想像することだにできなかった。恐るべきことだ。今までアイルランドという国について、余りに知ることの少なかった私を痛切に愧じた。
どの国にもその国固有の伝統や文化があり、そして国民はそれを誇りとする。私はこの図書館を見て、アイルランドという国に畏敬の念すら覚えたのであった。
そんなＫ先生のご機嫌なある日の授業で、表題の「かんぎゅうじゅうとう（あとで辞書を調べたら汗牛充棟とあった）」の話があった。どんな英文の訳語としてこの話が出たかは記憶にないが、まさかこの語に当てはまる英語があるとも思えないので、また例によって脱線した和訳が、さらに脱線する中で飛び出した熟語であったにちがいない。何でも「車に積んで牛が引けば汗をかき、家の中に積み上げれば軒までとどく」ほどの大量の本ということらしい。聞いている中学坊主は何のことか分からずきょとんとしているし、Ｋ先生はそれこそ汗をかきかき、ひとり悦に入って熱弁をふるっておられた。それからしばらくは「そーれ かんぎゅうじゅうとう わー暑かー！」とか、口さがない悪童連のざれことばになってしまった。
それ以来５０年、この言葉を使うことはもちろん、ついぞ思い出すこともなかった。
ところが1992年9月、ひょんなことから参加することになった「ハーン・漱石の比較文学の旅」４日目、アイルランド・ダブリンのトリニティカレッジの図書館を訪問した際、まさに、突然に「汗牛充棟」の熟語を思い出すと同時に、「これがまさしくそうだ！」ということを現実のものとして納得させられたのである。パンフレットによれば、トリニティ大学は1592年（ちょうど400年前）、エリザベス女王によって設立を認可されたという由緒ある大学である。その図書館！ ロングルームと呼ばれるその図書館は、65ﾒｰﾄﾙの長さにわたって２〜３階吹き抜けの書架、それにどれもぎっしりと革表紙の大部の本が詰まっていた。中身のほどは知る由もなかったが、おそらくアイルランドが誇るケルト文化の粋を集積したものであろう。ため息と共に期せずして、遠い昔のＫ先生の「汗牛充棟」を実感として口に出していた。正直なところ、私は今まで、これほどの書籍を一堂に積み上げることは想像することだにできなかった。恐るべきことだ。今までアイルランドという国について、余りに知ることの少なかった私を痛切に愧じた。
どの国にもその国固有の伝統や文化があり、そして国民はそれを誇りとする。私はこの図書館を見て、アイルランドという国に畏敬の念すら覚えたのであった。
「ハーンと漱石」 樋口欣一
私は昨年アイルランドではダブリンに一泊しただけであったが、真っ先に総務庁にシャーキー前駐日大使を訪ねて久闊を叙した。私の手土産は香梅の「ヘルンさんのため息」であった。このあと市内のハーンの旧居を二カ所見学したが、幼少時に一時期を過ごしたというだけで、その後のハーンに結びつくような痕跡はなかった。一方、漱石との関わりでは聖パトリック大寺院とアイルランド国立美術館で、スウィフトとショーのそれに出会った。前者は墓碑銘であり、後者は立像のスタチューである。この両者の風刺は漱石の作品の随所に影響を与えているといわれている。目下イギリスの狂牛病のことが大きな問題となっているが、スウィフトは「つつましやかな一提案」でアイルランドは子供の肉をイギリスに輸出すれば、人口問題と国の財政にとって一石二鳥になると主張したことがある。
トリニティー・カレッジで見た「ケルズの書」ではハーンのケルト伝承を思い、その文様では漱石の挿絵や装幀に見られるビアズリー風の装飾美を連想した。
漱石は官命で英語学の勉強のためイギリスへ留学したが、当初エジンバラ大学も考えたが、英語の訛があるスコットランド行きは諦めた。一方ロンドンで師事したクレイグ先生もアイルランドの出身で、その言葉にも困ったらしい。漱石は帰国前にスコットランドのハイランド地方に旅したが、アイルランドにも行っていたら、どう作風に影響を与えていただろうか。ダブリンを歩いていて、ロンドンとはひと味もふた味も違う、親しみやすい風土と雰囲気が感じられ、次回の再訪を期したいと思わないではいられない土地柄を肌で味わった。
シャーキー氏との話の中で、熊本日愛協会が近く参りますよというと、氏は「オシーン神話」を語り、その時はハーンゆかりのトレイモアやキラニーまで足をのばすよう勧められたが、妖精探しの私の興味が急にきらめき始めた。
さて最近長尾剛氏の「漱石の小泉八雲嫌い」
（『新潮45』４月号）という文章に接して、このタイトルは稍々センセイショナルすぎるなと思った。熊本にゆかりの深い、敬愛されてやまない両者にあって、少しでもあっては欲しくない間柄だと思うからである。漱石がハーンの後を襲うようにして、五高・東大に奉職したことは、皮肉な巡り合わせとしかいいようはなく、「漱石の思い出」で鏡子夫人は、「自分のような駆け出しの書生上がりのものが、その後がまにすわったところで、とうてい立派な講義ができるものでもない」と漱石がいったと語っているので、「嫌い」というキャプションはいかにもエキセントリックである。
実は冒頭のイギリス、アイルランドの旅で同行した早稲田大学の池田雅之教授は、「ラフカディオ・ハーン著作集」の翻訳編集に当たられ、特に東大での講義「文学の解釈」?、? 他を訳出しておられるので、ハーンの教授は学問ではないとする長尾氏の文章は、牽強付会の暴論であるといわれている。
私は大谷正信他がよくもあれだけの講義録を記録していたものだと,自分自身の学生時代のノートを見返して、感に堪えない思いでいたのに、同氏は「八雲の残した『悪しき遺産』とまで言いたい放題で驚くばかりである。後に日本の詩壇をリードしたのは薄田泣董や蒲原有明などロセッティーを摂取した詩人たちで、ハーンのロセッティー講義がいかに当時の若い芸術家たちに感化を与えたことかを考えると、思い半ばにすぎるものがある。 先の池田先生は「八雲と漱石の文学観」で二人の境涯と作品の類似性にふれ、異文化受容の態度を帰属と分離として括り、相会うことのなかった両巨人に、歴史という共時性のある接点において強烈な出合い方をしているといわれている。目下丸善ライブラリーに「ハーンの日本 漱石のイギリス」（仮題）を執筆中といわれれるの
トリニティー・カレッジで見た「ケルズの書」ではハーンのケルト伝承を思い、その文様では漱石の挿絵や装幀に見られるビアズリー風の装飾美を連想した。
漱石は官命で英語学の勉強のためイギリスへ留学したが、当初エジンバラ大学も考えたが、英語の訛があるスコットランド行きは諦めた。一方ロンドンで師事したクレイグ先生もアイルランドの出身で、その言葉にも困ったらしい。漱石は帰国前にスコットランドのハイランド地方に旅したが、アイルランドにも行っていたら、どう作風に影響を与えていただろうか。ダブリンを歩いていて、ロンドンとはひと味もふた味も違う、親しみやすい風土と雰囲気が感じられ、次回の再訪を期したいと思わないではいられない土地柄を肌で味わった。
シャーキー氏との話の中で、熊本日愛協会が近く参りますよというと、氏は「オシーン神話」を語り、その時はハーンゆかりのトレイモアやキラニーまで足をのばすよう勧められたが、妖精探しの私の興味が急にきらめき始めた。
さて最近長尾剛氏の「漱石の小泉八雲嫌い」
（『新潮45』４月号）という文章に接して、このタイトルは稍々センセイショナルすぎるなと思った。熊本にゆかりの深い、敬愛されてやまない両者にあって、少しでもあっては欲しくない間柄だと思うからである。漱石がハーンの後を襲うようにして、五高・東大に奉職したことは、皮肉な巡り合わせとしかいいようはなく、「漱石の思い出」で鏡子夫人は、「自分のような駆け出しの書生上がりのものが、その後がまにすわったところで、とうてい立派な講義ができるものでもない」と漱石がいったと語っているので、「嫌い」というキャプションはいかにもエキセントリックである。
実は冒頭のイギリス、アイルランドの旅で同行した早稲田大学の池田雅之教授は、「ラフカディオ・ハーン著作集」の翻訳編集に当たられ、特に東大での講義「文学の解釈」?、? 他を訳出しておられるので、ハーンの教授は学問ではないとする長尾氏の文章は、牽強付会の暴論であるといわれている。
私は大谷正信他がよくもあれだけの講義録を記録していたものだと,自分自身の学生時代のノートを見返して、感に堪えない思いでいたのに、同氏は「八雲の残した『悪しき遺産』とまで言いたい放題で驚くばかりである。後に日本の詩壇をリードしたのは薄田泣董や蒲原有明などロセッティーを摂取した詩人たちで、ハーンのロセッティー講義がいかに当時の若い芸術家たちに感化を与えたことかを考えると、思い半ばにすぎるものがある。 先の池田先生は「八雲と漱石の文学観」で二人の境涯と作品の類似性にふれ、異文化受容の態度を帰属と分離として括り、相会うことのなかった両巨人に、歴史という共時性のある接点において強烈な出合い方をしているといわれている。目下丸善ライブラリーに「ハーンの日本 漱石のイギリス」（仮題）を執筆中といわれれるの
「清和文楽」観劇会の記 久野啓介（副会長）
山里にはまだ桜の花が残る４月１４日、熊本日愛協会の中島会長以下１５人の会員が、４台の車に分乗して、上益城郡清和村の文楽館を訪ねました。熊本市内からおよそ一時間半、あいにく細雨模様の天気でしたが、車窓に今年の名残の桜を眺めながらのドライブは風情がありました。
清和文楽は江戸時代から同村に伝わる素人芝居ですが、４年前に熊本アートポリス事業の一つとして専用劇場が造られてから、一躍有名になりました。建築家石井和紘氏の設計による劇場と資料館、物産館は日本古来の木造建築技法を駆使した見事なもので、なかなか見ごたえがあります。
私が初めてここを訪れ、事務局長の兼瀬さんに会ったのは一昨年のことでした。文楽による村おこしにかけた兼瀬さんの熱意に打たれ、この清和文楽に私たちのアイルランドとの文化交流に一役買ってもらえないか、という思いを抱いたのです。
『アイルランド田舎物語』の訳者、高橋豊子さんのお話にもありましたように、アイルランドはまさに物語の国です。熊本日愛協会のアイルランド親善訪問に、この文楽公演をセットして、日愛両国の民衆による「物語文化交流」が実現すれば・・・。そんな夢を描いたのでした。 その後、中島会長とともに兼瀬さんや甲斐村長にも会って話をしました。文楽館運営の都合や事業費の問題など克服すべき難題がいくつも横たわっていて、夢の実現にはまだまだ時間がかかりそうですが、その前に私たちの方でも清和文楽をきちんと鑑賞しようではないか、という会長の発案で、この日の文楽鑑賞となったのでした。
この日の演し物は『娘道成寺』から『日高川入相花王（いりあいざくら）』渡しの場の段でした。安珍を追ってきた清姫が、船頭に渡しを断られ、恋の炎を燃え上がらせて大蛇に変身し、川を泳ぎわたる場面です。私たちが失った世界がそこにありました。めくるめくような純粋で激しい情念の世界を、私も清姫とともにしばし彷徨いました。
そして舞台が終わり、人形使いたちがベールを脱ぐと、それはあの迫真の演技が信じられないような、土の匂いのするお百姓さんたちなのでした。日本の民衆の文化はすごいと思いました。国際交流のもう一つの意味は、それを通してより深く自国の文化を知ることであるかもしれない、と思ったことでした。（久野啓介）
清和文楽は江戸時代から同村に伝わる素人芝居ですが、４年前に熊本アートポリス事業の一つとして専用劇場が造られてから、一躍有名になりました。建築家石井和紘氏の設計による劇場と資料館、物産館は日本古来の木造建築技法を駆使した見事なもので、なかなか見ごたえがあります。
私が初めてここを訪れ、事務局長の兼瀬さんに会ったのは一昨年のことでした。文楽による村おこしにかけた兼瀬さんの熱意に打たれ、この清和文楽に私たちのアイルランドとの文化交流に一役買ってもらえないか、という思いを抱いたのです。
『アイルランド田舎物語』の訳者、高橋豊子さんのお話にもありましたように、アイルランドはまさに物語の国です。熊本日愛協会のアイルランド親善訪問に、この文楽公演をセットして、日愛両国の民衆による「物語文化交流」が実現すれば・・・。そんな夢を描いたのでした。 その後、中島会長とともに兼瀬さんや甲斐村長にも会って話をしました。文楽館運営の都合や事業費の問題など克服すべき難題がいくつも横たわっていて、夢の実現にはまだまだ時間がかかりそうですが、その前に私たちの方でも清和文楽をきちんと鑑賞しようではないか、という会長の発案で、この日の文楽鑑賞となったのでした。
この日の演し物は『娘道成寺』から『日高川入相花王（いりあいざくら）』渡しの場の段でした。安珍を追ってきた清姫が、船頭に渡しを断られ、恋の炎を燃え上がらせて大蛇に変身し、川を泳ぎわたる場面です。私たちが失った世界がそこにありました。めくるめくような純粋で激しい情念の世界を、私も清姫とともにしばし彷徨いました。
そして舞台が終わり、人形使いたちがベールを脱ぐと、それはあの迫真の演技が信じられないような、土の匂いのするお百姓さんたちなのでした。日本の民衆の文化はすごいと思いました。国際交流のもう一つの意味は、それを通してより深く自国の文化を知ることであるかもしれない、と思ったことでした。（久野啓介）
「ハーンが描いた浦島屋の女主人・山下 芳のこと」 菊岡倶也（日本文芸家協会会員）
１本の電話からはじまった浦島屋の復元
熊本の建築家上田憲二郎氏から突然の電話をいただいたのは、７年ほど前のことであった。 「私は現在三角西港の街づくりと建築群の整備に携わっているが、最近知人から浦島屋の写真が掲載されているあなたが書いた記事を教えられた。当時の図面などをお持ちでないだろうか」というお話であった、後になって上田憲二郎氏のお名前は、私が携わった日本建築士会連合会の「建築士誕生４０周年」の記念誌編集の作業のなかで、三角西港の整備と結びつけて知ることになるが、この時はじめて伺うお名前であった。
そのとき上田憲二郎氏が言われた「あなたが書いた記事」とは、私が「建設業界」（日本土木工業協会の機関誌）の１９８８年７月号に書いた「三角築港・明治築港の夢を追う」という文章を指していた。そのなかで私は祖父母（母方）が明治時代に三角で浦島屋という西洋風旅館を経営していたことを記し、わが家に一枚だけ残る浦島屋の外観の一部についての写真を載せたのである。
その時は「残念ながら図面はありません」と答えたが、掲載された浦島屋の写真を送ってほしいというご依頼で四つ切りに引き伸ばしたものをお送りした。その後、氏は一枚の外観写真によって設計することを決められたらしい（ちなみに私は氏とは文通のみで一度もお会いしていない）。以降、いくつものお役所仕事との交渉ごとに当惑されているらしい経過の知らせや図面を送っていただき、少しずつだが実現に近づいているようであった。
さらに何年かして、竣工した写真を送っていただき、浦島屋らしい建物が休憩所という名目で三角西港に姿を現したことを知った。当時熊本県の建築課長であった知人の磯田桂史氏からも竣工式の新聞の切り抜きを送っていただき、またどこで私の存在を知ったのか地元新聞の取材を東京で受けたりもした。
浦島屋が復元され話題を集めたのは、この旅館に文豪ラフカディオ・ハーンが休憩し、そこから得た文学的イマジネーションを「夏の日の夢」という短編に残したからだろう。そのなかにハーンが会った旅館の女主人についての描写があるが、彼女が私の祖母山下 芳なのである。
江戸生まれの山下 芳（よし）
以下、ハーンと「会った」浦島屋の女主人山下芳と浦島屋経営の事情について書かせていただこう。「夏の日の夢」は浦島屋という旅館の屋号と、応対した女主人から得た印象から生まれたものと思われるので、山下 芳について孫の私が記すことも意味がないわけではないだろう。「その宿屋は私にとっては極楽、そこの女中たちは天人のやうに思われた」と文豪は書き、「彼女はたいそう若かった。そして『国貞の蛾の女、蝶のように』眺めることは非常に愉快であった。そして私は直ちに死のことを思った。美は時とすると予想の悲哀となることが
あるからである」（田部隆次訳）と女主人の印象を綴った。表現にハーンの文学的誇張があるとしてもその時期に浦島屋の女主人であったのは祖母山下 芳である。
「夏の日の夢」の冒頭のハーンが書いた山下芳は、元治元年(1864）江戸の根岸（上野の近く）に生まれた。家は職人を使って工芸をつくる商家だったらしい。根岸は上野の山を背景として音無川の清流があり、四季の田園風景が江戸の文人たちに愛されてここに住まうようになり、明治に入ってからは吉原、浅草、入谷の繁華地に近いことから資産家や俳人の正岡子規、書家の中村不折が住んだという土地である。
７人も兄弟がありながら女は芳ひとりで両親の寵愛を一身に受けて育った。芳の実家は尾後貫（おごぬき）といいこれは日本でも二軒か三軒しかいない珍しい姓と聞いた。当時の習慣で日本橋の大店に行儀見習いに行かされた芳に縁談話も持ち込まれ、明治初めの東京で多感な娘時代を送ったようだ。その彼女が熊本に行くようになるのは天草出身の山下磋一郎と結婚したからである。
浦島屋誕生まで
のちに、芳の夫となる山下磋一郎（さいちろう）は芳の４歳年上、本渡の地主の家柄で、同じ九州出身の福沢諭吉の慶應義塾に学ぶために上京し、推定だが磋一郎２４歳、芳２０歳の頃に東京で結婚した。磋一郎は王子製紙に入社、かたわら福沢諭吉が創立した「時事新報」に論説を書いたり福沢が書くものの下書きをしていたという。
磋一郎の「熊本には帰らないから」という言葉を信じて、芳の両親は結婚を許したというが、まもなく天草の実家で父が亡くなり、磋一郎は結婚１年ぐらいで芳を連れて熊本に戻る。当時のこととて芳の母親はひとり娘との別れを悲しみ、母親が示した別離の悲しみはのちになっても芳の心に傷を残したようである。磋一郎の実家は陶器のもととなる土が採れる山を持っており裕福であったという。
実家に戻った磋一郎は九州で実業の世界に入る。新婚の夫婦は長崎に住み「長崎での生活が生涯でいちばん楽しかった」芳は後に語っている。
明治１５、６年頃から熊本では三角に港を作るという話が計画され、故郷に戻った磋一郎は熊本実業界の友人たちとここに別荘を建てるという計画に加わる。
建物は建ったが、やがて両派に分かれての仲違いが起こって裁判沙汰となり、裁判所はどちらの側でもなかった磋一郎に訴訟のもととなった別荘を継ぐようにと判決を下し、磋一郎は当時の価格で１万円で譲り受けた（明治２０年前後のことで芳が２３歳の頃）。
４００坪の敷地に３００坪の建坪という建物、その上倉庫が７棟という家は夫婦二人が住むには大きすぎ、県知事の「熊本には東京から見える客を泊める立派なホテルがないので旅館を開いてほしい」という要請もあって旅館を開業することになった（芳は県知事から頼まれて開業したと言っていた）。このようなことから、それまで商売などしたことのない芳が、女主人として旅館の経営をすことになるのである。少し離れたところに和風の菊水という名前の別館もあった（以上からも分かるように「復元」された浦島屋はほんの極く一部である）。
磋一郎は長崎や中国で貿易の仕事をやっていたようだ。女中さんはすべて天草の出身で５０人から６０人（女中さんと料理人が半々ぐらい）ほどの従業人がいたという。料理人たちの人間関係の調整や礼儀作法を教える上で苦労があったと芳は私の母に語っている。普通の家庭の奥様から旅館の経営者へと２０代の芳の生活は一変した。夫婦がこの旅館をなぜ「浦島屋」と名付けたかは不明である。
このような建物（旅館）は当時、熊本市内になかったらしく、台湾に向かう北白川宮、三井家の人々や磋一郎の慶応時代の知人たちが訪れては宿泊した。宮様が宿泊されると布団や使われた食器などをいただきたいという土地の人々が大勢押し掛けたという。磋一郎は本を読んだり文章を書くことが好きで浦島屋では書斎にとじこもりがちで経営にはあまり関心がなかったらしい。
ラフカディオ・ハーンが休憩をするために三角の浦島屋を訪れたたのは、明治２６年の頃で芳２９歳の頃。芳は商売人でなく東京の生まれということもあって文豪の目に新鮮に映ったのではないだろうか。芳は生まれた土地では根岸小町と呼ばれ、いわゆる江戸風の美人だったようだ。「娘たちは誰も私に似ていない」と嘆いたそうである。そのような容姿もハーンの想像力をかきたのだろう。
この浦島屋で長男武夫、長女秀、次女華が生まれた。浦島屋のある三角西港に鉄道が敷設されることになっていたが（当時の県知事から鉄道を引くようにするから旅館を経営してほしいと言われたと伝わっている）、その鉄道が東港に入って西港は次第に衰えた。それゆえ現在の西港には明治の土木遺構の建造物が遺されていてかえって幸運であったと思われる。
浦島屋を閉じる
開業から１７年ほど経って山下夫妻は浦島屋を閉じる。
それは、浦島屋の建物を満州に移築するために国が買い上げることになったこと、旅館を経営していると客のなかにはその種の女性を要求するものがいて「そのようなことがまことにいやであった」という芳の話があり、旅館経営は息子や娘たちの教育によくないと考えたこと、三角西港が寂れてきたこと、人を雇うことの煩わしさが重荷となったことが重なったようだ。やがて浦島屋の建物は大連に移築された。その後移築された建物を求めて大連を尋ね歩いた人がいたが見つからなかったという。
一家は三角から熊本市内に移り、そこで私の母八重が生まれるが、まもなく磋一郎は４９歳で脳溢血で亡くなる（墓は本渡市の明徳寺にある。戒名「天開日照居士」。骨の一部は東京に分骨）。
熊本から門司に移って新しい事業を興す直前であったという。
その後、芳は磋一郎の知人たちに助けられて私の母が２０歳になるまで熊本市内で子供たちを育て上げ、昭和２年に上京し同１０年５月に東京でなくなった。（墓は中野区にある）。熊本時代には浦島屋で働いていたという裁縫専門の女の人が時々訪れてきたが、芳は子供たちに浦島屋時代のことはあまり話さなかった。「私たちにはなにも話してくれなかった」という伯母たちの声を私は聞いたことがある。写真一枚だけをもって上京したのかも知れない。
芳のことを思うとき、私はここに書かなかった挿話も含めて、熊本の女と言うより江戸の女というイメージがつよい。私の母に語った芳の物語は彰義隊の上野攻撃の模様や根岸の名所などすべて江戸（東京）周辺のことだった。反対に、私は母から娘時代を過ごした熊本の良さと人の善さを教えられ、未知の土地ながら望郷の念を感じる次第である。
芳自身は文豪の短編のなかに、自分が登場していることなどは知らなかった。伯父は自分の母が文豪の短編に登場していることを知っていたようだが、それはそれだけのことだったようだ。私も伯父の断片話から「夏の日の夢」を探したのであった。
芳にとって浦島屋経営の１７年は、ハーンの短編の表題のようにまさに「夢」のなかの出来事だったに違いない。
私の「夏の日の夢」
上田憲二郎氏設計による建物が竣工してから私は三角西港を訪れていない。それ以前にいちどだけ娘とともに早朝の三角を訪れ天草の祖父の墓参りをしたことがあり、「町史」をみるために庁舎を訪れたが休日で求められなかった。「別の日に見えれば担当の者がおりますよ」と言われたが日が無かった。
「復元」された建物のなかに、山下 芳の写真、あるいは我が家に残る当時の浦島屋の写真（いずれも私が東京で取材に応じた地元新聞のカメラマン氏が新聞に掲載するために複写したもの）が飾られているらしいが、そこでどのような説明がなされているのか確かめていないし、確かめようもない。
ある日のひとつの電話から始まった浦島屋の「復元」は、私にとっても夏の日の夢のなかの出来事であったと思う昨今である。
（以上はわが家に残る伝聞にもとづいて記述したものであり、すべてにおいて事実関係を照
合していないことをお断りします。）
熊本の建築家上田憲二郎氏から突然の電話をいただいたのは、７年ほど前のことであった。 「私は現在三角西港の街づくりと建築群の整備に携わっているが、最近知人から浦島屋の写真が掲載されているあなたが書いた記事を教えられた。当時の図面などをお持ちでないだろうか」というお話であった、後になって上田憲二郎氏のお名前は、私が携わった日本建築士会連合会の「建築士誕生４０周年」の記念誌編集の作業のなかで、三角西港の整備と結びつけて知ることになるが、この時はじめて伺うお名前であった。
そのとき上田憲二郎氏が言われた「あなたが書いた記事」とは、私が「建設業界」（日本土木工業協会の機関誌）の１９８８年７月号に書いた「三角築港・明治築港の夢を追う」という文章を指していた。そのなかで私は祖父母（母方）が明治時代に三角で浦島屋という西洋風旅館を経営していたことを記し、わが家に一枚だけ残る浦島屋の外観の一部についての写真を載せたのである。
その時は「残念ながら図面はありません」と答えたが、掲載された浦島屋の写真を送ってほしいというご依頼で四つ切りに引き伸ばしたものをお送りした。その後、氏は一枚の外観写真によって設計することを決められたらしい（ちなみに私は氏とは文通のみで一度もお会いしていない）。以降、いくつものお役所仕事との交渉ごとに当惑されているらしい経過の知らせや図面を送っていただき、少しずつだが実現に近づいているようであった。
さらに何年かして、竣工した写真を送っていただき、浦島屋らしい建物が休憩所という名目で三角西港に姿を現したことを知った。当時熊本県の建築課長であった知人の磯田桂史氏からも竣工式の新聞の切り抜きを送っていただき、またどこで私の存在を知ったのか地元新聞の取材を東京で受けたりもした。
浦島屋が復元され話題を集めたのは、この旅館に文豪ラフカディオ・ハーンが休憩し、そこから得た文学的イマジネーションを「夏の日の夢」という短編に残したからだろう。そのなかにハーンが会った旅館の女主人についての描写があるが、彼女が私の祖母山下 芳なのである。
江戸生まれの山下 芳（よし）
以下、ハーンと「会った」浦島屋の女主人山下芳と浦島屋経営の事情について書かせていただこう。「夏の日の夢」は浦島屋という旅館の屋号と、応対した女主人から得た印象から生まれたものと思われるので、山下 芳について孫の私が記すことも意味がないわけではないだろう。「その宿屋は私にとっては極楽、そこの女中たちは天人のやうに思われた」と文豪は書き、「彼女はたいそう若かった。そして『国貞の蛾の女、蝶のように』眺めることは非常に愉快であった。そして私は直ちに死のことを思った。美は時とすると予想の悲哀となることが
あるからである」（田部隆次訳）と女主人の印象を綴った。表現にハーンの文学的誇張があるとしてもその時期に浦島屋の女主人であったのは祖母山下 芳である。
「夏の日の夢」の冒頭のハーンが書いた山下芳は、元治元年(1864）江戸の根岸（上野の近く）に生まれた。家は職人を使って工芸をつくる商家だったらしい。根岸は上野の山を背景として音無川の清流があり、四季の田園風景が江戸の文人たちに愛されてここに住まうようになり、明治に入ってからは吉原、浅草、入谷の繁華地に近いことから資産家や俳人の正岡子規、書家の中村不折が住んだという土地である。
７人も兄弟がありながら女は芳ひとりで両親の寵愛を一身に受けて育った。芳の実家は尾後貫（おごぬき）といいこれは日本でも二軒か三軒しかいない珍しい姓と聞いた。当時の習慣で日本橋の大店に行儀見習いに行かされた芳に縁談話も持ち込まれ、明治初めの東京で多感な娘時代を送ったようだ。その彼女が熊本に行くようになるのは天草出身の山下磋一郎と結婚したからである。
浦島屋誕生まで
のちに、芳の夫となる山下磋一郎（さいちろう）は芳の４歳年上、本渡の地主の家柄で、同じ九州出身の福沢諭吉の慶應義塾に学ぶために上京し、推定だが磋一郎２４歳、芳２０歳の頃に東京で結婚した。磋一郎は王子製紙に入社、かたわら福沢諭吉が創立した「時事新報」に論説を書いたり福沢が書くものの下書きをしていたという。
磋一郎の「熊本には帰らないから」という言葉を信じて、芳の両親は結婚を許したというが、まもなく天草の実家で父が亡くなり、磋一郎は結婚１年ぐらいで芳を連れて熊本に戻る。当時のこととて芳の母親はひとり娘との別れを悲しみ、母親が示した別離の悲しみはのちになっても芳の心に傷を残したようである。磋一郎の実家は陶器のもととなる土が採れる山を持っており裕福であったという。
実家に戻った磋一郎は九州で実業の世界に入る。新婚の夫婦は長崎に住み「長崎での生活が生涯でいちばん楽しかった」芳は後に語っている。
明治１５、６年頃から熊本では三角に港を作るという話が計画され、故郷に戻った磋一郎は熊本実業界の友人たちとここに別荘を建てるという計画に加わる。
建物は建ったが、やがて両派に分かれての仲違いが起こって裁判沙汰となり、裁判所はどちらの側でもなかった磋一郎に訴訟のもととなった別荘を継ぐようにと判決を下し、磋一郎は当時の価格で１万円で譲り受けた（明治２０年前後のことで芳が２３歳の頃）。
４００坪の敷地に３００坪の建坪という建物、その上倉庫が７棟という家は夫婦二人が住むには大きすぎ、県知事の「熊本には東京から見える客を泊める立派なホテルがないので旅館を開いてほしい」という要請もあって旅館を開業することになった（芳は県知事から頼まれて開業したと言っていた）。このようなことから、それまで商売などしたことのない芳が、女主人として旅館の経営をすことになるのである。少し離れたところに和風の菊水という名前の別館もあった（以上からも分かるように「復元」された浦島屋はほんの極く一部である）。
磋一郎は長崎や中国で貿易の仕事をやっていたようだ。女中さんはすべて天草の出身で５０人から６０人（女中さんと料理人が半々ぐらい）ほどの従業人がいたという。料理人たちの人間関係の調整や礼儀作法を教える上で苦労があったと芳は私の母に語っている。普通の家庭の奥様から旅館の経営者へと２０代の芳の生活は一変した。夫婦がこの旅館をなぜ「浦島屋」と名付けたかは不明である。
このような建物（旅館）は当時、熊本市内になかったらしく、台湾に向かう北白川宮、三井家の人々や磋一郎の慶応時代の知人たちが訪れては宿泊した。宮様が宿泊されると布団や使われた食器などをいただきたいという土地の人々が大勢押し掛けたという。磋一郎は本を読んだり文章を書くことが好きで浦島屋では書斎にとじこもりがちで経営にはあまり関心がなかったらしい。
ラフカディオ・ハーンが休憩をするために三角の浦島屋を訪れたたのは、明治２６年の頃で芳２９歳の頃。芳は商売人でなく東京の生まれということもあって文豪の目に新鮮に映ったのではないだろうか。芳は生まれた土地では根岸小町と呼ばれ、いわゆる江戸風の美人だったようだ。「娘たちは誰も私に似ていない」と嘆いたそうである。そのような容姿もハーンの想像力をかきたのだろう。
この浦島屋で長男武夫、長女秀、次女華が生まれた。浦島屋のある三角西港に鉄道が敷設されることになっていたが（当時の県知事から鉄道を引くようにするから旅館を経営してほしいと言われたと伝わっている）、その鉄道が東港に入って西港は次第に衰えた。それゆえ現在の西港には明治の土木遺構の建造物が遺されていてかえって幸運であったと思われる。
浦島屋を閉じる
開業から１７年ほど経って山下夫妻は浦島屋を閉じる。
それは、浦島屋の建物を満州に移築するために国が買い上げることになったこと、旅館を経営していると客のなかにはその種の女性を要求するものがいて「そのようなことがまことにいやであった」という芳の話があり、旅館経営は息子や娘たちの教育によくないと考えたこと、三角西港が寂れてきたこと、人を雇うことの煩わしさが重荷となったことが重なったようだ。やがて浦島屋の建物は大連に移築された。その後移築された建物を求めて大連を尋ね歩いた人がいたが見つからなかったという。
一家は三角から熊本市内に移り、そこで私の母八重が生まれるが、まもなく磋一郎は４９歳で脳溢血で亡くなる（墓は本渡市の明徳寺にある。戒名「天開日照居士」。骨の一部は東京に分骨）。
熊本から門司に移って新しい事業を興す直前であったという。
その後、芳は磋一郎の知人たちに助けられて私の母が２０歳になるまで熊本市内で子供たちを育て上げ、昭和２年に上京し同１０年５月に東京でなくなった。（墓は中野区にある）。熊本時代には浦島屋で働いていたという裁縫専門の女の人が時々訪れてきたが、芳は子供たちに浦島屋時代のことはあまり話さなかった。「私たちにはなにも話してくれなかった」という伯母たちの声を私は聞いたことがある。写真一枚だけをもって上京したのかも知れない。
芳のことを思うとき、私はここに書かなかった挿話も含めて、熊本の女と言うより江戸の女というイメージがつよい。私の母に語った芳の物語は彰義隊の上野攻撃の模様や根岸の名所などすべて江戸（東京）周辺のことだった。反対に、私は母から娘時代を過ごした熊本の良さと人の善さを教えられ、未知の土地ながら望郷の念を感じる次第である。
芳自身は文豪の短編のなかに、自分が登場していることなどは知らなかった。伯父は自分の母が文豪の短編に登場していることを知っていたようだが、それはそれだけのことだったようだ。私も伯父の断片話から「夏の日の夢」を探したのであった。
芳にとって浦島屋経営の１７年は、ハーンの短編の表題のようにまさに「夢」のなかの出来事だったに違いない。
私の「夏の日の夢」
上田憲二郎氏設計による建物が竣工してから私は三角西港を訪れていない。それ以前にいちどだけ娘とともに早朝の三角を訪れ天草の祖父の墓参りをしたことがあり、「町史」をみるために庁舎を訪れたが休日で求められなかった。「別の日に見えれば担当の者がおりますよ」と言われたが日が無かった。
「復元」された建物のなかに、山下 芳の写真、あるいは我が家に残る当時の浦島屋の写真（いずれも私が東京で取材に応じた地元新聞のカメラマン氏が新聞に掲載するために複写したもの）が飾られているらしいが、そこでどのような説明がなされているのか確かめていないし、確かめようもない。
ある日のひとつの電話から始まった浦島屋の「復元」は、私にとっても夏の日の夢のなかの出来事であったと思う昨今である。
（以上はわが家に残る伝聞にもとづいて記述したものであり、すべてにおいて事実関係を照
合していないことをお断りします。）
「ヤドランカさんとハーン」 池上正示 （望星高校講師、本妙寺宝物館学芸員
思ったよりも、大きくて、暖かくて、面白い、ヤドランカ・ストヤコビッチさん。メインは哀愁を帯びたサズ。加えて時折、軽快なギター。共演する坂田美子さんの琵琶の音もすばらしい。そして時に哀切に、時に朗らかに響く歌声、愉快な日本語のトーク。
１９９５年１２月２１日夜、健軍文化ホールでの、ボスニア・ヘルッニゴビナ（旧ユーゴスラビア）の首都サラエボ生まれの音楽家、ヤドランカさんのコンサートは、有名な「サラエボよ明日は」ＴＢＳ系ニュース番組のエンディング・テーマ「風よＦｏｒｔｉｓｓｉｓｍｏ」等のオリジナルに、旧ユーゴの民謡のリメイクを交えた、楽しいものだった。
実物を見たのは初めてだった。ヤドランカさんの名は、私のなかで、常に内戦と重なっていた。包囲されたサラエボ、無差別に狙撃される住民、砲撃、崩壊するビル、殺し合う民兵。８４年、冬季オリンピックの栄光が、かえって惨めさを映し出す廃墟に、内戦の惨禍を訴える歌声が響く、そんな印象だった。痩身で悲しげな
瞳の歌姫を思い描いていた。
「私が伝えたいのは、戦争の悲惨さや絶望ではなくて、希望。」その言葉どおりのコンサート。が、彼女がその笑顔を、闊達な肉体を、そして「信じているの」に示された、悲しみを乗
り越えた人間への信頼、寛容を取り戻すには、どれほどの涙が費やされたことだろう。現在、彼女の父親は、未だ行方不明だという。そして、彼女はなぜ、日本を本拠地として活動するのだろう？欧米でも著名なアーチストである。 特定の宗教だけでなく様々な宗教を受け入 れている日本人の宗教観は、”寛容”につな がり、戦争前の祖国・旧ユーゴスラビアに似 ています。私は祖国に”寛容と対話”を訴え 続けていますが、このメッセージは音楽を通 して日本人にも伝わっていると思うのですよ。 ９５年元旦の熊日新聞、戦後５０年特集号に掲載された、ヤドランカさんのメッセージ。これが、彼女が日本を拠り所にした理由の一つだとすれば、私は祖国を誇りに思う。そして思い出す、ラフカディオ・ハーンが来日当初、日本人が屈託なく神仏になれ親しむ姿に寛容を見いだし、称賛したことを。日本人の宗教に対する姿勢は、揶揄の対象となることが多い。Ｘマスにはクリスチャン、正月には神道、死んだら仏教徒、すなわち、いいかげんと。が絶対の神を根拠に民族紛争を続ける祖国をみたヤドランカさんと、当時の不寛容で侵略的なキリスト教のあり方に、終生批判的だったハーンは、そこに肯定的なものを見いだしている。
ハーン没後、日本は、ハーンが最も厭うた不寛容と侵略の道を転げ落ちたことは周知。現在はどうだろう？阪神大震災、オウムのテロと、９５年の日本は戦後最悪の惨事に見舞われた。そこで浮上したのが、危機管理・父権の復活・確固たる宗教観といった、毅然たる強者を待望するキイ・ワード。それぞれ必要なものであるが、不寛容と攻撃性の意味を持つことも忘れてはならない。強者には制御装置が必要。
９５年１２月１４日、３年半続いた旧ユーゴの内戦終結にむけて、なお危うさをはらみながらも、パリで和平協定が調印された。ヤドランカさんは語る。
「なんだか信じられなかった。でも、以前より、希望がもてそう。」
同日、政府は１９５２年の施行以来初めて、オウム真理教に対し、破壊活動防止法の団体規制を適用する方針を決定した・・・
１９９５年１２月２１日夜、健軍文化ホールでの、ボスニア・ヘルッニゴビナ（旧ユーゴスラビア）の首都サラエボ生まれの音楽家、ヤドランカさんのコンサートは、有名な「サラエボよ明日は」ＴＢＳ系ニュース番組のエンディング・テーマ「風よＦｏｒｔｉｓｓｉｓｍｏ」等のオリジナルに、旧ユーゴの民謡のリメイクを交えた、楽しいものだった。
実物を見たのは初めてだった。ヤドランカさんの名は、私のなかで、常に内戦と重なっていた。包囲されたサラエボ、無差別に狙撃される住民、砲撃、崩壊するビル、殺し合う民兵。８４年、冬季オリンピックの栄光が、かえって惨めさを映し出す廃墟に、内戦の惨禍を訴える歌声が響く、そんな印象だった。痩身で悲しげな
瞳の歌姫を思い描いていた。
「私が伝えたいのは、戦争の悲惨さや絶望ではなくて、希望。」その言葉どおりのコンサート。が、彼女がその笑顔を、闊達な肉体を、そして「信じているの」に示された、悲しみを乗
り越えた人間への信頼、寛容を取り戻すには、どれほどの涙が費やされたことだろう。現在、彼女の父親は、未だ行方不明だという。そして、彼女はなぜ、日本を本拠地として活動するのだろう？欧米でも著名なアーチストである。 特定の宗教だけでなく様々な宗教を受け入 れている日本人の宗教観は、”寛容”につな がり、戦争前の祖国・旧ユーゴスラビアに似 ています。私は祖国に”寛容と対話”を訴え 続けていますが、このメッセージは音楽を通 して日本人にも伝わっていると思うのですよ。 ９５年元旦の熊日新聞、戦後５０年特集号に掲載された、ヤドランカさんのメッセージ。これが、彼女が日本を拠り所にした理由の一つだとすれば、私は祖国を誇りに思う。そして思い出す、ラフカディオ・ハーンが来日当初、日本人が屈託なく神仏になれ親しむ姿に寛容を見いだし、称賛したことを。日本人の宗教に対する姿勢は、揶揄の対象となることが多い。Ｘマスにはクリスチャン、正月には神道、死んだら仏教徒、すなわち、いいかげんと。が絶対の神を根拠に民族紛争を続ける祖国をみたヤドランカさんと、当時の不寛容で侵略的なキリスト教のあり方に、終生批判的だったハーンは、そこに肯定的なものを見いだしている。
ハーン没後、日本は、ハーンが最も厭うた不寛容と侵略の道を転げ落ちたことは周知。現在はどうだろう？阪神大震災、オウムのテロと、９５年の日本は戦後最悪の惨事に見舞われた。そこで浮上したのが、危機管理・父権の復活・確固たる宗教観といった、毅然たる強者を待望するキイ・ワード。それぞれ必要なものであるが、不寛容と攻撃性の意味を持つことも忘れてはならない。強者には制御装置が必要。
９５年１２月１４日、３年半続いた旧ユーゴの内戦終結にむけて、なお危うさをはらみながらも、パリで和平協定が調印された。ヤドランカさんは語る。
「なんだか信じられなかった。でも、以前より、希望がもてそう。」
同日、政府は１９５２年の施行以来初めて、オウム真理教に対し、破壊活動防止法の団体規制を適用する方針を決定した・・・
「会員紹介」
「会員の中には顔は知っているが名前を知らない、あの人には何回もお会いするがどなただったっけなどあると思います。
そこで例えば、入会の理由。今していること、したいこと、考えていること。これまでの人生でやり残していること、これからやりたいこと。現在の心境など思いつくことをお書き下さい」というお願いを昨年11月に出しました。
その結果ですので今ではおかしなことになっていることもあると思います。事務局の勝手な判断でそのまま掲載しました。ご迷惑な人もおられることでしょうがどうかご寛恕下さい。
石本恭子
アイルランド英語の発音の発音の美しさと、アイルランド人の素朴さ、何か懐かしい彼の地の風景に魅せられて、すっかりアイルランドが好きになりました。二十数年前に出会ったダブリンのメイーブ先生との交流は、まだ続いています。
いつの日か、遅くならないうちに、また、ダブリンからスライスゴーまで、汽車の旅をしてみたいと思います。できたら、子供と一緒に。
一木和世
アイルランドに対するイメージは、「質素で、精神的には贅沢」というところで私の生活信条でもあります。
アイルランドへはまだ行ったことはありませんが、「アウトロー的アイルランド民衆の特性−怠惰、粗食、不潔、飲酒癖などなど−とあわせて、そこから出てくる度はずれの楽天性やユーモアやエネルギッシュな野生」（木下順二『ドラマの世界』のアイルランド）を読み、アイルランドへの想いを募らせています。
池上正示
（妙寺宝物館学芸員。東海大学付属望星高等学校講師（国語科）。趣味はスポーツチャンバラ、熊本県スポーツチャンバラ協会理事。東海大学発行の月刊誌『望星』の書評欄に時々登場。入会の理由らしきものは、多分雪女の縁。やりたいことは結婚と憲法改悪の断固阻止。日蓮宗修法師。院日号は玄翔院日夏。よろしくお願い申し上げます。
河上洋子
長い間、放送の世界の仕事をしたおかげで、ヤジウマ根性だけは磨かれ、太極拳二十年のキャリアで足腰も達者、失われそうな感性は短顔を揉むことで、かろうじて支えられている。
というのが現在の私である。わずか七十年前、私などが飛行機に乗って、外国旅行をするなんて、全く誰も夢にも思わなかったのに、ジェーンズさんやハーンさんのおかげでアイルランドにも、レフカダ島にも、アメリカにも行けた。本当に良い時代に生きているものである。折角なら２１世紀の混沌も生きてみたい。座右の銘は、「今が好き」嫌なことも、落ち込むことも生きている面白さだと思う。思うことにしている。
大我 孝 80歳
いつ、どこで、アイルランドと結びついたのだろうか。名簿の所属欄に、八雲セミナーとあったのを思い出した。誰かに誘われたように思う。仲間入りして本当に良かったと思っている。
少年の頃（大連に居た。ハイカラな明るい街だった）「アイルランドの村娘」という歌が流行っていた。挿絵の花籠をもつ村娘に胸をこがした。たわいない片思いだが、今も心変わりはしていない。いつぞや「アイルランドの八重桜」（小島征子著）という本を読んでから、幻の恋は友好のかけはしになった。
稲垣悦子 66歳
平成三年夏「ラフカディオ・ハーン来熊百年記念」として企画された「熊大公開講座」これが熊本アイルランド協会との出会いであった。
「ハーン研究会」と書かれた立て看板に私のような素人がと躊躇しながらも友人に促されて“まるぶん”に足を運んだことを忘れません。店内の奥まったところで先生を含めて二十名位の集まりでした。「東の国から・心」（恒文社）の中から「夏の日の夢」「願望成就」などを抜粋して各自の感想、質問を取り終始和やかな雰囲気の中で熱意ある先生方の講義にリレフレシュされました。目的を同じくする者の共感と云いますか、心理的交流を自分なりに得たようで、心楽しいものがありました。ケルト文化、音楽、小泉時さんの講演などなど、、、。その後会員も増えるとともに、内容も広範囲に充実しつつあります。
人生下り坂を行く私ですが、好奇心旺盛だけを頼りに。そしていつか実現させたい「アイルランドの旅」に心を馳せています。
上田憲二郎
「しろうとの気持ちで玄人の仕事をしたい」
わたしは建築の設計をやっています。最近思うのは、玄人の世界の限界です。中途半端な玄人は一つのものに凝り固まりすぎてなかなか次の段階に進めないことが多いものです。
新しい世界を切り開けるのはしろうとの心を持った人たちではないかと思います。こういう考えは軽音楽の世界では当たり前のことになっていますが、ほとんどの専門的な分野では、小さな業界の中での仕事で満足してしまい、普通の人の感じが分からなくなりがちです。建築も固定観念にとらわれないで、しろうとの気持ちで玄人の仕事をしたいと思います。
大田 稔
イエーツの詩の訳を試みていたので、熊本アイルランド協会が発足するときに入会を申し込みました。開催される会合には、二度か三度しか行っていません。大変恥じています。
昨年まで試訳も順調でしたが、もっとわかりやすい日本語にしたいと考えてからは先に進んでいません。
それでいま、アイルランドには直接関係のないことをして思考を切り換えています。
まだまだ長い時間がかかります。
河上良輝 82歳
1991年（平成3）「ジェーンズ・ハーン来熊記念十一日間の旅
?A翌年「漱石・ハーン比較文学の旅」に参加して、この会とのとの因縁が生まれました。
その後?B?Cと続かず、ハーンについても、勉強があまりすすんでいないのが、お恥ずかしい次第です。これからでもという気持ちはあるのですが・・。
池田恒雄 88歳
アイルランドへの関心は、ひとえにラフカディオ・ハーンから始まりました。
七十年前の中学生の頃に、当時の地方の中学生としては珍しく充実した蔵書をもっていた新潟県立小千谷中学校の図書室で、ハーン全集（英語版）を発見して以来、その幽玄の文学に魅せられたわたくしは、機会あるごとにハーンの文献を集めてきました。出版者として、今後とも、ハーンに関する出版に尽力してまいりたいと思います。
そこで例えば、入会の理由。今していること、したいこと、考えていること。これまでの人生でやり残していること、これからやりたいこと。現在の心境など思いつくことをお書き下さい」というお願いを昨年11月に出しました。
その結果ですので今ではおかしなことになっていることもあると思います。事務局の勝手な判断でそのまま掲載しました。ご迷惑な人もおられることでしょうがどうかご寛恕下さい。
石本恭子
アイルランド英語の発音の発音の美しさと、アイルランド人の素朴さ、何か懐かしい彼の地の風景に魅せられて、すっかりアイルランドが好きになりました。二十数年前に出会ったダブリンのメイーブ先生との交流は、まだ続いています。
いつの日か、遅くならないうちに、また、ダブリンからスライスゴーまで、汽車の旅をしてみたいと思います。できたら、子供と一緒に。
一木和世
アイルランドに対するイメージは、「質素で、精神的には贅沢」というところで私の生活信条でもあります。
アイルランドへはまだ行ったことはありませんが、「アウトロー的アイルランド民衆の特性−怠惰、粗食、不潔、飲酒癖などなど−とあわせて、そこから出てくる度はずれの楽天性やユーモアやエネルギッシュな野生」（木下順二『ドラマの世界』のアイルランド）を読み、アイルランドへの想いを募らせています。
池上正示
（妙寺宝物館学芸員。東海大学付属望星高等学校講師（国語科）。趣味はスポーツチャンバラ、熊本県スポーツチャンバラ協会理事。東海大学発行の月刊誌『望星』の書評欄に時々登場。入会の理由らしきものは、多分雪女の縁。やりたいことは結婚と憲法改悪の断固阻止。日蓮宗修法師。院日号は玄翔院日夏。よろしくお願い申し上げます。
河上洋子
長い間、放送の世界の仕事をしたおかげで、ヤジウマ根性だけは磨かれ、太極拳二十年のキャリアで足腰も達者、失われそうな感性は短顔を揉むことで、かろうじて支えられている。
というのが現在の私である。わずか七十年前、私などが飛行機に乗って、外国旅行をするなんて、全く誰も夢にも思わなかったのに、ジェーンズさんやハーンさんのおかげでアイルランドにも、レフカダ島にも、アメリカにも行けた。本当に良い時代に生きているものである。折角なら２１世紀の混沌も生きてみたい。座右の銘は、「今が好き」嫌なことも、落ち込むことも生きている面白さだと思う。思うことにしている。
大我 孝 80歳
いつ、どこで、アイルランドと結びついたのだろうか。名簿の所属欄に、八雲セミナーとあったのを思い出した。誰かに誘われたように思う。仲間入りして本当に良かったと思っている。
少年の頃（大連に居た。ハイカラな明るい街だった）「アイルランドの村娘」という歌が流行っていた。挿絵の花籠をもつ村娘に胸をこがした。たわいない片思いだが、今も心変わりはしていない。いつぞや「アイルランドの八重桜」（小島征子著）という本を読んでから、幻の恋は友好のかけはしになった。
稲垣悦子 66歳
平成三年夏「ラフカディオ・ハーン来熊百年記念」として企画された「熊大公開講座」これが熊本アイルランド協会との出会いであった。
「ハーン研究会」と書かれた立て看板に私のような素人がと躊躇しながらも友人に促されて“まるぶん”に足を運んだことを忘れません。店内の奥まったところで先生を含めて二十名位の集まりでした。「東の国から・心」（恒文社）の中から「夏の日の夢」「願望成就」などを抜粋して各自の感想、質問を取り終始和やかな雰囲気の中で熱意ある先生方の講義にリレフレシュされました。目的を同じくする者の共感と云いますか、心理的交流を自分なりに得たようで、心楽しいものがありました。ケルト文化、音楽、小泉時さんの講演などなど、、、。その後会員も増えるとともに、内容も広範囲に充実しつつあります。
人生下り坂を行く私ですが、好奇心旺盛だけを頼りに。そしていつか実現させたい「アイルランドの旅」に心を馳せています。
上田憲二郎
「しろうとの気持ちで玄人の仕事をしたい」
わたしは建築の設計をやっています。最近思うのは、玄人の世界の限界です。中途半端な玄人は一つのものに凝り固まりすぎてなかなか次の段階に進めないことが多いものです。
新しい世界を切り開けるのはしろうとの心を持った人たちではないかと思います。こういう考えは軽音楽の世界では当たり前のことになっていますが、ほとんどの専門的な分野では、小さな業界の中での仕事で満足してしまい、普通の人の感じが分からなくなりがちです。建築も固定観念にとらわれないで、しろうとの気持ちで玄人の仕事をしたいと思います。
大田 稔
イエーツの詩の訳を試みていたので、熊本アイルランド協会が発足するときに入会を申し込みました。開催される会合には、二度か三度しか行っていません。大変恥じています。
昨年まで試訳も順調でしたが、もっとわかりやすい日本語にしたいと考えてからは先に進んでいません。
それでいま、アイルランドには直接関係のないことをして思考を切り換えています。
まだまだ長い時間がかかります。
河上良輝 82歳
1991年（平成3）「ジェーンズ・ハーン来熊記念十一日間の旅
?A翌年「漱石・ハーン比較文学の旅」に参加して、この会とのとの因縁が生まれました。
その後?B?Cと続かず、ハーンについても、勉強があまりすすんでいないのが、お恥ずかしい次第です。これからでもという気持ちはあるのですが・・。
池田恒雄 88歳
アイルランドへの関心は、ひとえにラフカディオ・ハーンから始まりました。
七十年前の中学生の頃に、当時の地方の中学生としては珍しく充実した蔵書をもっていた新潟県立小千谷中学校の図書室で、ハーン全集（英語版）を発見して以来、その幽玄の文学に魅せられたわたくしは、機会あるごとにハーンの文献を集めてきました。出版者として、今後とも、ハーンに関する出版に尽力してまいりたいと思います。
「熊本アイルランド協会事務局」連絡先
熊本アイルランド協会事務局
住 所：〒８６１−８００１
熊本市武蔵ヶ丘４丁目１２−１８
松村直寛方
電話＆FAX：０９６−２１５−８５２２
Email：chokkan@digfrontis.com
ブログ http://www.kumamoto-ireland.org/
参加自由 年会費２０００円
会費及び賛助金・郵便振込先 ０１９１０−０−６０８９３
熊本アイルランド協会
原稿・賛助金歓迎リンク自由
住 所：〒８６１−８００１
熊本市武蔵ヶ丘４丁目１２−１８
松村直寛方
電話＆FAX：０９６−２１５−８５２２
Email：chokkan@digfrontis.com
ブログ http://www.kumamoto-ireland.org/
参加自由 年会費２０００円
会費及び賛助金・郵便振込先 ０１９１０−０−６０８９３
熊本アイルランド協会
原稿・賛助金歓迎リンク自由
2006年04月03日
「ハーン生誕１５０年祭の共同開催を」 田中欣二（米国ラフカディオ・ハーン協会副会長）
１９９８年４月６日、米国ラフカディオ・ハーン協会副会長の田中欣二氏が来熊した。ゲリー・アイス会長の紹介状によると、田中氏は協会の正式代表として派遣され、日米研究グループの関係強化のため、日本各地のハーン研究家と懇談、特に西暦2000年のハーン生誕150年に際して記念祭の日米共催を提案するというものであった。
田中氏は熊本日日新聞社(伊豆社長)、八雲旧居(宮崎館長)、熊本市役所(御廚助役)を訪問の後、熊本ホテルキャッスルでの歓迎昼食会に臨み、熊本アイルランド協会や熊大八雲研究会のメンバーと懇談した。
この後、15日まで福岡、松江、京都、近江八幡、東京、焼津などを訪問した。
なお田中氏は米シンシナティ日本研究センター所長(ケンタッキー州クレストビューヒルズのトーマス・モア大学内)として、多年在米、日米交流に尽力している。1991年のジェーンズとハーン記念祭訪米団のシンシナティ訪問に際しては受け入れに尽力、また同年11月の「ヘルンさんの熊本」公演(熊本市民会館)に来熊、ステージでメッセージを披露した。今回はそれ以来の来熊。（懇談会における卓話要旨は以下の通り)
４月３日に関西空港に到着、乗り換えた全日空の機内で朝日新聞を見ますと、１面に大きく明石大橋開通のニュースが出ておりました。それを見て思ったのが、シンシナティのオハイオ川に架かるサスペンション・ブリッジ（吊り橋）のことでした。
７年前、熊本のハーン記念祭の訪米団で、平野副団長と久野さん、井上さん、徳山さんの４人がお見えになったときは、ちょうど改修中でしたが、この橋を渡っていただきました。その日の地元新聞にこの橋のことが詳しく出ていました。南北戦争の時に一時工事を中断していますが、１８６６年、ラフカディオ・ハーンがシンシナティに来る３年前には完成。それがいまだに使われているのです。設計者のロブリングは完成して数年間、橋が落ちないことを確認してから、ニューヨークの有名なブルックリン橋を着工しています。いわばブルックリン橋の雛形というわけです。
この橋はチェーンではなしにケーブルであることなど、当時としては新しい手法を用いています。日本から技術団がシンシナティへ橋を見に来たことがありますが、市役所の者は新しい橋を見に来たと思っていたら、実はこの古い橋を見に来たのであり、「世界で最も美しいサスペンション・ブリッジだ」と称賛して帰ったということです。
この橋を眺めながら育った、シュトラウスという学生がいました。彼は体は小さかったが大きな構想をもった人で、卒業論文にベーリング海峡を跨いでアラスカとシベリアを結ぶ橋という論文を書いて、教授たちを驚かせました。後に人々を説得してサンフランシスコの金門橋を造り上げました。
面白いのは、ロブリングが最初に考えた橋は、川の真ん中に１本の大きな支柱を建て、両岸へ向かって吊り橋をかけるものだったこと。しかし設計上無理があって、少なくとも当時の技術ではできないことが判った。そこで今日見られるように両岸近くに２本の支柱を建てて橋を吊り、それが今も世界中に何百とあるサスペンション・ブリッジの構造になっているということです。
実は私が今日お話したいのは物理的な橋のことでなく、文化の橋、日米間あるいは東と西の文化の架け橋のことなのです。
その一人として、ラフカディオ・ハーン、小泉八雲が挙げられます。彼はセツさんという立派な奥さんを得たことで、普通の人では理解できないような、日本の文化の深いところにメスを入れることができたと思います。
もう一人は、私たちが１昨年から研究を進めているエドウィン・ダンという人物です。１８４８年オハイオ州に生まれ、大学で１年学んだ後、父の牧場の仕事をしていた時に、北海道開拓使顧問となるケプロンにスカウトされ、日本に渡ります。そして一人の日本人女性とめぐり逢い、一生を日本に捧げることになります。
津軽出身の役人の娘だったダンの妻ツルは実際には２７歳の若さで亡くなっています。ダンは失望して一度はアメリカに帰り引退しようかと考えたようですが、思いとどまり駐日公使となります。日清戦争の講和の斡旋に努め、そのお蔭で戦争が数カ月早く終わり、多くの人命を救った日中両国の恩人なのです。北海道では「酪農の父」と呼ばれ、札幌にエドウィン・ダン記念館があります。
３人目は『ア・ドーター・オブ・ザ・サムライ（武士の娘）』の著者エツ・イナガキ・スギモトです。１８９８年に単身シンシナティに着き、京都から来ていた商人の杉本松之助氏と結婚、家庭を持った最初期の日系米人の一人です。今年は百年目に当たります。
杉本氏は事業に失敗、その再建のために奔走する間に、シカゴで盲腸炎に患ります。盲腸炎といえば当時は重病。そこでシンシナティ時代に世話になった友人に妻と二人の娘を託します。フローレンス・ウイルソン、あのウイルソン大統領の親戚にあたる人でした。彼女は一晩熟慮した後引き受けます。そして約束を一生かけて守り通しました。
エツは子供を育てるためにニューヨークへ出て、著作活動を始めます。しかし日本人の英語には無理があって、投稿しても投稿してもボツ。やっと一つ「アジア」という雑誌に載り、それをもって出版社に掛け合いますが「これではとても売れない」と冷たくあしらわれます。それを聞いたフローレンスが数晩かかって原稿に手を入れました。それがベストセラーになり、７カ国語に翻訳されました。
エドウィン・ダン、ラフカディオ・ハーン、そしてエツ・スギモト、文化の架け橋は誰も一人ではできなかったのです。サポートする人がいた。吊り橋も一本の支柱ではなく、両岸に支柱が立っています。それと同じだという気がして仕方がないのです。ライシャワーとその夫人や近江八幡の一柳米来留夫妻の場合もそうですね。
そういうわけで私は架橋者に興味があります。ハーン一人にとどまらないわけです。皆さんがハーンとジェーンズの顕彰を一緒にやられたのと同じように、シンシナティではこの三人を併せて顕彰しようと思っています。
私は京大の理系の出身で、文学には無縁の人間でしたが、１９８９年２月に訪米されたハーンの孫の小泉時さんと夫人、曾孫の凡さんの３人にお会いし、ハーンへの関心を高めました。松江の百年祭に招かれ、帰りに熊本へも立ち寄りました。
全米ハーン協会は私どもの日本研究センターを中心に、１９８９年に創立され、「ラフカディオ・ハーン・ジャーナル」を出しています。創刊号には初代会長のジョン・ヒューズ、それにシルビア・メッチンガーが原稿を書いています。彼女はチューレーン大学図書館の貴重本担当で、２代目の会長となりました。しかし、ジャーナルは当初は１年に２冊出ていたのが、やがて１冊になり、途切れがちになった。これではいけないというので、今回、事務局を日本研究センターに戻して、理事長のゲリー・アイスが会長に就任、私が副会長になったわけです。
私たちは西暦２０００年のハーン生誕１５０年に備えてぼつぼつ計画していかなければならないと考えています。日本でも熊本、松江、東京、焼津、神戸など、それにマルチニークやアイルランド、ギリシャなどでも考えていると思います。ただ、各地で別々にやりますと共倒れになってしまう恐れがあります。ということで日米、あるいは他の国々との共同事業をやれないか、今回の日本訪問はそのご相談の目的もあったわけです。
私たちはシンシナティにハーンのミュージアムを２０００年迄につくりたいと考えています。市長も理解を示し始めています。ジャーナルの内容も、日本からの寄稿をお願いするなどして一層充実していきたい。インターネットを活用したいとも考えています。
以前に凡さんらとマルチニークへ行ったことがありますが、「ハーン・パーキング」という駐車場があったのには驚きました。１９８７年に最初の百年祭をやったのがマルチニークだったことも知りました。今度の生誕１５０年祭には是非一緒になって、この素晴らしい架橋者を顕彰したいと念願している次第です。
（文責久野）
田中氏は熊本日日新聞社(伊豆社長)、八雲旧居(宮崎館長)、熊本市役所(御廚助役)を訪問の後、熊本ホテルキャッスルでの歓迎昼食会に臨み、熊本アイルランド協会や熊大八雲研究会のメンバーと懇談した。
この後、15日まで福岡、松江、京都、近江八幡、東京、焼津などを訪問した。
なお田中氏は米シンシナティ日本研究センター所長(ケンタッキー州クレストビューヒルズのトーマス・モア大学内)として、多年在米、日米交流に尽力している。1991年のジェーンズとハーン記念祭訪米団のシンシナティ訪問に際しては受け入れに尽力、また同年11月の「ヘルンさんの熊本」公演(熊本市民会館)に来熊、ステージでメッセージを披露した。今回はそれ以来の来熊。（懇談会における卓話要旨は以下の通り)
４月３日に関西空港に到着、乗り換えた全日空の機内で朝日新聞を見ますと、１面に大きく明石大橋開通のニュースが出ておりました。それを見て思ったのが、シンシナティのオハイオ川に架かるサスペンション・ブリッジ（吊り橋）のことでした。
７年前、熊本のハーン記念祭の訪米団で、平野副団長と久野さん、井上さん、徳山さんの４人がお見えになったときは、ちょうど改修中でしたが、この橋を渡っていただきました。その日の地元新聞にこの橋のことが詳しく出ていました。南北戦争の時に一時工事を中断していますが、１８６６年、ラフカディオ・ハーンがシンシナティに来る３年前には完成。それがいまだに使われているのです。設計者のロブリングは完成して数年間、橋が落ちないことを確認してから、ニューヨークの有名なブルックリン橋を着工しています。いわばブルックリン橋の雛形というわけです。
この橋はチェーンではなしにケーブルであることなど、当時としては新しい手法を用いています。日本から技術団がシンシナティへ橋を見に来たことがありますが、市役所の者は新しい橋を見に来たと思っていたら、実はこの古い橋を見に来たのであり、「世界で最も美しいサスペンション・ブリッジだ」と称賛して帰ったということです。
この橋を眺めながら育った、シュトラウスという学生がいました。彼は体は小さかったが大きな構想をもった人で、卒業論文にベーリング海峡を跨いでアラスカとシベリアを結ぶ橋という論文を書いて、教授たちを驚かせました。後に人々を説得してサンフランシスコの金門橋を造り上げました。
面白いのは、ロブリングが最初に考えた橋は、川の真ん中に１本の大きな支柱を建て、両岸へ向かって吊り橋をかけるものだったこと。しかし設計上無理があって、少なくとも当時の技術ではできないことが判った。そこで今日見られるように両岸近くに２本の支柱を建てて橋を吊り、それが今も世界中に何百とあるサスペンション・ブリッジの構造になっているということです。
実は私が今日お話したいのは物理的な橋のことでなく、文化の橋、日米間あるいは東と西の文化の架け橋のことなのです。
その一人として、ラフカディオ・ハーン、小泉八雲が挙げられます。彼はセツさんという立派な奥さんを得たことで、普通の人では理解できないような、日本の文化の深いところにメスを入れることができたと思います。
もう一人は、私たちが１昨年から研究を進めているエドウィン・ダンという人物です。１８４８年オハイオ州に生まれ、大学で１年学んだ後、父の牧場の仕事をしていた時に、北海道開拓使顧問となるケプロンにスカウトされ、日本に渡ります。そして一人の日本人女性とめぐり逢い、一生を日本に捧げることになります。
津軽出身の役人の娘だったダンの妻ツルは実際には２７歳の若さで亡くなっています。ダンは失望して一度はアメリカに帰り引退しようかと考えたようですが、思いとどまり駐日公使となります。日清戦争の講和の斡旋に努め、そのお蔭で戦争が数カ月早く終わり、多くの人命を救った日中両国の恩人なのです。北海道では「酪農の父」と呼ばれ、札幌にエドウィン・ダン記念館があります。
３人目は『ア・ドーター・オブ・ザ・サムライ（武士の娘）』の著者エツ・イナガキ・スギモトです。１８９８年に単身シンシナティに着き、京都から来ていた商人の杉本松之助氏と結婚、家庭を持った最初期の日系米人の一人です。今年は百年目に当たります。
杉本氏は事業に失敗、その再建のために奔走する間に、シカゴで盲腸炎に患ります。盲腸炎といえば当時は重病。そこでシンシナティ時代に世話になった友人に妻と二人の娘を託します。フローレンス・ウイルソン、あのウイルソン大統領の親戚にあたる人でした。彼女は一晩熟慮した後引き受けます。そして約束を一生かけて守り通しました。
エツは子供を育てるためにニューヨークへ出て、著作活動を始めます。しかし日本人の英語には無理があって、投稿しても投稿してもボツ。やっと一つ「アジア」という雑誌に載り、それをもって出版社に掛け合いますが「これではとても売れない」と冷たくあしらわれます。それを聞いたフローレンスが数晩かかって原稿に手を入れました。それがベストセラーになり、７カ国語に翻訳されました。
エドウィン・ダン、ラフカディオ・ハーン、そしてエツ・スギモト、文化の架け橋は誰も一人ではできなかったのです。サポートする人がいた。吊り橋も一本の支柱ではなく、両岸に支柱が立っています。それと同じだという気がして仕方がないのです。ライシャワーとその夫人や近江八幡の一柳米来留夫妻の場合もそうですね。
そういうわけで私は架橋者に興味があります。ハーン一人にとどまらないわけです。皆さんがハーンとジェーンズの顕彰を一緒にやられたのと同じように、シンシナティではこの三人を併せて顕彰しようと思っています。
私は京大の理系の出身で、文学には無縁の人間でしたが、１９８９年２月に訪米されたハーンの孫の小泉時さんと夫人、曾孫の凡さんの３人にお会いし、ハーンへの関心を高めました。松江の百年祭に招かれ、帰りに熊本へも立ち寄りました。
全米ハーン協会は私どもの日本研究センターを中心に、１９８９年に創立され、「ラフカディオ・ハーン・ジャーナル」を出しています。創刊号には初代会長のジョン・ヒューズ、それにシルビア・メッチンガーが原稿を書いています。彼女はチューレーン大学図書館の貴重本担当で、２代目の会長となりました。しかし、ジャーナルは当初は１年に２冊出ていたのが、やがて１冊になり、途切れがちになった。これではいけないというので、今回、事務局を日本研究センターに戻して、理事長のゲリー・アイスが会長に就任、私が副会長になったわけです。
私たちは西暦２０００年のハーン生誕１５０年に備えてぼつぼつ計画していかなければならないと考えています。日本でも熊本、松江、東京、焼津、神戸など、それにマルチニークやアイルランド、ギリシャなどでも考えていると思います。ただ、各地で別々にやりますと共倒れになってしまう恐れがあります。ということで日米、あるいは他の国々との共同事業をやれないか、今回の日本訪問はそのご相談の目的もあったわけです。
私たちはシンシナティにハーンのミュージアムを２０００年迄につくりたいと考えています。市長も理解を示し始めています。ジャーナルの内容も、日本からの寄稿をお願いするなどして一層充実していきたい。インターネットを活用したいとも考えています。
以前に凡さんらとマルチニークへ行ったことがありますが、「ハーン・パーキング」という駐車場があったのには驚きました。１９８７年に最初の百年祭をやったのがマルチニークだったことも知りました。今度の生誕１５０年祭には是非一緒になって、この素晴らしい架橋者を顕彰したいと念願している次第です。
（文責久野）
「ケルト神話「ディアドラとメイヴ」 熊本県立大学教授 小辻梅子
（’03.12.20.の講演から）
こんばんは。小辻でございます。
今、田中先生に御紹介いただきましたが、いろいろと訂正しなければなりません。大変お褒めいただきましたけれども、私自身はとても怠け者でございまして、この８年間熊本の皆様方に非常にお世話になりながら、本業の教育研究のほうはほどほどにやってきたつもりですけれども、なかなか成果は上がっておりません。何とか実りあるものを残して熊本の地を去りたいと思っておりましたが、今のところはじたばたしてももう間に合わない状態であります。
今日は「ケルト神話」という大変漠然としたタイトルですが、ケルト神話の中に登場する二人の女性（女神、女王）について話をさせていただきます。二人の名前はディアドラとメイヴです。ケルト神話と申しましたが、ここではアイルランドの神話になります。
◆歴史の神話化
ある民族は、たとえばローマ人のように、神話を歴史化するのに対して、アイルランド人は歴史を神話化すると言われております。私たちがアイルランドの歴史について考えた場合に、事実としての歴史を実感するのは、セント・パトリックのキリスト教布教の頃、大体５世紀でしょうか。
それ以前のアイルランドの歴史は、神話とか伝説、そして民話、そういうものが渾然一体となって、どこまでが神話なのか、どこからが歴史なのか非常に分かりにくいところがあります。ところが、その５世紀のセント・パトリックのキリスト教布教以降もこの歴史の神話化というのはアイルランドではかなり見られるのではないかと思います。そしてそこでも神話・伝説と歴史が融合し合っていることをしばしば感じることができるわけです。
これがまたアイルランドの面白いところであり、魅力でもありましょう。
◆アイルランドの女神たち
アイルランドの女神は大体二つのタイプに分けることができます。一つは大地の女神、土地の守護神、川や湖を守る神様です。それからもう一つのタイプは戦争の神様です。これは殺戮と破壊を司る神々なのですけれども、土地を守り肥沃を司る大地の女神と破壊を司る戦争の神という全く相反する役割を持つ神々を、一人ひとりがそれぞれ分担する場合もあるのですが、中には一人で二つの役割を兼ねるような女神もいます。
今日お話しするメイヴは、その両方を兼ね備えているような性格の女性です。ディアドラのほうは絶世の美女ということで、２０世紀のイェイツやシングの劇でも取り上げられています。この二人の女性を今日は比較してみたいと思います。
◆ディアドラ
ディアドラは、生まれる前から絶世の美女であるという預言をされます。彼女がまだ母親のお腹の中にいる頃母親に向かってなされるその韻文の預言を引用します。
「そなたの腹で叫びしは 波打つ金髪、みどりの目 ジギタリスのごと、赤き頬 比すべきものなき乙女なり。雪より白き歯並びに 火のごとく赤き唇 この子のためにアルスターの戦士は争いに巻き込まれ 勇士大王入り乱れ 血で血を洗う 果てしなき闘い生じ コナハーの王国に満つ屍の山 そなたの腹で叫びしは 長く美しき髪をした 完全無欠の乙女なり 他国の王女も一目見て 胸傷むほどの肢体にて 赤き唇 真珠の歯 これがそなたの娘とは」
この預言を聞いて、すぐにその子は殺してしまえと言う者もおりましたけれども、コナハー王が、将来は自分の妃にしようと思って、人目につかぬところで彼女を密かに育てさせます。そしてディアドラという名がつけられました。「悲しみをもたらすもの」という意味です。
◆ニーシャ
ディアドラは預言どおり大変美しい娘に成長しました。ある時彼女を育てている養父が、彼女に食べさせるために牛を殺しているところにディアドラが行き合わせます。牛の血が降り積もった雪の上に流れているのを見て、ディアドラは「私は三つの色を持つ男性と結婚したいわ」と言います。三つの色とは黒と白と赤です。カラスのような黒い髪、雪のような白い肌、それから血のような赤い頬、この三つの色を持つ青年と結婚したいと言うのです。そして彼女のイメージどおりの男性と出合うことになるのですが、それがニーシャです。
ニーシャは、ディアドラが将来はコナハー王の妃になる人だということを知っていますから、彼女には近づかないようにしているのですが、彼女の方から大胆にニーシャに近づいて行って、そして二人は恋に落ち、ついには駆け落ちということになってしまいます。
ニーシャには二人の弟がいて、その弟たちも一緒にニーシャとディアドラはスコットランドへ逃れます。それを知ったコナハー王は当然烈火のごとく怒って彼らをなんとか呼び戻そうとします。
ディアドラの話にはいくつものヴァージョンがあって、スコットランドにいる期間が話によってまちまちなのですが、大体７年というところでしょう。
コナハー王は、ニーシャには元の地位に就けてやるからと言って、彼らを呼び戻します。しかし王自身ははじめからディアドラだけを取り戻して、ニーシャ兄弟は殺すつもりでした。王はそのとおり実行し、後にはディアドラが取り残されます。ディアドラは１年間コナハーの元で過ごしたけれども、その間一度も笑わなかったと言われます。
そして１年経った頃、コナハー王と馬車に乗っていた時に疾走する馬車の中から岩をめがけて飛び込み、壮絶な死を遂げたのでした。
ディアドラが権威におもねらず、権力を無視し、そして自分の愛するニーシャとの愛を貫いて死んだ、その一途で真摯な姿が後世の人々の心を捉え、文学的な花を開かせ、そして実を結ばせたのだと言えましょう。
◆メイヴ
今日の二人の女性のうちもう一方のメイヴはコナハトの女王です。彼女が活躍するのは『クーリーの牛取り』というアイルランドの叙事詩の中です。このメイヴ女王の系譜をずっと遡っていきますと、バンバ、エリウ、フォドラ（フォラ）という三人の女王にたどり着くというのです。この三人は同一人物だとも言われます。
今のアイルランド人の先祖であるミレシア族が、スペインからやって来てアイルランドに上陸した時、彼らを迎えたのがこの三人の女王だったとされております。三人はそれぞれ自分の名前をこの国に付けなさいとミレシア族に向かって言いました。それで古代アイルランドはエリウの名を取って「エリン」と呼ばれるようになりました。
アイルランドの名先祖にまでたどり着くことのできる系譜を持つコナハト女王メイヴは自分が三人の女王の系譜に連なる重要な位置を占める存在であることを人々に向かって声高に言います。
「私は大地である。古来この地の主権は私にある。私には王を聖別し、王をつくる力がある。エリンを治めたいと思う者は、まず私とともに寝て、私の祝福を受けなければならない。古来のしきたりを無視する者はその治世の時は短い。私はコナハトの女王である」
この時のコナハトの王はアリルという王ですが、メイヴが言ってるように、王になりたい者はまず彼女と寝て、メイヴの祝福を受けなければなりません。メイヴは七人の王を祝福した、つまり七人の王と寝て王たちを聖別したと言われていますが、その七人の中に、例の、ディアドラを妃にしようとしたコナハー王もいたのです。
アリルとメイヴは夫婦ですが、この二人は別々に邸を構えていて、それぞれ蓄財に熱心で、金や家畜を増やすことに励んでいます。そしてついには二人で財産比べが始まります。本当に取るに足りない、つまらない台所用品から、アクセサリーや服の類を、一つ一つ現物を持ってきて、お互いに比べあうことから始まります。そしてついには家畜の牛、馬、豚、羊も一頭一頭連れて来て、大きさを比べてはそれぞれお互いに釣り合う財産を持っていることを確認していきます。
ところが最後にアリル王の方に一頭の立派な白い雄牛がいるのに、メイヴの方にはこの白い雄牛に匹敵する牛がいないことが判明します。実はこの白い雄牛は元来メイヴの雌牛が産んだ子なのですが、雄牛は女に牽かれることを嫌って、アリル王の群れの中へ入って行ったのです。メイヴは白い雄牛に相当する牛が自分のところにいないのを悲観して、何とかそれに匹敵するような牛を探して来いと、使者を使いに出します。
◆クーリーの赤牛
白い雄牛に匹敵する、いやあるいはそれ以上と思われる牛が見つかります。それがクーリーの赤牛です。クーリーというのはアルスター地方にある場所です。メイヴはそこに使者を遣わして、赤牛を一年間借りて来い、一年後に借り賃として５０頭の雌の子牛や戦車をやると言います。もしその牛だけをアルスターからコナハトまでやるのが心配だったら、その持ち主本人がコナハトまで連れて来ればいい、そうすればさらにコナハトの土地を、彼がアルスターで持っているのと同じくらいの広さやろうとも言います。その上「私の優しい太股」も進呈すると言うのです。非常に性的な意味を含む誘惑であります。そうすると赤牛の持ち主は、「優しい太股」が功を奏したのか、大変喜んですぐ同意してしまいます。
ところがその後、使者がお酒や御馳走のもてなしを受けている間に、いろいろと暴言が飛び出し、もし牛の所有者が簡単に同意しなかった場合は、力ずくでも赤牛を連れて帰るところだったと言ってしまいます。それが赤牛の所有者の怒りに触れて、交渉は決裂ということになります。そこでクーリーの牛争いという戦争が始まるのです。
◆クーフーリン
『クーリーの牛取り』というこの叙事詩の中で、もっとも活躍するのがクーフーリンという英雄です。クーフーリンはアルスター側の人間です。人間と言ってもこのクーフーリンはルーグという神と人間の女性の間に生まれました。彼はこの時わずか１７歳ですが、一人でコナハト軍を迎え撃つことになります。コナハト軍と言っても、実はアルスター軍を除く全アイルランド軍が加わっているのです。メイヴがあの手この手でほかの地方の王たちを説き伏せて自分の味方につけてしまい、それでコナハト軍は５万の大軍になりました。
５万の大軍をクーフーリンはなぜ一人で迎え撃たねばならないのでしょうか。アルスターの男たちはいったい何をしているのでしょうか。
実はアルスターの男たちは「マッハの呪い」という呪いにかけられていて、４日5晩の間女の人の陣痛の時と同じように苦しくて苦しくて、動けない状態にあるのです。それでその4日5晩の間はクーフーリンが一人でコナハト軍を迎え撃たねばなりません。その間闘いのルールは原則として一対一なのに、メイヴは大変な策略をめぐらす女性ですから、原則を無視して時には複数の者にクーフーリンを襲わせたりしますが、クーフーリンはことごとく撃退してしまいます。
その闘いの様子が『クーリーの牛取り』の中では非常に克明に描かれています。ですからこの物語の主人公はクーフーリンというふうに考えることもできるのですけれども、その主役のクーフーリンを食ってしまいそうな存在感を発揮しているのがこのメイヴなのです。
◆戦場のメイヴ
メイヴについての描写を少し拾ってみます。メイヴから仕掛けられた闘いの途中で負傷したアルスターの男に、彼の手当をしている医者が、「うぬぼれの強い傲慢な女があなたにこんな傷を負わせたのだ」と言います。すると負傷したアルスター兵士が「背が高く、姿の美しい面長な女が優しげな顔つきで私の方へやって来た。髪の色は黄色で、両方の肩に金色の鳥が止まっていた。紫のマントで身を包み、掌五つ分の大きな金を背負っていた。手には軽くて、切っ先の鋭い槍を持ち、もう一方の手で女人用の柄を持つ鉄剣を頭上に振りかざしていた。ともかく堂々とした姿だった。その女が最初に私を攻撃してきたのだ」
また別の男はこう言います。「メイヴは魔女だと聞いている。男を食っていつまでも生きている魔女なのだ」
メイヴは闘いの途中でいろいろな発言をするのですが、彼女の言葉は非常に大胆というか、豪胆であります。先ほどの、「私は大地」という言葉を何度となく吐きます。
「私は大地の代表だ。私はエリン。私は大地のためにしなければならないことをした。家畜を殖やすことは私の務めだった。そうすることが、大地を崇めることだから。私は血に怯えるような女ではない」
最初の進軍のところで、テントを張る時、メイヴは自分たちに加勢しに来ているレンスター軍について不平を述べる場面があります。レンスター軍と行動を共にするのは得策ではないとメイヴは夫のアリルに言います。夫が、彼らは自分たちに味方して戦いに参加しているのに、彼らのどこがわるいのかと訊きます。するとメイヴは、あの人たちはとにかく仕事が早い、ほかの軍隊がテントを張る地面の地均しをしている間に、もう彼らは張り終えて食事の支度をしている。ほかの軍隊が食事の支度をしている間に、もう彼らは食事をし終えて、食後の竪琴の音楽を楽しんでいる、と言うのです。
このまま彼らと一緒にアルスターに攻め入れば、手柄はすべて彼らに横取りされてしまうと言うメイヴ。アリルは、それではレンスター軍をアルスターに連れて行くのはやめて、コナハトに残して行こうではないかと言います。メイヴは、いやそれもだめ、そんなことをすれば私たちがいない間にコナハトを取り上げられてしまうからと言うのです。ではどうすればいいのかとアリルが問うと、彼女はレンスター軍を殺すのだと答えます。そういうことをすぐ思いつく、口に出す、そして即座に実行に移す、メイヴはそんな女性なのです。だがその場は、ファーガスというアルスターから亡命してきていた男が取り成し、レンスター軍を分散させるという方法をとって、５万の大軍はアルスターに攻めて行くことになりました。
しかし４日５晩の期限が過ぎると、アルスターの男たちに力が戻ってきます。アルスター軍が立ち上がるとコナハト軍は退却を余儀なくされます。結局コナハトの敗北に終わるのですが、最後にアルスターから亡命してきていた男が、「おれたちは道を間違う雌牛に牽かれていたようなものだ。雌牛について行くと、よく道に迷って、そして最後は滅んでしまうことがあるのだ」と締めくくっています。
◆ディアドラの系譜
ケルト神話のアルスター伝説に登場するディアドラとメイヴという非常に対照的な二人。一人は絶世の美女、もう一人は烈女、女傑。一人は権威も権力も拒んで愛を貫き、もう一人は権威を振りかざして更なる権力の獲得に血眼になります。ここでは三人の女王に連なる系譜をひけらかし大地の女神であることを印象付けるメイヴの存在感が、ディアドラを圧倒しています。ディアドラはとてもメイヴには太刀打ちできないようですけれども、彼女は後の文学に大きな影響を与えていくのです。
中世の『アーサー王物語』の中のアーサーの妃グウィネヴィアや『トリスタンとイゾルデ』のイゾルデといった女性たちにディアドラはつながっていくのです。そして２０世紀のシングやイェイツの劇の中でもディアドラは活躍します。ディアドラは中世から現代にかけて花開き実を結んだと言えるでしょう。
ケルトの大地の女神は肥沃を司る反面、戦争の神としての側面も持つのですが、この神は大地から栄養を吸い取りながらまた大地に栄養を返して、大地に肥沃と荒廃をもたらすことを繰り返して来たのでしょう。その大地の中から芽生えて美しい花を咲かせていくのが、ディアドラではないかと思います。ディアドラは中世のグウィネヴィアやイゾルデのような大輪の花へと成長し、また２０世紀のシングやイェイツの劇の中では同じディアドラという名で実を結んでいるのではないのでしょうか。「悲しみをもたらすもの」という意味の名前を付けられながらもディアドラが一途な愛を貫いたその永遠性が、破壊と殺戮を繰り返しながらも大地の女神としての役目を全うしたメイヴによって豊かにされた土壌に育まれたのです。２０世紀の文学に、メイヴを原型とする女性を探すとすれば、それはジョイスの『ユリシーズ』の中のブルームの妻モリーになるでしょう。
あまりまとまりませんでしたけれども、これで終わらせていただきます。
（このtable talkを文章化したものは、2004年7月発行の熊本県立大学英語英米文学会誌『ELLA』3号にも掲載されていることをお断りしておきます。2004.12.15記）
こんばんは。小辻でございます。
今、田中先生に御紹介いただきましたが、いろいろと訂正しなければなりません。大変お褒めいただきましたけれども、私自身はとても怠け者でございまして、この８年間熊本の皆様方に非常にお世話になりながら、本業の教育研究のほうはほどほどにやってきたつもりですけれども、なかなか成果は上がっておりません。何とか実りあるものを残して熊本の地を去りたいと思っておりましたが、今のところはじたばたしてももう間に合わない状態であります。
今日は「ケルト神話」という大変漠然としたタイトルですが、ケルト神話の中に登場する二人の女性（女神、女王）について話をさせていただきます。二人の名前はディアドラとメイヴです。ケルト神話と申しましたが、ここではアイルランドの神話になります。
◆歴史の神話化
ある民族は、たとえばローマ人のように、神話を歴史化するのに対して、アイルランド人は歴史を神話化すると言われております。私たちがアイルランドの歴史について考えた場合に、事実としての歴史を実感するのは、セント・パトリックのキリスト教布教の頃、大体５世紀でしょうか。
それ以前のアイルランドの歴史は、神話とか伝説、そして民話、そういうものが渾然一体となって、どこまでが神話なのか、どこからが歴史なのか非常に分かりにくいところがあります。ところが、その５世紀のセント・パトリックのキリスト教布教以降もこの歴史の神話化というのはアイルランドではかなり見られるのではないかと思います。そしてそこでも神話・伝説と歴史が融合し合っていることをしばしば感じることができるわけです。
これがまたアイルランドの面白いところであり、魅力でもありましょう。
◆アイルランドの女神たち
アイルランドの女神は大体二つのタイプに分けることができます。一つは大地の女神、土地の守護神、川や湖を守る神様です。それからもう一つのタイプは戦争の神様です。これは殺戮と破壊を司る神々なのですけれども、土地を守り肥沃を司る大地の女神と破壊を司る戦争の神という全く相反する役割を持つ神々を、一人ひとりがそれぞれ分担する場合もあるのですが、中には一人で二つの役割を兼ねるような女神もいます。
今日お話しするメイヴは、その両方を兼ね備えているような性格の女性です。ディアドラのほうは絶世の美女ということで、２０世紀のイェイツやシングの劇でも取り上げられています。この二人の女性を今日は比較してみたいと思います。
◆ディアドラ
ディアドラは、生まれる前から絶世の美女であるという預言をされます。彼女がまだ母親のお腹の中にいる頃母親に向かってなされるその韻文の預言を引用します。
「そなたの腹で叫びしは 波打つ金髪、みどりの目 ジギタリスのごと、赤き頬 比すべきものなき乙女なり。雪より白き歯並びに 火のごとく赤き唇 この子のためにアルスターの戦士は争いに巻き込まれ 勇士大王入り乱れ 血で血を洗う 果てしなき闘い生じ コナハーの王国に満つ屍の山 そなたの腹で叫びしは 長く美しき髪をした 完全無欠の乙女なり 他国の王女も一目見て 胸傷むほどの肢体にて 赤き唇 真珠の歯 これがそなたの娘とは」
この預言を聞いて、すぐにその子は殺してしまえと言う者もおりましたけれども、コナハー王が、将来は自分の妃にしようと思って、人目につかぬところで彼女を密かに育てさせます。そしてディアドラという名がつけられました。「悲しみをもたらすもの」という意味です。
◆ニーシャ
ディアドラは預言どおり大変美しい娘に成長しました。ある時彼女を育てている養父が、彼女に食べさせるために牛を殺しているところにディアドラが行き合わせます。牛の血が降り積もった雪の上に流れているのを見て、ディアドラは「私は三つの色を持つ男性と結婚したいわ」と言います。三つの色とは黒と白と赤です。カラスのような黒い髪、雪のような白い肌、それから血のような赤い頬、この三つの色を持つ青年と結婚したいと言うのです。そして彼女のイメージどおりの男性と出合うことになるのですが、それがニーシャです。
ニーシャは、ディアドラが将来はコナハー王の妃になる人だということを知っていますから、彼女には近づかないようにしているのですが、彼女の方から大胆にニーシャに近づいて行って、そして二人は恋に落ち、ついには駆け落ちということになってしまいます。
ニーシャには二人の弟がいて、その弟たちも一緒にニーシャとディアドラはスコットランドへ逃れます。それを知ったコナハー王は当然烈火のごとく怒って彼らをなんとか呼び戻そうとします。
ディアドラの話にはいくつものヴァージョンがあって、スコットランドにいる期間が話によってまちまちなのですが、大体７年というところでしょう。
コナハー王は、ニーシャには元の地位に就けてやるからと言って、彼らを呼び戻します。しかし王自身ははじめからディアドラだけを取り戻して、ニーシャ兄弟は殺すつもりでした。王はそのとおり実行し、後にはディアドラが取り残されます。ディアドラは１年間コナハーの元で過ごしたけれども、その間一度も笑わなかったと言われます。
そして１年経った頃、コナハー王と馬車に乗っていた時に疾走する馬車の中から岩をめがけて飛び込み、壮絶な死を遂げたのでした。
ディアドラが権威におもねらず、権力を無視し、そして自分の愛するニーシャとの愛を貫いて死んだ、その一途で真摯な姿が後世の人々の心を捉え、文学的な花を開かせ、そして実を結ばせたのだと言えましょう。
◆メイヴ
今日の二人の女性のうちもう一方のメイヴはコナハトの女王です。彼女が活躍するのは『クーリーの牛取り』というアイルランドの叙事詩の中です。このメイヴ女王の系譜をずっと遡っていきますと、バンバ、エリウ、フォドラ（フォラ）という三人の女王にたどり着くというのです。この三人は同一人物だとも言われます。
今のアイルランド人の先祖であるミレシア族が、スペインからやって来てアイルランドに上陸した時、彼らを迎えたのがこの三人の女王だったとされております。三人はそれぞれ自分の名前をこの国に付けなさいとミレシア族に向かって言いました。それで古代アイルランドはエリウの名を取って「エリン」と呼ばれるようになりました。
アイルランドの名先祖にまでたどり着くことのできる系譜を持つコナハト女王メイヴは自分が三人の女王の系譜に連なる重要な位置を占める存在であることを人々に向かって声高に言います。
「私は大地である。古来この地の主権は私にある。私には王を聖別し、王をつくる力がある。エリンを治めたいと思う者は、まず私とともに寝て、私の祝福を受けなければならない。古来のしきたりを無視する者はその治世の時は短い。私はコナハトの女王である」
この時のコナハトの王はアリルという王ですが、メイヴが言ってるように、王になりたい者はまず彼女と寝て、メイヴの祝福を受けなければなりません。メイヴは七人の王を祝福した、つまり七人の王と寝て王たちを聖別したと言われていますが、その七人の中に、例の、ディアドラを妃にしようとしたコナハー王もいたのです。
アリルとメイヴは夫婦ですが、この二人は別々に邸を構えていて、それぞれ蓄財に熱心で、金や家畜を増やすことに励んでいます。そしてついには二人で財産比べが始まります。本当に取るに足りない、つまらない台所用品から、アクセサリーや服の類を、一つ一つ現物を持ってきて、お互いに比べあうことから始まります。そしてついには家畜の牛、馬、豚、羊も一頭一頭連れて来て、大きさを比べてはそれぞれお互いに釣り合う財産を持っていることを確認していきます。
ところが最後にアリル王の方に一頭の立派な白い雄牛がいるのに、メイヴの方にはこの白い雄牛に匹敵する牛がいないことが判明します。実はこの白い雄牛は元来メイヴの雌牛が産んだ子なのですが、雄牛は女に牽かれることを嫌って、アリル王の群れの中へ入って行ったのです。メイヴは白い雄牛に相当する牛が自分のところにいないのを悲観して、何とかそれに匹敵するような牛を探して来いと、使者を使いに出します。
◆クーリーの赤牛
白い雄牛に匹敵する、いやあるいはそれ以上と思われる牛が見つかります。それがクーリーの赤牛です。クーリーというのはアルスター地方にある場所です。メイヴはそこに使者を遣わして、赤牛を一年間借りて来い、一年後に借り賃として５０頭の雌の子牛や戦車をやると言います。もしその牛だけをアルスターからコナハトまでやるのが心配だったら、その持ち主本人がコナハトまで連れて来ればいい、そうすればさらにコナハトの土地を、彼がアルスターで持っているのと同じくらいの広さやろうとも言います。その上「私の優しい太股」も進呈すると言うのです。非常に性的な意味を含む誘惑であります。そうすると赤牛の持ち主は、「優しい太股」が功を奏したのか、大変喜んですぐ同意してしまいます。
ところがその後、使者がお酒や御馳走のもてなしを受けている間に、いろいろと暴言が飛び出し、もし牛の所有者が簡単に同意しなかった場合は、力ずくでも赤牛を連れて帰るところだったと言ってしまいます。それが赤牛の所有者の怒りに触れて、交渉は決裂ということになります。そこでクーリーの牛争いという戦争が始まるのです。
◆クーフーリン
『クーリーの牛取り』というこの叙事詩の中で、もっとも活躍するのがクーフーリンという英雄です。クーフーリンはアルスター側の人間です。人間と言ってもこのクーフーリンはルーグという神と人間の女性の間に生まれました。彼はこの時わずか１７歳ですが、一人でコナハト軍を迎え撃つことになります。コナハト軍と言っても、実はアルスター軍を除く全アイルランド軍が加わっているのです。メイヴがあの手この手でほかの地方の王たちを説き伏せて自分の味方につけてしまい、それでコナハト軍は５万の大軍になりました。
５万の大軍をクーフーリンはなぜ一人で迎え撃たねばならないのでしょうか。アルスターの男たちはいったい何をしているのでしょうか。
実はアルスターの男たちは「マッハの呪い」という呪いにかけられていて、４日5晩の間女の人の陣痛の時と同じように苦しくて苦しくて、動けない状態にあるのです。それでその4日5晩の間はクーフーリンが一人でコナハト軍を迎え撃たねばなりません。その間闘いのルールは原則として一対一なのに、メイヴは大変な策略をめぐらす女性ですから、原則を無視して時には複数の者にクーフーリンを襲わせたりしますが、クーフーリンはことごとく撃退してしまいます。
その闘いの様子が『クーリーの牛取り』の中では非常に克明に描かれています。ですからこの物語の主人公はクーフーリンというふうに考えることもできるのですけれども、その主役のクーフーリンを食ってしまいそうな存在感を発揮しているのがこのメイヴなのです。
◆戦場のメイヴ
メイヴについての描写を少し拾ってみます。メイヴから仕掛けられた闘いの途中で負傷したアルスターの男に、彼の手当をしている医者が、「うぬぼれの強い傲慢な女があなたにこんな傷を負わせたのだ」と言います。すると負傷したアルスター兵士が「背が高く、姿の美しい面長な女が優しげな顔つきで私の方へやって来た。髪の色は黄色で、両方の肩に金色の鳥が止まっていた。紫のマントで身を包み、掌五つ分の大きな金を背負っていた。手には軽くて、切っ先の鋭い槍を持ち、もう一方の手で女人用の柄を持つ鉄剣を頭上に振りかざしていた。ともかく堂々とした姿だった。その女が最初に私を攻撃してきたのだ」
また別の男はこう言います。「メイヴは魔女だと聞いている。男を食っていつまでも生きている魔女なのだ」
メイヴは闘いの途中でいろいろな発言をするのですが、彼女の言葉は非常に大胆というか、豪胆であります。先ほどの、「私は大地」という言葉を何度となく吐きます。
「私は大地の代表だ。私はエリン。私は大地のためにしなければならないことをした。家畜を殖やすことは私の務めだった。そうすることが、大地を崇めることだから。私は血に怯えるような女ではない」
最初の進軍のところで、テントを張る時、メイヴは自分たちに加勢しに来ているレンスター軍について不平を述べる場面があります。レンスター軍と行動を共にするのは得策ではないとメイヴは夫のアリルに言います。夫が、彼らは自分たちに味方して戦いに参加しているのに、彼らのどこがわるいのかと訊きます。するとメイヴは、あの人たちはとにかく仕事が早い、ほかの軍隊がテントを張る地面の地均しをしている間に、もう彼らは張り終えて食事の支度をしている。ほかの軍隊が食事の支度をしている間に、もう彼らは食事をし終えて、食後の竪琴の音楽を楽しんでいる、と言うのです。
このまま彼らと一緒にアルスターに攻め入れば、手柄はすべて彼らに横取りされてしまうと言うメイヴ。アリルは、それではレンスター軍をアルスターに連れて行くのはやめて、コナハトに残して行こうではないかと言います。メイヴは、いやそれもだめ、そんなことをすれば私たちがいない間にコナハトを取り上げられてしまうからと言うのです。ではどうすればいいのかとアリルが問うと、彼女はレンスター軍を殺すのだと答えます。そういうことをすぐ思いつく、口に出す、そして即座に実行に移す、メイヴはそんな女性なのです。だがその場は、ファーガスというアルスターから亡命してきていた男が取り成し、レンスター軍を分散させるという方法をとって、５万の大軍はアルスターに攻めて行くことになりました。
しかし４日５晩の期限が過ぎると、アルスターの男たちに力が戻ってきます。アルスター軍が立ち上がるとコナハト軍は退却を余儀なくされます。結局コナハトの敗北に終わるのですが、最後にアルスターから亡命してきていた男が、「おれたちは道を間違う雌牛に牽かれていたようなものだ。雌牛について行くと、よく道に迷って、そして最後は滅んでしまうことがあるのだ」と締めくくっています。
◆ディアドラの系譜
ケルト神話のアルスター伝説に登場するディアドラとメイヴという非常に対照的な二人。一人は絶世の美女、もう一人は烈女、女傑。一人は権威も権力も拒んで愛を貫き、もう一人は権威を振りかざして更なる権力の獲得に血眼になります。ここでは三人の女王に連なる系譜をひけらかし大地の女神であることを印象付けるメイヴの存在感が、ディアドラを圧倒しています。ディアドラはとてもメイヴには太刀打ちできないようですけれども、彼女は後の文学に大きな影響を与えていくのです。
中世の『アーサー王物語』の中のアーサーの妃グウィネヴィアや『トリスタンとイゾルデ』のイゾルデといった女性たちにディアドラはつながっていくのです。そして２０世紀のシングやイェイツの劇の中でもディアドラは活躍します。ディアドラは中世から現代にかけて花開き実を結んだと言えるでしょう。
ケルトの大地の女神は肥沃を司る反面、戦争の神としての側面も持つのですが、この神は大地から栄養を吸い取りながらまた大地に栄養を返して、大地に肥沃と荒廃をもたらすことを繰り返して来たのでしょう。その大地の中から芽生えて美しい花を咲かせていくのが、ディアドラではないかと思います。ディアドラは中世のグウィネヴィアやイゾルデのような大輪の花へと成長し、また２０世紀のシングやイェイツの劇の中では同じディアドラという名で実を結んでいるのではないのでしょうか。「悲しみをもたらすもの」という意味の名前を付けられながらもディアドラが一途な愛を貫いたその永遠性が、破壊と殺戮を繰り返しながらも大地の女神としての役目を全うしたメイヴによって豊かにされた土壌に育まれたのです。２０世紀の文学に、メイヴを原型とする女性を探すとすれば、それはジョイスの『ユリシーズ』の中のブルームの妻モリーになるでしょう。
あまりまとまりませんでしたけれども、これで終わらせていただきます。
（このtable talkを文章化したものは、2004年7月発行の熊本県立大学英語英米文学会誌『ELLA』3号にも掲載されていることをお断りしておきます。2004.12.15記）
「2005年度 忘年会」 '05.12.10 熊本交通センターホテル
2005年度忘年会は12月10日（土）午後4時30分から交通センターホテル6F椿の間で開催。
先ず、熊本を第二のカンヌにしようと頑張っておられる熊本出身の映画監督、黒川裕一氏の"HINAMI"紹介。
中島会長の挨拶で開会。また会長が最近第28回信友社賞を受賞されたのでマドンナ鶴田五百子さんから記念品の贈呈。久野啓介副会長の乾杯で開宴。
途中、野田恭子さん、丸山歳之さん、中村青史さんのの近況報告。
閉会は副会長で肥後銀行顧問の稲垣精一氏のアイルランド＆ヨーロッパ経済雑感のスピーチで一本〆で散会。
先ず、熊本を第二のカンヌにしようと頑張っておられる熊本出身の映画監督、黒川裕一氏の"HINAMI"紹介。
中島会長の挨拶で開会。また会長が最近第28回信友社賞を受賞されたのでマドンナ鶴田五百子さんから記念品の贈呈。久野啓介副会長の乾杯で開宴。
途中、野田恭子さん、丸山歳之さん、中村青史さんのの近況報告。
閉会は副会長で肥後銀行顧問の稲垣精一氏のアイルランド＆ヨーロッパ経済雑感のスピーチで一本〆で散会。
「Lafcadio Hearn Workshop in Cicinnatiを終えて」 シンシナティー日本研究センター所長 田中欣二 シンシナティー
１９９０年の夏に松江で開催された小泉八雲来日百年記念祭に参加の帰途数名の訪日団員と共に熊本を表敬訪問したのがご縁で、翌夏には「ジェーンズとハーン記念祭訪米団」の平野、久野、井上、徳山の諸氏をシンシナティで歓迎。同年１１月には素晴らしい「へるんさんの熊本」の初公演を観劇。その様な関係で、ハーン生誕百年祭には当地やマルティニークも含めて頂き度いとの希望を（本誌1998.8.1にも）表明していおいたのですが、昨年は欧州経由でマルティニークへ行かれてしまいがっかりしました。そこへ八雲会から今年はシンシナティとニューオリンズでワークショップをしたいと言う希望が届きましたので、熊本からも是非参加して頂きたいと昨秋訪熊の際にアッピールしておきましたところ、西川、今村、里見、福沢の諸先生の賛同を得、帰米中のDr. Rosenも講師を快諾下さり、当地での講演会はPublic Library of Cincinnati ＆ Hamilton County（以下公立図書館）、八雲会、熊本アイルランド協会と当センターが共催することになった次第です。講演会等については、上記の諸先生がかなり詳しく書いておられるので重複を避け、ホストとしての裏話と感想を少し述べさせて頂きます。
実はシンシナティでは、今年の４月に白人警官の黒人青年射殺事件に端を発して市内で暴動が起こり、市長が夜間外出禁止令を出すと言う非常事態が発生。この事件はＣＮＮ等を通じて日本にも報道されたので皆様もご存知だったと思います。そこで参加者の安全を計ることが最大の問題となり、講演会場の公立図書館の眞前のThe Garfield Suites Hotelに全員の部屋を確保、２階建てのペントハウスの下階を会議室として常時利用して頂ける様にアレンジし、夫婦以外は全員個室でありながら応接間と台所のついたスイートを用意して会期中は図書館とホテルの往復だけで主要な研究調査が出来る様に計画しました。ハーン関係の史跡は７月２９日（日曜）の午前中にほぼ全員が、ハーンの旧居跡、勤務した新聞社や尖塔に登って記事にしたSt. Peter in Chains Cathedral等を徒歩で訪問。教会へ集う人達以外はほとんど人通りのない時間帯でしたが前後を４人が護衛。午後は後述の様に公立図書館での講演会、ペントハウスでのレセプション、「紅花」での歓迎夕食会があり、早朝の雨も止み概ね予定通り進行でき幸いでした。
３０日（月曜）は団体バスで、運河跡やハーンがよく取材したOver‐the‐Rhine、彼を一躍有名にしたTHE TANYARD MURDER事件現場の跡等を訪問、その辺は日中でも一人歩き出来ないような物騒な所なので降車はご遠慮願い、シンシナティ大学のJon C. Hughes教授が車中で説明。さらに、オハイオ川を渡ってケンタッキー州のカビントン市にあるRiverview Restaurantでシンシナティを望見しながら昼食をすませ、午後は歴史協会の図書館訪問と外輪船によるオハイオ川下りを楽しんで頂いた後、スーパーで食料品等を買い込み、１８６６年に完成した Roeblingの吊り橋を渡ってホテルに戻るという忙しい日程でした。参加者の中には午後９時まで公立図書館で調査をしておられた人達もあった模様です。
７月３１日（火曜）は日展入選の形山栄依子さんが精魂を込めて作られた藍染のハーン肖像画の贈呈式を図書館ですませた後、Eden Parkにある美術館を見学、ハーンの影響を受けたと言うDr. Gustav EcksteinがFrank Lloid Wright から譲り受けて寄贈した、広重の「東海道五十三次」のオリジナルの版画を特別室で鑑賞（Dr. Ecksteinは高名な生理学者でHOKUSAI, HIDEYO NOGUCHI, EVERYDAY MIRACLE, THE BODY HAS A HEAD等の著者）。午後は買物の時間にあてておいたのですが、里見先生が是非マティ（Alethea Foley）ゆかりの地Maysville, Kentuckyに行きたいと言われたので、参加者をつのったら即時に１１人が希望。Rookwoodでの昼食もそこそこにして買物希望者は家内にまかせ、歴史図書館での調査希望者はFindsen氏に送ってもらうことにして、急遽バスをオハイオ川沿いに９０分走らせてMaysvilleの図書館を訪問。マティが住んで居た１８５０年頃のSUTTON’S LANDINGとマティも乗ったであろう外輪船KENTONの壁画を背景にタイムスリップした感の記念撮影。帰途立ち寄ったDoverでは、思いがけなくAnderson Avenueが見つかり、近所の住人達と情報の交換ができたのは望外の収穫でした。但し、マティがハーンからの手紙を入れたまま売ってしまったと言われているトランクは残念ながら見つけることができませんでしたが、これは次回の探訪の楽しみにとっておき帰途につきました。実は、レセプションの際に余談としてマティとその息子William L. Andersonの事に触れ、ハーンと共に３人が住んだ最後の家屋跡（Chestnut ＆ Jhon Streetsの東南端）にも月曜日のバス・ツアーで立ち寄り、Willが当地の黒人指導者として活躍したこと等最近の調査結果を話したのです。ところが、今回の参加者で最高令の西野影四郎先生が車中でそっと隣に席を移し、小声で「お話になったことはほとんど前にどこかで読みましたわ」にはガックリ。その後、西野翁と友人の茨城工専の中田賢次先生から沢山の報告が届き、やはり専門家にはかなわないと痛感し、浅学を恥じた次第です。このツアーで立寄ったPoint Pleasantには＄５０紙幣の顔写真でお馴染みの第１８代大統領のUlysses Grant将軍の生家がありますが、彼が大統領を２期つとめた１８６９〜１８７７は丁度ハーンがシンシナティに住んでいた時期と一致しております。また１８６９〜１９２３の間は１１人の大統領の中７人までがオハイオ州の出身者で当時オハイオ州は大統領の産地と言われていた全盛期。ハーンと同時代にオハイオ川の生んだもう一人の作家Mark Twain(Samuel Clemens)が後年Grant大統領ときわめて親しかったこと等は、お二人の権威も多分ご存知ない事実だろうと考え名誉挽回のためここに付記しておきます。さらにMaysvilleの近くにThe Underground Railroad（黒人奴隷の北部に脱走する経路）の一つがあり、１８５２年にUNCLE TOM’S CABINを著したHarriet Beecher Stowe夫人のゆかりの地で、当時黒人奴隷がオハイオ川を渡って北部に逃げる際の目安にしたと言われる丘の上の家をバスから望見できたのも思わぬ収穫でした。奴隷売買人が、護送中に泣き止まない赤子に腹を立てて母親から奪い取って草むらに放り出した、その赤子がマティであり父親がアイルランド系であったと聞かされて同情したハーンの心情も判るような気がしました。次回には、西野、中田両先生の論文もよく読ませて頂いた後、もっと時間をかけてMaysvilleの歴史関係者等を訪ね、調査をして来ようと計画しております。
ここで、公立図書館での講演会に話を戻しますが、午後１時１５分に開会Gary Eith（シンシナティ日本研究センター理事長兼Lafcadio Hearn Society/USA会長）と銭本健二教授（八雲会会長）の挨拶の後、Mr. Owen Findsen (The Cincinnati Enquirer元記者)がLAFCADIO HEARN AT THE CINCINNATI ENQUIRERと題して講演。同じ新聞社でのreporter, cartoonistとしての経験を活かして、例をあげながらハーンの仕事を解説。当時の新聞や市街の鳥観図も会場に持ち込んでの大層分かり易い話でした。次に、Dr. Alan Rosen（熊本大学英語科外国人講師）がHEARN AND DREAMSと題して講演。聴講者の大半が日本人でしたのでゆっくりと分かり易い英語で約１時間講義をして下さり、その豊かな内容とハーンの著作に対する深い理解、夢の心理学的な解析等に当地のハーン研究者も感心していた様です。あいにく急用の為途中で外出。戻ってきた時にはMs. Silvia Metzinger(Manager, Rare Books & Special Collection, Public library of Cincinnati & Hamilton County)の講演であるLAFCADIO HEARN: ONE LIBRARIAN’S INTERPRETATIONが終わりかけた４時半頃でした。これは日本の朝５時半で、１日早く来てジェット・ラッグの調整を済ませていた熊本班は別として、昨夜着かれたばかりの参加者にはまことに気の毒な時間帯でした。それでも猛烈な睡魔と闘いながら、メモをとっておられる熱心な聴講者には感心しました。幸い、富山大学の高成玲子先生がSylviaの講演原稿を邦訳してご持参下さったので、後日ゆっくり読んで頂ければとコピーを配布。シンシナティの１８７５年の地図と１８８６年の鳥観図のコピーおよびCINCINNATI 1788‐1943 WPA GUIDEも参加者に持ち帰って頂いたので関心のある方はご覧になって下さい。
ここで閑話を一、二題。The Garfield Suites Hotelは１９９４年にマルティニークに使節団を派遣した際、小泉凡、富井敏郎、安藤百合子の三氏をお泊めし、気に入ったホテルで上に寝室が３部屋、階段を下りると応接間と完備したキチンがありバルコニーを含めると３０数人は入れると言う豪華なペントハウスを確保、日曜日の午後６時過ぎにここでレセプションを開催。当地の郊外と上記Maysville, Kentucky に工場を持っている三菱電気自動車機器北米本社の佐々木武夫社長ご夫妻が自家製のフルーツ・ケーキやマドレーヌを山積みにして参会、接待の慣れない私達を助けて下さったので和気あいあいの会合が持てました。それから徒歩５分の「紅花」に席を移して歓迎夕食会が始まったのですが、宴たけなわの頃席が一つ空いていることに気が付き、点呼の結果Ｗ先生の来ていない事が判明。慌ててホテルに電話、幸い佐々木社長夫妻が後片付けまでして下さっており社長に階上の部屋をノックして頂いたら、何とＷ先生は熟睡中だった模様でびっくり仰天、ちょっと１０分程休もうと横になったら階下でのレセプションも皆が出発したことにも気が付かずに１時間以上も寝込んでしまった様で、これもジェットラッグと過密スケジュールのせい。やっと夕食に駆けつけましたがDr. Rosenの名講義のおかげで「浦島」の夢でも見ていたのではないかと大笑いでした。
Dr. Rosenは講師でしたので図書館の特別の計らいで隣のペントハウスを独占、「熊本のわが家よりも大きいよ」とご満悦の様子でしたが、余り大きいので洗濯機があるのに気が付かず、２晩は手でごしごしと洗濯されたとか。３日目になって、やっと洗濯機と乾燥機とアイロンまで完備していたことに気が付き大感激。「モッタイナイ」を連発。
以上のような具合で、今回のワークショップへの日本からの参加者は男女を含めて２８名、年齢は２８〜７７才、職業も多種多様な団体でしたので、一人一人に満足頂ける様な計画を立てることは不可能でしたが、ハーンと言う共通の関心を持たれた方達でしたので大層楽しい日々を共にさせて頂くことができました。当地で１０年前にLafcadio Hearn Society/USAを結成した当時の発起人の大半が応援してくれ、会長のDean Gary Eithもクリーブランドから駆けつけて歓迎のメッセージを読み、講演も最後まで熱心に聞いておりましたが、急用が発生した為にレセプションにも出れずにトンボ帰りを余儀なくされ残念がっておりました。そしてはるばると日本から来られたハーン研究者の熱意に刺激されて、私達も今後もっと研究をしようではないかと言う気持ちが出始めたことが当地では最大の収穫だったと思います。
なお当初はRichimond, Indianaのアーラム大学を訪問してBonner Fellers准将に関する調査をすると言うオプショナル・ツアーも考慮していたのですが、その映画化に熱心な人達が今回のワークショップには参加できなかったので中止しました。しかし、好機があれば是非協力したいプロジェクトの一つです。また、「へるんさんの熊本」は昨年も観劇させて頂き素晴らしい公演でしたので、米国巡業の場合には当地にも来て頂きたいと希望しておりましたが、最近の国際情勢から見て当分は見合わせざるを得ないのではないでしょうか。
それにしても、この夏のワークショップは好い時機に出来たと喜んでおります。家内と共に当地での後始末をすませて、１日遅れでニューオリンズでのワークショップにも参加させて頂きましたが、Tulane Universityでの講演会も中園岩男先生案内のジャズ巡りもGrand Isleへのバス・ツアーも素晴らしい体験でした。ニューオリンズでのレセプションのホスト役を果たされたDr. Jack StrongとMihoko Emaさんも、Tulane Universityでご協力下さった皆様も、本当によくやって下さいました。企画された八雲会の銭本会長、白築事務局長、横山純子の各氏に感謝致します。なお風呂、弓指、松村、礒野、高成の諸先生は、さらにマルティニークにも行かれ親善使節の務めを果たし、無事帰国されたと全員からお便りを頂き安心しました。
最後になりましたが、熊本からは貴重な資料や肥後象嵌の工芸品等沢山のお土産を頂戴し恐縮しております。熊本アイルランド協会の中島最吉会長、松村直寛事務局長、久野啓介氏ならびに参加頂いた西川、今村、福沢、里見、ローゼンの各先生にシンシナティでの受け入れ側を代表して、ここに厚くお礼を申し上げます。（11.1.2001）
実はシンシナティでは、今年の４月に白人警官の黒人青年射殺事件に端を発して市内で暴動が起こり、市長が夜間外出禁止令を出すと言う非常事態が発生。この事件はＣＮＮ等を通じて日本にも報道されたので皆様もご存知だったと思います。そこで参加者の安全を計ることが最大の問題となり、講演会場の公立図書館の眞前のThe Garfield Suites Hotelに全員の部屋を確保、２階建てのペントハウスの下階を会議室として常時利用して頂ける様にアレンジし、夫婦以外は全員個室でありながら応接間と台所のついたスイートを用意して会期中は図書館とホテルの往復だけで主要な研究調査が出来る様に計画しました。ハーン関係の史跡は７月２９日（日曜）の午前中にほぼ全員が、ハーンの旧居跡、勤務した新聞社や尖塔に登って記事にしたSt. Peter in Chains Cathedral等を徒歩で訪問。教会へ集う人達以外はほとんど人通りのない時間帯でしたが前後を４人が護衛。午後は後述の様に公立図書館での講演会、ペントハウスでのレセプション、「紅花」での歓迎夕食会があり、早朝の雨も止み概ね予定通り進行でき幸いでした。
３０日（月曜）は団体バスで、運河跡やハーンがよく取材したOver‐the‐Rhine、彼を一躍有名にしたTHE TANYARD MURDER事件現場の跡等を訪問、その辺は日中でも一人歩き出来ないような物騒な所なので降車はご遠慮願い、シンシナティ大学のJon C. Hughes教授が車中で説明。さらに、オハイオ川を渡ってケンタッキー州のカビントン市にあるRiverview Restaurantでシンシナティを望見しながら昼食をすませ、午後は歴史協会の図書館訪問と外輪船によるオハイオ川下りを楽しんで頂いた後、スーパーで食料品等を買い込み、１８６６年に完成した Roeblingの吊り橋を渡ってホテルに戻るという忙しい日程でした。参加者の中には午後９時まで公立図書館で調査をしておられた人達もあった模様です。
７月３１日（火曜）は日展入選の形山栄依子さんが精魂を込めて作られた藍染のハーン肖像画の贈呈式を図書館ですませた後、Eden Parkにある美術館を見学、ハーンの影響を受けたと言うDr. Gustav EcksteinがFrank Lloid Wright から譲り受けて寄贈した、広重の「東海道五十三次」のオリジナルの版画を特別室で鑑賞（Dr. Ecksteinは高名な生理学者でHOKUSAI, HIDEYO NOGUCHI, EVERYDAY MIRACLE, THE BODY HAS A HEAD等の著者）。午後は買物の時間にあてておいたのですが、里見先生が是非マティ（Alethea Foley）ゆかりの地Maysville, Kentuckyに行きたいと言われたので、参加者をつのったら即時に１１人が希望。Rookwoodでの昼食もそこそこにして買物希望者は家内にまかせ、歴史図書館での調査希望者はFindsen氏に送ってもらうことにして、急遽バスをオハイオ川沿いに９０分走らせてMaysvilleの図書館を訪問。マティが住んで居た１８５０年頃のSUTTON’S LANDINGとマティも乗ったであろう外輪船KENTONの壁画を背景にタイムスリップした感の記念撮影。帰途立ち寄ったDoverでは、思いがけなくAnderson Avenueが見つかり、近所の住人達と情報の交換ができたのは望外の収穫でした。但し、マティがハーンからの手紙を入れたまま売ってしまったと言われているトランクは残念ながら見つけることができませんでしたが、これは次回の探訪の楽しみにとっておき帰途につきました。実は、レセプションの際に余談としてマティとその息子William L. Andersonの事に触れ、ハーンと共に３人が住んだ最後の家屋跡（Chestnut ＆ Jhon Streetsの東南端）にも月曜日のバス・ツアーで立ち寄り、Willが当地の黒人指導者として活躍したこと等最近の調査結果を話したのです。ところが、今回の参加者で最高令の西野影四郎先生が車中でそっと隣に席を移し、小声で「お話になったことはほとんど前にどこかで読みましたわ」にはガックリ。その後、西野翁と友人の茨城工専の中田賢次先生から沢山の報告が届き、やはり専門家にはかなわないと痛感し、浅学を恥じた次第です。このツアーで立寄ったPoint Pleasantには＄５０紙幣の顔写真でお馴染みの第１８代大統領のUlysses Grant将軍の生家がありますが、彼が大統領を２期つとめた１８６９〜１８７７は丁度ハーンがシンシナティに住んでいた時期と一致しております。また１８６９〜１９２３の間は１１人の大統領の中７人までがオハイオ州の出身者で当時オハイオ州は大統領の産地と言われていた全盛期。ハーンと同時代にオハイオ川の生んだもう一人の作家Mark Twain(Samuel Clemens)が後年Grant大統領ときわめて親しかったこと等は、お二人の権威も多分ご存知ない事実だろうと考え名誉挽回のためここに付記しておきます。さらにMaysvilleの近くにThe Underground Railroad（黒人奴隷の北部に脱走する経路）の一つがあり、１８５２年にUNCLE TOM’S CABINを著したHarriet Beecher Stowe夫人のゆかりの地で、当時黒人奴隷がオハイオ川を渡って北部に逃げる際の目安にしたと言われる丘の上の家をバスから望見できたのも思わぬ収穫でした。奴隷売買人が、護送中に泣き止まない赤子に腹を立てて母親から奪い取って草むらに放り出した、その赤子がマティであり父親がアイルランド系であったと聞かされて同情したハーンの心情も判るような気がしました。次回には、西野、中田両先生の論文もよく読ませて頂いた後、もっと時間をかけてMaysvilleの歴史関係者等を訪ね、調査をして来ようと計画しております。
ここで、公立図書館での講演会に話を戻しますが、午後１時１５分に開会Gary Eith（シンシナティ日本研究センター理事長兼Lafcadio Hearn Society/USA会長）と銭本健二教授（八雲会会長）の挨拶の後、Mr. Owen Findsen (The Cincinnati Enquirer元記者)がLAFCADIO HEARN AT THE CINCINNATI ENQUIRERと題して講演。同じ新聞社でのreporter, cartoonistとしての経験を活かして、例をあげながらハーンの仕事を解説。当時の新聞や市街の鳥観図も会場に持ち込んでの大層分かり易い話でした。次に、Dr. Alan Rosen（熊本大学英語科外国人講師）がHEARN AND DREAMSと題して講演。聴講者の大半が日本人でしたのでゆっくりと分かり易い英語で約１時間講義をして下さり、その豊かな内容とハーンの著作に対する深い理解、夢の心理学的な解析等に当地のハーン研究者も感心していた様です。あいにく急用の為途中で外出。戻ってきた時にはMs. Silvia Metzinger(Manager, Rare Books & Special Collection, Public library of Cincinnati & Hamilton County)の講演であるLAFCADIO HEARN: ONE LIBRARIAN’S INTERPRETATIONが終わりかけた４時半頃でした。これは日本の朝５時半で、１日早く来てジェット・ラッグの調整を済ませていた熊本班は別として、昨夜着かれたばかりの参加者にはまことに気の毒な時間帯でした。それでも猛烈な睡魔と闘いながら、メモをとっておられる熱心な聴講者には感心しました。幸い、富山大学の高成玲子先生がSylviaの講演原稿を邦訳してご持参下さったので、後日ゆっくり読んで頂ければとコピーを配布。シンシナティの１８７５年の地図と１８８６年の鳥観図のコピーおよびCINCINNATI 1788‐1943 WPA GUIDEも参加者に持ち帰って頂いたので関心のある方はご覧になって下さい。
ここで閑話を一、二題。The Garfield Suites Hotelは１９９４年にマルティニークに使節団を派遣した際、小泉凡、富井敏郎、安藤百合子の三氏をお泊めし、気に入ったホテルで上に寝室が３部屋、階段を下りると応接間と完備したキチンがありバルコニーを含めると３０数人は入れると言う豪華なペントハウスを確保、日曜日の午後６時過ぎにここでレセプションを開催。当地の郊外と上記Maysville, Kentucky に工場を持っている三菱電気自動車機器北米本社の佐々木武夫社長ご夫妻が自家製のフルーツ・ケーキやマドレーヌを山積みにして参会、接待の慣れない私達を助けて下さったので和気あいあいの会合が持てました。それから徒歩５分の「紅花」に席を移して歓迎夕食会が始まったのですが、宴たけなわの頃席が一つ空いていることに気が付き、点呼の結果Ｗ先生の来ていない事が判明。慌ててホテルに電話、幸い佐々木社長夫妻が後片付けまでして下さっており社長に階上の部屋をノックして頂いたら、何とＷ先生は熟睡中だった模様でびっくり仰天、ちょっと１０分程休もうと横になったら階下でのレセプションも皆が出発したことにも気が付かずに１時間以上も寝込んでしまった様で、これもジェットラッグと過密スケジュールのせい。やっと夕食に駆けつけましたがDr. Rosenの名講義のおかげで「浦島」の夢でも見ていたのではないかと大笑いでした。
Dr. Rosenは講師でしたので図書館の特別の計らいで隣のペントハウスを独占、「熊本のわが家よりも大きいよ」とご満悦の様子でしたが、余り大きいので洗濯機があるのに気が付かず、２晩は手でごしごしと洗濯されたとか。３日目になって、やっと洗濯機と乾燥機とアイロンまで完備していたことに気が付き大感激。「モッタイナイ」を連発。
以上のような具合で、今回のワークショップへの日本からの参加者は男女を含めて２８名、年齢は２８〜７７才、職業も多種多様な団体でしたので、一人一人に満足頂ける様な計画を立てることは不可能でしたが、ハーンと言う共通の関心を持たれた方達でしたので大層楽しい日々を共にさせて頂くことができました。当地で１０年前にLafcadio Hearn Society/USAを結成した当時の発起人の大半が応援してくれ、会長のDean Gary Eithもクリーブランドから駆けつけて歓迎のメッセージを読み、講演も最後まで熱心に聞いておりましたが、急用が発生した為にレセプションにも出れずにトンボ帰りを余儀なくされ残念がっておりました。そしてはるばると日本から来られたハーン研究者の熱意に刺激されて、私達も今後もっと研究をしようではないかと言う気持ちが出始めたことが当地では最大の収穫だったと思います。
なお当初はRichimond, Indianaのアーラム大学を訪問してBonner Fellers准将に関する調査をすると言うオプショナル・ツアーも考慮していたのですが、その映画化に熱心な人達が今回のワークショップには参加できなかったので中止しました。しかし、好機があれば是非協力したいプロジェクトの一つです。また、「へるんさんの熊本」は昨年も観劇させて頂き素晴らしい公演でしたので、米国巡業の場合には当地にも来て頂きたいと希望しておりましたが、最近の国際情勢から見て当分は見合わせざるを得ないのではないでしょうか。
それにしても、この夏のワークショップは好い時機に出来たと喜んでおります。家内と共に当地での後始末をすませて、１日遅れでニューオリンズでのワークショップにも参加させて頂きましたが、Tulane Universityでの講演会も中園岩男先生案内のジャズ巡りもGrand Isleへのバス・ツアーも素晴らしい体験でした。ニューオリンズでのレセプションのホスト役を果たされたDr. Jack StrongとMihoko Emaさんも、Tulane Universityでご協力下さった皆様も、本当によくやって下さいました。企画された八雲会の銭本会長、白築事務局長、横山純子の各氏に感謝致します。なお風呂、弓指、松村、礒野、高成の諸先生は、さらにマルティニークにも行かれ親善使節の務めを果たし、無事帰国されたと全員からお便りを頂き安心しました。
最後になりましたが、熊本からは貴重な資料や肥後象嵌の工芸品等沢山のお土産を頂戴し恐縮しております。熊本アイルランド協会の中島最吉会長、松村直寛事務局長、久野啓介氏ならびに参加頂いた西川、今村、福沢、里見、ローゼンの各先生にシンシナティでの受け入れ側を代表して、ここに厚くお礼を申し上げます。（11.1.2001）
「アメリカ時代の追想の旅」 熊本大学教授 西川盛雄
今夏、七月末から八月始めにかけてシンシナティとニューオリンズで八雲会主催のハーン・ワークショップが開かれた。日本からは松江、東京、富山、熊本を中心に三十名余り、熊本からは五名参加した。西インド諸島のマルティニク島を経て日本に来る前、ラフカディオ・ハーンは米国のシンシナティで約八年、ニューオリンズで約十年、有能な新聞記者として、取材と文章修行に精を出していた。昨年ハーン生誕一五〇年記念祭を熊本を含む全国のハーンゆかりの土地で行ったが、今年は全米のハーン協会も加わってアメリカでワークショップを行ったのである。
シンシナティでは公立図書館で、ハーンがかつて勤めていた『シンシナティ・エンクワイアラー』社で昨年暮れまで現役記者であったオウェン・フィンセン氏がジャーナリストとしてのハーンの先駆的な役割の重要さについて報告した。熊本からのアラン・ローゼン氏は「夢」を鍵語にしてハーン作品の検証を試みた。ハーン研究家でこの地の公立図書館の専門員であるシルビア・メッチンガーさんはハーン研究の各方面の今後のネットワーク作りの重要さを指摘した。
シンシナティでは全米ハーン協会副会長の田中欣二先生に随分お世話になった。ハーンゆかりの下宿跡や勤めていた新聞社跡、結婚したマティと同棲していた住居の跡地、ハーンを事件記者として有名にしたタンヤード事件（皮革工場殺人事件）の現場等に連れて行っていただいた。参加者の一部はマティゆかりのメイズヴィルにも行くこともできた。
シンシナティはオハイオ川河畔の町でドイツ系移民が入植した。南北戦争の時はこの川が南と北の境界にあたる場所であった。ここでハーンは黒人女性のマティと結婚している。しかしそれは白人と黒人の結婚を禁ずる州法に触れ、やがてこの結婚は破綻。ハーンは州法に触れた結婚をしたということもあって『エンクワアｨラー』社から解雇される。また一時、社を辞して『イ・ジグランプス』という風刺週刊雑誌を友人の挿絵画家ファーニーと共同で発刊するが、これも第九号で頓挫する。さらにこの地の外科医夫人で開明的なエレン・フリーマンとの出会いと親密な文通の後、この関係も壊れてしまうのである。
ハーンは痛んだ心を抱えたま
まメンフィスを経てミシシッピ川河口のニューオリンズに降りてゆく。ここはコンゴ広場に発するジャズで有名だが、もともとここに植民したフランス人の文化と土着の文化との混交によって成るクレオール文化の中心地であった。ここでハーンは『アイテム』社の記者として働き、後に合併なったばかりの『タイムズ・デモクラット』社の文芸部長として迎えられる。すでにクレオール音楽を正当に評価・解説する記事もこの地で書いていた。さらにクレオール料理や諺についての書物（『ゴンボ・ゼーブ』）も著している。また友人クロスビーの勧めで、彼に思想的に大きな影響を与えたＨ・スペンサーの『第一原理』の社会進化論的思想との出会いも特筆すべきである。後にハーン評伝を著したＥ・ビスランドと出会うが、このビスランドはハーンの記事に魅せられて『タイムズ・デモクラット』に入ってきた女性であった。
今回、私たちは近郊の島、グランド島を訪ねることができた。ハリケーンが近づくなか、片道二時間半のバス行程で行くことができた。メキシコ湾に臨む海抜ゼロ地帯のこの地を舞台にしたハーンの小説『チタ』はこの島を襲ったハリケーンによる悲劇的な出来事を素地として生まれたものである。高床の家並は透明感溢れる亜熱帯のこの地方の風情を伝えて印象的であった。
二回目のワークショップは豊富なハーン・コレクションのあるチュレーン大学で行われた。ここではテープを使って、ハーンがクレオール音楽の評価と紹介に勤めた意義が報告され、同時に彼自身の生い立ちの中にあるクレオール性が再確認された。またハーンの人種観についての報告もあった。社会の底辺に生き、クレオール文化をニューオリンズで約一〇年間生きたハーンは同時に適者生存の論理に強い影響を受けたのである。またさらに、ハーン研究の現状は未発見、の記事がまだ多く、そのリストが紹介され、今後の研究の一方向も示された。
ニューオリンズに来てすぐ、田中先生の案内で州都バトンルージュにあるルイジアナ州立大学の記念図書館に行き、アメリカ連邦政府の援助を受けた「ルイジアナ新聞プロジェクト」の成果をまとめたものが手に入った。全米の主たる新聞のマイクロフィルムのリストがここに収録されている。これは今日本で東京、松江、熊本、富山の四ヶ所にあるだけである。
今回ハーンを軸に日米の関係者がハーンゆかりの二都市でのワークショップに参加し、親しく会して情報交換し、貴重な調査や資料収集ができたことは有意義なことであった。このことはハーン研究の今後につなげてきわめて意義深いものがあったといえよう。（10.1.2001）
シンシナティでは公立図書館で、ハーンがかつて勤めていた『シンシナティ・エンクワイアラー』社で昨年暮れまで現役記者であったオウェン・フィンセン氏がジャーナリストとしてのハーンの先駆的な役割の重要さについて報告した。熊本からのアラン・ローゼン氏は「夢」を鍵語にしてハーン作品の検証を試みた。ハーン研究家でこの地の公立図書館の専門員であるシルビア・メッチンガーさんはハーン研究の各方面の今後のネットワーク作りの重要さを指摘した。
シンシナティでは全米ハーン協会副会長の田中欣二先生に随分お世話になった。ハーンゆかりの下宿跡や勤めていた新聞社跡、結婚したマティと同棲していた住居の跡地、ハーンを事件記者として有名にしたタンヤード事件（皮革工場殺人事件）の現場等に連れて行っていただいた。参加者の一部はマティゆかりのメイズヴィルにも行くこともできた。
シンシナティはオハイオ川河畔の町でドイツ系移民が入植した。南北戦争の時はこの川が南と北の境界にあたる場所であった。ここでハーンは黒人女性のマティと結婚している。しかしそれは白人と黒人の結婚を禁ずる州法に触れ、やがてこの結婚は破綻。ハーンは州法に触れた結婚をしたということもあって『エンクワアｨラー』社から解雇される。また一時、社を辞して『イ・ジグランプス』という風刺週刊雑誌を友人の挿絵画家ファーニーと共同で発刊するが、これも第九号で頓挫する。さらにこの地の外科医夫人で開明的なエレン・フリーマンとの出会いと親密な文通の後、この関係も壊れてしまうのである。
ハーンは痛んだ心を抱えたま
まメンフィスを経てミシシッピ川河口のニューオリンズに降りてゆく。ここはコンゴ広場に発するジャズで有名だが、もともとここに植民したフランス人の文化と土着の文化との混交によって成るクレオール文化の中心地であった。ここでハーンは『アイテム』社の記者として働き、後に合併なったばかりの『タイムズ・デモクラット』社の文芸部長として迎えられる。すでにクレオール音楽を正当に評価・解説する記事もこの地で書いていた。さらにクレオール料理や諺についての書物（『ゴンボ・ゼーブ』）も著している。また友人クロスビーの勧めで、彼に思想的に大きな影響を与えたＨ・スペンサーの『第一原理』の社会進化論的思想との出会いも特筆すべきである。後にハーン評伝を著したＥ・ビスランドと出会うが、このビスランドはハーンの記事に魅せられて『タイムズ・デモクラット』に入ってきた女性であった。
今回、私たちは近郊の島、グランド島を訪ねることができた。ハリケーンが近づくなか、片道二時間半のバス行程で行くことができた。メキシコ湾に臨む海抜ゼロ地帯のこの地を舞台にしたハーンの小説『チタ』はこの島を襲ったハリケーンによる悲劇的な出来事を素地として生まれたものである。高床の家並は透明感溢れる亜熱帯のこの地方の風情を伝えて印象的であった。
二回目のワークショップは豊富なハーン・コレクションのあるチュレーン大学で行われた。ここではテープを使って、ハーンがクレオール音楽の評価と紹介に勤めた意義が報告され、同時に彼自身の生い立ちの中にあるクレオール性が再確認された。またハーンの人種観についての報告もあった。社会の底辺に生き、クレオール文化をニューオリンズで約一〇年間生きたハーンは同時に適者生存の論理に強い影響を受けたのである。またさらに、ハーン研究の現状は未発見、の記事がまだ多く、そのリストが紹介され、今後の研究の一方向も示された。
ニューオリンズに来てすぐ、田中先生の案内で州都バトンルージュにあるルイジアナ州立大学の記念図書館に行き、アメリカ連邦政府の援助を受けた「ルイジアナ新聞プロジェクト」の成果をまとめたものが手に入った。全米の主たる新聞のマイクロフィルムのリストがここに収録されている。これは今日本で東京、松江、熊本、富山の四ヶ所にあるだけである。
今回ハーンを軸に日米の関係者がハーンゆかりの二都市でのワークショップに参加し、親しく会して情報交換し、貴重な調査や資料収集ができたことは有意義なことであった。このことはハーン研究の今後につなげてきわめて意義深いものがあったといえよう。（10.1.2001）
「ハーンゆかりの二都市を訪ねて」 祟城大学教授 今村 隆
今夏、七月末から八月始めにかけてシンシナティとニューオリンズで八雲会主催のハーン・ワークショップが開かれた。日本からは松江、東京、富山、熊本を中心に三十名余り、熊本からは五名参加した。西インド諸島のマルティニク島を経て日本に来る前、ラフカディオ・ハーンは米国のシンシナティで約八年、ニューオリンズで約十年、有能な新聞記者として、取材と文章修行に精を出していた。昨年ハーン生誕一五〇年記念祭を熊本を含む全国のハーンゆかりの土地で行ったが、今年は全米のハーン協会も加わってアメリカでワークショップを行ったのである。
シンシナティでは公立図書館で、ハーンがかつて勤めていた『シンシナティ・エンクワイアラー』社で昨年暮れまで現役記者であったオウェン・フィンセン氏がジャーナリストとしてのハーンの先駆的な役割の重要さについて報告した。熊本からのアラン・ローゼン氏は「夢」を鍵語にしてハーン作品の検証を試みた。ハーン研究家でこの地の公立図書館の専門員であるシルビア・メッチンガーさんはハーン研究の各方面の今後のネットワーク作りの重要さを指摘した。
シンシナティでは全米ハーン協会副会長の田中欣二先生に随分お世話になった。ハーンゆかりの下宿跡や勤めていた新聞社跡、結婚したマティと同棲していた住居の跡地、ハーンを事件記者として有名にしたタンヤード事件（皮革工場殺人事件）の現場等に連れて行っていただいた。参加者の一部はマティゆかりのメイズヴィルにも行くこともできた。
シンシナティはオハイオ川河畔の町でドイツ系移民が入植した。南北戦争の時はこの川が南と北の境界にあたる場所であった。ここでハーンは黒人女性のマティと結婚している。しかしそれは白人と黒人の結婚を禁ずる州法に触れ、やがてこの結婚は破綻。ハーンは州法に触れた結婚をしたということもあって『エンクワアｨラー』社から解雇される。また一時、社を辞して『イ・ジグランプス』という風刺週刊雑誌を友人の挿絵画家ファーニーと共同で発刊するが、これも第九号で頓挫する。さらにこの地の外科医夫人で開明的なエレン・フリーマンとの出会いと親密な文通の後、この関係も壊れてしまうのである。
ハーンは痛んだ心を抱えたままメンフィスを経てミシシッピ川河口のニューオリンズに降りてゆく。ここはコンゴ広場に発するジャズで有名だが、もともとここに植民したフランス人の文化と土着の文化との混交によって成るクレオール文化の中心地であった。ここでハーンは『アイテム』社の記者として働き、後に合併なったばかりの『タイムズ・デモクラット』社の文芸部長として迎えられる。すでにクレオール音楽を正当に評価・解説する記事もこの地で書いていた。さらにクレオール料理や諺についての書物（『ゴンボ・ゼーブ』）も著している。また友人クロスビーの勧めで、彼に思想的に大きな影響を与えたＨ・スペンサーの『第一原理』の社会進化論的思想との出会いも特筆すべきである。後にハーン評伝を著したＥ・ビスランドと出会うが、このビスランドはハーンの記事に魅せられて『タイムズ・デモクラット』に入ってきた女性であった。
今回、私たちは近郊の島、グランド島を訪ねることができた。ハリケーンが近づくなか、片道二時間半のバス行程で行くことができた。メキシコ湾に臨む海抜ゼロ地帯のこの地を舞台にしたハーンの小説『チタ』はこの島を襲ったハリケーンによる悲劇的な出来事を素地として生まれたものである。高床の家並は透明感溢れる亜熱帯のこの地方の風情を伝えて印象的であった。
二回目のワークショップは豊富なハーン・コレクションのあるチュレーン大学で行われた。ここではテープを使って、ハーンがクレオール音楽の評価と紹介に勤めた意義が報告され、同時に彼自身の生い立ちの中にあるクレオール性が再確認された。またハーンの人種観についての報告もあった。社会の底辺に生き、クレオール文化をニューオリンズで約一〇年間生きたハーンは同時に適者生存の論理に強い影響を受けたのである。またさらに、ハーン研究の現状は未発見、の記事がまだ多く、そのリストが紹介され、今後の研究の一方向も示された。
ニューオリンズに来てすぐ、田中先生の案内で州都バトンルージュにあるルイジアナ州立大学の記念図書館に行き、アメリカ連邦政府の援助を受けた「ルイジアナ新聞プロジェクト」の成果をまとめたものが手に入った。全米の主たる新聞のマイクロフィルムのリストがここに収録されている。これは今日本で東京、松江、熊本、富山の四ヶ所にあるだけである。
今回ハーンを軸に日米の関係者がハーンゆかりの二都市でのワークショップに参加し、親しく会して情報交換し、貴重な調査や資料収集ができたことは有意義なことであった。このことはハーン研究の今後につなげてきわめて意義深いものがあったといえよう。（10.1.2001）
シンシナティでは公立図書館で、ハーンがかつて勤めていた『シンシナティ・エンクワイアラー』社で昨年暮れまで現役記者であったオウェン・フィンセン氏がジャーナリストとしてのハーンの先駆的な役割の重要さについて報告した。熊本からのアラン・ローゼン氏は「夢」を鍵語にしてハーン作品の検証を試みた。ハーン研究家でこの地の公立図書館の専門員であるシルビア・メッチンガーさんはハーン研究の各方面の今後のネットワーク作りの重要さを指摘した。
シンシナティでは全米ハーン協会副会長の田中欣二先生に随分お世話になった。ハーンゆかりの下宿跡や勤めていた新聞社跡、結婚したマティと同棲していた住居の跡地、ハーンを事件記者として有名にしたタンヤード事件（皮革工場殺人事件）の現場等に連れて行っていただいた。参加者の一部はマティゆかりのメイズヴィルにも行くこともできた。
シンシナティはオハイオ川河畔の町でドイツ系移民が入植した。南北戦争の時はこの川が南と北の境界にあたる場所であった。ここでハーンは黒人女性のマティと結婚している。しかしそれは白人と黒人の結婚を禁ずる州法に触れ、やがてこの結婚は破綻。ハーンは州法に触れた結婚をしたということもあって『エンクワアｨラー』社から解雇される。また一時、社を辞して『イ・ジグランプス』という風刺週刊雑誌を友人の挿絵画家ファーニーと共同で発刊するが、これも第九号で頓挫する。さらにこの地の外科医夫人で開明的なエレン・フリーマンとの出会いと親密な文通の後、この関係も壊れてしまうのである。
ハーンは痛んだ心を抱えたままメンフィスを経てミシシッピ川河口のニューオリンズに降りてゆく。ここはコンゴ広場に発するジャズで有名だが、もともとここに植民したフランス人の文化と土着の文化との混交によって成るクレオール文化の中心地であった。ここでハーンは『アイテム』社の記者として働き、後に合併なったばかりの『タイムズ・デモクラット』社の文芸部長として迎えられる。すでにクレオール音楽を正当に評価・解説する記事もこの地で書いていた。さらにクレオール料理や諺についての書物（『ゴンボ・ゼーブ』）も著している。また友人クロスビーの勧めで、彼に思想的に大きな影響を与えたＨ・スペンサーの『第一原理』の社会進化論的思想との出会いも特筆すべきである。後にハーン評伝を著したＥ・ビスランドと出会うが、このビスランドはハーンの記事に魅せられて『タイムズ・デモクラット』に入ってきた女性であった。
今回、私たちは近郊の島、グランド島を訪ねることができた。ハリケーンが近づくなか、片道二時間半のバス行程で行くことができた。メキシコ湾に臨む海抜ゼロ地帯のこの地を舞台にしたハーンの小説『チタ』はこの島を襲ったハリケーンによる悲劇的な出来事を素地として生まれたものである。高床の家並は透明感溢れる亜熱帯のこの地方の風情を伝えて印象的であった。
二回目のワークショップは豊富なハーン・コレクションのあるチュレーン大学で行われた。ここではテープを使って、ハーンがクレオール音楽の評価と紹介に勤めた意義が報告され、同時に彼自身の生い立ちの中にあるクレオール性が再確認された。またハーンの人種観についての報告もあった。社会の底辺に生き、クレオール文化をニューオリンズで約一〇年間生きたハーンは同時に適者生存の論理に強い影響を受けたのである。またさらに、ハーン研究の現状は未発見、の記事がまだ多く、そのリストが紹介され、今後の研究の一方向も示された。
ニューオリンズに来てすぐ、田中先生の案内で州都バトンルージュにあるルイジアナ州立大学の記念図書館に行き、アメリカ連邦政府の援助を受けた「ルイジアナ新聞プロジェクト」の成果をまとめたものが手に入った。全米の主たる新聞のマイクロフィルムのリストがここに収録されている。これは今日本で東京、松江、熊本、富山の四ヶ所にあるだけである。
今回ハーンを軸に日米の関係者がハーンゆかりの二都市でのワークショップに参加し、親しく会して情報交換し、貴重な調査や資料収集ができたことは有意義なことであった。このことはハーン研究の今後につなげてきわめて意義深いものがあったといえよう。（10.1.2001）
「ケンタッキー州ドーヴァー：ハーンの最初の結婚相手」 熊本大学助教授 里見繁美
シンシナティからおよそ１時間くらい車で東に走ったところに、ハーンの最初の結婚相手であったマティ・フォーリーの故郷ケンタッキー州ドーヴァーがある。ここはオハイオ川対岸のオハイオ州シンシナテイとは違って、南北戦争以前は奴隷州であった。従って、マティを含めた多くの奴隷がこの州ではかって働いていたのである。ここまで来るときはオハイオ川を挟んで、オハイオ州側を通ってきたので、おかげで南北戦争時の北軍の総司令官グラント将軍の生家を途中で見ることができたのは幸運であった。
ケンタッキー州と言えば、ケンタッキー・バーボンやルイヴィルで開催されるケンタッキー・ダービー、はたまた南北戦争時の英雄エイブラハム・リンカーンの生地、ダニエル・ブーンの伝説の地等で知られている州である。更に、文学作品に言及すれば、フィッツジェラルドの『華麗なるギャッツビー』に登場するデイジー・ビュキャナンが確かルイヴィルの出身だったかと思う。そのケンタッキー州の北東部で、まさにオハイオ川にくっついて位置するのが小さな村ドーヴァーである。ここは、その地名からしてイギリス系の移住者が多かったのであろう。オハイオ川の川幅はまさかドーヴァー海峡ほどには見えなかったであろうが、しかしそれを連想させる何らかの要素があったのであろう。
さて、そのドーヴァーであるが、ここに土地を所有するスコットランド出身のアンダースン家の元でマティは育てられることになる。ムラート（白人と黒人の混血）とはいえ、勿論奴隷の身分である。奴隷の身分としてアンダースン家に仕えていくことになる。そして１８６８年にアンダースン氏との間にウイリーが生まれることになるのである。マティは１８５４年生まれであるから、およそ１４才の時の子供ということになる。一般的に、奴隷所有者は当時このようにして奴隷である身分の女性との間に私的に多くの子供をもうけていったのであろう。
マティは、ウイリーが１才になるかならないうちの１８６９年に、シンシナティに移っていくことになるのである。推測するに、アンダースン氏はマティに子ができたので、やっかい払いするかのように旅立たせたとも考えられる。この時は奴隷解放令が出てから既に数年が経っていたのである。
シンシナティに移ってきたマティは、生計を立てていかなければならないのでとりあえずハズレム夫人が経営する下宿屋で料理人として働くことになる。そして数年が経った後の１８７２年頃にハーンと出会うということになるのである。このあとはよく知られているように、１８７４年６月１４日に二人は結婚することになるのである。そしてウイリーがやがて小学校に通う年齢になると、「ウイリー・ハーン」という名前で学校に登録することになる。しかしながら、やがて二人の間に破局が来て、ハーンがニューオリンズに去ると、彼の名前は「ウイリー・アンダースン」に変えられていくのである。ウイリーはアンダースン氏との間に生まれたとはいえ、私生児であったわけだから、相手の名字を名のるのは奇妙な気がするが、そこにはマテイの配慮があったのであろう。
ウイリーはやがて成長し、コロンビア大学を卒業してシンシナティに戻り、黒人の人たちのリーダーとなって活躍し、シンシナティではいちやく名士となっていくのである。彼は生前、一時期であったとしてもハーンが自分の父親であったことを実に誇りにしていたという。
さて、そのウイリーの生まれ育った地であるドヴァーには、今日も依然としてアンダースン家の子孫たちが暮らしている。その子孫たちにインタビューしたら、「ウイリアム・アンダースン」の名前は知っていた。しかし彼の父親が彼らの祖先であることは果たしてどこまで知っているのであろうかとも考えた。いかんせん１３０年も前の事なのだから。いずれにしても、ドーヴァーという所はマティにしてもウイリーにしても関係深いところであり、そこはまた、アンダースン家という、これまた２人にとって切り離せない人たちの縁の地なのでもあった。ドーヴァーの通りの一つに「アンダースン・アヴェニュー」という名前が付けられていたのは何とも象徴的であった。（10.1.2001）
ケンタッキー州と言えば、ケンタッキー・バーボンやルイヴィルで開催されるケンタッキー・ダービー、はたまた南北戦争時の英雄エイブラハム・リンカーンの生地、ダニエル・ブーンの伝説の地等で知られている州である。更に、文学作品に言及すれば、フィッツジェラルドの『華麗なるギャッツビー』に登場するデイジー・ビュキャナンが確かルイヴィルの出身だったかと思う。そのケンタッキー州の北東部で、まさにオハイオ川にくっついて位置するのが小さな村ドーヴァーである。ここは、その地名からしてイギリス系の移住者が多かったのであろう。オハイオ川の川幅はまさかドーヴァー海峡ほどには見えなかったであろうが、しかしそれを連想させる何らかの要素があったのであろう。
さて、そのドーヴァーであるが、ここに土地を所有するスコットランド出身のアンダースン家の元でマティは育てられることになる。ムラート（白人と黒人の混血）とはいえ、勿論奴隷の身分である。奴隷の身分としてアンダースン家に仕えていくことになる。そして１８６８年にアンダースン氏との間にウイリーが生まれることになるのである。マティは１８５４年生まれであるから、およそ１４才の時の子供ということになる。一般的に、奴隷所有者は当時このようにして奴隷である身分の女性との間に私的に多くの子供をもうけていったのであろう。
マティは、ウイリーが１才になるかならないうちの１８６９年に、シンシナティに移っていくことになるのである。推測するに、アンダースン氏はマティに子ができたので、やっかい払いするかのように旅立たせたとも考えられる。この時は奴隷解放令が出てから既に数年が経っていたのである。
シンシナティに移ってきたマティは、生計を立てていかなければならないのでとりあえずハズレム夫人が経営する下宿屋で料理人として働くことになる。そして数年が経った後の１８７２年頃にハーンと出会うということになるのである。このあとはよく知られているように、１８７４年６月１４日に二人は結婚することになるのである。そしてウイリーがやがて小学校に通う年齢になると、「ウイリー・ハーン」という名前で学校に登録することになる。しかしながら、やがて二人の間に破局が来て、ハーンがニューオリンズに去ると、彼の名前は「ウイリー・アンダースン」に変えられていくのである。ウイリーはアンダースン氏との間に生まれたとはいえ、私生児であったわけだから、相手の名字を名のるのは奇妙な気がするが、そこにはマテイの配慮があったのであろう。
ウイリーはやがて成長し、コロンビア大学を卒業してシンシナティに戻り、黒人の人たちのリーダーとなって活躍し、シンシナティではいちやく名士となっていくのである。彼は生前、一時期であったとしてもハーンが自分の父親であったことを実に誇りにしていたという。
さて、そのウイリーの生まれ育った地であるドヴァーには、今日も依然としてアンダースン家の子孫たちが暮らしている。その子孫たちにインタビューしたら、「ウイリアム・アンダースン」の名前は知っていた。しかし彼の父親が彼らの祖先であることは果たしてどこまで知っているのであろうかとも考えた。いかんせん１３０年も前の事なのだから。いずれにしても、ドーヴァーという所はマティにしてもウイリーにしても関係深いところであり、そこはまた、アンダースン家という、これまた２人にとって切り離せない人たちの縁の地なのでもあった。ドーヴァーの通りの一つに「アンダースン・アヴェニュー」という名前が付けられていたのは何とも象徴的であった。（10.1.2001）
「アイルランドを旅して」 中島最吉（会長）
旅の印象あれこれ
先ずアイルランドでの大体の経路を申しますと、ダブリンで２泊し、まっすぐ西の端のゴールウエイに行き２泊しました。その間に有名な 劇作家シングが書いた「アラン島」で知られる島にフェリーに乗り日帰りで行ってきました。それから少し南東に下りリムリックに１泊し、ダブリン経由で帰ってきました。ですからアイルランドでは５泊したわけです。
アイルランド旅行のガイドはアイルランド人と結婚している津川さんという女性で、大変真面目に色々説明してくれました。
私が一番最初に驚きましたのは、津川さんの説明の中にアイルランドの"ジャガイモ飢饉"というのがあります。1845年〜1849年頃アイルランドでジャガイモが余り取れなく、どんどん餓死者が出た出来事です。これは1930年のアメリカの大恐慌に相当するような大事件として歴史上に知られております。その暗い話をするのですが、少し見方が違うのです。イギリスのブレア首相が「その当時のイギリスのとった政策が適切ではなかった」と言って頭を下げたという話を淡々とするのです。これは世の中が少し変わってきたなと言う印象を私は受けました。 そして、ダブリンの本屋さんに行きますと飢饉"famine"と書いた本が一杯出てるのです。"飢饉以降"とか"大飢饉"とか言う本が非常に多いのです。それからここにも持ってきておりますが、今年出た小冊子 "POCKET HISTORY of IRISH LITERATURE"（アイルランド文学ポケット小史）の中にも"飢饉"と言う項目がちゃんと書いてあります。と言うことは、アイルランド共和国が独立して国としての自己主張が強くなったかなと言う印象を私は一番に受けました。これは５年前行ったときと非常に違うことです。これがアイルランド全体に対する印象として感じたことです。
今度の旅では以前アイルランドのコークに５年住んでおられた、小島ご夫妻に事実上の御案内役をしていただいたわけですが、小島さんの印象ではＥＵの資金援助のせいで国中の道路が非常に良くなっている。そしてアイルランドは非常に変化しているということです。
思い出あれこれ
アラン島に行くフェリーの中に、俳優の太地康雄さんがテレビロケで見えており、サインを貰った方もおられました。何でも八代のご出身ということで私も行って名刺の交換をし、挨拶をして「頑張って下さい」と励ましてきました。
ダブリンではギネスビールの工場見学に出かけました。２ポンド払って中に入りますと、地下で大ジョッキ一杯（１パイント）が頂けますが、嬉しかったことには６０歳以上は半額でいいと言われたので「シニアだ」と言うと、大らかに認めてくれて１ポンドで飲んできました。他に明治村のような所も行きましたが、そこも何も詮索しないで気持ちよく「シニア」割引で入れました。
ダイアナ妃の葬儀
最後にロンドンで２泊しました。ダイアナさんの葬儀の前の日に市内を観光バスで回ったわけですが、その熱っぽさは想像を絶するものがありました。バッキンガム宮殿に集まっている人たちの中で花束を持っていないのは観光客だけでした。
ごく普通の中年の３０歳代くらいのご夫婦と子供連れという人を注意して、何組か見てきました。バッキンガム宮殿の門から入って来て、奥さんが新聞紙に花束を包んで持っているわけです。そして立ち止まって連れていた小学生の女の子二人に新聞紙を広げて薔薇の花を１本づつ持たせて、残りをご主人と自分が半分づつ分けて、子供と一緒にかなり遠くの献花の場所まで歩いて行くわけです。フェンスの前は一間ばかり花だらけで、高さも１メートルくらいありました。何も若い女の子だけがキャーキャー言っているのでなく、普通の家庭の人たちでごった返しておりました。私はそれを見たときに、イギリスの王室は２１世紀になったら潰れるのではないかと思いました。
その日の夕方、イギリスの王室がダイアナ妃に冷たいと国民から言われたので、女王と皇太子が急遽帰って来られました。日本だったら皇室が直接見えたら大変ですが、イギリスではテレビニュースを見るかぎりあまり反応はないのです。
それから花に添えた若い女性の手紙を５、６行から長いので便箋１枚にたっぷり書いてあるのを５、６枚くらい走り読みしたら、「大変あなたは素晴らしい、どうして私達を見捨てて先に天国に行ってしまったのか、天国から私達を見守っていて下さい」と言うようなことが書いてあります。内容は本当に若い女性のラブレターです。これからどういうふうになるのか、ダイアナフィーバーはやがて下がるのかも知れませんが。
その後すぐ、マリア・テレザさんが亡くなられましたが、お年寄りと若い３５歳との違いがあるのでしょうか。本当はもっとマリア・テレザさんにスポットが当たってもいいと思いましたが、大変センセイショナルなニュースでした。
ただイギリスと比較してアイルランドではやや反応が低いと思いました。しかしこれは致し方ないことと思います。
司馬遼太郎さんのスウィフト観について
今日一番申しあげたいことを先に申しあげます。ジョナサン・スウィフトはダブリン生まれで、その殆どをアイルランドで過ごしました。ところが父親は、イギリス系統の人であります。こういうときにはどうなるのでしょうか。どういう人をアイルランドの作家というのかという大変難しい問題を未整理のままいわれている感じがしますので、私の意見は最後に言わせていただきます。
スウィフトの父親はイギリス系であり、ダブリン生まれで、彼が生まれたときは母子家庭のようなもので、すぐにイギリスに行って成人するということになるわけです。ここのとこを司馬遼太郎さんの『街道をゆく』（朝日新聞社刊）から記します。
「ケルト的霊性は、ジョナサン・スウィフト（1667〜1745）の不朽の傑作『ガリヴァー旅行記』において極度に濃淡である。
船員ガリヴァーが難破漂流して小人国へゆき、巨人国へゆく第一部と第二部は、あるいは空想という醸造の種子の中にケルトのアイルランドにおける妖精の"生態"が入っているかもしれないが、第四部における人間への絶望というくだりになると、空想は風刺の刃にかわり、人間嫌いのケルト的傾斜がその極に達する。人間はきたならしい畜獣ヤフーにころがりおちる一方、馬ファイナムが高貴で理性的な生物として登場するのである。」
私達も「ガリヴァー旅行記」の最初の方は痛快なところが沢山出てきますので楽しく読めますが、最後の方に行くとちょっとついていけない感じがするところもあります。
「スウィフトの生い立ちの複雑さのついてはここで説く余裕がないが、彼が１８世紀における最も安定した世俗的（まことに俗な）地位といえる英国国教会の聖堂の首席司祭だったということを思うと、その一片の憐情すらない人間への風刺と嫌悪は、病的でさえある。アイルランド人の天才たちの多くは、仲間との調和よりも、個人の中に内籠もりして、はなはだしい集中と傾斜を遂げる人が多いが、スウィフトの場合は、そのはなはだしい例といっていい。
夏目漱石（1867〜1916）は、なにやらスウィフトの中に極度な"変人"を見いだしているような一種の気味悪さを込めて、その風刺精神は決して『一時的の態度でなくて、彼の一生は貫いた、牢として抜くぬくべからざる生来の性癖である』(『文学評論』)とした。漱石はこんにちのわれわれのように多くの資料をもっていたわけではなかったのに、みごとな洞察というほかない」と言うように書いておられます。
夏目漱石のラフカディオ・ハーン観について
ハーンと比べると分かると思いますが、すごく誉めていることは同様であります。例えば「ロビンソ・クルーソー」を書いた同時代のデフォーと言う作家がおりますが、実はデフォーの方が先に「ロビンソン・クルーソー」を出しまして、それに刺激を受けて「ガリヴァー旅行記」を書いたわけです。夏目漱石にいわせると「スウィフトは立派だけどデフォーはあほだ。あったことを順序立てて書くのは馬鹿でも書ける」というようなことを書いております。 他の所では「宝島」を書いたスティブンソンと比べて評論したところがありましたが、嵐の難破船からボートに乗り移るところの描写をデフォーが細々と書いております。スティブンソンは「黒い空に向かって飛んだ」と書いております。「これだけで充分だ。黒い空に向かって飛べば人間は下に落ちるに決まっている。ボートの上に落ちるか又は落ちないか読者ははらはらしながら読むに決まっている。それをデフォーと言う野郎は波がどう揺れたとか、船がどうなったとかいうことを一々長々と書いて何ページもつぶすとは何事だ」ということを漱石は言いたかったのでしょう。気性が合わなかったようです。「ガリヴァー旅行記」が書かれて漱石はスウイフトの批評精神を高く買っております。その文学精神について１カ所だけケチを付けているところを取りました。
「これは面白いと思うと、すぐ王様の所へ持って行かれる。何だか物足りない様な気がする。それから今一つは通編風刺的精神に満ちて、絶えず刺激を受け、間の延びたところは少しもないが、それと共にいわゆる美しい感情を起こすような要素が欠けている。これも詩的でないと言うところで評すべきことかも知れぬが、単に人事的に言って詩に近い場面が無いのみならず、自然の享楽を表した点が少しもない。かように所々方々を漂流して歩いたのだから、少しは海の色、浪の音、又は飛ぶ鳥の具合や空模様、さては山や川や田園の景色でもよいから、賞翫の態度を以て記載したら可かろうと思うに、そんなことは一切無頓着である。ただ朝の何時に船が出た、何年何月の何日にどこへ着いたというような、実用的に精確な記載ばかりであるのは、いささか遺憾である。それも物が物であるから遺憾がるほうが悪いとしてもよい。」（『文学評論』岩波書店）。ここだけ文句を言ってるのです。その他はべた褒めです、もう少し情緒のある情景描写を書いてもいいのではないかと思います。非常に批評精神横溢です。そして最後の締めくくりは次のようになっております。
「『ガリヴァー旅行記』は名著の一つである。彼は最強大なる風刺家の一人である。彼は理非の弁別に敏く、世の中の腐敗を鋭敏に感ずる人である。病的に人間を嫌忌したという名を博したにも係わらず、親切な人である。正義の人である、見識を持った人である。見識がなければ風刺は書けない。みだりに悪口を吐いたり、皮肉な雑言を弄することは誰にでも出来るが、真に風刺とも言うべきものは、正しき道理の存する所に陣取って、一隻の批評眼を具して世間を見渡す人でなければ出来ないことである。スウィフトの風刺は堂々たる文学である、後代に伝うべき述作である。彼は愛蘭土の愛国者で、故国のためには危きを辞せして応分の力を尽くした志士である。」（同上）とまで漱石は言っているのです。
ラフカディオ・ハーンのスウィフト観について
スウィフトが聖パトリック教会の首席司祭に任命されたのが４６歳の時です。当時のイギリス系の教会の聖職の位で言えば最高の地位ですからアイルランドでは一番力があるわけです。しかし、それでも不満なんです。何故かというと本人は文人としても政治的にも野心があるわけです。それを先ほどのラフカディオ・ハーンの『英文学史?』から読んでみましょう。
「彼の長所も短所も、本質的にイギリス的である。だがそれは巨大な、驚くべき規模のイギリス人で、彼こそ１８世紀で一番すぐれた文学者だと言っても決して言い過ぎではない。ジョンソンなどよりずっと大物だ。
とにかく、彼は古典時代の圧倒的な力だったことを覚えておくとよい。本当の文壇の親分で、ポープさえその前に行くと小さくなっていて、スウィフトの言いなりになった。この時期の文学史をくわしく調べてみると、おもしろいことにポープが風刺したありとあらゆる人物、いや少なくともその大部分の人物は、スウィフトが嫌っていた人物だということがわかる。ポープは誰にでも恐れられていた。だからスウィフトがやれと言いさえすれば、ポープは操り人形のように何でも彼の言いなりになった。しかし又、この２人は気も合っていたのだろう。」と書いています。
何か今で言うと番長のような感じでハーンは書いています。それくらいスウィフトは文壇にも力があったし政治的にも野心があったのです。それがダブリンの教会の首席司祭になったと言うことは納得がいかなかったようです。それで一度はダブリンからロンドンに帰るわけですが、その翌年またダブリンに戻ります。そして４７歳の時からは聖パトリック教会の首席司祭を務めるわけです。そこで腰を落ち着けてからはアイルランドのことを擁護した文章を匿名で書いたり、イギリス政府を痛烈に攻撃したことをどんどん書くわけです。大変な分量でしたのでイギリス政府が音を上げて政策変更したようなことがいくつもあるのです。
中野好夫さんのスウィフト観について
次に東大教授だった中野好夫さんの『スウイフト考』（岩波新書）から引用したいと思います。本人は「分からん、分からん」と謙遜しておられますが、先生は難しいことを分かりやすく書いておられますので機会があったら読んでいただきたいと思います。
彼が５９歳の時書いた「ガリヴァー旅行記」のあと出しました何ともすごいのがあるのですが、そこをちょっと説明しておきます。
「まず小冊子は、ダブリン市街やアイルランドを旅行するほどのものなら、すぐ目につくはずの貧しい子供連れの女乞食の光景、それへの言及から始まっている。そして以下、まるで人口問題の論文でも読むような統計数字が続くのである。
まずアイルランド総人口を百五十万人と踏み、うちほぼ二十万組の夫婦は、まだ細君たちが出産能力を保っていると考えてよい。ところがこの二十万組のうち、甘く踏んでまず三万組ぐらいは、産児に対する扶養能力をそなえていると見ていいが、あとの十七万組となると、まことに心細い。そこで、妊婦にはむろん流産もあれば早産もあり、また生まれてもすぐ死ぬ子供もあるにはあるが、それらを割り引いても、まず毎年十二万人ほどは、両親に扶養能力の欠けた貧困児がふえると見なければならぬ。これが現在アイルランドにとっての最大社会問題だというのである。
ところで、この辺まではまことに真っ当なのだが、このあたりからそろそろおかしくなる。曰く、幼児も十二歳以下ではとうてい商品にならぬし、十二歳になったところで、せいぜい一人三ポンド半以上には売れそうにない。これでは実際にかかった養育費の四分の一の償却費にもならぬ。両親、ひいては国の負担は増すばかりだが、ここに一つ、問題解決への名案がある、というのである。
実はさるアメリカ人から教えられた話だが、なるほど、これならどこからでもまず反対はでまい。だから、一つ提案するのだがということで、いよいよ本題にはいるわけだが、いきなりまずこんな話になる。満一歳の赤ん坊というのは、病気がなくて栄養さえよければ、どんな料理法で食べても、実に美味しくて栄養分も満点だそうだ。だとすると、上に挙げた毎年増える貧困児十二万人のうち、まず二万人ばかりは種族保存のために残すとして、あとの十万人はせいぜいよく育てておいて、満一歳くらいになれば、食用肉として売り出させる。貴族、金持ちなどはよろこんで買うはずだ。
招待客の接待料理となると、一人分の肉で二皿くらいしか取れないが、家庭用なら結構四半分ですむ。殺して四日目くらいがちょうど食べごろで、塩と胡椒でで主味をつけると、なんともいえぬご馳走である。おまけに皮も別に利用すれば、なかなかしゃれた婦人用の手袋、紳士用の靴にもなる。まさに一石三鳥という結構な話。
そこで一年間養育する費用だが、いずれ貧乏人の子のことだから、衣料代を含めても、せいぜい年二シリングも見込めば十分のはず。それで売り出すときには、まず一人当たり十シリングには確実になるから、結局八シリングがところは丸儲けということになる。これをさえ実行すれば、救貧産業にもなれば、人口問題の解決にもなる。さらにはアイルランド経済の改善にもなる上に、国民の食生活もずいぶん豊富になる、いわば一石四鳥の勘定になる、等々、詳細は省略するが、次々と利点を数え上げて小冊子は終わるのである。
漱石もずいぶん驚いたらしい。『これを真面目とすれば純然たる狂人である』とまで評している。ところがこの小冊子、冗談どころではない。真面目も真面目。大真面目、しかもスウィフトは断じて狂人ではなかったのである。では、なぜこんな、ほとんど常識をすら疑わせるような、一見風狂の戯文わかいたのであろうか」ということを中野先生は書いておられます。
これはちゃんとしたパンフレットでございます。
聖パトリック教会の現役の首席司祭が「一歳の赤ん坊を食用にしたらうまくいくのじゃないか」と言うことを印刷して発行するのですから、並の人間ではない。ただこの中で変わったこと、奇行をご注意いただくのでなく、この人は物理、天文学、数学が大変得意なんです。「ガリヴァー旅行記」を読んでいただきますと、色々な計算とか天体の動きの図まで出てきます。子供の時から論理学とか数学が出来た人です。その当時イギリス政府がイギリスを攻撃するスウィフトのたくさんの論文を見て困ったのは、経済問題でもなんでも数字を挙げて叩くものですから間違いないのです。彼が赤ん坊を食べると言うような極端なことを言っても攻撃されないのは誰だって本気とは思っていないからです。この中で言っている子供の養育にいくらかかるかはきちんと調べて書いているのです。政府は何故こういうことをしないんだという影の意味があるわけです。そういうことをした人なんです。しかし最後には、彼が寄付して作ったダブリン郊外の精神病院で亡くなるなるわけです。中野好夫さんにしても分からないところが一杯あるわけです。特に女性関係ではどういう訳か分からないところが沢山あるのです。私達は彼の書いた物、残した文学とかを見ていけばいい訳でして、プライベートな詮索をすることは特別な研究家に任しておけばいいと思います。
ただ「ガリヴァー旅行記」は、旅行中も言いましたが、是非そういうスウィフトの立場を考えて、その当時イギリスがアイルランドに対して支配的で、非常に簡単に言うと虐めていた状態であったと言うことです。彼が聖パトリック教会の首席司祭としてアイルランドの人たちを助けてやりたいと言う気持ちから、イギリス政府を正面切って攻撃する論文に混じって書いたものが「ガリヴァー旅行記」だと考えて読んでいけばなるほどだとうなずけます。ただそのレベルだけでなく人間全体に対する風刺も十分に入って高いレベルの本になっていることは間違いないと思います。
再びハーンのスウィフト観について
次にスウィフトについてハーンが書いた文章を読んでみます。
「しかし文章の完全な飾り気のなさだけは感嘆に値する。アングロ・サクソンの素っ気なさと言ってもいい。普通の人がラテン語系の単語を持ってこないではいられないところにも単音節の言葉を使い、全体にいつでも威厳をたたえている。この単純さというのが曲者で、昔もこういう北欧人の見かけの単純さに騙されて、王侯、貴族の外交団がころっとやられてしまった。限りない力を意識しながら、しかもそれを静かに押さえていられる人並みはずれた能力、という以外には説明のしようがない。この文章は百年ほどの間イギリス文学全体に非常な影響を与え、それは今でも続いている。イギリス人は、古典あるいは近代ラテン語の持ってまわった表現に頼らなくても、英語は英語だけで十分立派な表現が可能だということをスウィフトによって教えられた。彼の偉大さは実にこの点にある。
利口な人の手にかかれば普通の英語ほど力強いものはない。人を攻撃する場合にも、普通の言葉だけで十分ではないか。必要なのはただ真実を述べるのに最も良い方法を探し出すだけだ。だから、スウィフトの散文を読むことは英語の勉強に非常に役立つ。スウィフトの時代の話題に関係のあるものがいやならば、他のエッセイや小説から、どれでも気に入りそうな、しかもためになりそうなものを選んで読むとよい。明快な散文、厳かな散文、やさしい散文というのなら、スウィフトの右に出るものは、今日でもないのではないかと思う」（『英文学史?』） ハーンはスウィフトのことを書いた中で、風刺の優れたことと同時に彼の英語の素晴らしさを何度も繰り返して誉めています。しかも自分は一番スウィフトから英語の素晴らしさを学んだと言っています。そして不思議なことにこれだけアイルランドの立場に立ってイギリス政府を攻撃したのが並大抵ではないことをハーンが知らなかったはずはないのに、そのことはどこを調べても書いてないのです。それが今度ハーンとスウィフトのことを調べてみて不思議に思ったことでした。ことによったら意識的に避けているのかなとも思いました。少なくともハーンの中には自分はアイリッシュだという意識は、大変希薄ではなかったのではないかと思います。
例えば先ほど言いました今年出た『アイルランド文学小史』には、まず"初めに"の本文には「１８世紀合理主義、半植民地主義思想悲劇、ジョナサン・スウィフト」とあります。つまり実質的なアイルランド文学史はスウイフトから始まっております。ですから最初申しあげましたようにこの人の父親は元々イギリス系の人です。この中の"喜劇"と書いてある中にウィリアム・コングリーヴと言う人がおります。この人について、ハーンは東大の講義の中で「この頃の喜劇にろくなものはない。殆どあほばかりだ。あほな中でもちょっと気の利いたのがコングリーヴ」と色々悪口を言っています。そういうことをしゃべっているのですが本人はアイルランド出身の人です。ですが東大の講義の中でアイルランドの文学者の話をするとき、自分がアイルランド人であることを言ってないのです。ということは大変難しいのですが、特に自分がアイルランド人であることを意識する必要がなかったことは言えます。アイルランドは第一次大戦後の１９２２年に仮の独立が認められ、１９４８年に正式に独立しました。彼が五高に来たときの国籍は文部省の履歴書によりますと、アイルランドでなくはっきり"英国"とあり、父親は英国陸軍の軍医補となっております。恐らく彼の中にはイギリスとかアイルランドとか言う意識はなかったのかと思います。ただスウィフト比べますと、スウィフトがアイルランドのことに膨大なことをしているのに、そのことを一言もハーンが触れない。「彼の英語が素晴らしいとか文壇の大御所である」とかいうことを書いていることが、私は今回奇異に感じました。書いていないと言うことは、逆に言えば彼の幼少時代に非常に辛い思いをした事が、どこか自分でトラウマになって無意識のうちにアイルランド時代のことは自分で塞ごうとしていたのかも知れません。しかし彼の作品の中には妖精の話がありケルトの血が脈々と流れているのでしょう。
終わりに
非常に雑ぱくな話をしましたが、私達がアイルランドの正義とか国の成り立ちとかの話の中で、ジャガ芋飢饉の話が非常に大きくなって出てくるのは世の中の流れで、時代時代によって
色々なことが変わります。ところが今は、アイルランド共和国の独立性というものが非常に大きく言われているような気がします。そこで何でもかんでもアイルランド文学の中に引っ張り込んでいるような時代という気がします。私達はハーンを見るときに、作品を通して彼がどんなものを書き、どう言うことで文学という遺産を残してくれたかということを、私達は静かに読みとっていけばいいわけです。ですから現世の動きに余り惑わされないようにした方がいいのではないかと思います。
旅行から帰りまして１０冊くらい本を読みましたが、頭の中が益々混乱するばかりで纏まりませんでした。ですが、スウィフトは大変大物ですし、その上面白いし、女性のことも沢山書いています。彼は女性に恨みがあるのかないのか知りませんが、どんな美人ですべすべした肌でも拡大鏡でよく見ると見られたものではないとか、吹き出したくなるようなことを"小人国"とか"大人国"とかに書いております。後半は深刻になりますが、最初の一部、二部のとこは気楽に読んでもさすがだなと思います。是非機会があったら読んでいただきたいと思います。司馬遼太郎さんの"街道をゆく"も特に前半は大変うまいと思います。ローマカトリックとアイルランドカトリックは違うということを非常に明快に言っておられます。勉強になると思います、今日はどうもご静聴有り難うございました。
（文責：松村）
先ずアイルランドでの大体の経路を申しますと、ダブリンで２泊し、まっすぐ西の端のゴールウエイに行き２泊しました。その間に有名な 劇作家シングが書いた「アラン島」で知られる島にフェリーに乗り日帰りで行ってきました。それから少し南東に下りリムリックに１泊し、ダブリン経由で帰ってきました。ですからアイルランドでは５泊したわけです。
アイルランド旅行のガイドはアイルランド人と結婚している津川さんという女性で、大変真面目に色々説明してくれました。
私が一番最初に驚きましたのは、津川さんの説明の中にアイルランドの"ジャガイモ飢饉"というのがあります。1845年〜1849年頃アイルランドでジャガイモが余り取れなく、どんどん餓死者が出た出来事です。これは1930年のアメリカの大恐慌に相当するような大事件として歴史上に知られております。その暗い話をするのですが、少し見方が違うのです。イギリスのブレア首相が「その当時のイギリスのとった政策が適切ではなかった」と言って頭を下げたという話を淡々とするのです。これは世の中が少し変わってきたなと言う印象を私は受けました。 そして、ダブリンの本屋さんに行きますと飢饉"famine"と書いた本が一杯出てるのです。"飢饉以降"とか"大飢饉"とか言う本が非常に多いのです。それからここにも持ってきておりますが、今年出た小冊子 "POCKET HISTORY of IRISH LITERATURE"（アイルランド文学ポケット小史）の中にも"飢饉"と言う項目がちゃんと書いてあります。と言うことは、アイルランド共和国が独立して国としての自己主張が強くなったかなと言う印象を私は一番に受けました。これは５年前行ったときと非常に違うことです。これがアイルランド全体に対する印象として感じたことです。
今度の旅では以前アイルランドのコークに５年住んでおられた、小島ご夫妻に事実上の御案内役をしていただいたわけですが、小島さんの印象ではＥＵの資金援助のせいで国中の道路が非常に良くなっている。そしてアイルランドは非常に変化しているということです。
思い出あれこれ
アラン島に行くフェリーの中に、俳優の太地康雄さんがテレビロケで見えており、サインを貰った方もおられました。何でも八代のご出身ということで私も行って名刺の交換をし、挨拶をして「頑張って下さい」と励ましてきました。
ダブリンではギネスビールの工場見学に出かけました。２ポンド払って中に入りますと、地下で大ジョッキ一杯（１パイント）が頂けますが、嬉しかったことには６０歳以上は半額でいいと言われたので「シニアだ」と言うと、大らかに認めてくれて１ポンドで飲んできました。他に明治村のような所も行きましたが、そこも何も詮索しないで気持ちよく「シニア」割引で入れました。
ダイアナ妃の葬儀
最後にロンドンで２泊しました。ダイアナさんの葬儀の前の日に市内を観光バスで回ったわけですが、その熱っぽさは想像を絶するものがありました。バッキンガム宮殿に集まっている人たちの中で花束を持っていないのは観光客だけでした。
ごく普通の中年の３０歳代くらいのご夫婦と子供連れという人を注意して、何組か見てきました。バッキンガム宮殿の門から入って来て、奥さんが新聞紙に花束を包んで持っているわけです。そして立ち止まって連れていた小学生の女の子二人に新聞紙を広げて薔薇の花を１本づつ持たせて、残りをご主人と自分が半分づつ分けて、子供と一緒にかなり遠くの献花の場所まで歩いて行くわけです。フェンスの前は一間ばかり花だらけで、高さも１メートルくらいありました。何も若い女の子だけがキャーキャー言っているのでなく、普通の家庭の人たちでごった返しておりました。私はそれを見たときに、イギリスの王室は２１世紀になったら潰れるのではないかと思いました。
その日の夕方、イギリスの王室がダイアナ妃に冷たいと国民から言われたので、女王と皇太子が急遽帰って来られました。日本だったら皇室が直接見えたら大変ですが、イギリスではテレビニュースを見るかぎりあまり反応はないのです。
それから花に添えた若い女性の手紙を５、６行から長いので便箋１枚にたっぷり書いてあるのを５、６枚くらい走り読みしたら、「大変あなたは素晴らしい、どうして私達を見捨てて先に天国に行ってしまったのか、天国から私達を見守っていて下さい」と言うようなことが書いてあります。内容は本当に若い女性のラブレターです。これからどういうふうになるのか、ダイアナフィーバーはやがて下がるのかも知れませんが。
その後すぐ、マリア・テレザさんが亡くなられましたが、お年寄りと若い３５歳との違いがあるのでしょうか。本当はもっとマリア・テレザさんにスポットが当たってもいいと思いましたが、大変センセイショナルなニュースでした。
ただイギリスと比較してアイルランドではやや反応が低いと思いました。しかしこれは致し方ないことと思います。
司馬遼太郎さんのスウィフト観について
今日一番申しあげたいことを先に申しあげます。ジョナサン・スウィフトはダブリン生まれで、その殆どをアイルランドで過ごしました。ところが父親は、イギリス系統の人であります。こういうときにはどうなるのでしょうか。どういう人をアイルランドの作家というのかという大変難しい問題を未整理のままいわれている感じがしますので、私の意見は最後に言わせていただきます。
スウィフトの父親はイギリス系であり、ダブリン生まれで、彼が生まれたときは母子家庭のようなもので、すぐにイギリスに行って成人するということになるわけです。ここのとこを司馬遼太郎さんの『街道をゆく』（朝日新聞社刊）から記します。
「ケルト的霊性は、ジョナサン・スウィフト（1667〜1745）の不朽の傑作『ガリヴァー旅行記』において極度に濃淡である。
船員ガリヴァーが難破漂流して小人国へゆき、巨人国へゆく第一部と第二部は、あるいは空想という醸造の種子の中にケルトのアイルランドにおける妖精の"生態"が入っているかもしれないが、第四部における人間への絶望というくだりになると、空想は風刺の刃にかわり、人間嫌いのケルト的傾斜がその極に達する。人間はきたならしい畜獣ヤフーにころがりおちる一方、馬ファイナムが高貴で理性的な生物として登場するのである。」
私達も「ガリヴァー旅行記」の最初の方は痛快なところが沢山出てきますので楽しく読めますが、最後の方に行くとちょっとついていけない感じがするところもあります。
「スウィフトの生い立ちの複雑さのついてはここで説く余裕がないが、彼が１８世紀における最も安定した世俗的（まことに俗な）地位といえる英国国教会の聖堂の首席司祭だったということを思うと、その一片の憐情すらない人間への風刺と嫌悪は、病的でさえある。アイルランド人の天才たちの多くは、仲間との調和よりも、個人の中に内籠もりして、はなはだしい集中と傾斜を遂げる人が多いが、スウィフトの場合は、そのはなはだしい例といっていい。
夏目漱石（1867〜1916）は、なにやらスウィフトの中に極度な"変人"を見いだしているような一種の気味悪さを込めて、その風刺精神は決して『一時的の態度でなくて、彼の一生は貫いた、牢として抜くぬくべからざる生来の性癖である』(『文学評論』)とした。漱石はこんにちのわれわれのように多くの資料をもっていたわけではなかったのに、みごとな洞察というほかない」と言うように書いておられます。
夏目漱石のラフカディオ・ハーン観について
ハーンと比べると分かると思いますが、すごく誉めていることは同様であります。例えば「ロビンソ・クルーソー」を書いた同時代のデフォーと言う作家がおりますが、実はデフォーの方が先に「ロビンソン・クルーソー」を出しまして、それに刺激を受けて「ガリヴァー旅行記」を書いたわけです。夏目漱石にいわせると「スウィフトは立派だけどデフォーはあほだ。あったことを順序立てて書くのは馬鹿でも書ける」というようなことを書いております。 他の所では「宝島」を書いたスティブンソンと比べて評論したところがありましたが、嵐の難破船からボートに乗り移るところの描写をデフォーが細々と書いております。スティブンソンは「黒い空に向かって飛んだ」と書いております。「これだけで充分だ。黒い空に向かって飛べば人間は下に落ちるに決まっている。ボートの上に落ちるか又は落ちないか読者ははらはらしながら読むに決まっている。それをデフォーと言う野郎は波がどう揺れたとか、船がどうなったとかいうことを一々長々と書いて何ページもつぶすとは何事だ」ということを漱石は言いたかったのでしょう。気性が合わなかったようです。「ガリヴァー旅行記」が書かれて漱石はスウイフトの批評精神を高く買っております。その文学精神について１カ所だけケチを付けているところを取りました。
「これは面白いと思うと、すぐ王様の所へ持って行かれる。何だか物足りない様な気がする。それから今一つは通編風刺的精神に満ちて、絶えず刺激を受け、間の延びたところは少しもないが、それと共にいわゆる美しい感情を起こすような要素が欠けている。これも詩的でないと言うところで評すべきことかも知れぬが、単に人事的に言って詩に近い場面が無いのみならず、自然の享楽を表した点が少しもない。かように所々方々を漂流して歩いたのだから、少しは海の色、浪の音、又は飛ぶ鳥の具合や空模様、さては山や川や田園の景色でもよいから、賞翫の態度を以て記載したら可かろうと思うに、そんなことは一切無頓着である。ただ朝の何時に船が出た、何年何月の何日にどこへ着いたというような、実用的に精確な記載ばかりであるのは、いささか遺憾である。それも物が物であるから遺憾がるほうが悪いとしてもよい。」（『文学評論』岩波書店）。ここだけ文句を言ってるのです。その他はべた褒めです、もう少し情緒のある情景描写を書いてもいいのではないかと思います。非常に批評精神横溢です。そして最後の締めくくりは次のようになっております。
「『ガリヴァー旅行記』は名著の一つである。彼は最強大なる風刺家の一人である。彼は理非の弁別に敏く、世の中の腐敗を鋭敏に感ずる人である。病的に人間を嫌忌したという名を博したにも係わらず、親切な人である。正義の人である、見識を持った人である。見識がなければ風刺は書けない。みだりに悪口を吐いたり、皮肉な雑言を弄することは誰にでも出来るが、真に風刺とも言うべきものは、正しき道理の存する所に陣取って、一隻の批評眼を具して世間を見渡す人でなければ出来ないことである。スウィフトの風刺は堂々たる文学である、後代に伝うべき述作である。彼は愛蘭土の愛国者で、故国のためには危きを辞せして応分の力を尽くした志士である。」（同上）とまで漱石は言っているのです。
ラフカディオ・ハーンのスウィフト観について
スウィフトが聖パトリック教会の首席司祭に任命されたのが４６歳の時です。当時のイギリス系の教会の聖職の位で言えば最高の地位ですからアイルランドでは一番力があるわけです。しかし、それでも不満なんです。何故かというと本人は文人としても政治的にも野心があるわけです。それを先ほどのラフカディオ・ハーンの『英文学史?』から読んでみましょう。
「彼の長所も短所も、本質的にイギリス的である。だがそれは巨大な、驚くべき規模のイギリス人で、彼こそ１８世紀で一番すぐれた文学者だと言っても決して言い過ぎではない。ジョンソンなどよりずっと大物だ。
とにかく、彼は古典時代の圧倒的な力だったことを覚えておくとよい。本当の文壇の親分で、ポープさえその前に行くと小さくなっていて、スウィフトの言いなりになった。この時期の文学史をくわしく調べてみると、おもしろいことにポープが風刺したありとあらゆる人物、いや少なくともその大部分の人物は、スウィフトが嫌っていた人物だということがわかる。ポープは誰にでも恐れられていた。だからスウィフトがやれと言いさえすれば、ポープは操り人形のように何でも彼の言いなりになった。しかし又、この２人は気も合っていたのだろう。」と書いています。
何か今で言うと番長のような感じでハーンは書いています。それくらいスウィフトは文壇にも力があったし政治的にも野心があったのです。それがダブリンの教会の首席司祭になったと言うことは納得がいかなかったようです。それで一度はダブリンからロンドンに帰るわけですが、その翌年またダブリンに戻ります。そして４７歳の時からは聖パトリック教会の首席司祭を務めるわけです。そこで腰を落ち着けてからはアイルランドのことを擁護した文章を匿名で書いたり、イギリス政府を痛烈に攻撃したことをどんどん書くわけです。大変な分量でしたのでイギリス政府が音を上げて政策変更したようなことがいくつもあるのです。
中野好夫さんのスウィフト観について
次に東大教授だった中野好夫さんの『スウイフト考』（岩波新書）から引用したいと思います。本人は「分からん、分からん」と謙遜しておられますが、先生は難しいことを分かりやすく書いておられますので機会があったら読んでいただきたいと思います。
彼が５９歳の時書いた「ガリヴァー旅行記」のあと出しました何ともすごいのがあるのですが、そこをちょっと説明しておきます。
「まず小冊子は、ダブリン市街やアイルランドを旅行するほどのものなら、すぐ目につくはずの貧しい子供連れの女乞食の光景、それへの言及から始まっている。そして以下、まるで人口問題の論文でも読むような統計数字が続くのである。
まずアイルランド総人口を百五十万人と踏み、うちほぼ二十万組の夫婦は、まだ細君たちが出産能力を保っていると考えてよい。ところがこの二十万組のうち、甘く踏んでまず三万組ぐらいは、産児に対する扶養能力をそなえていると見ていいが、あとの十七万組となると、まことに心細い。そこで、妊婦にはむろん流産もあれば早産もあり、また生まれてもすぐ死ぬ子供もあるにはあるが、それらを割り引いても、まず毎年十二万人ほどは、両親に扶養能力の欠けた貧困児がふえると見なければならぬ。これが現在アイルランドにとっての最大社会問題だというのである。
ところで、この辺まではまことに真っ当なのだが、このあたりからそろそろおかしくなる。曰く、幼児も十二歳以下ではとうてい商品にならぬし、十二歳になったところで、せいぜい一人三ポンド半以上には売れそうにない。これでは実際にかかった養育費の四分の一の償却費にもならぬ。両親、ひいては国の負担は増すばかりだが、ここに一つ、問題解決への名案がある、というのである。
実はさるアメリカ人から教えられた話だが、なるほど、これならどこからでもまず反対はでまい。だから、一つ提案するのだがということで、いよいよ本題にはいるわけだが、いきなりまずこんな話になる。満一歳の赤ん坊というのは、病気がなくて栄養さえよければ、どんな料理法で食べても、実に美味しくて栄養分も満点だそうだ。だとすると、上に挙げた毎年増える貧困児十二万人のうち、まず二万人ばかりは種族保存のために残すとして、あとの十万人はせいぜいよく育てておいて、満一歳くらいになれば、食用肉として売り出させる。貴族、金持ちなどはよろこんで買うはずだ。
招待客の接待料理となると、一人分の肉で二皿くらいしか取れないが、家庭用なら結構四半分ですむ。殺して四日目くらいがちょうど食べごろで、塩と胡椒でで主味をつけると、なんともいえぬご馳走である。おまけに皮も別に利用すれば、なかなかしゃれた婦人用の手袋、紳士用の靴にもなる。まさに一石三鳥という結構な話。
そこで一年間養育する費用だが、いずれ貧乏人の子のことだから、衣料代を含めても、せいぜい年二シリングも見込めば十分のはず。それで売り出すときには、まず一人当たり十シリングには確実になるから、結局八シリングがところは丸儲けということになる。これをさえ実行すれば、救貧産業にもなれば、人口問題の解決にもなる。さらにはアイルランド経済の改善にもなる上に、国民の食生活もずいぶん豊富になる、いわば一石四鳥の勘定になる、等々、詳細は省略するが、次々と利点を数え上げて小冊子は終わるのである。
漱石もずいぶん驚いたらしい。『これを真面目とすれば純然たる狂人である』とまで評している。ところがこの小冊子、冗談どころではない。真面目も真面目。大真面目、しかもスウィフトは断じて狂人ではなかったのである。では、なぜこんな、ほとんど常識をすら疑わせるような、一見風狂の戯文わかいたのであろうか」ということを中野先生は書いておられます。
これはちゃんとしたパンフレットでございます。
聖パトリック教会の現役の首席司祭が「一歳の赤ん坊を食用にしたらうまくいくのじゃないか」と言うことを印刷して発行するのですから、並の人間ではない。ただこの中で変わったこと、奇行をご注意いただくのでなく、この人は物理、天文学、数学が大変得意なんです。「ガリヴァー旅行記」を読んでいただきますと、色々な計算とか天体の動きの図まで出てきます。子供の時から論理学とか数学が出来た人です。その当時イギリス政府がイギリスを攻撃するスウィフトのたくさんの論文を見て困ったのは、経済問題でもなんでも数字を挙げて叩くものですから間違いないのです。彼が赤ん坊を食べると言うような極端なことを言っても攻撃されないのは誰だって本気とは思っていないからです。この中で言っている子供の養育にいくらかかるかはきちんと調べて書いているのです。政府は何故こういうことをしないんだという影の意味があるわけです。そういうことをした人なんです。しかし最後には、彼が寄付して作ったダブリン郊外の精神病院で亡くなるなるわけです。中野好夫さんにしても分からないところが一杯あるわけです。特に女性関係ではどういう訳か分からないところが沢山あるのです。私達は彼の書いた物、残した文学とかを見ていけばいい訳でして、プライベートな詮索をすることは特別な研究家に任しておけばいいと思います。
ただ「ガリヴァー旅行記」は、旅行中も言いましたが、是非そういうスウィフトの立場を考えて、その当時イギリスがアイルランドに対して支配的で、非常に簡単に言うと虐めていた状態であったと言うことです。彼が聖パトリック教会の首席司祭としてアイルランドの人たちを助けてやりたいと言う気持ちから、イギリス政府を正面切って攻撃する論文に混じって書いたものが「ガリヴァー旅行記」だと考えて読んでいけばなるほどだとうなずけます。ただそのレベルだけでなく人間全体に対する風刺も十分に入って高いレベルの本になっていることは間違いないと思います。
再びハーンのスウィフト観について
次にスウィフトについてハーンが書いた文章を読んでみます。
「しかし文章の完全な飾り気のなさだけは感嘆に値する。アングロ・サクソンの素っ気なさと言ってもいい。普通の人がラテン語系の単語を持ってこないではいられないところにも単音節の言葉を使い、全体にいつでも威厳をたたえている。この単純さというのが曲者で、昔もこういう北欧人の見かけの単純さに騙されて、王侯、貴族の外交団がころっとやられてしまった。限りない力を意識しながら、しかもそれを静かに押さえていられる人並みはずれた能力、という以外には説明のしようがない。この文章は百年ほどの間イギリス文学全体に非常な影響を与え、それは今でも続いている。イギリス人は、古典あるいは近代ラテン語の持ってまわった表現に頼らなくても、英語は英語だけで十分立派な表現が可能だということをスウィフトによって教えられた。彼の偉大さは実にこの点にある。
利口な人の手にかかれば普通の英語ほど力強いものはない。人を攻撃する場合にも、普通の言葉だけで十分ではないか。必要なのはただ真実を述べるのに最も良い方法を探し出すだけだ。だから、スウィフトの散文を読むことは英語の勉強に非常に役立つ。スウィフトの時代の話題に関係のあるものがいやならば、他のエッセイや小説から、どれでも気に入りそうな、しかもためになりそうなものを選んで読むとよい。明快な散文、厳かな散文、やさしい散文というのなら、スウィフトの右に出るものは、今日でもないのではないかと思う」（『英文学史?』） ハーンはスウィフトのことを書いた中で、風刺の優れたことと同時に彼の英語の素晴らしさを何度も繰り返して誉めています。しかも自分は一番スウィフトから英語の素晴らしさを学んだと言っています。そして不思議なことにこれだけアイルランドの立場に立ってイギリス政府を攻撃したのが並大抵ではないことをハーンが知らなかったはずはないのに、そのことはどこを調べても書いてないのです。それが今度ハーンとスウィフトのことを調べてみて不思議に思ったことでした。ことによったら意識的に避けているのかなとも思いました。少なくともハーンの中には自分はアイリッシュだという意識は、大変希薄ではなかったのではないかと思います。
例えば先ほど言いました今年出た『アイルランド文学小史』には、まず"初めに"の本文には「１８世紀合理主義、半植民地主義思想悲劇、ジョナサン・スウィフト」とあります。つまり実質的なアイルランド文学史はスウイフトから始まっております。ですから最初申しあげましたようにこの人の父親は元々イギリス系の人です。この中の"喜劇"と書いてある中にウィリアム・コングリーヴと言う人がおります。この人について、ハーンは東大の講義の中で「この頃の喜劇にろくなものはない。殆どあほばかりだ。あほな中でもちょっと気の利いたのがコングリーヴ」と色々悪口を言っています。そういうことをしゃべっているのですが本人はアイルランド出身の人です。ですが東大の講義の中でアイルランドの文学者の話をするとき、自分がアイルランド人であることを言ってないのです。ということは大変難しいのですが、特に自分がアイルランド人であることを意識する必要がなかったことは言えます。アイルランドは第一次大戦後の１９２２年に仮の独立が認められ、１９４８年に正式に独立しました。彼が五高に来たときの国籍は文部省の履歴書によりますと、アイルランドでなくはっきり"英国"とあり、父親は英国陸軍の軍医補となっております。恐らく彼の中にはイギリスとかアイルランドとか言う意識はなかったのかと思います。ただスウィフト比べますと、スウィフトがアイルランドのことに膨大なことをしているのに、そのことを一言もハーンが触れない。「彼の英語が素晴らしいとか文壇の大御所である」とかいうことを書いていることが、私は今回奇異に感じました。書いていないと言うことは、逆に言えば彼の幼少時代に非常に辛い思いをした事が、どこか自分でトラウマになって無意識のうちにアイルランド時代のことは自分で塞ごうとしていたのかも知れません。しかし彼の作品の中には妖精の話がありケルトの血が脈々と流れているのでしょう。
終わりに
非常に雑ぱくな話をしましたが、私達がアイルランドの正義とか国の成り立ちとかの話の中で、ジャガ芋飢饉の話が非常に大きくなって出てくるのは世の中の流れで、時代時代によって
色々なことが変わります。ところが今は、アイルランド共和国の独立性というものが非常に大きく言われているような気がします。そこで何でもかんでもアイルランド文学の中に引っ張り込んでいるような時代という気がします。私達はハーンを見るときに、作品を通して彼がどんなものを書き、どう言うことで文学という遺産を残してくれたかということを、私達は静かに読みとっていけばいいわけです。ですから現世の動きに余り惑わされないようにした方がいいのではないかと思います。
旅行から帰りまして１０冊くらい本を読みましたが、頭の中が益々混乱するばかりで纏まりませんでした。ですが、スウィフトは大変大物ですし、その上面白いし、女性のことも沢山書いています。彼は女性に恨みがあるのかないのか知りませんが、どんな美人ですべすべした肌でも拡大鏡でよく見ると見られたものではないとか、吹き出したくなるようなことを"小人国"とか"大人国"とかに書いております。後半は深刻になりますが、最初の一部、二部のとこは気楽に読んでもさすがだなと思います。是非機会があったら読んでいただきたいと思います。司馬遼太郎さんの"街道をゆく"も特に前半は大変うまいと思います。ローマカトリックとアイルランドカトリックは違うということを非常に明快に言っておられます。勉強になると思います、今日はどうもご静聴有り難うございました。
（文責：松村）
「身内からみたハーン」 小泉 時（エッセイスト）
はじめに
本日は熊本アイルランド協会総会にお招きいただき心から厚くお礼申し上げます。
またこのように膝を交えるような形で、熊本の皆様とハーンにまつわる話をさせていただくことを光栄に存じます。
初めから脱線しますが、父も兄弟も背はもっと高いのですが、私は祖父のハーンと同じ位ちょっと低い背丈で一番祖父に似ています。ただ祖父はもっと太っており、日本に来てからは大分お腹がでてきたこともあって心臓の心配もあったのだと思います。
考えますと、前回皆様にお目にかかりましたのは八雲旧居が落成した1995年であったように記憶しています。またその３年前には漱石とハーンの足跡を訪ねるツアーに参加し、ロンドンからダブリン、アテネ、レフカダへと、駆け足の苦しい中にも非常に楽しい旅をご一緒しました。年をとってきますと何だか一年が経つのが早くなり心細い気がしてなりません。
皆様の中には、協会主催のアイルランドツアーに昨年お出での方もおられますが、その時はアイルランドだけに的を絞った５日の旅。ゴールウェイからアラン島まで足を伸ばされた、本当によい旅だったと、心からお喜び申し上げます。
「５年前のハーンの足跡を訪ねるツアーには自分一人で参加したから、今回は家内に行ってもらいました」と言われた方もおられます。私は熊本の男性は奥様にやさしいのだと感激しました。と申しますのは、ハーンがよく口癖のように「その人（ジン）奥さん大事にする人ですか」と，セツに問いただしていたと、父が言っていたことを思い出すからです。
明治のあの亭主関白の時代に「奥さんを大事にするジンならば自分は付き合ってもいい」まして人を雇い入れるような場合は、いつもこういうことを聞いて採用したそうです。また松江からも、よく親類だ知人だといっては上京し，ホームステイをする人は跡を絶たなかったようです。この時もハーンはセツから報告を受けると必ず「そのジン松江の時あなたの味方でしたか」と詰問したそうです。
ハーンの身内紹介
今日は「身内から見たハーン」ということでお話をします。現在ハーンの子供たちは全員他界し、孫から曾孫の時代へ、移ろうとしています。ハーンは男３人、女１人の４人の子持ちでした。
長男が私の父の一雄、次男が小泉家からセツの養父の稲垣家を継いだ稲垣巌、三男が清、長女が寿々子です。
私と同じ孫は、長男の一雄には長男が１人、つまり私です。次男巌には男１人、女２人、三男清には男１人、女１人がいましたが、長女は４，５年前にアメリカで亡くなりました。叔母の寿々子は独身で子供はいません。従って現存するハーンの孫は５人になります。
アイルランド、父方の子孫は
ハーンの父、チャールズ・ブッシュ・ハーンは兄弟の多い人でしたので、ハーンの世代から見て孫の世代に当たる子孫を調べ上げたら数限りないと思います。孫の世代の何人かとは、クリスマスカードの交換をして付き合っていますが、これらの人達は、私よりかなり高齢なので病院へ入退院を繰り返している人が多いようです。当たり前の話ですが、ハーンは４０歳過ぎて結婚したので、私達、孫は平均１０歳は父方の孫より若いことになります。
母方の場合は、私が知っていますのは１人です。ローザが再婚してからの子孫なので，曾孫（ハーンの世代から見れば孫）は、私と同年でマセロウといいキセラ島に住んでいます。
アメリカへ渡ったハーンの弟の子孫
ハーンの弟に４歳年下のジェイムズ・ハーンがおります。彼はローザがギリシャに帰国してから産んだ子供で、成長した後にアメリカに渡りました。彼もカトリックでしたから、子供が１１人位いるのです。実は進駐軍として、日本に来た人もいると聞いてます。私は２，３年前に、長女だった人の一番年上の姉と年下の妹の２人が日本に来たとき会いました。長女の方は私より遙かに年上、妹の方が私と同じか、ちょっと若いくらいです。その時の話では、兄弟弟妹が多いので一番下は曾孫より若い人もいるそうです。
昨年の春頃、アメリカでハーンの子孫が集まるので、日本からも一人来てくれないかという手紙が来ました。私は忙しかったので代わりに長男に行って貰いました。行ってみると、孫は一人も現れなくて、殆どが曾孫で７，８人集まり、そのことが向こうの新聞にも載ったそうです。
チューレン大学にあるハーン・ライブラリーの資料写真が、西海岸の大学を巡回して公開しておりました。それが東海岸に移り、昨年のポトマック河畔の桜の頃、ワシントンの日本大使館別館でその展覧会が開かれました。それを機会にアメリカ在住のハーンの子孫が集まろうということになり開いたようです。そこに日本からも代表を一人送ってもらいたいとのことで、長男が行きました。
最近聞いたアイルランドのこと
幼いハーンがギリシャの母親ローザに連れられダブリンに着き、父親のチャールズ・ブッシュ・ハーンの母エリザベス・ハーンと住んだ家がロウアー・ガーディナー・ストリート48にあります。百年以上前は高級住宅地でしたが、現在は下町でザ・タウンハウスと言う名のＢ＆Ｂ（ベッド & ブレックファースト）という、ホテルより気楽なところになっています。そこには、元・駐日アイルランド大使のショーン・ローナン氏の肝いりで、その一室にハーン・ルームができ、資料室になっていて、写真などが置いてあります。
トレモア海岸にあるサラ・ブレナンの別荘
海岸から見て丘の上に古い教会が二つあります、一つはカトリック、一つは英国国教会、別名聖公会です。ハーンを引き取った大叔母ブレナン夫人はカトリックですから手前の方の教会です。ここにモリヌークスとブレナン夫人の墓があります。この教会の隣にブレナン夫人の別荘があり、ハーンはここから坂を下りて海岸へ行き水泳がうまくなったのでしょう。この別荘もＢ＆Ｂになり宿泊できます。
その後のローナン氏
元・駐日大使ローナンさんはアイルランド日本協会で、アイルランドと日本の交流に尽くした人に贈るラフカディオ・ハーン・ゴールド・メダルの設立をしたりして、大活躍をされてます。第１回目の受賞者は日本商社の代表でしたか、第２回目は全員からローナンさんが推されて受賞されたはずです。第３回目はゲール語の第一人者で、美智子皇后の先生でした日本アイルランド文学会名誉会長の、三橋敦子先生でした。
ローナンさんのご尽力だと思いますが、ハーンもスウィフト、ジェームズ・ジョイス、シング、イェイツ、オスカー・ワイルド、バーナード・ショーなどと共にアイリッシュ・ライターズ・ミュージアムに殿堂入りすることになりました。
また、この時に父方の子孫に当たるウィズドム家に保管され、幼い頃ハーンが使用していた机が同家から松江の記念館に贈られました。
ヨーロッパでは赤ちゃんが生まれるとシルバーのスプーンにイニシャルをつけますが、そのスプーンと思われるＰ．Ｈ（パトリシオ・ハーン）のイニシャルが付いたスプーンを同家で見せてもらいました。
ダブリンにはハーンも父チャールズに何回か連れて行って貰ったビューリーズという、非常に古い老舗のカフェレストランがあります。この店が、４，５年前に原宿の角に店を出しました。その入口の螺旋階段に、アイルランドの文豪のネームプレートが取り付けられておりますが、そこに昨年秋ハーンのプレートも飾られました。
前・大使ジェームス・シャーキー氏の言葉
アイルランドでは、外交官が語学ができるのは当たり前だが、法律、経済専門より歴史専門の人が重宝されるお国柄で、自分も歴史を専攻したので外交官の道を選んだとのことです。
自分は不勉強だが、ハーン研究家の間ではハーンが教育を受けていないと言われるが、これは間違いである。我々はどうしても現在を中心に目を向けてしまい、百年以上も前の時代背景を知らないから、そういう説が生まれるのである。当時、アイリッシュで英国のダーラム神学校へ入学するというのは、余程、上流家庭でしかも資産家でないと許可が出なかった。僕だったら志願したって入学出来なかっただろう。
ダーラム神学校について松尾太郎氏の説明
ハーンが入学したダーラム神学校のコースは神学中心だが、一般学校であり聖職者養成目的の学校ではなく、経済史学の松尾先生はこの点を混同している研究者が多いと指摘されています。
ただブレナン夫人の本当の気持ちはハーンが不憫な子だっただけに、末はカトリックの神父になって欲しいと思っていたことでしょう。
アイルランドは今でも聖職者の地位が高い国で、今から１５０年前の熱心な信者であった夫人は、ハーンを無理して入れても聖職者の道に進んで欲しかったと思います。もっとも大叔母さんが、破産せずに学資を続けて援助していても、自由思想のハーンがそのまま学校にいることは無理だったと思います。
あるギリシャ人との出会い
一昨年の春頃からオーストラリア在住のヤニスというギリシャ人からよく手紙が来るようになりました。手紙によると、東洋文化に興味を持ち大学では中国古典文学を専攻し、ハーンにも興味がある。いま交換教育でオーストラリアで高校の教員をし、今年一杯でギリシャに帰国するので、その前に日本を見ておきたいとのことです。自分が日本に立ち寄った時には会ってもらえるかとのことだったので，勿論どこかで会いましょうと返事をしました。
それから暫く返事がなく、ある日突然電話があり「いま成田に着いた、どうしたらあなたの家に行けるか教えて欲しい」。青天の霹靂でしたが、その晩の１１時過ぎに参りまして、２週間ホームステイをしました。
ハーンはよく「自分には東洋の血が流れているから肌身で東洋の文化を感じ取れる」と申しております。我々から見るとギリシャはオリーブの国で、海を隔てた西側はイタリーです。東洋と言っても、何か西洋に近いような感じがします。そこで、ギリシャ人は自分達を西洋側と考えるのか、東洋側と考えるのかを本人に聞いてみました。彼曰く「一つの目安として、自分はマケドニアに近いカラバだが、ギリシャはアテネを中心にエーゲ海側とイオニア海側の二つに分かれる。イオニア海側の人は言葉もイタリー訛のギリシャ語を使っているので、どうも西洋であるような気構えの人が多い。逆にエーゲ海側の人は、トルコに近いせいかオリエント文化だ」と。そこで私は「それはおかしい。ハーンはどちらかというと、イオニア海側のレフカダ島だ」と言うと「ハーンは初めから東洋文化に興味を持っていたので対象外だ」という返事が返ってきました。
文学館のこと
私達は昭和23年から60年にかけて、多摩川に住んでおり、最初の頃は多摩川はとても田舎でした。当時、玉電のチンチン電車が渋谷から出て、周りでは蛙が鳴くので夏なんか眠られないと言うほど非常に閑静なところでした。
昭和38年頃と思いますが、平井呈一先生がベースボールマガジン社の池田恒雄社長を紹介したいと突然来訪されました。池田さんは恒文社を作り、平井さんの訳でハーンの作品集を出したいと言われました。
平井先生は英文学というより江戸文学が専門と言った方がいいほど造詣が深く、荒俣宏さんは、先生をご自分の師と仰ぎ、しかも最後の江戸人だと非常に敬愛しておられます。
当時、池田社長は八雲記念館を作るのが夢だと言っておられました。今回、会長になられてから、故郷の新潟県魚沼郡大和町に県、町と共同で池田記念美術館を建設されました。そして一室を小泉八雲文学資料館として独立、学術法人として資料の保管もしていただくことになりました。個人の場合、火災も心配で、多量の資料、重いものなど持ち出すことは出来ませんので、当家に残されていた書簡、資料は、全部そちらへ移管、保管される予定です。
開館式が10月 2日に行われる予定なので、７月と８月は資料整理に全時間をつぎ込んだと言っても過言ではありませんでした。
ハーンとセツの交換教授
父一雄が『父「八雲」を憶ふ』に、書いているようにハーンは、長男一雄をある程度の家庭教育をしてからアメリカで教育を受けさせるつもりでした。ご存じのように、あの時代のイギリスやアイルランドの上、中流家庭では、自分の家庭で教育したり、また家庭教師に依頼し子弟の教育をしたりしております。ハーンも幼い頃、ブレナン夫人のもとで、こういう教育を受け、長男一雄にも５歳くらいから厳しい教育をしております。ところが、日本では文部省の義務教育があります。しかし、最初はこのことを説明して一雄の家庭教育を続けておりました。
次男の巌が、明治35年(１９０２）4月に隣の大久保小学校へ入学いたしました。この時、戸籍係りの警官が巡ってきて「お宅の坊ちゃんがまだ入学していない。私がそのため上司から叱られるのですよ」と言って帰りました。それは気の毒と考え、 翌年、一雄も同じ小学校の4年生に編入しました。ハーンがアメリカに行く時は、退学させればよいということでした。
こういうことがあってから、毎晩セツが一雄と巌の、日本語の勉強を見ることとなり、ハーンがその国語読本を見て興味を持ち、自分も一雄と一緒にひらがなの勉強を始めたそうです。 一雄はセツから、 二言目には「パパ様の方が覚えが早い」と始終叱られたと、言っていました。そこでセツも交換条件を出して、熊本でどうも初めて英単語の説明を受けて以来、１０年ぶりに英語の教育を受け、八雲とセツの交換教授が少しの間続いたようです。
セツの英単語帳
明治26年(1893）熊本時代にセツは、ハーン
から初めて英語のレッスンを受けました。 こ
の時代のセツは出雲方言そのままだったので、単語の意味も、 スペルがなければ全然意味が
通じません。このセツのノートが松江の記念館に残されています。一雄が戦後出版した「父小泉八雲」の中でも少し取り上げていますが、ここでいくつかをご紹介いたします。
モリチャント・・・大商売人
ジャジ・・・陪審員
セーロリー・・・舟人（セイラー）
テーロリー・・・男の仕立屋
ネーボリー・・・隣の人
シレーベー・・・ねむたえ（出雲弁はシと ス、エとイの区別が付かないところがあ ります）
ドー ユー ウエシ トー ドリンキ・・ あなたは飲みたきや
こういう調子でしたのでハーンもセツに英語を教えるのをあきらめました。
それから10年の歳月で、熊本、神戸、東京と移り日本語も標準語に近くなったものの、まだかなりの訛が残ったカナフリでした。それに比べると英習字は大したもので、一雄と見分けが付かないほどに上達しております。
ハーンのカタカナの手紙
東京時代のハーンは毎年のように静岡県の焼津に海水浴に行き、ここから毎日のようにセツにカタカナの絵手紙を書き送っています。
それを纏めたハーンの絵手紙が、小泉八雲全集の別冊として第一書房から出ています。原文はハーン言葉が強すぎて何を言っているのかよく分かりませんが、叔父の巌がハーンの原文を損なわないで誰にも分かるように訳して出されています。その当時小学校では、今とは違いカタカナが先でひらがなを後に習いました。そこでハーンもカタカナは書けてもひらがなは書けなかったと思われます。
子供はすぐ親のまねをしますが、一雄もその例に漏れず父八雲のまねをして美濃紙の便箋に筆で絵手紙を盛んに書いていました。これも少し前に母が仕舞い込んでいたつづらの中から出てきました。
今回、一雄の絵手紙を丹念に調べていたら、日焼け変色した藁半紙に入り、美濃紙の便箋に濃い鉛筆で書かれた、焼津からセツ宛ての手紙（これには絵はありません）が出て来ました。最初は一雄の手紙と思っていましたが、全体の書体はセツに似ているが、セツにしては稚拙すぎるひらがな文字で書かれた２，３枚の手紙です。よく見ると、最後にぱぱと結んであったので、これはどう見てもハーンがセツに宛てたものです。
そこで一雄が言っていた交換教授を思い出しました。これを見ていくと、（これはあくまでも私個人の仮説ですが）これらのひらがなの手紙は実際に八雲が焼津から投函したものではないと思います。何故なら外から来た書簡は封筒もとってありますが、この手紙には封筒が一切付いていません。八雲がセツからひらがなを教わるのに教科書では面白くない。ひらがなが書けるようになったからには、自分で書いた焼津からの手紙を元にして、今度はひらがなの手紙を書いてみたのでは・・・・と。それなら、何故全体の文字がセツに似ているか? これはセツが最初ひらがなのお手本を書いて見せ、このセツの書いた文字に似せてひらがなの手紙を書いたのではないでしょうか。一見するとセツが書いたように見えるのは、こういういきさつがあったからと思います。
手紙の内容ですが、実際焼津から出したカタカナの手紙と同じような内容ですが同じものではありません。
「こまんまん
さくじつ かづを と あき（書生）とぱぱ よきなうど(運動?）しました。なかごりの じぞ ＪＩＺＯさまのをてらにま江(え)
りました。たくさん ぐわんほどき(願解 き：神仏にかけた願がかなったとき、その お礼参りをすること／広辞苑)あります。
か江る(帰る)の ときうみにあそびまし
た。
さくばん あのうみをかくものありまし
た。
たくさんたくさん くらき(くらげ?)あり ました。あのくらきずずのよな なかい なかい いとのよな とたくさん 小た
またのものゑに ○○○○○○○そなよ な。
ぐらすのよなぬいてみる (ガラスのよう
に透いて見える?)。 みなうみあのもの
でいぱぱい(一杯?)でした。 ほかのかた ちもありました。 こんにちもあのもの
あります。
わたしききました だいく 小さきお
もちゃのふねするかづをのため。 コん
日やくそくよろし。
小まんま ぱぱから 」
おわりに
もうハーンの命日の９月になりましたので、この頃思うことを述べたいと思います。
７，８両月は資料整理でほとんど外出出来なくて、こちらへ伺う少し前にどうしても会わねばならぬことがあり、日比谷の帝国ホテルに参りました。あの車の多い通りの街路樹の下で虫の声がしきりに聞こえてまいります。 9月26日の祖父の命日が近づくと、いつも思い出すのはセツが「思い出の記」の中で書いている八雲の最後の情景です。
セツはこの中で「ヘルンは松虫を飼っていました。９月末のことで松虫が夕方近く声を嗄らして鳴いておりました。何か物哀れに感じられましたので、ヘルンに尋ねますと、『あの小さい虫よきネ(音)して鳴いていてくれました。私なんぼ喜びました。しかし、だんだん寒くなって来ました。 知っていますか、知っていませんか・・・・? その虫すぐに死なねばならぬことを。気の毒ですね、かわいそうな虫』と寂しそうに申しまして『この頃の暖かい日にそっと草むらへ放してやりましょう』と私どもは約束いたしました。」
これはハーンにとり、もう余命幾ばくもない松虫を虫籠の中で最後の息を引き取らせるにはどうしても忍びない。大自然の自由の中で死なせてやりたいという思いからだと思います。
セツはさらに続けます・・・「今朝は庭の桜が返り咲きをしたり、長い旅の夢を見たり、松虫の声など・・・何かヘルンの死ぬ知らせでもあったかのような気がしまして、 これを思うと、今でも悲しさに耐えません」と締めくくっております。
皆様もよくご存じのハーンの作品で, 1902年に書かれた『骨董』に収められている「草ひばり」というのがあります。この中で、ハーンが大事に可愛がっていた草ひばりにお手伝いさんが、うっかりして餌をやり忘れます。作品のなかでは自分の足を食べて死んでしまったという結果になりますが、それを最後の文章で「結局のところ飢えてみずから自分の足をくらうというのは、歌の天才に祟られているものが、たまたまこうむる最悪の凶事ではあるまい。、、、そうしてハーンは There are human
crickets who must eat their own hearts in order to sing.
「世には、歌わんがため、自分で自分の心臓をくらう、人間のコオロギもいるのである」と結んでいます。
ハーンは自分のことをコオロギに託して、しかも自分の死が近づいていることを、考えながらこの作品を書いたのだと思います。
私もちょうど今の季節、虫の声を聞く頃になりますと、この「草ひばり」の最後の文章が思い出されてなりません。
本日は誠に取り留めのない話にご静聴を賜りましたことを深くお礼申し上げます。
(文責：松村)
本日は熊本アイルランド協会総会にお招きいただき心から厚くお礼申し上げます。
またこのように膝を交えるような形で、熊本の皆様とハーンにまつわる話をさせていただくことを光栄に存じます。
初めから脱線しますが、父も兄弟も背はもっと高いのですが、私は祖父のハーンと同じ位ちょっと低い背丈で一番祖父に似ています。ただ祖父はもっと太っており、日本に来てからは大分お腹がでてきたこともあって心臓の心配もあったのだと思います。
考えますと、前回皆様にお目にかかりましたのは八雲旧居が落成した1995年であったように記憶しています。またその３年前には漱石とハーンの足跡を訪ねるツアーに参加し、ロンドンからダブリン、アテネ、レフカダへと、駆け足の苦しい中にも非常に楽しい旅をご一緒しました。年をとってきますと何だか一年が経つのが早くなり心細い気がしてなりません。
皆様の中には、協会主催のアイルランドツアーに昨年お出での方もおられますが、その時はアイルランドだけに的を絞った５日の旅。ゴールウェイからアラン島まで足を伸ばされた、本当によい旅だったと、心からお喜び申し上げます。
「５年前のハーンの足跡を訪ねるツアーには自分一人で参加したから、今回は家内に行ってもらいました」と言われた方もおられます。私は熊本の男性は奥様にやさしいのだと感激しました。と申しますのは、ハーンがよく口癖のように「その人（ジン）奥さん大事にする人ですか」と，セツに問いただしていたと、父が言っていたことを思い出すからです。
明治のあの亭主関白の時代に「奥さんを大事にするジンならば自分は付き合ってもいい」まして人を雇い入れるような場合は、いつもこういうことを聞いて採用したそうです。また松江からも、よく親類だ知人だといっては上京し，ホームステイをする人は跡を絶たなかったようです。この時もハーンはセツから報告を受けると必ず「そのジン松江の時あなたの味方でしたか」と詰問したそうです。
ハーンの身内紹介
今日は「身内から見たハーン」ということでお話をします。現在ハーンの子供たちは全員他界し、孫から曾孫の時代へ、移ろうとしています。ハーンは男３人、女１人の４人の子持ちでした。
長男が私の父の一雄、次男が小泉家からセツの養父の稲垣家を継いだ稲垣巌、三男が清、長女が寿々子です。
私と同じ孫は、長男の一雄には長男が１人、つまり私です。次男巌には男１人、女２人、三男清には男１人、女１人がいましたが、長女は４，５年前にアメリカで亡くなりました。叔母の寿々子は独身で子供はいません。従って現存するハーンの孫は５人になります。
アイルランド、父方の子孫は
ハーンの父、チャールズ・ブッシュ・ハーンは兄弟の多い人でしたので、ハーンの世代から見て孫の世代に当たる子孫を調べ上げたら数限りないと思います。孫の世代の何人かとは、クリスマスカードの交換をして付き合っていますが、これらの人達は、私よりかなり高齢なので病院へ入退院を繰り返している人が多いようです。当たり前の話ですが、ハーンは４０歳過ぎて結婚したので、私達、孫は平均１０歳は父方の孫より若いことになります。
母方の場合は、私が知っていますのは１人です。ローザが再婚してからの子孫なので，曾孫（ハーンの世代から見れば孫）は、私と同年でマセロウといいキセラ島に住んでいます。
アメリカへ渡ったハーンの弟の子孫
ハーンの弟に４歳年下のジェイムズ・ハーンがおります。彼はローザがギリシャに帰国してから産んだ子供で、成長した後にアメリカに渡りました。彼もカトリックでしたから、子供が１１人位いるのです。実は進駐軍として、日本に来た人もいると聞いてます。私は２，３年前に、長女だった人の一番年上の姉と年下の妹の２人が日本に来たとき会いました。長女の方は私より遙かに年上、妹の方が私と同じか、ちょっと若いくらいです。その時の話では、兄弟弟妹が多いので一番下は曾孫より若い人もいるそうです。
昨年の春頃、アメリカでハーンの子孫が集まるので、日本からも一人来てくれないかという手紙が来ました。私は忙しかったので代わりに長男に行って貰いました。行ってみると、孫は一人も現れなくて、殆どが曾孫で７，８人集まり、そのことが向こうの新聞にも載ったそうです。
チューレン大学にあるハーン・ライブラリーの資料写真が、西海岸の大学を巡回して公開しておりました。それが東海岸に移り、昨年のポトマック河畔の桜の頃、ワシントンの日本大使館別館でその展覧会が開かれました。それを機会にアメリカ在住のハーンの子孫が集まろうということになり開いたようです。そこに日本からも代表を一人送ってもらいたいとのことで、長男が行きました。
最近聞いたアイルランドのこと
幼いハーンがギリシャの母親ローザに連れられダブリンに着き、父親のチャールズ・ブッシュ・ハーンの母エリザベス・ハーンと住んだ家がロウアー・ガーディナー・ストリート48にあります。百年以上前は高級住宅地でしたが、現在は下町でザ・タウンハウスと言う名のＢ＆Ｂ（ベッド & ブレックファースト）という、ホテルより気楽なところになっています。そこには、元・駐日アイルランド大使のショーン・ローナン氏の肝いりで、その一室にハーン・ルームができ、資料室になっていて、写真などが置いてあります。
トレモア海岸にあるサラ・ブレナンの別荘
海岸から見て丘の上に古い教会が二つあります、一つはカトリック、一つは英国国教会、別名聖公会です。ハーンを引き取った大叔母ブレナン夫人はカトリックですから手前の方の教会です。ここにモリヌークスとブレナン夫人の墓があります。この教会の隣にブレナン夫人の別荘があり、ハーンはここから坂を下りて海岸へ行き水泳がうまくなったのでしょう。この別荘もＢ＆Ｂになり宿泊できます。
その後のローナン氏
元・駐日大使ローナンさんはアイルランド日本協会で、アイルランドと日本の交流に尽くした人に贈るラフカディオ・ハーン・ゴールド・メダルの設立をしたりして、大活躍をされてます。第１回目の受賞者は日本商社の代表でしたか、第２回目は全員からローナンさんが推されて受賞されたはずです。第３回目はゲール語の第一人者で、美智子皇后の先生でした日本アイルランド文学会名誉会長の、三橋敦子先生でした。
ローナンさんのご尽力だと思いますが、ハーンもスウィフト、ジェームズ・ジョイス、シング、イェイツ、オスカー・ワイルド、バーナード・ショーなどと共にアイリッシュ・ライターズ・ミュージアムに殿堂入りすることになりました。
また、この時に父方の子孫に当たるウィズドム家に保管され、幼い頃ハーンが使用していた机が同家から松江の記念館に贈られました。
ヨーロッパでは赤ちゃんが生まれるとシルバーのスプーンにイニシャルをつけますが、そのスプーンと思われるＰ．Ｈ（パトリシオ・ハーン）のイニシャルが付いたスプーンを同家で見せてもらいました。
ダブリンにはハーンも父チャールズに何回か連れて行って貰ったビューリーズという、非常に古い老舗のカフェレストランがあります。この店が、４，５年前に原宿の角に店を出しました。その入口の螺旋階段に、アイルランドの文豪のネームプレートが取り付けられておりますが、そこに昨年秋ハーンのプレートも飾られました。
前・大使ジェームス・シャーキー氏の言葉
アイルランドでは、外交官が語学ができるのは当たり前だが、法律、経済専門より歴史専門の人が重宝されるお国柄で、自分も歴史を専攻したので外交官の道を選んだとのことです。
自分は不勉強だが、ハーン研究家の間ではハーンが教育を受けていないと言われるが、これは間違いである。我々はどうしても現在を中心に目を向けてしまい、百年以上も前の時代背景を知らないから、そういう説が生まれるのである。当時、アイリッシュで英国のダーラム神学校へ入学するというのは、余程、上流家庭でしかも資産家でないと許可が出なかった。僕だったら志願したって入学出来なかっただろう。
ダーラム神学校について松尾太郎氏の説明
ハーンが入学したダーラム神学校のコースは神学中心だが、一般学校であり聖職者養成目的の学校ではなく、経済史学の松尾先生はこの点を混同している研究者が多いと指摘されています。
ただブレナン夫人の本当の気持ちはハーンが不憫な子だっただけに、末はカトリックの神父になって欲しいと思っていたことでしょう。
アイルランドは今でも聖職者の地位が高い国で、今から１５０年前の熱心な信者であった夫人は、ハーンを無理して入れても聖職者の道に進んで欲しかったと思います。もっとも大叔母さんが、破産せずに学資を続けて援助していても、自由思想のハーンがそのまま学校にいることは無理だったと思います。
あるギリシャ人との出会い
一昨年の春頃からオーストラリア在住のヤニスというギリシャ人からよく手紙が来るようになりました。手紙によると、東洋文化に興味を持ち大学では中国古典文学を専攻し、ハーンにも興味がある。いま交換教育でオーストラリアで高校の教員をし、今年一杯でギリシャに帰国するので、その前に日本を見ておきたいとのことです。自分が日本に立ち寄った時には会ってもらえるかとのことだったので，勿論どこかで会いましょうと返事をしました。
それから暫く返事がなく、ある日突然電話があり「いま成田に着いた、どうしたらあなたの家に行けるか教えて欲しい」。青天の霹靂でしたが、その晩の１１時過ぎに参りまして、２週間ホームステイをしました。
ハーンはよく「自分には東洋の血が流れているから肌身で東洋の文化を感じ取れる」と申しております。我々から見るとギリシャはオリーブの国で、海を隔てた西側はイタリーです。東洋と言っても、何か西洋に近いような感じがします。そこで、ギリシャ人は自分達を西洋側と考えるのか、東洋側と考えるのかを本人に聞いてみました。彼曰く「一つの目安として、自分はマケドニアに近いカラバだが、ギリシャはアテネを中心にエーゲ海側とイオニア海側の二つに分かれる。イオニア海側の人は言葉もイタリー訛のギリシャ語を使っているので、どうも西洋であるような気構えの人が多い。逆にエーゲ海側の人は、トルコに近いせいかオリエント文化だ」と。そこで私は「それはおかしい。ハーンはどちらかというと、イオニア海側のレフカダ島だ」と言うと「ハーンは初めから東洋文化に興味を持っていたので対象外だ」という返事が返ってきました。
文学館のこと
私達は昭和23年から60年にかけて、多摩川に住んでおり、最初の頃は多摩川はとても田舎でした。当時、玉電のチンチン電車が渋谷から出て、周りでは蛙が鳴くので夏なんか眠られないと言うほど非常に閑静なところでした。
昭和38年頃と思いますが、平井呈一先生がベースボールマガジン社の池田恒雄社長を紹介したいと突然来訪されました。池田さんは恒文社を作り、平井さんの訳でハーンの作品集を出したいと言われました。
平井先生は英文学というより江戸文学が専門と言った方がいいほど造詣が深く、荒俣宏さんは、先生をご自分の師と仰ぎ、しかも最後の江戸人だと非常に敬愛しておられます。
当時、池田社長は八雲記念館を作るのが夢だと言っておられました。今回、会長になられてから、故郷の新潟県魚沼郡大和町に県、町と共同で池田記念美術館を建設されました。そして一室を小泉八雲文学資料館として独立、学術法人として資料の保管もしていただくことになりました。個人の場合、火災も心配で、多量の資料、重いものなど持ち出すことは出来ませんので、当家に残されていた書簡、資料は、全部そちらへ移管、保管される予定です。
開館式が10月 2日に行われる予定なので、７月と８月は資料整理に全時間をつぎ込んだと言っても過言ではありませんでした。
ハーンとセツの交換教授
父一雄が『父「八雲」を憶ふ』に、書いているようにハーンは、長男一雄をある程度の家庭教育をしてからアメリカで教育を受けさせるつもりでした。ご存じのように、あの時代のイギリスやアイルランドの上、中流家庭では、自分の家庭で教育したり、また家庭教師に依頼し子弟の教育をしたりしております。ハーンも幼い頃、ブレナン夫人のもとで、こういう教育を受け、長男一雄にも５歳くらいから厳しい教育をしております。ところが、日本では文部省の義務教育があります。しかし、最初はこのことを説明して一雄の家庭教育を続けておりました。
次男の巌が、明治35年(１９０２）4月に隣の大久保小学校へ入学いたしました。この時、戸籍係りの警官が巡ってきて「お宅の坊ちゃんがまだ入学していない。私がそのため上司から叱られるのですよ」と言って帰りました。それは気の毒と考え、 翌年、一雄も同じ小学校の4年生に編入しました。ハーンがアメリカに行く時は、退学させればよいということでした。
こういうことがあってから、毎晩セツが一雄と巌の、日本語の勉強を見ることとなり、ハーンがその国語読本を見て興味を持ち、自分も一雄と一緒にひらがなの勉強を始めたそうです。 一雄はセツから、 二言目には「パパ様の方が覚えが早い」と始終叱られたと、言っていました。そこでセツも交換条件を出して、熊本でどうも初めて英単語の説明を受けて以来、１０年ぶりに英語の教育を受け、八雲とセツの交換教授が少しの間続いたようです。
セツの英単語帳
明治26年(1893）熊本時代にセツは、ハーン
から初めて英語のレッスンを受けました。 こ
の時代のセツは出雲方言そのままだったので、単語の意味も、 スペルがなければ全然意味が
通じません。このセツのノートが松江の記念館に残されています。一雄が戦後出版した「父小泉八雲」の中でも少し取り上げていますが、ここでいくつかをご紹介いたします。
モリチャント・・・大商売人
ジャジ・・・陪審員
セーロリー・・・舟人（セイラー）
テーロリー・・・男の仕立屋
ネーボリー・・・隣の人
シレーベー・・・ねむたえ（出雲弁はシと ス、エとイの区別が付かないところがあ ります）
ドー ユー ウエシ トー ドリンキ・・ あなたは飲みたきや
こういう調子でしたのでハーンもセツに英語を教えるのをあきらめました。
それから10年の歳月で、熊本、神戸、東京と移り日本語も標準語に近くなったものの、まだかなりの訛が残ったカナフリでした。それに比べると英習字は大したもので、一雄と見分けが付かないほどに上達しております。
ハーンのカタカナの手紙
東京時代のハーンは毎年のように静岡県の焼津に海水浴に行き、ここから毎日のようにセツにカタカナの絵手紙を書き送っています。
それを纏めたハーンの絵手紙が、小泉八雲全集の別冊として第一書房から出ています。原文はハーン言葉が強すぎて何を言っているのかよく分かりませんが、叔父の巌がハーンの原文を損なわないで誰にも分かるように訳して出されています。その当時小学校では、今とは違いカタカナが先でひらがなを後に習いました。そこでハーンもカタカナは書けてもひらがなは書けなかったと思われます。
子供はすぐ親のまねをしますが、一雄もその例に漏れず父八雲のまねをして美濃紙の便箋に筆で絵手紙を盛んに書いていました。これも少し前に母が仕舞い込んでいたつづらの中から出てきました。
今回、一雄の絵手紙を丹念に調べていたら、日焼け変色した藁半紙に入り、美濃紙の便箋に濃い鉛筆で書かれた、焼津からセツ宛ての手紙（これには絵はありません）が出て来ました。最初は一雄の手紙と思っていましたが、全体の書体はセツに似ているが、セツにしては稚拙すぎるひらがな文字で書かれた２，３枚の手紙です。よく見ると、最後にぱぱと結んであったので、これはどう見てもハーンがセツに宛てたものです。
そこで一雄が言っていた交換教授を思い出しました。これを見ていくと、（これはあくまでも私個人の仮説ですが）これらのひらがなの手紙は実際に八雲が焼津から投函したものではないと思います。何故なら外から来た書簡は封筒もとってありますが、この手紙には封筒が一切付いていません。八雲がセツからひらがなを教わるのに教科書では面白くない。ひらがなが書けるようになったからには、自分で書いた焼津からの手紙を元にして、今度はひらがなの手紙を書いてみたのでは・・・・と。それなら、何故全体の文字がセツに似ているか? これはセツが最初ひらがなのお手本を書いて見せ、このセツの書いた文字に似せてひらがなの手紙を書いたのではないでしょうか。一見するとセツが書いたように見えるのは、こういういきさつがあったからと思います。
手紙の内容ですが、実際焼津から出したカタカナの手紙と同じような内容ですが同じものではありません。
「こまんまん
さくじつ かづを と あき（書生）とぱぱ よきなうど(運動?）しました。なかごりの じぞ ＪＩＺＯさまのをてらにま江(え)
りました。たくさん ぐわんほどき(願解 き：神仏にかけた願がかなったとき、その お礼参りをすること／広辞苑)あります。
か江る(帰る)の ときうみにあそびまし
た。
さくばん あのうみをかくものありまし
た。
たくさんたくさん くらき(くらげ?)あり ました。あのくらきずずのよな なかい なかい いとのよな とたくさん 小た
またのものゑに ○○○○○○○そなよ な。
ぐらすのよなぬいてみる (ガラスのよう
に透いて見える?)。 みなうみあのもの
でいぱぱい(一杯?)でした。 ほかのかた ちもありました。 こんにちもあのもの
あります。
わたしききました だいく 小さきお
もちゃのふねするかづをのため。 コん
日やくそくよろし。
小まんま ぱぱから 」
おわりに
もうハーンの命日の９月になりましたので、この頃思うことを述べたいと思います。
７，８両月は資料整理でほとんど外出出来なくて、こちらへ伺う少し前にどうしても会わねばならぬことがあり、日比谷の帝国ホテルに参りました。あの車の多い通りの街路樹の下で虫の声がしきりに聞こえてまいります。 9月26日の祖父の命日が近づくと、いつも思い出すのはセツが「思い出の記」の中で書いている八雲の最後の情景です。
セツはこの中で「ヘルンは松虫を飼っていました。９月末のことで松虫が夕方近く声を嗄らして鳴いておりました。何か物哀れに感じられましたので、ヘルンに尋ねますと、『あの小さい虫よきネ(音)して鳴いていてくれました。私なんぼ喜びました。しかし、だんだん寒くなって来ました。 知っていますか、知っていませんか・・・・? その虫すぐに死なねばならぬことを。気の毒ですね、かわいそうな虫』と寂しそうに申しまして『この頃の暖かい日にそっと草むらへ放してやりましょう』と私どもは約束いたしました。」
これはハーンにとり、もう余命幾ばくもない松虫を虫籠の中で最後の息を引き取らせるにはどうしても忍びない。大自然の自由の中で死なせてやりたいという思いからだと思います。
セツはさらに続けます・・・「今朝は庭の桜が返り咲きをしたり、長い旅の夢を見たり、松虫の声など・・・何かヘルンの死ぬ知らせでもあったかのような気がしまして、 これを思うと、今でも悲しさに耐えません」と締めくくっております。
皆様もよくご存じのハーンの作品で, 1902年に書かれた『骨董』に収められている「草ひばり」というのがあります。この中で、ハーンが大事に可愛がっていた草ひばりにお手伝いさんが、うっかりして餌をやり忘れます。作品のなかでは自分の足を食べて死んでしまったという結果になりますが、それを最後の文章で「結局のところ飢えてみずから自分の足をくらうというのは、歌の天才に祟られているものが、たまたまこうむる最悪の凶事ではあるまい。、、、そうしてハーンは There are human
crickets who must eat their own hearts in order to sing.
「世には、歌わんがため、自分で自分の心臓をくらう、人間のコオロギもいるのである」と結んでいます。
ハーンは自分のことをコオロギに託して、しかも自分の死が近づいていることを、考えながらこの作品を書いたのだと思います。
私もちょうど今の季節、虫の声を聞く頃になりますと、この「草ひばり」の最後の文章が思い出されてなりません。
本日は誠に取り留めのない話にご静聴を賜りましたことを深くお礼申し上げます。
(文責：松村)
「清和文楽アイルランド公演関係者感想集」
アイルランド 安達 東彦
”花かご抱えて誰を待つ”で始まる「アイルランドの村娘」の歌を聴いたのが私にとって最初のアイルランドです。それから長い年月が経って、この夏私は、何故かひょっこりダブリンにいたのです。ほんの少し一夜づけの知識をポケットに入れて。ただし魔法にかかったわけではなく、実はちゃんとした目的をもっていたのです。ハーン生誕記念の協賛で「ハーン幻想紀行」なる個展のための取材旅行だったのです。そして同行された方々の好意で自由にスケッチができ、貴重な体験もしました。限られた日数でアイルランドがわかる筈がありませんが・・ ダブリン空港で清和文楽の道具「屋台」が紛失し新しく作ろうということになり翌朝、公演予定の劇場へ。ちょっと早く着いて待っていると舞台係のダブリンの青年がやってきて挨拶をかわすや「珈琲を飲むか」と聞くのです。今逢ったばかりの外国人と珈琲を飲むために街角に消えたのです。こんなダブリン気質！まづ感動しました。
ハーンの父系の地アイルランドは・・”魂”がつく数少ない国のひとつでしょう。ダブリンの若者達の風貌やパブでの行動を見ていると感じるのです。アイルランド魂を。その風土の美しいこと、それも”人工”を抑えた風景に人々の姿の溶け込む様は。例えばある日、緑に囲まれたブラーニー城を背に新婚のカップルが二組記念撮影です。淡い単色のドレスの新婦と取り巻き、それぞれの表情がまさしく森の妖精。実はその夜のホテルは偶然彼らと同じでした。二組のパーティは当然別々のホールでしたが、食事を終えてロビー近くに行くと、何かさっきと雰囲気が違うのです。なんと彼らは踊りながら合流していたのです。何もかも自然なのです。 ハーンはこの素敵なアイルランドを離れたのです。不幸な事情があったようです。複雑な想いが彼にもあったのでしょう。古き良きものを大切にし、質素で自分達の在りようをわきまえ、人生を楽しむ術を知っているアイルランドの人達。いつの日か、ロック・オブ・キャシェルの下の小路でバラを描いている絵描きと逢うかもしれませんよ、皆さん！
出会いに感謝 吉田 春代
あれから二ヶ月余りの月日が過ぎただけなのに、遠い日の出来事だったのか、楽しい夢を見ていたのだろうかと、不思議な想いで、今秋風に身をゆだねています。
旅の記念にと求めたグレッグ・アーウィンさんの日本の歌のＣＤを聴いていると、映画のスクリーンのように、アイルランドの風景や、出会った現地の人達の顔、そしてご一緒した皆さんとの楽しい会話までも鮮明に思い出すことが出来るのです。なぜ、アイルランドで日本の赤とんぼを、アメリカ人のグレッグさんが歌うのに違和感がないのか、ぴったりと馴染んでバックミュージックとなり私の脳に記憶しているようです。道中、彼の気遣いにみられたやさしさや温かさ、その人のハートが伝わるから心に響くのだということを、今更ながら学ばせて貰いました。
私はこの度太夫を務めましたが、未熟な芸ゆえに申し訳なさを感じています。今年三月、「むじな」の詞に曲をつけろとのいうご依頼を受けたものの、全く初めての経験で産みの苦しみでした。登場人物をどのかしら（頭、人形の首）にするのか、村の情景をどんなふうに表現しようとか、イメージを膨らませるまでの、のた打つ日々、ニ幕構成ではあるものの、ストーリーの展開の早さに間が持てず、ましてや、言葉の通じない異国の地で、そっぽをむかれないためにはと苦肉の策が、アイルランド民謡の庭の千草を、忠兵衛に唄わせて登場させることでした。古典芸能ゆえに、とんでもないことをやるとお叱りを受けるであろうけれども、あのメロディに耳を傾け現地の人が喜んでくれたことに免じてお許しを得たいと思います。多分、庭の千草を太棹三味線にのせて義太夫に唄ったのは、私が世界で初めてではなかろうかと、ひそかに自負しています。
異文化を温かく受け入れてくれたひとびとと心が通じ合えたことは最高の喜びであり、すべての出会いが偶然ではないことを感じずにはいられないのです。このようなすばらしい体験をさせていただいたことを私の財産とし、清和文楽海外公演を支えてくださいました多くの関係者の皆様に、厚くお礼を申し上げます。最高の感動と思い出をありがとうございました。
楽しい思い出 河田知栄子
今年は、ラフカディオ・ハーン（小泉八雲）の生誕150年祭に当たり、熊本アイルランド協会の協力で清和文楽が行くことになり、海外公演と聞いて、まさかと思った。主人の海外旅行の時も行かず、長男一家がギリシヤ・アテネの日本人学校に三年間いたときも行かなかった私です。冗談に文楽人形となら何処までも行くと言っていたら、本当のことになり、主人に相談したら、文化交流の目的があるのだろうし、言葉はわからないだろうが、身振り手振りで理解されるように頑張って来いと勧められ、私で良いか迷いましたが、行くことにしました。後に残って文楽をされる人達も大変だろうと思いました。
清和文楽が演じる外題は、怪談「むじな」に決まった。保存会の中で、6人が行くことになり、むじなの段、蕎麦屋の段というハーンの怪談もので、脚本家の土居さんが来られて、話が進み人形をすることになり、土居さんの指導で練習が始まった。語りの吉田春代さん、三味線の長迫紀子さんの義太夫にあわせて練習も徐々に進み、土居さんのアドバイスを受け忠兵衛の着物がどうか、町人風のようで合わないとの事で、着物選びが大変でした。探して合うのが見つかり、練習に入り、何回となく練習をし、いろいろと苦労もありました。鶴屋デパートで出発式があり、いよいよと思いました。初めての海外公演に不安もあり、知らぬ人と会う心細さに迷い、だが皆さんの助けを借りて無事アイルランドに着きました。公演前には小道具の蕎麦屋の屋台が無くなり、いろいろの方の屋台作りは大変だったでしょう。一回目のチボリ劇場のすばらしさにビックリしました。文化の違い、日本の着物の人形が外国の人にどう映るか、理解されるか心配でした。公演が始まり、一心になっていたところ、拍手があり、いっぺんに不安も取れました。上演後客席に出てのふれ合い交流タイムで、言葉はわからないが、笑顔を見て喜びの表情を見ると心がじんとして、はるばる遠いところまで来てよかったと本当にうれしかった。二回目の公演、三回目の公演と歓迎され、いろいろの人達と出会い、接することができ、初めての海外で、みんなに喜ばれるとは夢にも思いませんでした。楽しい思いを胸に、帰国の途中、フランスに立ち寄り、パリを一日見て歩きました。歴史と文化を感じる国でした。
今思うと、これまで海外旅行に行かなかったことが、悔しくなります。不安だった海外公演が拍手の中に終わり、皆様方のお陰で無事帰国できました。見知らぬ人達に巡り会い、楽しい思い出が出来ました。私の清和文楽人形保存会にいたことは、一生の宝物です。しかし、今迄続けてこられた清和文楽を守って、苦労と努力をされた先輩の方々に感謝します。
これからも私達は頑張って、次の世代に伝えることをしっかりと身につけていきます。下手な文で終わります。
一生の思い出 高木サナエ
アイルランドに行って、三ヶ月に入ろうとしています。行くまで、長い旅ですのでどうしようかと考えてしまい、止めようかとも思いましたが、一生に一回くらい海外旅行に行くのもいいかもしれないと、やっと行くことにしました。
7月2日から福岡に一泊して9日間アイルランドに行き、一生の思い出になりました。長い旅をして、行ってみたら、一日が早いし、整理と準備で夜は遅いし、朝は出発が早いし、毎日楽しい旅でした。アイルランドの人達は、みんないい人ばかりです。しかし英語ですから言葉がわかりませんでした。（ノーとサンキュウだけ）熊本に帰ってから、多くの人に「テレビで放送がありましたよ。良かったですよ。」といわれました。
アイルランドでは、旅行社の大竹さんの言葉に従って、一日を有意義に過ごし、石の建物が見事にできて、石の所で仰向けになって石を眺めていました。あれが一番思い出で、下を見るととても怖ろしくなり、気分が悪くなりそうです。でも人がいっぱい並んでしているので、私もやってみました。人が多いのにも驚きました。 海外は広いところで、人の影もなく、みんな何をしているのだろうと思いました。
文楽の道具を持って行ったのに、蕎麦屋の屋台が無くなり、大変心配していましたところ、絵を描かれる人がいらしたので、きれいにボール箱で作ってもらいました。屋台がないと「むじな」ができなかっただろうとおもいます。皆様のおかげです。海外にまで行くなんて、思いがけないことでした。
参加してよかった 松田信雄
清和文楽アイルランド公演が決定、不安と期待が交差する中、連日の様に練習が始まった。報道関係者も毎回のように取材に来られる。仕上げも終わり一路アイルランドへ、着いたのは良いが、舞台装置の一部（麦屋屋の舞台）が途中で紛失、支配人他スタッフも困り果てておられた。するとそこに現れいでたる安達先生（画家）、すかさず何かお手伝いしましょうかとの救いの声。ホテルに着いたのが７月３日２１時３０分部屋割りも終わり床に着いたが、やはり眠れず安達先生に電話する。すると今から屋台作りについて協議しましょうとのこと。その時すでに午前０時をすぎていた、何で作るか、どこから品物を調達するか等々、午前２時までかかり打ち合わせは続く。翌４日、午前９時チボリ劇場到着、直ちに前田さん（現地の演劇研究家）に説明し、ダンボール調達に回ったが適当な材料が見つからず、探す当てもなく、困り果てていた。すると、チボリ劇場のボランティア（女性）の方がワゴン車で大きなダンボール数枚を持ってこられた。ありがたやありがたや、直ちに屋台作りに取りかかる、色を塗り、本物そっくりの屋台が出来上がる。勿論この屋台を作るのに必死で協力されたチボリ劇場のスタッフ（男性）の方、部品及び材料調達など手伝ってくださった方に再度会ってお礼を言いたい気持ちでいっぱいである。できたら是非日本へ遊びに来て欲しい。
最後にこの企画を立案された方々に心からお礼を申し上げ皆様の今後のご健勝をお祈り申し上げたい。
行くまでが心配 飯星 勉
アイルランドツアーの皆様大変お疲れさまでした。皆様方にはたいへんお世話になり厚くお礼を申し上げます。私にとりましては、一生忘れられない海外旅行でした。
この度の海外公演にあたり、まず心配したのが十日間という長旅です。体は大丈夫だろうか？あまり体力に自信が無く不安でした。次に文楽についてです。日本で公演していても、なかなか解りにくい文楽が、果たして海外の人に解ってもらえるかという点でした。練習の方は、二ヶ月ちょっとやりましたが、最後の方が一週間位前までなかな決まらず、何回もやりました。 7月2日いよいよ村を出発、博多で一泊。私にとりましては、初めての海外。不安と期待で複雑な気持ちでした。飛行時間の長いのにはまいりました。ホテルへ着いた時は、ぐったりで、これから十日間どうなるやらと体の方が心配になりました。しかし、初日は早く目覚め、さあ今日から私達の文楽が海外で試されるのだと思うと少し緊張しました。午後チボリ劇場へ着いて、ここが海外での初舞台です。うまくできますようにと祈りながら、リハーサルに臨んでいるうち、舞台は狭いがどうにかなるだろうと思いました。いよいよ本番。あがってはいませんでしたが、最大の難関、蕎麦屋から鬼に変身する場面になり、カシラ（人形の首）の付け替え場面で、どうしても所定の所にはまらず、これはやばいぞとおもいましたが、はめていたら間に合わず、このまま行くしか仕方がないと思い、何とかわからぬように出来ましたが、冷や汗をかきました。
終わってアイルランドの人々にも言葉は通じなくても理解してもらえたのではないかということと、あの拍手には驚きました。ホテルへ帰り、皆と一杯飲みながら、カシラの話をしたら、誰も気付かなかったそうです。自分としては、一番気にしていたことが上手くいかず、失敗でした。二回目からは失敗もなく、上手くできホッとしました。この三回の公演で、何処の会場でも言葉はわからなくてもわかって貰うことが分かり、今後も海外公演が入ったら、どんどん出ていって、海外交流を深めるべきだと思いました。最後にアイルランドという国は、本当にすばらしい国だと思いました。高い建物が無く、また高い山もなく、街もきれいだし、日本食さえあれば、住んでみたいと思いました。最後にアイルランド協会の皆様はじめ、多くの方々にたいへんお世話になりましたことを厚くお礼申し上げ、皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。
脚色者から 土居郁雄
BSでアイルランド公演の模様を拝見しました。
バカ受けに受けてましたネ。子供の喜ぶ様、会場の熱気とどよめき。このことをヘボ脚色者として多としたいと思います。
脚本など書いた経験がない私。果たして向こうで理解していただけるだろうか。そればかりが心を支配していました。しかし、放送を見た時、杞憂に過ぎなかったことを知りました。座員の方々が真摯に、この継ぎ接ぎだらけの作品に取り組もうとされるお心が通じたのでしょう。無償でなければ、私もお話をお引き受けしなかったかもしれません。
ところで、今回初めて海外旅行される方も居られると聞きました。加えて少しお年召していらっしゃる。お疲れではないか。知人との友情で筆を執ったものの、座員の方々にとって却ってご負担ではなかったか。様々なことが頭を去来していました。
その素晴らしい演技に工夫をくわえた演出で、感動の嵐を起こされていた頃、私は奥飛騨に居ました。知人で名古屋のからくり人形師・九代玉屋居庄兵衛師らと共にその作品の群に触れ、日本文化を再認識していたのでした。
しかし、片時もアイルランド公演のことが頭からはなれません。こんなことだったら行けばよかったと臍を噛みましたが、機会があえばまた行けると心を慰めました。結果的には大成功をおさめられ、意気揚々と凱旋。電話口から「皆無事に日本へ到着しました」と、前館長の渡辺民雄さんの明るいお声。
安堵したのと同時に疲れが吹き出し、暫く放心状態に陥ったことです。今後はこの経験を生かされて、再度海外公演に挑んで頂き、世界を舞台にご活躍をとお祈りします。また、今回の「むじな」は、一幕二場構成ですが、今一場加えて抑揚のあるものに仕立てたいと念願しております。
マルティニーク寸描 中村青史
小泉凡さんから渡された資料をまず紹介しょう。「マルティニーク島について」より「カリブ海、小アンチル諸島中部に位置する。面積は約1,100平方?H（東西約30?H、南北約80?H、淡路島の約2倍）人口約35万人。気候的には熱帯サバンナ気候。年平均26℃。県都はフォール・ド・フランス（人口約5万人）。
17世紀までは、南米大陸から渡来したアラワク人やカリブ人が居住。17世紀以後、フランス人が彼ら先住民を絶滅させ入植を始める。その際、西アフリカのさまざまな地域から黒人奴隷が運び込まれ、サトウキビのプランテーション経営が行われた。しかし、1848年に奴隷制が廃止されると、インドから契約移民を補充し労働力を確保した。1902年にはピレー山の大噴火でサン・ピエールの町が絶滅。以後、島の中心は、フォール・ド・フランスに移る。1946年、マルティニークはフランスの海外県となり急速に近代化が進み、1970年代には農業人口12％に対し、サービス・商業・観光業の人口は70％に達した。現在、ＧＮＰの一人あたりの平均は4,000ドルとカリブ諸国ではトップクラスに位置する。」
パリはオルリー空港から直行便でマルティニークに降り立ったのは、すでに日没近い頃であった。空港からホテルまでのマイクロバスの中で日は落ちた。砂糖キビ畑と林と車の渋滞、林の中に牛がいた。砂糖キビ畑を見たのは、二泊三日の短い旅程の中でではあったが、そこだけだった。かっての砂糖工場も見当たらなかった。第一農地らしい農地がなかった。いや農地の多くはバナナ畑であった。砂糖キビは今やラム酒の原料だけなのかも知れなかった。農業人口12％というのもうなずける。サン・ピエールの町は、ハーンが滞在した頃の美しい町ではなかったが、そしてかって大繁盛した港も無かったが、それでもこぢんまりとした町で、火山記念館があり、ハーンが撮影した噴火前の町並みの写真もあった。この町の入り口ともいうべき、またコロンブス上陸地点ともいわれているカルベにはゴーギャン美術館があった。赤い屋根の花に囲まれた瀟洒な建物であった。赤い屋根といえば、岡の上から見たサン・ピエールの町も、みんな赤い屋根であり、紫紺のカリブ海と緑の山の間にあって、おとぎの国のようであった。
マルティニークの島は、少なくとも１ヶ月は居たい処であった。それにしても小泉凡さんのお陰で今回の旅は楽しむことができた。本当にありがとうございました。
清和村の「むじな」 西 忠温
ソウル空港からエア・フランスでパリへ向かった。二度目のダブリン行きである。今回も三年前同様、家内同伴であった。機内食にキムチが出たのは意外であった。パリでの乗り換えで例のごとく待たされた。四時間ほどであろうか。当の空港職員はいつもの事だの顔をしていた。すまないという風は微塵もない。結構なお国柄である。その間、清和文楽保存会長の平田さんから面白い話をうかがった。清和村に「むじな」が生息しているという。初耳であった。狸の一種だそうで、人里離れた山間地にいて、狸ほど臭くないという。一度見てみたいものである。その清和の人達がアイルランドで小泉八雲の「MUJINA」を演じようというのである。
やっとバスで駐機場まで来てみると、機内清掃中。おまけに、村の人たちが苦労して運んできた舞台用の屋台は行方不明であった。
ダブリンではちょっと早起きしてホテル近くの運河沿いに家内と散歩を楽しんだ。今では使用されていないもので、ドッグもきちんと保存されていた。いよいよ初演の日である。市内観光の後、夕方近くからチボリ劇場へ足を運んだ。300人を越える地元の人が集まっていた。何が演じられるのか、興奮気味の表情がみえた。美術家の東京の安達さんが中心になって急ぎ作られた屋台が舞台の袖に控えていた。出だしで歌った太夫の吉田さんのご当地ソング「庭の千草」が良かった。のっぺら坊の代わりに鬼女を使ったのも当たった。あの頭の方が外国人にはわかりやすかったと思う。この怪談には二度びっくりの仕掛けがあり、観客の反応から改めてその効果に気づかされた。短い時間であったが、初めての海外公演での堂々たる演技は大したもので、清和の皆さんは一流の国際人だ。文楽と八雲が取り持つ立派な国際交流であった。
公演の後、ダブリン・ラジオテレビ局のフィニー御夫妻が兼瀬村長以下を市内で一番古いパブへ招待してくださった。おふたりは今春熊本を訪ねていらっしゃる。この場を借りて、御好意にお礼申し上げたい。
翌日は中島団長御夫妻、小泉凡先生ら10名でパリからカリブ海に浮かぶ孤島、マルティニークへ7,000?Hを8時間かけて飛んだ。八雲が1887年から2年ほど、ちょうど画家ゴーギャンがいた頃滞在したフランスの海外県である。傑作 「ユーマ」はこの地での見聞から生まれている。ここでの体験は別の機会に譲りたい。
”花かご抱えて誰を待つ”で始まる「アイルランドの村娘」の歌を聴いたのが私にとって最初のアイルランドです。それから長い年月が経って、この夏私は、何故かひょっこりダブリンにいたのです。ほんの少し一夜づけの知識をポケットに入れて。ただし魔法にかかったわけではなく、実はちゃんとした目的をもっていたのです。ハーン生誕記念の協賛で「ハーン幻想紀行」なる個展のための取材旅行だったのです。そして同行された方々の好意で自由にスケッチができ、貴重な体験もしました。限られた日数でアイルランドがわかる筈がありませんが・・ ダブリン空港で清和文楽の道具「屋台」が紛失し新しく作ろうということになり翌朝、公演予定の劇場へ。ちょっと早く着いて待っていると舞台係のダブリンの青年がやってきて挨拶をかわすや「珈琲を飲むか」と聞くのです。今逢ったばかりの外国人と珈琲を飲むために街角に消えたのです。こんなダブリン気質！まづ感動しました。
ハーンの父系の地アイルランドは・・”魂”がつく数少ない国のひとつでしょう。ダブリンの若者達の風貌やパブでの行動を見ていると感じるのです。アイルランド魂を。その風土の美しいこと、それも”人工”を抑えた風景に人々の姿の溶け込む様は。例えばある日、緑に囲まれたブラーニー城を背に新婚のカップルが二組記念撮影です。淡い単色のドレスの新婦と取り巻き、それぞれの表情がまさしく森の妖精。実はその夜のホテルは偶然彼らと同じでした。二組のパーティは当然別々のホールでしたが、食事を終えてロビー近くに行くと、何かさっきと雰囲気が違うのです。なんと彼らは踊りながら合流していたのです。何もかも自然なのです。 ハーンはこの素敵なアイルランドを離れたのです。不幸な事情があったようです。複雑な想いが彼にもあったのでしょう。古き良きものを大切にし、質素で自分達の在りようをわきまえ、人生を楽しむ術を知っているアイルランドの人達。いつの日か、ロック・オブ・キャシェルの下の小路でバラを描いている絵描きと逢うかもしれませんよ、皆さん！
出会いに感謝 吉田 春代
あれから二ヶ月余りの月日が過ぎただけなのに、遠い日の出来事だったのか、楽しい夢を見ていたのだろうかと、不思議な想いで、今秋風に身をゆだねています。
旅の記念にと求めたグレッグ・アーウィンさんの日本の歌のＣＤを聴いていると、映画のスクリーンのように、アイルランドの風景や、出会った現地の人達の顔、そしてご一緒した皆さんとの楽しい会話までも鮮明に思い出すことが出来るのです。なぜ、アイルランドで日本の赤とんぼを、アメリカ人のグレッグさんが歌うのに違和感がないのか、ぴったりと馴染んでバックミュージックとなり私の脳に記憶しているようです。道中、彼の気遣いにみられたやさしさや温かさ、その人のハートが伝わるから心に響くのだということを、今更ながら学ばせて貰いました。
私はこの度太夫を務めましたが、未熟な芸ゆえに申し訳なさを感じています。今年三月、「むじな」の詞に曲をつけろとのいうご依頼を受けたものの、全く初めての経験で産みの苦しみでした。登場人物をどのかしら（頭、人形の首）にするのか、村の情景をどんなふうに表現しようとか、イメージを膨らませるまでの、のた打つ日々、ニ幕構成ではあるものの、ストーリーの展開の早さに間が持てず、ましてや、言葉の通じない異国の地で、そっぽをむかれないためにはと苦肉の策が、アイルランド民謡の庭の千草を、忠兵衛に唄わせて登場させることでした。古典芸能ゆえに、とんでもないことをやるとお叱りを受けるであろうけれども、あのメロディに耳を傾け現地の人が喜んでくれたことに免じてお許しを得たいと思います。多分、庭の千草を太棹三味線にのせて義太夫に唄ったのは、私が世界で初めてではなかろうかと、ひそかに自負しています。
異文化を温かく受け入れてくれたひとびとと心が通じ合えたことは最高の喜びであり、すべての出会いが偶然ではないことを感じずにはいられないのです。このようなすばらしい体験をさせていただいたことを私の財産とし、清和文楽海外公演を支えてくださいました多くの関係者の皆様に、厚くお礼を申し上げます。最高の感動と思い出をありがとうございました。
楽しい思い出 河田知栄子
今年は、ラフカディオ・ハーン（小泉八雲）の生誕150年祭に当たり、熊本アイルランド協会の協力で清和文楽が行くことになり、海外公演と聞いて、まさかと思った。主人の海外旅行の時も行かず、長男一家がギリシヤ・アテネの日本人学校に三年間いたときも行かなかった私です。冗談に文楽人形となら何処までも行くと言っていたら、本当のことになり、主人に相談したら、文化交流の目的があるのだろうし、言葉はわからないだろうが、身振り手振りで理解されるように頑張って来いと勧められ、私で良いか迷いましたが、行くことにしました。後に残って文楽をされる人達も大変だろうと思いました。
清和文楽が演じる外題は、怪談「むじな」に決まった。保存会の中で、6人が行くことになり、むじなの段、蕎麦屋の段というハーンの怪談もので、脚本家の土居さんが来られて、話が進み人形をすることになり、土居さんの指導で練習が始まった。語りの吉田春代さん、三味線の長迫紀子さんの義太夫にあわせて練習も徐々に進み、土居さんのアドバイスを受け忠兵衛の着物がどうか、町人風のようで合わないとの事で、着物選びが大変でした。探して合うのが見つかり、練習に入り、何回となく練習をし、いろいろと苦労もありました。鶴屋デパートで出発式があり、いよいよと思いました。初めての海外公演に不安もあり、知らぬ人と会う心細さに迷い、だが皆さんの助けを借りて無事アイルランドに着きました。公演前には小道具の蕎麦屋の屋台が無くなり、いろいろの方の屋台作りは大変だったでしょう。一回目のチボリ劇場のすばらしさにビックリしました。文化の違い、日本の着物の人形が外国の人にどう映るか、理解されるか心配でした。公演が始まり、一心になっていたところ、拍手があり、いっぺんに不安も取れました。上演後客席に出てのふれ合い交流タイムで、言葉はわからないが、笑顔を見て喜びの表情を見ると心がじんとして、はるばる遠いところまで来てよかったと本当にうれしかった。二回目の公演、三回目の公演と歓迎され、いろいろの人達と出会い、接することができ、初めての海外で、みんなに喜ばれるとは夢にも思いませんでした。楽しい思いを胸に、帰国の途中、フランスに立ち寄り、パリを一日見て歩きました。歴史と文化を感じる国でした。
今思うと、これまで海外旅行に行かなかったことが、悔しくなります。不安だった海外公演が拍手の中に終わり、皆様方のお陰で無事帰国できました。見知らぬ人達に巡り会い、楽しい思い出が出来ました。私の清和文楽人形保存会にいたことは、一生の宝物です。しかし、今迄続けてこられた清和文楽を守って、苦労と努力をされた先輩の方々に感謝します。
これからも私達は頑張って、次の世代に伝えることをしっかりと身につけていきます。下手な文で終わります。
一生の思い出 高木サナエ
アイルランドに行って、三ヶ月に入ろうとしています。行くまで、長い旅ですのでどうしようかと考えてしまい、止めようかとも思いましたが、一生に一回くらい海外旅行に行くのもいいかもしれないと、やっと行くことにしました。
7月2日から福岡に一泊して9日間アイルランドに行き、一生の思い出になりました。長い旅をして、行ってみたら、一日が早いし、整理と準備で夜は遅いし、朝は出発が早いし、毎日楽しい旅でした。アイルランドの人達は、みんないい人ばかりです。しかし英語ですから言葉がわかりませんでした。（ノーとサンキュウだけ）熊本に帰ってから、多くの人に「テレビで放送がありましたよ。良かったですよ。」といわれました。
アイルランドでは、旅行社の大竹さんの言葉に従って、一日を有意義に過ごし、石の建物が見事にできて、石の所で仰向けになって石を眺めていました。あれが一番思い出で、下を見るととても怖ろしくなり、気分が悪くなりそうです。でも人がいっぱい並んでしているので、私もやってみました。人が多いのにも驚きました。 海外は広いところで、人の影もなく、みんな何をしているのだろうと思いました。
文楽の道具を持って行ったのに、蕎麦屋の屋台が無くなり、大変心配していましたところ、絵を描かれる人がいらしたので、きれいにボール箱で作ってもらいました。屋台がないと「むじな」ができなかっただろうとおもいます。皆様のおかげです。海外にまで行くなんて、思いがけないことでした。
参加してよかった 松田信雄
清和文楽アイルランド公演が決定、不安と期待が交差する中、連日の様に練習が始まった。報道関係者も毎回のように取材に来られる。仕上げも終わり一路アイルランドへ、着いたのは良いが、舞台装置の一部（麦屋屋の舞台）が途中で紛失、支配人他スタッフも困り果てておられた。するとそこに現れいでたる安達先生（画家）、すかさず何かお手伝いしましょうかとの救いの声。ホテルに着いたのが７月３日２１時３０分部屋割りも終わり床に着いたが、やはり眠れず安達先生に電話する。すると今から屋台作りについて協議しましょうとのこと。その時すでに午前０時をすぎていた、何で作るか、どこから品物を調達するか等々、午前２時までかかり打ち合わせは続く。翌４日、午前９時チボリ劇場到着、直ちに前田さん（現地の演劇研究家）に説明し、ダンボール調達に回ったが適当な材料が見つからず、探す当てもなく、困り果てていた。すると、チボリ劇場のボランティア（女性）の方がワゴン車で大きなダンボール数枚を持ってこられた。ありがたやありがたや、直ちに屋台作りに取りかかる、色を塗り、本物そっくりの屋台が出来上がる。勿論この屋台を作るのに必死で協力されたチボリ劇場のスタッフ（男性）の方、部品及び材料調達など手伝ってくださった方に再度会ってお礼を言いたい気持ちでいっぱいである。できたら是非日本へ遊びに来て欲しい。
最後にこの企画を立案された方々に心からお礼を申し上げ皆様の今後のご健勝をお祈り申し上げたい。
行くまでが心配 飯星 勉
アイルランドツアーの皆様大変お疲れさまでした。皆様方にはたいへんお世話になり厚くお礼を申し上げます。私にとりましては、一生忘れられない海外旅行でした。
この度の海外公演にあたり、まず心配したのが十日間という長旅です。体は大丈夫だろうか？あまり体力に自信が無く不安でした。次に文楽についてです。日本で公演していても、なかなか解りにくい文楽が、果たして海外の人に解ってもらえるかという点でした。練習の方は、二ヶ月ちょっとやりましたが、最後の方が一週間位前までなかな決まらず、何回もやりました。 7月2日いよいよ村を出発、博多で一泊。私にとりましては、初めての海外。不安と期待で複雑な気持ちでした。飛行時間の長いのにはまいりました。ホテルへ着いた時は、ぐったりで、これから十日間どうなるやらと体の方が心配になりました。しかし、初日は早く目覚め、さあ今日から私達の文楽が海外で試されるのだと思うと少し緊張しました。午後チボリ劇場へ着いて、ここが海外での初舞台です。うまくできますようにと祈りながら、リハーサルに臨んでいるうち、舞台は狭いがどうにかなるだろうと思いました。いよいよ本番。あがってはいませんでしたが、最大の難関、蕎麦屋から鬼に変身する場面になり、カシラ（人形の首）の付け替え場面で、どうしても所定の所にはまらず、これはやばいぞとおもいましたが、はめていたら間に合わず、このまま行くしか仕方がないと思い、何とかわからぬように出来ましたが、冷や汗をかきました。
終わってアイルランドの人々にも言葉は通じなくても理解してもらえたのではないかということと、あの拍手には驚きました。ホテルへ帰り、皆と一杯飲みながら、カシラの話をしたら、誰も気付かなかったそうです。自分としては、一番気にしていたことが上手くいかず、失敗でした。二回目からは失敗もなく、上手くできホッとしました。この三回の公演で、何処の会場でも言葉はわからなくてもわかって貰うことが分かり、今後も海外公演が入ったら、どんどん出ていって、海外交流を深めるべきだと思いました。最後にアイルランドという国は、本当にすばらしい国だと思いました。高い建物が無く、また高い山もなく、街もきれいだし、日本食さえあれば、住んでみたいと思いました。最後にアイルランド協会の皆様はじめ、多くの方々にたいへんお世話になりましたことを厚くお礼申し上げ、皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。
脚色者から 土居郁雄
BSでアイルランド公演の模様を拝見しました。
バカ受けに受けてましたネ。子供の喜ぶ様、会場の熱気とどよめき。このことをヘボ脚色者として多としたいと思います。
脚本など書いた経験がない私。果たして向こうで理解していただけるだろうか。そればかりが心を支配していました。しかし、放送を見た時、杞憂に過ぎなかったことを知りました。座員の方々が真摯に、この継ぎ接ぎだらけの作品に取り組もうとされるお心が通じたのでしょう。無償でなければ、私もお話をお引き受けしなかったかもしれません。
ところで、今回初めて海外旅行される方も居られると聞きました。加えて少しお年召していらっしゃる。お疲れではないか。知人との友情で筆を執ったものの、座員の方々にとって却ってご負担ではなかったか。様々なことが頭を去来していました。
その素晴らしい演技に工夫をくわえた演出で、感動の嵐を起こされていた頃、私は奥飛騨に居ました。知人で名古屋のからくり人形師・九代玉屋居庄兵衛師らと共にその作品の群に触れ、日本文化を再認識していたのでした。
しかし、片時もアイルランド公演のことが頭からはなれません。こんなことだったら行けばよかったと臍を噛みましたが、機会があえばまた行けると心を慰めました。結果的には大成功をおさめられ、意気揚々と凱旋。電話口から「皆無事に日本へ到着しました」と、前館長の渡辺民雄さんの明るいお声。
安堵したのと同時に疲れが吹き出し、暫く放心状態に陥ったことです。今後はこの経験を生かされて、再度海外公演に挑んで頂き、世界を舞台にご活躍をとお祈りします。また、今回の「むじな」は、一幕二場構成ですが、今一場加えて抑揚のあるものに仕立てたいと念願しております。
マルティニーク寸描 中村青史
小泉凡さんから渡された資料をまず紹介しょう。「マルティニーク島について」より「カリブ海、小アンチル諸島中部に位置する。面積は約1,100平方?H（東西約30?H、南北約80?H、淡路島の約2倍）人口約35万人。気候的には熱帯サバンナ気候。年平均26℃。県都はフォール・ド・フランス（人口約5万人）。
17世紀までは、南米大陸から渡来したアラワク人やカリブ人が居住。17世紀以後、フランス人が彼ら先住民を絶滅させ入植を始める。その際、西アフリカのさまざまな地域から黒人奴隷が運び込まれ、サトウキビのプランテーション経営が行われた。しかし、1848年に奴隷制が廃止されると、インドから契約移民を補充し労働力を確保した。1902年にはピレー山の大噴火でサン・ピエールの町が絶滅。以後、島の中心は、フォール・ド・フランスに移る。1946年、マルティニークはフランスの海外県となり急速に近代化が進み、1970年代には農業人口12％に対し、サービス・商業・観光業の人口は70％に達した。現在、ＧＮＰの一人あたりの平均は4,000ドルとカリブ諸国ではトップクラスに位置する。」
パリはオルリー空港から直行便でマルティニークに降り立ったのは、すでに日没近い頃であった。空港からホテルまでのマイクロバスの中で日は落ちた。砂糖キビ畑と林と車の渋滞、林の中に牛がいた。砂糖キビ畑を見たのは、二泊三日の短い旅程の中でではあったが、そこだけだった。かっての砂糖工場も見当たらなかった。第一農地らしい農地がなかった。いや農地の多くはバナナ畑であった。砂糖キビは今やラム酒の原料だけなのかも知れなかった。農業人口12％というのもうなずける。サン・ピエールの町は、ハーンが滞在した頃の美しい町ではなかったが、そしてかって大繁盛した港も無かったが、それでもこぢんまりとした町で、火山記念館があり、ハーンが撮影した噴火前の町並みの写真もあった。この町の入り口ともいうべき、またコロンブス上陸地点ともいわれているカルベにはゴーギャン美術館があった。赤い屋根の花に囲まれた瀟洒な建物であった。赤い屋根といえば、岡の上から見たサン・ピエールの町も、みんな赤い屋根であり、紫紺のカリブ海と緑の山の間にあって、おとぎの国のようであった。
マルティニークの島は、少なくとも１ヶ月は居たい処であった。それにしても小泉凡さんのお陰で今回の旅は楽しむことができた。本当にありがとうございました。
清和村の「むじな」 西 忠温
ソウル空港からエア・フランスでパリへ向かった。二度目のダブリン行きである。今回も三年前同様、家内同伴であった。機内食にキムチが出たのは意外であった。パリでの乗り換えで例のごとく待たされた。四時間ほどであろうか。当の空港職員はいつもの事だの顔をしていた。すまないという風は微塵もない。結構なお国柄である。その間、清和文楽保存会長の平田さんから面白い話をうかがった。清和村に「むじな」が生息しているという。初耳であった。狸の一種だそうで、人里離れた山間地にいて、狸ほど臭くないという。一度見てみたいものである。その清和の人達がアイルランドで小泉八雲の「MUJINA」を演じようというのである。
やっとバスで駐機場まで来てみると、機内清掃中。おまけに、村の人たちが苦労して運んできた舞台用の屋台は行方不明であった。
ダブリンではちょっと早起きしてホテル近くの運河沿いに家内と散歩を楽しんだ。今では使用されていないもので、ドッグもきちんと保存されていた。いよいよ初演の日である。市内観光の後、夕方近くからチボリ劇場へ足を運んだ。300人を越える地元の人が集まっていた。何が演じられるのか、興奮気味の表情がみえた。美術家の東京の安達さんが中心になって急ぎ作られた屋台が舞台の袖に控えていた。出だしで歌った太夫の吉田さんのご当地ソング「庭の千草」が良かった。のっぺら坊の代わりに鬼女を使ったのも当たった。あの頭の方が外国人にはわかりやすかったと思う。この怪談には二度びっくりの仕掛けがあり、観客の反応から改めてその効果に気づかされた。短い時間であったが、初めての海外公演での堂々たる演技は大したもので、清和の皆さんは一流の国際人だ。文楽と八雲が取り持つ立派な国際交流であった。
公演の後、ダブリン・ラジオテレビ局のフィニー御夫妻が兼瀬村長以下を市内で一番古いパブへ招待してくださった。おふたりは今春熊本を訪ねていらっしゃる。この場を借りて、御好意にお礼申し上げたい。
翌日は中島団長御夫妻、小泉凡先生ら10名でパリからカリブ海に浮かぶ孤島、マルティニークへ7,000?Hを8時間かけて飛んだ。八雲が1887年から2年ほど、ちょうど画家ゴーギャンがいた頃滞在したフランスの海外県である。傑作 「ユーマ」はこの地での見聞から生まれている。ここでの体験は別の機会に譲りたい。
「清和文楽アイルランド公演経過報告」
アイルランドで清和文楽を上演することは当協会の5年来の念願であった。ハーン生誕150年の記念すべき2000年に、くまもと21ファンド、国際交流基金や村の協力で実現した。文楽公演の演目はハーン原作の作品から「むじな」と決め、脚本は芸能研究家の土居郁雄氏に依頼、浄瑠璃作曲と三味線演奏は地元の演奏家に頼んだ。
公演が決まってからの数ヶ月間、新作の練習に励む文楽保存会の様子が地元NHK、熊日、西日本などの数多くのメディアで紹介され、公演前から多くの人が知ることになり、海外公演の気運は高まっていった。
昨年7月3日、日本を出発し、首都ダブリン、駿台アイルアンド国際学校、西部の町エニス音楽学校で公演し、中部の酪農家との農村交流も行った。
ダブリンのホテルに到着するや、蕎麦屋の屋台がなくなるハプニングがあったが、どの会場でも親子連れの観客から口笛とやんやの喝采を受けるほどの喜ばれかただった。
村から兼瀬村長以下保存会の人たちなど十数名、また英語で日本童謡を歌う歌手のグレッグ・アーウィン氏が同行し、数々の日本の歌を披露した。当協会からは中島会長、久野副会長、中村青史氏、西忠温氏各御夫妻などの参加があり総勢38名であった。
今回のツアーは2班構成でダブリンの公式訪問までは一緒だったが、そのあと文楽公演同行組とハーンが一時滞在し、その後の作品に影響を与えたカリブ海のマルティニーク諸島を訪問するグループに分かれ、帰路パリで合流し7月11日に帰国した。
この度の海外公演は同行した地元熊日記者による新聞連載、NHK・BS放送では4回にわたって全国放映され、西日本新聞、朝日新聞などでも報道された。海外公演の反響の大きさに驚き、また外国との市民文化交流の大変さと楽しさを経験した意義深い旅だった。
最後に、アイルランドでは劇場探しから観客動員、現地の日本大使館や報道機関との連絡、調整など大変な作業をボランティアとして細々と働いて下さったアイルランド・日本協会の織田智恵（国立ダブリン大学、日本語教師）様と前田さやか（演劇研究家）様には大変お世話になった。
そして、駿台アイルランド国際学校の瀬尾事務局長には海外公演の橋渡しのための招致状のことなど大変なご尽力をいただいた。
ここに改めて厚くお礼申し上げます。
公演が決まってからの数ヶ月間、新作の練習に励む文楽保存会の様子が地元NHK、熊日、西日本などの数多くのメディアで紹介され、公演前から多くの人が知ることになり、海外公演の気運は高まっていった。
昨年7月3日、日本を出発し、首都ダブリン、駿台アイルアンド国際学校、西部の町エニス音楽学校で公演し、中部の酪農家との農村交流も行った。
ダブリンのホテルに到着するや、蕎麦屋の屋台がなくなるハプニングがあったが、どの会場でも親子連れの観客から口笛とやんやの喝采を受けるほどの喜ばれかただった。
村から兼瀬村長以下保存会の人たちなど十数名、また英語で日本童謡を歌う歌手のグレッグ・アーウィン氏が同行し、数々の日本の歌を披露した。当協会からは中島会長、久野副会長、中村青史氏、西忠温氏各御夫妻などの参加があり総勢38名であった。
今回のツアーは2班構成でダブリンの公式訪問までは一緒だったが、そのあと文楽公演同行組とハーンが一時滞在し、その後の作品に影響を与えたカリブ海のマルティニーク諸島を訪問するグループに分かれ、帰路パリで合流し7月11日に帰国した。
この度の海外公演は同行した地元熊日記者による新聞連載、NHK・BS放送では4回にわたって全国放映され、西日本新聞、朝日新聞などでも報道された。海外公演の反響の大きさに驚き、また外国との市民文化交流の大変さと楽しさを経験した意義深い旅だった。
最後に、アイルランドでは劇場探しから観客動員、現地の日本大使館や報道機関との連絡、調整など大変な作業をボランティアとして細々と働いて下さったアイルランド・日本協会の織田智恵（国立ダブリン大学、日本語教師）様と前田さやか（演劇研究家）様には大変お世話になった。
そして、駿台アイルランド国際学校の瀬尾事務局長には海外公演の橋渡しのための招致状のことなど大変なご尽力をいただいた。
ここに改めて厚くお礼申し上げます。
"Seiwa Mura Bunraku At the Tivoli Theater, Dublin" William O Finnie Designer,Radio telefis Eireanne</b>
This theatre in the heart of old Dublin, less than a mile as the bat flies
from where Lafcadio Hearn lived as a child, was the venue for a fascinating
performance by a rural puppet-theatre groupe from the western Japanese island
of Kyushu. The Dublin audience was treated to a strange and eyrie theatrical
experience from the other side of the earth by the Seiwa Mura Bunraku Groupe
from near the provincial capital of Kumamoto on Kyushu.
Bunraku is an unfamiliar form of puppetry to European eyes. The Dublin
audience would be familiar with marionettes (doll puppets controlled by
strings) and hand puppets (puppets worn on the hand like a grove). Usually
puppeteers hidden by miniature traditional thetre scenary bring Marionettes
and hand puppets to life.
The magic and eeriness of Bunraku is the on-stage ghost presence of the
puppeteers.
There is no equivalent to this form of puppetry in the European tradition.
The Black Theatre of Prague has puppeteers who are covered in black
costumes, however they perform in front of black backdrops and are lit
so as to be invisible during the performance. The stark presence of the
Bunraku puppeteers lends a double suspension of disbelief to their play.
You are drawn into the action of the puppets, and then you focus on the
drama of the wraith-like puppeteers-in efect a play whithin a play.
The kwaidan or ghost story performed at the Tivoli was Mujina, one of
many strange stories retold in English by Hearn. This mini play in three
acts tells the story of a merchant going over a mountain pass at midnight
coming upon a wailing woman by a river. She turns out to be a demon.
Running in terror into the night he sees a lantern in the distance.
Finding a soba-seller by the side of the road the merchant thankfully
stops for some solace after his experience with the woman-demon.
Unfortunately the soba-seller reveals himself to be another demon!
The groupe beautifully performed the starkness of the tale. In particular
the fluid articulation of the puppets contrasting with their controlled
jerkiness gave the play a Noh quality. The face-mechanism whereby the
woman and the soba-seller were revealed to be demons was higt-puppetry art.
A third layer of the performance was the tableau of the gidayu
singer-narrator and her accompanist samisen player in their ceremonial
costumes. Irish people (indeed most Europeans)would have a perception of
Japanese female singers having a monorone hight-pitched voice, however the
Seiwa Mura gidayu sang a beautiful polychromatic narration. As her voice
and the trance-like plucking of the samisen player filled the space around
the puppets the Dublin audience was in Japanese dreamtime.
The only critisism the Dublin audience expressed was that they would have
liked to see more! Although the long distance travelled by the Seiwa Mura
groupe to play in Lafcadio Hearn's home town made the performance all the
more precious.
Most of the audiences that I talked with after the show were enthralled by
the total immersion in such a well-crafted performance from a culture that
is by and large unknown in Ireland. A number of the audience expressed
amazement at the fact that the Bunraku groupe were farmers and "amateurs".
The artistry of Seiwa Mura groupe equalled if not surpassed that of many
professional puppet companies this writer has seen.
After the play the unmasked puppeteers gave an explanation of the craft and
techniques of Bunraku. This added to the understanding and enjoyment of the
audience, in particular the large number of children in attendance enjoyed
seeing the puppet mechanism.
Among the audienee were Ireland's master puppeteer and puppet maker Eugene
Lambert.
In a short speech after the show Mr. Lambert said how enthralled he was by
the expressiveness of the puppets. As a puppet-maker he expressed admiration
for the craftmanship and artistry of the Bunraku puppets. He recall
ed his visit to Japan in the early '70s when he performed for the Crown
Prince and Princess and presentsd one of his puppets to the Crown Princess.
(The Bunraku groupe visited the Lambert Puppet Theatre the next day where
there was a cross-cultural puppetry jam sessin, Mr. Lambert had a chance to
operate the Bunraku puppets and some of the Seiwa Mura groupe tried out the
Lambert puppets.)
After the show at Tivoli I had the pleasure of mayor of Seiwa Mura and some
of the Bunraku Groupe for a pint of Guinness. As we wandered down the
darkened streets, along the medieval city walls by the Cathedral to the
oldest pub in Dublin, the spirits of Le Fanu, Stocker and Hearn swirled
around our heads in the summer mist.
清和文楽ダブリン公演に寄せて
ウィリァム フィニー 美術家（エアリアンヌ放送局）
(大意）
ハーンが子供時代に住んだ所から１マイルも離れていない古いダブリンの中心地にあるこの劇場は、地方人形劇グループ公演の客で賑わっていた。地球の反対側にある西日本の九州の片田舎からやってきた清和村文楽保存会の目を見はる不思議な演劇体験に観客は癒された。
文楽はヨーロッパ人には馴染みがない。ダブリンの人たちはマリオネット（糸操り人形）、指人形（手袋のような人形）には親しんでいるようである。たいていの人形遣いは人形や小道具の入った伝統的なミニチュア劇場を持ち、中からマリオネットや指人形を取り出して見せてくれる。
文楽の魅力と不思議さはステージに人形遣いが陰のようにあらわれたときだ。ヨーロッパの伝統ではチェコ・プラハの「黒劇場」に黒い衣装の人形遣いがいる。しかし、彼らは黒い背景の前で演じるし、公演中、ライトは観客に見えないように当てられている。文楽のぶっきらぼうな登場は二重の緊張感を抱かせる。つまり観客は人形の動きに引き込まれ、人形遣いの演技の中の生き霊のような劇に釘付けになる。
チボリ劇場で演じられた「怪談」はハーンが英語に書き直した沢山の不思議な物語の一つ「むじな」であった。この３場構成の小劇は、深夜、商人が山道を歩いていると川のほとりでしくしく泣いている女に出会う。女が振り返ると鬼女になり、恐ろしさの余り彼は闇の中を走ると、遠くに提灯の明かりを見つける。それは蕎麦売りの明かりだった。鬼女と会った後なのでほっとしていると、驚いたことに蕎麦売りも鬼になった。
保存会の人たちは飾り気のない話を美しく演じた。特に抑制の利いた流れるような発声は、芝居に能の品格を与え、女と蕎麦売りが鬼だと分かる顔の仕組みは高度な人形技術だ。
正式な衣装を着た義太夫語りと三味線演奏の醸し出す演劇空間の雰囲気は絵画的であった。アイルランド人や多くのヨーロッパの人たちは日本の女性演奏者が奏でる高音の声に単調さを感じたかもしれないが、清和村の演奏者は美しく色鮮やかに語りしかも歌った。人形の周りで義太夫が語り、三味線を夢心地にかき鳴らすので、ダブリンの人たちはまるで日本の夢を見ているようだった。
ただ一つのダブリン市民の批評は「もっと見たかった」ということだった。ハーンの故郷での公演のためはるばるやってきた清和村保存会の公演はそれだけで価値があった。公演の後で私が聞いた観客の多くは「アイルランドの人達に余り知られていないが、よく訓練された公演にとても心を奪われた」と。その人達は演者が農民で皆「素人」だという事実にびっくりした。清和村保存会の芸術性は、私がこれまで見たプロの人形グループに勝るとも劣らないできだった。公演の後、黒子を脱いだ保存会の人たちが文楽人形の仕組みと技巧について説明した。この観客に理解と楽しみを与える企ては、特にそこにいた多くの子供達に人形の動きを見せてとても楽しませてくれた。
観客の中にアイルランド一の人形遣いで制作者のユージン・ランバートさんが居た。公演の後の短い談話の中で彼は「人形の表現にとても魂を奪われた」と話した。人形制作者として彼は、文楽人形の工芸技術と芸術性にとても感心していた。彼は70年代の始め日本を訪れ、皇太子御夫妻の前で公演し、人形の一つを妃殿下にプレゼントしたことを思い出した。（公演の次の日、保存会の一行は彼の人形劇場を訪問した。そしてそこで即興の国際人形交流ジャムセッシォンとなった。ランバートさんは文楽人形を操り、何人かの保存会の人たちはランバートさんの人形を触った。）
チボリ劇場の公演の後、村長や保存会の人達と町に繰り出しギネスビールを酌み交わしたのはとても楽しかった。大聖堂の壁に沿った薄暗い通りを歩き、ダブリンで最も古いパブに着いたときに、レファニュ（吸血鬼カミーラの作者）、ブラム・ストーカー（ドラキュラの作者、共にダブリン出身）、そしてラフカディオ・ハーンの亡霊が夏の夕闇のなかで我々の頭の上を渦巻いていた。
from where Lafcadio Hearn lived as a child, was the venue for a fascinating
performance by a rural puppet-theatre groupe from the western Japanese island
of Kyushu. The Dublin audience was treated to a strange and eyrie theatrical
experience from the other side of the earth by the Seiwa Mura Bunraku Groupe
from near the provincial capital of Kumamoto on Kyushu.
Bunraku is an unfamiliar form of puppetry to European eyes. The Dublin
audience would be familiar with marionettes (doll puppets controlled by
strings) and hand puppets (puppets worn on the hand like a grove). Usually
puppeteers hidden by miniature traditional thetre scenary bring Marionettes
and hand puppets to life.
The magic and eeriness of Bunraku is the on-stage ghost presence of the
puppeteers.
There is no equivalent to this form of puppetry in the European tradition.
The Black Theatre of Prague has puppeteers who are covered in black
costumes, however they perform in front of black backdrops and are lit
so as to be invisible during the performance. The stark presence of the
Bunraku puppeteers lends a double suspension of disbelief to their play.
You are drawn into the action of the puppets, and then you focus on the
drama of the wraith-like puppeteers-in efect a play whithin a play.
The kwaidan or ghost story performed at the Tivoli was Mujina, one of
many strange stories retold in English by Hearn. This mini play in three
acts tells the story of a merchant going over a mountain pass at midnight
coming upon a wailing woman by a river. She turns out to be a demon.
Running in terror into the night he sees a lantern in the distance.
Finding a soba-seller by the side of the road the merchant thankfully
stops for some solace after his experience with the woman-demon.
Unfortunately the soba-seller reveals himself to be another demon!
The groupe beautifully performed the starkness of the tale. In particular
the fluid articulation of the puppets contrasting with their controlled
jerkiness gave the play a Noh quality. The face-mechanism whereby the
woman and the soba-seller were revealed to be demons was higt-puppetry art.
A third layer of the performance was the tableau of the gidayu
singer-narrator and her accompanist samisen player in their ceremonial
costumes. Irish people (indeed most Europeans)would have a perception of
Japanese female singers having a monorone hight-pitched voice, however the
Seiwa Mura gidayu sang a beautiful polychromatic narration. As her voice
and the trance-like plucking of the samisen player filled the space around
the puppets the Dublin audience was in Japanese dreamtime.
The only critisism the Dublin audience expressed was that they would have
liked to see more! Although the long distance travelled by the Seiwa Mura
groupe to play in Lafcadio Hearn's home town made the performance all the
more precious.
Most of the audiences that I talked with after the show were enthralled by
the total immersion in such a well-crafted performance from a culture that
is by and large unknown in Ireland. A number of the audience expressed
amazement at the fact that the Bunraku groupe were farmers and "amateurs".
The artistry of Seiwa Mura groupe equalled if not surpassed that of many
professional puppet companies this writer has seen.
After the play the unmasked puppeteers gave an explanation of the craft and
techniques of Bunraku. This added to the understanding and enjoyment of the
audience, in particular the large number of children in attendance enjoyed
seeing the puppet mechanism.
Among the audienee were Ireland's master puppeteer and puppet maker Eugene
Lambert.
In a short speech after the show Mr. Lambert said how enthralled he was by
the expressiveness of the puppets. As a puppet-maker he expressed admiration
for the craftmanship and artistry of the Bunraku puppets. He recall
ed his visit to Japan in the early '70s when he performed for the Crown
Prince and Princess and presentsd one of his puppets to the Crown Princess.
(The Bunraku groupe visited the Lambert Puppet Theatre the next day where
there was a cross-cultural puppetry jam sessin, Mr. Lambert had a chance to
operate the Bunraku puppets and some of the Seiwa Mura groupe tried out the
Lambert puppets.)
After the show at Tivoli I had the pleasure of mayor of Seiwa Mura and some
of the Bunraku Groupe for a pint of Guinness. As we wandered down the
darkened streets, along the medieval city walls by the Cathedral to the
oldest pub in Dublin, the spirits of Le Fanu, Stocker and Hearn swirled
around our heads in the summer mist.
清和文楽ダブリン公演に寄せて
ウィリァム フィニー 美術家（エアリアンヌ放送局）
(大意）
ハーンが子供時代に住んだ所から１マイルも離れていない古いダブリンの中心地にあるこの劇場は、地方人形劇グループ公演の客で賑わっていた。地球の反対側にある西日本の九州の片田舎からやってきた清和村文楽保存会の目を見はる不思議な演劇体験に観客は癒された。
文楽はヨーロッパ人には馴染みがない。ダブリンの人たちはマリオネット（糸操り人形）、指人形（手袋のような人形）には親しんでいるようである。たいていの人形遣いは人形や小道具の入った伝統的なミニチュア劇場を持ち、中からマリオネットや指人形を取り出して見せてくれる。
文楽の魅力と不思議さはステージに人形遣いが陰のようにあらわれたときだ。ヨーロッパの伝統ではチェコ・プラハの「黒劇場」に黒い衣装の人形遣いがいる。しかし、彼らは黒い背景の前で演じるし、公演中、ライトは観客に見えないように当てられている。文楽のぶっきらぼうな登場は二重の緊張感を抱かせる。つまり観客は人形の動きに引き込まれ、人形遣いの演技の中の生き霊のような劇に釘付けになる。
チボリ劇場で演じられた「怪談」はハーンが英語に書き直した沢山の不思議な物語の一つ「むじな」であった。この３場構成の小劇は、深夜、商人が山道を歩いていると川のほとりでしくしく泣いている女に出会う。女が振り返ると鬼女になり、恐ろしさの余り彼は闇の中を走ると、遠くに提灯の明かりを見つける。それは蕎麦売りの明かりだった。鬼女と会った後なのでほっとしていると、驚いたことに蕎麦売りも鬼になった。
保存会の人たちは飾り気のない話を美しく演じた。特に抑制の利いた流れるような発声は、芝居に能の品格を与え、女と蕎麦売りが鬼だと分かる顔の仕組みは高度な人形技術だ。
正式な衣装を着た義太夫語りと三味線演奏の醸し出す演劇空間の雰囲気は絵画的であった。アイルランド人や多くのヨーロッパの人たちは日本の女性演奏者が奏でる高音の声に単調さを感じたかもしれないが、清和村の演奏者は美しく色鮮やかに語りしかも歌った。人形の周りで義太夫が語り、三味線を夢心地にかき鳴らすので、ダブリンの人たちはまるで日本の夢を見ているようだった。
ただ一つのダブリン市民の批評は「もっと見たかった」ということだった。ハーンの故郷での公演のためはるばるやってきた清和村保存会の公演はそれだけで価値があった。公演の後で私が聞いた観客の多くは「アイルランドの人達に余り知られていないが、よく訓練された公演にとても心を奪われた」と。その人達は演者が農民で皆「素人」だという事実にびっくりした。清和村保存会の芸術性は、私がこれまで見たプロの人形グループに勝るとも劣らないできだった。公演の後、黒子を脱いだ保存会の人たちが文楽人形の仕組みと技巧について説明した。この観客に理解と楽しみを与える企ては、特にそこにいた多くの子供達に人形の動きを見せてとても楽しませてくれた。
観客の中にアイルランド一の人形遣いで制作者のユージン・ランバートさんが居た。公演の後の短い談話の中で彼は「人形の表現にとても魂を奪われた」と話した。人形制作者として彼は、文楽人形の工芸技術と芸術性にとても感心していた。彼は70年代の始め日本を訪れ、皇太子御夫妻の前で公演し、人形の一つを妃殿下にプレゼントしたことを思い出した。（公演の次の日、保存会の一行は彼の人形劇場を訪問した。そしてそこで即興の国際人形交流ジャムセッシォンとなった。ランバートさんは文楽人形を操り、何人かの保存会の人たちはランバートさんの人形を触った。）
チボリ劇場の公演の後、村長や保存会の人達と町に繰り出しギネスビールを酌み交わしたのはとても楽しかった。大聖堂の壁に沿った薄暗い通りを歩き、ダブリンで最も古いパブに着いたときに、レファニュ（吸血鬼カミーラの作者）、ブラム・ストーカー（ドラキュラの作者、共にダブリン出身）、そしてラフカディオ・ハーンの亡霊が夏の夕闇のなかで我々の頭の上を渦巻いていた。
「アイルランド いま」 小島一浩（副会長）
はじめに
聖パトリックスデーのパーティーに参加していただきましてありがとうございます。
東京では3月11日に、このパトリックスデーお祝いのパレードが行われました。座間の米軍軍学隊を先頭に300人以上の参加者が、表参道を練り歩いたそうです。参道の観客も多かったといいます。その晩プレスセンターでは、来日中のメアリー・ハーニー副首相と経済使節団のメンバーとのパーティーが開かれ、会場には一杯の参加者が集まったそうです。（アハーン首相来日の予定が急遽変更され、副首相の来日になった模様。アイルランドの現在の大統領はメアリーさん、その前もメアリーさんでした）
熊本でのこのパーティは、3回目になりますが、その最初のことを会員の井上さんがお彼岸の中日の熊日紙（99.3.21）の囲み記事（聖パトリックとケルトとお彼岸）で、こう書いておられます。「3月17日、熊本でも熊本アイルランド協会によって聖パトリックの集いがあった。といっても会員が集まり、ギネスビールを飲み、おしゃべりやアイルランド民謡を合唱して、弥生三月の一夕を楽しんだだけだが・・・」と。
アイルランド・アラカルト
昨年はハーン生誕150年記念行事が盛沢山でしたが、今日は「アイルランドのいま」についてお話をさせて戴きたいと思います。短い時間ですので、東京の大使館から小冊子「アイルランド概説」を取り寄せました。読んでもらえればと思います。その中でひとつ、英語版と違うところがありますから紹介しておきますと、「アイルランドの文学」の項でハーンの紹介は英語版にはありませんから、日本語版にする時に追加したものと思われます。また送ってきた託送便の大きな箱の中に、国花シャムロックの飾りと今私が着ているこの緑の紙製のチョッキが入っていました。3点ともアイルランド本国製です。これでパーティーを盛り上げてということでしょうから、このチョッキを着てお話しさせていただきます。
さて、私どもが5年間住んでいたコークから「Eメール」が届きました。いつもの冬は滅多に雪は降らないアイルランドでも、今年の冬は寒くてダブリン空港が雪のため度々封鎖されたということです。
最近新聞で騒がれている家畜の伝染病口蹄炎（a foot and mouth disease）対策で、教会のミサも森の散歩も禁止され、彼とデートも出来なくなったと嘆いています。北アイルランド国境には厳重警戒のため軍隊が動員されたとのこと。以前発生して大騒動となった狂牛病（a mad cow disease 牛の海綿状脳症）とは違いますが、風によっても伝染するので農業国アイルランドは大変だったようです。
3月の始めに、熊本でも上映されましたが、「アンジェラの灰」（ピュリツア賞伝記部門を受賞したフランク・マッコウト原作の映画化、1999年ユニバーサル製作）を見ました。作者の自伝的作品といわれていますが、その時代1930年代のアイルランドは、雨続きでびしょびしょ（あれほど降るとは思いませんが）貧乏で悲惨な国でした。
アイルランド いま
そのアイルランドが、イギリスの経済雑誌「エコノミスト」（1997年5月号）によって、いち早く世界にその名を知られるようになったのです。
「10年前、アイルランド経済はヨーロッパで最も貧しく（スペインよりも）、そのまま推移するようにみえた。しかし今や、ヨーロッパのタイガー経済（ケルティク・タイガー）といわれるようになった」のです。
また「世界経済フォーラム」（2000年版）によると国際競争力世界ランキングでは、アイルランドは前年度の10位から5位に躍進しました。その時、日本は前年度14位から21位に落ちました。
大前研一さんは「21世紀維新」（文春新書1999）の中で、「国境なき社会の国家サイズとしては、シンガポール、ニュージーランドとアイルランド、約300万人規模の国家が情報化社会に最も適合する」と書いています。（米国は大国だが、実質は州単位の合衆国だから）。
アイルランドの主要経済指標は、次の通りで躍進を示していますが、最近の伸びは鈍化してきました。
アイルランドの輸出総額は、98年度は645億ドルで、主な産品別では、コンピュータ関連機器22％、有機化学品17％、医薬品7％などで、農産物の割合は9％に低下しました。（80年34％、88年18％）。
主な輸出先は、EU64％（英国22％、ドイツ12％）、米国15％、日本3％などで、英国依存から脱出しました。
昨年からは、米国系の企業がバイアグラ原料の輸出を大幅に伸ばしているとの報告もあります。
日本への輸出は、総額29億ドルで、産品別では有機化学39％、コンピュータ関連16％、化学品・医薬品18％など。工業用ダイヤモンド、コンタクトレンズやAji、Nishin、Live Horse（馬刺材料料s）も日本には輸出しています。また日本からの輸入は21億ドル、自動車・トラック27％、コンピュータ関連18％、有機化合物13％などがあります。
アイルランド経済の重要な鍵は、外資系企業の発展に負うところが大きいのです。最近の外資系企業の雇用は、全就業人口の10％になり、農業人口並になりました。またその輸出額は輸出GDPの4分の3を占めています。米国の500社、74千人をはじめ、英国、ドイツ、オランダなど、日本は40社余り約4千人となっています。（日本人の滞在者数は、98年度で763人、その内永住者155、留学生224人などです。）
これはアイルランド政府の海外企業優遇策や、パートナーシップと呼ばれる労働安定策などが成功したことによるものと言われています。このため若年労働者の流出に歯止めがかかり、逆にソフトウェアー産業労働者不足対策として、今後6~7年間に20万人を海外から受け入れる意向といわれています。
アイルランド これから
今年2月には、EU財務相理事会が「2001年度アイルランド予算案見直しの勧告を」し、インフレ傾向の中での拡張予算は、ユーロ全体の経済運営に悪影響を与えると警告しました。もっともアイルランド政府はこれを拒否しましたが。アイルランドポンド通貨は、来年1月に「ユーロ通貨」に統一され、2月末には消えます。コインの裏側にだけ12の星（ユーロ参加国の数）に囲まれて、エンブレムのハーブの図は残りますが、紙幣もコインの表もすべてユーロに統一されます。
EUは今後拡大（中欧への）と深化（金融統合、税制の調和・企業統合など）へ向かいます。（3.7億人から5.9億人の中の360万人の国に,
共通農業政策の恩恵はsどうなるかなど）
EUの中で小国アイルランドの抱える問題は多いと思います。（主要経済指標省略）
（2001.3.15 熊本市国際交流会館”セントパトリックスデー In くまもと”での卓話）
聖パトリックスデーのパーティーに参加していただきましてありがとうございます。
東京では3月11日に、このパトリックスデーお祝いのパレードが行われました。座間の米軍軍学隊を先頭に300人以上の参加者が、表参道を練り歩いたそうです。参道の観客も多かったといいます。その晩プレスセンターでは、来日中のメアリー・ハーニー副首相と経済使節団のメンバーとのパーティーが開かれ、会場には一杯の参加者が集まったそうです。（アハーン首相来日の予定が急遽変更され、副首相の来日になった模様。アイルランドの現在の大統領はメアリーさん、その前もメアリーさんでした）
熊本でのこのパーティは、3回目になりますが、その最初のことを会員の井上さんがお彼岸の中日の熊日紙（99.3.21）の囲み記事（聖パトリックとケルトとお彼岸）で、こう書いておられます。「3月17日、熊本でも熊本アイルランド協会によって聖パトリックの集いがあった。といっても会員が集まり、ギネスビールを飲み、おしゃべりやアイルランド民謡を合唱して、弥生三月の一夕を楽しんだだけだが・・・」と。
アイルランド・アラカルト
昨年はハーン生誕150年記念行事が盛沢山でしたが、今日は「アイルランドのいま」についてお話をさせて戴きたいと思います。短い時間ですので、東京の大使館から小冊子「アイルランド概説」を取り寄せました。読んでもらえればと思います。その中でひとつ、英語版と違うところがありますから紹介しておきますと、「アイルランドの文学」の項でハーンの紹介は英語版にはありませんから、日本語版にする時に追加したものと思われます。また送ってきた託送便の大きな箱の中に、国花シャムロックの飾りと今私が着ているこの緑の紙製のチョッキが入っていました。3点ともアイルランド本国製です。これでパーティーを盛り上げてということでしょうから、このチョッキを着てお話しさせていただきます。
さて、私どもが5年間住んでいたコークから「Eメール」が届きました。いつもの冬は滅多に雪は降らないアイルランドでも、今年の冬は寒くてダブリン空港が雪のため度々封鎖されたということです。
最近新聞で騒がれている家畜の伝染病口蹄炎（a foot and mouth disease）対策で、教会のミサも森の散歩も禁止され、彼とデートも出来なくなったと嘆いています。北アイルランド国境には厳重警戒のため軍隊が動員されたとのこと。以前発生して大騒動となった狂牛病（a mad cow disease 牛の海綿状脳症）とは違いますが、風によっても伝染するので農業国アイルランドは大変だったようです。
3月の始めに、熊本でも上映されましたが、「アンジェラの灰」（ピュリツア賞伝記部門を受賞したフランク・マッコウト原作の映画化、1999年ユニバーサル製作）を見ました。作者の自伝的作品といわれていますが、その時代1930年代のアイルランドは、雨続きでびしょびしょ（あれほど降るとは思いませんが）貧乏で悲惨な国でした。
アイルランド いま
そのアイルランドが、イギリスの経済雑誌「エコノミスト」（1997年5月号）によって、いち早く世界にその名を知られるようになったのです。
「10年前、アイルランド経済はヨーロッパで最も貧しく（スペインよりも）、そのまま推移するようにみえた。しかし今や、ヨーロッパのタイガー経済（ケルティク・タイガー）といわれるようになった」のです。
また「世界経済フォーラム」（2000年版）によると国際競争力世界ランキングでは、アイルランドは前年度の10位から5位に躍進しました。その時、日本は前年度14位から21位に落ちました。
大前研一さんは「21世紀維新」（文春新書1999）の中で、「国境なき社会の国家サイズとしては、シンガポール、ニュージーランドとアイルランド、約300万人規模の国家が情報化社会に最も適合する」と書いています。（米国は大国だが、実質は州単位の合衆国だから）。
アイルランドの主要経済指標は、次の通りで躍進を示していますが、最近の伸びは鈍化してきました。
アイルランドの輸出総額は、98年度は645億ドルで、主な産品別では、コンピュータ関連機器22％、有機化学品17％、医薬品7％などで、農産物の割合は9％に低下しました。（80年34％、88年18％）。
主な輸出先は、EU64％（英国22％、ドイツ12％）、米国15％、日本3％などで、英国依存から脱出しました。
昨年からは、米国系の企業がバイアグラ原料の輸出を大幅に伸ばしているとの報告もあります。
日本への輸出は、総額29億ドルで、産品別では有機化学39％、コンピュータ関連16％、化学品・医薬品18％など。工業用ダイヤモンド、コンタクトレンズやAji、Nishin、Live Horse（馬刺材料料s）も日本には輸出しています。また日本からの輸入は21億ドル、自動車・トラック27％、コンピュータ関連18％、有機化合物13％などがあります。
アイルランド経済の重要な鍵は、外資系企業の発展に負うところが大きいのです。最近の外資系企業の雇用は、全就業人口の10％になり、農業人口並になりました。またその輸出額は輸出GDPの4分の3を占めています。米国の500社、74千人をはじめ、英国、ドイツ、オランダなど、日本は40社余り約4千人となっています。（日本人の滞在者数は、98年度で763人、その内永住者155、留学生224人などです。）
これはアイルランド政府の海外企業優遇策や、パートナーシップと呼ばれる労働安定策などが成功したことによるものと言われています。このため若年労働者の流出に歯止めがかかり、逆にソフトウェアー産業労働者不足対策として、今後6~7年間に20万人を海外から受け入れる意向といわれています。
アイルランド これから
今年2月には、EU財務相理事会が「2001年度アイルランド予算案見直しの勧告を」し、インフレ傾向の中での拡張予算は、ユーロ全体の経済運営に悪影響を与えると警告しました。もっともアイルランド政府はこれを拒否しましたが。アイルランドポンド通貨は、来年1月に「ユーロ通貨」に統一され、2月末には消えます。コインの裏側にだけ12の星（ユーロ参加国の数）に囲まれて、エンブレムのハーブの図は残りますが、紙幣もコインの表もすべてユーロに統一されます。
EUは今後拡大（中欧への）と深化（金融統合、税制の調和・企業統合など）へ向かいます。（3.7億人から5.9億人の中の360万人の国に,
共通農業政策の恩恵はsどうなるかなど）
EUの中で小国アイルランドの抱える問題は多いと思います。（主要経済指標省略）
（2001.3.15 熊本市国際交流会館”セントパトリックスデー In くまもと”での卓話）
「ハーン生誕１５０年祭事業一覧」
本年はラフカディオ・ハーン（1850.6.27〜1904.9.26）の生誕150年にあたるので下記の事業が開催されます。
1.生誕150年パーティー（6月27日）
午後４時から鶴屋百貨店8階で150名参加。
主催者を代表して伊豆英一氏（熊本日日新聞社社長）が挨拶。副知事、助役、デクラン・オドノバン駐日アイルランド大使の来賓祝辞。
アトラクションとして清和文楽の一部上演などがあった
2.くまもと21世紀市民講座（6月〜12月）
「ラフカディオ・ハーンと熊本〜現代に生きるハーン」をテーマに、熊本市教育委員会、熊本アイルランド協会などが主催、8回開催。?@6月27日（講師、アラン・ローゼン氏）?A7月22日（P.フラハティー氏、井上智重氏）?B8月26日（西川盛雄氏）?C9月2日（里見繁美氏）?D10月9日（シンポジウム）?E11月3日（五高記念館オープニング事業?F11月11〜12日（熊本大学公開講座?G12月9日（座談会中村青史氏ほか講座講師）
問い合わせ先：市教育委員会文化財課
3.清和文楽アイルランド親善公演とツアー（７月3日〜11日）
清和文楽人形芝居保存会の一行が熊本アイルランド協会（企画）のメンバーとアイルランドを訪問、首都ダブリン他で公演。ツアーの一部はハーンゆかりのマルティニーク島まで足を伸ばし、ハーンを偲ぶ。
4.読書感想文募集（夏休み中）
中学生、高校生を対象にハーン作品の読書感想文を募集。400字詰めで3〜5枚。最優秀賞、優秀、入賞、佳作を表彰。
審査員は首藤基澄氏（熊本大教授）、西川盛雄氏（同）、久野啓介氏（熊日監査役）。
5.記念講演とシンポジウム
（10月9日、市産業文化会館）
実行委員会のメイン事業。小泉凡氏、平川祐弘氏の記念講演とシンポジウム。 アトラクションとして清和文楽、アイルランド音楽演奏家（守安功。雅子夫妻）とアイリッシュダンス（坂内美穂さん）。功労者表彰、読書感想文表彰。
シンポジウムのパネリストは銭本健二（島根大）、西成彦（立命館大）、西川盛雄（熊本大）、里見繁美（同）、アラン・ローゼン（同）、渡辺京二（評論家）、中島最吉（祟城大）の各氏。
6.熊本大学五高記念館、特別展
（11月3日〜19日）
小泉家や小泉八雲記念館（松江市）などから資料を借りだし展示。オープニングの3日（祝）は小泉時氏のテープカットとセレモニー。ハーン研究者によるミニトークも計画。1日から3日までは熊大学園祭開催中。
7.演劇「へるんさんの熊本」上演
（11月5日（日）市民会館）
ハーンと妻セツの熊本での3年間を描いた芝居。9年前のを再演。
熊本市市民会館自主文化事業・お城まつり協賛。
緒方惇作、徳山博之構成、池田美樹演出、出演劇団きらら。一般2000円、親子ペア2,500円。
8.アイルランド・フェアー（文化と物産展）
（11月8日〜14日）
アイルランド政府の協力で鶴屋百貨店で開催。写真パネルで文化や観光を紹介。陶磁器、クリスタル、セーター、マフラー、コートなどの衣類、手工芸品、ポプリ商品などの物産を販売。
1.生誕150年パーティー（6月27日）
午後４時から鶴屋百貨店8階で150名参加。
主催者を代表して伊豆英一氏（熊本日日新聞社社長）が挨拶。副知事、助役、デクラン・オドノバン駐日アイルランド大使の来賓祝辞。
アトラクションとして清和文楽の一部上演などがあった
2.くまもと21世紀市民講座（6月〜12月）
「ラフカディオ・ハーンと熊本〜現代に生きるハーン」をテーマに、熊本市教育委員会、熊本アイルランド協会などが主催、8回開催。?@6月27日（講師、アラン・ローゼン氏）?A7月22日（P.フラハティー氏、井上智重氏）?B8月26日（西川盛雄氏）?C9月2日（里見繁美氏）?D10月9日（シンポジウム）?E11月3日（五高記念館オープニング事業?F11月11〜12日（熊本大学公開講座?G12月9日（座談会中村青史氏ほか講座講師）
問い合わせ先：市教育委員会文化財課
3.清和文楽アイルランド親善公演とツアー（７月3日〜11日）
清和文楽人形芝居保存会の一行が熊本アイルランド協会（企画）のメンバーとアイルランドを訪問、首都ダブリン他で公演。ツアーの一部はハーンゆかりのマルティニーク島まで足を伸ばし、ハーンを偲ぶ。
4.読書感想文募集（夏休み中）
中学生、高校生を対象にハーン作品の読書感想文を募集。400字詰めで3〜5枚。最優秀賞、優秀、入賞、佳作を表彰。
審査員は首藤基澄氏（熊本大教授）、西川盛雄氏（同）、久野啓介氏（熊日監査役）。
5.記念講演とシンポジウム
（10月9日、市産業文化会館）
実行委員会のメイン事業。小泉凡氏、平川祐弘氏の記念講演とシンポジウム。 アトラクションとして清和文楽、アイルランド音楽演奏家（守安功。雅子夫妻）とアイリッシュダンス（坂内美穂さん）。功労者表彰、読書感想文表彰。
シンポジウムのパネリストは銭本健二（島根大）、西成彦（立命館大）、西川盛雄（熊本大）、里見繁美（同）、アラン・ローゼン（同）、渡辺京二（評論家）、中島最吉（祟城大）の各氏。
6.熊本大学五高記念館、特別展
（11月3日〜19日）
小泉家や小泉八雲記念館（松江市）などから資料を借りだし展示。オープニングの3日（祝）は小泉時氏のテープカットとセレモニー。ハーン研究者によるミニトークも計画。1日から3日までは熊大学園祭開催中。
7.演劇「へるんさんの熊本」上演
（11月5日（日）市民会館）
ハーンと妻セツの熊本での3年間を描いた芝居。9年前のを再演。
熊本市市民会館自主文化事業・お城まつり協賛。
緒方惇作、徳山博之構成、池田美樹演出、出演劇団きらら。一般2000円、親子ペア2,500円。
8.アイルランド・フェアー（文化と物産展）
（11月8日〜14日）
アイルランド政府の協力で鶴屋百貨店で開催。写真パネルで文化や観光を紹介。陶磁器、クリスタル、セーター、マフラー、コートなどの衣類、手工芸品、ポプリ商品などの物産を販売。
「ジャーナリストとしてのラフカディオ・ハーン」 平山謙二郎（熊本日日新聞社 新聞博物館館長）
はじめに
皆さん、今日はようこそお出でいただきました。１時間前からお出での熱心な方もおられますことに敬意を表します。
私はハーンの研究者ではなく、ハーンのことも時には大好きになり、時には大嫌いになると言うハーンへの好き嫌いの激しい方です。私はハーンのことを語るに当たり、手元にある何冊かの資料を参考にしました。ハーンがニューオリンーズ時代「よその新聞記事を紙とハサミと糊で繋ぎ合わせて報道した」と話しています。今日の私の話も、たぶん紙と糊とハサミの世界になると思います。
参考文献を最後に記しますが、その殆どが1990年代に出ています。ということは、高度成長からバブル崩壊時代にハーンが見直され、再評価されたと言うことかも知れません。
新聞記者としてのハーン
ハーンが新聞記者として暮らしたのは、通算して二十数年になります。8年がシンシナティー、10年がニューオリーンズ、その後一時期カリブ海のフランス領マルティニーク島におり、それからニューヨークから日本に来ます。日本では教師生活の方が長く、神戸クロニクルの記者2年を加えますと通算二十数年がジャーナリスト生活と言うことになります。その間、勿論文学者としての仕事も平行して行っています。彼の資質、文学の背景にはジャーナリズム的発想、ジャーナリスト的ものの見方があると思います。
ハーンがヨーロッパからロンドンに行って、アメリカ・ニューヨークへ上陸するのが19歳の頃です。もともと父親に捨てられ極貧の生活をしていたハーンは、アメリカでも非常に貧しい生活をします。何故シンシナティーを選んだかと言うと、熊大の西川先生の考証にあるように、シンシナティーは1783年のパリ条約で独立、この一帯の行政の中心地として発展します。やがて水路の発達で商工業都市として栄えますが、ハーンが来た頃は既に衰退の道を辿っており、穀物取引の中心はシカゴに移りましたが、町には沢山の移民や混血児が住み、乱雑だが活気のある町でした。
この町に現れたハーンは大変貧乏ですからお金は殆どありません。電報配達のボーイとか下宿屋の下男などをして極貧の生活を送ります。そういう生活の中で、公立図書館に通ったり、本を読んだり物語を書いてみたりしていました。この頃がある意味では、最も苦しいけど充実した勉強の時代だったかも知れません。
やがてハーンはアトキンという老齢のイギリス人系の老印刷屋と仲良しになります。この人は後でハーンの父親代わりになる人ですが、下宿の馬小屋の中で寝ていたハーンに「家がなければ自分の店に遊びに来なさい。給料は出せないが、ねぐらだけは提供しましよう」と優しい声を掛けてくれます。早速ハーンが遊びに行くと、印刷の残りくずの紙で作ったベッドを用意して寝泊まりをさせてくれます。ハーンは後ほど妹に充てた手紙で「気持ちのいいベッドであった」と書いています。アトキンの庇護を受けながら、ハーンは終生の仕事としてジャーナリストを目指すわけです。それはちょうど22歳の頃でした。
シンシナティー・インクワイヤラー時代
彼はやがて地元の新聞社を訪ねます。シンシナティー・インクワイヤラーという小さなイエローペーパーで、主に市井の噂話とかゴシップとかを取り上げている新聞です。当時の主筆はジョン.Ｅ・コッカレルという人で、後にハーンが訪ねてきた頃のことを回想し、こう書いています。「ある日一人の風変わりな色の黒い小男が編集室を訪ねてきた。妙におどおどしていて、恐ろしく度の強そうな眼鏡を掛け、福の神に見放されたとしか思えない格好をしていた。男は蚊の鳴くような声で自分の原稿を買ってくれないかと言うのであった。私は書いたものを見た上で考えようと答えた。すると彼はコートの下から原稿を取り出して、震えるように私の机に置くと、まるでゆがんだ茶色の妖精のように逃げ去って行った。とても言い表わせないような不思議な印象であった」。コッカレルはその日遅く原稿に目を通します。「私はびっくりした、魅力的な文章の中にキラリと光る力強い思想が溢れていたのである」。
こうしてハーンの最初の文章は、まもなく新聞に掲載されます。以来ハーンはこの新聞社にたびたび書評とか美術評とか原稿を持ち込み載せて貰う訳です。それから２年ほどした1874年の初めの24歳の頃、週２５＄でこの新聞社の記者に採用されます。
インクワイヤラーはそれほど品位の高い新聞ではありませんでしたが、編集者のコッカレルという人は凄い編集者でした。ハーンが日本に来てチェンバレンに宛てた手紙の中で、その頃を回想した文章が残っています。「このコッカレルと言う人はやり手の厳しい上司で、天性のジャーナリストだった。彼に好意を抱くものは一人も居なかったが、彼の経営の才にはみんな一目置いていた。彼は私達を怒鳴りつけては、半殺しになるまで働かせた。自分自身に対しても容赦しなかった。すさまじい毒舌家で私達は皆震え上がっていた。わずか2,3年で発行部数をぐんぐん伸ばして1いった」。
コッカレルは後にニューヨークに移り、ザ・ニューヨーク・ワールドの主筆となり、たくさんの優れたジャーナリストを育てます。アメリカの新聞業界ではいまでも名編集長と語り草になっているほどの人です。新聞記者になったばかりのハーンが、名編集者のコッカレルと出会ったという偶然が、シンシナティで起こり、後のジャーナリスト・ハーンを育てていったと思います。
ハーンの記事
ハーンは独学で大勉強しながら色々な知識を身につけていった人でありますが、古典から現代まで幅広く欧米の作家の作品を読んでいた上、文学の素養もあったと思います。その頃シンシナティの記者の中ではそういった才能を持った人はほとんどいなかったので、重宝がられ大事にされていきます。
20台の若いハーンですから正義感が強く、しかもこの若い記者の興味を捉えるのは町の底辺の貧しい人や黒人の世界であり、善人より悪人、金持ちより貧乏人、といったものに関心を抱いていきます。そして非ヨーロッパ的な異文化というか、珍しいもの変わったものに関心を強く示していきます。ジャーナリズムの世界では、「よいニュースとは悪いニュースである」という諺があります。また犬が人をかめばニュースにならないが、人が犬をかめばニュースになるという古典的なニュースの定義があります。ハーンは文字通りそれを実践していったという意味では天性的なジャーナリストでした。こういった発想を持っているハーンは、当時アメリカで大変流行したオカルトの交信術師であるとか、黒人問題だとかヌードスタジオとか殺人事件などに強い関心を示し、それを大変活き活きとした筆致で文章にします。天性のストーリーテラーです。彼はたちまちインクワイヤラーの花形記者になっていきます。
具体的な中身を著作集総目録で見ますと、彼の名を一躍高めた「皮革製造所殺人事件」とか､「彷徨える王子殺し亡者達」とか「人間遺体の利用に関する覚書」､「古代における娼婦の世界」、「毒殺の歴史」､「屑拾い」､「詐欺」、「顔の研究」､「嘘の進歩」､「貧しい暮らしのスケッチ」など、どちらかといえば、グロテスクな世界、センセーショナルな偽悪趣味に満ち溢れていて､そういった素材を求めて町に飛び出し、読者が興味を起こしそうな事件があれば､それをいっそうグロテスクに仕立て上げていくという点では､見事な才能をもっていたようです。
先ほど申し上げた彼の代表作のひとつである「皮革製造所殺人事件」、これは1870年11月7日の紙面に発表されていますが、ここでは皮革製造所で働いているヘルマン・ジュリンという人物が、彼と関係のあった娘さんの父親や家族に殺されるという、当時としてはセンセーショナルな事件であります。しかも殺された上に焼却炉で焼き殺されてしまうという遺体の描写の毒々しさ生々しさに、読んだ読者が何人も卒倒したというエピソードが残っています。そういったものを書かせると右に出るものがいないという新聞記者だったようです。こうした暗い猟奇事件に強い関心を待っていた彼のことを考えると、幼年時代に家族の崩壊を体験し、常に精神の不安に悩まされ､（青年時代ハーンは夜中に正体不明のものが、ごろごろと大きくなって悩まされていたと言います）。社会的にも貧しく、虐げられ､阻害されていて、しかも、小さいころに失明を経験している。そんな不幸な体験が、彼に強い正義感をもたらし､不気味なぞっとするようなものに関心を持つ記者が誕生していったと考えられます。
この新聞社に入って間もなくハーンは､挿絵画家のヘンリー・ファーニーという人とイ・ジグランプス（大眼鏡の意）という新しい週刊誌を発行します。ハーンはこの当時おおきな眼鏡をかけていて､自分自身を暗示しています。片目を付きだした鷲鼻の彼の似顔絵とハーンとファーニーが並んだ絵が熊日本社の新聞博物館に展示してあります。
しかしこの週刊誌は僅か2ヶ月で潰れ､また新聞に帰っていきます。ハーンは事業家への興味があり､後にニューオリンズで料理の店を出しますが、これも失敗しますので、結構山っ気の多い一面も持っていたと思われます。
混血女性との結婚
ハーンは25歳の頃、マテイー・フォウリイという下宿の料理人で、一児のある美しい混血の女性と恋におちいり、２年の交際のあと、1875年6月に結婚します。
その時、ハーン25歳、フォウリイ20歳です。当時のシンシナティでは白人が黒人あるいは混血児と結婚する事は法律で禁止されていました。ハーンの恋は、地元の新聞社に招かれ、最も頭角をあらわす時期と重なっています。自らの記事の多くが底辺に向けられ、そういった貧しい境遇の女性に共感を持ったことが、この結婚となったのではないでしょうか。
しかし、この結婚は僅か２年後の1877年夏には破局を迎えます。真偽のほどは分かりませんが、一説には傲慢でわがままな妻との関係がこじれてしまったとも言われます。
ちなみにこの女性は1906年、ハーンのかっての妻として遺産請求の訴えを起こしますが、まもなく敗訴。理由は、当時混血との結婚が認められていなかったからです。
この後マティーは幸福な晩年を送り､14歳のときに産んだ子供がその後成功し、シンシナティで恵まれない子供の面倒や黒人を引き取って育てる慈善家になっていくそうです。
さてハーンは周りの白い目の中で､しばらく結婚生活を送りますが、当時混血女性と結婚する人は周りにも新聞社の中にもおらず､結局正社員の地位を失い、安い給料でライバル社のシンシナティ・コマーシャルに移らざるをえなくなります。
1877年10月にはシンシナティをすてて、ニューヨークに向かうことになります。ニューヨークではニューオリンズのシンシナティ・コマーシャル社からの原稿料で食べるつもりでしたが、なかなかうまく原稿を買ってくれません。このころワトキンに書いた手紙が残っています。「7ヶ月目にしてこの町ではたったの一セントも稼げない。仕事の見込みもない。書物も衣類も全部手放し､シヤッのすそがズボンの裂け目からはみだしています」と書いてます。ところがこの手紙を書き送った翌日、ニューヨーク・アイテム社から就職の話があり、最初は編集助手ということで、給料は週10ドル。シンシナティ時代は、週25ドルもらっていたから大変薄給ですが､やっと一息つくことができたわけです。
ここに移ってからのハーンは、シンシナティ時代のセンセーショナルでグロテスクな文章から少しずつ変わっていき、どちらかといえばパブリックな新聞に近いような記事やコラムを書き始めるようになり、新聞の売り上げ増に大いに貢献します。
そして年末までには、100ドルの貯金を残しています。この100ドルを元手にニューオリンズで一番安い店で、「料理は何でも一皿５セント」の広告を付けて店を開きますが、一ヶ月で相棒に売上金を持ち逃げされて潰れてしまいます。
1881年12月、ハーンはタイムズ・デモクラット社に文芸部長として迎えられ、自由なテーマで執筆活動を始めます。この頃は一日16時間原稿を書いたと言いますから、すさまじい書き手であったということがわかります。
タイムズ・デモクラットではヨーロッパの新しい文芸作品紹介や書評を書き、本も何冊も書いていますが、この期間は新聞記者としてよい仕事をしながら、なおかつ文学修行も励んだ時代でしょう。そのころ書いた物に「クレオパトラの一夜」（ゴーチェの短編集の訳書）があります。これは「古代ポンペイ」、「古代エジプト」そういった異国への旅が中心の本で、特にアジア的なものへの関心に裏付けされていますが、そのほか「中国の幽霊」なども書いています。
何度も言いますが、ハーンの関心は、変わった物、珍しい物、異国風の物、神秘的な物、アジア的な物に向いていて、これは日本に来てからも、続いていくわけです。その反面、日常的なもの、生産的な物、あるいは人々の普通の暮らしに対する関心からどんどん離れていき、その辺にジャーナリストとしての限界を見ていいのかも知れません。
しかしハーンの欧米文学の知識や翻訳といったものが、当時の知識人から受け入れられ、この新聞社の発行部数はどんどん伸びていきます。ハーンの文名は、既にニューヨークの文壇でも知られるようになり、ニューヨークのハーパー社という一流の出版社からもハーンの原稿が採用されております。
しかし、彼は1927年5月にこの居心地の良い新聞社を飛び出して、ニューヨークに向かいます。彼を「漂白の人、旅の人」と表現している評論家がいますが、異国への関心が強いあまり、一カ所に定着できず、絶えず漂白の思いを自らの人生に重ね合わせていたのではないかと思います。
このニューヨーク生活も長続きせず、間もなくハーンは西インド諸島への旅に出かけます。バラクーター号に乗って、2ヶ月の船旅。この旅で「真夏の熱帯行」と言う作品をハーパーズマガジンに発表をし、700ドルの金を得ます。西インド諸島で一番気に入ったマルティニーク島には再度訪れます。ここに1年7ヶ月住みますが、この島は、1902年のペレー山の噴火で廃墟になってしまいます。従ってハーンの取材した夏の風景や町の撮影写真は、往事を伝える貴重なモノとして今も残っています。
そして1889年5月8日に西インド諸島からニューヨークへ帰国。ここでも友達とけんか別れをしてしまいます。ハーンは友達づきあいが下手で苦手な人であったようで、しばしばけんか別れをし、友達と別れ、悪口を言ったりしていたようです。大体物書きは、自己顕示欲が強く、しかも独善的なところがあり、ハーンにもそういった性格が濃厚にあったのでしょう。遡ればそれは、幼年時代、少年時代の体験がもたらしたものといえるのではないかと思います。
日本へ
1890（明治23）年、ハーンは日本への旅に出発します。ハーバーズマンスリーという雑誌の美術主任をしていたウィリアム・パットンから勧められ、日本訪問の紀行文を書く約束で、3月8日にニューヨークを出発し、4月6日に横浜港に入港しています。挿し絵画家のウェルドンと一緒ででしたが、お互いの原稿料を見せ合ったところ、ウェルドンが自分よりかなり高かったので、自尊心を傷つけられたハーンは絶縁の手紙を雑誌社へ送り、無収入の身になります。その結果、チェンバレンらの紹介で、松江の教師になっていきます。
幕末から明治維新への日本の近代化に大きな功績を残した、お雇い外人、クラーク、ベルツ、モース、チェンバレンという人々に比べると、ハーンはかなり”遅れてきた外国人”になります。時代は明治憲法が発布され、まもなく日清戦争が始まる頃です。日本が近代化に向けてまっしぐらに走っていた時期と重なります。
横浜に着いた直後ハーンはワトキンに手紙を書いています。「私は今夢の国におります。異国の神々に囲まれ、この神秘的な民族の心のうちを理解しようと努めながら。そのためには彼らの中にとけ込み、仲間にならなければならないでしょう」。このあたりも新しい土地にたちまち夢中になっていくハーンの性格がよく出ていると思います。このワトキンへの手紙に書いたとおり、ハーンは本当に日本で後の人生を送り、日本人の女性と結婚し、帰化してしまうということになるわけです。
ところでニューヨークの雑誌社と絶縁したため、彼は大変な経済的な危機に陥ってしまいます。ハーンという人は、生きている間中、自分への社会的な評価が低いと思い、そのことに怒っていました。誇りの高さ、金銭への意外なこだわり。それが何度も繰り返えされたトラブルの一因でしょう。そういう彼に就職の世話をし、経済的ピンチを救ってくれたのが、東京帝国大学の教師であったチェンバレンとバジルホールの二人でした。1990年、彼は40歳から教師生活に入ります。松江時代の給料が100円、五高時代200円、東京帝国時代400円と破格の給料でした。後に東京帝国大学を首になり、その席を漱石に譲るのは、その当時のリストラの一環です。
やがてクロニクル新聞社（神戸）へ。この新聞社はスコットランド人のロバートヤングが社主でした。彼はもともとロンドンの新聞スタディデビューの校正係をしていて、1891（明治23）年、神戸にある英字新聞にしばらく入り、独立をして神戸クロニクルと社名を変えますが、たいへんリベラルで心の広い人でした。そして夫婦そろってハーンをサポートしてくれた。ここで彼はいろいろな分野での執筆活動を行います。
その新聞のコピーが新聞博物館の5階に展示されていますが、日清戦争時の日本と世界の関係を幅広く捉えたいい新聞です。ハーンは政治、経済、金融はもちろん文芸、世界経済、労働問題、こういった広い分野で論説を書いています。彼の著作集第5巻には、48編が収録されています。後に彼には他にも論文があることが分かり、バージニア大学のパレット文庫に41編のハーンが書いたと思われる論文が見つかり、それが翻訳されております。「神戸クロニクル論説パレット文庫版」です。そのうちのいくつかを取りあげますと、極東における三国同盟、日清戦争の論説で、彼はこういうふうに書いています。「日本と中国と朝鮮が三国同盟を結んで、ロシアや西洋諸国の侵略に対し、東洋の安全を維持すべきであると思う。日本の新聞は公然と中国の分割を主張しているが、これは短見である。中国の保全は日本の安全のために重要である。日本は大きな恩恵を受けたかの帝国、つまり中国の破滅に手を貸すのは、重大な失策である」と。これはきわめて優れた卓見であったのではないでしょうか。日清戦争当時、それ行けどんどんの日本のジャーナリズムに対する見事な警告だったと思います。
その他、1894年11月5日の「日本における低賃金」という論文も優れたものです。横山源之助の「日本の下層社会」が1899年に出ていますが、それより5年も前に日本の低賃金に注目をしています。まさにそれは女工哀史を指摘する論文ですが、彼はこう書いてます「ごくわずかの金額で生きていける農民に注目し、残酷とはいえ、ある真の意味で貧困は力なのである。日本はヨーロッパの紡績強国と競争しえるに違いない」。自分の貧しい少年時代と重ね合わせると、貧乏もまた力になれるという結論を出していて、彼は早くから下層社会の貧困とかに関心を持っていたとことが分かります。そのほか「日本の教育制度の問題」、「日本人の体格」、「地震と国民性」など、いろいろ優れた日本人論が論説集の中に含まれています。
そして文明社会と思われているヨーロッパ社会に疑いの目と、未開と思われている日本のような社会を対比させながら、そういった未開社会にも独自な文化や歴史があることを主張したりしています。この時期のハーンの日本紹介はきわめて先見性、説得力があるのではないかと思われます。他にも論説集の目次を見ていますと、男女平等の問題、仏教好機到来、アメリカにおける人種問題、人力車の問題など先見的な論説が多いのに驚かされます。
新聞記者としてのハーン
神戸クロニクル時代のハーンについて、社主のロバート・ヤングは「ハーン」という著書の中で「実にすらすらと記事を書き上げていくのには驚くばかりである。主題が決められるとすぐ自分の部屋に行く。彼のために特に高い机がおかれている。座ると原稿用紙に必ず暗い顔を近づけ、一心不乱に書く。一時間で記事は仕上がっている」と述べている。
ハーンも「今のところ万事順調です。もちろん仕事は辛いが、昔とった杵柄です。論説はすべて私が書いています。完全に任されていて何でも好きなことがかけます。」と松江時代の友人、西田千太郎氏に宛てた手紙の中で述べていますし、一方ヘンドリックスというアメリカ時代の友人に書き送った手紙の中では「私は毎日論説を一編書いて、月100円を得ています。目下為替相場が、たいへん下落していますから、500ドルにもならない。しかし私の一つしかない目は潰れかかっています」。
こうした片目の失明の恐怖が、新聞社での生活に縁を切らせて、東京帝国大学の招きに応じることになるのです。
新聞記者としてのハーンを改めて評価してみると、記者時代のハーンはいつもスケッチブックを持ち歩いていて、それに鉛筆で走り書きをしたことをもとに原稿を書いています。
彼が東京帝国大学時代の教え子達に対して文章論の話をしています。その中で「文章はノートをもとに書き上げなさい。そして新聞や雑誌で活字となった物でもそれをそのまま作品集に収めたらいけない。何度も書き改めなければならない」。そういう風に生徒達に繰り返し説いています。まさに文章を書くときの基本的な心構えです。また「引き出しが９つもあるタンスを備えて、まず第一の引き出しに入れ、２週間ほどしたら、それを取り出し、書き直して次の引き出しに入れ、それから何ヶ月か経って、最初の印象が薄れかかった頃もう一回とりだしてしないと、良い文章が書けない」と。見事な推敲のすすめです。普通新聞記者は、締め切り時間があって、なかなかそこまで推敲できませんが、ハーンはそこまで徹底した推敲で文章を書いていたのです。
それは彼の文学作品すべてについてもいえることです。
評価が変わるハーン
改めてクロニクル時代のハーンはをみると、国際問題から市井の細かい問題まで活き活きと表現する天性のジャーナリスト、社会評論家であったといえますが、当時の日本における評価は必ずしも高くない。例えば新渡戸稲造は“盲目的愛国者”という表現をしています。国際協調を唱った自由主義者の新渡戸さんにとって、ハーンは個人主義というか固執主義者、どちらかといえば人種主義者という厳しい評価が生まれたのでしょうか。
しかし昭和になると朝日新聞学生版「小泉八雲全集」の広告文が「今や西欧の物質文明が黄昏を示さんとしているとき、東洋の精神文明はまさに暁を告げんとしている。麗しき東方文明の予言者の声を聞かねばならない。」と書いてるようにハーンの評価作業が始まります。
大正から昭和の初めの、関東大震災で古き日本、古き江戸の姿がほとんど消えてしまい、しかも物質文明的近代化が進み、その反動として、ハーンが見直されたのでしょう。さらに戦時中は”神国日本”の裏付けとして利用されます。例えば、松江中学時代、学生達が、天皇陛下のために死ぬことは誇りなのだと言うことに対し、これは日本人の基礎にあるようなもので、日本人の遺伝として伝わったことが大変すばらしいこととハーンは書いています。そして戦後は、その反動として一転ハーンのことは忘れられていきます。ハーンの評価はこのように歴史の大きな波の中で揺れ動いてきたと言えるでしょう。
ハーンの研究が改めて盛んになるのは1990年代、日本のバブル経済とその崩壊の時代のことです。経済的繁栄で失ったもの、一日本人の心を求めての再評価作業の一つでしょう。このようにハーンの評価は時代とともに変わってきました。しかし、日本の古い心を世界に紹介し、日本と西洋を結ぶ窓口ともなったハーンの生き方、仕事は尊敬に値します。今後もハーンの再評価が繰り返されることでしょう。
（参考文献）
▽西崎一郎「新聞記者としての小泉八雲」（現代のエスプリ91号）▽西野影四郎「新聞記者・文明批評家としてのヘルン」（研究誌へるん31号）▽小平直行「女王の都市の新聞記者」（ラフカディオ・ハーン再考）▽西川盛雄「ハーンの神戸・東京時代」（恒文社）▽大田雄三「ラフカディオ・ハーン」（岩波新書）▽工藤美代子「ラフカディオ・ハーン」(NHKライブラリー)▽E・スティヴンスン「評伝ラフカディオ・ハーン」（恒文社）▽ジョセフ・ド・スメ「ラフカディオ・ハーン」（同）▽ハーン「神戸クロニクル論説集・パレット文庫版」（同）など。
（これは1999年6月19日、市民講座での講演テープを松村が起こし、講演者が校正したものです）
皆さん、今日はようこそお出でいただきました。１時間前からお出での熱心な方もおられますことに敬意を表します。
私はハーンの研究者ではなく、ハーンのことも時には大好きになり、時には大嫌いになると言うハーンへの好き嫌いの激しい方です。私はハーンのことを語るに当たり、手元にある何冊かの資料を参考にしました。ハーンがニューオリンーズ時代「よその新聞記事を紙とハサミと糊で繋ぎ合わせて報道した」と話しています。今日の私の話も、たぶん紙と糊とハサミの世界になると思います。
参考文献を最後に記しますが、その殆どが1990年代に出ています。ということは、高度成長からバブル崩壊時代にハーンが見直され、再評価されたと言うことかも知れません。
新聞記者としてのハーン
ハーンが新聞記者として暮らしたのは、通算して二十数年になります。8年がシンシナティー、10年がニューオリーンズ、その後一時期カリブ海のフランス領マルティニーク島におり、それからニューヨークから日本に来ます。日本では教師生活の方が長く、神戸クロニクルの記者2年を加えますと通算二十数年がジャーナリスト生活と言うことになります。その間、勿論文学者としての仕事も平行して行っています。彼の資質、文学の背景にはジャーナリズム的発想、ジャーナリスト的ものの見方があると思います。
ハーンがヨーロッパからロンドンに行って、アメリカ・ニューヨークへ上陸するのが19歳の頃です。もともと父親に捨てられ極貧の生活をしていたハーンは、アメリカでも非常に貧しい生活をします。何故シンシナティーを選んだかと言うと、熊大の西川先生の考証にあるように、シンシナティーは1783年のパリ条約で独立、この一帯の行政の中心地として発展します。やがて水路の発達で商工業都市として栄えますが、ハーンが来た頃は既に衰退の道を辿っており、穀物取引の中心はシカゴに移りましたが、町には沢山の移民や混血児が住み、乱雑だが活気のある町でした。
この町に現れたハーンは大変貧乏ですからお金は殆どありません。電報配達のボーイとか下宿屋の下男などをして極貧の生活を送ります。そういう生活の中で、公立図書館に通ったり、本を読んだり物語を書いてみたりしていました。この頃がある意味では、最も苦しいけど充実した勉強の時代だったかも知れません。
やがてハーンはアトキンという老齢のイギリス人系の老印刷屋と仲良しになります。この人は後でハーンの父親代わりになる人ですが、下宿の馬小屋の中で寝ていたハーンに「家がなければ自分の店に遊びに来なさい。給料は出せないが、ねぐらだけは提供しましよう」と優しい声を掛けてくれます。早速ハーンが遊びに行くと、印刷の残りくずの紙で作ったベッドを用意して寝泊まりをさせてくれます。ハーンは後ほど妹に充てた手紙で「気持ちのいいベッドであった」と書いています。アトキンの庇護を受けながら、ハーンは終生の仕事としてジャーナリストを目指すわけです。それはちょうど22歳の頃でした。
シンシナティー・インクワイヤラー時代
彼はやがて地元の新聞社を訪ねます。シンシナティー・インクワイヤラーという小さなイエローペーパーで、主に市井の噂話とかゴシップとかを取り上げている新聞です。当時の主筆はジョン.Ｅ・コッカレルという人で、後にハーンが訪ねてきた頃のことを回想し、こう書いています。「ある日一人の風変わりな色の黒い小男が編集室を訪ねてきた。妙におどおどしていて、恐ろしく度の強そうな眼鏡を掛け、福の神に見放されたとしか思えない格好をしていた。男は蚊の鳴くような声で自分の原稿を買ってくれないかと言うのであった。私は書いたものを見た上で考えようと答えた。すると彼はコートの下から原稿を取り出して、震えるように私の机に置くと、まるでゆがんだ茶色の妖精のように逃げ去って行った。とても言い表わせないような不思議な印象であった」。コッカレルはその日遅く原稿に目を通します。「私はびっくりした、魅力的な文章の中にキラリと光る力強い思想が溢れていたのである」。
こうしてハーンの最初の文章は、まもなく新聞に掲載されます。以来ハーンはこの新聞社にたびたび書評とか美術評とか原稿を持ち込み載せて貰う訳です。それから２年ほどした1874年の初めの24歳の頃、週２５＄でこの新聞社の記者に採用されます。
インクワイヤラーはそれほど品位の高い新聞ではありませんでしたが、編集者のコッカレルという人は凄い編集者でした。ハーンが日本に来てチェンバレンに宛てた手紙の中で、その頃を回想した文章が残っています。「このコッカレルと言う人はやり手の厳しい上司で、天性のジャーナリストだった。彼に好意を抱くものは一人も居なかったが、彼の経営の才にはみんな一目置いていた。彼は私達を怒鳴りつけては、半殺しになるまで働かせた。自分自身に対しても容赦しなかった。すさまじい毒舌家で私達は皆震え上がっていた。わずか2,3年で発行部数をぐんぐん伸ばして1いった」。
コッカレルは後にニューヨークに移り、ザ・ニューヨーク・ワールドの主筆となり、たくさんの優れたジャーナリストを育てます。アメリカの新聞業界ではいまでも名編集長と語り草になっているほどの人です。新聞記者になったばかりのハーンが、名編集者のコッカレルと出会ったという偶然が、シンシナティで起こり、後のジャーナリスト・ハーンを育てていったと思います。
ハーンの記事
ハーンは独学で大勉強しながら色々な知識を身につけていった人でありますが、古典から現代まで幅広く欧米の作家の作品を読んでいた上、文学の素養もあったと思います。その頃シンシナティの記者の中ではそういった才能を持った人はほとんどいなかったので、重宝がられ大事にされていきます。
20台の若いハーンですから正義感が強く、しかもこの若い記者の興味を捉えるのは町の底辺の貧しい人や黒人の世界であり、善人より悪人、金持ちより貧乏人、といったものに関心を抱いていきます。そして非ヨーロッパ的な異文化というか、珍しいもの変わったものに関心を強く示していきます。ジャーナリズムの世界では、「よいニュースとは悪いニュースである」という諺があります。また犬が人をかめばニュースにならないが、人が犬をかめばニュースになるという古典的なニュースの定義があります。ハーンは文字通りそれを実践していったという意味では天性的なジャーナリストでした。こういった発想を持っているハーンは、当時アメリカで大変流行したオカルトの交信術師であるとか、黒人問題だとかヌードスタジオとか殺人事件などに強い関心を示し、それを大変活き活きとした筆致で文章にします。天性のストーリーテラーです。彼はたちまちインクワイヤラーの花形記者になっていきます。
具体的な中身を著作集総目録で見ますと、彼の名を一躍高めた「皮革製造所殺人事件」とか､「彷徨える王子殺し亡者達」とか「人間遺体の利用に関する覚書」､「古代における娼婦の世界」、「毒殺の歴史」､「屑拾い」､「詐欺」、「顔の研究」､「嘘の進歩」､「貧しい暮らしのスケッチ」など、どちらかといえば、グロテスクな世界、センセーショナルな偽悪趣味に満ち溢れていて､そういった素材を求めて町に飛び出し、読者が興味を起こしそうな事件があれば､それをいっそうグロテスクに仕立て上げていくという点では､見事な才能をもっていたようです。
先ほど申し上げた彼の代表作のひとつである「皮革製造所殺人事件」、これは1870年11月7日の紙面に発表されていますが、ここでは皮革製造所で働いているヘルマン・ジュリンという人物が、彼と関係のあった娘さんの父親や家族に殺されるという、当時としてはセンセーショナルな事件であります。しかも殺された上に焼却炉で焼き殺されてしまうという遺体の描写の毒々しさ生々しさに、読んだ読者が何人も卒倒したというエピソードが残っています。そういったものを書かせると右に出るものがいないという新聞記者だったようです。こうした暗い猟奇事件に強い関心を待っていた彼のことを考えると、幼年時代に家族の崩壊を体験し、常に精神の不安に悩まされ､（青年時代ハーンは夜中に正体不明のものが、ごろごろと大きくなって悩まされていたと言います）。社会的にも貧しく、虐げられ､阻害されていて、しかも、小さいころに失明を経験している。そんな不幸な体験が、彼に強い正義感をもたらし､不気味なぞっとするようなものに関心を持つ記者が誕生していったと考えられます。
この新聞社に入って間もなくハーンは､挿絵画家のヘンリー・ファーニーという人とイ・ジグランプス（大眼鏡の意）という新しい週刊誌を発行します。ハーンはこの当時おおきな眼鏡をかけていて､自分自身を暗示しています。片目を付きだした鷲鼻の彼の似顔絵とハーンとファーニーが並んだ絵が熊日本社の新聞博物館に展示してあります。
しかしこの週刊誌は僅か2ヶ月で潰れ､また新聞に帰っていきます。ハーンは事業家への興味があり､後にニューオリンズで料理の店を出しますが、これも失敗しますので、結構山っ気の多い一面も持っていたと思われます。
混血女性との結婚
ハーンは25歳の頃、マテイー・フォウリイという下宿の料理人で、一児のある美しい混血の女性と恋におちいり、２年の交際のあと、1875年6月に結婚します。
その時、ハーン25歳、フォウリイ20歳です。当時のシンシナティでは白人が黒人あるいは混血児と結婚する事は法律で禁止されていました。ハーンの恋は、地元の新聞社に招かれ、最も頭角をあらわす時期と重なっています。自らの記事の多くが底辺に向けられ、そういった貧しい境遇の女性に共感を持ったことが、この結婚となったのではないでしょうか。
しかし、この結婚は僅か２年後の1877年夏には破局を迎えます。真偽のほどは分かりませんが、一説には傲慢でわがままな妻との関係がこじれてしまったとも言われます。
ちなみにこの女性は1906年、ハーンのかっての妻として遺産請求の訴えを起こしますが、まもなく敗訴。理由は、当時混血との結婚が認められていなかったからです。
この後マティーは幸福な晩年を送り､14歳のときに産んだ子供がその後成功し、シンシナティで恵まれない子供の面倒や黒人を引き取って育てる慈善家になっていくそうです。
さてハーンは周りの白い目の中で､しばらく結婚生活を送りますが、当時混血女性と結婚する人は周りにも新聞社の中にもおらず､結局正社員の地位を失い、安い給料でライバル社のシンシナティ・コマーシャルに移らざるをえなくなります。
1877年10月にはシンシナティをすてて、ニューヨークに向かうことになります。ニューヨークではニューオリンズのシンシナティ・コマーシャル社からの原稿料で食べるつもりでしたが、なかなかうまく原稿を買ってくれません。このころワトキンに書いた手紙が残っています。「7ヶ月目にしてこの町ではたったの一セントも稼げない。仕事の見込みもない。書物も衣類も全部手放し､シヤッのすそがズボンの裂け目からはみだしています」と書いてます。ところがこの手紙を書き送った翌日、ニューヨーク・アイテム社から就職の話があり、最初は編集助手ということで、給料は週10ドル。シンシナティ時代は、週25ドルもらっていたから大変薄給ですが､やっと一息つくことができたわけです。
ここに移ってからのハーンは、シンシナティ時代のセンセーショナルでグロテスクな文章から少しずつ変わっていき、どちらかといえばパブリックな新聞に近いような記事やコラムを書き始めるようになり、新聞の売り上げ増に大いに貢献します。
そして年末までには、100ドルの貯金を残しています。この100ドルを元手にニューオリンズで一番安い店で、「料理は何でも一皿５セント」の広告を付けて店を開きますが、一ヶ月で相棒に売上金を持ち逃げされて潰れてしまいます。
1881年12月、ハーンはタイムズ・デモクラット社に文芸部長として迎えられ、自由なテーマで執筆活動を始めます。この頃は一日16時間原稿を書いたと言いますから、すさまじい書き手であったということがわかります。
タイムズ・デモクラットではヨーロッパの新しい文芸作品紹介や書評を書き、本も何冊も書いていますが、この期間は新聞記者としてよい仕事をしながら、なおかつ文学修行も励んだ時代でしょう。そのころ書いた物に「クレオパトラの一夜」（ゴーチェの短編集の訳書）があります。これは「古代ポンペイ」、「古代エジプト」そういった異国への旅が中心の本で、特にアジア的なものへの関心に裏付けされていますが、そのほか「中国の幽霊」なども書いています。
何度も言いますが、ハーンの関心は、変わった物、珍しい物、異国風の物、神秘的な物、アジア的な物に向いていて、これは日本に来てからも、続いていくわけです。その反面、日常的なもの、生産的な物、あるいは人々の普通の暮らしに対する関心からどんどん離れていき、その辺にジャーナリストとしての限界を見ていいのかも知れません。
しかしハーンの欧米文学の知識や翻訳といったものが、当時の知識人から受け入れられ、この新聞社の発行部数はどんどん伸びていきます。ハーンの文名は、既にニューヨークの文壇でも知られるようになり、ニューヨークのハーパー社という一流の出版社からもハーンの原稿が採用されております。
しかし、彼は1927年5月にこの居心地の良い新聞社を飛び出して、ニューヨークに向かいます。彼を「漂白の人、旅の人」と表現している評論家がいますが、異国への関心が強いあまり、一カ所に定着できず、絶えず漂白の思いを自らの人生に重ね合わせていたのではないかと思います。
このニューヨーク生活も長続きせず、間もなくハーンは西インド諸島への旅に出かけます。バラクーター号に乗って、2ヶ月の船旅。この旅で「真夏の熱帯行」と言う作品をハーパーズマガジンに発表をし、700ドルの金を得ます。西インド諸島で一番気に入ったマルティニーク島には再度訪れます。ここに1年7ヶ月住みますが、この島は、1902年のペレー山の噴火で廃墟になってしまいます。従ってハーンの取材した夏の風景や町の撮影写真は、往事を伝える貴重なモノとして今も残っています。
そして1889年5月8日に西インド諸島からニューヨークへ帰国。ここでも友達とけんか別れをしてしまいます。ハーンは友達づきあいが下手で苦手な人であったようで、しばしばけんか別れをし、友達と別れ、悪口を言ったりしていたようです。大体物書きは、自己顕示欲が強く、しかも独善的なところがあり、ハーンにもそういった性格が濃厚にあったのでしょう。遡ればそれは、幼年時代、少年時代の体験がもたらしたものといえるのではないかと思います。
日本へ
1890（明治23）年、ハーンは日本への旅に出発します。ハーバーズマンスリーという雑誌の美術主任をしていたウィリアム・パットンから勧められ、日本訪問の紀行文を書く約束で、3月8日にニューヨークを出発し、4月6日に横浜港に入港しています。挿し絵画家のウェルドンと一緒ででしたが、お互いの原稿料を見せ合ったところ、ウェルドンが自分よりかなり高かったので、自尊心を傷つけられたハーンは絶縁の手紙を雑誌社へ送り、無収入の身になります。その結果、チェンバレンらの紹介で、松江の教師になっていきます。
幕末から明治維新への日本の近代化に大きな功績を残した、お雇い外人、クラーク、ベルツ、モース、チェンバレンという人々に比べると、ハーンはかなり”遅れてきた外国人”になります。時代は明治憲法が発布され、まもなく日清戦争が始まる頃です。日本が近代化に向けてまっしぐらに走っていた時期と重なります。
横浜に着いた直後ハーンはワトキンに手紙を書いています。「私は今夢の国におります。異国の神々に囲まれ、この神秘的な民族の心のうちを理解しようと努めながら。そのためには彼らの中にとけ込み、仲間にならなければならないでしょう」。このあたりも新しい土地にたちまち夢中になっていくハーンの性格がよく出ていると思います。このワトキンへの手紙に書いたとおり、ハーンは本当に日本で後の人生を送り、日本人の女性と結婚し、帰化してしまうということになるわけです。
ところでニューヨークの雑誌社と絶縁したため、彼は大変な経済的な危機に陥ってしまいます。ハーンという人は、生きている間中、自分への社会的な評価が低いと思い、そのことに怒っていました。誇りの高さ、金銭への意外なこだわり。それが何度も繰り返えされたトラブルの一因でしょう。そういう彼に就職の世話をし、経済的ピンチを救ってくれたのが、東京帝国大学の教師であったチェンバレンとバジルホールの二人でした。1990年、彼は40歳から教師生活に入ります。松江時代の給料が100円、五高時代200円、東京帝国時代400円と破格の給料でした。後に東京帝国大学を首になり、その席を漱石に譲るのは、その当時のリストラの一環です。
やがてクロニクル新聞社（神戸）へ。この新聞社はスコットランド人のロバートヤングが社主でした。彼はもともとロンドンの新聞スタディデビューの校正係をしていて、1891（明治23）年、神戸にある英字新聞にしばらく入り、独立をして神戸クロニクルと社名を変えますが、たいへんリベラルで心の広い人でした。そして夫婦そろってハーンをサポートしてくれた。ここで彼はいろいろな分野での執筆活動を行います。
その新聞のコピーが新聞博物館の5階に展示されていますが、日清戦争時の日本と世界の関係を幅広く捉えたいい新聞です。ハーンは政治、経済、金融はもちろん文芸、世界経済、労働問題、こういった広い分野で論説を書いています。彼の著作集第5巻には、48編が収録されています。後に彼には他にも論文があることが分かり、バージニア大学のパレット文庫に41編のハーンが書いたと思われる論文が見つかり、それが翻訳されております。「神戸クロニクル論説パレット文庫版」です。そのうちのいくつかを取りあげますと、極東における三国同盟、日清戦争の論説で、彼はこういうふうに書いています。「日本と中国と朝鮮が三国同盟を結んで、ロシアや西洋諸国の侵略に対し、東洋の安全を維持すべきであると思う。日本の新聞は公然と中国の分割を主張しているが、これは短見である。中国の保全は日本の安全のために重要である。日本は大きな恩恵を受けたかの帝国、つまり中国の破滅に手を貸すのは、重大な失策である」と。これはきわめて優れた卓見であったのではないでしょうか。日清戦争当時、それ行けどんどんの日本のジャーナリズムに対する見事な警告だったと思います。
その他、1894年11月5日の「日本における低賃金」という論文も優れたものです。横山源之助の「日本の下層社会」が1899年に出ていますが、それより5年も前に日本の低賃金に注目をしています。まさにそれは女工哀史を指摘する論文ですが、彼はこう書いてます「ごくわずかの金額で生きていける農民に注目し、残酷とはいえ、ある真の意味で貧困は力なのである。日本はヨーロッパの紡績強国と競争しえるに違いない」。自分の貧しい少年時代と重ね合わせると、貧乏もまた力になれるという結論を出していて、彼は早くから下層社会の貧困とかに関心を持っていたとことが分かります。そのほか「日本の教育制度の問題」、「日本人の体格」、「地震と国民性」など、いろいろ優れた日本人論が論説集の中に含まれています。
そして文明社会と思われているヨーロッパ社会に疑いの目と、未開と思われている日本のような社会を対比させながら、そういった未開社会にも独自な文化や歴史があることを主張したりしています。この時期のハーンの日本紹介はきわめて先見性、説得力があるのではないかと思われます。他にも論説集の目次を見ていますと、男女平等の問題、仏教好機到来、アメリカにおける人種問題、人力車の問題など先見的な論説が多いのに驚かされます。
新聞記者としてのハーン
神戸クロニクル時代のハーンについて、社主のロバート・ヤングは「ハーン」という著書の中で「実にすらすらと記事を書き上げていくのには驚くばかりである。主題が決められるとすぐ自分の部屋に行く。彼のために特に高い机がおかれている。座ると原稿用紙に必ず暗い顔を近づけ、一心不乱に書く。一時間で記事は仕上がっている」と述べている。
ハーンも「今のところ万事順調です。もちろん仕事は辛いが、昔とった杵柄です。論説はすべて私が書いています。完全に任されていて何でも好きなことがかけます。」と松江時代の友人、西田千太郎氏に宛てた手紙の中で述べていますし、一方ヘンドリックスというアメリカ時代の友人に書き送った手紙の中では「私は毎日論説を一編書いて、月100円を得ています。目下為替相場が、たいへん下落していますから、500ドルにもならない。しかし私の一つしかない目は潰れかかっています」。
こうした片目の失明の恐怖が、新聞社での生活に縁を切らせて、東京帝国大学の招きに応じることになるのです。
新聞記者としてのハーンを改めて評価してみると、記者時代のハーンはいつもスケッチブックを持ち歩いていて、それに鉛筆で走り書きをしたことをもとに原稿を書いています。
彼が東京帝国大学時代の教え子達に対して文章論の話をしています。その中で「文章はノートをもとに書き上げなさい。そして新聞や雑誌で活字となった物でもそれをそのまま作品集に収めたらいけない。何度も書き改めなければならない」。そういう風に生徒達に繰り返し説いています。まさに文章を書くときの基本的な心構えです。また「引き出しが９つもあるタンスを備えて、まず第一の引き出しに入れ、２週間ほどしたら、それを取り出し、書き直して次の引き出しに入れ、それから何ヶ月か経って、最初の印象が薄れかかった頃もう一回とりだしてしないと、良い文章が書けない」と。見事な推敲のすすめです。普通新聞記者は、締め切り時間があって、なかなかそこまで推敲できませんが、ハーンはそこまで徹底した推敲で文章を書いていたのです。
それは彼の文学作品すべてについてもいえることです。
評価が変わるハーン
改めてクロニクル時代のハーンはをみると、国際問題から市井の細かい問題まで活き活きと表現する天性のジャーナリスト、社会評論家であったといえますが、当時の日本における評価は必ずしも高くない。例えば新渡戸稲造は“盲目的愛国者”という表現をしています。国際協調を唱った自由主義者の新渡戸さんにとって、ハーンは個人主義というか固執主義者、どちらかといえば人種主義者という厳しい評価が生まれたのでしょうか。
しかし昭和になると朝日新聞学生版「小泉八雲全集」の広告文が「今や西欧の物質文明が黄昏を示さんとしているとき、東洋の精神文明はまさに暁を告げんとしている。麗しき東方文明の予言者の声を聞かねばならない。」と書いてるようにハーンの評価作業が始まります。
大正から昭和の初めの、関東大震災で古き日本、古き江戸の姿がほとんど消えてしまい、しかも物質文明的近代化が進み、その反動として、ハーンが見直されたのでしょう。さらに戦時中は”神国日本”の裏付けとして利用されます。例えば、松江中学時代、学生達が、天皇陛下のために死ぬことは誇りなのだと言うことに対し、これは日本人の基礎にあるようなもので、日本人の遺伝として伝わったことが大変すばらしいこととハーンは書いています。そして戦後は、その反動として一転ハーンのことは忘れられていきます。ハーンの評価はこのように歴史の大きな波の中で揺れ動いてきたと言えるでしょう。
ハーンの研究が改めて盛んになるのは1990年代、日本のバブル経済とその崩壊の時代のことです。経済的繁栄で失ったもの、一日本人の心を求めての再評価作業の一つでしょう。このようにハーンの評価は時代とともに変わってきました。しかし、日本の古い心を世界に紹介し、日本と西洋を結ぶ窓口ともなったハーンの生き方、仕事は尊敬に値します。今後もハーンの再評価が繰り返されることでしょう。
（参考文献）
▽西崎一郎「新聞記者としての小泉八雲」（現代のエスプリ91号）▽西野影四郎「新聞記者・文明批評家としてのヘルン」（研究誌へるん31号）▽小平直行「女王の都市の新聞記者」（ラフカディオ・ハーン再考）▽西川盛雄「ハーンの神戸・東京時代」（恒文社）▽大田雄三「ラフカディオ・ハーン」（岩波新書）▽工藤美代子「ラフカディオ・ハーン」(NHKライブラリー)▽E・スティヴンスン「評伝ラフカディオ・ハーン」（恒文社）▽ジョセフ・ド・スメ「ラフカディオ・ハーン」（同）▽ハーン「神戸クロニクル論説集・パレット文庫版」（同）など。
（これは1999年6月19日、市民講座での講演テープを松村が起こし、講演者が校正したものです）
06年度市民講座「ハーンを育んだアイルランドの風土と文化」案内
期 間： ５月〜１１月
主 催： 熊本八雲会、熊本大学小泉八雲研究会、熊本県近代文学館友の会、
小泉八雲熊本旧居保存会、熊本アイルランド協会
時 間： 午後２時から９０分の予定。
入場料： 無料（但し、小泉八雲熊本旧居は入館料が必要）
1. 5月13日（土） 講師：宮崎啓子氏 （小泉八雲熊本旧居館長）
「ハーン雑感」
会場：小泉八雲熊本旧居
2. 6月10日（土） 講師：小島一浩氏（前・熊本アイルランド協会副会長）
「アイルランド紀行ーあれこれー」
会場：産業文化会館 ６F
3. 7月22日（土） 講師：久野啓介氏 （熊本県近代文学館館長）
「熊本とアイルランド」
会場：産業文化会館 ６F
4. 8月12日（土） 講師：中島最吉氏 （祟城大学副学長）
「ユリシーズについて」
会場：県立図書館
5. 9月16日（土） 講師：アラン・ローゼン氏 （熊本大学助教授）
「ラフカディオ・ハーンとバレット文庫」
会場：熊本大学旧五高校舎
6. 10月14日（土） 講師：北園雄一氏（熊本武道館役員）
「ハーンが愛した日本武道」
会場：小泉八雲熊本旧居
7. 11月18日（土） 講師：西 忠温氏（前・祟城大学教授）
「ノーベル賞作家とアイルランド」
会場：県立図書館大研修室
主 催： 熊本八雲会、熊本大学小泉八雲研究会、熊本県近代文学館友の会、
小泉八雲熊本旧居保存会、熊本アイルランド協会
時 間： 午後２時から９０分の予定。
入場料： 無料（但し、小泉八雲熊本旧居は入館料が必要）
1. 5月13日（土） 講師：宮崎啓子氏 （小泉八雲熊本旧居館長）
「ハーン雑感」
会場：小泉八雲熊本旧居
2. 6月10日（土） 講師：小島一浩氏（前・熊本アイルランド協会副会長）
「アイルランド紀行ーあれこれー」
会場：産業文化会館 ６F
3. 7月22日（土） 講師：久野啓介氏 （熊本県近代文学館館長）
「熊本とアイルランド」
会場：産業文化会館 ６F
4. 8月12日（土） 講師：中島最吉氏 （祟城大学副学長）
「ユリシーズについて」
会場：県立図書館
5. 9月16日（土） 講師：アラン・ローゼン氏 （熊本大学助教授）
「ラフカディオ・ハーンとバレット文庫」
会場：熊本大学旧五高校舎
6. 10月14日（土） 講師：北園雄一氏（熊本武道館役員）
「ハーンが愛した日本武道」
会場：小泉八雲熊本旧居
7. 11月18日（土） 講師：西 忠温氏（前・祟城大学教授）
「ノーベル賞作家とアイルランド」
会場：県立図書館大研修室
