チョコ助が全国の街を訪れて、将門伝説やパワースポットを巡ったり、グルメやスイーツをご紹介するという拙ブログ恒例企画!
先日、京都へ帰省してきました。
今回は、京都市の将門伝説やパワースポットをご紹介しております🎵
(*ゝω・)ノ
題して
《チョコ助と行く⛩️秋のKYOTO🍁スピリチュアルぶらり旅》
その⑤。
今回の京都編もいよいよ終盤戦です!
最後に、地下鉄烏丸線「四条駅」から徒歩5分の場所にある「膏薬辻子 (こうやくのずし)」に立ち寄ってみました🎵
(* ̄▽ ̄)ノ~~ ♪
平良将の息子、将門は都の貴族に仕えていたが、父の死後、その領地がおじたちのものになっていることを知り、故郷に戻って戦いを挑みました。
一族間の激しい対立を制しながら、急速に勢力を拡大していき、当時の朝廷や国司の圧政に不満を持った人々が将門の元に続々と集まってきました。
自ら〝新皇〟を名乗った将門は、坂東地方の独立を宣言。
これに危機感を抱いた朝廷は、各国の武士達に助けを求め、将門討伐の軍を編成します。
天慶三年(940)二月十四日。
故郷である下総国猿島において、藤原秀郷・平貞盛らによって討ち取られた将門。
将門の首級は、戦勝の証として京へと運ばれ、洛中において晒されました。
日本における晒し首とされた武将の第一号が平将門なのです。
その平将門公の首が晒されたと伝えられている場所が、京都市下京区新座釜町にある「膏薬辻子 (こうやくのずし)」と呼ばれる路地の一角にあります。
もともとこの地には、平将門公を祀る小祠があったそうです。
それは「念仏踊」の祖とも言われる空也(くうや)上人が、将門を供養するために築いた堂宇が起源であると伝えられ、「膏薬」という地名も「空也供養」が訛ったものだと言われております。
( ̄ー ̄)b

『膏薬辻子 (こうやくのずし)』
◇所在地 京都府京都市下京区綾小路通西洞院東入新釜座町
◇アクセス 地下鉄烏丸線「四条駅」より徒歩10分
【将門首塚 (京都市下京区新釜座)】
藤原秀郷がこの地に平将門の首を晒した。
後に、空也上人が将門の霊を供養し、石を建てて印とし、寺を開いて空也供養の道場と呼んだという。
※「平治物語」には、「将門の頚が獄門にかけられたのを、藤六という歌詠みが将門は米かみよりぞきられける俵藤太がはかりことにてと詠むとその頚はしいと笑った。」という内容の記述がある。
この首の話は、各地の首伝説に、さまざまな影響を与えている。
(「拾遺都名所図会」天明五年 竹原信繁)
◇参考文献
村上春樹 著「平将門伝説ハンドブック」(公孫樹舎)
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