9月9日、〝虎ハンター〟小林邦昭さんがお亡くなりになりました。
享年68歳。
1956年1月11日、長野県小諸市出身。
1972年に16歳で新日本プロレスに入門、藤原喜明より一週間先輩にあたります。
翌年2月にデビュー。
小林邦昭と言えば〝大食い伝説〟が有名です。
東京から博多まで新幹線で移動中、食堂車の全メニューを平らげたというエピソードが知られています。
1980年からメキシコへ武者修行に出発。
1982年にはアメリカ・ロサンゼルス地区に移り、キッド・コビーのリングネームで活躍。
7月18日、ティモシー・フラワーズを破ってNWAアメリカス・ヘビー級王座を獲得しています。
1982年10月、長州力と帰国。
長州が藤波に牙を剥くと、これに触発された小林は初代タイガーマスクに照準を向けて抗争が勃発。
執拗にマスクを剥ぎ取る姿から〝虎ハンター〟の異名で一躍ブレークを果たしました。
ニューヨークのWWFに遠征後、長州らと革命軍を結成。
その後は維新軍の一員として、長州力と長く行動を共にする運命となります。
1984年9月、維新軍のメンバーと共に新日本プロレスを離脱してジャパンプロレスに参加。
2代目タイガーマスク(三沢光晴)との対戦では、再び〝虎ハンター〟として活躍。
1985年6月13日にダイナマイト・キッドを破ってNWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座を、1986年11月23日にはヒロ斎藤を破って世界ジュニアヘビー級王座を獲得しています。
1987年4月、長州らと共に新日本プロレスに戻り、8月にIWGPジュニアヘビー級王座を獲得。
1989年4月24日、東京ドームでは獣神ライガーのデビュー戦の相手を務めました。
長州の現場監督時代、誠心会館との抗争がスタート。
1992年1月30日、全試合終了後に小林と斎藤彰俊との異種格闘技戦が行われ、斎藤がTKOで勝利し、ファンに衝撃を与えました。
一連の抗争の後、「反選手会同盟」、後の「平成維新軍」が結成されます。
度重なるガン闘病の末、2000年4月21日、獣神サンダー・ライガー戦にて引退。
引退後は新日本プロレス道場の管理人として後進の育成に尽力されていました。
関係者からは「サンペイちゃん」のニックネームで親しまれた小林さん。
得意技はフィッシャーマンズ・スープレックス・ホールド。
入場テーマ曲は「THE ROOM (BRAINWASH) PART ONE」。
(邦題は「洗脳された部屋・パート1」)
イングランド出身のミュージシャン、リック・ウェイクマンのアルバム「1984」に収録されています。
(* ̄▽ ̄)ノ~~ ♪
続きを読む