ちょっとこわいソ連の話

前回、息子の公立小学校の入学手続きについて書きましたけれども、書いていて私が大学に入るときのことを思い出しました。公立小学校とは違って、ロシアの大学には、決まった記入用紙がしっかりありました。そして、実は、私には、その用紙にまつわる、一生忘れられない体験があります。今日はその話をしたいと思います。

ソ連の大学入学願書の前半は日本の履歴書とそう変わらない内容でした。しかし、後半になると、入学希望者の家族に関する下記のような質問が並んでいました。

1)あなたの家族・親戚で「富農」(クラーク)として流刑になった人がいますか?

2)あなたの家族・親戚で「人民の敵」として逮捕された人がいますか?

3)あなたの家族・親戚でドイツ軍が占領した地域に残っていた人がいますか?

 ソ連の歴史を日本語で説明するのは難しいので、ごく簡単にまとめます。1918年ぐらいに、共産党は土地も家畜もすべて共同にし、農業を集団で行う「コルホーズ」という組織を作り始めました。豊かな農家ほどこの集団農業に反対したので、政府はこうした「富農」たちの土地を没収し、彼らを住み慣れた地域から追い出し、シベリアなどに送りました。何も持たずに家を追い出されたその人たちの多くは飢餓などで命を落としました。

「人民の敵」とは共産党の発想に反対している人です。ソ連では公に共産党を批判することはずっと許されなかったのですが、「人民の敵」の逮捕が一番多かったのは1937年前後でした。何の罪もない人がほとんどだったということは後になってわかりました。

そして、ドイツ軍の話は第二次世界大戦のことです。当初、ソ連の方が負けていたので、ドイツ軍がどんどんソ連の領土に入ってきました。一般市民の多くはこうした地域から避難しましたが、何らかの事情でその土地にとどまってしまった人もいました。

 さて、どうして大学は入学希望者たちの家族のことまで知りたがっているのでしょうか?すでにおわかりでしょうけれども、「人民の敵」の子孫も反ソの考えを持っている可能性があるから、そういう「危ない」人を大学に入れるわけにはいかない。ドイツ軍が来るというのに逃げなかった人は、もともとドイツの味方だった可能性がある。そういう人の子孫もドイツのスパイをしているかもしれないから、ソ連の大学に入学を許されるはずがない、そういう発想でした。

 私が覚えている質問はごく一部なのですが、こうして国は人をふるいにかけていたわけです。しかし、私の家族で該当する人がいたとしても、それは私のおじいちゃんかひいおじいちゃんの世代です。こうしてソ連では家族の過去は孫の将来にまで大きく影響していたわけです。

 さて、私がこの入学願書を手にしたのはいつ頃だと思いますか?年がバレますけれども(とっくにバレていたりして?(笑))、実は、1991年です。ペレストロイカが始まってすでに数年経っていて、ソ連が崩壊する直前でした。質問に出ていた「人民の敵」などは、実は何の罪もない被害者だったことが、すでに公になっていました。しかし、ソ連は変わった。何の罪もない人が突然逮捕され、射殺されたり強制収容所に送られたりするようなことはもう二度とないと、私はそう確信していました。しかし、入学願書を見て、実は何も変わっていないんだと思いました。国が大学入学希望者のことをそこまで調べ上げようとしているということは、粛清も逮捕もこれからも続く、願書の質問をそういう意味にしか受け取れなくて私は大きなショックを受けたのです。

 そこでやはり黙っていられないタチアナ。受付に行って「これ、何ですか?」と記入用紙を見せました。ところが、答えは、拍子抜けする、いかにもロシアらしいものでした。

「用紙が古いからね。この欄、別に記入しなくていいよ」とのことでした。

複雑な気分でした。「ソ連は変わった。KGBにおびえて暮らす必要はない」と、再確認できてほっとしたのは言うまでもない。しかし、こわい気持ちもまだ残ったままでした。なんだか突然タイムスリップをして一昔前のソ連の雰囲気を味わってしまったような感じでした。今まで皆さんは一体どういう気持ちでこのような質問に答えてきたのだろう。

こうして、国の転換期に生きる人は、一瞬にして二つの時代を味わってしまうことがあります。私は子供時代をソ連で過ごしましたが、それなりに幸せだったと思います。しかし、大人の生きるソ連だけは絶対に経験したくないと、そのとき強く思ったことを今でもよく覚えています。みなさん、そのときの私の気持ちを想像できますか?

過ぎ去ろうとしているこわい時代を少しだけ経験したタチアナでした。

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日本とロシアは入学手続きも違う!

息子のゆうきがロシアの学校に半年間だけ通って、その後すぐ日本の小学校に転入したので、私は短期間に両国の小学校の手続きを経験することになりました。比べてみると、同じ(?)公立でも、学校側が求める情報が日本とロシアでは違いがあって、興味深かったです。

例えば、ロシアの小学校は病院のカルテが必要で、それを取得するまでの私の苦労についてこのブログの「何もかも問題化するロシア」の中に書いています。一方、日本の書類では、今までの予防接種などを母親の私が書いて終わりでした。

逆に日本にあってロシアにはないものとしては、自然災害に関するさまざまな記入用紙が挙げられます。例えば、いざというときに家族がどこに避難するかなどの情報は、地震のないニジニでは求められることはまずありません。これはもともと国の事情が大きく違うわけだから当然と言えば当然です。

 しかし、日本とロシアでは意外な違いもあります。例えば、保護者に関する情報として日本では勤務先と電話番号だけで十分なのに、ロシアではなぜかさらに詳しい情報が求められます。

まず、両親の最終学歴です。ただし、学校側が知りたがっているのは「中卒」「高卒」「大卒」などのように、どこまで勉強したかということだけで、学校名は要りません。そういう情報は一体なぜ必要でしょうか?あくまでも私の推測ですが、学校側としては、保護者たちがどこまで子供の勉強をみてくれるかということを知りたいんだと私は思います。つまり、大卒の親であれば、子供にも大学に進学してほしいはずだから、より教育熱心だと期待できる。多分、そういう発想だと思います。

もう一つ日本の公立小学校にはないことですが、ロシアの学校の書類では、両親の会社の肩書きを記入することになっています。さきほどの学歴と一緒でこの情報は私が子供だったときも求められたし、昨年ゆうきをロシアの小学校に入れるときも記入させられました。またまた私の推測ですけれども、こうして学校側が「役に立ちそうな保護者」を探しているのだと思います。つまり、父親が社長だったら学校への寄付を期待できそうだとか、バス会社の偉い人だったら遠足にバスの提供をお願いできそうだとか、お菓子メーカーの重役さんならお正月のイベントにお菓子を提供してもらえる可能性があるなどです。ちなみに、タチアナの両親は二人とも研究職だから、先生の頭の中では「教育熱心」だけど「(勉強以外では)使えない」というふうに分類されていたのでしょう。

では、日本とロシアの手続きで一番大きな違いは何だったのでしょう?実は、それは記入用紙でした!日本ではどの書類も決まったフォーマットがあるのに、ロシアではフォーマットがあったのは、病院で作成されるカルテぐらいで、後は全部真っ白な紙でした。保護者の皆さんが何の制限もなく自由自在に書いているところを見ると、ロシアらしい!と思ったことを今でもよく覚えています。

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方角に弱いロシア人

最近、ロシア語のブログを復活させました。ロシア人の私にとってロシア語の方が断然書きやすくて、ついついそっちの方ばかり更新してしまいます。

でも、今回久しぶりの更新です!実はつい最近日本人についてある疑問を解きました。皆さんは「北」や「南」などの方角の名前をいとも簡単に口にしているのですが、どちらが「北」かどちらが「南」なのか、日常的にいったいどうやってわかるのだろうか、と私はずっと疑問に思っていました。以前、このブログに日本人の「エクセル内蔵疑惑」について書いたことがありますけれども、方位磁石まで内蔵されているのではないかと疑うぐらいに、東西南北が即座にわかる日本人たちは私にとって不思議に見えたのです。

例えば、初めて日本に来て間もなく、私はある待ち合わせ場所の説明として(どこそこ駅の)「南へ500メートル」というメモを渡され、困ってしまいました。日本人の皆さんは日ごろから磁石でも持ち歩いているのだろうか?それとも、磁石がなくても感覚的に方角がわかるのだろうか?言うまでもなく、もらったメモは私にとってまったく役に立たないものでした。

「南へ500メートル」という説明に私が驚いたのには、わけがあります。実は、ロシアでは大自然への冒険にでも行かない限り、方位の名前をあまり耳にすることはないのです。街中の道案内をするときも方角の名前を使う人はまずいません。また、今回の赴任の間、新しい駐在員のために何回か部屋を探し回ったけれども、ロシアの不動産屋さんから「南向き」などのような方角に関する情報を与えられたことは一度もありません。一方、日本の不動産屋さんではそういう情報が真っ先に出ると思います。ただし、「南向き」と言われたけれども、見に行ってみたら「隣の壁向き」と言った方が正確という物件もあります。そういう意味では住宅密集地にあるマンションの場合は、「向き」は必ずしも役に立つ情報とは言えない気がしますが、日本ではそれでも確実に提供してもらえます。

日本人は生まれつき東西南北の感覚が優れていると、信じて疑わなかったタチアナでしたが、なんと一ヶ月ぐらい前にちょっと違うことがわかりました。答えは日本の小学校にありました。どうも小学校3年生になると、日本人の子供たちはくどいぐらい地図を読む練習をさせられるようです。ゆうきが学校から持ち帰った「夏休みの友」の中にも何ページも地図に関する課題になっていたのですが、方角が苦手なタチアナにとってこの手の宿題のチェックはかなりつらいものでした。

では、私が受けてきたソ連の教育はその点どういうふうだったのだろうか?何十年も前のことだから忘れているところもあるかもしれませんが、覚えていることを整理するとこうなります。授業でよく使ったのは、世界の地図とソ連の地図でした。どこの地域はどういう気候だとか、どこの地域にどういう天然資源があるなど、私たちの地理の勉強はだいたいそういうものだったと記憶しています。上の学年になると、「~の工場を建てるならどこの地域がいいか」というような課題を出され、色々なタイプの地図から「天然資源」や「人口密度」などの情報を集めた上で、自分なりの考えをまとめて発表するようなこともしました。

 しかし、日本の小学校のように、駅から見て北だとか南というような、極めて身近でローカルな話はどうもあまりしていないようです。少なくとも、私の記憶にはそれらしき話は一切残っていません。結局、世界地図などのような抽象的な話はいいけれども、日常生活の中で東西南北の概念を使おうという発想は私にはまったく浮かばないわけです。

 そして、どうもそういう人は私だけではないようです。自虐的なジョークが多いロシアですが、ロシア人の方向音痴をネタにしているようなものもあります。ここで一つご紹介します。

ロシアの潜水艦が浮上して、乗組員たちは小さなボートに乗っている外国人の釣り人にアメリカ軍の船の行方を尋ねた。「南東方面」という回答が戻ってきたので、ロシア人たちは怒って「そんな小難しい話はいいから、行った方向をさっさと指で指しなさい」と言いました。 

さすがに潜水艦の乗組員では方角がわからない人はいないでしょうけれども、そういうジョークがあるということは、それだけロシア人の中で方角に弱い人が多いということでしょう。

 ちなみにゆうきの夏休みの宿題でタチアナはだいぶ鍛えられました。おかげさまでいい年をして地図を読めない女を卒業できそうです。あっ、ちなみに「地図を読めない女」の話は日本で何かと耳にしますけれども、ロシアではあまり聞いたことはありません。性別に関係なく地図を読めない人が多いからかな? にほんブログ村 ロシア情報 にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
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